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(非公開)  作者: 非公開
第三部
39/53

同調 ~さぁ始めようか~

 私は本当は傍に居るよりも拒絶する道を選ぼうとしていた。むしろ実際心の中では選んでいたつもりだった。

 しかし彼にはそんなもの通用しないらしい。

 最初はあっさりその拒絶を受け入れられたのかと思ったのに、すぐにそれを否定して無理やり自分を押し通してくる我侭な人。

 でも、それも実際のところ私の望みだったのだと思う。拒絶したいと思っていてもそれをどこかで止めて欲しいという、言い様によっては相手を試すようなとても失礼な態度。

 ここで止めてくれなければそれまで、止めてくれたのならそれに甘える。

 私はやっぱり……嫌な奴だった。


 なのにエリオットさんはそんな嫌な奴の私を更に上回る高慢ちきな態度で接してくれた。それはいつだって分かり難い彼なりの優しさの一つ。

 他人にどう思われるかをそこまで気にしない彼は、不名誉を引き受け、背負うのを躊躇わない。

 普通の人ならば他人の評価は気になるし、それによって人生が変わるくらい大きなものに成り得る時だってあると思う。

 でも彼は、そのような評価に影響される事の無い一本の柱を持っている。この人の短所であると同時にとても大きな長所。気付かぬうちに支えてくれる、とても大きな柱。


 取ることに後ろめたさなど感じさせないやり方で自然と差し伸べられた救いの手を私は握った。握った手はすぐに離れてしまったけれど、心はその時引っ張り上げて貰ったまま穏やかに落ち着いている。

 ぶっきら棒に置かれていく言葉は、卑しい私が求めているような愛の言葉では無い。けれど、


 今度は置いて行かない。


 その言葉だけで充分だった。自分から離れようとしたくせに、置いて行かれるのは耐えられそうに無かったから。彼がまたあの連中の元に行ってしまうかも知れない……そう思うとニザフョッルでの別れが蘇り、胸が張り裂けそうになる。

 だから凄く、凄く嬉しかった。

 着いて来いって、置いて行かないって言って貰えて。傍に居る事を躊躇うこの弱い心が、ぽん、とその言葉によって前に足を踏み出せた。ちょっと辛く切なくても、まだ一緒に居る事を選ばせて貰えた。


 今度は私が勇気を出さなくては……そう思って本当は隠しておくつもりだったレクチェさんの事を伝える。

 すると、


「なっ、何でレクチェが隣の部屋に居るんだよ!?!?」


 エリオットさんがさっきまでの惚れ直しシーンを台無しにしてくれるノリで驚いた。


「驚くの遅くないですッ!?」


 どれだけ思考回路が停止していたのだろうか、と頭の中身を調べてあげたいくらいに遅い驚き。

 私が叫ぶと彼はそれでもまだ驚いた表情のままでこちらを見て、金魚の如く口をぱくぱくさせている。情け無いまでに、間抜け面。


「あ、あのぅ……」


 早く正気に戻ってくれないものか、と声を掛けてみると彼の瞳の焦点がようやく合って来た。


「とりあえず話させて貰っていいか!? 今度は色々優しくするから!」


「いえ、それが……」


 今にも椅子を立ってあちらの部屋に向かいそうな勢いのエリオットさんに、言い難いがそっとその事実を私は告げる。


「ここに来た時には瀕死の状態で、まだ目を覚まさないんです」


「んな……」


 絶句して、その表情がみるみるうちにガッカリしたものに変わっていった。で、やっぱり思考回路が追いついていないと言うか切り替わっていない彼が、


「な、何で瀕死!?」


 さっきよりはまだマシだが、遅い反応を返してくる。


「よく分からないんですが、セオリーが私に見せたいと言って傷ついた彼女を連れて来たんですよ」


「悪趣味な……」


「本当にそうなんです! いつもいつも人の神経を逆撫でするような事ばかり言ってきて!」


 まるで私を引っ掻き回して遊んでいるようなそんな印象。思い出すとムカムカしてきて仕方ない。

 この不満をエリオットさんに訴えると、彼はそのポニーテールを少し揺らすように首を振った後、片手を口元に当てながら考え始めた。


「俺がここに居るのにレクチェが必要無い? まだ俺が素直に従うとでも思っているのかアイツらは……どういう事だ」


 ぶつぶつ独り言を言ってはたまに頭を掻いていて、考えがまとまっていないのが分かる彼の動作。


「一応、顔だけ見ます?」


 情報量としては限りなく少ないだろうが提案してみると、エリオットさんは眉を顰めたままで頷いた。

 すっと席を立ち、私達はこの部屋を出て隣の部屋までの短い距離を足早に進む。さっきは私が体で全力ガードしていたそのドアを開けると、ほぼ私の部屋と同じ造りであるその部屋の窓際のベッドで、死んだように眠っている彼女が瞳に映る。

 その様子を見るだけで息が詰まりそうな想いだった。

 少し足が止まってしまった私の肩をぽんと叩いて、エリオットさんはそのまま私を通り越して進む。横たわったまま動かない彼女をじっと見下ろして彼は言った。


「やったのはセオリーじゃないな、クラッサだろう」


「えっ」


 てっきりセオリーがこんな目に遭わせたのだと思っていただけに面食らう彼の発言。まだ明かりもつけていない部屋で、深い闇に包まれたような二人の姿に少しだけ不安を感じさせられる。


「知ってるだろうがクラッサは精霊武器を使えるからな。で、レクチェがここまでダメージを負っているなら精霊武器以外有り得ない」


「そういう事ですか……」


「思っていたよりも覚悟が出来ているな」


 右手で左腕に爪を立てて、怒りを抑えるようなエリオットさん。


「覚悟?」


「あぁ、手を染める、な。単なる知識欲から来る行動かと思っていたが、それだけでここまで出来る程箍が外れている感じは彼女からはしない。何か他にもあるんだろう」


 それだけ言ってくるりと体をこちらに向けた彼は、すたすた歩いてはまた私を通り越し部屋の外に出た。

 追うように私もレクチェさんを後にし、廊下で立ち止まったエリオットさんと目を合わせる。


「もし目覚めたなら教えてくれ」


「はい」


「それとルフィーナがレイアの実家に居るから、三日後の日没に彼女の家に来てくれ」


「は、はい?」


 今凄く大事な事を言われなかっただろうか。

 内容の割にはあまりにさらりと言われ過ぎて、聞き間違いだったんじゃないかと思わず問い返す。するとやはり間違いでは無かったらしい。

 少しだけ周囲を確認した後にその跳ね気味な前髪を掻き揚げて、再度彼は説明してくれた。


「無事に逃げ出したルフィーナがレイアの実家に匿われているんだよ。あそこなら連中の監視も無いし、多分今のところバレていない」


「ふおおおお」


 ルフィーナさんが無事に今、この近くに居る。そう思ったら気持ちが昂ぶるあまりに変な声が出てしまった。

 そんな私をとても怪訝な目で見るエリオットさんは、視線には表しつつもそこに触れては来ず、続ける。


「見た感じ、俺に着いている監視も基本的には中まで入って来ないみたいだ。あの件を知ってるって事はてっきり中にも、と思ったんだがな。時によるらしい」


「あの件ですか?」


「あぁ、いやこっちの話だ」


 問いかけると急に慌てて右手を振って誤魔化した。少し挙動不審なのでもう少し問い詰めたいところだったが、そこで病院の正面玄関の方角からドンドンと強く叩く音が聞こえて話は中断される。


「やべ……」


『夜分にすまない! 王子が来ていないか!?』


 遠くから聞こえるものの、間違いなくレイアさん。


「エリオットさん、また何も言わずに抜け出してきたんですか……」


 私のじと目を苦笑いでかわし、エリオットさんは正面の方へ急いで駆けて行った。物音に玄関へ集まって来ていたライトさんとレフトさんに軽く挨拶して、彼は勝手に正面の鍵を開ける。

 勿論、その途端にレイアさんがバッと中に入ってきてエリオットさんとご対面。


「…………」


 少しだけ無言でエリオットさんを見上げていた彼女の表情がみるみるうちに鬼のような形相へと変わっていくその様は、やはりいつ見ても怖い。


「すっ、すまん」


「せめて一言言ってから出てください!!」


 殴りたいのを必死で耐えるかのように彼女の握られた右拳がぷるぷる震えている。

 しかしちゃんと今回は耐えたらしく、その拳がエリオットさんに当たる事は無いまま彼らはどたばたと慌ただしく帰って行った。

 その様子がとってもいつも通りでちょっとおかしくて、その背中が見えなくなるまで笑顔で見送ってから病院に入ると、同じように見送っていたライトさんがぼそりと呟く。


「憑き物が落ちたような顔をしているな」


 口元だけちょっと笑って見せた彼に、


「はい!」


 私は元気良く返事をした。


 

 

 それから三日。レクチェさんの容態は安定しているがまだ起きる気配は無い。

 一応誤魔化した方がいいんじゃないかとライトさんが言うので、私は露店でお菓子をいっぱい買ったその足でレイアさんの実家に向かっていた。まるで遊びに行くような雰囲気で、剣も持たずに完全私服。

 ちなみにレイアさんの実家だなんて場所知らない! と困っていたらレフトさんが丁寧に地図を書いてくれたのでどうにか迷わずに歩けている。流石、仲がよくなくとも幼馴染と言ったところか。

 この調子で歩いていれば丁度日没だろう。

 紙袋の中身を食べる事も、ルフィーナさんに会える事も嬉しくて仕方ない。意識はまだ戻らないとはいえ、レクチェさんも帰ってきた。エリオットさんともうまくやっていけそうだ。

 こんなに良い事ばかりでいいのかな、と心が弾み過ぎている事に少し心配になるくらいである。食べ物の事が一番最初にきたのに意味は無い、多分。


 やがて辿り着いた、王都の中心部より少し北東に位置する綺麗なお屋敷。こ、ここで間違いないのだろうか。こんな場所にこんな屋敷を建てるだなんてレイアさんのご両親はお金持ちだ……

 大きい玄関でベルを鳴らすと、しばらくして開かれるドア。出迎えてくれたのはガイアさんだった。


「ようこそッス」


 相変わらずの三白眼を少し細めて笑顔を作った彼に案内されるがまま、広いロビーの奥にある階段を上った先の部屋の前に立つ。ガイアさんは周囲の見張りに回る、と私と共に部屋には入らずにまた階段を下りて行った。

 一人でその部屋のドアを恐る恐る開けると、そこには既に皆到着していたようで中央にテーブルを挟んだ状態で左手にエリオットさん、右手側にレイアさんが着席しており、そして奥の正面には、


「全然変わってないのねぇ」


 貴女こそ変わってないですよ、と言いたくなる赤い瞳のエルフが優雅に紅茶を飲んでいた。


「ルフィーナさん!!」


 思わず荷物を投げ出し駆け寄ってその胸に飛び込むと、紅茶を零すまいと必死にティーカップを安定させる彼女。今まで見た事があるようなシャツ姿ではなくクラシカルなドレス姿のルフィーナさんは、それでも空いている方の手で私をぎゅっと抱き締めてくれる。


「元気してたかしら?」


「元気です!」


 顔を上げてにっこり笑うと、同じように笑い返してくれた。


「もう離れません!!」


 フォウさんとの約束を今度こそ、と私はその想いを口にしたのだが、


「え。どうしたの、いきなり」


 無論伝わっておらずちょっと彼女の口端が引きつる。言葉が足りなかったのでちゃんと事情を説明しようとしたら、そこで入るエリオットさんの横槍。


「やっぱりお前ちょっとレズっ気が無いか?」


「違いますよ! 私はフォウさんとの約束を果たしたいだけなんです!」


「約束? ……あー」


 以前に説明した事を思い出してくれたらしい彼は、それで納得したようだ。だがまだ理解出来ないルフィーナさんは私ではなくエリオットさんに説明を寄越せと視線を送っていた。

 それを受けて翡翠の瞳が少し困ったように伏目がちになるが、それでも言葉を紡ぐエリオットさん。


「フォウが、お前を護るのはクリスだ、みたいな事言ってたらしいぜ。よく分からんが」


「あらそうなの」


 そして目線を私に戻し、ルフィーナさんはティーカップを机に置いて今度は両腕で私を抱き締め、


「じゃあ頼むわねぇ」


 むぎゅうと顔がその胸に引き寄せられ、埋まる。

 幸せだなぁと抱き締められたままでいると、ふっと右から視線を感じるのでそちらをちらりと見た。そこには私がばら撒いたお菓子を拾い終わったらしいレイアさんが居て、ちょっとその視線が……冷ややかである。

 私が視線に気付いた事で、彼女はその冷ややかな態度の理由を言う。


「クリス……ちょっとその、にやけすぎだと思う」


「!!」


 その指摘に慌てて離れると、特にそれに対して気分を害した様子を見せないルフィーナさんが言った。


「フォウ君は随分変わっちゃってたけど、クリスはまだ男の子みたいだからお姉さん歓迎するわよ」


「おい変態、クリスをそっちの道に引きずり込むなっ!!」


「あらやだ、エリ君妬いてるの?」


 くすりと笑うどこか妖艶なエルフに、みるみるうちに顔を赤らめていく彼。やはり元師匠には敵わないようで、完全に子ども扱いされているエリオットさんはそれ以上反論する事無く押し黙ってしまう。

 懐かしさを感じて、私の頬はその再会に自然と緩まされていた。

 そこでさっきからちょこちょこと会話に名前が出てきている、この場には居ない存在が気にかかってきて、


「そういえばフォウさんは居ないんですね。お城に居残りですか?」


 一人で待機? そんなのちょっと変だなぁ、と不思議に思ってその疑問を声に出すとエリオットさんがぽかんと口を開けて一言。


「はい?」


 そんな馬鹿にしたような聞き方しなくたっていいじゃないか。口唇を尖らすと、彼は更に私に言ってくる。


「いや、フォウはもう依頼内容済ませて出て行ったぞ……まさか聞いてないのか?」


「……ふぇ?」


 それってどういう事なのだろう。うまく働かない思考にレイアさんの助けが入った。


「フォウさんは三日前に城を出たんだよ。てっきりそちらの病院にも挨拶して出て行くものだと思っていたのだが、その様子だと彼は立ち寄らなかったようだね」


「え、え、え」


 何それ何それ何それ。

 茫然と立ち尽くす私に投げかけられる言葉はそれ以上無いまま、ただその事実だけが頭をぐるぐる回る。


「あっ、もしかしてまた捕まっちゃったみたいな事になってたり……」


 そう、以前も挨拶無しで消えたその時、彼は捕まっていた。

 捕まっていては大変なのに、そうだったらいいなと私は思っている。だって、だって、挨拶も無しに旅に出ちゃうだなんて……


「フォウがまた何かを知っていて捕まった。考えられなくは無いがそれまでずっと俺と居たのに、もし何か知っていたなら俺に伝わってるからな。捕まっている線は薄いだろ」


「そんな……」


 まるで彼の不幸を願うような一言が洩れ、ハッとして手で口を覆う。でも誰も責めては来ない。私の気持ちを皆察してくれているのだろう。

 エリオットさんが舌打ちしながら静かに皆の想いを代弁する。


「アイツらしくねぇなぁ」


「そうなの?」


 ルフィーナさんが問いかけるとエリオットさんは彼女に顔を向ける事無く、入り口ドアに視線をやって答えた。


「少なくとも俺はそう思うぜ」


「私も同意見です」


 どうやら世の中、いい事が続くと必ず悪い事が巡ってくるらしい。挨拶が無かった、ただそれだけなのに一気に落ち込んだ私に皆の視線が注がれて、それがまた凄く辛かった。そんな目で見ないで欲しい、と。

 場の空気が悪くなってしまったところでそれを切り替えるようにレイアさんが話し出す。


「……で、話とは一体何なのでしょうか?」


 私はしょんぼりしながらもルフィーナさんの対面あたりに座り、彼女達の会話に耳を傾けた。


「そうそう、さっさと本題に入らないと不味いものね。単刀直入に言わせて貰うわ」


 その割にはあまり急いでいるように感じられない彼女の口調。基本的にルフィーナさんは何にしても余裕があるのでそう感じてしまうのかも知れない。

 そんな彼女にただ視線だけを向けて、エリオットさんもレイアさんも黙って続きを待つ。


「エリ君、今すぐにでもフィクサー達を殺して頂戴」


 決してそんな風に軽々と言い放つような言葉では無かった。机に頬杖を掻きながら、また紅茶に手を伸ばして口をつけるルフィーナさん。その瞳がいつもよりも深い紅に見えるのは私の心情のせいか。


「それは少し困るんだが、理由を聞いてもいいか?」


 彼らを仲間、とまでいかずとも自分の目的の為に利用したいのであろうエリオットさんが静かに問う。


「むしろあたしとしてはエリ君が困る理由を聞きたいわね。何があるのかしら?」


「俺は……自分をこんな体にした連中全てに復讐する。その為にアイツらが持っている情報が欲しいんだ」


「なるほどねぇ」


 ティーカップをソーサーに戻し、宙を見つめる東雲色の髪のエルフ。その表情は先程から変わることの無い飄々としたもの。

 口を挟めそうにないその会話に、私とレイアさんはただ固唾を飲むばかりだった。

 そして、


「諦めなさい」


 聞き分けの悪い子どもに言うように、上からぴしゃりと言葉を放つ。


「今の貴方に出来るのは、やるかやられるか、それだけよ。多分……一旦仲間になっていた時期があるのよね? 無理よ、目的が違いすぎるもの」


「やっぱり違うのか……違和感はしていたんだが」


 エリオットさんが額に手をあてて悩み始めた。


「正確にはエリ君の目的もアイツらの目的も、途中までは同じ道筋で進められるのよ。ただ……エリ君がやる場合は少なくとも彼らと同じやり方で成功する事は無いわ」


「詳しく頼む」


 確かに全く意味が分からない彼女の説明に、その詳細を求める緑髪の王子。その指は前髪を梳いたまま額で止まっていて、沈鬱な表情に影を作っている。

 私はレイアさんからさり気なく紙袋を受け取り中身のクランブルマフィンを頬張りながら、彼の求めに応じるようにルフィーナさんが話し出す言葉を真剣に聞いた。美味しい。


「どこから話そうかしらね、多分最初からがいいわよね」


「そうだな」


「じゃあまずフィクサー達がああなってしまった事の発端から話すわ」


 そして以前私が聞いた話をもう少し掻い摘んで彼女はエリオットさんに説明していく。

 たまたま神様がその身に降りていたレクチェさんと遭遇した事でエルフでは無くなってしまった彼らの事。それから異常なまでに元の体に戻ろうと躍起になっているフィクサーとそれを手伝うセオリーの事。とある事情で一緒にルフィーナさんも手伝い、そこにサラの末裔もが加担していた事。そして、レクチェさんを『壊して』しまった事によりそれらが崩れ、今に至る事。

 私としては聞いた内容を振り返るもの。だが、ルフィーナさんは一つだけ言わなかった事があった。それは両親をセオリーに殺されたという事実。この件には確かに関係無いから飛ばしたのだろうか、とまぁ私はそこまで深く考えずにアーモンドプードルの香ばしい風味を堪能しながら対面の紅茶に手を伸ばす。


「ってクリス、それあたしの紅茶」


「あっごめんなさい、つい」


「ついって言うような距離じゃねぇだろ!!」


 確かに紅茶に手を伸ばすには椅子を立ち上がってテーブルに片手をつかなくてはいけないくらいの距離はあった。

 でも無意識なのだから、つい、で間違いは無い。


「……淹れて来よう」


 呆れ顔のレイアさんが再度全員分の紅茶を用意したところで話は再開される。


「順番的に次はお城での事かしらねぇ」


「……機密書室に保管されていた、ルフィーナが書いた書類は目を通した」


「そう、それね。エリ君の魔力がちょっと違うでしょ。だから念の為他の子達も丁寧に調べて欲しいって言われてやったのよ」


 紅茶にミルクを入れてティースプーンに視線を流したまま彼女は淡々と事実を述べていった。


「魔力や身体異常的なものまでは分かるとして、一つだけ腑に落ちない検査がね、あったの」


「項目には一切何のか書いてなかったが、適性、だな?」


「そうそう。その時は何か遺物みたいなものを渡されて、それとの適性値を計らされたのよ。物が何だか分からないのにやれって無茶よね。今思えば他の検査に混ぜる事で隠そうとしたんでしょうねぇ」


 さらさらと会話が進んでいくが、その書類とやらに目を通していない私は渋い顔になる。

 ううん、よく分からないがエリオットさんの先生をやっていた時代にルフィーナさんは先生の他にエリオットさんの検査をしていて、その中に遺物との適性値を計るようなものがあった、と。

 そしてそれは隠さなければいけないようなもの……

 そこまで脳内でまとめていたところに右手側から、怒りに満ちた声色が響いた。


「それらを王子に隠れて行っていたと言うのですか……っ!」


「そうよ。でも責められても困るわ、あたしはこの時点ではまさかこの件がビフレスト絡みだなんて気付かなかったんですもの」


 琥珀の鳥人の怒声を軽く受け流し、赤い瞳のエルフはその理由を続ける。


「先にエリ君の能力に目をつけたのはフィクサー達よ。レクチェがまたダメになって、いい加減代わりを探そうとしたんだと思うわ。エリ君ってば何度もその力をセオリーに見せていたしねぇ」


「そうか……」


 気付けば後頭部で結っていた髪を解き、ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟っているエリオットさん。それを見ながらルフィーナさんがぼそりと『しかしまぁ見ない間によく伸びたわね』などと彼の髪型に対する感想を呟いていた。

 そうか、そういえばルフィーナさんとはもう四年以上も会っていなかったのだ。先日のフォウさん以上に変化に着いて行けてないのだろう。

 怒っているレイアさんに甘い物を、と最後の一つのクランブルマフィンを手渡して、今度はドライフルーツのビスコッティに手を伸ばした私。だがそこでエリオットさんが私に気付いて注意をしてきた。


「まてまてクリス、それはうるさいから食うな」


「むぅ、じゃあ紅茶に浸します」


「……おう」


 ボリボリ食べるのが好きなんだけどなと思いつつ、浸したビスコッティも嫌いでは無いのでやはり口にしては顔が綻ぶ。

 気を逸らされた事で呆れた様子だったエリオットさんが、深い溜め息を吐いた後に一言。


「俺にもくれ」


 私は笑顔で彼にビスコッティの小袋を手渡した。

 結局ルフィーナさんにも渡しておやつタイムに突入し、食べ終えたところでようやく話題が再開される。テーブルを見るとぽろぽろと屑を落としているのは私だけで、皆は本当に育ちがいいなとぽけーっと思う私。

 無論口元にも一切お菓子の粉がついていないルフィーナさんが喋り出した。


「彼らがエリ君に目をつけたのはあの王都でクリスのお姉さんと戦闘後。機密書室から書類を盗んで予想が確信に変わった彼らはエリ君を引き入れようとした……ってところよね多分」


「あぁ、神殺しをやってのけるって言うから話に乗っちまった。フィクサーの奴、自分にも俺の兄貴達みたいな異常があるとか言ってたし、疑いなんて最初は持たなかったんだよ」


「信じる方がおかしいですよね、あんな人達の話!」


 入れそうな話題だったので口を挟むと即行でエリオットさんが睨みつけてくる。そんな私達のやり取りをルフィーナさんは何故か微笑ましそうに見つめていたかと思うと、


「相変わらずねぇ」


 と小さく笑った。

 そして彼女は赤い瞳をまた鋭いものに戻し、エリオットさんに今度は疑問を投げかける。


「って、エリ君のお兄さん達、何かあるの?」


 その険しい表情に少し驚いた様子を見せながらもエリオットさんは彼女の質問に口を開いた。


「そこらは知らないのか? 兄貴達の視力や精神異常はビフレストを通して神もどきに頭をいじられた際の副作用みたいなもんらしいぜ」


「な、何それ……」


「夢みたいな映像を焼き付けられるんだけどな、俺はゆっくり見せられたから良かったものの、兄貴やフィクサー達は一瞬で詰め込まれたせいで異常が起きたような事を言ってたな」


 エリオットさんの説明を聞きながら瞬き一つせずに一点を見続けるルフィーナさんの目は次第に潤んできて、唇を震わせる彼女に私達は顔を見合わせる。

 彼女のその反応はまるで、悲しみに耐えるようなものだったから。


「ルフィーナ?」


 声を掛け難い状況にも関わらず、そこを掛けるのはエリオットさん。俯いてしまった彼女の顔を心配げに覗き込んで、彼は見たものに対して顔を辛そうに歪めて唇を噛む。

 やがてテーブルの上に一粒落ちた滴で、エリオットさんのように覗かずとも彼女が泣いてしまっているのが分かった。

 ルフィーナさんは少しそのままだったが右手で涙を拭い、グッと顔を上げるとエリオットさんの瞳をしっかりと見据えて言う。


「ごめんなさいね。エリ君、フィクサー達の異常の内容って分かる?」


「いや、聞いた事無いな」


 首を振って返された一言を、彼女は溜め息まじりに受け止めながらもまた続けた。


「そう……でもだからこそ躍起になってるのね、ようやく理解出来たわ。エリ君は異常が無いからただの復讐に留まっているだろうけれど、彼らはそれよりも先に体を元に戻したいんでしょうね」


「元に戻せるのか?」


「出来るとしたら自分達をそうした張本人だけだと考えているんじゃないかしら。だから神を再度降ろす事にしたんでしょ」


「……待った」


 突然エリオットさんの顔色が変わり、引きつり始めている。と言うかちょっと笑っている?

 何か笑うような内容が今の話に含まれていただろうか、と首を傾げると、レイアさんの顔色も変わっていて驚く私。

 彼が止めたのでルフィーナさんは一旦口を噤み、エリオットさんをじっと見ていた。

 そして、


「前にフィクサー達はレクチェに降りた神にいじられたって言ってたな?」


「そうね」


「と言う事は神に会うには、まず降ろさなくてはいけないって事になるな?」


「昔は降ろすんじゃなくてビフレスト自体を『開く』事でこちらから行く流れだったんだけど、方法をシフトしたような事を言ってたから多分そうよ」


 開くとどこに行けるんだろう、レクチェさんってパカッて開くのかな。なんて想像を、着いていけない私は一人でぼんやり考えていた。そして、そこは女神様も居た世界なのかな?

 自分の事に重ねながら耳だけ傾けていると、ルフィーナさんの唇がまた言葉を紡ぐ。


「会うまではエリ君もフィクサー達も目的の道筋自体は同じ。でも……さっきも言ったけど、同じ方法じゃ無理よね」


「そういう事かよ……っ!」


 エリオットさんの表情が本日一番に険しくなり、彼は当たるように拳をテーブルに叩きつける。

 流石に分からなくなり過ぎたので、私は申し訳ないと思いつつも口を開いた。


「どういう事です?」


 そこで答えてくれたのはレイアさん。彼女は歯を食い縛りながら私に言う。


「……あの男達は……王子に神を降ろそうとしているのだと思う」


「えっ」


 エリオットさんに降ろしちゃったら、エリオットさんは神様と会えないじゃないか。と言うかそれでいくと自分で自分を殺すしかないようなもの。


「あ、じゃ、じゃあ……」


「他のビフレストに降ろすなら、王子は確かにあの男達と利害が一致するように思える。だが他ではなく王子に降ろすのならば……王子は神に手を出しようが無いと言う事だよ」


「そ。だから言ったでしょ、アイツらを殺して頂戴って」


 ルフィーナさんはまた平然と『殺せ』と言う。

 でも今度は先程と違って意味の伝わるものだった。


「もうアイツらは止まりはしないわ。だから止めるには殺すか……エリ君が先に死んでやるしか無いのよ。エリ君が死にたいのならそっちでもいいけど」


「…………」


「そんな事無いわよね。あたしとしては神が降りるのは絶対に避けたいの。いい? フィクサー達をあんな風にした存在が、果たして大人しくしてくれるかしら? 今度は何をするかしらねぇ」


 いらっとする。

 最初から最後まで私達を惑わせてきた存在がやろうとしている事を今ここにきて知り、それは自分が元に戻りたいと言うだけで様々なものを踏み躙り続けていると言う事に。

 ましてや彼やレクチェさんをその踏み台にしようとしているだなんて。

 悪意が見える分セオリーにばかり目がいっていたが、私は馬鹿だった。あの男と共にいる奴がまともなわけが無いのだ。

 いや、むしろセオリーよりもタチが悪い。周囲に悪意を感じさせない雰囲気を纏いながら、平気で嘘を吐き、騙してくれていたのだから。


「俺に方法を教えられないわけだ……!」


 エリオットさんは笑っていた。多分それは自嘲。

 フィクサーにまんまと騙されていた事実を知れば、確かに笑うしか無いだろう。彼は天井を仰ぎながら言う。


「レクチェに降りていた事もあったんだろ? 今はもう無理なのか」


「少なくとも無理だろうとアイツらは考えているんでしょうよ。でもレクチェに降ろしてエリ君どうするつもり?」


 もしレクチェさんごと殺すと言うのならば、とその先の言葉を言わずとも空気で感じさせるルフィーナさん。そしてそれは私だって全力で止める事だった。エリオットさんは異常と言ったものが見当たらないのだから、フィクサー達と違って元の体に戻る必要はそこまで無いと思う。ただの復讐でレクチェさんを手に掛けるのならば……それは賛同できない。

 エリオットさんは私とルフィーナさんの視線を浴びながら静かに答えた。


「いや、何もしないさ。一応聞いてみただけだ」


「正しい判断ね。だから言ったでしょ、諦めなさいって。フィクサー達が考えている方法でやるのは、周囲に与える被害が大きいの。独自に他の方法を探すのならそれは止めないわ」


「あぁ」


 笑っていても悔しさが滲むような複雑な彼の表情。翡翠の瞳は悲しげに濁り、乱れた髪が肩に這う。

 ルフィーナさんは椅子を立ち、彼女の背後にあった大きな窓辺に寄って外の景色を見つめて言った。


「あたしはフィクサー達に異常があるだなんて知らなかった。でもそれなら全部辻褄が合うから、そこは嘘じゃないと思うわ。正直、目的を達成させてやりたい気持ちは無い事も無い」


 その言葉にぴくりと反応するのはレイアさん。

 彼女からすれば若干なりともフィクサー達寄りであるルフィーナさんの今の発言は聞き捨てならないのだろう。


「でも」


 ルフィーナさんはこちらを見ていない。だからレイアさんの反応を見たわけではない。

 その上で赤い瞳のエルフはもうとっぷりと暮れた窓の外を眺めながら言う。


「やりすぎよ」


 誰も何も言わなかった。


「幼馴染だろうが異母兄だろうが関係無いわ。自分勝手な目的の為に踏み躙ってきた命はきっと数知れない。そして今の方法では降ろした神が何をするかも分からない。なら……」


 一瞬言葉が詰まりつつも、彼女は大きく息を吐いてその先を言う。


「せめて一思いに殺して止めてやらないとね」


 淡々と。

 こちらに背中を向けている彼女はどんな表情をして今の言葉を紡いでいるのだろうか。窓際を掴むその手が強く握り締められている、それだけが今ルフィーナさんの感情を物語っているようだった。


「まぁあたしじゃ無理そうだからエリ君にお願いしてるんだけど」


 そう言って振り返った彼女の表情は普通の苦笑い。

 笑い返す者はおらず、ただ俯いたままのエリオットさんが短く、


「分かった」


 と、嘆くように呟く。

 それで話は終わり、各々解散。最後の皆の表情は、私の脳裏に深く刻まれる事となった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


「王子、大丈夫ですか?」


 城に戻って俺の部屋の前でレイアが言う。薄暗い明かりに仄かに照らし出されているその顔は、俺の方が『大丈夫か?』と問いかけてやりたくなるくらい辛そうに歪んでいた。


「大丈夫じゃないと言えば嘘になるが問題無い。あの連中をぶっ殺して、別の方法を考えるだけの話だからな」


「ですが、まさか王子の体に神を降ろすだなんて大それた事をあの男達が考えていたとなると……」


「っと」


 俺は右手でレイアの口を塞いでそれ以上喋るのを止める。気を抜いていたがアゾートが音を拾っていては面倒だからだ。

 口を塞がれてレイアもすぐその事に気付いたのだろう、俺がそっと手を離した後はその琥珀の瞳が真剣な眼差しに変わる。


「失礼致しました」


「いや、いい」


 辺りを見回したいところだがその動きがもう怪しい。仕方ないので俺は傍を通ったメイドに遅い夕飯を頼んでからそのまま別の話題を話し始める。


「起きている時よりも、寝ている時の護衛を強化したい」


 それはずっと考えていた事だった。

 フィクサー達が空間転移を使える以上、母上がレイアに指示しているような半端な警護では全く意味が無い。それはレイア自身も分かっている事なのだが、腕が立つとはいえ彼女が女である以上夜に俺の傍に居ると言うのは遺憾ながら周囲の目と言う意味で色々アウトなのだった。

 城外であればそれも気にならないが城内となると、俺の部屋の前で番をしているはずのレイアが居なかったら勘繰られる事間違いなし。

 俺の素行が先日のリアファルの件も含めて、こんな風に行動に影響が出てくるだなんて正直思ってもいなかった。


「しかし私は……」


 夜に室内警護に回れと言う指示が母上からは出ていない為、予想通り困ったような反応を示すレイア。


「知っている。でも四の五の言っていられないだろう」


「で、では夜だけこっそりクリスを呼びましょうか?」


「え?」


 予想だにしない提案に俺は思わず問い返す。


「私がドアの前を離れるわけには参りませんので……だからと言って他の者では多分役に立たないでしょうから」


「……まぁそうだが」


「まっ、間違いを起こさないと言うのであれば私はその件には目を瞑らせて頂きます」


 苦渋の決断、と言った表情で眉を顰めて彼女は俺にそう告げた。

 願ってもない話だが、間違いを起こさないと言う保障は俺には出来ない。

 本当はレイアに『噂覚悟で見張っていろ』と酷い命令をするつもりだったのだが、先にクリスの名前を挙げられてからレイアにお願いすると、更に酷くて失礼な意味合いを兼ねてしまう。

 多分『私なら間違いが起こらないのですね』と、口には出さずとも落ち込むのが目に見えていたから。


「うーん、いっそドアの前で寝るか」


「何を言っているのですか!!」


 半分本気の発言。だがレイアは冗談と受け取ったらしく、叫んだ後にふっと笑って、


「……弟も付き添えば問題ありませんね? クリスにもこちらから連絡しておきますので明日以降はそうしましょう」


「おー、それもそうだな」


 ガイアも一緒に部屋に居るのならば自制も出来そうだ。ちょっと夜が楽しみになるかも知れない。何だかんだで会話していてその場を明るくしてくれる奴だからな、と明日からの想像をしてやや落ち込んでいた気分に少しだけ晴れ間が射す。


「ま、着替えて来いよ」


「はい、そうさせて頂きます」


 私服姿のままのレイアを部屋に戻るよう促し、俺も自分の部屋のドアを開けて足を踏み入れる。

 と、そこで部屋に居るはずの無いものが悠々と座っていて、思わず悲鳴をあげそうになる俺。

 辛うじて悲鳴を出さずにいられたのは、部屋に入った途端に真横から俺の目の前に飛び出てきた人物によって口の中に押し込まれた何かのおかげだった。


「っ!!」


「間違っても矢尻を舐めないようにしてくださいね、この精霊武器は即死級の毒がありますので」


 いやいや、だったらそんな物を口の中に押し込むな。

 視界の半分くらいが綺麗な装飾の弩によって埋まっているが、それを持ち構えている人物はもはや見ずとも声だけで分かる。


「よう、調子はどうだ? エリオット・エルヴァン」


 弩を構えて薄らと冷たい笑みを浮かべる男装の麗人の背後で、俺の椅子に座って足を組む黒髪の男が侮蔑の言葉を放つ。

 つい先刻『殺せ』と師に言われた相手が、そこに居た。


「…………」


 口の中に弩の先端を押し込まれているのでただ睨み返す事しか出来ない俺。黙って耐えていると、


「おっと悪い、喋る事が出来なかったな」


「分かっていてやってるくせに、フィクサー様は相変わらず性根が腐っておいでですね」


 上司の性根が腐っている事をとても嬉しそうに指摘するクラッサに、フィクサーの表情筋がぴくりと動く。女に弱いのか、それとも好みの女に弱いのか知らないが、本当に相変わらずな連中を見て気が削がれそうになってくる。

 だがこんな風に油断させておいて俺を……道具として使おうとしているのだ。


「クラッサ、放してやれ」


「かしこまりました」


 その指示によりゆっくりと口の中の弩が下げられて、それでもこちらを狙う構えは揺るがない。


「王子、約束ですからその身を頂戴しに参りました」


 上司と同じ、黒一色に包まれた麗人がウインク一つ。そのモノクロに浮かぶ鮮やかな口紅と違和感のする火傷。


「なるほど、なぁ……」


 フィクサーはさておき、クラッサは最初から言っていたではないか。俺の体が必要なのだ、と。

 って分かるか!! クソ!!

 脳内で一人ツッコミを繰り広げつつ、どうこの弩の射程から逃れるべきかと考えていると、椅子にどかりと座ったままだったフィクサーがようやく立ち上がって言う。


「来てくれるよな」


「今は行きたくないんだが」


 ルフィーナと会っていた事がバレているのかいないのか。まだちょっと判断がつかないが、とりあえずぼかしながら軽く笑って断ってみる。

 すると俺の笑いに釣られるようにフィクサーもその顔を無駄に爽やかな笑みに変え、


「ははは馬鹿言え、お前に断る権限は……」


 懐から取り出したタル型の柄のダークを、


「無いんだよ」


 そのまま自分の腹に突き刺した。

 何をしているんだコイツは、と思ったのも束の間、急に腹部に鋭く熱い感覚がしたかと思うとそのままそれが激痛へと変化する。すぐに腹に手をあてるとみるみるうちに赤く染まってゆく俺の服。


「な、何を……」


「すまん、よく分からないから刺し過ぎたかも知れないな」


 そう言いながらダークの刃をぐりぐりと自分の腹で掻き回すように動かすフィクサー。その度に、アホみたいに、コッチも、痛い……!

 間違いない、これはリンクさせられている。いつ俺にこんな魔術を掛けていたのかは知らないがもしこの状態でフィクサーを殺せば……多分俺も一緒に死ぬ。

 気が触れているとしか思えない行動をしている目の前の男は、俺と同じ苦痛を味わっているはずなのに平然としていて、やがて飽きたのかダークを勢いよく腹から引き抜き、


「くはっ」


 血がまたお互いの腹からあふれ出した。白い床に広がっていく二つの血溜まりを確認してようやく構えていた弩を下ろすクラッサ。

 さっきから治そうとしているのだが治してもすぐに怪我が怪我へと戻る。多分フィクサー側の怪我を治さない限り何度やっても同じなのだと思われた。


「通常の武器は溶かすわ、怪我は魔術無しで治すわ、そんなお前にどうやって対抗するかと言ったら……これしか無かったんだよ」


 けほっ、と咳き込みつつフィクサーが言う。

 普通なら有り得ない方法だった。こんな自滅してもおかしくない事をしてまで元の体に戻りたいのか? 兄上達と違って一見普通にしか見えないだけにそこまで執着させる身体異常が思い当たらない。


「フィクサー様、あまり放っておくと死にますよ?」


「そうだったな」


 既に腹を抱えて痛みに蹲っている俺の元へ平然と歩いてくる黒スーツの男。だが顔色は悪くなっていて、引いてゆく血の気がコイツにもダメージがある事を示していた。

 ルフィーナの言う通り、殺すべきだと思わされるその狂気じみた行動。だが心中するか? 何か他に方法は無いのか?

 考えようにも痛みが脳内を埋め尽くしていて何も考えられなくなってゆく。

 前髪を掴まれて無理やり上げられた顔に、ダークの刃がそっと突きつけられたかと思うとそのまま頬に刺さる。しかし頬の傷の痛みよりも腹がやばい。

 遠のく意識の中で最後に見たものは黒く深い瞳。


「さぁ……始めようか」


 その言葉を最後まで聞く事は無く、痛みによって意識が遮断されて俺は目を閉じた。


   ◇◇◇   ◇◇◇


【第三部第九章 同調 ~さぁ始めようか~ 完】

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