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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第一部 本編
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第二十二話 見破った男


「ミア、ノア、大丈夫か?」


 路地裏に入って、ミアの家に急ぐ。

 声を掛ければ、また窓の布が揺れてすぐにミアが顔を出した。


「神父さま!」


「怪我は無いか?」


 真尋の問いにミアは、こくこくと頷いて外に出て来ようとしたが、ノアがくっついて離れないのか四苦八苦している。それに気づいて真尋は再びノアごとミアを抱き上げて外へと出した。ノアを抱き締めるミアを片腕で抱えて、真尋はミアの頬を撫で、ミアに張り付いているノアの様子を見る。二人に変わった様子はないようだ、とほっと胸を撫で下ろす。


「神父さま、何があったの?」


「少し悪い奴が暴れていたんだ。やっつけたからもう大丈夫だ」


 真尋の答えにミアは、安心したように表情を緩めた。


「お兄ちゃん、怪我したの?」


 ミアの珊瑚色の瞳が後ろに立つリックに向けられた。リックが、大丈夫だよ、と笑って首を横に振った。けれど、ミアは心配そうに眉を下げて、リックに手を伸ばした。リックが不思議そうにミアに顔を近づけるとミアの骨ばった小さな手が、リックの頬を撫でた。


「いたいのいたいの、とんでけ!」


 ミアはそう言って手で何かを払う仕草をした。

 リックは、ぱちりと目を瞬かせた後、嬉しそうに笑ってミアの小さな頭を撫ぜた。


「ありがとう、ミア。とてもすごい魔法だ、お蔭でどこも痛くない」


「でしょ? お母さんに教えて貰ったの、いつもノアにもしてあげるのよ」


 ミアが誇らしげに小さな胸を張った。ノアが少しだけ顔を上げて、自分を抱える真尋と覗き込むリックを見上げる。

 翡翠色の丸い瞳が真尋をじっと見つめてくる。真尋は、柔らかな笑みを返せば、ノアが少しだけ笑ってくれた。笑った顔がミアと同じで姉弟なんだな、と改めて実感する。


「ノア、クッキーは美味しかったか?」


 真尋の問いにノアは、こくりと頷いた。

 ノアは、ミアと同じようにガリガリに痩せ細っていて、幾つなのかよく分からなかった。ノアはミアの短く細い腕の中にすっぽりと納まっていて、二人をまとめで抱っこしているというのに悲しいくらいに軽い。


「ミア、ノア、もっとゆっくり話をしたいんだが、もう帰らねばならないんだ。だからまた遊びに来てもいいか?」


「でも、明日からまた私はお仕事に行かなきゃいけないの」


 ミアがしょんぼりと耳を下げる。


「そうか……ならまたミアの次の休みに遊びに来ても良いか?」


 その言葉にミアが嬉しそうに顔を輝かせた。そして、一週間後はまたお休みなの、と教えてくれた。ミアなりにお休みの日を決めているようだ。

 二人を窓枠に腰掛けさせて、順に頭を撫でた。ノアが大人しく撫でられてくれたことに少し感動しながら、真尋はミアから鞄を受け取って肩に掛ける。中から飴玉を取り出して、それぞれ二人の口に入れてやれば、子供らはキラキラした笑顔を浮かべて、小さな手で頬を抑えた。


「おいしい!」


「あまい」


「そうか、良かった。俺の言う通りにして、良い子で隠れていてくれたからな。ご褒美だ」


 真尋はまたミアとノアの小さな頭を撫でた。兎の耳がくすぐったそうにぴょこぴょこする。それに心を和ませつつ、鞄から二人の分のパンを取り出して紙袋をミアに渡した。


「友人の家を訪ねて来たからな、お土産だ。二人で食べると良い」


「でも……」


「なら、また次に来た時にミアが花をくれたら嬉しい」


「うん! 綺麗なお花を用意しておくね」


「ノアも」


 小さな声が参加して来て、真尋は自然と表情を緩める。


「次はパンと何か甘いお菓子をもって来よう。暫く昼間は、町の教会に居る。青の1地区にあるから、何かあったら来ると良い」


 ミアが、うん、と頷いた。


「またね、神父さま、お兄ちゃん」


「ばいばい」


「ああ。またな」


「じゃあね」


 小さな手をひらひらと振って見送ってくれる二人に真尋は後ろ髪を引かれながらも手を振り返し、ミア達の元を後にする。

 真尋もリックも何度も振り返っては幼い姉弟に手を振った。








 通りへと出れば、ダビドの遺体があった箇所に早くも花が幾つか手向けられていた。赤黒い血だまりだけがぽつんと取り残されていた。隣を見れば、リックが何とも言い難い顔をして唇を噛み締めていた。


「あ、神父様」


 誰かの呟きに血だまりの傍で涙を零していた人々が顔を上げた。真尋は、彼らの元に歩み寄る。皆、年齢も性別も種族も様々だが、皆、その頬を涙で濡らしている。

 前に出て来たのは、シグネだった。シグネは、泣き過ぎて赤くなった目を不器用に細めて笑う。


「神父様、さっきはダビド爺さんの為に祈ってくれてありがとう。おかげで爺さんは、あんなに安らかな顔をしていたよ」


「ティーンクトゥス神がダビドの魂を受け入れてくれたからだ。それに皆のその想いや願いが、ダビドに安らかな眠りを与えたんだろう。その人がどれほど必要とされていたか、愛されていたかというものは、死んだときにどれほどの人間が哀しんでくれたかで分かるものだ。ダビドは本当に皆に愛されていたんだな」


 シグネが鼻を啜って頷いた。真尋は、そっと彼女の肩を撫でて慰める。


「ダビド爺さんは、もうずっと長いこと、ここに住んで居たんだ。若い頃にここへ来て、それ以来ずっと……困っている人がいれば、手を差しのべてくれて、いつだって力になってくれた、そういう人だったんだ。いつもにこにこ笑顔でねぇ……ああ、でも」


 シグネが、眉を下げて困惑の表情を浮かべる。


「ここ最近は、何だか様子がおかしかったね」


「様子が?」


 真尋はその先を求めて首を傾げた。


「神父様になら、話してもいいけど……」


 シグネは、真尋の後ろにいるリックを気にしている様だった。そういえば、貧民街の人々は騎士があまり好きでは無いと言っていたのを思い出した。彼らと騎士の間に何があったかは知らないが、シグネもまた騎士というものがあまり好きでは無いのだろう。


「彼は、信頼に足る人物だ。この俺の友人で真面目で実直で誠実な騎士だ。安心すると良い」


 真尋の言葉にシグネは隣にいた男性と顔を見合わせた。周りが「神父様が言うなら大丈夫だよ」と小声で言えば、シグネは意を決したように顔を上げた。


「……何だかよく分からないんだけど、多分、一週間くらい前だったと思う。爺さんは、青の3か2の地区を歩き回って、ゴミを拾い集めて古物屋に持ち込んで収入を得ていたんだ。どうやら、その時に何か、良くないものを見ちまったんだか、聞いちまったかしたみたいなんだよ」


「良く無いもの?」


「ああ。爺さんは、いつも笑顔で穏やかな人だったんだけど、あの日からどうにも落ち着きが無くて、怯えたような顔をしていたんだ。それで、あたしらが何があったのかって聞いたんだけど、爺さんは、何でもないと言うばかりで絶対に何があったかは話してくれなかったんだ」


「ダビドさんは、どこで何を見たんですか?」


 リックが問いかける。シグネは、さあねぇ、と首を捻った。


「爺さんは、場所とか内容は絶対に言わなかったんだよ。でも、一度だけ「……わしも消されるじゃろう。その時に、お前たちを巻き込みたくない」って零したんだ。だから……だからさ、今日のあのへんなローブの奴は、最初から爺さんを狙っていたのかもしれないって思うんだ」


「俺もその場にいて、シグネと一緒に聞いたんだ。爺さんは、確かにそう言っていたよ」


 シグネの隣に居た中年男性が言った。シグネが「あたしの旦那だよ」と紹介してくれた。名をトニ―というそうだ。


「俺達夫婦は、爺さんの家の隣に住んで居るんだが、爺さんは様子がおかしくなってから、家からあんまり出なくなって、町の方へも行かなくなったんだ。だから、今日、久々に家を出て……まさかあんな事件に巻き込まれるなんて」


 鼻を啜ったトニ―の腰にシグネが腕を回し、トニ―がその肩を抱いた。


「……他に、ダビドのことで何か知っていることが有る者はいるか?」


 真尋の問いに人々は顔を見合わせるが、皆、シグネたちと似たり寄ったりのことしか知らないようだった。

 だが、一人、獣人族の若い女性が前に出て来る。彼女の頭には、犬のたれ耳が生えていた。


「私は、爺さんの向かいに住んで居るんだけど、三日か四日位前にサヴィラが爺さんを尋ねて来ていたよ」


「サヴィラというと、孤児たちのリーダーだという有隣族の少年か?」


「そうだよ。サヴィラは、五年くらい前にダビド爺さんがどこからか拾って来たんだ。サヴィラは、ここの孤児たちの中でも少し特殊な生まれでね。親に捨てられた子なんてたくさんいるしサヴィラもその一人っちゃあ一人なんだけど……サヴィラは、どこかの貴族の落胤らしいんだ」


 女性は、気まずそうに言った。シグネとトニ―が、その言葉を肯定するように頷いた。皆、驚いた様子は無いからどこかでその話を聞いてはいたのだろう。


「爺さんは、全てを知っていたようだけど、あたしらはそれくらいしか知らないんだ。それにサヴィラは、拾われて来た時から、大人が大嫌いでね、今も爺さん以外の大人とはほとんど口も利かない徹底ぶりだよ。あの子は、自分と同じ孤児の子供らには優しいんだけどね」


「成程なぁ……それであいつの家を訪ねた俺たちを睨んでいた訳か」


 真尋は、ミアの家に行く途中、道路越しにこちらを睨んでいたというサヴィラのことを思い出して納得する。得体の知れない見知らぬ大人が尋ねてきただけではなく、大人という生物が尋ねて来たからこそ、サヴィラはこちらを警戒していたのだろう。


「もしかしたら、サヴィラは爺さんから何か聞いていたかも知れないけど……そんな訳だから、話を聞くのは難しいと思うぜ」


 トニ―が言った。


「手がかりが一つ増えただけでも、有難い。ダビドを殺した犯人を騎士団は、必ず捕まえてくれるだろう。他の騎士が信じられないというのなら、リックだけにでもいいから、話しをしてやってくれ。彼は絶対に君たちを裏切らない」


 真尋の言葉にリックが前に出て深々と頭を下げた。


「捜査にご協力をよろしくお願いします」


 住人たちは、リックが頭を下げたことが意外だったのか、驚きに目を丸くしてざわめきが広がった。


「まあ、神父様がそう言うなら、あんたにだけは多少、融通を利かせるよ」


「ありがとうございます!」


 リックがばっと顔を上げて嬉しそうに笑った。ありがとうございます、と何度も頭を下げてお礼を言うリックに、住人たちは仕方がないと言わばかりの苦笑を返した。


「ところでサヴィラはダビドの死を知っているのか?」


「どうだろう。まだ姿は見ていないけど……馬鹿なことを考えなきゃいいが」


「サヴィラの様子もそれとなく見ていてやってくれ。もし、何かしでかしそうだったらすぐに知らせて欲しい。俺は、今、赤の2地区に有る山猫亭という宿にいるが、明日から昼間は青の1地区に有る教会かその隣に在る屋敷に居る。そこに家を買ったんだ。だからもし何かあれば、そのどちらかに来てくれ。もう一人、俺と同じ教会の者で一路という男がいる。一路は俺の親友で、まだ見習いではあるが神父だ。事情は話しておくから、俺が留守の時は一路に言付けておいてくれ」


「私は、本部に籍が有るので……ここから一番近い詰所に話を通しておきますから、何かあればそこに」


 シグネたちが、分かったと頷いた。

 真尋は、ありがとうと礼を言ってから、黒くなっている血だまりに向かって一度、手を合わせる。リックが、胸に手を当てて礼をした。

 そして彼らに別れを告げて、真尋とリックはその場を後にする。


「……マヒロさんは、凄いですね」


 一度、後ろを振り返ったリックが前に顔を戻して言った。


「何がだ?」


「私は、ここの見回りをするようになってもう一年が経つのですが、やはり騎士として信頼はされていなかったんです。でも、マヒロさんは、たった一日であんな風に彼らの信頼を得てしまったんですから」


「リック、お前は彼らに言葉を掛けたか?」


 真尋は目だけを隣を歩く青年に向ける。


「些細なことでいい。おはようございます、こんにちは、こんばんは、具合はどうですか? 何か変わったことはありますか? 困ったことはないですか? そういう言葉を掛けたか?」


「……最初の頃は。ただ……無視されてばかりいて、いつの間にかただ見回りをしているだけでした」


 リックがバツが悪そうに言った。


「お前がそうやって諦めてしまっている時点で、伝わるものも伝わらない。お前たち騎士とここの住人の間に何があったかは知らんが、今のままではお前の独りよがりだ。ここに生きる人々は、人生のどん底を知っている。辛いことも哀しいことも苦しいことも嫌という程知っているだろう。そんな彼らにお前の甘っちょろい正義が通じる訳が無いだろう」


「……はい」


 リックが悔しそうに唇を噛み締めて肩を落とした。


「だから、次から見回りをする時に積極的に声を掛けろ。無視をされても諦めるな。何度でも何度でも、挨拶をしろ。声を掛け続けろ。無視されて、蔑みの目を向けられるかもしれない。途方もない時間がかかるかも知れないが、いつか必ず誰かが「おはよう」と返してくれる。「元気だよ」と返してくれる。信頼とは、そうやって築いていくものなんだ。リック、彼らにとってはお綺麗なだけの正義なんてパンの代わりにもなりはしない」


 真尋は手を伸ばして、俯いてしまったリックの頭を撫でた。


「俺が作った切っ掛けを無駄にするなよ。絶対に何が有っても彼らを裏切ることだけはするな。騎士であることを誇りに思うなら、弱い人々の声にこそ耳を傾けろ。その言葉に込められた想いを汲み取れ。お前は言っていたな。市場通りの人々は孤児が食料を盗んでも騎士団に届けないと。盗みは間違いなく悪事だ。だが、人々がそれを赦すのは、そこに同情が有って、孤児が生きようと足掻いていることを知っているからだ。孤児たちだって盗みが悪いことだとは知っているだろう。それでも盗むのは、生きるためだ。ありとあらゆる物事には意味があって、理由が有り、だからこそ形になるんだ」


 リックがゆっくりと顔を上げる。深緑の瞳が真っ直ぐに真尋の目を捉える。


「正義の反対は、悪ではない。そんな単純な話なんかじゃないんだ。お前は、生きるために食べ物を盗んだ孤児を捕まえて、胸を張って大声で正義だと言い切れるか?」


 真尋の問いにリックは、暫し思案した後、首を横に振った。


「では、私はどうすればいいのですか? 正義無しにこの剣を抜くことは出来ません。そもそも悪の反対では無いと言うのなら正義とは一体、何だと言うのですか?」


 リックが縋るように問いかけて来る。


「正義が本当になんであるかを知っている人間なんてこの世には存在しない。正義とは、人によって形を変える。道理を変える。義を変える」


「……ならば、マヒロさんの正義とはなんですか?」


「俺の正義は、俺の愛する人に胸を張っていられるかどうかだ。弟の真智や真咲、両親に祖父母、そして一路に、何より愛する雪乃に」


 リックから離れた手は、無意識にシャツの上からロケットを握りしめていた。

 真尋は、小さく笑って顔を上げる。


「いつかリックにも見つかるはずだ。お前のその真っ直ぐな騎士道に相応しい正義がな」


 ぽんとその背を叩いた。

 リックは、はい、と元気よく頷いて顔を輝かせて笑った。








 貧民街を後にして、真尋はリックと共に青の3地区にある詰所にやって来た。

 詰所は各地区にそれぞれいくつかあって、騎士たちが常駐しているらしい。日本で言う所の交番みたいなものだろう。二十四時間、三交代で騎士たちが常駐しているそうだ。

 詰所は、木組みの二階建ての一軒家だったが軒先に騎士団の旗が掛けられていた。隣が馬小屋になっていて、数頭の馬が飼い葉を食んでいる。

 真尋はリックの後について中に入る。

 入ってすぐにカウンターがあり、騎士が一人座っている。その向こうには机が幾つか並んでいて、書類などが山積みになっていた。事務所代わりになっているのだろう。奥には取調室とプレートの掛けられたドアがあった。事務所の左の壁には鉄格子がはめ込まれた牢屋が有って。中で男が一人鼾を掻いて眠っている。


「あ、リック。カロリーナ小隊長は上でお待ちだ」


 カウンターに居た騎士がリックに言った。リックは分かったよ、と頷いて玄関脇にあった階段を上って行き、真尋もそれに続く。

 二階の廊下にはドアが三つ並んでいた。手前が応接間、真ん中は「シャワールーム」、一番奥が「仮眠室」とそれぞれプレートが掛けられていた。

 リックが、応接間のドアをノックすれば、すぐに返事が帰って来て、失礼します、と声を掛けて中へと入る。

 部屋の中央に簡素なソファセットが置いてあり、カロリーナが書類の束を睨み付けている。部屋の奥の方にはパーテーションが置かれているがここからでは何があるのかは分からなかった。真尋たちに気付いたカロリーナが書類を睨むのを止めて顔を上げた。


「ああ、待ってたぞ。どうぞ、座ってくれ」


 カロリーナがテーブルを挟んで向かいの席を手で示した。真尋は、失礼、とソファに腰を下ろす。


「リック三級騎士、お前も座れ。顔色が悪い。神父殿、構わんか?」


「勿論。リック座れ。治癒魔法は傷は治せても流れた血は戻してやれんからな」


「すみません、ありがとうございます」


 リックは、ぺこぺこと頭を下げると真尋の隣に腰を下ろした。深く息を吐きだす。あれだけの血を流したし、HPも大分減っているから、かなりきついだろう。顔色もまだ悪い。真尋は、ポケットから飴玉を取り出してリックに渡す。


「糖分は、素早くエネルギーに代わる。低血糖になるとぶっ倒れるからな、舐めておけ」


「ありがとうございます」


 リックは素直にそれを受け取って口に入れた。

 カロリーナが、後で治療院に行けよ、と声を掛けてソファに身を沈めた。


「さて、神父殿。詳しい話を聞きたいんだが、どこから聞けばいいか……とりあえず、戦ったというのは本当か?」


「ああ。リックから剣を拝借した。向こうは水と風の属性持ちで間違いないだろうが……あれが本当に生物であったかと問われると俺には分からん」


 カロリーナが細い眉を寄せて真尋の言葉の真意を探るように首を傾げる。


「……俺は間違いなく奴の背後を取って右肩から腰の左側に向かって斜めに切り捨てた。その瞬間、返り血を浴びることを覚悟したんだが、溢れたのは血では無く、真っ黒な靄のような霧のような得体の知れないものだった。それは際限なくあいつの体から溢れて俺を頭から覆いつくそうとしたが、俺に触れるとあっけなく儚く散って消えて行き、剣で切り捨てたらあっけなく霧散した。その霧の向こうで、そいつは何事も無かったかのように俺に向き直るとそのまま逃げ出したんだ」


「待ってくれ、血では無いって……だとしたら、そいつは何者なんだ?」


「それが分からないから、問題だ」


 真尋は、ため息を零しつつ、鞄に手を突っ込み真っ黒になってしまった折り紙の小鳥を取り出した。

 カロリーナとリックが訝しむ様にテーブルの上に置かれた小鳥を覗き込む。


「これは?」


「とある魔道具の試作品だ。ギルドカードの仕組みを利用していて、対になるもう一羽の小鳥が居る。試作品の段階ではあったが、これは追跡を目的とした魔道具だ。紙製だから道順を描いた地図を体内に記録し、もう一羽の小鳥にも同じものが浮かび上がるように出来ている。それであのローブ男の後を追わせたんだが、貧民街を出る頃には、真っ黒になっていた。つまり、対の小鳥が見つかって破られたか、燃やされたかしたのだろうな」


 真尋は真っ黒になってしまった小鳥を開く。

 中身も黒ずんでいて折角の地図は見えなくなっている。これはこれで改善課題だな、と真尋は鞄からノートを取り出して、卓上に有った羽ペンを借りて書き込んでいく。そこでふと、このままだと帰りが遅くなって一路に心配をかけそうだ、ともう一羽の小鳥を取り出す。

 紙の縁には、この小鳥に命を吹き込むための魔術言語による術式の組み込まれた術式紋が書かれていて、真尋は開いているスペースに日本語で一路へのメッセージを書き込んだ。それを再び小鳥の形に戻して、頭の部分に真尋と名前を書いておく。一路がどこにいるかは分からないので、山猫亭に飛ばした方が確実だろう。魔術言語で行き先を紋の中に書き込む。真尋が手のひらの上で魔力を込めれば、それが起動スイッチの代わりになって、小鳥が翼を広げて飛びあがると真尋が差し出した指の上に乗った。

 

「《伝言》「真尋だ。これを一路に頼む」……気を付けて行くんだぞ?」


 真尋は立ち上がり、勝手に窓を開けて小鳥を放つ。小鳥は、真尋の指から飛び立つとひらひらと舞いながら町の向こうへと飛んでいった。きちんと届けばいいが、何分、まだ試作品の段階なので何とも言えない。出来れば往復機能も追々つけたいものだ。

 さて、と真尋は席に戻って、再びカロリーナに向き直るが、カロリーナはぽかんと口を開けて固まっていた。隣からは「マヒロさんだからな、マヒロさんだからな、だってマヒロさんだからな」とリックが念仏のように唱える声が聞こえてくる。


「どうした?」


 とりあえず真尋は、リックの方に声を掛けることにした。リックは、遠くを見つめるのを止めて真尋を振り返る。


「今のは?」


「あれか? あれは、伝言用の小鳥型の魔道具だ。これも今日作ったばかりの試作品で、今が初仕事だ。無事に届くかどうか……できれば、相手の魔力を登録することで、相手がどこに居ても届けられるようにしたいんだが、まだまだそこに至るには時間がかかりそうだ。故に今はまだ地図を応用した形で建物や場所を指定している。一応、建物内に居る人間に話しかけるようには設定してあるんだが、これがうまくいくかはまだ分からんな。まあ中の文章は、俺と一路にしか分からん故郷の言語だから盗み見られても問題はない」


「だって、マヒロさんだから!」


 リックは何の脈絡もなくそう叫ぶように言って両手で顔を覆って項垂れた。


「……神父殿、あー、神父殿は治癒術師でもあり魔導師でもあるのか?」


 カロリーナが問いかけて来る。気の所為でなければ、彼女の頬が引き攣っている。


「俺は神父だが? 魔道具の研究と魔術学は趣味だな」


「……趣味? これが?」


「ああ。久々にこんなにも難解で複雑なものに巡り合えた。部屋に帰って今日、友人に借りた本を読むのが楽しみな程だ」


 真尋は、鞄をぽんと叩いた。この中、正確にはアイテムボックスの中だが、そこにクロードに借りた本が入っている。王都で発行された最新の魔術学に関する本だ。


「本当は、これを読んで、さっきの小鳥たちを改良するつもりだったんだ。それから試すつもりだったんだが、こうも想定外のことが起こってしまっては仕方が無い。友人の魔力を登録する方法について検討しているんだが、これがなかなかどうして複雑でな。やはり、魔力は個人差があるし、宿の鍵のように石を使ってしまうと重量がな。やはり術式の中に組み込む回路を」


「マヒロさん、事件の! 事件の話をしましょう!!」


 リックに勢いよく話を遮られた。やけに必死な様子で真尋を見つめるリックに首を傾げる。


「これからが面白い所なんだぞ? なあ、気になるだろう?」


カロリーナを見れば、何故か遠い目をして窓の外を見つめている。


「……私の手には負えんなあ」


「小隊長! 戻ってきてください! 私の手にだって負えません!」


 リックが身を乗り出す様にして上司に訴える。カロリーナは、窓の向こうの遠い空を見つめたままだ。

 だが、不意にバタバタと足音が聞こえてくると彼女のライオンの耳がぴくりと反応した。そして、バタン!と勢いよくノックものなしにドアが開け離れた。


「リック! 無事か!?」


 肩で息をするエドワードが飛び込んできた。

 スカイブルーの瞳が一瞬彷徨って、リックを見つけるとその顔に安堵が滲む。


「馬鹿者!! ノックをしろといつもいつも言っているだろうが!! 貴様はそういう所がまだまだ甘いのだ!!」


 カロリーナのお怒りが飛んで、エドワードは慌ててその場で胸に握った拳を当てて敬礼する。リックが、はぁとため息を零して苦笑し、真尋はやれやれと肩を竦めた。








 拳骨を落とされたエドワードは、カロリーナの背後に立ってバツの悪そうな顔をしている。

 真尋は、先ほど下に居た騎士が持ってきてくれた紅茶を飲みながら、貧民街の住人たちから聞いたダビドの様子を伝えた。リックが時折、真尋の話に説明を加える。


「成程……ダビドは口封じのために殺された可能性があるということだな」


 カロリーナが腕を組んだままソファに身を沈めた。


「それでそのサヴィラという少年が何かを知っている可能性が高い、と……なかなか厄介だ。私もサヴィラという名は聞いたことがある」


「もし、そちらが良いと言うのなら、俺がその少年に話を聞いてみようと思っているんだが、構わんか? とはいえ長期戦にはなるだろうが」


 カロリーナは暫し思案した後、真尋に顔を向けて頷いた。


「神父殿が良ければ、頼みたい。我々騎士団はあそこの住人にはあまり好まれんからな。神父殿の方が早く打ち解けられるかも知れんしな」


 真尋は、分かった、と頷いて出しっぱなしだったノートを鞄に戻して羽ペンをインク壺に戻す。

 カロリーナが、そういえば、と後ろに立っているエドワードを振り返る。


「お前は今日、クルィークに行って何か収穫はあったのか?」


「出来れば、マヒロさんにも聞いて頂きたいのです。既にイチロは巻き込んでしまったので」


 エドワードの言葉に真尋はカップを口に運ぶ手を止めて彼に視線を向けた。エドワードがそろりと逃げるように視線を泳がせた。


「イチロ? 誰だ?」


「俺の親友であり、見習いではあるが俺と同じ神父だ」


 カロリーナの疑問に答えて、真尋はカップを左手に持っていたソーサーに戻す。


「一路に怪我は?」


「ありません! 無傷です! 全く問題ありません!」


 低くなった真尋の声にエドワードが慌てて首を横に振った。リックが呆れたようにため息を零したのが隣から聞こえて来た。


「なら何があった? 俺の親友を巻き込んだからには御大層な理由があるんだろう? 包み隠さず話せ」


「は、はいっ!」


 顔を青くしたエドワードが口を開いた。

 そして、エドワードはクルィークで行われたオークションで取引禁止魔物が出品されたこと、それに意義を唱えた妖精族の青年が死にかけたこと、一路がそれを助け、偶然一緒に居たティナが一役買ったこと、カマルが手を貸してくれたことなどを順を追って説明する。


「妖精族の男性は、クルィークお抱えの狩人の男の一人に何かしらの方法で魔力を奪われたんだと思います。イチロが治療してくれて今は、念のため、治療院に入院しております。既に家族は第一小隊の方で保護し、騎士団に。イチロは、ティナの護衛を買って出てくれたので、既に宿に戻っている頃だと思います。一週間ほど前、クルィークの狩人たちの動向を探っていた仲間が死亡しているので、彼らには当分、護衛を付けた方が良い、或は、保護すべきという判断をしました」


 カロリーナが額に手を当てて長々と息を吐きだした。


「穏便にやれと言っただろうが」


「……すみません」


 優秀には優秀なんだろうがまだ詰めが甘いのだろうな、と真尋は紅茶のカップをテーブルの上に戻しながら思った。


「俺も一路も自分の身くらいは自分で守れる。それに一路も多少天然で鈍い所はあるが阿呆ではない。あいつが決めたことなら何も言わんし、ティナのことなら俺も手を貸そう」


「ありがとうございますっ!」


 エドワードが勢いよく頭を下げた。


「騎士団は神父殿に借りばかり出来るな」


 カロリーナがそう言って、苦笑を零した。そして、すっかり冷めてしまった紅茶のカップを手に取って口を付ける。


「ところで、その妖精族の男性は大丈夫なのか? 一路の腕は確かだが、俺達は専門では無いからな」


「大丈夫です。男性は、不思議なことに魔力の殆どを失って居て、彼から落ちる葉も色を失ってしまっていたんです。イチロは、ステータスを確認した後、治癒魔法で男性の魔力を」


「待て、お前、今何と言った?」


 エドワードの言葉を遮って真尋は問う。

 リックもカロリーナも、驚きに目を見開いてエドワードを見つめる。三人の視線を受け止めたエドワードが訝しむ様に首を傾げた。ボルドーの髪がさらりと揺れる。


「イチロが治癒魔法で」


「その前だ」


「魔力の殆どを失っていたんです」


「……今日、俺も同じ目に遭ったんだ。それでマヒロさんが肩の傷も含めて治療をしてくれたんだ」


 リックの言葉にエドワードが息を飲んだ。

 真尋は、足を組み替えてソファの背もたれに寄り掛かる。


「その、狩人の男とは、どんな男だった?」


 片手を顎に当てて、思考を巡らす。


「マヒロさんほどではないけど、綺麗な顔をしていました。背も高く、細身で長い黒い髪に黒の瞳の青年です。ただ、イチロも言って居ましたが、不思議なというか、不可解な男で気配というものがまるでないんです」


「マヒロさん」


 リックが真尋の腕を掴んだ。その顔に浮かぶ焦燥に真尋は、ああ、と頷き、その手を宥めるようにぽんぽんと叩いた。


「これは俺の推測だが、ダビドが見てしまったのは、或は、聞いてしまったのは……その、死んだ騎士に関係のあることかも知れんな」


 真尋の言葉に緊張が走る。

 カロリーナが眉間に皺を刻み込み、成程、と呟いた。


「魔力を奪うと言う魔法は、聞いたことが無い。故にそうそう誰でも彼でも使えるものでは無いだろう。尤も、俺はそこまで魔法には詳しくないので専門家の意見を聞く必要があるが、クルィークの一件を鑑みればリックを襲った奴は、クルィークの手の者だと考えるのが自然だ。あれが人なのか否かはこの際置いておくとして……ダビドの様子がおかしくなったのは、一週間ほど前だと住人たちは言っていた。その時、ダビドは「わしも消される」と口にしたそうだ」


「わし、も、という所が引っ掛かるな……も、ということは、既に何かが消された痕、それが私の部下だと言うのだろうか?」


 カロリーナの言葉を肯定するように真尋は頷く。

 そういえば、とリックがはっとしたように顔を上げた。


「ダビドさんは、普段、青の2、3地区でゴミを拾って古物屋に持ち込んでいると……マイクが消息を絶ったのは、青の3地区にあるクルィークの倉庫付近です」


 突然、カロリーナが立ち上がり部屋の奥に置かれているパーテーションの向こうに消えた。何かを探るガサゴソという音が聞こえてくる。真尋は、そちらに目線を向ける。

 あの向こうに居るのは、誰、だろうかと唇に薄い笑みを浮かべる。

部屋に入った当初は分からなかった。だが、先ほど、死んだ騎士に関係があると言ったその瞬間、僅かに気配が解放されたのだ。今はもうそこには何もないように感じるが、恐らくはまだ居るだろう。しかし、カロリーナがそこに居ることを許可していると言うことは、騎士団の仲間なのだろう。


「これだ」


 カロリーナが持って来た紙の冊子から一枚の紙を取り出してテーブルの上に置く。

 そこには、似顔絵が描かれていた。端正な顔立ちの若い男の絵だった。


「こいつが、狩人たちの中で一番の手練れだと思われる男だ。名前は、一度だけエイブが、ザラームと呼ぶのを聞いた者がいる」


 真尋は、似顔絵を手に取りその顔をじっと見つめる。

 真っ黒な闇色の目が無感情に真尋を見つめてくる。


「ザラームとは何者だ?」


「分からない。そもそも、こいつを連れて来たエイブ自体が得体の知れない男だ。そして、ザラームはそれ以上に得体が知れない男だ、亡くなったマイクの報告書によれば、ザラームは一番の手練れではあるが、狩人たちのリーダーでは無いらしい。リーダーは、こっちの男だ。元々は隣国で傭兵をやっていた男で名をクレルという」


 もう一枚、テーブルの上に出された男は、猪の獣人族だった。猪首とはよく言ったものだ、と感心してしまう。鋭い目つきに下顎が少し出ていて猪らしい牙が飛び出している。頭には猪の耳が生えていた。


「獣人族でかなりの剛腕だ。こいつが狩人たちを纏めている。狩人たちは、エイブが集めたらしいが、ザラームは途中からというやつも居れば、エイブが最初から連れて来たという奴もいる。他のやつらの顔も見るか? 神父殿は会ったことがないだろう?」


 頼む、と真尋が頷けばカロリーナは、次々に似顔絵をテーブルの上に並べて行く。狸に似た男が、クルィークの店主のマノリス。狐に似た男がエイブ。他に人相の悪い狩人たちの似顔絵がテーブルの上に広げられた。


「マノリスは、どこでエイブという男と出会ったんだ」


「クルィークの店員の話だと、どこかの娼館で出逢ったらしい。マノリスは、一人息子が出て行った時に、妻にも逃げられて独り身でな。かといって落ち込む様な男でもない上に元々女癖が悪く、紫地区にある高級娼館に度々出入りしている。紫地区に二人ほど愛人を囲っている。騎士団の無駄に顔の良い連中を使って落としてある」


 カロリーナが誇らしげに言った。

 真尋は、良い考えだなと返してエイブの似顔絵を手に取る。狐のように細く吊り上がった目をした男だった。


「……このエイブという男がきな臭いな。クルィークが勢いを増したのは、この男が来てからなのだろう?」


「ああ。こう言っては何だが、マノリスは同じ魔物屋のロークのカマルさんに比べると、はっきり言って馬鹿だ。息子と奥方がいたからあの店は潰れずに済んでいた。二人が出て行ったあと、店は一度、窮地に陥ったんだ。それを救ったのがエイブだ。故にマノリスはエイブに依存しきり、エイブの言いなりになっている。表向きはあの店の店主はマノリスだが、実権を握っているのはエイブと言って良いだろう」


「……手口があまりに鮮やかだな」


 真尋は、ぽつりと呟いて紅茶に口をつける。


「エイブは、うまい具合にマノリスに寄生した訳だ。まるで宿木だな」


 真尋は、再び鞄からノートを取り出して、羽ペンを手に取る。


「今からここに書いたことを基に、これまで起こった店の乗っ取りや倒産や組織の崩壊などの事件を探れ」


 真尋は、エイブの手口を箇条書きにして、その特徴を書いていく。


「もしかしたら変装している可能性もある。人相や性別ではなく、事件の手口が似たようなモノを探るんだ。人は同じことをしないようにいくら気を付けても、必ず共通する点が生まれるんだ。この箇条書きにした部分を重点に置いて調べれば、必ず類似した事件が見つかるはずだ」


 頁を破り取って、カロリーナに渡した。カロリーナは、分かった、と頷いて、エドワードを振り返る。


「出来るか?」


「はい。俺とリックがこの事件の責任者ですから」


「俺も大丈夫です」


 エドワードとリックが頷けば、カロリーナはそのメモをエドワードに手渡した。エドワードはそれを手帳に挟んで大切そうにしまう。


「但し、深入りはするなよ。マイクの件もあるし、現にダビドという老人が口封じに殺されている可能性が高いんだ。危ないと思ったら必ず引け」


 カロリーナの言葉に二人が、はい、と頷く。

 真尋は、鞄の中に手を入れてアイテムボックスから無属性の魔石を取り出す。ランクBだがクロードに見せた所、こんな上質なものは滅多に手に入らないと泣いて喜ばれたと言う逸品だ。大きさは五百円玉ほどで楕円形の透明な水晶のような石だ。それを四つ取り出して手のひらに乗せる。

 無属性とは、ただの魔力の塊を意味しているのであって、無という属性が有る訳では無い。この魔力は、アーテル王国の大地そのものの魔力と言われているが、詳しいことはまだ分かっていない。無属性の魔石は、中に込める魔力の属性によって、火にも水にもなる便利な魔石だ。もっとも属性魔石に比べるとその魔力は、長持ちはしないというデメリットもあるし、込めるのが人間である以上自然が生み出すものよりは威力に劣る。

 真尋は、その四つの石を握りしめて、それぞれに真尋の光属性の魔力を込めた。手を開けば、石の中央に輝く金の光が宿っている。


「リック、エドワード。手を出せ」


 首を傾げたリックが素直に手を出し、エドワードもこちらにやって来て手を出した。一つずつそれを手のひらに乗せた。二人がぱちりと目を瞬かせる。カロリーナにも手を出す様に促して、彼女の手には石を二つ乗せる。


「俺の光属性の魔力を込めてある。向こうが使うそれが魔力を吸うのか、奪うのか、どういう原理かは正直な所俺にも分からんが、持っていて損はないだろう。握りしめれば、魔力が補充される。但し、容量的にすっからかんの状態だと一回分だな」


「は?」


 真尋は、さて、と立ち上がる。鞄を肩に掛け直してさっと身なりを整える。随分と長いこと話し込んでしまった。窓の外が暗くなっている。


「俺は帰るぞ。帰って本が読みたいし、あんまり遅くなると一路が心配するからな」


「ちょちょちょっ、まっ、これ! え!? 待ってください、今、マヒロさん、四人分くれましたよね!? 四回分ですよ!?」


 リックに腕を掴まれ引き留められる。


「俺だって騎士ですから、一般人に比べれば魔力量はかなり多い方なんですよ? マヒロさんの魔力は大丈夫ですか?」


「全く問題ないな。先ほど、お前に魔力を与えた時に、ステータスを開いたろう? 俺の魔力が1減れば、お前の魔力が10増えた。つまり、俺の魔力を10与えれば、お前は100回復する。100与えれば1000、お前の魔力の基礎値は、3800弱だ。つまり俺の魔力を380譲ればそれで満杯だ。その石の中には、500の魔力が入っている。む、そうすると二回分弱はあるな。上手く使えよ」


 真尋は、固まる二人の頭をぽんと撫でて、カロリーナに向き直る。カロリーナは、カロリーナでぽかんと口を開けたまま、呆然としている。


「そう言う訳だ。魔石は何度も使える代物らしいからな、中身が無くなったら見せに来て欲しい。そのデータも欲しいんだ。それと、」


 真尋は、パーテーションの方に視線をやって、小さく笑う。


「石はあくまで一人一個だ」


 カロリーナの開いた口は塞がりそうになく、エドワードとリックの頭の上には大量の疑問符が浮かび上がる。

 真尋は、くくっと喉を鳴らして笑うと「またな」と手を振って部屋を後にする。

 階段を下りれば、先ほどと同じように騎士がカウンターの向こうに座っていて、鼾を掻いて眠っていた男は、夕食を食べていた。


「あ、お帰りです、かぁ!?」


 急に上が賑やかになって、青年が目を白黒させる。真尋は、ははっと声を上げて笑い背年に向かって軽く手を振る。

 おそらくパーテーションの向こうにいた人物に二人が驚きの悲鳴を上げたに違いない。


「リックとエドワードもまだまだだな。では、失礼」


「は、はい! お気をつけて!」


 青年に見送られて真尋は、詰所を後にする。

 真っ暗な通りは、街灯の灯りが頼りなく照らしているだけで、あまり人影もない。これならばいいだろう、と真尋は黒いローブを取り出して羽織って、思いっきり地面を蹴り上げた。ふわりと浮かんだ体は、屋根の上に降り立つ。

 ぴょんぴょんと屋根の上を駆け抜けながら、真尋は宿へと帰るのだった。









「ウィ、ウィルフレッド団長!?」


「な、なっ、い、いつからここに!?」


パーテーションの向こうへと顔を出せばリックとエドワードの声が狭い応接間に響き渡る。

 カロリーナが「うるさい!」と一喝すれば、口は閉じたが深緑とスカイブルーの目はまだ動揺から回復していないことを如実に伝えて来る。

 ウィルフレッド・アルゲンテウスはクラージュ騎士団の団長でありアルゲンテウス辺境伯の実の弟という肩書を持っている。書類仕事が嫌で見回りがてら、青の2地区の市場通りをぶらぶらしていたところ、貧民街で騒ぎが起こったと聞き、この詰所にやって来たのだ。カロリーナからここに話題の神父が尋ねて来ると聞いて、こうして隠れていたのだ。

 ウィルフレッドは、カロリーナの元に行き、彼女の手から石を摘み上げる。


「物凄い密度の魔力だな」


 手のひらの上に転がした石からは凄まじい力を感じる。しかし、それは不思議と恐怖を感じさせず、寧ろ、ぬくもりに包まれて行くようで心地よいとすら感じる。


「あの神父は、何者だ?」


 リックの隣に腰を下ろせば、リックが慌てて立ち上がろうとする。するといきなり動いたせいで、眩暈を起したのか、ぐらりとその体が揺れた。ウィルフレッドは、その腕を掴んでソファに座らせる。


「阿呆、座っていろ。顔色が悪い」


「す、すみません」


 額を抑えて、リックが長く細く息を吐きだす。エドワードが、大丈夫かと労わるようにその背を擦る。

 暫くして落ち着いたのか、リックが顔を上げて背筋を正す。再び謝罪を口にする彼に真面目だな、と笑って、ウィルフレッドはその石ころを手のひらの上で転がす。


「それで、あの神父は何者だ?」


「とても遠い地からティーンクトゥス教を広めるためにやって来たことくらいしか、過去の事はさっぱり」


 エドワードが先に答える。


「二人の身元保証人は、ジョシュアさんです。ただ、ジョシュアさんが認める程の剣の腕を持っているのは確かで、イチロさん、こちらは見習いの方ですが、それでも弓の腕前はあのジルコンさんが作った弓を扱えるほどだと聞きました」


「……爺さんの弓をなぁ」


 ウィルフレッドは、顎を撫でながら呟く。

 ウィルフレットが愛用している剣も、名工と名高いジルコン作のものだ。これだって売ってもらうのにかなりの鍛錬を積んだ。鞘から剣が抜けた日には、祝杯をあげたほどだ。騎士たちにとって、いや、冒険者にとってもジルコンの武器を扱えるようになることは、憧れであり、目標だ。


「……ただ」


 リックが躊躇いがちに口を開く。

 ウィルフレッドは目だけで、その先を促す。


「私も魔力の殆どを奪われて意識が朦朧としていたので、自信は余り無いのですが……」


「はっきりしろ。男だろう」


 カロリーナがしびれを切らして眉を寄せる。

 リックは、それでもやはり自信が無いようで、歯切れ悪く言葉を紡ぐ。


「ギルドで登録した際のマヒロさんの属性は、風と光です。ですが、私が見た限りでは、相手の氷と風の刃を防ぐ際に……火と水で応戦していたように見えたと言うか、その、本当に自分の見たものに自信は無いんですが。それにそのことを差しい引いても、剣術はかなりの腕前だと思われます。剣戟はかなり激しいものでしたが、マヒロさんが圧倒的優位に立っていました。向こうは剣での反撃が殆ど不可能だったようです」


 だんだんと尻すぼみになっていく言葉にウィルフレッドは、嘘だろ、と呟いた。


「私も本当に意識が朦朧としていて、あれが現実だったのか夢だったのか区別がつかないのです。それにマヒロさんがあいつに止めを刺したところは残念ながら見ていなくてですね」


 取り繕うリックを横目にウィルフレッドは、手の上の石に視線を落とす。

 輝く金色は、まるで陽の光の眩く美しい。


「風、水、火、光の属性を持っているとすれば、四属性持ちになる訳だ。加えて、ぱぱっと片手間にこんなものを四つも作れちまうということは、魔力の基礎値が最低でも2000以上はある、いや、違うな。2000注いだ上で魔力不足による症状が見られないということは、最低値は更に上になる訳だ。そして、あの神父は貧民街で戦う際に魔法を使用し、更にはお前の怪我を治している」


 ウィルフレッドは、リックに傷を見せるように言う。リックが体を捻ってシャツが切られたそこを見せた。綺麗さっぱり、傷痕一つない。


「これだけの高度な治癒魔法であれば、かなりの魔力を消費するはず、軽く見積もって5000以上の基礎値はあるだろうな」


「ま、待ってください、5000なんていえば団長レベルじゃないですか」


 エドワードが言った。


「団長レベルということは、王宮魔導士に匹敵する魔力ということになりますね」


 カロリーナが呟く。

 ウィルフレッドは、その通りだと頷く。


「つまりは、だ。あの神父殿は、四つの属性を持ち、上級魔導士レベルの魔力とかなりの剣の腕を誇る。その上、俺が隠蔽スキルを使って隠れているのを見抜くだけの実力も兼ね備え、魔術学をあれだけ使いこなすほどの頭もある訳だ。だが、あの男の本当に恐ろしい所は、そんな目に見えるものじゃない」


 ウィルフレッドの言葉に三人は、訳が分からないと言った様子で顔を見合わせた。


「お前らもカロリーナも、あいつに命令されることになんの違和感も抱いていなかったろ」


「……あ」


 カロリーナが間抜けな声を漏らした。


「正直な所、俺は隠れていたから何とも言えんが、お前らは皆、あいつを自分より上に見ているんだ。それも無意識の内にな」


 それぞれ思い当たる節が有るのか、気まずそうな顔をしている。

 あの神父自身も、人を使うことに随分と慣れているようにウィルフレッドには思えた。あれは元から人の上に立つだけの器を兼ね備えているのか、そういう風に教育されているのかも知れない。


「そして、何より、リックの話ではあいつは貧民街の住人を手懐けたらしいな」


「は、はい。帰る時には、神父様、神父様と呼ばれていまして、騎士は駄目だけど、神父様になら話すとダビドさんのことも教えてくれたんです。そういえばあそこでもマヒロさんは彼らに指示を与えていましたが、誰一人としてそれに異議を唱える者はいませんでした」


「それがあの神父の一番、恐ろしい所だ。無意識下で人を従わせるだけの何かがあの神父にはあるんだろう。ジョシュアやサンドロといった名を残す冒険者が呆気無く心を許しているのも、あいつらの拗れた事情を話しているのも納得がいく」


「マヒロさんの言葉には、力があるんです」


 リックが神妙な面持ちで言った。


「何と言えば伝わるのか分からないんですが、マヒロさんの言葉は、ここに響くんです。でもそれは当て付ける様なものでも、押し付けられる様な強引なものでもなくて、与えられる言葉がただここに、心の一番奥に響くんです」


 自分の胸に手を当ててリックは告げる。


「私の迷いや愚かさを、マヒロさんは、叱り、諭して、導いてくれました。助けてくれたわけではないんです。そんな大層なものじゃなくて、ただ手を差し伸べてくれたような、そっと背を押してくれるような、そういう優しさをマヒロさんは持っているんだと思います」


 ウィルフレッドは、心の内でため息を零した。

 リックは完全にあの神父に落ちている。真っ直ぐにこちらを見つめる深緑の瞳には、あの神父への揺るぎない信頼が見て取れるのだ。

 リックも、そしてエドワードもまだ十九歳と若いが、その実力は折り紙付きだ。十九歳という若さで二級騎士への昇級試験を受けられるものは、そうそう居ないのだ。人格においても、剣技においてもかなりの実力がある証拠である。その上、リックは思慮深く真面目で誠実な、誰より騎士らしい男だ。それがこうも呆気なく、マヒロという十八歳の青年を尊敬しているのは、些か、恐ろしくも思えた。

 

「俺も正直、あいつが悪い奴だとは思わん」


 この言葉に嘘偽りは無い。手の上の魔力は、どこまでも穏やかで優しいのだ。


「だが、脅威であることは間違いない。あれが味方である内は良いが敵に回れば厄介だ。そうだろう?」


 ウィルフレッドの言葉にリックとエドワードは、気まずそうに頷いた。


「これを与えてくれている時点で、今の所は敵では無いのだろう」


 手のひらの石を指先で摘み上げる。


「だから、あの男の動きに細心の注意を払うんだ。正直、あれが王家やどこぞの馬鹿貴族の手の者になれば、未知の脅威になる。幸い、あの男はこの町に住むことにしているようだし、これといって王都の教会の奴らのように詐欺を働こうとしている訳では無い。だから、今はまだこの町に縛り付けて、味方として引き入れろ」


「……敵と成ったら?」


 カロリーナが問うてくる。

 ウィルフレッドは、群青色の瞳を柔く細めて嗤う。


「この剣の誓いの元に、斬る」


 ウィルフレッドの宣言にカロリーナとエドワードは神妙に頷いたが、リックは頷かなかった。非難するような色を宿した双眸が呆然とウィルフレッドを見つめている。

 おそらく、リックはもうあの神父を斬ることは出来ないだろう。それは実力の問題では無く、心の問題だ。

 その様にやはり恐ろしい男だ、とウィルフレッドは手の中の石を強く握りしめた。じわりと温かな魔力が手のひらに溶け込んでいくのを感じて、それから逃げるように石を上着のポケットにしまい込んだ。






――――――――――


ここまで読んで下さって、ありがとうございました!

いつも感想、お気に入り登録、励みになっております><。


真尋は、一路以上に人たらしですが、一路と違うのはそれを自分自身できちんと理解しているところです。


次のお話もまた楽しんで頂ければ幸いです♪



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― 新着の感想 ―
[良い点] だってマヒロだから 心を守るおまじない(※効果には個人差と限度があります) マヒロさんからすればメールと電話の替わりにしたいのだから「まだまだ」なんでしょうね 多分クロードさんもそこまで変…
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