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第三部
43/53

ライトモチーフ ~藍に染まる願い~

  ◇◇◇   ◇◇◇


「もうやめましょう」


 セオリーによって切り離された部屋に降り立った一人の女が、その場に居る黒髪の男へ窘めるように声を掛ける。

 揺蕩う金の髪に白い布。それらを浮かせる不思議な光を纏い、床に描かれた魔術紋様に足をつけて黒いスーツの男と改めて対峙した。

 現時点で彼女を縛る物はどこにも無い。故に、傍に置かれた木椅子で座り続ける男には、彼女に勝てる要素が無い。普通ならばビフレストにここまで辿りつかれてしまっては目的そのものが中断する状況。

 だが黒髪の男はそんな彼女に目もくれず、ただただ時間が経つのを待つだけ。

 机に肘をついてその存在に対して興味を示す事無く、口も開かない。


 少しだけ女の顔が悲しそうに歪む。自分が彼をここまでさせてしまったのだ、と。

 でも会話をしてくれないからそれで終わりと言うわけにはいかなかった。

 この件にはもう一人罪の無い者が無理やり関わらされている。以前は彼女も見過ごそうとしていた、生まれた時からそうなる運命を背負わされた者が。

 あの時、主に自分が逆らってこの重たい口を開いていれば全ては違う方向に動いていただろうに。

 この黒髪の男も、もう一人の者も、自分の弱さが生み出した被害者。

 いくら悔やんでも始まらない、それらを清算する為に今レクチェは自由になった体を動かしてここまで来たのだ。


「私と会話をしたくない気持ちは分かります……ですがこんな事をして何になるのです。成し遂げた後に貴方はそれで本当に心から喜ぶ事が出来るのですか?」


 そう言って彼女は、描かれた魔術紋様の中心にぐったりと横たわっている別の男の元へ足を向ける。

 いつもは結んで纏め上げられている花緑青の髪は、今は解けてしまっていて彼を中心に渦のように舞っていた。

 彼女が彼の傍へ寄っても黒髪の男は特に反応しない。その態度を不思議に思いながらも彼女は膝を折って、倒れている彼の様子を伺う。

 そこでようやく彼女は、黒髪の男が一切動こうとしない理由に気付いた。これは単に気絶しているだけでは無い、と。


「……!」


「分かっただろう、一足遅かったってわけだ。元に戻してやる事も出来るがそんな気は無い。今のお前に出来る事はもう傍観する事だけなのさ」


 彼女が来る少し前には魔術紋様の陣の中にあった砂時計は今、黒髪の男の手の中。つまりそれは先程まで行っていた魔術の終了を意味し、男は砂時計を胸の内ポケットに仕舞ってもう一言、体を強張らせている彼女に言う。


「もうしばらくすればお前の主はそこに降りる。その後の展開次第ではソイツを元に戻してやってもいい。ただ……俺が死ねばそれは出来ない」


 黒髪の男の言いたい事を察したビフレストの女は、抜け殻となっている足元の王子から離れて魔術紋様の外に出て黒髪の男に近づいた。

 黙ったまま傍に寄り添う形になった女神のような出で立ちの女を一瞥し、黒髪の男はまたぼうっと視線を机上の光源に向ける。


 男の中に渦巻くのはもはや希望では無い。そんな楽観視をいつまでも続けられるほど愚かでは無いのだ。目的が本当に成功するかしないかはこれから。

 元々、そこの王子を元に戻してやる事を前提として、来た者を味方につけるつもりだった。あのサラの末裔の方がどちらかと言えば良かったがまぁコレも悪くは無いだろう。


 間もなく何百年ぶりに対面する事になるあの存在との交渉に、切り札をうまく使えるのだろうか。

 どこまでを相手に把握されているのか分からないのがネックだが、流石に、仲間によってこの自分ごと封印する手筈が整っているとまでは思っていないはずだ。

 自分の体を元に戻すと言う目的の為に、もう片側の天秤にかけられているものの大きさは尋常では無い。その重圧に平然としていられるほどの強さをこの黒髪の男は持ち得ておらず、こうしてずっと溜め息を吐き続けては頭を空っぽにしていた。

 ふっと、全てを投げ出して死んでしまいたい衝動に駆られる。

 魔術が進むのを待つこの間は、今まで費やした時間を考えればほんの僅かであるにも関わらず、そんな血迷った事を考えてしまうほど途方も無く長く感じられた。


 心が壊れていない者が悪に手を染めるのは、自分自身の心を傷つける行為のようなもの。彼のように罪の意識や後悔に苛まされ、苦しみ続ける。

 もしそれらを感じないのであれば……




 その者は心が壊れているのでは無いだろうか。


   ◇◇◇   ◇◇◇



 一旦セオリーを退けた事を確認すると、私は槍をニールに重ねてその体を再度仕舞ってやる。

 ずっと出していられたら良いが、精霊を槍の外に具現化させ続けると言うのは私の力を放出し続ける事だと以前にニールが言っていたからだ。

 それに今のようにニールが状況を察して突如出てきた方が、読めない分効く戦法だろう。

 さっき笑っていたように見えたセオリーだったが、その表情は既に真剣なものになっていて笑みは消えている。あのムカつく笑顔を作っている余裕が無くなっている、と受け取っても良いのだろうか。

 だが、どんなにこちらに分がある状態になろうとも、あの地下を封印している魔術がある限り私はこの男にとどめをさせない。

 何をどう言えばこの男の気を変える事が出来る?

 求めている何かがあるはずなのに、私の言葉ではそれを掘り出す事が出来なかった。


「私を役立たず、と言うのならばやはり私に何かして欲しかったんじゃ無いんですか?」


 一旦体勢を整えているセオリーに問いかけると、彼の手はまた懐に入れられて先程の短剣と似たような形状の黒いナイフが取り出される。

 以前にもアレが二本ある事は見ていたのでそれに対して特に驚く事も無い。予備があるのは把握済みだ。


「……貴女が彼の代わりになれば、と思った事はあります」


「?」


 取り出したナイフはまだ構えずに、セオリーの口から紡ぎ出される言葉。けれども私はその意図をまだ理解出来ないでいる。


「それをさせるに相応しいものを見た、つもりでしたがね。でも勘違いだったようです。少し目を離した間にすっかり貴女は腑抜けていた。どちらに転がる素質もあったのでしょうが、所詮貴女はその程度と言う事でしょう」


 黙ってその話を聞いているが、やはり聞けば聞くほど何をしたかったのか分からない。ただ唯一分かる事と言えば、その目的がどこか捻じ曲がっていそうだ、と言う事くらい。


「だから、」


 そこでセオリーは左腕を天井に向かってかざし、その手からまた氷の矢を作り出す。


「貴女の相手は、これで終わりです」


 そう言い放った後に氷の矢は天井を砕き、崩れ落ちてくる瓦礫が彼の姿を消し去った。


「なっ……!」


 自殺でもしようとしたのか、と思ったがそうでは無いらしい。瓦礫に埋もれたと言うよりはそれに紛れて逃げられたようだった。

 追ってもあの封印を解かせる事はほぼ絶望的かも知れないが、何が終わりで、どうしてこの場から逃げるように去ったのか。


「に、ニール、何を企んでいるんでしょうあの男」


『流石にそればかりは私にも分からない……』


 で、ですよねぇ。

 どこを探したら良いものか、すっかり目も当てられない惨状となってしまった部屋を出て周囲を見渡すが当然セオリーの姿はもう無い。

 だがじっとしていても始まらないのだ、一番行きそうなところと言うとあのエリオットさんが居る空間を封印している魔術紋様がある地下だろうか?

 いや、外に出ている可能性も充分ある。


「うがー!!」


『落ち着けご主人』


 がむしゃらに先の通路へ取り敢えず走ってみる私。しかしその先は竜が居た空間で、一匹の死体は放置されたままそれでも相変わらずすやすやと寝ている他の竜達が見える。

 一瞬、元来た道を戻ろうとしたが、ここで私はとある存在を思い出す。私の考えを読み取ってニールが言った。


『悪く無いと思う』


 そう、この空間から出てすぐの場所にはレイアさんともう一人が居る。クラッサだ。彼女ならばあの魔術を解く方法、または解かせる方法を知っているかも知れない。

 最後に見た彼女のあの目を思い出すと口を割らせるのは容易では無いと思うが、それでもセオリーよりはずっとマシなのではと思う。

 大型竜の間を駆け抜けて外に出ると、もう完全に明るい日差し。それでもまだ昼前なようだが、エリオットさんが居なくなってからもう半日は経っている頃では無いだろうか。照りつける日差しに焦らされながら、私は最後の頼みの綱であるその人物に駆け寄った。


「クラッサ、話があります!」


「く、クリス!?」


 レイアさんが驚いているがそれには構わず、土塊に拘束されたままの半裸の女に叫ぶ。


「あの封印の解き方を教えなさい!!」


 私よりも高い位置で拘束された状態になっている彼女は、そんな私を見てふっと口元を綻ばせた。


「何故それを私に聞きに来たのでしょうか。まさか素直に答えるとでも?」


「素直に答えるとは思っていません……でもセオリーよりはマトモに話をしてくれると思ったからです!」


 クラッサが変に優しい顔で問いかけてくるので何となく素直に返事をする私。彼女は私の返事を聞いて一瞬顔を固まらせ、風一つ吹かない宙を見上げてはその顔をこちらから背けて言う。


「それは否定出来ないですが……」


「でしょう!!」


 どういうこっちゃ、と言った顔のレイアさんは、セオリーの人格を知らないからそんな顔になるのだと思われた。逆にクラッサは普段から見ているだけにあの男の変人っぷりを理解しているのだろう。

 と言う事はセオリーはやはり普段からあんな感じなのか、と思うと少しげんなりする。


「しかし会話が通じようとも答える気はありません。問い質す暇があるなら彼にどう打ち勝つか模索した方が良いと思われますよ」


 さっきからクラッサが笑いかけてくるのは、どうも哀れみらしい。頭の良さそうな彼女からすれば私の動きは滑稽に映っているのかも知れない。

 どう討ち勝つかと言われても、そもそも勝ってしまってはどうしようも無いのにそんな事を模索してもそれこそ意味が無い気が私にはした。

 だが、その言葉の中に僅かに違和感を感じて私は口を開く。


「打ち勝つ、ですか?」


「えぇ、あの魔術を解かせるだなんて甘い考えは捨てるべきだ、と言う事です。准将もそうですが、貴女がたは少しは『敵』を相手にしていると自覚したらどうですか? 血を流さずしては得られないものもあります、それとも自分の手を汚すのがそんなに……」


 そこまでクラッサの話を聞いたところでようやく違和感に気付いた私は顔をしっかりと上げて彼女を見据えていた。私の視線を受けて彼女の唇の動きが止まり、言葉は紡がれなくなる。


「私がそんな優しい人間に見えます?」


「……っ?」


 やはりクラッサのところに来て正解だった。彼女は私に情報を教えたつもりは無さそうだが、私にとってそれは大きな収穫。


「勝てばいいだけなら分かりやすいです。ありがとうございました」


 クラッサの表情が怪訝なものに変わり、私の考えている事を読み取ろうと必死に見つめてくる。


「私、あの男の首を刎ねる事に躊躇なんてしません。言ったでしょう、悪即斬だって」


「で、では何故魔術を解かせようなどと……」


「殺したら永久に解けないんじゃないかと思ってただけです。でも貴女の言い方だと……殺せば解ける、そうですよね」


「なっ……!」


 完全なる食い違い。

 知識がある人間は、知識が無い人間の『分からない部分』を察するのが難しい。故に今のように、まさかその部分を知らないと思っておらず、平然と話したのだ。

 ……有り難い事に。

 私は彼女に背を向けて再度グレーの建物へ一直線に駆け出す。後ろでレイアさんがごにょごにょとクラッサに話しかけているような声が聞こえるが遠いので定かでは無い。多分さっきまでの会話の説明を求めているのでは、と思うが。


『ご主人、周囲に人が居ないところで戦えば……』


「えぇ。誰も巻き込まずに貴方を本気で使える、って事ですよね」


 まぁ巻き込んでしまうのを危惧する人物など、ここにはルフィーナさん以外居ないのだから、彼女にちょっと逃げて貰えばいいだけの話。

 ニールと会話をしながら竜の広間を抜けて、ここで勢いづいていた私の足が止まる。


「さて、どこでしょうね」


 セオリーの居場所が分からない以上、時間が勿体無いので取り敢えず先にルフィーナさんを逃がす事にした私はあの例の変な部屋目指してまた走り出した。

 が、同じような通路とドアばかりなものだからここで若干道に迷う私。


「……うううあああぁぁ」


『焦るなご主人、いつか着く!』


 半泣きで通路を走り抜ける私に、ニールが必死の応援をしてくれる。一人じゃなくて本当に良かった、レヴァならこんな気遣いしてくれない。それどころか、一応身につけているのに相変わらず無反応の赤い剣。

 こんな剣をあの子どものビフレストはどうして執拗に狙ったりなどしていたのだろう。そんな価値、コレにあるとはどうしても私には思えない。

 とにかく私はドアを一つずつ隈なく開けていって、地下へ続くフィクサーの部屋を必死に探し続けたのだった。


  ◇◇◇   ◇◇◇


 地下牢の床や天井、壁に光り続ける魔術紋様が彼女に、あの男がまだ生きている事を告げている。決して良い空気とは言えない、むしろ淀んだ空間でルフィーナはあれからずっとその場にしゃがみ込んだままだった。

 クリスはあの男を見つけて今頃戦っているところだろうか。

 手伝ってあげたい気持ちと、それをしてしまった後の結果を恐れる気持ちと、矛盾する二つの感情が彼女の動きを止めている。

 そう、同一人物内のものだとしても、願いや感情は決して矛盾しないとは限らない。

 どちらも自分の中にあるものにも関わらず、矛盾して混在する事など決して珍しくは無かった。


 周囲から見れば『結局どうしたいんだ』と指摘されるかも知れない。そんな矛盾や葛藤の末の行動の意図は、他人にとって理解し難いだろう。

 だがどちらも内に等しく存在する願いであり、結局それらを選ぶ事の出来ない時……普通は彼女のように立ち止まってしまう。

 この地下に続く階段を今ゆっくりと降りてくる一つの足音は、選べなかったにも関わらず立ち止まらなかった男のもの。

 クリスとは明らかに間隔の違う足音に、彼女の長い耳がぴくりと反応した。


「クリスはやられちゃったのかしら」


「いえ、精霊が面倒だったので撒いてきました」


 淡々と交わされた会話の後にようやく視線が合った二つの瞳は同じ色。猩々の血のような緋色がお互いを映し、その姿は瞳の中で血に染まったようだった。

 ルフィーナは彼の手に短剣が握られたままである事を確認し、その殺意を把握する。


「分からないわねぇ」


 この男の自分への殺意は痛い程感じているが、それならばやはりあの白い花の意味が分からない。そう思った彼女の口から小さく洩れる言葉。


「何がです」


 丸い二つのレンズの下でその目がスッと細まり、疑問を投げ掛けた彼女を見下げた。


「いまいちあの花だけじゃ理解出来ないのよ。邪魔な花言葉があるっていうか」


 先日の花には花言葉で意味が示されていた事を前提として会話をするルフィーナに対し、彼はそれを否定する事無く自然に返答する。


「ふむ、どう理解できないのか知りませんが……」


 と言う事はやはり含みを持たせていたのか、とその行動に気分が害された彼女の声が自然と張り上がった。


「あのね、あの白い毒花! あれがどう考えても変でしょ。アレさえ無ければまだ単にあたしを殺したいだけなんだと理解出来るのに……」


 白い毒花の意味は『あなたはわたしを死なせる』……他の花の意味を受けて藍の毒花の示す『悪意』が芽生えているならば、単にずっと邪魔だったのであろうルフィーナの存在を消したいのも分かる。

 しかしそうすると白い毒花はそれら全てと噛み合わなくなってしまい、最後の最後で考えている事が分からない。

 少なくともルフィーナは、セオリーが死ねばいいとは思っていても、実力的に死なせられそうにはないからだ。

 そんな義母妹の言い分を聞いて、兄は右手に持った短剣の刃を左手にぺたぺた叩きつけて不満そうに言った。


「あぁ、何となく分かりました」


「?」


「あの花にはもう一つ花言葉があるのですよ。そちらなら繋がるでしょう? 『死をも惜しまず』貴女を殺すのだ、と」


 ルフィーナは印象的なその意味に注目してしまっていたが、花言葉は複数あることは珍しく無い。

 噛み合ってしまった途端にルフィーナの中で何かが音をたてて崩れてゆく。


「じゃあ何であの時きちんと……殺さなかったのよ!!」


 その言い分は尤も。彼は遠い昔、一度それを遂行しようとした。


「何故? そこまで頭の回転が鈍りましたか。あの時貴女を助けたのは誰です」


「そ、それは……」


 今はこの場に居ない、二人の幼馴染みの存在を思い浮かべて言葉が詰まるルフィーナ。だがまだそれでも疑問は残る。


「だったらどうして今になってそれをまた実行しようとしてるのよ。別に今までにも沢山……」


「チャンスはありましたね、本当にいつも耐えるのが大変でしたよ」


 そこで思い出したように笑う異母兄の姿は相変わらず幼い頃とは少しも重ならない歪んだもので、ルフィーナは見ていて痛む胸をそのままに、しっかりとその目に焼き付けた。


 自分はここで死ぬ気は無い。少なくともこの男より先に死ぬ気など毛頭無い。

 自分の存在のお陰でこの男がどんな思いで生きていたか、その胸中は分からないが、それはお互い様。こちらから言わせて貰えば直接的に人生をめちゃくちゃにされたのはむしろ自分だとルフィーナは思う。

 そして多分、第三者から見てもそうだろう。

 だが魔法、魔術、体術、武術、何においても負けている異母兄とどうやりあったらいいものか。

 最終的には行き先を指定出来ずとも空間転移で逃げてやる、と考えながらルフィーナの指先に力が篭もる。


「そのまま耐えてくれると嬉しいんだけど」


 軽い口を叩いてさり気なく立とうと体を起こした彼女に、もう一歩近付いて来る彼。


「それは無理です、この分だと彼は成功するでしょうから。つめが甘いといいますか、本当に昔から……」


 ルフィーナの言い分を却下しその理由をぶつぶつと述べ、彼は自身が術を施した床や壁を見やり、


「馬鹿な男だ」


 いつものどこか壁のある言葉使いを捨て、本気で感情を露わにした物言いで毒づいた。

 しかし露わにされた感情は決して悪意だけでは無く、様々な感情が織り交ざったような複雑なもの。

 これから長年連れ添った仲間が一番嫌がるであろう事をしようとしているにも関わらず、この表情。

 楽しんでいるわけでも、怒っているわけでもなく、どこか悲しそうに。

 それらが示すのは彼の中の僅かな罪悪感。

 フィクサーがもしセオリーを信頼しきらずに疑いの目を向けていれば、防げたかも知れないこの状況。とは言え疑ってこないからこそセオリーのほとんど残っていない罪の意識を浮かばせ、その行動に足踏みさせていたのであり、どちらが良かったのか今となっては分からなかった。


 ただ、小さい頃から二人の背中を見て育ってきたルフィーナに、その台詞の声色と表情は深く突き刺さり、悄然とさせる。

 『変わった後』も見せていた二人の、昔と変わらぬやり取りは決して偽りではなく自然体なのだと、彼の先程の声と表情が彼女に告げていた。

 どれくらい二人の間を障礙する要因となっていたのかと思うと、彼の言う通り自分は存在しない方が良かったのかなんて気の迷いを生じさせる。

 そんな弱気を篩って落とし、重い足枷のような自分の生い立ちと過去を頭の隅に追いやって、彼女はようやく立ち上がった。


「馬鹿なのはアンタよ」


 そう投げかけながら、自分に言い聞かせるルフィーナ。

 足元の藍墨の床に光る彼の魔術に照らされながら、馬鹿なのは相手なのだと口に出す事で、彼女は自分の心を守ろうとする。

 この男の理屈に付き合っていてはおかしくなりそうだ。根本から間違っているのだ、選ぶ道が。


「アレがアンタの本心だってんなら他に色々あったでしょ、やり方ってものが!」


 少なくとも彼と同じ立場ならルフィーナはそれを選ばない。それは決して想像ではなく、過去に実際それとよく似た心情を経験した上で選ばなかった、だからこそ強く言う。

 若干の立ち位置の違いはあれど、彼女とこの異母兄はほぼ同じ環境に居たのだから、彼女だけは彼の行動を完全に否定出来る立場だった。


「一度も顧みなかったわけでは無いので、その言い分は分からないでもありません」


 そう言いながら少しずつ近付いて来る狂人と同じ歩数で後ろに下がりつつ、太腿のバンドからロッドを抜いて軽く一振りで組み立てる。

 クリスは撒いて来たと言っていたのだから無事なのだろう。勝とうとしなくていい、今は取り敢えずこの場を凌ぐ事だけ考えろ。

 違う歩幅のせいで少しずつ狭まる距離に、彼女のロッドを握る手が震えていた。

 今までにも何度か弄ばれるように痛めつけられはしたが、今度こそもうこの男は手加減をしない。

 それは当人がさっき言っていたように、もう一人がその目的を達成させてしまうからだ。

 その後、戻ってきた友人によって起こり得ることが、不愉快だからだ。


「他のやり方を選んだ時もあったのですよ。随分昔の話ですが、ね」


「え?」


「でも……いつからでしょう。それではやはり駄目だったのです」


 懐かしむように遠い目をしたかと思えば、瞬時に男の顔色が変わる。


「考えれば考えるほど苛々して何かにあたらずには居られず、虫唾が走って常に腹の底から不快感を感じる……」


 ぼそぼそと呟く彼の目の焦点は合っていない。ルフィーナの足元くらいの位置に定まらぬ瞳を向けながら黒い短剣を右手側の壁に何度も突き刺し始め、その様はまさに八つ当たり。

 狂気を放ちながらようやく合った焦点の先は義母妹の顔。


「まぁ、もう終わりますねそれも」


 全ての痞えが取れたような酷く綺麗な笑顔で、その言葉は紡がれた。


  ◇◇◇   ◇◇◇


「ありましたよ!!」


 この統一されてなさすぎる家具、置物等等等、間違いないこの部屋だ。

 片っ端からドアを開け続けてようやく見つけたフィクサーの謎過ぎる部屋で、既に開いている地下への階段の方へ駆け寄る。

 ニールに声を掛けているつもりが何だか完全に独り言になっている私の声。まぁそこは大した問題では無い、階段を勢いよく下りてようやく最後の一段を踏んだその時だった。


「きゃっ!!」


「わぁ!?」


 急に飛び出してきた何かとぶつかって、私は思いっきり後ろに倒れて段差に頭をぶつけて一瞬意識が飛びそうになる。その何かもそのまま私の方に倒れてきてしまい覆い被さっており、ふんにゃりしてあったかい……じゃなくて。


「いっ……ルフィーナさん?」


 地下に居たのはルフィーナさんだけだったのだから、ぶつかったのが彼女で何の不思議も無い。私が勢いよく階段を下りてきてしまったから、地下を出ようとした彼女とぶつかったのだ。

 一先ず私は体を起こそうとしたが、次の瞬間目の前に突然現れたのはセオリー。


「わあああああ!!??」


 この階段の下り口はL字型になっていて、地下の通路の先は折れていて見えない。だからこそルフィーナさんとぶつかってしまうような事になったのである。

 よって、セオリーはゆっくり歩いてきたのかも知れないがひょこっと姿を出されてはとにかくもう突然そのでかい図体とウザイ顔が視界に入って、めちゃくちゃビックリしたのだ!

 無論私をここまで驚かせたのは状況も手伝っている。

 ルフィーナさんが私に倒れ覆い被さっている状態では身動きが取り難い。にも関わらず居ると思っていなかった敵が目の前に現れたのだから逃げようがなくて恐怖のあまり叫び声も出るというもの。

 セオリーは私の叫び声に顔を顰めながらも、私目掛けてその手から何かの魔法を放つような素振りをしてきた。いや、この体勢ではその攻撃はほとんどルフィーナさんに当たるようなものであり、私を狙っているのか彼女を狙っているのか判断はつかない。もしかすると両方まとめて、と思っているのかも知れなかった。


 セオリーの手の上ですぐに氷の塊が矢を模って作り出された。

 けれどそれを私が確認した時にはニールが自主的に具現化し目の前に現れてその矢を潰し、セオリーに手刀を振り切り牽制する。

 ニールに時間を稼いで貰っている間に私はルフィーナさんの体を起こさせた。が、そこで彼女に触れた左手に違和感を感じてその正体を目で確認する。


「け、結局戦ってくれていたんですか?」


 私の手には彼女の血がべったりとついていたのだ。

 ルフィーナさんはあの魔術を解く気が無いはずだからアレと戦う必要性は無かったような……でもこうして傷を負って戦っていたのならば、気が変わったのか。

 でも私のほんの少しの希望を彼女は否定する。


「アイツから喧嘩売ってきただけよ……」


「そうですか……じゃあ好きに逃げてください」


 私があの男を食い止めていればその傷を治す時間だって出来るだろう。それ以上の心配はルフィーナさんくらいの人ならば無用だ。

 それにクラッサの話、セオリーが死ねば自然に魔術が解ける……これをきっとルフィーナさんは知っていたはずだと思う。私がそれを知らない事を彼女も知らなかったと言う線もあるが、先刻の話の流れならばその線は薄い。彼女はわざと私にその方法を言わず、難しい方である『本人に解かせる』流れを誘導した。

 本当に敵でも味方でも無い彼女に私は視線を送らず、手についた血を床で拭って立ち上がる。もうこれ以上の会話は彼女とする必要は無い。

 一歩進んで地下の通路に顔を出すと、一応構えているニールが立ち往生していた。セオリーは随分先に居て、どうしてそれ以上追わないのか、と思ったらどうもその先に進めないような動きのニール。

 私が体勢を整えて戻ってきたのを確認したニールは、その姿を消して槍に戻ってきて言う。


『あの男は我らと戦い慣れている。私が一定の範囲までしかクリス様から離れられないのを把握していて距離を取られてしまった』


 文武ならぬ魔武両道でしかも精霊と戦い慣れているとか反則じゃないか?

 これからあんなのと戦うのかと思うと正直気が重い、が、


『確かに手強いだろうが今あの男は一人だ。昔のようにもう一人とタッグを組まれているわけでは無い……二度と主を殺させなど、しない』


 私の頭に語りかけてきたニールの声は強く響き、その並々ならぬ決意に自然と私は安心させられた。

 私はまだ地下に降りてすぐの位置に立っているが確かにセオリーは随分遠い位置で、あの気分が悪くなるくらい大量の紋様が描かれている牢より先に居る。

 あの場所、壊してはいけないんだよな確か、と早速全力でぶつかっていく事はさせて貰えないらしい状況に私の目が細まった。


 ルフィーナさんも逃がした事だし、きちんと私がニールを使いこなす事が出来たなら必ずダメージを与えられると思うのだが……これではそもそもその能力を存分に使えない。

 なるべくこちらにおびき寄せられないものか、と私は一旦追う事はせずに距離を保ったまま相手の動きを伺う。

 セオリーはと言うと、あちらはあちらでどう動くか考えているようでその足は進んでこなかった。私と違って考えなしに突っ込んで来るような男では無い、と言う事か。


「邪魔をしないで頂けますか」


 と、そこでセオリーの手が宙に円を描き始める。その動きは何度か見たもので、青い光を放ち……


「ま、まずい……!」


 だが距離を取りすぎていてすぐにその行動を止める事が出来なかった。セオリーは空間転移してしまい私の視界から姿を消してしまう。


「うぐぐぐぐ」


 本当に反則男だ。早速してやられた状況に私の口から洩れる怒りに満ちた声。

 よく分からないが、奴曰く、腑抜けてしまった私の相手などもうしない、と言う事だろうか。そして狙われているのは、ルフィーナさん?

 彼女はさっき逃がしたばかりだからすぐに追えば見つける事が出来る。猛ダッシュで階段を駆け上がり、部屋を出てはまず通路の左右を見渡した。

 すると、右の方角で分かりやすいくらいの大きな物音が聞こえてきたので、音が聞こえた方角に向かう。

 数秒も経たないうちにもう一度大きな音が響き、次に風を切るような音が聞こえたかと思うとスパン、と少し先の左手の壁が切り崩れてルフィーナさんが出てきた。

 と言う事はその後ろから出てくるのはきっとセオリーに違いない。本人をまだ確認していないがそんな事をしていたらまた逃げられてしまいそうなので、来る事を想定して彼女の壊した壁めがけて突き進み、大きく槍をそこで振る。


「なっ!」


 予想通り出てきたセオリーの右足を私の槍が掠り、流石に驚く白緑の髪の男。もうちょっと早く進んで来てくれたなら切り落とせていたかも知れないのにと舌打ちしつつ、畳み掛けるように振り切った穂先を手早く戻して突いた。

 だがすぐに防御体勢に入ってしまっていて、薄らとした光が刃をそれ以上この男の体に進ませてくれない。いつものエリオットさんみたいに不意打ちさえ出来たなら攻撃は効くのだが、簡単に不意など突けるものではなかった。


「やっぱりルフィーナさん、傍に居てください!!」


「え、えっ!?」


 彼女が逃げてしまっては結局コイツがそっちを追って居なくなる。ならば最初から傍に居た方がいいと言う事になるのだ。とはいえ、彼女が近くに居ると全力でニールを使えなくなるが……

 私の叫びに混乱気味のルフィーナさんだったが、その足は止まった。これなら目の前からセオリーが消えたりしないだろう。

 で、その目の前の男は、と言うと、


「邪魔をするからには……覚悟を決めてきたのでしょうね」


 鬼のような形相でこちらを見下ろしていた。


「覚悟……? そんなの最初から」


 ちゃんとしてきている。そう言おうとしたがセオリーの短剣が振り下ろされて会話は中断させられた。穂先で受けようとしたが当たる瞬間に力の方向が上下ではなく左右に靡いて槍を思いっきり私から見て右側にずらされ、


「何も背負えていない覚悟など、意味が無いでしょう!」


 右足で回し蹴りを放ち、私の頭蓋を思いっきり揺らしてくれる。


「くっ」


 傷を負っている側の足を躊躇いなく使ってくるとは思わず、避けられなかった攻撃に視界を歪まされたものの、ずらされた穂先を一旦引いて喉笛目掛けて再度衝いた。

 間合いが近いだけに上半身を動かすだけでは避けきれない突きは、穂先の横刃でセオリーのその首を掠る。

 さっきから大きなダメージを与えられない事を歯がゆく思いながらも、私はもう一度首を刈るように穂先を引き戻し追撃するが、やはり二度目は防御層が薄く張られて効かずにキン、と高い金属音を立ててその首で刃が止まった。


「今度はきちんと殺す気で向かって来ているようですね。覚悟が出来ていないにも関わらずそれを選べる浅はかさは嫌いではありませんよ」


 さっきまでの戦闘とは違う私の殺意に気付いたセオリーが、小気味良さそうに笑って一旦距離を取るように斜め後ろに退いて言う。


「ほんっと……よく分かりません」


 機嫌が良くなったり悪くなったり、ころころ変わるだけでなくその変わり所が分からない。しかも今言われている言葉の意味も分からない。

 一見いつも動じず平然としているように見えるのに、これって何だか凄く……不安定だ。

 ともかく距離を取られすぎると魔法が飛んでくるので、すぐに踏み込んで槍を斧のように振り下ろす。

 避けられるまでは予想通り。穂先が床を砕きその破片が飛び散る中、私の考えている事に呼応してニールがその姿を具現化させて、避けたセオリーを更に追った。

 今度こそニールの拳は相手の胸に直撃して、思いっきりその体を吹き飛ばす。

 人型とはいえニールの体は金属のように硬く、何かの術で防御層を張られていようがその衝撃までは受け流せずに、セオリーの体は飛ばされた先で強く背中を打っていた。

 私は走り抜け様にニールを戻して、今度は槍を斜めに一閃させる。だがその攻撃は短剣によってさらりと軌道を変えられて、セオリーの頭の上を空振ってしまった。

 がら空きになった私の体目掛けてセオリーの雷撃が降りかかり、一瞬痺れて止まってしまう手足。もう一度ニールが自主的に出てきてくれてその後に繰り出されたセオリーの左腕を止めたが、


「ワンパターンですね」


 どうやらその左腕は元々攻撃するつもりで出されたものではなかったらしく、ニールによって止められたその腕を基点に回転されて、通常以上に勢いをつけて私のわき腹に膝蹴りが入ってくる。

 そのままセオリーは掴まれている左腕を引き寄せ、ニールと私の体を重ねまとめて凍らせようとしてきたのだが、


「!」


 そこで私と向かい合っていたセオリーの顔が歪んだ。

 その隙をついてニールは一旦セオリーを掴んでいた手を大きく振り上げ、その体を放り投げて私から彼を離し、また槍へ素早く戻ってくる。

 飛ばされたセオリーの背中には魔法で作り出したような土矢が刺さっており、それがこの場に居るもう一人のものである事を私はすぐに把握した。


「私が死んだら、どうなるか分かった上で……手を出したのでしょうか」


 私も予想外だったが、セオリーもルフィーナさんが自分に攻撃してくるとは思って無かったらしくまともに受けた土矢を手で抜いて痛みに耐えている。


「それくらいで死なないでしょ」


 ふん、と鼻で笑いながらルフィーナさんのロッドが床で陣を描き始めていた。どちらの味方でも無い彼女は、どちらも死なせないように、と敢えてギリギリのタイミングで彼を止めたのだろう。

 ともかく大きなチャンスが出来た。

 自分の血で床を染めているセオリーに、今度こそ、と瓦礫が散らばる足元を気にしながら駆け寄った時だった。


「クリスもそこまでよ」


 私とセオリーの周辺を光の柱が包み込み、足も腕も動かなくなってようやく彼女の意図を私は知る。


「う、そ」


 以前に姉とエリオットさんを同時に止めていたり、さっきだって大型竜を三匹まとめてその動きを拘束していたりと、多分彼女の十八番であるこの魔術。


「本当に、人の邪魔だけは得意ですねぇ」


 さっきから動き回っている私達を、この場に来てうまく二人まとめて彼女はその魔術で拘束を完了させたのだ。

 喋る事は出来るのだが首はもう回らない。セオリーも床に尻餅をついたまま動けないらしく悪態だけ吐いている。


「フィクサーから連絡があるまで……このままで居て貰うわ」


 それが彼女の最終的な決断、と言う事か。

 ロッドは自身の足元の陣に突いたまま、その背を壁に持たれかけてルフィーナさんは安堵の表情を見せていた。

 この人は……エリオットさんを完全に見捨てたのだ。

 そう思ったらさっきまではセオリーだけに向けていたはずの感情が彼女にも芽生えてくる。だって、やっている事は敵と何ら変わりないではないか。


『ご主人、あの女も敵で良いのだろうか?』


 ニールの声が頭の中でまた響く。

 敵であって欲しくはなかったが、彼女もレクチェさんも私とは選ぶものが違っていた。

 一度は一緒に旅をしたり笑いあった事もあったけれど、それからこうしてまた同じ場所に立っていても皆大切なものがそれぞれ違って、歩み寄る事が出来そうで……結局出来なかったらしい。

 無論歩み寄ろうとしていないのは私も同じなのだが。


 そうですね、敵だと思います。


 私は心の中でそう判断を下した。

 何を考えているのか分からない男と、広い視点で見て悪意ある存在から世界を護ろうとする彼女と……そし、て酷く狭い視点でたった一人を助けたい私と三つ巴の現状。

 多分ルフィーナさんが一番正しいのではないかと私もちゃんと分かっている。多分じゃない、むしろ絶対だ。でも私はそんなもの選べない。

 昔、姉さんを殺してでも止めると決めた時、私はその選択肢を選べていたはずなのに、どうして今の私はこうなってしまったのだろう。

 あの時、私とは違ってこの世界よりも姉さんを救う事を選んでいたあの人の表情が脳裏に浮かぶ。

 彼はこんな気持ちで選んでいたんだ……姉さんを。


 腰を床につけたセオリーに向かった体勢のままで四肢を微動だに出来ない私は、視界に映っているのは憎たらしい宿敵にも関わらず、あの時のエリオットさんの想いを想像して泣きそうになっていた。

 視線だけでそれに気付いたセオリーの口が開かれる。


「何て顔をして……」


 その瞬間、室内にざわつく風にその赤い目が見開かれた。

 でももう遅い。

 その風圧と共に再び具現化したニールは、まず私達を拘束して安心しきっているルフィーナさんに向かって、彼女の体を思いっきり二つ折りにするような勢いで蹴りを放つ。


「が、っ……は」


 ほんの一瞬の出来事。壁に体ごとめり込まされて呻くハイエルフは、その一撃で床に沈み血を吐いた。

 それを見てセオリーは今までに見た事無いくらい驚いてその身をすぐ様起こす。そう、この時点ではロッドが彼女の手を離れ、私達の拘束は解けていた。

 同時に私はニールの本体であるこの槍を振り被っている。


「どこを見ているんですか?」


 冷たく乾いた声が私の喉を鳴らし、返答を待たず、槍を目の前の男の体にトスン、と刺して……終わった。

 ガードさえされていなければ元々切れ味は異常過ぎるこの武器。生身の体など力を入れずとも簡単に貫ける。

 そしてさっきから血を流しているこの男の体は、何故かは知らないが人形じゃない。

 あの地下の魔術を使う為には本体ではないといけなかったのか、それとも地下の魔術と人形を操る魔術を同時に操作出来なかったのか、理由は知らないけれどいつもみたいに無理して首を刎ねずともただの一突きで死ぬのだ。

 声も無くどさりと倒れたセオリーを少しだけ見てから、私は自分の左側で同じく倒れているルフィーナさんに顔を向ける。

 セオリーと違って殺すつもりなど無かったのに動かなくなってしまったルフィーナさんの安否を確認しようとしたのだが、


「まさか、両方やってのけるとは……思い、ませんでした」


 そこへ私にとっては耳障りな低い声が小さく響いた。その声にハッとした瞬間、右頬に何かが飛んできてざくりと頭の中に響くくらいに近くで肉が切れる音がする。


「ぐあっ!?」


 激しい痛みで思考がいっぱいになり、先程私の右頬にあったソレが金属音を立てて床へ転がった。


「ご主人!?」


「っ、く」


 痛みの発信源を手で押さえると赤い血が指の隙間から際限無くだらだらと溢れてくる。床には私の血に染まった黒い短剣、投げてきたのは勿論セオリーだ。

 叫び続けたくなるような痛みに堪えて倒れているその男を睨み付けると、血の気の無くなった顔色にも関わらず表情は相変わらず人を見下げた嫌な笑み。


「それは、お礼、で、す」


 途切れ途切れに紡がれた台詞は最後まで皮肉なもの。無理して喋って、かふりと血を口から大量に溢してまで伝えた事がそれってどうなのだろう。

 何に対してお礼なのか、もし百歩譲って何かに感謝したのだとしたのだとしてもこれは完全に仇で返している。

 だが怒鳴ってやりたい相手は今度こそ絶命したようだった。最後の力を振り絞って私に一糸報いたつもりか?

 死ぬまでずっとわけが分からなかった男は、死んだ後も私に蟠りを残す。

 両方やってのけるとはどういう意味だったのか。状況的にはルフィーナさんとセオリー、両方を倒した事な気がするけれど……それがどうしたと言うのか分からない。


「考えている時間は無い、クリス様」


 それだけ言ってニールがそっと姿を消した。完全に頬を貫通していたその傷から手を離し、止まらない血をそのままに赤く濡れた右手でセオリーの体から槍を抜く。

 何だか悪魔みたいな外見だった時より余程醜いな。

 そう思ったら笑ってしまって、動かした頬の傷口が凄く痛かった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 驚くほど呆気ない死を迎えた、『もう一人の』異常者。


 幼い頃の彼は特に何かに悪意を向け続けるような子どもでは無かった。

 いわゆる『外に作られた』子ではあったが、本妻に未だ跡継ぎが恵まれない状態だった為まだ風当たりも悪くなく、そもそもその辺りの事情を当時の幼い彼はよく分かっていない。

 年の近かった少し生い立ちの複雑な、同じハイエルフである黒髪の少年と平穏な幼少時代を送り、そしてそのまま何事もなく成長する……はずだった。

 けれどもその生活は、彼の父親の正妻に一人の子が出来てしまった事で急変する。これが男児ならばそこまでややこしくはならなかっただろう。だが生まれてきたのは女児。

 彼とその娘と、どちらを跡継ぎにすべきか、里の意見は真っ二つに分かれて、彼らの住む里に根強い対立を作り出した。


 その娘が物心つく頃には流石に自分の置かれた状況を把握する彼。この娘さえ居なければこんなくだらない争いなど起こらなかったのだ、と。

 しかしその疎ましい存在は何も考えずに彼を兄と慕い着いてくる。しかもそれを追い払おうとすると、友人が彼を非難するものだから面倒臭い。

 好きにすればいい。

 彼がそう思って放っておいたら、気付けばいつも三人で居る構図が出来上がっていた。

 周囲の考えや視線など関係無しに当人同士の距離は縮まり、その架け橋となっていたのは間違いなくその友人だったのだろう。

 このままそれが続けばどんなに良かったか。

 感傷に浸るなど自分には似合わない。だから誰にも言わずに彼は独りで思うだけにしていた。

 ――その、叶わない願いの一つを。


 身長もそれ以上伸びなくなり自他共に成人だと判断されるようになった頃、彼がそれまで見て見ぬ振りしていた問題が再度大きく浮かび上がる。

 彼とその異母妹の父親はその里の長であり、いずれはどちらかが後を継がねばならないのだ。

 彼はそんなものに興味など無かったが、彼の母はそうでは無かった。正妻とその娘に敵意を剥き出しにしては彼を跡継ぎに推す。更に鬱陶しい事に、彼の類い稀なる才故、母親に同意する者が多かった為、彼の異母妹と父の正妻の立場の無い事と言ったら無いだろう。


 そこへ重なるように舞い込む人間関係の面倒臭さ。

 薄々気付いてはいたが彼の友人はその異母妹にいつからか好意を寄せており、告白したはいいがバッサリと『異性として見られないの』と振られたと嘆いている。

 男として見られていない事などすぐ分かるのによくもまぁアタック出来たものだ、と彼は内心思うだけでなくキッパリ友人に言ってやった。

 しかし何故だろうか。落ち込む友人を見ている自分はどうもほっとして落ち着いている。その理由は考えればすぐに分かり、そしてその理由は彼を自己嫌悪させ外の世界へと送り出す事となった。


 自分がこの場から去ればややこしい跡継ぎの問題も同時に解消されるだろう。彼は止める母親を冷たい視線で一瞥してから里を去る。

 が……何を思ったか自分にとっては問題の一人である友人が着いてきた。

 傷心中だった友人はどうやら異性よりも同性の友を選んだらしい。彼は、コイツ本当に馬鹿だなと思い、無論それもきっぱり口に出す。

 それでも何だかんだと理由をつけて着いてくるその男と、彼はそれから本当にずっと共に歩く事になろうとは……その時は夢にも思っていなかった。


 その後生活の拠点を得て、任務の最中でビフレストと接触し、そこから悲劇は始まる。

 二人の体はエルフでもヒトでも無いよく分からないモノへと変えられ、友人に至っては何を触っても感覚が無い、と自身の異常に震えていた。

 自分にも何か異常が出ていないかと彼は確認したが特に見つからず、災難ではあったがまだ運が良かった方なのかと正直安堵する。

 身体の異常に未だついていけてない友人を宥めながら、あの里を自分が出て来てしまったからこんな目に遭わせてしまった。

 そう思った時だった。


 彼の中で一瞬にして黒いものが噴き出す。


 そもそも里を出る原因になった連中が悪いのではないか。

 そう考え始めたらもう止まらなかった。両親も、対立に油を注いでいた連中も、全て許せない。そして里を出ようと最初に思わせた自己嫌悪のきっかけも。

 腹に渦巻くそれらをどうにか抑えていた彼だったが、友人のとある願いを聞いた時ついにその悪意を出してしまう。


「いいですよ、手伝いましょう。代わりに……私のも手伝って貰えますか?」


 一度出したものはもう引っ込められず、溢れ出す藍の言の葉は彼の足元をみるみるうちにその色で染めていったのだった。

 彼は知らなかった。それこそが自身の異常である事を。


 元々小さくとも存在していた感情故に分かり難い変化。本人ですら気付かないのだ、身近に居た友人でも元々凄くたまっていたのだろう、と思うくらいのもの。

 ただ敢えて言うならば異母妹に対する行動だけは異常と呼べるほど逆転していた。だからこそその変化を彼女だけはどこかでおかしいと感じていたのである。そして、その部分をほとんど見ていない友人はずっと傍に居ても気付けなかった。

 もしこの三人のうち誰か一人でもそれに気付いたなら流れは全て変わっていただろう。それだけ彼のその後の行動は大きく関わってくる。

 里を半壊させ恨みの種を残し、殺しそびれた異母妹を友人の計画に巻き込み、湧き出す悪意や害意のままに他人の血で手を染める日々。

 気付けば彼は、これが自分なのだ、と自然と受け入れるようになっていた。力を得た事で箍が外れただけ、そう思う。


 一度は両親達への復讐を成し遂げた事で治まっていた彼の中の悪意だが、別に彼の異常が治ったわけでは無い。

 根本の原因である二人が存在しているのだから、またそれが噴き出すのは時間の問題だった。

 今はまだいいが友人の異常が治った後には二人まとめて八つ裂きにしてしまいそうだ。

 一人でそんな事を考えては笑いが止まらない彼は、既に完全にその悪意に喰われているよう。

 友人の目的を手伝っているにも関わらず、それが叶わなければいいと彼は思う。しかしどんなに悪意が膨れ上がろうとも他の感情が消えているわけでは無い。


 たまにそんな自分にまた嫌悪し、その嫌悪によって自身にも悪意が向く。消えて欲しい者がまた増えた。

 結局何がしたいのか、自分自身でも分かるようで分からない。ただ言える事は、本来の願いとは全く重ならない望みが自分の中に存在していると言う事。

 己の中の矛盾を自身で飲み込む事の出来なかった彼が最終的に選んだのは、流れに任せる事であった。

 悩むと言う事はもはやどちらに転がってもいいのだろう、彼はそう考える。

 自分が死ぬか、異母妹と友人が死ぬか。どちらでもきっと自分は楽になれる。

 普通に考えたならそれで楽になれるはずなど無いのに、長い間常に渦巻く悪意による不快感で彼はもう色々なものが磨り減っていた。


 でもあの友人の事だ。自身が死ぬよりもそれを見届けさせる方が堪えるだろう。ならば友人は生かしておこう。あの憎い異母妹を殺してから自分も死ぬ、しかしそこまで考えたところでそれは流石に無駄だと気付く。どちらが死んでも同じ解放には変わり無いが、片方だけ死んでも解放されるのだからわざわざ二人で死ぬ必要も無い。

 そして、異母妹も憎いが、そんな醜い自分も憎い。


 ではどちらを殺そうか。


 そこで彼は元々の我慢の限界と予測していた、友人の異常が治るその時をタイムリミットとして定めた。

 自殺する気などさらさら無い彼は、もしそれまでに自分が殺されればそれでよし、死ななければ異母妹を殺して友人に見せてやる、と自分勝手に決める。

 だが普通に考えたならこの自分が死ぬ事など滅多に無い。サラの末裔ですら始末してきたにも関わらず、あと他の誰が自分を殺せると言うのだ。


 結論としては、もはや自分の片割れとなっているあの友人しか居なかった。とはいえ友人が自分を殺そうとするとは到底思えない。

 友人の目的の達成が近づいてきて、少しは賭けとして成立するように動いてみたが友人相手にはそれも無駄。


 そんなところに目に留まったのがあの最後のサラの末裔だったのである。

 元々、何も考えずに正しいと思ったことを押し付けるあの子どもはいけ好かなかったが、大切な者を傷つけてやった時に見せたその異常なまでの負の感情に、彼は嫌いだったにも関わらずある意味惚れ込んだのだろう。自分の悪意に通じるものを持ち合わせている、と。

 それからは煽りに煽ってやった。面白いくらいに黒く染まってゆく幼き者を見るのは、自分がもう一人居るようで心地良い。


 しかしあの通り。何故か急に腑抜けていたその少女に苛立ち、まぁいい、と異母妹を殺す事で己の中に巣食う悪意から解放されようとした。異母妹を殺したところでまた新たな悪意の対象が芽生えるだけだと言うのに。

 でもそれは予定外の流れで終わる。

 彼が選ぶまでもなくあの子どもは両方を手にかけた。異母妹に手を出されたのを見て気を取られた瞬間に刺されるという、皮肉なあの結末。

 あぁやはり見立て違いではなかったらしい。

 その中に自分以上の黒い感情を見出した彼は、最後に一つだけ呪いをかけてやり、満足して逝く。

 『あなたは私を死なせる』……本当はその花言葉に示したとおり、心の奥では自分が殺されることを望んでいたままに。


 

 

 

 ふっとルフィーナが目を覚ましたのはあれからさほど時間も経っていない頃。

 急に現れては壮絶な蹴りを放ってきた精霊のその一撃だけで意識はすぐに飛び、その後何が起こったのかルフィーナには分からなかった。

 今、何故か手には剣を握っていて、


「ん……?」


 体を起こすと首元で揺れる大きな琥珀のネックレス。これは確か精霊武器を作り直す時にクリスが必要として首にかけていた物のはず。

 これがここにあると言う事は、つまりクリスが自分にかけたのだと思うが……何故そんな事をされたのか分からない。

 そして、青い宝石の填まった少し短いシンプルな剣。これも手にしている理由がさっぱりだが、自分は剣などあまり使えないのですぐに手放して床に放る。

 謎ばかりがその場に残っていた建物の中で、赤い瞳のエルフはようやく立ち上がって周囲を改めて確認した。


 自分の足元も随分血で染まっており、そこら中が崩れて瓦礫の山となっている。と言ってもその瓦礫の半分くらいは異母兄から逃げる為に自分が壊した物なのだが。

 次に見渡した先は、自分が意識を失う前にクリスとセオリーが居た場所。クリスが居た場所には小さな血溜まり。もう一つは、と言うと……

 そこにあったものを、全てがおしまいになってしまうのだ、と彼女は茫然として見つめる。


 あの日、あの時から憎しみの対象となっていたその存在の死を、ルフィーナは確かに望んでいた。けれどもあの状況ではその憎しみを優先など出来るわけが無い。

 クリスとセオリーと、二人を足止めする事が一番最善だったはずなのに、その結果は何故か一番最悪なものになっている。自分が意識を失った後、二人はどうしてこうなったのか。そう簡単にやられるわけが無いだろう、この異母兄が。

 瀕死の重傷を負った異母妹に気を取られたからなどという、彼女自身にとっては全く想像のつかない結果に頭を悩まされ、その場でただ一人項垂れた。

 隙間風が甲高い音をたてて彼女の朝焼けの髪を撫で、虚しさを更に掻き立ててゆく。感極まっては溢れてくる涙は何を想って出てきているのか、それすらももうルフィーナには分からない。


 心当たりが……沢山ありすぎて。


 もはや自分に出来る事は何も無いだろう。

 せめてその死に顔を見て嘲笑ってやろうと無残に転がっている異母兄に近寄ってみた。どんな悔しそうな表情で死んでいるのかと思いきや、その顔はいつも通りの、クリスに言わせれば『ムカつく笑顔』。

 ようやく『異常』から解放された男は、皮肉にも気持ちだけは安らかに逝っていた。


「最っ低」


 ソレを見下ろしながら低く呟かれる一言。

 自分はこんなものを見る為にここまで生きてきたのでは無い。自分の全てを奪った男の悶え苦しむ様を見るまでは死ねない、とそれだけを支えに生きてきたのに一生叶わぬものとなってしまった。

 一体これから何を支えに生きてゆけばいいのか。砕け散った心の中の柱と同じようにルフィーナの足は折れて膝をつく。

 ビフレストの女が皆の怨みつらみ憎しみの感情を、悲しみ危惧していた結果の一つがそこにあった。

 負の感情による支えは、終わった時、見失った時、その者の生きる気力までもを奪ってしまう。

 ……何故なら、後に何も残る事の無い目標だからだ。


「そういえばね」


 ふっと、空っぽになったルフィーナの思考の隅に残っていた一つの疑問が彼女に口を開かせる。


「アレ、本気なのか冗談なのか判別付け辛かったわ」


 既に聞こえているはずの無い相手に語りかけている彼女の姿はとても滑稽で、そしてどこか常人にとっては恐怖を感じさせるものだろう。

 壊れているのかも知れない、そう周囲に思わせる不安定さ。ただ、今は彼女の周囲には誰もおらず、それを判断する者は存在しない。

 大きな血溜まりへ完全に下半身をぺたりとつけて、汚れ、二人の瞳と同じ緋色に染まり濡れるのも構わずに、その場から動く様子の無くなったルフィーナはまた独り言を続けた。


「今までで一番笑えなかったけれど、冗談でいいかしら?」


 笑えないと言いつつ、この状況下で彼女はそれを考えて笑う。

 ルフィーナの思考の中にあるのは以前渡された花束が示す言葉。


「そうでないと……すっごい馬鹿だもの」


 もうその瞳は彼の顔など見ていない。

 瞼を開いてはいるが全く合っていない焦点は、現実を映すのではなく過去を遡っていた。ハイエルフにとってもかなり昔と感じられるくらいの過去を。

 あの時渡された花束で、毒花以外のものは全部で三つ。一つは赤く小さな蕾がいくつもの房となっている花。次に雄しべの先が糸のように見える、チューリップが丸くなったような紫の花。最後に花序が刀の鞘に似ているカラフルな葉。

 これらが示していたのはどれも早い話が悲恋なのだ。

 全てが締め括られる直前にあの花束を渡したのは、どう言った感情からくるものだったのか。何にしても当人はもう口を開くことは無い。

 だが、ルフィーナからすればもしその相手が自分だとすれば、最後の一つだけ間違っている。


「……叶わない事も無かったからねぇ」


 少なくとも、あの日までは。

 まぁあくまでそれは相手が自分ならばの話。

 普通に受け取れば無論自分宛てなのだが、あまりその様な感情を見せられた記憶の無い彼女にとってはあまりそれもしっくりこなかった。実は自分宛てでは無く、友人宛てか両人宛てだと言われた方がルフィーナとしては腑に落ちる。

 感情に不器用なあの男の事だ、あまり顔に出さずともあの頃の関係を一番心地よく思っていたのは実は自分でも幼馴染でもなく、彼だったのだ、と。


 もうこれから先はどうなるか分からない。封印される事が無くなってしまった創造主が何をするか、また、あのサラの末裔によって世界自体が終焉を迎えてもおかしくなかった。

 あの子と自分が敵対する事で、最後の糸を切ってしまったような、ルフィーナにはそんな気がしてならないのである。

 クリスが何故か持っていたあの長剣の精霊武器は、フィクサーを含む自分達が集める事の出来なかった最後の一本。

 本人は槍がお気に入りのようだったが、あの剣は女神の意を真に受け継ぐ力を秘める、この世界の脅威なのだから。


「あの子は、どう終わらせるのかしら」


 死んだ異母兄に問いかけるように言葉を投げかける。返答は勿論返って来ないが、


「どうなったとしても、愉快なんでしょう? 兄さん」


 生きていたならばその悲惨な状況を面白がるのが目に見えていた。

 最後に『兄』と呼ぶ事で決別を示し、ルフィーナは立ち上がる。

 転がっているロッドを拾うのも面倒臭い。彼女の魔力は男の体をみるみるうちに凍らせて、次にさっき捨て置いた剣を拾う。

 ルフィーナはそれを持って先程凍らせた男の傍へ寄りその剣を振り上げて、勢いよく叩きつけるように何度も、何度も、下ろす。

 無残に砕け散ったのを確認してから次に彼女の手から溢れるのは炎。氷片を全てその業火で燃やし尽くし、復讐を完了させる。

 そう、これらの流れは以前この異母兄が両親達を殺した手法と全く同じものなのだ。凍らせ、砕き、燃やし尽くす。


 その炎に全てが狂ったあの日を重ねて、そしてあの日以前の気持ちも一緒に燃えてしまえばいい。そんな事を思いながらぼんやりと揺らめく紅に顔を照らさせていた。

 しかし残酷な現実は彼女の願いを叶えなどはしない。やがて燃える物が無くなるが、それでもルフィーナはそこから動かなかった。いや、動けなかった。

 何故なら物は燃えども心まで燃やし尽くす事など出来なかったから。

 体も心も、そこから一歩も進めなくなってしまった彼女は遠い目をしてその先を見据える。


「あたしも馬鹿ね……」


 一瞬過ぎった負の感情を振り切るようにその首を横に揺らし、それをしては悲しむ者がまだ生きている、と自身に言い聞かせた。大変可哀想な事にその時思い浮かべられたのは黒髪の青年ではなく、金髪のビフレストなのだが。

 どこに居るのかは分からないがこれだけ探していないのだから、とルフィーナはクリスのようにセオリーに聞かずとも、レクチェの居場所の予想はついていた。

 その無事だけを祈って今はもう少し、生きる気力を振り絞る。


【第三部第十三章 ライトモチーフ ~藍に染まる願い~ 完】

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