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第三部
41/53

癒しの石 ~寇する互いの正義~

   ◇◇◇   ◇◇◇


 彼女は一瞬、意味が分からなかった。


 そんなに時間は経っていない、多分十分も無かったのではないだろうか。私服から勤務用の軽鎧に着替え、戻ってくるまでの間。先に頼んだメイドの夕食すら届いていない、ほんの短い時間だったはず。

 なのにもう部屋にあの人は居なかった。

 残された大きな血溜まりが二つ、そこから片方に寄っていくような血の足跡。自分との部屋の距離はそこまで遠くないので、こんなに血が流れるほど争ったのならばこの時間だ、物音が聞こえなくも無いだろう。

 だが血がこれだけ流れていても争ったような形跡はほとんど無く、一体ここで何が起こったのか全く想像がつかない。


 ただ、あの王子に何か出来るとするならばあの連中しかいない。また攫われた、となるとあのニザフョッルの施設か。

 確証は無いがまず間違い無いと思われる。

 セピアの髪を振り乱しながら自室に戻って武器を選び準備を整えて、城内の飛行竜の小屋までひた走る。鳥人である彼女の全速力は、それをたまたま見た従者達に何事か、と思わせる程のものだった。

 飛行竜使用の手順を正式に踏まずとも、彼女の形相とその立場からあっさり飼育担当の者に手綱を渡され、それに乗る。


 どうせ上にこの事実を報告したところでまた責任がどうのと追求されて身動きが取れなくなるのが目に見えていた。

 もう、どうでもいい。

 その辺りのしがらみを捨てる覚悟はとっくにしてある。自分が誰かに報告せずとも間もなく給仕のメイドによってあの惨状は発見されるはずだ。そして自分も居ないとなれば弟達にも連絡が行き、クリスにも伝わる。

 私は、元々自ら動く人間だ。誰かに頼んでいては落ち着かない。あの人の傍に居る為に選んだ道だと言うのにここで動けなくては全く意味が無かった。


 風を裂くような飛行竜のスピードに耐えながら目的地に向かう彼女の目の前に広がる、紺よりも更に濃く暗い藍染のような搗色の空。モルガナを過ぎた頃には地上の明かりもほとんど見えず、埃にくすんだ月だけがか細く彼女を照らす。

 時折その月に見せる鳥人の表情は、今彼女がその瞳に映している穹窿のように曇っていた。




 やがて山の向こうで搗と黄味掛かった淡紅が浅く溶け始めた頃、彼女の乗った飛行竜は目的地へと到着する。

 背に乗せた女の命令通り、渓谷に構える大きなグレーの立方体の建物へとゆっくり降り立った飛行竜。しかし竜はその中の存在を本能で感じ取ったのだろう。主が降りた途端、逃げるようにまたその翼をはためかせて空に戻ってしまった。

 飼い慣らされた飛行竜がこんな風に命令も聞かずに飛び去ってしまうのは、普通ならば考えられない。


「少なくともこの建物が大型竜の飼育をしている事に間違いは無さそうだな……」


 どうせ片道切符のようなものだ、と彼女は帰りの足が無くなった事を気に留める事無くまずは入り口を探す。周囲を一周するだけでも骨が折れそうな巨大な施設を前にして、些かに戸惑いながらもブーツの底を赤土で汚していった。

 と、そこで何かが風を切る音に即座に反応した彼女は、すぐ様その音の元となる何かに腰の剣を抜き振るう。盾すらも役立たずにする七代継がれた幅広の後曲剣に呆気なくも落とされたのは、


「短剣……? あぁ」


 そういえばここの連中は剣に魔術を掛けて操作し、偵察等に使っていたのだった。柄と刃を二分された元短剣が地に転がり、彼女はこれで自分の存在を把握されてしまった事に気付く。

 やはりこっそり潜入と言うのは難しいらしい。


 普段は直刃の剣を好んで使う彼女だったが、精霊武器相手に少しでも保たせるには、と自分の持つ剣の中で一番丈夫であろう名剣を持ってきていた。先日クリスとセオリーとの戦闘を見た限り、上質の剣ならば多少は耐え得る事が分かったからだ。

 そんな彼女が、セオリーの持っていたあの短剣をちょっと欲しいだなんて思っているのはここだけの話。もし全てが終わったら没収しよう、そうしよう。そんな邪心も一パーセント程度くらいなら真面目な彼女にだってある。


 とにかく、気付かれてしまったのだろうから早めに入り口を探さなくては、とその足が布を擦らす間隔を速めると、大きな門構えのような壁から同化が解けるようにぬるりと姿を現す一人の人物。

 入り口のようではあったが押しても引いても反応しなかったその壁の使用方法を目にして一瞬驚く鳥人だったが、すぐにその琥珀の瞳で刺すような視線を目の前の人物に放った。

 建物から出てきた黒髪の女は呟くように小さく口を開く。


「先に来るのが貴女だとは思っておりませんでした……レイア准将」


「そうだろうね、クラッサ」


 准将と呼ばれた鳥人は、見覚えの無い彼女の頬の火傷に内心少し驚きながらも自然に返答し、且つ決して気を緩めない。

 クラッサが軍に在籍し始めたのは四年半前の事。それからたった二年余りで、地位は高くなくともレイアの元に配属させられるほどの実力を見せ付けていた有望な女性だった。

 銃を使わせれば右に出る者は無く、更に博識。やや表情が固いが立ち振る舞いも良い。たまに飛ばすジョークだって少なくともレイアは気に入っていた。

 だが……それらは全て紛い物だったのだろう。


「何故こんな事をする? 他の二人の男については話を聞いたが、君がそれに手を貸す理由がいまいち掴めないのだよ」


「聞かない方が情など湧かずに済んでやりやすいと思うのですが」


「その気遣いは、もう遅いよ」


 情が湧いていないわけが無い。敵対しているこの事実が過去のそれらを嘘だったのだと訴えていても、頭でどれだけ分かっていようが簡単に切り替えられなかった。

 だからこそ敢えて聞いたのである。元部下の本心をその口から聞いて……言うなれば、この心にとどめをさして貰った上でないときっと土壇場になって斬る事が出来ずに逆に痛手を食らう、レイアはそう思った。


 クラッサ自身もこの上司の事は別に嫌いでは無い。本当ならば突っ撥ねる事も出来るところだが、自分の今現在の仕事はしばらくの間この建物の中に人を入れない事。

 殺すには忍びない人物でもあるし、時間稼ぎとして語るも良いだろう。

 そう思ったクラッサは黒いスーツの襟を整えてから、青い宝石の填まったショートソードを構えたまま話し始めた。


「……彼らがやろうとしている事は、多分、この世界が出来て初の試みでしょう」


「?」


「その様子ですともうご存知かと思いますので言いますが、彼らはあの王子に創造主を降ろして自身の願いを叶えさせようとしています」


 願い、と言う表現は微妙に違うかも知れないが、まぁいい。そこが焦点では無いのだから。

 コーラルオレンジの紅を塗ったその唇がまた言葉を紡ぐ。


「願い自体は私にとってはどうでも良い事。それよりも現時点で注目すべきは、過去にビフレストによって歴史の修繕を行っていたであろう存在が完全なる実体を得ると言う部分でしょう」


 この後対峙するのは避けられない事なのだから、エリオットならばここで容赦なく話を聞かずに銃を撃つだろう。傍から見てもその方が有利だと思われる。

 だが、レイアは黙って耳を傾けた。彼女を躊躇いなく斬る為に……話を聞くのだ。


「王子に目をつける以前は、その存在に彼らが干渉する事でどう歴史が動くのかと、とても楽しみだったのです」


 そこでそれを想像したのか、クラッサはまるで憧れの異性を思い浮かべるような表情になり、その目と頬に熱が帯びる。


「しかし直接の干渉は適わず……次はご存知の通りエリオット王子の存在に目をつけさせて頂き、私は軍に潜る事で貴方がたに近づきながらその確信となる資料を探していました」


 そんな彼女の艶掛かった声がその先を告げる事で、なるほど、とレイアの中のいくつかの疑問点が払拭された。王子を攫うだけならば軍にあそこまで長い期間潜り込む必要は無い。その資料を手に取るまでがきっと長かったのだろう。

 機密書室での事もきっと……ソッチ方面では情けない王子をたぶらかして事を進めたのだと推測できた。


「資料を読んだ限りでは、こちらが奪って壊したビフレストの代わりに新しく王子をビフレストに仕立て上げようとしているのだと考えられましたし、こちらの上司もそう思っていたようです。ですが、どうも最近……そうでは無さそうな動きが見えておりまして」


「そうでは無い、だと?」


 ここで、それまで口を挟まなかったレイアが疑問符を投げかける。

 ビフレスト関連の話はレイアはそこまで詳しく無い。とにかく神の手足のようなものだと言う事は把握していて、あとは王妃が自分の子である王子をそれに仕立て上げようとしていたと言うくらいまでは聞いている。

 歪んではいるが、自分の子に超常的な能力を植えつけようという考えも分からなくはなかった。全く共感は出来ないが。

 そう思ったレイアの顔が歪み、それを見据えるクラッサの表情は彼女と真逆に微笑んだ。


「えぇ。普通ならば神が人という器に縛られるなど、神を殺す行為に等しい。なのにそれを他のビフレスト達は止めようとしないのですよ。こちらの思惑を恐らく……把握しているにも関わらず」


「そ、それは」


「お分かりになりますね?」


 琥珀の鳥人はみるみるうちに青褪めてゆく。この者達を止めるだけでは済まない、そう悟って。


「多分、元々王子は神が自身の器とする為に創られたのでしょう」


 もし目の前の元部下の言葉が全て真実なのだとしたら、自分はどう足掻けばいいのだ。大きな後曲剣を向けている手に微弱な震えが起こるがレイアはそれをどうにか耐えて、紐でしっかりと滑り止めの成された柄を力強く握る。

 本来普通に話せばリリコ・スピントに分類される叙情的でありながらも力強いその声を、低く静かに響かせて言葉を紡ぐレイア。


「流れは分かった……だがそれと君の行動理由とどういう関係がある?」


「その後に何が起こるか、それが私の興味をそそるのです。本当ならば傍観する側で居たいものですが、それでは多分事実を知らないままで終わると思いますので……僅かながらも協力する事により、傍で見届けさせて貰うつもりでした」


 知的好奇心からの行いだと言うのか、とレイアはクラッサの発言に思わず一瞬で血が沸く思いを抑制した。そんな事で他人を踏み躙って良いはずが無い。

 やはり聞いて良かった、これならば自分は躊躇いなくこの女を斬る事が出来るだろう。

 だがその後、だんだん明けて来た空の輝きに黒髪を晒して煌めかせる男装の麗人は、レイアの覚悟を呆気なく揺るがせる言葉を発した。


「ですが、流れが直接的に国へ衝突する事となり、手を出さずには居られなくなったのです」


「……何?」


 思わず聞き返してしまったが、多分こういう事。

 彼女は要するに、本来ならば高みの見物をしたかったけれどそれが出来ないので少しだけ協力していた。だが国相手ならばむしろ望んで手を貸そう、とこの現状に至ったのだと。

 だがそれは更なる疑問をレイアに与えており、クラッサはその反応を見て笑わずには居られない。ふふ、と思わず洩れてしまった息は、決して沸点が低いわけでは無いレイアをも不愉快にさせる。


「何故そこで笑うのだ」


「いえ、私はきっと貴女にこうして本音を語りたかったのだと思います」


「本音を……?」


「えぇ。貴女なら真剣に悩んで頂けると、そう思うからです」


 もう終わるはずだった会話。しかしクラッサは終わらせないどころか、深いところまで掘り下げ広げようとしていた。

 なるべく時間を引き延ばしたい……それはクラッサが『負けない自信』があるにも関わらず、『勝つ自信』が無かった為でもある。

 レイアは、彼女の言わんとする事が気にはなるものの、時間に猶予が無い状況でそれを黙って聞き続けるわけにもいかず、声を尖らせて言う。


「焦らさないで貰おうか!」


「…………」


 半分は確かに長引かせ、焦らすのが目的。しかし状況が状況だけにそれもさせてはくれないか。

 牽制の為に構えていたショートソードを再度きちんと持ち構えて、その切っ先を真っ直ぐに元上司へ向けるクラッサ。その構えは鋭い眼光を光らせて見据えてくる鳥人とは比べ物にならないほどお粗末なものであった。

 この鳥人は剣一つで銃弾など受け流してしまうだろうし、そもそも剣が無くてもゼロ距離でも無い限り避けるだろう。

 本来はここであのサラの末裔を相手する為に待ち受けていたのだが、まさかこの人物が城を離れて来るなどとクラッサは思っていなかったのだ。

 だが仕方ない。


「簡単な事、この国は一度落ちるところまで落ちた方が良いと思っているのです、よ!」


 そこまで話したところで先に攻撃を仕掛けるクラッサ。勝つ気も負ける気も無い、ただ間を持たせるだけに振るわれたショートソードは当然の如く空を斬り、それを合図としてレイアも容赦なくその剣身の厚い武器を縦一直線に振り下ろした。

 掠るだけでも深手を負いそうなその剣は、空振る音でさえクラッサのショートソードとは段違いの唸音を彼女達の耳へ運ぶ。

 その一閃目をぎりぎりの間合いでどうにかかわしたクラッサは、この元上司ならばそこで終わるわけが無い、とすぐ様ショートソードを強く握り締めて二撃目に備えた。

 そこにきたのはまたしても縦の動き。振り下ろした後曲剣を手首で綺麗に返しながら、今度は下から上へ垂直に振り上げる。横か斜めの線だと思っていただけにコンマの遅れを取るクラッサ。その上、レイアの足は一歩踏み込んでいて、後ろに更に逃げようにもその速さに対応しきれずもたついたクラッサは、


「くっ!!」


 迎え討とうと出していた右腕を簡単に斬り裂かれた。傷は深くないが、決して浅くも無い。三撃目が来るところで黒いスーツの懐から抜いたハンドガンの銃口を左手で向けたが、懐に手を入れた段階で琥珀の鳥人は軽く後ろに下がって距離を取り、眉間に向かって放たれたはずの弾丸をいとも簡単に弾き返す。

 一見すぐ決着がつくような勝負に見える光景。

 だがそうでは無い、と朝焼けの下で青い光が異を唱えるように瞬いた。


「!?」


 視界に入ったその青い光はクラッサの持つショートソードから放たれている。からくりは分からないものの、彼女の持つ武器は精霊武器であるからして何かの超常現象を巻き起こしかねない。

 また狭めるつもりだった距離を一旦離し、何が起きても対応出来るように、と目瞬きすらも惜しんで開かれる琥珀の瞳。

 ……だが、何も起きなかった。

 構えていただけに若干拍子抜けしてしまうが、何かが起こった事に間違いは無いだろう。この鳥人が気付いていないだけで、何かが。


「ねぇレイア准将、そうは思いませんか?」


 クラッサは先程斬られた右腕とその先に持つショートソードを真っ直ぐレイアへ向けては問いかける。


「落ちた方が良いと? 思うわけが無いだろう」


「いいえ、そんな事は無いはずです」


 また先手を打ってくるのはクラッサだった。右手で剣を向けていたにも関わらず今度は銃で先に二発牽制をし、そこからまた剣を振る。

 銃弾を返していたおかげでレイアの剣刃は精霊武器の刃を受け流すのではなくまともに受け止める事になり、僅かだがその瞬間刃こぼれを起こした感覚を指先から知るレイア。

 腕の差を分かった上できちんと有効となる工夫を凝らしてくるその冷静な判断に、彼女が部下で無くなった事を心の底から惜しいとレイアは思わされた。

 しかしもう一つ、今の攻撃を受け止めて感じた事がある。

 怪我をしているはずなのに攻撃に力がしっかり入っているのだ。


「貴女ならば気付いているでしょう! あの廃退ぶりに!!」


 そこでもう一撃繰り出されたそれも先程と同じ。今度は遭えて受け止めてみたが、やはりそうだ。それなりに傷を負ったはずの右腕が何のダメージも無いように動き、そして剣に力を乗せてきている。

 振るわれたその剣戟に違和感を感じながらも弾き返し、レイアはクラッサの言葉に耳を傾けた。いや、傾けたくて傾けているわけではなく、単に否が応にも聞こえてきて無理やり考えさせられてしまっているだけなのだが。


 クラッサの言う通り、気付いていないわけでは無い。大陸を統一して久しいこの国は今やどっぷりとぬるま湯に浸かっていた。

 今回のモルガナの件で言うなれば、危機的状況にも関わらず危機感が感じられない上層部。大変なのだと口では言っているくせに自分が動こうとする気配が全く無い。立ち上がる者が居ない。むしろ立ち上がるような状況に持っていかれる事にも怯えて問題を先送りにしようとする。

 各々の仕事に手を抜いてもどうにかなってしまう環境は、簡単に人を腐らせてゆくのだ。

 確かに廃退は、していないとは言えない。

 だが、


「それがどうしたと言う! 廃退している、だから何をやってもいいと言うのか!!」


 その想いを一撃に込め、レイアの後曲剣がショートソードを大きく右上がりに払いのける。そしてがら空きになった腹部へ右上から左下へと断ち切るように下ろされた厚い刃は、今度こそ致命傷をクラッサに与えるべく深々と肉に埋まった。

 はずだった。


「がっ、は」


 一瞬苦しんだ目の前の黒スーツの女は、スーツとその下にある腹を切り裂かれたはずなのに、そのまま倒れるはずの体を土につける事無く足にしっかり力を入れて体勢を持ち直す。

 有り得ない、一瞬彼女の背後にあのフィクサーと呼ばれていた黒髪の男がレイアには見えた。斬っても斬っても効かない、あの時の戦闘で受けた屈辱が蘇ってきて歯を食い縛る琥珀の鳥人。剣には彼女のものである赤い血がぬるりとまとわりついていて、斬った事だけは間違い無いと言うのに。

 青い光がまたしても目の前で瞬き、まるで嘲笑うよう。

 その光と同じように嘲笑いながら先程まで血を吐いていた口で言葉を紡ぐのはクラッサだった。


「何をやってもいい? むしろ、何がダメだと言うのですか准将」


 銃を一旦懐に仕舞い、彼女は美しく光る手元の剣身に頬を寄せて言う。


「あの王子が民を虐げる事は良くて、民が城と国を落とす事はダメ? おかしな話ですね」


「何?」


 レイアは『王子が民を虐げる』というその一文に思わず動揺させられた。自分の目の届かないところでエリオットが何かしでかしたのか、と。

 あまりに目の前の元上司がそこで挙動不審になるので、その元部下はおかしそうに笑って上司の想像を否定してやる。


「いいえ、エリオット王子の事ではありませんよ」


 少しもふらつく様子無くしっかりと立って構える女の足元には、ほとんど血が垂れないかわりに影だけが落ちていた。


「随分昔の話になりますが……私の兄は、とある王子に殺された事があったのです」


 クラッサの告白は、レイアの思考をほんの短い間だけ止める。


「にも関わらずその王子は何も咎められる事なくのうのうと暮らしている。これでは何が正しいのか分からなくなりますよね?」


「っ」


 反論も出来ない上に戦意を一気に削がれるその言葉。レイアは一応剣を彼女に向けたままでは居るものの、心だけは間違いなく揺さぶられている。

 どの王子かは分からない、上二人ならばどちらがそれをしてもおかしくないし、そもそもエルヴァンの王子では無いのかも知れない。

 何にせよそういう体制はよくある話で、エルヴァンも例外では無くて、そしてそれは……確かな矛盾。

 それらが許されているのにクラッサ達の行いは許されないなどと、レイアには言えなかった。

 クラッサはこの鳥人がそう考えるであろう事は予測済みである。何よりも真っ直ぐだからこそ、その矛盾を抱えて悩んでくれるであろうと。


「その王子が悪いのか、殺された兄が悪いのか、止めない家来が悪いのか、罰しない国が悪いのか……准将には答えられますか?」


「……まずはその時の状況を詳しく聞きたい」


「ふむ、状況によっては殺しても罪にはならぬ、と。でしたら私はさておき、何の罪も無いのにあのようなお姿になってしまったこちらの上司二人は、今回の件についてはお咎め無しでよろしいでしょうか」


「そ、それは……」


 普段はあれだけ堂々としている鳥人の准将が、こうも口篭もるのは珍しいだろう。それはつい先日まさに彼女が指摘している部分を城内で実感したばかりだからだった。故に想像は容易。そしてあの時、少なくともレイアは彼を罰せずに次への抑制だけしかしていない。

 あれが一般兵ならばすぐに牢へ入れているであろうだけに、言葉が出るはずも無かった。


「まぁこの場合、私の兄ではなくエリオット王子が死ぬようなものになりますね。それとも王子の命だから罪で、私の兄だから罪では無い。こう仰りたいと?」


 クラッサの問いに対し、そんな事は無い、という否定の言葉はレイアの口からは発せられなかったが、表情は分かりやすいほどそう語っている。

 それに、先程あっさりとクラッサがレイアに告げた話。もし先日のエマヌエルの行為の被害者が弟や妹、そしてエリオットであったなら、あの時自分は冷静な対処を出来ていた自信が無いとレイアは思った。クラッサ自身は兄を想って訴えかけているわけではないものの、レイアにはそう聞こえてしまい、愛する家族、そして想う相手がいる彼女にとっては更に意志を鈍らせる。

 その顔は戦意を喪失する一歩手前で、彼女をその黒い瞳に映しながらクラッサは満足げな表情を浮かべていた。


「勿論こちらとしても王子の事を思うと後ろめたくないと言っては嘘になります。本当に何の関係も無い者達が犠牲になる事だってありました。でもそれは生物の歴史が紡がれるに置いて、当然の業でしょう」


 頬に摺り寄せていたショートソードをそっと下ろしながらクラッサは言い、そして問いかける。


「で、何がダメだと言うのですか?」


 クラッサは別に納得のいく答えが返って来る事など望んではいなかった。そんなもの、あるわけが無い。

 だがこの会話は充分役に立っている。この強い鳥人の、本当はとても優しい部分をこうも揺さぶる事が出来たから。傷を負う事自体は問題無いが痛いのは確かであり、なるべくならば穏便に事を済ませておきたいのだ。この後来るであろう、あのサラの末裔を相手にするためにも。

 そんな思惑を秘めた黒髪の麗人の問いに、レイアは答えられなかった。その無言を肯定と受け取ってクラッサはまた言う。


「そうですね、何もダメでは無いのです。私の兄が殺された事も、レイア准将が私を斬る事も、あの御方達が王子を神の憑代に使う事も、その罪を罪と言って罰する事は本来誰にも出来ない」


「それは……詭弁だ。クラッサ、君の話をそのまま受け入れるとして、その場合、君の兄を殺した王子をきちんと罰したならば君の主張は崩れるのではないか? 皆がやるから自分達も良いだなんてそんな事は有り得ないよ」


 何がダメとは言えないが、何もダメでは無いだなんて事も無い。そこだけは否定しておかねば、とようやく反論したレイアは改めて手首に力を入れて後曲剣の切っ先を彼女に向ける。

 この女に……飲まれる前に。




 ふむ、流石にいつまでも惑わされない。自分がこうして紡いだ矛盾を抱えて悩みながらも、最後の部分はなかなか揺らがぬ、か。

 クラッサは顔には出さなかったが内心で舌打ちをし、またショートソードを構えて打ち合う体勢を整えた。


「ですが残念な事に、私の主張が崩れるような優しい世の中では無いのです。それらの矛盾は必ず存在し、理性を保つ者達が損をする。ならばいっその事踏み躙られ続けるよりは踏み躙る側に回ろうと言う考えはそんなにおかしい事でしょうか?」


「少なくとも私は、無関係の者を巻き込む時点でおかしいと思う」


「なるほど、ごもっとも」


 ゆらりと動くレイアの足。次は彼女から仕掛けると暗に言う動作を見て、クラッサの剣を握る手の力も強くなる。

 この剣だけは、手放すわけにはいかないから。

 先程までの打ち合いではずっと先に動く様子を見せなかったこの鳥人が、今度は自ら動こうとしていた。会話による若干の焦りや苛立ちは多分ゼロでは無いだろう。多少なりそれらが太刀筋に表れてくれる事を祈りつつ、距離をとるクラッサ。

 と、そこでクラッサの右足が踝くらいの高さの小さな岩に踵の動きを止められる。予期せぬ障害物に一瞬だけ彼女の注意が削がれたところへ繰り出されたレイアの剣は、今度はクラッサの体ではなく真っ直ぐにショートソードの鍔を狙ってきて、手元ぎりぎりの位置に強い衝撃を与えた。先程しっかり握っていなければ間違いなく今の一撃でショートソードはクラッサの手から離れていたであろうもの。

 レイアの動きの狙いを考えて、クラッサの表情から余裕が消える。


「……!」


「その反応だと、やはりそのようだな」


 腕と体を斬っても平気そうなクラッサの様子は明らかにおかしい。先日のフィクサーもそうではあったが、彼は平気そうだったものの血が止まる事は無かった。しかしクラッサはどうも、その傷口から血が流れ続ける様子が無いのである。

 つまり、多分傷は治っているとレイアは推測し、治療魔術が行われているとは思えない状況でその原因は一つしか思い当たらなかった。

 持っている、精霊武器。

 度々目に入るあの青い光は、傷を受けた時に放たれていたように思う。


「君を止めるにはその剣を手放させればいいだけ、そうだろう?」


 それならば話は早い。不可能では無い、むしろレイアには簡単な事。

 彼女の台詞に、動揺が生まれ始めるクラッサ。無論その隙をこの鳥人が見逃すはずが無かった。

 素早くクラッサの右手首をその厚い刃で斬り付けて、精霊武器が傷を癒す前に次は渾身の力を込めて思いっきり横に振り抜く事で、精霊武器と後曲剣、双方の刃を激突させる。

 その二つの動作は僅か一秒も無い間の出来事だった。

 遠くに弾き飛ばされた精霊武器、そして剣身の半分以上までヒビが入った後曲剣。手首を斬られてニザの土を赤く染めていくクラッサに、レイアはほぼ使い物にならなくなった剣を捨てて飛び掛かる。


「君の負けだ、クラッサ!」


 黒いスーツの両肩口を上から押さえつけて、地に押し倒した状態でレイアが告げた。

 溢れる血に目眩を感じさせられながら、クラッサは自分に馬乗りになっている鳥人の瞳をじっと見据える。その琥珀の中に映る自分はどこまでも黒く、そして醜いと彼女はぼんやり思っていた。


「とどめをささないのは、情でしょうか」


「私は……まだ君は戻る事が出来る。そう思っているのだよ」


「戻る? どこへ」


 クラッサは嘲笑する。何をしようが自分の過去は消えやしない。敢えて言うならば、腹に渦巻く恨みだけはその相手に復讐する事で消えるくらいだ。


「言い忘れていましたね、私は彼らに恩もあるのです。私が苦しんでいた時に手を差し伸べてくれたのは……その原因となった国でも無ければ、正義と呼べるような立場の者でも無い」


 そう語る元部下の瞳は、レイアにはどこか縋るような悲しいものに見えていた。それは先日あのビフレストが感じたものとほぼ同じもの。

 その言葉の奥にある意味は……本当は助けて欲しかった。そう言っているようなものなのだから、そういうものになるべくしてなっているのだろう。

 自分の手の届くところでは無いにも関わらず、レイアは彼女を救えなかった事を勝手に悔やみ、僅かに押さえつけていた手の握力が意識せずに弱まる。

 そこでクラッサが笑うように叫んだ。


「貴女を含めた周囲からは悪と見做されるであろう彼らだけが……その手で救ってくれたのです!!」


 右腕で拘束を振り払いレイアの顔に血を飛び散らせ、クラッサはすぐに左手で懐の銃を抜く。

 視界を血で遮られた鳥人の額めがけて、慕う上司の為に躊躇い無く彼女はその引き金を引いた。

 だがその弾は彼女の右の名残羽を散らすだけで終わる。先に視界を奪ったにも関わらず避けられるとは思っていなかったクラッサは、その後すぐに銃を奪われ、


「ここぞと言う時は眉間を狙う癖があるのは分かっているからね。見えなかろうが致命傷は避けられるよ」


 袖で血を拭いながらレイアが逆にクラッサの額へと銃口を押し付ける形となった。

 馬乗りになられている状態ではこれ以上抵抗の余地も無くなり、ドッと疲れたように体の力を抜く彼女を、それ以上攻めるわけでもなくレイアはじっと見つめる。


「もう手はありません。お好きにどうぞ」


 銃口を押し付けていながら撃とうとしない鳥人に、撃てと催促するかのような台詞。


「ではそうしよう」


 その催促に、レイアは一言だけ答えたかと思うと彼女の額から銃口を外し、天へ向けて四発撃った。やがて空撃ちする音が響き、その銃が弾切れであると二人に告げる。

 弾切れになった銃を放り投げたレイアが次に行ったのはクラッサの腕を縛ることだった。剣の鞘を吊っていた紐を解き、拘束しながらそれと同時に止血出来るようにうまく縛ってゆくレイアへ、クラッサの掠れた声が掛けられる。


「素晴らしいまでに偽善ですね。准将らしい」


「あぁ、私は今も昔も変わっていない。君と違って考え方が変わってしまうような目に遭った事が無いからね」


 黒い羽を血で濡らし、その雫が溜まっては肩やマントへと落ちてゆく。だが彼女の体とその服はどんなに血に染まっても決して目立つ事の無いものだった。もう完全に昇った太陽が、基調が赤である彼女を照らしては少し明るい銀朱へと輝かせる。

 クラッサを縛り終えたレイアは、予備の剣一本と短剣二本を品定めして考え込んでいた。


「どうしました? 多分……急がないと間に合いませんよ」


 どうせ間に合わない、そう思っての発言。縛られて地に転がされたままの彼女の黒髪は風に舞う砂を被っては汚れていく。敗者である事を嫌と言うほど味わいながら、主を想う気持ちもこの鳥人に負けたのだ、と二重の意味で悔しさを噛み締めるクラッサ。


「別に私は無謀な事をしようと思ってここに来たわけでは無いのだよ。クリスはどうも君が苦手だったようだからね……」


 その彼女の言い分は、つまり最初からクラッサを斬り伏せる為にここへ来た、そう言っているようなものだった。

 そこまで言われてはもう笑うしか無い。口に砂が入るのも躊躇わず、大きな口を開けて黒髪の麗人はその見目に似つかわしくない笑い方をする。


「私なら勝てると、そういう事ですか」


「何を当たり前の事を。仮にも私は君の上司だったではないか、負ける要素が無い。自分の部下の不始末は自分でつけようと思っただけさ」


「本当に……准将らしい」


 苛立って仕方ない。


「それで、全てこうやって斬り伏せて私達を退けた後、また今まで通りあの腐った国で何も考えずに暮らすのでしょうか?」


「……君はこの二年間、私の何を見ていたんだい?」


 怒りをぶつけるようなクラッサの問いに、レイアは強く問い返す。


「君の言う国の廃退は私も王子……エリオット様も気付いていないわけでは無い。だが君の言うやり方やモルガナによって新しい国が建とうとも同じ事だろう」


「ならどうしろと言うのです」


「私にきちんとついて来れば良かったのだよ」


 さらっと言われたその言葉はクラッサに一瞬ウケ狙いなのかと思考を停止させるくらいのものだった。

 この後に及んでよくこんな事が言えるものだと。呆れて逆に笑えないではないか、クラッサは内心そう毒づく。

 だが世迷言はまだ続いた。


「エリオット様もある意味君と同じだ、やり方が早計過ぎる。敵を作るなとは言わないが、まだ我慢が足りない……あれでは上に立とうにも抵抗勢力が出てきてしまう」


「な、何を言って」


 レイアの言う意味を捉えたクラッサは、それにも関わらず震えて思わず聞いてしまう。


「君が言うように一度国を落としてしまった時、被害はどれくらい出るだろうね。逆に被害が最小で済む改革は、誰によって行われればいい?」


「本気ですか」


「勿論。それと……歴史がどう動くか楽しみだと言ったね。だが歴史と言うものは人自身が紡ぐからこそ面白いのではないか?」


 そこまで彼女が話した時、ふっと空が金色の光で包まれた。クラッサが先日その胸を刺したはずのビフレストが空を舞い、意図せぬ事であろうがレイアの元へと降り立つ。

 下からそれを見上げていたクラッサには、その光景が英雄とその元に降り立つ女神のように見えていた。

 クラッサはレクチェの事を見知っているが、レイアは彼女との面識は無い。ただ金髪である事とその空を飛ぶ様子からビフレストであろう事だけは推測出来、敵かと身構えて彼女はすぐにその場から飛び退いて言う。


「何用だ、ビフレストの女」


 王子と同じ力があるとすれば、剣などで斬ろうとしても無駄だろう。だがそれでも予備の剣を構えるレイアに、レクチェは地べたに転がされ拘束されているクラッサを一瞥してから答えた。


「いえ、少しだけ」


 それだけ言ってビフレストの腕が軽やかに揺れる。するとその指先から溢れた光がレイアの持っていた長剣と短剣を包んだかと思うと、ぽろぽろと刃が崩れていってそのまま銀の粉が風に舞った。


「ッッ!!!!」


 予備で持ってきたとはいえ、実はかなりの上物だったこの三本。使って壊れたならまだしも、お給料をつぎ込んでいる愛剣がこのような壊され方をしてレイアは絶句する。これでは打ち直す事も出来やしない。

 だがそんな心中は一切察しないビフレスト。次は落ちている銃にも光を振り掛けるように腕を振って同じように粉にしてしまった。


「あ……」


 こちらもクラッサ愛用のハンドガン。総弾数は少ないものの特殊な紋様を使う事で連射速度を上げてある改造銃だったのだが……

 そんな武器バカ女二人の愛する武器を問答無用で粉塵にしてニザの地に吹き流したビフレストは、それらを終えてからにっこりと品の良い笑顔を作って優しく言葉を置く。


「喧嘩両成敗です」


『…………』


 開いた口が塞がらない二人は、やや涙目。マイペースなこの金髪娘は今度は倒れているクラッサに近寄ると、


「お久しぶりです」


「……何しに来たビフレスト。こちらの目的の邪魔はしないのでは無かったか?」


「それは私ではなくあのお方の意思ですので。そして私は今、自分の意思でここに来ました」


 真面目に切り替えしているが、ショックのあまりに少し声が震えているクラッサ。

 二人の会話を聞きながらレイアは一人考える。間違いなくこの金髪の女は王子が言う、神の一味であると。しかし……自分の意思で来た、と敢えて明言したその理由を考えるならばそれは多分こういう事だろう。


「なので、邪魔しますねっ」


 そう、敵では無い。

 先程までのシリアスな表情をぽいっとどこかへ投げたかのように、無邪気な笑顔でレクチェは言い放った。


「んなっ……!」


 それを聞いて焦るクラッサ。縛られていて身動きが取れないにも関わらずそれでも、と体を捩じらせて彼女に食って掛かろうとするその気迫。何故なら事前に魔術も掛けていないビフレストを相手にする事など、フィクサー達には出来ないからである。

 今のように武器を壊され、魔法を消されるのが目に浮かぶ。


「何が目的だ!! あの御方を止めて皆を救った気にでもなる気か!? 出来もしない事を……っ! それは結局片方を見殺しにするだけの行為だと何故分からない!!」


「そうですね、私は皆を救いたいと思っています。でも大丈夫です、彼らを救う方法は他にもきっとありますから」


「他だと!? 今度は一体何百年掛かる話だ!! 笑わせるな!!」


 手首の痛みも忘れてクラッサは叫ぶ。今までの彼女の余裕は、自分がここで負けてもレイアやクリスが辿り着く頃には全てが終わっていると予想していたからだ。だがこのビフレストは違う。間に合ってしまう可能性がある。

 それだけは許せなかった。


「くそ……っ」


 今この時点でそこの准将に負けていなければ、と歯軋りするように奥歯に力を入れるクラッサ。

 あの時とどめを刺したはずのこのビフレストが何故まだ生きている……そう考えた時に彼女の脳裏に浮かんだのはあの白緑の髪の厭味な眼鏡男だった。あの男はビフレストの体を一体どこへ持って行って、何をしたと言う? そして……何の為に。

 分からないがその結果がこれだ。


 歪むクラッサの顔を悲しそうに見ながらも、レクチェは最後にその手首の傷にそっと触れて治す。見過ごせないと思った事を一通りやり終えたレクチェは、もう彼女達と会話をしようと口を開く事無く黙って建物の壁に近づいてゆき、その壁を少しずつきらきらと輝く粉に変えた。

 よく分からないがこれで後から来るであろうクリス達が問題無く中に入れそうだ、と思ったレイアは、崩れてゆく壁の中に居た大型竜を見て全身の毛が逆立つ。


「おはよっ」


 眠っている竜に挨拶だけしてその存在に臆する事無く入って行ってしまったビフレストに、彼女達はもはや掛ける言葉も出なかった。

 武器も無い上に、建物の中には寝ているとはいえ大型竜が複数見える状況。レイアは、自分が出来るのはここまでか、と溜め息混じりに思う。

 ビフレストが何を考えているかは知らないが、あの様子だと王子を助けに来てくれたのは間違いない。

 赤いマントを翻してレイアはクラッサの傍に寄って言った。


「多分……君を城に連れ戻したところで待っているのは死刑だろう」


「そうでしょうね」


「クリスが来たらそこの精霊武器も回収出来る。そしたらその拘束は解くから好きに行くがいい」


 どうやらこの元上司は自分が何故精霊武器を持てるのか、そして精霊武器が他にいくつあるのか知らないらしい。本当ならばその甘さを笑ってやるところだったが、ここは敢えて素直に受け入れよう。

 クラッサはそう考えて口を噤む。

 レイアはレイアで、これ以上自分が何も出来ない事を歯がゆく思いながら、ただクリスの到着を待つのみだった。

 すっかり明けた空はここに着いた頃とは違い、気持ちよく晴れている。それでも東の地特有の乾いていて少し汚れた空気はそのままだが。


「……君の兄を殺したのは、どちらの王子だい?」


 会話の内容で、他のどこの王子でもない、エルヴァンの王子が犯人である事はレイアにも感じ取れていた。しかし情けない事にそんな事をしそうな王子、と言うのが複数居ると言う事実。

 どちらの王子だろうが変わりないが、それでも一応確認だけしておきたかったレイアの問いに、クラッサは渋々ながらも返答する。


「第一王子です」


「そうか……」


 そういう者にきちんと罰を与えねば、こうやって国そのものに恨みを抱き、行動する者が出てくるのは必然だった。クラッサが仲間に引き入れていたメイド達も掘り起こせばそのような境遇がきっと出てくるのだろう。

 そんな者達を咎める資格など、クラッサの言う通り今のエルヴァンの体制には無いとレイアも確かに思っていた。

 必ずどこかで綻びが生じてしまう。誰がどんなに頑張っても、それらをゼロにする事は出来ないだろう。

 全てを見渡す視界と、情を無視した絶対的な正義がそこに無い限り。

 だがそれは人間である以上は無理なのだ。


「君をここで逃がそうとする私も、同罪だろうな……」


「?」


「済まない、独り言さ」


 罪に問われない者が居る一方で、罪に問いやすい者ならば容赦なく叩き上げ、それを救いたいと情をかける者ですらも罪となる。

 結局は何が罪か?

 きっとその部分は永遠に解決しない。

 それでも、そんな矛盾が起こる事を少しでも減らす事ならば不可能では無い。幸いこの大陸は今、一つの国家によって統一されているのだから、上に立つ者次第でがらりと変わるとレイアは考える。

 あの王子をさっさと連れ戻し、尻を叩いて教育してやらねば。その様を思い浮かべて作られた彼女の表情は、それを照らす朝日の優しい光と同じくらい柔らかかった。


「さっきも言ったが、君はまだ戻る事が出来るよ」


「さっきも聞きましたが、どこへでしょうか?」


 好きな男を酷い目に遭わせている連中の一味である自分に向ける笑顔ではない。あのビフレストといい、どうしてこうも甘い奴ばかりなのだ、とクラッサは睨んでやる。

 漆黒の瞳に睨まれながらもレイアはそっとその答えを述べた。


「普通の生活に、だよ。決まってるじゃないか」


「どこをどうしたらそう見えると……」


「君の主張を聞いていたらそう思うさ」


 自分のあの醜く歪んだ主張でどうしてそう思えるのか。そう思って反論しようとしたクラッサだったが、その瞬間、あの主張がおかしいと自分で言うようなものだと気がつきハッとする。


「今回だけは君の行いを私は見逃す。そこから戻るか戻らないかは君次第だ」


 それは、レイアがあの時エマヌエルにした事と同じ事。だが同時に次は斬る。そういう意味でもあった。

 レイアに出来るクラッサへの公平な扱いはこれくらい。現時点でエマヌエルを罰する事が出来ない以上は、彼女を許すしか無いのだから。

 しかしクラッサがその真の意味を知る由も無い部分での事であり、他人に言わせれば自己満足の域だろう。

 そこまで分かった上での決断をし、レイアはすぅと空気を肺に取り込みながら空を見上げる。

 それから特に会話も無く、時にしてたった数分。大きな羽音と共に現れたのは飛行竜に乗ったクリスとルフィーナだった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


【第三部第十一章 癒しの石 ~寇する互いの正義~ 完】

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