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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第一部 本編
23/158

第十八話 花を買った男

 市場通りは、青の2地区にあった。

 元々は、その名の通り、決められた日に市場が開かれていたらしいが長い時を経て、ブランレトゥが大きな町になるにつれて店が定着していったそうだ。そして、庶民の生活を支える商店街となった歴史があって今も昔の名残で市場通りと呼ばれている。また、市場通りは青の2地区を縦断しているのだが、中央にある2地区の広場では週末になると今でも市場が開かれていて、大勢の人で賑わうのだそうだ。

 今日の朝、真尋と一路は、ジョシュアたちの部屋で朝食を一緒にさせてもらったのだが、その時にジョシュアがあれこれ教えてくれたのだ。

 午前中、真尋と一路は宿屋で勉強に時間を費やした。一路に読ませておきたい国の歴史の本などがあったからだ。

 そして午後、ローサが届けてくれた昼ご飯を食べた後、真尋は、ジョンを借りてこうして市場通りへと出て来たのだ。

 市場通りは、様々な店が並んでいる。八百屋、魚屋、肉屋、パン屋といった食品を扱う店から古着屋、帽子屋、靴屋などの服飾店、雑貨屋や庶民向けの薬屋、他に食堂や酒場なんかもある。もっともまだ午後二時現在酒場は、まだ営業時間外のようでドアは固く閉ざされている。


「ねえねえ、お兄ちゃん、リースとママのお土産は、何が良いかな?」


 真尋の手を引くジョンが嬉しそうに周りを見回しながら言う。反対側の手は、一路の手を握りしめていて、ロビンは一路のすぐ隣をぴたりとくっついて歩いていた。


「そうだな、リースは何か美味しいお菓子が良いんじゃないか」


 真尋の助言にジョンは、それなら、とまた悩み始める

 ジョンのズボンのベルトには、昨日、真尋がプレゼントした革製の小さなポーチが付いている。昨日、真尋が鞄を買った店でこっそり買っておいたのだ。ジョンは、このプレゼントをとても喜んでくれて、昨夜はベッドの中にまで持ち込んで一緒に寝ていたというから、その話を聞いた瞬間、真尋はジョンを抱き締めた。

 今日の朝、プリシラがジョンにお小遣いをくれて、ジョンはポーチに大切そうに小遣いをしまっていたのだが、どうやらその小遣いで母と弟に土産を買いたいらしい。実に可愛らしい少年である。


「プリシラさんは、針子をやっているから手芸屋さんで何か見繕うのもいいかもね」


 一路の提案にジョンはますます小さな頭を悩ませている。けれど、誰かに何かを贈るために悩むのは楽しいものだ。

 真尋も雪乃に何かを贈る時には、いつも悩んだものだった。


「マヒロお兄ちゃんは指輪いっぱいしてるね」


 不意にジョンが言った。

 真尋は、そうだろうかと自分の手に視線を落とす。右手の中指と左手の薬指に一つずつだが、ジョンの周りの大人は誰も指輪をしていないから物珍しく見えるのかもしれない。


「あっちは大きい石で、こっちは銀色だけど、どっちもキラキラしてて綺麗」


 ジョンの小さな手が握る真尋の左手を見ながら言った。


「ジョン君、僕らの故郷では、左手の薬指に嵌める指輪は、結婚しています、っていう証なんだよ」


「そうなの?」


 ジョンが一路を見上げる。


「真尋くんには、綺麗な奥さんがいるからね。奥さんもお揃いでつけるんだ」


「でも僕んちは誰もしてないよ?」


「こっちにはその習慣がないんだと思うよ」


「そっかぁ……ねえねえ、マヒロお兄ちゃんのお嫁さんはどんな人?」


 ジョンが無邪気に問いかけて来る。

 真尋は、顎を撫でながら考え込む。

 雪乃は、可愛いし綺麗だし、料理上手で家事を完璧にこなしてくれる。一見、儚げな見た目なのだが、一本芯の通った女性で、ふんわり微笑みながら真尋に懸想する女性たちと渡り合うだけの度胸もある。勉強に関しても非常に秀でていて、常に努力を怠らない勤勉な女性だ。真尋の弟たちのこともよくよく面倒を見て世話をしてくれて、弟達は雪乃を母のようにも姉のようにも慕っている。雪乃は確かにしっかりしている女性だが、少々、おっちょこちょいなところもあって、そういうところが堪らなく可愛い。そもそも雪乃は。


「真尋くん、帰っておいで」


 一路の声にはっと我に返り、顔を上げる。


「雪乃について語り尽くすには、時間が足りない」


 ジョンは、そっかぁ、と笑って頷いた。


「じゃあ、どこが好き?」


「全部だな」


 間髪入れずに即答する。


「全部かぁ!」


 あはは、と明るく笑うジョンが可愛くて真尋は、金茶色の髪を優しく撫でた。

 子供の笑顔というのは、異世界だろうが何だろうが、癒される。

 この町は、貧民街を抱えてはいるが全体的な生活水準も高く、人々は生き生きとしていて良い町だと思う。


「いつかジョンの住む村に行ってみたいな」


「いつでも来ていいよ! 僕が案内してあげる!」


 ジョンが嬉しそうに顔を上げた。


「なら、もう少し俺達の生活が落ち着いたら、お邪魔させてもらおう。その時は、ジョン宛に手紙を出すよ」


「本当? なら僕もお返事書くね。お母さんに教わってるから、難しい言葉は無理だけど、ちゃんとお返事書くからね。約束だよ!」


 キラキラと顔を輝かせたジョンにつられるように真尋は微笑んで、小指を差し出す。


「俺の故郷の約束のおまじないだ。ジョン、小指を出して」


 一度、ジョンの手を離せば、ジョンが同じように右手の小指を出す。短い指に真尋の長い指を絡める。


「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼん、のーます、ゆびきった」


 歌の終わりに小指を離すと、ジョンがもう一回、と小指を差し出す。


「今度は僕も歌う! イチロお兄ちゃんも一緒に!」


「僕も?」


 今度は三人で指を絡める。

 ゆっくりと歌を口ずさんで、三人で指切りをする。


「この歌、どういう意味?」


「約束を守らないと針を千本飲ますぞって意味だ」


 ジョンが空色の瞳をぱちりと瞬かせた。


「怖い歌だけど、でも大丈夫だよ、お兄ちゃんが遊びに来てくれたらいいんだもん」


「ああ、そうだな」


 そういえばティーンクトゥスともこうして約束をした。あの時、彼は交えた小指を嬉しそうに、まるで宝物のように抱き締めていた。

 

「あ! あそこのお店のクッキー美味しいんだよ」


 ジョンが指差したのは、可愛らしい外観の菓子屋だった。

 一路があからさまに顔を輝かせた。

 菓子屋は中でも色々売っているようだが、外からでも目玉商品のクッキーは買えるようになっていて女性店員がクッキーの並ぶショーケースの向こうから道行く人々に声を掛けている。二人が、というか一路が中に入りたいというので、今日は真尋がロビンと留守番だ。

 一路とジョンが嬉しそうに女性ばっかりの店の中に入って行く。ある意味、一路は強いな、と見送って真尋は店の前に立ち尽くす。ロビンが後ろ足で立ち上がり、ガラス窓から店の中を覗き込んでいて、通りを行く人々がくすくすと笑う。


「お、お兄さん、これ味見にどうぞ」


 横から声を掛けられて顔を上げれば、クッキーが差し出されていた。

 可愛らしい若い女性がショーケースから少し身を乗り出す様にしてクッキーを差し出している。


「すまない、甘いものは好かないんだ」


「なら、こっちはどうですか? ナッツのクッキーで甘さ控えめで男性にも人気なんですよ」


 女性はチョコチップのクッキーを引っ込めて、ナッツがたっぷり入ったクッキーをくれた。真尋は仕方ない、とそれを受け取り、一口齧る。


「む、美味いな」


 ローストされたナッツの香ばしさが美味しい。ナッツの自然な甘みと控えめなクッキーの甘さはくどくなく、甘いものが苦手な真尋でも平気だった。だが同時にコーヒーが飲みたいと心底思った。

 この世界は、わりと食文化の水準は洋食方面にだが高い。しかし、真尋が好んで飲んでいたコーヒーというものが存在しておらず、あるのは紅茶やハーブティーといったお茶ばかりだ。


「どうですか? 十枚で赤銅貨一枚です。お兄さん素敵だから、二枚おまけします!」


「商売上手だな、なら頼む。あと、この犬が食べられるものはあるか?」


「あ、新製品で愛玩魔物用のバタークッキーがあります。こっちは、十枚で銅貨五枚です」


 真尋はポケットから赤銅貨を二枚取り出して女性店員に渡す。どうぞ、と渡された紙袋を鞄に入れて、話を聞いた途端、真尋の足に縋りつくロビンの為にバタークッキーを一枚取り出す。


「座れ」


 ロビンは真尋の足から離れてその場に座る。


「俺が良いというまで食べるなよ」


 そう声を掛けて、ロビンの鼻の上にクッキーを乗せた。ロビンのブルーの目が瞬き一つせず、クッキーを見つめる。今にも涎を垂らしそうなロビンに真尋は、くくっと笑う。


「よし」


 ロビンが鼻の上に有ったクッキーをひょいと上に投げて、パクン、と見事に口でキャッチする。ガリガリと良い音が聞こえてくる。周りで観ていた人々から拍手を送られて、ロビンはどこか誇らし気だ。真尋も良く出来た、とロビンの頭を撫でた。やっぱりこんなことがすぐできるなんて、ロビンは普通の魔獣よりも随分と賢いのだな、と感心する。ちなみにこれは、一路の家のゴールデンレトリバーも得意としていた。

 ふと、顔を上げた先で真尋は、おや、と目を細めた。

 お菓子屋の隣、今は閉店している酒場の前で襤褸服を纏った少女が花を売っていた。一生懸命、声を掛けているが誰も足を止めようとはしない。それどころか、蔑んだ目を向けて行くものもいる。獣人族らしい少女の頭には、白い兎の耳が生えている。


「……ああ、あの子は貧民街の孤児ですよ。今年の春ぐらいからああして花を売っているんです」


 真尋の視線の先に気付いた女性店員が教えてくれた。


「売れ行きは?」


「子供がどこかで摘んできた花で、萎れているんです。時々、優しい人が買って行くくらいですよ」


 女性が気まずそうに告げた。

 不意に少女の前で足を止めた男がいた。真尋は、これはこれは、と面白いものを見つけて口端を僅かに吊り上げた。とは言っても一路ぐらいにしか今の真尋の表情は読み取れないかも知れないが。

 頬に湿布を張った灰色の髪の背の高い青年が、少女に金を渡して、花を一輪買っていた。青年は、不愛想に少女の頭を撫でるとこちらにやって来る。


「随分と男前になったじゃないか」


 真尋が声を掛ければ、足を止めて男は訝しむようにこちらを振り返り、苦虫をしこたま噛み潰したかのような顔をした。


「どうしたんだ、それ」


 真尋は、店のガラスに寄り掛かったまま自分の頬をつついて見せた。

 青年――レイが嫌そうに顔を顰めてそっぽを向く。


「別に」


「叱られたか?」


 レイは真尋を無視して歩き出そうとする。


「ソニアがな、泣いたんだ」


 中途半端な体勢でレイが固まった。

 真尋は、腕を組んで空を見上げる。今日もブランレトゥの空は青い。


「一昨日、宿に帰った途端にビンタを貰ったんだ。宿の客である俺に女将である彼女が、ビンタをくれたんだ。今度は、何をお前から奪う気だって怒られて、胸倉を掴まれた。俺の胸倉を掴む手は華奢で弱くてな……だというのに、赤茶の瞳に宿る激情は、恐ろしい程に強かった。あれを……人は愛と呼ぶのかも知れんな」


「何が、言いてぇんだ、クソ神父」


 レイが唸るように言った。

 周りがざわざわし始めた。有名人であるレイに気付いていた者たちが、神父という言葉に好奇の目を真尋に向けて来る。それを一瞥して、真尋はレイに目を向ける。黄緑の瞳は相変わらず濁った光を宿して真尋をねめつけて来る。


「俺は、赦すのが役目だと言ったな」


 レイは答えない。真尋の言葉の真意を探るように目を細めただけだった。


「だがな、赦すという行為は、簡単なようでいて難しい。お前のような馬鹿みたいに赦されることを拒む者もいる。その苦しみこそが罪を犯した自分への罰だというものもいる、……ソニアもその一人だろう」


「はっ、知ったことかよ……あいつは、ミモザの葬儀にも来なかったんだ。俺やミモザを我が子だと言っていたくせに、本当に大事な時にはいつだって、テメェの子を選ぶんだからな」


「サンドロは、その時、ソニアは寝込んでいたと言っていたが?」


「嘘に決まってんだろ、そんなもん」


 馬鹿馬鹿しい、とレイは吐き捨てるように言った。彼の手の中で握りしめられた憐れな花が花弁を一枚、ひらりと落とした。


「……裏切られることが怖いか? 失望が恐ろしいか?」


 真尋の問いにレイの表情が強張った。

 推察するに真尋より十は年上の筈の男は、愚かな子供のように目に映る。

 でも、こんなにも愚かな程に臆病になってしまうくらいに、彼は色々なものを失ってしまったのかもしれない。


「ジョシュアもジルコンもサンドロもソニアも、皆、お前を心配しているのに、どうしてその声に答えない? 救われるのが怖いか? 自分一人が……幸せになることが、赦せないか?」


「分かったような口を利くんじゃねぇ!!」


 びりりと空気が震えて、女性店員が「ひゃっ」と悲鳴を上げた。ロビンが真尋の足の後ろに隠れようと頭を突っ込む。

 レイは、肩で息をしながらも、はっと我に返ると長く、ゆっくりと息を吐き出して顔を背けた。体の横で握りしめられた拳には込められるだけの力が込められている。


「……その、優しさはお前が彼らに貰ったものだったんじゃないのか?」


 レイの手の中の憐れな花を指差して真尋は言った。


「誰にも見向きもされない少女から、花を買ったお前のその優しさは、彼らに貰ったものだったんじゃないのか?」


「こんなの同情さ」


 レイが、はっと嘲笑を零して、真尋の足元にその花を投げつけた。

 名も知らぬ小さな花は、憐れに萎れてしまっている。真尋は、上体をかがめてその花を拾い上げる。淡い水色の花弁が幾重にも重なった可憐な花だった。


「気まぐれに向けた同情だ」


「俺には、優しさに見えたんだがな」


 真尋は、花にふっと息を吹きかけた。

 すると花は、ふわりと生命の輝きを取り戻して真尋の指先で可憐に花弁を広げる。不思議な匂いのする花だった。爽やかなミントのような涼やかな香りがする。どうやら治癒魔法は、花にも有効のようだ。


「お前……何者だ?」


 レイの瞳が鋭く細められて探るように真尋を見つめる。

 真尋は、淡い水色の花弁に鼻先を近づけながら、目だけを彼に向けた。


「お節介なただの神父だ」


 ふっと笑って、真尋は固まっていた女性店員にチョコチップのクッキーを三枚頼む。そうすれば、女性が慌てたようにクッキーを包んでくれた。それを片手にじっとこちらを見ていた孤児の少女の元に行く。


「この花が気に入ったんだ。俺にも花を売ってくれ」

 

 真尋は、しゃがみ込んで少女の顔を覗き込んだ。


「ひ、一つ、十S……灰鉄貨一枚です」


 少女は、驚いたように珊瑚色の目を瞬かせた後、慌てたように籠の中身を真尋に見せる。真尋は、その中からいくつかの花を見繕う。ロビンが少女の顔を覗き込めば、少女の兎の耳が驚いたようにぴんと立つ。

 六つくらいに見えるが、随分と痩せ細っているから本当の年齢が分かりづらい。


「撫でてもいいぞ、ロビンはいい子だからな」


 花を見繕いながら真尋が言えば、少女は恐る恐るロビンを撫でた。

 ロビンは嬉しそうに尻尾を振る。飛びつかない辺り、ロビンは本当に賢い。ロビンを撫でた瞬間、少女が微かに笑った。可愛らしい笑顔だった。


「これをくれ」


 真尋は、小さな萎れた花束を片手に銅貨を三枚、少女に渡す。

 少女は、ぶんぶんと慌てたように首を横に振った。どうやら多すぎると言いたいようだ。


「し、しおれているから、そんなに良い物じゃなくて」


 真尋は、ふっと笑って籠の上で手を振った。途端に花々が息を吹き返して、みずみずしい鮮やかさを取り戻す。少女が驚いたように珊瑚色の瞳を丸くする。真尋は手に持っていた花束にも同じように治癒魔法を掛けた。


「花売りは、可愛い方がいい」


生き返った花束から一輪抜き取って少女の頬に掛かっていた髪を整えて、真っ白な兎の耳の傍に瞳の色と同じ珊瑚色の花を挿す。それと同時にクリーンを掛けて少女の薄汚れた顔を綺麗にする。

少女が自分の髪に触れて、次にそっと花に触れる。


「良く似合っている。名前は?」


「……ミア」


 か細い声がそっと教えてくれた名に微笑んで、真尋はロザリオを取り出して構える。


「そうか。ならば、ミア、頑張る君に神のご加護がありますように」


 銀と蒼に揺れる真尋の魔力がロザリオの中で揺れて、ふわりと吹いた風がミアの長い髪を揺らした。

 

「そうだ、実は、俺は甘いものが苦手なのに間違えてこれを買ってしまってな。よければ貰ってくれないか?」


 真尋は、先ほど買ったチョコチップのクッキーをミアに渡す。ミアは、困ったように眉を下げた後、何かを思いついたように籠の中から赤い花を取り出して真尋に差し出した。


「……なら、これ」


「いいのか?」


 差し出された赤い花は、ガーベラの花に似ている。その花を差し出す少女の手は、骨が浮くほど細くあかぎれていて、爪の間に泥が入っている。懸命に生きるその小さな手を真尋は両手で包み込むようにして花を受け取る。


「ありがとう、ミア。とても綺麗な花だ」


 真尋が笑えば、少女も嬉しそうに顔を綻ばせた。真尋が渡したクッキーをそれはそれは大事そうに籠の中にしまった。

 真尋は立ち上がり、少女の小さな頭を優しく撫でた。


「売れるように祈っている。ミアは可愛いから大丈夫だ」


「……ありがとう」


 控えめに笑った少女に真尋も笑みを返す。ロビンがすりすりと少女に擦り寄って、少女は優しい手つきでもう一度ロビンを撫でた。少女は、ぺこりと頭を下げるとどこかへと歩いて行く。

 店の前に戻る。どこかに行ったかと思ったレイは、何とも言えない顔でそこに立ち尽くしていた。真尋は、小さな花束をシャツの胸ポケットに差す。


「……もしかしたら、あの孤児には元締めが居て、あの売上だって取り上げられるかもしれないんだぞ。与えられるのは、乾いた小さなパンだけだ」


「それでも多めに金を持って帰れば、もしかしたら一つ多く乾いたパンが貰えるかもしれない。それにあの子は、きっとあのクッキーを隠すさ。子供だって生きるためにはずる賢くなるんだから」


「生き長らえることが、幸せだとは限らないのに? 貧民街の人間がまっとうな人生を掴むことがどれほど困難か知ってるのか? 貧民街の人間というだけで、白い目を向けられて、笑われるんだ。あそこから抜け出せるのは、ほんの一握りだ」


 感情という感情がごっそりと抜け落ちた様な声だった。

 彼は、あの少女に何を重ねて見ていたのだろう。町角で靴を磨いていた幼い自分か、或は、男たちに体を売っていた母のことだろうか。


「それでもお前は這い上がって、英雄になったじゃないか。それは素直に凄いと俺は思う」


 真尋は、胸ポケットからミアがくれた赤いガーベラに似た花を抜き取って、レイの胸ポケットに差す。


「……たった一輪の優しさが人を生かす。同情を憐れみと受け取るか、同情を優しさと受け取るかは人の自由だ。でもお前は与えられた花を受け取ったんだろう。ジョシュアが呉れた花を、ソニアが呉れた花を、お前の父や母がくれた花を……お前は確かに受け取って、だからここに居るんだろう?」


 真尋はレイを見上げる。

 黄緑の瞳は、酷く哀しい色を宿して赤い花を見ていた。それはまるで置いて行かれた子どものような表情で、真尋は手を伸ばして、その湿布が貼られた頬に触れて小さく治癒呪文を唱えた。レイが驚いたように僅かに目を瞠る。


「今度はお前がソニアに花を返す番だ。ソニアは、今も尚お前を想っている。今も尚、彼女は自分を赦せないままでいる。自分の宿に誇りを持つ彼女が、そのことを忘れて俺に手を上げてしまう程、お前は想われているんだから。……生きている限り、どれだけ嘆いたって俺達は進まなきゃならない。だったら、愛した人に胸を張りたいじゃないか。例えば、それが虚勢だったって、なんだっていいから」


 銀の指輪が光る左手に視線を一瞬だけ向けて、その手をきつく真尋は握りしめた。

 レイの瞳が揺れて、唇が噛み締められた。


「……知った風な口をきくな、クソ神父っ」


 レイは、噛み締めるように吐き捨てて踵を返し去っていく。人ごみの中にその背が飲まれて消えるのを真尋は、じっと見つめる。

 冷たい鼻に手をつつかれて顔を向ける。ロビンが、きゅーんと哀しげに鳴いて、真尋は小さな頭をそっと撫でた。


「あいつは、孤独に守られているんだな。そうすればもう裏切られることも失望することも、悲しむことも無いから」


 でもそれは余りに寂しいじゃ無いか、と真尋は消えてしまった背を探す様に視線を彷徨わせた。

 孤独に守られた寂しい背中は、もうそこには無い。


「お兄ちゃん! お待たせ!」


「見て! 真尋くん、大量だよ!」


 賑やかな声が聞こえて振り返る。飛びついて来たジョンを抱き締めて、一路に顔を向ければ、親友はホクホク顔で大きな紙袋を抱えていた。


「ここ凄いよ、マフィンとクッキーが有名でね、どれにしようか迷ったんだけど、端から少しずつ楽しんでいこうと思って! でもね、このチェリージャムは季節限定だって言うからちょっと多めに買っちゃった」


「僕もねリースの好きな、クッキー買ったよ! お姉さんが少しオマケしてくれたの!」 


 屈託なく笑う親友とジョンに真尋は、胸の中に溢れていた寂しさが薄れてゆくのを感じて、ジョンを抱き締めて、一路の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「真尋くん?」


「お兄ちゃん?」


「何でもないさ。それより一路、買い過ぎじゃないか?」


「大丈夫、大丈夫、この量じゃ三日もたないから!」


「お兄ちゃん、このお花どうしたの?」


 三日しかもたないのか、と一路が片腕に抱える紙袋に遠い目になりかけるも、ジョンが花に気付いて首を傾げた。真尋は、胸ポケットに視線を落として、ああ、と小さく呟き花を撫でた。


「綺麗なお花だねぇ、真尋くん、似合ってるよ」


 一路が感心したように言った。


「可愛い兎の花売りから買ったんだ」


 きょとんと首を傾げた二人の頭を撫でて真尋は小さく笑った。








「あれが、例の神父か」


 馬車の窓から覗いた先で、生きているのが不思議なほど作り物めいた美しい顔の青年が孤児の少女の傍で膝をついて小さな手から花を受け取る。

 青年が笑うと少女も顔を綻ばせた。青年の笑顔は、鮮やかなまま記憶に焼き付けられるほどに綺麗で、神様だとあの通り魔が勘違いするのも頷けるような気さえする。意識が朦朧とする中、あんなにも美しいものを見たら誰だってこの世のモノとは思わないだろう。

 青年が小さな袋を少女に渡して、少女はその袋を籠にしまった。傍にいた白い犬の頭を撫でると少女は去っていく。


「アルトゥロ。あの花を全て買い占めて来い」


 向かいの席に座っていた義弟が、やれやれと言わんばかりに肩を竦めて馬車を降りる。

 ナルキーサスは、神父の行方を目で追った。菓子屋の前で灰色の髪の男と何かを話している。男はこちらに背を向けていて顔は見えない。少し言葉を交わした後、灰色の髪の男は去っていく。

 青年は、その背が消えゆく方を見つめていた。白い犬が青年を見上げて、慰めるように彼の手を鼻でつつけば、青年は優しくその頭を撫でた。

 それから少しして店から淡い茶色の髪の少年と金茶色の髪の小さな男の子が出て来た。男の子の顔には見覚えがあった。多分、ジョシュアの息子だ。彼によく似ている。

 ガチャリとドアが開いてアルトゥロが馬車に乗り込んで来た。ナルキーサスは窓のカーテンを閉めて顔を向ける。

 アルトゥロが背後をノックすれば、鞭を振るう音が聞こえて馬車が動き出す。


「……あの神父、本当に何者でしょうか」


 アルトゥロが差し出した花の中から一輪の花を抜き取る。

 淡いピンク色のノニンの花だった。


「《解読》」


 ノニンの花が淡く光って呪文が浮かび上がった。

 その呪文は、不思議な色の魔力に彩られている。銀にも蒼にも見える美しい魔力は、凄まじい密度と強さを誇っている。掛けられた呪文は簡単な治癒呪文だ。ナルキーサスやアルトゥロでも使えるが、果たしてこんな風に花にみずみずしさを取り戻すことは出来るだろうか。摘み取られた花は、生きている。だから治癒呪文が効くことは不思議ではないが、ここまで完璧にまるでたった今、摘み取ったかのようにはナルキーサスには戻せない。

 ナルキーサスは、改めてその魔力を見つめる。

 そこに付属された魔力には得体の知れない力が宿っている。それは間違いなくあの神父が普通ではないことを知らしめている。


「あの日、私が診た男の足の傷も解読を掛けた結果、同じ色の魔力が確認されている。普通魔力は一色だ。こんなに不思議な色をした魔力を見るのは初めてだ」


「私だって初めてですよ」


 アルトゥロが花を見ながら言った。


「二色持ちなんて、遠い昔の文献に僅かに記述があるだけです。それだって真偽の程ははっきりしていないのに……一体、あの神父は何者なんでしょう?」


「さあな。だが……」


 ナルキーサスは花に唇を寄せる。


「コレクションに加えたい顔であるのは間違いないな。あの見習い君の方も実に可愛らしかった」


「いい加減にしてください」








「お母さん、リース、これお土産!」


 ジョンが母には綺麗な木製のボタンをリースにはクッキーの袋を渡す。

 真尋と一路は、ソファに座ってそれを眺める。ここはジョシュアたちが宿泊する部屋だ。ベッドが二台有るのは変わらないがソファセットがあって部屋も少し広い。


「まあ素敵。ありがとう、ジョン」


「ありがとー」


 母と弟の笑顔にジョンは顔中を綻ばせる。その笑顔に真尋と一路も自然と表情が緩む。リースが食べたいと強請れば、夕飯前だから一つね、とプリシラが笑う。


「マヒロさん、イチロさん、ありがとう。ジョンはいい子だった?」


「ああ。お蔭で色々と買い揃えることが出来て助かった。ジョンは店に詳しいな」


「ええ、町に来ると必ずジョシュアと市場通りに行くから。私は町にはあまり慣れなくて、いつも道に迷っちゃうの」


 プリシラが少し拗ねたように言った。

 リースが、ジョンにも一つクッキーを上げてジョンが嬉しそうにそれを頬張った。仲の良い兄弟だ。


「マヒロさんは、胸に素敵な花束を飾っているのね」


「ああ、これか? 可愛い兎の花売りから買ったんだが、そういえば花瓶が無いな」


「僕の鞄にガラス瓶入ってるからそれでいいんじゃない?」


 一路の言葉にそうだな、と頷いて返す。


「お兄ちゃん、明日は何するの?」


 ジョンがこちらにやって来て真尋の膝に登る。ちなみにロビンは、プリシラに撫でられてその膝の上に伸びきっている。


「そうだ、一路、俺は明日、クロードと約束をしているからあいつの家に行って来る」


「そうなの? なら僕は、カマルさんの所に行ってこようかな、ロビンのことをちゃんと聞きたくて」


「なら明日は別行動だな」


「僕も行きたい!」


「あら、ジョン、明日はおばあちゃんちに行く約束でしょう?」


「やだ! 僕お兄ちゃんと一緒が良い!」


 しがみついてくるジョンを真尋はぎゅうと抱き締める。

 プリシラが「だめよ」と眉を寄せる。流石の真尋だって母親が駄目よ、というのなら、良いとは言えない。これが迷惑をかけるからとか言うなら真尋だってそんなことはないと言えるが、ジョンは祖母の家に行く約束をしているのだからそれを反古にさせるのは良くない。


「ジョン、俺と一路は明後日から家と教会の掃除を始めるんだ。それの手伝いにならいつでも来てくれ」


「あ、そうそう。大きい家でね探検のしがいもあるし、温室があってね、水遊びも出来るよ」


「……お手伝いしたら、遊んでくれる?」


「ああ。幾らでも。だから明日は、おばあちゃんちに行くんだ。ジョンだっておばあちゃんが好きだろう?」


 ジョンがこくりと頷く。


「ならおばあちゃんだってジョンに会えるのをとても楽しみにしている筈だ」


「……分かった。じゃあ今日はお兄ちゃんの部屋にお泊りしたい!」


「こら、ジョン!」


 真尋はジョンの強かさに思わず笑ってしまう。


「俺は構わんが、お母さんが良いって言ったらな」


 嬉しそうに顔を輝かせたジョンが真尋の膝から降りてプリシラの元に行く。ロビンが何事かと顔を上げたがジョンだと分かるとまた伸びきった犬になる。


「ねえ、お母さんいいでしょ! 僕いい子にする!」


「……マヒロさん、イチロさん、本当にいいの?」


 プリシラがこちらを振り返る。


「ジョン君がいてくれれば、この本馬鹿が夜通し本を読むのを止めてくれると思うので、僕は有難いんです」


 にこっと笑う一路の言葉がどことなく刺々しい気がする。昨夜、ロビンを餌で釣ったのをまだ根に持っているのかもしれない。


「ジョン、お兄ちゃんたちの部屋で騒いだり、走り回ったりしちゃだめよ。それとご飯をちゃんと食べてシャワーもしっかり浴びること、分かった?」


「うん!」


「ならまた後で迎えに来る。ベッドの上の本を片付けなければ」


「本当にね」


 一路の視線が痛い。

 実は昨夜も一路のベッドにお邪魔した真尋である。一路より後に寝て一路より先に起きたのだが、どういう訳かバレて怒られた。


「じゃあね、ジョンくん、また後でね。ロビン、おいで」


「うん! 早く迎えに来てね!」


「ああ、分かった」


 真尋はぽんとジョンの頭を撫でて、一路とロビンと共にジョシュアの部屋を後にする。

 ジョシュアたちの部屋は四階なので、真尋たちは階段を上がる。ロビンがひょいひょいと真尋の前で軽やかに階段を上がっていく。


「早く家を綺麗にしないとね、真尋くん、だんだん眠る時間が短くなってるでしょ」


「別に元々、睡眠時間は短い方だし眠りも浅いからな、まだ問題ない」


「大有りだよ。まあこれだけ人が出入りしてれば仕方がないとも思うけど……今日はジョンくんが来てくれるんだから早く寝なよ?」


「子供に夜更かしをさせる訳にはいかんからな」


 一路の疑わしいと言わんばかりの視線に信頼の薄さを感じながら、真尋は自室のドアを開けるのだった。




――――――――――――――


ここまで読んでくださってありがとうございます!


レイはなかなかどうして難しい子です。

次回は真尋と一路は別行動です!


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです♪



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― 新着の感想 ―
[良い点] マヒロがミアと一連のやり取りを終えて帰ってくるまで立ち去らないで待ってるレイはやはり良い子(笑)なのかもしれない(^^) 一抱え(大袋)のお菓子が3日持たないのか… その他にしっかり三食…
感想一覧
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