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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第一部 本編
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第四十話 約束した男

 ノアの葬儀は翌朝、午前七時からひっそりと執り行われた。

 小さな棺の中、溢れるほどの花の中で眠るノアは穏やかな寝顔を浮かべていた。

 質素で静かな葬儀だったが、多くの人が涙を流し、ノアを想ってくれた。ミアが真尋に張り付いて離れなかったので、葬儀は一路が代わりに執り行ってくれた。サヴィラが作った二人の母・オルガの質素な墓にノアの遺骨が入った小さな壺が納められて葬儀は恙なく終了した。

 この国では、日本とは違って亡くなってから埋葬までが早い。ダビドのように殺された場合は検死があるので別だが朝亡くなればその日の夕方には葬儀を済ませることも普通だという。だがそれはアンデットという永遠の苦しみを故人に与えまいとする家族の配慮でもあった。

 真尋は、葬儀から戻るなり温室で真尋に抱き着いたまま離れないミアをあやしながら、次から次へと訪れる騎士や冒険者、貧民街の住人達から報告を受けたり、新たに指示を出したりと忙しなかった。温室を選んだのは、雨の所為で泥まみれの彼らがすぐに入れる上、屋外から直にここへ来られるからだ。


「神父殿、こんな時にすまないな」


「ラウラス殿、座ったまま失礼する」


「ああ、構わない。事情はカロリーナに聞いた」


 丁度、正午を過ぎたころ、ラウラスがやって来た。

 ラウラスは濡れた外套を一緒に来た騎士に預けると中に入って来て、真尋の向かいの席に腰を下ろした。急きょ置かれたテーブルの上には、町の地図があり、寄せられた様々な情報が書き込まれている。


「……うちのより色々書かれているな」


「冒険者と貧民街の住人たちが情報を寄せてくれますから。物乞いやゴミ拾いで彼らは、誰よりよく町の事情を知っていますよ」


 真尋はミアの頭を撫でながら言った。ラウラスは、ふむ、と顎を撫でながら地図に目を走らせる。

 ミアは、眠っている。泣き過ぎて疲れてしまったのだろう。


「真尋くん、だめだよ。どこにもいな、あ、ごめんなさい!」


「ああ、イチロ殿か。気になさらず、何かあったのか?」


 ラウラスに気付いた一路が慌てて頭を下げるが、ラウラスは気にした様子もなく逆に問い返す。一路がちらりと此方に視線を寄越すので、大丈夫だ、と目だけで返せば一路は、困ったように眉を下げて口を開く。


「葬儀の後からサヴィラくんが居なくて」


「サヴィラ、というと死の痣を受けたもう一人の少年か」


「はい。淡い金髪の十三歳の男の子なんですが、どこにも居なくて、屋敷中探したんですけどロビンでも見つけられないから、やっぱり外に出たかも」


 真尋は、はぁとため息を零した。ノアとミア、エドワードと来て次は、サヴィラかと苦笑を零す。


「仕方がない、リックに家を見に行くように言ってくれ。サヴィラの家とダビドの家、あとはミア達の家だな」


「分かった」


「あ、そうだ、ナルキーサス殿はどうしてる? あとクロードは来たか?」


「部屋で仮眠取ってるよ。クロードさんはまだだけど、来たらここに直で良いね? 例の件でしょ?」


「ああ、必要書類を大至急と頼んだからな。それとロイスには済まないがそのまま続けるように言っておいてくれ」


「分かった。さっき、アンナさん達から鳩で報告書が届いたから纏めておいたから、これ」


 差し出された書類を受け取る。


「次にウォルフかカマラが戻ったら、ここへ来るように言ってくれ」


「了解」


 失礼します、と一路はラウラスに一礼すると慌ただしく温室を出て行く。


「……随分とイチロ殿は優秀なようだな」


「彼と俺は、幼馴染で十三年ほど一緒に居ますが、その間、俺が俺の右腕になるようにと教育したので」


 真尋は一路がまとめたそれに目を通しながら言った。


「……神父殿、冒険者を辞めて騎士にならないか? 無論、イチロ殿も一緒に」


「光栄なことですがお断りします。そもそも冒険者云々も登録しただけでクエストを一つもこなしてないんです。次から次へとこうも問題が起きるものですから。それで? ラウラス殿はどのようなご用件で?」


 ラウラスは、まだ未練がある様だったが、ごほんと咳払いを一つすると居住まいを正した。真尋は書類に目を落としたまま耳を傾ける。


「早朝、ウィルから報告があった。砦のシャテンが届けてくれたのだが、アンデットは撃退に成功し、領主一家も無事だそうだ。神父殿がくれたワインのお蔭で怪我人の治療も滞りなく行われた、と……ただ光の矢の威力が少し強かったのでそのことは初めに言っておいてほしかったとかなんとか書いてあったが」


「そうですか……我々も初めての試みだったので少々、力を入れ過ぎたんでしょう。次から気を付けます。とりあえず、領主様がご無事で何より、閣下はいつお戻りに?」


「今日中には戻れるだろうとあった。領主様もご一緒だが、距離的に夕方かそれ以降になるな」


「……ふむ、では糞の処罰が決まる訳ですね。そういえば、あの糞はどうしているのですか?」


「ああ? あの糞は一応、本部で軟禁している」


「拷問する際は呼んで下さいね、閣下とそういう約束をしているので」


 真尋は、書類から顔を上げてにこりと笑ってみせた。ラウラスの頬が引き攣り、彼の背後に控えていた騎士が、ひぃ、と小さく悲鳴を漏らした。


「まああの糞の話はさておき、ザラームもエイブも倉庫も手掛かり一つ見つかりませんね」


「あ、ああ、うん。そうだ、そうだな……神父殿なら何か知っているかと思ったが、神父殿も知らないか」


「ザラームは、闇属性を持っています。空間魔法が使えれば、どこかの空間に一時的に身を隠している可能性もあるでしょう」


「そうなると非常に厄介だな……いつどこにどう現れるか分からないとなると対策のしようがない」


 ラウラスが歯痒そうに言った。


「町民全員に家から出るなと声を掛けてありますよね?」


「ああ、神父殿の指示通りに。騎士と冒険者以外は、外には出ていないと思うぞ。門も閉めて、待機者は町から離れた場所に臨時の野営地を設けている」


「ならいいですが……なんだかとても嫌な予感がするんです」


 真尋の言葉にラウラスが表情を引き締める。

 温室の中は、くぐもった雨の音と暢気に流れる水の音が溢れていた。

 それから小一時間ほどラウラスと真尋は、町の警備について話し合い、ラウラスがクルィークに戻ろうとした時だった。

 ふと真尋は、イヤホン型の魔道具からノイズが聞こえ始めたのに気付いて、イヤホンを抑えて耳を澄ませる。イヤホン越しに小鳥を動かし、映像に切り替えようとした瞬間、小鳥の魔力が消えた。

 だが、最後に一瞬だけ見えたのは、倉庫跡地にじわりと滲む様に溢れた黒だった。


「……神父殿?」


 ラウラスが訝しむ様に真尋を呼んだ。


「ラウラス副大隊長!! 大変です!!」


 ガチャン、とガラスのドアが割れそうな勢いで開いて、騎士が転がり込んでくる。真尋は咄嗟にミアを抱き締めるようにして立ち上がり、ラウラスは剣に手を掛けた。

 飛び込んで来たのは、昨夜、世話になったキアランだった。


「リヨンズが、一派の連中を率いて逃亡しました!」


 本部でひと悶着あったのかキアランは額から血を流し、腕を抑えていた。


「行先は!?」


「青の3地区、倉庫街です! あいつら通りを封鎖して、倉庫街に入れない様にしているんです!」


「真尋くん! 青の3地区のクルィーク倉庫跡地にインサニアが出たって!」


 一路が蒼い顔して飛び込んで来た。後ろからサンドロやジョシュア、レイにルーカス、カマルと屋敷中の人間がなだれ込むように温室入って来る。


「神父様!! バーサーカー化した魔獣が青の3地区に現れました!!」


「ギルマスが交戦中ですが、既に負傷者多数!」


 キアランを押しのけるように飛び込んで来たのは、ウォルフとカマラだった。

 温室の中に緊張が走る。バーサーカー化した魔獣ということは、死の痣の脅威がそこにあるということだ。

 真尋はずかずかとキアランに近寄って行き、彼の額と腕の傷をさっさと治療する。


「神父殿、広間を開放してくれ、ここを治療院の拠点にする。交戦地より少し遠いが、その方が安全だろう」


 起きて来たらしいナルキーサスが、ジャケットに袖を通しながら言った。一緒にやって来たロイスが、キアランに回復薬を飲ませる。


「構わん。カマル、使用人と従業員を貸してくれ。治癒術師たちの手伝いをして欲しい、誰かひとりナルキーサスの名を持って治療院に走り、治癒術師を連れて来て欲しい。ルーカス、お前の所の弟子にジルコンを迎えに行くように頼んでくれ」


「勿論ですよ、神父様の為ならば! ルシー! フロック!」


 カマルはメイド頭と執事の名を呼びながら温室を出て行く。ルーカスも、任せろぃ、と慌ただしく出ていく。


「ジョシュア、レイ、お前たちには冒険者たちのリーダーになってもらう。今の怪我は仕方ないからすぐに治す、一路の治療を受けてすぐに出立の準備を。サンドロは、ここに残って屋敷と皆を頼めるか?」


「任せとけ、俺だって元はBランクの冒険者だ!」


 サンドロが自信たっぷりに言った。


「ティナ、ローサ、子どもたちを頼んだぞ。不安がらない様についててやってくれ。プリシラ、ソニア、屋敷全体のことを頼む」


 四人が、はい、としっかりとした返事を返してくれる。


「冒険者及び、騎士にここへ集合するように通達をキアラン、エディ……エディ?」


 そこではたとボルドーの髪がどこにも見当たらないことに気付いた。皆がきょろきょろと視線を彷徨わせるが、そこにエドワードの姿は無い。


「あれ? そういえば居ないな……」


 ジョシュアが首を捻る。


「……あの赤髪の騎士なら、見間違いじゃ無けりゃ大分前に馬に跨って屋敷を出てったぞ」


 レイが言った。

 真尋は無表情がますます無表情になるのを感じた。


「この中でエドワードに行先の報告を受けた者はいるか?」


 温室はしんと静まり返った。

 つまり誰もエドワードの馬鹿がどこに行ったか知らないということだ。


「ったく、あの馬鹿はまた勝手なことを……帰って来たら覚えておけ」


 唸るように言った真尋に皆が心の中で、エドワードの無事を祈ったのだった。









 サヴィラは、雨の中をひた走っていた。

 靴の中はびしょ濡れで服も体に張り付いて気持ち悪い。ずっと走っているから、脇腹は痛いし、肺は破裂しそうだった。それでもサヴィラは走り続けた。

 町の中は騎士や冒険者がうろうろしていて、見つかると間違いなく保護されてしまうから裏道を駆使して貧民街へと向かった。いつもよりも随分と時間がかかってしまったが、どうにか辿り着いた貧民街は騒然としていた。冒険者たちが忙しなく出入りし、住人たちは広場に集まって不安そうにしている。

 それを横目にサヴィラは自分たちの家へと向かう。

 久しぶりの我が家は、相変わらずおんぼろで雨漏りのバケツから水が溢れて酷いことになっていたがサヴィラは、脇目も振らずに階段を駆け上がり、自分の部屋へと飛び込む。

 ここも雨漏りが酷かったが、ベッドの周辺は無事だった。先日までノアが眠っていたベッドはシーツにその痕が少し残っている。

 サヴィラは、屈みこんでベッドの下に手を入れる。彷徨わせた指先に触れたそれを引っ張りだした。ダビドの小箱と日記帳だ。無事だったことにほっとして屋敷に戻ろうと立ち上がった所で、サヴィラくん、と自分を呼ぶ声が聞こえて咄嗟に身構える。


「あ、やっぱりここに居た!」


 ほっとしたように深緑の瞳が細められてサヴィラは警戒を解く。

 現れたのは騎士だが、あの神父の傍にいつもいる騎士だった。茶の髪に深緑の瞳の優しそうな面差しの青年だ。確か、リックとかいう名前だ。

 リックは、濡れた外套のフードを降ろして、髪を掻き上げた。


「何も言わずに居なくなるから、マヒロさんが心配をしていましたよ。無論、私もネネちゃん達もね。何か用があったなら言ってくれれば良かったのに……」


「……これを取りに来たんだ」


 サヴィラは、日記帳と小箱をリックに見せた。リックが、これは?と首を傾げる。


「両方とも爺さんの遺品だ。でも、この小箱の中には、手紙が入ってるんだ」


「手紙?」


「……オルガが俺に託していったんだ、いつかミアが文字を読めるようになったら渡してくれって」


 リックがぱちりと目を瞬かせた。


「あいつは、まだ字は読めないけど、でも……この手紙が今のミアには必要だと思ったから。何が書いてあるかは俺も知らないけど、でも、きっとオルガの願いが書かれていると思うから」


「そう、やっぱりサヴィラくんは優しい子だね」


 リックは、心底、そう思って居ると言わんばかりに笑った。

 むず痒い気持ちになって、サヴィラは誤魔化す様に日記帳をリックに差し出した。


「爺さんが、信頼できる大人か騎士に渡せと言った。あの神父になら、渡しても良い。あんたが渡してくれ」


 リックは、ふっと表情を緩めると膝に手を着いてサヴィラの顔を覗き込んでくる。ちょっとムカッとしたが、リックは背が高いしサヴィラは年齢の割に小さいので仕方がない。


「それは君が、直接、マヒロさんに渡しなさい。とても大事なものなんだろう?」


 サヴィラは、日記帳に目を落とす。擦り切れてボロボロの日記帳をダビドはとても大切に大切にしていた。この中に何が有るのかは分からないし、何が書かれているのかも、サヴィラは知らない。

 ただ、一つだけ分かっていることがある。


「……爺さんは、これを俺に託す時にこう言っていた。……ある勇敢な青年が最期に遺したものがここに秘められている、と……」


 リックが訝しむ様に眉を寄せた後、はっと息を呑む。


「まさか、マイクの……」


「俺には分からないけど、あんたの仲間の騎士も爺さんも見ちゃいけないものを見て、口封じに殺されたんだろう? これは俺の推測だけど、多分、爺さんはその騎士に何かを託されたんだ」


「……中を見てもいいかな?」


「俺は別に構わないけど、危ないんだったら神父様と一緒の方が良いんじゃないか?」


 サヴィラの言葉に日記帳に伸ばされたリックの手が止まる。リックは、暫し悩んだ後、その日記帳を受け取った。ひゅんと手の中でそれが消えたことには驚いたが、すぐにアイテムボックスにしまわれたのだと分かった。


「君が持って居れば、君が危ない。これは私が責任を持ってマヒロさんに届ける。君はその時、ダビドさんとのことをマヒロさんに教えて欲しい」


「……わかった。なあ、ついでにこれでも入れといてくれよ、濡らしたくないんだ。インクが滲んだら困る」


 サヴィラは、手紙の入った小箱をリックに渡した。リックは、お安い御用です、と笑ってそれもアイテムボックスに入れてくれた。


「よし、帰ろうか。町中に外出禁止命令が出ているんだよ。帰ったらマヒロさんに拳骨の一つも貰うだろうから、覚悟しておくんだよ? 本当に心配していたんだから、ネネちゃん達が特にね。そう考えるとネネちゃんのビンタのほうが先かもね」


 リックの言葉にサヴィラはバツが悪くなってそっぽを向いた。確かに今の状況的に浅慮だったと言わざるを得ないと思ったからだ。

 リックは、くすくすと笑って、サヴィラの頭をぽんと撫でると自分の外套を脱いでサヴィラの肩に掛けた。彼の踝まであるそれはサヴィラでは裾を引きずってしまう。嫌味かと思って抗議しようとするが、それより早くリックが呪文を唱えて手の中に植物の蔓を取り出すとそれをサヴィラの腰に巻いてベルト代わりにし、長さを調整してくれた。


「着てな。風邪を引いたら大変だから、さあ、帰ろう」


サヴィラは、渋々という体を取り繕って首本の紐を結んで外套を借りることにした。

 リックの後についてサヴィラは家を後にする。

 階段を降り、玄関から外に出る。サヴィラが、リックに言われてフードを被り、歩き出そうとした時だった。


「シグネさんにトニーさん、どうしたんですか?」


 リックが足を止め、サヴィラはその背にぶつかった。鼻を擦り、恨みがましくリックを見上げるが次の瞬間、サヴィラはリックに突き飛ばされて家の中に逆戻りした。


「っだ! 何す……!?」


 ガキン、と鉄と鉄のぶつかり合う音がして、何かが吹っ飛ぶような鈍い音がした。

 サヴィラはすぐさま立ち上がり、玄関の方へと駆け寄る。


「出て来るな! 隠れていろ!」


 リックに向かってシグネとトニーがどこで拾って来たのか剣を振り下ろしている。だが二人の様子がおかしい。ダビドの隣人だった夫妻をサヴィラだって口はほとんどきいたことは無いが知っている。目の焦点が合ってない上に動きが何だか異様だ。トニーにもシグネにも剣の心得なんて無い筈なのに、騎士であるリックとやり合って居る。

 しかし、それだけではない何だか異様な雰囲気の住人が、一人、二人とどこからともなく現れる。その手には、剣や棍棒が握られていて、中には冒険者っぽいものもいた。

 そいつらは一目散にサヴィラに向かって来る。サヴィラは逃げ出そうとするが、住人たちは異様な速さでもって間合いを詰めて来た。咄嗟に頭を庇う様に両差を交差させ、衝撃に身構えるが再び鉄の鳴る音が響き渡って、目の前に紺色のマントが広がる。防ぎきれなかった剣が彼の肩を裂いて、赤いそれがサヴィラの頬に飛ぶ。

 だがリックが何か呪文を唱えれば、住民たちは再び吹っ飛んだ。


「お、おい……何でっ」


 リックは、肩を抑えてたたらを踏んだ。


「何でって、私は誇り高きクラージュ騎士団の騎士だ。君たち領民を守るのは、当たり前のこと。私の剣は守るための剣だ」


 リックが肩から手を離せば、もうそこに傷痕は無かった。サヴィラは、ぱちりと目を瞬かせる。


「多分、シグネさん達は何かに操られている。一気に片を付けるから私の背後から出ないで」


 そう言うが早いかリックは膝を地面につて両手を地に付けた。サヴィラはよく分からないが、リックの言う通り、彼の後ろに下がる。


「《ヴァイン・バインド》!!」


 リックがそう唱えた数瞬後、地面から突如として生えた蔦がシグネたちを捉えて拘束する。全て的確に、確実にリックは襲い掛かって来る住人たちを捕らえていく。

 

「《ウィンド・カッター》!」


 蹄の音と共に聞こえて来た呪文に住人達の手から剣が弾き飛ばされて行く。顔を向ければ、リックの相棒のエドワードがこちらに勢いよくやって来た。


「リック、サヴィラ、大丈夫か!?」


「私は大丈夫だよ、サヴィラくん、怪我は?」


 サヴィラは首を横に振って応える。するとリックは、ほっと表情を緩めて、切られた肩に視線をやった。


「制服に穴が、しかも汚れてしまった……まあ、レイバンのだからいいか」


「レイバンが自分で縫って洗うさ、暇があればな。それより、何があった?」


「分からない。だが、おそらくサヴィラくんを狙っている。ザラームが、サヴィラくんとティナさんを気にしていると言って居たから、もしかしたらダビドさんのことで口封じに来たのかもしれない」


 サヴィラはリックの背に庇われる。エドワードは馬上で辺りを見回す。


「だが、この人たちはここの住人だろ? ん? あいつは冒険者だけど……」


「シグネさん達はこんなことをするような人じゃない。多分、何かに操られているんだ」


 リックの言葉に蔦で拘束された彼らに目を向ける。彼らは、どうにかこうにか抜け出そうとしているが、強固な蔦はびくともしない。


「あ、そうだ!」


 突然、何かを思いついたらしいエドワードは、どこからともなくワインの瓶を取り出して、蓋を開けた。


「それは?」


「マヒロさんがくれた聖水」


 そう言ってエドワードは、馬を操りシグネに近付くと中身をシグネに掛けた。するとシグネがぴたりと動きを止めた後、驚いたような顔をしてエドワードを見て、自分の体を拘束する蔦に気付いて目を瞬かせる。


「え? え? 何だい、これ!?」


「これが効くってことは、ザラームたちの仕業だな!」


 エドワードはそう言いながら、トニーや他の住人達にも聖水を掛けて行く。すると皆が憑き物が落ちたかのように正気に戻って、自分の置かれた状況に戸惑い始める。リックが暫し思案した後、拘束を解いた。地面に降り立った彼らは、訳が分からないといった様子で顔を見合わせる。


「あたしたち、さっきまで広場の方に居たんだけど、広場を出た後の記憶が……」


「なんでこんなところにいるんだ?」


 シグネとトニーが顔を見合わせて首を捻る。


「まだ近くに居ると思うか?」


 馬から降りたエドワードがこちらにやって来る。

 リックは辺りを警戒するように見回しながら、首を横に振る。


「いや、だとすれこんな面倒臭い手は使わず、自分でやる筈だ」


「サヴィラ、後ろっ!」


 シグネが悲鳴染みた声を上げた。

 ぞわりとした寒気が走った。腕を何かに捕まれた、と思って振りほどこうとするがそれより早く、ガラスが割れる甲高い音がした。冷たいそれが頬に触れた瞬間、エドワードの腕の中に引っ張られて彼の胸に鼻を打ち付けた。エドワードは勢いに負けて、そのまま尻餅をつき、サヴィラも倒れ込む。

 鼻を抑えながら振り返って、サヴィラは瞠目する。

 サヴィラが立って居た場所にローブを着た男が立って居た。音も気配も存在感も無い。ただそこに有るだけの、不可思議な存在がそこに居たのだ。

 だがローブの男の、サヴィラの腕を掴んだと思われる革手袋を嵌めた右手は、革手袋が焼け爛れて空いた穴から黒い霧が漏れ出している。それにどうやら聖水の入った瓶でエドワードが殴ったらしく、ローブ男の頭や肩も同じような惨状だった。

 男がもがき苦しみながらもサヴィラに近付こうとした瞬間、リックが大き目のナイフで寸分の狂いもなく男の首を切り裂く。すると男の首からも黒い霧が溢れ出し、あっと言う間に男は霧散して消え、ローブと革手袋だけがばさりとその場に落ちた。


「……な、何だったんだ?」


 エドワードが呆然と呟いた。

 男を倒したリックでさえも呆気に取られている。


「……これ、マヒロさんが「神様の有難い加護のついたナイフだから持っておけ」とか言って今朝、貸してくれたんだ。冗談だと思っていたから一か八かだったんだけど……まあ、だってマヒロさんだからな」


「ああ、うん。だってマヒロさんだからな、効くよ、そりゃあ……」


 エドワードが遠い目をしながら言った。リックがナイフを危険物かのようにアイテムボックスにしまったのを見ながら、あの神父は何者なんだろうとサヴィラは首を捻った。


「ああ、いたいた! おい、こんなところで何やってんだ! 早く広場に行け!」


 顔を上げれば、走って来たのは、冒険者だった。


「どうかしましたか?」


 リックが尋ねる。サヴィラは立ち上がったエドワードにひょいと抱き起されながら、そちらに顔を向けた。


「神父様が見張ってろって言った倉庫跡地にインサニアが出たんだよ! それだけじゃない、キラーベアが数頭、確認されてアンナさんとキャシーさんが向かった! 貧民街の住人は全員、広場に避難するように指示が出たんだ!」


「ほ、本当かい?」


 シグネが目を見開く。


「冒険者ギルドのCランク以下が貧民街を守ることになってる。とは言っても、Cも半分は町の方に居るし、頼りないかも知れないが神父様が広場には色々として下さっているから、あそこに行けば安全だ、さあ、早く!」


「では、貧民街の件は冒険者ギルドに任せる。リック、俺達は一度、屋敷に戻ろう」


「ああ。シグネさん、サヴィラくんを……」


「俺も行く。ネネ達を守るのは俺の役目だ」


 二人の騎士を睨むように見上げれば、二人は顔を見合わせると苦笑を零して頷いた。


「分かった。屋敷まで戻ろう」


「その代わり、ちゃんと護れよ、小僧」


 エドワードがぐしゃぐしゃと遠慮なく頭を撫でて来るのに、サヴィラは、止めろと顔を顰めてその手から逃げ出すのだった。












 真尋に殴られてたんこぶを作ったエドワードをリックが呆れたように見て、カロリーナは怒り心頭でぐちぐちとエドワードに小言を言っていた。サヴィラはサヴィラでネネにひっぱたかれて、先ほどまでずっと説教を受けていたので流石の真尋もサヴィラには「気を付けるように」としか言って居ない。ネネが怖かったのでそれで充分だろう。それにチビ達にまでサヴィラは怒られていた。

 庭には、町に散っていた騎士や冒険者たちが集められ、馬たちの息遣いや彼らの不安や興奮の混じった囁く声が溢れている。

 真尋と一路は、神父服に着替え、一路はジルコンの弓を真尋は腰にジルコンが作ってくれた刀を携えていた。


「神父殿、そろそろ出立準備が整った」


 鎧を身に着けたラウラスがこちらにやって来る。騎士の多くが鎧を身に着け、戦闘態勢に入っている。冒険者たちも普段のラフな恰好では無く、各々防具を身に着けている。一路が怪我を治したジョシュアやレイもそうだ。ナルキーサス達治癒術師も白衣に着替え、先ほどから運ばれ始めた怪我人の治療に当たっている。

 真尋は、分かったと返して腰に張り付いたままのミアを見下ろす。


「……ミア、神父様は行かなければならない、留守番をしていてくれないか?」


 ミアはいやいやと首を横に振ってますます真尋にしがみつく。

 真尋は、どうしたものかと頭を抱えたくなるのを堪えながら膝をついてミアと視線を合わせようとするがミアが抱き着いて来て、首に細い腕が巻かれる。首筋に濡れた頬が触れて真尋は思わずミアをぎゅうと抱きしめる。これだけ物々しい雰囲気だ。ミアが怯えるのも十分に理解できる。いつもははしゃいでいるサヴィラのところの子どもたちも流石に今は、不安そうにサヴィラやネネにしがみついて離れない。


「ラウラス殿、俺はここで指示を……」


「……神父殿の浄化の力が無ければ、バーサーカー化した魔獣は止まらないので却下だ」


 ラウラスが目線を逸らしながら言った。ミアを直視できない辺り、彼も人が良いのだと思う。

 とととっとジョンがプリシラから離れてこちらにやって来る。


「ミアちゃん、お兄ちゃんはすっごく強いから大丈夫だよ。僕のお父さんと同じくらい強いんだから、すぐに悪者をやっつけて帰って来てくれるよ」


 ジョンがミアの顔を覗き込むように言った。

 だが、ミアはいやいやと首を横に振ってますます真尋にしがみつく。


「……しんぷさま、いなくなったら、ミア、ひとりになっちゃうっ」


 耳元で涙交じりに囁かれた言葉に真尋は、ミアをぎゅうと抱きしめる。

 ミアは、昨夜、最愛の家族を失ったばかりなのだ。どれだけ幼くとも真尋達がどこへいって何をしようとしているかくらいはなんとなく分かってしまうのだろう。


「ミア、俺は死なない。必ずここに帰って来る……だから、ミア、俺が帰って来たらすぐにでも家族になろう」


 一路とクロード以外の人間が驚いたように目を瞬かせた。

 ミアが思わず腕の力を緩めて真尋の顔を見る。真尋はミアの濡れた頬を手のひらで拭う。


「クロード」


「はい」


 キアランが第一報を報せに来た少しあと、クロードも護衛を伴いここへ来た。今は家に戻ることが危ないので屋敷内で商業ギルドマスターとしての仕事を果たしている。

 クロードは手に持っていた鞄から一枚の紙を取り出した。


「ミア、これは君を俺の養子に迎えるための書類だ」


「ようし?」


 珊瑚色の瞳が疑問を浮かべる。


「養子、というのは、ミアが俺の娘になるということだ。俺はミアのパパになる訳だな」


 一路がぼそっと「あ、パパ呼び希望なんだ」と隣で呟いた。真尋は昔からパパ呼び希望だ。雪乃にだって言ってある。


「……パパになるの?」


「ああ。嫌か?」


 ミアは、ぶんぶんと首を横に振った。


「パパは、ずっと一緒にいるの?」


「勿論。ミアが嫁に……やるかどうかは男によるな……そうだな、ミアが大人になってもずっと一緒に居る」


 真尋はミアの瞼にキスを落とす。ミアはくすぐったように目をつむって、再び真尋を見つめる。珊瑚色の瞳は不安や寂しさが溢れているけれど、そこに少しの希望が産まれたことに気付いて嬉しくなった。


「帰って来たら、すぐに手続きをしよう。だから、ミア、ジョンにミアという名前を書けるように習って練習しておいてくれ。書類には娘のサインも必要だからな」


「……神父さま、ちゃんと帰って来る?」


 不安そうなミアに真尋は首に掛けていたロケットを外してミアの首に掛ける。

 ぱちんと開けば、雪乃の写真が現れた。


「ミア、この人は俺が世界一愛する奥さんだ。俺にはもうこの絵と指輪しか残されていないから、俺にとってとてもとても大事なものなんだ。だから、これをミアに預けておく。帰って来たらすぐに返してくれ」


 ふっと笑って言えばミアはこくりと頷いて大事にそうにロケットを握りしめた。真尋はそんなミアの額にキスを落として抱きしめる。少ししてミアを離し、アイテムボックスから神父服の一部であるケープのような上着をミアに着せる。真尋の肘まであるそれはミアにはポンチョサイズになって大変、可愛らしい。


「これには護りの魔法が施してある。着てるんだぞ」


ミアは、こくりと頷いて真尋から離れると傍にいたジョンの腕に抱き着いた。ジョンが、よしよしとミアの頭を撫でる。ミアは真尋に飛びつきたいのを必死に我慢している様だった。


「ジョン、ミアを頼んだぞ」


「任せといて!」


 ジョンが誇らしげに胸を張った。

 心強いな、と真尋はジョンの金茶色の髪を撫で、ミアの頭をもう一度撫でて立ち上がる。


「と、言う訳だ。俺は一刻も早く帰りたい」


 真尋は振り返って言った。

 ちなみにここは玄関先である。騎士たちも冒険者たちもしっかりと真尋とミアのやりとりを聞いていた。


「目標はエイブでもザラームでもインサニアの殲滅でも魔獣の討伐でもリヨンズ潰しでもない。この俺の、一刻も早い、帰宅、だ」


 真尋はにこにこ笑いながら、一言一言を強調するように言った。

 何故かとんでもない緊張感に騎士と冒険者たちが覆われている。


「だがもし、リヨンズ及びエイブ、ザラームを発見した際は俺に報せろ。あいつらには多大な借りが有るから返さねば道理に反するだろう? 俺は清廉な神父様だからな、人の道から逸れる訳にはいかん」


「真尋くん、一度、清廉って言葉を辞書で引いたほうが良いよ。清廉な人はそんな悪人面で嗤わないからね」


 一路が半笑い気味に言った。

 何故かその向こうでリック達が、うんうんと頷いている。失礼な奴らだ、と真尋は少々眉を寄せながらも連れて来られた愛馬の背に跨る。一路やリック達も騎乗していく。

そして集まった騎士と冒険者に顔を向ける。


「はっきりと言おう、相手は未知数の実力を持ち、バーサーカー化している魔獣は報告の限り、Aランク及びBランクの上級クラスだ。無論、命の危険が伴う上に、死の痣という君たちにとっては未知の恐怖も伴う」


 真尋の声がほそぼそと降る雨の中に凛と響き渡る。

 皆が表情を引き締め、無数の視線が真尋に向けられる。


「だが、神の加護が我らにはある! 守護神・ティーンクトゥスの加護を持って、悪しき存在を殲滅する!! ティーンクトゥス神よ、誇り高く勇敢な者たちに勝利へと導く祝福の風を!!」


 真尋がそう高らかに宣言すると同時にぶわりと清らかな風が吹き抜けていく。皆もこの風がただの風では無いと肌で感じたようだった。士気がどんどんと上がって行くのが目に見えて分かる。


「ティーンクトゥス神より祝福の風を賜った!! それでも尚、自身の名誉と命を守りたい者はここに残れ!! 誇り高き騎士として、勇敢なる冒険者としてこの町と民を守りたい者だけ連れて行く!! 命を命とも思わん下衆共にこの町をくれてやるな!! これ以上、民の命をくれてやるものか!! 勝利とはもぎ取るものだ、正義とは貫くものだ!! さあ、行こう!! この愛しき町を護るために!!」


 おぉぉお!と地鳴りのような雄叫びが上がった。


「……というわけだ、さあ、ラウラス殿、行こう」


「いやいやいや、そこはこのまま神父殿が先陣を切る流れだろう? ここで俺が行ったら士気が下がるだろう?」


 頬を引き攣らせながらラウラスが言った。

 真尋は、それもそうか、と頷き手綱を握りしめ愛馬の首を撫でてから顔を上げる。


「中三第二、中二第三小隊は俺に続け!! 行くぞ!!」


「おぉぉぉお!!」


「ミア!! すぐに帰るからな!!」


 ジョンの腕にしがみついたままミアが力一杯頷くのに笑みを返して、真尋は馬の腹を蹴る。開けられた未知の中を真尋は馬に跨り颯爽と掛けて行く。その背にカロリーナとキアラン率いる小隊が続く。


「弓部隊は僕に着いて来て!! 僕らが仲間たちの進む道を切り開くんだ!!」


 一路が声を上げ、急きょ作られた冒険者と騎士で構成された弓部隊を連れて走り出す。ロビンが、アオーンと遠吠えをすれば従魔たちがそれに答える。


「誇り高きクラージュ騎士団の強さをここに証明してみせろ!!」


 ラウラスが騎士を引き連れその後に続く。


「いいか! ここは俺達の縄張りだ!! よそ者に好き勝手させるな!!」


「魔獣たちは俺たちの獲物だ! 騎士なんかに後れを取るなよ!! 行くぞ!!」


 ジョシュアとレイが叫ぶように告げる。


「怪我人は遠慮なくここへ帰って来い!! 片っ端から治してやる!! 行って来い!!」


 二階の窓からナルキーサスが叫び、雄叫びがそれに答えた。

 行ってらっしゃい、と叫ぶような声に送り出されて真尋達は青の3地区へと馬を走らせた。









「リヨンズ様! 正面から神父率いる一隊が接近中です!!」


 テントの中に飛び込んで来た騎士にリヨンズは、顔を上げ立てかけてあった剣を片手に外へと飛び出す。


「今すぐ迎え撃つ準備をしろ!! 神父を倒せば、我らに恐れるものは無い!! インサニアが更に大きく強くなるまで、誰もあれに近付けてはならん!!」


 リヨンズは連れて来られた馬に跨り、神父が来ているという方へ駆け出す。

 冒険者と少数の騎士たちによる守戦はだんだんと後退し、じわじわと魔獣たちが町へ出ようとしている。インサニアの中から次から次へとバーサーカー化した上級魔獣たちが飛び出してきて数を増やしていく。ここは倉庫街だから人的被害は微々たるものだろうが、ここを出ればすぐそこに人々が暮らす場所が有るのだ。そこへ魔獣が現れたとなれば、人的被害は免れない。絶望がこの町を支配することになるだろう。

 騎士たちが作ったバリケードの向こう、通りに黒く雄々しい馬に跨る神父が現れる。その背後には、殺した筈の第二小隊の奴らが居た。生きているという報告を受けたのは、ほんの少し前のことだが、まさか本当に生きているとは思わなかった。一体、どうやってあの闇から逃れたというのだろうか。


「リヨンズ! そこを退け!」


 カロリーナが叫んだ。彼女は肩に大きな戦斧を担いでいる。女の癖に使う武器だけは相変わらず一丁前で、その戦斧は淡い金色に輝いていた。


「退かなくば、斬るだけだ!!」


 そう叫んでカロリーナが前に出ようとするのを神父が制する。


「エディ、少し俺の馬を見ていてくれ、話をしてくる。皆の者、一切手出しは不要だ」


「はっ!」


 神父は馬の手綱を預けると言葉通り、こちらに歩いて来る。


「手加減不要! 攻撃だ!! 神父を討ち取れ!!」


 騎士たちが抜刀し、魔力をその手に溜める。

 だが、神父は恐れ怯むどころか、艶やかに笑った。その美しい顔に浮かぶ笑みの美しさにリヨンズは、何故か背筋が凍る。


「ほう……この俺を殺そうというのか? 随分とまあ愚かしい命令だ」


 異様な程静まり返った周囲に緊張が走る。


「生憎と俺の首はお前如きにくれてやるような安物ではない。誇りを忘れ、力に屈した臆病者共にもな」


 神父の低く響く声が淡々と言葉を紡ぐ。


「どこかで見た顔だと思えば、昨夜、可愛がってやった奴らじゃないか。治癒術師に骨をくっつけてもらったのか?」


 神父が一番近くに居て剣を構える騎士を振り返る。騎士の体ががたがたと震えだす。

 神父が腰にぶら下げていた見たことも無い形の剣を抜いた。薄暗く雨が降る中でもその刃は鋭い銀色に輝く。


「昨夜、その体に覚えさせたつもりだったんだがなぁ……俺に牙を剥くということが、どういうことか。骨を折るだけで済ませてやったというのに、そうか……次はその首を飛ばして欲しいのだな」


 ひたり、と首筋に当てられた刃に騎士の顔から血の気が失せる。

 すっと目を細めて微笑った神父に騎士たちの手から剣が落ちる。


「ひ、ひぃぃぃぃ!」


「リック! 捕えろ!」


「はっ!」


 我先にと逃げ出した騎士たちは次々に突如、生えて来た蔦に囚われて拘束される。そして、炎の矢や氷の矢が騎士たちの手から武器をハタキ落としていく。

 一気にリヨンズの元から騎士たちが逃げ出すが、それは神父の背後に控える者たちに次々に囚われて行く。騒然とする中、神父は優雅にこちらに歩いて来て、目の前で止まった。

 神父は手に持っていた剣を鞘へと戻す。逆にリヨンズは剣を抜いて構えた。


「お前が犯した罪は、三つある」


「は?」


 唐突過ぎる言葉にリヨンズは思わず眉を寄せた。


「一つ、命を軽んじたこと」

 

 神父がそう言って足を開き、腰を落とす。


「二つ、俺の友人を馬鹿にしたこと」


 神父の右手が見慣れぬ剣の柄に伸びた。

 攻撃だ、と気付いてリヨンズも剣を構えて、魔力を練る。


「三つ、ミアを泣かせたことだ」


 神父が踏み込んだ。見切った、と思った。

 だがリヨンズが降り下ろした剣が肉を捉えることは無く、それどころか鉄と鉄のぶつかり合う音すら辺りには響かなかった。

 肉と骨を絶つ音が耳元で聞こえて、冷たさが一瞬、肩に触れたとおもった時にはすさまじい激痛が右腕を襲った。視界の端で剣を握ったままの右腕が宙を舞い、べちゃりと呆気無く地面に転がり落ちた。

 だが、リヨンズがそれを理解するよりも早く足元が崩れて雨が降る空を仰ぐように倒れ込む。神父の右足が抉るようにリヨンズの腹を踏みつける。


「お前如き小物が俺の前に立ちはだかることがそもそも馬鹿馬鹿しい」


 ぎりぎりと絶妙な力加減で踏みつけられる。じわじわと激しい痛みを訴える右肩へと視線を向ければ、有る筈の腕が無い。あの宙を舞った右腕は、自分のものだったのだと遅れて理解する。


「う、腕がっ、俺の腕がぁっ」


「はっ、腕の一本や二本、安いものだろう。お前の浅墓な行いが、ミアから大事な弟を奪ったのだ。何の罪もない人々から大切な家族を奪ったのだ。お前の腕も足も全て切り落とし、首を飛ばしたところでその罪は償えまい」


 足に力が込められて苦しさに顔が歪む。その足を掴もうと伸ばした左手は、呆気無く神父の剣によって地面に縫い付けられた。


「汚い手で俺に触れるな」


 銀に蒼の混じる美しい瞳が蔑みをもって細められる。

 薄い唇が弧を描き、その壮絶なまでに美しい笑みに背筋が凍り、息が上手く出来なくなる。完璧なまでの美しさがこんなにも恐ろしいものだとは知らなかった。

 左手から抜かれた剣が振り上げられる。


「ゆる、ゆるし、てっ」


「それは慈悲深き神に乞え」


 振り下ろされた刃にリヨンズの意識はがくりと落ちた。








 失禁した上、泡を吹いて気絶したリヨンズを真尋は、一瞥し、血振りをして、クリーンを掛けてから腰の鞘に戻す。このクリーンの便利さには脱帽だ。


「マヒロさん、お怪我は?」


「無い」


 駆け寄って来たリックに答えて、真尋は屈みこんでリヨンズの腕の傷口に治癒を掛けた。ここで死なれては元も子もない。


「ハヤテ」


 真尋は愛馬を呼んで縛り上げたリヨンズをその背に乗せた。リックが鞍にリヨンズの体を固定する。


「屋敷に運んでおいてくれるか。こんな汚物をお前の背に乗せるのは、俺も大変遺憾だが……こいつを今ここで死なせるわけにはいかないんだ。まだ地獄を見せてやってないからな。サンドロに全ては言ってあるから、お前は連れて行くだけで良い」


 ハヤテは真尋に顔を擦りつけるとヒヒーンと嘶いて屋敷に向かって駆け出した。


「神父様、こいつらはどうしますか!?」


「逃げられない様にまとめて縛って転がしておけ。魔獣の餌になったら自業自得と己が身を呪えと言っておけ」


「はっ!」


 騎士たちは捕まえたリヨンズ派の連中を取り出したロープで縛り上げていく。騎士団の捕縛用のロープは魔道具で魔法やナイフでは絶対に切れない様になっているらしい。

 すると東の方で雄叫びが上がった。


「ふむ、一路たちが動き始めたか」


「そのようですね……でも大丈夫でしょうか?」


「魔獣は浄化さえしてしまえば、問題は無い。それこそ冒険者たちにしてみればいつもの獲物に戻るんだ」


 貧民街のある東側からは、一路が弓部隊とレイが率いる冒険者たちと共に乗り込んでいる筈だ。一路とレイがいれば、その前でたむろしている騎士たちなど大した障害にはならないだろう。西側からはラウラスとジョシュア率いる隊が乗り込んでいる。

 ジルコンにSランクの魔石を褒美にとチラつかせたら嬉々として、ラウラスの槍やカロリーナの戦斧、キアランの剣、ウォルフのメイスなどに光の魔力を付属した魔石をセットしてくれた。とはいえ、ジルコン作の武器を持っていた者は圧倒的に少なく、一握りにも満たない。バーサーカー化した魔獣を何頭まで浄化できるかは未知数だった。


「俺達の目的はインサニアだ! 浄化した魔獣の殲滅はキアランの隊が請け負え! 第二小隊は俺に続け、良いな!」


「はっ!」


 真尋は馬に跨ったリックの後ろに跨り、出発の声を上げた。地面に転がる憐れな騎士たちを横目に真尋達はインサニアに向けて走り出すのだった。



 







「久しぶりね、キャシー、こんなにも手こずるのは!」


「ええ、そうね。それもたかがキラーベア相手に……!」


 アンナは、巨大な戦斧を振り回しながら叫ぶ。隣でクレイモアを振り回していた嫁のキャサリンが答えた。

 立って居る者は、殆ど居ない。キラーベアの攻撃を受けて、死の痣を受け使い物にならなくなっている。戦いのさなか、転がる冒険者や騎士は安全な方へと放り投げたが、だんだんと押されているのは確かだ。

 バーサーカー化した魔獣は禍々しい黒い霧を口から吐き出し、目を赤く光らせながら迫って来る。全部で五頭のキラーベアがアンナとキャサリンの前には立ちはだかっていた。

 運の悪いことに額を切ったせいで血が左目に入り、視界が半分、奪われている。

 キラーベアたちは、涎を垂らしながらこちらの様子を窺っている。流石は高位の魔獣だけあって、辛うじて正気な部分があるようだ。目茶苦茶に襲ってきたりはしない。


「もう、新品のスカートは破れるし、レースも目茶苦茶よっ、最悪ったらないわ!」


「……ねえ、アン。私の左腕、実は大分前にキラーベアの攻撃を受けてしまったの」


 思わず振り返る。

 キャサリンがクレイモアを地に突き刺して、抑える左腕からは血がだらだらと溢れて服を汚し、その上傷口から黒い霧のようなものがじわじわと少しずつ溢れ出し始めていた。


「もう動かないのよ、私の左腕。……私の全魔力をあいつらにぶつける。だから、一気に畳みかけるのよ、アン」


「馬鹿言わないで頂戴、そんなことが許せるわけないでしょ!?」


「赦せなくてもそうするの。貴方はこの町の冒険者たちの頂点、ギルドマスターよ。町を守ることを考えて、キラーベアが五頭も私たちの後ろに行ってしまえば、折角助けたあの子たちも、そして貧民街も駄目になるわ」


 ね、と普段は鉄仮面などと揶揄されるくせに、こんな時ばかり優しく笑うキャサリンにアンナは、歯を食いしばる。


「そうね。流石は、あたしのお嫁さんだわ」


「ええ、私はイオアネスのたった一人のお嫁さんなのよ。再婚は許さないから」


 少しだけ弱さで歪んだキャサリンの口元にアンナは、思わず手を伸ばすがにゅっと伸びて来た無粋な手に遮られる。


「退け、邪魔だ」


「レ、レイ!」


 現れたのは長い灰色の髪に黄緑の瞳、この町の英雄にしてギルドの問題児だった。

 だが、それだけではない後ろから大勢の冒険者がやって来る。


「D以下は、怪我人を保護しろ!! C以上は前に、ウォルフ、お前はこっちだ!! 見習いの所は後で行け! 隊列を乱すとぶっ飛ばすぞ!!」


「な、何でここに?」


 自分でも馬鹿な質問だったと思う。

 レイは、呆れたように肩を竦めて金色の光を帯びるクレイモアをキャサリンの腕に当てた。すると傷が治り、黒い霧が呆気無く霧散する。キャサリンがぱちりと目を瞬かせた。


「応急処置だ、後で必ず神父の屋敷に行け、ナルキーサスが救護所を開いている」


「マスター! これ飲んで下さい、神父さんに預かったんです」


 はい、とカマラに差し出されたのは木のカップに入った何の変哲もない水だった。

 早く、と急かされてアンナは慌ててそれを受け取り飲んだ。すると魔力が回復し、傷が癒えて行くのを感じて慌ててステータスを開く。HPは回復しなかったが、MPは回復しているし、額に触れれば完治とまでは行かないが傷が塞がっていた。カマラはキャサリンにも同じものを渡して飲ませる。


「よし、これで戦えるな」


「は?」


「第一列、構え!」


 どこからともなく高らかに声が響く。

 辺りを見回せば、近場の建物の屋根の上に大勢の冒険者や騎士が居て、弓を構えている。しかし、誰も矢を番えていない。ただ弓を引いているだけだ。何故、とアンナが問うより早く更に声が響く。


「《ピュリフィケイションライト・アロー》!」


 すると弓を構える彼らのそこに金色の光の矢が現れた。


「狙え!! 放て!!」


 光の矢が降り注ぐ。それらは、キラーベアではなく負傷した冒険者たちの上に降り注いでその体を貫いた。咄嗟に駆けだそうとした腕をレイに捕まれる。


「放せ!」


「ちげぇよ。ありゃ、死の痣を浄化する矢だ。つっても応急処置だから全部は浄化しきれねぇみたいだけどな」


「へ?」


「アン、見て! 皆の傷口から黒い霧が消えてく!」


 キャサリンが叫んで一番近くにいた冒険者に近寄れば、腹に付けられた傷に滲み始めていた黒い霧は、跡形も無く消え去っている。


「ど、どういうこと?」


「説明は全部後だ。今はこの熊共を倒すことが先決だ。おい、見習い! さっさと浄化しろ!!」


「はいはい。もう急かさないでくださいよ! 《ピュリフィケイション・ブフェーラ》!!」


 ぶわりと風が吹き抜けてキラーベアを包み込んだ。

 するとキラーベアの目から紅い光が消え、口から吐き出されていた黒い霧が消え失せ、バーサーカー化が止まる。


「あいつの弱点は、顎の下だ!! そこを狙っていけ!! 行くぞ!!」


 おぉぉおおお!!と雄たけびが上がり、冒険者たちが飛び出していく。何故かレイと一緒に白銀の狼までキラーベアに飛び掛かって行った。確かアレは見習い神父の従魔だった気がする。

 上からは火や氷の矢が降り注ぐ。まずはレイが、一頭目の首を軽々と飛ばして、次にウォルフのパーティーが二頭目を討ち取った。レイの指示通り、D以下の冒険者たちは、負傷した仲間を担いでさっさと戦線を離脱する。あらかじめ用意してあったのか荷馬車へと次から次に負傷者が乗せられて運ばれて行く。

 アンナとキャサリンは、状況理解が追い付かずにその場に立ち尽くす。


「アンナさん、キャサリンさん、どうしました? 酷い怪我でも?」


 どこからともなく現れたのは、弓を携えた神父見習いのイチロだった。


「ええっと、理解が追い付かないのよ」


「簡単ですよ。味方が間に合って、バーサーカー化が解かれてただの魔獣討伐になっただけです」


 イチロはさも当たり前のように言ってアンナとキャサリンの様子を見ると、大丈夫そうですね、と安心したように笑った。


「勝機は我が手にってやつです。ほら、ボケッとしてないでさっさと行って下さい!! 援護は僕らに任せて下さいね!!」


 いうが早いか、ひょいと一路はその場で飛び上がって屋根の上に戻って行く。


「アン、この際、ぐだぐだ考えていてもしょうがないわ。冒険者らしくさっさと私達も参加しましょう! 久々に腕が鳴るわ!!」


 すっかり元気になったキャサリンがクレイモアを担いで駆け出した。レイを退かしてキラーベアにクレイモアを振り下ろす姿にアンナは、声を上げて笑った。さっきまでの絶望が嘘みたいに、今は目の前に希望がある。

 アンナは破れてひらひらしているロングスカートの裾を縛って、ごっつい両足を晒す。邪魔な袖口も破り取って、戦斧を振りかざす。


「ガキども!! そこを退きな!! 獲物の独り占めは赦さないわよ!!」


 そう告げて駆け出したアンナがウィンクした瞬間、少しだけ味方の戦闘力が落ちたのはアンナとキャサリンだけが知らない話である。








「ゲイルウルフの攻撃に気を付けろ!! 刃を放つ瞬間に隙が出来るそこを狙え!!」


 ジョシュアは飛び掛かって来たウルフを切り捨て、ソフォスをふっとばしながら叫んだ。

 少し離れた所でラウラスが二頭同時に仕留めた。


「あいつらどれだけの魔獣を捕まえて来たんだ!!」


「さあ、それは俺にも分かりかねます!!」


 そう返して再び飛び掛かって来たソフォスを切り捨て、ウルフの顎を蹴り上げた。

 西側には、イチロとレイが率いる隊が居るし、情報によればアンナたちが居るらしい。北側はマヒロがいるので心配するだけ時間の無駄だ。ジョシュアたちが突破したリヨンズ派の騎士たちの中には、リヨンズは居なかったから、イチロの方かマヒロの方に居たのだろう。何となくマヒロの方に居たらリヨンズは、色んな意味で終わりだろうなと思った。

 倉庫街は、馬車や荷馬車が行き来するため、通りが広く設けられている。そこに数十頭のゲイルウルフと十数羽のソフォスがバーサーカー化して襲い掛かって来た。ジョシュアとラウラス、それに三名いるジルコンの武器を持つ冒険者と騎士が率先して、バーサーカー化を解き、現在は討伐中だ。ただのゲイルウルフならこれだけの数が居れば圧倒的にこちらが有利だ。ソフォスの攻撃が少々厄介だが、ソフォス自体の数は少ない。


「ジョシュア、ここの片を付けたら我々は、倉庫に向かいマヒロ神父殿の隊と合流を図る!」


「分かりました! 俺達がここに残って……!?」


「アオォォオオン!!!」


 突然聞こえたすさまじい魔力を伴った遠吠えにジョシュアたちの足が止まる。ソフォスが空へと逃げ出し、ゲイルウルフがどこかへと駆け出していく。


「う、嘘だろぉ……っ」


 ジョシュアは頬を引き攣らせる。さっと血の気が引くのを感じた。


「どうした!? 何事だ!?」


 ラウラスがこちらを振り返る。


「……俺の冒険者としての勘が正しければ、とんでもないのが来ます」


「とんでもないの? おい、まさか神父殿が言ってたやつじゃないだろうな?」


 ラウラスの頬も引き攣る。

 通りに散らばっていた冒険者や騎士たちがこちらに集まり、陣形を立て直す。

 それは、とても優雅にゲイルウルフを従えて堂々と通りの真正面から現れた。

 雨の中でも輝く白銀の美しい毛並み、ゲイルウルフよりも二回りは大きな体躯、凛々しいその姿は正に森の王者に相応しい品格を持っている。


「……A+ランクの魔獣……森の王、ヴェルデウルフ」


 誰かが言った言葉がやけに大きく響いた。

 そこに現れたのは、バーサーカー化し、目を赤く光らせ黒い霧を吐き出しながらも優雅に威厳を漂わせる森の王だった。






―――――――――――――

ここまで読んで下さってありがとうございました!!

いつも感想、閲覧、お気に入り登録、励みになっております。


ノアのお話、皆様が色々と感じて下さったようで何よりです。私自身書きながら本当に悩んで、でも、どうにもならないことがあるのだと自分に言い聞かせて書き上げましたので、多くの皆様のお言葉に励まされました。

物語は盛り上がりも最高潮に、次回も真尋達が大活躍の予定です。


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです。

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