姉と後輩の恋である。
私が間に立ってはらはらどきどきしているのにも気にしない様子で2人は睨み合いつつ口論を続けている。
口論、とは言っても、汚い言葉、いわゆる暴言と呼ばれることはほとんど口にしていないようなものだ。
「俺は葵がずっとずっと小さい頃から面倒見てきてて、葵の思うことなんてすべて目に見えるくらいにわかるんだ。
その俺が本能的に『梓くんじゃだめだ』、そう言っているんだ。
信じるほかないような気が俺にはするんだけれど……」
お兄ちゃんの言っていることは、私でさえ意味不明だと思う。
やっぱり梓もそう思っているようで、言い返す言葉もなくぽかんとしていた。
引いている、って言った方が正しいかもしれない。
「碧さん、とりあえず今日は僕が葵ちゃんを連れて行きますね。
そんな意味のわからないことを言う碧さんに葵ちゃんを任せても、今の状態だとなにを思い立つかわかりませんので。
じゃあ、俺の家来なよ、葵ちゃん」
「えっ……はい……」
「では、失礼しました」
パタン……。
ドアがどこか寂しげな音を立てて閉まった。
私は梓に手首あたりをがしっと掴まれて家を出た。
少しそのままで歩いていたが、限界を迎えてしまって、
「いた……い……」
とつぶやきながら腕を自分に方に少し引き寄せた。
梓は後ろに引っ張られる力を感じ取ったようで、私の方を向いた。
そのときの私の視線で気付いたのかはわからないが、また優しい笑顔を取り戻して、
「手首痛くなっちゃった? ごめんね」
と頭を下げられた。
私がどうしたら良いかわからないうちに顔を上げ、
「本当にごめん。謝って関係を戻そう、そう思って来たのに、さらにお兄さんの機嫌悪くして怒らせただけだった……」
「いえ、ぜんぜん良いです、というより、あ、ありがとうございま……した……。
あれは私も聞いていて意味がわからなかったですし、あのまま戻れって言われても……あんなお兄ちゃんとは一緒に住んでいたくないので……」
これは本当に本当の思っていることだった。
どうせ今のお兄ちゃんと2人で住んでいても、以前のような優しいお兄ちゃんはもうどこにもいない。
私と仲の良い兄妹には絶対に戻れない。
それはお兄ちゃんが大好きだった私にも自然と湧いてきた答えだった。
お兄ちゃんのところに無理矢理戻されなかったことはとてもありがたくて嬉しかったが、1つだけ気になることがあった。
「今日私はまた、あ、梓さんのお宅にお邪魔……するのでしょうか……」
今日の泊まるところについて。
何度も猪瀬家で泊まらせていただいているので、なかなかお言葉には甘えがたい。
だが梓は当たり前のような顔をして、
「え? うん、そのつもりだけど……。
もしかして泊まりたいところでもあるの? ……茜ちゃんの家とか……」
「はい? なんとおっしゃいました? すみません」
「いや、気にしないでっ? うん、はい」
最後のほうにごにょごにょ放った言葉は良くわからなかったが、本人が聞いて欲しくもなさそうだったので気にしないでという命令に従った。
じゃあ、行こうか。
そう言われて2人並んで猪瀬家に歩いて行った。
「ただいまー。楓ー、いるかー?」
梓が大声で楓を呼ぶ。
すると、中から笑顔で出て来る茜とばったり会った。
お見送りに来たらしい楓とも目が合い、一瞬だけ時が止まったように私たちは視線を交錯させながら固まった。
「茜ちゃん?」
梓のぽつんと言ったその言葉に、この場にいる全員が我に帰った。
「先輩たちこんにちはっ! すみません、お邪魔しておりまして……」
「いや、ぜんぜん良いよ。せっかくなら泊まっていけば? 良いよな楓」
また当たり前のように言ったが、茜と楓は私たちが予想していなかった反応を見せた。
2人同時にちらっと互いの目を見たかと思うと、すぐにさっと逸らした。
さらに顔が燃えているかのように真っ赤になり、私たちが驚いてしまうくらい慌てだしたのだ。
「いえいえっ良いです、迷惑だと思うので!」
「柚葉ちゃんも心配してると思うし、帰ったほうが良いよ! ねぇ!?」
「そっそうだよね、僕もそう思う!」
年上に対しては敬語を忘れない茜が、普通に話している。
これはただ単に忘れたのではなく、楓との仲が親密になっていくうちに自然となったのであろう。
2人の関係には、梓はもちろん、私もすぐに気付いた。
茜が慌てて帰り、楓が外までお見送りに行ってからリビングに入ると、テーブルの上にはメイク雑誌とメイク道具が散乱していた。
雑誌には、男っぽい字と女っぽい字が並び、『優しく触れるだけ!』『青系を重ねる!』などというメモが残されていた。
思えば楓は私たちのメイクやスタイリングをしていて、茜はメイクアップアーティストを志している。
共通の話題で盛り上がってもなんらおかしくはないだろう。
家に残された私たちの間には、少しだけ気まずい空気が漂った。
それは普通のことだろう。
……姉と可愛い後輩が恋をしているのだから。




