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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第一部 本編
12/158

第九話 領都に到着した男


「アーテル王国の東、アルゲンテウス地方は、アルゲンテウス辺境伯が治めているんだ。ブランレトゥは、アルゲンテウス地方の領都で王都を除いた四大地方領都の一つで、南のカルマンに次ぐ大きな町だ」


 パカパカと馬の蹄の音が荷車の車輪が小道の石の上で跳ねる音がリズムよく林の中に響く。子供たちは藁の山の中でお昼寝をしていて、プリシラが作った水のヴェールで落ちない様に守られている。

 平原を抜けると林が広がり、真尋たちは荷車を先頭に林の中の小道を進んでいた。


「ブランレトゥの町はルドニーク山脈から流れるレクエルド川が町の北にあって、その川向こうの小高い丘の上に領主様の城館があるんだ。城館が見下ろす川縁の町がブランレトゥだ。周囲に森が多く、魔獣が多いことと五百年以上前の隣国との戦争を経て町は何年、何十年、何百年とかけて築き上げられた高い石の壁に囲まれている。東西南北には門があるが常時、開いているのは東と西だけで南は有事の時にしか開かないんだ。川を挟んだ北側には領主様の城があるから北門は領主様と領主様のお客様しか使えない」


「ジョシュアは、カロル村から来たと言っていたがカロル村はどこにあるんだ?」


「カロル村は、ブランレトゥから南西の森を抜けた先にある農村だ。俺は町の生まれだけど、プリシラがカロル村の出身で一人娘だったから俺は婿入りしたんだ。俺には姉さんも弟もいたからな。畑と牧場ばかりだが、のんびりと出来る良い村だよ」


 ジョシュアが自慢げに胸を張る。

 そのあと何故かジョシュアとプリシラの馴れ初めを聞いたり、カロル村の良い所を教えて貰ったりする。ジョシュアとプリシラは、十も年が離れていて、ジョシュアがギルドの受付嬢だったプリシラに一目惚れして猛アタックして口説き落として結婚したので今もラブラブだそうだ。


「ほら、見えて来た。あれがアルゲンテウスの領都、ブランレトゥだ!」


 林を抜けて急に開けた視界には、圧倒的な存在感を放つ石の壁に囲まれた大きな町が現れた。町の向こう、遥か遠くには頂に雪を被っている険しいが連なっていた。あれがルドニーク山脈だろう。


「すごい、おっきい!」


 一路が興奮したように叫んだ。

 真尋も大きな町だなと目を瞠る。丘の上にあるという城館はここからでも良く見えた。城というよりも砦のような外観をしている。ここが辺境であるが故に見栄えよりも戦を想定した造りになっているのだろう。

 真尋たちが出て来た林は、丘の上にあったようで目の前はなだらかな下り坂で辺り一帯が一望出来た。方々から馬車や荷車が町や森へと向かい、小さな胡麻の粒のような人々の姿もちらほらと見えた。ここから見える町の様子は、黒い屋根が並び、煙突から煙が上がっている。まるで箱庭のように見える光景にあそこに多くの人々が暮らしているのが不思議だと真尋は思った。

 

「この国で三番目に大きい町だからな。領主様の私兵でもあるクラージュ騎士団の第一師団があの町を守っているんだ。クラージュ騎士団は、アーテル王国でも王国騎士団と一、二を争うほどの規模と実力を誇っているんだぞ」


 少し速度を上げるわよ、と荷馬車の御者席に座るプリシラが言って、真尋も馬の腹を軽く蹴る。

 頬を撫でる風が少し強くなり、フードが脱げそうになって手で押さえる。荷車の揺れにジョンとリースが目を覚ます。


「ジョン、落ちない様に気を付けろよ!」


 ジョシュアが声を掛ければ、ジョンは「はーい」と眠そうな返事をして、まだ半分寝ているリースをぎゅうと抱っこする。リースは、眠たそうに目をこすりながら兄のシャツを小さな手で握りしめた。

 馬を操り向かった先には、ブランレトゥの西門だ。

 溢れ返るほど多くの人々で賑わっている。


「いつもこんなに並ぶのか?」


 真尋は、大きな門から伸びる長い列に目を瞬かせる。一路がもっとよく見ようと馬上で首を伸ばしている。

 門の前には三つの列がある。

 馬車や荷馬車といった馬を連れている者の列ともう二列は乗り物以外でここに訪れた者たちの列だ。

 町から外へと出る人々、町へ入ろうとする人々。待ち時間の間に暇を持て余した人々をターゲットにした長い列の間を行き交う派手な色の服を着た物売りやおひねり目当てに大道芸をする者、少し離れた所には小さな屋台まで出ている。暇を持て余した子供たちが列から少し離れた所で面白おかしく物語を語る芝居屋の前に集まって、子どもたちの笑い声が軽やかに喧騒の上を跳ねていく。

 列に並んでいるのは、本当に様々な種族や職業の人々だ。

 剣や弓を背負う冒険者と思しき一行は疲れを望かせながらも成果があったのかその笑顔は清々しく、大きな荷物を背負っている旅商人風の男とその妻と思しき女は、滑稽なピエロを見て笑っている。頭に犬の耳が生えている獣人族の女は背が小さく岩みたいなごつい顔をしたドワーフ族の男に声を掛けられているが無視を決め込み、すらりと背が高く弓を背負ったエルフの男性は青く晴れた空を見上げて欠伸を零していた。他にも歩く度にふわふわと花びらを落とす女性や顔や腕に鱗の浮いた年嵩の男、ティーンクトゥスから聞いていたことだが、アーテル王国では様々な種族の人々が共存しているということを漸く実感し、そのことに、再びここは本当に異世界らしいと真尋は感心する。


「ブランレトゥはこの地方では一番大きな町だし、近くにダンジョンもあるから人の往来も激しい。領主様も住んで居るから、入出のチェックが厳しいんだ」


 ジョシュアが近寄って来た飴売りから水あめを二つ買って、ジョンとリースに与えた。子供たちは嬉しそうに顔全体を綻ばせて水あめを受け取り、口に咥える。


「ど、どんなチェックがあるんですか?」


 飴売りに気を取られそうになっていた一路が慌てて尋ねる。出入りに規制があるとなれば、何の身分証明書も無い真尋と一路には厳しい。


「俺は業者としてこの町に出入りしているし、昔取った杵柄で少しばかり知り合いも多いんだ。だから通行許可証を見せるだけだよ。許可証一枚につき家族以外では三名まで許可証の主が身元保証人になることで中に連れて行ける。俺が二人の身元保証人になるから二人も入れる。それ以降は通行許可証を持っていれば、出入りは自由だ。一番向こうの一番長く、進みが遅い列は、通行許可証を持っていない旅人や冒険者とかの列で、あそこは審査とかあるから時間がかかるんだ。通行許可証は、町の住人以外最後に町を出てから三か月以上経つと無効になってしまうからな」


「そうか、ありがとう。ジョシュアに会えたのは、俺達にとって本当に幸運だ」


 真尋は心からの感謝を込めてお礼を言う。ジョシュアは、照れくさそうに顎を撫でた。


「俺はちょっとこいつらを先に片付けて来るから、すまないが家族を頼んでもいいか? 二人は腕が立つから護衛代わりになってくれ」


 ジョシュアが苦々し気な顔をしている盗賊たちを顎でしゃくって言った。


「ああ。構わない」


 真尋が頷くとジョシュアは、礼を告げると馬の腹を蹴りウィンドボートを手で操りながら、列の前方へと駆けて行った。真尋と一路はそれぞれ荷車の両側へと馬を動かした。


「プリシラさん達は、この後、どんなご予定ですか?」


 一路がプリシラに声をかける。水飴でべたべたになったリースの口元を拭っていたプリシラが顔を上げる。


「山猫亭という宿へ行くんです。そこは主人の元冒険者仲間のサンドロさんと幼馴染のソニアさん夫婦がやっていて、この町へ来る時はいつもそこに。この飼い葉と……飼い葉の下に野菜とかがあるんですけど、それも山猫亭に納めているんですよ」


 プリシラが藁の山に視線を向けた。


「今回は、ボヴァンとムートンの買い付けも兼ねているのでいつもは翌日には帰るんですけど、仕入れの関係で数日滞在する予定なんです」


「ボヴァンとムートンって何ですか?」


 初めて聞く言葉に首を傾げる。


「ボヴァンとムートンは牧羊魔物でボヴァンはお乳を、ムートンはもこもこの毛が採れるんです。畜舎を広くしたので春に生まれた子どもを数頭買い付けようと思って」


 つまり乳牛や羊のような生物だろうか、と真尋は想像する。どのような姿をしているのか見てみたい。


「あのね、ボヴァンはね白黒の模様があってとーっても大きいの! それで草をいーっぱい食べるんだよ!」


 ジョンが短い腕を目一杯広げて言った。リースも兄を真似てぶんぶんと腕を振って広げる。


「ジョンはボヴァンの世話を手伝うのか?」


「ううん、ボヴァンは大きくて危ないから僕がお手伝いするのはプーレのお世話だよ! プーレはねこれくらいで真っ白で赤い鶏冠が格好いいの! 卵はとってもおいしいんだよ! 僕が毎朝、卵を集める係りなの!」


 プーレとは多分、鶏のような生き物なのだろうなとジョンの言葉から推測出来た。名前は異なるが、この世界には地球に居た生物に似た生物がたくさんいる。この馬だってそうだ。


「でも僕、八歳になったからね! 今度は、ボヴァンの子供のお世話もお手伝いするよ!」


「そうか。ジョンは、お手伝いを頑張る良い子なんだな」


 真尋は、口元に笑みを浮かべて言った。

 ジョンがぱちりと母親譲りの空色の瞳を瞬かせた。そして何故かきょろきょろと辺りを見回した後、荷車の上を移動して真尋の元にやって来る。伸ばされた腕が望むままに真尋は、ジョンを抱き上げ膝の間に向き合う形で乗せた。


「……マヒロお兄ちゃんは、どこかの国の王子様?」


「……何故?」


 突飛な質問に真尋は、小さく首を傾げてその理由を問う。

 プリシラと一路にも聞こえていたようで、二人は顔を見合わせてクスクスと笑っている。


「だってとっても綺麗だし、それに強いもん! それでイチロお兄ちゃんは、マヒロお兄ちゃんの護衛なんでしょ? それでさらわれたお姫様を探してるの?」


 子供らしい純粋な想像力だ。


「でも、それは秘密なんでしょ? あのね、僕、誰にもいわないよ」


 そこだけこそこそと小声で言ったジョンに真尋は、ぱちりと目を瞬かせると、ふっと意味深な笑みを浮かべて、長い人差し指を自身の唇にあてた。


「……内緒だぞ」


 びっくりした猫みたいに体を揺らしたジョンが、丸い目をさらに丸くして一路を振り返る。

 荷車を挟んで向こう側にいる一路は、真尋を真似て、内緒だよ、と笑ってウィンクを一つした。するとジョンは、ぱぁっと顔を輝かせて、興奮した様子で両手で口を押えて、ぶんぶんと首を縦に振った。可愛いものだ、と思わず真尋は、ジョンの頭を撫でた。真尋のいつもは機能しない表情筋が勝手に緩むのを感じながらジョンが落ちないように膝に抱えなおした。


「良い子のジョンには特別に俺の国に伝わる話をしてやろう」


「どんなお話?」


「桃から生まれた戦士の話だ」


 聞かせて、聞かせて、とジョンが目をキラキラと輝かせて真尋に強請る。真尋は、分かった、と頷いてジョンの髪を撫でる。リースがプリシラの膝の上に移動して、腕の隙間からこちらの様子を窺って来る。ジョンは人懐こく社交的な性格だが、リースは人見知りで内向的な性格なのかもしれない。

 それから真尋が異世界版桃太郎を話して聞かせ、桃太郎がお供のゲイルウルフ達と共にドラゴンとの三日三晩に渡る死闘を終えて、ドラゴンの鱗を一枚とドラゴンの財宝を手に故郷に凱旋したところで、盗賊を引き渡しに言っていたジョシュアが戻って来た。


「何だか楽しそうだな、ジョン」


「あのね、マヒロお兄ちゃんの国のお話聞かせてもらった! モモタロー強いんだよ! 凄いの!」


 ジョンが興奮した様子で父親に告げる。ジョシュアは、そうかそうか、と笑って小袋を真尋に差し出す。


「あの二人の賞金が紫銀貨二枚、と子分共一人につき銀貨一枚だから銀貨が計十二枚で三十二万Sだった。紫銀貨一枚は俺が貰うから、あとは二人で分けてくれ」


 そうやらジョシュアは、賞金の半分以上をこちらにくれるつもりのようだ。

 だが、真尋は首を横に振って受け取らない意思を示す。


「それはジョシュアが懐に入れてくれ」


「そうはいかない。俺は二人に助けられたんだ」


 ジョシュアがむっとしたように眉を寄せて小袋を突きだしてくる。


「ジョシュア、何も俺はタダでその賞金をやるとは言っていない。プリシラに聞いたが、数日は滞在するんだろう?」


 ジョシュアは、ああ、と頷いてそれがどうしたと言わんばかりに首を傾げた。真尋は、不思議そうにこちらを見上げるジョンの頭を撫でながら口を開く。


「だからジョシュアが良ければ、町を案内して欲しいんだ。身元保証人になってもらえるだけでもありがたいし、図々しい頼みだとは分かっているが、正直な所、この国のことも良く分からず、俺達はあまりに無知で何も分からずに困っている」


「あの、僕からもお願いします。僕も真尋くんも本当にこんな大きな町は初めてで、常識的なことを教えて貰えるだけでもありがたいんです」


 一路が顔の前で両手を合わせて、お願いします、と頭を下げる。


「ジョシュ、二人は私たちの命の恩人でもあるんだもの、力になってあげて」


 プリシラが夫を振り返り、柔らかな笑みを浮かべた。そうするとジョシュアは、少しばかり目で抵抗した後、小袋から紫銀貨を一枚取り出して、残りを真尋に差し出した。


「案内料だけもらっておく。あとは二人で分けてくれよ。流石に全部は受け取らないからな」


 真尋は小袋を素直に受け取り、ローブのポケットに入れるふりをしてアイテムボックスにしまった。


「ありがとう、ジョシュア。本当に助かる」


「ありがとうございます、ジョシュアさん達が良い人で本当に良かったです!」


 真尋と一路が感謝の言葉を口にすれば、ジョシュアは再び顎を撫でて首を竦めた。多分、照れた時に顎を撫でるのが彼の癖なのだろう。


「お二人は、本当に遠い所から来たんですね、ボヴァンやムートンを知らないなんて、もしかして国の外から来たんですか?」


 プリシラが不思議そうに首を傾げた。

 列が前に進んで、真尋たちも馬を動かす。話している間にゆっくりだが確実に列はどんどん前へと進んでいく。


「いいや。俺達は間違いなくアーテル王国の出身だ。だが、俺達の生まれ育った里は秘境と呼ばれる様な場所にあり、俺達は里を出るまでアーテル王国という名しか外のことは教えてはもらえなかった。里の掟で里の名や場所は言えないが、ここから本当に遠い遠い地だ」


「アーテル王国は広いし、色んな種族がいるからなぁ……」


 ジョシュアが思案顔で頷いた。


「どうして里を出たんだ?」


「それはまだ詳しくは言えないが……とある使命を受けて一路と共に旅に出たとだけ言っておこう。だが、使命を果たすにはどこかに定住する必要がある。地図で見てここが大きな町だということが分かったから、暫くはこの町で過ごそうと思ったんだ」


「若いのに立派だなあ」


「ジョシュアさん、僕ら、この町での生活するにあたって冒険者になろうと思っているんです。プリシラさんから、ジョシュアさんが冒険者だったってお聞きして、是非、冒険者についても教えて欲しいんです」


 一路が言った。真尋は、成程、と思わずジョシュアを振り返る。あの戦い慣れた様子や素晴らしい造りの剣は、冒険者だった時の名残なのかと納得する。プリシラと出会ったギルドの受け付けはもしかしたら、冒険者ギルドの受付だろうか。


「なら、明日は冒険者ギルドへ案内しようか? 二人の身分証明書になるギルドカードは早めに手続しておいた方がいい。ギルドカードは町に住むなら色々な面で必要になるからな」


「その辺は、ジョシュアの考えや予定に合わせる。暫くは宿かどこかで過ごすことになるが、里を出る時、定住資金を貰っているから早めに家を買うか建てるか借りるかしたいんだ」


「そうか。ならやっぱり明日、ギルドに言って冒険者登録をしたほうがいいな。ギルドカードが無いと身元が保証されないからな」


「冒険者ってどうやればなれるんですか?」


 一路が首を傾げれば、ジョシュアは簡単さと笑った。


「ギルドに行って登録すれば、それで冒険者になれる。冒険者に必要なのは、実力だけだ。貴賤も頭の良し悪しも問われないからな。これが商人とか職人とかだと手続きが色々と面倒くさいんだがな」


「俺達の使命は、多くの人々と関わっていかなければならないんだが、冒険者はそれに向いているだろうか」


 ジョシュアが、そうだなぁ、と空を見上げながら顎を撫でる。


「確かに粗野な連中が多いから皆が皆、冒険者に対して好意的な訳じゃないが、冒険者は何も魔獣ばかりを相手にしている訳じゃない。雑務というカテゴリーのクエストが有って、それは庭の草むしりだったり、壊れた壁の修復だったり、町の住民を助ける意味を持った活動もある。報酬を出すのが庶民だから報酬は低いが、人との関りを大事にしたいならそういったクエストを受けるのも有りだと俺は思うぞ、……お、やっと俺達の番だな」


 そう言って、ジョシュアが馬を動かす。

 丸太を組んで作られた屋根付きの台の上に騎士と思われる格好の若い男が二人いる。真尋たちとそう年齢は変わらない様に思えた。

二人とも背が高く帯剣していて青を基調とした制服は青いトラウザーズに同色のベストとジャケット、そして、ワイシャツで白いスカーフ、そして、紺色のマントだ。ジャケットの胸元には騎士団のものと思われる徽章が刺繍されている。


「通行許可証を……ってジョシュアさん、お久しぶりです」


柔らかに波打つボルドー色の髪の騎士がジョシュアに気付いて顔を輝かせて挨拶をする。ジョシュアが「久しぶりだな」と笑ってベストの内ポケットから正方形の十センチ四方の紙を取り出して、騎士にそれを渡した。彼の隣に立つもう一人の茶髪の騎士が真尋と一路を見て首を傾げる。


「ジョシュアさん、こちらは? ご家族では無いですよね?」


「草臥れてはいますが随分と上等な生地のローブですね」


 ボルドーの髪の騎士も真尋たちに気付いて、値踏みをするように目を細める。

 あの野郎。何が普段着だ。と真尋はティーンクトゥスに対して拳を握りしめる。


「さっき引き渡した盗賊に襲われていたところを旅の途中だったこの二人に助けてもらったんだ。俺が身元保証人になるから、仮の通行許可証を発行してくれ」


 ジョシュアの説明に二人の騎士は、驚いたように目を見開いて顔を見合わせた。


「さっきのって、まさか彼が大斧のギグルを倒したんですか? ギルドカードも持たない旅人が?」


 信じられないと騎士の顔にありありと浮かび上がっている。

 あの大斧を振り回していた馬鹿はそんなに強かったのだろうか、と真尋は首をひねる。無駄な動きが多く、大きな獲物を振り回すだけの馬鹿としか認識していなかったので、今一つ、その強さがピンとこない。


「嘘吐いたってしょうがないだろう? プリシラや息子達もいたから本当に助かったんだ」


「攫われそうだったところをイチロさんが助けてくれて、マヒロさんもジョシュに加勢してくれたの。ジョンとリースも居たから本当に助かったわ」


 夫妻が言葉を重ねても騎士たちは、半信半疑と言った様子だった。


「マヒロ、イチロ、こっちの赤い髪の方がエドワード、こっちの茶色い髪の方がリック、二人ともクラージュ騎士団の三級騎士だ。エディ、リック、マヒロとイチロだ」


 ジョシュアが紹介してくれたので真尋はフードを降ろした。一路もおずおずとフードを降ろして顔を見せた。

 二人の騎士は、ぱちりと目を瞬かせて固まった。気のせいでなければ真尋を見て固まったボルドーの髪の方、エドワードは、それを誤魔化す様にばっと視線を逸らした先に居た一路を見て顔を赤くしている。


「ジョ、ジョシュアさん……ど、どこかの名のある家の方では無いんですか?」


「しがない農夫の俺の知り合いに、お貴族様がいる訳ないだろ」


 ジョシュアが苦笑交じりに答える。


「いやでも、しかし……」


「ほら、後ろが詰まってるぞ。良いから早く仮の許可書をくれ」


 ジョシュアが苦笑を零しながらリックを促した。エドワードはまだ一路を見つめたまま固まっている。


「お名前と年齢、性別、種族をよろしいですか?」


「真尋。十八歳、男、人族だ」


 リックが真尋の答えを、手元の紙に羽ペンで書き込んでいく。最後にサインをして判が押され、どうぞ、と渡された。


「これは仮の許可証です。本許可証を取得する場合は、ギルドカードを作成後に各ギルドで本許可証を発行してもらって下さい」


「分かった。ありがとう」


 真尋は礼を言って、仮の許可証を受け取る。正方形のその紙には、真尋の名前、性別、年齢、種族と身元保証人であるジョシュアの名前と町へと入る許可を出したという意味でリックのサインがあった。


「おい、エドワード。いつまで呆けてるんだ、仕事をしろ」


 リックに小突かれ、エドワードが慌てて羽ペンを握りしめた。


「な、名は!」


「ええと、い、一路です! 十八歳、男、人族です!」


 一路が緊張に強張った声で言った。


「ええ! 嘘! お兄ちゃん、ペーターと同じくらいかと思ってたのに!」


「はぁ!? 男!?」


 ジョンとエドワードが心底驚いた様子で叫ぶ。


「ペーターって誰だ?」


 真尋は、膝の間のジョンは、絶句して言葉もないようだったのでジョシュアに尋ねる。


「村の子供で、今年十三になるんだが……そうか、イチロはマヒロと同い年なのか、立派に成人しているのか、そうか」


 ジョシュアもまた一路のことを真尋と同い年とは思っても居なかったようである。プリシラまで「あらあら」と驚きを露わにしていた。

 そしてどうやら十八歳は成人らしい。十八で成人なのか、それ夜早く成人なのかは分からないが、 十三歳は子供の年齢で一路は子供だと思われていたようだ。異世界でも一路の童顔は健在だ。


「……お、男……嘘だろ……」


 エドワードが絶望したかのように項垂れる。一路は、またか、と遠い目をして空を仰いでいた。

 一路は幼い頃はよく女の子に間違われる可愛らしい子供だった。成長するにつれ、服装や細いながらに男らしい骨格になっていったので性別を間違われることは無くなったが、今はローブを着ていて体格や服装が見えないし、この世界の人々は総じて背が高く体つきもしっかりしているので、華奢である一路をエドワードは、女と勘違いしたようだった。しかも顔を赤くしていたことから、好みのタイプだったのだろう。

 リックがそんな同僚にあきれ果てた様な視線を向けて、代わりに羽ペンを手にするとさらさらとペンを走らせ、仮の許可証を一路に渡す。


「仮許可証です」


「ありがとうございます!」


 一路が嬉しそうにそれを受け取った。リックは、どこか子供を見ているような眼差しで、なくさないように、と声を掛けた。彼もまた頭では十八歳だと思っていても、心が理解しきれていないようだ。


「進んでいいぞ。エドワード、仕事をしろ。次の者、前へ!」


 リックがエドワードの頭を殴り、真尋たちの後ろにいた馬車に声をかける。プリシラが、手綱を引いて馬が嘶き、荷車が動き出す。一路が隣へとやって来て並ぶ


「……真尋くん、僕、女の子に見える?」


「多分、ローブを着ていたからだろう。体格が見えないからな」


 真尋の言葉に一路は不貞腐れた顔で、ふーっと前髪に息を吹きかけた。どうやら臍を曲げてしまったようだ。だが女に間違われた上に子ども扱いされたら、臍も曲がるか、と真尋はぽんぽんと一路の頭を撫でた。


「それよりほら、一路、町だぞ。とても賑やかだ」


「うう……納得がいかない」


 そう言いながらも一路は顔を上げて、周囲に視線を向けて、すぐに顔を輝かせた。こういう単純なところも一路の良い所だ。


「うわぁすごい!御伽噺みたい!」


 一路が興奮した様子で叫んだ。真尋も、ほう、と思わず声を漏らす。

 ブランレトゥの町並みは、確かに御伽噺の世界のようだった。

 黒い木材を使用した木組みの家々は、地球でいうところのドイツの町を思わせる。ただ、屋根や木組み自体は黒、漆喰の塗られた壁も白ということで全体的にモノトーンの町並みだ。だが家々の軒先や窓辺には花々が植えられたプランターがぶら下げられており、モノトーンの町並みだからこそ、色とりどりの鮮やかな花々が際立っている。

 馬車や馬の行きかう大きな通りをジョシュアが「賑やかだろう」と笑いながら手綱を操り進んでいく。彼の言う通り、メインストリートだからこそ、様々な店が立ち並び、そして、大勢の人々で賑わっている。


「この通りは、ブランレトゥのメインストリートだ。西門から東門へと真っ直ぐに続いている。中央に大きな広場があって、そこを中心に町は放射線状に広がってるんだ。大きな通りは六つあって、それで町が大まかに区切られている。中央広場の北の地区は、領主様の町屋敷もあるし貴族の家もあって一般人は立ち入り禁止だ。それに北の川沿いのエリアには金持ちの家が多いから、面倒事や厄介事に巻き込まれたくないなら近寄らない方がいい」


 どこの世界でも、住む世界の違う人々と関わるにはある程度のリスクを覚悟しなければならないらしい。それに貴族という身分がある以上、平民が理不尽な目にあることも多々あるのだろう。


「領主は、どんな人だ」


「ジークフリート・アルゲンテウス様は、とっても優秀な方だよ。領民の為にいつも心を砕いて下さる。領主様の弟は、クラージュ騎士団の団長を務め、ご兄弟で領地を守って下さっている。私設の騎士団だから領主様の意向で貴賤は問われないが、冒険者と違って実力の他に頭の良し悪しも問われるけどな」


 ジョシュアはそう言って肩を竦めて笑った。


「ところでマヒロたちは宿はどうするんだ? 俺達は山猫亭に泊まるつもりだが……」


「宿を探す前に飯が食べたい。ここ数日、碌な飯を食っていないからな」


「なら山猫亭でいいな。俺の友人夫婦がやっている宿屋でな。あそこの食堂の飯は美味いぞ。もっとも庶民料理だから、二人の口に合うかは分からんが」


「この際、口の水分を奪わなければなんでもいいんだ。ジョシュアたちが滞在するなら、俺達もそこに宿を取ろう」


「ほんとう? お兄ちゃんも同じところに泊まるの? 同じお部屋?」


「部屋は別だが、ご飯は一緒に食べよう」


 嬉しそうに真尋を振り返ったジョンに真尋が答えれば、ジョンは「約束だよ!」と元気よく笑った。

 メインストリートを途中で右へと曲がり、奥へと入る。暫らく進めば再び大きな通りに出た。メインストリートに比べれば少しばかり道幅は狭いが馬車がすれ違うのには十分な広さの通りだ。


「ほら、山猫亭に着いたぞ」


 そう言ってジョシュアが馬を停めたのは五階建ての建物の前だった。なかなかに大きな宿屋であるようだ。各階に十ほど窓が並んでいる。


「ジョン、店に案内してやってくれ。父さんと母さんは、荷物を運ぶからな」


「はーい。お兄ちゃん、ここからは僕が案内するよ」


 ジョンが誇らしげに小さな胸を張った。一路が、お願いね、と笑うとジョンが、任せてよ、と頷く。ジョシュアが馬を任せてくれと言うので、真尋は先に降りた一路にジョンを渡してから、馬から降りた。


「リース、おいで」


 ジョンが母の膝の上にいる弟に手を伸ばしたが、リースは恥ずかしいのか、人見知りが発動しているのか、いやいやと首を横に振ってプリシラの胸に顔を隠してしまった。プリシラが困ったさんね、と言葉とは裏腹に優しく笑って息子の小さな頭を撫でた。


「リースは、恥ずかしがり屋さんなんだ。ジョン、頼んだぞ」


 ジョシュアはジョンに声をかけると宿屋の裏へと入って行く。宿屋と隣の建物の間には、広めの通路がある。多分、裏に厩か何かがあるのだろう。


「お兄ちゃん、こっちだよ」


 真尋の手を引き、ジョンが歩き出す。辺りを見ていた一路が慌ててついて来た。

 両開きのドアは、片方が開いたままになっていて、ドアに「OPEN」と書かれた木札が掛けられていた。軒先には山猫と思われる猫が描かれた看板がつるされていた。

 宿屋の中へ入る。昼時を過ぎたからか、然程混んでいないが十五卓の大小さまざまな丸テーブルが並ぶそこは、食堂の様だ。奥にはカウンター席もある。入ってすぐの右手には、形だけだが木製の柵があり、その奥に階段があった。おそらく、上に部屋があるのだろう。


「ソニアおばちゃーん!」


 ジョンが声を掛けたのは、燃える様な紅い髪の年嵩の綺麗な女性だった。髪の色と同じ赤いスカートに黒のベストに白のブラウスとエプロン姿で、ブラウスの袖は仕事の邪魔にならない肘の辺りまで捲られている。

 女性は、ジョンを見つけると、嬉しそうに縦長の瞳孔を持つ赤茶の目を細めた。彼女の頭には、黒っぽく飾り毛が特徴的な猫の耳が生えているし、背後には縞模様の尻尾があった。彼女は、獣人族のようだ。すらりと細いが猫の様なしなやかさがあり、大人の女という色気を纏っている。

 ジョンは、真尋の手を離すと女性にぴょんと抱き着いた。


「ははっ、ジョン、今日も元気だね」


「うん! あのね、今日はお客さんを連れて来たんだよ!」


 そう言って振り返ったジョンにつられるように女性が顔を上げる。赤茶の瞳の瞳孔がぱっと驚いたように開いた。


「まあまあ、こりゃあ見たことも無い位の美男子だねぇ」


「真尋という。よろしく」


「初めまして、一路です!」


「あたしは、宿屋の女将のソニアだよ。うちは冒険者向けの宿屋だけど、大丈夫かい?」


「ジョシュアに良い宿だと教えて貰ったんだ。一週間ほど滞在したい」


 真尋の申し出にソニアは、抱えたままのジョンの顔を見る。ジョンが「お客さんだよ」と笑うと尻尾を揺らす。


「サービスの質と美味しい食事は保証するけど、高級宿じゃないよ?」


「俺も一路もただのしがない旅人だ。ぐっすり眠れて、美味しい飯が食べられればそれで充分だ」


 一路が真尋の言葉を肯定するように、うんうん、と頷いた。


「そうかい。なら、ようこそ、宿屋・山猫亭へ」


 そう言って、ソニアが表情を緩める。


「お一人様一泊三千S、赤銅貨三枚だよ。洗濯のサービス付き。食事は別料金だからその都度、支払っておくれ。食堂は朝は六時から夜は一時までやっているから。部屋はどうする? 一人部屋もあるし、二人部屋もある」


 どちらがいいのだろうか、と一路を見れば指を二本立てて主張している。


「なら、二人部屋で、とりあえず一週間」


「分かったよ。ええっとちょっと待ってくれ」


 ソニアがジョンを抱っこしたまま、カウンターに向かう。カウンターの隅にあった台帳を捲り、何かを確認している様だ。


「……とりあえず、食事はまともなものが食べられそうだな」


 近くのテーブルで食事をしている客の前には、美味しそうな肉のソテーがあるし、籠に入った白パンやバケットも美味しそうだ。


「普通のご飯が食べられそうで良かったね」


 一路も心底ほっとしたようにテーブルの上の料理たちを見ている。


「はいよ、お待たせ。二人の部屋は、三階の503号室だよ。案内しよう」


 そう言ってソニアがジョンを抱っこしたまま歩き出し、真尋と一路はその背に続く。ソニアは、真尋より少し背が低い位の身長だった。


「二人はどこから来たんだい?」


 階段を上がりながらソニアが尋ねて来る。一路がそれに答えた。


「ここより遥か遠い所から来ました。森を抜けてブランレトゥに向かう途中でジョシュアさん達に会ったんです」


「だから、そんなに草臥れた格好をしてるんだねぇ」


 ソニアが納得したように言った。


「ジョシュアとあたしは、幼馴染でね。とは言っても年が離れているから、あたしにとっては弟みたいなもんだけど」


「そういえば、ジョシュアさんはこの町の出身なんですよね」


「そうだよ。あたしとジョシュアは家が隣同士だったんだよ。ジョシュアのおむつだって替えてやったんだよ。それがあんなにでかくなって、今じゃこんな可愛い息子までいるんだからねぇ」


 しみじみと頷いてソニアは階段を上がっていく。そうやって当たり障りのない話をしていれば、すぐに部屋の前へと到着する。

 三階の丁度真ん中の部屋が真尋と一路の部屋になるようだ。両側に二つずつドアがあることから、この階には五部屋しかない様だ。ソニアが、壁にはめ込まれた直径五センチほどのガラス玉に触れる。


「マヒロ、イチロ、二人の魔力をここに登録しておくれ。これが鍵の代わりになるんだ」


 そう言われて、真尋と一路は、そのガラスに触れて魔力を流し込んだ。透明だったガラスが青と緑に半分ずつ輝いた。


「これでよし。ドアは閉まれば勝手に鍵が掛かるし、開ける時はここに触れば開くからね」


 そう言ってソニアが鍵の開いたドアを開けて中に入る。

 部屋の中は、実にシンプルだ。真正面、二つの窓の下にそれぞれベッドがあり、ベッドとベッドの間に小さなテーブルがあった。入って左手にはクローゼットがあり、右手にはおそらく選択を入れるのだろう籠があった。実にシンプルな部屋だが、確かに眠るだけなら十分だった。


「トイレとシャワールームは各階の廊下の突き当りにあるからね。部屋の掃除をして欲しい時は、従業員に声をかけておくれ。洗濯物はその籠に入れて廊下に出しておいてくれれば、洗濯をして籠に入れて部屋の前に置いておくよ。金品の管理は、自分達で責任をもってきっちりと。うちでは保証出来ないから気を付けてね。さて、ここまでで何か聞きたいことはあるかい?」


「俺は大丈夫だ。一は?」


「僕も大丈夫です」


「分からないことが有ったら幾らでも聞いておくれな。この猫のマークがある服とかエプロンをしているのは、うちの従業員だから捕まえて聞くと良い」


 そう言って、ソニアはエプロンの右胸にあった丸くなって眠る猫の刺繍を指差した。


「じゃあ、あたしは店に戻るよ。おいで、ジョン」


「うん! お兄ちゃん、また後でね!」


 ジョンがバイバイと手を振るのに手を振り返し、ソニアとジョンを見送る。ぱたりとドアが閉まると、どちらともなく、はぁ、とため息を吐きだした。


「漸く、宿についたねぇ」


「ああ。これで飯さえ美味ければ本当に最高だ」


 真尋は、一路の言葉に返事をして、ローブを脱ぎ洗濯籠に放り投げた。光属性の魔法で綺麗にすることは可能だが、洗濯という言葉があるということは、あまり一般的ではないということだ。


「もうそうやってすぐ散らかすんだから」


 一路がきちんとローブを畳んで籠に入れ、真尋のそれも同じように畳んで籠に入れる。


「町の男の人たち見てて思ったんだけどさぁ、大体の人がズボンにシャツにベストじゃ無かった? 女の人はソニアさんみたいな恰好が普通だったし」


 一路が水色のチュニックの裾を摘まんで言った。


「ジョシュアもジョンもそうだったしな……まあ、何か言われたら故郷の服だと言えばいい。それより腹が減った。飯を食べよう」


「そうだね。お腹ペコペコだよ」


 一路がそう言って、真尋の後について来る。真尋は籠をついでに廊下に出して、部屋を後にする。一階へと降りれば、こちらに気付いたソニアがカウンターにおいでと声をかけてくれた。


「ここらじゃ見ない格好だねぇ。本当に遠い所から来たんだ」


 そう言ってソニアが二人に服装をしげしげと眺める。やることリストに服を買うという項目を設けなければならない。


「どこか出かけるのかい?」


「いいえ、兎に角、腹が減っているので食事をしようと思って」


「そうかい。なら、空いている席に座ってくれ。すぐにメニューを持っていくよ」


 はい、と頷き、二人は一番近くのテーブル席に腰を下ろした。言葉通り、座ってすぐにソニアがメニューとカトラリーを手にやって来る。


「これがメニューだよ。おすすめは、ボヴィーニ肉のシチューとかこのパスタだよ」


 渡されたメニューを開く。料理は知っているものもあれば、知らないものもある。とりあえず、真尋はお勧めだというそのボヴィーニ肉のシチューとパンのセットとプーレのハーブソテーとオリジナルドレッシングのサラダと野菜スープ、一路はトマトとベーコンのパスタとパンのセットを頼んだ。


「はいよ、少々、お待ちください」


 そう言ってソニアがテーブルを離れる。


「食文化はしっかりしてるみたいで、本当に良かったねぇ」


 一路がしみじみとメニューを眺めながら言った。真尋は、本当に、と頷いて店の中を見回す。視線を感じるのは、いつものことで、目が合えば慌てたように逸らされるのも慣れている。自分の容姿が目立つことくらい、十八年も生きていれば自覚する。

 店の中には、十五、六人ほど客がいて、ソニアと同じ恰好をしたウェイトレスが二名、忙しそうに働いている。


「明日は、ギルドに行くとしてその後はどうする?」


「ふむ……そうだな、ジョシュアがいる間の方がいいだろうことは、先に済ませよう」


「なら明日はギルド行って、武器屋とかも行かないとね。時間が有ったら色んなお店を見て回ろうよ」


 わくわくと言った様子を隠しもせずに一路が言った。真尋は、そうだな、と頷いて同意する。


「はいお待たせ、サラダとトマトとベーコンのパスタとボヴィーニ肉のシチュー。それとパンのセットだよ。他の料理も出来次第、運んで来るからね」


 ソニアの声が聞こえて、目の前に温かな湯気が上る料理が置かれた。四日ぶりのまともな食事に流石の真尋も感動する。


「うわぁ、美味しそう!」


「うちの旦那の料理は美味しいよ。うちの店の自慢なんだ」


 ソニアが誇らしげに言った。


「それは楽しみだ。いただきます」


「いただきまーす」


 二人は手を合わせて、早速、料理に手を付ける。ソニアは、変わった挨拶だね、と言いながら仕事に戻って行く。

 真尋は、シチューの肉にスプーンを入れる。良く煮込まれた肉は、柔らかくほぐれる。スプーンにのせ、口へと運ぶ。


「……及第点だな」


 雪乃が作る料理には負けるが、十二分に真尋の口にも合うレベルだった。ボヴィーニの肉は、牛肉に味も食感もそっくりだった。一路も、美味しい、とにこにこしながらパスタを頬張っている。


「ねえねえ、真尋くん、一口ちょーだい」


「ほら」


 丁度、掬った肉とシチューの乗ったスプーンを差し出せば、一路はぱくりと口の中に運ぶ。


「ん、おいひー!」


 両手で頬を押さえて一路が言った。


「あの糞みたいな携帯食料に比べると本当に美味い」


 真尋はそう返して、パンに手を伸ばす。柔らかな白パンは焼き立てなのか、ほかほかと温かくバターを塗ってから食べた。他に注文した料理も美味しく、二人は手を休めることなく、あっと言う間にテーブルの上の皿は空っぽになった。


「気持ちいい食べっぷりだね。食後のお茶は、サービスだよ」


 そう言ってソニアが紅茶を出してくれた。一路の前には彼が注文したチーズケーキも置かれる。


「ソニアさん、本当に美味しかったです!」


 一路がにこにこしながら言った。ソニアは、だろう?と嬉しそうに笑う。

 真尋は、久々に満足した食事に、のんびりと紅茶を楽しむ。


「ソニアさんは、旦那さんとこの宿屋さんをしているんですか?」


 一路がチーズケーキを食べながら首を傾げる。


「そうだよ。うちの旦那は図体はでかいけど、料理は得意なんだ。息子が二人と娘が一人いるんだけど、長男は旦那に似て料理が好きで、今は王都に修行に行ってるんだ。次男は、ここで働いているんだけど将来は冒険者になりたいって騒いでるよ。今日は友達と出かけていて留守だけどね。娘は、うちの看板娘なんだけど、今日は休みだからあの子も友達と出かけてるんだ。明日の朝は居ると思うから、紹介するよ。ああ、そうだ。先に旦那を紹介するよ。ちょっと待っててくれ」


 そう言ってソニアが店の奥へと引っ込み、すぐに戻って来たが、彼女の背後からのっそりと大きな男が顔を出す。

 身長は間違いなく二メートルを超えているであろう。筋骨隆々で丸太のような太い腕をしている。ソニアと同じ獣人族らしく、厳つい顔とその立派な体にぴったりの熊の耳が生えていた。グリズリーという言葉が真尋の脳裏を過ぎった。


「ジョシュの知り合いらしいな、俺はサンドロ、よろしくな」


「初めまして、真尋です。お料理、とても美味しかったです」


差し出された右手に自分の手を重ねて握手をする。一路も同じように挨拶をして、握手を交わした。


「本当に美人な兄ちゃんと可愛い兄ちゃんだなぁ」


 サンドロがこちらをしげしげと見ながら言った。


「マヒロは幾つなんだ? 成人はしているんだろう?」


「はい。十八で今年、十九を数えます」


 サンドロが、年の割に落ち着いてるなぁ、と笑って、一路を振り返る。真尋は、丁度、ジョシュアとプリシラ、リースが店の中に入って来るのに気付き、向こうもこちらに気付いて寄って来る。


「イチロは幾つなんだ?」


「十八歳です」


「そうかそうか、八歳か」


 ガハハ、と笑いながら大きな手が一路の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「違います、十八歳です!」


 一路がサンドロの手をぺしぺし叩きながら、言い直す。


「えええ!? そんな馬鹿な!」


「ほ、本当かい?」


 ソニアまで驚きに目を瞬かせる。サンドロは余程信じがたいのか、真尋を振り返って「本当か?」と尋ねて来る。真尋が「同い年です」と答えれば、ますます二人は、驚いたような顔で一路を見つめる。


「私達も驚いたの、てっきり村の子と同じくらいだと思って」


「門番も勘違いしてたなぁ」


 プリシラとジョシュアは、自分達も驚いたんだと言いながら笑っている。


「真尋くん! 笑わないでよ!」


「……笑ってない」


「笑ってるよ! 他の人には分からなくても幼馴染の僕の目は誤魔化せないからね!」


 そう言ってむくれる一路は、ますます幼く見えるのだが言うと怒られそうなので、誤魔化す様にカップに口をつけたのだった。



***



「この世界に来てから、童顔が余計に酷くなった気がする」


 ぼふん、と枕を殴りながら一路が言った。

 あの騒ぎの後、しばらくはだらだらとジョシュア一家と共に食堂で過ごしながら何かしらを延々と食べ続けていたのだが、ジョンとリースが眠たげに目を擦り始めたので、真尋と一路もあてがわれた部屋に引っ込み、シャワーを浴びて、こうしてベッドの上でくつろいでいた。

 隣のベッドでソニアに借りた本を読んでいた真尋は親友に顔を向ける。


「良いじゃないか。子供の方が相手を油断させやすい。それを有効活用するべきだ」


 緑の混じる琥珀色の瞳が、じとり、と此方を睨んでくるので肩を竦めて、手元の本に視線を戻す。食堂のカウンターの隅に何冊か重ねてあった内の一冊だ。

 ソニアの二番目の息子が学校に通っていた頃の教科書だという。王都での識字率は高いが、地方ではそこまで教育というものが行き届いてはいないのだと教えてくれた。農村では読み書きができる人間の方が少ないらしい。このブランレトゥでも、識字率は全体の六割強だという。様々なところからやって来る冒険者などはさらに文字を読めるものは少ない。真尋と一路は口調や身形からして上流階級だと思い、読み書きができるだろうと判断してソニアはメニューを渡してくれたのだそうだ


「あの馬鹿野郎が俺達に寄越した常識は、文字の読み書きであるとか通貨の数え方だとか、そういう本当に生活に必要な物だけだ。それ以外の地名や歴史、偉人の名前や王家のことなんかはこれぽっちも頭に入っていないし、あの取説にも書いていなかった」


「確かにねえ……この本に書いてあることは、初めて知ることばっかりだねぇ」


 一路が真尋のベッドの上から手に取った本のページをパラパラとめくり、のんびりと文字を追いながら言った。真尋は、また別の本を開く。此方は所謂、魔法に関する教科書だ。


「……千年前の大きな戦争が、神様の力が衰退した切欠だって言ってけど、何があったんだろうねぇ」


 一路がぽつりと零す。

 この本は、結局は子供向けの教科書でしかない。故に大まかなことしか書かれていないのだが、千年前の戦争を切欠に教会の権力が失墜し、衰退の一途を辿ったと書かれているが、詳細は不明だ。戦争は切欠であって衰退の原因ではない。


「本屋か図書館みたいなものがあれば行きたい。そして、今現在のアーテル王国において、教会がどういうものなのかもそれとなく聞いてみたいな」


「そうだねぇ。というか、何でティーンさんは、あの森を見下ろす窓を開いたんだろうね」


「さあな。馬鹿の考えることは知らん」


 真尋は、ぱたんと本を閉じて枕元に置いた。二人の間にサイドテーブルに置かれていたランプは自分の魔力を注いで使うもので、この国では一般的なものらしい。開け放したままの頭上の窓の向こうからは、夜だというのに賑やかな声が聞こえてくる。ランプの灯りが、ぼんやりと照らす部屋の中の静けさとは正反対だ。

 なんとなく隣を見れば、一路が体を起こして窓の外を見ている。


「……夜、空を見た時が一番、ここが地球じゃないんだなって思うよ」


 彼の視線の先を追う様に辿れば、地球で見たものより青白い月が二つ、浮かんでいる。この世界の月は、サイズが違う。大きい月に寄り添うように二回りほど小さな月が寄り添って居て、小さな月は満ちたり欠けたりするらしい。今も小さな月は、半分ほど欠けている。

 この世界の月を初めて見たのは、二日目の夜だった。一日目は疲れて眠ってしまい、夜は外に出なかったのだ。だから、二日目の夜、何となく外に出て空を見上げて驚いた。


「この世界の月にも、ウサギが居るのかな?」


「……さあな。もう寝よう、明日もやることがたくさんある」


「そうだね……灯りを落とすよ」


 一路がごそごそと動く音を聞きながら、真尋は足元に寄せて掛け布団を引き上げる。ランプの灯りが落ちれば、部屋の中を照らすのは淡い月の光だけだった。




ここまで読んで下さってありがとうございます!

漸く、漸く町にたどり着きました!次のお話では、冒険者ギルドへ参ります!



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― 新着の感想 ―
[良い点] ・おいしい食事としっかりした宿屋 ・ちょっとずつこの国やこの町のことが判明していく所 [一言] 宿の鍵が魔力登録なのが便利で面白いなと思いました。 リセットするときは魔力を抜くんでしょう…
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