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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第二部 本編
117/158

第四十五話 説明する男

 あくびをこぼしながら、サヴィラは階段を下りる。

 鼻先を撫でていくのは、おいしそうな朝食の良いにおいで、後をついてくるジョンとレオンハルトが「お腹空いたね」「今日はなんだろうな」と話している。

 階段を降りたところでちょうど、イチロたちが玄関からやってきた。彼らは庭に停めてある馬車の中の家のほうで夜は過ごしているのだ。


「おはよう、よく眠れた?」


「うん。おはよう」


 朝の挨拶を交わしあい、ぞろぞろとダイニングへ向かえば、ナルキーサスもいた。


「先生、おはよう」


「ああ、おはよう」


 ナルキーサスが振り返り、皆の顔を見て「今日も元気そうで、よし」と笑った。


「ああ、そうだ。ティナ。薬草のことで頼みたいことがあるんだが……」


 ナルキーサスが歩調を緩め、後ろを歩いていたティナと並ぶ。

 匂いからして今日の朝のスープは、ミソシィルだな、と考えながらドアを開け、中へ入って一歩でサヴィラは足を止めた。サヴィラが先頭だったので、自然と後ろのみんなの足も止まった。

 サヴィラの気のせいでなければ、奥の席に座る父が新聞を読んでいる。父が新聞を読んでいること自体は珍しくない。毎朝読んでいたが、朝食の席に父がいるのはずいぶんと久しぶりのことだった。


「父様?」


 声をかければ、新聞が降ろされる。


「ああ、おはよう」


 父はそう言って、再び新聞に顔を戻した。

 何か強烈な違和感だけがサヴィラの中に残る。


「あらあら、みんなで立ち止まってどうしたの? 朝ごはんが通れないわ」


 母の声がして一行は、はっと我に返って、ワゴンを押すユキノと、そのあとについてパンのかごを持つミツルに道を譲った。

 二人は、おはようとお礼を言いながら中へ入って、長いテーブルに朝食を並べていく。


「あなた、新聞は朝ごはんのあとにしてっていつも言っているでしょう? ほら、並べるのを手伝って」


 そう母に言われた父がしぶしぶ、新聞を畳んで立ち上がり、配膳を手伝い始めた。


「おい、マヒロ。君、怪我は?」


 ナルキーサスの問いにようやく違和感の正体が分かった。

 満身創痍だったマヒロは、その体のどこにも包帯を巻いていないし、あれだけがちがちに固定されていた腕にも何もないのだ。


「ああ、見ての通り治った」


「はぁ??」


 思わずサヴィラは眉を寄せて首を傾げる。同じく「はぁ?」と声を上げたナルキーサスが父に駆け寄り、ためらいなくそのシャツをめくった。ティナが「きゃあ」と悲鳴を上げたが、サヴィラはナルキーサスに続いてマヒロに駆け寄り、彼女の横から父の腹をのぞき込む。

 シャツの下には、六つに割れた立派な腹筋が並んでいる。ぐるぐるに巻かれていた包帯はなく、脇腹にうっすらと傷跡が残っているだけだった。


「おい、キース」


「どういうことだ!? 一昨日くらいにようやくかさぶたが落ち着いてきたというのに……!」


 ナルキーサスが信じられないといった面持ちでマヒロを見上げた。


「なんで!? は!? 昨日まで包帯ぐるぐる巻きだったじゃん!」


「まさかまた変な無茶でもしたの!?」


 サヴィラとイチロも父に詰め寄る。


「一路、お前は俺をなんだと思ってるんだ。見ての通り、治ったんだ」


「そうよ。ちょっと色々あってね。詳しい説明は朝ごはんを食べながらするから、ほら席につきなさい?」


 ユキノに促されて、皆、いぶかしげにマヒロを見ながらそれぞれ席に着く。

 ミアがリックとエドワードとともにやってきて、みんなの席にサラダを配り始めた。エドワードがそれを手伝い、リックは大きな土鍋を持っていて、それをユキノのそばのワゴンに乗せた。

 そういえば、双子はと辺りを見れば、父の席の隣にゆりかごが置かれていた。

 アマーリアたちはユキノを手伝っていたようで、マヒロの姿に動揺することなく席に着く。ちなみにジルコンとマイカは、昨夜、観劇に出かけていたのでまだ寝ているようだ。

 

「では……いただきます」


 全員そろったのを見て、父が挨拶をすれば朝食は始まる。

 いつもなら皆、一斉に朝ごはんを食べ始めるので、にぎやかになるのだが今日は、しんと静まり返ったままだ。

 父だけがミソシィルを、ずずっとすすって、はぁぁ、と深いため息をついた」。


「……うまい」


 感慨深く告げた父に母が嬉しそうに笑う。


「ふふっ、よかったわぁ。おかわりもあるからね」


 ああ、と頷いた父がもう一度、ミソシィルに手を伸ばしたところでナルキーサスが「おい」と声を上げた。


「朝ごはんどころじゃない。説明をしろ、説明を」


「こっちは数カ月ぶりの雪乃の飯だぞ?」


「知るか、説明が先だ」


 ナルキーサスの言葉に皆が一斉に頷いた。

 マヒロが渋々、ミソシィルを置いた。


「昨夜、ティーンクトゥスがようやく俺と雪乃を呼び出してな。あれこれ説明を受けたんだ」


 おもむろに父が言った。


「呼び出したと言っても現実世界ではなくて、いわゆる神域と呼ばれる場所だな。一応これでも俺は神父だから、これまでに何度か呼ばれているが、今回はもちろん、双子のことで呼ばれた」


 そのこと自体は規格外の父なので、あまり驚きはしなかった。


「それで、ちぃと咲はどうなるって?」


 カイトが身を乗り出すように尋ねた。

 父が息を吐きだし、目を伏せた。


「結論から言えば、もとには戻らんそうだ。これまでの記憶も全てなくなり、今この姿から人生をやり直すということになる」


 カイトとイチロが複雑な表情を浮かべて「そう」と頷いた。


「ただ、これ以上小さくはならんし、普通の速度で普通に成長するそうだ」


「それは朗報だが……君の怪我は、なぜ?」


「まあ、これは……」


 ナルキーサスの問いに父は自分の右腕を見た。


「なんというか、君は信じられんかもしれんが、奇跡を一つ、もらったんだ」


「はあ? 神にか?」


「いや……神よりずっと強い人に。君にはより詳しいことはあとで話そう。それより朝食だ。雪乃の飯を食べることを俺がどれだけ切望していたか」


 そう告げて、話をさっさと切り上げると父は、見たこともない二本の棒(のちにハシという父の故郷のカトラリーだと知る)を器用にあやつって、朝ごはんをがつがつと食べ始めた。

 こうなると父は話してくれないので、皆、腑に落ちない顔をしながらも朝食に手を付け始めた。

 サヴィラもミソシィルに口をつける。今日のミソシィルもおいしい。


「雪乃、おかわり」


「はいはい」


 母が嬉しそうに父が出したカップに土鍋からコメを山盛りよそい父に返す。

 胃袋も絶好調に戻ったようで父はそれから土鍋を空にしたし、ミソシィルの鍋も父が空にした。

 それから朝食が終わり、ミツルとリックとエドワード、ヴァイパーが片づけを買って出てくれた。


「雪乃、今夜は唐揚げか、魚の煮つけがいい」


「じゃあ、唐揚げにしましょうか」


 朝ごはんを食べたばかりだというのに食後のお茶を飲みながら父が母に夕飯をリクエストしているのを横目に、サヴィラは立ち上がり、父の横のゆりかごをのぞき込みに行く。

 双子はすやすやと眠っている。


「ミルクは飲んだの?」


「ああ、六時ごろな、サヴィ、あとでおむつの替え方を教えてくれ」


「いいけど……本当に治ったの? 腕」


「治った。ほら」


 立ち上がった父にぐいっと腕をひかれて抱きしめられた。


「ちょ、父様!」


「お前が治ったら抱きしめていいって言ったんだろ?」


 くくっと笑ったマヒロにぎゅうっと抱きしめられる。気恥ずかしいし、謎だらけだが、父が元気になったことは純粋に嬉しくて、サヴィラはその背に腕を回して抱きしめ返した。

 痩せていたように感じた父の体は、以前と変わりない力強さを取り戻している気がした。


「パパ、ミアも! ミアも!」


 やきもちを妬いたミアがぴょんぴょんと足元で跳ねる。サヴィラが笑って「いいよ」と場所を交代すれば、父はミアを抱き上げて抱きしめた。

 ミアが嬉しそうに父の頭に抱き着く。可愛くて目を細めれば、横から伸びてきた細い手がサヴィラの頭を撫でた。


「ふふっ、優しいお兄ちゃんね。よかったわね、ミア」


「うん! ありがとう、サヴィ」


「どういたしまして」


「ミア、サヴィ。お前たちに一番に確認をとりたいことがあるんだが」

 

「なに? また家でも買うの? いい加減にしなよ?」


「そうじゃない。お前は父をなんだと、まあいい。……真智と真咲のことだ。戻らないのなら、お前たちと同じように、弟ではなく、俺と雪乃の子どもとして育てようと思っている」


 その言葉にサヴィラとミアは顔を見合わせ、そろってゆりかごで眠る二人に顔を向けた。

 小さな双子は、よく眠っている。

 ついこの間までジョンと同い年だった。サヴィ、サヴィくんと後をついて回られるのは、少し気恥ずかしいが可愛かった。

 関係としては父の弟だったので、叔父と甥になるのだろうが、年下なのもあったし、弟気質の二人だったので甘えるのが上手で、甘やかすのが得意なサヴィラも弟のように接していた。姿かたちはずいぶんと小さくなってしまったが、サヴィラとしては二人が弟になるのは、何の問題もなかった。


「俺は、かまわないよ。不思議な感じはするけど、家族が増えるのは嬉しい」


「そうか。ありがとう」


 父の手が伸びてきて、くしゃくしゃと頭を撫でられた。


「……ミアは、どうかしら?」


 母の問いに双子を見つめたままだったミアが母に顔を向けた。


「ミア……またお姉ちゃんになってもいいの?」


 少しのためらいを含んだ問いに母は父の腕に抱かれるミアの頬を優しく撫でた。

 きっとミアの心の中には、まだノアを守り切れなかった後悔が残っているのだろう。サヴィラの中にだって、似たような後悔は残っている。父に出会う前に天国へ行ってしまったサヴィラの幼かった家族たち。もっとなにかできたんじゃないか、もっと何かしてやれることがあったのではないか、もっと、もっと何か、何かがとそれはいつまでもサヴィラの中に後悔や未練として残っている。


「ミアは……いやか?」


 父の問いにミアは首を横に振った。


「ミアは……またお姉ちゃんになれたら、うれしいなっておもうけど、チィちゃんとサキちゃんは、ミアがお姉ちゃんでいやじゃないかな?」


「そんなことあるわけないわ。ミアみたいな優しいお姉ちゃんのこと、きっとまた大好きになるわ。もちろん、サヴィのこともね」


 母の言葉にミアは、むずむずと唇を震わせた後、嬉しそうに笑った。

 マヒロに「おろして」とねだって、ミアは下へ降りると背伸びをしてゆりかごをのぞき込んだ。父がそのわきに手を入れて双子が見やすいようにミアを持ち上げた。


「チィちゃん、サキちゃん……お姉ちゃんよ、またよろしくね」


 ミアの小さな手が眠る赤ん坊の頭を優しく撫でた。

 サヴィラも足元側からのぞき込んで「よろしく」と声をかける。


「俺もいきなり家族ができるのは慣れているけれど、小さくなったのはお前たちが初めてだよ。ふふっ、そういう規格外なところは父親似かもね。よろしく、チィ、サキ」


 布団の外へ出ていた二人の小さな足のうらをくすぐれば、くすぐったのかったのか足が動いた。


「ありがとう、ミア、サヴィ」


「よろしく頼むな」


 父と母は昨日までの、どこか不安を抱えた表情ではなくなっていて、サヴィラは人知れず安堵を感じながら笑みを返した。


「そうだ、サヴィ。一緒に温泉に入ろう。俺も温泉に入りたかったんだ」


「それより前にあそこで、ずーっと笑って待ってるキース先生にちゃんと説明したほうがいいよ。何されるかわかんないよ」


 サヴィラはダイニングの入り口で、さわやかに笑うナルキーサスを指さして言った。

 父は面倒くさそうな顔をしたが、ナルキーサスは構わず指をちょいちょいと動かして「来い」と言外に告げた。


「あなた、ちゃんと説明してきなさい」


「キースは奇跡の類なんぞ信じないんだぞ。説明が……大変じゃないか。せっかく自由を得られたのに」


「あ・な・た?」


 ユキノがにっこりと微笑んだ。

 マヒロは「すぐに行く。キース、治療室へ」と早足で逃げて行った。やっぱり母は強い。父の背にナルキーサスとイチロたちもついていった。残ったティナとアマーリアと子どもたちがこちらにやってくる。


「おめでとう、でいいのかしら?」


 ためらいがちにアマーリアが尋ねる。


「言われてみれば、その言葉がふさわしいかもしれません。不安も解消されたし、もともと家族だったけれど、形を変えて改めて家族になったんですもの」


 ユキノが柔らかに微笑んだ。幸せそうな笑みにつられるように皆、笑顔になって、口々に「おめでとう」という言葉が贈られる。


「ジョンくん、ミア、またお姉ちゃんになったの」


「よかったね。僕も春になったらまたお兄ちゃんになるけど、まさかミアちゃんが先になるなんて、びっくりだね」


「神父はびっくり箱みたいだな」


「神父さまにそっくり」


 ジョン、レオンハルト、シルヴィアと思い思いの言葉を継げる。

 確かにそっくりだよなぁと眠る双子に目を向ける。血がつながっていないので母に似ていないのは仕方ないとして、彼らの産みの母の面影というものが存在しないほど双子と父はそっくりだった。


「……将来、例えば母様が子供を産んだとして、この顔以外が産まれるの?」


 サヴィラの問いに母は頬に手を当て考えるようなしぐさを見せた。


「言われてみると真尋さんもお義父様もおじい様も、絵だったけれどひいおじい様も同じ顔をしてるのよねぇ。何が違うのか真尋さんが一番、美人だったけれど、こうやって年を取るのねって感心したものよ。あの一族は、男の子はこの顔しか生まれないのかもしれないわぁ。女性は面影はあっても、母親似ってこともあったのだけれど」


「主張の強そうな一族だね」


「そうねぇ、個性は豊かだったわ。真尋さん、父方の親戚は伯母様以外、不仲だったけれど」


「父様は好き嫌いが激しすぎるんだよ。我慢も嫌いだしね」


「サヴィのほうが大人ねぇ」


 母はくすくすと可笑しそうに笑った。


「ねえ、ユキノさん。大変そうだったから言い出せなかったのだけれど……」


 アマーリアがもじもじしながら口を開く。


「双子ちゃんにお洋服を贈ってもいいかしら? お揃いの可愛いお洋服」


「まあ素敵。私も不安要素が取り除かれたから、お洋服を作ろうと思っていたんです。子どもたちでお揃いにしたらとびきり可愛いと思って」


「あ、あの……妖精族は親しい人のところに赤ちゃんが産まれたら、特別な花冠を贈るんです。贈らせてもらってもいいですか?」


「いいの? 嬉しいわ」


 女性陣がきゃっきゃっとはしゃぎながら話すのを聞き流しつつ、サヴィラはいつの間にか目覚めている双子に顔を向けた。

 銀に黄緑と水色の混ざる綺麗な目は吸い込まれそうなほど澄んでいる。


「よろしくね、チィ、サキ」


 ささやくように告げた言葉に双子はにこっと笑って返してくれた。











「だってマヒロだからな。だってマヒロだからな。なんたってマヒロだからな」


 説明中から相槌が「だってマヒロだからな」になったナルキーサスは、ついにそれしか言わなくなってしまった。


「……真奈美さんらしいよ。俺も真奈美さんが起こした奇跡だと思うな」


「僕も」


 海斗と一路が微笑んでいった。真尋は「ありがとう」と返す。


「ところで元気になったってことは、ブランレトゥに帰るの?」


 一路の問いに真尋は「まさか」と告げる。


「療養は続ける。ブランレトゥに戻ればどうせまた仕事に追われるんだ。俺はこの療養中にやりたいことがいくつかあるんだ。キース、しばらく黙っておいてくれ」


「言えるわけないだろう。説明が面倒くさすぎる……第二小隊は君の破天荒さには慣れているから、黙っていてくれるだろうがな」


 ナルキーサスが言った。


「真面目に治癒術師をやっているのが馬鹿馬鹿しくなるな。いたいのいたのとんでいけ、なんて児戯に等しいじゃないか」


「キース、君の矜持を傷つけるつもりで言っているわけでは」


「分かっているさ。治癒術師としては到底、信じがたいが……同じ母親としては、痛いほどに君の母君の気持ちはわかる。二度と会えない息子が大けがをしていて、最後に何か願いが叶うなら、私だってその痛みをどうにかしてやりたいと心から願うよ」


 そういってナルキーサスは苦い笑みを浮かべた。

 だが、それは一瞬でナルキーサスは、にやりとした笑みを唇に浮かべた。


「黙っておいてやるかわりに、君とクロードの研究、私も仲間に入れてくれ」


「俺は君が入れば、より面白いことになると思っているからかまわんが、クロードが君におびえているんだ。ろっ骨をとられると思っている」


「失礼な。生きている間はとらん」


「そういうところだ。許可はクロードに取ってくれ。近々、来るだろうしな。雪乃たちの住民用ギルドカードのあれこれを頼んだんだ」


「真尋くんも、キース先生もほどほどにね」


 一路があきれたように言った。


「とりあえず、そうはいっても検査はするからな。あれだけ飯を食えれば、問題ないだろうが」


 ナルキーサスが言った。

 真尋は素直に従い、採血を受け、今度は自分の意思でシャツを脱ぎ、傷跡を診てもらう。


「本当にきれいさっぱりだな」


「先生、この傷跡は治らないんですか?」


 一路が言った。


「奇跡が起きてなお、残っているということはそういうことだろうな。気になるなら、そうだな……クリームでも塗ってみるか?」


「いらん。傷があろうがなかろうが、気にならん」


 ナルキーサスは、だろうな、とけらけら笑いながら血液検査の魔道具の下へ行く。

 しばらくして水晶玉に浮かび上がった結果を彼女はカルテに書き込む。


「ふむ、数値はとんでもなく絶好調だな。体に、というか主に魔力に不具合はあるか?」


 そう問われて真尋は掌の上に水の球や火の球と次々と属性魔法の球を出してみるが、どれもこれも以前と変わりなく扱えている。むしろ久々に清々しいほどに体が元気で魔力も気持ちよくめぐっている。


「……調子はよさそうだな。これはもう、何かあったら言ってくれ、程度だ」


「そのようだ。色々とありがとう。俺がこうして母さんの奇跡を受け取れたのは、君たちの尽力あってこそだ」


 ナルキーサスは「光栄だよ、神父殿」と可笑しそうに笑ってカルテをテーブルにおいて伸びをした。

 そして、兄弟へと顔を向ける。


「一路、海斗、君たちも順に健康診断を受けてもらうぞ。初期カルテを作っておきたい。そうすれば何かあったとき、便利だからな。今度からあの屋敷の主治術師は私になったんだよ。マヒロの許可をもらってな、部屋をもらったんだ」


「そうなのかい? そりゃ安心だ」


「えっ」


 何も知らない海斗は素直に喜び、夫婦喧嘩中だと知っている一路は驚いて真尋を振り返った。

 真尋は肩をすくめて返した。


「マヒロも元気になったし、双子たちも問題がないとなれば、どうせ暇だし、さっさと検査するか。おおむね、さっきマヒロにしたのと同じことをするぞ。血を採って、心臓や呼吸の音を聞いて、問診をする。さて、腕を出せ」


「はいはい」


「えっ!」


 素直に袖をめくり始めた海斗の横で、注射というものから逃げ回って生きてきた一路が頬を引きつらせた。


「キース、そこの見習いが逃げ出す可能性があるので、海斗より先に血を採ったほうがいい」


「余計なことを!」


 今まさに立ち上がろうとしていた一路を指を振って、椅子からはやしたツタで固定した。海斗が横で「大丈夫、真尋の採血だって一発で、先生は上手だったじゃないか」と声をかけて弟をなだめている。


「先生、せんせい! あの、心の準備とか……っ!!


 ナルキーサスは、こういった無駄な抵抗をする患者には慣れているのだろう「はいはい、怖くないぞ」とおざなりになだめて、自分のツタを操り一路の腕を固定すると器用に採血を済ませてしまう。


「はい、これでよし。次はカイトだが、計測器があいてからでいいか。問診をすませてしまおう」


「す、すごい、先生、今までで一番痛くなかったです!」


 一路が尊敬のまなざしをナルキーサスに向ける。


「イチロは、若いし、健康で血管もはっきりしてるしなぁ、失敗するほうが難しいと思うぞ」


「ちぃと咲のも一発で採ってくれたからな」


 あの細い腕のさらに細い血管をナルキーサスは一発で見つけて、すっと採ってくれた。

 一路の胸や腹に聴診器を当て、カルテにペンを走らせる。


「もともと何か疾患はあるか?」


「とくにはないです」


「健康でよろしい。…………ふむ、魔力の流れなんかも順調だな」


 水晶玉を確認し、ナルキーサスが言った。ナルキーサスは、海斗に腕を出すように指示を出し、同じように採血をし、聴診、問診を済ませていく。


「全員、健康で元気でよろしい。イチロは風邪をひいたらしいが、その痕跡もないくらいに元気だ」


 結果がいいから、機嫌がいいようでナルキーサスの声は弾んでいる。


「ユキノと子どもたちはこの間検査したから……あとは、リックとエディとミツルとヴァイパーとティナだな。やつらはなんだか忙しそうだし……予告してやっていくか」


「君も体調を崩さん程度にな。君に倒れられると困る」


「そりゃどうも。だが、これまでの激務に比べれば、暇すぎて、あくびばかり出て困るほどだよ。一番忙しいときは、一日の睡眠時間は、二、三時間あればいいほうだった。貴族はこちらの都合など考えず、呼びつけるからな。ジークフリートの手前、私も素直に応じたが……今は、ジークフリートより恐れられている神父殿の主治術師になったからな、だーれも私を呼ばんよ」


「なんで俺が貴族連中に恐れられてるんだ? とくになにもしていないはずだが……」


 真尋は首を傾げる。

 とにかくこれ以上巻き込まれるのは面倒だと、子どもたちに害がない限り、面倒なところにはかかわらないようにしていたのに。


「やつらは噂が大好きだからな、どれだけ秘匿したって漏れ出る話はある。とくに、裏切り者の騎士たちや、どこぞの伯爵家の三男、あの門番の騎士、やつらの末路は、彼らにとっては恐れるべき対象だったんだよ。君は異国から来た人間で、縛るものがないからな。それでなくとも、君はジークフリートだけではなく、ウィルフレッドや各所のギルドマスター、Aランクのジョシュアやレイと仲が良い。結局、ブランレトゥの貴族は、爵位と見栄しか持たん。君を敵に回すのは得策ではないと考えているようだ」


「真尋くんって、存在しているだけで怖がられることあるもんね。何か知らないけど、特にやましいことのある大人は勝手に怖がるんだよねぇ。真尋君くんは基本、雪ちゃんのことしか考えてないのに」


「不思議なことに子どもには好かれるんだけどな」


 一路と海斗が好き勝手なことを言う。


「とりあえず、こちらにいる間は、私も二十年ぶりの長期休暇と思ってのんびりと過ごすさ」


「俺もこれほどゆっくりするのは、久々だ。やりたいことがいくつかあってな。だが今は、温泉に入りたい。体を拭いたり、頭は園田が洗ってくれたりしていたんだが、さっぱりしたい」


「それだけ元気なら好きに入るといい」


「ありがとう。そうさせてもらう」


「僕は、ティナとデートしよ」


「一路、俺も」


「兄ちゃんはエディさんとお留守番だよ」


 にっこりと笑った一路はナルキーサスに「ありがとうございました!」と告げると、ティナを探しにさっさと行ってしまった。

 くるりと振り返った海斗が抱き着いてくる。


「一路が!! 冷たい!!」


「知るか。お前もいい加減、弟離れしろ。あれももうすぐ十九歳だぞ。俺は息子と温泉に入るんだ」


「俺も入るもん!」


「図体のでかい男が、もんとか言うな」


 海斗は真尋より少しばかり背が高いので、うっとうしいことこの上ない。

 引っぺがそうにも意地ではりついてくる。ナルキーサスは「仲良しだな」とけらけら笑って立ち上がる。


「マヒロ、私は少し出かけてくる。知り合いがいてな、会う約束をしているんだ」


「ついでにもっていくか、これ」


 真尋は海斗を顎でしゃくった。


「そんな大きいの目立つからいらん」


 ははっと笑ってナルキーサスも去っていく。海斗が「ひどい! みんな、ひどい!」と騒ぐのを引きずりながら、真尋も治療室を後にする。


「真尋、一路の兄離れが止まらないよっ!」


「知るか。俺の弟はなんと息子になった上、まだ二カ月。ただただ可愛さが増すだけだ」


「ずるい! ってか、一路は今だって可愛いだろ!?」


「うるさい。お前だけだぞ、そんなこと言ってるのは。あんなでかい狼を三頭も従えてる男のなにが可愛いんだ」


「お前の目は節穴か!?」


「お前の頭がすっからかんなんだ!」


 ぎゃあぎゃあと言い合いをしながら、真尋はリビングへ入る。


「あらあら、仲良しねぇ」


 ソファに座り赤ん坊を抱えた雪乃が顔を上げる。


「一路に振られて拗ねているんだ」


「ふふっ、ティナちゃんとデートに行っちゃったものねぇ」


「誘いに来たイチロさんも、ティナちゃんも嬉しそうでしたものね」


 向かいの席に座るアマーリアが言った。

 雪乃の腕の中にいるのが真智で、アマーリアの腕の中にいるのが真咲だった。


「子どもたちは?」


 リビングにいたのは、雪乃とアマーリアと双子だけだった。


「ポチとタマを探しに行ったわ。みんな、ポチに興味があるみたい。ほら、すぐにエルフ族の里に行ってしまったでしょう?」


「なるほど」


 話をしながら、雪乃の隣に腰を下ろす。海斗は鼻をすすりながら、一人掛けのソファに座った。


「ねえ、アマーリア様とね、子どもたちにお揃いの服を作ったら可愛いんじゃないかってお話をしていたのよ」


「最高だな。俺もやる」


「ふふっ、言うと思ったわ」


 雪乃が目で示した先を追えば、テーブルの上にいくつかのデザイン画が置かれていた。


「わたくし、長年、辺境伯夫人としてすることがなくて暇でしたから、自分のドレスはもちろんですけれどシルヴィアのドレスやレオンハルトの服なんかをよく作っていましたのよ。デザインも自分でお勉強したのです」


「なるほど……可愛いな」


 アマーリア作だというデザイン画を手に取る。

 双子向けのデザインなのだろう。左右対称で猫がモチーフになっている。双子が着たら可愛いことがすでに保証されているデザインだ。


「えっ……一路にも着せたいんだけど」


 海斗がジョンやレオンハルト向けと思われる犬耳の服のデザイン画を手に言った。


「収穫祭は、みんな仮装をしたりするんだって、ジョンくんに教えてもらったんですの。でもミアちゃんはすでに可愛いお耳が生えているから、どうしようかと思って」


「うちの娘はすでに完ぺきに可愛いからな。たくさん出店を見て回りたいだろうから、動きやすいのがいいな。それでいて、可愛いくて、可憐で……フリルとレース、リボンは絶対だ。色はピンク」


「ミアの服、ピンク系なのはあなたの趣味なのね」


「可愛い娘には可愛い色がいい。でもサヴィラにピンク系で作ったらお礼は言ってくれたが、一度も着てくれない」


 真尋はテーブルの上に転がっていた鉛筆を手に取り、白紙の紙の上を走らせる。


「あなたにはなかったかもしれないけれど、世の中の子どもには思春期っていう時期があるのよ? 一くんだって、今でこそ何色でも着てるけど、サヴィラくらいの頃は、ピンクはやだって言ってたじゃない」


「可愛いってずっとピンク着せてたからなぁ」


 海斗が懐かしむように言った。

 だが、こいつが言葉通り、可愛いという理由で中性的なデザインのピンクの服を選んで一路に着せていたため、一路は余計に女の子に間違えられていたのだ。それを「一路は可愛いから仕方ないよ」と丸め込んでいたのが、海斗である。十三歳くらいで、一路は服のデザインと色にも問題があることに自力で気づいたのだ。まあ、青の格好いい系のデザインの服を着たら、ボーイッシュな女の子だと間違えられていたが。


「海斗くんが充さんと仲良しなのは、似たもの同士だからかしらねぇ」


「そうかな? 俺、みっちゃんほど気が利かないけどな」


 海斗が首を傾げる。


「そういう意味じゃないけれどね」


 雪乃はにっこりと笑って話を切り上げた。

 真尋は、余計な藪はつつくまいと決めて「出来上がったぞ」とデザイン画をテーブルの真ん中に置いた。


「まあ、可愛らしい!」


 アマーリアがぱっと顔を輝かせた。

 真尋が描いたのは、ふわりとした花びらを重ねたようなスカートがかわいらしい妖精だ。日本にいたころ、こういうのが出てくるアニメを見たことがあった。

 面白いことにこれだけ魔法が満ちている世界なのに、こちらでも妖精や精霊は(これらが闇落ちしたみたいな魔物や魔獣は別でいるのに)空想上の生き物とされている。妖精族が妖精と呼ばれているのは、花をふわふわとまとう姿が、幻想的で妖精のようであったことが理由の一つとされている。


「本当、可愛いわ。妖精さんかしら」


「ああ。うちの娘は何をしても可愛いが、妖精だったらより可愛い」


「一路もこれ着てくれないかな」


「お前は一度、一路に殴られるといいと思うぞ」


 真顔で悩み始めた海斗を一瞥する。

 それから、デザインを煮詰めているうちにミルクの時間になり、双子にミルクをあげて、ポチ探しから戻ってきたサヴィラとジョンとレオンハルトと温泉を楽しみ、雪乃の料理を昼も夜も楽しみ、愛妻とわが子たちと心行くままに過ごし、真尋は久しぶりに穏やかで、自由で充足した一日を過ごすことができたのだった。


ここまで読んで下さって、ありがとうございます。

閲覧、ブクマ、評価、感想、いいね どれも励みになっております♪


次回の更新は、明日を予定しておりますが、

間に合わなかったら、来週の更新になります!!!

頑張って書きます!!!!!


次のお話も楽しんで頂けますと、幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 久しぶりの不安がなくなったほっこり日常?回ありがとうございます! 俺をなんだと思って、に対する返答は、真尋さんだと思ってますよ(笑) クロードさんはこれから肋骨をみてくるキースさんの視…
[良い点] 更新ありがとうございます、真智ちゃん真咲ちゃんがいきなり赤ちゃんに戻りどうなる事かと静観していましたが、丸く収まりホッとしました^^ 真尋氏の怪我も母の奇跡で完治!凄かったです^^
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