第三十五話 提案する男
「温泉楽しみだね」
「こっちの温泉はどんなのかな? サヴィくん、知ってる?」
「俺も初めてだよ。楽しみだね」
「ミアはねぇ、ママとはいるのよ!」
「よかったね、ミアちゃん」
「いーねー」
真尋が療養している治療室で子どもたちは、楽しそうにグラウでのあれこれについて話をしている。
それを眺めていると、治癒力が勝手に高まる気がするので健康にいい。雪乃もにこにこしながら子どもたちを見つめている。
真智と真咲が精神的に不安定なこともあって心配していたが、サヴィラとミアとはうまくやってくれているようだった。
二人とも過酷な環境で生きてきた分、人の気持ちに敏感だ。故に言葉選びが優しいので、真尋が留守にしている間に子どもたちは随分と仲良くなったようだ。
「ジョンとリースも一緒に行けたらよかったのに」
真智がつまらなそうに唇を尖らせる。
「僕も行きたいけど、リースはまだお母さんかお父さんがいないとお泊りできないし、僕まで行っちゃうとレオンが寂しいでしょ?」
ジョンは本当にいい子だな、と胸がジーンとする。
リースは幼いのでジョンの言う通り、保護者なしで連れて行くのは難しいが、ジョンなら連れて行っても問題ない。真尋は動けないがリックもいるし、サヴィラも充もいるし、何よりジョン自身がしっかり者だ。
だが、レオンハルトとシルヴィアはそうもいかない。彼らは領主家の子息だ。はいそうですか、と簡単に旅行は認められないのだ。真尋が万全の状態であれば、それも可能かもしれないが、今はまだ魔法も制限されている上に、ろくに動けないのでいざという時に困る。
「そういえば、グラウの観光案内本が図書室にありましたよ。以前、掃除していた時に見つけたので、大分古いものですが」
思い出したようにリックが言った。
子どもたちが一斉に振り返る。
「リックくん、それ本当?」
真咲が声を弾ませる。
「ええ。ブランレトゥ周辺の観光名所をまとめた本でした。確か……地理の棚だったかな」
「パパ、さがしてきてもいい?」
「ああ、いいよ。リック、一緒に行って探してやってくれ」
真尋が頷けば子どもたちは、はしゃぎながら部屋を出ていく。リックが「了解です」と笑ってその背を追いかけて行った。
子どもたちがいなくなると部屋は途端に静かだ。
「いっそ、アマーリア様も一緒に行けたらいいのに」
雪乃がぽつりと呟いた。
顔を向ければ、目が合って「だってね」と雪乃が切り出す。
アマーリアは真尋の容態が落ち着いてから、一度だけお見舞いに来てくれた際に会ったきりだった。何かあったのだろうか、と雪乃の言葉を待つ。
「領主様が冷たい態度で旅立ってしまったから、とても落ち込んでいるのよ。そもそも喧嘩をしておいて、謝罪も言い訳も説明もなく『君はここにいろ』ってありえないと思わない? 真尋さんだったら絶対に説明してくれるもの」
「当たり前だろ? 不自由を強いるなら相手に納得してもらわなければ、関係は破綻する。……ところで本当に、それだけだったのか? 俺は潔く土下座しろって言ったんだが」
「あなた、アドバイスが雑なのよ……」
雪乃が呆れたようにため息を零した。
真尋はいつだって雪乃がマジで怒り狂っている時(説教モードを超えると、彼女は口をきいてくれなくなる)には、潔く土下座をして許しを乞うてきた男である。だからこそ、ティーンクトゥスにだって完璧な土下座を伝授できたのだ。
「だが……そうか、いっそアマーリア様も連れて行くのはいいかもな。ウィルフレッド閣下に相談してみるか」
「本当? 許可下りるかしら?」
雪乃が顔を輝かせる。なんと可愛いんだろう、と真尋は左手を伸ばして、その頬に触れた。
「それは閣下次第だから、まだ誰にも言わないようにな。下手に期待だけさせたら可哀想だ」
「うふふ、分かったわ」
嬉しそうな妻に、どう閣下を言いくるめて夫人を連れて行くかな、と思考を巡らせながら彼女の頬に触れる手に力を籠める。そうすれば、察しの良い妻はちゅっと真尋にキスをしてくれた。
ひとしきり、じゃれ合うようにキスを交わし合ってから、真尋は園田を呼ぶ。
「はい! なんでございましょう!」
園田は今日も元気よく現れた。
「ウィルフレッド団長閣下に、話したいことがあるので時間を作ってほしいと連絡を入れておいてくれ。レベリオ殿は厄介なことになるので置いて来るようにと。それと、話し合いの際はカロリーナ小隊長殿と、アマーリア夫人の護衛騎士のどちらか一名も呼びたいとも伝えておいてくれ」
「話し合いは早いほうがよろしいですか?」
「ああ。できる限り」
「かしこまりました。他にご用はございますか?」
「他にはないが……もともとこの家は俺と一路が住むために買った。将来的に一路が嫁をもらうだろうから、それを見越して二世帯くらい住めそうな家をと思ったんだが、思いのほか、大きくてな。紆余曲折経て、住民は増えたが屋敷の管理を専門とする者はいなかった。お前の仕事ではあるが、量が多いだろう。必要とあればお前の判断で使用人を他に雇っても構わんぞ」
「今のところは大丈夫でございます。プリシラ様やクレア様がこれまで屋敷をきちんと整えて下さっていましたし、お庭はルーカス様に任せきりでございますから。ただ屋敷全体の把握に少々時間はかかっています。仕掛けが色々とありまして」
「確かにな。俺が見つけた仕掛けだけでもかなりの数だ。あとで照らし合わせよう。子どもたちが迷い込んでも困る」
「それは盲点でした。あとでこれまで発見したものを書いた見取り図をお持ちします」
「頼む」
「充さんがあれこれと細やかに気を回してくれるおかげで、プリシラさんもクレアさんも、なんだか楽になったと言っていたのよ。さすがは我が家の執事だわ。ありがとう」
雪乃の言葉に園田は「私はお二人の執事でございますので」とお決まりのセリフをいって胸を張った。
「必要な物は適宜、買うなり頼むなりしてかまわんからな。先ほどの使用人の件もだ。ああそうだ、馬番辺りについては、実はロークという老舗の魔物屋の主人のカマルに頼んで人を探してもらっている。一カ月以上前に頼んだから、その内、連絡が来るだろう」
「ロークのカマル様ですね。分かりました。他の使用人に関しては、プリシラ様のお体のこともありますので、やはりその内、必要になってくるでしょう。ですが、先に私自身が屋敷周りのことを完璧に把握したいので、もう少し落ち着いてからご相談させてください」
「ああ、分かった」
「充さん、とても助かっているけれど、ちゃんと休むのよ? 無理はいけないわ」
「はい。お心遣い、ありがとうございます」
雪乃に心配される園田を注意深く見てみるが、肌艶もいいし、元気そうだ。
だが、誰に似たのか時折、無理をし過ぎるところのある執事なので気を配って置く必要はあるだろう。
「……そうだ。真尋様……。お渡ししなければならないものがございます」
園田が少しの躊躇いを見せながら、どこからともなく取り出したのは一本の万年筆だった。
銀色をアクセントにした艶のある黒い万年筆は、真尋が自宅の書斎で書き物をする時に使っていた物だった。
「雪乃様はティーンクトゥス様から頂く物をお金の代わりに、味噌やお米を選びましたが……私は、存在しなくなる故に消えてしまうだろう私自身の持ち物を選びました。その際、これも……形見分けとして雪乃様から譲っていただいていたので。私には自分の分がございます……これはどうか真尋様の下に」
手の中で万年筆を持て余す。
まだ真新しさを感じさせるこの万年筆は、真尋が死ぬ二カ月ほど前に母からもらったものだった。クリスマス前に突然、真尋たちの下に帰って来て共に年を越して、慌ただしくまた仕事に行った母。あの日、空港で見送った姿が最後に見た母の姿だった。
母が「行って来るわね。真智と真咲をよろしくね。それと体に気をつけて」と言い、真尋はそれに「ああ。母さんも体に気を付けて」と返したのが直接した最後のやり取りだ。
「……ありがとう」
園田は「いえ」とだけ言って目を伏せた。
園田は真尋の父のことは興味が無いようだったが、母のことはそれなりに慕っていたから思うところがあるのだろう。
父に対する罪悪感は、もともと無に等しかったが弟たちの一件を経てますます失われた。だが、母へのそれはなかなか消えてはなくなりそうもない。
持て余す万年筆を枕元に置いてあった真尋自身の手帳に挟んで、置いておく。まだ魔力を使うアイテムボックスは、ナルキーサスの監視下にない時は使用を禁止されているのだ。
「お義母様には……酷いことをしてしまったわ」
雪乃の沈んだ声にベッドに腰かける彼女の手を握る。
いくら真尋が「気にするな」と言ったところで、気にしないでいることも忘れることもできないだろう。自分がミアとサヴィラの親になって、子を喪った母の悲しみを想うと一層、胸が痛む。せめて、真尋たちを心から愛してくれた彼女の心が穏やかであるようにと祈ることしかできないのだ。
「それでも一応、父がそばにいる」
「……役に立つのかしら、あの人」
顔をしかめた妻に真尋は何とも言えなかった。園田がうんうんと頷いている。
真尋の地雷を踏み抜く人でもあったが、同時に雪乃や園田の地雷原でも暴れ狂っていた人だったのは間違いない。
「……母さんのことは、大事にしているからな」
「そうね」
雪乃が苦笑を零して、真尋の手に自分の手を重ねた。
「おや、そろそろ坊ちゃま方が戻って来られるようですね」
園田と雪乃が、同時にドアのほうを見た。真尋には聞こえないが、彼らには何かが聞こえているようだ。
しばらくして、真尋にも彼らの賑やかな声と足音が聞こえて来た。園田が、先んじてドアを開ければ子どもたちが部屋に入ってくる。
「みーくんだ!」
真咲が嬉しそうに園田に抱き着く。園田も顔をほころばせて、真咲の頭を撫でた。
「今から皆で、グラウの観光案内の本を読むんだよ」
「でしたら、何かお菓子とお飲み物をご用意しましょう。そろそろ午後のお茶の時間でございますので」
もうそんな時間か、と窓の外に顔を向ける。不思議なもので、この世界も冬に近づくになるにつれ、陽が短くなる。大分傾いた陽射しが長く窓から差し込んでいる。
「じゃあ、僕もお茶の仕度を手伝うからみーくんも一緒に読もうね!」
真智がそう名乗り出れば、園田は眉を下げた。
「ですが……」
「みっちゃんもおやすみするのよ」
「朝からずっと動きっぱなしでしょ。休息はきちんと取らないとね」
ミアとサヴィラにまで言われて、園田が助けを求めてこちらに視線を寄越したが、真尋はそれを受け流して雪乃に委ねる。
雪乃はふふっと笑って口を開く。
「子どもたちの言う通りよ。お休みをきちんととるのも優秀な執事の証じゃないかしら」
そう言って雪乃が立ちあがった。
「今日のおやつは、クッキーを用意してあるのよ。私も仕度を手伝うわ。サヴィ、ジョンくん、リースくん、真尋さんを見張っていてね」
雪乃がおいでおいで、と手招きをすれば、サヴィラたちは素直に寄って来る。雪乃は、リースを抱き上げると真尋の横に置いた。リースが小さな手で真尋の手をぎゅっとする。可愛いが、そうじゃない。
「こんなに安静にしていると言っているのに……まるで信用がない。俺が言うことを聞かない子どもみたいじゃないか」
「はい? 何か言ったかしら」
「なんでもない」
雪乃は、にこにこと微笑んで真尋を黙らせるとお手伝いを名乗り出た子どもたちと園田とともに部屋を出て行った。
リックがそんな雪乃を尊敬のまなざしで見送って、ドアを閉めた。サヴィラは肩を震わせている。そんなサヴィラにジョン兄弟が首を傾げている。
「ふっ、父様、……ふふっ、形無しだね……ふふふっ」
「……サヴィラはどっちの味方なんだ」
「まあ、今は母様かな」
「酷い息子だ……」
嘆く真尋に、冷たい護衛騎士が「自業自得ですね」と言って、肩を竦めた。
グラウへ移動するため、ポチが一度、こちらへ戻って来たその日、忙しい仕事の合間を縫ってウィルフレッドがカロリーナを伴い屋敷へとやって来た。真尋はまだ動けないので、二人と、そしてアイリス護衛騎士が治療室へと通される。
治療室には、真尋の他にリックとアルトゥロ、どうして呼ばれたんだろうと首をかしげるサヴィラがいる。
彼らを連れて来た園田がすぐに手際よく紅茶を仕度するのを横目に、ベッドわきに用意された応接セットのソファに座るように促す。
アルトゥロは、一人掛けのソファに。サヴィラはベッドに腰かけ、リックは脇に控える。
「申し訳ない、このような格好で」
真尋が口を開けば、ウィルフレッドが首を横に振る。
「神父殿は我が領、ひいては国を守ってくれたんだ。……でもしばらく会わない間に、随分と顔色がよくなった。元気そうでよかったよ」
「ええ、本当に。神父殿が回復されていることは喜ばしい限りです」
ウィルフレッドとカロリーナの言葉に「ありがとう」と礼を返す。
園田が、彼らの前に紅茶をサーブし、扉の脇へと下がって行く。
それを見届け、ウィルフレッドが口火を切る。
「そういえば、私の事務官への配慮、ありがとう。……正直、大変だが仕事の調整を頑張っているよ」
「一応、神父なので話を聞いてあげるくらいはしないといけませんからね」
「十分だよ。あとはレベリオが根性を見せるだけだ」
そう言ってウィルフレッドは、ティーカップに手を伸ばし口元へ運んだ。アルトゥロが「本当に」と彼の言葉に同意する。
「今回はもう一人、根性を見せるべき人の件でお話が」
ウィルフレッドの手がぴたりと止まった。
彼の隣に座るカロリーナとその隣のアイリスも、何故か緊張した面持ちで真尋を見つめている。
「正直、困るでしょう。領主夫妻が離縁というのも、別居というのも」
真尋の言葉にウィルフレッドとアイリス、アルトゥロが、深く、ふかーく頷いた。
サヴィラが何故か胡乱な目を父に向けて来る。
「そこで、レベリオとキース夫妻がグラウで決着をつける予定ですので、アマーリア様と領主様にもそちらで決着をつけて頂こうかと」
「つまり……つまりどういうことだ?」
ウィルフレッドが言った。
「明後日辺り、私は療養に出かけますが、アマーリア様たちも一緒にいかがかと思いまして」
驚きに目を丸くしたウィルフレッドと異なり、カロリーナとアイリスは「いいですね」と真尋に賛成のようだった。
「奥様は、先日の領主様のお言葉があまりにそっけなかったもので随分と落ち込んでいるのです」
アイリスが眉を下げる。
「仲直りをする気がないのであれば、あのそっけないセリフにも納得がいきますが、以前から私たちに内密にと言いながら度々奥様のことを聞いて来るのですよ。でしたら、もっと他に適切なお言葉があったでしょうに」
どうやらジークフリートは、一番身近にいる彼女たちに妻の様子を尋ねていたようだ。本人に直接聞けばいいのに、とサヴィラが零し、大人たちが一斉に頷く。
「とはいえ領主夫人の移動にはあれこれ伴うでしょうから、あくまで一つの提案としてご一考いただければと」
「いや……ふむ、悪くない」
ウィルフレッドからの返答は、予想外のものだった。
難しいと言われると思っていたので、あれこれと言い包め、ごほん、納得のいく提案をしようと思っていたのだ。
「義姉上の所在がバレているのは、神父殿も聞いているだろうか」
「ええ、サヴィラから。あまりにアホな暗殺者だった、と」
真尋の言葉にウィルフレッドが苦笑し、サヴィラは「だって本当でしょ」と肩を竦めた。
「まともな者がいなかったんだろう。サヴィラとミツルのおかげで、よほど怖かったのか、あれこれべらべら喋ってくれて助かったよ」
「どういたしまして、かな? 一応」
サヴィラがくすくすと笑いながら言った。
氷漬けにしたと息子は言っていたし、園田は園田で「うっかり力み過ぎて、あの方たちの顔の原型が分からなくなってしまいまして」と何故か照れながら申告して来た。
「それで、いっそ義姉上の囮を用意して、最後の大勝負に出たいと考えていたんだ。今日はついでに、私が預かっている兄上が使った変装用ペンダントを貸してもらえないか許可も取りにきたんだ」
「かまいませんが……誰を囮に?」
「私だ」
カロリーナが胸を張る。
いや、カロリーナの実力は真尋も認めるところだが、この人はアマーリアのようなしとやかな貴婦人を演じきれるのだろうか。
「神父殿、何か失礼なことを考えていないか」
「カロリーナ小隊長、アマーリア様に扮する時は、そうやって足を開いて座ってはいけませんからね」
真尋の指摘にカロリーナは足を閉じた。騎士の制服はズボンなので別にかまわないが、普段やっていることはうっかり出てしまうものだ。あれは声と姿かたちを変えることはできても、仕草や喋り方は変えられないのだ。アイリスが不安そうな顔をしている。
不意にリックが「これは一案なのですが、」と前置きして口を開く。
「やはり、護衛騎士ほど主の普段の癖や立ち居振る舞いを知る者はおりません。いっそ、ダフネ護衛騎士を領主夫人に変装させて、カロリーナ小隊長はアイリス殿を演じられてはいかがでしょう?」
ウィルフレッドが「確かに、リックの言うことも一理ある」と頷く。
「それに今回、我が主は療養に参りますので、信用できる者だけで行きたいのです」
「……お前まだ根に持ってるのか」
どうやら彼は、ダフネが真尋に剣を向けたことをいまだに許していないようだった。
真尋はうんざりした気持ちで護衛騎士を見るが、リックはにこにこしている。怒っている時の雪乃と同じくらい、にこにこしている。サヴィラが「本当に何したの?」と胡乱な目を向けて来る。どうして息子はリックに原因があるとは一ミリも思っていないのだろう。
ウィルフレッドは頬を引き攣らせ、アイリスはため息を零す。事情を知らないカロリーナとアルトゥロは首をかしげている。園田に詳細を知られると厄介なので、あとでリックには口止めをしておこうと、とりあえず扉の脇で静かにしている執事を横目に真尋は決意した。
「だが……ダフネは義姉上の護衛、でな」
ウィルフレッドが言った。
「ええ、存じ上げておりますが? じゃあ、手合わせて私がぶちのめして参ります。私に勝てたら、同行を許しましょう。一級騎士が二級騎士に負ければ、面目も丸つぶれでしょう」
にこにこしたままリックが言った。セリフと顔が清々しいほど合ってない。
可哀想に、ウィルフレッドは胃をさすっているし、カロリーナは、普段温厚な部下のあまりな物言いに驚いている。
「リック、あれは俺が迂闊だったと言っただろう」
「私でしたら秘密を握る人間を咄嗟に殺しません。情報を吐かせてから殺します」
しれっとリックは言い切った。サヴィラの責めるような目が体中の傷に沁みる。
「……というわけで、閣下。むやみな流血沙汰は避けたい。ダフネ騎士には是非、アマーリア様役を担ってもらえないだろうか」
「これは俺の意見だけと、小隊長さんに貴婦人役は難しいと思うよ。そんな大股開いてアマーリア様が座ってたら、侍女たちがひっくり返るよ」
サヴィラの指摘にカロリーナが再び慌てて足を閉じた。
ウィルフレッドは、腕を組んでソファの背凭れに身を委ねる。目を閉じたまま、ウィルフレッドが真尋に問いかけて来る。
「神父殿、あのペンダントはいくつある」
「全部で四つですね。領主殿とオーランド殿に貸したものが改良版ですので、効果が十日と長い。もう二つは旧作なので、効果は五日ほどと短いですので、少し髪が多めに必要になりますが、女性は髪が長いので、男性ほどは困らないでしょう」
「四つか、ふむ」
ウィルフレッドは天井を見上げ、色々と思案しているようだった。
その間に、真尋はアルトゥロに近くに来てもらい、見守ってもらいながらアイテムボックスから旧版ペンダントを取り出す。改良版はウィルフレッドに預けっぱなしだった。
アルトゥロが「これが、噂の……!」と目を輝かせながら、一つ手に取って観察を始める。サヴィラも興味津々だったので、もう片方を渡す。
「サヴィ、首にかけて魔力を流してみろ」
「え? ……こう」
「おお!!」
サヴィラが真尋に言われた通りに首にかけ、魔力を流せば、サヴィラの姿は真尋に成り代わる。アルトゥロが歓声を上げた。
出して気付いたのだが真尋の髪を入れっぱなしだったのだ。首をかしげるサヴィラにアルトゥロが、いそいそと鏡を取りだして見せた。
「わ、すごい、俺が父様だ! あ、声も俺のじゃない!」
はしゃぐ息子がとても可愛いのに自分の姿だと言うのが萎える。
「でも、こちらは身長などは変わらないのですね」
アルトゥロがしげしげと観察しながら言った。
「忘れていたが旧版はそこも欠点なんだった。声はどちらも変化する。改良版は身長や体格も触られなければある程度、誤魔化せるんだが、こちらは同じような体格じゃないとな」
真尋の言葉に一度、こちらに顔を向けたウィルフレッドが、再び、うーんと唸り始めてしまった。
アルトゥロは、勝手にもう一方に自分の髪の毛を入れて、カロリーナに試している。随分と肉体的に強そうなアルトゥロが誕生していた。あれなら暴れる患者も抑えるのは余裕だろう。
「ねえ、父様、これってさ今の十九歳の父様の姿なわけじゃん? 俺に合わせてるから身長は小さいけど」
「ああ」
自分の顔と声で話しかけられるのはもぞもぞするものだ。
「じゃあ、例えば今の髪をとっておいて、二十年後に使ったら、三十九歳じゃなくて十九歳の姿になれるってこと?」
「……ほぉーーー」
真尋はサヴィラの問いに思わず顎に手を添え、感心する。アルトゥロもはっとした顔でこちらにやって来る。
「確かに、確かにそれは実に興味深いですね!」
「ああ。魔力が年齢によって現状保存されるのか否か、非常に興味深いな」
「ですね!! 例えば我が家には歴史的な保存物として二百年前のカツラがあるんです。当時の貴族はカツラを被るのが流行していたようで、無論、それは人工物ではなく、人間の、主に女性の髪なんですが、それに魔力が残っているか、どういう人物だったのかどうかも分かるかもしれないってことですかね!!」
「興味深い。実に興味深い、おい園田、今から言うことをメモしてくれ!」
「はい、ただいま!」
園田が秒で駆け寄って来て、枕もとの真尋の手帳を手に取り、ペンを構える。
「おいおい、私が魔導院に行っている間に非常に面白い話をしているじゃないか!! 仲間に入れろ!!」
ドアが開いてナルキーサスが姿を現した。
「来客と聞いて様子を見に来てみれば、なんとも可愛らしいマヒロと強そうな義弟がいるじゃないか!」
ナルキーサスに順番に詰め寄られて、カロリーナとサヴィラがのけぞる。
だが、黄色の眼差しはすぐに真尋とアルトゥロに向けられ、アルトゥロのメモを覗き込んだナルキーサスは「ほーーー」と声を漏らした。
「魔力の保存年数か……なんともまあ、興味深いな。それは考えたことがなかった。基本、死体はアンデット対策ですぐに火葬されるから、髪が保存してある例が少ないが……そうか、カツラか」
「僕、実家に行って、二、三本、ちょろまかしてきますね! 大丈夫、それくらいならバレませんし!!」
アルトゥロが興奮した様子で拳を握りしめた。
するとサヴィラが手を挙げたので、三人そろって彼に顔を向ける。ペンダントを外して変装を解いたサヴィラは、なんだか好奇心が隠し切れず、そわそわしている。
「ねえ、ちょっと不謹慎なのかもだけど、じゃあさ、元が人間のアンデットの場合は? 人間としての魔力なのか、魔獣または魔物としての魔力なのか、それとも魔力自体が死によって変質しているのか判断できるんじゃない? いまだになんでアンデットになるのかは謎だしさ」
「「「ほほーーーー」」」
さすが、我が息子だ。質問が実に鋭く面白い。
「いっそ、アンデットの髪でも引っこ抜いてくるか? ジョシュアかレイにでも依頼すれば容易だろう。あれにも人間としての魔力が残っているのかどうか調べるのは重要だ。アンデット化の謎が解ければ、浄化の魔法以外でも遺体を元に戻す方法も見つかるかもしれん」
「「確かに」」
はしゃぐ真尋たちとペンを走らせる園田を横目にカロリーナが何でか胃をさすり始めているウィルフレッドに声をかける。
「団長、はやく結論を出して頂かないと、ペンダントが変装に使用できなくなりますよ」
「そうですね……今にもアンデット狩りに行きそうな勢いですし」
カロリーナの言葉に続けてアイリスが言った。
「……彼らが夢中になっている間に、騎士団に帰って話し合おう。アイリスも来てくれ」
「団長、できれば今夜中には全てを決めて下さいね。ポチが多忙なので療養出発日はあまり遅くはできませんので……」
リックが申し訳なさそうに言った。
「ああ。だが、義姉上たちは是非、連れて行ってやってくれ。グラウに内密で入る方が安全だろう。こちらは変装する人選と最終の一掃作戦を徹底的に考えるだけだ。だから、頼むからあのペンダントは、作戦終了後に実験に使うように言っておいてくれ」
「お約束は出来かねます。あのお三方が私の言葉で止まるわけもないので……」
「……それもそうだな。……ところで、どこで療養するんだ? 宿泊施設は時期柄、予約が取れないだろう?」
「ああ、それなら家を買ったので」
真尋が答えるとウィルフレッドが勢いよく振りむいた。
「買ったのか? 家を?」
「ええ。グラウに行った際に、暇な時間があったので。近場で温泉地だから子どもたちを連れて来てやろうと思いまして、手ごろなのがあったので買いました」
グラウの騎士団でダールたちは話し合いをしていて、ジークフリートは自分の護衛騎士を説得する必要があった。とくに護衛騎士の説得が長引いていたので、その間、暇だったので真尋たちは日用品の補充がてら町へ出たのだ。
「ああ、大貴族とか大金持ちの感性ってこういうものなんだなって、私は勉強になりましたね。なかなかの立地に立派な家具付き物件を見つけて、気に入ったからって現金一括で購入していました。あちらの商業ギルドの職員も驚いていましたよ。あの日購入したのは食料品と生活雑貨と――家です。……私の主、すぐに家買うんですよ」
リックが何故か虚ろな目で微笑みながら告げた。真尋は首をかしげるが、サヴィラは立ち上がりリックを慰めに行ってしまった。
「気に入ればとりあえず買うだろう? 後でなんて思っていたら売れてしまうかもしれないし。いらなければ売ればいいんだ。それに雪乃だってこの家に関しては『楽しみねぇ』と喜んでいたぞ」
「さすが君の妻だな」
ナルキーサスがけらけらと笑いながら言った。
「だってマヒロだからな、うん、だってマヒロだからな。家くらいぽんぽん買うよな……私だって立場的に買えないわけじゃないが、家ってそんなぽんぽん買うものだっけか? もっとこう吟味しないか?」
「ご安心ください、閣下。なかなかジークが護衛騎士を説得できずにいたので時間が余って、あちらの家のほうにも防衛関係の魔法は施してありますので」
「そこじゃないんだよなぁ。……まあいい。マヒロ、私は団に戻って予定を調整して来る。義姉上たちのことは頼むぞ」
「はい。ああ、第二小隊が護衛で来るなら、庭に馬車を置いておけば、少し狭いかもしれませんが生活はできるので心配なく」
「だが、あれはシケット村のほうにポチと帰るのでは?」
「予備にもう一台くらいありますよ」
「え? 父様、どんだけ家買ってんの?」
サヴィラが驚きをあらわにして真尋を振り返る。
「……ここと、あそことあれと……グラウのと……」
「真尋様、頂いた資料では五軒ほど私のほうで確認しております」
「ああ、そうだったか。五軒だそうだ」
園田に管理を早々に丸投げしたのだが、彼はしっかり把握してくれているようだ。
「紫地区のは家だけがほしくて買ったようなものだからな、土地が余ってるんだ。場所柄、畑には向かんし……土地は売るか、何か建てるか……。そうだ、サヴィ、家でも建ててやろうか?」
「俺は今、ミアとマチとマサキが真っ当に育つように常識を教え込もうって決意を新たにしてるから、いらない」
どうしてか息子が冷たい。
「すごいな、神父殿は私より貴族だよ。さ、カロリーナ、アイリス、私の胃が限界を超える前に帰ろう。アルトゥロ、あとで胃薬頼んだぞ」
虚ろな目をしたウィルフレッドが、カロリーナとアイリスに慰められながら部屋を出ていく。アルトゥロが「わかりました、お大事に」と苦笑交じりに返事をした。
「アマーリア様が行けるようだし、雪乃が喜ぶな。シルヴィアも一緒だから、ミアも喜ぶだろう」
真尋は満足げに頷く。園田が「ようございました」とにこにこしながら言った。
「ところで、何で俺も呼ばれたの?」
再びペンダントの活用法について議論しようとしたところでサヴィラが言った。
「ああ、それはだな、アマーリア様たちを連れて行くなら多分、お前の手を借りなければならんこともあるだろうと思ってな。俺の自慢の息子は気も利くし、面倒見がいい。頼りにしてるぞ、サヴィラ」
「ふ、ふーん。まあ、父様、動けないし……別にいいけど」
照れ隠しに唇を尖らせてそっけない返事をするサヴィラがあまりに可愛くて、真尋は手を伸ばして、彼の頭をぽんぽんと撫でた。髪の隙間からのぞく耳が赤くなっているのも可愛い。
だが、ナルキーサスとアルトゥロの生暖かい視線に気づいたサヴィラは真尋の手から逃げるように立ち上がった。
「俺、用事を思い出した! 父様は安静にしてなよね!!」
そう言うが早いか脱兎のごとく逃げ出してしまった息子に真尋は、ふふっと笑いを一つ零した。
「可愛いじゃないか。年齢的にミアほど素直にはなれんが、君に甘えているのがよくわかる」
「初めて会った時に比べると、本当にこの数か月で丸くなって、顔も穏やかになりましたねえ」
「俺が注げるだけの愛情を目一杯、注いでいるからな」
真尋の言葉にナルキーサスとアルトゥロが顔を見合わせ、くすくすと笑い合ったのだった。
ここまで読んで下さって、ありがとうございます。
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明日の更新は番外編をよていしていますが、まだ書いている途中なので間に合わなかったら、
本編の更新になります!
クリスマスマーケットのお話なので、クリスマスに上げたいです(願望)
次のお話も楽しんで頂けますと、幸いです。




