第十四話 気付かなかった男
「まあ、イチロだからな」
クッキーを齧りながら、一連の話を聞いたジョシュアは、そう言って訳知り顔で一人納得した。
問題児の一路は、メイドに案内されて風呂場で幼獣を洗っている。
真尋は、膝の上に座ったジョンを撫でて心の平穏を取り戻そうと試みた。これおいしい、と嬉しそうにジュースを飲むジョンは、素直で可愛くて一路の所為で荒れた心が凪いでいくのを感じた。
案内されたゲストルームは、品の良い調度品でまとめられていて、まるで高級ホテルの一室の様だった。ふかふかのソファは座り心地も最高だ。
ジョシュアとカマルが一人掛けのソファに座り三人掛けのソファにリックとエドワード、二人掛けのソファに真尋が座って真尋の膝の上にジョンが居る。テーブルの上には、爽やかな風味のハーブ水の入ったグラスとクッキーが置かれていた。
「お兄ちゃんも飲む?」
はいと差し出されたのは、果物を絞ったジュースで、真尋は一口だけ貰う。爽やかな柑橘のジュースはさっぱりしていて美味しかった。
「これね、クッキー食べた後に飲むと、すっぱぁ!ってなるよ、不思議だね!」
ジョンがジュースとクッキーを手にはしゃいだ様子で言った。
真尋は、ああ可愛い、とジョンを抱き締めてその頭に顎を乗せる。重たいよ、と笑う声が聞こえた。
「マヒロ神父様は、見かけによらず子どもが好きなんですね」
カマルがにこにこと笑いながら言った。
「面倒見もいいんだぞ。見かけによらず」
ジョシュアまでそんなことを言う。
「年の離れた弟がいるからな、ジョンみたいに素直で可愛いんだ」
ジョンの金茶の髪を指で梳く。柔らかな髪質は、子ども独特のものだ。細く繊細な髪がするりと指先を遊ぶように抜けていく。
「へぇ、似てるのか?」
「そうだな、俺もあいつらも父親似だから、よく似ているとは言われるが、あいつらは表情豊かで実に可愛い」
「ははっ、真尋は良い父親になれそうだなぁ、ん? でも聖職者は結婚できないんだったか?」
ジョシュアがミント水を飲んでカラカラと笑いながら、ふと首を傾げた。
「ティーンクトゥス神は、愛を何より大事にするからな、聖職者だろうが信者だろうが修道女だろうが、愛さえあれば結婚は自由だ」
ティーンクトゥス教というものの在り方や役割など、そういったことは森の中で夜になると一路と話し合った。どう布教すべきか、どう伝えていくべきか、どういった形で信仰を得て行くべきか、禁止事項や逆に推奨すべきことなどを話し合ったが、まだ全てがこうと決まっている訳ではないし、もっときちんと話を詰めていく必要もある。けれど、真尋も一路もあの愚かで阿呆で弱虫で愛情深い神様の為に、愛を説くことだけは忘れないようにしようと決めたのだ。
「そうなんですか。私の聞きかじった情報によれば、パトリア教では聖職者は結婚も性行為も全て禁止だった気がしますが」
カマルが言った。
「……それはまあご立派なことだな。所でこの国では結婚の式などはどうしているんだ?」
「男女ともに十八になって成人を迎えると結婚可能になるので、商業ギルドで書類を貰って書き込み提出すればそれで公的な手続きは終わりです」
「まあ一応、親戚や友人を呼んでパーティーはするけど式なんて仰々しいものはしないな……マヒロさんの故郷では違うのか?」
真尋の疑問に答えてくれたのはリックとエドワードだった。
エドワードが興味津々といった様子で尋ねて来る。
「そうだな、パーティーをするのは一緒だが、俺の故郷は神前で永遠の愛を誓う。男はタキシードだが、女性は白いドレスを身に纏う。教会に親族や親しい友人を招いて行うんだ。そして、ヴェールを被った花嫁は、父親にエスコートされて白い布の敷かれた通路を歩き、夫となる者のところへ向かう。そして、神父の言葉に従い、神に永遠の愛を誓い、誓いのキスをする。神聖で厳かで穢れない儀式だ」
真尋はミント水に手を伸ばす。
「ヴェールには魔除けの意味があって、邪悪なものから花嫁を守るという願いが込められている。母親が式が始まる前に花嫁のヴェールを下ろすんだ。……考えてもみろ、父親に手を引かれて、妻となる愛しい女性が自分の元へと歩んでくる。そして、相手の父親、或は、後見人に託される訳だが、男としての責任の重さを感じると同時に認められた喜びも感じるだろう」
リックとエドワードがどこからともなく取り出した手帳に何故かメモし始める。
「愛しい女がこの日の為に、一生の内、一番綺麗に美しく着飾って自分の元に来るんだ。そして、神という唯一不変の存在に永遠を誓い、母の愛が込められた清らかなヴェールを捲って、新郎だけが贈ることを赦されたキスをする。このキスは、愛だけを誓うものじゃない。それはつまり、これから先、彼女の父や母に代わって彼女を護るという誓いも含められている。男はこの日、愛を誓うと同時に一人の女性の人生を、貰い受ける覚悟を誓うんだ」
「……結婚したい……っ」
エドワードが唸る様に言った。リックも隣で唇を噛み締めるようにして頷いている。
この二人は結婚願望が強いようだ。教会で行われる結婚式は女性に売り込んだ方が良いかと思ったが、騎士が相手だとこの「誓う」という神聖さがグッとくるのかもしれない。今後の教会の活動の参考にしようと真尋はミント水を飲みながら、心のメモ帳にしっかりとメモをしておく。
「想像するだけでも、身が引き締まる思いですね……ご両親にご挨拶申し上げた時に幸せにしますとは言いましたが、そこまでの覚悟を私はしていたでしょうかねぇ」
「プリシラに会いたくなって来た。帰りたい」
カマルはしみじみと想いを馳せて、ジョシュアは両手で顔を覆って項垂れた。
「結婚の予定でもあるのか?」
真尋は唸る騎士二人に問いかける。
「いえ……それが全く」
「それにまだ三級騎士だから、次の昇級試験に受からないとそもそも結婚できない」
リックが半笑いで答えて、エドワードが悲しそうに言った。
「その三級っていうのは何だ? 冒険者のランクみたいなものか?」
「そうですね、それに近いです。基本的に十五歳になると騎士団への入団試験が受けられるようになります。合格後、半年は見習い騎士として騎士団の仕組みや騎士としての心構え、役割、振る舞いなどを徹底的に叩き込まれます。半年後、騎士の資格有りと判断されると五級騎士となり、その後は経験を積み騎士として武芸の腕を磨き、昇級に相応しいと判断されると昇級試験が受けられますので、そこから級を上げて行きます。騎士として一人前と呼ばれるのは、二級騎士からなんです。無論、一級に昇級することも難しいのですが、その上、真の騎士とも呼ばれる正騎士になれるのは更に難しく困難です。とは言っても、騎士にとって正騎士となることは、目標であり決意でもありますので皆、そこを目指して日々の修練に励んでおります」
「ちなみに俺とリックは次の昇級試験を受けられるんだ。二級に上がると漸く結婚とかも出来るようになるからな。三級までは寮住まいで衣食住が保証されているから安月給なんだ。俺は絶対に結婚したいから、最低でも二級騎士にならないと」
「ほう、騎士も大変だなぁ」
真尋は、他人事のように言ってミント水のグラスをテーブルに戻す。
エドワードが「家庭的で可愛い子と結婚したい」と呟くと同時に、コンコンとノックの音が聞こえて、カマルが返事をすればドアが開く。
「本当に助かりました、ありがとうございます」
一路がお礼を言う声が聞こえてどうやらあの子犬を洗い終えたようだと真尋はドアの方を振り返る。
一路は、腕に白銀の毛並みに輝く子犬を抱えて部屋に入って来る。
「随分と綺麗になったな」
「可愛いね!」
声を発したのは、真尋とジョンだけで、嫌に静かだなと振り返ればそれ以外の者は驚きに目を丸くして固まっている。
一路は「驚きですよね、洗ったら白銀だったんですよ」と笑いながら入って来て、真尋の隣に腰掛ける。膝の上に乗せられた子犬は、痩せてはいるが逞しい骨太の立派な四肢をしていて将来は大きくなりそうだと思った。
「触って良い?」
「優しくね」
ジョンの言葉に一路が返せば、ジョンが優しく子犬の頭を撫でる。子犬は大人しく撫でられている。真尋も手を伸ばして、耳の裏を掻いてやれば気持ちよさそうに目を細めて、ふさふさのふわふわになった尻尾をぶんぶんと揺らした。
「……ジョ、ジョン、こっちに、一度、こっちに来い」
何故かジョシュアが蒼い顔で息子を呼んだ。ジョンが首を傾げながら真尋の膝を降りてジョシュアに駆け寄ると、ジョシュアはひょいと息子を抱き上げる。
「ま、まさか……」
「嘘だろ……」
リックとエドワードはまるで幽霊でも見たかのような顔で一路にじゃれつく子犬を見ている。カマルは、蒼い顔で今にも気絶しそうだ。その肩の上でリーフィはぶわりと羽毛を広げて硬直している。
真尋も流石の一路も異変に気付いて首を傾げる。
「この子犬、何か問題があるのか?」
「こ、ここ、子犬なんて可愛いものじゃないですよ!」
カマルがぶんぶんと首を横に振った。リックとエディがカマルの言葉にぶんぶんと首を縦に振って同意する。
ジョシュアがゆっくりと口を開く。
「イチロ、それは……ゲイルウルフなんて可愛いもんじゃない。魔の森に棲むA+ランクの上級魔獣、ウルフ種の最上位種――森の王者・ヴェルデウルフの幼獣だ」
真尋と一路は顔を見合わせ、一路の膝の上で尻尾を振っている子犬を見つめる。綺麗なブルーの瞳をしていて、真っ黒な鼻が可愛い。確かに子犬にしては犬歯が立派で鋭いが、腹まで見せて撫でろとじゃれるこの子犬がそんな御大層な存在には見えない。
「道理でうちの息子では従魔に出来ない訳です……格が違い過ぎます」
カマルが納得したように言った。リーフィは未だに膨らんだまま硬直している。
一路が今頃になって鑑定をかけた。
「あ、本当だ……ゲイルウルフじゃない」
一路が呟く。
真尋は、やれやれと肩を竦めながらカマルを振り返る。
「カマルの知り合いの調教師にこれを従魔に出来る者はいるのか?」
「ヴェルデウルフを従魔にしている調教師なんて聞いたことが無いですよ……そもそも、ヴェルデウルフは希少種中の希少種で捕獲も討伐も全て禁止された魔獣です」
「従魔にするのは有りなのか?」
「従魔というのは契約で、双方が納得しないと結べませんし、捕獲や討伐に従魔契約は入りませんので出来るには出来ますが……ですが、うん、そうですね、そうしましょう! イチロ神父様が従魔契約を結べば万事解決です!」
「……え!?」
カマルがまるで名案だという様にそのラクダ顔を輝かせて立ち上がった。リーフィがばさりと翼を広げて止まり木へと移動する。
「僕が、従魔契約って、あのその、僕まだ宿暮らしで」
一路は混乱しきった様子で慌てて言葉を紡ぐ。
「冒険者向けの宿は、従魔なら宿泊可能になっているから大丈夫ですよ。調教師は冒険者になることも多いですからね!」
「だが、カマル、イチロは調教のスキルを持っていないんだぞ? それで大丈夫なのか?」
ジョシュアが心配そうに言った。
「調教のスキルは、魔獣と心を通わせやすくするだけのものですから。スキルが無くても契約は出来ますよ。私の知り合いに二人ほど、調教スキルを従魔契約の後から獲得した猛者が居ます」
カマルはそう言ってこちらにやって来る。騎士たちは、口を挟むことも出来ずに呆然とソファに座り込んだままだ。
「契約の方法は、簡単です。イチロ様の血をこの幼獣に舐めさせてください。そして、名を与えれば契約は完了となります」
「……ま、真尋くん」
一路がどうしようとこちらを見上げて来る。
「良いんじゃないか。お前、犬好きだろう? 躾も得意だし」
「そういう問題か!? あとそれは犬じゃない! 魔獣だ!」
固まっていたエドワードのツッコミが入る。リックが頭が痛いと言わんばかりに額を抑えていて、ジョシュアは半笑いだ。
「私とリーフィの命の恩人であるイチロ神父様なら、立派な調教師にもなれますし、私共も全力でサポートいたしますとも! 当店は調教師向けの商品も多数取り扱っておりますから!」
カマルがニコニコしながら言った。流石、商人は立ち直りが早い。
一路は、膝の上で尻尾を振っている子犬に顔を向けて脇に手を入れて持ち上げた。ブルーの瞳は、じっと一路を見つめていて、尻尾はぶんぶんと左右に振られている。
「なら、家族になろっか」
一路はあっけらかんと言って笑う。
子犬は、きょとんとして首を傾げた。
「そうしたら君はもう寂しくないから」
一瞬、動きの止まった尻尾は、次の瞬間、ぶんぶんと引きちぎれんばかりの勢いで左右に忙しなく動く。一路の顔をべろべろと嘗め回す子犬に、一路が笑いながらストップをかけるが、子犬は嬉しさのあまり聞いてはいない。
あの檻の前で真尋たちが言葉を交わしている間、一路はずっと檻の奥に蹲っていたこの小さな狼を見つめていた。その時、彼は自分たちには聞こえない声が聞こえていたのかも知れない。後で聞いてみよう。
「名前はポチにしよう」
「しないよ」
真尋の提案をすっぱり切り捨てて、一路はソファから立ち上がり、子犬を床に下ろした。一路はカマルが差し出したナイフを受け取り、指先に傷を付けた。片膝をつくと赤い血の滴る指先を子犬の口元に運ぶ。
「君が良ければ、僕と家族になろう」
「わんっ!」
子犬は一路の言葉に躊躇いなくその血を舐めた。瞬間、ふわりと琥珀に緑の滲んだ不思議なヴェールが子犬を包み込む。その色は、一路の魔力の色だ。
「さあ、イチロ神父様、名を」
カマルに促されて一路は、両手を子犬に伸ばしてその顔を包み込む。
「君の名前は、ロビンだよ」
名が与えられると一路の魔力色のヴェールは優しく子犬を包み込み、その体に沁み込む様にして消えて行った。
ロビンという名を与えられ、従魔になったヴェルデウルフの幼獣は嬉しそうに一路に飛びついて、その顔を嘗め回す。一路は尻餅をつきながらもロビンを受け止めて、落ち着いて、と笑いながら声を掛ける。
「ロビンというとお前のことだから、ロビン・フッドか?」
「そう。小さい頃、おじい様が良く話してくれた僕のもう一つの故郷の弓の名手の名前。ほら、落ち着いて」
くすくすと笑いながら一路がロビンを抱き上げて、ソファに座り直す。
ロビンは、嬉しくて嬉しくて仕方がないとばかりに一路に体当たりをして、それだけでは飽き足らず真尋にも体を押し付けて来る。真尋は一路の膝の上からひょいとロビンを抱き上げて、自分の膝に乗せてぐしゃぐしゃと撫でる。くんくん鳴きながらロビンは嬉しそうに尻尾を振っていた。
「リック、エディ、全てを丸く収めて納得する呪文を教えてやる。覚えておくとこれから重宝するぞ」
酸っぱい様なしょっぱい様な何とも言えない顔をしている騎士二人にジョシュアが悟りを開いた仏の様な顔で告げる。
「“だってマヒロとイチロだからな”だ。これですべてが丸く収まるぞ」
「……成程、了解です」
リックがははっと乾いた笑いを零して返事をした。
「カマルさん、あとでお世話の仕方とか教えてくださいね」
「イチロ神父様には何だって教えますとも!!」
カマルは嬉しそうに頷いて、リーフィも止まり木の上でほーと鳴いた。
「お兄ちゃん、僕も撫でたい!」
ジョシュアの膝から飛び降りてジョンがやって来る。飛びついたロビンにジョンが尻餅を付き、ジョシュアが顔を青くするがすぐにジョンの笑い声が聞こえて来て表情を緩めた。
じゃれつくロビンにジョンもじゃれ返す。見ているだけで癒される素晴らしい光景だ。
「うちの息子は、世界で初めてヴェルデウルフと遊んだ子供だな」
「でしょうね」
ジョシュアの言葉にエドワードが深く頷いて、大人たちはしばらく戯れるジョンとロビンを眺めていたのだった。
「では、以上で聴取を終了いたします」
「ご協力、ありがとうございました」
頭を下げるリックとエドワードに真尋たちも会釈を返す。
真尋の膝の上にはすやすやと眠るジョンの頭が有って、ジョンの腕の中には遊び疲れて眠ってしまったロビンがいる。
あの後、すっかり忘れていたと言いながらリック達が事情聴取のことを思い出し、真尋たちはそのまま話をすることになった。とは言っても、真尋たちは、最初からあの男に気付いていた訳ではないので騒ぎが起こってからの話である。
「男の意識が戻ったらまた別の話が聞けるとは思いますが……カマルさん、本当に見覚えはありませんか? 何か恨まれる心当たりなどは?」
そう言ったのはエドワードだった。
カマルは、リーフィを撫でながら頭を捻る。
「幾ら考えても無いですねぇ……私は別に誰かに恨みを買うような仕事はしておりませんよ……向かいのクルィークさんはうちのことが嫌いですけどねぇ。だからといってこんな真似はしないでしょうけどね」
「ロークとクルィークの仲の悪さは、有名な話ですが、何でそんなに仲が悪いんです? だって、確かに同じ魔物屋ですが、ロークは牧羊、向こうは愛玩で種類が違うじゃないですか」
エドワードが不思議そうに首をひねる。
「ええ、本来ならライバルとは言えども扱う魔物の違いがあるのでここまで仲が険悪なのはおかしいんですが、私の祖父の父、つまり私の曽祖父の代でロークとクルィークは……痴情の縺れというやつで決別したそうです」
カマルの言葉に部屋の中に微妙な空気が漂う。
「何でも私の曾祖母は、町一番の美女で曾祖父たちは彼女を巡って喧嘩をして、彼女が私の曽祖父を選んだことによって仲は最悪になってしまったんですよ。曽祖父は非常に優れた人物で、その方はいつも負けてばかりいたそうで、しまいには女まで取られてしまい、向こうはコンプレックスをさらに拗らせて意固地になってしまって……それ以来、クルィークが一方的にうちを敵視しているんです。現店主も私の同級生なのですが、話をする前から私を嫌いでどうにもこうにも。ですが、私の息子と向こうの息子は仲が良く、次の世代こそ仲直りが出来ると思ったのですが……」
カマルは、しょんぼりと肩を落として首を横に振った。
「息子さんは、父親のマノリスと仲違いをして十年前に出て行ったきりです」
「それは知ってる。一時、冒険者ギルドにマノリスが人探しの依頼を持ち込んで、騒いでいたからな。人探しは冒険者たちの仕事じゃないから受けられないってマスターが断ったんだ。それ以来、マノリスは冒険者嫌いで有名だ」
「逆恨みじゃないか」
真尋は呆れ交じりに言った。ジョシュアは、まぁなと苦笑を零す。
「ええ、マノリスはあれ以来、冒険者ギルドに魔物や下級魔獣の捕獲を依頼することは一切しなくなりましたねぇ。なんでも、腕の良い狩人を集めて、捕獲をさせているみたいですけれど、もう三年は口を利いて居ませんのでなんとも」
「商業ギルドの話し合いでもか?」
エドワードが目を瞬かせる。
「向こうが私をいない様に扱うので。ギルドマスターも再三、注意はして下さったのですがねぇ」
カマルは心の底からどうしようもないと言わんばかりにため息を零した。リーフィが慰めるようにカマルの頭をつついた。カマルは礼を言って、リーフィを撫でると、窓の外を見て、あ、と声を上げた。
「もう随分と日が暮れてしまいましたね」
言われて見れば、窓の外はもう薄暗く、僅かな夕焼けの名残が空に薄っすらと残るのみだ。
「馬車を手配しましょう。少々、お待ちを」
カマルがそう言って立ち上がり、廊下へと消える。
ジョシュアがジョンを抱き上げる。起きる気配のないジョンは、すやすやと気持ちよさそうな寝息を立てている。一路もロビンを抱き上げた。ロビンは眠たそうな顔で欠伸を零した。
リックが触って良いか尋ねれば、一路が彼の腕にロビンを抱かせた。エドワードが恐る恐る撫でるが、ロビンはお構いなしだ。
「見ろ、エディ、今、ヴェルデウルフを抱っこしている。帰ったら自慢しよう」
「俺も撫でてる……人生でこんな日が来ようとは、俺も抱っこしたい」
二人は感慨深げな様子でロビンを撫でて、その腕に抱える。ロビンはされるがままだ。檻の中に居た数時間前の警戒心露わな姿が思い出せない。
リックとエドワードは、二人とも今年二十歳になる十九歳で、真尋たちの一つ上だ。騎士である彼らは大人びて見えていたが、無邪気にロビンを撫でる姿は、自分達と年の変わらない青年のように見えた。
「そういえば、貧民街で変死体がどうのと言っていたが、何なんだ?」
「ああ……今月に入って、十一名の貧民街の住人が、貧民街の路地裏やゴミ捨て場、空き地なんかで死体で見つかったんだ。皆、一様に苦悶の表情を浮かべていて、胸に自分の爪で掻き毟った酷い傷があるんだ。俺も一体だけ回収したが、爪に肉片が入り込む程、胸を掻き毟っているんだ」
「年齢も性別も種族もバラバラで、全員、死因は心不全という形で処理されているのですが、何とも腑に落ちない事件です」
「そんなにベラベラ喋ってもいいものか?」
「この辺は、新聞に出ていることですので」
流石に機密事項は言えませんと、リックが笑った。
「そうか……新聞か」
新聞があるなら是非とも欲しい。町のことや世間の事を知るには、新聞は最も身近な手段だ。新聞や本があることから、アーテル王国は、割と印刷技術は発達しているようだ。そうはいっても新聞もどの程度のものかは分からないが。
「新聞屋に頼めば、朝刊と夕刊を届けてもらえるぞ。ただ、住所が無いとだめだけどな」
ジョンを抱え直しながらジョシュアが言った。
「じゃあまだ宿屋暮らしの僕らは駄目だねぇ」
一路が残念そうに眉を下げる。
「そうだな……やっぱりさっさと家を探すか。犬も増えたしな」
エドワードの腕で、でろーんと伸びているロビンを見ながら真尋は呟く。一路が、そうだねぇ、と頷き、腕を伸ばせばロビンは一路の腕に帰る。二人は少し名残惜しそうだった。
「そういえば、お前、さっき、向こうでロビンを見た時、この犬と話でもしていたのか?」
「んー、なんか、ロビンと目が合った途端、寂しい、怖いっていう感情がぐわって流れ込んで来て、正直、ちょっと酔ったんだよね。なんていうのかな、剥き出しの本当にそのままの寂しいとか怖いって言う想いがバァンってぶつけられて来た感じ?」
「調教師は、相性の良い魔獣や従魔の感情を読むことが出来ると聞きますから、イチロさんは余程、ロビンと相性が良かったのでしょう」
「そっかぁ。じゃあ、僕らが出会ったのは運命だね、ロビン」
リックの言葉にふふっと笑った一路がロビンの鼻先にキスをすれば、ロビンは嬉しそうに一路の頬を舐めた。
それから間もなく馬車がご用意できました、とカマルが戻って来て、騎士たちが先に馬車に乗り込み、店を後にする。店内には既に客の姿は無く、魔物とその世話をする店員たちの姿があるだけだった。床の血の痕も綺麗になっている。
「イチロ神父様、よろしければこれを」
ロビンを抱えていて手が空かない一路の代わりに、真尋が差し出された包みを受け取る。ずしりと重たいそれは一冊の本の様だった。
「これは?」
「調教師のいろはが書かれた本です。お貸ししますので、よければご参考ください」
「本当ですか? ありがとうございます!」
一路がぺこりと頭を下げた。カマルは、いえいえと首を横に振る。
「イチロ神父様は、私とリーフィの命の恩人、お困りのことがありましたら何でもお申し付けください。このカマル、例え、火の中、水の中、イチロ様の命とあればどこへなりとも!!」
「……は、はあ、どうも」
一路が引き気味に頬を引き攣らせるが、カマルはお構いなしだった。
しかし、真尋はこれはいいチャンスでは、と気付いて口を開く。
「……一路はまだ見習いでな、この国の歴史や教会の歴史について学びたいと常々言っているんだが。そう言ったことが書かれた本や資料が有れば一路の為に欲しいんだが」
「分かりました! 今夜中には宿にお届けに上がります!! イチロ神父様、すぐにお届けに上がりますからね!!」
カマルが勢いよく一路に詰め寄り、一路は「ありがとうございます」と返してそそくさと馬車に乗り込んだ。ジョシュアが「程々にな、カマル」と声を掛けて馬車に乗り込み、真尋もそれに続く。御者がドアを閉めて、少しするとゆっくりと馬車が動き出した。
「ではまた! イチロ神父様! いつでも! いつでもご来店くださいね!!」
カマルの声が響き、律儀な一路が窓から顔を出して手を振った。真尋は、思わず、くくっと笑ってしまう。そうすれば顔を引っ込めた一路に、じろりと睨まれる。
「全く、聖職者だっていうのにすぐにそうやって何でも使うんだから」
「俺は使えるものは何でも使う。なあ、ロビン」
一路の膝からロビンを自分の膝へと移動させる。真尋の言葉にロビンは首を傾げる。人の言葉を理解しているのだろうか、だとすれば実に賢い。真尋は賢い生き物は好きだ。
「明日、また冒険者ギルドに行かないとな。ロビンの従魔登録をしておかないといけないからな」
「そうなんですか?」
ジョシュアの言葉にロビンから彼へと顔を向ける。ジョシュアは、ああ、とうなずいて腕の中で眠っている息子の髪を撫でる。
「従魔用のギルドカードを貰わないと、町に出入り出来ない。それと首輪か何かをつけておくといいぞ。首輪をしておけばとりあえず誰かの所有物であると分かるからな。盗まれない様に対策はしないと、そんなに人懐こいと心配だ」
確かにロビンは、誰にでもついて行きそうだ。もしかしたらこんな性格だから、あんな罠に捕まってしまったのかもしれない。
「ヴェルデウルフってそんなに珍しいんですか?」
「俺は、冒険者時代に一度きり、魔の森の奥で見たことがある。一組の番が数頭のゲイルウルフの群れを従えていたが……あまりに美しくて、神々しくて言葉が出なかった。瞬きをするのも息をするのも忘れたよ。結局、俺もレイもサンドロも息を潜めて群れが去るのを待った。森の中ではその白銀の毛皮は目立つだろう。でも、それを纏うということはそれに見合う強さがあるということだ。故に森の王者と呼ばれる」
「……こいつが王者とはなぁ、今一つ信憑性に欠けるな」
三人の視線が、真尋と一路の膝に跨る様にして腹を見せてひっくり返っている森の王者に向けられる。幼獣だから森の王子だろうか、とも思ったが、それにしては無防備すぎる気がする。
「ヴェルデウルフは、こんなに人懐こいものなのか?」
「……そんなことは無いと思うが、ヴェルデウルフは謎が多いからなぁ」
ジョシュアは自信が無さそうに言った。
「でも、ヴェルデウルフはでかくなるぞ。そいつは雄みたいだし、雄は雌より更に一回りはでかくて、立ち上がるとサンドロを超えるだろうな」
真尋は、これから帰る山猫亭の熊の獣人を頭の中に思い浮かべた。サンドロは、二メートル以上の身長があった筈だから、立ち上がってあれよりも大きくなるとは、ロビンはかなりの可能性を将来に秘めているようだ。言われて見れば確かに今も子犬と呼ぶにはかなり大きい。
「やっぱり、庭付きの大きな家を探そう」
「そういえば、町に有ったっていう教会はどうなってるんですか?」
「俺も良くは知らない。教会は青の1地区に有るが用がない限りあっちは行かないからな、明日、家探しのついでに見に行くか?」
「ふむ、そうだな……そうしよう。おそらくパトリア教のものだろうが、使えるものは使おう」
「なら明日は、商業ギルドだな。不動産関係は商業ギルドが取り仕切っているんだ」
そうして明日の話をしている間に馬車は、山猫亭の前に停まる。御者がドアを開けてくれたのに礼を言って真尋が先に降り、次にジョシュアが降りた。最後にロビンと一緒に一路が降りて来る。
御者は丁寧に頭を下げると帰って行き、真尋たちは賑やかな声が通りにまで聞こえている宿の食堂へと足を踏み入れた。
だが、誰かが真尋たちに気付いて「神父だ」と呟いた瞬間、蜂の巣をつついたように賑やかだった食堂が一瞬で静まり返り、誰かが皿の上にフォークかナイフを落とした音がやけに大きく響いた。
真尋は、一気に集中した視線に怖気付くでもなく、腕を組んで片方の手で顎を撫で辺りを見回す。冒険者ギルドで向けられた感情がそのまま真尋たちに向けられている。ただ一路の腕に居る白い犬に気付いた者もいて、静けさの中に囁き合う声が僅かに響く。
「ふむ、一日で随分と知名度を上げたものだ」
「そんなこと言ってる場合かな!?」
一路の声が大きく響く。
「あ、あの、おかえりなさい! 今少しだけその混んでいて、良ければ部屋に食事を運ぶわ」
そう声を掛けてくれたのはローサだった。ローサは、冒険者たちの間を縫うようにしてこちらにやって来ると真尋の前に立った。彼女なりに冒険者の視界を遮ろうとしてくれたのだろうけれど、真尋より小さな彼女ではあまり効果は無い。
「ただいま、ローサ。君もギルドの一件を聞いたのか?」
真尋の問いにローサは、困ったように眉を下げて頷いた。
山猫亭は、冒険者たちの宿だ。話が届いていることは何ら可笑しいことではない。
「そうか……では、厚意に甘えて部屋で食事を取ろう」
「あ、そうだ。魔物屋ロークのカマルさんから後で遣いが来ると思うんですけど、もし来たら僕らの部屋に通して下さい」
一路の言葉にローサは首を傾げながらも頷いた。
ジョシュアがジョンの様子を確認する。ジョンは、まだぐっすりと眠っていて、真尋と一路もそのことにほっとする。
「おい、ソニア! だから待て!」
サンドロの声が調理場の方から聞こえた。調理場の入り口からソニアが出て来て、此方にやって来る。ローサが顔を青くして真尋を見上げた。
「は、早く部屋に」
ぐいと胸を抑えて真尋は一歩下がるが、真尋たちが上へと行く前にソニアが目の前にやって来た。
パンッと乾いた音が響いて、真尋は左頬に走った痛みに僅かに目を細めた。ローサが両手で口元を覆い、ジョシュアと一路が息を飲む。食堂に残っていた僅かな囁き声すら掻き消えて、食堂の中は音を忘れ去ったように静かになった。
真尋の目の前には、眦を吊り上げたソニアが立っていた。彼女の右手の手のひらが真尋の頬を打ったせいで赤くなっている。
「…………今度はっ」
掠れた声が落ちる。
溢れ出そうな感情を必死に抑え込んでいるようにも聞こえた。
「今度は、あの子から何を奪おうって言うんだ、この詐欺師っ」
吐き出された言葉は、ナイフのように鋭くて、そして、深い哀しみや憎悪に縁どられていた。
――――――――――――――
ここまで読んで下さって、ありがとうございました!
評価・ブクマ登録励みになっております!!
一路の無自覚も問題ですが、それを放置して甘やかす真尋も真尋なのです( ˘ω˘)
さて、ソニアと神父という存在について、ソニアにとってのレイについて次回は書けたらなと思います。
次回も楽しんで頂ければ幸いです!




