第四話 決意した男 *一路視点
桜が散り始めてしまいましたねぇ……
「いやぁ、私、頑張りました!」
良い汗かいた、と言わんばかりの様子でティーンクトゥスが腕で額の汗を拭う様な仕草を見せた。
一路は、真尋の背にしがみつくように隠れながら、それを覗き見る。
二人の目の前には、自分達と全く同じ姿形をした人間が二体、並んでいる。
真尋が自分の目の前に横たわる自分をじっと見つめていた。丁度、真尋の腹辺りの高さにこちらに頭を向けて浮かぶ全裸の人間には腰から下を隠す様に真っ白なシーツが掛けられていてる。その隣には一路と同じ顔をした人間が同じようにシーツを掛けられて浮いていた。
あれから二時間ほどして、ティーンクトゥスが「出来ました!」と叫ぶと同時に一路と真尋は、新しい自分たちが眠るこの空間に立っていたのだ。目の前にあったはずのテーブルも腰掛けていた筈のソファも無くなっていて、目の前に有るのは眠る自分と同じ顔をした肉体だけだ。
「一路様のふわふわの髪を再現するのも大変だったのですが、やはり真尋様の御尊顔を再現するのが非常に難しかったです! もしかしたら真尋様は地球の美や造形の神様にご寵愛を受けていたのかもしれませんね」
ティーンクトゥスがうんうんと一人で納得したように頷きながら言った。
「腕は二本、指の本数も……足の本数も間違っていないようだな」
真尋がシーツを捲ってしっかりと確認する。一路も眠る自分を覗いてみるが、ここから見る限り、余分なものも足りないものもなさそうだった。
それにしても、と改めて目の前のそれに視線を映した。こんな風に自分の体をまじまじと観察することになろうとは人生とは何が起こるか分からないものだ。幽体離脱をしたらこんな景色を目にすることになるのだろうか。
何となく真尋の背中越しに手を伸ばして、自分の頬に触れてみた。瞬間、一路は手を引っ込めて真尋のブレザーをきつく握りしめる。
何となく触れたそれの頬は、氷のように冷たかった。肉の柔らかさや弾力を確かに感じたのに、それにはそこに在る筈の体温が無い。
それが無性に恐ろしいものに思えて、一気に目の前の自分と同じ姿形をしたそれ(・・)が遠い存在に思えた。
真尋は、彼の体の胸に手を当てて、その切れ長の目を細めた。その手のひらの下に鼓動はあるのだろうか。一路は、恐ろしくてそれを自分で確かめることも、彼に聞くことも出来ないまま、ただ真尋の背にしがみついていた。
「本当に……これはまるで人形の様だな」
誰に向けた訳でもないのだろう彼の独り言は思いのほか大きな音として落ちた。
それはいつも誰かが真尋に向けて来た言葉だった。まさかそれを真尋が自分自身を見ながら言う日が来るなんて、流石の一路でも想像したことは無かった。
「これ、本当に動くんですか?」
一路は真尋の背中にしがみついたままティーンクトゥスに尋ねる。
ティーンクトゥスは、はい、と頷いた。
「真尋様のおっしゃる通り、今のままでは人形と変わりありません。彼らはまだ空っぽですから。お二人の魂をこちらに入れれなければ、彼らは冷たい人形のままです」
そう言って、ティーンクトゥスは、静かに微笑んだ。その微笑みが一路は、異様なものに思えて息を詰めた。今この瞬間、初めてティーンクトゥスを『神』だと認識したかもしれない。
彼は、これを創ったのだ。この精巧な人形を。魂さえ吹き込めば、命を得て息をする人形を創ったのだ。神様にとって人間は、玩具の人形と変わりないのではないだろうかとさえ思う。
「では、魂を移した後の……この体はどうなる?」
真尋の問いにティーンクトゥスの口元に浮かんでいた微笑みが歪んだ。ぎりり、と噛み締められるように引き結ばれた唇に比例するようにその灰色の瞳が、逃げるように逸らされた。右へ、左へ、彷徨った視線はその噛み締められた唇が解かれるのと同時に自分たちを真っ直ぐに捉えた。
「空になったお二人の体は、消滅します。この空間においてお二人の今の体は仮のものでしかありませんので……」
別に死ぬわけではないのに、死刑宣告でも受けたような気持ちになった。
「…………どうやってももう、地球に、日本には帰れないのか」
真尋が静かに問いを重ねた。低く穏やかな声は、強張って弱々しい響きで言葉を紡いだ。
一路は、自分の顔が強張るのを感じた。見上げた先で真尋は酷く辛そうな顔をしている。こんな顔を見たのは、二度目だ。一度目はもうずっと前の話だった。薄暗い廊下の片隅で彼は、長椅子に力なく座り込んで、こんな顔をしていたのだ。
ティーンクトゥスは再び唇を噛み締めて静かに頷いた。
「あの……事故は、」
喘ぐように言葉が吐き出された。
「お二人の運命上起こるべくして起こった事故でした。ですが、本来は貴方も一路様も死ぬことは無かった。大きな怪我を負いながらも辛うじて生き残る(・・・・)筈でした。でも、愚かな私がお二人を呼んでしまった、お二人の魂を欲してしまったのです。これでも神の端くれ、私の力は……お二人の魂を地球の輪廻の輪から強引につかみ取り、その運命を捻じ曲げてしまったのです。……故に、もう二度とお二人の魂が……地球に戻ることは、出来ません……っ。捻じ曲げられた運命を変えることは、神にも出来ぬことです」
ああ、そうか。と一路は、唐突に自分は死んだを理解した。
目の前の冷たいそれが今の自分の本当の姿なのだと、胸の中に名付けようもない感情が去来する。
一路はもう二度と、大好きな父や母や兄にも祖父母にも友人たちにも、そして、もう一人の幼馴染にも会えないのだ。当たり前のように笑い合っていた彼らに、当たり前のように言葉を交わしていた彼らに、再び会うことは永遠に叶わないのだ。
アニメみたいだ、漫画みたいだと心を躍らせてまで、目を逸らし続けていた現実が唐突に一路の視界を覆った。ぼたぼたと頬を伝うそれを拭う気力すら湧かない。真尋の背中にぐっと顔を押しつけた。
彼の鼓動が確かに聞こえるのに、自分も真尋も死んでいるのだ。結局、この鼓動は幻に過ぎない。
「…………そうか。雪乃には、もう……会えないのか」
真尋の弱々しく掠れた声が静かに消えていくのに一路の涙腺は呆気無く壊れる。
顔を上げ、しがみつく手を解き、覗き込んだ先で真尋が静かに泣いていた。
十八年の人生の中で十三年も一緒に居るのというに一路は、真尋が泣くのを初めて見た。唇を噛み締めて、嗚咽を漏らすまいと涙など無かったことにしようとするかのように、下手くそに泣いている。けれど、その右手は首に掛けられたロケットを服の上から握りしめていた。彼が、一路の親友が心から愛する人の写真が残るロケットを握りしめている。
伸ばした両手でその頬を包み込んだ。手のひらに触れた彼の頬は温かく、零れる涙が一路の手を濡らした。初めて触れた彼の涙は、自分の頬を伝うそれと同じ温度をしていた。
「うっ、ふっ、ぁぁああああっ」
一路は、どうしようもなく哀しくて、恐ろしくて、寂しくて、心に溢れ返る感情を処理することも出来ずに真尋に抱きついた。真尋の片腕が背に回されて、真尋が一路の肩に顔を埋めた。こんなに近くにいるのに嗚咽の一つも聞こえない。けれど、抱き締めた真尋の体は震えていた。
卒業を間近に控えていた。三月の終わりには生徒会のメンバーで京都に卒業旅行に行こうと約束していた。卒業式のあとには、一路と真尋の卒業祝いを真尋の家で一路と雪乃の家族も呼んで皆でお祝いする予定で、雪乃が一路の母と共に二人の大好きなものをいっぱい作るからとはりきっていて、真尋と二人、あれが食べたいこれが食べたいとリクエストしたのだ。
ロケットを握りしめる真尋の手に自分の手を重ねた。
雪乃は、一路にとっては大切な幼馴染だったけれど、真尋にとっては最愛の人だ。一路が五歳で出会った時から、真尋と雪乃はお互いを何よりも大切に大切に想い合っていたのだ。そこには一路だって入り込むことは出来ない。
雪乃は二人より一つ年下でとても体の弱い人だった。だからこそ真尋は、お姫様みたいに雪乃を大事にしていて、雪乃はそうやって大事にしてくれる真尋に応えようと努力を怠らない素敵な人だった。
一路は二人が共にあることに何の違和感も抱かなかったし、当たり前のように大人になった二人は結婚して夫婦になって、子どもを作り、家庭を築き上げていくのだろうと、寄り添って誰よりも幸せに生きていくのだろうと幼いころからずっと思っていた。そのことを疑ったことなんて、ただの一度も無かった。
だって、それが当たり前だと一路は信じて疑わなかったのだ。
それなのに、真尋は死んでしまった。
一路なんかを庇って死んでしまった。一路は庇われて、助かったのに死んでしまった。真尋の死を、その大切な命を駄にしてしまったのだ。
真尋はもう二度と雪乃に会えない。
例え、今ここで死んでも違う世界に来てしまった魂は、彼の最愛に二度と会うことが出来ないのだ。
「ま、ひろ、くん……ごめん、ごめんねっ、ぼくのせいで……ぼくなんかを、かばったせいでっ」
「一路のせいじゃない。それだけは絶対に違う」
ぐいっと引っぺがされて、強い意志を宿す切れ長の双眸が一路を真っ直ぐに射抜く。
「俺は親友を庇っただけだ。もし、俺がお前を見殺しにしていたら、俺は雪の隣にはいられない。それに残念ながらお前は死んだが、こうして俺と一緒に来てくれた。全く見ず知らずの世界に独りじゃないことに、俺は確かに救われているんだ。だから、そんな悲しいことを言うな」
そう言い切って、真尋はまた一路を抱き締めてくれた。
一路は、たった十八年しか生きていないが、それでも真尋以上に優しく強い人を知らない。
自分よりも随分と力強い背に腕を回して、一路は泣いた。悲しみの涙も悔し涙も恐怖からくる涙も全部全部、勝手に溢れて頬を濡らす。
きっと、真尋は謝ることを赦してくれない。けれど、ありがとうと感謝する勇気も一路には無い。
でも、一路もここに独りきりではないことに確かに救われているのだ。きっと真尋がいなかったら、一路は泣きじゃくることしか出来なかっただろう。
「……本当に、本当に……申し訳ない……っ」
ティーンクトゥスが膝から崩れ落ちるようにして地に膝をついて頭を下げた。
一路は、真尋の腕の隙間からティーンクトゥスを覗き見る。
「私は、貴方たちから愛する人々を奪ってしまった。貴方たちを愛する人々から貴方たちを奪ってしまった。それは贖うことの出来ないとてもとても重い罪です」
骨ばったその手が胸を抑える。握りしめられた薄汚れた服に皺が寄る。
「私はその罪をこの胸に刻み込んで生きていきます。この咎を私は生涯忘れないと誓います。その代わり、お二人のことをお二人の命が尽きて、魂だけになって再び生まれ変わった後も、私のことを忘れてしまったとしても永遠に見守り続けることを約束します」
顔を上げたティーンクトゥスの瞳は、力強い光を宿していた。出会った当初の廃人みたいな、全てを諦めてしまったかのような虚ろな瞳はもうそこには無い。
「……貴方の瞳は、銀色だったのか」
真尋がぽつりと呟いた。一路もティーンクトゥスの瞳をじっと見つめる。
灰色だと思っていた瞳は、星を閉じ込めたみたいに強く輝く美しい銀色だった。もしかしたら、そのぼさぼさの灰色の髪も瞳と同じように嘗ては輝く銀色だったのかもしれない。
真尋が一路の腕からするりと抜け出して、ティーンクトゥスの前に立つ。
「……俺は、貴方の望む様にアーテル王国に臨もう。だが、先ほども言った通りそれは貴方の存在を消すためではない、貴方が……ティーンクトゥスという一柱の神が再びその力を取り戻し、永久に王国を見守る役目を果たせるように、貴方の身に溢れるその愛を人々に伝えるために、俺は一路と共に行こう。消えたいと願った貴方が――生きたいと望んだのだから」
銀色の瞳がみるみる内に見開かれる。はっと短く吐き出された呼吸が微かに震えていて、ティーンクトゥスは信じられないと言う様に自分自身の震える手を見つめた。
でも、一路だって聞いた。一路と真尋の魂を永久に見護ると、咎を背負って生きると彼は言った。それは消えてしまっては出来ないことだ。彼が神として生きていなければ、成し得ぬことだ。
一路は真尋の隣に立って、ティーンクトゥスの前にしゃがみ込む。
「僕と真尋くんのことちゃんとずーっと見守っててください。約束です」
はい、と差し出した小指にティーンクトゥスは、銀色の瞳をぱちりと瞬かせた。
「俺とも約束しろ」
真尋もそう言って、小指を差し出した。
「ほら早く、小指出して!」
一路が急かせば、ティーンクトゥスが慌てて小指を差し出す。一路と真尋はその小指に自分の小指を絡めた。
「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます! ゆびきった!」
慣れ親しんだ歌を口ずさんで、ぱっと小指を離す。ティーンクトゥスは、だんだんと顔を綻ばせて、柔らかに笑った。まるで宝物みたいに指切りをした小指を抱き締める。
やっぱりこの人は、真尋と同じで本当は美人さんなのだろうと一路は確信する。
「立て、ティーンクトゥス。俺は時間というものは有意義に使うべきだと思っている。だからさっさと蘇らせろ。安心しろ、お前の人選は正しい。何せ七十億もの人間がひしめく地球から、この俺を選んだんだ。そこだけは見る目が有ったと評価してやろう」
その手をティーンクトゥスに差し伸べる真尋は、どこまでも尊大で偉そうなのに彼の生まれ持った何かがそう見せるのか、ちっとも嫌味に思えない。
「……真尋くん、何度も言うけど一応、ティーンさんは、神様だよ」
「いいや違うな。俺が躾をしたんだから俺の下僕だ」
きっぱりと言い切った親友に一路は頬を引き攣らせるが、当の神様が「はいっ!」とこれまでで一番元気よく嬉しそうに頷いて真尋の手を握ったので何も言えなくなったのだった。
ここまで読んで下さってありがとうございました!