第四十二話 見守る女
「いやいやいや、私は……っ!」
「何、怖気づいてんの。リックは父様の護衛騎士で、父様に俺たちの護衛だって任されることあるんだから、いざというとき抱っこできなかったら困るじゃん」
「でも! 首が、首が据わってない赤ん坊なんて……っ!!」
逃げ腰のリックに真智を抱いたサヴィラが迫る。
雪乃は、ソファに座ってそれを眺めていた。
一晩明けても、真智と真咲はもとには戻らなかったが、今より小さくなることもなかった。夜中にミルクを上げた時も変化はなかった。
この問題に関して解決の糸口が見えたわけではないが、小さくならなかったという事実は、雪乃にわずかばかりとはいえ、安心を与えてくれた。
「リックくん、僕やレオンにだって抱っこできるんだから、大丈夫だよ」
「そうだぞ! 俺だって抱っこできたんだぞ! シルヴィアだってできたんだからな!」
ジョンとレオンハルトが加勢する。
夫はベッドに腰かけて、それを見守っているだけでリックの味方をする気はないようだ。
もう一方、真咲は今日も今日とて、雪乃の隣に座るマイカの腕の中にいる。ジルコンは現在、温泉を楽しんでいる。アマーリアは向かいのソファに腰かけて、隣でお人形を着せ替えているシルヴィアとミアを見守っている。その背後にはアイリスが控えている。
「じゃあ、ほら、まずは座ってやってみよう。ね? ベッドの上なら安心でしょ」
「そうだな。ベッドの上でやってみろ」
サヴィラの提案に真尋が頷いてしまったので、リックは泣きそうな顔でベッドに腰かけた。
サヴィラが彼の前に立ち、リックに腕を出すように言う。
「じゃあ、今日はまず抱き方から。リックも言う通り、首がぐらんぐらんだけど、支えてあげれば問題ないから。リックは背が高い分、腕も長いし片腕で抱けるよ。ひじに頭を乗せて、腕で背中を支えて……そう、手でお尻を支えるの。ほら、できた」
「……ち、ちいさ……いのち…っ」
語彙力を失ったリックにサヴィラがやれやれと肩をすくめる。
しばらく抱っこさせるつもりだったのだろうが、がちがちに緊張しているリックにそれは可哀そうだと思ったらしく、サヴィラは少しして真智に手を伸ばす。
「その内、自分で抱き上げられるようになろうね」
「え」
固まったリックをよそに、サヴィラが真智を受け取る。真智は嫌がるでもなく、あうあうとご機嫌に手足を動かしている。サヴィラは「元気だね」と声をかけて、一人掛けソファに座った。
「マチはいい子だね。……ふふっ、可愛い」
サヴィラの鼻に手を伸ばす真智に、息子は柔らかに目を細めている。
レオンとジョンが両側からのぞき込む。皆、表情が柔らかくて、優しい。
「そういえばみんな、お兄ちゃんとお姉ちゃんだったわね」
雪乃はそれに気づいて、思わず口に出した。
「そうですわね。レオンもサヴィラもジョンもミアも、弟か妹がいますものね。わたくしにも弟と妹がいるのですよ。アイリスも弟がいるのです」
「確かに。シルヴィア様以外はそうですね。私も弟がいるのですよ」
リックが言った。
「母様は兄弟いるの?」
サヴィラの何気ない問いにあからさまに不機嫌になった男がいる。言わずもがな真尋だ。あからさますぎて、顔がよく見える位置にいたアマーリアとアイリス、真尋の近くのリックがびっくりしている。雪乃はちらりと夫に視線をやって、苦笑をこぼす。
「兄がね、一人いるわ。といっても兄は前妻さんの子だから異母兄妹になるのだけれど」
「……父様、なんて顔してんの?」
雪乃の苦笑の先を追ったサヴィラが頬を引きつらせる。
普段が銅像並みに無表情なのであからさまにむっつりしかめっ面になった真尋に皆が驚いている。いや、隣でマイカは「顔がいいと怒ってても顔がいいね」と独特の感想を漏らしていた。
「ちょっと色々あってね。真尋さんは私の兄がこの世で一番嫌いなのよ、顔を合わせれば喧嘩ばかりで困ったものよねえ」
雪乃は頬に手を当て溜息をこぼす。
「父様は人の好き嫌いがはっきりしてるからあれだけど……母様のお兄さんなのに?」
「神父としてこちらへ来て、最大の利点はアレが金輪際、もう二度と、俺たちに干渉してこないことだ」
真尋はきっぱりと言い切った。
リックとサヴィラが顔を見合わせ、雪乃に視線をくれる。雪乃は、ますます苦笑して「困った人よね」というしかない。
雪乃も兄――昴流と真尋が、どうしてここまで犬猿の仲になったのか、本当の理由は知らない。推測としてもともと兄は病弱な雪乃を疎んでいて、真尋と仲も悪かったので、雪乃に関することで真尋の逆鱗に触れたのだろうが、雪乃が七歳、真尋が八歳の時に、決定的なことがあったらしい。真尋はそのことに関しては絶対に誰にも口を割らないので、一路や海斗も知らない。あの空気の読めない真尋の父でさえ、それ以降は二人が同じ空間にいないように気を配るほど、仲が悪いのだ。
父親と前妻は、性格の不一致で離婚したと、父からも祖父母や家政婦からも聞いている。キャリアウーマンであった前妻は、名家である黛家の旧時代的な家風が合わず、兄の昴流をおいて出て行ってしまったのだ。
雪乃の母は父の会社の秘書課で働いていて、おっとりした母を気に入った父が一生懸命口説いて、結婚したため雪乃から見ても仲の良い両親だった。もちろん、父が母へ恋心を持ったのは離婚した後、それも三年後だ。
だが昴流は、雪乃の母と父が不倫関係にあって、母は出て行ったと思い込んでいる節があって(父や祖父母も説明したそうだが聞き入れないのだ)、雪乃を疎ましく思っていたのは事実だ。雪乃を溺愛して止まない真尋と合わないのは、致し方ないのかもしれない。
「……雪乃、まさかアレもこちらに?」
「それこそまさかよ。連れてくるわけないでしょ。あなたと喧嘩することをわかっているのに……私もお兄様のことは苦手だもの」
雪乃の言葉に真尋は「そうか」とだけ言った。
だがその言葉に安堵が混じっているのが雪乃には伝わってくる。
「ううっ、ふにゃあ」
「うにゃああ」
「あ、そろそろミルクの時間だ」
泣き出した二人にサヴィラが言った。
「ママ、ミアがみっちゃんにおねがいして、つくってもらってくるわ」
「ミアちゃん、おてつだいしますわ!」
ぴょんとソファから降りて、ミアとシルヴィアがリビングを出ていく。
廊下から「みっちゃーん」と執事を呼ぶミアの声がした。
「ねえ、サヴィラ、ユキノさん。わたくしも久々にミルクをあげてみたいのだけれど、いいかしら」
「ええ、もちろんです」
ユキノが頷けば、サヴィラがアマーリアのもとに真智を連れていき、アマーリアが腕に抱く。
「ふふっ、可愛い。見るたびに可愛いって言っちゃうわぁ」
「奥様はレオンハルト様とシルヴィア様の時も、同じことをおっしゃられていましたよ」
アイリスがくすくすと笑いながら告げた。アマーリアは「だって可愛いんですもの」と微笑みながら、ミルクが欲しくて泣く真智を甘やかすようにあやす。
「朝はわたしがやったから、今度はママにやってもらいな。わたしは温泉に行ってくるでね」
そういってマイカが雪乃の腕の中に真咲を戻した。
そして宣言通り、温泉に行くためにリビングを出て行った。
「相変わらずマイペースだな」
「ジルコンの妻、って感じ」
真尋のつぶやきにサヴィラが頷く。
雪乃は、ふみゃふみゃ泣いている真咲をあやしながら、ミルクを待つ。
「父様って赤ん坊のころ、泣いたの?」
「さすがに知らん」
サヴィラの問いに真尋が肩をすくめた。
「お義母様が言うには、ほぼほぼ泣かなくて、心配で治療院に連れて行ったって言ってたわ」
あまりにも泣かないものだから、心配でたまらなかったらしい。だが、どんな検査をしても「健康優良児」の判を押されたため、タイマーをセットしてミルクをあげていたそうだ。ちなみに母乳とミルクは平均の三倍飲んでいたそうで、このころから食欲旺盛だったようだ。
「チィちゃん、サキちゃん、お待たせ」
「ごはんのじかんですわよ!」
ミアとシルヴィアが哺乳瓶を手に戻ってきた。
シルヴィアがアマーリアに、ミアがユキノに渡してくれ、ふにゃふにゃ泣いている二人の口元へ乳首を運び、薄い唇をとんとんする。するとミルクの存在に気づいて口を開けるので乳首を咥えさせれば、夢中で吸い始める。
リックの手を借りて、真尋が空いた雪乃の隣にやってきた。ミアが甘えるように真尋の膝に乗る。
「ねえ、パパ。イチロくんとティナちゃんは、いつかえってくるの?」
「手紙を出したのが昨日だからな。でも、明後日か、明々後日には帰ってくる」
「あさってっていつ? あしたよりあと?」
「ミアがあと二回か三回寝れば、帰ってくると思うが……目立たないように夜に帰ってくるだろうな」
「ポチ、まっくろだからよるなら、分かんないもんね」
「ああ」
真尋がミアの頭をぽんぽんと撫でる。
「ミア、はやくティナちゃんにあいたいなぁ。あのね、おし花のねつくりかた、おしえてもらう、おやくそくなの」
「そうか」
真尋が頷く横で、雪乃も頼れる幼馴染たちの帰還を待ちわびる。
一路は真尋と一緒に転生したので雪乃たちとは時期が違うが、一緒にこちらにやってきた海斗なら何か知っているかもしれない。あの時、憔悴する雪乃たちを支えてくれたのは、他ならない海斗だ。冷静な彼ならば、雪乃が知らなかった何かを知っている可能性もある。
「はやくかえってくるといいね」
「そうね」
ミアの言葉に雪乃は、小さく頷くのだった。
「ヴァイパーくん、ごめんね、採用の返事を忘れちゃってるみたいで。本人に確認したらすぐにポチで迎えに来るからね」
「いえ、神父さんも療養中ですし。それより、これ運んじゃいますね」
ヴァイパーは、アゼル母が持たせてくれた大量のレーズン(瓶入り)を詰めた木箱を軽々と持ち上げて、リビングを出て庭先に停めた馬車へと運んでいく。馬車のところに海斗がいて、海斗のアイテムボックスにお土産は詰め込まれているのだ。
真尋から速達便が届いたのは、昨夜のことだった。いつものハヤブサより色白のハヤブサが、アゼル家の窓ガラスを突き破って飛び込んできたのだ(ガラスは一路と海斗が弁償した)。それはいつものハヤブサよりさらに配達速度が速いらしく、書かれていた日付は、いつもなら二日前だが、それは一日前のものだった。
そこにはリックの筆跡で『双子に異変あり、至急グラウに帰還せよ』と簡潔に書かれていた。
真智と真咲に何があったのか、詳細は分からないのがもどかしいが、一路たち兄弟にとって真智と真咲は弟のようにかわいがってきた存在だ。畑の浄化を終えていた今、戻らないという選択肢はない。あとのことは、この周辺の地域の視察の予定を組んでいるジークフリートが引き受けてくれ、サポートとしてクイリーンも残ってくれることになった。
またも突然の旅立ちだったのだが、アゼル一家とシケット村の人々は、こんなこともあろうかと、といった様子で、次々にお礼とお土産の品を用意してくれ、今回も大量のお土産とともに帰ることになった。
ドラゴンで混乱を起こさないように、夜中にグラウに入りたいので出発も夜中を予定している。あと一時間ほどで、できれば出発したい。
家の中は、深夜にもかかわらずにぎやかで、皆があっちへこっちへと忙しそうにしている。
一路も今日は朝から海斗たちとともに騎士団と村長宅、そして、ポチの手を借りエルフ族の里も含めて行ったり来たりして、仕事を調整し、出発の準備を整えたのだ。
庭へ出れば、馬車の前で海斗がアイテムボックスに最後のお土産をしまっているところだった。エドワードは馬たちを馬車の反対側のドアから、馬小屋へと入れている。ポチが馬車の上にちょこんと座って出番を待っていた。
「兄ちゃん、ティナとロボたちは?」
「中で食料を冷蔵庫に入れてくれてる。ロボたちも馬小屋に乗ったよ。よし、これで全部だな」
「はい、全部です」
海斗の言葉にヴァイパーが答える。
広い庭先には、アゼル一家の人々をはじめ、シケット村の人々も深夜にも関わらず、見送りに来てくれていた。
ティナが馬車から降りてきて、どこにいたのかアゼルもやってきた。
「長い間、世話になったね。色々と気にかけてくれて、本当に助かったよ。ありがとう」
海斗がそう告げる。
「いえ、私たちのほうこそ本当にお世話になりました。名産の葡萄やワインを後世に伝えていけるのも、神父様方のお力があったからこそです」
村長の言葉に皆が一斉に頷いた。
「アゼル、しっかりやるんだぞ。父さんたちは大丈夫だからな」
「頑張って出世するから、待っててくれよ」
アゼル父とアゼルの会話に一路は、がんばれ、アゼルさん、と心の中でエールを送った。
「あ、何か飛んできた!」
誰かが叫んだ言葉に顔を向ければ、見慣れたハヤブサが一羽、勢いよく飛んできて海斗の腕に着地した。彼は学習機能があるようで、勢い余って地面に突き刺さったりガラスを突き破ったりしなくなったのだ。
海斗が嘴に咥えられて手紙を受け取り、ハヤブサを肩に移動させて中身を確認する。
「どうしたんだろ……ちぃと咲にまた何かあったのかな」
一路は不安になって急かすように兄を見上げる。
「いや、これは日付が二日前だ。ちぃと咲に何かあった……前の日だ」
「あ、もしかして後から来た二羽目の子が追い越しちゃったってこと?」
「おそらく。それよりヴァイパー! 君は採用だ! すぐに支度を!!」
「え? あ、は、はい!! ありがとうございます!!」
海斗の言葉にヴァイパーが目を丸くしながらも、嬉しそうに頷き、自分の家へと駆け出すが、すぐに足を止めて振り返った
「あの、すみません! 紅茶の棚を……!!」
「そうだった」
「じゃあ、俺が行ってくる。俺も一応、アイテムボックスは持ってるからな」
そういってエドワードがヴァイパーの後を追いかけて行ってくれた。
ヴァイパーの両親が周りから「おめでとう」「よかったじゃないか」「さみしくなるな」と声を掛けられ、場がより一層、にぎやかになる。
「し、神父様……わたしは」
騒ぎの片隅で前に出てきたのは、ラタだった。
途端に兄の眉がハの字になった。
「……ラタ、ごめんよ。君は連れていけない」
海斗がラタに真尋からの手紙を見せる。
そこにはやはりリックの筆跡で「未成年のため、うちでは雇えない。もし縁があれば十六歳になった際に、再考するので連絡を」と簡潔に書かれていた。
ラタの両親は、聞いていなかったのだろう。驚きに目を丸くしている。
「……どうしても、だめですか?」
か細い声がすがるように震えている。
一路は何と言ったらいいかわからず、口をつぐむ。
海斗が手紙を懐にしまって、片膝をついた。そうすれば背の高い海斗が少しだけラタを見上げる形になる。
「ラタ、君はご両親が好きかい?」
ラタは迷うことなく頷いた。
「なら、まだもう少しだけご両親のそばにいてあげるといい。子どもはいずれ巣立っていくものだ。でも……人生の終わりに振り返ってみれば両親のそばにいられた時間がとても短いことに気づくだろう」
海斗の言葉が胸の奥深くへ突き刺さるように響いた。
ティナがそっと一路の手を握ってくれ、半ば無意識にその細い手を握り返した。
「俺は故郷を捨てて神様に人生を捧げたからこそ、両親の愛がどれほど偉大で、どれほど……恋しいか、知っているよ。だから今はまだご両親のそばにいることが一番の親孝行だよ」
ぽんぽんと海斗の大きな手がラタの頭を撫でた。
「ラタ、神父様は約束をちゃんと覚えていてくれる人だ」
アゼルが海斗の隣に立ち、ラタと向き合う。
「だから二年後、ラタがどうしてもブランレトゥで働きたいっていうなら、俺に手紙をくれ。そうしたら必ず神父様に届けるから」
ラタの大きな丸い瞳からは今にも涙がこぼれそうだったが、アゼルの言葉に、こくん、と一つ頷いた。アゼルが「ラタは相変わらず泣き虫だな」と言って優しく笑って、ラタを抱きしめた。ラタは「なぎむじじゃないもん」と説得力のない涙声で反論しながら、アゼルの背中をぽかぽかと殴っていた。
「戻った」
「お待たせしました!」
エドワードとヴァイパーが戻ってくる。
紅茶のあれこれはエドワードのアイテムボックスの中だったとしても、驚いてしまうくらいにヴァイパーの荷物は少なかった。革製の小ぶりな旅行カバンが一つだけ、彼の手にぶら下がっていた。
「ヴァイパーくん、それだけ?」
「はい。下着類と替えの服を少しと本を二冊だけなので」
そういってヴァイパーは軽くカバンを持ち上げて見せた。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
海斗の言葉にアゼルが、ラタをぎゅっと抱きしめて、別れの挨拶のキスを頬にかわし、家族ともかわす。
ヴァイパーの両親も息子に駆け寄り別れの挨拶をする。
一路はティナを先に馬車に乗せて、そのあとに続く。海斗とヴァイパー、アゼルと続き、最後にエドワードが乗り込んだ。
「ポチ、頼むよ」
海斗が声をかければ、ポチが「ぎゃう」と鳴いて、翼を広げ徐々に元の大きさに戻っていく。
「お気をつけて!」
「ヴァイパー、アゼル、元気でねー」
にぎやかな声に手を振り返し、ドアが閉まる。
すぐにドアの窓の向こうの景色から明かりが消えて、星空一色になった。
「さて、とりあえず今夜はもう寝よう」
海斗が振り返って口を開く。
「丸一日馬車の中だから明日の朝は遅くていいよね。全員、料理はできるから、各自で朝食と昼食は済ませて。夕食当番は……」
「よければ私が。もしかしたら何か追加で連絡がくるかもしれませんし」
ティナが手を挙げてくれた。
「僕も手伝います」
それにヴァイパーが加わって、海斗が「悪いけど頼むよ」とウィンク付きで手を合わせた。
「部屋は来た時と同じでいいよね。ヴァイパーは……」
「あ、俺と同じ部屋で……いいよな?」
アゼルの確認にヴァイパーが頷く。
「じゃあ、今夜はもう寝よう」
海斗が頷き、皆で階段を上がる。一路とティナ、海斗は三階なので途中でエドワードたちと就寝の挨拶をして別れる。
「おやすみ、一路、ティナ」
「おやすみ、兄ちゃん」
「おやすみなさい、カイトさん」
お互いに挨拶を交わしあい、一路たちはそれぞれの部屋へと入っていく。
だが、一路は部屋に入る寸前で足を止め、振り返る。
「兄ちゃん!」
隣の部屋のドアノブに手をかけた海斗が不思議そうに一路を見る。先に部屋に入ったティナも首を傾げている。
「あの……その、ごめん、なさい。色々と」
兄はいぶかしむように肩眉を上げた。
「僕、自分勝手だった。兄ちゃんのこと、全然考えてなくて……パパとママのこととか、その、ごめんなさい」
ふっと笑った海斗がこちらにやってきて、一路の頭をぽんぽんと撫でた。
「いいよ。別に……俺もね、怒られるなとは思ってたんだ。俺だって一路の立場だったら、父さんと母さんのそばにいてほしいって願っただろうしね。でもほら、俺って自他ともに認められる兄馬鹿だからさ。……俺が自分で選んで、ここに来たんだ」
兄はそう言って、優しく笑った。
「申し訳ないとは思っているし、ラタに言ったように恋しいよ。でも……後悔はしていないよ。俺にとっては、一路と……そして真尋と雪乃と双子とみっちゃんのほうが大事だっただけだから」
「僕にとっても兄ちゃんは大事だよ。真尋くんたちだって……一番は、ティナだけど」
「ははっ、うん、でもそれでいいよ。さ、寝よう。体力は温存しておかないとね」
兄はぐしゃぐしゃと一路の髪をかき混ぜるように撫でると、ひらひらと手を振って、今度こそ自分の部屋に入っていった。隣の部屋のドアが閉まるのを見届けて、一路もティナの待つ部屋に入る。
「頑張りましたね、イチロさん」
「……うん。ありがとう、ティナ。ティナがいつもそばにいてくれて、話を聞いてくれたおかげだよ」
「じゃあ、どういたしまして」
そういってティナは優しく微笑んでくれた。一路も笑みを返して、彼女の額にキスをする。
「寝る仕度、しよっか」
「はい。私、洗面室、借りますね」
すでにシャワーを済ませているので、あとは寝間着に着替えるだけだ。
一路の部屋は主寝室で、シャワールームがあり洗面室もあるので、ティナがそちらに着替えに行くのを見送り、一路はその場で寝間着に着替えた。
先にベッドに寝ころび、ふう、と息をつく。
少しして、同じく寝間着に着替えたティナが戻ってきて、ベッドに上がり寝ころぶ一路の隣に座った。
「なんかバタバタしてごめんね」
「いえ……それより、マチくんとマサキくん、何があったんでしょうか」
ティナが心配そうに眉を下げた。
「あっちにいたときは、ジョンくんとレオンくんと一緒に毎日楽しそうに元気に遊んでいたんですが……どこか具合でも悪くしてしまったんでしょうか」
「詳細は書かれていなかったから……でも病気や怪我じゃないと思うんだ。だってそれなら優秀な治癒術師のナルキーサス先生がそばにいるんだもん。自力でどうにかしていると思う。大きな怪我なら真尋くんもいくら止められても、勝手に治療するだろうし……」
「マヒロ神父さんが呼び戻すくらいですから、神父さんの手に負えないことが起きているんでしょうね」
「異変、ってあったからね……」
手紙には詳細は何も書かれていなかった。
それは逆に情報の流出を危惧する意図もある。万が一、何らかの事故で手紙が紛失しても見られてもいい内容ならば、書いてあったはずだし、それなら呼び戻されることもなかっただろう。
「命に係わることじゃなければいいけど……」
ティナがいたわるように一路の頭を撫でてくれた。
「今夜はもう寝ましょう? イチロさんだって病み上がりなんですから」
「僕はもう大丈夫だけど……うん。真尋くんと雪ちゃんにこれ以上心配かけられないしね」
一路の言葉にティナが「そうですよ」と頷いて、隣に寝ころんだ。一路は、手を振って部屋の灯りを消す。
もぞもぞと動いて、お互いに心地よい位置に落ち着く。ティナを抱きしめて眠る夜は、いつだって一路に安心と幸福を与えてくれる。
「おやすみ、ティナ」
「おやすみなさい、イチロさん」
触れるだけの柔らかなキスをして、一路はティナとともに眠りについたのだった。
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