ありがとうとごめんである。
私は梓のパフォーマンスを見ることもなくお兄ちゃんの元へと向かった。
後で、という言い方だったので来てはいないだろう、そう思っていて期待なんてしていなかった。
だがホールの入り口前に立つお兄ちゃんを見つけた。
私が発見して、『あ』と一言声を洩らしたのと、お兄ちゃんがこちらを見てなにも言わず微笑みを見せた。
まるで私がこの時間にホールから出て来るのを予測していたかのように。
「葵、素晴らしいパフォーマンスだった。感動をありがとう」
お兄ちゃんは今までと同じ笑顔で拍手をしてくれた。
そのたったひとつの拍手と『ありがとう』が、私にとっては世界中の人々が拍手を『ありがとう』を浴びせてくれているようだった。
少し苦笑したまま、
「……なんて勝手に兄ちゃん面してこんな言葉言っても、実がない言葉に聞こえちゃうよな、ごめん。
本当に、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……っ!」
お兄ちゃんは目をぎゅっと閉じ、心の底から申し訳ないと思っているんだなとわかるくらい『ごめん』を繰り返した。
少しだけ泣きそうに見えたのは気のせいではないはずだ。
「梓くんとのこと、彼のお姉さんからいろいろ聞いたんだ。
葵のために一生懸命励ましてくれてること、葵も心を開いて話せる相手だということ……彼の良いところなんてまったく知らないのに悪く言ってごめん。
彼は葵のためにって動いてくれる優しくて強い男の子だと思った。
こんな俺がけなして良いような悪い人じゃない」
お兄ちゃんは梓の優しさと強さにやっと気が付かされたらしい。
実を言うと私はそこまで怒っているわけではなかった。
なのでお兄ちゃんにそっと近寄り、ちょうどこちらに顔を上げたとき正面からぎゅっと抱きついた。
この私より高い背に抱きつく感覚、久しぶりでつい笑みがこぼれた。
「……葵?」
とお兄ちゃんは戸惑って声をかけてきた。
私は笑顔で離れ、
「私はぜんぜん怒ってないよ。帰ってきてくれてありがとう、お兄ちゃん。
今度はああやって勝手に人のことけなしたりしないでね」
「おう、ありがとう、本当に」
私たちは手を繋いでホールへと戻っていった。
ステージ袖に戻ったが、そのときちょうど梓が裏に帰ってきた。
私の姿を見つけた姉弟は、
「どこに行ってたの! 探したんだよ!?」
と問い詰めた。
問い詰めた、と言ってもただただ心配してくれていたようで悪いことをした。
私は正直につい先ほどお兄ちゃんと交わした会話について話した。
梓はパフォーマンス終わりの疲れ果てた状態ながらも真面目に聞いてくれた。
やっと仲直りできたと言ったとき、2人とも万歳して喜んでくれた。
「俺のせいで2人の溝を深くしちゃったけど、兄妹の絆ってそんなものじゃ壊れなかったんだね、良かった……。
いろいろと事を面倒にしちゃってごめんな」
「私の梓についての話がきっかけでお兄さんの考え方も変わって仲直りできたのなら話す甲斐があったよ。おめでとう!」
こうやって3人でハイタッチするのもつかの間、私はすぐにここのスタッフに呼ばれた。
「RIHOさん、お兄さんだとおっしゃる方がいらして、今すぐにホール外で待ってると伝えたと言われたのですが……どうされますか?」
私はスタッフに礼を言うこともなく外へ出た。




