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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第二部 本編
129/158

第五十五話 励ます女


「ただいま戻りました」


 母の声が聞こえてサヴィラは本から顔を上げる。

 昼食を終えて間もなく、母は父に呼び出されて、誘拐犯のアジトに被害者の女性を保護するために出かけていたのだ。

 サヴィラは、リビングの隅に置かれたベッドでミアとシルヴィアとレオンハルト、そして、双子の弟たちがゆりかごの中でぐっすりと昼寝をしているのを確認し、立ちあがる。隣で同じく本を読んでいたジョンも「僕も行く」とついてきた。

 廊下へ出れば、すでにヴァイパーが迎えに出ていた。


「ユキノ様、お部屋の準備は整っております」


「ありがとう。小隊長さん、ヴァイパーさんについて行ってくださいな」


 ユキノが後ろを振り返る。すると獣人族の女性を横抱きにしたカロリーナがやってきて、ヴァイパーとともに地下へと下りて行く。


「あら、サヴィ、ジョンくん。……ミアは?」


「レオンとヴィーも一緒にお昼寝中だよ」


 サヴィラはそう答えながら母のもとへ行く。

 母の後ろには、ナルキーサスとジェンヌがいて、他にもまだ二人ほど女性がいた。だが二人とも全体的に埃っぽくて、表情が疲れ切っていた。彼女たちが保護された被害者なのだと言われずとも分かった。


「マリーとリラよ。この子は私の一番上の息子のサヴィラよ。サヴィラ、ガストンさんが迎えに行っているご家族が来るまで、我が家で待つことになっているの。ジョンくん、悪いけれど、リリーさんを呼んできてくれるかしら」


「うん! ヴィーちゃんのお母さんは?」


「彼女はまだお部屋にいるようにお願いしてね。真尋さんにそこまでの許可はもらっていないから」


「分かったよ」


 ジョンは賢いよなと感心しながらその小さな背を見送る。


「マリー、リラ、一度治療室に。あちらでは診られなかったから、全身を診せてくれ。小さな傷でも見逃したくはない」


 ナルキーサスが優しく声をかけると二人は、おずおずとユキノを見た。

 ユキノはふふっと笑って頷いた。


「大丈夫、私も一緒に行くわ。それにキース先生は本当に素晴らしい治癒術師様なのよ。この際、普段から気になっていることも診てもらうといいわ。治療費はグラウの騎士団に請求するから安心して」


「今なら肌荒れから女性特有の悩みまで、このアルゲンテウス領一の治癒術師、ナルキーサスの診察と治療費、相談料も無料だぞ」


 ユキノとナルキーサスが冗談交じりに言えば、二人は顔を見合わせて小さく笑った。

 そして、ユキノに促されるまま二人はすぐそこの治療室に入っていく。ユキノがその背に「少し待っていて、息子に説明だけするから」と声をかけてドアを閉めた。


「……三人とも男性が今は少し怖いみたいなの。でも様子からして、ヴァイパーさんは大人だから少し怯えていたけれど、サヴィラは大丈夫みたい。でも、いきなり後ろから声をかけたり、触れないようにね」


「分かったよ。何かしておくことはある?」


「とても疲れているだろうから静かに待てるように私たちの寝室を使おうと思っているの。充さんと海斗くんが馬小屋から戻ったら、ベッドを片付けて、軽くお掃除をお願い。でもミアたちが起きたら、あの子たちを優先で構わないわ」


「了解。父様はまだあっちにいるの?」


「ええ。なんだか楽しそうにしていたから、今日は帰って来るか分からないけれど」


 話をしている内にジョンがリリーを伴い戻ってくる。空気の読み具合に定評のあるジョンは「僕、赤ちゃんたちの様子を見てるね」とリビングに戻っていった。

 ユキノはリリーにも状況を手短に説明する。


「それでリリーさんには、二人の入浴を手伝ってあげてほしいの。ジェンヌさんたちに頼もうかとも思ったのだけれど、やっぱりこういうことは貴女のほうが向いているかと思って。もちろんアマーリアの許可を……」


「奥様には、我が領主家の騎士団の不祥事に巻き込まれた彼女たちに最善を尽くすよう言付かっておりますので、なんなりと」


「ありがとう。ならお願いしてもいいかしら?」


「かしこまりました」


 リリーが頷き仕度へと忙しそうに動き出す。ユキノも「あとはお願いね」と治療室へ入っていく。

 それと入れ違いでカイトとミツル、そして地下のほうからヴァイパーとカロリーナが戻ってきた。


「おかえり」


「ただいま。雪乃は?」


「ただいま戻りました」


 充の肩の上には、あくびをするタマが乗っている。


「母様なら治療室で、女性たちの診察に付き添ってるよ」


 サヴィラの答えに皆が治療室に顔を向けた。だがすぐにカロリーナが口を開く。


「カイト殿、私とジェンヌはすぐに現場に戻ります」


「うん。こっちは任せてよ。庭先にテディとポチを置いておくから安心して」


「本来なら騎士として悔しがるべきですが、テディもポチも、普通の人間が勝てるような相手ではないですから安心です」


 カロリーナが苦笑交じりに言った。

 そして彼女もジェンヌとともに慌ただしく出かけて行った。


「カイトとミツルには、父様たちの寝室を彼女たちの一時休憩室に使えるようにしておいてって母様からのお願い。ベッドとか片づけて掃除しておいてだって」


「かしこまりました」


「OK!」


 二人が頷き、両親の寝室へと向かう。


「ヴァイパーは紅茶の仕度をお願いしていいかな? 診察が終わったら、一息入れてから温泉につかるほうがいいと思うし。ただ、気を悪くしないでほしいんだけど、今は二人とも大人の男性が少し怖いみたいで……仕度だけしてくれたら俺かジョンが届けたほうがいいかなって思ってるんだけど」


 伺うように彼を見上げれば、ヴァイパーはぱちりと瞬きを一つしたあと、眼鏡の奥の瞳を優しく細めた。


「彼女たちが体験した恐怖を想像すれば、気を悪くするなんてとんでもありませんよ。とびきりの紅茶をご用意しておきます」


 そういってヴァイパーは一礼するとキッチンへと向かった。

 廊下に一人きりになったサヴィラは、少し悩んで外へ出る。テディが日向ぼっこをしているそばの花壇へ向かう。


「うーん……だよねぇ」


 花でも生ければ、すこしは慰めになるのではないかと思ったのだが、つい先日、双子とジョンとレオンハルトが植えたばかりの苗はまだ小さく花もまばらだった。


「ぐー?」


 テディがのっそりと起き上がり隣にやってくる。

 つぶらな目がじっとサヴィラを見つめる。


「花が欲しかったんだよ。部屋に飾ったら、あの女性たちも少し心が和らぐかなって。一人は妖精族だったでしょ? だから」


 サヴィラの説明にテディは「ぐー」と鳴いて、あくびをこぼした。

 いくら賢いと言ってもテディは魔獣であるし、人間が花を愛でる心境を理解しろというほうが無茶か、と苦笑して大きな頭を一撫でして立ち上がる。庭のどこかに手頃な花はないかな、とサヴィラはあたりを探す。


「サヴィラ坊ちゃん、どうしました?」


 門番をしていた騎士たちが不思議そうに首を傾げた。


「部屋に飾る花が欲しいんだ。マリーたちの心の慰めになればと思って」


 騎士たちが花壇を振り返る。

 父が療養するにあたって、ミツルが急ぎ整えた庭のため、目ぼしいものがないのだ。


「あー……あ! 俺たちの宿の庭になんか咲いていましたよ。あっちはほとんど手入れがされてなくて」


「レベリオ殿のおかげで雑草はだいぶ減りましたけど」


 どうやらレベリオは、未だにせっせと雑草を抜いているようだった。


「じゃあ、そっちに行ってみようかな」


「なら俺がついていきますよ」


「大丈夫だよ、すぐそこだし」


「いーえ、貴方やミアお嬢様に何かあると我々の首はあっけなく飛ぶんで、譲れません」


 騎士が真剣な顔で言った。その相棒まで深く頷いている。

 まだ仕事という意味で首が飛ぶならともかく、あの父なら物理的に飛ばしかねないな、とサヴィラは苦笑する。


「じゃあ、悪いけどお願い」


「はい。もちろん……テディ殿?」


 騎士がサヴィラの後ろに視線を向ける。つられて振り返れば、花壇の傍で丸くなっていたはずのテディが、のそのそとこちらにやってきた。


「テディが護衛してくれるの?」


 父にサヴィラたちのことを任されることの多いテディは、よく護衛としてついてくる。どんなに留守番だよと言ってもついてくるので、ブランレトゥではもはや誰も驚かなくなって久しい。

 だが、ここはグラウでテディの外出許可は出ていない。


「テディ、ここはブランレトゥじゃないから一緒には……ん?」


「……ぐー」


 テディが顔を上げた。


「あ、花!」


 その大きな口に器用に数本の綺麗な花が咥えられていて、サヴィラが手を出すとその上のぽとんと落とされた。

 花弁が幾重にも重なった深紅の花は、草ではなく木に咲く花のようで、茎ではなく枝の先に三つほどぽつぽつと咲いている。ほかにも鈴のような形の白い花が緩やかに曲がる茎にいくつも連なる可愛らしいものと、ゴマの粒のような小さな小さな水色の花がふわふわとたくさん咲いているものもあった。


「綺麗だけど……どっから摘んできたの?」


「ぐー……くぁっ」


 サヴィラの頭などすっぽり収まりそうな大きなあくびをして(後ろで騎士がちょっとビビっていた)、テディはサヴィラの問いには答えず、今度はのそのそと歩いて家の中に入って行ってしまった。


「……どっから採ってきたんだろう」


「裏庭のほうにあったのかもしれませんよ」


 確かに裏にも庭があるが、果たしてこんな花は咲いていただろうかと首を傾げる。

 だが、裏庭は表の庭よりまだ手入れが行き届いておらず、もっさりしているので、その中に潜んでいたのかもしれない。


「まあ、いっか。……ありがとう、家に戻るよ。お仕事、頑張ってね」


 門番の騎士たちにそう声をかけて、サヴィラはテディを追いかけるように家の中へと戻ったのだった。






 テディはまた温泉に行ったのか、リビングにも姿がなかった。サヴィラは花を抱えたまま両親の寝室へと向かう。

 ソファの位置を調整していたミツルが顔を上げる。

 

「おや、坊ちゃま。どうなさいました?」


「花、飾ったらいいかなと思って」


「お、いいね。みっちゃん、花瓶ある? 一つはここに、もう一つはカレンの部屋に飾ろう」


「はい。キッチンにありますのでお持ちします」


 ソファテーブルの上を拭いていたカイトが立ち上がり、ミツルがすぐに隣のキッチンから綺麗なガラスの小さな花瓶を二つ持ってきてくれた。


「花を生けるのは、雪乃のほうが上手いんだけどね」


 そう言いながらカイトがひょいひょいと花瓶に生けてくれる。

 サヴィラはただ花瓶に入れようと思っていたのだが、カイトは花の茎の長さを調整して、いつの間にかミツルが用意した葉っぱも使って、高低差を付けて花瓶に生けた。それは花瓶にたた花を入れるよりも綺麗に見える。

 カイトは、秋を思わせる赤い花のほうをソファテーブルへと飾ってくれた。もう一つの方は、白い花と水色の小さな花が可愛らしい印象の仕上がりだ。こっちはカレンの部屋に飾りましょう、とミツルが言った。


「うん。やっぱり華やぐね」


 満足げに頷いてカイトが立ち上がる。


「みっちゃん、あとは任せていいかな? 出立の準備だけしてきたいんだ。そうすれば他にすることないし」


「かしこまりました。こちらのことはお任せください」


「カイトは予定通りに行くの?」


 てっきり出立は延期して、父と一緒に何かをすると思っていたので驚いて首を傾げる。


「真尋が予定通りって言うなら予定通りに進めたほうが、解決の道は拓けるってことさ。それにジークを連れてきたほうが、あいつもより自由に動けるしね」


「なるほど……でも、ここはグラウの騎士団の管轄でしょ? 父様はともかくブランレトゥの第二小隊がそんなに自由に動いていいもんなの?」


 サヴィラの問いにカイトはなぜか遠くを見つめ始め、ミツルはうっとりと溜息をこぼした。


「いいかい、サヴィ。これはお前の両親と十年以上幼馴染やってるお兄さんからの助言だけどさ。真尋は怒らせても、雪乃だけは絶対に怒らせるなよ」


「……母様、何かしたの?」


「お前の母様は……グラウの騎士団を統括する大隊長殿の鼻っ柱をバキバキに折ってきただけだよ」


 ユキノはサヴィラの母になったばかりだ。

 だが、母はいつも穏やかで優しく、あたたかい。その母が人の鼻っ柱――たぶん、比喩だから自尊心とかそういうものを――バキバキに折ってきたというのが想像できなかった。父だったら、バキバキに折った上で粉にして、風で巻き上げて綺麗にしてきたと言われても分かるのに。

 よほどサヴィラが困った顔をしていたのだろう。苦笑をこぼしたカイトに頭をぽんぽんと撫でられた。


「まあ、お前たちは雪乃にとって何より大事な存在だから、大丈夫だよ」


 そう告げるカイトの緑の混じる青い瞳は、陽だまりみたいにあたたかくて優しかった。


「さて、俺は準備にとりかかるよ」


「そうですね、診察も終わったようですし、私たちは一度、キッチンへ参りましょうか」


 ミツルの耳がぴくぴくと動き、白と水色の花の花瓶を手に取る。

 女性陣の足音が聞こえ、急いでキッチンへと移動したのだった。







 雪乃はマリーとリラがリリーとともに地下の温泉の脱衣所に入っていくのを見送って、カレンの下へと向かう。

 ノックをすれば「どうぞ」とナルキーサスが返事をしてくれた。

 中へと入ればソフィはベッドに横になっていて、雪乃の兎の耳は彼女の深い寝息を聞き取る。


「カレンはどうかしら」


 雪乃はベッドの足元に腰かけながら問う。


「やはり衰弱がひどいな。保護された安心もあるのだろうが、熱も出始めた。だが……なんというか、奇妙でな」


 カルテにペンを走らせながらナルキーサスが片眉だけ吊り上げる。


「奇妙?」


「ああ。見ての通り、カレンは痩せすぎている」


「……ええ、そうね」


 カレンは健康的な細さとは言えないほど、痩せていて、手など筋が浮かんでいるし、頬もこけている。

 やわらかそうな金の髪もパサついていて、爪もぼろぼろだ。獣人族である彼女には、充と同じ犬系の耳がある。髪より少し濃い金の毛におおわれた三角の耳はゴールデンレトリバーと同じような形をしていた。様子からしてきっとふさふさであるはずの尻尾も毛がところどころ抜け落ちていて哀れな様になってしまっている。


「マリーはカレンに二日ほど遅れて、誘拐された。だが、その時はすでにカレンはこの状態だったというんだ。まだ当時は意識もしっかりあったそうで、会話もできていたと。ただ、食事をうまく食べられず、だんだん衰弱していったと二人は言うんだ」


「商品だったから、きちんと食事は出ていたと言っていたものね」


「ああ。マリーとリラの健康状態を見ても嘘ではないだろう。マリーが男に、パン粥を頼んだらそれも届けてくれたそうで、それは少しだけだがカレンも食べられたらしい。……ユキノ、少しそばにいてくれるか? 点滴の準備をしてくる」


「はい」


 雪乃が頷くとナルキーサスが部屋を出て行く。

 雪乃は立ち上がり、近くに移動してカレンの顔をのぞき込む。苦しそうに寄せられた眉をそっと撫でて額に触れるとナルキーサスの言う通りじんわりと熱を感じた。


「そうだわ……」


ふと思いついて廊下に顔を出す。


「ポチちゃーん」


 カレンが起きないようにと小声で呼べば、少ししてポチがふよふよと飛んできた。


「ぎゃう?」


「ポチちゃん、前に私に出してくれた、おでこを冷やす氷のお水、出してくれるかしら?」


「ぎゃうぎゃう!」


 お安い御用と言わんばかりにポチがぱかっと口を開ければ、氷水が詰まった水球が現れる。


「ありがとう、ポチちゃん」


「ぎゃーう」


 ポチは、どういたしまして、というように雪乃の頬に小さな額をくっつけると、またふよふよとどこかに飛んで行った。その黒い蝙蝠のような翼の生えた背を見送って雪乃も部屋の中に戻る。

 ポチに出してもらったそれをカレンの額に乗せた。

 ふとベッドの横の小さな丸テーブルに可愛らしい花が飾ってあるのに気づいた。

 そういえば、雪乃たちの部屋にも花が生けてあったのを思い出す。きっとサヴィラが気を利かせてくれたのだろう。

 ハンカチを取り出して、カレンの汗をぬぐう。


「待たせたな」


 ナルキーサスが戻ってきて、雪乃は邪魔にならないようにと再びベッドの足元へ移動する。

 がちゃがちゃと点滴台が音を立てる。

 雪乃にとっては、父や母より点滴台がそばにいた時間のほうが長い。現代日本で使われていたものとは色々と異なるが、それでもなんだか懐かしく思えてしまう。

 ガラスの瓶を上にかけ、そこから伸びる管を液体が少しずつ落ちて行く。そして、布団の外に出された細い腕に針が刺され上からガーゼが当てられる。


「何のお薬を?」


「栄養補給薬と解熱薬だ。……これはポチか?」


 ナルキーサスが、カレンの額を指さして言った。


「ええ。さっき、作ってもらったんです」


「ユキノたちに使っていた時も思ったが、興味深い物体だよ。あっちに帰ったらゆっくりと研究したい」


 ナルキーサスが、つんつんとつつくとゼリーのようにぷるんとそれは揺れた。中で細かな氷も揺れて、しゃりしゃりと涼しい音がする。


「カレンは、いくつなのかしら」


「ステータスによれば、十八歳だな。種族は見ての通り犬系の獣人族」


 ユキノのつぶやきにナルキーサスが答えてくれる。

 ナルキーサスが呪文を唱えれば、真尋の時にようにいくつもパネルが現れて、何かの数値を表示している。


「カレンとはあまり会話らしい会話ができていないんだ。意識を保持するのが難しいようでな……回復してからでないと、詳しい話は聞けないだろう」


「何か、誘拐以外のことがあったのかもしれませんね」


「この状況からしておそらくな。マリーが言うには、カレンは仕事場を首になったばかりで、商業ギルドに就職口を紹介してもらおうと出かけた際に誘拐されたらしい」


「なら……前の職場で何かあったのかしら」


「かもしれないな……私が見ている限りだと、病気を患っているわけではないんだ。だが、獣人族は他種族より体力があり、病気にもかかりにくい。それがこんなに痩せるとは、精神に大打撃を受けるような何か、辛いことや怖いことがあったのかもしれないな」


 ナルキーサスがカルテにペンを走らせる手を止めて、目を伏せた。


「とはいえ、今は回復を最優先にしないとな。しばらく私がここにいるよ」


「分かりました。何かあったら呼んでくださいね」


 そう告げて、布団の上からカレンの脚をいたわるように撫でてから立ち上がる。

 雪乃が部屋を出ると、ちょうどマリーとリラが温泉から上がったようで、リリーとともにやってきた。


「ユキノ様。温泉、ありがとうございました」


「着替えもありがとうございました」


 二人とも表情がすっきりしている。

 雪乃と背格好のあまり変わらない二人だったので、服も問題なく着られたようだ。


「どういたしまして」


「あの……カレンは」


「カレンは眠っているわ。疲労から少し熱が出てしまっているようだけれど、キース先生がおそばにいてくれるから大丈夫よ」


 不安そうな顔をした二人だったが、ナルキーサスの名前を出せば安堵をその顔に浮かべた。

 マリーとリラ、カレンの三人は偶然にも同じ十八歳だそうだ。あの状況下でお互いを励まし合って過ごしていた分の絆が芽生えているのだろう。


「ご家族が到着するまで、上で待ちましょう。何かお好きな紅茶はあるかしら? 我が家のフットマンは、とても紅茶を淹れるのが上手なのよ」

 

 階段を上りながら二人から紅茶の好みを聞き出し、到着した廊下には誰もおらず、そのまま寝室へと行く。リリーは、後片付けをしてまいります、とこっそりと雪乃に告げて寝室の前で別れた。

 中へ入れば、なぜかミアとシルヴィアがいた。


「ママ!」


 ミアがソファからぴょいと降りて駆け寄ってきたのを抱きとめる。


「あら、どうしたの?」


「どこ行っちゃったのかなってさがしてたの……おきゃくさま?」


「おきゃくさまがいたのね、ごめんなさい」


 ミアが雪乃の後ろにいる二人に気づいて首を傾げ、シルヴィアが眉を下げた。


「ふふっ、大丈夫よ。マリー、リラ、紹介するわ。この子は私の娘のミアよ。それでこの子は、ここに滞在している私の友人の娘のヴィーよ」


「はじめまして、ミアです!」


「ヴィーですわ!」


 二人はスカートのすそをつまんできちんと挨拶する。

 可愛らしいその様子にマリーとリラも表情を緩め、自己紹介を返した。


「ミア、ヴィー、ヴァイパーさんに紅茶をお願いしてくるから、お客様の相手をお願いね」


 二人と子どもたちの様子にそうお願いすると、子どもたちは「うん!」と元気よく頷いた。頼られているのが嬉しいのだろう。

 

「マリーお姉ちゃん、こっちよ!」


「リラお姉様は、こっち!」


 小さな手に引かれて、二人がソファへと向かうのを微笑ましく思いながら、雪乃はキッチンへと向かう。


「あら、良い香り」


 キッチンに入るとバターの良い香りが鼻先を撫でた。


「冷凍しておいたクッキー生地を使わせて頂きました」


 充がオーブンの前に立っていた。

 ヴァイパーは、ちょうど、おやつに添える紅茶の仕度をしている。


「おやつの時間だものね。ミアとシルヴィアはこちらにいるんだけど、私たちの分も少しもらっていいかしら? ヴァイパーさん、紅茶をお願いできるかしら」


「もちろんです。何をご用意いたしましょうか」


「二人とも華やかな果物の香りのものが好きだと言っていたから、前に淹れてくれたブドウの香りの紅茶はある?」


「ございます。でしたら、それを三人分ご用意いたします」


「ええ。お願い。ミアとシルヴィアもいるから、あの子たちにはミルクティーを淹れてもらっていいかしら」


「はい。いつも通り、甘めにしておきます」


 ヴァイパーはそう返事をすると、新たにポットを取り出して(夫が予算を出して彼が町で買い求めてきたものだ)、楽しそうに仕度を始めた。


「ミアお嬢様たちは彼女たちのお相手を?」


「ええ。子どもって無邪気だから安心するものよ。子どもが笑っている場所は、安全なんだって無意識に感じるのかもしれないわね」


「それは……分かるような気がいたします。私も真智様と真咲様の笑顔を見ると、なんだかほっとすることが多かったですから」


 そういって、充は小さく微笑んだ。

 真尋は幼いころからそう笑うような子どもではなかった分、真尋と同じ顔をしている真智と真咲の笑顔を見るたびに、雪乃は不思議と真尋の無邪気な笑顔を見ているように感じることもあった。


「おや、時間ですね」


 充が呟いて、ミトンをはめてオーブンを開ける。

 ふわりと甘い匂いが強くなる。充が取り出した天板の上には、綺麗にやきあがったクッキーが均等に並んでいた。


「もう一度、焼く予定ですのでこちらはお子様方と女性の皆さまでお召し上がりください。二度目は、一路様の分です」


「ふふっ、そうね一くんの分がないと、拗ねちゃうわ」


 充が風の魔法を器用に操り、クッキーを冷ましてお皿に並べる。一枚、味見をしてみたが、バターの風味が豊かで美味しい。粉糖を使った分、甘さも柔らかく、さっくりした触感に仕上がっている。


「雪乃様、こちらも準備が整いました」


 ヴァイパーはワゴンの上に紅茶を支度してくれたので、真ん中の段にクッキーを乗せる。


「二人ともありがとう。いただいていくわね」


 ワゴンを押しながらキッチンを出て、部屋へと戻る。

 ソファにマリー、ミア、シルヴィア、リラの順で座っている。寝室の本棚に入っていた花の図鑑を四人で読んでいるようだった。ミアとシルヴィアの膝に広げられた大きな図鑑を二人が横からのぞき込んでいる。


「ふふっ、お茶の仕度が整いましたよ」


 そう声をかけて、近づいていく。


「ママ、リラお姉ちゃんのお花は、ユリのお花なんだって!」


 ミアが嬉しそうに教えてくれる。


「まあ、そうなのね。でも確かに白い百合の花のような綺麗な髪だものね」


 雪乃が褒めるとリラが気恥ずかしそうに目を伏せた。


「マリーお姉様ににあうのは、どのお花かしら」


 シルヴィアが図鑑をめくる。

 楽しそうな彼女たちに雪乃は、紅茶を飲みながら、これなら大丈夫そうね、と微笑みを一つ落とす。

 四人の前に紅茶を置いて、最後にクッキーを真ん中に置く。ミアとシルヴィアが分かりやすく顔を輝かせた。リラが図鑑を閉じて傍らに置く。

 雪乃は安楽椅子に腰かける。


「ママのクッキーね」


「ええ。リラとマリーも食べられるようであれば、食べてね」


「ありがとうございます」


 美味しそうにクッキーを食べるミアとシルヴィアに触発されたのか、遠慮していた二人もそっとクッキーに手を伸ばす。


「ん、おいしいです」


「さくさくで、ほろほろです」


「ふふっ、ありがとう。紅茶も美味しいわよ」


 雪乃が勧めると二人がカップを手に取る。

 

「……! 葡萄の香りがします」


 リラが目をぱちぱちさせる。


「後味もすっきりで美味しいです。先ほど頂いたハーブティーも美味しかったですが、これはより美味しいです」


 マリーも気に入ってくれたようだ。

 雪乃も自分のカップを手に取り、口を付ける。茶葉の香りと葡萄の香りが豊かに広がる。お互いを引き立て合えているのは、これを調合するヴァイパーの腕があってこそだ。

 そうしてのんびりと紅茶を楽しみ、クッキーのお皿が空になった頃だった。


「あ、チィちゃんとサキちゃん、おきたみたい」


 ミアが真っ先に気づいて、白い耳をぴくぴくと動かす。

 雪乃の耳にも数瞬遅れて、二人の泣き声が届く。


「あら本当。いつもより一時間遅いけれど、ミルクの時間ね」


 大体同じ間隔で空腹を訴えてくるが、時には一時間早まったり、遅くなったりもするのだ。

 雪乃が立ち上がるより先にミアがソファから降りる。


「ママ、ミアがいってくるわ」


「でも……」


「大丈夫、サヴィとジョンくんもいるもの」


「わたくしもおりますわ!」


 ミアの隣にシルヴィアもやって来る。

 双子のもとにヴァイパーが駆け付ける足音と声も聞こえる。ミアもサヴィラもミルクもおしめも上手にこなしくてくれるし、そこにジョンやシルヴィア、ヴァイパーがいれば大丈夫だろう。


「なら、お願いしてもいい? 何かあったらママを呼んでね」


「うん! いこ、ヴィーちゃん」


「ええ」


 ミアとシルヴィアが手をつないで部屋を出て行く。その小さな背は、とても頼りになる。


「……あの、まだお子さんが?」


 マリーがおずおずと問いかけてくる。


「ええ、末の息子が……双子なのよ。夫が故郷を出た後に生まれた子で、夫にそっくりなのよ。夫は死んだと言われていたから、本当はもう二度と会えないと思っていたの。私があの子たちを育てる決意だってしていたのだけれど、司祭様が本当のことを教えてくださって……子どもたちのために、先月、会いに来てしまったの」


 ふふっと笑って雪乃は椅子に深く腰掛けた。ゆらゆらと安楽椅子が揺れる。


「気づいているかもしれないけれど上の二人は、私が産んだわけではないのだけれどね」


「神父様は養子を取られたと聞いています。グラウにもその親馬鹿ぶりは届いているのですよ」


 リラが可笑しそうに笑った。雪乃もあらあら、と笑ってしまう。

 そう言えば、辺境にあるシケット村にまで真尋の親馬鹿っぷりは届いていたというのだから、グラウに暮らす彼女たちが知っているのは、当然かもしれない。


「二人は結婚は? そういえば、恋人さんがいるなら、そちらにも無事を伝えないといけないわね」


「私は恋人もいなくて……」


「同じくです」


「……ええと」


「ふふ、いいんです。今は仕事のほうが楽しいので」


 マリーが笑った。


「そうなのね、楽しいことがあるのは素敵なことね。お仕事は何を?」


「私はナニーです。ですので、子守は得意なのですよ」


「私は仕立て屋で針子をしています。仕事をもっとできるようになりたくて……ああ、でも」


 リラが表情を曇らせた。


「どうしたの?」


「カレンは大事な存在が家で待っているって、しきりに心配していたんです」


「まあ本当? それは大変だわ。ちょっと執事を呼んでもいいかしら。大丈夫、男性だけど優しい人よ」


「はい。お心遣い、ありがとうございます」


「私たちは大丈夫です」


 二人が了承してくれたのにお礼を言って、充を呼べばすぐにやって来る。

 入り口で足を止めた彼の気遣いに感謝しながら口を開く。


「充さん、真尋さんに連絡は取れる?」


「はい。小鳥を数羽、預かっておりますので。何かお急ぎですが?」


「ええ。お二人の話によると、カレンは自宅で大事な方が待っていると言っていたんですって」


 充の視線が二人に向けられとリラが頷いて口を開く。


「ただ、カレンがそれを言い出すのは、いつも意識が朦朧としている時だけで」


「いつもうわ言で『あの子のところに帰らなきゃ』って言っていたんです。ちゃんと起きてるときに聞いても、はっきりとは答えてくれなくて」


 マリーが後に続けた。


「彼女は天涯孤独だというから、恋人かもしれないわ。どのみち、行方が分からないのでは心配しているでしょうから、確認に人をやってもらえないか聞いてちょうだい」


「かしこまりました。すぐに手配いたします」


 充が頷き、踵を返す。

 ドアがぱたんとしまった音が地良く響く。


「……『あの子』っていうのが引っかかるわねぇ」


 雪乃は頬に手を当てて首を傾げる。

 あの子というのは恋人に向ける言葉というよりは、自分よりも年下の小さな、例えばミアやシルヴィアのような子どもに向ける言葉だ。


「そうなんですよね……私たちも最初は、カレンには子どもがいるのかと思ったんですが、そうじゃないみたいで」


 マリーが困惑気味に言った。


「でも、何かがいるのは間違いないのでしょうね」


「はい。本当にずっと心配していたんです」


 リラが心配そうに顔をふせた。


「ユキノ様、カレンは本当に大丈夫でしょうか?」


 マリーまでなんだか泣きそうな顔になっていて、雪乃は椅子から立ち上がり、二人の下に行く


「大丈夫よ。ナルキーサス先生は嘘や気休めは言わないの。その先生が心配とは言うけれど、命に係わるとは言わないということは、回復する見込みが高いということよ」


 二人の前にしゃがみこみ、膝の上にあるそれぞれの手に優しく手を重ねた。


「心配なら、いつでもお見舞いに来るといいわ。二人が滞在する予定の第二小隊さんのお宿は、歩いてすぐだもの。ね?」


 雪乃の励ましに二人は、なんだかまだ泣きそうな顔をしながらも、こくり、と頷いたのだった。






ここまで読んで下さって、ありがとうございます。

閲覧、ブクマ、評価、感想、いいね どれも励みになっております♪


本年もお世話になりました!

また来年もよろしくお願いいたします。


次のお話も楽しんで頂けますと、幸いです。

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