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第一部
7/53

旅立ち ~幼い決意~

 それから日は落ちまた昇り、一番高いところから少し下がったくらいの時。

 借りた部屋の家具を少し傷つけてしまった事にどうしようかとブルブルと怯えていた私は、エリオットさんが目覚めたとの報告を受ける。本当に早い回復だなぁ、と感心しつつ、様子を伺って大体の人が見舞いを終わらせた後に彼の病室へ入った。

 他の飾られた部屋とは違って、きちんと病人用の部屋なのだろう。ほぼ白い家具で統一され、あまり飾り気のある物はない。カーテンですら真っ白だ。

 あまり大きくはない病人用のリクライニングベッドで彼はまるで抜け殻のように花の置かれた窓の外を見ていた。

 体中が包帯で巻かれているようで、特に右腕は肌が全く露出していない。


「エリオットさん」


 私が部屋に入ったにも関わらず反応する様子が無いので、こちらから声を掛ける。

 彼はこちらに首を向ける事は無く、ただ押し黙っていた。


「あの時は、ありがとうございました」


 エリオットさんが槍を投げてくれなければ私はどうなっていたか分からない。まず簡潔にお礼を述べる。

 しかし彼の口から出た言葉は、否定だった。


「俺はお前を助ける為に命を賭けたわけじゃない」


「…………」


 私は黙って彼の言い分を聞く。


「ローズは、どうした」


 こちらに向き直りもせず、窓に向いたまま彼は問いかける。


「助けられませんでした」


 悔しい思いを押し潰して、私はなるべく端的に答えた。


「……俺では助けられないと思った。だから俺は命を賭けたんだ。お前を助ける為にじゃない、ローズを助ける為にだ」


「分かって、います……」


「分かっていながらどうして俺が生きているんだ!!!」


 物凄い剣幕で私に振り向き、彼は怒鳴りつける。今にも泣きそうな顔で、顔を歪ませ怒っている。彼の、死を賭した想いを無駄にした私に。

 怒鳴りすぎたせいかゴホゴホとしばらく咳き込み、咳が落ち着いたと同時にまた怒鳴り始めた。


「……ッ、あの後俺を優先させただろ! でなきゃ俺が生きているわけがない!!」


 言いたい事は沢山あるが、私は彼の全ての怒りを受け止めるつもりでしっかり聞いた。

 怒鳴って怪我に響くのだろう、苦虫を噛み潰したような表情になるがそれでも彼は咳き込みながら続ける。


「俺達の目的はローズだけだって言ってたじゃないか!!」


 彼は肩を大きく揺らして息切れしながら、言いたい放題言ってくれた。


「何か言ったらどうだ……」


 そして言うだけ言って、ずっと黙っていた私に返答を要求する我侭っぷり。本当に酷い人だ。


「……どんなに怒られても、そんなの無理ですよ。だから、ごめんなさい、それしか、言えません」


 涙を堪えて、私は静かに言った。声はきっと震えていただろう。

 しばしの沈黙が流れる。窓からは静かに優しい風が流れ、カーテンが揺らめく。だいぶ息も落ち着いてきたエリオットさんが、その沈黙を破った。


「ただの、八つ当たりだ……」


 彼は不貞腐れながら、そう話す。


「知ってますよ。もし心の底から言っているならバカですからね」


「うるせぇ」


 ぶっきらぼうに、ふいっと窓の外に向いて私から視線を外すと、その眼差しは遠くを見つめながらすぐに真剣なものとなった。


「ルフィーナは見つかったか?」


「いえ、レクチェさんも同様に見失ったままです」


 レイアさんが捜索してくれているはずだが、まだ何の連絡も受けていない。


「俺はあの時ルフィーナがレクチェを連れて逃げる瞬間を見たんだ。あー、やられたと思ったね」


「ど、どういう事ですか!」


 エリオットさんのその言葉に私は食いつく。


「あの女は大体の展開を予測していたハズだぜ。そして契約が成就されたから報酬を持ち去ったんだ。よく考えたらルフィーナはな、ローズを『止める』としか約束していないんだよなコレが」


「止める、だけ……?」


 そういえばそう言っていた気もする。私の詰まるような相槌に、エリオットさんは黙って頷く。


「お前には言ってなかったが……報酬は、レクチェだ」


「んなっ!」


 私はまさかそんな要求をされていただなんて思っていなかったので思わず変な声をあげてしまう。

 だけど……


「……でも今思うと、欲しがるのも分かる気がしますね。あの時少しの間ですが、レクチェさんは不思議な力で姉さんに応戦していましたし」


「そうだな、得体の知れない光を放っていたな。まるで……」


「まるで?」


「いや、気のせいだろう。全くの別物のはずだ」


 何かに似ていたのだろうか、あの光が。


「何に似ていたんですか?」


「気のせいだって言っただろ」


 ぶっちょ面で拒むエリオットさん。だがすぐに諦めて私の問いに答えてくれた。


「……俺の魔力に、だ」


 エリオットさんの魔力、か。そういえば時々手を光らせたりして何かやっているのは視界に入っている。正直何をしているのかさっぱり分からなかったけれど、まぁ何か魔法でも使っているのだろうと思っていたので深くは気に留めていなかったなぁ。


「エリオットさん、そういえばよく手から光出してますね」


 あれが魔力? ん、ちょっと待て……それはおかしい。何故魔力が光となって目に見えるのだろうか。

 私の疑問の表情に気付いたエリオットさんは、そのまま説明をしてくれる。


「俺は、一般的に言う魔法ってやつは一切使えない」


「ええっ!?」


 私はまさかの発言にとにかく驚いた。魔力が元々無いならまだしも、あるのに使えないとはどういう事か。どんなに才能が無くとも全く使えないなど聞いた事が無い。


「炎も水も風も土も、全く魔力で操る事が出来ないんだ」


「ど、どゆことデスカネ……」


 彼の今更過ぎる告白に、どぎまぎしながら私は問う。


「魔力でな、手順通りに魔法を使おうとしても何か別の物になっちまうんだ。俺の手にかかれば炎も水も風も土も、皆ゴミみたいな粉になっちまう」


 初めて聞く現象に戸惑いの色を隠せない。幼い子供が拙い魔法を使おうとしたってそんな失敗の仕方は有り得ない、魔法とはそういうものだ。


「代わりにこの魔力で、色々な物質を崩せるんだ。前にクリスの槍を壊した事があっただろ? あんな感じで、物という物を壊せる。金属とかなら上手にやれば粘土みたいに形を作り直す事も出来る」


「そ、それだけ聞けば便利ですね……」


「まぁな。あと魔力自体を練って硬質化させる事も出来る。普段俺が使っている銃の弾丸はコレだ、手から出している光の剣もな」


 なるほど、いつも見ている光や、銃弾のサイズ変更が可能な不思議銃のからくりはそういう事だったのか。


「不思議な能力なんですね。すんごく難しそうですけど……」


「ぶっちゃけ難しいぜ。そんなわけで六才くらいまでは魔法を使えない事が俺の一番の悩みだったね。そこへ俺の魔力分析をして使い方を考案してくれたのがルフィーナだったのさ」


「それで師匠、と」


 魔法の先生かなとは思っていたけれど、まさかそんな事情があったとは驚かされる。

 ん、ルフィーナさん?


「あれ、じゃあレクチェさんの光がエリオットさんの魔力と同じだったとしたら、何となくルフィーナさんとレクチェさんとの繋がりみたいなものが見えてきませんか?」


 エリオットさんの魔力を見て作ってみた人造人間、とか! と、突拍子もない発想だったので口に出すのは控えておこう……

 そんな私の言葉に、彼は首を横に振る。

 

「俺も最初はそう思った。けど俺はあんな風な使い方は出来ない。原理的にも出来ると思えない。だから気のせいだ、って言ったんだよ」


「あんな風……アレですか、お花を咲かせたりする、アレ」


「そう、アレ」


 アレは凄かった、本気で目を疑った。


「神秘的、だったな。この世のものとは思えなかった……」


 あの光景を思い出しているのか、エリオットさんはぼそりとそんな事を言う。きっと誰もがエリオットさんと同様に目を奪われるに違いない、私だってそうだった。

 もし私がこんな得体の知れない種族でなければ、彼女のあの光景を見ただけで女神と崇めて陶酔していたかも知れない。


「そういえば」


「ん?」


 私は彼に聞かねばならない事があったのだった。


「エリオットさん、これからどうするつもりなんですか?」


「どう、って……どういう意味でだ?」


 問いの真意に気付いていないエリオットさんは質問に質問で返してくる。


「いや、ライトさんが言っていたんですけどね、エリオットさんはお城から出して貰えないだろうって」


「あぁそういう事……俺はローズの件が無くたって城に居る気は無いから、抜け出してバイバイだぜ」


 その回答に少しだけ嬉しくなり、自然と笑みが零れ出てしまう。気持ちのままに私は顔を緩ませた。


「…………」


「どうしたんですか?」


 ふと、急に難しい顔をして黙ってしまったエリオットさんに気付いた私は、思わずその理由を尋ねる。


「いや……」


 寝たまま頬を左手でぽりぽりと掻き、言葉を出し渋る彼。何なのだろう?

 視線を私と合わせないまま、彼はぼそりと、


「何でそんなに嬉しそうにするかなーって……」


「え? あぁ、それは嬉しかったからですよ」


「あっそ……」


 これはもしかしてもしかすると。


「照れてるんですか? やめてください気持ち悪い」


「俺もそう思うわい!! トドメささんでくれ!!」


 赤面してそう答える彼を、私は嫌いじゃないと思った。

 それから少しの時間、腰を落ち着けてエリオットさんの容態について確認する。

 前回は旅が出来るようになるまでに二週間掛かったが、今回はその半分くらいで動ける見立てとの事。それも、腕以外なら三日もあればほぼ問題無いらしい。

 特に話題も無くなって来て、私が部屋に戻ろうと思った頃合いだった。病室の白いドアから僅かに音が洩れる。


「!」


 誰かが、来た。

 ドアとはカーテンで隔たりがある為、誰が入ってきたかすぐには分からない。ドアが開ききり、また閉められる音……そして最後にもう一つ、カチャリという音。か、鍵を閉めた?

 入ってくる時にノックがあったわけでもないその不穏な立ち入りに、カーテンが引かれるまでの間私達は会話を止める。


「警戒しなければいけないような事でも話していたのか?」


 来たのは、ライトさんだった。

 私達の間に走っていた緊張を察知して、先に指摘してくる。エリオットさんは、ほぅ、と息を吐くと強張っていた肩を緩ませて三十五度傾斜になっているベッドに寝直した。


「別に何となく、だよ。ノックくらいしろよ」


 ごもっともです。


「わざとだ、反応を見たかったのでな」


 エリオットさんの言葉に、何やら引っかかる物言いで返すライトさん。

 彼はベッド脇の小さい椅子に座っている私と、ベッドの上のエリオットさんを交互に見た後、やれやれと言った困ったような表情で眉間に少し皺を寄せながら言う。


「その反応だと、また城を抜け出すつもりなんだろう?」


「むしろそんなの聞くまでもないよなぁ」


 呆れ顔の友人の言葉に、からかうように答えたのはエリオットさん。

 けれどそんなエリオットさんの態度に反して、彼の目は怒りを帯びていた。それに気付き、エリオットさんも釣られて目を細く鋭くする。


「……止める気か?」


 今にも激突しそうなものに変わった二人の間の空気に、私はどちらの味方する事も出来ず口を挟めなかった。

 エリオットさんには来て欲しいけれど、ライトさんの気持ちも分かるからだ。これは、私が軽々しく割って入っていい問題では無い。


「出る事自体を止めようとは思わん。だが自ら危険な問題に突っ込んで行くというのならそれは止めるに決まっている。俺はそんな事の為にお前を助けたわけじゃない」


「それは……」


 反論しようの無いライトさんの言葉に、エリオットさんが口篭もる。


「それでもあの女をどうにか助けたいと言うのなら、今回の分と前回の呪いの分……きっちり借りを返してから行け。それで俺にはお前を止める権利は無くなる」


 何も言えないエリオットさんに一つの提案をして、彼は少し離れたところにあるもう一つの椅子を引っ張ってきて腰を掛けた。

 しかし借りを返すとは具体的にどう返すのだろうか。少なくともお金ではない、と感じているであろうエリオットさんも解かりかねているようで、しばらく俯いていた後気まずそうに聞く。


「何すりゃいいんだ……?」


 その問いにさらりと白髪肌黒の獣人はこう答えた。


「お前が命の次に大事だと思うものを寄越せばいい。命を二度救った対価が、命の次の物なら安いものだろう」


「って言われても、俺にはローズ以外にはそんな固執するものは……」


 いつまで経っても答えを導き出せない彼に、痺れを切らした獣人は溜め息を吐いて言う。


「……プライド」


「へ?」


「命に見合う対価は心だ。今すぐここで捨ててみせろ」


 そう、要求する。


「何だ、プライドの捨て方も分からないのか、王子様は」


 そう言われてグッと腹の底から湧き上がるような怒りを、エリオットさんは必死に止めていた。と言っても表情からはすぐにバレバレだが。

 ……少し突っつかれて、すぐに顔に出る。それはまさに彼のプライドからくるものだろう。それを捨てろとライトさんは言うのだ。


「クリスだったら捨てろと言われてどうする?」


 ライトさんがこちらに急に話を振ってきた。


「えっ!? ええと、とりあえず自分を相手の下に下げます、かね。何ていうんですか……プライドを失くした人っていうと、犬? というイメージです」


「悪くない答えだ。よくあるのが三遍回ってワンと鳴け、だな。あれはプライドを捨てさせる命令だ」


 私はエリオットさんがそれをする様を想像しようとした、がとてもじゃないが想像出来ない。彼の性格上、誰かに催眠でも掛けられていない限り有り得ない事だからだろう。

「俺に回って鳴けってか?」


 大層不満そうな顔でエリオットさんは確認した。


「別に他の方法でも構わんよ。土下座でもいい」


「……分かった」


 エリオットさんはまだ癒えてない身体を起こすと、両足を床に下ろしてゆっくりその固い床に膝を突いた。

 私は何だか邪魔になりそうだったので椅子を少し後ろに引いて、ライトさんとエリオットさんの間を空ける。

 彼は床に両手を突き、膝を折り、少しずつ土下座をする体勢になっていく。後は頭を床まで下げるだけだった。


「……っ」


 少し俯いたところで彼は小さく呻く。ライトさんはエリオットさんの正面に居る為、俯いた彼の表情はもう見えていないであろうが、私は二人の横に居るので彼のその苦悶の表情が痛いほど視界に入ってくる。

 これは私が見ててはいけないもののような気がして、後ろを向こうと椅子に座ったまま向きを変えようとした。が、それはすぐに制止される。


「ちゃんと、見るんだ。第三者が見なければ意味が無い」


「はっ、はい!」


 目を逸らす事も許されず、私はその居た堪れない光景を見続けた。

 ゆっくり、ゆっくりとエリオットさんの頭は下がっていく。私ならきっともう少し早く土下座が出来ていると思う。それは私と彼の持つ価値観の差なのだろう。

 既に緑の柔らかな前髪は白いタイルの床に付いており、あとは額を付けるだけだった。ずっと薄く目を開けていた彼がふっと目を閉じたかと思うとその瞬間、床に額を擦りつける。


「形だけじゃないだろ、土下座は。何か言う事があるんじゃないのか?」


 容赦無い。

 ライトさんはここまでしたエリオットさんに更にその先を求めた。まぁ確かに頭を下げてから詫びたり何なりするまでが土下座だとは思うが……


「……救って貰った身で、またローズを追う事を……許して欲しい……」


「お前は本当に下手だな、全くプライドを捨てられていないじゃないか」


 そしてダメ出し。

 彼は足元で土下座の姿勢を保ったままの王子に、


「あっ!!」


 私は思わず声が出てしまった。

 怒りに滲んだ表情でライトさんは、エリオットさんの頭を椅子に座ったまま踏みつけたのだ。座ったままの体勢でだから体重はあまり掛かっていないとは思うが、それでもこれはやり過ぎに思える。


「そ、そこまでしなくとも……」


 私の押さえ留める言葉など全く聞かずに彼は続けた。


「俺は土下座をしろと言ったわけじゃない、プライドを捨ててみろと言ったんだ。これくらいも出来ない覚悟で行くだなんて大概にしろ」


 その声色は彼の深い怒りを示すのに充分なもの、そしてその言い分は私にそれ以上の制止を諦めさせるに足る内容だった。

 ライトさんは踏みつけていたままの足を外し、床と彼の額の間に割り込ませて無理やりエリオットさんの顔を上げさせる。エリオットさんの、自尊心を捨て切れていないその反抗的な表情が、ライトさんの目に映った。互いに睨み付け合ったままその場が硬直する。


「靴を舐められるのなら、その表情のままでも許すぞ?」


 それを破ったのはライトさんの次の提案。


「出来るわけがねぇだろ!!!」


 ずっとつま先を額に突きつけられていた状態だったが、彼の足首を左手で掴んで振り払うエリオットさん。そのままライトさんに掴みかかる直前だったところを私が横から抱き止めた。


「だっ、駄目です!」


「止めんなよ! コイツの悪趣味にこれ以上付き合ってられるか!!」


「いや、腕! 腕治ってないんですから!!」


 そう、掴みかかってしまっては酷い怪我だった右腕にどんな負担がかかるか分からない。先日あの雪の街で千切れかかっていたあの腕が脳裏に蘇る。

 エリオットさんの激昂に、同じく先程まで怒りに満ちていたライトさんの顔は興を削がれたような表情になった。


「全く……」


 白衣のポケットをごそりと弄り、取り出したのは煙草とマッチ。火を点けようとした彼にエリオットさんはすかさず突っ込んだ。


「病室は禁煙!!」


 しかし無視して火を点け、煙草をふかすライトさん。

 しばらくぎゃあぎゃあと喚き散らすエリオットさんとそれを抑える私を完全に無視して一本吸い終える。綺麗な床には、灰がいくつも落とされていた。

 一服して落ち着いたのか、彼は未だに頭に血が上ったままのエリオットさんを諭すように言う。


「いいか、命を簡単に捨てようとしたお前が、生き延びた後にプライドを捨てられないだなんて滑稽だ。だったら両方捨てずにいろ。


 今ぐらい足掻いて死んだのなら、文句も言わんさ」


 彼の言葉に私もエリオットさんも、ただ黙る。暴れていたエリオットさんはそのまま何も言わずに振り上げていた腕を下ろし、力なくベッドに腰掛けた。


「……悪かった」


 そして呟く、謝罪の言葉を。


「俺も面白くてついやり過ぎてしまった。おあいこでいい」


「面白かったって何だよ!?」


 ライトさんのやや不健全な発言に華麗にツッコミを入れると、エリオットさんは深い溜め息をついてだらしなくベッドに転がる。


「はぁ……怪我人は労われよ……」


「何言ってるんですか、一人で暴れていたのはエリオットさんですよ」


 私も椅子に腰掛け直してそう告げた、事実ですからね。

 ライトさんはエリオットさんの言葉を全く聞いていないんじゃないかと思うくらいの無反応っぷりで室内をぐるりと見渡した後、エリオットさんに視線を戻して、淡々と言う。


「何か居る物は?」


 それが、衣料や本などを差しているわけではない事はすぐ分かった。


「銃やらは、全て取り上げられてやがる」


「用意しておこう」


 返事はイエス。彼は椅子から立ち上がって、床の灰を誤魔化すように靴の底で払う。


「城内で渡すのは面倒だ、城を出た後に一度俺のところへ来い。それまでに準備しておく」


「ありがとさん」


 エリオットさんのお礼に返事をする事無く、ライトさんは来た時と同じように静かに去っていった。

 ……勿論、もう部屋の鍵は掛かっていない。


「私も服をどうにかしないといけませんねぇ」


 そう、物騒なので武器はこの通り常に背負っている形になるが、服は先日汚れたり破いたり、換えの物もどこに置いてきたか分からないと言った状況なのだ。


「そういや金も手元には無いな……俺が持っていた金をお前に餞別として渡すように伝えておくよ」


「えっ、いいんですか?」


 お金という響きに思わず声が裏返る。私のその反応にげんなりとした表情で、エリオットさんは呆れたような返事をした。


「本当にお前にやるわけじゃねーよ! あのな、俺が持つって言ったら連中は警戒するだろ? 一旦餞別という名目でお前に預けるんだ、勘違いすんなよ」


「ちぇー」


 一度でいいから大金をパーっと使ってみたいものだ。


「俺と同時期に居なくなるのは問題になりそうだからな、お前も金貰ったらさっさとライトのところにでも行って待ってろ」


「なるほど、それもそうですね」


 彼の案にそのまま乗っかるとしよう。確かにこのままずっと城で居るのも息苦しい。

 私は最後に部屋の隅にある洗面台へ行き、水をコップへ注いだ。エリオットさんのベッドの窓際に飾られている花に水をやってから、


「ではまた」


 と部屋を後にする。




 パタンと閉じた彼の病室の前で、私はドアを背にそこへ寄りかかった。肺の中の空気がなくなるまで、息を静かに吐き続ける。


 ……言えなかった。


 エリオットさんには、姉をもう助けられないかも知れない事を伝える事が出来なかった。

 彼の事だからある程度は予測しているかも知れない、剣を手放せばどうにかなると聞いていたものが、どうにもならなかったのだから。でも現段階では剣を折るという選択肢も残っており、きっと彼は半信半疑でもそれに賭けているのだと思う。


 けれど、それは無駄なのだ、と。

 言えない、言ってしまったらどうなるのか……怖くて私には言えない。


 いや別に言わなくてもいいのだ。もし救うのが無理だったのなら、私が姉に死という『解放』をしてあげればいいのだから。エリオットさんにそこまでの決断をさせる必要など無い。その後私が散々恨まれてやればいい。

 ずるり、とドアに寄りかかったまま体が下がっていき、やがてお尻が床にぺたんと着いた。

 不思議そうな顔でこちらを見ながら通り過ぎる城に従事する者達。王子の病室の前でこんな事をしている私は、さぞかし不審人物だろう。だが誰も声をかけてこないのは、既に私の事が城内に広まっているからだろうか。

 この城はそこらかしこに吹き抜けになっている中庭があって、城内だというのに肌に感じるくらいの風が常に流れている。今も私の頬をくすぐるように撫でて、心地よい。


 もう少し、ここに座っていよう。

 エリオットさんの前に居ては、いつボロを出してしまうか分からない私だ。室内にいつまでも残っているわけにはいかなかった。

 でも、

 一人だと心が折れてしまいそうなので、少しでも近くに居させてください。

 そう、心の中で呟いた。




 次の日の朝早く、朝食と共にそれは私の元へ届けられた。

 持つのも苦労しそうな麻袋が、二つ。エリオットさんは普段こんなにお金を持ち歩いていなかったような気がするが……


「王子からの餞別と、それに余る分は国からのお礼です」


 一袋で一体何枚入っているのか、ざっと五百枚程度だろうか。あくまで目測でしかないが硬貨一千枚を目の前に私は頭がくらくらした。

 いつもはメイドさんが食事を運んできてくれるのに今日は何故執事さんが、と思ったらこういう事だったのか。


「こんなに頂いて良いのですか?」


「えぇ、勿論です。ただ、今回の事はどうかご内密に……」


 白髪まじりな赤茶の髪の紳士は、深々と私に頭を下げる。口止め料も入っている、という事か。


「分かりました」


 私の返事にほっとした表情の執事は、部屋の入り口で最後にまたお辞儀をして、出て行った。残された朝食と麻の袋。

 私はとりあえず温い朝食に手をつける。

 綺麗に焼かれたクロックムッシュはまだ温かかったが、添えられたウインナーは食べる頃にはもう冷えてしまっていた。あまり好きではないサラダも仕方なく平らげて、ミルクで流し込む。蜜でも入っているのだろうか、ミルクは上品にほんのりと甘かった。


「エリオットさんと旅するようになってから、食生活が豊かになった気がします……」


 私の独り言に、ニールがわざわざ答えてくれた。


『クリス様はそんなに貧乏だったのか』


「雀や蜥蜴も蛙も捕まえたその場で食べる程度に、お金はありませんでしたね。肉は大体平気なのですが、草や茸は間違えると酷いので苦手です」


『……大変だったのだな』


 ずっと着ていた法衣や衣服は全て教会で貰ったものだった。法衣って街ではどこで手に入るのだろう? 普通の衣料品店には在庫がある気がしない。エリオットさんが戻ってくるまでの課題は、法衣を探す事になりそうな気がするなぁ。

 私は食事を終えた後、ついつい麻袋に手が伸びてしまう。その丈夫な袋でなければすぐに破けてしまいそうな重量。開けてみるとやはり中身は金貨だった。普段そもそも金貨など手にもした事が無いのでその目映い輝きに口元が緩むのが分かる。いけないいけない、お金って本当に怖い。

 私の感覚なら一ヶ月の生活費など、贅沢をしてもこの金貨一枚でもお釣りがきてしまう。一家の大黒柱が懸命に働いても、月給は金貨一枚には届かない……それくらいの価値なのだ。 

 持ち運びながら旅は出来ないので、初めて銀行というものを使う事になるかも知れないなぁ、と何だかドキドキしてきた私。そういえばこの中のどれくらいがエリオットさんの持っていたお金なのだろうか。まぁいいか、とりあえず全部貯金してしまおう!




 貰う物を貰った私は、さっさと城を後にする。出来る事なら最後にもう一度レイアさんと会ってルフィーナさん達の行方を聞きたかったのだが、忙しそうな彼女に会う事は叶わなかった。大金を持って、エリオットさんの回復を待たずに城を出た私はきっとメイドさん達から陰口を叩かれているに違いない。

 とりあえず手持ちの九割は銀行に預けて、残りは少し小さい袋に入れてしっかりと持った。これからコレや荷物を入れる皮のバッグや、衣服を買わなくてはいけない。エルヴァンは今暖かいとはいえ、今の私は旅をするには少し軽装過ぎる。

 何軒か衣料品店を回ったが、法衣は置いていなかった。仕方ないので最後に回った魔術系の服飾店でそのまま品を揃える。狭い店内では所狭しと魔術用品が並んでいた。無論、衣類も。


「火鼠の皮のポーチに、魔月の呪のピアスに……」


 何だか明らかに違う物が混じっている気がするが、ただの装飾品と違って役に立たないわけではないのだから、とついつい衝動買い。

 問題は服だ、私は法衣以外に何を着ていいのか自分で選べるほどお金を持った事が無いのである。私は、お店の人に自分の属性やメインで使用している術式を伝えて大まかに選んで貰う事にした。


「聖職系なら、これで増幅が効くよ」


 紅絹色の鮮やかなドレッドヘアーの女性店員は、そのゴテゴテとした魔術装飾だらけの袖を捲くりながら目的の品を取り出す。

 ネープルスイエローの、ハイネックの丈の長いワンピース。だが両脇の太腿の付け根の位置からは深いスリットが入っており、その形はどことなく民族衣装っぽいオリエンタルな雰囲気を醸し出ている。だがその服に大きく刻まれた魔術紋様で、民族衣装というよりは魔術軽装に近かった。

 とりあえず着てみよう。

 試着して店員さんと見てみたが、体型には合うものの、


「足がスースーします」


「下も何か合わせようか」


 店員さんが白いズボンを持ってきて優しく履かせてくれる。私は彼女の肩に掴まり立ちをしながら、そっとズボンに足を入れた。


「この絹はハティの毛と呼ばれる糸も織り込んであるんだよ。そこで選んでいたピアスと相性がいいからオススメ」


 いつもズボンは白が多かったのでこちらは違和感する事無く履けた。やはり合わせるなら白か黒が、楽でいい。


「靴はどうする? そのサンダルでは旅しないよね」


「あ、はい」


 親切な店員さんは、こういうお店に慣れてない私を察して進めてくれる。靴が並んでいる棚の前でぬぬぬ、と唸った後、唐撫子に染まったショートブーツを選んで持ってきてくれた。靴のラインに沿ってスタッズが留められていて、その上には綺麗な真紅の石が全てに乗せられている。間違いなく魔法石だ、絶対高い、今日の買い物の中で一番高い。


「一応聞くけど、これ結構高いかも。手持ち大丈夫?」


「だ、大丈夫です……」


「だよねぇ、こんな上等な身なりしてる子だもの!」


 そうか、そういえば私はお城で貰ったチュニックを元々着ていたのだ。そりゃあ金になる、と子供相手にガンガンと物を持ってくるわけだ……

 全体的に淡い色の服装になるが、スリットワンピースの胸元より少し上に魔術紋様と一体化して填められている石とブーツの魔法石の色が濃いのでまぁ悪くない。髪の色にはピッタリというわけにはいかないが、色違いは無いとの事なのでコレで妥協する事にした。


「髪に合わせて寒色系もいいと思うけど、この方が雰囲気和らいでるしイイんじゃない!」


 バシバシと肩を叩いて、会計口で笑う店員さん。


「ありがとう、ございます……」


 金貨は、一枚と半分、とんだ。

 いつもの法衣なら破けても縫えばいいとしてきたけれど、高い買い物をしてしまうとなるべくなら破きたくないなぁ。でもいちいち服を脱いでから変化ってのもおかしな話だしなぁ、と一人で考え込みながら王都を歩く。

 旅人は珍しく無いのだろうが、私のような子供が大きな得物を背負って歩いているといつも通りすがりの人達がちらほらと振り返る。それはこの王都でも同じようだった。

 賑やかな人波と、高く並んだ派手な建物。周辺の街で大きな被害が起きているにも関わらず、ここはそんな事関係無いかのように騒がしい。

 よくも悪くも、世界の中心都市。

 ライトさんの病院に向かっている私は自然と人波から外れて行き、その喧騒から離れる事が出来た。

 もはやいつもこのままなんじゃないかと思ってしまう休診の看板を無視して、その病院のドアを叩く。


「こんにちは、クリスですー」


 少し待つとカラン、と開かれる扉。扉にかかった鐘の音が、ついこの間聞いたばかりのはずなのに懐かしく感じた。


「まぁいらっしゃい、クリス様」


 相変わらずのほのぼのさせてくれる、のんびり笑顔でのお出迎え。お兄さんと似ているのに、この表情のおかげで良い意味で全く似ていない。


「早速なんですけど、着替えさせて貰っていいですか?」


 そう、さっき買った店であの服を試着したまま購入してしまったのだ。正直普段着にはし辛いので早く着替えたいというのが本音。


「あらあら、どうぞ」


 いつもの白衣をひらりと翻して、私を一室に案内してくれる。


「この部屋は自由に使って構いませんわ~」


「ありがとうございます」


 中に入ると少し薬品の臭いが鼻についた。病室のようなベッドメイクっぷりなのだが、部屋の窓の無い側の壁に置かれている棚には沢山の瓶が並んでいて、何に使われている部屋なのかいまいち想像出来ない。もしかすると特に使っていなくて物置状態なのかも知れないが。

 私はベッドに腰掛けて服を脱いで肌着のみになる。その格好のまま城で貰ったチュニックを荷物から取り出していると、ギィ、と部屋の戸が開いた。特にベッドとドアの間に障害となる物は無いので、入ってきたライトさんと目がぱっちり合う。


「何だ着替え中か」


「あ、すぐ終わるんでそのまま用件を言って貰っていいですよ」


「分かった」


 私はすぐにライトさんから視線を外し、チュニックを広げて頭から被った。


「渡す物があるだけだったんだ」


 そう言うライトさんの声と、机のほうからコトリ、と何かが置かれる音が聞こえる。

 チュニックから首を出して見ると、机に置かれたそれはとても大きな琥珀の填め込まれた煌びやかなネックレス。その琥珀は通常よりも少し色が濃く赤みがかっており、金のチェーンには他にも小さな宝石がいくつもついていた。


「多分ローズが忘れて置いて行った物だ。まぁ盗品だと思うがお前に預けておこう」


「とっ、盗品……」


「これだけ大きい琥珀がついていれば、買ったというよりはそうだろう」


 私の握り拳より少し小さいくらいの石。そう言って、ライトさんはすぐに部屋を出ようとする。チュニックだけ着た状態で、私は机の上に置かれたそのネックレスを手に取った。

 

「……最近部屋で見つけた物なんだが、変な感じがするから手元に置いておきたくなくてな」


「それ言っちゃいますか!?」


 姉の物。盗品かも知れないならいつか元の場所へ返してあげなくてはいけない。赤皮のポーチにネックレスを仕舞って私は部屋の戸を閉めて出て行くライトさんに会釈だけした。




 それから十日ほど経った、深夜。いつものように借り部屋のベッドで寝ていると急に揺すり起こされる。


「う、ん……」


 寝惚け眼を擦ってぼやけた視界を元に戻すと、目の前にはレフトさんと白いふわふわした寝巻きのエリオットさんが居た。


「さっさと準備しろ、出るぞ」


 言い方はいつものぶっきら棒で投げやりだったが、その表情は幾許か柔らかい。状況把握に数秒かかったが、とりあえず私は起き上がって薬品棚の隣にハンガーで掛けてあった旅用の衣服を手に取る。

 私が着替えを終えようとした頃に、ライトさんが部屋に入ってきてエリオットさんに衣類と荷物を手渡した。


「まさか寝巻きで来るとは思わなかったから、こんなのしか無いぞ」


「いやー着替えはいつもメイドが持ち帰っちまっててさー。徹底してるよなー!」


 カラカラと笑いながらそれを受け取り、彼も素早く着替えを始める。レフトさんはソレから視線を外しながら、着替え終えた私に紙の袋に入ったお握りをくれた。


「気をつけてくださいまし~」


 多分彼女としては『少し』の量なのだろうが、紙袋はずっしりと重く、有り難く頂戴するもその重さに内心びっくりしてしまう。レフトさんはそんな私に全く気付いていないようでただニコニコとこちらを見つめていた。


「さ、抜け出したのに気付かれる前に王都から出ないとなぁ」


 確かに包囲網を張られる前に出ないと大変だ。しかし……エリオットさんの言葉に私はまず最初に浮かんだ疑問をそのまま投げかける。


「今度はどこへ向かうんですか?」


「ツィバルドより更に北、ミーミルの森に行くぞ。昨日からツィバルドまでの汽車は運行復旧している、んであと三十分もすれば深夜のが出るから今はとにかく時間との勝負だな」


「流石ですねぇ」


 全て段取りをつけた上で城を抜け出してきたのだろう。当たり前といえば当たり前だが、十日間ぼーっと過ごしていた私としてはただ感嘆の声を漏らすばかりだ。

 エリオットさんは白いワイシャツに茶色のベストとズボンを着て、最後に白い毛と鉄紺に染まった皮を繋ぎ合わせたマントを羽織る。ベストより少し薄い色のズボンは膝丈の胡桃色の編み込みロングブーツに華麗にイン。


「俺は何でも似合うな!」


 そして、自画自賛。


「鏡も見ずに言えるその根性が素晴らしい」


 呆れ顔のライトさん。まぁ似合ってなくはないのだが、多分ライトさんの服なのだろう、イメージが随分と変わる。

 エリオットさんが荷物の入った焦茶色のウエストポーチに手を伸ばしたのを見て、私も慌てて荷物を手に取った。


「行ってきます」


 新たな門出のような気分で、私達は王都を後にする。


【第七章 旅立ち ~幼い決意~ 完】

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