第五十三話 怒らせた男
「これでよし、と。朝晩、二回、この軟膏を塗っておけばすぐに痣は治る」
真尋が治癒魔法を施し薄くなったリーアの痣に軟膏を塗って包帯をまきながらナルキーサスが言った。
その横でナルキーサスが作ってくれた診断書に目を通し、懐にしまう。
真尋が神父だと知って気絶したカールは、先ほどまで真尋が座っていたソファに横になっていて、誰かがその額に濡らしたタオルを乗せてあげたようだ。
「キース、ここは君と下にいる二人に任せていいか?」
下にいる二人、とはナルキーサスをここまで連れてきてくれた第二小隊のルシアン騎士とピアース騎士だ。一階で待機している。
「かまわんが、君はどこへ?」
「少し気になることがあってな。だが、あの男どもが戻って来るとも限らんしな」
「ユキノに怒られるようなことだけはするなよ」
「分かっている。では、行ってくる」
「いってらっしゃい!」
子どもたちに見送られながら階段を下りて行く。
「神父様」
ルシアンが振り返り、次いでピアースが顔を上げる。
「早ければ二時間で戻る。その間、ここを頼む。何かあればすぐにこれを飛ばしてくれ」
小鳥よりは一回り大きな鳥型の伝言魔道具をルシアンに渡し、真尋は店を出る。
細い路地裏へ入り、自身に隠ぺいをかけて風魔法で一気に屋根の上に上がる。
「療養させてもらっているついでだ。掃除くらいはしていってやらんとな」
頭上を旋回していたカラスが真尋の差し出した腕に降り立つ。
「さて、案内を頼むぞ」
つぶらな黒い眼差しが赤く光り、カラスは再び飛び立った。真尋は、屋根の上をその黒い翼を追いかけて駆け抜けて行くのだった。
グラウの騎士団の本所は上を下への大騒ぎで、騎士たちがせわしなく行きかっている。
その喧噪を背にリックはエドワードと並んでソファに座り、一向に進まない話に辟易していた。リックの左斜め横に置かれた一人掛けのソファに座るカロリーナ(エドワードが声をかけると次も必ず誘えとついてきた)は苛立たしい様子を隠しもせず、目の前の男を睨みつけている。
リックたちにも睨まれるようにして座っている男――第四大隊大隊長のチェスター一級騎士は青い顔のまま、しどろもどろに説明を繰り返している。
「所在がつかめていない騎士がいるとはどういうことか説明を、と我々は言っているだけなのですが?」
リックは極力穏やかに問いかける。
リックたちがマヒロへの宣言通り事前の予告なく騎士団を訪れると蜂の巣をつついたような騒ぎになり、通された応接間で待っていると焦った様子のチェスターがやってきたのだ。
中間報告をと告げれば、最初はきちんと捜査過程を教えてくれた。
だが、だんだんと雲行きが怪しくなり、結論から言えば非常に重大な事件が起きていた。数名の騎士が行方不明になり、所在が分からないというのだ。
騎士というのは、必ず所在がはっきりしていなければならない。
事件を追跡中に行方不明になった場合は、即座に申告し、失踪宣言を出さなければならない。
とくに所在管理が厳しいのは、三級以下の衣食住を騎士団に保障され、寮で暮らす騎士たちだ。
騎士である以上一定の権力や権限を持つことになるからこそ、彼らは未熟であるがゆえに厳しい管理下に置かれる。騎士の制服は、ただの布切れでは決してないのだ。一般人が騎士の制服(自作も含む)を着て、身分を詐称すると重罪だ。
リックやエドワードも先の事件で除籍になった際、真っ先に制服を返還するように命令された。
三級騎士の暮らす寮には門限があり、仕事以外の私的に出かけられる時間も決まっている。しかも、出かけるときも買い物ならばどこら辺という報告をして、外出許可を取らなければならない。
寮を出る二級以上になれば、管轄内であれば私的な時間は自由となる。それが二級騎士であることに対する信頼でもある。だが、旅行などの管轄外への移動を伴う外出は、どこへ、どれくらい滞在するのかを事前に報告することが義務付けられている。
騎士というのは、個である前に公であり、騎士団、ひいては領主家の管理下にある存在なのだ。
だというのにその行方不明の騎士が、四級七名、五級五名もいるのだというから頭が痛い。しかも奴らは制服を所持したままだというのでなおさらだ。
「事件の捜査中に失踪したわけではないようですね」
エドワードが報告書の一点を指さし、問いかける。
そこには彼らが失踪したと思われる日付が書いてあるがどれもこれもハリエット事務官の事件が起こる前のことだ。
それをハリエット事務官の事件が起こるまで把握していなかったということが大問題なのだ。
「水の月」
カロリーナが静かに口を開く。
「私の隊のマイクという三級騎士が行方不明になった。捜査中のことだ。のちにインサニアのまがい物に飲まれて死んだと判明した。遺ったのは、その時に所持していたハンカチ一枚きりだ。制服も、剣も、髪の一本、骨の一つ、血痕さえもあいつは遺さず死んだ」
ぴりぴりと空気が震える。
「マイクの失踪は、定期連絡が途絶えた際にすぐに申告し、当時の任務の性質上、公にはできず私の小隊内という狭い範囲だったが失踪宣言を出した。我が第二小隊は、公には動けずとも仕事と並行し行方を探り続けた。もちろん私もだ。三級だろうが、五級だろうが、正騎士だろうが、私は探した。なぜなら、私の部下の命の責任は、小隊長である私にあるからだ。そういう覚悟を持って、私は小隊長の任を受けた」
パチパチと火花が散りはじめ、リックとエドワードは慌ててテーブルの上の報告書をかき集めて抱きしめた。
「今回の、一番の、問題は、命を預かる上司が、誰一人として、部下の所在を、この長期間、把握していなかったことだ!!
振り降ろされた拳がテーブルに叩きつけられて火花が散った。
「失踪宣言を出すのが遅すぎる!! 大隊長であるチェスター一級騎士、このグラウ支部の統括である貴殿の大隊長としての資質も問われる大問題だぞ!!」
足元で絨毯が燃えそうになり、リックは慌てて踏み消す。こんなことなら水属性を持つ仲間についてきてもらえばよかった。
「チェスター一級騎士、これは査問委員会の管轄になるぞ」
カロリーナが唸るように告げる。
「わ、私も報告を受けたのが一昨日でだな、君は遅いというが、私は報告後すぐに失踪宣言を出した。今は任を受けた小隊が捜索に当たっている。カロリーナ二級騎士、君は上官である私に対する口の利き方が……」
カロリーナがチェスターの反論に、嗤った。
獅子らしい獰猛さが滲み出た笑みだった。
「嗚呼、チェスター一級騎士、君は騎士としての判断をまた一つ見誤った。……私はブランレトゥの二級騎士だ」
「だからなんだ。ブランレトゥの騎士だとおごり高ぶるのか。かつては私もブランレトゥで研鑽を積み、この大隊長の任を授かったのだ」
チェスターは苛立ちを押し込めるように膝を揺らしながら言った。
「最後まで聞け」
カロリーナは、そんなチェスターを一蹴する。
「普段の私は、ブランレトゥの二級騎士だ。だが、我が第二小隊は特別任務の最中だということを忘れたか」
その一言にチェスターが現実を思い出したようだ。見る間に青くなる顔にエドワードが「だめだこりゃ」とつぶやいた。
「今現在、私を含めた第二小隊の権限を持つのは、神父のマヒロ殿だ。我々は今、神父殿の命令を第一優先にして動いている。普段であれば中隊、大隊と上に報告をするが、今の我々が真っ先に報告するのは、神父殿だ。そして、神父殿が報告を上げる義務があるのは、騎士団長にだけだ」
チェスターもマヒロが、このアルゲンテウス領においてどういう位置に存在しているか理解はしているようだ。
マヒロに目を付けられるということは、騎士団長も領主様も味方にはなってくれないほどの事案だと。
「し、神父様には内密に……!」
「するわけがないだろう。リック、仔細報告しておけ」
カロリーナが牙もあらわにニタリと笑う。
「必ず。この報告書は、一度、お預かりいたしますね」
リックはカロリーナの火の粉から守ったそれをエドワードが持っていた分も合わせてアイテムボックスにしまう。
「それと……これは私の主たるマヒロ神父様が大変、気に病んでいる案件なのですが……」
リックの前置きにチェスターが固唾をのむ。
「なんでも最近、北のほうの地区で、子どもに対する怪しい大人からの声掛けが頻発している、とか」
「そのようなことは報告に上がっていないが……」
間髪入れずにチェスターが返す。
リックは役に立たない男だという落胆にわずかに目を細めた。
「……そうですか。これ以上は時間の無駄になりそうですので、我々は護衛任務に戻ります」
リックはそう告げて傍らに立てかけてあった剣を腰に佩き、立ち上がる。エドワードとカロリーナもそれに続き、チェスターが慌てて立ち上がる。
「ご、護衛騎士殿……! ま、待ってくれ! 今、下の者に確認する!」
マヒロが把握している事件を自分が把握していないと気づいたらしいチェスターは、アンデットのほうが元気そうな顔色になっている。
リックは「いえ、お忙しいようですので結構です」と断り、入口へと歩き出す。
カロリーナとエドワードに続き最後に部屋を出て、リックは閉めようとドアノブに手をかけたところで、「そういえば」とわざとらしく大きな声を出してチェスターに顔を向ける。
「私としたことが。一番、大事なことをお伝えし忘れていました」
リックは、形ばかりの反省を顔に浮かべる。
「これは我が主からの伝言です。『明後日には、俺が直接聞きに行ってやる』だそうです」
チェスターがそのまま卒倒し、部屋の隅に控えていた彼の事務官たちが慌てて駆け寄っていく。
「おやおや……見送りは結構です。お大事に」
そう告げてリックはさっさとドアを閉めた。そして、カロリーナとエドワードとともになんだかやかましい応接間を後にする。
「ったく、たるんでいるにもほどがある……!」
ぶつくさ文句を言いながら大股で歩くカロリーナの背を見ながら、リックは先ほどの彼女の言葉を思い出す。
『私の部下の命の責任は、小隊長である私にあるからだ。そういう覚悟を持って、私は小隊長の任を受けた』
今はもうリックもエドワードも彼女の直接の部下ではないのだが、それでも彼女の部下でいられてよかったと思える言葉だった。
「カロリーナ小隊長」
「なんだ?」
エドワードが声をかければ、不機嫌そうにカロリーナは振り返る。
しかし、その不機嫌が向けられているのはここの騎士団なので、臆することなくエドワードは隣に並ぶ。
「また鍛錬でのご指導、よろしくお願いします!」
「ああ、お前はまだ脇が甘いからな」
「小隊長、私もよろしくお願いします!」
競い合うように前にでれば、カロリーナは「まとめて相手してやるぞ」と勇ましく胸を叩いた。
主であるマヒロのことをリックは心から尊敬しているけれど、やはりカロリーナはリックの最初の上司で、彼女にもまたリックは一生、尊敬の念を抱いて生きて行くのだろう。
忙しない騎士たちを横目にリックたちは本所を後にし、外へと出る。
エントランスには、すでにリックとエドワード、カロリーナの愛馬が待っていて、馬番にお礼を言って、愛馬の手綱を引き受け、その背に跨る。
「さて、この後はどうするんだ?」
「レストランで待ち合わせているので、そちらで報告をする予定です」
「私も一緒に行っていいだろうか? この大問題は直接、神父殿に報告をしたい」
「小隊長なら構わないと思いますよ。一応、伝言を……」
リックは形ばかりマヒロにお伺いを立てようとアイテムボックスから小鳥を出したところで、先にどこからともなく飛んできた緑色の小鳥がエドワードが差し出した指に留まった。
「『真尋だ。ちょっと色々あって、誘拐犯のアジトっぽいものを見つけてな。偵察に行ってくるので、レストランは無し、直帰してくれ』」
小鳥が淡々と言葉を紡ぐと、指からぴょんと飛んで、エドワードの肩に留まった。
三人の間に沈黙が落ちおる。相棒の肩で、小鳥がご機嫌にさえずる声が長閑だ。
「はい、了解しました……なんて、言うわけがないでしょうがぁ!!!!」
「リック、落ち着け、気持ちは分かるが、落ち着け!!」
頭を抱えて叫んだリックをエドワードがなだめようとしてくれる。
「おい、リック、場所は分からんのか、場所は!」
「分かっていたら、即時出発していますよ!」
カロリーナの言葉に勢いよくそう返す。カロリーナが、すんとして「それもそうか」と頷いた。
「そうだ! この間、お前がナンパ騎士の時の怪しい奴らにくっつけた追跡魔道具の毛虫! あいつはどこら辺に? 子どもたちを狙ってたなら関係があるかもだろ?」
エドワードが言った。
「あれは、北のほうの地区だ。あちらはあまり治安が良くないからな」
「では、とりあえず北へ行こう!」
そういうが早いか、カロリーナが愛馬の腹を蹴り駆け出す。リックとエドワードも手綱を握りしめ、それに続く。
カロリーナは、例の魔道具の回収に行ったルシアンとピアースに報告は受けていたようで、迷うことなく目的地へと進んで行く。
リックの主は、いつもこちらが想像もしないようなことを平気でやらかしてくださるのか。報告、連絡、相談を相手に要求する癖に、どうして自分はそれらを全部すっ飛ばして結果しか伝えてこないのか。
町を疾駆しながらリックは悶々と思考を巡らせた。
「エディ、リック! 騎士服から私服に着替えておけ!」
そう叫ぶカロリーナの服が私服へと変わる。アイテムボックスが体に触れていれば、着替えられるようにマヒロが第二小隊でアイテムボックスを持っているものたちのそれに細工したのだ。尾行などをする際、対象に気づかれたくない時に一瞬で着替えられるのがとても便利だと好評で、マヒロが改良したものをウィルフレッドに売り込むと言っていた。
むろん、リックとエドワードのアイテムボックスも同じ細工が施されていて、二人も馬上で私服へと着替える。
だんだんと速度を落とし、馬を止める。馬たちの荒い呼吸を聞きながら辺りを見回す。
街並みはそれほど中心部や平穏な地区と変わるわけではないが、酒場が多く、柄の悪い人間が多い。ブランレトゥの貧民街ほどの貧困があるわけではないけれど、貧しさはある。そんな地域だった。
「報告書にあったのは、このあたりだったな」
カロリーナが言った。
毛虫の魔道具を使ったリックと、それを回収に行ってくれたルシアンとピアースの報告書をカロリーナは読んでいたようだ。マヒロが渡したのかもしれない。
「はい、この酒場と雑貨屋の間に。細いですが、一応、奥へ……裏通りへ行けるような道になっていて、ご想像の通り裏通りは、より一層、治安が悪いです」
リックは酒屋と雑貨屋のほうを指さす。
カロリーナは、ふむ、と頷くとそちらへ行き、馬から降りて周囲を見回しながら耳をそばだて、鼻をひくひくさせる。何かの匂いをかぎ取ろうとしているようだった。
「犬系ほど、獅子系の嗅覚は鋭いわけじゃないんだがな……たぶん、この奥。裏通りのほうに神父殿はいる。行くぞ」
そういってカロリーナが馬上へと戻り、馬も通れる道を探して裏通りへと行く。
リックとエドワードもその背に続く。
裏通りは、より人相の悪い――いや、どこか虚ろな目をした連中がうろうろしていた。目の前をラスリが一匹、横切っていく。
カロリーナの獅子の耳がぴくぴくと動いてあたりの音をつぶさに拾い上げている。
「……ここらへんだな」
そう呟いてカロリーナがアイテムボックスから、小鳥を取り出した。
「『神父殿へ、カロリーナです。もしいらっしゃるなら窓の外、通りに向かって合図を』」
カロリーナが魔力を流しこんで伝言を吹き込めば、無機質な紙の小鳥は、可愛らしい桃色の小鳥へと変化し、ふわりと飛び立っていく。リックたちはその小鳥を追いかける。
小鳥は裏通りのはずれの――かつては宿だったらしい――廃屋の三階の窓の隙間から中へと入っていった。
リックたちは、固唾をのんでその窓を見つめる。少しして窓ががたりと音を立てて開きマヒロ、ではなく、カイトが顔を出して手を振った。
そして、下を指さし、中へ、と唇だけで告げた。
リックたちは、宿の入り口のドアが両開きで間口が広く、馬も通れそうだったので馬を落ちて、手綱を引きながら中へ入る。
幸い、床は腐っていない様子だった。あんな治安もなにもないような通りに愛馬を置いていけない。鍵の代わりに入り口のドアのノブを地魔法の蔦でぐるぐる巻きにしておく。
そして、カロリーナを先頭に奥にあった階段を上がっていく。
三階へあがると五部屋あるうちの一番奥の部屋の前にイチロが立っていた。
「おい、イチロ! どういうことだよ! なんでお前までいるんだ!」
エドワードが小声で怒りながら主に駆け寄る。
「そんなの僕が聞きたいですよ。僕と兄ちゃんが待ち合わせ場所に行ったら、突然、真尋君が伝言よこして、ここに来たんです」
「そのマヒロさんはどちらに?」
リックはにっこり微笑んで首を傾げた。
エドワードが頬を引きつらせ、イチロも引きつった笑みを浮かべて中を指さした。
「ありがとうございます」
リックはノックもせずにドアをあけ放ち、ずかずかと踏み込む。
窓際に置かれた椅子に座って外を見ながら煙草をふかしていたマヒロがリックに気づいて眉間にしわを寄せた。
「マヒロさん?」
「まだ何もしていないだろう」
微笑むリックにマヒロは飄々と返した。
「こんな危ないところに護衛もなしに勝手に来ないでください!」
「俺から一本とれるようになってから言うんだな」
ぐうの音も出ず押し黙る。
エドワードとカロリーナにそれぞれぽんぽんと慰めるように肩を叩かれる。
この神父様は護衛対象だというのに、その護衛より強いのだ。あの大怪我から奇跡的な復活を果たした今は、雪乃の存在の影響もあるのか絶好調で以前よりも確実に強い。
「それより、外、見てみろ」
マヒロが窓の外を顎でしゃくった。
カイトが顔を出したのは、廊下にある窓でマヒロが見ているのは、その正反対の部屋の中にある窓だ。リックとエドワードがマヒロの傍にある窓をのぞき込み、カロリーナがもう一つの窓をのぞき込んだ。
さらに鬱屈とした通りがあり、目の前の建物はここと同じく宿屋のようだった。だが、営業しているのかどうかはここからでは判別できなかった。
というのも建物自体は、ガタが来ているのが見ればわかる。雨戸が外れていたり、壁の石レンガも割れてしまったりしている箇所があった。だが、人の出入りがある。今も冒険者風の男が中へと入っていった。
「商店街の公園で待ち合わせをしている時、子どもたちが遊んでいてな。その中のミアくらいの女の子に、冒険者風の男二人が声をかけて連れ去ろうとしたんだ。その女の子のお母さんが呼んでいるという幼児誘拐の常套句を使っていたんだが、女の子の母親は怪我で入院していて、一緒に遊んでいた子どもたちが嘘だと見抜いた。俺が間に入ったことで男どもは逃げて行ったので、カラスに追わせた」
その言葉通り、真っ黒な鳥が二羽、向かいの建物の屋根の上にいる。あの黒い鳥は、マヒロの故郷の鳥でカラスというのだと以前、教えてもらった。こっちでいうところの魔鳥のクロウに似ている。
「ここで見ている限りだと、とくに子どもや女性が現れることはなかった、が」
「が?」
「カラスによれば、三階の角部屋に女性が二人、もしかしたら三人いる。カーテンの隙間からわずかに見えただけで、詳細は不明だ」
「誘拐か?」
カロリーナが表情を険しくする。
「それは入ってみないと分からん。囮を用意するか」
「誘拐しやすいというなら女子どもだが、さすがに子どもはな……ジェンヌを呼ぶか?」
カロリーナが言った。
「いや、呼びに行く時間が惜しい……リック、女装とかどうだ?」
マヒロがリックを振り返る。
「わ、私がですか?」
「リックじゃガタイが良すぎるだろ。ここは私が行こう」
カロリーナが前に出る。
「いや、君は……ちょっと誘拐ができそうな雰囲気じゃない」
マヒロが首を横に振った。
リックとエドワード、カイトとイチロも頷いてしまう。
カロリーナは美人だし、スタイルもいいが、頭に「騎士として」がつく。ユキノやティナみたいな華奢な女性を狙うような誘拐犯たちが、カロリーナを狙うかと言ったら、逆にぶっとばされそうな彼女を狙うものは早々いないだろう。それに獅子系の獣人族である彼女は、リックたちと身長も変わらないのだ。
「エドワードもカイトも無駄にでかいしな……」
「なんか、すみません」
「しょうがないだろ、すくすく育っちゃったんだから」
エドワードが頭を下げ、カイトは肩をすくめた。
そして、自然とみんなの視線がイチロに向けられる。
「ぜっっっったいに、やだ!! NO!!!!」
「華奢で小柄なのがいたな。俺の服でも着せとけば、ワンピースになるだろ。本来ならパニエの一つもあればよかったがな」
マヒロが指を振れば、イチロがマヒロのもとに引き寄せられ、急停止する。そして、マヒロがイチロの服に触れれば、彼は深い蒼色のチュニックに着せ替えられる。
どういう魔法が発動しているのかは凡人のリックには全く分からないがイチロは声も出せず、身動きも取れなくなっているようだった。
マヒロは、幅が十センチくらいある水色のリボン(たぶん、娘の服用)を取り出してイチロの腰に巻く。
「あ! 俺、いいものもってるよ!」
そういってカイトがイチロの頭に触れればイチロの淡い茶色の髪が腰までの長さになる。
「かぶせたら可愛いと思って、店頭で見かけて買っちゃったんだよ、カツラ」
色からして間違いなく弟のために買ったのだろうが、どうして弟に女もののかつらをかぶせようと思ったのかは、リックには推し量ることはできなかった。
「私の秘蔵の髪飾りを……ハリエットを飾りたくなった時用にいくつか持っているんだ」
カロリーナがいそいそとイチロの髪を器用に編み込みにしてマーガレットの花をかたどったそれを耳の上に飾った。
「雪乃に買ったんだが、あまり合わなくてな。この色ならお前のほうが似合うだろ」
そういってマヒロが、軟膏でも入っていそうな小さな丸い容器を取り出した。だが、可愛らしい装飾が施されたそれは、蓋を開ければ紅が入っていた。眉をよせるイチロの唇に筆でもって、マヒロが色を乗せる。思ったよりもそれは赤くなく、柔らかなピンクの口紅はイチロに確かによく似合っていた。
「おお……」
「可愛いですね」
思わず感嘆の声を漏らしたエドワードにリックも頷いてしまう。
化粧だって口紅以外は何一つしていない素顔のままのはずなのに、とってもかわいい美少女が出来上がっている。マヒロのチュニックはひざ丈で、たまたま今日の彼は編み上げのブーツをはいていたので、雰囲気に合っている。
「一路!! なんて可愛いんだ!!」
カイトがイチロを抱きしめる。だが、イチロは兄の腕の中でとても不服そうな顔をしていた。
「一路、俺としては、今後の囮としてあいつらを使いたい。お前なら、あの程度のやつらなら内密に制圧は可能だろう」
イチロが目だけをマヒロに向ける。
マヒロが指を鳴らせば、イチロの拘束はほどけたようで抱き着く兄の頭をひっぺがそうとする。だが、カイトはそれくらいではへこたれない。
「お前は侵入後、女性陣を保護。ただし、女性陣が向こう側だった場合は拘束していい。合図は小鳥を出せ」
マヒロが差し出した折りたたまれた小鳥をイチロは一瞥しただけで、腕を組んだまま受け取ろうとはしない。
どうやらこの作戦が心の底から気に入らないようだった。
「イチロ、兄ちゃんは女性を見捨てるような男に育てた覚えはないよ?」
カイトがにこにこと笑いながら告げる。
意外だな、と少しだけ驚いてしまった。彼は弟にはとびきり甘いから、今回も弟の味方をするのかと思ったのだ。
「…………ティナに僕が女装したことを話したら、ロボのエサにするからね」
そう告げてイチロは、カイトの腕を振り払い、マヒロが差し出したままだった小鳥をひったくるように受け取ると無言のまま部屋を出て行った。
「あんなに不機嫌なイチロは初めて見た」
エドワードが頬を引きつらせながら、バタンと勢いよく閉められたドアを見つめる。
「お前が一番、うっかりしゃべるんだから気を付けろよ」
リックの忠告にエドワードが神妙な顔で頷く。彼なりに心当たりはあるらしい。
「それでも仕事はこなすさ」
マヒロの言葉にリックたちは、窓の外をのぞき込む。
少しして、イチロが通りに姿を現す。
いいところのお嬢さんが、さも道に迷ってうっかり怪しい通りに入り込んでしまい、その雰囲気に気圧されておどおどしている、という様子が伝わってくる。心細そうにあたりを見回す姿など、すぐに駆け寄って保護したくなるかよわさがあった。
「だ、大丈夫かな、イチロ……」
あっさり引っかかっているエドワードが心配そうに言った。
「大丈夫に決まってる。あれを鍛えたのは俺だぞ」
そういって、本日、何本目かも分からぬ煙草に火を付けながらマヒロが言った。
「最初はさぁ、俺も一路も真尋の『自衛できるのは大事だ』っていう言葉を素直に信じ込んでたんだけど、大会とかで優勝ばっかりするようになって『あれ? これ、ここまで必要なくない?』って途中で気づいたんだけどねぇ」
けらけらと笑いながらカイトが言った。
リックとエドワードは、ナルキーサスの許可が出てから、カイトと手合わせをした。ドラゴン討伐で怪我をしたため鍛錬から遠ざかり少しなまっていたとは言え、全く歯が立たなかったのは記憶に新しい。カイトは剣術はさほど得意ではないようだが(とはいっても騎士になれるぐらいには強い)、体術はマヒロと同等の実力があり、何度投げ飛ばされたか知れない。
「しかし……神父殿、よく乗り込まなかったですね」
外を見ながらカロリーナが言った。
外ではイチロが、エドワード同様、引っかかったアホな男に声をかけられているところだった。
「あー、雪乃がいなかったら単身乗り込んでたと思うよ」
カイトが面白そうにマヒロに視線を向ける。マヒロは、相変わらずの無表情で煙草をふかしている。
「こいつ、故郷にいたころ、自分を誘拐したやつらを言いくるめて、警察……こっちでいう騎士団をもてあそんだことがあってさ」
「……何してんすか」
エドワードの頬が引きつり、リックは心の底から、やりそうだな、と痛む頭を片手で押さえる。
「こいつの優秀な頭でもって、警察をかく乱しまくって、しまいにゃ警察組織の人間を数名引き込んでさ。警察側の弱点を突きまくって威信をがたがたにした挙句、最終的に組織を最深部から末端に至るまで壊滅させてから、自力で普通に帰ってきたんだけど……まあ、当たり前のように雪乃が尋常じゃないくらいに怒ってね。そりゃそうだよね。夫が夏休みを満喫していると思ったら、とんでもない遊びをしてんだもん。さすがのこいつも両親にどれだけ怒られようが聞く耳もたなかったのに、雪乃に一ヶ月無視されたのは効いたみたいだね」
「……雪乃はな、まだ口をきいてくれている内は良い。笑って怒っていてもいい。説教は長いが、まあ……問題ない。本当に不味いのは、対象物を目に映さなくなった時だ。本当に見えていないかのようにふるまうんだぞ。飯も用意してくれないし、洗濯もしてくれない。話しかけても一切無視、触れても無視。自分の存在意義が危うくなってくる。しかも、誰も味方になってくれないんだ。あの時は、弟たちも、あの園田でさえ雪乃の味方だった。五時間、ソファに座る彼女の前で土下座し続けて許してもらった」
心なしか苦い表情を浮かべてマヒロが言った。
だからこの人は、すぐに人にも土下座を推奨するんだな、と納得する。土下座での謝罪に効果があるのを、彼は自ら立証しているからだったのだ。
「……自業自得では?」
思わず口をついて出た一言に睨まれたが、カイトが「その通りだよ」と頷くとマヒロは、分が悪いと悟ったのか外へ視線を戻した。
「見習い殿が中へ入っていくぞ」
カロリーナの言葉にリックたちも会話をそこで切り、外を覗く。
イチロが冒険者風の男と一緒に中へと確かに入っていった。
「イチロさん、大丈夫でしょうか……」
「大丈夫、大丈夫。俺の弟はそんなやわじゃないから」
カイトがけらけらと笑った。
「ところでお前たちのほうは、どうだった?」
マヒロの問いにリックは、報告書を差し出した。それを受け取ったマヒロがパラパラと流し読みする。
「……ほー、十二名の低級騎士が所在不明、か。その上、チェスターは、不審な声掛け案件を把握していない、と」
「はい。カードは無事のようですので、生存だけは確認されているようですが……」
騎士カードは二枚ある。自分が携帯するものと、騎士団で管理するものだ。万が一、騎士が死ぬと騎士団管理のカードは、真っ黒になるようにできているのだ。
「私が感じたことですが、どうやら連携がうまくいっておらず、報告、連絡、相談がおざなりになっているようです。また新人の教育が行き届かず、通常業務が滞り、余計に新人に目がいかないという悪循環が起きているようです」
カロリーナの口添えにマヒロは、ふむ、と顎を撫でた。
「明後日の来訪は伝えたか?」
「はい、顔を真っ青にしていたので、まだ何か隠していることもあるやもしれませんね」
リックがそう返すとマヒロは報告書をアイテムボックスへとしまった。
「療養させてもらっているし、ここはなかなか良い町だ。掃除くらいはしていってやろうと思ってな」
そういってマヒロがかすかに笑った瞬間、ドゴォとすごい音がして男が三人、店の外へと吹っ飛んできた。しかし、瞬きをする間もなく、男たちは中から伸びてきた太い蔦によって、中へと引きずり戻された。通りを歩いていた人間が、振り向く間もない一瞬の出来事だ。
「…………大分、キレてるな」
「…………やばいな、口きいてくれなくなるかも」
マヒロは面倒くさそうに、カイトは頬を引きつらせてつぶやいた。
また辺りは静寂に包まれたが、そう待たずしてイチロが三階の窓を開け放った。
通りからは見えないように、しかし、同じ三階のこちらからは姿が見えるように立っていた。
にっこりとイチロはとても可愛いらしく笑って、親指を立てるとそのまま自分の首を横に切るような仕草を見せた後、その親指を下へ向けた。その合図の意味が分からずリックたちは答えを求めてマヒロとカイトを振り返る。
「海斗、お前今すぐ、あいつの好きな甘いものを買い占めてこい」
「Yes,sir!!」
カイトがすごい勢いで頷いて出かけて行った。
「つまり、あれはなんなんです? どんな合図なんですか……?」
カロリーナが問いかける。
マヒロが身振り手振りで、そちらに行く旨を伝えるとイチロはさっさと窓を閉じた。マヒロが煙草を始末しながら立ち上がる。
「そうだな……まあ、とても分かりやすく言えば『くたばれ、くそ野郎』って意味だな」
マヒロは冷静そうに見えて割と短気なので、何度かキレている姿は目にしてきたが、イチロはマヒロとは正反対の気が長い穏やかな人で、こんなにもキレている姿を見るのは初めてだった。
エドワードが「ティナだ。ティナが必要だ」とぶつぶつ呟いている。
「……リック、あいつ、例の精油を使った石鹸とかを売る店を出したいらしくて、場所を探してたんだが……それにふさわしい土地と店舗の権利書を差し出したら怒りは鎮まると思うか?」
歩きながらマヒロが問いかけてくる。
「……その前に誠心誠意、謝られては?」
「紫地区のなかなかの一等地なんだ」
リックの提案はさらっと聞き流してマヒロは、自分が所有する土地について思考を巡らせているようだった。
マヒロは、基本的に自分が悪いとは思っていないことに対しては、謝るということがないのが問題だ。
「素直に謝ればよろしいのに……」
リックの溜息交じりの言葉もやっぱり聞き流して、マヒロは自分たちに隠ぺいをかけるとさっさと店の外へと行ってしまったのだった。
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