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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第二部 本編
126/159

第五十二話 間に入った男

「まあ、美味しそうねぇ」


 雪乃の声が嬉しそうに弾んでいる。


「ミアも、ミアもみたい!」


 キッチンのテーブルに手をかけてミアがぴょんぴょんしている。

 真尋は、可愛い娘を抱き上げてテーブルの上が見えるようにしてやる。

 食事を作る際に色々な作業するというテーブルの上には、数種類のパンが籠に入れられて置かれていた。バターロール、デニッシュ、バケットなど様々なパンにシケット村特産のレーズンが惜しみなく練りこまれている。


「試作品だから、食べ比べて感想を教えてほしいって言われてね、だから感想教えてね」


 三日ぶりに夜中に帰ってきた一路が楽しそうに言った。

 どれもこれもリックの実家のパン屋で作ってもらったものだそうだ。リックの家族もレーズンを食べていたく感動し、ぜひ、これを使ったパンを作りたいと協力的だったそうだ。

 朝食の時間が近づいているから、にぎやかな声にキッチンに皆が顔を出し始め、さすがに狭いということでダイニングにテーブルを出してその上にパンを並べる。


「おー、これは美味そうだ」


「私はクロワッサンが好きなのでこれを……」


 ナルキーサスとクロードがパンを自分で皿に取り始めたのをきっかけに、皆、思い思いにパンを取って朝食の席に着く。

 真尋もまずはミアのパンを取り分けてやり、次に自分の分を選んだ。

 最後に遅れて起きてきたサヴィラが席に着いたのを見計らい、いただきます、と真尋の挨拶を皮切りに朝食が始まる。


「ふふっ、珍しいわね、サヴィラが寝坊なんて」


 雪乃が隣に座るサヴィラの寝ぐせの残る髪に触れる。


「昨夜、父様が貸してくれた本が面白くて、夜更かししちゃったんだ」


 サヴィラが照れくさそうにまだ寝ぐせを残す髪を撫でつけながら言った。


「あらあら」


 雪乃が可笑しそうに笑いながら、ロールパンをちぎって口へ運ぶ。

 するとぱっと彼女の表情が輝く。


「美味しいわ。レーズンがとっても瑞々しくて、パンのほのかな甘さにこの甘酸っぱさがぴったり」


「すごくおいしいねぇ」


 ミアも嬉しそうにパンを頬張っている。

 真尋も食パンにレーズンが練りこまれたそれをオーブンで程よく焼いたものにバターを塗って頬張る。

 さっくりとしたパンは小麦の香りが豊かで、ジューシーなレーズンがじゅわりとはじけて果汁が広がり、バターの塩味がより一層、パンとレーズンのそれぞれの甘みを引き立てる。


「……うまいな。甘さがくどくないのがいい」


「真尋くんのお墨付きなら絶対に売れるね」


 一路は嬉々としてノートに何かをメモしている。

 おそらくそれぞれの感想を書き留めているのだろう。口々に告げられる賛辞にリックが嬉しそうにしている。

 パンの品評会を兼ねた朝食は、いつもより少しだけにぎやかさが増して、あれだけあった試作のパンは、綺麗さっぱり皆の腹におさまった。

 園田とヴァイパー、リック、エドワードが率先して片づけをしてくれる。皆が食堂を出て行き、残ったのは真尋夫妻と鈴木兄弟だけだ。子どもたちは庭へと遊びに行ってしまった。真智と真咲は、アマーリアとリリーが連れて行った。服の試着をしたいらしい。


「な、一路、今日は買い物、付き合ってくれない? 今夜、領主様を捕獲しに発つから」


「え? そうなの」


 一路が驚いた様子で真尋を振り返る。

 朝食が終わったので開いた朝刊に視線を落としながら「ああ」と返す。


「そろそろ俺の計画的にも問題をあれこれ解決していかないといけないんでな」


「真尋君の計画って、何? 領主家でも乗っ取るの?」


 一路がリックと同じようなことを聞いてくる。


「そんな面倒くさいことはしない」


「そう? ならいいけど……兄ちゃん、今夜、発つならちょっとだけブランレトゥ寄ってくれる? 僕もこの結果をすぐに伝えないといけないし、ティナを迎えに行きたいんだ」


 一路が感想を書き留めたノートを掲げて言った。


「かまわないよ。あ、なんなら用事を済ませたら、一路も行く?」


「ティナが行かないから行かない」


「真尋ぉ!!」


「弟離れしろ」


 そう返して真尋は新聞をパンっと広げて兄弟を視界から追い出した。


「でも、ひとりで行くなんて、大丈夫なの?」


 新聞の向こうで雪乃が心配そうに言う。


「大丈夫だよ。俺は真尋と違って、家事は一通りこなせるし、せいぜい丸一日、家の中にいるだけで目的地には着くんだから」


「そうだよ、真尋くん以外はとりあえず一人暮らしできる程度の能力あるから」


 兄弟そろって真尋に対して失礼だ。


「いいか、お前ら。俺だって」


「ふふっ、できるわけないじゃない」


 反論しようとしたが笑顔の雪乃にばっさり切られた。

 もう何も言うまいと真尋は新聞を読むことに専念する。


「というわけで、俺と一路は出かけてくるけど、なんか買ってくるものある? ついでに買い出しもしてくるよ」


「本当? 助かるわ。ええと、色々と必要なのよ」


 そういって雪乃が席を立ち、キッチンへと歩き出す。海斗がその背に続き、「あ、みっちゃんにも聞いといたほうがいいかな」と一路も食堂を出て行く。


「……俺も行く」


 置いて行かれるのもなんとなく面白くなかったので、真尋も新聞をテーブルの上に置き、雪乃の背を追いかけるように食堂を後にする。

 キッチンでは、リックとエドワードが洗った皿をせっせと布巾で拭いていた。

 雪乃が流しの下や棚を確認し、必要なものをピックアップしていく。


「小麦粉とサラダ用のお野菜がほしいの。あと、牛乳と……そうだわ、双子ちゃんのミルクバターもお願い」


「OK。サラダはどんなのがいい?」


「人数が多いから葉物を多めにお願い。あと、ミアのニンジンもね」


 海斗が手帳にメモを取りながら頷く。

 裏庭にいたらしい園田とヴァイパーが呼びに行った一路とともにキッチンへと入ってくる。


「みっちゃん、僕ら今日は買い物に行くんだけど、何か必要なものある?」


「必要なものが色々とありまして、荷物が多くなってしまうのですが」


「かまわないよ。アイテムボックスがあるから」


 海斗が右手の中指に嵌めた指輪を見せて言った。


「でしたら、今、メモをお渡ししますね」


 園田が手帳を取り出し、ペンを走らせる。

 なんだかあれこれあるようで、なかなかペンが止まらない。


「すごい量になりそうだな」


「そうねぇ。アイテムボックスに全部入るけれど、あなたも一緒に行って来たら? 手分けをすればそのほうが楽だもの。それに双子ちゃんのあれこれもミルクバター以外にも買ってきてほしいものがあるのよ」


 雪乃が真尋を見上げる

 真尋はその視線を受け止めてから、海斗を振り返る。


「俺も俺の買い物を済ませちゃわないとならないし、さすがにベビーグッズは詳しくないし。来てくれるならありがたいよ」


「でも、ちぃと咲は大丈夫?」


 一路が心配そうに言った。


「あら、大丈夫よ。みんなもいるし、ヴァイパーさんも大家族なだけあってお世話が上手なのよ」


「僕の場合は、慣れですよ」


 雪乃の言葉にヴァイパーが気恥ずかしそうに頬を指で掻いた。

 だが、確かにヴァイパーはあの大家族で賑やかに育っただけあって、サヴィラと同じレベルで赤ん坊の世話が上手い。


「こればかりは私もヴァイパーに教えてもらっているんですよ」


 園田が言った。彼は優秀な執事であるのは間違いないが、彼が我が家に来た時にはすでに真智も真咲も大きかったので、赤ん坊の世話は未知の領域だ。真尋と雪乃はもちろんだが、サヴィラやミアにも園田はあれこれ教えてもらって頑張っている。


「確かに、赤ちゃんもいっぱいいたもんなぁ」


 海斗が何かを思い出すように上を見上げる。

 真尋はエルフ族の里に入る直前の襲撃時しかアゼルやヴァイパーの家族には会っていないので、赤ん坊がいたかどうかは記憶にない。きっと忙しい大人たちに代わって年長の子どもたちが、幼い子どもたちの面倒を見ていたのだろう。


「リックさんとエディさんはどうする?」


「ああ、二人には頼みたいことがあるんだが」


 一路の問いに真尋は口をはさむ。

 皿を拭き終えた二人が首を傾げながら振り返る。


「ハリエット事務官の事件と例の件の進捗を聞いてきてくれ。明後日には、俺が直接聞きにいってやるから、と」


「分かりました。行ってきます。ご安心を、絶対に事前連絡はせず抜き打ちでいきます」


「二人で行って、あ! カロリーナ小隊長も誘って、圧をかけてきます!」


 リックは微笑んで、エドワードは悪戯に笑って頷いた。

 ちなみにハリエットの事件を翌日に本人から聞いたカロリーナは(あの日、彼女はレベリオのことで大忙しだったのだ)、本所に殴り込みに行きそうになったのをガストンたちがなんとか止めたらしい。被害としてソファが一つ燃えたそうだ。


「じゃあ、報告も兼ねて僕らは昼ご飯、外で食べようよ。おすすめのレストランがあるんだ。あそこなら真尋くんも気に入ると思うし」


 一路の提案に皆が頷く。


「でも、あなた。その格好でお外に出るのはいただけないわ。ちゃんとした格好をしていってね」


 雪乃に釘を刺される。

 出かける予定もなかったので、黒のスラックスにワイシャツというシンプルな格好だった。

 雪乃は、身なりに厳しい。半端な格好で出かけようとすると当たり前に着替えさせられる。鈴木兄弟は、そそくさと「馬車で着替えてくる」と逃げて行く。護衛騎士二人は「私たちも騎士服に着替えてきます」とキッチンを出て行った。制服とは便利なものだ。


「……ただの買い出しだぞ?」


「はい?」


「園田」


 真尋の無駄な足掻きに微笑んだ雪乃に、すっと園田が差し出してくる黒のジャケットを羽織る。

 真尋としては、これで十分だと思ったのだが、雪乃はそうは思わなかったらしい。


「それで中のシャツは明るめのグレーにして、ベストもね。首元は、そうねぇ、ネクタイはこの間、ミアと選んだこれにしましょう」


 雪乃が真尋のシャツに触れれば、白のワイシャツは明るいグレーのワイシャツの変わり、ジャケットとお揃いのベストを着せられ、首元には光沢のある深い蒼に銀のラインが入ったネクタイが結ばれる。園田が、そっと足元に置いた磨き上げられた黒の革靴に履き替える。アーテル王国の金持ちや貴族が好んでいそうな格好になってしまったが、雪乃がこれというのだから、真尋に拒否権は存在しない。

 真尋の衣類は神父服以外、大体が雪乃のアイテムボックスか寝室のクローゼットに入っている。一部はいざという時に備えて園田にも渡してあるのだ。

 雪乃に座るように言われて、キッチンに置かれた作業机の椅子に腰かける。背後に立った雪乃が真尋の髪に触れた。


「ふふ、セットすることはよくあったけれど、あなたの髪を結う日が来るなんて思わなかったわ」


「俺も髪を伸ばす日が来るとは思わなかった」


「伸ばすなら、綺麗に伸びるように、今度少し整えましょうね」


 雪乃の細い手が真尋の髪に優しく触れる。

 日本にいたころ、基本的に真尋と弟たちの髪は雪乃が切ってくれていた。雪乃が入院している時は、何かと器用な園田に頼んだこともあるが、園田は切った真尋の髪を保存しようとするのが厄介だった。


「はい、できたわ。後ろで一つに結んでリボンを結んだだけよ」


「十分だ。ありがとう」


 立ち上がりながら彼女にキスをして、ジャケットの襟を正す。


「では、行ってくる」


「行ってらっしゃい、気を付けてね」


「行ってらっしゃいませ」


 園田からメモを受け取り、真尋はキッチンを後にし、庭で待っていてくれた一路たちとともに買い出しへと出かけたのだった。




「じゃあ、俺と一路は八百屋と肉屋に行ってくるから」


「俺が赤ん坊の品を揃えて来よう」


「買い物終わったら、そこの公園に集合ね」


 一路が商店街にちょこんと存在している公園を指さし、真尋はああ、と頷き目的の店へと歩き出す。

 赤ちゃん用品店・ひまわりという看板が下げられた店へと入る。

 その名の通り、赤ん坊のためのあれこれがそろっている店だ。

 真尋は雪乃に言われた通りミルクバターの大びんを二つ、手に取る。双子なので消費量も二倍だ。最近は、残しがちだった真咲も飲む量が安定してきて、あっという間になくなってしまう。店員がどうぞ、とカゴを渡してくれたので礼を言って受け取り、それに入れる。

 ミルクバター以外にも今使っているものより大きな哺乳瓶を三本ずつ、乳首も新しいものを購入する。エドワードに聞いたところによるとこの一見、シリコンのような素材の乳首は、魔物の素材からできているらしい。なんの魔物のどの部位かはあまり知りたくないので聞いていない。

 日本では、乳首の穴のサイズも月齢によって違うものが最初から売っていたが、こちらでは基本、自力で調整する仕組みになっているのが少々厄介だった。失敗すれば、ミルクが出過ぎて赤ん坊がむせてしまうのだ。


「……最初から月齢ごとに対応したものがあればいいんだがな」


 真尋は乳首の棚の前でこぼす。

 風呂あがりに塗る子ども用の保湿用のクリームもなくなってしまうのを思い出したが、そういえばナルキーサスが作ると言っていたので伸ばしかけた手を引っ込める。

 ほかに必要なものは、とメモを見るがこれで全部のようだ。

 だが、可愛かったのでガラガラ鳴るおもちゃを二つ、カゴに追加して会計へと持って行く。


「いつもありがとうございます」


 愛想のいい店員がそう言いながら手を動かす。

 金を渡して、紙袋に詰められたそれを受け取る。このミルクバターが割と重量級なのだ。ずしりと重いそれを腕に抱えて、店の外へと出る。店内でアイテムボックスに入れると、いらぬ誤解を受けるときもあるから、とジョシュアに教えられて以降、店内では入れないようにしている。

 外へ出て、待ち合わせ場所の公園へと戻る。

 小さな公園は、この商店街の子どもたちが遊ぶためのものなのだろうか。ジョンやミアくらいの年齢の子どもたちが、木製の遊具で楽しそうに遊んでいる。

 子どもたちが遊ぶ広場を囲むようになかなかに大きな木が数本植わっていて、その木陰にはベンチがあった。真尋は公園の出入り口から見えやすいベンチを選んで腰かけ、手に持っていた荷物をアイテムボックスにしまった。

 煙草を取り出そうとして、しかし、いくら屋外とはいえ子どもたちがいるのであきらめる。

 子どもたちは、遊具を登ったり、ブランコに乗ったりと楽しそうだ。それを眺めているだけでもなかなかに良い暇つぶしになる。男の子が三人、女の子が三人いるが年齢はバラバラだ。

 この楽しそうで賑やかな声でも聴きながら、本でも読むか、とアイテムボックスから読みかけの冒険小説を取り出して開く。

 サヴィラに勧められて読むようになった冒険小説だが、最近は自分からも選んで読むようになった。日本にいたころは、空想に浸っている暇というものがなかったのだろうな、と今は思う。あの頃は父親から双子を守るための知識に重きを置いていた。


「きゃっ、いや!」


「あっちでお母さんが呼んでいるからね」


「おい、離せよ!!」


 読み始めて間もなく、やけに不穏な会話が聞こえて顔を上げる。

 遊具で遊んでいた子どもの傍に男が二人いる。どちらも腰に剣を佩いていて、服装からして冒険者のような風情だ。

 その内の一人、背の低いほうが、少女の腕をつかんで引っ張り、それを男の子たちが止めていて、他の女の子がハラハラした様子で見守っている。

 真尋はすぐさま本を閉じてアイテムボックスにしまい、大股で子どもたちに近づいていく。

 男たちが真尋に気づいて眉をしかめる。


「知り合いか?」


 真尋の問いに子どもたちは、一斉に首を横に振った。

男たちは一方は真尋より少し背が低いくらいで、もう一方は真尋より頭一つ大きな大柄な男だ。


「だ、そうだ」


 真尋は少女の腕をつかむ男の手首をつかんで、ぐっと力を入れた。男が「いてっ」と呻いて男は少女の手を離し、真尋の手を振り払う。

 子どもたちが一斉に真尋の後ろに隠れる。


「なぜ、この子を連れて行こうとした?」


 真尋の問いに男が不機嫌そうに答える。


「べ、別に俺たちはそのガキの母親に呼んでくるように頼まれて……な、なぁ!」


「ああ。だから呼びに来ただけだ」


 腕をつかんでいた男がもう一人の男に同意を求めれば、男は素直に頷く。

 背の低いほうは動揺しているのがうかがえるが、背が高いほうは嫌に冷静だった。


「ほう……それで、この子の母親はなんでこの子を呼んでいるんだ?」


「もうすぐ昼めしの時間だから帰って来いって」


「お兄ちゃん、こいつ嘘つきだ!」


 一番年かさの獣人族の男の子が男たちを指さす。


「リーアには、今、母ちゃん、いねえもん!」


「そうだよ!! リーアにはお父さんしかいないんだもん!!」


 男の子の言葉に子どもたちが一斉に告げる。当の腕を掴まれた少女――リーアもこくこくと必死で頷いている。

 瞬間、男たちが逃げ出そうと駆け出す。追いかけようと思ったが、子どもたちを置いていくのはあまりよろしくない。他に仲間がいないとも限らない。

 真尋は、先ほどまで自分が座っていたベンチのほうに顔を向け「追跡」と告げた。すると黒いカラスが一羽、ベンチの後ろに生える木の中から、ふわりと飛び立ち、男たちを追いかけて行く。

慌ただしく逃げて行く男たちのことは早々に意識の外に放り投げ、真尋は子どもたちの前に膝をつく。


「大丈夫か? 怪我は?」


 リーアが腕を出すと、そこにしっかりと男の手形があざとなって残っていた。

 怖さが襲ってきたのだろう。リーアがぽろぽろと泣き出し、他の女の子が両脇から「大丈夫?」「泣かないで」と声をかけ、頭や背中をさする。


「リーアのお父さんは、今、家にいるか?」


「うん。おじさん、本屋さんだから、お店すぐそこ」


 泣きじゃくるリーアに代わって男の子が答える。


「なら呼んできてくれ」


 うん、と頷いて男の子が一人駆け出していく。


「リーアのお母さんは、いないんだったか?」


「リーアの母ちゃん、この間、お店の本棚の整理してるときに棚が壊れて、怪我して入院してんだ」


 なるほど、それで「今いない」だったのかと納得しながら、せめてリーアの心がほぐれるようにリラックスの魔法をかける。

 もう大丈夫、と声をかけて頭を撫で、ハンカチで涙をぬぐってやる。ミアくらいの小さな女の子が泣いている姿は胸が痛くなる。

 そうして真尋と子どもたちがリーアを励ましている間に父親がやってくる。


「リーア!!」


「お、おとうさぁん……っ」


 リーアが駆け出し、父親に飛びつく。父親がぎゅうっと娘を抱きしめて「リーア」と絞り出すように呼んだ。

 真尋は、よかった、と口々に言い合う子どもたちの頭を撫でて立ち上がり、伝言用の小鳥を取り出しナルキーサス宛に伝言を吹き込む。隠ぺい魔法の擬態をかければ、紙の小鳥は可愛らしい緑の小鳥へと変化し、真尋の指先から飛び立つ。子どもたちが驚いたようにそれを見つめていたのが可愛かった。


「あの、すみません。僕は、リーアの父のカールです……一体、何が?」


 父親――カールがリーアを抱きしめたまま尋ねてくる。

 リーアの父は、明るい茶色の髪に色白でひょろっとした背の高い男性だった。


「あのね、あのね、あいつら、リーアのお母さんが呼んでるってうそついたんだよ!」


「それでリーアをつれてこうとしたんだ!」


 男の子たちの言葉にカールが顔を青くする。


「私はマヒロと申します。商店街で買い物をして、ここで友人と待ち合わせをしていたのですが、その際、お嬢さんが男たちに連れて行かれそうになっていたので声をかけたんです」


「そんな……ありがとう、ございます。なんとお礼を申し上げればよいか……!」


 カールが驚愕に目を見開き、震える声でお礼を言った。娘を抱きしめる腕に力がこもったのが見てとれた。


「カール、もしよければどこか落ち着ける場所に。お嬢さんの手当をともに、詳しい話を聞かせてもらえませんか? 再発防止のためにも」


「は、はい。でしたらわが家へ、すぐそこにありますので。お前たちもおいで」


 カールがリーアを抱き上げて歩き出す。子どもたちもぞろぞろとそれについて行き、真尋もあとに続く。

 彼の営む本屋は、本当に公園を出てすぐそこにあったが、表通りではなく裏通りにひっそりとたたずんでいた。

 カールがドアを開ければカランカランとベルが誰もいない店内に鳴り響いた。

 背の高い本棚を最大数おくためか通路は狭い。その奥、階段の下のスペースにカウンターがあり、カウンターの周りは積み上げられた本だらけだった。


「なかなか……ほぅ、専門書が多いな」


 足を止めて棚を見上げる。

 普通の本屋かと思ったが、治癒術書や魔術学、薬草学といった専門書が所狭しと並んでいる。


「うちは魔導師や治癒術師を相手にしているもので」


「なるほど」


 だから表通りでなくていいわけだと納得する。専門書であれば、必要な者が場所など関係なく訪れる。

 カールは、カウンターの横にある階段を上がっていき、真尋たちもそれに続く。

 二階は住居スペースのようだ。だがしかし、随分と雑然としている。洗濯ものが山になったままで、キッチンにも皿が山を作っていた。どこか埃っぽく、子どもたちが窓を開けて回る。


「どうぞ、散らかっていて申し訳ないですが、あの、その辺にでも」


 カールが申し訳なさそうにソファに目を向け、真尋は転がっていた可愛らしい人形を端に寄せて腰かけた。


「妻が入院中なのに加えて、秋の新刊が届いて、リーアにもそれを手伝ってもらっているんですが、その整理が追い付かなくて……リーア、ティーポットはあったかな?」


「お父さん、流しの中にそれっぽいものがある」


「もー、おじさん、だめじゃん。私たちが洗うから、おじさんはお兄さんの相手をしてて。リーアもちゃんとお話ししておいで。テッド、あんたもちゃんと説明するのよ? あとは私たちを手伝って」


 年長の女の子にキッチンを追い出され、カールがリーアとテッド――最初に男たちに食って掛かった少年だ――とともにすごすごとこちらに戻ってきた。

 ガチャガチャと食器がぶつかり合う音を背景に真尋は口を開く。


「奥様は大きな怪我を?」


「棚が崩れた際に転んで、手首にひびがはいって……それに妊娠中だったもので大事をとって入院しているんです。幸い、お腹の赤ん坊も無事で……ただいくら言っても脚立に上って仕事をしようとするので入院していてくれるほうが安心といえば安心なのですが」


 カールが苦笑交じりに言いながら床にクッションをおいて座り、リーアはその膝に乗った。

 ソファは真尋が座っている三人掛けのものしかないのだ。


「それで……まずは、君たちも含めて、男たちがいつからいたか知っているか?」


 キッチンにも聞こえるように声をかける。

 キッチンからは「分からない」と返事が返され、リーアとテッドも首を横に振った。


「でも、あいつら腐った卵みたいな魔力の臭いしてたから、ろくな奴らじゃないぜ」


 そう言ったのは獣人族――犬系のテッドだった。

 真尋は何も感じなかったが、そういえば、狼系や犬系の獣人族はギフトスキルに嗅覚があり、魔力の匂いをかぎ分けられるとウォルフが言っていたのを思い出す。


「魔力の臭いは遠くからは分からないのか?」


「意識していれば相手が魔法を使うと遠くでもわかるよ。普通の時はこうやればわかる」


テッドが隣のリーアに鼻先をくっつけて実演してくれた。リーアがくすぐったいと笑い、テッドは「クッキーみたいな匂い」と返した。


「そういうものなのか?」


「だってそうじゃないと俺たちみたいのは臭いで参っちゃうよ」


「確かに。じゃあ、質問を変えよう。今日みたいなことは初めてか?」


「あんなことは初めてだよ。でも……」


 テッドが言葉を濁す。


「最近、子どもが冒険者風の男たちに声をかけられる事件は耳にしています」


 カールが後を引き継いだ。テッドとリーアも頷く。


「でもそれは、町の北側、治安の悪い地域に近いほうで、ここらへんでは聞いたことがありませんでした」


「なるほど……これは早急に手を打ったほうがよさそうだな」


 真尋は脚を組み、顎を撫でながらソファの背もたれに寄りかかる。

 思っているよりも事態は深刻なのかもしれない。

 真尋の下にも、実はこの冒険者風の男たちにより子どもへの声掛けという事件が起きているという報告は上がっている。ハリエット事務官の事件以降、第二小隊の者が自発的に捜査を始めたのだ。

 とはいっても、今のところは声をかけられただけで、子どもが失踪した、誘拐されたという話は聞かない。

 今回、騎士団でその情報も探ってくるようにリックたちに言ってはあるが、町でナンパに精を出すような低級騎士の管理もまともにできていない彼らが、この件をまともに把握しているかどうかは怪しかった。


「ところで、先ほど私の知人の治癒術師を呼びました。証拠としてお嬢さんの診断書を取るのと、治療をお願いしてありますから、しばらくここで待たせてもらっても?」


「は、はい。何から何までありがとうございます」


「それと……これ、少し読んでも?」


 真尋はソファに積み上げられていた本を指さす。


「分かるんですか? やはり魔導師様ですか?」


「いや、本職は神父だが副業で魔導師のようなことをしています」


 真尋はそう返し、一番上の本を手に取った。

 綺麗な革表紙は汚れ一つなく、新品らしい固さがあった。

 普段、古書店ばかりに行っていたから、新品は久しぶりだ。表紙に刻まれた名前は聞き覚えのないものであったが、目次には随分と興味深い研究課題が並んでいる。最後のページを見れば、著者の紹介が書いてあり、新進気鋭の王都の魔導士のようだった。


「ふむ……」


 なかなかに新しい発想だ、と感心しながらページをめくる。

 ふとやけに静かだと気づいて顔を上げる。水を流しっぱなしなのか、じゃーじゃーという水音が途切れることもない。

 皆がぽかんと口を開けて真尋のほうを見つめていた。後ろに何かいるのかと振り返ったが、本棚があるだけで何もない。だが、本棚に並ぶ本も面白そうなタイトルが並んでいた。今度、クロードとナルキーサスを誘って来ようと勝手に決める。


「し、ししし、しぷっ、しん、ぷ」


 カールが目をぱちくりさせながら何か言っている。


「……大丈夫か?」


 突然の異変に本からカールに顔を戻して声をかける。


「お兄ちゃん、神父さんってブランレトゥの? 王都の?」


 テッドの問いかけに「ブランレトゥだ」と頷く。


「す、すっげぇ!! ねえ、ドラゴン! ブランレトゥの神父様はドラゴン飼ってるって本当!?」


 テッドが隣にやってきた。

 彼だけではなく、リーアも皿洗いに精を出していた子どもたちもやってきて真尋を取り囲む。


「なんだ、もう噂になってるのか」


「だって、皆がでっかいドラゴンがブランレトゥやこの町の周りに出たって! でも、騎士団も冒険者ギルドも警戒してないから、多分、こんな規格外なことをするのは神父さんだって大人は言ってるよ!」


「じゃあ、隠さんでもいいか。飼ってるぞ、ドラゴン」


「ほ、本当? あ! じゃあ、ヴェルデウルフもいる!?」


(ウルフ)たちは、今、里帰りをしているが……キラーベアならいるぞ。うちで温泉を楽しんでいる」


「し、神父さん! みたい! キラーベアとドラゴン!!」


 子どもたち、とくに男の子たちの顔がらんらんと輝く。


「ブランレトゥだったら遊び来いと言えるんだが……まあ、その内、さっきの公園にでも連れてきてやろう。一応、上の許可を取らんとな」


「やったぁ!」


「絶対、絶対だよ、神父さん!」


「分かった、分かった」


 はしゃぐ男の子たちを苦笑交じりになだめる。


「神父さん、さっきの小鳥さんは、神父さんの魔法?」


 女の子が問いかけてくる。

 真尋は頷いて、アイテムボックスから小鳥型の魔道具を取り出す。


「これは、小鳥型伝言用魔道具だ。魔力を流して、伝言を吹き込む。『一路、海斗、カラスを追ってくれ』……それで、隠ぺい魔法で擬態をかける」


 すると折り紙でしかなかった小鳥は、緑の羽をもつ可愛らしい小鳥へと変化し、子どもたちが先ほど開け放し窓から外へと飛び出していった。

 場所を移動したことを伝えるのをすっかりと忘れてしまっていた。思い出せないままだったら「どこにいるの」と小言を携えた小鳥が真尋のもとに飛んできていただろう。


「神父さん、ほかは? ほかにもいる?」


「他か? 他にもいろいろあるが……」


 真尋は子どもたちにねだられるまま、様々な生き物をかたどった魔道具たちを取り出して、擬態をかけていく。

 小鳥に子猫に蛇に狼と変化するそれらに子どもたちは大喜びで、真尋はカールが座ったまま気絶していることには、あきれ顔のナルキーサスが到着するまで気づかなかったのだった。





長い間、お待たせいたしました!

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

いつも閲覧、ブクマ登録、感想、いいね 本当に励みになっておりました。


☆今後の更新予定 各日19時更新

23日(本日)本編五十二話、24日(日)本編五十三話

25日(月) 執事シリーズ イギリス編 後編


30日(土)、31日(日)、1月1日(月) 本編更新


以上を予定しております。

長らくお待たせしてしまいましたので、二週間だけ三日間の更新。

それ以降はまた土日の19時の更新になります。


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです♪

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