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第三部
36/53

セミセリア ~あなたは私を死なせる~

 精神的に参った私達が王都に戻ってきたのは次の日の夕方に差し掛かる前の事。

 空がゆっくりと白藍から赤丹色へと変わって、王都の綺麗な街並みを同じ色へと染めてゆく。その南西に位置する病院で今、私達は一息吐いていたところだった。


「今飲み物をお持ち致しますわ~」


 出かける前は体調を崩していたレフトさんが、今日はもう元気良くいつもの様にダイニングルームでとてとてと歩く。


「皆さん珈琲で良いでしょうか~?」


「あぁ、ありがとな」


 辛うじてエリオットさんが返答をしたくらいで、他はもう頷くだけで精一杯。酷く疲れた顔の皆を半眼で見渡しながら口を開いたのはライトさん。


「消滅した建物跡を見に行くだけで、どうしてそんな顔になるんだお前達は」


 返す言葉も無い。

 一晩行って帰ってきただけにも関わらず、全員がドッと疲れを感じているように思う、そう思わせる表情。

 テーブルに頬杖をかきながらエリオットさんはだるそうに返事をした。


「俺が寝てる間に敵に遭遇して偉い目に遭ったんだよ……」


「それはまた災難だったな」


 話を振ったのはライトさんからだと言うのに、それに対して特に興味も無さそうにぼそりと一言。

 コトンと置かれたマグカップに手を伸ばして明後日の方向を見つめる金の瞳に、レイアさんが冷たい視線で突き刺すがそれも知らんぷり。

 最近接する機会が多いだけに慣れてきたかな二人とも、と思っていたが長年の溝はそう簡単には埋められないようだった。

 私はフォウさんと目を合わせて『やり辛い』と心の中で訴えると、他に気付かれないくらい小さく首を横に振る彼。私には彼の考えている事は見えないが、『諦めろ』と伝えようとしていると受け取って肩を落とす。

 するとそこで、


「王子、取り敢えず私達だけでも早く城へ戻らないと」


「あ、あぁそうだな」


 本心は居辛いからかも知れないが、レイアさんが城への帰還を促した。そういえばお姫様を部屋に押し込めたまま、ここに長く居座るのも確かにまずい。

 エリオットさんは明らかに忘れていましたって感じの反応で少し焦りつつも、出された珈琲を飲み干して席を立つ。が、その瞬間ちょっと歪む、彼の顔。


「どうしました?」


 口元を押さえながら動きが止まったエリオットさんに、皆の視線が集中する。


「……何だろう?」


「いや、こちらが聞きたいです」


 問いかけたのに聞き返されて、思わず口端が下がってしまった私。エリオットさんも本気で不思議そうな顔をしてこちらを見ており、もう何が何だか分からない。


「分からんが何か懐かしいような、うーん」


 そして考え込んでしまう彼。


「懐かしい、ですか?」


「一瞬何か思い出しそうになったんだが……よく分からん」


「王子、よく分からないなら取り敢えず戻りましょう」


 そう言ってレイアさんが席を立ち、彼女につられるようにフォウさんも慌てて立ち上がる。

 この流れだと私はまたここで待機だろうか。出された珈琲にちびりと口をつけ、立っている三人を上目遣いに見た。

 腑に落ちない表情をしながらもくるりと回り、こちらに背を向けたエリオットさん。花緑青の長い髪が柔く揺れ、彼がまた去り往くと私に告げる。


 見たくないな。


 心の中の私が言った。

 この背中を見たくないと、そう言っている。

 でも、


 これで少しは楽になれる。


 もう一人の私がどこか矛盾した言葉を紡いだ。

 その背中を見ると言う事は、また当分彼を見ずに済むから楽だ、と。


「お城、安全とは言えないんでしょう? 気をつけてくださいね」


 そんな気持ちを誤魔化したくて取ってつけたような気遣いをしてみると、彼は最後に上半身だけこちらに振り返り、


「お前に心配されると変な気分だな」


 微笑み零しては優しく目を細めた。

 その反応に、もっと素直に……心から気遣って声を掛ければ良かったと、ちくりと胸が痛み苦しくなる。


「素直に心配されてくださいよ、全く」


 素直にならなくてはいけないのは自分だと言うのに、更に誤魔化すように続ける私。

 ふいっと顔を彼から背けると、


「それもそうだ」


 ちょっと笑いを含んだ声を残してエリオットさんの足音が遠のいて行った。


「……っ」


 見送る事も出来ずに俯いた私の頭に、傍に寄ってきたライトさんがポンとその手を置いて言う。


「辛いか」


 私は黙って頷いた。

 やっぱり顔に出ているんだろうな、と思う。何がどう辛いのか、お互いに言葉に出す必要が無いくらい伝わっている空気。

 ライトさんに見られたらバレるような気はしていたが、案の定だった。

 でもどうしてだろう、バレたくなくて避けて黙っていたはずなのに、気持ちを知られてしまった後の方が楽で……その手に甘えてはいけないのに、甘えたくなってしまう。

 今、ぽろりと一粒零れているコレは甘えの涙。口に出さないのならしっかり涙腺も止めておけばいいものを、出来ないくらいに心が緩んでいるのだ。

 緩んでしまったのか、緩ませたいのか、緩ませられたのか……私には分からない。


「だからいつも泣くなと言ってるだろう」


 隣からほんのちょっぴりだけ困ったようにトーンが低くなった彼の声が聞こえてくる。


「あらあら~。元気が無いようでしたら、何かおやつでも食べますか~?」


「……食べます」


 ほぼ即答する現金な私に、レフトさんはくすりと笑いながら冷やされていたフルーツタルトをさっくり切って差し出してくれた。


「こねずみさん達のためにチーズカスタードで作ったんですけども~……お一人不在のようですわね~」


 そういえばダインはあちら側か。ニールであろうもう一匹のこねずみがレフトさんの服の中からひょっこり顔を出し、テーブルにとんっと軽い音を立てて降りてくる。

 取り敢えず私はケープを脱いで椅子に掛け、タルトをフォークでちょっと切り分けてお皿の端に避けてやると、何も言わずにもぐもぐと食べ始める赤い瞳の白鼠。


「その体になってから、随分食欲旺盛になりましたよね」


「主人にそっくりじゃないか」


 そこで一緒に笑う双子の獣人に癒されながら、私もニールに続いてタルトを口にした。甘酸っぱい果物と濃い目のクリームが混ざって丁度良い。それに、よく焼けているタルト生地が最後まで残って食感を楽しませてくれる。


「私、お腹がいっぱいにならなければもうずっと食べ続けたいです」


 食べている間は、何だかんだで気が紛れるのだ。

 深く考えずに発した私の言葉にライトさんはずり落ちた眼鏡を直しながら突っ込んでくる。


「言いたい事は分かるが、今のお前がそんな事をしだしたら取り敢えず病気かと疑うぞ」


「むしろその予備軍かと思ってしまう発言でしたわね~」


「うっ、そうですか……」


 兄に続いて発言しつつ、テーブルに残されたカップを集めて洗い始めるレフトさん。そこで彼女は洗いながらもふっとその手を止めて、視線を手元以外に向けていた。

 タルトを食べながらその様子を眺めていると、レフトさんは首を傾げながら調理台に置かれていた小瓶も手に取って一緒に洗う。

 何に対して首を傾げていたのかは分からないが、とにかくカチャカチャと食器が鳴る音が止む前に急いでタルトを食べ終え、


「ご馳走様でした!」


「はい~」


 さり気なく食べ終わった食器を洗って貰う事に成功した。


「大丈夫なのか?」


「えぇ、お腹いっぱいです!」


 胸を張ってぽんっと腹を叩いて見せると、ライトさんは視線を横へずらし苦笑いをして言う。


「そんな事を聞いたわけでは無いんだが……まぁそれが返って来るなら大丈夫なんだろう」


 私をじっと見ながら何か考えている素振りの彼は、顎にあてていた手をそこから外してちょい、と手招きしながらダイニングルームから出ようとした。


「?」


「包帯を巻き直してやる」


 言われて思い出し、私は自分の首の右側を手で押さえる。私の返事など待たずに廊下に歩いていく白髪の獣人の背中を追っていくと、ライトさんの部屋ではなく別の部屋に入って行った。

 入れば納得、そこはいつもの実験的な怪しい瓶ばかりの部屋とは違い、病院としてまともそうな薬の瓶や器具が置いてある部屋だった。

 そこまで広い部屋ではなく、書類がいくつか置かれているデスクとベッドの間に二つ置いてあった椅子に何となく腰掛けて、ライトさんと向かい合わせの状態になる私。

 黙って包帯を解いていく彼の顔は相変わらずの無表情。だがそれも解き終わると同時に若干歪んだ。


「何があったのか聞きたくなるような、嫌な傷だな」


 口元もぎり、と力が入っているのが分かる。八重歯がちょっと見える程度に薄く開かれた唇から洩れた低い声。


「過去に無いくらい気分悪かったですよ。コレをつけられた時は……」


 思い出すだけで……苛々する。


「まぁ、深い傷では無くて良かった。お前は自然に治るのを待つしかないからな」


 そう言って薬を染ませた綿を首にあてていくライトさんの右手。何となく位置的に正面からやって貰うのもやりにくそうに見えたので少しだけ私は左を向いて、患部を彼側に向けた。

 彼の顔が見えにくくなった事もあり、見るものが無くなったので左側にあったデスクの上の書類をぼーっと見つめながら会話を続ける。


「そうですね、また大怪我していたらただでさえ役に立てていないのに、一緒に行く事すら出来なくなっちゃいます」


「……それを考えると、大怪我してくれた方がマシだったのかも知れん」


「え? どうしてです?」


 私の大怪我を望むという大胆発言に、私はすぐその理由を問いかけた。すると首から垂れている薬を拭き取りながらライトさんが答える。


「それ以上の危険に向かって行く事が無くなるからだ。こんな傷をつけられると言う事は遊ばれていたのだろう? 無理してこれ以上首を突っ込む必要は……無いんじゃないか」


「それは……そうですけど」


「お前は結局どうしたいんだ」


 薬と一緒に取っていた新品の包帯を伸ばしている彼から突きつけられる現実。

 首元から漂う薬の臭いに頭の奥を刺激され、眉間に皺が寄る。決して会話の内容のせいではないのだが、会話のせいで不機嫌になったと思われても仕方が無い私の反応にライトさんの言葉が少しキツくなって更に放たれた。


「足を引っ張って、辛い思いをしてもエリオットの傍に居たいのか。それとも先日までのように人と関わるのを本当は遮断したいのか」


「……っ」


 私が密かに悩んでいた選択肢を今ここで言葉として形に出し、決断を迫るような彼。

 ゆっくりと首に巻かれていく包帯とたまに触れる指の感触が思考を邪魔して止まない。右耳に届くライトさんの声は、更に強いものとなっていく。


「俺は戦えもしないフォウまで巻き込んでいるアイツのやり方が気に食わない。そして、本来護るべきお前を危険に晒して武器を振るわせている事もな。悪い奴では無いんだが……人を使う事に慣れ過ぎているんだろう」


 あぁ何となく分かる。

 流石は長い間見てきているライトさん、と言ったところか。王子様らしくないエリオットさんだけど、やっぱり腐っても王子様なのだ。良くも、悪くも……


「それでもお前が幸せだと言うのなら口を挟む気は無いが、お前の顔は辛そうにしか見えないんだ」


「実際、ちょっと辛いです。でも、自分で結局どっちがいいのか……分からないんです」


 私を辛そうだ、と言う彼の顔も辛そうに目を細められている。包帯を巻き、縛り終えたその褐色の指はほんのちょっぴりだけ私の頬を撫でていったがそのまま触れ続ける事無く、残りの包帯と薬を持った。


「それなら仕方ないな」


 椅子から立って戸棚にそれらを仕舞いつつ、あっさりと置かれる結論。


「見ていてもどかしいですよね、ごめんなさい」


「あぁ、全くだ」


 狭い部屋に響く、トン、と戸棚が閉められる音がその話題の終了の合図のよう。ライトさんは右手だけ白衣のポケットに突っ込み、左手でこちらを指差したかと思うと、


「ところでクリス……今頃になって胸が少し膨らんでないか?」


「ふぇ!?」


 百八十度変わった話題に思考がうまく切り替わらず、変な声が出てしまった。


「今確か十六だったろう? 一般的には成長期であるはずのこの四年で全くお前が成長していた気がしなくてな……多少ヒトとズレがあるのだろうとは思っていたんだがさっきソレが目について、」


「何処見てるんですかッッ!!」


 私はもう最後まで話を聞く気にもならず、椅子を立ち上がって大声でツッコむ。でも、


「お前が胸を張って見せるから目についただけだ、エリオットじゃああるまいしマメにチェックしているわけでは無いぞ」


「……えっ、あ……すいません」


 真顔でそう言われて、むしろ叫んだこちらが申し訳なくなる始末。

 頭を掻きつつ謝った私に大きなツリ目が向けられ、静かにその後の言葉が紡がれた。


「折角素晴らしいくらいに何も無かったのに、勿体無い話だな」


「全然素晴らしくないです!! 勿体無くもありませんッ!!」


 もし本当にちょっとでも大きくなっていたのならそれは、よ、よ、喜ばしい事なのだ! 無くてもいいけれど、あるに越した事は無い!

 先程の謝罪をまるっと返して欲しくなるライトさんの問題発言に、私は大声で反論したのだった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 ライトの病院を後にして俺はそのまま西側の城壁のすぐ真下にある隠し扉をしゃがんで開ける。パッと見はただの地面にしか見えないその扉の特定の部分を突付くと、その見た目は地面から普通の扉へと変化した。


「またココ通るんだね」


「そりゃそうだ、俺は城から出ていない事になってるんだからな」


 フォウの呟きに返答してから俺はその狭い抜け穴に体を入れて、地下道を歩いていく。入り口と出口は狭いが、入った先の道は立って歩けるくらいのサイズにはしてあるのでそんなに不便なものではない。


「絶対、後日ここは塞がせて頂きますからね……」


 一番後ろから着いて来ているレイアが、何やら言っているが華麗に無視。地下道を抜けてまた狭い出口に頭を突っ込んで出た先は、俺の部屋の後ろの庭。俺の部屋は別棟のように城内に建っているので、部屋と城壁の間には普通に地面があるのだ。

 こっそり顔を出して周囲を伺い、人が居ないのを確認してから出て、こちらも自分で作った隠し扉を使い、部屋に正面からではなく裏口から入る。


「待たせたな」


 部屋のベッドでぽーっと座っていたリアファルに声を掛けると、彼女はその大きなアメシストの瞳をこちらに向けて、


「お、お帰りなさいませ!!」


 この様子だと俺が出ていた事はバレずに済んでいたようだ。クロークを椅子に掛けて取り敢えず銃のホルダーを定位置に仕舞い、後から来たレイアに言う。


「リアファルを帰してやってくれ」


「勿論です」


 行きとは違い、赤鎧の下には襟の広い黒のインナーを着ているレイアがリアファルを部屋から出るよう促して、二人は部屋の正面の扉から出て行った。

 外でぎゃいぎゃいと声が聞こえるが、多分レイアの妹が喚いているのだろう。

 鎧は苦手らしいフォウが、部屋に戻るなり早速皮当て部分を外して背伸びをしながら独り言のように喋りかけてくる。


「用が済んだらあっさりポイッ、と」


「……早く帰す他に何をしろと」


「何かもうちょい会話してもいいんじゃないの、一応婚約者なんだからさ。ちょっと悲しそうだったよ」


「…………」


 返事をするのは癪だったから無言で俺はリアファルを追いかけるように部屋を出た。幸い彼女はまだ部屋のすぐ外に居て、ちょっとだけ焦っていた俺の顔を見てはきょとんとしている。


「何かございましたか王子?」


 勿論そんな俺の行動にレイアが疑問を投げかけてくるがそっちは一旦置いて、


「言い忘れてた。手伝ってくれてありがとな」


 手短に目の前の少女へ労いの言葉を掛け、頭を撫でてやった。カチューシャをしていたリアファルの髪はそれのおかげでちょっとぐしゃっとしてしまい撫でるんじゃなかったと思ったが、その後の彼女の表情が嬉しそうだったのでまぁいいか、と思っておく。

 しかし、褒められただけでこの嬉しそうな顔。やはり子どもだな、なんて口には出さないけれど。悔しいがフォウの助言は正解だったと言う事になる。

 ちょっと微笑んだレイアに連れられてリアファルは今度こそ去って行った。そして残ったのは……姉の真似をしていたポニーテールを解いて髪を下ろしたレイアの妹、アクア。


「いっぺん死んで来い」


 こちらを一瞥してそんな一言を残し、彼女も去っていく。俺が一体何をしたってんだ。

 俺がもっと酷い奴だったらその発言だけで牢屋行きだと言うのに、優しさにつけ上がってこの態度。アクアの後姿を見ながら、女じゃなけりゃぶん殴ってるところだと思いつつ部屋に戻るべく踵を返した。

 部屋ではフォウがそりゃあもう自分の部屋ばりにまったり寛いでいて、一瞬『部屋を間違えました』とUターンしたい衝動に駆られる。

 しかもそこで何を言うかと思えば、


「夕飯は王子様と同じのでお願いね。お酒も欲しいな」


「いいけど、図々し過ぎてムカつくんだが」


「当然の待遇だと思うけど? 我侭に付き合ってあげてるんだから」


 フォウの顔は、笑っていない。コイツは他の連中に見せるような笑顔を俺にはまず見せてこないのだ。

 しかも今現在の立場として、依頼を断りたいフォウを俺が無理に雇っている状況で……悔しいがそこまで強く出られなかったりする。


「お前、ほんと俺の事嫌いだな」


 何となく皮肉を込めて確認した俺に、顔を向ける事無くルドラの青年がぼそりと呟いた。


「お互い様でしょ」


 家来には本当に恵まれていないな、と思いつつ、一晩明けてから俺は行動を開始する。

 メイドが部屋を訪れる前にさっさと自分の身支度を整え、昨晩飲んだくれて俺のベッドで寝てしまったフォウを揺すった。

 俺がこれだけ早起き出来ているのは、単に椅子で寝ていてよく眠れなかったからだったりする。俺も一緒に飲んでは居たんだが、フォウのペースが早すぎてこっちは潰れるほど飲めなかったのだ。

 しかし、この世界のどこに王子のベッドを占領する馬鹿が居るんだ? コイツ以外に知らないぞ。


「おい起きろ……って」


 コイツ、よく見ると脱いでやがる! 裸じゃないと眠れないタイプなのか、それとも酔って脱いでしまったのかは知らないし知りたくもないが……

 実際には初めて見るその背の魔術紋様に、毎晩夢で見てきた世界の理を俺は自然と重ねていた。


 魔術において、形あるもの全てに意味がある。

 それは紋様だけではなく、生命体、非生命体の形状においても同じ事が言えるのだ。特にコイツの背にある天然モノは、他の紋様よりも顕著にそれが表れている。

 何故なら天然の魔術紋様は、普通の魔術紋様と違って……紋様だけでは発動しない域の魔術だからだ。

 紋様と、それに適する肉体あってのこと。だから誰も真似が出来ない、個の魔術。


 そしてこの世界は、その『目に見える紋様だけでは使えない魔術』の理論で構成されている。世界の形そのものがひとつの魔術紋様であり、それはいわば規模の大きい、術士の箱庭のよう。

 世界と生命を創った者を神と呼ぶならば、この世界を創った奴も神なのだろう。だがそれは『神だから世界を創った』のではなく『世界を創ったから神』と言う事。


 全ては、逆だった。


 だからもしライトがもう少し魔術を使う事が出来て、いつものあの調子で実験室にて小さな箱庭の世界を創ったならば、ライトもその小さな世界の神と呼べるわけだ。

 つまり少なくともこの世界の神は全知全能ではなく、一人の術士のようなもの。

 ただその規模は……有り得ないでかさなんだがな。


 この一晩、俺は夢を見なかった。と言う事は夢は終わったのだろう。

 俺の夢は基本的にどんどん過去に遡るような流れで、この世界の創造の瞬間、更にその先はこの世界では無いどこか別のとても美しい世界を映した。多分その美しい世界こそが、この世界を創った奴の元々居た世界だと思う。

 だが、その世界は今は無い。この世界が創られた後に、一人の女によって何故かは知らないが、大樹へと還されてしまったのだ。

 ……世界の創り手では無いものの、その女も神と呼べるだろう。自分の身を割いていくつもの生命と不思議な品々をこの世界に生み落とした奴なのだから。


 しかし、ここまでこの夢を見ても一つ腑に落ちない事がある。

 ならば今、神はどこに居る?

 ビフレストを通じてこの世界に干渉している以上、どこか別の場所に居るはずの、世界創造を成し遂げた術士。

 フィクサーはそれをどうにかしようとしているのだろう。だからこそ……長い時間を掛けている、そう思う。

 同じ夢を見たはずのアイツが長期に亘って行っている事を、今ようやくスタートラインに立ったばかりの俺が考えたところで追いつけない。やはりやるからには、手を組むしかないのだろうな。 


 ともあれ俺はこれできっとレクチェやフィクサー達と同じレベルの事はやりようによっては出来るはずだ。

 この夢による知識からどう力をいじっていくかはまだ試していないし、すぐ出来るとも思えないが……

 知識はあくまで知識でしかない、それを実感させられる。


「はぁ……」 


 溜め息しか出てこない。

 そこへ布団からもぞもぞ出てくる小さなねずみ。うおおコイツこんなところに居たのか、と見ているとソレはくるりと回って人型に瞬時に変身してくれた。


「すごいな」


 ショートカットのちっこい少女になったねずみに思わず感嘆の声を漏らす。


「おはよう人間。いや、今はビフレストなんだっけ?」


 にやりと顔を歪めて厭味な笑みをこちらに向ける白いねずみの獣人。


「なんだねず公。そんな顔してもそのサイズじゃ怖くねーぞ」


 自覚したくない部分をあっさりと告げてくれるソイツに、俺はその感情を悟られないように軽く流してやった。

 するとその顔はしょんぼりし、かと思えばすぐに怒り出す。


「好きで小さいわけじゃないんだから! そんな事言うと教えてやらないよ!」


「教えてくれないならお前をライトに返品するだけだぜ」


「うぐぐ……」


 そう、このねずみはあの時俺に『聞きたい事があれば色々教えてやる』と言う交換条件で俺に交渉してきたのだ。


「まぁ丁度いい、フォウが起きるまで聞かせてくれよ」


 言いくるめられて不貞腐れていたちっこい獣人にそう声掛けると、その赤い瞳がこちらを見て、スッと細められた。


「何を聞きたい?」


 コイツに操られていた頃のローズを思い出す、その表情。一瞬噴き上がりそうになる黒い感情を押し込めて俺は今は本体を失った精霊と視線を合わせ、


「何故この世界を壊したいんだお前達と、サラの末裔ってのは」


 女神の目的がどうしても理解出来ない。ここまで本能に忠実なこの精霊ならば、答えられそうだと思って俺は事の本質であろう部分を聞いてみる。

 すると赤い瞳を丸くして、むしろ問い返してくるんじゃないかと言うくらい不思議そうな顔でねず公が答えた。


「害虫を駆除して粗大ゴミを処理するのに理由が居るのかい?」


 本当に他に他意のなさそうな、純粋な表情で。


「害虫って……」


 言葉だけでなくその表情も相俟って俺は言葉に詰まってしまう。そんな俺にねず公は更に続けた。


「ここそのものが負担になっているんだ。だから少しでもその負担が軽減されるように害虫を減らして頑張っている。キミ達には迷惑かも知れないけれど、ボク本当はとっても偉い子なんだよ」


 えへん、と胸を張るこねずみの獣人が、急に恐ろしいものに見えてくる。その内にある価値観があまりに理解出来なくて。

 しかし今の俺になら何となく分かる、何の負担になっているか。


「大樹、か」


 根幹であるその大樹に連なる幾つもの世界。そこにある世界を減らしていき、そしてこの世界をもなくそうとして最後に何が残るか。それは大樹だ。

 つまり女神の行動は、大樹の負担の軽減、と。


「そうだよ。そこは知ってるんだ! 人間と見分けつかないけど、一応ちゃんとビフレストしてるんだねぇキミ」


 薄く目を開けて顰めているにも関わらず無理やり笑顔を作り出す精霊は、人を小馬鹿にしたような言い草で嘲笑う。


「勝手に創っておいて、邪魔なら壊す、と」


「違うよ、創ったのはサラじゃないんだから。文句はキミ達の創造主に言ってくれないかなぁ?」


 なるほどそれもそうだ。

 じゃあ何故この世界は創られたか……それも聞こうと思ったが、この精霊サイドでは無い神の意図など聞いても無駄か、とそこを質問するのはやめておく。

 何にしても他のビフレストに接触して話をきちんと聞きださないと……他から仕入れた話を統合すると、以前にあのミスラとか言う少年のビフレストから聞いた話だけでは足りなくなってくる。

 話も一旦終わったと言うのに未だにフォウは起きない。

 仕方ないので、室内の洗面台から水を汲んできてぶっ掛けてやると、そこでようやく起きた四つ目野郎。


「うぶぁ!?」


「ほら、城内まわるぞ」


 髪が濡れたフォウは顔に滴る水を手で何度も拭いながら、自身の状況を把握するように周囲を見渡し、


「あー、ごめん……」


 流石にまずいと思ったのか結構素直に謝ってきた。


「さっさと着替えろ。まずはクラッサの元同室だった女のところに行くぞ」


「分かったよ」


 人のベッドの布団で髪を拭きつつ、そこらに散らばっている服を集めて着替えるフォウ。そこで見たくないものが一瞬見えて、


「うむ、男だな」


 何となく確認してしまう。

 いや何しろ俺としては男だと思っていた奴が女だったと言う衝撃経験があり、胸が無かろうがその部分を確認しないとどうも判断が出来ないと言うか……


「俺が女に見えたなら、ちょっと目玉取り出して洗ったほうがいいと思うけど」


「それはクリスに言ってやれ。お前を女みたいだと言っていた事があるぞ」


「ほんとに!?」


 こんな嘘吐いてどうする、そもそも嘘吐くなって条件出されて雇ったじゃねーか。わざわざ驚いて確認しなくても見れば分かるだろうに……と思ったが、思わず驚いて尋ねてしまう心境も分からなくも無いので突っ込まないでやった。


「先生には可愛いって影で言われてるかと思えば、クリスは俺を……女ぁぁ?」


 着替え終わったフォウが頭を抱えて嘆いており、見下ろしていて大変気分がいい。

 俺はベッドの上に居たねず公に手を差し伸べ、肩まで登らせると満面の笑みで言い放った。


「さぁ、行こうぜフォウちゃんよ」


「き、も、いいいいいいい!!」


 部屋の外で相変わらずキチンと護衛をしていたレイアに少しではあるが暇を与えてから、完全に落ち込んでしまったフォウを連れてまず向かったのは給仕外の時間にそのメイドがいるであろう調理室。多分朝食まではそこの雑用をしていると思うから……

 俺が入ってきた事で空気が変わる調理室で、フォウがきょろきょろと辺りを見回す。


「どの人?」


「これから俺が直球で声掛けるから、シロかクロかだけ言ってくれ」


「えぇ!?」


 俺は他の連中には目もくれる事無く、蜂蜜色の髪をフリルのカチューシャで留めているメイドの元へ歩いて行った。食材の下準備を手伝っている最中なのだろう、野菜を切っている二十代後半くらいのその女に静かに問いかける。


「お前、クラッサとまだ連絡を取っているか?」


 何の前置きもなく放たれた俺の言葉にメイドは驚いた顔を見せており、これだけの反応ではちょっと分からないが、


「クロ」


 背後からフォウのその一言が紡がれ、


「分かった」


 すぐにメイドの腕を取り押さえ包丁を手放させた。

 俺の、傍から見れば強引過ぎる行動に、コックや他のメイドが一気に視線をこちらへ集中させてざわめく。


「お、王子!?」


 誰かが俺に疑問符を投げかけているが、そんなの知らん。

 しかし問いかけの返答を待って嘘かどうか判断するのかと思いきや、それすら無くとも敵だと判断出来る何かがフォウには見えているのか。便利な能力だな、と思いながらメイドの腕をそのまま捻り上げた。


「いっ!!」


「言い訳する気は無いみたいだな、このまま連れて行くぞ」


「無茶するねぇ……」


 メイドを強引に引っ張って行く俺の背中に、フォウの呆れたような声が投げかけられる。

 一応説明しておかないといけないので調理室の出口まで歩いて行ったところで、


「この女は俺を攫った連中の仲間だ。ここにはもう戻って来ないだろうから仕事の割り振りはそのつもりで頼む」


 まぁこんなもんでいいだろう。

 ひとまず地下へメイドを連れて行き、手錠をかけて牢へぶち込んだ。驚くほど大人しいメイドの髪が、項垂れる事で甘いツヤをこちらに見せている。


「何か言う事はあるか?」


「……ありません。私は私の信念で協力をしていたまでです」


 しっかりした声。

 あぁコイツもか、俺はそう思った。

 金で買収されたわけでは無い仲間となると、こちらとしてはとてもやり辛い。

 情報を引きだすのは無理だと判断した俺は、空気の悪いこの地下に背を向けて無言で立ち去る。慌てて着いて来たフォウがそんな俺に不思議そうに問いかけてきた。


「聞かなくていいの?」


「あぁ。これ以上の事はレイアに任せよう」


「そっか」


 予想通りといえば予想通りだが、一発目から当たりを引いて逆に参る。城内にそれだけ敵がいると言う事なのだから。

 きっと険しい顔をしているであろう俺の右肩で座っている白い獣人が、可愛らしい声で呟いた。


「さっさと殺せばいいのに。ボク、キミの利己的な性格好きなんだけどな」


 返事は、してやるわけがない。

 アホな事を言っている肩のちっこいのを無視して俺はフォウに次の行き先を伝える。


「次はレイアの部下の大尉だ。なるべくなら……シロであってほしいんだがな。クロだと知ったら多分レイアが、傷つく」


「優しいね。でもレイアさんを一番傷つけているのは王子様だからそんなの気にしなくていいと思うよ」


 余計な事を、そして本当の事を言うフォウに、俺は急いでいた足を止めて振り返った。


「モルガナの宿でも言ったよね。誰かれ構わず気まぐれで優しくして惑わすのはやめた方がいい。王子様普段が酷いから、たまの優しさが目立つんだよ」


「……また俺と喧嘩したいのか?」


「まさか」


 どす黒い感情を露わにして睨んでやると、フォウは両手の平をこちらに向けて戦意が無い事を伝える仕草を見せる。

 それ以上は問い詰めずに止めていた足を再度動かし、取り敢えず大尉がどこに居るか知っていそうなレイアの元へ向かった。今は俺の部屋のすぐ近くの一室を割り当てられている彼女。元々の装飾以外の飾りが一切見られないその部屋には、女の部屋とは思えないくらいの……大量の剣。


「お、お前この部屋にこんなに剣を持ってくる必要、あったのか?」


 一応仮住まいだろ、ここ。


「唯一の趣味なので、そこは許して頂けると助かります」


 暇をやったと言うのに剣をせっせこ磨いているレイアが、そこに居た。

 その後レイアから例の大尉の居そうな場所を聞いてフォウと共に足を運び……結果はクロ。まぁ一人じゃないだろうとは思っていたから驚く事でも無いけれど、もしかして今回リストから洩れた奴も全部そうなんじゃないか、と他まで疑いそうになってしまう。

 そして次に向かったのは、母上の侍女は一番接触が面倒そうなので、ひとまず兄上の従者のところだ。今度は俺を無駄に心配するレイアも引き連れて。

 さて、こちらはかなりの古株であるが……


「なぁ、ビフレストと名乗っている連中を知っているか?」


「はいっ?」


 空いている客室に呼び出して問いかけてみたら、すんごい間抜けな顔を晒す飴色の髪の老紳士。


「シロ」


 兄上が動くにあたって、この男に気付かれないわけが無いと思うのだが……まさかのシロという結果に俺は、じゃあやっぱりクリスが見た兄上は見間違いなんじゃないかと思っていた。

 でもまぁ取り敢えず兄上にも直接会うとしよう。


「知らないならいい……兄上に今からお会い出来るだろうか?」


「はっ、今すぐ確認致します」


 部屋を出て行った従者を見届けてから、俺はレイアに問いかける。


「この流れだと兄上もシロくさいんだが、確か兄上は東でクリスが見かけただけじゃなくて、竜の施設の資料も持って行ったんだよな?」


「はい、後者は間違いありません。わざわざ部屋から出て自分で取りに行こうとしていたくらいですから」


「むーん」


 確かに引っかかりはするが、あの兄上が目立たずに行動出来るわけが……無い。良い思い出が全く無い相手ではあるがもしこの件に関わっていないのなら、と思うとちょっとだけホッとする。

 しばらくそんな感じで待機していると、部屋のドアが開き蒼白な顔をした従者が入ってきて、


「申し訳御座いません、面会は……無理なようです」


「断られたか?」


「えぇ……」


 まぁ確かにあの人ならば俺と会うのを拒絶してもおかしくない。と、俺は素直にそれを聞き入れようとしたのだが、そこでフォウがぼそりと呟いた。


「嘘」


「!!」


 フォウ以外のその場に居た三人が、息を飲む。

 まてまて、これが嘘って事はさっきのシロは何なんだ。目の前の従者を睨むと、彼は俺と目を合わせようとせずに青い瞳を泳がせていた。

 レイアが剣の柄に手を掛け、俺も座っていたところを立って警戒しながら兄上の従者を見据える。

 すると、


「たっ、大変申し訳御座いません!!」


 彼は腰を直角に曲げて頭を下げてきた。

 その行動に呆気に取られていると、言い訳を始める老紳士。


「じ、実はエマヌエル様にお伺いしようとしたところ、ご不在だったのです……」


「不在!?」


「最近こんな事が多くて私もほとほと手を焼いておりまして、気付いたら私に声も掛けずに部屋を抜け出して数日居なかったり、かと思えば部屋に居るのに私が入るのを拒否したり、聞き耳を立てているとどうも誰かを連れ込んでいる様子で声が聞こえたり、あぁこの前なんて遂にあのエマヌエル様が女性を連れ込んでいたようなのですよ! てっきり後日死体の処理をさせられるかと思っていたのですがそういう様子も無く嬉しいやら寂しいやら$#ゞ=@」


「も、もういいから、ちょっと黙れ……」


 饒舌と言うレベルでは無いほどよく喋る兄上の従者に俺は後ずさりながらも閉口を願う。

 って事は、何だ?

 俺がちょっと考えている間に、先に結論に達したレイアが剣を抜いて執事にその切っ先を突きつけて言った。


「と言う事は、職務を全う出来ていないどころかそれを隠蔽していたのでは無いか!!」


 そうそう、そういう事だ。


「は、はっ!!」


「自分の不手際を隠してたんだねぇ」


 ハンカチで必死に額の汗を拭う執事をレイアとフォウが責めるが、俺はと言うとそこまでこの男を責める気にはなれなかった。

 俺と似たような事をしていた兄上に困らせられている執事に、何となくゴメンナサイな気持ちが芽生えたからである。

 レイアはこの男と違ってその不手際を隠したりはしないが、普通の奴なら隠すのが当然だろう。ましてやこの男のように自分一人が受け持っている職務ならば、尚更。


「まぁいい。じゃあ不在なら不在のまま、兄上の部屋に入らせて貰えないだろうか。それで俺はこの件については黙っておいてやるから」


「い、いや、それは……後で私がエマヌエル様に何を言われるか……」


「今レイアに斬られるのと、後で兄上に斬られるのと、どっちか選べ」


 勿論その後、俺達は兄上の部屋に通して貰えた。

 城内の北にある塔の最上階に位置する兄上の部屋、実は入るの初めてだったりするのでちょっとドキドキしている俺。

 兄上は目が見えないからだろう、特に装飾品の類は飾られておらず、必要最低限の家具が揃えられているくらい。それでも一応は王子の部屋。その家具自体がどれも美しいものばかりなので充分豪華な部屋だと思う。


「流石に誰もいない、か……フォウ。何か見えないか?」


「そもそもビフレストって前会ったあの金髪の可愛い人の事でしょ? あの人その場に居ても何も見えないから、俺の目はアテに出来ないよ多分」


 ざっと見渡した限りでは、特に証拠の類が残っているようには見えない。だが兄上が部屋に誰かを連れ込んでいたらしい、と言う事実は怪しすぎる。


「よーし、お前等髪の毛を探せ! ビフレストは両方とも金髪だ!」


 俺はそう言って左手を腰にあて、右手でバッと部屋に差し向け命令した。やれやれ、と言った表情で床に膝をつくレイア。しかしフォウは動こうとしない。


「おい、お前にも命令したぞ。さっさとやらんか」


「その命令は契約外だね」


 首の後ろで手を組んで協力する気が無い姿勢を取ったルドラの青年に舌打ちをしつつ、レイアだけにやらせるのも可哀想なので渋々俺も膝を突いて床を見る。

 くっ、この状況じゃあまるでフォウが一番偉いみたいじゃねーか。けれどそんな屈辱的な状況はすぐに終わった。


「王子」


 レイアに声を掛けられて振り向くと、一本の金の糸を摘んでいる彼女。

 そしてレイアに近寄ったフォウがその発見された金髪をじっと見つめて言う。


「これがいつ落ちたかにもよるけど、少なくとも何も纏う色が見えない」


「最近抜け落ちたものなら普通は何かしら見えるって事か?」


「そういう事」


 この一つだけの状況証拠では、この髪がビフレストのものであるとは断定出来ないだろう。だが、東での目撃情報、そして何故か必要とされた竜の施設の書類。この二つも重ねれば……


「兄上は、ほぼクロって事か……」


 身内にまた一人敵が増えたと思うと、気が滅入っていくのを感じる。何だかんだ言って俺も甘いようだ。血の繋がりと言うものの大きさをじんわりと味わいながら、もう一度だけ兄上の部屋を見渡す。

 実の兄弟でありながら部屋すら入った事の無い関係だと言うのに、その兄が敵である事を胸の奥底でほんの少しだけ悲しく思っている俺が居るのだ。

 散々いじめられ、嫌われていたけれど、俺はそれでも兄上に好いて欲しかったのかも知れない。


 でも、


 ビフレストが関わっているこの件に首を突っ込んでいる以上、本当の本当に敵対する可能性が出てくる。最悪の場合は……手に掛ける事だってあるだろう。


「自分と似た顔を斬るのは、何か嫌だな」


「嫌なら……やらなければいいのですよ」


 苦笑して言う俺にレイアがそっと言葉を置いた。


「そういうわけにはいかないさ。あの施設を消滅させたのは多分、兄上だ」


「!」


 レイアとフォウがバッとこちらを向いて驚いた表情を見せる。俺は黙ってその視線を受け、考えていた。

 建物の形を魔術紋様として機能させるなんて事は、相当の理解をしていないと発動させられるものでは無い。その時点で一般人には無理な話。そして、ビフレストは魔術を使えない。

 あの建物が無くなって得をするのはフィクサー達ではなく城側の人間である事から、術の使い手を絞ればもう兄上以外には有り得ないのだ。俺と同じ……アレを見たであろう兄上しか。


 見ただけでは理解に苦しむものだと思うし、俺も実際途中までは本当に意味が分からなかったけれど、後で誰かにその意味を吹き込まれれば一瞬で全てが繋がるはずだ。


 この世界がどれだけ哀れで、どれだけ虚しいものか。

 そして、自分自身が……どれだけちっぽけな存在か。


 生きる気力すら失うようなあの夢がフラッシュバックする。いや、俺なんてまだいい方か。クリスに比べれば……ずっと。


「兄上の行動は今のところ国の為になっている。何故それをしたのかは分からないが、とりあえず今これ以上詮索する事も無いだろう」


 ぶっちゃけ落ち込みながら、それでも自分を奮い立たせて言葉を紡ぐ。俺の雰囲気がそういうものだったからかも知れないが、二人は頷くというよりは俯くだけで、それに対して返事はしてこなかった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 そろそろ動く時かも知れない。

 暗く荒れた山に建つ大きな薄鈍色の施設の地下で、彼女はぼんやりと考えていた。

 何故か部屋にどんどん増えていく装飾品や衣類を仕舞っている豪華な白磁のクローゼットに手をかけながら、そのハイエルフは深く溜め息を吐く。

 明け方の空のような赤みの混じった黄色の髪を、クローゼット内の鏡を見ながら上手に結わえていたところだった。

 室内に響くノックの音。


「だぁれ?」


 以前フィクサーかと思いきや別の人物が入ってきた事があった為、今度はきちんと名前を尋ねてみる。だがそれに返事が無いままドアノブが回る音。

 あぁフィクサーでは無いな、とルフィーナは一気に気持ちが深く落ちるのを感じていた。


「ご機嫌は如何ですかね、ルフィーナ嬢」


 にやりと歪む口元と、自分と同じ鮮明で冴えた猩々緋の瞳。孔雀石の岩絵具を思わせる淡い緑の髪は、相変わらず乱雑にはねている。

 男性でも長身の部類の彼は、黒いスーツ姿に似合う花束を持ち、左腕には紙袋を提げていた。


「…………」


 外見的には似合うのだが、彼のキャラクター的に全く似合わない花束を見て、眉を顰めるルフィーナ。

 勿論、それに気付かぬセオリーでは無い。彼女の疑問に答えるように少しかすれた低い声で彼は喋り始める。


「実は貴女にお願いがあって来たのです。これは先日の侘びに」


 なるほど、一応アレが悪い事だと言う事は本人も分かっているらしい。詫びられたところで許せるものでは無いが、花を貰う事自体は悪い気はせず、ルフィーナは差し出されたそれを受け取った。


「で、何かしらお願いって」


「今までお嬢にしてきた私の行動は今後一切フィクサーに話さないでください」


「どういう事?」


 全く以って予想外の願いに首を傾げた異母妹。その仕草にまた首を絞めたくなっていたセオリーだが、何とか彼女にそれを悟られないように丸眼鏡の下の視線を花に移して答えていく。


「今まではむしろいつ話してくださるかと楽しみにしていたのですが、事情が変わりまして」


「口止めされなくともあんなの話す気無いわよ、バカみたいに心配するのが目に見えてるんだから」


「間違いないですね」


 そう言っておかしそうに笑うセオリー。 

 と言うかアレをこの男はフィクサーに話される事を望んでいたのか。ただ仲違いをしたいだけにしてはやり口が遠回り過ぎる……何を考えているのかさっぱり掴めないが、多分この男の考えている事は自分には理解出来ない域なのだろうとルフィーナは考えるのを諦めた。

 と、そこで彼女は花束に目を移してその違和感に気付く。


「……あら?」


 彩りは一般的に売られている花束と変わりないのだが、その花がどれも花束としては見かけないものばかりなのだ。

 カスミ草の代わりにそれよりも少し大きい、でも比較的小さい白い花がいくつも重なって単品だけでブーケ状になっているような花。

 よく使われるリリーの代わりと思われる藍色の花は、大きな三枚の花びらの上にまるで触覚のような小さな花びらがもう二枚付いている。


「ってコレ、毒花じゃないのー!!!!」


 べしぃ!! とルフィーナがテーブルに花束を叩きつけると、セオリーが嬉しそうに、


「ようやく気付いてくれましたか」


「な、ん、の、嫌がらせッッ!!」


 あまりに興奮して息が乱れたルフィーナは、この回りくどい嫌がらせに『もしかしてフィクサーの反応を見たくて自分をいじめていたのか』と今までの行為の理由を想像してしまった。

 弱い毒ならまだしも立派な毒薬に出来てしまうレベルの毒花に頭痛がしてきて、片手で額を押さえる。


「手間を掛けた甲斐がある反応をありがとうございます」


 異母妹のその歪んだ顔を見て厭味にも礼を言って来るその兄に、ただでさえ細い瞳を更にキッと細めて睨みつけるルフィーナ。


「最低!! 大体こんなの花屋で普通に手に入れられないわよね!?」


「えぇ。ですから一部は持ち込んで包ませました。店員に随分変な顔をされたのですよ」


「当たり前よ!!」


「恋人に贈るのかと聞かれたので取り敢えず反応見たさに肯定してみたのですが、そしたらまぁ全力で止められまして」


 そして思い出し笑い。

 人の嫌がる事を愉しんでいるセオリーに、ルフィーナは不快な思いをさせられると同時に悲しくなっていた。

 ちょっとズレた事を言うのは昔からだが、彼がここまで悪意を露わにするようになったのは何故だろう。

 時期的にはエルフでは無くなった頃からだが、それならばフィクサーにも同じ事が言えなくてはいけない。フィクサーはどちらかと言えばその後の二百年近い歳月の中で焦りや苛立ちからか、だんだん行動がエスカレートしていったくらいで、ここまでの変化はしていないとルフィーナは思っていた。

 ならばやはり、以前からこういう性格だったのか。力を手に入れた事でそれらを止めていた理性が切れたのか。異母妹で、父母同様に憎まれてもおかしくないはずの自分を可愛がってくれていたあの頃は……偽りだったのか。

 考えるまでも無い。偽りだったからこそ、あの時あんな仕打ちを受けたのだ。

 打ちひしがれる彼女に、その悩ませている原因である男の言葉が聞こえる。


「ちなみにそれは先日の侘びですので、今回の願いを受けてもらう礼はこちらです」


 そう言ってセオリーが出してきたのは、左腕に提げていた紙袋の方。机の上に置かれると結構重い音が響く。


「中身は、何……」


「薄くて高い本です」


「!!」


 その響きに一瞬ルフィーナの目が輝いたが、俯いていたのでセオリーには見えていないはずだった。けれど彼はそれが見えているのか、それとも最初からその反応を予測していたのか、上機嫌そうに内容を伝えていく。


「お嬢の趣味が分かりませんでしたので、有名どころを揃えてきました」


「有名、どころ……」


 彼の台詞にごくり、と唾を飲む異母妹。


「イ○イレ、忍○ま、お○振りに、あとこちらはカップリング固定になりますが鏡○レン総受けのボー○○イドものがいくつか」


「ぐ、ぐぅぅ……」


 セオリーが挙げていた薄くて高い本のジャンルは、主にショタと呼ばれるキャラクター達のものだった。

 負けるなルフィーナ、頑張れルフィーナ。その紙袋に手を伸ばすんじゃない。だが伸びてしまう、その薄くて高い本の誘惑に。

 内なる正太郎コンプレックスに破れた彼女の手はテーブルの上の紙袋を取ろうとし、その重さに驚愕する。


「こっ、こんなに!」


「どうぞ堪能してください」


 流石は一応異母兄。妹の趣味を把握しているその洞察力に感服……したいところだが彼女が子どもに執着するようになったのは、どちらかと言えば子どもを産めなくなった後の為、ちょっと違うと思われた。

 だが、執着の方向性がかなりズレている気もするので、元々あった素質とも言えよう。とにかくルフィーナは全力でセオリーの餌に釣られており、それを見届けてから満足げな表情で彼は部屋を去って行った。

 ほくほくと薄くて高い本を読み耽っていたルフィーナは、目の前の机の花が再度目について、それが気になってくる。


「こんなところに毒花を放置しておくのもアレよね……」


 そう、今は本と花が同じテーブルにあるわけで、もし薄くて高い本を頬擦りした時に毒がついてそれが指から口に入りでもしたら大変だ。とは言ってもそれに気をつけなくてはいけないのは白い花の方だけであるが。

 触れないように気をつけつつ、花束を包んでいた紙を使って綺麗にまとめていて彼女は花束に混ざっている他の花にも目を留めた。


「これも毒花だったかしら?」


 雄しべの先が糸のように見えるチューリップが丸く広がったような紫の花に、赤く小さな蕾がいくつもの房となっている花。そして花序が刀の鞘に似ているカラフルな緑葉。

 どちらかと言えば毒花と毒草には詳しいルフィーナは、知らないと言う事は毒は無いのだろうと言う結論に至り、毒の無さそうなそちらだけをうまく抜いて花瓶に飾る。


「花に罪は無いものねぇ」


 窓が無いので棚の上に飾られた花々を見て、よしっ! と両手を腰にあてて顔を綻ばせたハイエルフ。

 さて、残った毒花はどうすべきか。

 強毒をもつ二つの花のやり場に困っていた彼女は、ふと疑問が浮かんできた。

 もしただの嫌がらせならばわざわざ他の花を混ぜずとも毒花だけでいいのでは無いか、と。

 勿論他の花を混ぜる事で分かり難くし、それによって気付いた時のショックの大きさを倍増させている可能性もあるが……引っかかってしまったルフィーナは本棚を漁ってどうにか資料を見つけて確認していく。

 本を必死に捲っていき、花達の名前を確認していった彼女の表情はだんだん険しいものとなっていった。

 それらを繋げれば繋げるほど考えたくもない想像が浮かんでくる。


「偶然……?」


 だがすぐに首を振ってその甘い考えを払う。そんなわけが無い。あの男の行動に偶然などあるわけが無い。

 本を開いたままテーブルに一旦置くと、彼女は毒花をも花瓶へと持って行き、飾ってはそれらを虚ろな瞳で見つめていた。

 花の割合は半分はあの白い毒花。次に多いのは藍色の毒花である。嫌がらせにしか思えない異母兄からの贈り物は、確かに悪意の篭もったものだった。

 しかし花の割合がそれを濁らせる。もしルフィーナの予想通りならばメインは藍色の花ではないとおかしい。少なめに混ぜられた他の花の意味を受けて、藍色の花に示された悪意が芽生えているのだ、と。

 むしろ白い花は無くてもいいくらいだった。


「や、やっぱり勘繰り過ぎかしら」


 辻褄が合わなくなってきたので一旦その考えをリセットしようと、高くて薄い本に手を伸ばす彼女。だがルフィーナはもうその本の内容など頭に全く入ってきそうに無かった。

 結局また花瓶の方に近づき、そっと一輪だけ抜いては耳に掛けてみる。


「生きていれば、後悔の連続よね」


 独白するエルフの耳で揺れる紫の花。

 そんな黄昏ていた彼女の元へ、またドアのノックの音が届いた。


「だぁれ?」


 先程同様にまずは尋ねると、


「俺だよ俺俺っ!」


「詐欺師の知り合いは居ないんだけど」


 毒づくルフィーナの返事を聞こえているとは思えないほど元気良くドアを開けて来るのはフィクサー。

 全ての光を無くす事によって生まれる漆黒の髪、そして瞳。希望も何も無いのだと思わせるその色に負ける事の無い彼の表情。

 今日も無駄に元気な姿を見せる幼馴染に、ルフィーナはついさっきまで抱えていた悩みを打ち消された事に気が付かない。

 何故なら、気が付く前にそれ以上の事実を聞かされるからだ。


「聞いてくれないか、もうちょっとで俺の目的が達成出来そうなんだ」


「それって……!」


「あぁ、うまくいけば俺は……元に戻れる」


 そう言ってフィクサーは、ルフィーナの手を取り正面から彼女をしっかり見つめる。けれど手を取った一瞬だけ、彼の表情は曇っていた。本当ならば想いを寄せる相手の手に触れれば多少なり嬉しいはずなのに、その一瞬だけ見せたものが彼の真の感情。

 握られているのに握っているんだかいないんだか分からないくらい弱く添えられた彼の手を、もはやいちいち振り払う事もせずにルフィーナは言ってやる。


「あ、あのね、そこどうでもいいのアタシ」


「俺には重要な事なんだ」


「だから! 達成出来るかもって事は……」


「そうさ、準備は整ったから後は君の元弟子を連れて来るだけになる」


「ま、待ってよ……」


 相変わらず一方的に喋り、うまく噛み合ってくれない会話。無論フィクサーのそれはわざと。

 どうしてそこまでして元に戻りたがっているのか。セオリーのように変化を受け入れて生きる事だって出来るはずなのに、ルフィーナには彼のその執着は何か理由があるように思えてならなかった。

 達成目前にして興奮気味のフィクサーに、逆に不安を感じずには居られない。

 そしてやはり……自分はそろそろここを動くべきだとも。

 セオリーに何をされようが、その先に起こるかも知れない事を考えたら放っておけるわけが無いのである。

 あの子が愛している世界とその民を、これ以上弄び踏み躙られない為にも。


「ところでどうしたんだい、その花」


 そこで一人覚悟を決めていたルフィーナを現実に引き戻すフィクサーの声掛け。


「え、あぁこれ? 貰ったのよ」


「だだだだ誰から!?」


「ここに来られるだなんて、あと一人しか居ないでしょう」


 そんな事も分からないのか、とルフィーナは半眼になり呆れ顔で彼を見る。しかしそんな冷たい視線には気付いていないようでただひたすら驚いている黒髪の青年。


「どうして花なんて!?」


「毒の花束持ってきて嫌がらせして、私の怒った反応見たところで喜んで帰って行ったの」


「なるほど……」


 そう言って部屋に置かれた花瓶を見た後、フィクサーは随分散らかっているテーブルの上にも目をやった。

 開いたままの本があるので何となくそれに意識を向けると、花瓶に挿してある白い花が載っているページだったものだから思わず読んでしまう彼。


「死も惜しまず、と、あなたは私を……死なせる?」


 ルフィーナが悩んでいた噛み合わないピース。白い花の意味がそこには書かれていた。


「その花、痙攣性の毒が全草にあるのよ」


「随分本格的な嫌がらせだなぁ!」


 そう、それはとても本格的な……嫌がらせに違いない。


【第三部第六章 セミセリア ~あなたは私を死なせる~ 完】

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