翠光の風が吹く
世界は再び闇に覆われようとしていた。
世界の中心たる大国、ヴィーバル。
唯一の守護警団『バネッサ』と魔術機関『シェール』を抱えるこの国は、最後の砦と呼ばれている。
それは闇より産まれる妖魔と戦える者たちの集まりであり、心の拠り所であるからだ。
しかし、戦えると言ってもそれは永続的なものではない。
決定的な力の差がそこにある。
無限ともいえる体力。
そして理性の制御を受けない本能のみの攻撃。
どこを取っても、ただの人間に妖魔と対等の部分はない。
いつかは人の側に限界が訪れる。それを避けることはできない。
故に人々は伝承に謳われる“救世主”の登場を待ち望んでいる。
妖魔と対等に戦うことの出来る存在。
闇を打ち祓い、夜明けをもたらす存在を。
その者が希望を運んできてくれるのだと、誰もが信じて疑わなかった。
◆ ‐ ◆ ‐ ◆
抜けるような青空を小さな影が横切っていく。
どこまでも広がる空に悠々と羽を伸ばしているのは、真っ白い見事な毛並みを持つ鷹であった。
澄んだ黒曜の瞳を眼下に据えると、しばらく何かを探すように辺りを旋回し始める。
日の光を背に受けきらきらと輝く白毛を風に靡かせる鷹は、突如響いた指笛に嬉しそうな声をあげた。
◆ ‐ ◆ ‐ ◆
濃紺のマントを羽織り腰に剣を佩いた青年は、眼帯に覆われていない蒼い瞳を静かに空へと向けていた。先ほど吹いた指笛が居場所を知らせたはずなので、常ならばもうすぐ姿が見えてくるはずだ。
「―――来た」
だんだんと近づいてくる影を認めた青年は、それまで身に纏っていた緊張を解いた。優雅なその飛び様に瞳を和ませ、彼は緩やかに左腕を掲げる。すると、その腕に大きな羽音をたてていた影が柔らかく着地した。
「おかえり、シハク」
『ただいま戻りました、主』
返事を返したのはつい今しがた姿を見せた白い鷹である。
ずしっと重みを持った己の腕に乗る相棒の背を、彼は柔らかく撫でた。気持ち良さそうに目を閉じるシハクに青年は尋ねる。
「様子はどうだった?」
『賑やかで特に変わりありませんでした。みな闇の力が増してきたことを肌で感じてはいるようですが、特になにかをしようとしてはいないようです』
「そうか」
『・・・如何なさるのですか?』
「そうだな・・・」
シハクの問いに彼は暫し黙考し始める。
太陽の光を受けて青年の銀髪が鮮やかな煌めきを放つ。淡い花の香りを運ぶ風が頬を撫で、後頭部に一房伸びる腰までの髪を揺らしていった。
「行くだけ行ってみるか。
師匠の生まれ故郷らしいし、世界で唯一妖魔と戦える者たちが集う、バネッサとシェールがあるのなら見てみたい。
どれ程の力なのかを、ね」
『主のお好きなように。
私は主が行かれる所、どこまでもお供致します』
強気の発言にシハクはゆるりと目を細めた。
青年はふっと口許を緩めると、口内で何事かを唱えだす。
すると彼を囲むように淡い輝きが生じた。翠の光を放つそれは、複雑な記号と円で構成された魔法陣と呼ばれるもの。
「行こうか、ヴィーバルへ」
魔法陣を軸として渦を巻く風の中から、返事を返すように高くも低くもない鳴き声があげられる。
刹那、風は嘘のように収まり、舞い上がった葉がひらひらと落ちてくる。
そこに青年たちの姿はなかった。