器 ~翻弄される者達~
場所は変わり、モルガナとニザフョッルの中間地点。ティルナノーグから少し北に上った森の中にある大きな立方体の建物の屋上で、黒く短い髪を乾いた風に靡かせて彼女はそこに居た。
近くに美しい湖畔がありながらも既に枯れた森であるこの地域は、見晴らしは悪くない。ニザフョッルにある施設同様に周囲の色はほぼ檜の皮の色のような赤褐色で包まれており、違う色が混ざればすぐに分かるからだ。
アゾート剣による監視と、目視。両方に気を配りながらクラッサは頬の火傷を曇った月明かりに晒して全方向に神経を研ぎ澄まし、水晶に映る影を見てからそれを床に叩きつけて割る。
鈍色の屋上で砕けた水晶一つ一つがきらめく中、上司同様に闇に融ける漆黒の容姿。単に偶然だったのだが、傍から見れば血の繋がりがあるように見えなくも無いだろう。
敬語を使う関係ではあるものの、フィクサーは自分を拾ってくれたあの時からずっと優しく接してくれていたと思うし、血の繋がっていた今は亡き兄よりも余程目をかけてくれていた。
「感謝します……っ」
過度の虐待を受けていたあの家から連れ出してくれた事を。
彼からすれば十才の頃に書き上げた考古学の論文に目を付けて自分を勧誘しただけの話なのだろうが、あの月夜で差し伸べられた手を忘れた事は無い。
そして、今は更にもう一つ感謝する事が増えた。
自分の人生を狂わせた全ての根源である男に、復讐の機会を与えてくれたのだから。
「何だ、今回はお出迎えなんだな」
軽い調子で上から聞こえる男の声。
「この場所だろうと予測はしていたからな」
朧月を背に、金の女神と共に下りてくる盲目の王子。敬語など使うまでも無い、とクラッサは出迎えていた理由を冷たく言い放つ。
相変わらず悲しげな表情で男の後ろに立つ女のビフレストへ少しだけ視線をやってから、再度緑髪の仇を見据えるクラッサに彼は言った。
「城内でもそんな憎悪を俺に向けてくる奴は居ないぜ。全く心当たりが無いんだが俺はお嬢さんに何をしたんだい」
「知らぬまま、死ね」
それが戦闘の合図。
クラッサは腰に携えていた精霊武器であるショートソードを抜いて儀式用礼服を着たエマヌエルに斬りかかる。しかしそれを寸でのところで止めるのはビフレスト。右手から出した光の刃のようなもので彼女は精霊武器を受け流し、クラッサとエマヌエルの間に立ち塞がっていた。
エマヌエルが悠々と動じる事無く立ち尽くしていたのは、自分が必ず護られると分かっていたからだろう……この慈愛のビフレストによって。
「退いては……頂けないのですか?」
「貴様が自ら手を下す事の無い偽善者だとは聞いている! だがこの建物の中に居る命を滅そうとするソレを護る貴様は、果たして善なのか!?」
クラッサの非難にも似た追求に、物憂げだった彼女の表情が更に沈鬱なものに変わる。
「神の使いが聞いて呆れる!!」
そしてまた繰り返される攻防。と言っても一方的にクラッサが剣を振るい、それをビフレストが受け流すだけの事。これでは一向に決着がつかない流れで、その間にもエマヌエルは魔術発動の位置確認を行っていた。
横目でそれを見ながら焦るクラッサは、胸の内ポケットから一丁の四角い形状の銃を左手で取り出し、一貫して防御し続けるビフレストへの攻めを止めて撃った。
「!!」
その動作にビフレストの顔色が変わるが、銃の速さには追いつけない。
消音効果がある特殊弾に加え、装飾と兼用して彫られた魔術紋様によるピストンの力で発射するその銃は、ほぼ音も無く弾丸をエマヌエルへ向かわせる。
だが、音も無い、目も見えないにも関わらずそれを避ける王子に、クラッサの表情が険しくなった。
「随分小さい音の銃を持っているんだな。着弾音からして七ミリちょいの口径ってところか」
常人よりも耳が良すぎる男はさらりと銃の口径までも言い当て、撃ち手への精神攻撃を食らわせる。
消音銃でも駄目か、とクラッサは歯軋りをしながら再度ビフレストに剣を振るった。
弾丸が当たりはせずとも魔術の邪魔は出来るはず。そう考えたクラッサは、エマヌエルの元へ行かせようとしないビフレストを睨みつけながらその合間に銃を撃っては牽制し続ける。
そこへようやくクラッサの待ち望んでいた援軍が来た。
戦闘待機中では無かったらしい白緑の髪の彼は、黒いスーツ姿で青い光と共にその場に突然現れる。
「お待たせしました」
呼ばれる事を待ち望んでいたかのように、楽しそうにその男は言った。
彼がその場に現れた直後、その手によって周囲に風が吹き荒れる。勿論、セオリーが魔法によって風を起こしたのだ。耳が痛くなるほどの暴風の中でエマヌエルの顔が顰められるのに気付いたのは赤い瞳の男だけ。
「やはりこの方法が効くようですね」
薄く笑って放たれる言葉の意味。
クラッサは今度こそ、と盲目の王子に銃口を向ける。
「だめっ!!」
撃った瞬間か、撃つ前か、分からないくらいの刹那の時。元々クラッサとエマヌエルとの間に居たビフレストは初めて自らクラッサに向かってきた。
銃弾を自身の体で受け止めた彼女の胸で、銃弾が銀の滴へと変わり弾ける。例えではなく、本当に銃弾を溶かしたのだ。
彼女が居る限り何をどうやってもエマヌエルに攻撃するのは不可能だと思わせられるその力。
「私が二人を牽制しますから、ビフレストを精霊武器で斬りなさい」
そう言うとセオリーは両手で氷の矢をいくつも作り出し、ビフレストとエマヌエル両方に勢い良く放つ。その上で未だに吹き荒れる暴風。
音を掻き消されて攻撃を避けられそうに無いエマヌエルの分まで魔法の矢を光で対処する金髪の聖女に、青い宝石の填まったショートソードで斬りかかる黒装の麗人。
「はぁぁ!!」
振り下ろされた剣に左肩を斬られたビフレストのその傷は、治る様子も無く彼女の服を赤く染めていった。
だが彼女の顔は痛みに歪んでいるというよりは悲しみに歪んでいる。傷つけられた悲しみではなく、傷つけようとするその心に悲しんでいるのだこのビフレストは。
「貴方がたの闇を無理に消せとは思っていません。ですが……そこまで足掻く事が出来るのならどうしてその足を前に向けられないのですか」
手負いの女が奇麗事を抜かす。
セオリーもクラッサも、同じ事を考えていた。
「後ろを向いた方が楽だからに決まっているだろう」
クラッサが更に、セオリーが思っていた事を口に出す。それによって彼の視線が自分に絡み付いていた事を、この時のクラッサは知らない。
とどめだと言わんばかりにクラッサが最後の一撃を繰り出そうとしたが、その時ビフレストは大きく光の翼を伸ばしてエマヌエルごと自分の体を包み、撤退の構えを見せた。
彼女の行動に驚くのはエマヌエル。
「逃げるのか!?」
「こんな事で命を捨てる必要はありません」
ふわりと浮き上がる二人の体にセオリーの魔法の矢が降り注ぐが、彼女の光のヴェールには全てが花と露に変えられてしまう。
暴風で舞う花びらが淡い月の光に照らされ、ビフレストを普段以上に神聖なものに見せており、その光景にセオリーが小さく舌打ちをした。
しかしこの時を待っていた者が一人居る。
そう、これは二人まとめて始末出来るチャンス。
即座にクラッサはポケットから小さな槌を取り出し、
「大きくなりなさい!!」
彼女がそう命じた途端、その槌は彼女の身長ほどのサイズにまで巨大化した。
柄が短く、その形状のほとんどが打撃部分。慣性による攻撃力増加は期待出来なさそうな形だが、それをクラッサは後ろに大きく振り被って、
「死ねえええええええ!!!!」
女神の遺産の一つであるベルトによって増幅されたありったけの腕力を込めて、空に浮いたビフレストと王子に投げ付ける。
投げた途端に電流を帯びた槌を、ビフレストは光のヴェールで受け流そうとするが無駄な事。
剣などとは比べ物にならないほど巨大な塊となった精霊武器を、簡単に受け流せるわけが無いのだ。
その槌はニールと全く同じ紋様が描かれ、同じものを司っている武器だが、例え『必中と帰還』と言う特殊能力は引き出せなくとも精霊が宿っているだけでビフレストの力には効く。
受け流しきれない事を悟った瞬間、ビフレストはどうにかこの王子だけでも、と自分から離して魔力をクッションにしつつ下の森に落とした。
受け流そうと粘る事で直撃は避けたものの、半身を砕くように打たれた彼女の体は反れるように曲がる。
そこまでを見届けたクラッサは、森へ下ろされた盲目の王子を確認すべく屋上の端から下を見に走った。
が、そこに居るはずのあの男が居ない。
直後に同じように落ちて行ったビフレストがいるにも関わらず、一番自分でとどめを刺したかったあの男が……
「くっっ!!」
屋上から飛び降り無事に着地したクラッサは、セオリーに言われるまでもなくもう一本の精霊武器で、ぐったりと横たわっている金髪の女の心臓を怒りに任せて一突きにしてやった。
それを見て屋上から目を丸くしているのはセオリー。上から俯瞰するがあまりにもう少しでずり落ちてしまいそうだった丸眼鏡を慌てて押さえると、彼は彼女を追うように地上へ降りる。
「神の使いに手をかける事を躊躇わないとは……見事なものですね」
「コレさえ居なければあの男を殺せたのですから、当然です」
完全に動かなくなったビフレストの体を見下ろしながら二人の会話は続いた。
「ところでセオリー様、コレはどう処分致しますか?」
「私が貰います」
何と言ったこの男は。
クラッサは一瞬背筋に冷たいものが走る感覚に襲われ、彼の顔を見る事が出来ずに息を飲む。
いや、でも自分の勘違いかも知れない。そう思って一応尋ねてみた。
「まだビフレストを調べる事があるのですか?」
そしてそっと彼の表情を確認するべく上目遣いに見上げてみると、
「いいえ、何も」
不気味なほど赤い瞳がビフレストの血塗れの体を映している。それはもう嬉しそうに。
やはり自分の憎悪などこの男の歪みに比べればマシな方だ、とクラッサは心のどこかで安堵していた。
セオリーはスーツが血で濡れる事などお構いなしにビフレストの体を肩で背負うと、クラッサに向き直って問いかける。
「貴女は一旦帰りますか?」
「いえ、またいつ来るか分かりませんのでここに待機しておきます」
「そうですか。では頑張ってください」
心の篭もっていなさそうな声で労い、セオリーは来た時同様に青い光に包まれて掻き消えた。
鈍色の建物のすぐ傍、枯れた木々の合間にある血溜まりが先程までの戦闘の爪痕を大きく残す。
「恨まずに生きる事が出来るのは、本当に強い者だけだ……」
その場にはもう居ない神の使いに向けて独白するクラッサ。
あの金髪のビフレストはそう言った意味では、誰よりも強かったのだろう。
その頃、あの消えてしまったエマヌエルはどうしていたか。
彼はもう一人のビフレストによって辛うじて身を隠す事に成功していたのだった。
あまりビフレストとして適合出来ていない為、ほとんど力を使う事の出来ない金髪の少年は、駒を失った事に唇を噛む。
「あの時城からブリーシンガの首飾りさえ奪われなければ……ッ」
今になって全てを台無しにされた気分なミスラの、眉間の皺が深く寄った。
ビフレストにとって一番の敵は、神が力を与えたフィクサー達などではなく、女神の末裔とその精霊武器。女神の末裔が今やあの子ども一人しか居ない以上、ブリーシンガの首飾りさえこちらの手元にあったままならば今回これほどの痛手を負う事は無かったのである。
「何故アレがあいつらの手元に渡っている、何故……」
セオリーが去り、クラッサも一旦建物の中に戻ったのを確認して、少年はエマヌエルをぴちぴち叩いて起こす。
ビフレストとしての力もほぼ使えなければ魔術も使えない、そんなミスラにとって普通の人間以上の魔術が使えるだけでも、エマヌエルは必要な駒の一つ。
「せめてあの指輪だけでも回収出来れば……」
「っ、取って来ればいいのか?」
「頼みたいところだけど、あの眼鏡が体ごと持って行ってしまって分からなくなった」
意識を取り戻したエマヌエルが少年の膝の上で問いかけるが、子どもは困った顔を横に振ってその案を却下する。
金の指輪。それは少年が自分の小さな力を増幅する為の装置のようなもの。
東の地の満ち満ちた魔力は強すぎるがあまりに大地を荒れさせているが、その地から掘り起こされた金属はビフレストにとって大きな力の源となる。そう……強すぎてあてられ、時には具合が悪くなるくらいに。
特に、魔力をティルナノーグの湖に奪われていない、湖から離れつつも東方に位置するリャーマのものはとても上質で使い勝手が良かった。
だが指輪に出来るほどの金属をまたあの地下で見つけられるか……
無理だろう、と少年はその考えを振り払う。どう考えても時間が足りない。
「本当に不便だ、この体は」
「だったら女の方を使えばよかったんじゃないのか?」
さり気なくそう聞いてみたエマヌエルだが、その本音としては勿論、目が見えていなくても膝枕されるなら男の子より女の方が良かったからである。
しかし彼のそんな考えに気付かないミスラは普通に返事をした。
「アレはアレで壊されかけていて、入ったら多分すぐにダメになる。連中め、やる事をやってくれているのはいいが、ちょっとやり過ぎなんだ」
「そうかい」
軽く流すエマヌエルに、目元は相変わらず冷めたものにも関わらず、口元だけむぅっと不貞腐れた表情を見せる金髪の少年。
見えていないエマヌエルにとっては何となく不機嫌だと言う程度にしか伝わっていないが、傍からはやはりただの小さな男の子に見える。
クッションがあったとはいえ落下のショックで痺れて動かない体を寝かせたまま、エマヌエルは膝を貸してくれている少年の手を握って言った。
「どうする? あのお嬢さん、どいてくれそうには無いぜ」
勿論彼の言うお嬢さんとはクラッサの事。魔術紋様が完全に固定されている以上、屋上の特定の位置からしか発動出来そうに無い。
国の邪魔になるこの施設をどうにか潰したいミスラとしては、確かに困る状況ではあるが……
「先に潰しておきたかったが、急ぐ必要も無い。ただ軍に先に動かれて痛手を食らわれても困るから……」
「それをアイツに止めさせておけばいいんだな?」
「そうだね、王妃はどうも最近私の話を素直に聞いてくれなくなったから、そっちの方が助かる」
少年の言葉を受けて、緑髪の男の口元が自嘲的な笑みを浮かべる。
「直接話すだなんて何年ぶりだろうな……」
憎悪の対象はあくまで末の弟。彼はクラッサとは逆だった。
クラッサが直接自分に危害を与えた対象を憎まずその根本の原因を憎むのとは対照的に、エマヌエルは自分の不幸の根本の原因である神では無く、直接自分に苛立ちを与え続けてきた弟を憎む。
自分が欲しかったものを全て手に入れて過ごす弟を、彼は一度たりとも可愛いと思った事は無かった。
その弟がもうすぐこの少年によってどん底まで落とされるのならば、いくらだって手を貸してやる。そして落ちた弟を見る事で、自分は不幸では無かったと心から思いたい。
下を確認して自分を保とうとする……とても浅ましい感情。
しかし誰がそれを責める事など出来ようか。
傍から見れば充分……この盲目の王子も神によって人生を狂わされた一人なのだから。
金髪の少年は、ただ無表情でそんな彼を見下ろしていた。
◇◇◇ ◇◇◇
私はどうしたいのだろう。
ライトさんに質問されたその答えを必死に自分の胸の内から探り出す。けれど、どこを掘り返してみても一つの結論になど至らなかった。
彼の傍に居たい気持ちも、彼から離れたい気持ちも……両方捨てられない。
私自身、もどかしくて仕方ないのだ。
真っ白なベッドで、真っ白な枕に顔を埋めながらずっとずっと悩み続ける夜。こんな気持ちを抱えて眠れない夜なんて、困る。
目元からじんわり滲む涙が、そのまま枕に吸い込まれていった。
ただひたすら焦がれて求め続けるだけのこの『恋』と言うものは、何て面倒な感情なのだろうか。
相手の行動に一喜一憂させられて変わる気分の変化が苦しい。その笑顔に癒されたかと思えば、それが掴めないものである事に落ち込まされる。
寝ようとし始めてからどれくらい経っただろうか。月明かりがぼんやり見える窓の外に目をやった時だった。
部屋に青い光が突然溢れたかと思うと、
「おや、起きていたのですね」
何か大きなものを肩に担いで室内に現れる、丸眼鏡の長身の男。
「ッッ!!」
ベッドに立て掛けてあった赤い剣をすぐに取り、私はその切っ先を目の前の男に向けた。
だが彼は向かって来ずに言う。
「泣いていたのですか?」
先程までの醜態を指摘され、心を揺さぶられてしまった私はただひたすら動揺して剣を持つ手が震えていた。
この男にこんな顔を見られた事が悔しくて恥ずかしくて、本当ならばすぐに顔を背けたい。けれどそれは危険過ぎる。
「どうだっていいでしょう……っ」
どうにか搾り出した言葉で虚勢を張って、私はセオリーを睨み付けた。
空間転移が出来る男なのだ。いつこうやって奇襲があってもおかしくなかったのに、油断し過ぎていたと自分を責める。
赤い瞳の男は弱い月明かりの下でその表情に影を落として言った。
「そうですね」
ただ微かな相槌を。
そして肩に抱えていた何かを床にどさりと落とす。そういえばコレは一体何なのだろうか、と私は目を凝らして床に落ちたものを見つめ、
「……!!」
声にならない声をあげた。
だって、それはレクチェさんだったのだから。
元々の服の色が何だったのか分からないくらい赤く染まった彼女を見て、意識が飛びそうになる。
もうこの時点で私は一切セオリーに目を向けていなかった。頭の中が知らない感情でいっぱいになって、この男が嫌いだとか敵だとかそういうレベルでは無くなっていたのだ。
剣先を前に向けたまま、視線は床。
その状態で固まったままの私の耳に、更に声が響いてくる。
「礼を言って欲しいところですよ、捨て置くところをここまで運んであげたのですから」
「ぅ……」
「おや、少しばかりショックが大きすぎましたか? 安心なさい、まだ生きています」
生きている……?
その言葉が朦朧としていた私の意識を辛うじて呼び戻した。
「以前も心臓を突かれたはずなのに生きていましたし、多分原型を留めているうちは放っておいても問題ないでしょう……記憶やらがどうなるかは知りませんがね」
この男の言っている事が正しければ、私はこうしている場合では無い。
震えが止まらない手を、剣を持ってない片方だけベッドにつき、今度はしっかりとセオリーを見つめて私は言う。
「何をしたいんですか」
戦闘態勢に入るわけでもなく、敵の私に瀕死のレクチェさんを連れてきてただ寄越すだなんておかしすぎるのだ。
レクチェさんをこれ以上傷つけないかわりに、私に何かを要求でもするのか。そんな予想を立てつつもまずは単刀直入に彼に聞く。
するとセオリーはいつもの不快な笑みを作って顔を上げ、言い放った。
「特に何もありませんよ。単に先の戦闘でコレが手に入ったので貴女に見せようと思っただけです」
「見せる、ですって……!」
あまりの事に声までもが震えてくる。
こんな姿のレクチェさんを私に見せて、悲しむ顔でも見たかったのか。それとも怒った顔でも見たかったか。
どちらにしてもこの男の期待通りの反応など絶対してやりたくない。そう思った私の右手は、剣を握っていた力を強くした。
この震えを止めるために、ただ、強く。
唇も一旦噤んで震えが止まったのを確認してから、悲しいわけでも怒っているわけでも無い顔を作って見せてやると、目の前の赤い瞳はちょっとだけ見開かれる。そう、驚いているように。
「レクチェさんを連れて来てくださり、ありがとうございます」
その時の私の顔は、少なくとも自分では優しく微笑んでやったつもりだった。
セオリーも私と一緒に笑おうとしていたが、何故かその表情は引きつっているように見え……
「ふっ」
それらを誤魔化すように俯いて息を吐く。
この男の前屈みになった姿勢は、スーツの肩から胸にかけてべったりと染み付いている血を見せて、私に怒れと言っているよう。
負けるものか。
何がしたいのか相変わらず理解出来ないけれど、この男の思う通りに動くのだけは嫌だった。
ベッドの上に立ち上がった私の体は押さえずとも震える事はなくなっていたが、自分でそれに気付く事は無いまま再度剣を構え直す。
「でも、もう必要無いんで帰って頂けますか?」
いつかだれかがいっていた。
冷静になろうとするのは戦闘中でいいと。
「レヴァ」
それは今だ。
「命令を聞いてください」
そう考えて努めて冷静になっていたつもりの私だが、多分周囲が見たならばとてもそうは見えなかったのだろう。
これはただ、
「この男を焼失させて貰えますか」
この内に燃える炎が凍て付いているだけの話。
私の言葉を聞いて顔を上げたセオリーの表情は不思議なものだった。これから私に斬られると言うのに嬉し涙でも流すのではないかと思うくらいに目と口を細め、そしてその端を歪ませている。
「……どれほどのものか受けてあげましょう」
私を試すように無抵抗のまま立つセオリーへ、私はこの手の中の剣を大きく斜め一線に振り斬った。肩口から腰まで、深く。
その時いつもならばただの良く斬れる剣だったレヴァが、秘めていた力を初めて私に見せる。
振り斬った直後、熱過ぎるがあまりに逆に冷たいのではと思ってしまうくらいの感覚を肌に残す何かが、私の心に呼応するように目映く光ったのだ。
ダインが言う通り、これは炎のようで炎とは全然違う。
あんなに熱かったはずなのに部屋は少しも燃えておらず、本気で振れば辺り一面が燃えるような事を言われた気がするのに、それも無い。
ただ目の前からは跡形も無くセオリーが消えていた。室内に残る空気の熱さだけが、何となく消失ではなく焼失なのかも知れないと思わせる程度に漂っている。
そして床に取り残された、
「レクチェさん……」
以前胸をダインの刃で刺されたにも関わらず、辿り着いた先で普通に生活が出来ていたのだから、自己治癒能力がとても高いのだろうと考える事が出来る。セオリーの言う通り放っておいても問題無いかも知れない。
でもこんな血塗れの状態で放置するわけにもいかないし、と私はベッドから降りて彼女の体に手を触れた。
自分ではこの状態のレクチェさんをどう扱えばいいのかさっぱり分からなくて……ライトさんを呼ぶという案が過ぎる。
それならばすぐ呼びに行くべきだと言うのに、私の足は何故か動かずに膝を折った。
リャーマで再開したあの時、幸せを願って別れた初めての友達がここに横たわっている。
息をしているようには見えず、正直なところ生きているとは思えない。けれど、もし彼女が息を吹き返す事があるのなら……
「っ」
最低な事を考えている自分に、泣きそうになる。
私は、こんな姿でも彼女が戻ってきてくれて嬉しいと思っているのだ。あの幸せだったであろうリャーマでの生活を壊され、酷い目に合わされている彼女のこの結果を、悲しく思っていると同時に、心の奥底で喜んでしまっている。
いつもより近くに居ても不快感がこみ上げてこないのは、彼女が瀕死の状態だからだろうか?
触れても熱くないし、気分が悪くなったりしない。
私はエリオットさんに抱いているような感情を、レクチェさんにも種類は違えど抱いているのだろう。
とても一方的な好意と言うものを。
相手の幸せを願っていたはずなのに、それはどれも上辺ばかりだったのだ。勿論その願いが全部嘘と言うわけでは無い。でもそこに自分の望むものがぶら下がった時、それでもその願いを押し通せるほど、私は善人では無いのだと思う。
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
泣きそうじゃなくて、もう泣いていた。
彼女の赤く染まった胸に額を押し付けて、涙をその血と混じらせる。
私はライトさんがこの声に気付いて部屋に来るまでの間、ずっとそうして慟哭していた。
「ふむ」
あれから、一向に傷が治るわけでもなく全く動かないレクチェさんを一先ず隣の部屋のベッドに寝かせ、それをライトさんが横の椅子に座って看てくれている。
衣服は全部着替えさせ、血を拭き取った後に見えた彼女の体は、ライトさん曰く不思議な事になっているらしい。
普通ならばすぐに血が止まるとは思えない傷が辛うじて塞がっていて、他にも癒えかけの傷がいくつかある、と彼は言う。
「初めて見るが……多分俺に近いものを持っているのだろう」
「ですわねぇ」
何だかんだでレクチェさんと初対面のライトさんとレフトさんが、この状況にも関わらず興味深そうに彼女の体を見ていた。
レクチェさんは今、胸の傷をしっかり見る為に着せたブラウスのボタンは外され、その胸を露わにした状態だ。だがそこはお医者さん。エリオットさんと違ってレクチェさんの胸にいやらしい視線を送る様子は見当たらない。まぁ……そもそもこの獣人の医者は大きい胸に興味が無さそうではあるが。
「ライトさんに近いもの、ですか?」
「あぁ」
ライトさんの力と言えば、ディビーナと呼ばれる癒しの力の事だろう。魔力なようでそれとは全く違うものだ、とだけ昔に聞いた記憶がある。
それに近いものがレクチェさんにもあるから、まだその体が冷たくならずに済んでいるのか。
でもやっぱりちょっと分からない……と私は腫れぼったい目を凝らして再度レクチェさんを見てみた。
すると彼女の胸の傷口に指を突っ込むライトさん。
「な、何を!」
「どういう状態か確認しているだけだ」
深く突っ込んでいるわけでは無いが、見ているこちらが痛くなる彼の行動に体が固まってしまう。
「目に見える範囲に魔術紋様は見当たらないが、多分内側にあるのだろう。それによって自身の傷を即座に癒せるようになっているのだと思う。だが、それを使う為の元となる力が足りていなくて、こんな中途半端な状態で治癒が止まっているように見える」
「そ、そうなんですか……」
そう言われると納得出来る節が沢山ある。
傷ついた後、半端に記憶だけ無くしてしまっていたりするレクチェさん。何度も大変な目に遭っていれば、それを癒す為の力の貯えが無くなって全ての異常の治癒に力が回らなくなるのかも知れない。
傷口から指を離して、パジャマ姿の白髪の獣人はその右手をレクチェさんの胸の上に浮かせ、少し握るようにして言った。
「俺が傷を癒す事も出来そうだが、これならディビーナ自体を分け与えた方がきちんと完治しそうだ」
彼の表情が無表情から、やや険しいものに変わる。
そして握り締めた右手から金色の粉のようなものが零れてレクチェさんの胸に降りかかり、その粉は積もるのではなく彼女の肌に吸い込まれていくように滲んで消えていった。
しばらくずっとそれを続け、ライトさんが握り締めていた手を開くと、自然とその粉も落ちなくなる。
「……っ、俺はもう寝る。後は放っておけばいい」
ゆらりと椅子から立ち上がり、言うだけ言ってさっさと部屋を出て行ってしまった彼。
「こ、このまま放っておいて大丈夫なんですか?」
ライトさんが居なくなってしまったので残ったレフトさんに問うと、彼女はにっこりと私に笑いかけてくれた。
「はい~。お兄様は随分サービスしてくださったようですから~、後は彼女の自己治癒能力に任せておけばいいと思いますわ~」
「は、はぁ……」
サービスしてくれていたのか、アレは。かなり分からないけれどエリオットさんの治療も、いつも「後は放っておけばいい」流れが多かった気がする。一旦力を使い与えたら、時間を掛けつつも勝手に体が治っていくとかそんなところだろうと私は解釈した。
ぽかんと口を開けながら、ベッドの上のレクチェさんを見つめていると、
「!」
呼吸をし始めたのが分かる胸の動きに、ドキリとさせられる。
それを見てレフトさんも安心したように、彼女のブラウスのボタンを一つずつ丁寧に留めていった。
「同じビフレスト、と聞きましたけども~、エリオット様とは随分違いますわね~」
最後までボタンを留めて布団を体に掛けてあげた後、先程までライトさんが座っていた椅子に今度はレフトさんが座る。
「具体的にどのあたりが違うんです?」
私が尋ねると彼女の優しげな金色の瞳が困ったように細められ、人差し指を顎にあてて唸りながら、
「そうですわね~……まずエリオット様と違って魔術が使えないと思います~」
「つ、使えない、ですか?」
以前エリオットさんから聞いたものと同じ言葉が紡ぎ出された事に、私はひたすら疑問符を投げかけるばかりだった。
「そうですわ~。この分だと適性も無さそうですけども、もしお兄様に近い何かがあるのでしたら~、適性以前に普通の魔術は発動しないと思います~」
そう言ってレフトさんは自分の左腕の袖を捲って、そこにあるものを私に見せてくれる。
彫り物ではなく、痣のような魔術紋様。手首より少し心臓に近い位置から肘にかけて浮かんでいる痣は、フォウさんの背中で見たものとは違い、吸い込まれそうな渦がメインの、何か悪いものでも喚んでしまいそうな怖くなるデザインだ。
しばらく見せてくれた後、袖を戻して彼女は話し始める。
「これはカルドロンに分類される天然の魔術紋様なのですが~、わたくしはこの紋様があるから他の魔術は使えません~」
「!!」
カルドロンが何だか分からないけれど、後半のレフトさんの言葉に私は意識が集中した。
多少かじってはいるものの、魔法も魔術もそこまで得意では無い私。だが、ここまで説明して貰えればその先も何となく分かる。
「天然の魔術紋様は他の魔術紋様に干渉し、妨害してしまうって事です?」
「その通りですわ~」
ほえーっと口を開けてレフトさんの話を頭の中で巡らせた。
魔法が自身の体内の魔力を用いて紡ぎ出す能力ならば、魔術は形と理解から成す技術的なもの。
魔法の得手不得手はキャパシティによるものだが、魔術はそれがアビリティ。頭の良い人ならば、適性による多少の相性はあれども極めていける部類である。
私は残念ながらあまり頭が良くないので魔術はほんの少し、聖職者として必要最低限のものだけ覚えるのに精一杯だった……そんな苦い思い出が蘇る。
「だから皆さん、魔術を使う様子が無かったんですね……」
そう、ライトさんはさておき、フォウさん。
彼は見たもの全てを記憶出来る便利さんなのだから、その能力さえあれば今存在が確認されている全ての魔術紋様とその理解すべき構造を、簡単に頭に叩き込んでルフィーナさん以上の術者になる事が出来るはずなのだ。
でも彼は戦闘はからっきし。剣を振るえなかったり魔法が下手だったりまでは分かるけれど、魔術を苦手とする要素が彼には見当たらない。でも使えるとは聞いた事が無い。
「そ、そっか……」
あの二人は便利な能力を持っているけれど、一応デメリットもあったんだなぁと何となく考える。
「ちなみにクリスさんはカルドロンはご存知ですか~?」
「あ、ごめんなさい。知らないです」
「だと思いましたわ~」
さっきまで寝ていた事もあり、三つ編みが解かれ下ろされたその絹糸が、ふふふと笑う仕草でふわふわと揺れた。
「言葉自体は大釜の意をもちますが簡単に言いますと~、お兄様が純粋に与えるだけの癒しなのに対し、わたくしの力は一旦奪わないと与えられない癒しなのです~」
「奪うですか!」
何だか持って生まれた力が似合わなすぎる。どちらかといえば、レフトさんがディビーナで、ライトさんがカルドロンの方がしっくりくるのではないか。
レフトさんが何かを奪うだなんて、聞くだけで違和感がしてくる。
表情を歪めた私に彼女は言葉を続けた。
「ですから~、ほとんど使った事はありません~」
「なるほど……」
無知な私のために少し脱線した話はそこでおしまい。
とにかく、以前エリオットさんが言っていた『何も無いから魔術が使えない』のはきっと、さっきレフトさんが少し触れた適性の事だと思うが、それ以前にレクチェさんは自己治癒能力があるお陰で他の魔術を使えないと言う事である。
神様が作ったレクチェさんは、エリオットさんに近い不思議な魔力を持ち、それでいて自己治癒能力まで持っていた。けれどその代償として魔術が使えない。
同じように神様の悪戯で体を作り変えられたセオリーと、確かルフィーナさんの話ではフィクサーもその一人のはず。彼らはビフレストとは逆に、並々ならぬ知識も手伝っているのだろうが魔術適性にも特化された体のように思える。
戦闘時のセオリーは魔法をメインで使ってくるが、そもそも魔術を用いてあの人形を動かしているのだから。
……そして順番的に最後に作られたであろうエリオットさんは……
不思議な魔力もあってそれを使いこなす事で自動治癒では無いものの体を癒す事が出来、城での教育の賜物かも知れないが魔術も上手に使える。
あれ、何だかいいとこ取りだ。
ふっと過ぎった想像が私の胸を圧迫して、
「まるで、実験じゃないですか……」
「?」
喉の奥から搾り出された私の独白に、レフトさんが首を傾げてその綺麗な純白の髪をまた揺らした。
◇◇◇ ◇◇◇
「居ないいいいいいい!!」
何が居ない、誰が居ない。
ニザフョッルの例の施設の例の隠し部屋で、例の男が発狂したのかと言うレベルの大声で、手をわなわな震わせながら天井に向かって吼えている。
出てくるだけでシリアスが九割ぶっ飛ぶ事がもはや定例となっていたフィクサーは、お仕事の合間にふんふんと鼻歌を歌いながらルフィーナの元に遊びに来ていたのだが、この通り。
彼女に与えていた豪華な部屋はもぬけの殻。
テーブルに一枚の紙が置いてあるのを発見した黒髪の黒幕は、一旦叫ぶのをやめて猛ダッシュでその紙を手に取り、書かれていた文字を読む。
「なに……『アンタの好きにはさせないわよ♪ 大体分かったから行くわ~。今まで色々ありがとう、じゃあね☆』……」
達筆にも関わらず音符や星が飛び交う文章に一瞬だけ和まされるフィクサーだったが、すぐに内容を考えて首を振った。
勘弁してくれ、この時期で敵が増えるだなんて本当にまずい。ましてやそれが彼女だなんて尚更。
手にかけられないし、もし彼女の口からあのムカつく男にこちらの思惑がバレたなら……
そう考えてフィクサーは自身の拳をぎゅっと握る。爪が鋭く伸びているわけでも無いのに、その拳からはすぐに血が流れ出て床に垂れた。
「また、甘いって言われてしまうな……」
勿論セオリーにだ。気を許しすぎだ、と怒られてしまう。
そう言って俯いた彼は、ふっと床に垂れた血が視界に入る事でようやく自分の手から血が流れている事を知る。
「くっ」
自身の異常を視覚でも確認させられ、苛立ったフィクサーは歯を食い縛る。そしてまた拳同様に口端から滲み始める赤い色。
加減が出来ない、分からない。
それが、力を得た代償として、彼の身に降りかかった異常だった。
エマヌエルが視覚を失ったように、フィクサーが失ったのは触覚。触覚が失われると言う事は、かなり広い意味で色々なものを失う事になる。
まず、痛みを感じない。物を掴んでも加減が分からず、握り潰したり逆に落としたりしてしまう。
そして……愛する人に触れたとしてもその感触も温もりも一切分からない。
彼がセオリーと違い、元の体へ戻る事の執着が強い理由はこの異常そのものが原因だった。
戦闘だけで言ってもかなりの障害があるこの異常。剣を振るってもその先から伝わってくる振動を感じる事が出来ないので、ただ振る事は出来てもそれ以上の繊細な動きが出来ないのである。ましてや気を抜いたらすぐに落としてしまいかねない。そんな武器、使わない方がマシと言うもの。
フィクサーは考えれば考えるほど沈んでいく気分を一旦無理やり止めて、セオリーの元へ向かう。唯一自分の異常を知っている、彼の元へ。
だが彼の自室には居なかった。となると人形を操る魔術を使う為の部屋にでも居るだろうか?
今度はそちらに足を運び、グレーの金属の重いドアを開けると、
「!?」
魔術の陣の中心で倒れている長身。
すぐ様駆け寄ってうつ伏せだったその体をまず仰向けにして寝かせたフィクサー。胸に耳をあてて心音を確認し、取り敢えず生きている事は確認するが……
「何がどうしたんだコレは……」
反動が返って来るほどの術の破られ方をしたのならば、多分あのサラの末裔にやられたのだろうと考えられる。
だが、この様子は今までに無い。
あまりの痛みに悶絶して気を失ったと言ったところか。しかし以前切り刻まれてもそんな事にはならなかったのに、それ以上の激痛が襲うようなやられ方だなんてフィクサーには想像がつかなかった。
ましてや、少なくとも一対一ならこの男があの子どもに負けるわけが無い。
と、言うか!
何故サラの末裔と一戦交えるような事になっている。
フィクサーはだらりと気を失ったままのセオリーを見て頭を悩ませた。
クラッサの呼び出しで第二施設に人形を送ったのまでは知っているが、そこの戦闘はもう終わったと彼女から報告を受けている。そしてその時にサラの末裔が居たと言う内容の報告は聞いていない。
あの子どもが嫌いだと言っていたし、ちょっかいでも出しに行ったか……?
そんなフィクサーの予想は大方当たっているのだが、それを正解だと彼に教えられる者が居るわけもなく。
キツイ印象を周囲に与える鋭い目を閉じて倒れている友は、この瞬間だけは何の悪意も無い柔らかな表情をしている、とフィクサーに思わせた。
ルフィーナを探しに急ごうかとも思ったが、倒れたままのセオリーを置いておくわけにもいかない。床に寝かせたもののまだ起きる様子が無いので自分より高い身長の彼を、感触が分からないなりに頑張って加減をして彼の部屋へ運んでベッドにやる。
そこでようやく開かれる、赤い瞳。
タイミング悪すぎるだろう、と思いながらもそんな悪態は吐かずにまずゆっくりと尋ねたフィクサー。
「話せるか?」
「……はい」
目を覚まして人の顔を見るなり眉を顰め渋い表情を見せる白緑の髪の男に、また話したくない事があるのだろうな、とフィクサーは感じる。
だが、悠長な事も言っていられない。
「ルフィーナが居なくなった」
「!!」
「どうせあの男か子どもか、どちらかに向かうと思うから両方で待ち伏せする必要がある」
「そう、でしょうね」
息も絶え絶えに相槌を打つセオリーは、多分倒れた時にぶつけでもしたのだろう、眼鏡にヒビが入っていて顔にも少し痕が残っていた。
とりあえずは現状を説明した上で、今度は先程の疑問を彼にぶつけていく。
「で、今度は何をしていたんだよお前は」
「…………」
「言え!!!!」
ここまで強くフィクサーが怒るのはきっと初めての事だろう。半分は怒りからきているかも知れない。だがもう半分はもっと別の優しい感情、思いやり故に彼は怒っている。
セオリーもそれを分かっているからこそ、無下に出来ない。体内がいつまでも焼け付く感覚に耐えながら、ベッドに横たわって天井を見つめたまま口を開いた。
「あの精霊武器の力を試したくなりまして、斬られてみました」
「お前、いつからそんなドMになったんだ!?」
それで失神するほど本体にまでダメージを受けていては世話が無い。いくら人形だからと言って、精霊武器に斬られては魔術自体をも斬られて酷い事になると分かっているのに。
しかしこの男は言葉をぼかしたりはすれど、嘘は吐かない。多分またコレは事実なのだろう。相変わらず本心は別の部分にある、そう思わせる内容。
「使いこなせている、と言うよりはあの子どもの感情に精霊武器がたまたま呼応した、と言うものでしたね」
「いやドM、それはいいんだが……」
淡々と言葉を紡いでいくセオリーに、フィクサーは一番大事な部分を指摘する。
「ストック、もう無いんじゃないのか?」
これまでに壊された人形の数は三体。魔法も使えるほど自身の魔力を事前に注いで作られたあの精巧な人形は、一朝一夕で作成できるような代物では無い。
相変わらず黒いスーツ姿のフィクサーの言葉に、ベッドの上で同じように黒スーツなセオリーは焼け付く苦痛からか額にいくつもの汗を噴き出させつつも、口元だけは笑って返す。
「無くても問題ありません」
無論セオリーは人形だから強かったのではなく、元々剣の腕も達者だ。人形を使っていた時よりも自身の体の安全に気を配れば易々と斬られる事は無いと思う。
だがそれは逆に言えば攻込みめが今までよりも弱くなる可能性が出てくるのだ。
「舐めてかかるなよ、まだ子どもだろうがサラの末裔。しかも精霊武器はアレなんだからな」
「えぇ……最初にクラッサから聞いた時は驚きましたね。以前モルガナで見た時は結局その力を出さないので確信がもてませんでしたが、これで間違い無いでしょう」
そう言って体の熱さを誤魔化すように、ワイシャツのボタンを無理に千切ってさらけ出した胸元を掻き毟る、白緑の髪の男。
その胸元も随分と汗ばんでおり、それが目に入ったフィクサーが静かに問いかけた。
「熱いのか?」
「えぇ。人形が焼失させられたものですから」
以前の時は斬られた刃が体内に残り続ける感覚で吐き気を催していたセオリー。今回は刃ではなく炎の為、焼かれた時の熱さだけが感覚として残り続けているのだった。本当に焼けているわけでは無いのでただ苦しい、そして落ち着くまではやはりどうしようも無い。
精霊武器がクラッサの予想通りであると示すセオリーの言葉と体調に、
「そうか……ひとつ間違えば、神殺しはあの子どもがやってのけるだろうな」
「良いではありませんか、あの王子の願いを叶えるのがあの子どもならば」
その光景を思い浮かべて少しだけ心苦しいフィクサーと、同じ事を考えているにも関わらず恍惚な表情を浮かべるセオリー。
彼らが考えているその光景を他人が覗く事が出来たなら、それは他人からは全く神殺しには見えない光景であった。
【第三部第七章 器 ~翻弄される者達~ 完】