かすれてゆく思い出である。
私たちの間に少し良い雰囲気が漂ったというのに、空気の読めないイルカたちがショーを始めた。
我に帰り、慌てて顔を水槽の方へと向ける。
イルカたちは器用に水の外にあるリングを通ったり、投げられたボールをキャッチしたりしていた。
その後のセイウチとアシカのダンスはなんとも愛らしかった。
そのとき前に出て、セイウチたちと一緒にダンスを披露した小さな男の子も可愛く、そこにいた客全員の目がハートになっていた。
動物たちのダイナミックなショーは、その迫力に驚いたまま一瞬で終わってしまった。
「すごかったね、あんなに動物って賢いんだって思うと尊敬しちゃう」
「はい、またもう一度来て見たいなぁって……そんなことを考えておりました」
その後も水槽を見て回ったが、2周ほどしてやっと帰ろうという話になった。
そんなに見たにも関わらず、私は少し名残惜しさのようなものを感じた。
私は梓に水族館で買ったペンギンの小さなぬいぐるみをバッグに付けた。
次またどこかへ観光に行こう、そう思ったとき、後ろから誰かに肩を叩かれた。
「……梓?」
私たちは青ざめた顔で後ろをそーっと振り返る。
そこには、手を繋いだままの楓と茜がいた。
尾行していたことがばれたのかな、そう思ったが、楓の普通に目を丸くした顔を見ると、偶然ここで会っただけだと思っているようだ。
そう安心したものの、茜を見たときに不安感が募った。
彼は楓の顔をちらちら見てはいたずらっぽくにやりと笑うのだ。
……なにかが、おかしいような、おかしくないような。
「楓さん……気付いていたのですね……?」
「なんのことかな?」
「ちょっ葵ちゃん! なに言おうとしてっ」
梓が慌てて私を引き止めようとしたが、従いはしなかった。
だって絶対気付いているもの。
私たちが尾行していたことに。
じっと楓さんを見つめていたら、ついにそのポーカーフェースは崩れた。
ちょっとだけがっかりしたように、
「なんでばれちゃったかなぁ。けっこう良い演技してたと思ったのに……」
「え? お前……俺らのこと気付いて逃げたのか?」
「うん、そうだけど? いやぁあんなに分かりやすい尾行はないよ。
それこそあれだよ、頭隠して尻隠さず」
「うわー鋭いよな、こういうときの楓」
こう面白いことがあったときの猪瀬姉弟は、面白いネタを披露してくれる。
それを端から眺めて笑っていた私と茜に気付いた梓は、慌てて楓とのネタを中断して私たちの間に割り込んできた。
一瞬なぜだかわからなかったが、先程言われたことを思い出す。
『良い雰囲気だろうが精一杯邪魔をする』
といった内容の宣言である。
「別に私と茜ちゃんの間には恋なんて生まれませんよ……」
「いーや、わかんないから。保険だとでも思って、保険」
腕を組んで頬を膨らませた梓を見た楓が呆れたように言った。
「あんた……人の彼氏を信用してなさすぎ!」
「そうか楓の彼氏だったか、忘れてたわ暴走しちゃった」
舌をぺろりと出して可愛いポーズを取った。
くだらないことだとわかるが、少し胸が苦しくなるような気がした。
最近梓を見ているときの私はおかしい。
なんの前触れもなく胸が締め付けられるように苦しくなったり、目がばちんと合うと動悸がしたり……。
今私は本気で怪しい病気を疑っていて、インターネットでも調べているがわからないまま。
少しだけ恐ろしいな、そんな気持ちが湧いてきた。
「そんっなに茜ちゃんと葵ちゃんの関係を疑うんだったらまた解散!
お2人さんもデート楽しんでね、んじゃ、また!」
と手を振ってこの場を去っていく楓を小走りで茜が追いかけている。
良く見なくても高身長の楓の方が圧倒的に背が高い。
楓は少し道をいった先で再び足を止めてこちらをじろりと睨んだ。
こちらをというよりも梓の方だけだが。
「もうついてくるなよ、わかった!?」
「わぁったわぁった、楓も茜ちゃんいじめんなよ」
「いじめないわっ! 明日本番なんだし、怪我しないようにね」
へいへーい、確実に楓には聞こえないような小さい声で返事していた。
私はそれを横目で見ながら考える。
私たち兄妹もこんな言い争いしたりしたかなぁ?
こんな風に笑い合ってたっけなぁ?
少しお兄ちゃんと離れただけだったのに、お兄ちゃんとの思い出がかすれ始めていることに気付いた。
どうやって話してたかさえいまいち思い出せない自分がいる。
ずっとうつむいて考え込んでいたが、目の前にいきなり顔が現れた。
「どうしたの? どこか痛い?」
「いえ、すみません、なんでもありません……。
こっ、これからどこかいきますか? もう夜も更けてしまいましたが……」
周りはもう真っ暗。
梓も空を見上げて帰ろうか、そう言った。
私たちは帰りの電車の中でオーディションについて話しながら帰った。
ついにもう明日か……そんな実感を少しずつ感じながら。
猪瀬家に帰ったが、私たちは勉強道具を広げつつもぜんぜん進まなかった。
明日のことばかり考えてしまって仕方ない。
同じ悩みを抱える私たちは、同時にため息をついてワークをぱたんと閉じた。
この日楓は夜中まで帰ってこなかった。
その代わり猪瀬家では夜まで私と梓の語り合う声が響いていた。
「おやすみなさい」
そう言ったは良いが、私はまったく眠れなかった。
きっと梓もそうだろうな。
そんな風に考えながら、しばらく経って気が付けば寝てしまっていた。




