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サヴィラの話 前編

 孤児院の開院の目途が立ったのは、火の月の終わりだった。

 夏も真っ盛りの茹だるような暑さが続く日々のことだ。何十回目かの会議で開院が決まり、どうせだったら終わりではなく、始まりのほうがいいのではという声に孤児院は、六番目の月、雷の月の一日に開院することに決まった。雷の月は、日本でいうところの八月の気候に当たる。その名の通り、雷がよく鳴る月で夕立や突然の豪雨に悩まされる月でもある。

 真尋は、騎士団本部にいつの間にか用意されていた執務室で報告書や各資料に目を通していた。あの事件解決から早一か月が経つが、一向にこの事件は真尋と一路を開放してくれない。

 広い執務室にはコの字型にデスクが置かれている。真正面に真尋のデスクがあり、真尋からみて右斜め前に置かれたデスクでは、真尋に通す前の書類の選別をしたり、真尋の作成した報告書や資料を基に関係各所への報告書を作ったりしている一路がいる。一路の向かいには真尋たちの護衛騎士であるリックとエドワードのデスクが並び、彼らは二人の秘書のような役目を担ってくれている。スケジュール管理に始まり、資料の収集、関係各所への連絡、来訪者への取次など彼らの仕事は多岐に渡る。


「いよいよ明日だねぇ」


 ぐっと伸びをしながら一路が言った。


「漸くだな。だが企画始動から一か月足らずで開院できたのは、かなり早い方だろう」


「だね。どうなることかと思ったけど、皆が協力的で助かったよ」


 ねえ、お茶にしようよ、と言われて真尋も万年筆を置いて、煙草を取り出す。

 一路は手慣れた様子で、部屋の隅に置かれたテーブルの上で紅茶の仕度をしてくれる。最初はエドワードとリックがやってくれていたのだが、紅茶の国で生まれた一路の淹れる紅茶にはどうやっても敵わず、今では一路が淹れるのが当たり前になっている。

 はいどうぞ、と出された紅茶に口をつける。やっぱり一路の淹れる紅茶は格別だ。丁度、お遣いから戻って来たリックとエドワードにもカップを渡し、一路は真尋のデスクに寄り掛かる。


「それにしても、凄い量の書類だよねぇ」


 真尋の上には左右に一つずつ、書類の塔がある。真尋から見て右が未処理、左が処理済みだ。

 一路が積まれた報告書を指で摘まみ上げる。


「殆どが裏付け捜査の報告書だ。とはいえ、インサニアやザラーム関連は、今のところ俺かお前にしか処理が出来ん。しかも、領主様を襲った奴らまでそれ関連となれば報告書は増える一方だ。とはいえここで処理をしていかないと後でしわ寄せが自分に来る」


「まあ、そりゃあそうだけども。でも、君、これを全部頭に入れてんでしょ? ページ数まできっちりと」


「一度読めば勝手に頭が覚えるからな」


「相変わらずの頭脳で……僕は中身だけだよ、ページ数まで覚えらんない」


 リックとエドワードが「それでも十分ですよ」と遠い目をしていることには気付かず、二人はのんびりと紅茶を飲んで、真尋は煙草を楽しみ、一路はティナが作ってくれたというマドレーヌを食べて、息抜きをする。


「今夜は明日の前祝で夕食は豪華らしいよ」


「ああ。そういえば今朝サンドロが張り切ってたな」


「サンドロさんと言えば、この間、顔を出した時に帰って来た息子のヴィートさんに会ったんだけどさ、同じ熊系の獣人族なのに似てないよね」


「確かにな」


 サンドロとソニアの二番目の息子が帰って来たのは、二週間ほど前のことだった。

 もともと来月の頭に改装して二号館としてオープン予定だった山猫亭の新しい料理長として戻って来る予定だったそうだ。五年程、王都のレストランで修行して帰って来たヴィートは、サンドロに負けず劣らず体と身長は大きかったが温和な顔つきでキラーベアというより森のクマさんという言葉の似合う二十歳の青年だった。彼は婚約者とともにこちらに戻って来て、ソニアとサンドロを驚かせた。

 ヴィートの婚約者は王都で彼が修行をしていたレストランのウェイトレスだったそうだ。人族の小柄な女性でヴィートとは同い年。名をエレナという。真尋も一度、ヴィートが挨拶に来た時に会ったが、元気で溌溂としていて可愛らしい女性だった。


「ソニアが娘が増えたと大喜びしてたぞ」


「ソニアさんは大らかだよね。サンドロさんは、何だかまだ恥ずかしいらしくて、もじもじしてたけど」


 一路がくすくすと笑いながら言った。


「とはいえ、明日になれば、皆、行っちゃいますので屋敷は広いですし、少し寂しいですね」


 リックが言った。

 一路が、そうだねぇ、と頷く。

 サヴィラの大事な家族である子どもたちは、幼い。八歳のルイスはギリギリ事情を理解できたようだが、下のチビたちはよく分かっていない。何せまだ六歳、五歳、三歳、二歳、八か月だ。分かれというほうが無茶である。とはいえ、いきなり向こうにというのはよくないので、何度も何度も山猫亭に遊びに行かせたり、新しく孤児院となる金の豚亭の準備に送り出たりして、孤児院で働いてくれる女性たちとも会わせた。すると次第に新しい家はここになるのだと認識してくれたようで、チビさんたちは明日が楽しみで仕方が無いようだ。もともと、ほぼ家にいない真尋より、世話をしてくれているソニアと孤児院の女性たちに懐いているので大丈夫そうだ。ルイスに至っては、毎日、サンドロの後を付いて回って料理のお手伝いをしているらしい。この間、サンドロが「可愛くて仕方がない」と嬉しそうにしていた。強面の彼は子供にモテないので余計に嬉しいのだろう。

 正式な開院は明日だが、サヴィラたちが声を掛けたり、説得したりした孤児たちは既に孤児院で暮らし始めている。


「問題は、サヴィラくんだけど、大丈夫かな?」


「ネネは平気なんですか?」


 エドワードが首を傾げる。


「ネネはローサを姉のように慕っているし、ローサもネネを妹のように可愛がっている。向こうに行ったら、一緒にウェイトレスをするんだと楽しみにしていてな、プリシラがネネ用に制服まで誂えてくれたんだ」


 真尋の答えにエドワードが成程と頷く。

 

「サヴィラは繊細な子ですからね……心配ですね」


 リックの言葉に真尋も頷く。


「最近のサヴィラは、平静を装って入るが日に日に緊張しているのが分かる。声を掛けても大丈夫だ、としか言わないからな」


「エディくらい神経が太ければ良かったんですけど」


 リックが心配そうに眉を下げて言った。


「なあ、相棒。最近、俺に冷たくない?」


 エドワードの言葉をリックはさらっと無視する。


「サヴィラは、普段の生活を見ているとその辺の子どもとは根本から違います。受け答えや立ち居振る舞い、食事の所作なんてエディより完璧ですよ。厳しく躾けられた証拠です」


「なあ、相棒。俺に恨みでもある?」


「……恐らく、サヴィラは貴族の落胤というのは間違いないだろうな。本人が何も言わんから分からんが……八歳まではそこに居たようだし、英才教育は遅くとも三歳で始まるから、サヴィはかなり厳しく躾けられている。幼い頃に叩き込まれたものは大きくなっても忘れないものだ。この間、学校の入学試験の過去問をやらせたんだが、全問正解だったし」


「でも、ならどうして孤児になってしまったんでしょう? その、つまり……捨てられたってことですよね?」


 リックが言いにくそうに問いかけて来る。

 それに答えたのは真尋ではなく同じ貴族のエドワードだ。


「落胤ってことは、愛人の子ってことだろ? それで後継ぎがいないから育てたはいいけど、正妻との間に息子でも産まれて……言い方は悪いが邪魔になったんだろ。王国の法では、正妻との間に生まれた長男が継承権を得るからな。それにサヴィラは、見目も良いし、頭もよく、品もある。魔法だって三属性持ちで魔力量も多い。家が大きければ、逆にサヴィラを担ごうとする輩だって出て来るんじゃないか?」


「成程なぁ……殺されそうになって逃げだしたか、或は、誰かがサヴィラを逃がしたのかも知れんな。ダビドは全てを知っているようだったとシグネたちも言っていたし……」


 真尋は紫煙を吐き出し、灰を灰皿に落とす。


「ダビドさんの日記には書いて無いの? その辺のことは」


 一路が尋ねて来る。


「そう言えば、忙しくてすっかり言い忘れていたが、ダビドの日記は、肝心な部分は俺でも読めん」


「どういうこと?」


 真尋は、アイテムボックスからダビドの日記を取り出す。

 リックとエドワードもこちらにやって来て、デスクの上で開かれた日記を覗き込む。


「ダビドの日記は、毎日、書かれていたものでは無いようでな。サヴィラが来てからの日々はぎりぎり読めるが、サヴィラの出生に関することは不明だ。ただ、出会ったとだけしか書いてない。そして……それ以前の日記は、この通り、見たこともない文字で書かれている」


「あ、本当だ……しかもなんだろう、大分古いね」


 一路が文字を指先で撫でながら言った。

 もともと古い日記帳ではあるが、サヴィラ以前のページの文字が書かれたのは、かなり前で間違いない。


「アーテル語では無いですね」


「俺もこんな文字は見たこと無いな」


 リックとエドワードも首を捻る。


「キースにも見せたが、彼女も知らないと言っていた」


 会ったついでにナルキーサスには見せたのだが、彼女も首を傾げるばかりだった。

アーテル語は英語に似た文字の形をしているが、ダビドの日記に書かれている文字は、地球で言うとスリランカで使われるシンハラ文字に似た形状をしているのだ。曲線で構成される文字は流石の真尋でも簡単には読み解けない。


「とりあえず、ダビドの日記の書き方からして、これは「今日は」と読めることは分かった。恐らく、ここが天気を指す言葉で、こちらは気分を表す言葉だ……そこから地道に読み解いていくしかないな。文法に規則性もあるし、数えた限り、文字の種類は五十だ。恐らくきちんとした決まりがある」


「……だってマヒロさんですもんね」


 リックが何故か遠い目をして呟いた。


「ダビドは、日記にマイクのことやザラームたちに関することは何一つ書いていない。ダビドが託したのはこの未知の文字の部分なのだろうな」


「ダビドさんも謎多き人だね」


「全くな」

 

 真尋は頷いて日記帳をアイテムボックスにしまう。


「とはいえ、今はサヴィラだ。……今夜あたり少し話をしてみるかな」


 短くなった煙草を灰皿に押し付けて真尋は、紅茶も飲み干す。一路が空になったカップを回収し、駆け寄ってきたエドワードに礼を言って渡し、自分の席へと戻っていく。

 彼のデスクの前には、ふかふかの絨毯の上でのびのびと眠るロビンが居て、腹を天井に向けて寝ている。警戒心がまるでない。大型犬サイズになったロビンは暫くはこのサイズで体の成長が止まるそうだ。ロボとブランカ曰く、ヴェルデウルフが成獣になるには、雄は三年以上かかり、今年の春に生まれたばかりのロビンは、まだまだ赤ん坊で、実はまだ離乳すらしていない。ロビンは今がとても大事な時期で母親の魔力たっぷりの乳を貰いながら、魔獣の肉も食べて、自身の魔力を安定させて風や地の魔法を操る基礎を作っていくのだという。その生態に謎の多いヴェルデウルフであるため、割と幼獣の成長過程はその手の専門家が大興奮する話なのだが、当の一路が「ならブランカたちを従魔にして本当に良かった、僕、おっぱいは流石にあげらんないもん」と大らかに笑っていたのは余談である。

 真尋は、万年筆を手に取りながらそれを眺める。黒い鼻先がひくひくして、前足が宙を掻いた。どうやら夢を見ているようだ。


「サヴィも……ロビンまでとは言わんから、もう少し肩の力を抜けるようにならないと、あれでは生き辛いだろうにな」


 ぽつりと呟いて、真尋は書類の上に再び万年筆を滑らせるのだった。










 神父様の屋敷はとても広くその上、大きな図書室がある。

 サヴィラは図書室がお気に入りの場所で窓際のカウチに座って本を読むのがサヴィラの楽しみだった。図書室にはチビたちでも楽しめる絵本から魔導師が読むような専門書まで多種多様の本がある。最近のサヴィラのお気に入りは、十代の青少年向けの冒険譚だ。主人公は十八歳の冒険者で、サルディ王国という地を舞台にした冒険譚だ。シリーズ物で十巻までこの図書室に有る。十巻が五年前の日付なので、それ以降、この本が出ているかどうかは分からない。この図書室は、前の持ち主が手放した五年前で時が止まっているのだ。

 夢中になって冒険譚を読んでいると、ふわり、と煙草のほろ苦い香りが鼻先をかすめる。

 顔を上げれば目の前にマヒロが立っていた。


「随分と夢中になって読んでいるんだな。俺が来たのにも気付かないくらいに」


 ふっと笑ったマヒロは、勝手にサヴィラの隣に座った。

 彼の手には数冊の本があった。表紙のタイトルから察するに、どれも専門的なものばかりだ。

 風呂から上がって、一服してからここに来たらしいマヒロは、煙草と石鹸の匂いがした。それに黒い髪がまだ少し湿っている。


「ミアは?」


「今日はネネと風呂に入るとフラれたから、俺はジョンとリースと入った」


 リースが顔を水につけられるようになってな、とマヒロは心なしか嬉しそうに声を弾ませた。

 サヴィラの六つ上の十九歳の青年は、そうは見えないほど父親が板についている。そもそも十九歳にはあんまり見えない。言動や立ち居振る舞いが随分と落ち着いた年上の男性に見せるのだ。


「神父様は、結婚しているって本当? 子どももいたの?」


「誰かに聞いたのか?」


「ジョンが教えてくれた。神父様の左手の薬指の指輪は結婚の証なんだよって」


 ああ、これかとマヒロは自分の左手に視線を落とした。男らしく長い指の付け根に銀色の指輪が輝いている。そして、徐に服の中に手を突っ込むと楕円形のロケットがついたネックレスを外して、サヴィラの手の上に乗せた。


「サヴィは男だが特別に見せてやろう」


 そう言ってマヒロは、サヴィラの手の上でロケットを開いた。

 中には、綺麗な女性が微笑む絵があった。凄く精巧な絵は本物みたいだ。

 長い黒髪に垂れ目の大きな瞳、目元にある泣き黒子が色っぽいのにいやらしさは全くない。きっと、優しくて素敵な人なんだろうと思った。多分、彼女が浮かべる微笑みがマヒロと同じでとても優しいからだ。


「この人が、神父様の奥さん?」


「ああ、妻の雪乃だ。美人だろう?」


「うん。凄く綺麗な人だと思う……でも、どうして屋敷には居ないの?」


 そう問いかけて顔を上げると寂しげな月夜色の瞳とかち合った。自分は聞いてはいけないことを聞いてしまったのか、と焦るもマヒロは、それを見越したかのようにぽんぽんとサヴィラの頭を撫でた。


「俺と一路は、神父になるために全てを捨てなければならなかった。実は……神父になってティーンクトゥス教を布教するというのは突然課された使命で、拒否する間も無く、俺たちは故郷を出ることになって、別れの挨拶も出来なかった」


 サヴィラは予想外の言葉に言葉を失う。


「俺と一路は、故郷では事故で死んだことになっているだろう。雪乃や家族、友人にとても悲しく辛い思いをさせてしまった。それを後悔しない日は無いし、雪乃を思い出さない日も無い。一路が居たから俺はまともに生きているんであって、一路すらもいなかったら、俺はとっくに死んでいたかも知れんな」


「そ、そんなのは、駄目だ!」


 サヴィラは咄嗟にマヒロのシャツを掴んだ。膝の上にあった本がばさりと音を立てて落ちる。

 マヒロは、ふっと優しく目を細めるとサヴィラの後頭部に手を回して、よしよし、とまるであやすように撫でる。


「すまない、怖がらせたな。大丈夫、こんな世迷言はもう二度と言わん。俺には愛しいミアがいるし、サヴィラもいるからな」


 その言葉に嘘偽りは無かったけれど、サヴィラは彼のシャツを掴んだ手が離せなかった。するとマヒロはサヴィラをそっと抱き寄せてくれる。彼の胸にこてんと寄り掛かる格好になった。咄嗟に逃げようとしたが、彼の優しくも力強い手はサヴィラの頭に添えられていて逃げられない。人族であるマヒロの体は温かい。胸に耳を当てれば、力強い心臓の音が聞こえて来て、ほっとする。


「俺と雪乃の間には、子どもはいなかった。まだ俺も雪乃も未成年だったからな……それに雪乃は、生まれつき体が弱くてな。子どもは諦めるように治癒術師に言われていた。妊娠にすら母体が耐えきれないと。妊娠も出産も至って健康な女性にだって命の危険があるんだから、当たり前と言えば当たり前のことだったかもしれない」


 こつんとマヒロの頭がサヴィラの頭に乗せられて、その低い声が直接響く。


「……だから、ミアの存在は、本当に俺にとっては望外の幸せだ。血こそ繋がっていないが、まさか娘を得られるとは思っていなかったからな」


 降ってくる声には、たっぷりの愛情が込められている。

 マヒロに愛されるミアは、誰が見ても幸せそうだ。キラキラと輝く笑顔がそれを如実に物語っている。ミアが望めば望むだけ愛がもらえて、腕を伸ばせば当たり前に抱き締めてもらえるのが、本当は羨ましい。


「…………俺も、神父様の子どもに生まれたかったな」


 口の中だけで呟いて目を伏せる。

 マヒロの手は、サヴィラの肩に移動して、ぽんぽんと緩やかに一定のリズムを刻んでいる。


「嫌だったら話さなくてもいいが……サヴィの父や母は、どんな人だったんだ?」


 少しだけ躊躇いの色を滲ませた声が問いかけてくる。サヴィラは、少し迷った後、マヒロなら別に良いかと口を開く。


「本当の母様は知らない。俺は乳母に育てられたから……。父様は…………とても、冷たくて、こわいひとだった」


「……そうか」


「俺、所謂、妾腹だったけど父様の血を引く唯一の子っていうもので気付いた時には色んな勉強と魔法の練習が一日の大半を占めてて、ずっと屋敷の中にいたんだ。家庭教師は厳しい人で怖かったけど、ちゃんとすれば怒られはしなかったし、勉強自体は嫌いじゃなかったんだ。字が読めるようになると色んな本が読めるようになるし、本の中で冒険に出てもあれこれ想像できるようになるから」


「だからサヴィは、利口なんだな。勉強というものの本質を理解できている」


 心から褒めてくれるその言葉が嬉しいけど、照れくさくて誤魔化すように咳払いを一つした。


「父様の奥様は、俺が嫌いだったみたい。子どもがなかなか出来なくて、だから俺はあの屋敷に居たんだけど……でも、俺が八歳の時に弟が産まれたんだ。顔も名前も知らないけど……弟が産まれた三日後に俺は乳母に手を引かれて、屋敷を出た。でも乳母は、町を出て次の町に着いた途端、持たされたお金を持ってすぐに逃げちゃって、俺は知らない男たちに売り渡されちゃった。……紫銀貨一枚、十万S、それが俺の値段だった」


 肩を撫でていた手が止まる。


「それで馬車に乗せられてどこかに連れていかれた。日付の感覚が分からなくなるくらい長いことそこに乗っていた。男たちの話から俺は……どこかの貴族だか金持ちの爺に売るための商品になってた。何度か男共が手を出そうとして来たけど、俺も本気で抵抗したし、俺が「未使用」じゃないと意味が無いらしくて、殴られたことを除けば酷いことはされなかったよ。でも、どこかの平原であいつらが野営をしている間に逃げ出したんだ。あいつら、俺がただの子どもだと思って、魔法を無効にするロープは使っていなかったから。それで無我夢中で逃げて、通りすがりの荷馬車に潜り込んで、気付いたらブランレトゥの倉庫街で……俺は荷馬車の男が気付く前にそこから飛び出して、路地裏に逃げ込んだ。そこに居たのが、ダビド爺さんだった。爺さんは俺を家まで連れて行ってくれて……あとは神父様も知っている通りだよ」


 顔を上げようとしたのに、力強い腕に抱き締められてそれは叶わなかった。


「……神父様?」


「サヴィ」


「なに?」


「今日は一緒に寝るぞ」


「え? うわっ!」


 サヴィラがその言葉を理解する前にひょいと肩に担ぎ上げられた。


「し、神父様!?」


「安心しろ、落としたりはしない」


 そう言って、マヒロはすたすたと歩き出す。下ろしてよ、と騒いだところで聞く耳など持ってくれない。パタン、と目の前で図書室のドアが閉まる。薄暗い廊下は静かだ。


「……サヴィラ、俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」


 ひゅっと息を飲んだ。でも、悟られたくはなくて、何もないよ、と返してその背をぺしぺしと叩く。


「ないよ、何にもない。ねえ、それより神父様、下ろしてよ」


 しかし、やっぱりマヒロは下ろしてなどくれなかった。

 まるで重さなんて感じていないかのように歩いて、あっと言う間に彼の部屋の前に着く。ドアの向こうからジョンとミアの笑い声がする。


「サヴィラ……明日から、向こうでちゃんとやっていけるか?」


 穏やかで優しい声が問いかけてくる。


「大丈夫だよ……だって、遊びに来ていいんだろ? ネネたちだって一緒だし……大丈夫だよ」


「……本当か? 無理はしていないか?」


「してないよ。……神父様は、心配性だな」


「お前は何でも内に溜め込み過ぎるから心配なんだ。我が儘の二つ三つ、幾らでも言って良いんだぞ」


「俺、今のままで充分だよ」


 落ちそうだよ、と言い訳をしてぎゅうとマヒロのシャツを握りしめた。広くて大きな背中だ。


「もう子供じゃないし、そんなに心配しなくても大丈夫。……だから、下ろしてよ」


「俺から見ればお前もミアやジョンと変わらん子どもだ……今日は一緒に寝るって言っただろ。拒否権なんかないからな」


 そう言ってマヒロは部屋のドアを開ける。


「パパ!」


「お兄ちゃん!」


 二人の賑やかな声が振り返る。


「あれ? 何でサヴィだっこしてるの?」


「今日はサヴィも一緒に寝るからだ。ミア、ジョン、ちょっと退け」


「はーい!」


「へっ、うあぁ!」


 ぽいっとベッドの上に放り投げられた。いつの間にか靴が脱がされていて、サヴィラは天蓋付きのキングサイズの大きなベッドの上に転がっている。最近、届いたばかりのマヒロのベッドはふかふかで広い。


「パパ、今日はサヴィも一緒なの?」


「僕、サヴィくんの隣! ね、いいでしょ?」


 人懐こい笑みを浮かべて首を傾げるジョンにサヴィラは、だめ、とは言えないし、既にマヒロはミアを抱えて寝ころんでいる。ほら、おいでと当たり前のように隣を叩くから、サヴィラはジョンに促されるままいつかの夜みたいにマヒロの隣に寝ころんだ。


「サヴィくん、ひんやりしててきもちぃね!」


「確かにな」


「ミアも!」


 マヒロの向こう側にいたミアがマヒロを乗り越えて、間に入って来て抱きついてくる。両側からの温かな体温が少し慣れないけれど、居心地が悪いなんてことはなくて、くすぐったいような感情が心をくすぐる。これは何て言うんだろう。

 マヒロが枕の下から今夜の絵本を取り出せば、ミアがサヴィラの腕を抱き締めたままマヒロの方を振り返る。マヒロは、こちらに見えるように絵本を開く。胸に乗せられたジョンの頭が重いのに、やっぱり嫌じゃない。


「昔々、遠い昔のお話です。とある森の中に暮らす一人の魔女がおりました」


 低く柔らかな声が物語を読み上げるのが心地よく耳に響く。

 今夜の絵本は、森に一人きりで住む魔女の話だった。絵本は「もりの魔女」と書かれているが原作の題名は「呪いの森の優しい魔女」という王国では有名な物語だ。ミアとジョンが選んで来たのは、絵本だから話も簡略化されていた。

 森に棲む薬を作るのが上手な魔女は、真っ黒なローブのフードを深く被って、薬と食べ物を交換しに行く村の人とは誰とも口を利かない。だから、村人は魔女を気味悪がって、遠ざけていた。でも本当は魔女はとても美しい娘だった。悪い魔女の呪いで声が出なくなっていたのだ。だがある日、通りかかった王子様が魔女の本当の姿を見て惚れてしまい、王子様の真実の愛で呪いは解けて、魔女は一人で暮らしていた森を出て、王子様とお城に行って幸せに暮らすというストーリーだった。


「こうして、森の魔女は末永く幸せにくらしましたとさ。めでたし、めでたし」


 パタン、とマヒロが本を閉じる。


「ねえ、パパ。魔女さん幸せになってよかったね」


「ああ、そうだな」


 マヒロがミアの頭をよしよしと撫でる。


「……でも、僕が前にお母さんに聞いたのとちょっと違う気がする」


 ジョンが言った。そうなのか?とマヒロが首を傾げる。


「うん、なんか違う」


「多分、ジョンが読んでもらったのは、原作の方なんじゃない?」


 サヴィラの言葉にジョンとミアが不思議そうに首を傾げる。


「原作があるのか、これ」


「原作の題名は、呪いの森と優しい魔女って言って、もっと話が複雑なんだ。確かここの図書室にもあったよ。有名な話だから、町の本屋にも多分、普通にあるよ」


「どんなお話?」


 ミアが尋ねてくる。


「……楽しみがなくなっちゃうぞ?」


 ミアが、やっぱりだめ、とサヴィラの口を小さな手で塞いだ。その手の下でサヴィラは苦笑を零す。

 絵本を枕元に置いたマヒロが自分たちに薄手の掛け布団をかけ直してくれる。開けっ放しの窓からは、生ぬるい夜風が入り込んでくる。


「なら、ミア、サヴィラが遊びに来た時に読んでもらうといい。明日から、サヴィはあっちの家に行ってしまうからな、たくさん遊びに来てもらえるようにお願いしてごらん?」


 マヒロの言葉にミアがぱっと珊瑚色の瞳を輝かせてサヴィラを見上げる。


「サヴィ、遊びに来てくれる?」


「サヴィくん、毎日来ても良いよ?」


 反対側でジョンまでサヴィラの服を引っ張って言う。


「……毎日は、多分、無理だけど遊びに来た時に読んであげるよ。だからミアとジョンで、見つけておいて」


「分かったわ! 約束よ、サヴィ」


「サヴィくん、小指出して、小指!」


 ジョンが言いながら勝手にサヴィラの手を持ち上げて、サヴィラの小指に自分の小指を絡ませる。


「お兄ちゃんに教えてもらった約束のおまじないだよ」


「ミアもする! ね、パパも!」


 ミアがジョンを真似てサヴィラの右手を持ち上げて同じように小さな小指を絡ませた。くすくすと笑ったマヒロがその上から長い小指を絡ませる。


「えっとね、歌があるんだけどね、なんだっけ?」


 ジョンが答えを求めてマヒロを見つめるとマヒロは、月夜色の瞳を細めてその歌を紡ぐ。


「ゆびきり げんまん うそついたら はりせんぼん のーます」


「のーます!」


 ミアとジョンが最後だけマヒロを真似て繰り返した。


「サヴィくん、これで約束破ったら針を千本も飲まなきゃいけないんだよ」


「物騒だな」


「その上、万回、拳骨で殴られる」


 安易に交わして大丈夫な約束だったのだろうかとサヴィラは思わずマヒロを振り返るが、マヒロは優しく微笑んでいた。

 ほらもう寝ろ、と諭す柔い声がして、光の玉が一つだけ消される。ミアとジョンは「すずしー」と言いながらサヴィラに体を寄せると、あっと言う間に眠りの世界に入り込んでしまったようで、そう待たずして健やかな寝息が聞こえてくる。

 マヒロは、浮かんでいた光の玉を自分の方に呼び寄せるとその灯りを頼りにどこからともなく取り出した本を開いて読み始めた。サヴィラはまだ一度もマヒロの眠っている姿を見たことがない。というか、ミアやジョンですら見たことがないらしい。

 その横顔を見つめていると月夜色の瞳がこちらを振り返って、細められる。思わず目を瞑って寝ているふりをすれば、くすりと笑う声がして伸びてきた手が頭を撫でて、そして、腹をぽんぽんと一定のリズムで叩かれる。鼻歌のような子守唄が聞こえて来て、子どもじゃない、と抗議しようと思ったのに、想像以上に心地よくてその手を払いのけることもできない。そもそも、両腕がミアとジョンに拘束されているから無理な話だけれど。

 マヒロが口ずさむ鼻歌の合間に本のページを捲る乾いた音がする。開けっ放しの窓からは木々が風に揺れる音がする。両側から聞こえて来る寝息は穏やかで、抱き締められた腕があったかい。だんだんと本当に瞼が重くなってきて、サヴィラはゆっくりと穏やかに夢の中へと沈んでいった。

 そして、翌日、サヴィラはネネたちと共に馬車で山猫亭の隣、新しい家となる孤児院へと移ったのだった。




――――――――――――

ここまで読んで下さって、ありがとうございました!!

いつも閲覧、感想、お気に入り登録、励みになっております♪


番外編、第一弾です!! 前中後編の三部作予定です!

脇キャラ視点の番外編とか言いましたが、このお話を書かずして他の番外編に移行できませんでした!!


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 騎士団、神父様を逃がさないように専用執務室を作る 書類を纏める為の部屋じゃなく執務室を作った辺りがジークさんの思想と「いや、絶対今後も必要になるだろうし」という覚悟と諦めもみえました(笑)…
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