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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第一部 本編
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第三十四話 話し合う男

「昨日はあんなに夕焼けが綺麗だったから、今日は晴れると思ったんだがなぁ」


 真尋はそうぼやきながら階段を降り、肩に掛けていた神父服に袖を通す。

 少し後ろを追いかけて来る一路は、むっつりと黙り込んだままだ。まだ朝のことの羞恥を振り切っていないようだ。

 皆の生温か視線で迎えた目覚めに一路とティナは真っ赤になって固まり、一路が蚊の鳴くような声で告げた「解散」という言葉に大人たちは、けらけら笑いながらそれぞれ散ったのだ。朝食の席では、一路もティナも熱でもあるのではと心配になるくらいに赤い顔でスープを飲んでいた。


「一路、見られてしまったものは仕方がない。泣き疲れて眠ってしまった自分を反省して次に生かせばいい」


「あのね! 真尋くんみたいに僕の神経は図太くないの!」


 キーキー喚きだした一路に真尋は、やれやれと階段を降り切り、エントランスを真っ直ぐに玄関へと向かう。


「自覚した途端にあれでは、やりづらいかも知れんが色恋というものは恥に塗れてなんぼだ」


「真尋くんに恥なんかあった? 年がら年中暇さえあれば雪ちゃんとイチャイチャと、人前だってのにキスもハグもやりたい方だったじゃない!」


「流石に身内の前だけだ。外でやったら雪乃に本気で怒られた」


「真尋くんが純日本人だなんて絶対に嘘だよっ」


 一路が嘆く様に言った。

 アイテムボックスから取り出したロザリオを腰のベルトループに通しながら真尋はやれやれと肩を竦めた。

 だが、鈍いと評判の一路がティナのことを「特別だ」と自覚しただけでも大きな進歩だと思う。そもそもティナの分かりやすすぎる好意に全く気付いていなかった鈍感男なのだから、本当に大した進歩だ。

 玄関のドアを開けて外に出れば、既にリックが真尋と一路の愛馬を馬小屋から連れて来てくれていた。


「すまないな、リック」


「いえ、ハヤテもコハクも良い子ですから」


 そう言ってリックは首を横に振った。


「ミアは、大丈夫でしたか?」


「ああ。俺の神父服を被せて、ネネに預けてきた。少しぐずったが、熱も下がっていたし、ノアの傍に居ると良いと言ったら納得してくれた」


 真尋は鐙に足を掛けて鞍に跨った。一路やリックもそれに続く。ロビンは流石に大きくなったので、横を走ることにしたらしい。


「リックの馬は、毎回違うな」


「私は馬を持って居ないので……二級騎士になると給料が格段に良くなって餌代を捻出できるようになりますし、その上、馬具一式が贈られるので自分の馬を所有することも可能なのですが三級以下は騎士団の馬を借ります。でも、エドワードみたいに給料を削ってでも馬につぎ込む騎士は多いですよ。エドワードの愛馬のシルフは、エドワードの騎士団合格祝いにご家族が贈ってくれた馬なんです」


「成程な。リックも二級になったら買うのか?」


「まだ考え中です」


 リックは苦笑交じりに言って頭を掻いた。


「よし、準備は良いか? 行くぞ」


 二人が頷いたのを確認して、真尋は馬の手綱をあやつり庭へと出る。

 晴れるかと思った空は薄い雲に覆われている。ルーカスを筆頭に庭師たちが今日も庭の手入れにいそしんでくれているのに礼を言って、真尋たちは町へと繰り出し、貧民街へと馬を走らせた。







「あ、神父様だ!」


「神父様! おはようございます!」


 貧民街に入れば、口々に住民たちが挨拶の声を掛けてくれるのに、真尋は手を挙げて返しながら広場へと向かった。

 広場は、まだ大勢の冒険者たちで溢れ返っていて、治癒術師たちの下には住民たちが列を成している。炊き出しまで行われていて、冒険者たちが勢いよく飯を食べている。 


「イチロ神父さーん!」


 ぶんぶんと尻尾を振りながら狼の獣人がこちらに二人、駆け寄って来る。


「ウォルフさん、カマラさん、おはようございます。昨夜は良く眠れましたか?」


 一路が馬上から声を掛ければ、二人は嬉しそうに尻尾を振って頷いた。

 犬のこういう分かりやすい所は実に好ましいと思う。


「真尋くん、この二人が今朝言った通り、ウォルフさんとカマラさん。ウォルフさん、カマラさんこっちが僕の親友の真尋神父さんです」


 二人はこちらを見上げて、じっと真尋を見つめた後、さっと頭を下げた。


「初めまして、Bランクのウォルフです。狼の尻尾っていうパーティーのリーダーをしています」


「同じパーティーのカマラです。ランクはCです」


「そうか。昨夜は、一路に随分と協力してくれたそうだな、礼を言う。二人のように忠実で優秀な友を得ることは、何よりも幸運なことだ。ウォルフとカマラに祝福の風が吹きますように」


 真尋は腰のロザリオを手に取って軽く掲げた。ふわりと吹き抜けた風が二人の髪を揺らすとウォルフとカマラは顔を見合せ、何だか妙に興奮した様子で一路を見上げた。


「イチロ神父さん、すっげーな! なんか、すごいな!!」


「ふふっ、それは良かったです。ところで何か変わったことは無いですか?」


 興奮して忙しなく耳や尻尾を動かすウォルフをさらっとスルーして一路が尋ねる。


「私達の把握している限りでは、とくに異変はありません」


 ウォルフの代わりにカマラが答える。


「そうですか……負傷した方たちは?」


「快方に向かって居ると治癒術師は言って居ましたし、面会に行ったら肉を食べたいと言ってました」


「なら、大丈夫ですね。良かった」


 カマラと一路の会話を聞きながらも真尋は周囲に視線を巡らせる。

 炊き出しの大鍋の周りには冒険者がいっぱいいるが、その間に住民たちの姿が有った。冒険者が皿を渡してスープをよそってやったり、鍋の火で焼いた肉をあげたりしている。孤児たちは、今がチャンスと言わんばかりに必死にスープを掻き込んでいた。ロビンが鼻をひくひくさせている。

 ふと、孤児たちが一際群がっている青年の姿を見つけた。


「……木偶の坊じゃないか」


「ああ、本当だ。レイさんですね」


 真尋の視線の先に気付いたリックが言った。

 レイは、子どもたちに率先してスープやパン、肉などを配っている。微かに笑って、子どもたちの頭を撫でている姿に真尋とリックは顔を見合わせた。シグネとトニーが率先してレイを手伝って居る。


「レイさんもあんな顔するんですねぇ」


 一路が優しい笑みを浮かべて言った。


「レイさん、昔、良く言ってたんですよ。貧民街を良くしていきたいって」


 カマラが言った。

 どういうことかと真尋達が首を傾げれば、ウォルフが説明をしてくれる。


「俺とカマラは、レイさんと同い年で騎士さんたちで言うと、同期なんス。だから、昔、ようはジョシュアさんとかサンドロさんとかも現役だった頃は、割と仲良くしてたんス。その時は、稼いだ金の殆どはいつも妹さんの薬代とかに消えちまってたんですけど、いつかミモザちゃんの病気が良くなったら冒険者稼業で稼ぎまくって、貧民街を救いたいって……ジョシュアさん達には内緒っすよ? レイさん、恥ずかしいから言わないでくれってあの頃、言ってたんで」


 ウォルフががしがしと頭を掻きながら苦笑を零す。


「多分、レイさんは、こういう炊き出しとか、治癒術師の派遣とかそういうことがしたかったんだと思います。正直、俺……ここへは来たことが無くて、というか殆どの冒険者や町民はここに来たことが無いと思います。俺には関係の無いことだってずっと思ってましたし、金持ちがいれば貧乏人もいるってくらいの認識だったんス。でも、」


 ウォルフは、そこで言葉を切って子どもたちへと視線を向けた。幼い兄弟だろうか、丸太の椅子の上に二人並んで凄く幸せそうにスープを飲んでいる。


「なんて言ったら良いか分かないんスけど……生きて、るんですよ。こんな薄暗くて臭くて危なくて、汚い場所でも生きてるんです。それであったかいスープを同じように美味しいって感じて、一緒に笑い合えるんですよ。俺、馬鹿だからそんな当たり前のことも知らなかったんス」


「知ることが出来て良かったじゃないか」


 真尋の言葉にウォルフがこちらを振り返って見上げる。


「無知で居ることほど、罪深いことはない。それは勉強が出来るとか出来ないじゃないぞ。確かに勉強だって必要なことだがな、最も罪深いのは知ろうとしないこと、自分の常識だけを当てはめて真実を見ようともしないことだ」

 

 カマラもこちらを見上げる。


「人にとって一番不幸なことは金が無いことでも、飢えていることでもない。それは辛いことであって、不幸ではないんだ。本当の不幸は、誰にも愛されないことだ」


「愛されない、こと?」


「たった一杯のあたたかいスープが人を笑顔にするように、たった一つのパンが明日へ命を繋げるように、微笑みに込められた愛が誰かを救うことだってあるということだ。お前だって、優しい笑顔を向けられたら、嬉しくなって笑うだろう? そこには小難しい魔術学も複雑な呪文も何も必要ない。とても簡単で原始的なことだ」


 ウォルフがこくりと頷いた。


「お前はそれを知れたのだから、それで充分だ」


 真尋は、此方に気付いて手を振るシグネとトニーに手を挙げて返す。レイが慌てたように仏頂面になって、一路とリックがくすくすと笑った。

 するとこちらに気付いた孤児や住人たちが皆で「神父さまー!」と手を振ってくれるのに、真尋と一路も手を振り返す。


「別に特別なことなどしなくてもいい。人が出来ることなど高が知れているからな。でも、何もしないよりはああして共にスープを分け合っているほうが、世界は優しくなると俺は思うのだ」


 住人たちが駆け寄って来るのに気付いて、真尋たちは馬を降りる。


「イチロ神父様、昨夜はありがとうね」


「マヒロ神父様。今日は何か手伝えることはあるかい?」


 わっと人だかりができて、ウォルフ達が目を白黒させながら場所を譲る。


「一遍に話すな。ほら、落ち着け」


 真尋がやれやれと呆れながら声を掛ければ住民たちは口を噤んだ。


「今日も元気に働いてくれたら、あの大鍋分の食事を奢ろう」


 わぁっと住人たちが嬉しそうに顔をほころばせた。


「青の3地区で普段、活動している者はいるか? 居たら前に」


 そう声を掛ければ、何人かが前に出て来た。老人から子供まで性別も種族も様々である。

 真尋は、ポケットから取り出すふりをしてアイテムボックスからエイブと狩人たちの似顔絵を取り出す。


「この顔に見覚えはあるか?」


「ああ、あれだろ? クルィークっていう店の奴らじゃないか?」


 中年の隻眼の男が言った。


「どこの誰かまでは知らないが、見たこと有るよ」


 そんな声も聞こえてくる。


「オイラ、この間、この人たちの荷馬車に轢かれそうになったよ」


 人族の少年が顔を顰めて言った。


「怪我は?」


 真尋の問いに少年は、鼻を擦りながら得意げに胸を張る。


「へへっ、ちゃんと避けたから怪我はねぇよ」


 なら良かった、と真尋は少年の頭をぽんと撫でた。


「オイラ、排水溝の中にいいもん落ちてねえかなって思って、ゴミ捨て場帰りに覗いてたら轢かれそうになったんだ。オイラが避けられたのは、夜中だったからさ」


「どういうことだ?」


「倉庫街の方にオイラはいたんだけど、あそこって夜はすっげー静かなんだ。代わりに朝は煩い位に荷馬車が行き交うけどな。だから、荷馬車とか馬の蹄の音が聞こえて来て、止まる気配もないから慌てて避けたんだ。多分、暗かったから向こうはオイラには気付いてなかったんだな。でもな、神父様、オイラ、見ちゃったんだよ、布の隙間からそいつらの荷物の中身」


「何を見た?」


「なんかな、神父様の馬よりもでーっかいなんかが居たんだよ! オイラ、びっくりしたもん!」


 少年は短い腕を目一杯広げて興奮気味に言った。


「馬よりも大きな……それは生きてたか?」


「生きてた、生きてた。だって、檻の中で唸る声が聞こえたもん」


「今月の頭か半ばくらいまでは、夜中にしょっちゅう大荷物がクルィークの倉庫に運び込まれてたよ」


 隻眼の男が言った。


「そうなのか?」


「ああ。魔獣の死体もあったし、坊主が言うように布で檻を隠したようなのも運んでたぜ。ガタガタ檻ん中で暴れてたり、唸ってたりしていたから、中生きてるもんが入ってたのは間違いねえ。この猪の獣人とか、ごっつい狩人が総出で運んでた」


「この男は?」


 エイブの似顔絵を見せる。


「こいつは大抵、倉庫で待ち構えてたよ。それがな、神父様、不思議なもんでもう一人、真っ黒な男が居るんだけど」


「こいつか?」


 真尋はザラームの似顔絵を取り出して隻眼の男に見せる。男は、そうそう、と頷いた。


「こいつはいつも、急に現れるんだよ。一緒に運んでたのか倉庫で待ってたのかは分かんねえけど……で、こいつが檻に何かすると途端に静かになって、そのまま倉庫の中に入ってくんだ」


 わしも見たぞ、と杖によりかかる老人も頷いた。


「よく気付かれなかったな。だが、何で夜中にそんなところに?」


「神父様、俺ぁ、こう見えて昔は傭兵やっててな。足をやっちまって引退したが隠蔽のスキル持ってるから隠れるのは得意なんだよ。それに倉庫街のゴミ捨て場はあぶねえけど、結構いいもんが落ちてるから前日から泊まり込むんだ。朝一番でゴミ捨て場に乗り込むためにな」


「わしゃぁ、ボケたふりをしておったでのぅ」


 老人がカラカラと笑った。

 真尋は、ふむと顎を撫でながら思案する。


「よし、暫く全員、ここで飯を食っていてくれ。ちょっと顔を出さねばならんところに顔を出してくる。腹ごしらえをしておくように。馬番も頼む」


「はーい! ねぇ、神父様、ちゃんと馬を見てたらまた飴くれる?」


 真尋は、ポケットから飴玉を取り出して少年の口へ放置込んだ。


「前金だ。ちゃんと見てたら、妹の分もやる」


「やった! オイラちゃんとみてるからね!」


 少年の頭を撫でて、真尋は一路とリック、ウォルフとカマラに声を掛けて歩き出す。ロビンが羨ましそうに真尋を見上げて来るが、犬用の飴は無い。


「神父様は、甘いのがお好きなんですか?」


 カマラが少年を振り返りながら問いかけて来る。


「いいや、子どもへのお駄賃代わりに持っているだけで俺は甘いものは好かん。一路は好きだがな」


「この町は、美味しいお菓子が多くていいよねぇ」


 一路がどこからともなくクッキーを取り出して頬張りながら言った。そこからカマラとウォルフと三人でスイーツ談義が始まる。ウォルフは凛々しい見かけに反して甘党らしい。

 真尋達は、広場に作られたテント軍の中でも一際大きなテントへと足を進める。入り口に騎士が二人立って居て、此方に気付くと騎士の礼を取った。


「おはようございます、中で団長がお待ちで……」


 真尋はアイテムボックスから三つの報告書の束を取り出す。


「今朝、俺と一路とリックでまとめたものだ。ウィルフレッド団長閣下に渡して読んでおくように言っておいてくれ。三冊とも中身は同じだ。中にマスターたちが居るんだろう?」


「は、はい。ギルドマスターのアンナ殿とサブマスターのキャサリン殿、魔導院長のナルキーサス殿が居ますが……」


「ああ、ナルキーサスはこちらに来たのか」


 ナルキーサスは、朝食を食べ終えたらどこかに出かけて行ったのだが、どうやらここにいるらしい。


「俺は少し出かけて来るがこれを読み終わるころには戻るので、対策案の一つ二つ考えるように言っておいてくれ」


「え? え? え?」


 真尋は戸惑う騎士の手を取って報告書を握らせた。


「よし、行くか」


「いやいやいや、一応さ、中に居るの偉い人なんだよ? 挨拶の一つ二つしていかないとだめでしょ」


 一路にじろりと睨まれる。このままだと説教になるな、と察知して真尋はテントの入り口に掛けられている布を両手で開け放つ。

 中はやはり見た目に反して、とても広く、長テーブルが真ん中に置かれ、真正面にウィルフレッドが据わっていた。その斜め左横にナルキーサス、その隣に化け物とその嫁、ではなくギルドマスターとサブマスターが座っている。


「おはようございます、閣下」


「あ、ああ、おはよう。神父殿、待ってい」


「閣下、私は、今、非常に多忙です」


 ウィルフレッドが首を傾げる。


「家で私の帰りを子ども達が待っているんです。報告する時間も惜しいのでこの通り、書類にまとめて来ました。三つ用意したので皆さんでよくよく読んでおいてください。インサニア及び死の痣に関する問題とクルィークとモルスに関する考察を纏めてまいりましたので、私が戻るまでに対策案と意見を纏めておいてくださいね。あと、こっちの冒険者がウォルフとカマラです。伝令を頼むこともあると思うので顔を覚えておいてください」


 騎士が慌てて報告書をウィルフレッドに渡しに行き、ウォルフとカマラが慌てて会釈をした。


「し、神父殿は、どこへ?」


「所用です。……ギルドマスター・アンナ」


 彼女は今日も立派な化け物だ、と真尋は一人納得する。


「なぁに? 神父さん」


「広場の炊き出しはいつまで?」


「安全が確認できるまで暫くは、冒険者たちを交代で置いておくつもりだからその間はするわよ。グリースマウスは小さいから、万が一、見逃しが有ったら困るもの」


 真尋はアイテムボックスから取り出した金貨を一枚、アンナに投げ渡した。アンナはそれを片手でキャッチして、中を見るとぽかんと口を開けた。覗き込んだキャサリンが金貨と真尋を交互に見る。


「肉を多めに用意してやって下さい。あと子どもたちには、ポヴァンのミルクを。それは私からの寄付です。足りないものが有れば、金は出しますから言って下さい。それでは皆様、報告書の方、よく読んでおいてくださいね。行ってまいります」


 真尋は優雅に一礼して、固まるウォルフとカマラを促してテントを後にする。

 後ろから「……キース、胃薬」とかなんとかいうウィルフレッドの声が聞こえたような気がしたが、聞こえなかったことにした。真尋はさっさと家に帰りたいのだ。


「あとで、ウィルフレッドさんにちゃんと謝らなきゃ……」


 ため息を零す一路に首を傾げつつ、真尋は炊き出しの方へと急いで戻るのだった。









 真尋は、瓦礫だらけの周囲を見渡して、ふむ、と顎を撫でた。

 真尋、リック、ウォルフが居るのは昨日、インサニアが発見された貧民側の壁際のエリアだ。一路の言う通り、瓦礫と廃墟だらけで人の気配はない。聳え立つ壁のせいで日が当たらず、まだ午前中だと言うのに夕方のように暗い。

 ちなみに一路とロビン、カマラには別の件で動いて貰って居る。


「本来、グリースマウスはこういうところには居ないんスよ」


 ウォルフが瓦礫の隙間を覗き込みながら言った。


「そうなのか?」


「グリースマウスっていうのは、唯一、人の傍で生きる野生の魔獣なんス。ラスリっていう鼠の魔物と群れを作って、人家近くで生きている魔獣なんス。だから、逆に言えば人さえいれば、必ずと言って良いほどいるけど、ここみたいに人の気配も無いも無い所にゃ、普通は居ねえはずなんス」


「成程なぁ、まあこんな所では、グリースマウスでなくとも住みたくはないが」


 じっとりと湿り気を帯びた空気が停滞し、家屋を支えていた気が腐って崩れ、石にはカビが生えている。日が当たらないから、苔のような植物すら見当たらない。あるのは、瓦礫とカビくらいのもので、辺りには邪悪な気配は感じない。

 馬から降りてインサニアが出て来たという瓦礫の山を登っていく。

 真尋は聳え立つ壁に手を当てた。複雑な魔法が掛けられている。長い年月をかけて、高くなっていった壁はまるで地層のように年代で色が異なっている。解読を掛ければ、かなり複雑な魔法が掛けられていて壁が崩れないようになっている。この壁は間違いなくこの町を守る盾なのだ。


「なぁ、リック」


「はい」


「壁の上に立てば町の全体が見られるか?」


「……はい?」


 真尋は瓦礫の山に登って来たリックとウォルフに手を向けて、そのままその手を上へと振り上げた。


「なっ!?」


「ぎゃぁ!?」


 二人が勢いよく上へと飛んでいく。その背を追いかけるように真尋も風の力で上へと駆け上がって行く。壁の一番上、見回りの騎士たちが歩く回廊の屋根の上に真尋は、音もなく降り立った。リックとウォルフは、目を白黒させながら屋根の上に転がっている。

 壁の向こうには、広い広い世界がある。

 このアルゲンテウス領は、平地ではない。丘が点在し凸凹していて、所々に森や林もあって小さな山も存在する。人々が踏みしめてできた道には馬車が行き交い、人々がこの町に向かう姿や、どこかへと出かけるが姿が見える。遥か東には、初夏だというのに頂には雪を被るルドニーク山脈がある。ここから見るだけでも険しい山だと分かる。


「マ、マヒロさんっ、見つかったら怒られます!」


 座り込んだままのリックが小声で言った。ウォルフは「壁の上は初めてだ!」と楽しそうに辺りを見回している。


「安心しろ、隠蔽を掛けているから、この下の回廊を歩いている程度の騎士では俺達の姿も声も見えんし、聞こえん」


 リックが気の抜けたような顔になって「だってマヒロさんだから」と唸るように言うと顔を上げて立ち上がる。


「リック、お前の故郷は随分と遠いところにあるんだな」


 真尋は東の方へと視線を向けて言った。自然とリックの視線もそちらに向けられる。

 ルドニーク山脈は険しい山々が連なっているが、一番高い山は、一体、どれほどの標高があるのか頂は雲に隠れて見えない。


「ここからだと乗合馬車を乗り継いで二週間以上はは掛かります。私もこの町へ来てからは、一度も行ったことが有りません」


「そうか。そういえばお前の叔母上は、どうやって兄夫婦の訃報を知ったんだ?」


「叔母というか、叔父が丁度、叔父の弟が結婚するとかで近くの町まで来ていたそうです。叔父はその町の出身なので。それで、村が一つ焼け落ちたっていう話を流れの冒険者から聞いて村の名前を聞いたら嫁の実家がある場所だったからって駆けつけてくれたんです。叔父が近くに居なければ、私は孤児として近隣の村に引き取られて、叔父たちとは会えなかったかも知れませんね」


「まあ、四歳では親戚のことなど頻繁に会って居なければ分からんもんだしな」


 真尋は頷いて、空を見上げた。

 朝よりも雲が分厚くなっている。冷たさと雨の匂いを孕んだ風が真尋の髪を揺らし、神父服の裾を広げた。


「また雨が降るな」


 降り出す前には帰りたい、と思いながら真尋は町の方へと顔を向けた。


「長いことここで暮らしてるけど、こうやって見んのは初めてっす。でっかい町だなぁ」


 ウォルフがしみじみと言った。

 陽の当らない貧民街のその向こうには、黒い屋根と白塗りの木組みの家がずらりと並んでいて、この高い壁は町を守るように左右へと伸びている。真尋の屋敷の屋根は見えないが、教会の塔の天辺がここからでも見えた。遥かの向こうの小高い丘の上には、領主の城がある。あの手前を川が流れているらしいがここからでは見えない。川べりに作られた町は川に向かってなだらかに高くなっているのが分かる。だから貧民街は余計に日が当たらないのだ。


「この大きな町も後ろに広がる大地に比べれば、何とも小さいものだなぁ。だが、ほら屋敷は見えんが教会の塔の頭は見えるぞ」


「ああ、本当ですね」


「どれっすか?」


 ウォルフが手で庇を作って目を細める。

 真尋は、あれだ、と指で方向を示して教えてやる。


「へぇ、大きいんスね。神父様、俺、行ったことないから今度、教会に遊びに行っても良いっすか?」


「来るのは構わんが残念ながらまだ掃除中だ。ああ、そうだ……この騒ぎが終わったら業者を手配しないとな。掃除と修繕をしないと埃だらけでどうにもならん」


「間違ってもマヒロさんは、自分で掃除をしようとか思ったらだめですよ? イチロさんにその辺をしっかり見張っているようにと言われているんです」


 リックが真顔で言った。

 真尋は、じろりとリックを睨むが、この真面目な青年は一路と違って嫌味で言っているのではなく、大真面目に言っているのだ。それが伝わって来て、真尋は負けを認める。掃除が出来ないのは確かだ。教会のものを壊したらそれこそ一路に三日三晩は説教をされるに違いない。触らぬ神に祟り無しだ。


「さて、降りるか。ミアが俺を待って居るから何事もさっさと片付けたい」


「待ってください、降りるってどうやっ、てぇぇええええ!」


 身構えたリックを下へと突き落とし。逃げだそうとしたウォルフも襟首を掴んで下へと落とした。飛び降りろと言ったところで彼らは絶対に飛び降りないと判断してのことだ。真尋も二人を追いかけるようにひょいと飛び降りる。ちゃんと二人のことは風魔法で受け止めて、そっと着地させてやったのに地上に戻ったら「あとでイチロさんに言いつけますから!!」と涙目のリックに怒られたのだった。







「サヴィ! 起きてきていいの?」


 賑やかな声のするリビングのドアを開けば、すぐにこちらに気付いたルイスが駆け寄って来て飛びついて来る。サヴィラはそれを受け止めて、自由の効く左手でぽんぽんと頭を撫でた。

 リビングは、広い、というのが第一印象だが、物があまりないのだ。窓際にソファが一つ、二つ置かれているくらいであとはラグがしかれてクッションが椅子代わりにあるだけだ。丁度、昼寝の時間だったのか真ん中に敷かれた布団の上に子供たちが集まって眠っている。二人ほどサヴィラの家族ではないのが混じっている。肉付も良いし、孤児ではなさそうだ。


「チビ共は、昼寝中か」


「うん。今日のお昼はピザだったんだよ! 僕、サンドロおじさんのお手伝いして、生地の上に好きな具をのせて自分のピザを作ったの、すごく美味しかった!」


 ルイスはとても楽しそうに話してくれた。

 ぼさぼさだった髪も綺麗に整えられて、よれよれだった服も古着ではあるが綺麗なものになっている。他の子どもたちもそうだ。抱き締めていると石鹸の香りまでしてくる。

 サヴィラは、ルイスに声を掛けて窓際のソファへと移動する。思ったよりもずっとあの黒い痣はサヴィラから体力を奪って居て、まだ長いこと立って居るとふらふらするのだ。


「アナとネネは?」


「ネネは、ノアのところ。アナは、ソニアおばちゃんがおんぶしてるから、おばちゃんとどこかに居るよ」


 ソニア、とは誰だろうかとサヴィラは首を傾げる。

 ふとソファの片隅に絵本が転がっているのに気付いて手を伸ばす。「ウルフ森のリッリ」と表紙には書かれていて、金髪の小さな女の子が暗い森を覗き込んでいる。隅の方は擦り切れていて、表紙をめくるとページが折れ曲がっているところもあった。しかし、広いリビングも良くみれば積み木や絵本といった子供のおもちゃが点々と落ちている。


「これは?」


「午前中、ローサお姉ちゃんが持ってきてくれたの。ティナお姉ちゃんが読んでくれたよ」


「そうか」


 また知らない名前が出て来た。

 正直、サヴィラはこの屋敷に着いた後のことをあまり覚えていなかった。夜中に気分が悪くなって吐いて、あの神父に泣きごとをいったことだけは忘れたかったのにしっかりと記憶に残っているがそれ以外は曖昧だ。朝起きたら、あの神父は出かける寸前で「すぐに帰るからな」と告げるとサヴィラの頭を勝手に撫でて出かけて行った。それ以降は、銀縁眼鏡のなよっちいアルトゥロとかいう治癒術師が様子を見に来て、ネネが食事を運んで来てくれたくらいだ。


「お、蜥蜴の坊主、起きたのか?」


 振り返れば、熊のような厳つい顔をした大男がこちらにやって来た。思わずサヴィラは身構えるが、ルイスが嬉しそうに大男に駆け寄る。


「サンドロおじさん、どうしたの? おやつ?」


「ははっ、今日のおやつは石窯で焼いたスフレケーキの予定だけど、まだだ。さっき昼めし食ったばっかりだろ」


「すふれけーき? 美味しい?」


「ふわっふわっだぞ。また手伝ってくれな」


 サンドロの大きな手がルイスの頭をくしゃくしゃと撫でた。ルイスは目をキラキラさせてサンドロを見上げて頷いた。


「蜥蜴の坊主、昼飯まだだろ? なんか食うか?」


 サヴィラは、首を横に振った。


「……それより、あんた、誰?」


「そうか、お前ずっと寝てたもんな。俺ぁ、サンドロだ。山猫亭っつう宿屋の亭主だ。一応な。坊主、起きてて平気なのか?」


 サンドロはこちらにやって来ると隣に置かれていた一人掛けのソファに腰掛けた。重かったのかソファがギシッと音を立てた。サンドロが、ぽんと膝を叩けばルイスが嬉しそうに膝に乗った。チビ達の中では大きい方だったルイスだが、サンドロの膝に乗ると異様に幼く小さく見える。


「ここは、どこだ?」


「ここは、マヒロとイチロの屋敷だなぁ。まだ掃除しかしてねぇから家具とかはねぇけど」


「神父たちは?」


「あいつらなら、貧民街の方に出かけたよ。昨夜、アンデット化したグリースマウスが山ほど出てきてな、緊急クエストで粗方討伐されたがまだ油断は出来ねえってんで冒険者が暫くは交代で貧民街を見張るらしいぞ。マウスはちっせーし、あそこは隠れられるところが山ほどあるからな」


「ふーん……」


 サヴィラの素っ気ない返事にもサンドロは気を悪くするでもなく、良く寝てるなぁ、と子供たちを見てその厳つい顔に笑みを浮かべた。


「痩せてちっせぇから心配したけどよ、皆、よーく飯を食って元気に遊んでっから大丈夫だって治癒術師も太鼓判を押してくれたぜ。お前、すげぇな」


「……は?」


 突然褒められて、サヴィラは眉をしかめる。


「だってよ、お前、十三だろ? 十三でこんだけのチビ共養ってるなんて根性あるなぁと思ってよ。俺なんかカミさんと息子二人と愛しい娘のローサを養うのにもひーひー言ってたのに。ソニアも、ああ、ソニアってのは俺の奥さんだけどな、感心してたぜ。偉いもんだって」


「……別に」


 サヴィラは、冷たく返してそっぽを向いた。

 この男と話していると神父とは違った意味で調子が狂う。


「へへっ、そう照れんなよ。純粋に褒めてんだから」


「照れてないっ!」


 思わず怒鳴り返せば、ルイスがびっくりしたように目を丸くした後、しーっと指を唇に当てて怒られた。慌てて口を噤んで振り返るがチビ達は良く眠っている。


「さーて、俺はちょっくら買出しに行って来るからな。あ、ソニアとプリシラは温室で洗濯干してるし、クレアとローサとティナもどこかに居るし、エドワードっていう騎士が護衛で残ってるから安心しろよ。エドワードってのはボルドーの髪の若い兄ちゃんな。庭には、庭師の連中も居るしな」


 大半の人間の名前が分からなかったがエドワードは分かった。市場通りであの糞ババアと揉めた時に一緒にいた騎士のことだろう。


「ルイス、お前も行くか? っても市場通りだけどな」


「いいの? 僕、市場通り行ったことない!」


「そうか、じゃあ楽しいかもな。それに子どもがいると店の奴らがおまけをしてくれるからな」


「サヴィ、行っても良い?」


 くるりと振り返ったルイスが尋ねて来る。

 本当は、大人に懐くなと言いたいが今のサヴィラたちは、その大人に世話になっているのだ。子どもたちだって虐げられているどころか、彼らの人生で最も満ち足りた幸福な待遇を受けていると認めざるを得ない。綺麗に整えられた髪も、穴の一つもなくてサイズがぴったりの服も全部、彼らが与えてくれたものだろう。

 でも、これは騒ぎが収まるまでのことだ。騒ぎが収まれば、また自分たちはあの臭くて暗い町へ戻るのだ。その時、懐けば懐くだけ、別れが辛くなるのは子供たちの方だ。この生活に慣れれば慣れるだけ、戻るのも辛くなる。サヴィラの稼ぎだけでは、どうやっても腹いっぱいに飯を食わせてやることは出来ないのだ。


「……そんな難しい顔すんなよ、坊主」


 サンドロの言葉にますます眉間に皺が寄った。


「マヒロは、一度、拾い上げたもんをむやみやたらに捨てる様な男じゃないぜ」


 心の内を見透かされたような言葉に仏頂面が酷くなったと自分でも分かる。


「……ルイス、気を付けて行って来い」


 なんだかもうこの男と言葉を交わすのも嫌でサヴィラは、会話を切り上げようと試みた。


「やったぁ、ありがとう、サヴィ!」


「よーし、じゃあ行くか」


 サンドロは、サヴィラの心を正しく読み取ってくれたようで、何を言うでもなくルイスをひょいと抱き上げて部屋を出て行った。

 サヴィラはソファに寝ころんで天井を見上げる。かなり高い天井には華奢なシャンデリアがぶら下がっていた。カーテンも絨毯もどれも高価そうなものだ。


「……じいさん、俺、どうすればいいのかな」


 ぽつりと呟いた言葉に返事は無い。

 サヴィラは、重くなる瞼に逆らうこともせず、子どもらの規則正しい寝息を聞きながら眠りへと落ちて行ったのだった。









 テントの中で、ウィルフレッドは胃を抑え、ナルキーサスは楽しそうにしていて、アンナとキャサリンは唖然としていた。クロードの隣に座るレイはむっつりと眉間に皺を寄せて黙り込んでいる。


「そこで、俺は青の3地区にあるクルィークの倉庫を更地にしようと思っているのですが、皆様の意見をお聞かせ願いたい」


 テントに戻り、開口一番告げた真尋の言葉にウィルフレッドがますます胃を擦り出す。

 一路とカマラには、住民たちから話を聞きだし、青の3地区のクルィークの倉庫に関する情報を集めて貰った。ここの住人たちは、トラブルを避けるために身を隠す術に長けている。故に狩人たちもエイブも身形からして小汚い物乞いに見られたところで害は無いだろうと彼らを軽侮しているようだ。それにここの住人たちは、騎士には一切、情報を話さないので、騎士団が知ることのできなかった情報を多々、得ることが出来た。

 そこで導き出された答えが、間違いなくクルィークは、生きたままの魔獣を町の中に運び込んだということだ。


「待ってくれ、神父殿」


 ウィルフレッドが片手を上げて、入り口付近に立つ真尋と一路に顔を向ける。ちなみにリックは後ろで遠くを見つめている。ウォルフとカマラは、広場の炊き出しの手伝いに回っている。


「神父殿とそこのイチロ神父のくれた報告書の内容を纏めるとつまり、クルィークが、二百年前の北の悲劇を再現しようとしていると?」


「ええ、閣下」


 真尋は微かに笑んで頷いた。


「その報告書に書いた通り、変死体、通り魔、リック騎士を襲ったもの、ダビドを殺したモノ、様々なことを踏まえて、私は、このインサニアは、何らかの方法や魔法によって人為的に作られたものだと考えています。しかし、自然に発生するインサニアと同等の危険性がある。それにこれらの事件は貧民街の住人が犠牲になっています。不審死も通り魔も全てここの住人です。そこに犯人の性根が腐りきった意図を感じるのです。まるで力試しでもしているかのような、或は、まがい物のインサニアに与える餌を狩っているような」


 皆が表情を険しくさせる。


「長い年月の中で新たな治療薬や魔法が発見されるように、悪い力もまた長い時の中で新たな力を生み出したとしてもおかしくはありません。その力を試す場所に貧民街を選んでいるように私は思うのです」


「…………貧民街の住人なら犠牲になった所で大した騒ぎにもならない、と?」


 レイの低くなった声に真尋は目だけを向けて、頷いた。


「ここは薄暗く、人々はあまり表には出ない故に人目も少ない。言ってしまえば、ここに暮らす人々は底辺と言える。そこで幾ら死んでも、貴族一人が殺されることに比べれば、人々は物騒とは言えども然程の興味も示すまい」


「はっ、随分と飄々と言ってのけるな。まあ所詮、お前にとっては他人事だもんな」


「黙れ、このウスラトンカチの木偶の坊」


 真尋は自分の声が一段低くなったのを自覚しながらレイを睨み付ける。真尋の魔力が滲んでテーブルの上でカチャカチャとティーカップとソーサーが揺れて中の紅茶が波紋を描く。

 隣で一路が「あーあ」と呆れた声を漏らして、レイを見ていた。


「俺が怒っていないと、いつ、言った? この糞共は、遊び半分に人を殺し、人の人生を奪い、何の罪もない懸命に生きている人々を弄んでいると言うのに? ミアやノアやサヴィラという穢れ一つない魂を壊そうとする馬鹿共に俺が怒っていないとでも?」


「まあまあ、真尋くん。落ち着いて、ね?」


「……俺は落ちついている」


 一路に取りなされて真尋は渋々レイを睨むのを止めた。


「レイさん、この人、見た目に反してかなり短気だから、あんまり思ったままを言わないでくださいね。喧嘩になっても僕は痛いの嫌だから止めませんからね?」


 じろりと隣の親友を睨むが逆に睨み返されて、これは素直に従ったほうが良いと真尋は口を噤んだ。


「レイちゃん、もー。神父さんと喧嘩しちゃ、めって言ってるでしょ? 次に喧嘩したらチューの刑よ」


 アンナがぴんと人差し指を立てる。

 レイは、アンナを無視して紅茶を飲んだ。キャサリンがやれやれと肩を竦めて眼鏡のブリッヂを細い指で押し上げた。


「団長、発言の許可を」


 リックが前に出る。


「クルィークの件に関してご報告させていただくと、恐らく、あの店は魔獣の密猟と素材の無認可違法売買を行っているものと断定しています。現に先日のオークションでは妖精族とエルフ族の保護下にある薄紅色のブレットが出品されました。今はイチロ神父殿の助けも有り、保護していますが問い合わせた結果、保護区から盗み出されたものだと判明しています。あれは我々への威嚇であり、攪乱であると第二小隊では判断しております。ですが、厄介なことに……クルィークの背後には、当騎士団、第一大隊第三中隊長、パーヴェル・リヨンズ一級騎士が関わっています、我々、第二小隊を捜査から外したことからして関与は間違いないでしょう」


「あー、あの困ったちゃんね。でもジークちゃんが戻らないと、リヨンズはどうこうできないでしょう?」


 皆の気遣わし気な視線がウィルフレッドに向けられる。

 どうやら領主家のややこしい事情は、皆が知る所のようだ。


「ですが閣下、神父殿の言う通り、クルィークが生きたままの魔獣を町に運び込んでいたとしたら、ただでは済まないでしょう。向こうがインサニアを自在に操るのなら、その魔獣がバーサーカー化すれば、北の悲劇の二の舞になる。昨夜、ここで見つかったグリースマウスの死骸は、全て核が光を失い壊れていた。あれは北の悲劇で死んだゴブリンたちの状況と一致します」


 ナルキーサスの言葉にウィルフレッドは、重々しい溜息を零した。


「……あと一週間だ。一週間で兄上は戻られる」


 ウィルフレッドが答えた。


「残り一週間、ブランレトゥを守り抜けば我々の勝ちだ」


 ウィルフレッドが真っ直ぐに真尋たちの顔を一人一人見ながら言った。


「では、青の3地区にある倉庫、更地に変えてきていいですか?」


「真尋くん!! 自重!!」


 真顔で真尋が告げると間髪入れずに一路が叫んだ。


「だって、面倒じゃないか。俺はミアとノアのことで忙しいんだぞ? そうなれば怪しい所を更地に変えるのが一番、手っ取り早いだろう? クルィークと倉庫を潰せばいい」


「君の辞書には無いかもしれないけど世の中には倫理とか常識とか順序とかいう言葉があるの!! どうしてそう君の良く出来た頭は時々すべての計算式をすっ飛ばすかな!?」


「安心しろ。やるのはこの俺だぞ? 証拠は残さん」


「そんなことはどや顔で言うべきことじゃないからね!? 君は馬鹿なの!?」


「ははっ! いいなぁ、神父殿! 実に単純明快で分かりやすい作戦だ!」


「ナルキーサス! 賛成しない!」


 ナルキーサスが快活に笑って手を叩いた。キャサリンがすぐさま釘を刺す。


「やはり駄目か」


「何で許可が出ると思ったんだ……?」


 ウィルフレッドが胃の辺りをさすりながら呻くように言った。


「物は試しにと思いまして」


「物は試さんでくれ……俺の胃が破裂する。……だが、確かに神父殿言うことは軽視できない。イチロ神父が集めてくれた情報もな。だが、それらは全て証言で有り、証拠ではない。言葉だけの不確かなもので動ける程、リヨンズの力は弱くない。それに魔獣をどこから運び込んだかがまだ分かっていないだろう?」


「運び入れた場所の検討はついていますよ。先ほど、様子を見に行ってまいりました。既に人をやりましたので、早くとも今夜か明日にはご報告できるかと」


 真尋の言葉にウィルフレッドは、ぱちりを目を瞬かせると降参だとでも言いたげに両手を上げた。


「神父殿は、非常な優秀な騎士になれるよ」


「閣下、神父殿を先に魔導院に勧誘したのは私だぞ?」


 ナルキーサスがくくっと喉を鳴らして笑う。


「待って頂戴、そもそも神父さん達は一つもクエストこなしていないけど、うちの冒険者なのよ?」


 アンナが勝ち誇ったように告げれば、三人はニコニコ笑いながらもバチバチと火花を散らせ始めた。レイが呆れたようにため息を零して立ち上がる。


「俺はそろそろロークに行く」


「木偶の坊」


 脇を通り過ぎようとしたレイが足を止めていぶかしむ様に首を傾げる。


「恐らく、リヨンズもクルィークの連中も勝負を掛けて来るなら、この一週間以内だ。マノリスは、積年の恨みを果たそうとして、エイブの目を盗んで狩人を使うかもしれん。追い詰められた人間は何をするか分からん。気を付けろよ」


「……言われなくても分かってるっつの」


 レイは鬱陶しそうに顔を顰めるとそのままテントを出て行った。


「彼も一つ、素直になればいいのだろうが……そうもいかないのだろうな」


 ウィルフレッドは苦笑交じりに言った。

 

「神父殿」


 真面目な顔に戻ったウィルフレッドに真尋も姿勢を正す。


「私はいざとなれば、リヨンズの首は後回しにするつもりだ。……生きた魔獣がこの町の中に居ると言う証拠を集めて貰えるか?」


「……踏み込む気ですか?」


 真尋の問いに皆が固唾を飲んでウィルフレッドの答えを待った。

 ウィルフレッドは、静かに微笑んで頷いた。


「あいつは、随分と私を侮っているけれど、私はね、自分のものを害されるのがあまり好きではないんだよ。この町は私の守るべき町、この町に暮らす人々の命はアルゲンテウス辺境伯家のものだ。リヨンズ伯爵家如きに、ましてや、一介の魔物屋如きにくれてやる気は微塵も無い」


 ウィルフレッドが、嗤う。

 暴れたくてたまらない獣のように嗤った。

 真尋は、それが酷く愉しく思えて笑みを返して、礼を取る。一路も真尋に倣う様に礼を取り、リックは騎士の礼をする。


「閣下、貴方の仰せのままに」


 真尋の言葉にウィルフレッドは、満足げに頷いた。


「魔獣となれば、あたしたち、冒険者の存在を忘れないで頂戴。犯人の確保は騎士の役目、でも、魔獣の討伐はあたしたち冒険者ギルドの仕事よ」


 アンナが楽しそうに笑いながら言った。キャサリンが、すまし顔で眼鏡を細い指を添えて位置を直す。

 ウィルフレッドは、鷹揚に頷き返し、再び真尋に顔を向ける。


「頼んだぞ、神父殿。表立って我々が動けない今、貴方の力を頼ることを」


「閣下」


 真尋はウィルフレッドの言葉を遮る。


「上に立つ者は、堂々としていれば良いのです。守りたいものがあるのなら、私は全てを利用すべきだと想って居ます。私が貴方を利用するように、貴方も私を利用する。それだけのことですよ、閣下、迷いなど信念を曇らせるだけです」


「……神父殿は、本当に十八か? 随分と年上と話しをしているような気持ちになる」


 ウィルフレッドがふっと表情を緩めた。


「よく言われますが、正真正銘、十八歳の若造ですよ。では、失礼致します」


 恭しく頭を下げて、真尋は一路とリックを促してテントを出て行く。

 外へ出れば、しとしとと雨が再び降り始めていた。外で待っていたロビンが嬉しそうに駆け寄って来て一路に擦り寄る。


「雨か」


「よく降るねぇ」


 一路がローブを取り出しながら言った。リックが「雨期ですから」と答えてマントのフードを被った。真尋も濡れる前にローブを取り出して羽織る。

 空を見上げれば、無数の雨滴が落ちて来る。顔を濡らすそれに目を細めながら、真尋は「行くぞ」と声を掛けて歩き出したのだった。











「……インサニアが、消された?」


 何の前触れもなく部屋に現れたザラームは、エイブの問いに頷いた。


「昨日、気配が消えた。あの子はまだ作って日が浅いから力は弱いけど……でも、自然に消える筈はないよ。何かの力によって……消されたみたい」


 ザラームは淡々と告げた。

 エイブは、ワインの入ったグラスを揺らしながら足を組み直す。


「……あの、神父か?」


「そこまでは分かんないけど、でも、多分そうだろうね。僕のツェルを切ったのも、神父だった」


 エイブは、まだ本物の神父を見たことは無い。

 だが探らせたところによると人とは思えぬほど美しい男らしい。Aランク冒険者と肩を並べる程強く、怪我を痕一つ残さずに治癒する男。


「本命は無事なのだろう?」


「うん。無事だよ」


 ザラームは頷いて手のひらの上にそれを出した。何度見ても気が可笑しくなりそうな程濃い闇がその手の上に現れる。ザラームは、それをまるで子供の頭でも撫でるかのように愛おし気に撫でた。

 前にあれに無理矢理触らせた男は、一瞬で消え失せたがザラームの白い指先は、闇に溶け込むことも無い。


「……どちらも得体の知れん、男だ」


 エイブは、グラスの中身を煽って立ち上がる。

 カーテンの閉め切られた広い部屋の中は、趣味の悪い金の彫刻や絵画が飾られている。薄暗い部屋の片隅に転がっていたそれを蹴れば、ううっと耳障りな呻き声を立てた。足でそのまま仰向けになるように転がせば、憐れな程腫れあがった顔がエイブを見つけて恐怖に歪む。それとは逆にエイブは、柔らかに笑って返す。


「ご主人様、貴方の願いをこの不肖エイブ、叶えて差し上げようと存じます」


 腫れた瞼のせいでろくすっぽ見えない目が僅かに動いた。


「カマルを消しましょう」


 マノリスの大きな体が強張った。


「ザラーム」


「なに?」


「カマルを消す」


「カマル?」


「番犬共と一緒に。上手くいけば、神父が釣れる。不安要素は、全て排除すべきだ。ロークにて戦力を殺ぐ」


「はーい」


 ザラームは、まるで遊びに行く子供のように楽しそうな返事をして手のひらの上のそれを消した。


「……あれ?」


 ザラームが突然、首を傾げた。長い黒髪がさらりと揺れる。

 エイブは、いぶかしむ様に眉を寄せる。


「どうした?」


 ザラームは窓辺へと歩いて行き、カーテンを僅かに開けて外を見ると、目を閉じた。


「倉庫に何か入った気配がする……ああ、小鳥だ。二階の割れた窓から迷い込んできちゃったみたい、ぴーちくぱーちく鳴いてるよ」


「どうせ中の魔獣に怯えて出て行く。それよりも狩人たちを集めておけ」


「はーい」


 ザラームは軽やかに歩き出し、闇に溶けるように消えた。足の下でマノリスが、ひっと情けない声を漏らした。それが鬱陶しくて無駄な脂肪をたぷりと貯えた腹を蹴り上げれば、マノリスは血を吐き出して気絶した。


「ちっ、汚い」


 エイブは舌打ちを一つして、窓辺へと歩み寄る。

 カーテンの隙間から外を見れば、丁度、大通りを挟んで向かいの店から金茶の髪の男がポヴァンを連れて出て来た。店の前に停まっている荷車へとポヴァンを乗せると、人の良さそうな笑みを浮かべて手を振り、客を見送った。


「……あれでAランクか、この町の程度が知れるな」


 嘲笑を一つ零して、カーテンを閉めた。

 こんこん、とノックの音が聞こえてエイブは「どうしました」と返事をする。


「下にリヨンズ様がいらっしゃっておりますが」


 聞こえて来たのは使用人の声だった。


「客間にお通ししなさい。すぐに行きます」


「旦那様のお加減はまだ優れませんか?」


 エイブは、暗がりで襤褸雑巾のように転がっているマノリスに視線を向けて、笑いながら歩き出し、部屋の外へと出る。

 使用人は気遣わし気にエイブを見上げる。


「ビアンカ嬢に振られてしまったのが相当堪えたようで、まだ誰にも会いたくないと言っています。私がいるから大丈夫だと申し上げておるのですがね。まだ部屋には誰も入らぬように言っておきなさい」


「かしこまりました」


 使用人は頭を下げると去っていく。エイブは、ドアの鍵穴に向かって手を翳す。カチャリ、と鍵のかかる音が聞こえた。


「ごゆっくり、お休みください、旦那様」


 エイブは、酷く優しい笑みを浮かべて、客間へと向けて歩き出したのだった。





――――――――――――

ここまで読んで下さって、ありがとうございます!

いつもお気に入り、感想、励みになっております。本当にありがとうございます。


ウィルフレッドの胃が心配になる作者です。


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです。

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[良い点] 真尋さんに恥をかく恋心、なんてないでしょう! 今の会話でもお外で恥ずかしがったのは雪ちゃんで真尋さん気にしてないじゃないですか 飛び上がり飛び降りる、跳ね上げられて突き落とされる 両者に…
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