第六話
「クソッ、どいつもこいつも中身のない話が長すぎる……」
まとまりのない怠惰な会議を思い出し、文句を零しながら馬車を降りる。
「おかえりなさいませ」
エントランスのポーチの下で律儀に待っていた園田に真尋は目線だけを向け、彼が開けてくれたドアをくぐって中へと入る。侍従として連れていたヴァイパーが後をついてくる。閉められたドアの向こうでリックが馬と馬車を裏へと連れて行く音がした。
遅れに遅れた報告会議は、祭りによって生み出された浮かれポンチ野郎どものあれこれもあり、伸びに伸びて帰宅した現在の時刻はとうに日付も跨いだ時間帯だった。
広い屋敷の中は恐ろしいほど静まり返っている。
「…………起こすのも可哀想だ。一階の客間で寝る」
本当は妻と子どもたちの寝顔を堪能してから眠りたいが、妻と娘は音に敏感な種族だ。きっと少しの音でも起きてしまうだろう。
「ご用意してございます」
どこからともなく取り出した燭台を手に歩き出した園田の背について行く。
「変わったことは?」
「祭りの会場にてプリシラ様が掏りに遭われたそうですが、海斗様が即座に対応してくださり、ご本人は気づかなかったそうです」
「ああ、ガストンが引っ張ってきたやつか」
待機中に連絡だけはもらっていた案件か、と記憶のページをめくる。
祭り中に多発するありふれた犯罪者との報告を受けている。今頃、騎士団の地下牢で寝ているだろう。
一日の出来事を聞きながら、ジャケットを脱ぎ、ベストを脱ぎ、それを後ろにいるヴァイパーに渡していく。リボンをほどき、セットしていた髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、ネクタイも外して放り投げた。腕時計だけは自身のアイテムボックスにしまう。
「そういえば、神父服、どうにかなりそうか?」
ポチとの死闘によってボロボロになったそれは、ナルキーサスから「脱がせるときナイフが折れた弁償しろ」と返された。ナイフは弁償したが、神父服はリックとエドワードに貸した二着も含めどうにもならない有様だ。グラウにいた際に雪乃が繕おうとしてくれたのだが、どうにもこうにも針が刺さらなかったらしい。さすがはドラゴンのブレス(ポチ除く)を防ぐだけの防御力だ。
「申し訳ありません。私も鑑定スキルを駆使しているのですが、掛けられている魔法はおろか素材など何もかもが不明でございまして……」
「一応、神から賜った品物だからな。この世の道理がまかり通るわけもない。お前に分からなければ時間をかけるだけ無駄だ。明日、教会のあいつの像の足下にでも供えておけ。三日経って変化がなければクローゼットの片隅にでも保管しておけ。当面、教会関係の仕事の際は海斗のものを借りる」
「かしこまりました」
客間に到着して中へ入る。
暖炉ではゆらゆらと炎が揺れているはずだが、大きな体がその前にうずくまっていて何も見えない。
「テディ」
「ぐー」
返事だけをして、こちらを振り向くこともない。
「マヒロ様、何か飲まれますか?」
「酒」
「だめでございます」
ヴァイパーの問いに答えれば、即座に園田が首を横に振る。
「……なんでもいい」
「かしこまりました」
真尋の服を腕にかけたヴァイパーが一礼し、部屋を出ていく。
そのまま部屋に併設されているシャワールームでざっと湯を浴びて髪と体を洗い、ガウンを羽織って部屋に戻る。ソファに座れば、すぐさま園田が背後に周り、髪を乾かし始める。
ヴァイパーが運んできてくれたのは、ブランデーが香る紅茶だった。
紅茶自体がスモーキーな香りをまとっていて、そこにブランデーが加わることでより華やかな香りをまとっている。
「うまいな」
「酒精は飛ばしてありますが、とても香りのよいものでしたので」
「気に入った。ヴァイパー、もう下がっていいぞ。片づけは園田がする」
「ですが……」
「かまいませんよ」
「……では、僕はここで失礼させて頂きます。おやすみなさいませ」
ヴァイパーが一礼し、客間を出ていく。
真尋は足を組みなおし、紅茶を楽しむ。
「それで、他には何かあったか?」
「そうですね、お祭りに浮かれて、少々、我が家の周りも賑やかな様子です。……髪の毛、結んで寝ますか?」
「……ふむ。髪はゆるく結んでおいてくれ」
はい、と頷いて園田がゆるいみつあみにして、先をリボンで結んだ。真尋が髪に結ぶリボンは、毎朝、ミアが選んでくれている。
どうやらレベリオが言っていた通り、密偵たちがこの家を偵察に来ているようだ。ただの執事である園田に気づかれるのだから、そのレベルはたかが知れている。
「捕まえられそうなのはいるか?」
「どれでも」
櫛や香油をしまいながら園田が言った。
「あー。いや、やはりやめよう。害がないなら放っておけ。これ以上仕事を増やしたくない。俺は祭りの間、休みだと言っているのにこの様だからな。もし、我が家に害をなそうとしたら、捕まえてくれ」
「かしこまりました」
「それと明後日の午後。マダムが我が家に来て、雪乃とティナ、アマーリア、あと海斗のパートナーのドレスの打ち合わせをしてくれることになっているから、女性陣には出かけないように言っておいてくれ」
「明後日ですね。午後、というと昼食後ということでしょうか?」
「ああ。また時間の詳細は追って知らせる。何分、急なことだったのでマダムも無理矢理予定を開けてくれたんだ」
その時、コンコンとノックの音がして園田が対応する。入って来たのは海斗だった。
どこかに出かけていたらしく、ジャケット姿だ。
「おかえり、大分、かかったみたいだね」
「ただいま。無駄な時間を過ごさせてもらった」
真尋の不機嫌な返答に海斗は苦笑を零しながら、勝手に向かいのソファに座った。
「お前はどこか行っていたのか?」
「ちょっと山猫亭にね。ああ、ありがと、みっちゃん」
「酒精はとばしてありますので」
園田が紅茶を海斗にも用意する。海斗は「良い香りだね」と言いながら美味しそうに紅茶を口に含んだ。
「それでローサにパートナーを頼んだんだけど、ドレスの打ち合わせ、参加してもいいかい?」
「ああ。マダムにはすでに五人と伝えてあるからな。ちなみに日時は明後日の午後だ」
「五人? 雪乃とティナとローサとアマーリア様と?」
「プリシラだ。ジョシュアも冒険者代表で呼ばれてるんだ。ただアマーリア様は一応だけどな。お抱えの針子もいるだろうし」
「だったらうちも神父代表にしてくれればいいのに」
海斗が面倒くさそうに肩をすくめた。
「ジョシュアとレイは顔が売れているからな。ジークなりの気遣いだろ。知らんが」
「でもプリシラは大丈夫なの? 冬なら安定期には入っているだろうけど」
「それは分からんが……まあジークもプリシラが妊婦だということは知っているし、当日無理だとなったらジョシュア一人でも問題ないだろう。なんだったらレイもセットなら、パートナー無しでもなんとかなるだろうしな」
「当日、全力で逃げ出そうとするレイが俺には見えるね」
海斗がケタケタと笑う。
真尋はティーカップを片手にアイテムボックスから書類を取り出し、海斗に渡す。
「目を通しておいてくれ。今回の会議のあれこれだ」
「明日中でもいい?」
「かまわん」
海斗はぱらっと表紙をめくり、目次だけ確認すると自身のアイテムボックスにしまった。
「それより、よくサンドロが許してくれたな。ローサに近づく男は軒並み睨み殺されているのに」
「まあ、大変だったけど、誠心誠意、お願いしてきたからね」
「その辺で適当な女を捕まえて来るかと思っていたんだが……まさかローサとはな」
「お前、俺のことなんだと思ってんの? お前ほどじゃないにしてもさ、ストーカーとか勘違い女とか、俺だって大変だったの知ってるだろ?」
海斗が秀麗な顔をしかめる。
真尋も性別問わず変な人間に好かれあれこれ苦労をしたが、海斗はとくに変な女性に好かれて苦労をしていた。兄馬鹿なので、一路には知られないように器用にふるまっていたようだが、ストーカー撃退経験豊富な真尋には普通に相談してきた。
とにかく海斗自身が好青年でモテるのだが、口と立ち回りの上手い男なので上手に線引きをし、基本的には問題がなかったのだ。ただ稀に変な女に目をつけられるのだ。
「ストーカーに関しては俺が対処してやったからな」
「それは感謝してるよ。正直、最終手段、ジークの紹介かなと思ったんだけど、そこに紹介されたが最後、結婚まで秒読みのような気がしてさ」
「俺は既婚者、一路は婚約者持ち、そこにフリーのお前が現れたんだから、俺たちを強固に囲い込みたい者からすれば格好の餌食だろうな。なあ、園田」
「はい。真尋様の指示で、一応、断りのお返事は勝手ながらさせて頂いておりますが……」
そう前置きしてテーブルの上に姿絵が同封された分厚く大きな小包を重ねていく。
海斗の頬が盛大に引きつり、園田と小包と真尋にせわしなく視線が行ったり来たりする。
「え、まさか、これ」
「そうお前に向けた見合いの釣り書きと、あちらでいう見合い写真の代わりの姿絵が同封されている」
「あ、ちなみにこちらとこちらは届きたてほやほやで、まだお返事はしておりませんよ」
「No!! 断っておいて!!」
園田が指さしたそれに海斗が顔を青くして叫ぶ。
「いつから!? 聞いてないよ!?」
「雪乃たちはともかく、お前は神父として当たり前に出歩いてただろ? だからグラウにいる頃からこうして届いてるぞ。勉強が忙しそうだし、今は興味もないだろうと勝手に断っていたが……」
「Thank you!!!!」
「どういたしまして」
力強く叫んだ海斗に、ふっと笑いを零し、真尋は紅茶を飲む。大分冷めてしまったが、ヴァイパーの淹れる紅茶は、冷めても美味しい。
「あぁぁぁぁ、ローサが引き受けてくれて、本当に良かった……!! もうお兄さん、どんなドレスでも宝石でも買ってあげちゃう!!」
「どこにも角が立たん上、文句もつけにくいところから選んでくれて、俺としても有難い」
ローサはまだ十六歳と若いが、看板娘として幼いころから働いている経験のおかげでその場の空気を読む能力に長けているし、彼女自身、正義感が強く明るくさっぱりとした人物だ。それにローサの父親のサンドロは、元がつくがBランク冒険者で、彼のバックにこの町の顔であるAランクのジョシュアやレイがいるため、文句もつけにくい。その上、あのレイがローサを妹のように可愛がっているのは周知の事実なので、より口出ししづらいのだ。
「これ、お前とか一路には?」
「俺はもう既婚者だと大々的に知られているのでないが、まだ婚約段階の一路はちらほらくるな。それも全部、あいつに下ろす前に俺が断っているが」
「っあー、こっちでもそういう面倒くさいのはあるんだねぇ」
「あっちでもお前にはかなり見合いの話があったしな。まあ俺もだが」
「俺の一路は可愛いから、本人に言ったら怒るだろうけど、まだ『子ども』扱いであんまりなかったんだけどね。とはいえ、うちは母さんが父さんに一目ぼれして結婚したじゃん? だから俺が嫌なら断るよ、スタンスだったからさ」
「うちのクソ親父にも見習ってほしかったな。あのクソ親父、母さんに怒られると分かっているから、母さんに内緒で当日知らせてきたからな」
「てかさ、雪乃もよく普通に送り出してたよな」
「俺が雪乃以外の女に一切興味がないのを分かってくれているし、そもそも見合いごときで揺らぐような信頼関係ではないし、愛情表現を怠ったこともない」
「ジークに聞かせてやりたいねぇ」
海斗がしみじみ呟いた。
「そのうちヴァイパーだとかリラたちにも送り付けられてくるんだろうなぁ、あと園田にも」
「私はお断り一択ですが、ヴァイパーたちはいかがいたしましょうか」
園田の問いに机の上のそれらに視線を向ける。
「それとなく、結婚の意思があるかどうか聞いて、なければお断りでかまわんだろう。そもそもリラとマリー、カレンは親御さんから預かっている大事な娘たちだ。虫がつかんよう、日ごろから良く見ておいてくれ。ヴァイパーにも変な女には気を付けるように言っておいてくれ」
「かしこまりました。海斗様、こちらは片づけてしまってよろしいですか?」
海斗が頷き、園田が見合いの釣り書きをアイテムボックスへ戻していく。
「そういえば、ネネのお父さんの家はどうだったの?」
「散らかり放題で酒瓶の数がすごかったな。残念ながらこれといった情報は得られていない」
「山猫亭でもそれとなく聞いてきたけど、うちに来た日ぐらいから、誰も見ていないらしい」
「我が家の周辺も目撃情報はないな。諦めてくれていればいいが……目的が分からんのが怖いな」
真尋は残りの紅茶を飲み干し、空になったカップを置いた。海斗もカップを空にし、席を立つ。
「寝る前に悪かったね」
「かまわん。ローサに連絡忘れるなよ」
「あ、ソニアも娘のドレス選びに参加したいって、いいよね?」
「それこそかまわん」
「ありがとさん。じゃあ、おやすみ」
海斗はひらりと手を振って部屋を出て行った。海斗は二階の一室を自室としている。二階はもともと一路のエリアなので自然とそうなったのだ。
「お前ももう下がっていいぞ。俺も寝る」
「はい。ではおやすみなさいませ」
園田は一礼するとワゴンを押しながら部屋を出て行った。
「テディ、もう消すぞ」
暖炉の前から動かない小山に声をかける。
「ぐー」
「なら、火事が起こらんよう気をつけろよ」
「ぐ」
短い返事に真尋は腰を上げベッドへ入る。
妻と娘のぬくもりがないことを寂しく思いながら、浅い眠りへと身を委ねたのだった。
夜が明けて間もなく、雪乃は身支度を済ませ、タマにミアと双子を任せて寝室を後にする。
階段を降りて、一階の客間へ迷いなく進み、中へ入る。
暖炉の前にはテディが丸くなっている。ベッドへ歩みよれば、既に起きて本を読んでいた夫が顔を上げた。
「おはよう、あなた」
「おはよう」
ベッドに腰かければ当たり前のようにキスをされ、流れるように膝の上に座らされた。
「おかえりなさい、ここで寝たのね?」
「日付も跨いで大分経っていたからな」
何時から起きていたのか、様子からしてすでに身支度は整えた後のようだ。雪乃やとくにミアや双子を起こさないようにという配慮もあるだろうが、雪乃がこうして様子を見に来てくれるのを待っていたのだろう。雪乃の夫はとても可愛い人なのだ。
「会議は……その様子だと、あまり中身がなかったみたいね」
あからさまに不愉快そうな顔をした真尋に雪乃はくすくすと笑って、あやすようにキスをする。案外、単純な夫はそれですぐにころっと機嫌をよくして、額に瞼に鼻先にとキスをしてくる。
「……ドレスの最初の打ち合わせ、明後日の午後になったから頼む」
「あら、案外早く予定が出たわね」
「マダムが融通を利かせてくれたんだ。君にも会いたがっていた」
「本当? 私もお会いしてみたかったのよ。楽しみだわ。そうだ、海斗くんはパートナー見つかったのかしら?」
「ローサに頼んだらしいぞ」
雪乃の脳裏にほんの二、三回会っただけだが、鮮やかな赤い髪に山猫の耳と尻尾を持つ少女がよぎる。
はきはきとしていて気持ちよく、それでいてとても可愛らしい子だった。
「ローサちゃんに? やっぱり上手に人を見つけて来るわね、海斗くんは」
「ああ。ティナもローサが一緒なら心強いだろう。二人は親友だからな」
「そうね。なら私とアマーリアとティナとプリシラとローサちゃんでいいのね?」
「それと見学にソニアが来る」
「娘のドレス選びなんて楽しいに決まっているもの。ミアも楽しみにしているのよ、ママのドレスを選ぶんだって、サヴィラはあんまり興味がないみたいだけど」
「サヴィラは自分の服にも無頓着だからな……『あったかければいい』が秋冬の要望だ」
「あなたも存外、ご自分の服装には無頓着だものね。変なところばっかり似るんだから……」
じとりとした視線を向けるが真尋はどこ吹く風だ。
真尋は、雪乃や子どもたちの服に関してはあれこれうるさく口をはさんでくるくせに、自分はとりあえず着られればいいというスタンスなのだ。聞いた話によれば、雪乃が来る前はほぼほぼ神父服で過ごしていたらしい。敬虔な神父だからではなく、単に冠婚葬祭すべてに適応した便利な服だったからに過ぎない。
「今日のご予定は?」
「午前中は騎士団に行って来るが、午後は帰ってくる予定では、ある」
「その言い方は予定は未定ってことね」
はぁぁ、と重い溜息とともにぎゅっと抱きしめられる。ぐりぐりと肩に押し付けられる頭をよしよしと撫でる。
どうにか休みをと主張している夫だが、優秀過ぎるがゆえになかなか難しいらしい。それに農場計画や自分から首を突っ込んだグラウの誘拐事件など、真尋自身が自ら関わると決めたことも多いのでなおさらだ。
「あまり無理はしないでね。せめて夕食ぐらいは一緒に取れると嬉しいわ」
「祭りが終われば落ち着くとは思うんだがな……だが、最終日は絶対に休みにすると宣言してある。ミアとサヴィラの仮装が楽しみだからな」
「ふふっ、アマーリアがとても張り切って頑張っているのよ。もちろん私もね。それにリラが針子として優秀でとっても助かっているの」
「それは何より」
肩に顎を乗せて喋るので少しくすぐったい。
「ねえ、真尋さん。大丈夫ならミアの傍にいて。私は朝食の支度をするから」
「分かった。双子は?」
「まだぐっすりよ」
夫の膝とベッドから降りて立ち上がる。
真尋もベッドから降りて、ぐっと伸びをした。パキパキと関節の鳴る音が聞こえた。
「あなた、朝ごはん、何がいい?」
「浄化魔法をかけるから、玉子かけご飯」
「あら、いいわね。ならあとでお願いね」
光属性の浄化魔法は、卵の殺菌までしてくれてとても便利だ。雪乃も光属性は持っているが、残念ながらその魔法は使えないので、いつも夫か幼馴染兄弟にやってもらっている。
「サヴィがとくに好きなのよね、生卵」
「サヴィは肉食の蜥蜴だからなぁ」
廊下へ出ると、丁度、ヴァイパーが廊下のカーテンを開けて回っているところだった。
「おはようございます、マヒロ様、ユキノ様」
「おはよう、ヴァイパーさん」
「おはよう。昨夜も遅かったのに大丈夫か?」
そういえばヴァイパーは昨日は夕方くらいから、夫に連れ回されていたのだったと思い出す。
雪乃が思っているより真尋は、気の利くヴァイパーを気に入っているようで、よく侍従として連れて出かけている。
「お気遣い、ありがとうございます。でもぐっすり寝ましたから元気です」
「そうか。カーテンの作業が終わったらでいいから、寝室に何かハーブティーを持ってきてくれ。さっぱりしたやつがいい」
「はい。かしこまりました」
ヴァイパーが嬉しそうに頷いた。
彼はお茶関係の仕事を任された時がいつも一番、嬉しそうな顔になるのだ。
真尋が「頼むぞ」と声をかけて歩き出し、雪乃も足を動かす。
「……なかなか家のことに気を配ってやれていなくて申し訳ないが、何かあったら言ってくれ」
言葉通り、申し訳なさそうな声音に雪乃は微笑む。
「ふふっ、ありがとう。大丈夫よ、皆、とても働き者で助かっているの。サヴィラやミアも、私の体をよく気に掛けてくれるし、双子ちゃんのお世話も率先して手伝ってくれているの」
「そうか」
ほっとしたように真尋は表情を緩めた。
「大丈夫よ。貴方の愛はちゃんと私にも、子どもたちにも届いているから。忙しくて家を空けがちでも、真尋さんとあの人とは違うのよ」
雪乃は手を伸ばしてその頬に触れた。わずかに目を瞠った真尋は観念したように目を閉じて雪乃の手に自分の手を重ねた。
真尋は最期まで父親とは親子としての関係を築くことができなかった。だから、日本で双子の父親代わりだった頃も、そして、本当に父親になった今でさえも父親という肩書に、どうしても自信を持てない部分があるのだ。
日本にいた頃は、真智と真咲に対して、いつも口癖のように「あの人のようにはなりたくない」と繰り返していた。
でも、だからと言って、彼は一般的な父親も、理想的な父親も知らない。実体験としてあるのが、実父との関係しかなかったからだ。
「君には敵わないな」
「ふふっ、だって私は世界一貴方を愛する妻だもの。なんでもお見通しよ。でもね、真尋さん。私も貴方も、お父さんとお母さんになったばかりなんだもの。焦らなくていいのよ」
いつだって完ぺきを求められていた夫は、彼自身も高いプライドと同じくらいに理想も高い。
それは決して悪いことではないと思うけれど、長い人生を生きていくには疲れてしまうのではないかと雪乃は心配だった。
「許されることなのだろうか、それは」
完ぺき以外を知らない真尋に雪乃は微笑む。
家事というものは全く出来なさ過ぎて、本人も諦めている部分があってわりと大雑把なのだから、それと同じように考えればいいのにと思ってしまう。
「ティーンクトゥス様なら許してくださるし、私だって許してあげるわ。だって、真尋さんは出来る限り帰って来てくれようとするし、空いた時間は家族のために使ってくれているのを知っているもの。あの人とは全然違うわ」
「ティーンクトゥスの許しはどうでもいいんだが、君が許してくれるなら、安心だ」
「まあ、なんて不敬な神父様かしら」
くすくすと笑えば、真尋の表情も緩む。
「さ、朝ごはんの仕度をしなくちゃ。子どもたちをお願いね、パパ」
「ああ」
軽いキスを交わして、雪乃は階段を上がって行く真尋を見送り、自分も階段を降り、厨房へと急いだのだった。
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