罠である。
ずっと起きていた夜だった。
そう記憶していたが私の意識は夢の中に沈んでいたらしい。
はっと気がつくと開いたままの英語ワークに突っ伏したまま眠っていたようだ。
ちょっと腕でぐしゃっとなった紙を手で伸ばしながら時計を見ると、12:30。
ああ……初の遅刻をしてしまった……。
今から急いでも遅刻に相違ないが、急いで制服に着替えて家を出る。
今日も両親は帰って来なかったようだが気にしない、いつものこと。
校門は閉じられ、鍵がかけられているのでどうして良いものかと門前を彷徨う。
するといきなり後ろから誰かに肩を叩かれた。
「葵ちゃん? 珍しいね、遅刻なんて」
「梓さん……」
そこにはいつも通り笑って手をひらひらと振る梓がいた。
私は見て見ぬふりをして校門に向き直り、その横に置いてあるインターホンに気付いて押そうと手を伸ばした。
「待って、一緒にさぼろうよ。昨日のことも話したいし」
「嫌です」
「別に大丈夫だよ、一日くらい休んでも」
「そういうことではなく、あなたと一緒にいたくないんです」
はっきり嫌いだという感情を口に出すと、さすがに戸惑った表情になった。
それ以上誘う言葉はかけられない。
インターホンを押し出た先生に謝って校門を開けてもらう。
梓に対して入らないのかと問い詰めていたが、関係ない話なので無視して入る。
普段真面目な生徒で良かった。
まあこれからは気を付けろよ、その言葉だけですんだ。
休み時間中に開いているドアに手をかけることもなく滑り込む。
バッグを下ろして教科書の準備をしたが、誰も私がいなかったことも今来たことも知らない様子で目を向けて来ない。
それはそれで事情をインタビューされることもないので楽だ。
「ねえなんで遅刻したの?」
いきなり後ろからそんな声が聞こえた。
びっくりしてばっと振り返ると、その女子の顔は私に向いてはいなかった。
「んーめんどいから?」
「なにそれ、遅刻っていうよりさぼりじゃーん!」
キャハハと騒ぎ笑い合う女子に囲まれる梓。
その表情はまんざらでもないように見える。
なんだ、私なんていなくても梓は女子に囲まれて嬉しそうじゃん?
そう思って大きなため息をついてから気が付く。
……どうして私ちょっといらいらしたんだろう。
考えてはみたが答えが出ない。
こんな勉強に、受験に役立たないことは答えを導き出す必要がない。
そうやって割り切ろうとしてもずっと脳内に疑問が渦巻いていた。
授業が始まってからも、梓は懲りずに話しかけてくる。
「今日もうちくる? 嫌だったら公園でもカフェでも良いけど。
あ、もちろん俺がおごるしさ」
「昨日どうしたの? 体調悪いとか?」
「オーディションの練習一緒にしようぜ、ポージングとかさ」
良くこんな根気強く出来るものだ。
見下しながらの感動を覚えつつ、完璧に無視を貫く。
ここで少しでも話したら彼のペースに引きずり込まれてしまうから。
そんな思いを抱いている時点で負けかもしれないが。
無視し続ける私に嫌気がさすこともないのかずっとしつこく話しかけてくる。
ついには休み時間まで話しかけてこられ、肩をとんとん叩かれた。
そのときはどうにか耐えた。でも今はもう我慢の限界。
ねえ……そう言って頭に手を置こうとした梓の手をぱしっと掴み、
「もうさ、さすがにしつこいんですけどね」
きつく言ったつもりだった。
だが彼の図太い神経はこんなことでは折れなかったらしい。
にやっと怪しい笑みを浮かべたときに嫌な予感がしたが逃げられなかった。
私が梓の腕を掴む手をもう片方の手で掴まれ引っ張られる。
足も軽く引っ掛けられてバランスを崩した私は彼の上に倒れる。
だが肩を支えて顔を限界まで近付ける。
「へへん、やっと振り向いてくれたね? 単純」
「ちょ……っやめてください……っ!」
「昨日のこと聞くまでは無理かなぁ。ほら逃げようとしてみなよ」
挑発的な言葉に乗せられて体を全力で後ろに引いて支えられている肩を取り戻そうと頑張る。
だが彼の腕はびくともせず、少し笑っている。
わ、罠に……かけられた。




