第五話 準備2
あれから二日経過した。
食事は二日に一回。水も同時に支給される。つまり、あれから一回しか食事をとっていない。
まあまあきつい。水を飲めないのが地味に、いやかなり肉体的・精神的にくる。
これを続けられたら向かい側の牢屋の住人のようになってもおかしくはない。あっちの住人はいつも通り動かない。他にも牢屋があり、そのなかに多くの住人がいるようだが、声を出すことは滅多にない。
そのうち、一人きりのこの牢屋にも同居人が訪れるだろう。さっさとしないと、面倒なことになる。
下の歯茎に沿うように仕込んでいた針金で二日間ピッキングを行っている。何度か成功をおさめた。スマイルは体が結構柔らかいので、後ろ手に回された手も頑張れば前に持っていく事が出来る。そうすればあとはこっちのものだ。
開錠はするが毎度手錠を締め直す。一日に一回は誰かが来て、あのガキのことについて尋問を行うからだ。尋問というより拷問に近いが、死にいはしない程度の暴行を受ける。尋問を受けるときに手錠がほどけていたら、どんな目に合うか分からない。
大人しくしているのは、体力の回復を図っているためだが、あまり意味が無い。食料がないからエネルギー不足。力も入りにくい。持久戦は完全に不利だ。
看守らしき人物はいないが、偶にふらっと誰かが見回りに来る。パターンらしきものが無い。弱点でもあるが、こっちにしてみれば面倒だ。
スマイルは現在進行形で尋問を受けている。牢屋にそれ専用の設備があるわけでもないので、いつも水責めを受けている。心がくじけそうになる。くじけてもガキの居所は本当に分からないので、もはやいつも泣いている。
ニ十分もやれば相手方もやる気をなくしてどこか行く。
最後の方はスマイルも力をなくして、ただ息を止め、限界が訪れれば、痙攣をするだけだ。
「ぅっ……ぁ……っ……」
水が目に入って視界がぼやけるし、体は勝手に振動するし、何より苦しい。か細い呼吸だけが牢屋に響いている。いつの間にか尋問相手がいなくなっていた。安堵して目を閉じると、すぐに疲労で意識を手放していた。
夢も見ず目覚めた。牢屋は完全に外と断絶されている訳では無い。天井近くに採光窓のようなものが設置されている。窓とはいうがガラスがはめ込まれてはおらず、短い鉄格子がはめ込まれていて、もちろんそこから脱出する事は出来ない。
その空間のおかげで、今の時間がある程度分かる。
今は、夜。
ここでの生活は、常に空腹を感じるので、なかなか寝付くのが難しい。それに常に寝ている様な体勢なので、なかなか眠気が訪れない。なので暴行を受けて寝れるのは割かしいいことかもしれない。
空腹感すでにある。一応昨日食事をとれたが、察して欲しいレベルの食事だった。全然満腹になどならない。
牢屋に明かりは無く、手元を見るのがやっとだ。
「どうせ寝ちゃったし、今日もやるか」
口の中に入れておいた針金を舌で押し出して吐き出した。
それを握ると、壁に体を預け、あとは全力で立ち上がった。
「ふんっ」
まだ立ち上がる力は残っている。
後ろに回せれた手を強引にくぐる。この程度ではスマイルは縛ることはできない。ある程度自由になり、腰を下ろした。
「明日には脱出しないと、やべーな」
明日の食事でエネルギーを補給した後、夜に脱出だ。不確定要素満載だが、時間がたてばたつほど、スマイルが不利になる。
脱出するには、手錠二つと鉄格子の開錠。
鉄格子を弄るのは、流石に何か起こった時に対処しきれない。練習なしの、ぶっつけ本番だ。
「……手錠は、すぐにいけるな」
こっち方面はけっこう自信がある。二日も練習する時間があれば、明日の脱出には手錠に関しては手間取らない。
二、三回外す練習をしていると、何か聞こえた。
とても小さい音だ。音、というか、声……? どこかの牢屋の住人が呻いているのか。
「――。――……る」
無視して針金を弄って感覚を掴む。かちゃかちゃ数十秒弄っていると、カチャンと音がして外れた。
足の方も同じような形だし、いける。
手持ちの荷物は全部没収されているようなので、脱出するときは完全に手ぶらになる。心配と言えば、心配事だ。
「――……おーい」
ガンガンと後ろから音がした。
振り返る。壁だ。当たり前。違う。上――
「スマイルみっけ」
「テメッ……! お前の――」
スマイルは大声をあげそうになるのをギリギリで抑えた。
「……お前のせいで捕まっちまったじゃねーか。つーか、普通に無事なのかよ。ぼくが体張った意味ってあったのか……?」
「いまからたすける」
「待てクソガキ」
「まつ」
ガキは律儀にスマイルのいうことを聞いた。
「ぼくはぼくのやり方で脱出してる。お前のせいで失敗したら困る。何もするな」
「……でも」
「でももクソもない。知恵の足りなさそうなお前に手を出されると、失敗する可能性が高まりそうだ。つーか、とっとと失せろ。ぼくのおかげで逃げれたんだから無駄にしてんなよ」
「わかった。じゃましない。そとでまってる」
「待つな。帰れ」
「わかった。かえる」
これまたガキは言うことを聞いて、窓から姿を消した。
「……なんだったんだ」
名も無き少女は、スマイルの言うことを聞いて町に帰った。
どうも少女を探している奴らがいるので、こそこそと人気がいない場所を移動する。
どこの街にも貧富の差というものは存在する。平等という意味のない言葉は、やはり現実に反映されない。少女は格差の象徴である貧民街に足を踏み入れ、さらにその奥地へと歩を進める。
瓦礫と汚物、塵芥しかないような場所だ。
いるだけで汚れる。汚れたら、またスマイルが洗ってくれる。そう思う。
訪れるだろう未来に胸を馳せていたせいか、注意散漫になっていた。それとも、誰もいないと油断していたのか。両方だ。誰かとぶつかった。
ぶつかった相手は少女にしてみれば大層大きく、一般的に見ても大男に分類されるような大きさだった。
「悪い。見えんかったんだ。許してくれ」
その人物は小さな少女に目線を合わせるべくしゃがんだ。とても異様な格好をしている。禍々しいと言えばいいのか、畏怖の念を覚える。人物そのものが恐ろしいのではない。着ているもの、持っているものが恐ろしく怖ろしく、禍々しく、それでいて美しい。黒とも青とも紫ともいえる服のようなものを着て、背中には白いものを背負っている。あれもとても大きそうなのだが、男の体も大きいので、全容が見えない。
少女が身構えていると、何の気も知らず、男は少女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「うーん。困った。迷ってしまった。豆ジイの所に行くつもりだったのに、ちっとも着きやしない。どっちか知らないか?」
「……しらない」
「そっかー。そうだよなあ。知らんよ。そりゃ。なら町はどっちか分かるか? とりあえず戻りたいんだ」
少女は素直に「あっち」と拘束された両手で方向をさした。
「そうか。ありがとうな。恩に着る。そっかー。あっちか。逆方向だったとは。スマイルに方向音痴と言われてもしょうがない」
「え……」
男はすでに歩き出している。
少女はどうするべきか迷った。スマイルは何もするなと言った。邪魔するなと。
邪魔はしていない。しようとも思っていない。
「まって」
少女は男を追いかけた。