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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第二部 本編
122/158

幕間 ハリエット事務官のワンピース 前編

「このおはながすてきですわ」


「あ、みてみてヴィーちゃん、こっちもきれいよ」


 たくさんの花が並ぶ棚の前でシルヴィアとミアが真剣に押し花にするための主役の花を選んでいる。額装して飾りたいらしい。

 グラウの町のお花屋さんは、ティナと同じ妖精族の夫婦が経営しているだけあって、どれもこれも質が良く色鮮やかで美しかった。年かさの夫婦は、にこにこしながら可愛らしい少女たちを見守っていてくれる。

 ティナも入り口にほど近いショーケースのそばで押し花にするための花を選んでいた。

イチロたちがブランレトゥに帰還する直前にミアとシルヴィアと押し花を作る約束をしていたのだが、マヒロが大けがをして帰ってきたり、ティナも急遽、シケット村へ派遣されたりして、ずっと延期になっていたのだ。

ティナの肩の上でピオンとプリムが興味津々で花を見ているので「食べちゃだめよ」と食い意地ばっかり張っている二匹に言った。この二匹はブレットなので、妖精族が落とす花や葉か世界樹の魔力が育てた植物しか食べられない。普通の植物を食べるとお腹を壊すのだ。

 ふと、反対側のコーナーで花を見ているハリエットに視線を向ける。

 ハリエットはティナの四つ上で、リックやエドワードと同い年の二十歳の女性だ。父方のおじい様がドワーフ族だったそうで、彼女自身は人族だがティナと同じくらい小柄だ。綺麗な黒い髪は肩の上くらいの長さで切りそろえられていて、小さな顔にはちょっと大きい眼鏡が乗っている。騎士団でカロリーナ小隊長の事務官をしている。

 水の月のインサニアの事件でカロリーナ小隊長がティナたちの暮らす屋敷に出入りすることが増え、事務官である彼女も必然と屋敷に来ることが増え、仲良くなったのだ。

 今日の彼女は、ローズピンクの可愛らしいワンピースに身を包んでいる。花を選びながら、時折、店の真正面の街路樹の下で待っているリックとエドワードを見ている。正確には、エドワードを、だ。

 リックとエドワードはティナの過保護な恋人と娘を心配するマヒロが、シルヴィアもいるのでとつけてくれたティナたちの護衛だ。今日は二人とも帯剣はしているが私服姿で、こぢんまりした店の中にでかいのがいると邪魔だから、と外で待っていてくれる。

 ティナから見ても、リックもエドワードも素敵な男性だ。男性が苦手なティナも気軽に話すことができる。

 ちなみにイチロは兄のカイトと一緒に食べ歩きに行った。甘いものと辛いものを求めていったのだが、それについていったジョンとレオンハルトは大丈夫だろうかとちょっとだけ思ってしまう。


「……ハリエットさん」


「はい」


 花を見ていたハリエットに近づき、声をかける。


「今日のワンピース、とても素敵ですね。どこのお店で仕立てたんですか?」


 基本的に既成の服は高級品なので、ティナのような庶民は自分で仕立てるか古着を買うのが基本だ。

 だがハリエットのそれは、細部にまでこだわりが見られて、とても良いものに見えた。


「これは自分で作ったんです。お裁縫も趣味で」


「本当ですか? すごい、お店の品かと思ったんです」


 ティナが手放しで褒めるとハリエットは白い頬を淡く染めて照れ笑いを浮かべた。

 ハリエットがエドワードに片想いしているということは、エドワード以外のみんなが知っていることだ。いや、ティナの恋人のイチロは、人の感情の機微には敏感なのに、色恋沙汰はめっきり鈍感なので、彼も気づいていないかもしれない。似たもの主従だ。


「私もお裁縫は人並みにはできますがここまで凝ったものは……襟の刺繡も自分で?」


「はい。刺繡をすると、布にぷすぷすって刺す針の音と糸がその穴を通り抜けるしゅーって音が聞こえるでしょう? あれを聞いていると心が落ち着くんです。……でも、神父様はやっぱりすごいですよね」


 そう言ってハリエットが顔を向けたのは、ミアとシルヴィアだ。

 なんでもマヒロはエルフ族の里に向かう道中、暇だったので娘とシルヴィアにお揃いの服を作っていたそうだ。ミアがピンク、シルヴィアが水色のお揃いのワンピースは、彼女たちの可愛さを二倍、三倍にしている代物だ。


「それは確かに……知ってますか? 神父様、あの襟のレースとかも自作するんですよ」


「え? 本当です? すごい……ええー……すごい」


 花柄の繊細なレースにハリエットが感嘆の声をもらす。


「神父様にお洋服のことで聞いてみたいこととかあるんですが……妻帯者ですし、ご迷惑かなってユキノさんにも悪いですし、尻込みしてしまって」


「あまりそういうことはあの二人は気にしないですよ」


 ティナの言葉にハリエットは「でも……」と眉を下げた。


「なんていうか信頼関係というものの年季がすごくて、分厚いんです。ほら、キース先生が今度から我が家に住むことになったでしょう? その時、キース先生も自分が女だから、ユキノさんが嫌がるんじゃって心配していたみたいなんですけどユキノさんは『あら、こんな素敵な方が真尋さんのそばにいてくださるなんて嬉しいわ。私ともお友達になってくださる?』っていう感じで、今ではとても仲良しですよ」


「ユキノさんって、すごい儚げな雰囲気の美女さんですけど、カロリーナ小隊長と同じくらい格好いいところありますよね」


「そうなんです。それにとても優しくて、憧れちゃいます」


 イチロの初恋がユキノだと聞いて、大丈夫とは言ったものの、やっぱり心の隅っこに引っかかっていた。だがこちらに帰ってきて、ユキノは即座に気づいて、ティナに「本当に大丈夫よ。一くんがミアくらいの頃のお話だもの」とフォローしてくれたのだ。その場にはイチロもいたので、彼は母親に過去の話をほじくり返されているみたいだ、と赤い顔をしていた。マヒロは複雑な顔をしていたが。


「お姉ちゃーん」


 ふいにミアに呼ばれて顔を上げる。

 どうしたの、と首を傾げながらハリエットとともにそちらに近づいていく。


「あのね、ミアはこのお花で……」


「わたくしは、このお花にしますわ」


 ミアが選んだのは濃いピンクが可愛いマリアというお花で、シルヴィアが選んだのは鮮やかなブルーが美しいレインドロップだった。どちらもこの領内の固有種だ。


「素敵ですね。押し花のメインにしたら、どちらも映えると思いますよ」


「じょうずにできるかな?」


「ちゃんと教えますから。あの、マリアとレインドロップを五本ずつ、あと、これとこれも」


 ティナは二人が選んだ花を合わせやすい花や葉っぱを選んで、それぞれを花束にしてもらった。そして、ティナとハリエットも自分たちの押し花用に花を見繕い、マヒロが「娘たちの花代だ。講師料として君たちの分も」とくれたお金で会計を済ませる。断ったのだが、聞いてくれなかった。領収書をもらって、あとでちゃんとおつりと一緒に渡そう。信じられない額を渡されそうになったが、横からサヴィラが「これだけで十分だよ」とお金を差し引いてくれた。それでも花を買うには少し多かったが、金銭感覚がティナたちとは違うのでしょうがない。

 花束を抱えて店の外に出れば、すぐにリックが駆け寄ってくる。


「ティナさん、よければアイテムボックスに入れておきますよ」


「ありがとうございます」


 リックの申し出に素直に甘える。

 彼の大きな手が花束に触れれば、すっとそれは消える。


「そろそろ昼飯の時間だな。どうする?」


「このお花屋さんの近くにジルコンさんが教えてくれた人気のお店があるので、いかがですか? 普通の食堂で、高級じゃないですけど……」


 ティナは今朝、ジルコンが教えてくれたお店について提案する。


「お、食堂か。いいな」


「私たちはマヒロさんじゃないので大丈夫ですよ。……でもヴィー嬢は大丈夫でしょうか?」


リックが心配そうに言った。

 外ではシルヴィアのことは防犯上「ヴィー」と呼ぶように言われているのだ。


「わたくしはだいじょうぶですわ! しょみんのおみせなんて、きっといましかいけませんもの」


 大人びたことをいう五歳児に苦笑をこぼしつつ、シルヴィアがいいのなら、とティナたちは食堂へと向かう。

 ジルコンの言う通り、人気だというお店は地元の人々でにぎわっていて、店の外に数人並んでいた。入り口に置かれたノートにエドワードが名前と人数を書き込み、待つことになった。

 あたりは食堂から漂う美味しそうな匂いでいっぱいだ。

 リックが地の魔法で蔦のベンチを作ってくれたので、ティナとハリエットはお礼を言って並んで座り、それぞれ膝にミアとシルヴィアを乗せた。背の高い二人がティナたちの目の前に立って日よけの役をさりげなく買って出てくれる。


「今日はいい天気ですね」


「おひさま、ぴかぴかしてるの」


 ティナのつぶやきに膝の上でミアが答える。


「ハリエットお姉さま。お姉さまのおようふく、とってもすてきね」


 ハリエットの膝に座るシルヴィアがハリエットの袖を指さして言った。

 手首の折り返しの部分にもさりげなく刺繍がしらわれていて、ボタンも綺麗な飾りボタンなのが可愛い。


「ヴィーちゃん、このワンピース、ハリエットさんが自分で作ったんだそうですよ」


「そうなの? お姉さま、わたくしのお母さまとおなじなのね! お母さまもわたくしのドレスをよくつくってくださるのよ」


「お姉ちゃんすごい!」


 シルヴィアとミアに褒められてハリエットは照れくさそうに笑った。


「へえ、すごいなぁ。ハリエット事務官は器用なんだな」


 彼女の前に立つエドワードが感心したように言った。


「でも、自分で作れると自分に一番似合ったものが作れそうですよね。今日のワンピースもよく似合っていますよ。そう思うだろう、エディ」


 リックの――ハリエットが望んでいるのはエドワードからの『可愛い』の一言だと理解して、自分は『似合ってる』しか言わず、しかし見事なアシストにティナは内心で拍手を送りながら「可愛いですよね」と援護をする。するとやっぱりハリエットの気持ちは駄々洩れなので、小さな少女たちも気づいているようで「うん、すごくかわいい」とミアが頷き、シルヴィアが「エドワードも可愛いとおもうでしょ?」と無邪気に首を傾げた。

 エドワードは、空色の瞳で真っ赤になっているハリエットを見つめて、うん、と一つ頷いた。


「俺にはワンピースの良し悪しは分からないけど、よく似合ってると思う。それにハリエット事務官のふわふわした雰囲気が引き立って可愛さも増してるよ。うん、すごく可愛い」


 今、ハリエットの頭に薬缶を置いたらお湯が沸きそうなくらい、ハリエットが真っ赤になってうつむいてしまった。ブレッドの鳴くようなか細い声で「ありがとうございます」というのが聞こえた。ティナはシルヴィアとミア、そして、リックとこっそり目配せをして微笑んだ。

 いくらハリエットが良い子だからと、エドワードの意思を無視して無理矢理くっつけようとは思っていないけれど、せっかく可愛い格好をして頑張っているのだから、それに対する報酬はあってもいいとティナは思うのだ。それにイチロはティナが前髪をちょっと切っただけでも気づいてくれるし、やっぱり気づいてくれると嬉しい。

 ハリエットがもしティナと同じ妖精族だったら、さぞかし綺麗な花を咲かせていただろな、と想っていると次の瞬間、それはがすぐに枯れてしまうようなことが起きた。


「普段のハリエット事務官はあんまりそういうのは着てないよな。あ、もしかして見せたいやつがいるとか?」


 この時、この場にいる全員が心の中で「お前だよ」と言ったと思う。隣でティナたちより先に順番を待っていたおじさんも、ティナたちのあとから来た女性たちも心の中で口をそろえて言ったと思う。


「今日のうちの警護はマイケルとジョージとルシアンとピアースだけど……マイケルは既婚だし、ジョージは良いやつだけど結婚失敗してるし、あ! ルシアン、あっだぁ!!」


 ゴツンとすさまじい音がしてリックの拳がエドワードの脳天に落ちた。


「いってぇ! なにすんだよ!」


 涙目のエドワードが頭を押さえながらリックを振り返る。


「悪い、やばそうな蛾がたかってて」


「蛾ぁ? いないじゃんか、そんなの」


「おしかったですわ、リック」


「ちゃいろのちょうちょ、あっちにとんでちゃったね」


 五歳児と六歳児のフォローが入る。ミアが指さした方向を見ながら、エドワードが「まじかよ……あぶねえな」とつぶやいていた。

 ティナはハリエットを見る。ハリエットは、まだ赤みの残る頬を指で掻き「こわいですね」と寂しそうに微笑んでいた。

 なんでミアとシルヴィアにもわかることが、この人には分からないんだろうと思ったが「どんな蛾だ? 一応報告入れとかないと」と真剣に言っている彼の背後にティナは、マヒロも匙を投げる鈍感が過ぎる恋人の顔が浮かんだ。


「お次でお待ちのリックさーん」


「ああ、はい」


 リックが返事をする。

 呼ばれたおかげで気まずい空気はうやむやになった。

 でも、せっかくおいしいはずの食堂の料理が心なしか味が曇っていたのは、気のせいじゃなかったとは思うけれど。







 ハリエットは、二十歳のどこにでもいる小娘だと自分でもわかっている。

 数年前にある事件に巻き込まれた際に、たまたま非番だったカロリーナがその場に居合わせ、ハリエットを助けてくれ、その縁あって彼女の事務官をさせてもらっている。

 カロリーナが小隊長を務める第二小隊は、皆、気のいい人たちばかりだ。騎士の中には、その身分を笠に着て横暴な人もいるが、もしそんなことを第二小隊の人がしたらカロリーナに強制鍛錬の刑に処される。もっともそんな人は第二小隊にはいない。騎士であることに誇りをもって、弱者に寄り添い悪者をやっつける、絵にかいたような立派な騎士たちばかりだ。

 エドワードとリックのコンビは、その第二小隊の中でも飛びぬけて優秀だった。ハリエットが十六で事務官になったとき、二人はまだ五級騎士だったのに、あっという間に三級、二級と駆けあがり、今では神父様の護衛騎士にまでなった。

 エドワードは由緒ある男爵家の出身で、彼自身も貴族籍だ。だが、身分をひけらかしたことは一度だってないし「うちは貧乏だったから庶民と変わんないよ」と誰とでも仲良くなれる明るく、気さくな人だ。時々、カロリーナに「どうしてお前はそうも落ち着きがないんだ!!」と怒られているが、カロリーナとエドワードはよく似ていると思っているのは内緒だ。

 騎士団に入った時期が大体一緒で、同い年だったのでエドワードとリックはハリエットにも気安く接してくれた。

 きっかけはとても些細なことだった。

 たまたま騎士団の中庭でハリエットは休憩をしていた。その際、会話が聞こえるくらいの距離でエドワードが仲間たちと談笑をしていた。相手は別の小隊の人で、エドワードとリックとは同期だった。

その人も気さくな良い人だったが、先日の訓練で怪我をしてしまい、内勤になっていた。誰だって心が弱ってしまうことがある。その人は同期で優秀なエドワードに嫉妬してしまったのか、些細だが誰でも嫌味とわかる言葉を投げてしまった。言ってから、彼自身もしまったという顔をしていたが、エドワードは「手が動かねえからってイライラが溜まってんなぁ」と笑い飛ばした。

 利き腕を怪我していた彼に「腕だとままならないもんな」「治ったらこの優秀な俺が鍛えなおしてやるから安心しろよ」と言って彼を励ました。彼の同期は「ごめん、ありがとう」と言って安心したような顔をしていた。

 ハリエットは、彼のその真っすぐな屈託ない優しさに、もともと素敵な人だと思っていたのもあってあっけなく、恋に落ちてしまったのだ。


「……私もティナちゃんくらい、可愛かったらなぁ」


 心の中でつぶやいて、目の前の席でおいしそうにケーキを頬張るティナを見る。

 二重の大きなサファイアの瞳、小さな鼻に可愛らしい唇。色白で小柄だがスタイルもいい。何よりローズピンクから白へと変わる長い髪と彼女が瞬きをするだけでも、ふわりとどこからともなく落ちる妖精族特有の花びらが、彼女の幻想的な魅力を引き立てている。

 ティナは「ユキノさんは本当に美人で」というが、ティナだって現在の彼女の恋人である見習い神父さんがブランレトゥに来る前から美少女として町では有名だった。

 ハリエットは、母親と祖母と三人暮らしだ。ハリエットが小さい頃に父と祖父は鉱山の落盤事故で帰らぬ人となってしまった。祖母と母親はハリエット同様人族で、祖父と父だけがドワーフ族だった。ハリエットたちよりずっとずっと長生きするはずだった二人がいなくなってしまい、愛する夫を失った祖母も母も、大好きな祖父と父を失ったハリエットも深い悲しみに暮れた。

だが稼ぎ頭の二人を喪い、女三人の生活は困窮した。母がブランレトゥの出身だったので、東の鉱山近くの町からブランレトゥに移り住んだ。母の両親はすでに他界していたが、母の父、つまり、ハリエットの祖父の親友が何かと気にかけてくれ、住む場所も母への仕事も紹介してくれた。母は、母は商業ギルドの事務員に、祖母は自分で見つけてきた食堂で働き始め、ハリエットは八歳になると手習い所に通った。忙しい二人に代わり、ハリエットが家のことをしていたので、料理や裁縫が得意になったのだ。

 母も祖母もとても元気に働いていたので、ハリエットは不自由なく育ったが勉強に打ち込みすぎて視力を悪くしてしまった。眼鏡がないと世界が見えないのは誤算だった。もっと可愛い眼鏡にしたいとも思うのだが、何分、視力が弱すぎて、レンズが分厚くなってしまい、頑丈なフレームでないと分厚いレンズを支えられないのだ。

 今回の任務には母と祖母も一緒に来ていて、日ごろの疲れを温泉で癒している。家族の同行を許してくれた神父様には本当に感謝しかない。


「ハリエットさん? どうかしましたか?」


 ティナがきょとんとして首を傾げる。ひらり、とまた花びらが舞い落ち、ケーキに触れる前に溶けるように消える。


「なんでもありません、すごくおいしくて」


「本当ですね。イチロさんの紹介だから間違いはないと思っていましたが美味しいです」


 ティナが嬉しそうに言った。

 食堂で昼ご飯を終えた後、商店街をぶらぶらしているとお茶の時間になった。それでティナがイチロから教えてもらったというカフェにやってきたのだ。

 席の関係でハリエットとティナがテラスの小さな二人掛けの席に。子どもたちと男性陣が店内の四人掛けのテーブルに座っている。彼が二度目を買いに来たお菓子は大人気商品なると噂されるイチロおすすめのカフェだけあって混雑しているのだ。

 席が離れてしまうが、と言われてやはりシルヴィアとミアの身に何かあってはいけないということで、今回の座席になったのだ。会話はできないが、お互いが視界にはいる程度の距離の席に彼らもいる。ミアとシルヴィアがケーキを食べているのを、エドワードとリックは微笑ましそうに見ている。


「ねえねえ、ティナちゃん。ティナちゃんはイチロさんとどんなデートをするんですか?」


「えっ、えーと、普通、ですよ。イチロさんも私もケーキとかお菓子が好きなので、カフェ巡りなんかをよくします。時々、ロボ一家とウォルフさんのパーティーとピクニックに行ったりもしますよ」


「そういえばロボさんたちを見ませんでしたが……」


「さすがに大きすぎてグラウには入れないので……彼らは今、魔の森に帰省中です。ポチさんが送迎してくれたんですよ」


「なるほど」


 イチロの従魔であるロボ一家は優しく賢い。時折、イチロがブランカとロビンを騎士団に連れてきて、ブランカが書類を届けに来てくれることがあるので、撫でさせてもらっている。カロリーナはよく顔をうずめている。


「今回は遠い所へ行って、ティナちゃんも大変だったでしょう?」


「はい。でも、クイリーンさんがいてくれたので、お仕事はなんとかなりましたし、アゼルさんのご家族も村の方々もみんな、良い人だったので」


「そうなんですね。お土産のワイン、カロリーナさんがすごく喜んでいて、私もいただいたレーズン、母と祖母と食べましたが、すごくおいしかったです」


「あのレーズン、美味しいですよね。私も大好きになっちゃいました。シケット村は小さいですけど、食事がどれもこれもおいしくて驚きました。近くに世界樹があるので、少なからずその魔力が影響しているんだと思います」


「ごはんが美味しいのはいいですねぇ」


 はい、と頷くティナがティーカップを手に取り、口元へ運ぶ。

 その右手の薬指には、茶色に緑の混じる魔力が揺れる魔石が輝く指輪がある。イチロからもらった恋人の証だと何度目かの女子会で教えてもらった。

 イチロとティナは誰が見てもとびきり可愛い恋人同士だ。ちょっとだけ、幸せそうなティナがうらやましくなってしまう。


「……あの、ハリエットさんは、告白とかはしないんですか?」


 思いがけない質問にハリエットは目を丸くする。


「いえ、あの……あの人、イチロさんに似たのか鈍いから、バシッと言わないとそもそも自覚も意識もできないような気がして……」


 ティナが気づかわしげに言った。


「こ、告白なんて……!」


 ハリエットは、ぶんぶんと首を横に振った。

 ハリエットはティナやカロリーナがハリエットの気持ちに気づいてくれて、さりげなく気を聞かせてくれているのを知っている。だが、前に女子会でも告げた通り、エドワードとどうこうなろうとは考えてはいなかった。


「あの人は、その……貴族、ですし。私は庶民でまず身分が違いますから」


 この身分差だけはどうやっても覆らないのだ。

 しかもエドワードは、ブランレトゥにもたくさんいる爵位だけの貴族ではない。きちんと領地をもった由緒ある貴族だ。その差は大きい。

 ティナがそういえば、という顔をしている。気さくな貴族のエドワードより、貴族っぽい人(主にマヒロ)がそばにいるので、忘れていたのかもしれない。


「でも、あの、レベリオさんとキース先生とか」


「キース先生は指折りの魔導士ですもの。むしろ皆がこぞってお迎えしたかったと思いますよ。私はただの事務官ですから」


「ただの事務官だなんて、ハリエットさんは優秀な事務官です!」


 むっと眉を寄せたティナの言葉は想定外で、ハリエットは驚きつつも優しい友人に笑みがこぼれる。


「ありがとうございます。でも……本当に見ているだけでいいんです。それに色々ありましたけど、今日は『可愛い』って言ってもらえたのでもう十分です」


 エドワードにその気がないことは分かっている。

 以前二人きりで乗馬の練習をした時も、彼の態度は女性というより妹に接するもののようだった。それにきっと、エドワードはハリエットとの約束を反故にするとカロリーナに怒られるのが怖かったのもあるだろう。カロリーナは出会いが事件現場だったのもあり、ハリエットに、ハリエットの母より過保護なのだ。


「でも……」


 ティナが何か言いかけた時、テーブルに影が差した。

 顔を上げると同い年くらいの若い男性が二人、立っていた。ティナの肩の上にいたピオンとプリムが警戒心もあらわに彼女の服の中に逃げ込んだ。


「お、やっぱり、妖精族じゃん。ブレットがいるもん」


「こっちの子は……なんなん、その眼鏡」


「でも、素質は感じるな。ね、二人? 俺たちも二人なんだけど」


 ナンパだ、とハリエットは眉を寄せた。男性が苦手なティナが怯えたように男たちを見ている。


「この混雑ですから、テーブルが別になっただけで店内に連れがいるんです」


「連れって女の子? 俺たち、女の子が増えるのは全然かまわないよ」


「男性です」


「え? 男と来て別の席とかありえないよ。嘘じゃん」


「嘘じゃないです」


 じろり、と眼鏡越しに男たちをにらみつけた。どちらも人族で、冒険者のような風貌だった。だが目つきや表情、ふるまいからあまり素行がよさそうだとは思えなかった。


「ってか、その眼鏡、似合ってないよ。取ったほうがいい」


「なっ、ちょ、やめてください!」


 男のぶしつけな手が伸びてきて眼鏡を取られそうになる。拒否しようと振り上げた手はもう一人の男に掴まれる。振り払おうにもびくともしない。


「ハ、ハリエットさん! あの、や、やめ、やめてください……っ!!」


 ティナが泣き出しそうな顔で立ち上がってハリエットのほうにやってきて手を伸ばす。立ち上がって逃げようとするが椅子と男に阻まれてうまくいかない。ガタガタとテーブルが揺れて、紅茶の入ったカップが倒れる。だが男の力にかなうわけもなく、眼鏡はあっけなく奪われてしまう。


「お、マジか……!」


 そう驚いたように告げる男たちの顔もティナの顔もぼやけきった視界では分からない。

 見えなくなったというだけで怖くなって身が竦む。何もわからない視界で、男の手が伸びてきてとっさに顔をかばうように俯いた時、横からそれを誰かの手がつかむ。


「おい、何してるんだ?」


 低く唸るような声は、間違いなくエドワードのものだった。

 広い背中がハリエットの視界をふさぐように男たちとの間に割り込んでくる。それだけで恐怖も不安もどこか行ってしまう。


「ティナ、大丈夫?」


「イ、イチロさん……っ!」


 すぐ横にいるティナの隣からどうしてか、イチロの声もする。


「お前ら、帯剣してるってことは冒険者か?」


 エドワードが唸るように問う。


「は? 俺たちが冒険者に見えんのか? 失礼にもほどがある、俺たちは騎士だ!」


 ハリエットは「あ」と声を漏らした。

 自由業である冒険者と違い、領主家に身分を保証される形になる騎士と名乗るには、それ相応の責任と覚悟が伴う。

 彼らが騎士としての身分を詐称しているなら牢屋行きだし、そうでなくとも目の前にいるのは絶対に彼らより級が上の騎士である。


「ほー、そうなんですね。所属と階級は? 騎士カードを見せていただけませんか?」


 リックの声がした。なんとなくお店の中のほうを見れば、リックたちのいた席に金髪頭がぼんやりと見えた。子どもたちのそばには、カイトがいるのでリックもこちらにやってきたのだろう。

 エドワードが「あーあ……」と漏らした。ハリエットも「あーあ」と思いながら、一歩下がる。

 どうやら男たちは素直にリックに騎士カードを見せたようだ。リックが「はい、拝見しました。戻していただいて結構です」と告げる。


「第二中隊の第四小隊所属の四級騎士ですか」


「ああ、そうだ。こっちは非番だが治安維持の見回りの最中だ。か弱い女性が二人で心配だったので声をかけただけだ」


「ほー……」


 頷くリックの周りの温度が五度は下がった。


「俺が言うのもなんだけど……あんまりこいつは怒らせないほうがいいと相棒の俺は思うよ」


「わ、私もそう思います」


 ハリエットもエドワードの言葉に全面的に同意した。

 リックが「すみません、ハリエット事務官、手に触れても?」と優しく声をかけてくれ、頷く。眼鏡をとられたままなので、なんとなく前髪を撫でつける。素顔を見られるのは気恥ずかしい。

 リックの大きな手が、壊れ物に触れるかのようにハリエットの手を取り、そして、袖を少し下げた。

 そこにはハリエットでもわかるほど白い肌にくっきりと掴まれた箇所が痣になっていた。


「声をかけただけで、どうして彼女のここにこんな痣があるのでしょうか?」


「眼鏡が魔道具の可能性があり、外して見せるように言ったが、抵抗したのでやむなくだ」


 またもエドワードとハリエットの「あーあ……」が心の中で被ったことだろう。ここで素直に土下座でもしていれば、彼らの将来はもう少し救いがあったかもしれない。


「はい、婦女暴行罪と眼鏡を盗んだことによる窃盗罪……いや、眼鏡を奪い取ったことによる、強盗致傷罪。現行犯逮捕ですね」


「あ?」

「は?」


 男たちが首を傾げると同時にリックがニコニコしながら呪文を唱えれば、男たちの腰のベルトから生えた蔦のロープが二人をぐるぐる巻きに縛り上げた。口も蔦によって猿轡(さるぐつわ)がかまされ、床に転がった二人が何かわめいているが、リックがにっこりと笑ったまま「暴れるなら暴れないようにしましょうね」と言いながら、男の腹を順に踏みつけた。くぐもったうめき声が聞こえるが気にせず、リックは自分の騎士カードを二人に見せた。二人の動きがぴたりと止まる。


「私はブランレトゥの二級騎士だ。……この恥知らずが! 騎士と名乗るのもおこがましい!」


 落ちた雷にいきなり縛り上げられ怒りで真っ赤だった男たちの顔が一気に真っ青になった。

 絶対的な縦社会である騎士団は、自分よりも階級が上の命令は所属する隊が違っても絶対だ。その上、領都であるブランレトゥの二級以上の騎士というのは数多くいる騎士の中でもブランレトゥという領都での出世を約束された者たちだ。上とのつながりが密接なのは想像にたやすい。


「騎士として、無抵抗の善良な市民に、それも守るべきか弱い女性に手を出すことがどれほどの重罪になるのか、すぐに分からせてやろう。お前たちの上司の顔が見ものだな。覚悟しておけ」


 リックの声は決して大きいわけではないが、びりびりと空気が震えるような怖さがあって思わずハリエットはエドワードの服を掴んだ。


「はいはーい。僕の可愛いティナの服にも紅茶がかかっているので、その辺も後でしっかり厳重に抗議するからねー! あ、僕はティーンクトゥス教会の見習い神父でーす!」


 ここでイチロがすかさず追い打ちをかける。

 グラウに神父はいないが、神父を知らない人はアルゲンテウス領にはいないだろう。なにせはるか遠いシケット村やエルフ族の里に住んでいる人々だって知っていた存在だ。騎士たちの顔からますます血の気が失せる。騎士団にはとてつもない恩が神父様にあるので、その神父様(見習いとはいえ)の恋人に手を出したこと、何より神父様の護衛騎士の目の前での狼藉は、かなり心証を悪くする案件だ。


「エディ、すぐにハリエット事務官を家に。先生の診察を受けて、治療を」


「了解」


「イチロさん、すみませんが……」


「大丈夫、大丈夫、ティナと子どもたちは僕と兄ちゃんに任せてよ」


「では私は、これを引き渡して話をしてきます」


 リックは二人から伸びる蔦のロープを掴むと「私、風魔法は使えないので」と笑顔で言って、ずるずると引きずっていった。その際、お店の人にもほかのお客んさんにも丁寧にいつもの騎士としてふさわしい誠実な人柄で謝罪していくのも忘れない。


「……あいつ、だんだんマヒロさんに似てきちゃったなぁ。いや、もともと怒るとマジで怖いんだけどさ」


 エドワードがぽつりとつぶやいた。


「ハリエットさん、大丈夫ですか?」


「はい、と言いたいのですが……眼鏡がないと……」


「あ、今の奴らが持って行っちゃったかも……魔道具とかなんとかほざいてたから、検分してからじゃないと返ってこないな」


 それは困った、とハリエットはうつむきがちに前髪を撫でつける。いつもの眼鏡がないと前も見えないが、何よりしっかり見ようと自然と目を細めてしまうので、その変な顔を彼には見られたくないし、レンズもなしにエドワードと目が合ったら恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。


「って、ハリエット事務官、手から血が……!」


 大きな手が前髪を撫でつける手とは反対の手を優しくとった。

 ぼやけていてしっかりは見えないが、左手の甲に赤い一本の線がなんとなく見えた。抵抗した時にどこかで切ったのかもしれない。


「イチロ、すぐに治癒魔法!」


「そりゃかまわないけど、診断書取って、あいつら徹底的にぶちのめしたほうがよくない? あっちには真尋君がいるから、キース先生に診てもらった後綺麗さっぱり治してもらったほうがいいよ。あ、でもすごく痛いとかあれば、今ここで診るよ?」


「いえ、大丈夫です。こういうのは記録に残したほうがいいですから」


 ハリエットだって事務官だ。何をどう証拠に残すべきかは分かっている。

 自覚したら痛くなるというのは事実で、確かに痛いが痛みとしては、紙で切った時と同じくらいだ。骨が折れたとかはなさそうなので、ハリエットはそう答える。


「それは確かに! でもあれだよな、傷って時間経つと残るっていうし、早くいかなきゃ……! 失礼!」


「えっ、きゃあ!」


 いきなり体が宙に浮いたと思ったら、エドワードに横抱きに抱えられていた。


「エドワードさん! 失礼って言えば何してもいいわけじゃないからね!?」


「舌噛まないようにな!」


 イチロの声は届いていないのだろう。エドワードが勢いよく走りだす。

 ハリエットは「辻馬車を拾ってください」と言いたかったのだが、彼が勢いよく走っていくので、舌を噛まないようにするので精いっぱいだった。


ここまで読んで下さって、ありがとうございます。

閲覧、ブクマ、評価、感想、いいね どれも励みになっております♪


次回の更新は、18日(土)、19日(日) 19時を予定しております。


次のお話も楽しんで頂けますと、幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 気遣いと気配りができる5、6歳児 エドワードと一路の差はデリカシーの有無ですかね~(^-^; 誰に講師を頼めばいいのかしら? [気になる点] ロボ一家は大きいから森に帰省中 テディも…
[良い点] え、エドワードぉぉお!!!!なんて朴念仁!!!!良い男なのにどこか残念、それがエドワードクオリティですねぇ~(笑) ハリエット事務官が可愛らしい……オカンのように心配性になるカロリーナ小隊…
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