絡む思惑 ~舞台は加速する~
研究所跡で出会った女性に服を着せた後、私達は次の目的地に向かっていた。その経緯は今から二時間前に遡る。
「今度こそあの女に知っている事を話して貰わないとな」
先程露店で買った明るい黄色の果実を片手に持ちながら呟き、そしてその果実を頬張るのはエリオットさん。街角を歩きながら彼から渡された果実を物珍しそうに眺めている金髪美女は、彼の真似をしてその果実に一口かじりついてみた。
「美味しい……!」
「このあたりで取れる果物じゃないんだけどな」
どちらかといえばもっと北の地方の名産なんだぜ、と付け加えてまた一口。私も貰っていたので一緒になって食べてみる。濃厚な甘い香りと、つるりとした歯ざわりが心地よい。この瑞々しさは私の住んでいた地方ではなかなか無い果物だ。その柔らかな曲線を描く果実の形が、女性的なものを思わせる。
ふと横を見ればとても気に入ったようでもう既に平らげている彼女。
「私の食べかけでよければ残りをあげましょうか?」
「えっ、いいんですか?」
「どうぞ」
食べかけを手渡すと遠慮なしにかぶりつく。それほど気に入ったのだろうか。
「不便だから彼女に本当の名前が分かるまでの呼び名が欲しいところじゃないか?」
美味しそうに食べている彼女を、気持ち悪いくらいというかぶっちゃけもう気持ち悪いだけの優しい笑顔で見つめる気持ち悪いエリオットさんがもっともな事を言う。大事な事なので三回描写しました。
「確かに名前は欲しいですね。でも何て呼べばいいのか……」
「レクチェでいいだろ、そっくりだ」
そう言うと彼は手元の果物と、隣の彼女を交互に見比べる。
「まさか……」
確かに色も似ているが、彼女はここまでぽってりしていないような……胸!? 胸ですか!? メロンほどには例えられないもののなかなかの大きさであるその胸を連想して!?? いや、そもそも名前のつけ方がまるで子犬ではないか、物から取るだなんて。それで彼女はいいのだろうか? 当の彼女はというと、話をほとんど聞かずに果物を平らげた後、私達の視線に気付いて不思議そうに首を傾げた。
「今、君の名前を考えていたんだ」
エリオットさんは話を続ける。
「レクチェでいい? そしたら俺、これを食べるたびに嬉しくなるんだけどな」
本当に嬉しいだけなのか、いやらしい気持ちの間違いではないのだろうか。
あまり意味の分かっていなさそうな彼女は素直にそれに応じ、
「本当の名前も分かりませんし、何と呼んでくれても構いませんよ」
そう言って、また無垢な微笑みをその口元に浮かべた。私は何故か果物の曲線を幸せそうに撫でているエリオットさんをなるべく視界に入れないようにし、歩幅をゆるめて会話を再開させる。
「あの女、とはエリオットさんのお師匠さまの事ですかね?」
「あぁ、進展はしてないけど怪我はとりあえず治したし、あそこから情報を引き出せないと正直何も出来ない」
そう話す表情はもう先程の下品なものではなく、至って真剣だ。小さな芯だけを残し果物を食べ終えると、私達は馬車を借りて街を出た。
それが二時間前の話である。か弱い女性を歩かせるわけにはいかない、と今回は馬車でフィルに向かっているので一日もしないうちに着くだろう。
馬車の中ではエリオットさんが必死に打ち解けようとレクチェさんに色々話しかける。当初はよそよそしかった彼女もだんだん慣れてきた様子だ。普通に考えればとても良い事なのだが、顔に『おっぱい』と書いてあるような表情の男性と打ち解けるというのも危険な気がしないでもない。二人の他愛も無い会話を聞き流しながら、私は今後の行く先を心配していた。
エリオットさんには詳しく話していないが、私の持つ槍の精霊はこの女性を『敵だ』と断言していた。記憶が無いから害が無いものの、もし記憶が戻ったとしたら私達の敵になるかも知れないのだ。そんな人と一緒に連れ立っていいものか。
皆に愛される為に生まれてきたかのような彼女の仕草と美貌、だが頭で美しいと感じているのに私の心には何故か彼女に対する悪意のような感情ばかりが渦巻いている。エリオットさんと出会った当初もコイツはいけ好かないと感じたが、それとは全くの別次元。本当の意味で『相容れない』とはこのような事を言うのだろう。
その違和感をエリオットさんに伝えられるほど私は強くない。何故ならそんな事を言おうものなら私が性格が悪いと暗に言うようなものだからだ。この女性に敵意を抱く、というのはそういう事だった。
馬車の外では、木々の向こうに夕日が見える。鳥が森へ帰り、蝙蝠が飛び交い始める空。一匹の蝙蝠と、何となく目が合ったような気がした。見えないはずのその目は、まるでお前と自分は仲間だぞ、とでも言うように光っていた。
フィルに着いたのは結局次の日の夕方くらい。もう何度も行き来して図書館への道も覚えた私は、今度は人ごみに圧倒される事もなく街中を歩く。
以前と同じように図書館の奥の書庫へ行き、エリオットさんの師匠であるルフィーナさんを訪ねると、丁度彼女は女性にしては高いその長身を活かして高いところの本を取っている最中だった。片腕だけ思いっきり上に伸ばしているせいで白いシャツのフリルの合間から、ちらりと黒い下着が見えてしまう。
「あら、い、らっ、しゃー、い」
無事に本が取れた。
「治ったみたいね、よかったじゃない」
赤みのかかった金髪を揺らし、手に持った本の埃を落としながら近づいてくる。相変わらず何を考えているか分からない言葉にエリオットさんも流石に不満を隠せない。
「さっさと知っている事を話せよ……」
「物を頼む態度じゃないわねぇ」
二人のやりとりをおいて、私は本に目を回して非公開書庫に入ってこないレクチェさんを入るように促す。書庫に入って更に驚いたようで彼女は思わず感嘆の声を上げた。
「わぁー」
「!」
一瞬だけルフィーナさんの細くて紅い目が見開かれたような気がする。
「可愛いお嬢さんね、小さい頃が見たいわぁ」
だがすぐに心の中が読めない愛想笑いに戻った。
「でも旅にこんな女の子連れてたら大変じゃなぁい? 預かってあげようか?」
「どこで出会ったのかは聞かないんだな」
エリオットさんの言葉には動じず、相変わらず本に埋もれた椅子に腰掛ける。
そして不敵な笑み。
「そりゃあ、聞かないでしょう」
笑顔で対面しているはずの二人なのだが、その間の空気はとてつもなく重苦しい。笑顔なのに無言で睨み合っているかのような二人の間に入れずにいると、そんな空気を読まずにレクチェさんはルフィーナさんに声をかけた。
「初めまして、レクチェと呼ばれています! よろしくお願いしますっ」
「いい子ね、私はルフィーナよ。よろしくねレクチェ」
元気に挨拶した彼女を帽子の上からぽんぽん、と頭を優しく叩く様子は、以前同様に母性を感じさせる。こんなに優しそうな一面を見せる一方で、エリオットさんとの空気はまだ張り詰めたまま。レクチェさんが和ませてくれたかと思ったがやはりダメなようだ。
「で、どうするの? レクチェを預かってあげてもいいわよ?」
「むしろ預かりたい、ってところか?」
エリオットさんの目つきが鋭くなる、が、
「いいえぇ、エリ君がそのままいたいけな女の子を連れて練り歩くと言うのなら、私も着いていくだけよ」
その次の発言に緑の瞳孔は丸くなった。
「は?」
あっけにとられるエリオットさん。私も流石に予想外の言葉に驚きを隠せない。
「エリ君と一緒じゃ、何されるか分からないもんね~」
そう言ってレクチェさんに笑いかける。彼女は少し考えてから、
「確かに視線は少しいやらしいなって思ってますっ」
全く悪気の無い顔で答えた。エリオットさんの唖然として開いた口に思わず笑いそうになるのを私は堪える。堪える。堪える。
……無理だ。
「ぶはっ」
我慢していたせいでそのままゴホゴホと咳き込む。これは死ねる。
「すんげー失礼な笑い方してるって分かってるか?」
ぎりぎりぎり、と恥ずかしさと怒りの入り混じった表情でこちらを睨む、いやらしい視線と判断されていた男。まぁ何度も私も見ているし、いやらしいのは間違いない。しかしあの視線に気付いていてなおかつスルーしていたのだとすると、レクチェさんもなかなかの曲者な気がしてきた。
「どっちがいいかしらレクチェ。私のところにいるのと、この男に着いていくのと」
「うーん……」
困ったように眉を寄せ、ルフィーナさんとエリオットさんを交互に見やる。悩むのも無理はない、どちらにしろ彼女に安心出来るレールなど用意されていないのだから。彼女の人柄のおかげでソレは大きな問題になっていないが、彼女は記憶喪失なのだ。どこへ行ったところで不安が付き纏うのは間違いない。
やがて彼女は意を決したように私に真っ直ぐ向いた。
「クリスさんの元が一番安全そうかな、って」
にっこり、と。
「えっ」
「クリスさんに、着いていってもいいかな?」
私の手を取り、ぎゅっと両手で握る。まさに白魚のようなその指は細くもとても柔らかく、彼女への本能的な嫌悪感を除けば、触れているだけで気持ちいい。触れた瞬間ひんやりとしていた手がだんだんお互いの温もりで温め合っていくのを感じる。
エリオットさんはそりゃあもう妬ましいと言わんばかりにわなわなと体を震わせ、でも黙ってこちらを見ていた。ルフィーナさんはというと意外や意外、少し悔しかったのだろうか、こちらも目が笑っていない。
「わ、私は構いませんが……」
けれどこの中で一番貴女に敵意を抱いているのは紛れも無いこの私なのですよ、と。
口には出せなかった。
「じゃあ私も着いていこうかしらねぇ」
どっこいしょ、と立ち上がって書庫の更に奥のほうへ歩いていく。
「準備してくるから、待ってなさいよー」
「本気かよ……」
マイペースに事を進める自分の師匠に独白する弟子。憎憎しげに舌打ちした後、彼はこちらにもその苛立ちをぶつけてきた。
「まぁ見た目だけは害の無さそうな顔してるしな、俺やあの女よりはマシにも見えるか」
「比べる対象が酷すぎますからね」
「あぁ? 何か言ったか?」
「いいえ何も」
しかしあの状況で私を選ぶのは如何なものだろうか。先程の選択の場合、どちらを選んでもそこまで失礼ではなかったはずだ。エリオットさんは『拾ってくれた』という理由があるし、ルフィーナさんを選んでも『女性だから』で収まったはずだ。選択肢に無い私を選ぶというのはある意味一番カドが立つような気がする……実際立っている。
ただレクチェさんの場合は何か思惑があるというよりは天然な気もした。先程握られていた手の感触がまだ残っていて何だか歯がゆい私の気持ちなど露知らず、揉める原因となった張本人はのほほんと壁いっぱいの本棚を見上げて立ち尽くしている。
「何か興味のある本でもありましたか?」
「何だか見覚えがあるの」
「えっ、この書庫に?」
「ううん、そうじゃなくて……本がいっぱいの部屋にね」
そしてまた、ぽけーっと本棚を見つめた。
彼女を見つけた研究施設にはそんな部屋は無かったから、という事はその前の記憶なのだろうか。最初から実験体として生まれたわけではなく、本に囲まれて暮らしたような時間があった事になる。どこからか攫われてあの施設に入れられていた? 考えたらキリが無い。
「くそ! 仲良くすんなテメー!!」
何か虫が湧いてきた。
「無茶言わないでくださいよ、下心を隠して接すれば少しは好かれるんじゃないですか?」
「隠れるわけねーだろ!!」
そして、怒号する。
「こんなけしからんおっぱいが目の前にあって、まともな嗜好の成人男性が平然としていられるわけがないとは思わないのか!」
「貴方の発言がけしからん事になってますよ、エリオットさん」
本棚を見上げていた金髪美女が、いつの間にか私達を見てにっこりと笑う。あれ? 目は笑っていない。ゴゴゴゴゴ、という擬音がふさわしいオーラを醸し出している。
「クリスさん。そろそろ私、怒ってもいいよね?」
なるほど、今まではセクハラを我慢していただけだったのか。
「どうぞどうぞ」
「このっ、変っ態っっ!!!!」
それから間髪いれずにパシィィィン! と、さっき私の手を優しく握っていたその華奢な手は、今は変態男の左頬と重なって、乾いた大きな音を部屋中に響かせていた。
そんなこんなで準備が終わったらしい東雲色の髪のエルフが戻ってくる。
「どうしたのこれ」
頬も引っ叩かれ、心も無残に砕けた青年は机に突っ伏していた。
「……自業自得、としか」
やりすぎちゃったかな、と言った表情のレクチェさん。大丈夫です、貴女は悪くない。
腑に落ちないようではあるが、彼をスルーしてルフィーナさんが話し始めた。
「で、まず貴方達は何をしたいのかしら? 少しくらいなら情報を教えてあげてもいいのよ?」
「っ!!」
突っ伏していた変態が我に返って起き上がる。
だが目は変態のそれではない、真剣な目だ。
「俺もクリスもとにかくローズを止めたい、それだけなんだ」
「それ以外には干渉しない、という事ね。良い心がけじゃない」
長い耳をピクピクして少し考え、彼女は右の人差し指をエリオットさんの額にスッと近づけた。
「今の戦力で彼女を止めるのは可能、よ」
「それはどこからどこまでを戦力換算しているんだ」
「私一人、ね」
フフッと笑って、とんでもない事を口にした。ドラゴンが通ったかのような破壊を続けている姉を、一人で止められると、このハイエルフは言うのだ。
「でも私は止めるだけ。剣による彼女の支配を解く事は、多分出来ない」
「なるほどな」
エリオットさんが続きを聞いて納得した。
「成功報酬は私の提示した物を一つだけ何でも渡す、というのはどうかしら?」
「……何が欲しいんだ?」
「ひ、み、つ」
彼女の思惑が分からない。だがエリオットさんが渡せる『何か』が欲しいからこそ、提案してきたのだろう。不気味な交渉には違いないが、他の術を私もエリオットさんも持ち合わせてはいない。渋い顔でそれを承諾する。
「いいだろう、止める事が出来たなら何でもくれてやるよ」
「フフッ、そういう潔いところ、好きよ」
交渉は成立した。
だが私達は、とある重要な内容が彼女の言葉にあった事をその時は気付かなかったのだった。
「じゃあ貴方達も準備してきなさいな。きっと寒くなるわ」
と言って、自分の荷物からジャジャーンと黒いマントを取り出す。防寒性があるようには見えないが、これだけ自信満々に出したのだからこれが彼女の防寒具なのだろう。
「北にでも向かうのか?」
「そうね、今被害にあっているのは王都よりも更に北よ。一旦被害が止まっているらしいから、そこからどこへ行ったかは分からないけどね」
姉さえ見つかれば止める事が出来る、と思うと希望が見えてきた。気分が高揚しているのが自分でも分かる。
「……私もレクチェさんも防寒具は持ち合わせていませんね」
「好きに買って来い」
そう言ってエリオットさんからお金を手渡された。
「エリオットさんは要らないんですか?」
「要らん」
彼はぶっきらぼうに答えると、シッシッと手で私とレクチェさんを追いやる。私達は二人で顔を見合わせ、
「可愛いの、あるといいねっ! クリスさんっ!」
「そうですね!」
お金を渡された事に喜んで、なーんにも考えずに買い物に出かけたのだった。
◇◇◇ ◇◇◇
クリス達が部屋を出たのを確認すると、俺は改めて目の前の自分の師と向き合う。きっと何を問いただしても、喋る気の無い事は一切喋らないだろう。
それでも。
「他に言う事は無いのか?」
「聞きたい事があるならどうぞ、少しは話すわよ~」
そう言ってどかりと、椅子に座っている俺の目の前にある机の上にお尻を乗せて足を組んだ。身長に見合うだけの長い足が目の前で強調されている。位置関係的に見下ろされた状態になった。
彼女は楽しげに試している。いつだってそうだこの女は。教えるのではない、辿り着くまで頑として見届けるのだ。
こちらから答えを先に提示しない限り欲しい返答は得られないだろう……俺は単刀直入に聞いた。
「欲しいのはレクチェか」
「まぁ、当然、そうよねぇ」
おかしそうに笑うルフィーナ。
やっぱりか……当たっていて欲しくはなかった。一応は師なのだ、その人物が人身取引を持ちかけるなど気持ちの良いものではない。
「一体彼女は何者なんだ?」
「さぁ、私にもよくわからないわ」
はぐらかしたのか、それとも真実なのか。判断できる材料はどこにもない。
「でもね」
彼女は続けた。悲しそうに遠くを見つめて。
「私はあの子を取り戻したいだけなのよ。非道な事なんてしないわ、これはホント」
「ま、それならいいか」
俺はそれ以上聞くつもりなく会話を終わらせるよう返事をしたつもりだったが、それでも話は続いた。
「信じてくれるのね」
「その非道な事を続けていたのなら、中立な立場になんていないだろ?」
俺の言葉にそれ以上の返事は無かった。ニコリと口の端を上げ、肯定とも否定とも取りがたい反応だ。「そうね」と答えて欲しかった俺としては若干蟠りが残る。
が、無言である以上もう彼女は何も話す気は無いのだろう。
一瞬だけ、目がしっかりと合う。深い何か事情を抱えたまま、でも話せない、そんな憂いに満ちた紅い瞳。俺もきっと理由は違えど今同じような目をしているのだろう。
「さて、俺も買い出し行ってくるかな、っと」
空気を読んで立ち上がり、部屋を出ようとする。なのに。
「……いい子ね」
「っ!」
その言葉に瞬時に昂ぶる感情。いつまでも子供扱いすんなよな、と言いたかった俺の唇は、動いたけど喋らなかった。彼女も喋らない、喋れない。
俺に少し押されて机の上で少し不安定になったルフィーナの両手を、しっかりと掴んで自分の方へ引き寄せる。
つい重ねてしまった唇を急に離すのもアレなので、俺はそのまま彼女を抱き締めて口づけを続けた。舌は絡ませなかったが唇で唇を何度も食むように優しく撫ぜる。泣いてしまわないように目を瞑って、慰めるように。
いや、慰められているのは俺なのだろう。彼女が抵抗せずに受け入れているのは、悲しくなってしまった俺のためだ。恋でも愛でもない慰めだけのそんな救いようのない口づけに、仕方ないわね、と思いながら相手をしてくれているのだ、俺の初恋の相手は。
「…………」
どれくらい続けていたかは定かではないが、ふと、ごく自然に唇が離れる。
「いつまでも、子ども扱いすんなよな……」
本来キスする前に伝えたかった言葉を口にした。ある意味順番はこれで合っている。
「どう贔屓目に見たって子供じゃないの、こんなキス」
呆れ顔の師に、何も言い返す言葉が無い。
◇◇◇ ◇◇◇
「フィクサー様大変です! 使い魔がキスシーンを映していますっ!!!」
男装の麗人が上司に報告する。
「うわあああああ!!! 俺ですら触れた事無いのにいいいいいい!!!! なんだあいつまじころすぶっころすいますぐころす」
「落ち着いてくださいフィクサー様、今とってもイイところです!」
とある一室に、出歯亀が二人。
◇◇◇ ◇◇◇
私とレクチェさんは可愛いピンクのもこもこした防寒具をお揃いで買って、図書館の非公開書庫まで戻ってきた。のだが。
とりあえず目の前で何が起こっているのかいまいち判断し難い状況である。
部屋に戻ってみると何故かエリオットさんがルフィーナさんを口説いているようだったのだ。事は一方的なようでルフィーナさんのほうは呆れた顔であしらっている。
ルフィーナさんはこちらに気付いているのかいないのか分からないがエリオットさんは間違いなく気付いていないようなので、そのまま入り口で二人の様子を見る事にした。
「ほんともう一生のお願いだから!」
「あのねぇ、そこまで許すとでも思ってるの?」
「頼むよ最近とんとご無沙汰なんだって!」
何がご無沙汰なのかよく分からないが、机の上でルフィーナさんにどんどん迫っていくエリオットさん。
既に彼は彼女の上に乗りかかった体勢になっていて、そろそろ止めたほうがいいのだろうかと悩まないでもない。
「エリ君のご無沙汰なんて知ったこっちゃないわよ」
「どーせルフィーナも全然なんだろ? たまにはいいじゃ……」
そこまで言ったところでルフィーナさんからアホ男の顎に見事なアッパーが炸裂した。勢いで床にどさりと倒れこむアホ。
「おかえりなさい、二人とも」
スカートの埃を払いながら、いつもの笑顔ではないがそれでも平然とした表情で私達に挨拶してくる。やはり居る事に気付いていたようだ。
「え"っ」
気付いていなかったアホがアホな声をあげた。
「本当に救いようのない変態なんだね、この人!」
レクチェさんが笑いながら私に語りかける。目は笑っていない。私も笑えない。
「姉さんというものがありながら、よくもまぁ……」
私は背中の槍に手をかける。
「ちょ、すとっぷ、ストーップ! これにはワケがっ!」
「どんなワケがあったら積極的に他の女性を口説いていいんでしょうかね!?」
そう言って槍の布を取って、私はエリオットさんめがけてぶん回した。
「本棚壊さないでねー」
ルフィーナさんは勿論止めるはずもなく、注意だけして傍観に回る。何やらわめいて走り回るアホを、全力で追いかけてやった。
「避けたら本棚が壊れますよ!」
「避けるに決まってんだろ!?」
それだけ告げて思いっきり槍を振り上げる。しかしそこへ、
「えっ!?」
ルフィーナさんの驚く声だった。ここまで驚くのは初めて見るかも知れない。何事か、と振り向くとルフィーナさんは驚愕した顔でこちらを見ていた。
「ど、どうしました?」
ルフィーナさんの反応に先程までの毒気を抜かれて、おそるおそる問いかける。
「その槍……どうしたの?」
あぁそういえば槍の事は彼女に伝えていなかったか。彼女ときちんと事の顛末を話したのはこの槍を手に入れる前の、一度目に立ち寄った時だけだった気がする。
「例の鉱山で拾った物ですよ。まぁ、ただ拾ったわけではないんですけど」
そして詳しく説明をした。
「そっか、その槍だけそんな事に……」
「特に何も起こらなければあのまま彼に渡していたと思います」
改めて手の中にある槍に目を向ける。
私の身長くらいの長い柄の先に、両刃に成っている槍穂。片側は小さい鎌に近い斧のような切っ先だが、もう片方は剣のように真っ直ぐな刃である。装飾は1つの大きな赤い石が鎌側の刃にはめ込まれている他は、見覚えの無い紋様が柄に彫られているくらいだ。
「本来精霊の宿った武器だからと言って、簡単に持ち主を意のままに操るだなんてまず出来ないのよ」
確かにあの時の長身の男も、そう言っていた。だから大剣だけが特別なのだ、と。
「じゃあどうしてローズが持ってしまった剣だけはそんな事が出来るんだ?」
難を逃れたエリオットさんが、先程の痴態は無かったかのように話に加わった。だが確かにもっともな疑問だと思う。
「答えていいものか迷うわね」
「今更だろ、話せよ」
その問いかけに少し間をおいて、彼女は再度口を開いた。
「元々の精霊の性格のせいで強くなりすぎた、ってところかしら?」
私はその言葉を聞いて、戦慄を覚える。
だってそれは、
「つまり武器は育って、そして強くなると持ち主にまで影響を及ぼす、と」
エリオットさんがその先の答えを言った。
「ちょっと違うけどそんな感じよ。育つのは武器ではなく精霊自身。だからその槍も実は結構育ってるのかもね。性格が大人しいだけで」
私は言葉にならない不安を飲み込んだ。私の体が姉のように操り人形になってしまう可能性はこの先もずっとあるのだ。先日は深く考えずに話し合いで済ませたが、この精霊がいつそれを裏切ってもおかしくない。いや、むしろ約束を守っているほうがむしろ不思議なくらいではないだろうか。
今の私と精霊の間には、何の信頼関係も築かれていないはずなのだから。
私は気付くと彼を喚び出していた。
「な、何をしているのっ」
何故か必要以上に慌てる紅目のエルフ。突如現れた一本角の青年を象った精霊から、この精霊の秘めた殺意を予め知っているかのようにレクチェさんを庇える位置に割って立つ。
現れた精霊はため息まじりに短いシャツの裾を下に引っ張って着衣を整えると、改めて私に向き合ってこう言った。
「覚悟を決められたか」
無表情で、淡々と。覚悟とはきっと『敵を殺す覚悟』だろう。その眼光は深く鋭い。
「いいえ、違います。そんな事しません」
私は首を横に振ってきっぱりと拒絶する。
「貴方ともっと仲良くなるために喚んだのです」
この場にいる、私以外の全員の眉が寄った。気にせずに話を続けようとしたが、そこにルフィーナさんが口を挟む。
「待ちなさい! そんな無茶しなくても、その槍を捨てればいいだけじゃない!」
前のめりになるかと思うくらいの剣幕で捲くし立ててきた。理由は知らないがずっと冷静だった彼女が珍しく焦っているのが分かる。
「私は捨てたくありません」
断言した。
今度言う事を聞かなければドブに捨てるだとかそんな事を言ったが、私にとって彼(だと思う)を捨てるだなんてもはや有り得ない。手にしたあの時からずっと。
あの時感じた一体感はまるで半身を見つけたかのような感覚だった。
「……心配せずとも、私は貴方を裏切らない」
無表情には違いないが、とても、とても優しい声で言った。
そしてまだ警戒しているルフィーナさんを見やると、もう一つ付け加える。
「私にも勿論存在する以上その役割がある。だが主が明確に告げている命令を曲げるほど固執はしない」
私と、あときっとルフィーナさんだけがその言葉の意図を把握していると思う。
「命令違反をする武器など、使えない。ガラクタ未満だ」
その命令違反をしている仲間の存在を知りながら、ガラクタ未満だと言い切る精霊。彼の事を信じてもいいような気がした。
「貴方の事を誤解していました、申し訳ありません。これからもよろしくお願いします」
頭を下げて、お詫びする。
精霊は無言で消えて槍の中に戻った。だが、消える瞬間の少しはにかんだ表情は、これからの関係を前向きなものとして捉えるに十分なものだった。
「全く、甘ちゃんだな!」
そう言って、呆れ顔で私との視線をあえてはずす緑髪の青年。槍の精霊が出てくると会話からフェードアウトするのがおなじみになりつつあるエリオットさんだが、彼は彼なりに場を和まそうとしているのだと思いたい。
随分白熱していたルフィーナさんはと言うと、ブラウスの第三ボタンまで外して本でパタパタと胸元を仰いでいる。その表情は安堵の色が見え、落ち着きを取り戻していた。
「さっきの人はどこに行っちゃったの?」
一人だけ話についてこられていない人物もいるが、それはまぁ仕方ない。女性にしては長身のエルフは、先程まで庇っていた少女の疑問に対して軽く説明をしているようだった。親切な先生みたいに見える。
……しかし大きな疑問がまだ残っていた。ルフィーナさんはどう考えても、この槍がレクチェさんに向けている殺意を最初から知っていたような節があった。
問題を起こした現場に居合わせたエリオットさんですらそこまで深く気にかけていないようなのに、だ。という事は、そこには何かしらの、彼女だけが知っている理由があるように思える。
聞きたい事は山ほどあるが笑顔で対話している彼女達の間に割って入る気も起こらず、本だらけの床に直接腰を下ろした。
ふと、背中にこつんと硬い物が当たる。振り返ると腕を組んで立っているエリオットさんがいて、どうやらつま先で背中を蹴られたらしい。
「考えるだけ、損だぞ」
渋い顔でそう言うと彼は高い天井を仰ぎみながら言葉を続けた。
「俺達の目的はあくまでローズだ、あっちの事情は深追いするな」
レクチェさんの記憶だとか、彼女が何者だとか、得体の知れない武器の存在だとか、それら全てを彼はスルーしろと言っている。それは、一刻前まで変態っぷりを晒していた人物の言葉とは思えない、冷静で冷酷な言葉だった。
【第四章 絡む思惑 ~舞台は加速する~ 完】