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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第一部 本編
52/158

第四十一話 迎えた男

 窓の外になんとなく視線をやれば、次から次へと荷馬車に乗せられた負傷者が運び込まれてくる。

 広間は、外へと繋がる大きな窓を開け放ち、ナルキーサスとアルトゥロを筆頭に応援に駆け付けた治癒術師たちが忙しなく駆け回っていることだろう。

 ティナは、荷馬車の上にイチロの姿が無いことと横を走る白銀の狼の姿が無いことに僅かばかりの安堵を覚えながらも、腕に抱いたアナを抱き締めて不安をやり過ごす。肩の上に乗ったピオンと薄紅色のブレットがティナと同じように外を覗き込む。

 二階のリビングでは、子どもたちが不安そうにしていて、サヴィラとネネ、ローサとジルコンにべったりと張り付いている。

 ジルコンは、パイプをくゆらせながらソファにどかりと座って彼に抱き着くヒースを抱き締めている。何でも半年前までヒースを育ててくれた死んだ爺さんに似ているらしい。ヒースは穴熊の獣人族だが、似ているというからには似ているのだろう。

 ミアは、もう一つのソファの上でジョンにぎゅうとしがみつくようにしてその腕を抱き締めている。ジョンは、それを鬱陶しがることも嫌がることもせず、優しくミアの髪を撫でたり、声を掛けたりしている。彼の反対側の腕には弟のリースがくっついていて、不安そうに表情を曇らせていた。


「ティナ、大丈夫よ。イチロくんやマヒロさんが負けるはず無いわ」


 ローサが言った。


「……ええ」


 また一台、冒険者を積んだ荷馬車が庭に入って来る。

 先ほど、下にアナのミルクを貰いに行った時に聞こえてきた話によれば、今、運ばれてきているのは青の3地区東側にて交戦していた冒険者たちらしい。ギルマス夫妻のアンナとキャサリンがいたこととイチロとレイの率いる部隊が間に合って、死者は居ないようだが死の痣に侵されたものが多数いる、と。

 ティナは、ノアのことを思い出す。ここへ連れて来られたノアは、酷く痩せ細ったその身に黒い痣を宿していた。ちらりと見えただけだったが、それでも網膜に焼き付くほど鮮烈な黒だった。


「……ティナ」


「うん、大丈夫よ。大丈夫だから、もう少しだけ」


 ティナは、ローサの呼びかけに振り返らずに返事をして、ただただ祈るようにイチロが居るであろう方向をじっと見つめ続けていた。








 倒された五頭のキラーベアは、冒険者たちの手によって手際よく解体されて行く。

 こんなものがアンデットになってはたまらない、と言わんばかりの早さだった。

 一路は、怪我人の様子を見て回りながらも、命に別条がない限りは魔法を施さなかった。対インサニアに向けて力を温存するように言われているのだ。怪我人たちは、次々に荷車に乗せられて屋敷へ運ばれて行く。幸い、一路が率いる弓部隊とレイが連れて来た冒険者たちは、それほど深刻な怪我を負ったものはいなかった。


「おい、そろそろ先へ進むぞ。解体も大体終わったからな」


 レイがこちらにやって来て言った。

 一路は、最後の一人だった怪我人を運ぶように声を掛けて立ち上がる。傍で一路の手伝いを率先してやってくれていたウォルフも腰を上げる。


「……あの神父、かなり機嫌が悪いだろ」


 徐にレイが言った。

 一路はぱちりと目を瞬かせる。


「ミアとかチビ共と一緒の時はそうでもないが、子どもが居ない場面になると正直、息をするのが辛くなる位の威圧を感じる時が有る」


「あー、まあ……あの人、見て分かる通り顔に出ないので分かりづらいですけど、今回の件はかなり頭にきてるのは事実です。にっこり笑顔の回数が増えたでしょう? あれって本当に怒ってるということの証明なんですよ」


 ウォルフが、道理で、と頷いた。


「あいつ、スキルに「威厳」を持っているのか?」


「威厳ってなんですか?」


 一路の返しにレイだけではなく、ウォルフも驚いたような仕草を見せた。


「スキルの威厳は、この町だとウィルフレッド騎士団団長と領主様だけが持ってるレアスキルの一つだ」


 ウォルフが説明を買って出てくれた。


「威厳は、隠蔽とか探索みたいに呪文はねぇんだよ。ある意味、ギフトスキルに似た性質を持っていて天性の才能の一つとも言われるもんだけど威厳が発動するとすさまじい威圧感を周りの人間は感じて、自然とひれ伏すことになる。要は人を従えるための才能だな!」


「あいつ、市場通りでミアとサヴィラを助けた時に力を発動させたはずだ」


 レイが言った。

 一路は、さてと首を捻ってあの時のことを思い出す。

 確かに市場通りでミアとサヴィラを保護した時、真尋はかなり怒っていた。あの薬屋の女店主は、真尋の地雷原の上でフラメンコを踊る位の勢いであったので無理もないが、一路は別に何も感じなかった。


「……真尋くんのステータスにそんなものはありませんよ。ただ……出自から考えれば、あの人は産まれた時から人の上に立つように教育された人なので、その所為かも知れませんね」


 ミナヅキグループという世界規模で何十万という社員を抱えるグループのトップに立つように教育されて来たのが真尋だ。出会った時から子供らしからぬ子供で、五歳にして人を使うことに躊躇いは無かった。


「もともと表情に乏しい子供だったんですけどね、それでも子供の頃はもう少し表情豊かだったんですよ。声を上げて笑うこともありましたから。でもその教育を受ける内にああなっちゃったんですよね。人に弱みを見せてはならない、感情を読まれてはならない、その教育の賜物と言えば、そうでしょうし、人の上に立つならばそれも必要だったと分かりますけどね」


「……まあ確かに神父様は何を考えているか分からないとこがあるよなぁ、俺、あの無表情のまんま壁から落とされたし、正直、知らない間に怒らせたかと思ったほどで」


「その節は本当にごめんね? ちゃんと言い聞かせたし、殴っておいたから」


 リックがべそを掻きながら訴えて来るので何事かと心配したら、我が幼馴染殿はとんでもないことをしていた。投げるのはせめて一路だけにして欲しい所だ。それ以外の人間は、投げられることに慣れていないし、そもそもあの壁の上から人を突き落とす時点で彼の大雑把加減に頭が痛くなる。その外見と能力から誤解されがちだが、真尋という男は一路が知る中で最も大雑把で適当な男だ。


「でも、神父様は何考えてるかは分からないけど、優しい人だよな。まさか孤児を養子に迎え入れるとは思ってなかった」


「……あいつ、本気なのか?」


「本気も本気ですよ。既に溺愛の片鱗が見えてるじゃないですか。多分、近い内に嫁にはやらないって言い出しますよ」


 一路はカラカラと笑いながら、こちらに駆け寄って来たロビンの頭を撫でる。


「……奥さんと紡げなかった未来が、ミアちゃんという新たな幸福のもとに築いていけるなら、僕はそれでいいと思ってますよ。ただ……子供服とか店ごと買い占めそうなんで心配ですけど。ほら、男親って娘に甘いじゃないですか」


「すごいな。否定できない」


 ウォルフが真顔で言った。

 一路は、くすくすと笑って、準備が出来ましたと伝えに来てくれた弓部隊の騎士の青年に屋根伝いに移動するように伝える。青年は、はい、と頷いて屋根の上に戻って行く。


「さあ、行きましょう」


「うっす!」


「D以下は、解体したキラーベアを屋敷に運んでおけ! それ以外は行くぞ!」


 レイが声を掛けて、さあ行こうと一歩を踏み出した時だった。


「アォォォォン!!!」


 凄まじい魔力の塊みたいな遠吠えが辺り一帯に響き渡って、思わず一路は身を竦ませる。

 D以下の冒険者や三級以下の騎士、Cでもちらほらと膝をついて座り込んでしまう者がいる程の強い魔力を伴ったそれに馬たちが嘶き、従魔たちが主を守ろうと毛を逆立て、牙をむき出しにして、翼を広げる。

 ロビンが耳をぴんと立てて駆け出す。


「ロビン!?」


「アォーーン!」


 まるで遠吠えに応えるかのように声を上げて走り去っていくロビンを一路は慌てて追いかける。一路が走り出したことによりレイやウォルフも後に続く。


「何事なのよ!?」


 キャサリンが馬車に乗るのを見送りに行っていたアンナがいつの間にか一路の隣を走っていた。ヒールだというのにかなりの速度だ。死の痣を受けたキャサリンは一刻も早い治療が必要と判断されて屋敷に送られることになったのだ。


「さっきの鳴き声、ヴェルデウルフでしょう? 何でんなもんがここに居るの?」


「あのヴェルデウルフは、多分、ロビンの父親か母親です」


「……やっぱりあいつは、成獣を呼び出すための囮だったってことだな」


 レイが言った。


「恐らくは」


 倉庫街を一路たちは、ロビンの背を追いかけるようにして駆け抜けていく。

 ロビンは、聞こえる遠吠えに何度も答えながら、どこかへと走って行く。クルィークの倉庫より少しずれた場所へ向かうその足取りに迷いはない。

 不意にどこかから何かの崩れる音が聞こえた。雨の音に混じって遠くから怒号や悲鳴が響く。


「……魔獣が倉庫街を出たのか」


 レイが唸るように言った。


「レイドさん!」


 一路が声を張り上げれば、屋根の上からふわりと鷹の翼を持つ獣人族の青年が降りて来る。


「状況確認をお願いできますか? 安全第一ですからね? 危険だと思ったら即時撤退ですよ!」


「了解です!」


 レイドは、頷いて力強くその翼で風を捉えると音がした方へと飛び去って行く。

 ロビンとだんだん距離が開いていく。


「ロビン!」


 一路が叫ぶように名を呼ぶがロビンは、振り返りもせず再び声を上げて鳴きながら更に速度を上げて通りの向こうに消えていく。

 一路が呪文を唱えて、その背を追いかけようとした時、レイがクレイモアを突然、振りかざした。


「気を付けろ!! グリーディモンキーだ!!」


 突然、屋根の上や倉庫の窓から白い毛に黒い顔の大型の猿が大量に現れる。


「グリーディモンキーってなんですか!?」


 一路は、鋭い牙をむき出しにして飛び掛かってきた猿に向けて浄化の矢を投げつけ、次いで蹴り飛ばしながら叫んだ。


「個体ランクはBだが、群れの討伐ランクはAの魔獣だ!! 炎系の魔法を操り、群れ同士の抗争は森を焼くほど激しく、負けた群れは全て奪われる!! こんなの南にしかいねぇってのにどこから連れて来やがったんだ、糞がっ!」


 レイが炎を纏わせたクレイモアで三匹同時に薙ぎ払うが、それはひょいと避けられて逆に火矢が彼に向けられる。レイはそれを呪文を唱えて風で吹き飛ばす。


「《ピュリフィケイション・ブフェーラ》!!」


 一路は、一気に畳みかけようと呪文を唱えるが数十頭の群れはその風を避けるように建物の影に隠れたり、逃げたりして大半に避けられる。


「ああ、もう! 僕はロビンを追いかけたいのに!」


 鬱陶しい雨の所為で張り付く前髪を掻き上げて一路は叫んだ。


「おい、見習い! お前は浄化に専念しろ! ウォルフ、お前もだ!」


「分かってますよ!! もう!! 《ピュリフィケイションライト・アロー》!!」


 一路が右腕を振れば目の前に数十本の光の矢が現れる。そして、もう一度、手を振ればそれらはグリーディモンキーたちに向かって飛んでく。人に当たっても傷を癒して魔力を復活させる効能があるので問題は無い。グリーディモンキーに矢が当たれば、バーサーカー化が解かれる。風よりも避けられないと確信し、一路は再び呪文を唱えた。

 また遠くから遠吠えが聞こえた。









「幻だったのか?」


「まさか、確かに居た筈だ」


 ラウラスの呟きを拾い上げてジョシュアは言った。

 目の前に現れた筈のヴェルデウルフは、遠くから聞こえた遠吠えに応えるようにゲイルウルフの群れを率いて、文字通り風のように去って行った。バーサーカー化が解かれて既に正気に戻って居たソフォスは、ヴェルデウルフの遠吠えに怖気付いて空高く彼方へと逃げ去って行った。

 突然、獲物を失ったジョシュアたちは、暫し辺りを警戒しながら様子を窺っていたが、ヴェルデウルフが戻ってくる気配は全く無かった。


「……遠吠えに応えたのは、おそらくロビンだ」


「イチロ殿の従魔、だったか?」


「ああ。マヒロは、ザラームたちがロビンを囮に親をおびき寄せて捕縛したと考えている様だった。だから、さっきのヴェルデウルフはロビンの父親だろう。牙の長さや体の大きさから言ってあれは、多分、雄だろうからな。前に見た時、雌はもっと牙が小さかった」


 ジョシュアは剣を腰の鞘に納めながら言った。


「兎に角、今はインサニアだ。行こう」


「副大隊長!! 大変です!!」


 ばさりと羽音がして目の前に鷲の獣人族の騎士が降り立った。偵察に向かわせていたラウラスの配下の騎士だ。


「どうした?」


「倉庫街の向こう、住居区にて魔獣たちが暴れています!! マヒロ神父殿の隊が合流し、住民を避難させていますが兎に角魔獣の数が多くて……っ」


「分かった。すぐに援助に向かう、行くぞ!」


 ラウラスは建物の影に隠していた馬に跨る。ジョシュアも同じく馬に跨り、駆け出し後に仲間たちがついて来る。鷲の青年は、ラウラスの隣を飛びながら現状報告を続ける。


「向こうの数は、四十から五十、白い毛に黒い顔の大型の猿の魔獣とキラーベアが五頭です!」


「キラーベアは兎も角、猿の魔獣とは何だ?」


「分かりません、この地域では見たことが無く、火を吐き出すタイプで……」


「グリーディモンキーだ! 個体はBランク、群れはAランクに指定される上級魔獣。南の火山地帯近くの熱帯雨林に生息する魔獣で非常に狂暴だ。アルゲンテウス領には居ない筈だが……四十前後で群れを作って森に棲んでいるが、別の群れと縄張りが被るとそれこそ凄まじい争いを繰り広げる。向こうが親切にもう一つ群れを町に放てば、あいつらはこの町を焼き尽くすぞ!」


 ジョシュアの答えにラウラスが、クソッと苛立たし気に叫んで馬を早める。

 倉庫街を疾駆し現場へと近づけば近づくだけ怒号と悲鳴が大きくなる。あちこちで火の手が上がっている。


「インサニアは後だ! 騎士団はすぐに住民を青の2地区に逃がせ!! 並行して消火活動も行い、青の3地区の通りを封鎖して魔獣を一匹たりとも2地区には逃がすな!!」


 ラウラスの指示に小隊長がそれぞれの隊員を連れて散っていく。


「俺達は魔獣の討伐だ!! マヒロの隊に合流次第加勢しろ!!」


 おぉぉおと雄叫びが返事をする。

 倉庫街を抜けて住宅区域へ出ると炎の勢いはますます強まり、逃げ惑う住民たちの姿と誘導する騎士たちの姿があった。確かキアランの隊の者たちだ。


「副大隊長! 神父殿は広場の方に!!」


「分かった!!」


 ラウラスが返事をしてジョシュアはその背に続く。

 広場に近付いていくと、数頭のグリーディモンキーがジョシュアたちに向かって来る。


「あいつは炎を吐くぞ、首を飛ばせ!! 血には触れるなよ、火傷するからな!!」


 ジョシュアは飛び掛かって来たグリーディモンキーを切り捨てる。バーサーカー化が解かれているということは、マヒロが浄化した後なのだろう。


「ジョシュア、こいつらおかしくないか!?」


 ラウラスが降って来たグリーディモンキーを槍で串刺しにしながら叫んだ。


「襲い掛かって来てるってよりは、逃げ出してきてる感じがする! 数も少ないしな!」


「逃げるって何か、ら……」


 勢いよく返した言葉は、その元気を失って落ちていく。

 広場でマヒロがキラーベアを五頭、従えていた。そのキラーベアがグリーディモンキーを次々に仕留めているのである。一番、大きな個体の傍にマヒロが居て、何事か指示を出している。キラーベアが放った石の礫がグリーディモンキーを捉えて、地に落ちたそれに騎士たちが止めを刺している。広場から逃げ出したグリーディモンキーを騎士たちが追いかけて仕留める。


「ちょっと待った、私、目玉がイカれたかもしれない」


 ラウラスが遠い目をして言った。

 ジョシュアは、そういえば冗談で、マヒロならキラーベアを調教できるよな、とか言った気がするなあと現実逃避をしていた。ジョシュアたちの背について来た冒険者たちもあまりのことに言葉を失っている。


「ジョシュ、ラウラス殿」


 こちらに気付いたマヒロがキラーベアの背にひらりと飛び乗ってこちらに駆け寄って来る。無論、キラーベアごとだ。隣を馬に乗ったリックとエドワードが並走してくる。カロリーナとキアランはと探せば、少し離れた所で「だってマヒロさんだからぁぁ!」と叫びながらグリーディモンキーをなぎ倒していた。


「マヒロとりあえず、聞くけど何があった?」


「こいつは、キラーベアだ」


 マヒロが言った。


「見れば分かる! 何でそれに跨ってる上に使役してるんだ!」


 ジョシュアは頭を抱えながら叫んだ。


「実は、ここへ来る前に俺と一路は魔の森に居たんだがな、こいつとはそこで一戦交えた戦友というやつでな」


 マヒロはひょいとその背から飛び降りて、キラーベアの横に立った。キラーベアの巨大な頭がマヒロに寄せられる。マヒロはその顔を撫でながら先を続ける。


「この特に大きいのとは、タイマンを張ってな。なかなか良い勝負だったが俺が勝った。魔獣ながら誇り高く、勇敢であの森では欠かせぬ存在だろうと逃がしたのだが……俺との戦いの傷が癒えぬ間にザラーム達に捕まってしまったらしい。俺がバーサーカー化を解いたら、俺のことを覚えていてくれてな。こうして手伝ってくれている。安心しろ、こいつが居る限り、他のキラーベアは、人は襲わん」


「大丈夫ですよ、私もマヒロさんが言っている意味が理解できないままでいるんですから」


 リックが穏やかな笑顔を浮かべて言ったが目が死んでいる。エドワードに至っては「マヒロさんは凄いなぁ!」と尊敬の対象に切り替えて自己防衛をしていた。


「この戦いが終わった後、こいつらは俺が責任を持って魔の森に帰す。ここに居る魔獣たちは、好きでここへ来たわけでは無いからな。だが、あの猿は別だ」


 マヒロがははっと嗤った。

 キラーベアがびくりとその大きな体を揺らして怯える。


「……あの猿、多分、ボスだと思うんですが、そいつを筆頭に恐れ多くもマヒロさんに……その……うんこを投げつけて来たんですよ」


「ちなみに主犯格のボスは一瞬で消し炭になって、核も残りませんでしたけど」


 エドワードとリックがそっと告げた。

 ジョシュアは、それはグリーディモンキーが悪いなとだけ返した。命知らずの馬鹿がいたものだ、とラウラスが呟く声が聞こえた。


「おい! お前たちはグリーディモンキーを討伐だ!」


 ジョシュアが叫べば、後ろにいた冒険者たちは、はっと我に返り散っていく。ラウラスが自分もと、逃げ出そうとしたのをジョシュアは捕まえる。


「これだけの人数がいれば、すぐに片が付くだろう。猿共も大体は、この広場に集まっていたからな。手が空いたものは、討伐は冒険者に任せ、騎士は住人の保護と避難誘導に回れ! 治療費は俺が持つから、怪我人は身分を問わず屋敷へ! 住人の安全を最優先にし、消火活動も並行して行え!」


 マヒロの一声に騎士たちが返事をして動き出す。騎士の代わりに冒険者たちが討伐に入る。やはり、騎士よりは魔獣の扱いに慣れているから、キラーベアに怯えつつも手際よく数を減らしていく。


「カロリーナ、キアラン、お前たちにキラーベアたちとここを任せる! 俺は先にインサニアの方へ向かう!」


「待って下さい! キラーベアをどうしろと!?」


 キアランが叫ぶがマヒロはお構いなしだった。自分の傍に居たキラーベアのボスに何事かを告げるとボスが唸るように声を上げた。すると四頭のキラーベアがそれに答えてカロリーナとキアランの元に駆けよる。二人が、ひぃっと情けない悲鳴を上げた。


「お前たちの指示に従うように言ってある。このあと森へ返すんだ、くれぐれも怪我をさせるなよ? さて、ジョシュア、ラウラス、行くか」


「ああ、うん。あ、違う、違う、待ってくれ! 一番大事な報告がまだだ!」


 ジョシュアは頷きかけて慌てて首を横に振った。キラーベアで移動する気満々の神父殿はキラーベアの首に跨り首を傾げる。


「ヴェルデウルフが先ほど、俺達の前に現れた。遠吠えが聞こえただろう?」


「ああ、あれか。あの声に猿共が怯えてなこの広場に集合したんだ。都合が良かった」


 マヒロは、然して驚いた様子もなく頷いた。


「応えた声があったから、多分、ロビンの所に行ったんだと思うがイチロたちの方に応援に行った方が良いんじゃないか?」


「ヴェルデウルフも犬だ。一路に任せておけば悪いようにはしないだろうし、一路が居れば大丈夫だ。あの木偶の坊もいるしな。よし、問題は解決したな? 俺達はインサニアの殲滅を最優先にする。このままだと次はどんな魔獣が出て来るか分からん。ゴブリンの群れでも出て来たらそれこそ厄介だからな」


「……ああうん、もういいや。四の五の言わずに行くか」


 きっとマヒロにとってヴェルデウルフは可愛い子犬ちゃんだし、グリーディモンキーはたかが猿だし、キラーベアはちょっといかつい乗り物だ。ドラゴンだってマヒロにしてみれば蜥蜴と相違ないかもしれないとジョシュアは、考えることを放棄した。


「インサニアは俺が対処する。お前たちは絶対に手を出すな」


 銀に蒼の混じる月夜色の瞳がジョシュアたちを見据える。否は赦されていない。ジョシュアたちに彼は、頷くことしか許していなかった。逆らうという選択肢は端から放棄を強要されているのに、ジョシュアはそれを受け入れることに何の違和感も抱けない。


「……分かっているとも、神父様」


「では、行くぞ。カロリーナ! キアラン! 後は頼んだ!」


「はっ!」


 キラーベアの壁の向こうから二人の返事が聞こえるとマヒロを乗せたキラーベアが走り出す。馬よりも早いかも知れないと焦りながら、ジョシュア、ラウラス、リック、エドワードの四人はその背に続く。

 通りを駆け抜け、あと少しでクルィークの倉庫跡地に辿り着くと言ったところで、目の前にそれは現れた。

 キラーベアが足を止めれば、自然とジョシュアたちも足が止まる。

 白銀の美しい毛並みに赤く光る双眸、吐き出される黒い霧。優美なたたずまいの狼がバーサーカー化したゲイルウルフを従えて現れた。


「ほう、これがヴェルデウルフか」


 マヒロは然して焦った様子もなく言った。

 ジョシュアたちは剣を抜き、戦闘態勢を取るがキラーベアの上に居る真尋は、よいしょとその場で立ち上がる。


「マヒロ、これは俺たちがさっき見た奴じゃない! 体格や牙の長さから言って雌、おそらくロビンの母親だ!」


 ヴェルデウルフは一組の番が群れの中心になる。あれが父親だとすれば、これは間違いなく母親だろう。

 マヒロはじっとヴェルデウルフの紅い双眸を見つめた。マヒロからは相変わらず、焦燥というものは感じられない。


「ならさっさと浄化して正気に戻してやらんとな」


 そう言って、マヒロは両手をヴェルデウルフに向かって翳したのだった。










「《ピュリフィケイションライト・アロー》!!」


 最後のボス級のグリーディモンキーに矢を打ち込んで一路は、ふうと息を突く。魔獣の脅威が退いた訳ではないが、今ので浄化は最後だ。グリーディモンキーは全て、浄化されてただの魔獣に戻った。とはいえ、暴れ狂っていることには変わりなく、途中、何度かこともあろうにうんこを投げつけられた。無論、氷漬けにしたが。


「アンナさん! レイさん! 僕はロビンの方に、ヴェルデウルフの方に向かいます!! 浄化は終えたので後は普通に討伐してください!! ヴェルデウルフ対処後、僕もインサニアへ向かいます!!」


 一路はそう言い置いて、一気に屋根の上に飛び上がる。


「待て! 俺も行く! アンナ、後は任せたぞ!」


「ヴェルデウルフは、王国最強クラスよ、気を付けなさいね!」


 アンナがガッツポーズをするのにレイは返事もせずに屋根の上に飛び上がった。


「イチロ神父さん、俺も! 俺も! カマラ! 行って来るからな!」


 ブーメラン型の武器を投げながら「行ってらっしゃい!」と笑うカマラに見送られたウォルフまであとをついて来る。


「もう、あとついて来てもヴェルデウルフ相手じゃ僕だって守り切れないかも知れませんよ!」


「自分の身くらい自分で守る」


 レイの言葉にウォルフも頷いた。一路は、知りませんからね、と念を押して足を速める。

 ロビンの気配を辿りながら、一路は急ぐ。何となく嫌な予感がするのだ。ロビンとてヴェルデウルフだが、あれはまだ幼獣だ。この春生まれたのだとすれば、成獣にとって赤ん坊と変わりない。不安が胸を覆うように溢れて来るのをぐっとこらえる。


「待っててね、ロビンっ」









 ロビンの姿が有ったのは、倉庫街の中の大通りと大通りがぶつかる交差点のど真ん中だった。

 白銀の美しい毛は、赤く汚れているのが遠目にも分かった。ゲイルウルフ達は、遠巻きにそれを見つめている。ロビンに覆いかぶさるように乗っかっているのは、巨大な白銀の美しい狼だった。

 ロビンの姿を見た瞬間、言いようのない恐怖にも似た悲しみや苦しみが一路を襲う。

 ロビンは、くんくんと甘えるように鳴きながら、ヴェルデウルフに訴え掛けている。あのヴェルデウルフが、雄なのか雌なのかは一路には分からないが、あれがロビンの親だということだけは分かった。

 甘えるように鳴くロビンをヴェルデウルフは容赦なく攻撃する。キャンッという悲鳴がロビンの口から零れて一路は全身が凍り付くような感覚に陥る。ロビンは一切、反撃をしようとしない。攻撃されるたびに立ち上がって、何度も何度も甘えるように親を呼ぶ。

 でも、インサニアに侵されバーサーカー化したロビンの親にその声は届かない。


「《ピュリフィケイションライト・アロー》!」


 一路が咄嗟に放った矢は巨大なヴェルデウルフに向かうが、ロビンの首に噛みつこうとしていたヴェルデウルフは異変を察知して後ろへと飛びのいた。その代わり、光の矢はロビンの体に突き刺さり、僅かに彼の傷が癒えてロビンが体を起こして立ち上がる。一路は迷うことなく、屋根から飛び降り、ロビンの元に駆け寄る。

 ロビンはボロボロだった。見る影もなく血で汚れて、内臓に傷でも貰ったのか口からボタボタと血を零している。


「ロビン、ごめん、遅くなって、すぐに怪我を……っ!」


「見習い!!」


 レイの切迫した声に一路は咄嗟に地面に手を当てて、呪文を唱える。一瞬、反応に遅れたが故に防ぎきれなかった風の刃が一路の腕を傷付け、頬にちりりとした痛みを感じる。石の壁に風の刃が当たる音が響く。一路はロビンを抱き締めるようにして庇いながら治癒呪文を唱えた。ロビンの傷が勢いよく癒えて行く。ロビンの傷が癒えていくのに比例して、一路の心に平穏が戻って来る。これが従魔と主を繋ぐ絆だろうかと一路は、泣きたくなるほどの安心を感じながらロビンをきつく抱き締めた。

 抱き締めたロビンから、言いようのない悲しみが伝わって来る。


「さっきのはロビンのお父さん?」


 一路の問いにロビンは、こくりと頷いた。壁の向こう、強大な魔力を秘めた気配がこちらの様子を窺って居るのが伝わって来る。ウォルフとレイは、通りに降り立つ隙が無いのか、屋根の上でもどかしげにこちらを見ている。


「なら、解放してあげなきゃね……いい子だから、この石の壁の向こうには出ちゃだめだよ。大丈夫、君のお父さんは僕が救うから」


 一路はロビンを抱き締めて立ち上がる。

 神に与えられた光属性の力を持つ一路は、どれだけ攻撃を受けようとも死の痣に侵されることは無い。一路は魔力を温存するためにハンカチを使って腕の傷を止血する。頬の傷は掌で拭って、ロングボウをしまい、ティーンクトゥスから賜った風花を取り出す。


「行ってくるね、ロビン」


 壁際にロビンの体を横たえて、一路は壁の外へと走り出す。一路に気付いたヴェルデウルフが、一路に向かって風の刃を飛ばしてくるのを走りながら避けて、宙に飛ぶ。足元に風を発生させて滞空時間を稼ぎ、風花に矢を番えてヴェルデウルフに向けて弦を引くが、流石は森の王という異名を持つだけはあって、簡単には浄化されてくれないようだ。ならば、風でと呪文を唱えるが、それはそれで向こうが起こした風に打ち消されてしまったり、土の壁に呆気無く阻まれる。

 レイとウォルフが、ゲイルウルフの討伐を始めても、ヴェルデウルフは一路から絶対に気を逸らさない。爛々と紅く光る双眸が常に一路を捉えて離さない。飛び掛かって来たヴェルデウルフを紙一重で避けるが、凄まじい魔力を伴った風の玉を叩き込まれて一路は吹き飛ばされる。倉庫のレンガの壁に打ち付けられて、かはっと乾いた声と共に口から血が溢れる。あばらが何本かイッた気がするなぁ、と変に冷静な部分で考えながら辛うじて横に転がれば、そこに大きな岩が落とされた。

 

「あー……もう、僕は戦闘要員じゃないんだけどなぁ」


 一路は、自分の脇腹に手を当てて治癒呪文を唱えて軽い応急処置をして立ち上がるが、構える間もなくヴェルデウルフが突っ込んでくる。一路は、足に力を入れて上に飛び上がる。空中で落下しながら弓を構えようとするが、それより早く石の礫が無数に向けられて氷の盾を構えてそれを防ぎ、着地する。言いようのない痛みが腹に走って、再び血を吐いた。自分で自分に治癒魔法を使っても他者に使うよりも効果が期待できないのは、実に不便だと嘆きたくなる。

 痛みに体が動かなくなって一路は片膝をつく。ティーンクトゥスは、あの高さから落下しても大丈夫、とか言っていたが今の一路は、その辺の人間より少し丈夫なくらいで、やっぱりあの高さから普通に落下したらミンチになっていたのではないかとどうでもいいことを考えた。

 殺せない、というたった一つの想いが一路を不利にする。ヴェルデウルフが、牙をむき出しにして飛び掛かって来る。これはヤバイかもと思うのに痛みの所為で足が動かない。

 足音が聞こえて、目の前にロビンが現れる。一路は目を見開いて、ロビンに腕を伸ばして庇う様に抱きしめようとするのにそれよりも早く目前にヴェルデウルフの牙が迫っていた。


「イチロ神父さん!」


「見習い!」


 ウォルフとレイの声が響く。

 だが、一路は思いもよらぬことに驚いて、呪文を唱えることも武器を構えることも一瞬、完全に忘れてしまっていた。

 ヴェルデウルフの紅く光る双眸からとめどなく涙が溢れているのだ。ぼろぼろと溢れる涙が白銀の毛を濡らしている。猛烈な苦痛や悲しみが怒涛の勢いで一路の中に流れ込んで来て、動くことが出来ない。

 それはまるでスローモーションの様だった。

 突如として現れたもう一頭のヴェルデウルフがロビンの父に思いっきり体当たりをかましたのだ。ロビンの父は、吹っ飛んでいき、積み上げられた樽の山の中に突っ込んで、辺りに大きな音が響き渡る。


「ロビンの、お母さん?」


 吹っ飛んでいった父に比べると小柄で牙も小さなヴェルデウルフがこちらを振り返る。澄んだブルーの瞳がロビンを捉えるとヴェルデウルフは駆け寄って来て、駆け出し飛びついたロビンを大きな体で受け止める。ロビンの尻尾がはち切れんばかりに左右に振られ、ロビンの母の尻尾もぶんぶんと勢いよく左右に揺れ動く。

 じゃれつくロビンをあしらいながらロビンの母は近づいて来て、べろりと大きな舌で一路の頬を舐めた。冷たい鼻先がくっつけられると感謝の気持ちが流れ込んで来て、一路はその顔に手を伸ばしてロビンよりも随分と大きな頭を撫でた。ロビンよりも思考回路が発達しているのであろうロビンの母から、映像になって真尋の記憶が流れ込んでくる。どうやら真尋を襲ったらしいロビンの母は、浄化してもらいここへ駆けつけたようだ。何故かロビンの母の記憶の中で我が友はキラーベアに跨っていたが。


「……ロビン、良かったね」


「わんわん!」


 ロビンが一路にじゃれついて来るが、満身創痍の一路には大型犬サイズのロビンを受け止めてやれない。するとロビンの母が、ヴヴッと唸ってロビンの首根っこを咥えて捕まえた。ロビンが一瞬で大人しくなるのに、くすくすと笑いながら一路は体を起こす。


「家族が揃ったんだから、お父さん、助けないとね。お母さん、協力してくれる?」


 ロビンを離して、ロビンの母が頷いた。一路は、ありがとうと笑って頷き、ロビンを頼りに立ち上がる。

 時間を無駄には出来ない。インサニアが魔獣の核を犯し切ってしまえば、魔獣は死んでしまうのだ。それだけは何としてでも避けたかった。

 振り返れば、ぼたぼたと涙を零しながら立ち上がったロビンの父が攻撃の態勢を取っている。

だが、こんなに離れているのに、苦しい、いやだ、やめてくれと叫ぶように懇願する声が聞こえて来る。ロビンのものでも、ロビンの母のものでもない。ロビンの父から溢れる心の声だ。

 ジョシュアが言っていた。ウルフ種は、愛情深く家族を何より大事にする魔獣なのだと。だとすれば、ロビンの父がどれほど辛い思いをしていることだろうかと一路は胸が締め付けられる。

 ロビンを囮にされたあの日、彼らはどんな目に遭ったのだろうか。人間の身勝手な悪意に囚われて、どれほど苦しんだのだろうか。沸々と湧き上がる憎しみと怒りに一路は拳を握りしめる。


「一瞬で良い、君のお父さんに隙を作って欲しい」


 その言葉に母子が頷く。

 ロビンの父が飛び掛かって来て、ロビンの母がそれに応戦し、ロビンも父を抑えようと加わる。それでも雄のヴェルデウルフの力は圧倒的で本気を出しきれない母とロビンの体に徐々に傷が増えて行く。それに比例して、ロビンの父の心の声が大きくなる。

 一路は、風花を構えてたっぷりと魔力を込めた光の矢を構える。

 痛みを忘れて弦を引く。

 ロビンが父の喉に下から噛みつき、母が体当たりしてロビンの父を抑え込んだ。それは、ほんの一瞬のことだったがそれでも一路には十分な時間だった。

 スパァンと放たれた矢は、真っ直ぐな軌道を描き、ロビンの父の眉間に突き刺さる。淡い金の光が三頭の親子を包み込めば、ロビンの父を苦しめていたインサニアが浄化されて霧散する。紅く輝いていた双眸は、澄んだブルーに戻る。ロビンが無邪気に飛びつけば、ロビンの父はそれに全力で応えるようにロビンの顔を舐めて体を押し付ける。


「ははっ、良かった、成功したみたい」


 一路は、そのまま後ろに倒れるがいつの間にか駆け付けたウォルフとレイに受け止められ、ずるずると座り込んでその場に寝かされる。


「見習い、俺の剣を握れ、あいつの魔力がまだ少しは残ってるはずだ」


 レイが自分のクレイモアを差し出してくるのに礼を言って握れば、真尋の魔力が流れ込んでくる。だが、一路と真尋の魔力の密度は同じだ。レイやウォルフを治すのとは訳が違うし、二人ともグリーディモンキーの時に大分、浄化に魔力を使ったらしく、完治とはいかなかった。それでも腹の中を襲って居た抉る様な痛みは遠のき、意識がはっきりとしてきて、一路は、ふうと息を吐く。


「ひゃっ!」


 ウォルフの背から顔を出したロビンの父にウォルフが情けない声を上げて、レイの背の向こうに逃げ込んだ。

 一路は寝ころんだまま、ロビンの父に手を伸ばす。ロビンも大きいと思っていたが、父の傍にいるとロビンは本当に子犬だ。牛よりも大きなロビンの父は、立ち上がったらサンドロどころじゃないなぁ、と一路はその顔を撫でながら思った。

 なんて美しい狼だろうか、と一路は目を細める。どれくらいの期間で成獣になるかは分からないが、ロビンも何れこんな風に美しく気高い狼になるのだろうか。ロビンなんてまだ牙だって父のように立派ではないのでかなり時間はかかりそうだが。


「……お前、これどうすんだ?」


 レイが言った。


「どうしましょうか。ロビンは僕の従魔にしちゃったし……でも、離れたくないよね?」


 ロビンは、わんわん、と一路の言葉に答える。

 するとロビンの父の声が聞こえて来る。

 ザラーム達に囚われる時に家族と言える大事な群れを喪ってしまったこと、毛皮にされた家族があの倉庫に積み上げられていたということ。魔力を奪い取られて、碌な抵抗も出来ずにずっと檻の中にいたこと。ロビンの母は逃がしたつもりだったのに隣の檻の中に居て、同じように苦しんでいたこと。ロビンの母は、ロビンの父が捕まった直後に自分も捕まってしまったこと。辛うじて、ロビンの母は囮として捕まっていたロビンに自分の血を掛けて彼を他の魔獣から守ったことを教えてくれた。


「……ロビンについていた血は、お母さんのだったんだね」


 ロビンの母が頷いた。


「魔獣の血には多かれ少なかれ、魔力が宿っている。魔の森で最強の名を持つヴェルデウルフが負傷して血を流せば、他の魔獣は危険があると判断してそこには近づかないからな」


 レイが言った。

 一路は、ぐっと腹に力を入れて体を起こす。レイの背から出て来たウォルフが、一路の背を支えてくれるのに礼を言って、一路はロビンの父と母を見つめる。


「僕にももう、帰る所が無いんだ……だから、僕の家族になってくれない?」


 一路の言葉にレイとウォルフが息を飲んだ音がした。どうやら一路の言葉の意味が分かったらしい。


「森へは遊びに行く程度になっちゃうけど、君達が居ても有り余るくらい、屋敷も庭も広いよ。ご飯は出来れば、自給自足でお願いしたいけど……寂しい思いも苦しい思いももう二度とさせないからさ、僕の家族になってよ」


 澄んだブルーの目が一路をじっと見据えた後、ロビンの父は徐に一路の腕の傷を舐めた。ロビンの母もそれに続く。血は止まっているとはいえ、深い蒼の神父服は血で汚れてしまって居る。

 でも、ロビンの両親が舐めたのは、間違いなく一路の血だ。それは何よりの答えで一路は擦り寄って来たロビンの母の頭に抱き着いた。一路の腕に余るほど大きな頭をぐりぐりと擦り付けて来る。


「君の名前は、ブランカだ」


 ブランカが琥珀に緑の混じる一路の魔力のヴェールに包まれる。

 一路はロビンの父にも手を伸ばす。


「そして、君の名はロボ。知性に溢れ、勇敢で愛情深い狼王の名前だよ」


 ロボの巨躯もブランカ同様に一路の魔力のヴェールに包み込まれ、戦いで負った傷が癒えていき、そしてその体に染み込む様に消えていく。

 一路は、魔力をごっそりと持っていかれたなぁ、とぼやきながらロボとブランカに手を伸ばす。やはり、ヴェルデウルフの成獣を二頭も同時に従魔にするのは、割と無茶だったかも知れない。


「ブランカは、ロボの最愛の妻の名前だよ。気に入ってくれた?」


 ブランカが、すりすりと一路に顔を擦り付けてくれる。嬉しそうに揺れる尻尾に一路は、良かった、と返してロビンを抱き締める。ロビンから、溢れんばかりの喜びや感謝が伝わって来る。ロビンの両親に会って初めて、ロビンの感情や言葉は随分と稚拙で幼いのだと気づかされた。ロビンは本当にまだまだ可愛い子犬ちゃんだったのだ。


「君が、一人ぼっちにならないで本当に良かった」


 一路はロビンを抱き締めて囁くように告げた。


「……多分、王国史上初じゃないっすかね、ヴェルデウルフを三頭も従える調教師ってのは」


「……そもそもヴェルデウルフを従魔にした例がねぇよ」


「例が無いって……やっぱり、餌代掛かるからですかね?」


 一路は二人を振り返って一番の懸念事項を尋ねる。二人の頬が引きつっていて、やっぱり餌代が掛かるんだな、と明後日の方向に一路は納得する。

 ロビンだけでもかなりの肉を必要とするが、ロボもブランカもかなり大きな体をしているから、キラーベア一頭でどれだけ持つかという所だろう。そもそも成獣になっても毎日、食事は必要なのかな、と首を捻る。野生動物、それも大型の肉食獣は毎日は食事が出来ないのでそれに対応した体のつくりをしているが、魔獣は違うのだろうか。後でロボと真尋に相談してみようと一路は決めた。


「…………こいつ、鈍すぎないか?」


「そう言えば、神父様が「一路は鈍いから気を付けろ」って言ってたけど、まさかここまでとは」


 二人が小声で何か言っているのにも気づかず、一路はよっこいせと立ち上がる。魔力と体力が大分持っていかれているために眩暈がするがすぐに狼親子が支えてくれてそれに礼を言う。こんなことならロイスから回復薬をいくらか貰ってくればよかった。


「そういえば、ゲイルウルフは……」


 辺りを見回せば、少し離れた所に集まるゲイルウルフの姿があった。


「俺達だって、ヴェルデウルフの前で仲間のゲイルウルフを殺すほど馬鹿じゃねぇよ。ちょっかい出そうとしてたのを牽制してただけだからな」


 レイの言葉にロボが彼に向かって、小さく頭を下げた。

 ロボが言うには、彼らは別の群れのゲイルウルフで何となく一緒に居た間柄らしい。ブランカも一緒に居たゲイルウルフは、真尋に任せて来たと教えてくれた。


「事態が収束したら、森に帰してあげるよ。それでいい? それまでは僕が作った檻の中に居て欲しいんだ、間違って討伐されたら困るし」


 ロボとブランカが頷いた。一路は、二頭の頬を撫でて小さく笑い、しゃがみ込んで地に手を当てる。呪文を唱えれば、蔦が生えて来て檻の形を成しながら複雑に絡み合っていく。

 ロボが声を掛ければ、ゲイルウルフたちは大人しく檻の中に入って行き、一路は入り口を塞ぐ。そしてその入り口にアンナたちへの伝言を書いたメモを貼り付けておけば完成だ。檻の中には、水飲み場の併設も忘れない。ゲイルウルフたちは、雨がしのげるようにと生やした大木の下で疲れた体を癒すかのように横になってくつろぎ始めた。

 これくらいなら魔力の消費は何ともないのに、やっぱり従魔契約、それも成獣のヴェルデウルフは消費量が桁違いだなと感心する。


「ねえ、ロボ。背中に乗せてくれる? どうしても行かなきゃ行けないところがあるんだ」


 ロボはすっと身を低くして一路の横についた。それに礼を言って、一路はロボの背に跨る。


「ブランカは、ウォルフさんをレイさんは、僕の後ろですみませんけど座席代わりに僕を支えててもらえます? まだちょっと眩暈が……」


 ふらぁっと倒れそうになれば、慌てたレイが後ろに飛び乗って支えてくれる。ロボは、ブランカの背に男が乗るのを嫌そうに見ていたが、ウォルフが「すげーすげー」と無邪気にはしゃいでいたので馬鹿馬鹿しくなったのか、何も言わなかった。それにウォルフは狼系の獣人族だから寛容な心を持ってくれたのかもしれない。ロビンは嬉しそうに両親にじゃれついては、ブランカに怒られている。ただ、ロビンに反省の色は一切無い。


「さて、と……じゃあさっさとお礼参りに行きましょうか。ロボとブランカとその他諸々の分を熨し付けて返さないといけませんからね」


 うふふと笑った一路にレイとウォルフが、「お、おう」と何だか歯切れの悪い返事をした。

 さあ行こうという一路の声にロボとブランカが走り出し、一路たちは風の如く疾駆しながらクルィークの倉庫跡地へと向かったのだった。









「……ザラーム、行けるか? 神父の気配が近づいてきている」


 エイブは、宙に浮く黒い塊に向かって問う。

 暫しの沈黙の後、それがもぞりと動いて血の気を失った青白い顔がこちらを振り返る。


「ねえ、エイブ。あの神父は、何者なの……僕のツェルとチェーニが消されてしまったし、バーサーカー化した魔獣たちが次々に浄化されてただの魔獣に戻っている」


 エイブは僅かに眉を寄せた。

 ツェルとチェーニは、ザラームが自分の影から生み出した操り人形だ。ローブ姿で男と女の形をしているが、意思や感情は無い。曰く、その身に詰まっているのはインサニアに似たもので人が触れると死ぬらしい。詳しいことは興味も無いので分からないが、それが消えたのだという。


「領主をやり損ねたか」


「折角、盗賊をあんなに捕まえて殺して、アンデットにしたのにね。無駄になっちゃった。魔獣も……あのヴェルデウルフでさえもさっき、浄化されちゃった。最高の切り札だと思ったのになぁ」


 ザラームはぼやきながらするりと闇の塊の中から降りて来る。

 鉄臭い血の臭が鼻先を撫でる。


「……まだ癒えんのか?」


「血が止まらないんだよねえ、あのナイフ、何で出来ていたんだろう。手の傷も全く癒えないし、嫌になっちゃうね」


 ザラームが焼け爛れた手をひらひらと振った。


「……浄化の力」


「なーにそれ?」


 きょとんと首を傾げたザラームにエイブは、暫し逡巡してから口を開く。


「その昔、神が人々に与えた聖なる力だ。インサニアを浄化し、死の痣を消し、バーサーカー化を解く唯一の力……嘗て、この国に居た守護神・ティーンクトゥス神が与えた力」


「ティーンクトゥス? 聞いたこと無い名前だね」


「大昔に死んだ神の名だ。もう覚えている者はほんの一握りだろう、憐れで滑稽で愚かな神の名だよ」


「じゃあ、怖がらなくていっか。インサニアもこれだけ育ったし、もうあの神父だってどうにもできないよね」


 ザラームはまるで無邪気な子供のように尋ねて来る。エイブは、ああと頷いて顔を上げた。

 倉庫の窓の向こうは、闇よりも濃い黒に覆われている。この倉庫があるのは、インサニアの内部だ。ザラームの魔法によって隔離された空間だ。

 この外では、たっぷりと命と魔力を吸って大きくなったインサニアが居る。


「さあ、行こうか。絶望を与えに」


 エイブの言葉にザラームが、美しく残酷に嗤った。






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ここまで読んで下さってありがとうございました!

いつも閲覧、感想、お気に入り登録、励みになっております♬


真尋さんにう○こ投げた猿は、大物ですね☆


次回、漸く悪の親玉と直接対決です!

次のお話も楽しんで頂ければ幸いです!

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[良い点] ヴェルデウルフを成体含む家族3匹纏めて従魔にする伝説レベルのことをやってのけて心配事は餌代な一路くん その一路が霞む従魔契約もせずにキラーベアを従える真尋さん 眩暈でふらついたら慌てて…
[良い点] ・ロボとブランカ……ぅぅ…… ・餌代で笑ってしまいました [一言] ティーンクトゥス神を知っているとは、エイブは何者なんでしょうね、気になります。
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