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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第一部 本編
38/158

第三十話 怒った男

 しとしとと降る雨の中、ぽっかりと林が開けた丘の上に広がる墓地は閑寂とした場所だった。

 南門から馬を走らせて十分ほどの場所にある林に囲まれた場所に墓地は有った。南に林が広がる野原に不規則に並ぶ白い墓石があった。墓場の入り口付近には火葬場が有るが、今日は稼働していないようで石造りの平屋の建物はしんと静まり返っていた。人の気配は無く、荒廃としていて申し訳程度に草が刈られているだけだった。前に来た時も思ったがこの世界の人々には、墓参りという習慣は無いのだろうか。

 馬から降りて、手綱を引きながら墓地を歩く。白い墓石は苔むして薄汚れている。中にはひび割れて風化しているものもあった。


「……さみしいばしょだね」


 一路がぽつりと呟いた。

 シトシトと侘しく降る雨が余計にこの場所を寂しいものにしていた。


「……殆ど、人の来ない場所だからな」


 ジョシュアはそう言ってアイテムボックスから来る途中で買った花束をいくつか取り出して、墓石に刻まれた名を見ながら花束を供えて行く。


「冒険者仲間だ。魔獣に襲われたものもいれば、病気で死んだ奴もいる」


 そうか、と頷いて真尋と一路は顔も知らない冒険者たちへと手を合わせた。

 墓石には、名前と生年月日が刻まれている。幾つも刻まれているものもあれば、たった一人だけのものもある。火葬して、骨にし、砕いたものを素焼きの小さな壺に入れて土の中に埋めるのだ。土葬ではないのは、アンデットという魔獣になってしまうからだ。図鑑で見た限り、人も魔獣も元の姿は保てず、ハリウッド映画で良く見るゾンビに近い姿形をしていた。


「この町の人々は墓参りはしないのか?」


「さっき通った林には、アンデットがいるんだ。夜行性だから昼は出て来ないが、それでも一般庶民にしてみれば脅威だ。ランクの低い冒険者にとってもな。昼日中に偶然襲われた例もあるし……葬送行列みたいに生きた人間が大勢で固まって移動すれば、生きている力に弱いアンデットは出て来られないが……一人二人だと危ないんだ。アンデットは中級ランクでも上に分類される魔獣だから、護衛依頼にも金がかかるし」


「だが、人の手が入っている形跡があるな。草が適度に刈られている」


「葬儀屋が貧民街で人を雇うんだ。危ないから誰もやりたがらないが、その分、良い金になる」


 ジョシュアが皮肉に口端を吊り上げた。一路が何とも言えない顔をした。

 真尋は、傍に有った墓石に巻き付く蔦に手を伸ばして、解いて行く。青く苔が滲んだ墓石に刻まれた死亡年月日は、ほんの二年ほど前のものなのにまるで数十年放置されているかのようだった。

 ジョシュアが、最後にこっちもいいか、と言って歩き出した。真尋と一路は、馬の手綱を引きながらその背を追う。


「……ん? レイ?」


 ジョシュアの呟きに真尋は、顔を向ける。

 白い墓石の前に灰色の髪の男がずぶ濡れのまま立って居た。黄緑の瞳がこちらを振り返る。


「ずぶ濡れじゃないか、何でローブを着て来なかったんだ。風邪ひくぞ」


 ジョシュアが慌てて駆け寄る。

 真尋は、墓石へと顔を向けた。


『大工のアンディ 享年 三〇 事故死

 妻 ソフィ   享年 二七 病死

 娘 ミモザ   享年 一六 病死』


 彼の家族の墓だとその刻まれた名に気付かされた。

 墓石の前には、白い花を基調とした花束が置かれていて、白い墓石は苔一つ生えておらず、日ごろから手入れがされているのが見て取れた。Aランクの冒険者であるレイにしてみれば、アンデットなど脅威になり得ないのだろうから、彼は自由にここに来られるはずだ。


「何でここにいんだよ」


 不機嫌な声が手ぬぐいでレイの髪を拭こうとしたジョシュアに向けられた。レイは、ジョシュアの手から逃げるように一歩下がった。


「マヒロの人探しの手伝いで来たんだよ。それよりほら、俺に拭かれるのが嫌なら自分で拭け」


「いらねぇ。こんだけ濡れれば関係ないだろ」


 レイはそう言って顔を顰めた。

 真尋は彼らのやり取りを横目に墓の前にしゃがみ込んで白い墓石に彫られた文字を指で辿る。話に聞いたことしかなく、会ったことも無いけれど、確かにここに刻まれた年齢は、あの世に逝くには早すぎるとしか言えなかった。

 

「木偶の坊が居ない三年間、この墓の手入れは誰がしていたんだ?」


 手ぬぐいを片手に食い下がっていたジョシュアが振り返る。


「……お前には関係無いだろ、クソ神父」


 ジョシュアの肩越しにレイが言った。相変わらずだなと真尋は肩を竦める。


「お前が帰って来たのは、半年前だろう? だが、この墓は他の墓に比べれば、日常的にきちんと手入れがされているのが見て分かる。この半年はお前がやっていたとして、では、お前が家出をしていた三年間は、誰が手入れをしていたんだ?」


 真尋はジョシュアとレイを見上げた。

 ジョシュアは、ちらりとレイを見た。レイはじっと真尋を睨み付けている。まるでそのことに触れるな、とても言いたげだ。孤独に守られることで自己を保つ彼には、綺麗なままの墓石は不都合なことなのだろう。

 きっと、ここの手入れをしていたのは、ソニアだ。彼女の夫のサンドロは、Bランクの冒険者だった。彼を護衛にすれば、ソニアならいつでもここに来られる。それにサンドロにとってもここは友人夫妻の墓だ。夫婦は、抜いた草が再び生えるよりも早く、何度も何度も此処を訪れて、この墓を綺麗にして、レイが居ない間、彼の代わりにずっと守っていたのだろう。


「人は、二度死ぬ」


 ジョシュアがきょとんと首を傾げ、レイが訝しむ様に眉を寄せた。


「一度目は、肉体の死だ。俺たちだけではない。そこらに生きる虫にも草にも、命さえあればこの死は遅かれ早かれ平等に訪れて、決して回避することは出来ない。だが、二度目の死は、全ての命に訪れるとは限らない。何故か分かるか?」


 ジョシュアは素直に首を横に振った。レイは、ただじっと真尋を見つめている。


「……二度目の死は、人々の記憶から消え去る時だ」


 真尋はロザリオを取り出して握りしめ、レイの家族の安らかな眠りを乞う祈りを捧げる。透明なガラス玉の中で、真尋の青にも銀にも見える月光色の魔力が揺れている。一路も同じようにロザリオを構えて祈りを捧げた。

 祈りを終えて、ゆっくりと立ち上がる。ロザリオを腰に戻してジョシュアたちを振り返った。

 彼らの向こうにも数十の白い墓石が雨に濡れている。ここは哀しみが色濃く、寂しさが深く根付いた死の臭いが立ち込めている。


「死は重く、哀しく圧し掛かって来る。残された哀しみに押し潰されて、幸福だった記憶すらあやふやになるほどに」


 雨が少しだけ強くなった。


「この胸には確かに共有した幸福も与えられた愛も残っているのにな」


 真尋と一路は、立場が特殊かも知れないが、それでも置いて逝った立場であり、ある意味、置いて逝かれた立場でもある。永遠に会えないことだけは事実なのだ。

 彼女たちとの永遠の別れを知った時に感じた悲しみも絶望も寂しさも、未だに胸の奥で鮮やかに強く深く残っている。それはきっと、彼女たちも同じだろう。いや、真尋と一路の“死”を二人よりも現実的に実感したであろう彼女達の哀しみは真尋には推し量ることが出来ない。真尋達は、彼女達が生きていることを知っているのに対して、彼女たちの世界で真尋達は確かに死んだのだ。


「……それでも尚、笑って居てくれと願うのは、確かに自分勝手かも知れないな」


 自分にだけ聞こえるように小さく呟いて顔を伏せた。

 一路が「真尋くん?」と気遣わし気にこちらを覗き込んで来て、真尋は小さく笑って返し、顔を上げる。


「何でもない。それより、木偶の坊。聞きたいことが有る」


 一路の心配そうな視線を躱して、真尋はレイとジョシュアを振り返る。

 墓を見つめていたレイが、訝しむ様に真尋を振り返った。


「お前、二週間くらい前、夜中にウルフの死骸を運ぶ狩人たちを見たと言ったな」


「見たのは俺じゃねえ。Cランクの冒険者のパーティーだ。朝の開門の時間は混むんで、日没前に南のレガトの森に行くには夜明け前に町を出る必要があるから、前日の夕方に町の外に出て近くで野営をしていたんだと。パーティーの中に隠蔽スキルのレベルが高い奴が居て、パーティーごと隠れていたから、向こうも気づかなかったんだろうって言ってたが……」


「そいつらは町に居るか?」


「さあな。冒険者なんて根無し草だ。クエストを受けてりゃ町を出ている可能性もある」


「……そうか」


 真尋は顎を撫でながら眉間に皺を寄せる。


「……生きたままの魔獣を町に持ち込むことは、可能だと思うか?」


「各門には、門番が居るからな……それに人目も多いし、夜中には閉まってる。門は常に大勢の人間が居る場所だから不可能だと思うぞ」


 ジョシュアが言った。


「なら、他にこの町に入る手立てはあるか?」


「壁を越えるか、門を潜るかのどちらかだ。だがあの壁を越えるのは獣人族の鳥系の奴らなら可能だろうが……そんな荷物を上から入れれば、壁の見張り番に見つかる」


 レイが素っ気なく答える。


「……マヒロは、生きたままの魔獣が町の中に入ったと考えているのか?」


 ジョシュアの問いに真尋は、首肯を返す。


「金に目が眩んだ人間は、善悪の区別が付かなくなるからな。それにマノリスにしてみれば、魔獣の密猟や密売による利益は、カマルが絶対に手を出さない領域で得たものだ。だから余計に優越感を感じ、更なるものを望む」


 重苦しい沈黙が四人の間に落ちる。


「人の欲とは際限が無い。それに自尊心が高い人間は、人の上に立ち、自分が他人より優位であることに重きを置く傾向がある。マノリスは、カマルに劣等感が有った。それは祖父の代から受け継がれるもので、きっと祖父からも父からも「ロークより上に」という言葉を向けられただろう。そして、皮肉なことに商才の無いマノリスに対し、カマルは商才のある男だった。ギルドや町の人々、使用人や従業員からの信頼も厚く、家族仲も良好で馬を通して騎士団という大きな顧客も抱えている。一方のマノリスは、息子と妻に逃げられ、店は落ちる所まで落ちていった」


 真尋の言葉にジョシュアとレイの表情が徐々に険しくなる。


「だからこそ、エイブという男の手によって、店がぐんぐんと業績を回復し、恐ろしい程の利益を上げた時、マノリスは更なる高みを夢見た筈だ。カマルより更に上の客、更なる利益、そうなった時、騎士団の中で一大勢力を作るリヨンズ伯爵家の三男と手を組めれば、マノリスにとってこれ以上、喜ばしいことは無い」


「……騎士が消えたっていう青の3地区にある倉庫が怪しいな。隠すとすれば、そこだろう。確かクルィークの倉庫があるところは倉庫通りって呼ばれる程、倉庫しかないし、あそこの通りなら大荷物を運んでいても怪しまれないからな」


 レイが濡れて張り付く前髪を鬱陶しそうに掻き上げながら言った。


「問題は、どうやって中に入ったか、か……」


 ジョシュアが上を仰ぎ、皆が一様に頭を悩ませた時だった。遠くから蹄の音が聞こえてくる。


「……人?」


 一路が愛馬の上に登り、音がする方を窺う。


「人だ……なんか叫んでるけど……」


「マヒロ、マヒロって言ってないか?」


「あ、本当だ」


「――さん、マヒロさん!!」


「エディか? どうした?」


 こちらに駆け寄って来たのは、リックと共に貧民街にパンを届けに行かせたはずのエドワードだった。

 エドワードは嫌に焦った様子でこちらに駆け寄って来ると馬の手綱を引いた。馬が息を荒げながらも足を止めて、興奮した様子で地面を引っ掻いた。


「ノアを見つけました!」


「っ、本当か?」


 思わず目を見開く。エドワードは、はい、と頷いた。


「ですが、酷い熱を出していて、衰弱が酷い上、ノアの左脚は壊死していて、それとは別に腹の方まで黒い痣に覆われているんです。子どもらの話だと、ノアは数日前にグリースマウスに噛まれたらしいのですが、その噛まれた個所から、黒い靄のようなものがじわじわと溢れているんです」


 真尋と一路は顔を見合わせる。一路の顔に焦りと不安が浮かんでいるが、それは多分、真尋も同じだ。


「マヒロ、それって……」


 ジョシュアの強張った声が聞こえた。


「可能性は否定出来ん。……急いで町へ戻るぞ」


 真尋は愛馬へと跨り、ジョシュアも馬へと乗る。レイはジョシュアに言われて後ろへと飛び乗った。

 馬の腹を蹴り、雨の中、墓地を駆け抜けていく。後ろを走るエドワードが声を張り上げて報告を続ける。


「リックが馬車を手配して、子どもたちごとマヒロさんの屋敷の方に運んでいます! 屋敷の方へは、リックが先ぶれをだしました! ですがミアが行方知れずで探しに行ったサヴィラという少年も不在です!」


「ミアとサヴィラが!?」


「はい! リックがシグネという女性に頼んで、行方を追っていますがミアを探すサヴィラが貧民街を出たという情報が得られただけです! 詰所に仲間がいたので、カロリーナ小隊長に許可を取って町中を捜索中です!」


 門が見えて来た。欠伸をしていたアビエルが、ものすごい勢いで走って来る真尋達に気付いて目を丸くする。


「アビエル! 戻った!!」


「なっ、は、はい! っておい!」


 アビエルが何かを叫んでいたが無視して真尋達は馬を走らせる。

 雨の静寂に包まれていた町に蹄の音が騒々しく響き渡った。











「はぁはぁ、くそっ! ミア! どこだ! ミア!」


 シトシトと降る雨の中、サヴィラは孤児仲間から貰った目撃情報を頼りにミアを探していた。昨夜、貧民街中を探したがミアは見つからず、今朝、貧民街の入り口で会った孤児が昨夜、ミアが貧民街を出て2の地区の方へ行くのを見たと教えてくれたのだ。声を掛けたら「薬を買いに行く」と答えたらしい。夜が来るからと引き留めたが、ミアは首を横に振って、町の方へと出て行ったのだそうだ。

 サヴィラは、一番近い、青の2地区にある貧民街の住人向けの薬屋に行ったが、ミアは来ていなかった。ここでないとすれば、青の2地区の住宅街にある薬屋か市場通りに二軒ある薬屋か、或は青の1地区にある薬屋か、それとも大通りにある薬屋か、ミアの行動範囲を考えれば他の地区に行っているとは考えにくいし、大通りの薬屋は専門的な店で十五歳未満の子供は町の条例で入店不可だ。

 だとすれば、候補は二つに絞られる。つい、今しがた尋ねた住宅街の薬屋の主人もそんな子は来ていないと首を横に振った。では、市場通りの方だろうとサヴィラは、ミアが通りそうな裏通りを選びながら、市場通りの薬屋を目指していた。

 多分、ミアはノアの薬を買いに行ったのだ。

 サヴィラは、体の横にだらりと投げ出されたまま碌に動かない右腕を抑えながら、ひた走る。絶え間ない鈍痛がだんだんと大きく強くなってくるのを気のせいだと言い聞かせて、ふと、一瞬だけ小さな塊が路地裏の暗がりに見えた気がして慌てて足を止めて、そこへと戻る。

 アパートとアパートの間、子どもが通り抜けられるくらいの路地に小さな塊が蹲っていた。目を凝らせば、白い兎の耳が見えた。


「ミア!」


 思わず叫んでサヴィラは駆け寄る。

 そこにミアが倒れていた。いつからここに居たのか、全身ずぶ濡れで寒さにガタガタと震えている。


「ミア! おい、ミア、しっかり……酷い熱じゃんかっ」


 傷の所為で微熱が有るサヴィラよりも抱き上げたミアの体は酷い熱を持っていた。サヴィラは、自分が来ていたローブを脱いでミアを包み込んだ。


「サ、ヴィ……?」


「……ミア、ミア、分かるか? サヴィラだ。もう大丈夫だからな、今すぐ、かえ」


 熱に潤んだ珊瑚色の瞳がサヴィラを捉えて、小さな頭が横に揺れる

サヴィラの服を掴んだミアの手に気付いてサヴィラは首を傾げた。


「ノアの……お薬、買いに行くの……市場通りのお店なら……いいお薬があるって、ダビドおじいちゃんが言ってた、から」


「馬鹿言え。こんなひどい熱で……」


「大丈夫、ちょっと休んでた、だけ……いかなきゃ、ノアのお薬、買いに……」


 無理矢理立ち上がったミアが壁に手を付き、ふらふらしながら歩き出す。サヴィラは、呆然とその背を見ていたが、通りに出たところで膝をついたミアに慌てて駆け寄り、抱き起す。


「ミア、無茶をするな馬鹿……!」


「でも、ノアのお薬……買いに行かなきゃ、お母さんと約束したの、ノアを守るって」


 だから、行くの、とミアが再び立ち上がった。

 その横顔は、酷く大人びて見えた。サヴィラよりも七つも年下の少女がずっとずっと大人に見えた。あの日、明日を迎えられるなら同情だっていいと言ったネネの浮かべた表情と同じだった。


「……金は?」


「お母さんがもしもの時に使いなさいってくれたの、隠しておいたの」


 ミアの泥だらけの手には、三枚の銀貨が握りしめられていた。貧民街の住人にしてみればかなりの大金だった。ミアの母が娼婦としてその金を溜めるのにどれほど夜を売ったのだろうか。それだって毎晩、順調に売れるとは限らないのだ。貧民街の娼婦を買う男は金を払わない奴だって少なくない。それにミアとノアを食べさせていくためにも金がかかる。そんな中で、二人の母――オルガはこの三枚の銀貨を貯めるのにどれほどの努力をしたんだろうか。

 でもきっと、薬ではノアは治らない。それを口にできるほどの勇気がサヴィラには無かった。


「……お前だけじゃ心配だから、俺が連れてってやる。ミアはまだ計算が出来無いだろ、おつり、誤魔化されたら困るから」


 ミアはぱちりと目を瞬かせた後、ほっとしたように表情を緩めた。サヴィラはそんなミアを左腕で抱き上げて、右腕を左手で掴んでどうにかミアを抱えて歩き出す。ミアは、ぐったりとサヴィラに寄り掛かりながらもぎゅうとサヴィラの服を握りしめて、じっと何かに耐えている。


「……ねぇ、サヴィ」


「何だ」


「……ひとりぼっちは、怖い?」


 止まりそうになった足を無理矢理に動かした。動揺が悟られない様に努めて平静に問い返す。


「何で?」


「……やっぱり、何でもない」

 

 首を横に振ったミアの声は酷くか細くて、サヴィラはミアを抱える腕に力を込めた。

 雨が冷たく二人を濡らすから、ミアの高すぎる体温ですら生きていることを実感して涙が出そうだった。








「いらっしゃいませ……」


 薬屋のドアを開けると勢い良く掛けられた声は、サヴィラたちの姿を目にした途端、勢いを失った。

 肥った女の店主は、あからさまな侮蔑をその目に宿してこちらを一瞥した。薬草の臭いが充満する店内には、客は一人しかいない。年嵩の男性だった。女店主は、こちらを無視するようにその男性に顔を向けて気持ちの悪い猫なで声で、薬の内容を説明する。


「なら、この解熱薬をいただきます」


「ありがとうございます。何か食べてから飲ませてくださいね、一日、二包で三日分、6000Sになります」


 男性が女性に赤銅貨を六枚渡した。女亭主はそれを数えると、確かに、と頷いて金をしまい、手際よく薬を包んで男性に渡した。男性はそれを受け取ると女店主に頭を下げて、不思議そうにこちらを見ると去って行った。カランコロン、と店のドアベルが静かな店内に響いた。くぐもった雨の音が耳を撫ぜる。


「……なんの用だい?」


 先ほどまでの気持ちが悪い猫なで声とは真逆の低く乾いた声だった。

 それでもミアは怯むことも無く女店主を真っ直ぐに見上げる。


「私の弟が病気で……すごく熱が高いの。だから、お薬をください」


「残念ながらうちには、そんな薬は無いね。それより、あーあ、床が泥だらけじゃないか、今すぐに出て行ってくれよ」


 女店主は盛大に顔を顰めるとカウンターの向こうからモップを片手に出て来た。そして、モップでわざとらしくまるで追い立てるようにサヴィラとミアの足元を拭いて、店の外へと追いやられた。ドアベルが再び鳴って、雨の音が鮮明になる。


「あの、お薬を……っ」


「あんたら見た所、貧民街の孤児だろ」


 女店主が吐き捨てるように言った。

 サヴィラはミアを庇う様に抱き寄せようとするがミアは動かない。じっと女店主を見上げている。女店主は、ミアとサヴィラの格好にじろじろと不躾な視線を寄越す。


「その汚い格好でうちの店に入られちゃ困るんだよ。薬屋は衛生第一なんだから」


「なら、ここで構わない。薬を売ってくれ」


 サヴィラは努めて冷静に言った。

 やじ馬たちが、何事かと時折、足を止めて女店主に睨まれてそそくさと逃げていく。

 女店主は、野次馬を睨み終えると再びサヴィラとミアに視線を移した。


「金があろうと無かろうと、お前たちみたいな薄汚い孤児に売る薬なんてうちには無いよ! さっさとあの暗くて臭くて薄汚い巣へ帰りな!」


 まるで犬でも追い払うかのように女店主が分厚い手を振った。

 サヴィラは怒りに震える拳をどうにか握りしめて抑える。ここで暴れても、怒っても、何の意味もない。


「どうしてもお薬が必要なの、だから、お願いします!」


 ミアが咄嗟に手を伸ばした。ミアはきっと手の中に握りしめていた金を渡そうとしたのだろうが、女店主は何をされると思ったのかミアを思いっきり突き飛ばした。


「ミア!」


 サヴィラは通りに尻餅をついたミアに駆け寄る。チャリン、チャリン、チャリンと銀貨が雨降る通りに転がった。ミアは、転んだことなど気にも留めずに慌てて銀貨を拾い出す。


「汚い手であたしに触るんじゃないよ! さっさとどっかに行け! このクソガキが!」


「ミアは金を渡そうとしただけだ!! 解熱剤を売ってくれと頼んでいるだけなのに何をするんだ!!」


「はっ、信用ならないねぇ。どうせあたしがちょっとでも目を離した隙に店の薬を盗む気だろ? あー、いやだいやだ」


 女店主はせせら笑う様に言った。


「お金なら、お金ならあるから、お薬を売って……っ」


「ああ、もう! しつこいガキだね! さっさとどっかお行き!」


「おい! やめろ!」


 ミアが再び立ち上がった。女店主の眦が吊り上がる。やみくもにモップを振り回し始める。サヴィラは咄嗟にミアを庇う様に抱きしめた。その拍子にこめかみにモップの柄が当たってミアもろとも地面に倒れ込んだ。ミアが、珊瑚色の目を見開いて息を飲んだ。ぬるりとした雨とは違う温かなそれが滴り落ちて来て、ミアとサヴィラの服を汚した。どうやらこめかみが切れたようだ。


「あ、あんた、何だい、その腕……っ」


 どうやら転んだ拍子に袖がめくれて、真っ黒になった腕が少しだけ露わになってしまったようだ。サヴィラは咄嗟に袖を直してミアの目から隠す。


「どうせお前もあの薄汚い娼婦共が産み捨てたガキなんだろ!? そんなんだから変な病気に罹るんだよ!」


「ちょっと、さっきから黙って聞いてれば聞き捨てならないわ。孤児だろうが何だろうが、お金を払うって言ってるんだから、店側は商品を渡すべきよ! それにこんな子供に暴力を振るうなんてあんた最低よ!! この糞ババア!!」


 不意に視界の端で紅い髪が揺れた。

 気付いた時には、目の前に紅い髪に大きな猫の耳を持つ若い女性が立って居たのだった。ふさふさの長い毛におおわれた尻尾が苛立たし気に左右に揺れていた。










 金切り声が通りに響いて、屋敷に向けて市場通りを疾駆していた真尋達は手綱を引き、驚きに辺りを見回す。

 何事だ、と騒ぎの先を探せば、それは少し先の薬屋の店先だった。年嵩の小太りの女性が入り口に仁王立ちして、見覚えのある紅い髪の少女が庇う通りに蹲る何かを一方的に怒鳴りつけていた。遠巻きにやじ馬たちがそれを見ている。


「マヒロさん、俺は謹慎中ですが治安維持も仕事なので……!」


謹慎中でも騎士である自覚はしっかりとあるらしいエドワードがすぐに反応して駆け寄って行き、真尋たちもそれに続く。

 出来れば寄り道はしたくなかったが、間違いなく、そこにいる紅い髪に猫耳の少女は真尋達が世話になっている宿屋のサンドロとソニアの愛娘、ローサだった。

 そして近づいて初めて、ローサが庇っている通りに蹲る塊が襤褸切れのような薄汚れた服を身に纏った細身の少年であることに気付いた。淡い金髪の少年が何かを庇う様にして通りに蹲っている。

 もしや、と真尋が良く見ようとした時、耳に響くような金切り声が辺りに響き渡った。


「こんな娼婦が稼いだ汚い金でうちの薬を買おうっていうのかい!? 図々しいにほどがあるよ!」


「だから、あたしがお金は出すって言ってるじゃない! あたしが働いて稼いだお金よ!? 文句が有るってんなら冒険者たちを敵に回すんだから!!」


 丁度その時、警邏中だったらしい別の男女の騎士が騒ぎに駆け寄って行く。

 その顔に少なからず見覚えが有った。ロークの騒ぎの時に駆け付けた第二小隊の騎士だったと記憶している。


「ご婦人、子供相手にそう怒鳴らず」


「一度、落ち着いて下さい」


「そうですよ、子供相手に大人げないです」


 エドワードが馬から降りて間に入れば二人は驚いたような顔をしたが、女の剣幕にすぐに意識をそちらに向けた。真尋達も馬から降りて、手綱を街路樹の枝に括り付け、騒ぎの元へと駆け寄る。


「ローサ! 何をしてるんだ!」


 エドワードたちが女性を宥めに入り、ジョシュアがローサに声を掛けた。こちらに気付いたローサが、紅茶色のアーモンド形の目をぱちりと瞬かせた。


「こんな所で何をしてるんだ?」


 ジョシュアが再度尋ねるのを横目に真尋は、少年の傍に膝をついてその顔を覗き込み、目を瞠る。


「ミア! サヴィラ!」


 サヴィラがミアを庇うように抱き締めていた。


「え、この子がそうなの?」


 一路が驚きの声を上げた。

 サヴィラが真尋達に気付いて体を起こそうとしたのを一路が支える。ミアは、呆然としていたが真尋に気付くと、くしゃりと顔を歪めて飛びついて来た。


「し、しんぷさまっ」


 真尋は漸く見つけられたこととミアが生きていたと言う安堵に小さな体を濡れるのも構わずに抱き締めた。ミアの細い体は雨で冷え切った所為か恐怖の所為かガタガタと可哀想な程に震えていた。


「ミア、家にいないから心配した。ずっと探していたんだ……無事で良かった……っ」


「うっ、ふっ、し、神父さまぁ!」


 真尋はボロボロと涙を零して縋りついて来るミアの髪に頬を寄せ、ふとミアの体が異常に熱いことに気が付いた。


「神父……ミアは、熱があるんだ」


 サヴィラの言葉に彼に顔を向ける。青白い顔で一路に寄り掛かったままサヴィラは、こちらを見ていた。サヴィラの紫紺の瞳には、安堵と悲しみが綯い交ぜになったような複雑な感情が宿っていた。


「一路、怪我の手当てを……おい、そこの木偶の坊、隣の雑貨屋で毛布でも借りて来い」


 レイは真尋に命令されることに顔を顰めたが、分かったと、ぶっきらぼうに告げて素直に薬屋の隣の雑貨屋へと入って行った。


「ママのお使いで蝋燭を買いに来たの。そうしたら隣のこの店から騒ぎが聞こえて、その、ちょっと様子を見たら、このおばさんが子供たちを怒鳴っていたから、つい」


「ローサ、正義感が強いのは構わないが、わざわざ自分から騒ぎに首を突っ込むな。怪我でもしたらサンドロがそれこそ大騒ぎだ」


「そ、そうだけど! でも、おばさんったらこの子たちが貧民街の孤児だからって薬を売らないのよ!? お金は私が出すって言ってるのに! その上、そのババアはこの子たちをモップで殴ったのよ!? 信じられない、この糞ババア!」


 ローサが女を指差して眦を吊り上げた。どうやら真尋が思っているよりもずっと彼女は気が強く、優しい女性のようだ。しかも、怒りのボルテージが上がると口汚くなるようだ。おばさんが、ババアになって、最終的に糞までついている。


「うちの薬を誰に売ろうが、うちの勝手だ!」


「ご婦人、それでもご婦人は薬屋なのだろう? 形はどうあれ対価を払うという相手には薬を売ってしかるべきだ」


 エドワードが厳しい眼差しを喚き散らす女に向けた。

 真尋は、喚く女にも頭上で交わされるジョシュアとローサの会話も聞き流しながらミアの様子を見る。手のひらを転んだ拍子にきったのか、切り傷が有った。手を包み込んで治癒魔法を掛ける、手が治るとミアは再び真尋に縋りついて来る。


「それにそのガキは見たことも無い病気に罹ってるんだ、下手にうつされでもしたらことだよ!」


 不意に女の耳障りな声が吐き出した言葉が引っ掛かった。

 一路の手当てを大人しく受けるサヴィラに顔を向ける。毛布を借りられたらしいレイが彼の肩に毛布を掛けて、一路の代わりにサヴィラを支えている。

 真尋は、すっと目を細めた。サヴィラは右腕が痛むのか左手で右腕をじっと抑えている姿に違和感を覚える。それにやはり、幾らなんでも素直に一路の手当てを受けているのが信じられなかった。サヴィラなら、断固拒否するはずだ

 真尋はミアを抱えたまま、サヴィラに近付いていき、その腕を掴んだ。


「サヴィラ、お前、腕を見せろ」

 

 サヴィラが抵抗するよりも早く、真尋は右腕のだぼだぼの袖を捲り上げた。一路とレイが息を呑む音が雨の中にやけに大きく響いた。

 サヴィラの右腕は、真っ黒く染まりパンパンに腫れあがって二倍くらいの太さになっていた。それだけではなく、手首付近の膿が覆う傷口はどす黒く禍々しい黒い霧をぶすぶすと吐き出している。覗き込んだエドワードとジョシュアも目を丸くして息を飲む。彼らの様子からも、こんな傷を見るのは初めてなのだろうことが窺えた。ローサが小さな悲鳴を上げて後ずさる。それほどに酷い傷だった。

 真尋が眉間に皺を寄せて、傷口を指先で辿る。どす黒い靄が指にまとわりつき、砂のように落ちて消えていく。傷口からはその黒い霧が胞子ようにじわりと溢れては消える。


「これは……」


 小さな呟きが真尋の口から漏れた。一路も目の前で起こったその現象に我が目を疑っているようだった。

 医者でも何でもない真尋でも分かる。これは、ただの怪我や病では無い。

 この黒いものは、恐らく貧民街でリックを襲ったものと同じものので、無くなった騎士のハンカチに潜んでいたもの、または、ロークを襲った青年にとりついていたものと同じものに違いない。


「この国にこんな病はあるか?」


 真尋は念のために確認の意味を込めて問いかける。


「いや、俺は見たことも聞いたことも無い。これでも冒険者だったんだ、魔獣にやられたものや、毒やら幻術やらに中てられた奴らや変な病に侵された奴らは嫌になるほど見て来たが、こんな……こんな傷は初めてだ」


 ジョシュアの強張った声にレイが同意を示した。エドワードがジョシュアの言葉に首を縦に振った。彼も同意見のようだ。


「ノア、と……おんなじ……」


 真尋は、か細い呟きにミアに顔を向ける。ミアは怯えた様な目でサヴィラの腕を見つめていた。サヴィラがその視線に気づいて真尋の手から自分の腕を奪い返すと袖を直した。黒く染まって腫れた腕を隠すためにこんなだぼだぼの長袖の服を着ていたのだろう。


「ミア、どういうことだ?」


「ノアがこのあいだ、グリースマウスに噛まれた傷も、あんな風に真っ黒で……だからっ」


「……サヴィラくん、まさか君も?」


 一路の問いにサヴィラはくしゃりと顔を歪めて頷いた。噛み締められた唇が微かに震えている。


「……ミアとノアがうちに来た日に、爺さんの家に行ったんだ、その時……グリースマウスに噛まれた」


 サヴィラが自分の体を抱き締めるように背を丸める。


「あの時、マウスは様子がおかしくて……黒い霧みたいなのを口から出して、目が真っ赤に光ってたんだ。それで、自分の体を傷付けまくって痛みにのたうち回ってた……それで、俺に気付くと急に襲い掛かって来て、ここを噛まれたんだ」


「傷を見せてくれないか」


 真尋が手を伸ばすが、サヴィラは体を強張らせてそれを拒絶した。


「……マウスは、どうなった?」


 レイが尋ねる。


「死んだ、と思う。俺を噛んだ後、急に動かなくなって……でも、この傷は血が止まらなくて、だんだんと黒い痣みたいなのが広がって……傷薬を塗ってもダメで……もう、動かなくなってて……死ぬことは別に構わないけど……でも、俺が死んだらネネ達が困るから、だから……っ」


真尋はミアごとサヴィラを抱き締めた。驚いたサヴィラの体が強張った。


「や、やめろ! 放せよ! おい!」


「気付いてやれなくて、すまなかった。……怖かっただろう?」


悲しい程細いサヴィラを抱き締めて、囁く様に告げた。

サヴィラの真尋を押し返そうとした左手は、真尋の服を力なく握りしめ、サヴィラは声を詰まらせた。


「もう大丈夫だ。俺にお前を助けさせてくれ」


押し殺された嗚咽が鼻を啜る音と共に真尋の耳に届いた。

 得体の知れない傷を抱え、この少年はどれほど心細かっただろう。唯一、頼れる大人であったダビドは、つい先日、死んでしまって、サヴィラは一人でこの不安に耐えていたに違いない。サヴィラの濡れた金の髪に頬を寄せて片手でその頭を撫でた。


「大丈夫、おそらくその痣は俺や一路の力で治してやれる。俺達の屋敷で、ノアも保護した。ネネ達も一緒に居るから、帰ろう」


 サヴィラがこくりと頷いたのを見計らって体を離す。サヴィラは俯いたまま顔を上げようとはしない。多分、泣き顔を見られたくは無いのだ。一路が優しくサヴィラの背を撫でて、その肩を抱いて、大丈夫だよ、と優しく声を掛ける。レイがずり落ちた毛布をサヴィラに掛け直した。

 

「騎士様、あたしらにだって生活ってもんがあるんだ。うちは、もうすぐ大通りへの移転も決まってるんだよ。それもこれもお得意さんを確保するのに尽力したおかげさね、そこでこんな得体の知れない病気を持ったガキのせいで変な噂が立ってお得意さんが離れたら、移転どころかうちは破産しちまう!」


「それでも、こんな小さな子供にするような仕打ちじゃないだろう! モップで殴るなんて!」


 ジョシュアが声を荒げた。子供らとそう年の変わらないジョンやリースの父親である彼には、この女の仕打ちは許せないものに違いない。


「そのガキが、汚い手であたしに何かしようとしたのを叱っただけさ!」


 女は、まるでゴミでも見るかのような目をミアとサヴィラに向ける。真尋はミアの視界を塞ぐようにミアの顔を自分の胸にそっと押し付ける。


「それに、それの弟とやらが死んだところで誰が気にするって言うんだい? あのゴミ溜めのゴミが一つ減っても誰も悲しみやしないよ!」


 その言葉に真尋の中で何かが切れた音が聞こえた。ミアに声を掛けて、サヴィラの腕に託す。顔を上げたサヴィラが、はっと息を飲んだ。真尋はサヴィラの頭をぽんと撫でてゆっくりと立ち上がる。


「ご婦人! それでも血の通った人げ……」


 男性騎士が眉を吊り上げて怒鳴るが、その言葉は勢いを失って消える。女の前に立っていた女性と男性騎士は、後退り道を開けた。エドワードが引きつった顔で後退る。

 

「……随分と傲慢な女だ」


 真尋が静かに紡いだ言葉は、低く辺りに響いた。

 真尋と視線がかち合った瞬間、女の顔が恐怖に染まる。だが、女は愚かにもその口を閉じようとはしなかった。


「あ、あたしは本当のことを言ったまでだよ!」


「こんな、小さな子供を虐げることが、人の道として相応しい振る舞いであると?」


 真尋は無表情のまま小首を傾げた。髪を濡らした雨の雫がその拍子にぽたりと落ちた。


「命を自身の利益で見限る女の売る薬など、恐ろしくて飲めたものでは無いな」


 真尋の零した言葉に野次馬たちがひそひそと隣同士で言葉を交わす。女は、さっと辺りを見回して、眦を吊り上げて歯をむき出しにして真尋に怒鳴り散らす。


「あ、あんた! あれだろ、その格好と変な棒きれ、この町に来たっていう神父だろう!?」


「そうだが? それがどうした」


「はっ、王都じゃ稼げなくなってこっちに来たのかい!? 詐欺師風情があたしに偉そうに説教足れんじゃないよ! 営業妨害だ!! それにそんな孤児に情けをかけて、慈悲深い神父気取りかい!? そんなにお優しい神父様になりたければあの薄暗い貧民街にでも行って好きなだけ神のお情けとやらを掛けてやればいいさ! あそこにいけば、そいつらみたいのが山ほどいるんだからね!! それにたった一時、情をかけてどうするんだい? 一体、何人の孤児が半年後、一年後、生きていると思う? 何人の孤児があの貧民街の中で大人になれると思っているんだい?」


 はっと鼻で笑って女は、ミア達を一瞥した。

 女の言っている言葉は、間違いでは無い。確かにそれは本当のことであるし、正論でもあった。ミアの家の隣に住む老婆にだって真尋は、同じようなことを言われたのだ。


「確かにこの二人に俺が情けをかけたところで、全てが解決するわけでは無いだろう」


 女がその言葉に、ほれみたことか、と下卑た笑みを浮かべた。

 

「それに、そんな汚い金でうちの薬を買おうとするのがそもそもの間違いなんだよ」


「……汚くなんか、無い」


 サヴィラが女の言葉を否定した。

 紫紺の瞳を鋭く尖らせて女を睨み付けている。


「ミアが持ってるこの金は、ミアの母さんが身を粉にして稼いだ金だ!!」


「娼婦が男に股を開いて稼いだ金なんて汚いに決まってるだろう!」


 女は酷く醜い笑みを浮かべた。その言葉にレイが僅かに顔を歪めた。

 

「娼婦だろうが物乞いだろうが生きるために俺達は稼いでるんだ!! ミアの母親だって命を削って、ミアとノアの為にこの金を稼いでいたんだ!! この金は、ミアとノアに向けられたオルガが残した愛なんだ!! それが汚い訳無いだろうがボヴァンみたいにぶくぶく肥ったババァがほざきやがって!!」


 サヴィラが叫んだ。握りしめた拳は怒りに震えている。ミアが怯えた様にサヴィラに抱き着いていた。


「俺からも言っておくが、娼婦を馬鹿にすんじゃねぇぞ」


 レイが唸る様に言った。ジョシュアが見たことも無い位に冷たい眼差しを女に向けていた。

 女は、そこで初めてそこにこの町唯一のAランク冒険者のレイが居ることに気付いたようだった。レイの生い立ちを女も知っているのだろう。女は自分の口を片手で塞いで、気まずそうにそっぽを向いた。


「この店の薬草採取依頼を冒険者ギルドはもう二度と受けない。覚えておけ」


 レイが冷たく言い放った言葉に女の顔が青くなる。サヴィラが驚いたようにレイを見上げた。

 真尋は、更に何かを言い募ろうとしたレイを手で制して女に向き直る。


「ここで俺がこの子らを見捨て、そこの騎士がお前をとりなしただけで終われば……きっと、人はそれが当たり前だと愚かなる勘違いをするんだ。孤児の命が、お前の言葉のように安いものであると勘違いをするんだ。世間知らずの少女が振り絞った勇気を過ぎたお節介だと笑って、自分が助けたところで何も変わりやしないと諦めるんだ。そして、ほんの少し残った後味の悪さもすぐに忘れて生きていくんだ。手を差し伸べれば、救える命がなくとも、救える心があるというのに、それに気づきもしない」


「そ、そんなのは、綺麗事だよ! 誰だって自分が一番可愛いんだ! こんな病持ちの孤児に掛けた情けで死にたくはないのさ!」


 女が噛みつく様に言った。


「綺麗事には違いないし、皆が皆、正しく強く生きられる訳が無い。俺だって我が身が可愛いさ」


 何かを言い募ろうとした女は、しかし、真尋がすっと目を細めると凍り付いたかのように固まった。

 あの時のレイと同じく不自然に真尋の足元で巻き起こる風が彼のローブをふわりと広げる。ジョシュアがローザを背に庇うようにして真尋から距離を取る。

 ちらりと様子を窺った先で一路は子供たちに寄り添ったまま、冷めた目で女を見つめる。


「あの子は、お前に助けを求めたんじゃない。お前の薬を盗みに来た訳でもない。一人の客として、薬を買いに来たんだ。それが間違っているのか? 酷い熱があるミアがここまで来るのがどれだけ大変だったか、お前は一瞬でも考えたのか? お前が軽んじた命がミアにとってどれほどかけがえのない命であるか考えもしなかったんだろう? お前が汚いと言った金に込められた想いや願いに気付こうともしなかったんだろう?」


 静かな問いかけに返事は無かった。


「お前は、お前が馬鹿にした孤児たちが、自分と同じ人間で、思考する頭を持ち、感情を宿す心があることを知らないんだろう」


女は、一路の方に視線を向けてミアとサヴィラを初めて目にしたかのような顔をした。


「恥を知れ!!」


 真尋の怒声が響き渡ると同時に女はその場に膝から崩れ落ちた。

女は、真尋の雰囲気に気圧されて立ち上がることはおろか、声を出すことも顔を上げることも出来ない様だった。男女の騎士とエドワードもまた膝をつかない様に踏ん張っているのが精一杯のようで、女を気に掛ける余裕も無さそうだが、真尋には関係の無いことだった。


「言葉で諭すことも、お節介な少女が出した金で薬を渡すことも出来た筈だ。ほんの少し、情けをかけて店から穏便に去ってもらう方法はいくつでもあった筈だ。その中で、お前は最も愚かな方法を取ったんだ。命を軽んじて、己の利益のためにこんな小さな子供に暴力をふるったんだ。それが、本当に正しいことだとお前は胸を張って言うのか?」


 女はガタガタと震えながらミアを見つめたまま動かない。


「その行為がどれほど野蛮であるかお前には、分からないんだろうな、可哀想に」


 真尋は淡々と告げて、最後に淡く美しく微笑んだ。辛うじて真尋を見上げた女は、その笑みに一瞬見惚れた後、一気にその顔を恐怖に染めた。


「その咎は法の裁きは受けずとも、何れ巡り巡ってその身を滅ぼすことになるだろう」


 薬屋の店のガラスに小さなひびが入った音が聞こえた。

 女は、真尋とミア達を何度も交互に見つめた後、サヴィラの腕の中でミアは真っ直ぐに珊瑚色の澄んだ目で女の淀んだ目を見つめていた。


「……す、すま、すまなかった……っ」


 女が絞り出した様な微かな声が深く下げられた頭の下から聞こえて来た。真尋はそれに何を言うでもなく冷たい眼差しで見下ろしている。

 

「真尋くん、そこまでだよ。サヴィラくんとミアちゃんの教育に悪い」


「……ふむ、それもそうだな」


 一路の言葉に真尋は女への関心を一瞬で捨てて、あっけらかんと頷いた。

真尋が女を一瞥して振り返れば、周りがほっとしたように肩の力を抜いたのが分かった。


「すまない、ミア、怖がらせたな」


 ミアは、ううん、と首を横に振って、真尋に細い腕を伸ばしてくる。真尋は当たり前のようにその腕を受け止めてミアを抱き上げた。


「ミア、俺とおいで。俺が君の力になろう」


「ノアを助けてくれるの……?」


 真尋は、ああ、と頷いた。

ミアは大きな珊瑚色の瞳を涙で潤ませると唇を噛み締めて、こくり、と頷いた。


「すぐに屋敷に戻ろう。サヴィラもいいな?」


 一路に支えられるようにして立ち上がったサヴィラに問えば、サヴィラはこくりと頷いた。真尋はミアを片腕で抱き上げて、サヴィラの頭をぽんぽんと撫でた。

 よし、と呟いて男女の騎士に詰め寄られていたエドワードを振り返る。


「エドワード、その二人を紹介してくれ」


「は、はい! 俺とリックと同じ第二小隊所属で先輩のガストン二級騎士、こちらがジェンヌ三級騎士です! ガス、ジム、こちらが噂のマヒロ神父様だ!」


「初めまして、この馬鹿とリックが世話になっています。ガストンです」


「ジェンヌです。うちの馬鹿とリックがすみません」


 エドワードが「何で俺だけ馬鹿なんだ!」と騒いだが二人は無視して真尋と握手を交わした。


「カロリーナ小隊長の指示で、孤児を探していましたが、発見ということで上に報告してよろしいでしょうか?」


 ガストンが言った。真尋は、ああ、と頷いて返す。


「それよりも……サヴィラ、少しいいか? 腕を見せて欲しい」


 真尋が振り返れば、サヴィラは小さく頷いて、袖を捲った。真っ黒な腕にガストンとジェンヌが目を見開いて顔を見合わせた。


「し、神父殿、これは?」


「すぐに人員を確保して欲しい。貧民街を徹底的に調査して欲しいんだ。これはインサニアの前兆、おそらく一般的に死の痣と呼ばれるもので間違いない」


「待て、クソ神父。騎士は貧民街で自由に動けない。俺が暇な冒険者たちを連れて探った方が効率がいい。それに魔獣や魔物は俺達の管轄だ」


 予想外の所から掛かった声に真尋は、僅かに目を見開いた。


「勘違いすんなよ。お前のためじゃない。貧民街は俺の育った場所でもあるんだ」


 これが昔、一路が言っていた「ツンデレ」というやつだろうかと真尋は少々場違いなことを考えながらも頷いた。


「分かった。頼む」


 レイが、ああ、と返事をする。


「では、予定は変更だ。エドワードは、レイと一緒に行って欲しいが二人は一度、屋敷に。ガストン騎士は今すぐに魔導院に走って、俺の名前を出して院長のアルトゥロを連れて来てくれ。ローサはミアやサヴィラ、ノアたちの着替えや必要な物の調達と用意を頼む。治療費含め必要な金は全部俺が出す。ジェンヌ騎士はすまないが山猫亭に行って、ソニアに事情を話してローサを借りると伝えておいてくれ。その後、カロリーナ小隊長に屋敷に来るように伝えて欲しい」


 真尋は鞄から財布を取り出してローサに渡しながら次から次へと指示を出す。

 サヴィラが子供の人数や年齢を伝えるとローサは「任せといて」と朗らかに笑って胸を叩いた。

 騎士たちは何も反論せずに「はい!」と頷いて返した。


「では、解散!」


 真尋の言葉にローサが駆け出し、親切な辻馬車の御者が、ガストンとジェンヌに馬を貸してくれ、二人も馬に跨り雨の中を駆け抜けていく。

 真尋たちも愛馬の元へ戻り、真尋が先に馬に乗って一路にミアを渡してもらい、ミアをローブの中で包み込む様にして抱く。ジョシュアがサヴィラを膝に乗せて、レイはエドワードの後ろに跨った。一路に、行こうと声を掛けられ、真尋は馬の腹を蹴った。馬の嘶きが通りに響き渡り、次いで四頭の蹄の音が幾重にも重なる様にして響き渡ったのだった





―――――――――――――――


ここまで読んで下さって、ありがとうございました!

いつも感想、お気に入り登録にやる気を頂き、励まされております><


この小説を最初から追いかけて下さっている方々は既視感を覚える話だったと思います。

ミアとノアが漸く保護されました。サヴィラの腕の不安もほどけていくことでしょう。


また次のお話も楽しんで頂ければ、幸いです。

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