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第一部
9/53

見えたもの ~それは近い未来に~

「エリオットさんっ! 起きてくださぁい、朝ですよーっ」


 寝ぼすけを揺すり起こしているレクチェさんを垣間見ながら、私はベッドを椅子がわりに座って砥草で歯を磨く。ぐらんぐらんと揺すられながらも彼は一向に起きようとしなかった。何となく覚えのある光景にげんなりして肩を落としてしまう。


「うぅ……」


 お、若干の反応あり。

 シャコシャコと歯を磨きながらその様子を見ていると、彼は薄らとその緑の瞳を開いて、傍らに居るレクチェさんの存在に気がついたようだった。


「あっ、起きました?」


 パァッとそれまで困っていた表情をしていたその顔を明るい笑顔に変えて、彼女は寝ぼすけに語りかける。


「おー……おはよー」


 そして上半身だけむくりと起こしたエリオットさんは、自分を起こしてくれていた彼女の左頬に軽くキス。


「!?!?」


 総毛立つレクチェさんを見るまでもなく私はベッドから立ち上がり、左足で彼のわき腹に回し蹴りを放った。

 ドゥフ! ともろに腹に入り込む私の一撃に、悲鳴すらも詰まらせてエリオットさんは悶絶する。とりあえず歯を磨いていては会話も出来ないので私は無言でその場を後にし、キッチンで口を漱いでから戻ってきた。そこにはまだわき腹を抱えてのた打ち回っている変態が一匹と、その変態を上からバシンバシンと叩くレクチェさん。

 呆れ顔で私は言い放った。


「起き抜けにあんなものを見せないでください」


「けっ、蹴らなくても……しかも本気で……」


 涙目でのそりと再度体を起こすと、エリオットさんは何やらこの私に文句を言う。私は半眼で冷めた視線を彼に投げながら言ってやった。


「姉さんを助けたら、次の標的は貴方ですよ」


 一度痛い目に遭わせないとこのテの輩は反省しないから手に負えない。


「ちょっとキスしただけなのに……」


「ちょ、ちょっとって事無いです! 私本当にビックリしたんですからっ!!」


 もう私が突っ込むまでもないようだ。顔を真っ赤にして慌てていたレクチェさんは、少し落ち着いたところで今度は彼の救いようの無い愚痴に叱咤する。

 彼女を気に掛けているルフィーナさんが今のシーンを見たならもっと怒っていただろうか。だがルフィーナさんは今、用事があると言って朝早くに隣の家に出かけたままだ。

 今度はさっきよりも少し弱めにぽかぽかと叩かれているエリオットさんも、ルフィーナさんがいない事に気がついたようだ。レクチェさんに叩かれながら、こちらに問いかける。


「ルフィーナは?」


「エリオットさんが間抜け面で寝ている間に出かけました」


「あぁそうかい」


 彼は叩き続けるレクチェさんの手首を掴んで止めると、布団から出てベッドを降りた。掴んでいた手を離してから、そのまま背伸びをして大あくび。


「悶々としてなかなか寝付けなかったんだよ。正直もっと寝ていたい」


「……寝込みを襲うか襲わないか悩んで、ですか?」


「襲うわけじゃない! ちょっと一緒に寝るだけだ!!」


 もう答えるのも苛立たしいので返事代わりにもう一発、今度はその無防備な尻に蹴りを入れてやった。今度は声を出すだけの余裕はあったようだ、『いだいっ!』と犬のように甲高い悲鳴を上げてエリオットさんは飛び跳ねる。

 そんな、気の緩みきった朝。

 くだらない事がとても大事なものだったと、気付けなかった……朝。




 凍った針葉樹が幅を狭めるその雪道で、私達は二頭の馬を使って南下していた。


 他の女性をエリオットさんと一緒に乗せるのは憚られるので、私が手綱を持った彼の腕の中にすっぽり納まりながら槍を手に一緒に乗っているという……大変遺憾が残る状況になっている。それはエリオットさんも同じようで、始めは何やらぶつぶつ言っていたが今はもうそれも無い。

 ルフィーナさんの推測としてはこうだった。姉さんが王都より南で何か動きを見せた様子が無いのでまだ北方にいるのではないか、という。無論その裏づけとなるのは、ここにまだレクチェさんがいるという事実。

 そしてこちらを探すつもりならばツィバルドに潜伏している可能性も高い。あれだけ大きな街だと今まで滅ぼした村などと違ってそう簡単には手を出せないから、あえて潜み伺っている可能性も考えられるのだ。


 背もたれに預ける体重を少し増やし、私はしばらく馬に揺られながら凛と張り詰めた午前の空気を肺に入れて意識を確かなものとした。


「くっつきすぎだっつーの、重いぞ」


「背もたれは黙ってください」


「誰が背もたれだ!?」


 ツィバルドで借りていた馬を返し、とりあえず情報収集をする事になった。姉の顔は指名手配によってそれなりに目立つ、多分顔は隠して行動しているだろうから尋ねる時に使う特徴はあの大きな剣になる。

 流石に街中で戦闘にはならないだろう、と二手に分かれて行動となった。勿論、私はエリオットさんとセットにさせられる。が……


「俺一人でいいし、お前も一人でいいだろ」


 と、エリオットさんは勝手に一人で歩いて行ってしまった。まぁ私も一人で問題無いので特に気にせず人ごみに溶け込んだ。

 しばらく情報収集を置いてぼーっと街の見物に耽っていると、ふと通り過ぎる人並みの中に目を引く人物が居て思わず姿を追ってしまった。


 三つ目、か……

 少し首元で刈り上げられている青褐の髪は、センター分けで大きく額を出している。そしてその額には、大きな第三の目。知られていないわけではないが、比較的見かけるのは珍しい劣勢種族だ。その理由は他の血に負けてしまう為、異種族間で子を成すとその特徴である第三の目は受け継がれないからである。


「!」


 そんな彼と、ふと目が合う。

 私と同じくらい、いや少し上か。まだ幼さが抜けきっていないその顔は額の目を除けばよく整っていた。白い立て襟のシャツにベビーブルーのリボンが締められ、最後に小気味良く銀のピンで留められている。

 肩から鳩尾くらいまでの長さのコバルトのマントジャケットはシンプルな七分袖で、前はボタンで留められるようになっているが一番上のボタンだけしか留めていないので歩くとひらりとマントが揺れた。


 少年はその漆黒の半ズボンから綺麗な太腿をこの冷たい空気に晒け出して、人ごみの中こちらにゆっくり近づいてくる。

 視線を合わせ過ぎたか、私はふぃっと顔を彼から逸らして去ろうとする、が、

 私が視線を外した瞬間に腰のポーチを奪われてしまった。


「なっ!?」


 そして彼は人ごみにまた潜り込み、私は一瞬にして見失う。

 まさかこんな堂々としたスリがあるだなんて思いもせず、一瞬呆然としてしまったがすぐに気を取り直して追いかけた。方向だけが頼りだ。


「もーっ!!!」


 こうして、追いかけっこが始まる。




「はぁっ……」


 街外れにいる私はすっかり熱くなった体を上下に揺らしながら息を吐いた。

 街中を探したのだがちっとも見つからない、影一つ追えやしない。まさかもう街の外へ出てしまったのだろうか、そんな外へ出られるほどの荷は持っていなかったように思うのだが……

 取り返すのはもう絶望的か、と肩を落として私はまた街の中に戻ろうとする。そこへエリオットさんが同じく息を切らしてやってきた。


「おま、何で走り回ってるんだよ、何かあったのか……っ」


 どうやら私を見かけて勘違いして追ってきたらしい。


「いえ、実は……」


 そして説明する。


「三つ目の子どもか、それ見たな」


「どどどど、どこでですか!?」


「酒場」




 エリオットさんに案内され酒場へ行くと、酒場には似つかわしくない先程の少年が昼間っから酒を飲んでいた。少年はこちらに気がつくと一瞬顔色を変えたが、すぐにふてぶてしい態度で椅子に座り直す。


「私の持ち物を返してください」


 ダンッ! と彼が着いていたテーブル席を叩いて言うと、まだそこまで多くはない周囲の客がこちらに視線を投げかけた。


「さっき俺の事見てたよね? 見世物になってやったんだから貰う物貰っただけだってば」


「ぐっ……」


 見世物、と彼は言う。

 確かに先にじっと見てしまったのはこちらの方だ。彼のような珍しい種族からすればよくある事であり、そしてとても失礼な事なのだろう。実際お金を取られても文句は言えない。


「けっ、けど! ちょっとそれは高すぎませんか!?」


 流石の私もここは食い下がる。ポーチの中にどれだけの大金が入っていると思っているのだ、全部取られるわけにはいかない。

 少年はポーチを手に、私とエリオットさんを交互に見ながら呟いた。


「まぁ、確かに高かったかも」


 そしてポーチをこちらに投げ返す。


「何だよクリス、お前が悪かったんじゃないか」


「……確かに一理あります、減った分については咎められる立場では無いでしょう……」


 そう言って私は返して貰ったポーチを腰に着ける、があまりの軽さにびっくりしてしまった。まさかと思ってポーチを開けるとそこにはライトさんから貰ったネックレスが無い。

 慌てて三つ目の少年を見ると、涼しい顔。キッと睨みつけると肩をすくめてジョッキを飲み干す。この若さで既にいい飲みっぷりなのが腹立たしい。


「お金よりネックレスのほうが大事だった?」


 ネックレスの価値がどれほどの物か分からないが、盗品かも知れないのだ、簡単に人に渡すわけにはいかない。


「……大事です、返してください」


「盗品なのに?」


「!?」


 物を見てもいないエリオットさんが私達のやり取りに若干ついていけないようで、不思議そうにこちらを見ている。

 彼はそのネックレスが盗品である、と確かに言い、思わず私はそれが事実だと言わんばかりの表情をしてしまう。

 彼がそれを見てにやりと笑った。その三つの瞳で私の中まで覗き込むようにじっと見つめてくる。


「あんた達二人の探し物は、見つからないよ」


 そして急に、何の根拠があるのかも分からない言葉を鋭く言い放つ。


「何だぁ?」


 ますます分からなくなったエリオットさんはいい加減に飽きてきたのか、ガシッと少年の頭を押さえ込んで顔を近づけ脅し始めた。


「ぐだぐだ言ってねぇで出すもん出せや、こっちが下手に出てるからって調子ん乗ってんじゃねーぞコラ」


 もはや王子の威厳ゼロ、タチの悪いチンピラのように少年に喰ってかかる。少年は怯える様子も無く、わざとらしく両手の平を上に上げて茶化した。


「おー怖い、王子様がそんなんでいいの?」


 少年がそう言った瞬間、エリオットさんは彼の頭を掴んでゴンッとテーブルに叩きつける。エリオットさんの逆鱗に触れた少年の頭が鳴らした大きな鈍い音に、周囲は流石にざわめき始めた。


「俺は男にゃ容赦ねーんだよ、子供だからって手ぇ出さないと思ってたら大きな間違いだぞ」


 そしてそのまま掴んだ頭をぐりぐりと机に押し付ける。


「ちょっと、流石にその辺で……」


 私はきょろきょろと周囲の目を気にしながらエリオットさんを止めに入った。だがしかしその直後、少年が発した異質な空気にビクリと体を震わせてたじろいでしまう。エリオットさんも思わず掴んでいた手を離して一歩後ろに下がった。

 机に頭を突っ伏したままの少年の背から何か魔術的な威圧を感じ、私は背中の槍に手だけかけて警戒する。


「折角助言してやろうと思ったのにひっどいやり方だな、信じらんない」


 少年は顔だけ上げてこちらを三つの目で睨む。その目は先程の青褐色ではなく、熟れた葡萄のような赤紫の色に変わっていた。


「俺はこんな変なガキとばかり縁があるのか……」


 何かエリオットさんがぼやいている。


「女難の相ならず子難の相、とでも言えばいいのかな。多分、そういう縁、あるよ。子どもには気を付けなよ」


 そのぼやきにわざわざ少年が答えるが、その答えた内容についてはさっぱり理解し難い。少年は上着の中からごそごそと例のネックレスを取り出し、


「捕まえられたら返してあげる」


 見せびらかしながらサッと逃げていく。


「あっ、ちょっと!!」


 不意を突かれた私とエリオットさんはすぐに追いかける足が出ず、その場は逃げられてしまう。


「こんのやろー!」


 二人で慌ててまた追いかける事になった。

 今度は先程と違い辛うじて少年の姿が見える。とにかく見失わないように追うだけだ。

 しかし路地から路地へいくつも角を曲がっては、少年に翻弄され続ける。

 彼は背中に目でも付いているのか、走りながらもこちらの位置を把握しているように華麗に逃げていた。人ごみを掻き分け、やっと入ってくれた路地裏では、あと一歩のところで彼の背に手が届かない。

 軽やかに逃げ続ける少年に導かれるように私達は街の南口へと着いた。

 ふと、少年が足を止める。それに釣られてこちらも思わず追う足を止めてしまう。

 既に周囲に人は居らず、少年は私達に背を向けたまま右手にずっと持っていたネックレスを高く振りかざした。


「ゲームオーバー」


 少年は顔を上げ、持ったネックレスを少しずつ下げていく。後姿からはよく見えないが、まるでネックレスを食べようとしているような構図だった。そ、そんなわけない、と思いたい。

 が、ネックレスが下がりきる前に突然それは現れた。

 素早く少年の手からネックレスを奪うのは……


「本当に、目を離すとすぐコレです」


 白緑の髪の青年。


「ふぇっ!?」


 流石の少年も何が起きたか分からないようでこちらを振り向く。だが見るべき方向はこちらではない、少年の真横にいるセオリーだ。

 セオリーは以前と同じような藍色の軽鎧を身に纏って、何も無かった場所に現れて少年のネックレスを横取りしたのである。


「……!? あんた、生きてないな?」


 少年はやや怯えたようにセオリーから少しずつ距離を取っていく。


「何故貴方がコレを持っているのか教えて頂けますか?」


 その紅い目は少年を射るように見つめた。氷のような視線に耐え切れず少年は喋りだす。


「そ、それはそこの連中が持ってたんだ……俺は美味しそうだったから取り込もうと思っただけで」


 少年の回答にセオリーは呆れ顔で溜め息一つ。


「もし貴方がコレを取り込んだのなら、切り裂いて濾過させてでも取り返すところでしたよ」


「っ!!」


 ビクッと震えて、少年はその言葉に完全に萎縮している。

 エリオットさん相手ですら表情を崩さなかった三つ目の少年は、セオリー相手には完全に恐れ慄いていた。目の前のものが人形とはいえ、やはりセオリーは何か得体の知れない存在なのだろう。


「で、貴方達は何故コレを?」


 三つ目の少年への興味が無くなったのか、今度はこちらに尋ねてくる。


「姉の持ち物です……本当の持ち主が分かったら返すつもりでした」


「じゃあ返してください」


「!?」


 姉さんがセオリーから盗んだ? とてもそうは思えない。あれをこのまま奪われていいのか? セオリーの言い方からすると随分重要な物に感じられる。


「本当に、貴方の物なんですか?」


「少なくともコレを扱えるのは私達だけ、と言っておきましょう」


 その答えは……自分の物では無い、と暗に否定していた。だめだ、これは渡してはいけない、取り返さないといけない。

 そこへパァン! と、私の耳元で甲高い銃声が鳴り響く。そして二発目、三発目。

 それらはネックレスを持っていたセオリーの手と、彼の頭と心臓と、全てを綺麗に撃ち抜いていた。ダメージは相変わらず無いようだったが、持っていた手からネックレスが零れ落ちる。私はすぐに走ってネックレスに手を伸ばしながら飛び込んだ。


「よし……っ!」


 勢い余って転がりながらも、確かにネックレスをこの手に掴み取った。


「いつもいつもマナーの悪い人ですね……」


 やや怒っているようで、かすかに声が震えている。その怒りの矛先はエリオットさん。


「戦いにマナーもクソもあるかよ! いつもいつも喋ってばかりの間抜けなお前と一緒にすんな!!」


 セオリーには不意打ち以外は通常攻撃は通用しない。エリオットさんは銃を仕舞うとその拳に薄らと光を纏った。

 私も取ったネックレスをすぐに服の中に仕舞い込んで槍の布を剥ぎ取って応戦体勢に入る。


「あ、頭や胸じゃない、左肩を狙って!!」


 気付けば随分距離が離れた場所にいる三つ目の少年が、大きな声で叫んだ。ピクリと、一瞬だがセオリーの顔が歪む。


「分が悪いようですので、引き上げましょう」


 彼が赤いマントを翻した。


「逃がすか!!」


「逃がしません!!」


 ほぼ同時に私とエリオットさんが左肩めがけて飛び掛かる。

 だが私達の攻撃を受け切る前に煙のようにセオリーの体は消えてしまい、私の槍がエリオットさんの腕の寸分近くのところの空を切った。


「うおおおぁぁ……」


 エリオットさんの間抜けな呻き声。


「危ない危ない」


「危ないなんてもんじゃねーだろコレ!」


 とりあえず突っ込むだけ突っ込んでから、エリオットさんは息を整える。私もふぅ、と落ち着けてから目をやる先は……三つ目の少年だった。

 少年はこちらの視線に気付くと、逃げる事もせずに観念した様子でどかりと雪に座り込んだ。短パンで。


「あんなのに立ち向かう連中に、逆らうだけ無駄ってもんだよ……」


「往生際がいいじゃねーかクソガキ」


 エリオットさんが上機嫌で少年に近寄る。


「まぁ無事ネックレスは取り返したし放っておきましょうよ。元々こちらにも非はあったんです、追い詰める事も……」


「俺に非は無ぇよ?」


 ぐるりとこちらに顔を向けるエリオットさん。薄目でこちらを睨むその顔は、まだ責めが消化不良である、と告げていた。

 少年に向き直るとエリオットさんはパンパンと二回手を打つ。


「はい、まず自己紹介~」


 座っている少年を見下ろしながらの形で、完全に相手を舐めている口調で事を強要していた。少年はやや不貞腐れた感じで返答する。


「……フォウ・トリシューラ。ルドラの民です……」


「そーかいそーかい、で、何であのクソヤローの弱点が分かったんだ?」


 確かに彼の助言が無ければすぐにセオリーが撤退する事は無かっただろう。


「俺は、大抵の事は見通せるから……」


 エリオットさんの問いに、フォウと名乗った少年はあまり言いたくないようで、ぼそぼそと答えた。


「三つ目であるルドラの民が占術に長けているのは知ってる、でも見通すって何だ? その額の目ですぐに何でも見えちゃうってか?」


「違う、俺は…………四つ目だよ」


 その答えに私とエリオットさんの目は、点になる。

 どこからどう見ても目は三つしか見当たらない彼は、自分を四つ目だと言い張った。目は点のまま、どうしようもないこのもどかしい気持ちをとりあえず口元だけで笑みを作る事で誤魔化し、そして首を傾げる。

 エリオットさんは少し間を置いてから再度聞いた。


「で、何だって?」


「四つ目だって言ってんでしょ! 無かった事にすんなよー!!」


 両手をぎゅっと握って、ワァワァと少年が叫ぶ。


「いやだってどこにもう一つの目があるんだ?」


 もっともなエリオットさんの問いに、勢いよく為される返答。


「背中!!」


 私達はお互い顔を見合わせてから、再度少年を見て、そして二人仲良く首を傾げた。

 背中に目があっても、服着てたら見えないのではないか? その疑問に答えるように彼は続ける。


「目って言っても要するに天然の魔術紋様なんだ。俺は背中の目で、本来の『目』では見えないものが色々見えるんだよ」


 なるほど、だからセオリーの弱点……多分操る為の核となっている位置が分かった、という事か。確かに左肩などわざわざ狙おうとしない、核を置いておくには悪くない位置だ。

 そこで、


「何か便利そうだな」


 エリオットさんの目がきらりと光る。


「見たくないものも見えるけど便利だよ」


 ちょっと嬉しかったのか、得意げになる少年。エリオットさんは座っている少年の目線まで腰を屈めて彼に問いかける。


「じゃあ俺が何考えてるとかは分かるのか?」


「……具体的には分からないけど、い、嫌な感じがするってのは分かる」


「そんな力があったら、いい様に使われてきた人生だったんだろうなぁ?」


 にやにやとイヤらしい笑みを浮かべて少年の肩をぽんぽんと叩くと、その肩を急にガシッと掴み、大の大人である彼はこう言った。


「ちょっと来いや」


 もう片方の手で親指だけ立てて、街の中をクイクイ、と指差す。




「どうせだしもうここで一泊するぞ」


 そう言ってエリオットさんは宿の一室を借りた。二人部屋なので後でルフィーナさんとレクチェさんにも別に部屋を取る事になるだろう。

 部屋の木の椅子に少年を座らせて、エリオットさんはまるで取調べのように少年の周囲をゆっくり回って眺める。


「何をする気なんですか?」


 おそるおそる尋ねる私に、彼はにやりとこう答えた。


「ローズの居場所だとかそういうの聞いたら便利じゃね?」


 まぁ確かに、答えてくれるなら便利な事間違い無しだ。けれど少年は静かに首を振る。


「俺が分かるのは今目の前にいるその人の事だけ、だから人探ししろって言われても分からない」


 それを聞いてがっかりと項垂れるエリオットさん。何と浮き沈みの激しい人だ。私はそこまで期待をしていなかったので、特に何とも思わなかった。


「でも」


 と、そこへ少年が続けた。


「二人が今探しているものは今見つからない、そして二人の今の願いも叶わない」


 随分と抽象的な予言のようなもの、けれども後ろ半分はきっと姉さんの事を言い当てている。救いたいという願いが叶わないのだと、そう言われてるような気がした。


「…………」


 私もエリオットさんも黙ってしまう。


「黙んないでよ、俺の見えているものはいつだって『今』なんだ。今の流れのままでいったらダメだけど、流れを変えられれば大丈夫」


「流れを、変える?」


 私は縋るような気持ちで、問いかけた。


「今見つからないって言われた時、じゃあどうしよう、って考えるでしょ? それはもう流れを変える事の出来るものの一部。俺の言葉で意識を変えた二人がうまく解決出来る何かを導き出せれば、変わる。俺が見える程度の未来なんて、そんな不確定なものなんだ」


「何だか簡単なようで難しいですね……」


 うーん、と腕組みをしてその場で考え込む。少なくとも今のままではダメなのだ、という事は普通に姉さんを探して止めたとしても、本当の意味で救う事は出来ないのだろう。


「俺が王子だ、って言い当てたのは単純な知識か?」


 そこへエリオットさんが別の質問を投げかけた。


「うん、一度見たものは忘れないから」


「じゃあのネックレスもどこかで見て、盗まれた事を知っていたのか?」


「いや、あれはネックレスがそういうオーラを纏っていたんだ。不正な流れで物が渡っていると自然とそういう色になる」


 どんな色だろう?

 まぁ聞いても仕方ないので私はそこには触れないでおく。と、そうなるとこの背にある槍は彼にはどう見えているのだろうか。これも私の手に渡った経緯は複雑だ。これは気になるので聞いてみる事にした。


「じゃあ、この槍はどう見えます?」


 私の何となく出ただけの問いかけに、少年は何故か勢いよく食いついた。


「そう! そいつね! 君のなんだよ!! そこまでハッキリとその人の物になっているのは珍しいから目を引いたんだよね!!」


 何故か目をきらきらさせて話し始める。


「物にはね、ちゃんと気持ちみたいなものがあるんだ! 君はその槍に認められてるんだよ。顔も可愛いし、物に好かれるくらいだから、きっと性格もいいんだろうなぁって……」


 そこまで言ったところで彼はよく喋っていた口を急に止めて俯いてしまった。とりあえず褒めて貰ったような気がするのでお礼だけ言っておこう。


「……ありがとうございます?」


 疑問形で、お礼。


「あ、いや……」


 俯いたまま口篭っている少年に、どうしたものかと私が困っているとエリオットさんが本日一番のにやにや顔でこちらを見ていた。

 あまりに見ていて気分の悪い顔なので、私はやや険しい顔でエリオットさんを窘める。


「何ですかその顔、周囲は見ていて良い気はしませんよ?」


「いやだって、おモテになってるようなので笑いが止まらなくてですね」


 そう何か変な敬語を使って言うと、くくく、と手で口元を押さえながら漏らすように笑う。

 何なんだ、とふと少年に視線を戻すと彼は耳まで真っ赤になっていた。

 ここまでくると流石の私もエリオットさんの言わんとしている事に気が付き、顔がみるみるうちに熱くなるのを自分でも分かるくらい感じてしまう。


「う……」


「ぎゃははははは!!」


 もはや我慢もせずに、品の無い笑い声を部屋中に響かせるエリオットさん。しかし私も少年も、ぽぽぽと顔を赤らめて黙りこくる事で精一杯。ツッコミ不在のこの部屋は、今エリオットさんの笑いたい放題な状態になっていた。

 ひぃひぃ、と腹を抱え笑う事にも疲れ始めた彼は、涙目になりながらようやく会話を再開させようとする。もとい、状況を面白おかしくさせようとする。


「い、いいんじゃねーの、仲良くやれよ……ぶはっ」


「もう! からかわないでくださいよ!」


 恥ずかしさも落ち着いてきたところで、私はエリオットさんに改めて怒った。半ズボンの少年も、顔を手でぱたぱたと仰ぎながらようやく顔を上げ、


「二人の名前……聞いてもいい?」


 ぼそり、と呟く。


「あっ、クリスです。名乗るのが遅くなって申し訳ありません」


「俺の名前は知ってんだろ? こいつの名前が聞きたいのならそう言えばいいじゃねーか」


 まだ茶化しているエリオットさんの鳩尾に、私はドスン、と重いパンチをお見舞いしてあげた。

 彼はゲホゲホと咳き込んで腹を押さえながら膝を突き、その様子を少年がややビックリしたような顔で呆け見ている。

 まぁ、何やら理想像を作られていたみたいなので、幻滅して貰うには丁度いい。


「……しかし、お金を盗むまでは分かるのですが、どうしてあのネックレスをその、取り込もうと? しちゃったんですか?」


 私はエリオットさんを憐れむような目で見つめていた少年に問いかける。

 少年はハッと顔を上げて私と視線を合わせると、椅子に座ったまま横にある机に片肘をかけてゆったりとした姿勢を繕い話し出した。


「俺はあのテの魔術道具を取り込む事で第四の目の力を増幅させる事が出来るんだ。これは、天然の魔術紋様を持ち合わせて生まれた奴なら大抵はやってる事だよ」


 少年がそこまで言うと、エリオットさんはそこへ割り込んでくる。


「ライトやレフトも、そうだな」


「! そうなんですか!」


 ライトさんは……多分あのディビーナとかいう力だろうか、あれの元となる魔術紋様が体のどこかに刻まれている、という事になる。

 しかしレフトさんも名前が挙がったという事は、レフトさんも何か能力を持っているわけで……まだ見た事が無いけれど、もしかするとレフトさんも少しはディビーナを使えたりするのかも知れない。いや、彼女の場合はそんな能力関係無しにアクセサリでも魔術道具でも何でも食べてしまいそうだ。


「クリスと目が合って、何か面白いものばかり見えるしちょっと構おうとスったんだけどさ、あんな上物を見ちゃったら食べたくなっちゃって……」


 そして少年は、申し訳無さそうにこちらを見上げ、照れ笑う。


「そういう事だったんですね」


 確かに自分の能力が上がるとなれば欲しくなる気持ちも分かる。そうすると素直に私に渡してくれたライトさんは何ていい人なんだ。

 と、思ったが彼が私に渡してくれた時、彼は『変な感じがするから手元に置いておきたくない』と言っていた。

 少年は目先の欲に囚われていたようだが、取り込むのも憚られるような何かがこのネックレスにあるのかも知れない……


「このネックレス、一体何で、どうやって使うんでしょうね……」


 私は服の中からごそりとそれを取り出す。

 私にはただの豪華な琥珀のネックレスにしか見えない。ちらりと横を見るが、えーと、フォウさんも分からない、と言うように首を傾げたり振ったり。

 一つ引っかかるのが、このネックレスを持つ事になったのは王都からである。あれから随分日数が経っているのに何故今更セオリーが出てきたのか。

 もし私達を見張っているのならば、あの時これがどこから流れてきた物なのか知っているはずだ。だが彼は知らなかった。私が今まで持っていた事は知らず、フォウさんに盗まれた事で初めて物を発見したような素振り。


「見張られているのは、いつ……?」


 思わず、口に出してしまう。

 フォウさんは私の独り言に怪訝な顔をしたが、エリオットさんは何の事なのか気付いたようだった。


「セオリーの事か?」


「えぇ、私このネックレスはライトさんの病院で預かったんです。けれど今頃になってセオリーに見つかったようなので不思議だな、と……」


 一間置いて、その疑問に彼がいくつかその理由を挙げてみる。


「そうだな……家の中は見えない、でなきゃライトんところに居た頃はまだアイツが回復してなくて見張れかった、あと考えられるのは……」


 私とエリオットさんの目がしっかりと合った。彼のその瞳はやや細くなり眉間に皺が寄る。

 そのように一瞬真剣な眼差しになったかと思いきや、彼はふっと力を抜いて視線を外し、机に両手を突いて寄りかかり気味な体勢で呟いた。


「アイツがメインで見張っているのはお前では無い、かな」


「あ!」


「どれくらいの範囲を一度に見張れるのか知らんが、この間と大きく違うのは同行メンバーだからな」


 同行メンバー……ルフィーナさんとレクチェさんの事で思いだす。そういえば何にも姉さんに関する情報を全く仕入れていないではないか!!

 その事に気付いていないのかそれとも単に気にしていないのか、エリオットさんは平然と宿を取ってくつろいでしまっているわけで……普通に考えたらかなり酷い。残りの二人に探し回らせたまま、こちらは何もしていないのだから。

 私は後ろめたさから急に落ち着かなくなり、とりあえずネックレスをバッグに仕舞って切り出した。


「え、エリオットさん、ルフィーナさん達を放置はまずいんじゃ……」


 私の言葉を受けても、エリオットさんは微動だにしない。

 その額には、脂汗が滲み出る。まずい、と答えずとも表情が心情を物語っている。その場にいたフォウさん以外の私達二人は、そこから意識を取り戻し活動を再開するのに少々時間が掛かった。




 フォウさんを部屋に置き去りにしたまま、大慌てで広い街中を探し回る。三十分くらいかけて何とかルフィーナさんとレクチェさんを発見し、やっと今し方宿に戻ってきた次第だ。


「フォウさん、まだ居ますかね」


 私は本来逃げてもおかしくない彼の事を話す。


「エリ君が無理やり引っ張ってきたっていうルドラの民の子? もし私なら今のうちに逃げるわねぇ」


「ですよね」


 そう言って借りた部屋の扉を静かに開ける、と相も変わらず最初に座らされた椅子にちょこんと座ったまま私達を待っていた四つ目の少年。逃げてなかったとは驚きだ。


「おかえり」


 こちらを少しだけ見て、椅子から下ろしているその生足を落ち着きなくゆらゆらさせながら、一言挨拶。

 きっと暇だったのだろう、テーブルの上にはナプキンで何かを模ったのであろう物体がいくつも折られ置かれていた。パッと見で、鳥や亀は把握出来る。


「ちゃんと待ってるとはイイ子ちゃんじゃねーか」


 エリオットさんが茶化すとフォウさんは呆れ顔でそれに返答した。


「王子様性格悪そうだし、逃げたら何されるか分からないじゃん……」


 それもそうだ。

 とりあえず彼にとって新顔の二人を紹介せねばなるまい。私はフォウさんに向かって、ルフィーナさんとレクチェさんを手で示そうとした。が、そこへルフィーナさんが飛び出てくる。


「何この子!!」


 東雲色の長い髪を揺らして猛ダッシュ。そしてフォウさんへダイブ。その間僅か一秒、数えてないけど多分そんな感じ。


「わぶっ!?」


 抱きつかれた彼は当然といえば当然だが、驚いて目をぱちくりさせる。私も経験があるなぁ。

 フォウさんをぎゅーっと抱きしめながら、ルフィーナさんのその右手は徐々に下へ移行しその露出した太腿を……撫でてる!! この人太腿を撫でてる!!


「ぴゃ!」


 撫でられてどこから出ているのか分からない悲鳴を上げた少年と、そしてそれにも構わずスリスリと撫で続けるエルフ。

 私とエリオットさんは呆れて物も言えなかった。

 かわりにレクチェさんが怪訝な目で彼女を見て、呟く。


「ルフィーナ、さん……?」


 変質者でも見るように、その瞳の奥は蔑んでいるような冷たさ。あぁこの人もマトモじゃなかったんだ、と。


「はっ!?」


 その冷たい視線に気付くと慌ててそちらへ振り返り言い訳をする。


「ち、違うのコレは!」


「何も違わねーよ!?」


 ルフィーナさんの言い訳になっていない言い訳に、エリオットさんが即座に突っ込んだ。

 ようやく解放されたフォウさんはまた顔を真っ赤にして俯いてしまう。単にこの人ピュアなだけなんじゃないだろうか、すぐに赤くなるようだ。

 ルフィーナさんは更にダメ押しで言い訳を試みる。


「子供の生足が目の前にあったから撫でた! それだけなのよ!」


 この弟子にしてこの師在りだった!!

 エリオットさんのセクハラの言い分と同レベルという最悪の言い訳を聞いて、レクチェさんは現実逃避を始める。もう誰も信じられない、と何も無い宙に向かって何やら独り言を発していた。


「か、帰ってきてくださいレクチェさん!」


「クリスさん……」


 一瞬にして疲れ果てたような表情になっている彼女を、どうにか現実に戻そうと肩を揺すって声を掛ける。反応はあるが、目はまだ虚ろ。

 とりあえずルフィーナさんの奇行を無かった事にして、フォウさんへレクチェさんを紹介する事にしよう。


「フォウさん、こちらレクチェさんって言います」


 無理やり現実へ戻させる作戦には成功したようで、レクチェさんも私の紹介に沿って挨拶をしてくれた。


「こっ、こんにちは、レクチェですっ」


「……こんにちは」


 ペコリ、と彼は頭を下げる。

 が、彼にはレクチェさんに何が見えているのか。真っ赤にしていた顔を青褪めさせて、そのまま黙ってしまい会話は続かなかった。


「……私に何かついてる?」


 彼女が聞くと、フォウさんは私に視線を投げかけて尋ねてくる。


「何も……見えないんだ。この人も人形なの?」


「!?」


 この人も、という事はきっとセオリーの時も何も見えなかったのだろうか。そしてレクチェさんにも見えないから人形なのか、と彼は聞いているのだ。


「えっ?」


 その言葉の意味をよく分かっていないレクチェさんはただ素直に疑問を表した。

 気付けばエリオットさんもルフィーナさんも険しい顔でこちらを見ている。それほどの意味を持った言葉だったという事だ。

 エリオットさんが知らない事ではあるが、彼女は神の使いとして仮定されて捕まっている人物だ。その人を『人形』である、と言うのならばこれほどまでに説得力のある後押しは無いだろう。

 だが今記憶喪失である彼女を人形と呼ぶには辛いものがある。


「レクチェさんは、違いますよ」


 私は、ただそう答えた。


「ごめん……」


 空気を読んでくれたらしい、それ以上その事についてフォウさんは突っ込んでこなかった。

 部屋が嫌な空気になってしまったので、私は先程同様に何事も無かったように話をまた進める。


「で、そちらのさっき抱きついてた女性がルフィーナさんです」


「どうも、フォウです……」


 先程のままのテンションなのか、彼は静かに挨拶だけ交わした。


「さっきはゴメンねぇ」


 流石はルフィーナさん、こちらは切り替えが早い。軽いノリでさらっと少年に詫びだけ入れる。そして彼の手をぎゅっと握って顔を近づけてこう続けた。


「北国でも半ズボンってあたりが元気な子供らしくてお姉さんイイと思うわ」


 それはわざわざ手を握ってまで言うべき事なのか。彼女のその笑顔と距離の近さにフォウさんは椅子を斜めにして後ろに下がる。


「あ、ありがとうございます」


 ドン引きつつも一応お礼。彼の健気な態度に横槍を入れるのはエリオットさんだった。


「おいフォウ。男だってセクハラを訴えてもいいんだぞ」


「貴方が言わないでください」


 全くこの人は、と溜め息吐いて冷静に指摘してあげる。

 彼は私の指摘に少し不貞腐れながらフォウさんの対面の椅子に腰掛ける。この部屋は実は二つしか椅子が無いから皆敢えて座らなかったのに、エリオットさんが最後の一つに座ったわけだ。


「ま、お前らさっさともう一つ部屋取ってこいよ」


「そうね、取ってくるわ」


 エリオットさんが促すとルフィーナさんが早速動き出す。彼女が部屋から出て行ってしまって、とりあえずセクハラによる脱線は一旦落ち着いた。

 レクチェさんはルフィーナさんが出て行ったところでぼそっと一言。


「私、今夜はクリスさんと同じ部屋がいいなぁ……」


 彼女に取ってルフィーナさんの嗜好は受け容れ難かったようだった。

 さて、このままこんな事をしていてもちっとも話が進まない。そう思い、エリオットさんに声をかける。


「フォウさんは解放してあげないんですか?」


 とりあえず彼は姉の居場所までは見る事が出来ないのだ。このようにぐだぐだな状態でいつまでも引き止めておくのはとても可哀想でならない。

 フォウさんは私の言葉にぴくりと反応し、体をエリオットさんへ向けてその会話の先を待つ姿勢を整えた。私とフォウさん、二人の視線にエリオットさんは椅子をギシリと揺らしながら少し斜め上を見上げて考え込む。


「……しゃーねーな、まぁ好きにしろい」


 つまり、もう出て行ってもいい、と。


「だそうです、お時間を使わせてしまい申し訳ございませんでした」


「あ、うん」


 フォウさんは戸惑いながらも席を立ち、かなり出て行きにくい雰囲気の中で、部屋の入り口までとぼとぼと歩いて行く。

 そしてドアノブに手を掛けて回すまでしたところで、彼はピタリとその手を止めたまま立ち尽くした。その背中には、何か迷いがあるように。

 何となく、見送らないと出て行きにくいかな? と思った私は気を遣ってそちらに近づく。


「宿の外まで送りますよ」


「ありがとう……」


 お礼を言ったその顔には、陰りがある。少し気になるが突っ込んでいいものやら……


「別れ難いってか? いいなぁ若くて!」


 そこへ、空気を読まないエリオットさんの茶々が入った。


「ホントもう黙っててください!」


 私はもう躊躇いもせずに腕を振り被り、風の魔法で彼を椅子から吹き飛ばしてやる。ガタンッ! と大きな音を立てて彼は椅子から転げ落ち、室内はその風で埃が舞い散る。

 ちらりとレクチェさんのスカートも捲れて彼女が慌てていたが、大丈夫です。貴女ストッキング履いてますから捲れてもパンツ見えませんよ、えぇ。


「さ、行きましょう」


 打ち所悪く伸びてしまっているエリオットさんを放置して、フォウさんの肩を叩く。


「……いいんだ、アレ」


「あれならレクチェさんに何かされる心配もありませんからね!」


 そんな私の優しい心遣い。

 借りていた部屋は二階に位置しており、私達は螺旋階段をゆっくり降りて宿の玄関口へ向かう。と、そこへルフィーナさんが階段を上がってきた。部屋を取り終えたのだろう。


「あら、帰っちゃうの?」


 とても残念そうな顔で彼女は少年を見る。


「あ、はい……」


 宿に来てからは圧倒されているのか生返事が多い彼。

 だが、そんな返事にも関わらずフォウさんは彼女に対して警戒を怠らない。よほどあのセクハラが衝撃的だったのだろう。


「玄関まで送っていきますね」


「はーい、またね~」


 そして、会釈をしながらルフィーナさんとすれ違った。

 ロビーは無言で通り過ぎ、そこまで大きくないこの宿だ、あっという間に玄関まで着く。

 最近は同い年くらいの人との会話なんて全く無かったので少しだけ名残惜しい気もする。


「フォウさんは、この街にお住まいなんですか?」


 別れ際に一応、聞いてみた。


「いや、俺色んなところ一人で旅してるんだ」


「その年でですか!?」


 予想と違う返答に、驚きの色を隠せない。


「まぁ、こんなだから。一箇所には居辛いんだよね」


 こんな、とはその背にある魔術紋様による能力の事を言っているのだろう。具体的ではないとはいえ、他人を見て色々と勝手に情報を得てしまうのだ。私は凄い力だと思ったけれど、周囲には煙たがられるのかも知れない。

 少し曇る私の顔を見て、彼はそれを明るく笑い飛ばす。


「旅してたほうが楽だからいいんだ! こんな変な出会いもあるしね!」


「変って何ですか、もう」


 と言いつつ私も一緒に笑う。

 が、その後彼は笑うのを止め、私に真剣な面持ちで告げた。


「……言おうか迷ってたんだけど」


「?」


 一息だけおいて、彼はその次を語る。


「レクチェって人は何も見えなかったけど、他はクリスも含めて皆の先は曇ってた。特にあのルフィーナって人はよくない」


 すぐには返事が出来なかった。

 よくない、とはナンダロウ。


「さっきのネックレスは、あの人に身につけさせて。きっと役に立つ時が来る」


「ラッキーアイテム……みたいなものですか?」


「うん、そんな感じに見えた。でもあの人への災いを断つのはクリスだよ。離れないであげて」


 本当に、占いのような助言だった。どう捉えていいのか悩んでしまう。

 それでも、彼が伝えてくれた事で曇った未来に少しでも晴れ間が射すというのなら。

 私は強く、返事をした。


「分かりました、離れません」


「……信じてくれて、ありがとう」


 心のつかえが取れたように、優しく微笑む彼。

 どちらからともなく最後に軽くハグだけして、別れを告げる。


「またね!」


 大きく手を振る彼が人ごみに消えるまで、私は見送った。

 そして部屋に戻ると、既にエリオットさんが一人で床に寝ているだけ。レクチェさんとルフィーナさんはもう部屋を移ってしまったようだ。むむ、困ったな。


「エリオットさん、起きてください」


 彼女達の部屋の番号を知っているとは思えないが、とりあえず起こしてみる。

 しかし揺すってもダメなようなので次は叩いてみよう。

 膝を折って腰を落とし、彼の胸倉を掴んで往復ビンタを何度か繰り返していると、ようやく彼が目を覚ます。


「うぅ……いたい……」


「お、起きましたね。ルフィーナさん達ってどこの部屋です?」


「なに、なんのはなし……」


 ダメだ、お話にならない。

 私は胸倉を掴んでいた手をパッと離して立ち上がる。ドサッとエリオットさんの体が落ちる音がした気がしなくもない。

 一部屋ずつ確認して回るしかないか。

 いまいち反応が鈍いエリオットさんを放置して、私は部屋を出て廊下を見回す。大きくないとはいえ一室ずつノックをして回るのは少し気が引けるため、少し悩んでいるとニールの声が聞こえてきた。


『彼女の気配なら、分かるぞ』


「!」


 そういえば廃鉱でもそんな能力を発揮して、道を教えてくれていた覚えがある。狙う者として、彼女限定で索敵できるという事か。


『そこだな』


 ニールの案内に従って、二つ隣の部屋をノックする。


「入りますよー」


 ここにいるのは間違いない、という確信から返事も待たずにドアを開けた。

 するとお二人仲良く、備え付けのラフな衣服に着替え中。二人とも服はまだ着付け始めたばかりなのだろう、ボタンも留められておらず下着丸見えだった。


「あ」


 これはドア全開はまずい、後ろを人が通ったら彼女達の半裸が見えてしまう。私は慌てて部屋の中に入ってドアを閉める。


「危ない危ない、失礼しました!」


「やだもう~」


 形の良い胸を揺らして、ルフィーナさんがおかしそうに笑う。

 凄く大きいわけじゃないけれど、彼女はスタイルがいい。色も白く身長も高い方なので下着姿だと何かのモデルさんのようだ。


「クリスさん、どうしたの?」


 服のボタンを留め終えたレクチェさんが用件を尋ねてくる。


「あ、あのですね。私これからはルフィーナさんと一緒の部屋で泊まろうと思って!」


 しばし沈黙の間。それを破ってルフィーナさんが理由を聞いた。


「気持ちは嬉しいんだけど……ど、どうしてかしら……」


「離れたくないんです!」


 ここまで答えたところで私はハッと気がつく。これ、ちょっと理由としては変だ、と。

 あくまで先程フォウさんに言われた事を実践しようとしているだけなのだが、彼との会話を聞いていない彼女達にとっては色々想像を掻き立てる言葉だったはずだ。

 彼女達の顔を意識して見ると、その怪訝な表情から、誤解されている事は容易に感じ取れた。


「ち、違います……」


 私は言葉を選んで、その誤解を解こうとした。が、


「クリスさん! もうその展開ダメだからねっ!」


 エリオットさん、ルフィーナさんに引き続き、私もやる流れだったところをレクチェさんが先に止める。何をやる流れだったかは、お察しください。


「うぅ……」


 フォウさんに言われた事を伝えるべきか、それとも宿の部屋くらいは離れていても平気か?

 困って、手悪戯をしながらその場に立ち尽くしてしまう。

 するとルフィーナさんが半裸のまま優しく話しかけてくれた。


「もう……レクチェをあっちの部屋に行かせるわけにもいかないから、私と一緒のベッドでいい?」


「あ、そんな申し訳ない。やっぱりいいです、大丈夫です」


 うん、きっと大丈夫だ。二つ隣の部屋くらいすぐに駆けつけられるはずだ。私はルフィーナさんの申し出を断ろうとする。

 そこへレクチェさんが意外な提案を申し出てきた。


「私、あっちの部屋でもいいよっ」


「!?」


 ルフィーナさんも私も一斉にしてレクチェさんに振り返る。彼女はとんでもない発言をしたにも関わらず、至って普通の表情。そして飄々とこんな事を言う。


「ベッドが二つあるならこの前と変わらないしっ」


 いや、二人きりというだけで随分変わると思われますがががが。


「……まぁ、本気で嫌がってるところを何かしたりは、しないだろうしねぇ」


「!??」


 驚いた事に、ルフィーナさんもその意見を受け入れようとしているではないか。

 私は、自分がしてしまった事の大きさに今更焦りを覚えていた。もはやこれは取り返しのつかない状況に発展するのか。


「や、ほんとに、やっぱりいいです」


「いいよ、たまにはっ」


 ……発展した。


【第九章 見えたもの ~それは近い未来に~ 完】

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