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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

くすくす笑いのいたずら

作者: MonoCarky

――音に紛れて――


 不審なメールに気づいたのは、龍也がおふろに入ってるときだった。私はそのとき夕食の洗い物をしていて、着信音に気づき、振り返った。

 「Don't let me leave」という彼がつくった歌を着メロ用にアレンジした曲。それは友達などのメールが来たときに鳴る着メロだった。私のためにつくってくれた「愛佳」というバラードとは違い、アップテンポでキャッチーな曲。

 なにげなく見てみると『さやか』と背面のディスプレイに表示されていた。少しばかり思案した。龍也の友人は知っているし、そのなかに女友達がいるのもわかっている。けれど『さやか』という名前は初めて目にするものだった。ロックされているからメールの内容まではわからない。

 そのとき、妙案を思いついてしまった。


 ――これは浮気に違いない。


 それならば、捜査をしてやろう。龍也のいるシャワー室に目を向けながら私はニヤリと笑った。


 ……そのときはまだ、龍也のことを信じていた。




――追跡――


 その週の土曜、龍也はメンバーと練習があるといい出かけた。

 でもどう見ても出ていくときの龍也の格好は気合が入っていて、顔なじみのメンバーに会いにいく

という出で立ちではなかった。もし本当に彼がおかしく思っていないなら、後でおもいっきり笑ってやろうと考えた。逆におかしく思っていたなら、龍也はこちらの挙動に気づいていることになる。そうだとすると、あいつもかなりの手練れだ。

 道を歩く龍也の後ろをつけながら、私は1人くすくすと笑っていた。


 少し早い歩調の龍也を追っていると、ふとジーパンの後ろポケットに淡い黄緑のハンカチをみつけた。私が初めて彼にプレゼントした、高校のころの贈り物だとすぐに気づいた。


 隣のクラスだった龍也を登下校のときに見かけたり、うちのクラスの友達に教科書を借りにくるのを見つけたり、窓際の席から龍也が体育の授業を受ける様子を見つめていたころ。友人にそそのかされて、ない勇気をふりしぼって告白した。

 龍也は困り果てながら「1日だけ待って」と答えた。

 そして龍也は好きだったコに玉砕覚悟で告白をして、やはり見事にフラれた。

 彼女が去ってから陰でそれを見ていた私は、彼の元に歩んでいった。

 背中を向けたままで、彼は振り向かなかった。

 私はなにも言わず、黄緑色のハンカチを差し出した。

 彼もなにも言わず、それを受け取った。


 その日の授業が終わると、龍也は私のクラスに来て晴々とした笑顔で、

「これで後悔はしない。俺に後ろめたいことはもうない。だから、俺からもお願いします。愛佳さん、つきあってください!」

と、みんなの前で叫んだ。私はまっ赤になりながら、みんなのはやしたてるのを聞いていた。


 その日の帰り道で、

「これ、ありがとな」

とハンカチの礼を言ってくれた。

「洗って返すから」

 そう言っていたけれど、龍也がずさんでハンカチを持たないこともはしゃぎすぎてよくケガをすることも私はよく知っていたから、

「あげるよ」

といった。


 それ以来、龍也がそのハンカチを見せることは一度もなかった。


 そんなことを思い出し、まだ持ってたんだなあ、と嬉しく思っていた。




――夢の前の現実――


 そして龍也は、楽器店に入っていった。


 大学受験を目の前にして

「俺はミュージシャンになる!」

といい、受験だけはとりあえず、と勧める両親や教師をふりきって龍也はバンドを組み始めた。

 メンバーはすぐに見つかった。どうやら男同士でもう話を決めていたようだった。

 龍也はベースになった。ボーカルをしたがってはいたけど、しゃがれた声ではバンドのポップな曲調に合わなかった。メタルやロックが好きで、それを弾くときは楽しそうに歌っていた。普段はボーカルでなくても、好きな曲を歌えていれば満足そうだった。

 最近ではライブも好評で、固定のファンもついているみたい。


 ガラス張りの店のなか龍也が店員と話すのを外から見つつ、このあと私がつけていたと打ち明けたとき龍也がどう驚くか、反応を考えて私はウキウキしていた。


 龍也は結局なにも買わずに出てきた。バイトが厳しいと言っていたから、少し懐がさみしいのかもしれない。そのちょっと悲しそうな背中に、今すぐ声をかけて傍にいたということを伝えて、龍也を喜ばせてあげたくなった。

 でも、こらえた。こんなところでバレちゃったら、驚きが半減しちゃう。

 目を点にする龍也を想像して、私はもうおかしくておかしくて声を出して笑ってしまいそうだった。




――戸惑い――


 十字路に立って、龍也はいささか迷っているように見えた。家に戻る道とバンドメンバーの家に続く道と、もう1本の道。いらだったように足で貧乏ゆすりをしながら。

 龍也がゆっくり歩き出したのは、家でもバンドメンバーの待つ場所でもなく、ほとんど通ったこともないもう1本の道だった。

 やっぱりね。そう思いながら、予測が外れていないことに満足する。


 ずんずんと歩いていく龍也を、ほぼ走るようなかたちで追う。

 以前、ケンカしたことを思い出す。



 龍也は足が早く、いつもは私の歩調に合わせてくれていた。

 けれど、なにが理由だったか思い出せないくらい些細なことだったんだろうけれど、ケンカをしてしまった。

「じゃ別れよう」

 そう云って怒った龍也は私の答えも聞かずに、部屋を出て行ってしまった。


 それを追ったけれど、私に目もくれず去る龍也にはとても追いつけずに、私は道のまんなかで泣いてしまった。その声に気づいて、慌てて龍也は戻ってきた。

 嗚咽でしゃべれない私を優しく抱きすくめて、

「ごめん」

と呟いた。その優しさがうれしくて、余計に私は泣いてしまった。


 ほとんどケンカもせず仲よくしているだけに、こんなことを思い出すのは珍しいことだった。



 龍也が歩くのを追っているうちに、見たことのない風景に変わっていた。十字路ではいつも同じ道を通っていただけに、まったくこっち側は歩いたことがなかった。周りを眺めていると龍也を見失いそうになり、慌てて走る。けれど景色に興味がわいて、やはり見入ってしまう。

 そしてついに、龍也を見失ってしまった。

 後ろ姿を見ればわかるだろうと、きょろきょろ辺りを見回す。ここで離れてしまったり変にバレてしまったら、今までの苦労は水の泡になる。

 慌てながらも、やっとその姿を見つけた。よかった、と内心では叫んでいたけれど、すぐにその声は収まった。

 きれいなアパート。その一室。見知らぬ女性が招き入れる、その瞬間が目に入る。龍也は、部屋のなかへと消えていく。


「……あれ?」


 そう口に出していた。

 本当に、浮気? 状況を理解できず、なにも考えられない。



「実はつけてたんだ」

 私がそういうと龍也は驚く。

「ほんとかよ!? 気づかなかった」

 豆鉄砲をうけた鳩みたいに驚き、そして楽しそうに笑う。


 そうなるはずだった龍也。

 開かないドア。その向こうには龍也がいる。その姿を間違えるわけがない。


 だとすると。


 風が吹いて、顔が冷たい、と感じた。

 触れてみると、涙だった。




――諦め――


 暗くなっても、事態は変わらなかった。

 龍也は部屋にこもったきり、いくら待っても出てくることはない。すでに部屋には、ライトが点って明るい。

 私の立つ場所は街灯だけで、暗い。

 龍也を部屋に入れるときの女性の笑みが脳裏に浮かぶ。ファンの1人かもしれない。艶やかな口紅が映えて、大人びた世界をもっていた。

 ――私とは対照的。驚かそうと龍也をつけていた、子供じみた私とは。

 私は暗闇のなか、なにをしてるんだろう。まるで私の不幸と彼女の幸福とをを表しているようで、惨めになる。

 彼女の部屋のドアまで行こうともした。名前を確認すれば、なにかしら対処できるかも、と考えた。けれども龍也は彼女を選んだ。浮気というものが、一体どういうものなのかわからない。それは体験したことがないから。理解したいとも思わない。

 それよりも、これから私はどうするべきなのか……。足元の道は暗く、判断できない。

 龍也に問い質すべきか、なにも聞かず身を引くべきか、それとも今すぐ押しかけて彼女に詰問するべきなのか。

 なぜ私はここで立っているんだろう。どうしてか、龍也を待っている。

 ううん、本当は龍也が出てこなければいいと思っている。あの部屋から龍也が出てこなければ、すべて私の勘違いですむ。それを確かめるには永遠にここで見てなければいけないと知りながら、そうであればいいと考えていた。




――剥き出しの焦燥――


 一体どれくらい時間が過ぎたかわからない。突然、ドアが開いた。足早に龍也が出てくる。

 ああ、やっぱり龍也はあの女性のところにいたんだなあ、と思いのほか冷静に考えていた。けれど、なにかおかしい。

 龍也は眉をしかめ、そのすぐ後からあの女性が追いかけてきている。女性に至っては裸足だ。階段の前で龍也の腕をつかみ、強引に止める。顔をつき合わせて、口論しているように見える。どんな言葉を交わしているか、よく聞こえない。

 少し近づこうと歩を進めたとき、龍也に触れられて女性がバランスを崩す。大きく背中から階段を落ち、そのままガクガクと跳ねながら下っていく。頭をアスファルトに擦りつけ、首をしなやかに曲がらせたまま、その動きは止まった。

 そのまま、まるで録画したムービーを一時停止したように、なにもかもが動かなかった。


 それを動かしたのは、龍也の急いで下りる足音だった。

 女性は目を見開いたままで、龍也の顔色はみるみるうちに生色を失っていく。私は女性がどうなっているかを知った。

 龍也はせわしなく、きょろきょろと辺りを見回す。

 その目が私を捉える。

 龍也に怯えの色が浮かび、そしてすぐに視線を尖らせた。


 私が恐怖を感じるが早いか、龍也はこちらへ走り出す。荒々しく口を開き射抜くように私を睨みつけ、ただなにかを打ち崩す衝動に取り憑かれているように見える。

 とっさの判断だった。後ろよりも横道に逃げた。

 後はなにも考えられなかった。


 追ってきているのが龍也であるということなど忘れ、ただ恐ろしさから逃避しようとしていた。どこをどう進み今どこを走っているのか、自分の体力で走れる距離の限界、眩暈がするほど走って明日、仕事に支障が出たらどうするのか、どれほど龍也を愛しているか。すべてを振り切るように走っていると、肩を強く弾かれて前のめりに倒れた。顔面を守ろうと、左腕を先についてその上に倒れる。一瞬、

視界を白で埋め尽くすような鋭い痛みが左腕に走る。間隔をあけず重いなにかがのしかかる。そのなにかは、男の体躯の輪郭をもっていて、その影を闇に浮かべていた。

 あ、くるな。そう思った瞬間にはもう殴られていた。痛みよりも革製品を打ちつけるような、ともすれば裂けそうな強く乾いた音。手で顔をかばいたかったけれど、倒れた衝撃で左手は折れたようで動かず、右手だけで防ぎきれるはずもなかった。

 なりふりかまわず右手を振り回していると、指が引っかかりなにかが落ちた。

 揺らぐ視界のなかで、暗くて闇にいるとしかわからないことや、平手で殴られている音や、意外と落ち着いていて、そのくせ思考が追いついていないことに気づいていた。しばらく抵抗もできず何度も何度も殴られていたけれど、その手がはたと止まった。

 首はだらんと上を向いていて、逃げていた道の先が見えた。あまり広くない袋小路で、あのまま逃げられたとしても結局は捕まっていたんだと悟った。

 影が動き、その先を視線で追う。さっき落ちたなにかを拾ったようだ。とっさにそれを奪おうとするけど、左腕はやっぱり動かない。影はそれを手に、思いきり振りかぶった。奪おうと顔を浮かせてしまったため、顔面を打ちつけられてアスファルトで後頭部を強打する。さっきのような平手ではたく鋭い音はなく、私のくぐもった嗚咽が少しあるだけだった。

 次第に闇は晴れていった。

 けれどそう感じただけで、闇だけではなく痛みや恐怖やあらゆる感覚が霧散していった。

 そして視界は真っ白に消えた。




――『罪』と題された文章。大場龍也の日記より――


 まっ暗闇のさなか、聞こえるのは自分の呼吸音だけ。抗う様子もないところを見ると、もうこいつは死んだのかもしれない。そう思った。

 とにかく暗い。これからどうするかを考えるためにも、まず状況を把握しなければ。

 俺はポケットからケータイを出し、自分の股下に広がる人間の体を照らした。

 その面影は見覚えがあった。すぐあとに気づき、声が漏れた。


「愛佳………………」


 その驚きをどう表現すればいいだろう。雷に打たれたよう。息を呑む。目の前が暗くなる。晴天の霹靂。どんな言葉も、陳腐だ。

 慌てて愛佳の口に手をかざす。陥没し赤黒く腫れ、俺がそうしたにもかかわらず無惨だと感じた。呼吸はない。胸に手をあてる。鼓動も感じられない。ゆっくりと愛佳から離れる。世界が広く感じられた。

 もっとも愛する人を、自らこの手で。

 あまりにこの闇は広大で、愛した人なしに孤独に耐え切れそうになかった。


 そのとき、なにを考えたのか、俺は逃げ出した。走って走って走った。

 さやかを突き落としてしまい、気が動転していたとしかいえない。すぐに誰かに見られたと気づいた。それがまさか愛佳だったとは思いもよらなかった。彼女は背後の街灯に照らされ、逆光でシルエットしか見えなかった。口封じをしなければ。そうすぐに悟った。……あとは、衝動のままに動いた。

 その顛末が、これだ。



 どうやって帰ったかもわからない。気がついたのは家の玄関で、いつも待ってくれているはずの愛佳の姿はどこにもなかった。外は明るみ始め、手のなかにはハンカチがあった。強く握りしめてぐしゃぐしゃに、血で真っ赤に染まったハンカチ。

 いや、俺は隠すべきではない。そのハンカチは赤黒い色で、ところどころに黄緑の模様が残っていた。

 なにもかもが色褪せてしまった。愛情も、世界の精彩も、生きる情熱も。俺が壊してしまった。


 そのとき俺は思った。死のう、と。











――ニュース「大場龍也、自殺か!?」より――


 次のニュースです。

 ロックバンド「SIN」のメンバー、大場龍也さんが自殺を図ったということです。

 現場には遺書とみられる日記と血痕のついたついたハンカチが残されており、警察では「自殺の見込みが強いが、他殺の可能性も否定できない」と発表しています。

 大場龍也さんは「SIN」のベーシストとして活躍、作詞・作曲をともにこなし、重厚なベースのテクニックにはファンも多く、メディアの前では決して笑わないという影のあるムードが大人気でした。

 彼のつくった「哀歌」がミリオンヒットを打ち出し、「SIN」は一躍トップミュージシャンの仲間入りを果たしました。以降も、老若男女を問わずに人気を保っていましたが、女性の噂がまったくなく「男色」の噂がささやかれていました。本人は否定していましたが、メンバーは「昔ちょっとあってね」と思わせぶりな発言をするも、それ以上は語らなかったということです。


 大場龍也さんは現場近くの病院に搬送され、つい先ほどまで手術を受けていました。手術は10時間を越え、大場龍也さんは…………



 完

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