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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
黒猫と収穫祭編
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第三話


 真尋は息子とともに談話室へと向かう。リックはネネの父親に関する情報を求めて騎士団へと出かけて行った。

 中へ入れば、ジョンが絵本を持ってミアが読み上げる形で、絵本の読み聞かせが行われていた。

 数カ月前まで、ミアは読み書きが一切できなかったのに、簡単な言葉でつづられた絵本ならこうして読むことができるようになったという成長に微笑ましい気持ちになる。

 真尋は開いていたソファに腰かけて、娘の愛らしい声に耳を傾ける。隣に座ったサヴィラもミアの成長に眩しそうに目を細めていた。


「そうして、オターは大きな声で『ただいま!』とさけびながら、丘をかけおりて、家族のまつ家へと、とびこんでいくのでした。……おしまい」


「オター、おうちかえって、よかったねぇ」


 リースの言葉にミアとジョンが「そうだねぇ」と柔らかに笑って頷く。

 

「さてと、オターもお家に帰ったし、あたしたちもそろそろ帰らないと」


 真智を抱っこしていたネネがそう言って立ち上がる。どうやらまだカレンのあれこれに関する話は聞いていないようだ。

 ネネの横に座っていたシルヴィアが「えー」と不満そうな声を上げた。ネネは大分、シルヴィアに懐かれているらしい。真尋が留守の間も面倒をよく見てくれていたと報告を受けているので、その賜物だろう。ジークフリートはネネに弟子入りすればいいのに。


「ネネ」


 真尋は、おいでおいで、と手招きする。

 するとネネは、帰るために双子を受け取るよ、という意味だと思ったのか、真智を差し出してきた。真智は横のサヴィラが受け取る。


「ネネ、君に頼みたいことがあるんだが、いいか?」


「神父様が? あたしに?」


 紫色の瞳を丸くしてネネが首を傾げた。


「ああ。ネネは人の世話を焼くのが上手だろう? サヴィラもそう言っていたしな」


「自分では上手は分かんないけど、誰かのお世話をするのは好きよ」


「そうか。実はネネにお世話を頼みたい人がいるんだ」


「双子ちゃん?」


「双子ではなく、十八歳のお姉さんだ」


 菫色の瞳が、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「ちょっとカレンのところに行ってくる。おいで、ネネ。サヴィ、あとは頼むぞ」


 頷いた息子に後を任せて、ネネとともに談話室を後にする。向かう先は、使用人専用の住居エリアになっている別棟だ。別棟とはいっても屋敷自体は繋がっている。

 広い廊下をネネと並んで歩きだす。この数カ月でネネのぱさぱさだった髪もつやつやになり、薄汚れて青白かった顔も子どもらしいふっくらとした輪郭と健康的な血色を取り戻していた。猫系故か、緩くウェーブする柔らかな黒髪は、複雑な編み込みがされて赤いリボンが飾られていた。きっと孤児院の誰かがやってくれているのだろう。


「カレンさんって誰?」


「カレンは、犬系獣人族の十八歳の女性だ。ネネはグラウでの誘拐事件のことは聞いたか?」


「うん。ソニアさんたちが話をしているのを聞いたし、お客さんが読んでいた新聞にも書かれていたから」


「なら話は早い。カレンはその被害者の一人だ。リラとマリーと同じところで監禁されていた」


 小さく息を吞む音が聞こえた。


「ただカレンは、前の職場で色々あってな。それでリラとマリーより体が弱ってしまっていて、療養中なんだ。元気になったら二人と同じくうちでメイドとして働いてもらう予定だ」


「怪我とかしているの?」


「怪我はしていない。最近は、ごはんもよく食べるようになったしな。ただ酷い過労と栄養失調で寝たきりだったから、まだ自由に動けないんだ。だからネネが少しの間、カレンのそばにいてくれないか、と思ってな。本当は保護した手前、俺たちがなんとかしなければならないんだが、双子が赤ん坊になってしまったのもあって、手が足りなくてな。二週間ほどでいいんだが、引き受けてくれないか?」


「あたしで大丈夫かな?」


「この繁忙期にネネを借りるのは申し訳ないが、俺はネネだから頼みたいと思っている」


 そう告げるとネネは照れくさそうにゴロゴロと喉を鳴らしながら「なら、引き受けるしかないね」と笑ってくれた。


「ありがとう。本当に助かる。双子がいるから雪乃も手が離せないし、俺も何かと嬉しくもない仕事が多くてな……」


「赤ちゃんって一人でも大変なのに、二人だもんね……」


 ネネがしみじみと言った。

 サヴィラが墓地で墓守の仕事をして生活費を稼いでいる時間帯は、ネネが中心となって、あの小さな子どもたちの面倒を見ていたのだから、その言葉には経験を伴う実感がにじんでいた。


「やはり双子だからな。大変は大変だが、俺にとっては確かに弟だったが、やはりどうしても息子のように想っていた部分もあるんだ。負担ではないさ」


「ふふっ、本当に親子なんだね」


 ネネがころころと笑って顔を上げて真尋を見上げる。

 その言葉の意味を測りかねて、今度は真尋が首を傾げた。


「神父様がエルフ族の里に行っている時に、あたしたち、何度か双子ちゃんと遊んだのよ。その時、あたしね、ユキノお姉ちゃんがお母さんみたいだなぁってずっと思ってたの。だから双子ちゃんに、本当にお母さんじゃないのって聞いたら、双子ちゃんはこう言ってたのよ。『僕らにとっては、お兄ちゃんと雪ちゃんがお父さんとお母さんだから』って」


 思いがけない言葉に真尋は、瞬きを一つ返すことしかできなかった。


「あたしね、貧民街にいたときは分からなかったけど、山猫亭にいると分かるの。お父さんとお母さんって、こんな感じなんだろうなって。だから、ユキノお姉ちゃんと双子ちゃんは親子みたいって思ってたんだ」


「……ネネに親子を教えてくれたのは、サンドロとソニアのことか?」


「うん」


 ネネが幸せそうに頷く。


「ソニアさんがね、言ってくれたの。孤児院の子どもたちは、みーんな、あたしとサンドロの子なんだよ、って。ソニアさん、あたしがお仕事頑張るといつも頭撫でてくれるの。それだけでもすごく嬉しいけど、前に、お母さんみたいって言ったら、すっごくぎゅーってしてくれたの」


「そうか。ソニアは愛情深い人だから、思いっきり甘えると良い」


「うん。でもね、サンドロおじさんには、まだお父さんみたいって言ったことないの」


「恥ずかしいか?」


「ううん。ふふっ、今、繁忙期だから。『ネネにそんなことを言われたら泣きすぎて仕事できなくなるから暇な時期にしてね』ってソニアさんに言われたの」


 ネネがくすくすと笑いながら言った。

 娘命のサンドロなので、その姿は想像に容易かった。あの凶悪なキラーベア顔をぐしゃぐしゃにして、大きな体を丸めておいおいと泣くのだろう。

だが、彼の料理の腕は味にうるさいと自覚のある真尋も認めるほどのものほどだ。山猫亭は食事のみは誰でも利用できるので、きっとこの時期は彼の料理目当ての客も増えるだろうから、使い物にならなくなるのは確かに困るはずだ。


「今は収穫祭真っ只中で大忙しだからな」


「冒険者さん以外もいっぱい来てるんだよ。この間はね、王都からヴィートお兄ちゃんの前の職場の同僚さんが来たよ。サンドロおじさんのお料理を食べに来たんだって」


 ヴィートは、ソニアの(一番目はレイだと彼女は言うので)二番目の息子でローサの兄だ。

 サンドロと同じ熊系の獣人族で大きな体に筋骨隆々なのは父親と一緒だが、キラーベア顔の父親と違い、森のクマさんと形容できるような温和な顔立ちをしているが、性格はソニアに似ている。父親と同じ料理スキルがあり、現在は孤児院の食堂の責任者をしている。


「すごく美味しいって感動しててね。弟子入りさせてくださいって、付きまとってるよ」


「サンドロの料理は、美味いからな」


 こうして話をしている内に使用人の別棟に到着し、談話室を覗くと丁度、カレンがナルキーサスと話をしていたところだった。

 ナルキーサスがこちらに気づいて軽く手を挙げた。カレンが首をひねってこちらを振り返る。


「どうだ、カレンの調子は」


「あとは落ちた体力を戻すだけだ。もう夕食か?」


 ナルキーサスが言った。


「ああ。呼びに来たついでに、カレンに紹介したい人がいてな。カレン、この子は、ネネ。俺が設立した孤児院の子だ。ネネ、こちらがカレンだ」


「初めまして、ネネです!」


 ネネが元気よく返事をする。カレンは、少し驚いていた様子だったが、すぐに小さく笑みを浮かべて口を開いた。


「こちらこそ、初めまして。カレンです」


同性の年下の女の子とあって、カレンもあまり緊張している様子は見られず、なかなか良い出だしだ。


「カレン、しばらくネネに君の身の回り世話を頼みたいと思っているんだ。こちらの都合で申し訳ないが、なんだかんだと皆忙しいからな。最初は二週間ほど頼もうと思っている。ネネはこの屋敷のことにも詳しいから、案内なども頼むといい」


「よろしくお願いします!」


 ぺこりと頭を下げたネネに、カレンも慌てて頭を下げる。


「こ、こちらこそよろしくね。ずっと寝たきりで、ご飯も食べられなかったら体力も筋力も落ちちゃって、色々と手伝ってもらわないといけないかもだけど……」


「大丈夫。あたし、お世話は得意なんです!」


 にこにこ笑うネネに、カレンもほっとしたように表情を緩めた。

 同じ獣人族と言えども犬系と猫系だが相性は悪くなさそうだ。


「では、ダイニングへ移動しようか」


 ナルキーサスが腰を上げ、ネネがさっそく「あたしが押すわ!」とカレンの車いすの取っ手を掴んだ。


「カレンが自分の魔力を入れておいてくれるから、ネネは押すだけでいい。ブレーキはここだ」


「はーい」


 ナルキーサスが簡単に操作方法を教えて、ネネは「大丈夫?」とカレンに聞きながらゆっくりと動き出して、廊下へと出た。

 別棟と本邸はキッチン傍の談話室の近くとつながっている。だが、本邸には昇降機がないのでダイニングに行くには階段を上らねばならない。


「本邸にも昇降機をつけたいと思っているんだ。雪乃もだが、プリシラも階段の上り下りは大変だろうし……つけるならどこがいいと思う?」


「階段のそばがいいんじゃないか? 確か階段脇に小さな物置部屋がどの階にもあるから、それを潰せば昇降機を通せるとは思うが」


「ああ、あそこか。……いいかもな。クロードに業者の手配を頼むか」


「昇降機ってあとからつけられるの?」


 真尋とナルキーサスのやりとりにネネが目をぱちぱちさせている。


「ああ。場所と金があればな。とはいえ、やはり業者に確認してから出ないと、本当につけられるかは分からんが……ああ、タマ。丁度、いいところに。もしかして待っていてくれたのか?」


「きゅいきゅーい!」


 短い手を挙げて「そうだよ!」と告げるタマがカレンに顔を向け、ぱかっと口を開けるとカレンは車いすごとシャボン玉の中に包まれる。それはふわふわと浮かんで、階段をあがっていく。


「わー! すごい! タマちゃん、あたしもやって!」


「きゅいきゅい、きゅーい」


 タマがネネに向かってぱかっと口を開けた。一度に三個までしか出せないらしいがとても便利だ。

 ネネとカレンがはしゃぎながらふわふわと二階へ飛んでいくのを真尋とナルキーサスも追いかける。

 楽しかった、と笑いながらネネが着地し、カレンの車いすを押しながらダイニングへと入っていく。真尋もナルキーサスとともに中に入れば、皆、そろっていて園田たちが忙しそうに食堂隅の昇降機からワゴンを下ろして、テーブルに並べていた。

 真尋はそれを横目に入れつつ、自分の席へと向かう。ミアと雪乃は既に座っていて、サヴィラが園田の手伝いを終えて戻ってきたところだった。

 最初は盛り付けてあるが、おかわりからは自分でとりに行く形式を導入しているので、園田とヴァイパーが着席したのを見計らい、真尋は手を合わせる。


「いただきます」


「「「「いただきます」」」」


 真尋の声掛けを皮切りに賑やかな夕食が始まる。今夜は味噌汁とキュウリの浅漬け、だし巻き卵にカラアゲとほうれん草の胡麻和えなど、和食がメインのようだった。

 カラアゲはとにもかくにも大人気メニューだそうで、最年長のルーカスから、最年少のリースまで、皆が美味しそうに頬張っている。あとで聞いた話だが、最初は帰る予定だったルイスも夕飯がカラアゲと聞いて、欲望に抗えず残ったらしい。


「ママ、このニンジンのカラアゲおいしいね!」


「ふふっ、初めて作ってみたけれど、美味しいわね」


 ミアはにこにこしながら、雪乃が特別に娘に作ったらしいニンジンのカラアゲを食べている。

 ミアは肉より野菜が好きなので、普通のカラアゲよりお気に召したようだ。

 娘の愛らしい姿に目を細めつつ、ネネとカレンを見れば、ネネは既になにくれとなく世話を焼いていた。手慣れた様子で見守り、必要があれば手伝っている。思い付きで頼んだ世話係だが、真尋の目に間違いはなかったようだ。

 これなら大丈夫だろう、と真尋も美味しい食事に専念するのだった。






「すまないが、子どもたちのことは頼んだ」


「大丈夫よ。ネネちゃんと孤児院のことだもの、ちゃんとお話をしてきてね」


 真夜中、真尋はエントランスホールに立っていた。目の前には見送りのために一緒に来てくれた雪乃がいる。雪乃の後ろには、当たり前のように園田が控えていた。真尋が寝室を出て、雪乃とともに降りてきた時にはエントランスホールに立っていた。

 子どもたちは寝静まり、ミアも真尋と雪乃の寝室のベッドで眠っている。ミアのそばにはポチとタマがいてくれる。

 真尋はこれから、山猫亭でソニアから例の不審者に関する話を聞くために出かけるのだ。


「今夜は第二小隊が周辺を警護してくれることになっているが、何かあったら小鳥を飛ばしてくれ」


「分かったわ。真尋さんも気を付けて行ってらっしゃい」


「ああ、行ってくる。外は寒いから、君の見送りはここまでだ」


 行ってきますと行ってらっしゃいのキスを交わして外へ出ればリックが愛馬たちと共に待っていた。そして、なぜか海斗も一緒にいて、一路の馬に乗っていた。


「……どうした?」


「俺も行こうかと思って」


「まあいいが……勉強は良いのか?」


「今日明日はお休みにしているからね。根を詰めすぎてもいいことはないし」


 そう言って海斗は肩をすくめた。

 それもそうか、と頷いて真尋は愛馬に跨り、手綱を握る。


「園田、あとは頼んだ」


「かしこまりました」


 ドアの前で頭を下げた園田に見送られて、真尋はリックとともに山猫亭へと馬を向ける。

 

「ねえ、真尋。結局、ネネはどこで寝たの?」


 隣に並んだ海斗が尋ねて来る。


「カレンの部屋だ。随分と仲良くなったそうで、さらに仲を深めるんだと、ご機嫌だったぞ。カレンも楽しそうだったし、急なことだったとはいえ、良い人選だったかもしれない」


「ネネ、いい子だよな。サヴィラの妹って言われて納得したもん。……あんないい子なのに、なんで親父さんは娼館に売ろうとなんてしてたんだろうな」


「さぁな。……俺には娘を手放すことも、そもそも、子どもを殴ったり、意味なく怒鳴ったりすることは理解できないが、何かしらの理由があるんだろう。どんな理由であろうと、俺は同情も同調もできないがな」


 真尋は淡々と告げる。


「そりゃそうだ」


 海斗はそう言って、手綱を握りなおした。

 それからはとくに言葉はなく山猫亭に到着する。子どもの足でも来られる距離なので、あっという間だ。

 リックが裏の馬小屋に馬を預けてくれるというので、手綱を渡し、真尋は海斗とともに一足先に店の中にはいる。

店内はまだまだ賑やかで、酒の強い匂いがする。ソニアが「こっちだよ」とカウンターの内側で手招きするので、海斗と二人、並んでカウンターに腰かける。すぐにリックがやってきて、真尋の隣に座った。


「こいつに酒を飲ますと話にならんから、ジュースでいい。俺とリックにはいつものを頼む。飲みたければソニアも飲んでくれ」


「はいはい。毎度あり~」


 ソニアはご機嫌に長いふさふさの尻尾をぴんと立てて三つのグラスに氷を入れ、酒を注ぐ。

 海斗は「リンゴがいいな」とジュースのリクエストをする。海斗も一路もすぐに酔っぱらうのだ。


「おう、来たか」


 厨房のほうから、サンドロが顔を出す。相変わらず強面だが、収穫祭真っ只中とあって忙しいのだろう。その顔に少々の疲労が見て取れた。


「お疲れのようだな」


「客がすげぇからな。まあ、商売してる身としては、ありがてぇこった」


 サンドロは、ソニアが差し出したリンゴジュースを受け取りながら、カウンターの中の椅子に座った。ソニアも椅子に腰かける。


「厨房は良いのか?」


「ああ。ヴィートがいるからな」


 真尋は、本日一本目の煙草に火を着ける。今日は朝からずっと子どもたちと一緒だったので、吸うこともなかったのだ。


「それで、例の不審者の件は何か分かったのか?」


「絵がうまいのがいてね、描いてくれたんだけど……目撃したやつらは、みんな、こいつだったって。獣人族や有鱗族なんかは、匂いの認識も共通してたね」


 カウンターの上に差し出されたのは、一枚の似顔絵だった。両側から海斗とリックがのぞき込んでくる。

 年は、四十代くらいだろうか。目つきが剣呑で、髪や髭はぼさぼさだ。


「……ネネに、似てるところはないなぁ」


「確かに。目の色くらいですね」


 カイトとリックの言葉に夫婦が首を傾げる。


「なんで、ネネ?」


「そういや、いきなりお泊りだったな、今日は」


「……実は、今日、うちにも不審者が出たんだ」


「あんなヴェルデウルフが庭を跋扈して、キラーベアも待ち構えている、ブランレトゥで一番、踏み入ったが最後って言われるお前の家にか!?」


 サンドロが目を白黒させている。

 色々と訂正したい部分はあるが、まあ事実は事実でもあるので真尋はその部分はスルーして先を続ける。


「ルーカスの弟子が、お使い帰りに声をかけられたんだ。黒猫の娘を連れて来いってな」


 息を吞む音が二つ揃って聞こえた。


「それで、サヴィラに確認したところ、外見がネネの父親に一致している、と」


「そいつ、今、どこにいる?」


 サンドロが唸るように言った。

 彼も、ネネの父親がネネにした仕打ちを知っているのだろう。


「さあ、それを探っている最中だ。俺の小鳥は、町を隅々まで巡回しているが、俺は実物を見たわけではないから探し出すのは難しい。夕方、貧民街の友人に小鳥を飛ばして、家を確認してもらったんだが、もぬけの殻だったそうだ。生活している痕跡もなかった、と報告が来て、小鳥で確認したが確かに何もなかった」


 いつのまに、とリックが驚いているのが聞こえた。


「でも、なんだって今になって娘を探しに来たんだい?」


「目的が分かれば苦労はない。ただ、声をかけられた弟子によると酒臭かったようだ。彼は人族だから、人族の嗅覚でも嗅ぎ取れるくらいは、酒を飲んでいたということだろう」


 ソニアとサンドロが顔を見合わせた。

 そして、二人で何かを小声でささやき合い、サンドロが頷くとソニアが顔をこちらに向けた。


「……ねえ、しばらくネネを預かってくれない?」


「もちろんそのつもりで、許可をとりにきたんだ。ただ、ネネには無駄に怖がらせたくないので、父親のことは話していないがな」


「でも、それで納得するかい? ネネは責任感の強い子だからウェイトレスの仕事をこの繁忙期に休むなんて……」


「もう聞いていると思うが、新たに三人ほどメイドを雇ったのを知っているか?」


「レイがなんかそんなことを言ってたよ。確か……誘拐事件の被害者、なんだろ? ローサとそう年も変わらない子たちだって」


 ソニアが心配そうに眉を下げた。


「ああ。全員、雪乃と同い年の十八歳だ。実はその内の一人は、少々色々なことが複雑で俺たちが救出した時には、誘拐事件以前の事件で衰弱していてずっと寝たきりだったんだ。幸い、ナルキーサスの尽力もあり、元気にはなったがまだ体力も筋力も心もとない。そこでネネに彼女の世話係を頼んだ次第だ」


「眠るころには、もうだいぶ打ち解けていたよ。同じ獣人族だから気安いみたいだね」


 ジュースを飲みながら海斗が言った。


「俺としては、ネネはまだ十二歳だし、好きに遊んで暮らしたってかまわないと思うんだが、それでは納得しないだろうしな」


「あたしに似て真面目な子なんだよ」


 ソニアが得意げに胸を張った。


「確かにな。ソニアの子どもたちは、皆、優しい。あのレイも、俺たちがまだ二カ月の双子を連れて帰って来ると知ると、俺や妻の体を気遣って、ジョシュアに交代で面倒を見た方がいいんじゃないか、と言ってくれていたらしい」


 ジョシュアがにこにこしながら教えてくれたのだ。万年反抗期と揶揄されることの多いレイだが、なんだかんだ根っからの善人で面倒見がよいのを真尋たちも知っている。ぶっきらぼうで、仏頂面なのは、照れを隠そうと頑張っている証である。指摘すると拗ねてこじらせて面倒くさいので、今回の件もお礼は言っていない。言ったら彼は遠方のクエストでも受けてしばらく帰ってこなくなるだろう。忙しい時期なのでそれは困る。


「うふふっ、あたしたちの長男はね、面倒見の良さはおたくのサヴィラにだって負けないんだから」


「へへっ、そうだそうだ」


 ソニアとサンドロが、にやにやしているが、鼻高々な様子だ。

 真尋も自他ともに認める親馬鹿だが、この夫婦もなかなかのものだと思う。ここは真尋も対抗しなければ、と口を開こうとしたところで海斗が呆れたように間に入って来る。


「こらこら、子ども自慢はあとで。どうだい、ネネはうちで預かってもいいかな?」


「もちろん。あそこより安全なところはないよ。孤児院はともかく店のほうはなんだかんだ人の出入りも激しいし、悪いけど、頼めるかい?」


「悪いことなどないさ。俺の息子の大事な家族だからな」


 そう返して、紫煙を吐き出す。

 ネネは、サヴィラにとって大事な家族だ。ネネと真尋は家族ではないけれど、孤児院の子どもたち皆がそうであるように、ネネも健やかで心穏やかにあってほしいと心から願っているのだ。


「ソニア、ネネがこちらで過ごすにあたって、着替えとかを準備してもらえるか? ネネの許可はとってある。今夜、二人に説明することも言ってあるからな」


 眠る前にネネにきちんと話をつけてきているのだ。着替えなどはこちらで用意しようか、と言ったのだが、ネネはもったいないよ、と首を横に振った。ソニアやローサなら部屋にはいってもいいというので、説明に加えて荷造りのお願いもしに来たのだ。


「分かったよ。あんた、ちょっとここを頼むよ」


「はいよ」


 サンドロが頷くとソニアがカウンターを出て孤児院のほうへ行った。

 すると入れ替わるようにローサが孤児院からこちらへとやってきた。


「寝かしつけ、ご苦労さん」


「あたしの読み聞かせと寝かしつけの腕前も向上したもんよって、マヒロ神父さんにカイトくん、リックさんまで。どうしたの?」


 サンドロの声掛けにソニアと同じ顔で胸を張りながらローサがカウンターの中に入って来る。

 どうやら子どもたちに本の読み聞かせをしながら寝かしつけてきた後のようだ。


「ネネのことで話をしにな。お前ももう寝ろよ?」


「明日は遅番だもん、あたし。ね、パパ、あたしもリンゴジュースちょうだい」


「しょうがないなぁ」


 娘にはめっぽう弱いサンドロがリンゴジュースをローサが差し出したグラスに注ぐ。


「そういえば、ヴィートとエレナはもうすぐ入籍するんだろう? 確か収穫祭が終わったらと聞いているが」


「へへっ、あのヴィートが嫁さん貰う年になるなんてなぁ。レイが家を貸してくれるってんで、冬にはあっちに移り住むって言ってぜ」


「レイが?」


「おう。レイの父親が建てた大事な家だから、ヴィートもエレナも最初は断ったんだけどよ。自分一人で住むにはでかいし、かといって結婚する予定もないし……家ってのは住まねえと傷んじまうから、むしろ住んでくれって。それにヴィート()だから貸すんだって言ってくれてな」


 サンドロが目じりを緩めた。


「レイ、家を持ってるの?」


 海斗が首を傾げた。


「うん。レイ兄さんのパパが建てた立派なお家よ。っていっても、マヒロ神父さん家みたいな豪邸じゃなくて、普通のお家だけど、凝ってて素敵なの。私もミモザ姉さんが生きてた頃はよく遊びに行ったんだ。最近は掃除の手伝いでしか行かないけど」


 海斗の疑問にローサが答える。

 青の地区にあるレイの家は、大工だった彼の父親が生前に建てたものだと聞いている。そこはレイが人生で一番幸せだった時間を過ごした場所だ。レイがいない間は、なんだかんだソニアが手入れをしていたそうだ。

 だが、町に帰って来て問題が解決した後もレイは真尋たちの屋敷に住んでいる。


「あそこはレイの……レイと、家族の家だった。父親と母親と、可愛い妹と過ごした日々は確かに幸せで、大事な思い出で、でも、同時に母親も妹もレイはあの家で見送った。複雑なんだろう。大事なのは間違いないだろうがな」


 きっと溢れるほどの幸福な記憶を、遺された寂しさが食らいつくしてしまっているのだ。


「なるほどね。まあ、光ってのは強ければいいってもんじゃないよ。眩しすぎたら目は開けられないし、下手すりゃ失明する」


 カラン、と海斗の持つグラスの中で氷が音を立てた。

 格好つけているが、飲んでいるのはリンゴジュースだと思うと噴き出しそうになる。


「お前さ、マジで台無しにすんなよ。口から出てるからな。リンゴジュースのくだり」


 リックが横で噴き出してカウンターに突っ伏すのを睨みながら、海斗が眉をよせた。サンドロとローサに至ってはカウンターの裏に消えてしまっている。


「あと、噴き出しそうになるという割に、お前の表情筋、何の変化もないままいつも通り死んでるからな!?」


「こんなに噴き出しそうになっているのにか?」


 真尋は自分の顔の触れてみる。


「そんなん分かるの雪乃だけだっつの」


 なぜか復活したリックが深々と頷いていた。


「……こちらへ来てから自分でも表情筋が多少仕事をするように感じていたんだが」


「子どもたちやユキノさんとお話している時は、お仕事されていますよ」


 リックが苦笑交じりに言った。


「でも、真尋はこっちに来て、雰囲気が柔らかくなったよ。あっちにいた時とは全然違う」


 海斗が言った。


「なんだか最近、よく言われる。……ここは自由だからな」


 短くなった煙草をカウンターの上の灰皿に押し付けて火を消し、グラスを手に取り酒の香りを楽しみながら口をつける。


「俺は水無月本家の長男でもないし、ミナヅキグループの跡取りでも、どこぞの生徒会長でもない。ただの神父で、ただの真尋だ。それは思ったよりも心細く頼りないものだが、自由は息がしやすい」


「うん」


「まあ、まさか俺が父親になるなんて思いもしなかったし、そもそも雪乃やお前に再会するなんて考えたこともなかった」


「そりゃ、こっちのセリフだよ。お前も一路も急にいなくなっちゃってさ……あの日のことはいまだに悪夢に見るよ。病院でお前と一路の亡骸を見たって、俺は到底信じられなかったし……正直、信じたくなかったんだろう。俺は涙なんて出やしなかった」


 グラスを握る手に力がこもったのが、ぐっと浮かび上がった筋に見て取れた。

 信じたくなかったんだろうなんて、彼自身のことを彼が語っているのに、まるで他人事のような言葉から、彼の悲しみが大きく、強かったことが伝わって来る。

 もし、真尋が彼の立場だったとして、愛する人の突然の死を受け入れたなんて、口が裂けても言えなかった。


「……俺は、お前が死んだあと、お前んちに何度も行ったけど……行くたびに、お前が庭で草木に水でもやってんじゃないかとか、リビングで雪乃に土下座してんじゃないかとか、一路も双子と一緒にゲームしてんじゃないか、みっちゃんとお菓子作りをしてんじゃないかとか。……あの幸せだった日常は変わらずにそこにあって、これは俺が見ている悪い夢なんだって、馬鹿みたいに期待してた自分がいたんだよ」


 でも、と海斗は口元をかすかに歪めた。

 背後の賑やかな喧騒をものともせず、彼の手の中で傾いたグラスからカランカランと氷が音を立てた。


「でも、何度行ったって、お前も一路もいなかった……っ」


 海斗がくしゃりと金の髪を掻き上げた。

 その手の下で、嘲笑にも似た笑みをその顔に浮かべている。


「雪乃がさ『海斗くんも大変なのに気にかけてくれてありがとう』っていつも言ってくれんだけど……でもさ、違うんだよ。俺は、いつだって変わらずそこにいてくれる雪乃を見て、安心しに行ってただけ。自分が何かによりかかりたかっただけなんだ……それに、本当は……」


「それでも俺はお前がいてくれてよかったと思っているが? あっちにいたときも、そして、今も」


 真尋はその背中に手を伸ばして、そっと触れた。

 いつの間にか復活したローサとサンドロも心配そうに海斗を見ている。


「リンゴジュースで酔ってるのか?」


「馬鹿言え、さすがに酔うかよ」


 顔を上げた海斗は困ったような顔で笑った。


「お前らしくないことを言いだすものだからな」


 背中に触れていた手を引っ込める。


「……んー、元気になった神父様に懺悔を聞いてほしかっただけかも」


「お前も神父だろうが」


「でも自分で自分の懺悔はできないでしょ。ねえ、リンゴジュース、おかわりちょうだい。これ、美味しいね」


 海斗がケタケタと笑った。それはいつもの爽やかな彼らしい笑顔で、真尋は小さく笑みをこぼして、再び酒のグラスに口をつける。

 サンドロが「子どもたちにも出すからよ、厳選してんだ」と言いながら、おかわりを注ぐ。


「お前さんも大変だな。まだ昨日、帰ってきたばかりだろ」


「こればかりはしょうがない。休暇と宣言してはいるが、あれこれしなければいけないことが多くて……だが、警備計画以外は俺がしたくてすることだから、楽しいんだがな」


「そうだ。今度、俺にもミソとかショーユをつかった料理を食べさせてくれ。ジョシュアやネネたちが、美味しいって大喜びしててよ。マヒロんとこの、調味料なんだろ?」


「ああ。俺の故郷を代表する調味料だ。サンドロが気になるなら、収穫祭が終わったら我が家に招待でもしようか。無論、妻にお伺いを立ててからだが」


「おお、そりゃいい。楽しみだな」


 サンドロがにこにことご機嫌に顔を綻ばせた。

 それから日本やイギリスの料理について話しているとソニアが小さな旅行鞄を手に戻ってきた。リックが立ち上がり、彼女の下へ行き、荷物を受け取り、自分のアイテムボックスにしまった。


「三日分の着替えとか、普段、ネネが使ってるブラシとかが入っているから」


「分かった。ありがとう」


 グラスの酒とジュースをそれぞれ飲み干して真尋と海斗も椅子から降りて立ち上がる。海斗が、ぐっと伸びをした。

 リックが「馬の準備をしておきます」と告げて、先に店を出て行く。


「ソニア、サンドロ。例の不審者の件だが逆上されても面倒くさい。見つけたら声は掛けず、尾行だけできたらしておいてくれ」


「ウォルフはそういうの得意だからね。ウォルフにも他の連中にも伝えておくよ」


 ソニアがしかと頷いてくれた。


「何かあったら遠慮なく小鳥を飛ばしてくれ。では、おやすみ」


「おやすみ。気を付けて帰るんだよ」


「ああ。ありがとう」


 そう返して、真尋と海斗は賑やかな店内を後にする。ローサが、なんのこと、とサンドロに聞いているのが最後に聞こえた。

 通りへ出れば、ここらは酒場と冒険者の宿が多いので、まだ人通りがあった。

 リックが裏から馬番と一緒に連れて来てくれた愛馬にそれぞれまたがる。


「海斗、明日の予定は?」


「明日は、一路がかまってくれなかったらお前にかまってもらおうかと……」


「ということは暇だな。……明日の計画を少し練り直さなければな。明日は、夫人たちが祭りに行くんだ」


「あー、なるほど。まあ、そこは真尋の好きにしてよ、従うから」


「分かった。ありがとう」


 そう返し、真尋は脳内であれこれ計画を立て直していく。

 海斗が「そういえば一路が可愛かったんだけど……」と一路の可愛さについて語り出したので、それは早々にリックに押し付、ではなく、任せることにした。真尋は、小鳥に伝言を吹き込み、関係者へと次から次へと飛ばして行きながら、我が家を目指すのだった。





ここまで読んで下さって、ありがとうございます。

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新連載を始めました!

「歌う小鳥と魔獣騎士 ~いらないと言われた私が幸せになるまで~」

カテゴリ:恋愛(異世界)

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次のお話も楽しんで頂けますと、幸いです。

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