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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第一部 本編
25/158

第二十話 巻き込まれた男 ※一路視点



 一行が案内されたのは、この間とは違う部屋だった。

 広々とした部屋は、雑然としていた。左手の壁際には大きな水槽があり、色鮮やかな魚たちが優雅に泳いでいる。右手には暖炉が有って、ソファセットが置かれていた。その奥にドアがあった。ここはカマルの私室だというから、あのドアの向こうは寝室か何かなのだろう。入って真正面の壁際にずらりと並ぶ本棚には、ぎっしりと本が詰め込まれているが全て魔物や魔獣に関するものばかりで、水槽の両脇に置かれた棚には剥製や何かのホルマリン漬けのようなモノまで飾られていた。暖炉側の壁には様々な絵画が掛けられているが風景画や人物画では無く、図鑑のように精密な魔物や魔獣の絵だった。家具のセンスは良いが、いかんせん個性の強い部屋だった。

 さあどうぞ、と促されて一路は部屋の中央に用意されていた二人掛けのソファにティナを降ろした。ロビンが心配そうにティナの顔を覗き込んだ。


「ティナちゃん、ちょっとごめんね」


 一声かけてから、一路は彼女の傍を離れてエドワードの元へと向かう。エドワードは、用意されたカウチに男性を降ろした。男性はぐったりと横たわり、青白い顔をしている。息遣いも荒く、何だかこのまま死んでしまうと言われても納得してしまう。

 だが意識はあるようで、青い髪の隙間から覗く紺色の瞳が一路を捉える。


「ステータスを開けますか?」


 一路が声を掛ければ、男性はこくりと頷いて囁くように呪文を唱えた。

 半透明のそれを手に取り、その数値を見て一路は眉を寄せる。

 男性は、マルプという名の妖精族で年齢は三十二歳。職業は花屋と書かれていた。ステータス全体は数値やスキルの数なども含めて平均的なもので別段、何かが突出しているわけではない。

 だが、二点だけおかしな箇所があった。


「MPが8しかない」


「HPも三分の一以下になってる。……お前、どこか怪我でもしているのか?」


 エドワードが男性の体に視線を向けたが、男性はふるふると首を横に振った。色を失った白い葉がひらひらと床に落ちて消える。


「イチロさん、私達妖精族は、魔力が枯渇すると花びらや葉は色を失うんです」


 いつの間にか隣にやって来たティナが心配そうに言った。ロビンが彼女の隣にぴたりとくっついている。

 一路はとりあえずこの魔力の枯渇を改善しようとその胸に手を当てて呪文を唱える。自身の魔力を分け与える光魔法の一つだ。

 一路は彼のステータスを見ながら慎重に魔力を注いでいく。注ぎすれば逆に毒になるのだ。マルプは、うっと小さく呻いたが、呼吸は徐々に落ち着きを取り戻して頬にも赤みがさす。MPが満杯になる寸前で一路は手を離した。これだけ戻せばあとは自然に戻るだろう。


「これを飲め。回復薬だ」


 エドワードが腰のポーチから小さな瓶を取り出した。マルプが礼を言ってそれを飲んだ。ゆっくりとHPも正常値へと戻って行く。


「カマル、どこか部屋を借りたい。少し、彼を休ませてやって欲しいんだが……」


「客間をご用意しましょう」


 カマルが頷いてメイドに言づける。メイドたちが頷いて部屋を出て行った。一人が、こちらです、とエドワードに声を掛ければエドワードはマルプを風の力で浮かせて、メイドの後について行く。


「イチロ神父様、お嬢さん、どうぞ座って下さい」


 カマルに言われて一路はティナと共に暖炉の前のソファに並んで座った。カマルは、一人掛けの安楽椅子に腰かけて、肘掛けにリーフィが降り立った。エドワードもすぐに戻って来て、一人掛けのソファに座る。


「マルプさんはどうです?」


「気を失うように眠った。大分、疲弊しているみたいだ」


 すぐにメイドが飲み物を用意してくれた。一路とエドワードは冷たいものが良いと言ったので、レモンミント水、ティナにはオレンジが香る紅茶が用意された。メイドは、気を利かせてロビンにもポヴァンのミルクを用意してくれた。ロビンは嬉しそうにミルクを飲んで、メイドたちがきゃいきゃい言いながら、ロビンを撫でている。


「いやはや、それにしてもそちらのお嬢様の演技は見事でした」


 カマルが、パンパンと拍手をすればティナは恥ずかしそうに頬を染めた。


「いえあの、イザベラ様の真似をしただけで」


「イザベラ様?」


 一路が首を傾げるとティナは、はい、と頷いて持っていた鞄から一冊の本を取り出した。綺麗な絵の描かれた表紙には「イザベラお嬢様と仕立て屋の謎」と大きく印字され、その下に「~貴族令嬢探偵シリーズ5~」と書かれていた。表紙を捲れば、登場人物の大まかな紹介があり、イザベラは公爵家のご令嬢、エルリックはその護衛騎士、イルはお嬢様のお付きだった。他に侍女のアンや執事のロータスなどが居る。


「成程、うちの娘たちも熱心に読んでおりますよ。私は生憎と興味はありませんが、近頃では妻やメイドたちまで面白そうに読んでおります」


 どうやら町で流行している小説のようだ。

 ティナは、この主人公のイザベラ公爵令嬢の真似をしたらしい。高慢だが、心優しいお嬢様と紹介文にもある。


「ところで、何故ああもタイミングよくあそこに?」


 エドワードが訝しむ様に首を傾げた。

 カマルは、ティーカップを片手に可笑しそうに笑う。


「なに、簡単なことですよ。敵情視察というもので、あのオークションにはいつも人を潜り込ませているんです。そうしたら面白いことが起きたと報告が来たもので、ああして出かけてみたら、という訳です。リーフィの命恩人であるイチロ神父様の為なら、例え火の中水の中ですとも」


 カマルは安楽椅子のひじ掛けに止まっている彼の従魔であるリーフィを撫でた。


「よく僕だって分かりましたね」


 あの時、一路はフードを目深にかぶっていて顔を見せない様にしていたのだ。


「イチロ神父様のお声をこのカマル、間違えは致しません」


 自信満々に言われて、一路は引き気味に、はぁ、と答えた。これも一種のストーカーかなと思ってしまったが、それは失礼だと考えを改める。いざとなったら真尋に相談すればいいのだ。彼はストーカーの対処に関してはプロである。


「ティナちゃん、あの子の様子はどう?」


「私の服の中にいるんですけど、まだ出たくないみたいです。ブレットは、元々大人しくて臆病な性質ですから余程怖い思いをしたんだと思います」


 ティナが胸の谷間の当たりを撫でた。そこに第三のふくらみが増えている。おそらくあの薄紅色のブレットがそこで丸まっているのだろう。


「いやはやしかし、薄紅色のブレットとは……遠い昔、私が修行がてらアーテル王国を旅していた頃、妖精族の里の近くの村で里から遣いに来たという妖精族の男性が肩に乗せているのを一度、見たきりです」


 カマルが言った。


「確か、国が指定している取引禁止魔物なんだっけ?」


 一路が問えば、ティナが、はい、と頷く。


「とはいえ、密猟者が絶えないのは事実です……エルフ族の里と一緒になって守っているのですが……。それでも徐々に数を増やしてはいるのですよ」


「そういえば、エルフ族の里にもいるって言ってたけど、ブレットの主食はティナちゃん達から落ちる葉っぱや花なんだよね? エルフ族からは落ちないでしょ?」


「正確に言うと、ブレットの主食は私達妖精族から落ちる花や葉と世界樹の魔力が育てる草花だけを食べるんです。世界樹は、エルフ族の里にありますし、妖精族の里は、そもそもエルフ族の森の中に有るんですよ。エルフ族と妖精族は、自然と共に生きる種族ですので非常に友好的な関係です。妖精族はその昔、観賞用、愛玩用と奴隷商に目を付けられていて、エルフ族が助けて下さったのが始まりです」


 成程、と一路は頷く。

 確かにティナは、清楚可憐な美少女で先ほど助けたマルプも優し気な面差しの美青年だった。町で見かけた妖精族の人々も皆、タイプは違うが美男美女だった。これだけの美貌を持ちながら、ひらひらと花や葉を落とす神秘的な姿は、確かに人を惑わすには十分だと思えた。


「まあそんなことはさておき、マルプはあの男に何をされたんだと思う?」


 エドワードが話の流れを断ち切るようにして問いかけて来る。


「魔力を奪われたんじゃないでしょうか、彼から落ちる葉っぱが色を失っていたので」


 ティナが言った。

 一路は、確かに、と頷く。


「先ほどステータスを見せて頂いた時、マルプさんのMPは一桁でしたし、HPも異様な減り方をしていましたし……そんな魔法があるんですか?」


「いや、聞いたことが無い。そもそも一路のように魔力を他人に譲渡できる魔法だって俺は初めて見た」


 エドワードのスカイブルーの瞳が一路に向けられた。

 どうやらあの魔法は、普通では無かった様だ。ティーンクトゥスの取説には、そんなことは一言も書かれていなかった。一路は、誤魔化す様にミント水を飲む。レモンの甘酸っぱさとミントの爽やかさが心地よい。


「イチロ神父様は、優れたお方ですから」


 カマルが自分の事のようにドヤ顔をしながら言った。

エドワードは、そんなカマルに肩を竦めて返し、腕を組むと天井を仰ぐようにして目を閉じた。何かを考え込んでいるようだ。

 不意に手に冷たいものが触れて顔を向ければ、ロビンがひょっこりと顔を出した。美味しかった、と問えばロビンは嬉しそうに尻尾を振って、一路とティナの間に強引に割り込んできた。伏せの体勢で居座ることにしたようだ。そのロビンの頭に早速、ピオンが乗っかる。

 一路は、そっと手を伸ばしてロビンを撫で、ピオンの小さな頭を指先で擽るようにして撫でた。


「……護衛を付ける他ないな」


「え?」


 唐突なエドワードの言葉に皆の視線が彼に向けられた。

 エドワードは、ポーチからペンとメモ帳を取り出すと何かを書き込む。


「カマル、すまないがこれを騎士団のカロリーナ第二小隊長に届けるように言ってくれないか?」


「いいですよ。では、リーフィ、お願いできますか?」


「ほー」


 リーフィは鷹揚に頷き、エドワードが差し出した紙を咥えるとメイドが開けた窓から外へと出て行った。魔獣とは言え梟が手紙を届ける姿に一路は、少しだけ感動した。まるでファンタジーそのものだ。


「俺が休日返上であそこにいたのも、どうしても尻尾を掴みたかったからだ」


「……何の尻尾です?」


 一路の問いにスカイブルーの瞳がこちらに向けられる。


「……クルィークの尻尾だ。……取引禁止魔物密売のな」


 部屋の中に緊張が走る。テーブルの上に置かれていたグラスの中で溶けた氷がカランと涼やかな音を立てた。


「……今回のそれは、もしかしたら罠かも知れない。あの中には、俺以外にも騎士が居たからそれを察知していたんだろう」


 エドワードの視線がティナに向けられて、ティナが胸元を抑えた。ティナの胸に潜り込んでいるブレットはまだ震えている。


「俺達他部族は兎も角も、妖精族が見れば、一目でそれが取引禁止魔物であることは分かる。ティナ、そうだろう?」


 ティナが、はい、と頷く。その顔に怯えや不安があるのに気付いて、一路は彼女の膝の上に有った左手に自分の手を重ねて握りしめる。大丈夫だよ、と囁くように告げてあやすようにその手を握る。ティナが、不安そうにうなずいて一路の手を握り返してくる。彼女の右手はまだ胸元のブレットを撫でている。


「ならば、あの方は、見せしめに何かをされたのかもしれないということですね」


 カマルが紅茶を啜りながら言った。

 エドワードは、ああ、と頷いて足を組みかえた。


「薄紅色のブレットを出品し、そこに妖精族が居れば騒ぎになることを想定し、その中の一人を生贄にしたんだ。こちらを牽制するために」


「マノリスはそこまで頭は回らないでしょうから、おそらくはエイブの指示でしょうねぇ」


「恐らくはな」


 エドワードはため息交じりに頷いて、ミント水を飲んだ。


「エイブというあの男は、なかなか肝の据わった男で、隙が無いんだ。マルプを救ったことで、俺達は間違いなく目を付けられた。俺は騎士だから自業自得だが……カマル達には申し訳ないが護衛をつけさせてもらいたい。マルプは暫く家族ごと騎士団で預かることになるしな」


「私は構いませんよ、その方がこちらも安心できますしね。但し、営業をしない訳にはいかないので、そこへの配慮はお願いしますよ」


「ああ。分かっている」


 カマルの言葉にエドワードが即座に頷いた。


「イチロとティナは、顔は見せていなかったがな……念のため、」


「僕は護衛はいりませんよ。自分の身は自分で守れますし、そもそもいつも真尋くんが一緒なので」


 途中で言葉を遮って一路は言った。


「……確かにな。レイより強いんだから、マヒロさん以上の護衛はいないな」


 エドワードが真顔で頷いた。

 一路は、でしょう、と自慢げに笑って返す。真尋の強さは一路が一番よく知っているのだ。


「では、そちらのお嬢さんは念のため、護衛を付けた方がよろしいのでしょうね」


「……そうなるな。ティナは髪も顔も隠していたし、大丈夫だとは思うが……もし、その薄紅色のブレットを見られたとすると厄介だからな。この中じゃティナにしか世話が頼めない」


「騎士団には、妖精族の方はいないんですか?」


「妖精族は争いを好まないし、花や葉を落とすからあんまり騎士には向いていないんだ」


 一路は、確かに、と頷いた。

 それに彼らの髪の色は、ティナやマルプもそうだが実にカラフルで人ごみに溶け込むことが出来ないし、兎に角目立つのだ。


「妖精族に知り合いは居るにはいるが、この件はまだ公にしたくないんだ。だから、ティナ、その薄紅色のブレットの世話を頼めるか?」


「はい。色が違うだけで世話は同じですから。あの、良ければ、妖精族の長に手紙を出してもいいですか? 問い合わせれば何か分かるかも知れません。薄紅色のブレットは全て個体管理されているのでどの子がいつ居なくなったのかとかも分かると思いますし、多分、心配していると思うので」


「本当か? そうしてくれると有難い。無論、経費は騎士団で出すから安心してくれ。ところでティナは、一人暮らしか? それとも家族と?」


「青の3地区にあるアパートメントで一人暮らしをしています」


 ティナが言った。

 エドワードが、そうか、と眉を寄せる。ティナが、ますます不安そうに顔を曇らせた。


「なら、こうしませんか?」


 一路の声に一斉に皆の顔が向けられる。


「ティナちゃんは、暫く山猫亭に部屋を借りればいいんですよ。山猫亭には、今、僕らの他にジョシュアさんも居ますし、向こうだってそうそう冒険者の巣窟に乗り込んでは来ないでしょう。それにティナちゃんの職場への送り迎えは、勿論、僕がしますよ。それで日中は、ロビンをティナちゃんの傍に置いておきます」


 ロビンが、わん、と返事をする。


「お、それいいな。イチロとマヒロさんとジョシュアさんが居れば、騎士団より安全かもな」


 エドワードがぱんと手を打った。カマルも、そうですね、と頷いた。


「で、でも、イチロさんもご迷惑じゃ……」


「大丈夫、大丈夫。僕らは明日から延々と教会と屋敷の大掃除だから心配しないで」


 一路は、膝の上にあったティナの手に自分の手を重ねる。


「それに巻き込んじゃったのは、僕だし。もしティナちゃんに何か有ったら僕、泣いちゃう。だから僕に君を守らせて」


 お願い、とその手を握りしめてティナの顔を覗き込んだ。

 ティナは、頬を染めて固まるとぎこちない動作で首を縦に動かしてくれた。一路は、そのことにほっと胸を撫で下ろして笑いかける。


「ありがとう、ティナちゃん。僕が君をちゃんと守るから安心してね」


「は、はい……」


 蚊の鳴くような声で返事が返って来た。きっと、余程、不安なのだろうと一路は、大丈夫だよと笑ってその手を握りしめた。ますますティナが赤くなって硬直した。


「イチロは罪深いなぁ」


「イチロ神父様は罪作りなお方です」


 エドワードとカマルがしみじみと言って、頷き合うのだった。







 一路は、ティナと二人、辻馬車から降りて山猫亭に向かっていた。

 赤の2地区は、他の地区に比べるとやはり冒険者が多い。すれ違った男女のパーティーは、取り分について少し揉めている様だった。一路は、ティナの隣を彼女の歩幅に合わせてのんびりと歩く。

 あの後、騎士団が到着するとエドワードはマルプの元に行き、カマルは上客が来たからと忙しなく部屋を出て行ってしまった。その間、ティナと二人で他愛のない話をしていたのだが、暫くしてエドワードが戻ってきて、何か別の問題が起こったとかで、今日は帰っても良いと言われたのだ。

それから一路は一度、ティナの荷物を取りに青の3地区にある彼女のアパートまで行き、今はこうして山猫亭に向かっている。一路の肩にはティナの着替えや荷物の入った鞄が掛けられていて、ロビンの背中にはピオンのベッドだという植物の蔓で編んだ籠が括り付けられていた。


「あの、重くないですか?」


「全然平気だよ、大丈夫」


 既に何度目かになるやり取りに一路はくすくすと笑いながら返事をする。


「でも、ローサちゃんと仲が良いっていうのは良かったね。慣れない所だと神経使うから」


「ローサとは、手習い所が一緒だったんです。一年前までは年の離れた姉と一緒に暮らしていたんですけど、姉は両親と旅に出てしまったので結果的に一人暮らしに」


 困ったように笑うティナに彼女の肩に乗るピオンが鼻先をくっつける。


「ご両親は、何をしているの?」


「旅商人です。私と姉が幼い頃は、母が家に残ってくれていましたが姉が十五を過ぎると夫婦二人で旅に出るようになって、私が十五になったら姉も旅がしたいと両親について行きました。姉は昔から時折、父について旅に出ていたので、出て行く時も嬉しそうに出かけて行きました。後、二、三年したら帰って来ると思いますけど」


 ティナは、のんびりと告げる。

 彼女の気が長いのか、或は、妖精族の皆が皆、こうなのか一路には分からない。


「寂しくはない?」


 一路の問いにティナが顔を上げる。サファイアブルーの瞳が一路を捉える。


「全く寂しくないと言えば嘘になりますけど、ピオンがいるから平気です。ピオンは私が八歳の時に父がプレゼントしてくれたんですよ。それからずっと一緒にいるんです」


 そう言ってティナは、ふわりと笑う。その拍子に落ちた花びらをピオンがキャッチして、美味しそうに食べ始めた。ティナが、食いしん坊ね、と柔らかに窘める。ロビンは、鼻先で消えてしまった花びらに不思議そうに首を傾げた。


「ティナちゃんは、旅に出ないの?」


「私は、この町が好きなんです」


 ティナは、町の中に視線を移して柔らかに笑う。


「それに私は、帰る場所でありたいんです。パパやママ、お姉ちゃんが「ただいま!」って元気に帰って来た時、「おかえりなさい」って笑って迎えて温かいご飯とふかふかのベッドを用意して待って居てあげたいんです」


 ふふっとティナは、誇らしげに笑って言った。長く艶やかなローズピンクから白へと変わる髪が彼女が歩くとさらりと揺れて、ひらひらと花びらが何枚も落ちて、まるで彼女が花そのもののようだ。

 その姿が眩しく思えて一路は目を細めた。彼女は少しだけ、雪乃に似ていると思った。穏やかで柔らかな笑みを絶やさない所が、少しだけ似ている。


「あ! ティナ!」


 元気な声が聞こえて顔を向ければ、店の前にローサが居て、ぴょんぴょんと跳ねながら手を振っていた。紅い髪が跳ねる度にさらさらと揺れる。

 ティナが「ローサ!」と返事をして嬉しそうに駆け寄り、ロビンがそれに続く。一路は、仲良しなんだな、と笑いながらその背を追った。


「もう! いきなり騎士団から使者が来るからびっくりしたわ」


 ローサがティナを抱き締めたまま言った。ぎゅうと強く抱き締めれば、ティナが慌ててローサを押し返そうとする。


「ロ、ローサ、ごめんなさい、ここに大事な子がいるのっ」


 ティナが胸元を庇いながら言った。ローサが慌てて離れると胸元で薄紅色のブレットがもぞもぞと動いて僅かに顔を出すが、またすぐに顔を引っ込めてしまった。


「ピオンが薄紅色に染まったの?」


「違うわ。ピオンはそこ」


 ティナがロビンの頭の上でくつろぐピオンを指差して小さく笑った。ローサが手を伸ばせば、流石に慣れているのかピオンは彼女の腕に飛び乗って肩へと駆け上がった。赤い髪に顔を突っ込んだり、頭の上にのぼったりしてはしゃぐ姿は可愛らしい。


「とりあえず、中に入らない? ここだと目立つから」


 一路の言葉にローサが、そうね、と頷き店の中に入る。一路は久々に表から店の中に入るが、ソニアの姿は無く、ウェイトレスが二名、暇そうにしていた。丁度、食堂が暇になる時間帯なのだろう。ローサが階段を上がっていくのに、一路とティナも続く。

 案内されたのは、一路と真尋の部屋の隣、502号室だった。ローサが、ティナに魔力を登録するように促す。ティナが魔力を込めるとガラス玉は、彼女の瞳と同じサファイアブルーに色を変えた。


「パパとママとも話し合ったんだけど、結果的にイチロさん達の隣の部屋がいいだろうって。それで事情を話したら、アレクたちも部屋を移ってくれたから、ティナの部屋は今日からここよ」


 ローサがドアを開けて中に入る。

 一路たちの部屋と同じ造りでベッドも二つ、窓際に置いてある。


「パパにお願いして、私もこっちで寝ることにしたの。だから夜は目一杯、おしゃべりしましょうね」


 ローサが振り返ってティナの手を取り言った。ティナは、楽しみね、と嬉しそうに顔を綻ばせた。一路は、そんな彼女たちを微笑ましいなと思いながら窓際に近付き、さりげなく守護魔法を掛ける。光系統の魔法の一つで魔力の侵入を拒む魔法だ。これで魔力を持つすべてがこの窓からは侵入できなくなる。

 部屋の中に探索を掛けたが、これといって不審なものは無いし気配も無い。

 ティナが、ロビンから籠を外すと自分のベッドの枕元に置いた。そしてティナは胸元から薄紅色のブレットを取り出すと籠の中にそっと置いた。そして彼女が手を翳せば、ぶわりと籠の中はティナの花びらで溢れ返った。


「これで安心してくれると良いんですけど……」


「ブレッドは花の中で眠るの?」


「はい。野生でもこうして植物の蔦で巣を作って花や葉っぱを集めてその中で暮らしているんですよ」


 ロビンの頭から降りたピオンが花びらの中に頭を突っ込み暫くして中へと入って行った。もぞもぞと暫く花びらが動いていたがその内、静かになって動かなくなる。多分、眠ったのだろう、とティナが言った。


「それにしても何があったの?」


 じゃれつくロビンを撫でながらローサが首を傾げる。

 一路は、どこまで話したモノかな、と思案しながら口を開く。


「さっきの薄紅色のブレットはとても珍しいブレットで取引禁止魔物に指定されているんだ」


「じゃあ何でティナがそれを連れているの?」


「そこに色々と事情があるんだけど、あまり知らない方がいい。ティナちゃんも詳しくは知らないんだ」


「ええ。私は偶然その子が保護された場に居合わせて、騎士様がイチロさんのお知り合いだったから、お世話を頼まれたの。ローサも知ってるでしょう? ブレットが里の外では妖精族にしか育てられないこと」


 ティナが話を合わせてくれる。彼女も大事な友人を巻き込みたくはないのだろう。


「それで念のため、ティナちゃんを保護することになったんだ。万が一、さっきのブレットを誰かに見られると話題になるだろう? そうすると悪者にもバレちゃうからね。だからローサちゃんもこのことは黙っていてくれる?」


「分かったわ。でも、イチロさんがティナの護衛をしてくれるんでしょう?」


「うん。巻き込んじゃったのは僕だからね。僕が必ずティナちゃんを守るよ」


 一路の返事にローサは、紅茶色の瞳を細めて安心したように笑った。


「でも、サンドロさんにはちゃんと仔細を話すよ。あとジョシュアさんにも協力をお願いするつもりだからね。無論真尋くんも」


「あ、そうだ。マヒロさんから伝言があるの」


「真尋くんから?」


 思い出したように言って、ローサがエプロンのポケットから紙の小鳥を取り出した。メモ帳か何かを破って、小鳥の形に折られた折り紙だ。頭の部分に「真尋」と日本語で書かれている。

 クロードとの話しが白熱し過ぎて泊まるとでも言い出したのだろうか。いや、それならそもそもこんな紙を送って来るなんて殊勝なことは考えない。心配した一路が探しに行って初めて我に返るに違いないからだ。


「それがね、飛んで来たの。びっくりしちゃった」


「よく真尋くんからだって分かったね。これ、読めたの?」


 一路が真尋という二文字を指差しながら問えば、ローサは首を横に振った。


「それ、文字なの? 何かの模様かと思ってたわ」


「なら、どうやって?」


「小鳥が喋ったのよ。マヒロさんの声で「マヒロだ。これをイチロに頼む」って。あんな魔法、初めてだったからわくわくしちゃった。パパなんか暫く小鳥をおっかなびっくり警戒してたわ」


 ローサがケラケラと笑いながら言った。一路も思わずあの大きな巨体のサンドロが紙の小鳥にびくびくする様を想像して笑ってしまった。ティナもローサの隣でくすくすと笑っている。

 一路は、折り紙を開いて行く。中には日本語で一路への伝言が綴られ、縁には魔術言語で何かしらの呪文が付加されていた。恐らくこれが喋って飛ぶ小鳥の仕掛けだろう。勉強を始めてまだ三日だったと思うが既に我が物にしているところに真尋らしさを感じる。


「見たことの無い文字です」


 ティナが言った。一路は、二人に中身を見せるが、二人は模様みたいと目を瞬かせた。


「これはね僕らの故郷の言葉なの」


「何て書いてあるの?」


「ええっと……」


 一路は、久々の日本語を目で追い、おやまあ、と目を瞬かせる。


「真尋くん、貧民街で事件に巻き込まれたから帰るのが遅くなるって」


「事件?」


 二人の表情が不安に曇る。ロビンが後ろ足で立ち上がり、一路の手元を覗き込んで、紙の匂いを嗅ぐ。

 一路は、大丈夫だよ、とロビンの頭を撫でて紙を畳んで小鳥に戻す。


「詳しいことは書かれてないから何とも言えないけど、今月、貧民街で通り魔が出ているのは知っている?」


「はい。冒険者ギルドでも話題に上がっていますから」


 ティナの言葉にローサも頷いた。


「どうやらその事件の巻き込まれちゃったみたいんんだよね。巻き込まれたって言うより、真尋くんのことだから自分から首を突っ込んだんだろうけど、事情聴取とかあるから遅くなるらしいよ。まあ、真尋くんなら心配はいらないと思うから安心して」


 一路が笑いながら言って、ロビンを促し部屋の出口へと向かう。


「僕も色々することがあるから、隣にいるよ。ティナちゃん、何かあったらすぐに呼んでね、勿論、ローサちゃんも」


 分かりました、と頷くティナにひらひらと手を振って、一路は部屋を後にして、隣の自分たちの部屋へと入る。

 ドアを後ろ手に閉めて、一路はのろのろとベッドに向かい、ぼすんと倒れ込む。隣の真尋のベッドは、昨夜はジョンが泊まるからとアイテムボックスに全て本を詰め込んでいたが、今朝、彼があれやこれやと本を整理していたから山のような本が積まれている。多分、今日も一路のベッドで勝手に寝るんだろうな、と苦笑を零して体を起こす。ロビンが心配そうにのぞき込んで来たのに気付いて、その頭をわしゃわしゃと撫でた。

 まだ保護して四日しか経っていないが、ロビンは日々、目を瞠るほどの速さで大きくなっている。保護した時は、柴犬ほどの大きさだったが、もう二回りは大きくなっていると言っても良い。真尋が与えている魔力がたっぷり染み込んだキラーベアの肉のお蔭なのか、それともヴェルデウルフとはこういうものなのか、一路には分からない。


「早く家を片付けないとね……君、この部屋から出られなくなりそう」


 一路は小さく笑いながらアイテムボックスから、犬用のクッキーを取り出してロビンの鼻先に乗せた。ロビンがじっと動かなくなる。


「よし」


 ぱくん、とクッキーを食べてロビンは嬉しそうに尻尾を振った。

 今日は、色々あり過ぎてカマルにロビンのことを聞く暇も無かった。

 帰り際、エドワードに呼び止められた一路は、くれぐれも気を付けるように言われたのだ。

 何でも一週間ほど前、クルィークの狩人を追っていた騎士団の仲間が一人、音信不通になってしまったのだという。彼の騎士のカードは真っ黒く染まり、死だけが確認されたが遺体が見つからないのだという。最後に目撃されたのは、青の3地区にあるというクルィークの倉庫付近らしい。それ以上の詳しいことは教えて貰えなかったが、兎に角気を付けろと言われた。


「この町に来てまだ五日なのに、僕ら色々と巻き込まれ過ぎじゃない?」


 一路の言葉にロビンが首を傾げる。


「まあ、ロビンに会えたのは僥倖だけどね」


 ふふっと笑って一路は立ち上がり、山積みの本の中から魔法に関する本を手に取る。


「魔力を奪う魔法、か……」


 一路は、ぽつりと呟いてページをめくる。

 何故だか、ここには答えが無いような気がして、早々に本を閉じ、国の歴史書へと手を伸ばした。





――――――――


ここまで読んで下さって、ありがとうございました!


一路はどこまでも鈍感ですね(笑)

次回は真尋サイドのお話です。


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです!!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 剥製どころかホルマリン的なものまである私室…。 ご家族は趣味は同じなのでしょうか? いきなり騎士団から連絡がくるのと紙の小鳥が飛んで喋るのが同じくらいの扱いなローサちゃんは大物 そして…
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