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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第一部 本編
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第八話 平原を駆ける男



「……不味い」


 地獄の底から響く様な不機嫌な声が隣から聞こえてくる。

 一路は、それを聞き流して手に持っていた携帯食料を口へと運び、顎の力を最大限発揮して、それに噛みついた。ガリッと固い音がして、ばさばさのそれが口の中で崩れて広がる。

 テント生活、五日目の朝である。テント内に吹き込む風は、今日も涼しく爽やかだ。日課である早朝の鍛錬で真尋と手合わせをし、軽く汗をかいた二人は、テント内のシャワーを浴びてから朝食を食べる。午前中は湖の傍で魔力のコントロールを兼ねて魔法を練習し、昼食を挟んでから、探索のスキルを発動させたまま森の中に入り魔獣と出会えば戦ったり薬草の採取をしたりして、日が暮れる前にテントに戻る。そして、夕食を食べて暫くは自由時間を過ごし、就寝という健康的な四日間だった。

 そして、此方へ来てから唯一の食料だったティーンクトゥスがアイテムボックスに用意してくれた携帯食料は、長さ十センチ、厚さ二センチの長方形のスティック型の固形食だったがはっきり言って不味かった。一路が鑑定した結果、小麦と大豆と木の実で出来ていて、栄養満点。旅のお供。とあったが、美食の国で育った一路と真尋にとって、耐えがたい食事であった。

 狩った獲物を食べようと思い、焼いてみたりもしたのだがこっちも筆舌に尽くしがたい不味さで、そもそも調味料も何もない状態では美味しいものは作れそうになかった。


「……不味い」


 隣からまた同じ言葉が聞こえて、ガリッというおおよそ、食べ物からは聞こえない様な固い音が聞こえてくる。


「この国の食文化の水準がこれなら、俺は自害する。あいつのことなんか知らん」


 熊も射殺せそうなほど眼光鋭く携帯食料を睨みながら、真尋が言った。

 一路は、本気でやりかねないな、と頬を引き攣らせる。

 はっきり言って真尋は、面倒くさい位に食に五月蠅い。食材の好き嫌いは無いが、味にはとことん煩いのだ。そもそも安さが売りのファストフードやカップ麵などのジャンクフード、大手チェーン店のファミリーレストランなどの料理も嫌いで、滅多に口にしないし、口にすると盛大に顔を顰めてはっきりと「不味い」と言って、箸を置く。

 そもそも真尋がこうも食に五月蠅くなったのは、もう一人の幼馴染・雪乃が原因だ。

 将来の夢は「真尋さんのお嫁さん」と公言していた雪乃は、しかし、生まれつき体が弱く、寝込むことも多々あり、スポーツにも制限を設けられて体育なんて柔軟体操しか許されていない様な人だった。だから彼女は、将来、仕事面では真尋を支えられないだろうと早々に悟って、その代わりに仕事に疲れて帰って来た真尋が家では寛いで、その疲れを癒せるようにという想いを込めて料理や裁縫、掃除洗濯など家事方面での能力を磨いた。特に共働きの真尋の両親に代わって、「花嫁修業よ」と水無月家の家事を一手に引き受け、水無月兄弟の生活をサポートし、真尋は朝も昼も夜も雪乃が用意した料理を食べていたのだが、この料理が兎にも角にも美味しかった。一路も度々、幼馴染特権で相伴に預かったが、正直、母の料理より美味しかったし、雪乃の料理以上に美味しい料理は知らない。

 そうして舌の肥えた男は、無事に食に五月蠅い面倒くさい男になったのだ。

 確かに大好きな恋人が毎日愛情を込めて作ってくれた料理を早六年以上も食べていた真尋がこんな糞不味い携帯食料に耐えられる訳が無いのだ。


「一路、もう森を出よう。町に行こう」


「え、予定じゃあと二、三日位はここにいるんじゃ……」


「そんなこと知らん。こんな不味いもんを食い続けるぐらいなら、俺は世界を滅ぼす魔王になる」


「うわぁ、これマジだぁ……」


 心の中で呟いたはずの言葉が思わず口を突いて出てしまい、ぎろりと睨まれた。さっと目を逸らす。

 しかし、このままでは間違いなく不機嫌大魔王になった真尋が世界を滅ぼしかねない。


「まあ……全体的なレベルは上がらなかったけど、スキルとか魔法とかのレベルは上がったし、町に行くのもいいかもね」


「そうと決まれば、今すぐに出る」


 そう言って真尋が立ち上がり、テントを出て行く。


「ちょっ、待って!」


 慌ててその背を追いかければ、一路が外に出た途端、真尋がテントをアイテムボックスにしまう。

 ここへ来てからのこの四日間、真尋と一路は、森に入り探検をする傍ら様々な魔獣を倒して、経験を積んだ。

 最初は、殺生をすることに迷いのあった一路だが、生きるためだと言い聞かせることで今の所、割り切ることが出来ている。もっとも、まだ解体などは怖くてできないのでその辺は真尋に任せっきりになっているのが自分でも情けない所だ。

 それでもこの四日間で一路と真尋の魔法の腕前は格段に上がった。レベルも属性によって得手不得手があって多少ばらつきはあるものの、スキルも含めてレベルを上げたことで、全体のレベルも一路は二つ、真尋は三つほど上げることが出来た。

 真尋は、一口齧っただけの携帯食料を湖に向かって投げた。真尋が解体した魔物の内臓を度々投げたので餌付けされていた筈の魚たちはいつもなら水しぶきを上げて餌を奪い合うのに、携帯食料は、ちゃぽん、と小さな音を立てただけで湖に沈んでいった。


「あの魚すら食わんものを俺に食わせるとは、良い度胸だな。あの馬鹿野郎」


 真尋が空を睨みながら言った。今頃、ティーンクトゥスが土下座しているんだろうなあ、と思いながら一路は、食べかけのそれをアイテムボックスにしまった。

 先に言った通り、倒した魔物は全部真尋が解体してくれたのだが湖に内臓を投げるとあの奇抜な色合いの魚たちが群がるのを気に入ったらしい親友は、魔物を倒すたびに湖の魚に一路の鑑定で不要と判断された内臓などを餌として与えて、水しぶきが上がるのを楽しそうに眺めていた。ただ、それは付き合いの長い一路だから楽しそうと分かるだけで、傍から見れば口元に薄い笑みを微かに浮かべた美青年が内臓を投げて群がる魚を眺める姿は、恐ろしいものに違いなかったろう。ここが森の中でなければ、魔王降臨と言われていたかも知れない。


「《探索》」


 真尋がスキルを発動させる。


「特に魔獣と魔物以外は何もいないな」


「でも、本当に町の方角とか分かるの」


「当たり前だ。落ちてくるときに確認済みだ。それに地図もある」


 そう言って真尋がどこからともなく一枚の地図を取り出した。


「こんな地図、あったけ?」


「取説の最後に挟まっていた。昨夜、見つけたんだ」


 そう言って、真尋が地図を広げる。


「結構、距離があるね。森の中で一泊は覚悟しないと……」


「絶対に嫌だ。俺はせめて普通の飯が食いたい」


 そう言って真尋は太陽と地図を見比べて腕時計を使い方角だけ確認すると地図をしまう。


「でも森の中にレストランとかな、い……うわぁっ!」


 最後まで言わせてもらえず、再び肩に担ぎ上げられた。確かに一路は小さくて細い方だが、れっきとした男である。それを軽々と担ぎ上げる真尋はおかしい。それにこの数日、何度も一路は真尋にぶん投げられている。確かに筋力は増したと一路も思うが一路には真尋をぶん投げることは出来そうにもない。


「ちょっと、真尋くん!? 何する気!?」


「舌噛むぞ。黙ってろ」


 あっけらかんと言って、真尋は一路を肩に担いだまま思いっきり、地面を蹴り上げた。

 そして、トン、トーンと空中を軽やかに飛び跳ねるようにして森の上を走って行く。


「へ? は?」


「風魔法をアレンジしてみた。ウィンドリフトといって風の力でものを持ち上げる魔法があるんだが、それを縮小して、俺の足が踏むポイントに発生させているんだ。それを踏んで蹴ることで、こうして空中を走れる」


 涼しい顔で告げる親友は、どこまでも淡々としている。一路はもう驚くのにも疲れて「ああ、そう。なら、せめて僕が探索をするよ」と力ない返事を返し、全てを諦めて真尋に担がれることにした。こちらへ来てからずっと過ごしていた湖があっという間に小さくなっていく。


「真尋くん、せめて抱っこが良いなぁ。僕も前を見たいんだけど」


 そう告げれば、真尋が一路の体勢を変えた。だが抱っこでは無く、小脇に荷物のように抱えなおされた。


「いや、確かに見えるけども!」


「俺は、抱っこは雪乃と弟と子ども以外にはしない主義だ」


 そう言って真尋は軽やかに空を駆ける。一路は、ああそう、と二度目の諦めを口にして、景色を楽しむことにした。何事も切り替えが大切だ。


「あれが町?」


 遥か彼方に灰色の小さな塊が見える。これだけの距離にも関わらずはっきりと目視できるということは、かなりの規模だと予測できた。


「ああ。そうだ。地図によるとブランレトゥという名前らしい。規模は大きそうだが流石に地図だからな、中身までは分からん」


「そりゃあ地図は地図だからね。あ、そういえば、取説の最終章読んだ? 僕、魔法覚えるのに必死でまだ読んでなかったんだけど……なんだっけ、森から出て町へGO!だっけ?」


「糞みたいな内容だった。町に行ったら領主や商業ギルドにお願いして早速教会を建てよう!と書いてあったから、真剣に読むのを止めた。そんな事を書く前に町の情報とかこの国の歴史が知りたかった」


 真尋がきっぱりと言い切った。

 ティーンクトゥスはどうにもこうにも爪が甘くて、ちょっと阿呆っぽい所がある。人間の形をしているが神様だから仕方が無いのかもしれない。


「町に行ったら、まずどうしようか? 宿を探す?」


「その前に飯だ。飯を探す。この際、多少不味くても文句は言わん。口の中の水分を奪わないものが食べたい」


 余程、あの携帯食料が嫌なんだなぁ、と一路は乾いた笑いを零す。


「じゃあ、ご飯食べてから宿を探そうか。宿で落ち着いて、ゆっくり眠って英気を養おうね」


 一路の言葉に真尋が、こくりと頷いた。

 森がだんだんと遠のき、平原へと変わっていく。どこからか町へ向かって伸びる人々が踏みしめて出来た道へを見つけると真尋は漸く地上に降りた。だが、真尋は一路を小脇に抱えたまま、速度を落とすことなく駆けて行く。この人には重力とかは関係ないのかもしれないと失礼なことを考えていると、一路が広げていた探索に何かが引っ掛かる。


「真尋くん、んー、五キロ先に人がいる。馬もいるから、荷馬車っぽいから移動中の人かな? でもちょっと数が多いな」


「どういう意味だ?」


「数が多いっていうか、荷馬車を追いかけているみたい……あ、止まった」


 どれ、と呟いた真尋も探索のスキルを発動させた。

 一キロ先、荷馬車を人間が数名囲んでいて、荷馬車を引く馬以外にも三頭ほど確認できた。近くにある藪からも何人かが飛び出してきて数が増える。


「ふむ、追剥か盗賊の類か?」


「ええ、物騒だねぇ」


 真尋の言葉は恐らく正解だと一路も思えて、頬を引き攣らせる。


「助けて恩を売るか。売れそうになかったら、さっさと去ろう」


「……大丈夫、かな」


 相手が人であることに強張った声が出た。それに気づいた真尋が足を止めた。

 もう集団は目と鼻の先だった。何やら声が聞こえるが、何を言っているかまでは分からない。真尋はそのまま近くに生えていた木の向こう側へと歩いて行く。大きく太い木だ。真尋と一路なら隠れられるくらいの大きな木。


「殺す必要はない。幾らこの世界が物騒だからと、無理に命を奪うことは無いんだ。いつか生きるためにそうせざるを得ないこともあるかも知れないし、そんな俺達を甘いと言う奴らもいるだろうが、俺は、人の命を奪うことに何も感じない人間にだけはなりたくないし、一路にもなって欲しくない。俺は、我が儘にもそういうことに怯える一路のままでいて欲しいと思っているんだ」


 地面に降ろされて、ぽんと俯いた頭の上に手が置かれた。

 木漏れ日が足元で揺れている。


「しかし、俺は出来た人間では無いから、一路が殺されそうになったら俺は躊躇いなくそいつを殺すだろう。一路がそのことで心を痛めると分かっていても、俺は躊躇わない」


 頭に置かれた手に遮られた視界の向こうで、彼はどんな表情をしているのだろうか。きっと、誰かから見たら鉄壁の無表情のままに見えるのだ。でも、その強い意志を宿す真っ直ぐな眼差しのその奥に、ほんの少しの哀しみや弱さを、その言葉にだって乗せることのなかった微かな躊躇いを滲ませているのだ。


「僕だって、真尋くんを喪いたくはないよ、絶対に」


 一路は、真尋のように明確な言葉には出来なかったけれど、一路の意思は正しく真尋に伝わったのだ。頭の上に乗せられた手が一瞬だけ強張ったのがその証拠だ。


「……ありがとう、真尋くん」


「礼を言われる程のことじゃない。俺だって、まだそんな覚悟は出来ていないんだからな」


 その手が離れて顔を上げれば、相変わらずの無表情がそこにあった。真っ直ぐな力強い意志を宿す瞳には、もう何の陰りも無い。

 一路の顔を見た真尋は、少しだけ首を傾げて思案した後、何かを納得して頷いた。


「よし、大丈夫そうだな。じゃあ行くか」


「その前にローブか何か着て行こうよ。旅人装うにしても僕ら軽装過ぎるし」


「……確かに。あまりに軽装過ぎるな」


 真尋もそれに気付いて、二人はボックスからローブを取り出した。フード付きでふくらはぎの中ほどまである。一路のローブは深い緑色で真尋のローブは濃い瑠璃色だった。胸の辺りで紐を結ぶ。袖は浴衣の様になっているが、ただ輪っかをくっつけたかのようなデザインで、袂に何かを入れることは出来ない。


「せめて鞄とかあれば良かったよね」


 そうはいってもやはりローブだけでは、二人とも軽装だ、旅の途中だというなら何かしらの荷物が有れば良かったのだが、生憎とボックスにはそういったカモフラージュに使えるようなものはなかった。


「……せめて長旅を装ってローブに土と草でもつけとけば、それっぽいだろう」


 言うが早いか、真尋が手を翳せば二人のローブは一気に草臥れて、長いこと旅をしたかのような姿になる。


「凄いね」


「隠蔽スキルの一つだ」


 フードを被りながら真尋が言った言葉に、成程、と頷き、一路も彼に倣ってフードを被った。

 真尋は、腹が減った、と腹を擦る。真尋は驚くほど食べる。一路だって成長期の男子高校生並みの食欲はあるが、真尋は人の三倍くらい食べるのだ。そんな彼はやはりあの携帯食料では味も量も満足できなかったのだろう。

 ガキンッと鉄と鉄のぶつかり合う音が聞こえて、二人は振り返る。のんびりしていたが、相手は盗賊に襲われているかもしれないのだ。


「行くぞ、一路」


「うん!」


 真尋が木の影から駆け出し、一路もそれに続く。

 藁を積んだ荷車を一頭の馬が引いている。背の高い金茶の髪の男が剣を片手に奮闘している。彼の足元に二人ほど、転がっていた。荷馬車の上には、彼の家族と思われる若い女性と幼い子供がいて、女性が子供を庇う様に抱きしめて、水の膜を張り巡らせて、盗賊たちを退けようとしていた。盗賊の数は、男と対峙するのが五名、女子供を襲おうとしているのが三名の計、八名だ。三名は馬の上から女子供を無理矢理、馬の上に乗せようとしている。


「一路、子どもと女性を!」


「分かった!って、うわ!」


 だから投げないでよ、と叫んだところで一路の体は宙を舞っている。後で絶対に文句を言ってやる、と決意しながら一路は水で足場を作って、女性の二の腕を掴んだ男を蹴り落とした。馬の嘶きが辺りに響き渡る。


「なっ!」


「《アイスロック》!」


 馬から落ちた男が体勢を立て直す前にその足と手を氷の枷で拘束する。一路は空になった馬の鞍の上に降り立ち、突然の闖入者動揺する馬上の男達に向かって飛び上がった。此方に向けて手を構えた二人が呪文を完成させるより早く、一路は最初の男と同じように二人を馬上から蹴り落とした。


「何だお前は!!」


思ったより早く体勢を立て直した男たちが着地した一路に向けて、さび付いた剣を振り下ろしてくる。一路はそれを氷の盾で防御した左腕で受け止めて、もう一人には足払いを掛けて転ばせる。そのまま横へ転がり、跳ねるように飛び起きて回し蹴りを剣を持った男の側頭部に決める。脳震盪を起こした男は、白目をむいて気絶した。


「危ない! 後ろ!」


 子どもの叫び声に男の手から落ちた剣を即座に拾い上げて、後ろから降り下ろされた棍棒を受け止める。拮抗した力に男が一度下がるが、一路は攻めの姿勢を崩さず、男に剣を振り下ろす。男は、棍棒で辛うじて一路の攻撃を受け止めるが、さび付いているとはいえ、鉄の塊である剣に男の棍棒が悲鳴を上げ始める。ずっと同じところで一路の剣を受け続けているのだから当たり前と言えば当たり前だ。一路がそう仕向けているのだから。

 男が突然現れた足元の石に躓いて体勢を崩した。一路はその隙を逃さず、剣の側面を男の肩に振り下ろした。骨の砕ける嫌な感触に顔を顰めるが、そのまま男のみぞおちに剣の柄頭を叩き込んだ。男は、絞り出した様なうめき声をあげて泡を吹いて崩れ落ちた。


「思ったより弱くて良かった」


 一路は、ほっと溜息をついてそう零してから、気絶した二人にアイスロックをかけて拘束する。一人目の男が何やらわーぎゃー呻いていたので、首に手刀を落としておいた。

 一路が体術のスキルを持っていたのは、元々、真尋に鍛えられていたからに他ならない。真尋自身は、彼の祖父に教わっていて、一路は素の真尋から最低限身を守れるようにとある程度のことは教わっていた。もっとも、真尋が教えているのだから、それが最低限な訳は無いのだが、鈍い一路が知る由もない。


「あ、あの……!」


 女の人の声に一路は振り返る。

 明るいアンバー色の髪に空色の瞳の女性が金茶色の髪の七、八歳くらいの息子ともう一人、遠目には分からなかったが二歳くらいの子供を抱き締めたまま、不安そうにこちらを見ている。


「あ、大丈夫ですよ! 怪しいかもしれないですけど、通りすがりの……ええっと、通りすがりの……そう! 通りすがりの旅人です!」


 一路は、ローブの埃を手ではたきながら慌てて言った。


「お子さんたちも、お母さんも怪我は無いですか?」


「お兄ちゃん、お父さんのところにもいっぱい、盗賊がいるんだ!」


 子供が泣きそうな顔で後ろを指差した。一路は、ぴょんと飛び跳ねて荷車の上に飛び乗る。少し離れた所に真尋とこの子らの父親が先ほどより数を増やした盗賊に囲まれていた。何故か五人が九人になっている。馬の足元に転がっていた切られた盗賊二人に視線を向ければ、意識を取り戻しそうだったのでアイスロックを掛けておくのを忘れない。

 一路は探索のスキルを展開するが、これ以上は増えなさそうだ。

 真尋は父親と背中合わせで立っている、父親の方は遠目にも立派な剣を構えていてその姿に隙は無い。一方の真尋は右手を前に、左は拳を握り腹辺りに構えている。


「あっちの背の高いお兄さん、僕の連れなんだけどね」


 一路は真尋を指差す。


「素手でキラーベアを狩れるくらいには強いから、盗賊に負けることは無いと思うよ」


 二日前、森の中で出逢った体長三メートルを優に超える背中に岩の生えた熊を真尋は、魔法無しの体術だけで倒していたので、しがない人間である盗賊に負けることはまず無い。寧ろ、真尋を倒せるならその盗賊は、盗賊王か何かになれる。

 一路は、ぴょんと再び荷車から飛び降りて、アイスロックを掛けたばかりの二人の首にも手刀を落として再び眠っていてもらう。出血が酷かったので治癒を軽くかけて止血をし、そのままそれをずるずると引きずり反対側で気絶していた三人と共に纏めて氷の縄で縛り上げておく。盗賊たちの服を破って、猿轡を噛ませておくのも一路は忘れない。

 盗賊たちが乗っていた馬は、少し落ち着かない様子で地面を蹄で搔いているが、暴れ出したりする様子はなかったので光の治癒呪文の一つであるリラックスをかけてやり、氷で作った杭に繋いでおく。三頭の馬は、栗毛、葦毛、青毛でどの馬も盗賊が所有していた割に立派で綺麗だった。鞍も上等なものだから、もしかしたら盗まれた馬かもしれない。この世界に動物はいない、いるのは魔物か魔獣とティーンクトゥスが言っていたので、後でこの馬も鑑定してみれば、地球の馬との違いが分かるだろう。


「ほ、本当に強い……」


 男の子が呆然と呟く声に顔を上げて、丁度、様子を見ていた灰色の馬の上に跨った。高くなった視界で丁度、真尋が彼の二倍は横幅のありそうな大きな斧を手にした大男に向かって駆け出したところだった。そのまま男の間合いに躊躇いなく入り込み、振り下ろされた斧を僅かに体を捻って交わすとそのまま、男の顎にアッパーカットを決めた。男ががくりと膝から崩れ落ちたところに、真尋は容赦なく首に踵落としを決めて完全に落とした。剣を構えた別の盗賊が二人、真尋に襲い掛かったが、真尋はウィンドボールを腹に叩きこんで二人をふっとばした。

 一路は、一親の方へと意識を移す。父親は、どうやら盗賊の中でも手練れらしい男と剣を交えていたが、全く劣る様子はなく、寧ろ猛攻をしかけ、合間合間に炎での攻撃も繰り出して、自身に切りかかって来る雑魚を蹴散らせていた。盗賊の剣が弾かれ、肩に剣が突き立てられるのと真尋が最後の一人に一本背負いを決めたのは同時だった。


「君のお父さん、強いんだねぇ」


「夫は元冒険者だったんです」


 一路の呟きに女性が答えてくれる。

 成程、と一路は頷いて返す。男の子が「お父さーん!」と大きな声で父親を呼べば、剣を鞘に戻した父親が降り狩って片手を上げて見せた。真尋と二人がかりで男たちを縄で縛り上げて、こちらに引きずって来る。


「一路、怪我は無いか?」


「無いよ。大丈夫。真尋くんも大丈夫そうだね?」


「ああ。こいつら見かけの割にあまり強くなかったからな」


 戻って来た真尋が一路を見上げて行った。馬上にいる今は、一路の方が真尋を見下ろす形になる。いつもと逆なので新鮮だ。


「プリシラ、ジョン、リース、無事か?」


「お父さん!」


 息子が荷車の上から父親に飛びついた。父親は、息子をぎゅうと受け止めて、無事よと表情を緩める妻を見上げてほっとしたように息を吐きだした。母親の腕の中にいた小さな男の子が、恐怖が解けた安心に声を上げて泣き出し、母親が慌てて抱き締めて背を擦る。

 父親が息子を腕に抱えたままこちらへとやって来る。真尋よりも背が高く、がっしりとした体つきをしていて、その肌は健康的に日に焼けて居る。金茶色の髪にセピア色の目をしていた。彫の深い顔立ちは、整っていて人柄の良さや優しさを感じる。年のころは、三十代半くらいだろうか。


「俺は、カロル村のジョシュアだ。助けてくれてありがとう。俺一人だったらなんてことは無かったんだが、家族が居たから本当に助かった」


 そう言ってジョシュアが、深々と頭を下げた。


「顔を上げてくれ、俺達は通りすがりの旅人だ。腕に少しばかり覚えがあって助けに入っただけだ。家族に絡む盗賊さえいなければ、あなたの言う通り、あいつら程度ならあなた一人でどうにかなっただろう」


 真尋は肩を竦めて言った。つまり、真尋から見てもこのジョシュアという男がとても強いということだ。


「だが、事実、助けられたんだ。お礼を言わせてくれ」


「私は妻のプリシラです。私からも、本当に助かりました。子供たちが無事だったのは、お二人のお蔭です」


 プリシラが頭を下げれば、一つに縛られたハシバミ色の長い髪がさらさらと肩から落ちた。ジョシュアに比べると随分と若く見えた。一回り位は違うのではないだろうか。彼女も同じように健康的に日に焼けた肌をしているが、愛らしい雰囲気のある美人さんだった。

プリシラの腕の中で泣き止んだ男の子は、母親譲りの空色の瞳で一路たちをじっと見つめている。泣いた名残か、彼の金茶色の睫毛はまだ涙に濡れている。


「お兄ちゃん、ありがとう」


 父親の腕に抱かれた男の子が、にこっと無邪気な笑顔を浮かべる。

 その笑顔に一路は心が和んで自然と笑みが浮かんだ。真尋もそれは同じだったようで、彼は「大丈夫そうだな」と呟くとフードを脱いだ。どうやら恩を売ることにしたようだ。一路もそれに倣ってフードを脱いだ。


「挨拶が遅れてすまない。俺は真尋、こっちは連れの一路だ」


「初めまして、一路です」


「ところでこれも何かの縁。聞きたいことがあるんだが……」


 真尋が声を掛けるが、返事はない。

 ジョシュアもプリシラもある一点を見つめて口をあんぐりと開けて固まっていた。父親の腕の中の息子も母親の腕の中の幼い息子さえもぽかんと口を開けて固まっている。そんな彼らの視線の先を追えば、真尋が居た。


「どうかしたか? 何か不具合でも起きたか」


 真尋が眉を寄せて案じる。一路も何かあったのだろうか、と首を傾げるがジョシュアは口をぽかんと開けたまま固まって動きそうにない。


「お兄ちゃん、凄く綺麗だね」


 ジョンの言葉に、成程、と一路は頷いた。

 毎日一緒にいる上に十三年も見ているからよく忘れるのだが、真尋の顔面偏差値はかなりのものだ。町を歩けばスカウトされるし、学校にはファンクラブまであったほどだ。

 男の色気を感じさせる涼やかな美貌は瞬きをしなければ、人形か何かかと見紛うほどに目も鼻も口も彼を構成する全てはその美貌を際立てるための位置に収まっている。

 故に大抵、初対面の人間はびっくりして固まる。人間、綺麗すぎるものを目にするとすんなりと信じられないものなのだ。森の中には魔獣や魔物しかいなかったので分からなかったが、それはどうやら異世界でも通用することらしい、と一路は一人納得する。


「ど、どこのお貴族様ですか……?」


 ジョシュアが蒼い顔で首を傾げる。まあ一般人、ましてや農民には見えないよね、と一路はうんうんと頷く。真尋がジト目を向けて来るが、やっぱり綺麗に受け流す。


「俺は貴族では無い。一路も同じだ。確かに少々裕福な家の出ではあるが……遠い遠い故郷を出て一路と二人、旅の途中なんだ」


「は、はぁ……」


「少しばかり閉鎖的な所で育ったので、あまり世情に詳しくない。だから、助けたお礼にあそこに見える町まで案内してくれないか? それ以外にも手を借りたいんだが」


 ジョシュアとプリシラが顔を見合わせた。

 

「俺達も飼い葉を昔馴染みの宿に届ける予定だったので、それは構いませんが……」


 やけに丁寧になってしまった口調に真尋が蟀谷を抑え、一路は苦笑を零す。まさか真尋の美貌にこんな弊害があるとは考えていなかった。それに生まれた時から染み着いている真尋の自然と人を従わせることに慣れている口調や雰囲気も誤解を招く一因なのだろう。


「敬語もいらん。俺は貴族ではないと言っているだろう。手打ちにするようなことも絶対にない」


「ですが……」


「じゃあ、マヒロお兄ちゃんとイチロお兄ちゃんって呼んでもいい? 僕のことは、ジョンって呼んで!」


 父親の腕の中にいた男の子が嬉しそうに言った。ジョシュアとプリシラが、こらと窘めるが真尋は「構わない」と声をかける。真尋がおいで、と腕を伸ばせば、ジョンは嬉しそうに真尋の腕の中に納まった。


「ほ、本当にお貴族様じゃないのですか?」


 プリシラが恐る恐る尋ねて来る。


「本当です。貴族じゃないなんて嘘を吐いてもしょうがないじゃないですか」


 一路はこくこくと頷いて馬から降りて、真尋の隣に並んだ。

 ジョシュアが、真尋と一路の顔をセピア色の瞳で順繰りに見つめた後、ふっと息を吐きだして小さく笑った。


「これも何かの縁ですね。助けて下さったお礼に町まで案内します」


「ありがとう、とても助かる」


 真尋がジョンを抱えなおして、右手を差し出せばジョシュアが、その手を握り返し二人が握手をする。一路もジョシュアと握手を交わし、僕も、と強請るジョンと躊躇いがちに手を出したジョンの弟、リースとも握手を交わした。


「それで、この盗賊共はどうするんだ?」


 真尋が足元に転がる盗賊たちを一瞥して言った。


「全員、生きているのでこのまま連れて行きます。門の所で……」


「敬語は要らんと言っている」


 真尋が話を遮れば、ジョシュアは困ったように眉を下げた。だが、真尋が譲らないと分かると降参だという様に両手を上げた。


「分かりまし、分かった。このまま連れて行く。確か、あの斧を振りまわしていた男と俺が最後に倒した男には、賞金がかかっていた筈だから、少しばかり金が貰える」


「盗賊は、捕まるとどうなるんだ?」


「特例でもない限り、犯罪奴隷になるな。盗賊団の頭とかで賞金がかかっていたりすると処刑される場合もある」


 ジョシュアは、荷車の後ろに向かうと両手を荷車に向ける。


「《ウィンドボート》」


 ジョシュアが呪文を唱えると透明で僅かに周りの空間とは違う風の流れを持つボートが出来上がり、ジョシュアはそこに盗賊を積み上げていく。ジョンを荷車に戻した真尋と共に一路もそれを手伝い、ジョシュアに肩を刺された男の顔色が白くなり始めていたので、真尋が治癒魔法を掛けて血を止め、少しばかりHPも回復させた。


「……光魔法まで使えるのか?」


「俺は風と光の属性を持っているからな」


「僕は、水と光です!」


 ジョシュアが驚いたような顔で見て来るのに、やっぱり光属性は珍しかっただろうかと首を傾げるが、ジョシュアはそうか、と言っただけですぐに盗賊に意識を戻してしまった。


「その馬はどうする? 基本的に盗賊を捕まえた場合、こいつらの財産は捕まえた奴の物になるんだ」


 その言葉に一路と真尋は顔を見合わせ、馬を振り返る。

 この馬も盗まれた馬では、と思ったのだが、よくよく考えてみれば馬は人が乗って、或は荷を引いて、人と共に生きているものだ。おそらく、盗賊たちが乗っていたということは、この馬の飼い主たちは既にあの世に居る可能性の方が高い。


「……この国の移動手段は馬だったな……一頭ずつ貰っておくか?」


「交通手段が馬なら、預ける所もあるだろうからね。馬がいる方が便利だと思う」


 一路は、葦毛の馬に手を伸ばす。濃い灰色の馬は、白い鬣と尻尾を持っている美しい馬だった。馬は、一路が伸ばした手に鼻先をくっつけ、顔を摺り寄せて来る。額をその鼻面にくっつけると甘えるようにすり寄って来て可愛らしい。


「なら、俺は……お前にしよう」


 真尋が手を伸ばしたのは、青毛の立派な馬だった。艶やかな黒い体は滑らかな筋肉が浮かび上がっている。馬は、真尋の手に顔を摺り寄せると頭を下げて真尋を受け入れる。

 一路の選んだ馬は甘えん坊で真尋の馬は礼儀正しい性格の様だ。

一路は、鐙に足を掛けて馬に跨る。少し草臥れてはいるが、今の所は馬具も大丈夫そうだ。真尋も馬に跨り、手綱や鞍の調子を確かめる。

二人が馬に乗れるのは、これも真尋の祖父に仕込まれたからに他ならない。真尋の祖父は、とてつもないアウトドア派のお爺さんなのだ。

 ジョシュアが残った栗毛の馬に跨った。


「なら、俺はこいつを貰ってもいいか? 村へ帰るのにいい土産が出来た」


「勿論大丈夫だ。だが先に選んでしまって良かったのか?」


「馬を取り戻したのは、イチロだから、寧ろ、もらえるだけ有難い。こいつも結構、良い馬だしな」


 ジョシュアが栗毛の馬の首筋を撫でて言った。馬は、くすぐったそうに首を振って、ブルルンと鼻を鳴らして答えた。

 盗賊に出くわすまではジョシュアが座っていたのであろう御者席には、プリシラが座り、ジョンがリースを抱えるようにして藁の山に座り直した。


「二人が行きたいのは、ブランレトゥで良いか?」


「ああ。その町のことやこの地域のことについても詳しく教えて貰えると有難い」


「分かった。俺はそんなに学は無いからな、難しいことは聞かないでくれよ?」


 そう言ってジョシュアは茶目っ気たっぷりに笑った。



ここまで読んで下さって、ありがとうございました!

ブクマ登録、本当にありがとうございます!

漸く、二人が森を出てくれました!次のお話でアルゲンテウス領最大の町「ブランレトゥ」に参ります!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 魚も食べないクソマズ携帯食で5日も我慢した真尋くんめちゃくちゃ偉い。
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