第十四.五話 奇跡に対しての治癒術師の見解
「奇跡、ねぇ」
「ええ、ええ、あの神父様は、私の夫に奇跡を起こして下さったんです」
クレアという老婦人が両手を胸の前で握りしめて何度も何度も「奇跡でした」と繰り返した。
ブランレトゥの魔導院の最高責任者である魔導院長・ナルキーサスは、目の前の診察台に横たわる患者の傷一つ無い、太ももを見ながら首を捻った。
「本当にナイフで刺されたのか?」
思わず口を突いて出た言葉に男・ルーカスが頷いた。
「一瞬、冷たさを感じたと思ったら酷い痛みが走って、血が止まらなかったんだ。もう駄目かと思ったが、神父様が丁寧に治癒魔法を施して下さった」
確かにルーカスは、大量の血を流した後らしく、青白い顔をしていて、先ほど確認した彼のステータスでもHPがかなり減少してしまっていて、彼らの言う神父が治癒を施さなければ、この老人は店の床で妻に泣かれながら死んでいただろう。
それにその名残として、ルーカスのズボンはナイフで切られた跡が残っている。
「神父、なぁ……」
ナルキーサスは、カルテに貧血と書き込みながら、首をひねる。
魔導院にその騒ぎの噂が飛び込んできたのは、丁度、午前中の診療を終えた頃だった。食堂で食事をしていたナルキーサスの所に義弟でこの治療院の院長を務めるアルトゥロが話を持って来たのだ。
曰く「Aランクのレイが、神父に負けた」とのことだ。神父は二人いて、一人は見習いらしい。どちらも年若い青年で一方は、人形のように整った顔立ち、もう一人は女の子のように愛らしい少年だという。本当にレイを負かしたのか、詳しい話は分からないが、この老人を神父が治したのは間違いない。騎士が寄越した報告書にもそう記載があるし、直接話をした騎士も間違いなくあれはレイを負かした神父だと言っていた。ギルドでも一緒に居た元Aランク冒険者で未だに街で根強い人気を誇るジョシュアも一緒だったというから、確かに本物なのであろう。
「神父様は、見たことも無い位に綺麗なお顔の男の方でした」
クレアが夢でも見ていたかのように告げる。
こんこんとノックの音が聞こえて、入りますよ、とアルトゥロが入って来る。
「お呼びですか?」
「ああ。これを見てくれ。患者はルーカス、七十歳、右大腿部を……刺されたらしい」
傷一つない肌を指さしてナルキーサスは言った。アルトゥロがそこを覗き込んで、まさか、と零す。
「義姉上、冗談は程々にしてください。どう見たって傷痕一つないじゃないですか」
「神父様が奇跡を起こして下さったんです」
クレアがアルトゥロにも告げる。アルトゥロは、神父という言葉に驚いたように眉を上げ、ナルキーサスを振り返る。
「治癒魔法、それも最上級レベルの《ヒール・クテュール》が行使されたことは、残っていた魔配からも間違いない。ただかなりの強い魔力の持ち主だ。私を軽く凌ぐだろうな。ルーカス、起きて良いぞ」
ナルキーサスの言葉にルーカスが体を起こす。アルトゥロが手をその背に添えて、彼が起きるのを手伝った。クレアが彼が脱いでいたズボンを渡せば、ルーカスはベッドから降りてズボンを履いた。その動作を見ても怪我をしたという足には何の後遺症も異変も見られない。
「……ん? これはどうした? 何かに引っ掛けたか?」
ナルキーサスはルーカスの綿のシャツの左腕の袖が破けていることに気付いて手を伸ばした。
ルーカスが、一瞬、首を傾げた後、ああ、と思い出しように声を上げた。
「クレアを庇った時にナイフが掠めたんだ。でも、もう一人の女の子が治してくれてな」
「あらやだ、あなた。あの方は、可愛らしかったけど男の子ですよ」
くすくすと笑いながらクレアがぺしりとルーカスの肩を叩いた。
ルーカスは驚いたように目を瞬かせている。
だが、ナルキーサスとアルトゥロは、言葉を失っていた。腕にだって、傷痕一つ無い。シャツが切られていなければ気付かなかった。ルーカスですら、忘れていたということは、傷が完璧に治っているということだ。
こんなに血生臭くない刺し傷や切り傷の術後を見たのは治癒術師をやって長いが初めてのことだ。クレアが言うには、服についていた血もその神父が綺麗にしてくれたらしい。
「……ルーカス、二、三日は安静にしていろ。薬を出すから朝晩、かならず服用してくれ。クレア、ルーカスが食べられるようであれば、コションのレバーや色の濃い野菜などを使った滋養のある食事を用意してやると良い」
ナルキーサスは、額を押さえたくなるのをぐっとこらえて、老夫婦に言った。
二人は、ありがとうございます、と深々と頷くと治癒助手に案内されて診察室を出て行く。ナルキーサスは、ドアが閉まると同時に椅子に深く腰掛けて背もたれに沈む。アルトゥロに報告書を渡して、長々と息を吐きだす。
「あんなにも完璧な治癒魔法など初めて見た」
「私もですよ。クナーブ魔導士長ですら、あんな風には治せないでしょう」
「……一体、何者なのだ? ジョシュアと一緒にいる神父というのは」
そう呟いて、ナルキーサスは天井を仰いて前髪を掻き上げた。
魔導院から目と鼻の先のメインストリートの魔物屋で傷害事件が発生したと聞いた。被害者は高齢男性で太ももを刺されて大量の出血があるとも聞いた。だが、運ばれて来た男は、顔色こそ悪いが傷一つなく、けろりとしていた。
傷を治すことが治癒魔法の本質ではあるが、傷痕一つ残さないなんて話は初めて聞いた。
「……ところで容疑者の方はどうなってる? 起きたか?」
傷害犯の方を診ていたアルトゥロに尋ねる。アルトゥロは報告書から顔を上げる。
「記憶がさっぱり無いそうです。ただ、酷く恐ろしいものを見た気がすると。そして、気付いたら治療院にいて……けれど、とても綺麗な顔を見たと、あれは神様だったかもしれません、とのことですよ」
アルトゥロが呆れたように言った。
「神様のように美しくて、奇跡のような治癒魔法を使う神父か……」
ナルキーサスは、指で自身の唇を摘まむ。
思わず笑みがこぼれて目を細める。
「ははっ、是非ともこの目で見たい! そしてコレクションに加えたい! その女の子のように可愛い男の子とやらもな!」
「義姉上、病気が出ています」
アルトゥロの冷たい言葉には聞こえなかったふりをして、ナルキーサスは立ち上がる。
「どこへ行くんですか?」
ぐっと伸びをすれば凝り固まった筋肉が伸びて気持ちが良い。
「神様を見たというその青年に詳しい話を聞きに行くのさ……私は、認めないからな」
くすり、とナルキーサスは唇に笑みを乗せた。
「魔導師としても治癒術師としても、奇跡なんて至極下らないものは、絶対にね」
自分で思ったよりもずっと冷たく冷えきった声が落ちた。
アルトゥロは、何か言おうとしたかのように口を開いたけれど、結局、何も言わずに口を閉じて、ゆっくりと頷いた。
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