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第三部
34/53

葛藤 ~闘争に彷徨える君~

「フォウが居なくて寂しいんじゃないのか?」


 きっとフォウさんと話した事で少しは気が楽になったのだと思う。あれから私は以前のように皆と接する気力が湧き、そんな私に対してライトさんもレフトさんもその点には触れずに接してくれていた。

 けれど今朝、フォウさんが城からの使いに呼ばれて行ってしまい、この病院ではまた三人での生活が始まる。


「そうですね、あんなムッツリさんでも居ないと寂しいです」


 寂しくないと言ったら嘘になるだろう。素直な気持ちをライトさんに述べた。

 すると彼はやや眉を寄せて私にその金色の瞳を向ける。


「……気になっていたんだが、お前はどうしてフォウの事を急にムッツリ呼ばわりするようになったんだ?」


「え? 実はレフトさんの胸の谷間をね、じーっと見てたんですよフォウさんが。いやらしい目で。とんでもない人です」


「そ、それだけでそんな扱いになるのか……」


 顔を引きつらせながら、何やら私の言い分に反論がありそうなライトさん。

 今日は白衣を着ずにシンプルなスモークブルーのワイシャツの下に白いスラックスを履いている彼の足が、テーブルの下でゆっくりと組まれた。

 現在私達は、レフトさんではなくライトさんが淹れたコーヒーを飲みながらダイニングルームで休憩をしている。日々の過労からだろうか、体調が悪い、とレフトさんは寝込んでいて今日は家事をお休みして貰っているのだ。

 けれどレフトさんの普段やっている事を肩代わりしようとしたら私とライトさんだけではうまく進まずに、こうやって気分転換の休憩中と言うワケである。決して進まない家事からの現実逃避では、無い。


「何かおかしい点でもありますか?」


 言って来ないのでこちらから聞いてみると、やはりライトさんは顔をひきつらせたまま言葉を紡ぐ。


「……思春期の若者なのだから、それくらい可愛い方だと俺は思う」


「そういうものですか?」


「そういうものだ」


 そっか、胸の谷間を見てしまうくらいは可愛い方なのか。ライトさんが言うならそうなのかも知れない、と私は彼の言い分を素直に受け止めた。


「でも、若くないエリオットさんが同じ事をしたら可愛くないですよね?」


「……そうだな」


「分かりました」


 なるほどなるほど。若さ故のうんたらかんたら、と言うのは聞いた事がある。勉強になった!

 じゃあフォウさんをあんな扱いしてしまったのはやっぱり可哀想だったのか。逆ギレするエリオットさんと違って、私が怒った時のフォウさんの反応は随分悲しそうだったし、責めながらも何となく自分でも感じていた後ろめたい気持ちは正しかったのだろう。

 私はパッと顔を上げて、真剣な表情を作り言った。


「うーん、やっぱりきちんと周囲の意見は聞くものですね! フォウさんに今度謝らないといけません」


「お前の中で一体どんな議論が繰り広げられているのか気になるが……まぁ周囲の意見は聞くべきだろう」


 それだけ言って彼はコーヒーを飲み干す。病院内の掃除を中断してのブレイクタイム。

 一人で毎日こなしていたレフトさんは凄すぎると思う。私もそれに追われるようにぐいっとコーヒーを飲んで席を立ち、何も言わずに掃除を再開するべく二人で廊下を歩き始めた。

 しかし……ライトさんの後ろを歩いていると揺れる尻尾が気になって仕方ない。獣人用の衣類はちゃんと尻尾を通せる仕組みになっていて、こんな感じで私も翼を出す部分だけ開いている服があれば、あんな背中全開の法衣を着ずに済むのに、と思う。


「……はっ」


 よく考えてみると、男性のお尻を凝視している私。これはハシタナイ。幸いな事に私の視線に気付いていないライトさんは掃除用具を放置したままの部屋の前で立ち止まってドアを開けた。

 普段使いもしない空き部屋を、それでも急患の為に毎日掃除する。レフトさんほど丁寧に出来てはいないかも知れないが、私達はせっせと手分けして頑張っていた。


 ライトさんは基本的に無駄に話を振ってきたりしない為、沈黙が流れる時は本当にずっとそのままになる。

 ちらりとその横顔を見ても私と目の合う事の無い彼。その自然体さが、私には羨ましかった。私もこのようにエリオットさんに接する事が出来るなら……どんなに良いだろうか。

 参考にならないかも知れないけれど、聞いてみたい。

 沈黙が私にそれをついに切り出させた。


「あの……」


 しかし私が声を掛けた途端、


「客だな」


 獣耳と尻尾がぴくりと反応を示したかと思うと、ライトさんは踵を返して部屋を出ようとする。箒を持ったまま。


「えっ、お客さんですか?」


 相変わらず耳が良いな、と思った。戦闘中、神経を集中させている時ならまだしも、私には普段から周囲のかすかな音に気を払い続ける事など出来そうにない。

 一旦会話も掃除も中断し、慌ててライトさんの後を追う。方向が裏口側だった為、それだけで誰が来たのか予想がつくと言うもの。

 まだ昼過ぎだと言うのにその人はまたしてもお城を抜け出してきたようだった。

 普段よりも短い青碧色のクロークを羽織ったエリオットさんはライトさんをまず見て、次にその後ろに居た私と目を合わせると、


「お、こんな所に居たのか。さっさと準備しろ、出掛けるぞー」


 何の説明も無しにそう言ってくる。


「あ、あの、説明をください、説明を……」


「時間が無いんだよ、取り敢えず着替えて来いって」


 無茶苦茶な事を言う彼の後ろには、蒼白な顔をしたレイアさんと何か似合わない革鎧姿のフォウさんも着いてきていた。


「あ、あんな場所にあんな抜け道を作っていただなんて……」


 レイアさんがそう言いながらぷるぷる震えている所を、フォウさんが宥めている。これだけで何があったか大体想像がつくだけに、レイアさんに同情せざるを得なかった。

 毎度毎度簡単に城を抜け出していて、何かカラクリがあるだろうとは思っていたが……


「もしかして、三人揃って正門以外から出てきたってところです?」


「正解っ」


 腕を組んで何故か偉そうに言い放つエリオットさん。普通ならここで食い下がるが、レイアさんまで抜け道とやらで出てきたと言う事は何か城を通せない事情があるのだろう。


「わかりました、では急いで着替えてきます」


 私は小走りで自分の借り部屋に向かい、法衣に着替えてその上からケープを羽織る。そして、壁に立て掛けてあった赤い剣を腰に携え、部屋を出たところで廊下を白い固まりが通り過ぎるのが見えた。

 固まりは、ねずみだった。多分、ニール?

 こうして見ると確かに病院内をねずみが気ままに走り回る姿はエリオットさんでなくとも不衛生と感じるかも知れない…

 ニールはそのままトトトッと裏口の方へ走って行き、それを追うように私も向かう。


「お待たせしましたっ」


 以前よりは早く着る事が出来た法衣だけど、やはりちょっと時間が掛かった。けれど待ちくたびれた様子を見せる事も無く、上機嫌でエリオットさんは私に笑顔を向ける。


「おー、じゃあ行……って何だ!?」


 そんなエリオットさんの右足に、ぺとんと張り付く白いねずみ。私に話しかけていたものの、彼はそのねずみに驚いてそれどころじゃなくなったようだ。


「ちょ、取れよコレ!!」


 言われるまでも無い、とライトさんが張り付いているねずみを取ろうとするが、実はニールやダインは地味~に怪力だったりする。無理やり剥がそうとしたけれど、エリオットさんの服が破けそうなのでその手を止めるライトさん。


「……これは、メスの方だな」


「めす?」


 そう、ニールがエリオットさんに自らくっつくわけが無い。それにそんな悪戯みたいな事をする性格でも無い。

 となると、ニールではなくダインだったようだこのねずみは。


「急ぎの用らしいんだ、悪戯するんじゃない」


 ライトさんはあくまで冷静に、ねずみの形のままのダインに話しかけていた。傍から見ているとかなりシュール。

 彼の言葉は聞こえているはずなのだが、まるで聞こえていないかのように無視をして、ダインはそのまま服伝いにエリオットさんの体を駆け登り、


「うぎゃっ」


 首元から服の中に入っちゃった!!!!


「な、何してるんです、ダインは?」


「俺が知るか」


 相変わらず手を焼かせてくれる不真面目な方の元武器の精霊に、ライトさんはもはや手を出す気力も無くなったと言わんばかりに、げんなりとした表情を見せる。


「取ってくれええええええ!!」


「い、いや、でもっ!」


 絶叫するエリオットさんを助けたいのだろうが、服の中に手を突っ込むわけにもいかずおろおろするレイアさん。

 一匹のねずみによりプチ混乱状態になった院内は、とてもじゃないが病人に優しいとは言えない環境だった。

 そこへフォウさんが黙ってエリオットさんの前に進み出る。彼は服の上からねずみの位置を把握出来ているかのように迷う事なく手を伸ばし、布越しにダインを掴む事に成功した。


「で、止めたのはいいけどどうやって剥がそうか?」


 ねずみによるさらさらふわふわくすぐり地獄から解放されたエリオットさんは、涙目でフォウさんの腕を見ながら言う。


「っ、麻酔銃、効くか?」


「多分効くだろう」


 ライトさんの返事にエリオットさんは、ゆっくりと左腰のホルダーに手を伸ばしてダインを取り除くべくその銃の引き金に指を沿えた。


「……待った! やめてよね! そういう横暴な事するの!!」


 そこへ、いつの間に変化したのだろうか、エリオットさんの服の中からダインの器の可愛らしい声が辛うじて聞こえてくる。フォウさんの手の中でもぞもぞとまた動くソレに、エリオットさんが悶えた。


「な、何かさっきと感触が……違うんだけど……」


「俺が掴んですぐ人型に変化したんだよ。ほら、喋ってるでしょ?」


「な、なるほど」


 エリオットさんは自分の服を少し引っ張ってその中を覗き見て、また驚いた顔を見せる。

 まぁさっきまでねずみだった生き物が人型に変わっていて、しかも自分の服の中に居たらそんな顔にもなるだろうと思う。


「で、お前はどうして俺に引っ付いてきたんだ?」


 服の中に問いかける彼。それに大して元々最大ボリュームの小さい声を必死に張り上げてダインが答えた。


「ここ暇なんだよね! キミ、面白い事になってそうだから連れてって欲しいんだ!」


「…………」


 エリオットさんは一旦服の中に向けていた視線を私達に戻し、全員の顔を見渡して問いかける。


「これ、多分、大剣の精霊、なんだよ、な?」


 途切れ途切れに紡がれたその言葉に、大きく頷く私達。

 エリオットさんはそれを受けてフォウさんの手ごとダインを掴み、その手を少し体から離したかと思うと、


「ふぎゃ!!」


 べちん! と体に叩きつけて中のダインを潰した。ちなみに、一緒に手を潰されたフォウさんの顔が歪んでいる。そりゃあ痛いですよね。

 そっと彼らが手を離すと、多分服の中でぐったりしているのであろう、動かなくなった膨らみ。


「か、可哀想に……」


 ダインの本性をよく分かっていないレイアさんが口に手をあてて、居た堪れない表情を見せた。しかし同情の余地はダインには無い。

 動かなくなってしまえばこっちのもの、とエリオットさんは自分で服の中に手を入れてダインを掴み取り、ようやく服の中から取り出す事に成功する。

 へろへろしている子ねずみの獣人は意識は辛うじてあるらしく、自分を掴んでいる者にその赤い瞳を向けていた。そして小さく口を動かしたのが見えた、が、ぼそぼそ言っていて私には聞き取れない。

 傍に居たフォウさんと、話しかけられた当人のエリオットさんだけがその内容に反応するように顔色を変え、


「まぁ、着いて来るくらいならいいぜ」


 とダインの要求を呑む。


「本気ですか!?」


 勿論驚いたのは私。レイアさんは何かちょっと嬉しそうだし、ライトさんは無反応。


「連れてっていいか、ライト?」


「別にいいが……その器を壊してしまったらまた精霊がクリスに流れるかも知れないから、扱いには気をつけるんだな」


 一応飼い主に許可を取るエリオットさんに、問いかけられた飼い主はぶっきら棒に答えた。


「分かった」


「いや、エリオットさん……その精霊は私に喧嘩ばかり売ってくるんで、なるべく連れて行って欲しくないんですけど」


 突然連れて行く流れになっているのを必死に抵抗する私。


「そうなのか?」


 キョトンとした顔で私を見つめる彼の肩で、人型のダインが座りながら私に『してやったり』な表情を向けている。

 な、何なのだこの精霊は。私にまた喧嘩を売りたくて着いて来ようとしている? そんなわけが無いとは思うものの、この腹が立つ態度を見ているとそう思えてきてしまう。


「おいねず公、揉めるようならその場で捨てるからな」


「ハーイ」


 気前の良さそうな返事をしたダインだったが、やはりその表情はイラッとする作り笑顔。

 しかし答えた直後にダインの表情はやや曇り、


「って、ねず公って失礼じゃない? ボクにはダインって名前があるんだけど」


「精霊なんぞ、お前もあの槍の精霊も名前なんて呼ぶ気は無ぇよ」


 つまり今後もねず公呼ばわりする、と言っている彼に、ダインはそれほどショックなのか、泣きそうな顔を見せていた。

 ダインの乱入により少し時間が掛かってしまったが、エリオットさんが急いでいる事に変わりは無い。

 病院を後にしてから、私は行き先を知らないまま皆の後ろを着いていく。


「遠出するんですね」


 着いたのは駅。人通りが多い場所では逆に周囲は顔をじっくり見てきたりしない為、いつもそこまで視線を気にしていないエリオットさん。だが構内では人の流れが止まる場所も多々あるので、流石に顔を隠すべく彼は色が濃いめのサングラスを掛け、髪の毛を軽く編んでいた。


「目的地はモルガナだからね」


 切符を買って来たレイアさんがそれを皆に手渡しながら答えてくれる。


「何をしに行くんです?」


「とりあえず乗ろうぜ」


 既に出発直前の列車を指して、ゆったりとした三つ編みを靡かせながらエリオットさんが先に歩いて行った。

 東行きの列車は他に比べてあまり混んでおらず、席に着いたところでようやく私に説明が入る。


「竜の飼育用の第一施設が消滅したらしいんだ」


 まず結論から入るエリオットさんの説明に、唖然とするしか無い私。


「ど、どうして?」


「それを見に行くんだよ」


「そ、そっか、そうですよね」


 それは随分大きな出来事だ。確かに急ぐのも分からないでもない。


「でもどうしてこっそりお城を抜け出してきたんですか? それに偵察ならエリオットさんがわざわざ行かなくとも……」


「既にダーナ側で一旦現状の確認はして貰っているんだ。それで足りないからフォウを連れて確かめに行く。でも今の俺が出ると親がうるさいから抜け出してきたってワケだ」


 私の疑問にすらすら答えてくれる彼。

 確かにフォウさんなら何か見えそうだし、見えたものとエリオットさんの見解を合わせれば更なる情報を得られる可能性は高いだろう。

 急な事ではあったが、自分が呼ばれた理由も納得がいく。施設が消滅、と言うくらいだから何かしら危険がついてまわりそうだし、精霊武器の力が欲しいのだ。

 溜め息を吐いて私は状況を飲み込む。動き出した列車の動きに合わせて少しだけ皆の体が進行方向と逆に揺れた。

 私の隣に座っているレイアさんを見ると、その表情はかなり浮かない。エリオットさんの脱走に付き合っている時点で彼女の心労は計り知れないものだと思う。


「レイアさん、大丈夫ですか?」


「あ、あぁ。ありがとう」


 私の声掛けに弱々しく反応するレイアさん。そんな彼女を見てその向かいに座っているエリオットさんが不満そうに述べた。


「何だよ、ちゃんと俺が居ない事がバレないようにしてきたじゃねーか」


「いや、でもアレじゃ別の問題が出てくるよね?」


「アレ?」


 フォウさんの口から出た言葉に私は疑問を投げかける。するとレイアさんが静かにその『アレ』を語り始めた。


「王子は、来訪しているダーナの姫を部屋に残して、自分が居るように誤魔化せと命じて出てきたんだよ……」


「お、お姫様に!」


 どれだけ他人を自分勝手に使うのだこの王子様は。思わずエリオットさんに目をやると、彼は私達の会話など興味無さそうにねずみの形になっているダインを触っていた。


「私に変装させた妹を置いてきたので、基本的に部屋に入るのは妹になるとは思うが……」


「が?」


「ダーナの姫が一晩以上王子の部屋に居続けると言うのが問題なんだ……」


「はぁ」


 何故それが問題なのだろう、と首を捻って気の抜けた反応をする私に、フォウさんが小さな声で言う。


「クリスに分かるように直球で言うと、この誤魔化し方だと、実際王子様は部屋に居ないとはいえ、周囲には男女が二人きりでずーっと部屋に篭もってるように受け取られるのさ」


「ふむふむ、そうですね」


「半日ならまだしも夜を明かしてまで出てこない二人って考えると、結婚前だって言うのにえっちな事してるって勘繰られちゃうよね」


「……だ、大問題です」


 エリオットさんについては今更かも知れないけれど、お姫様がそういう目で見られるのがとってもマズイと言うのは良く分かる。別に令嬢でも何でも無い姉が婚前交渉をしたと聞いただけでもトンデモナイと思うのに、それをお姫様が、だなんて考えると……


「うわぁ……」


 レイアさんが頭を抱えるわけだ、私自身も自分でどんな表情をしているか分からないくらい顔の力が抜けてくるのが分かった。


「だってずっと俺が出てこないだなんて不自然だろ? でもそこで女と部屋に篭もってるって思わせればいつも通りで誰も疑わないし、邪魔しようともしない。これ以上の案は無いと思うぜ」


「そういう問題じゃないですよね」


 全く、周囲がこれだけ呆れていると言うのにそれに気付いていないのか、気付いていてスルーしているのか。

 多分後者なのだろうなぁと思いつつ、私はじと目で彼を睨んだ。すると、ずっとダインを見ていたエリオットさんの目がちらりと私と合って、その目はどこか悲しげに細められる。


「そう睨むなって。逃げ場が無くならないと逃げたくなるからな……手を出したと思われれば相手が相手だけに後戻り出来ないし、これでいいんだ」


 彼が静かにそう言うと、レイアさんもフォウさんも真面目な顔をして押し黙ってしまう。確かにそういう顔になってしまうような雰囲気でエリオットさんは話していた。

 自分で自分を追い詰めているような、そんな印象を私は抱く。


「姉さんを追いかけた時みたいに……お城を出ちゃえばいいじゃないですか」


 何を言っているのだろう、私は。

 思わず口を出た言葉に自分でも驚いてしまう。けれど一度出てしまった本心は、堰を切ったように流れ出る。


「逃げたくなるくらい嫌なのに、何で逃げないんです?」


 揺れで軋む列車の窓の音と私の声だけが、この室内に響いていた。

 何で逃げないのかと問いかけたものの、自分でその言葉の内にある意味を分かっている。私は逃げて欲しくてこんな事を言っているのだ、と。


「姉さんが居ないから、人生投げちゃってるんですか?」


 なのに私は彼を責めていた。私にこんな事を言う資格も無いし、エリオットさんは私にこんな事を言われる筋合いも無い。

 分かってるのに、


「何だか、エリオットさんらしくないです」


 自分勝手な言葉をぶつけている。

 でもエリオットさんは怒らなかった。それどころか酷く優しい声色で私を宥めるように言う。


「お前も随分お前らしくない事を言ってるな」


「……っ」


 その通りだった、こんなの全然私らしくない。と言うか、最近の私はおかしい。その理由を分かっているだけに、胸が詰まって……凄く息苦しい。

 怒られた方が余程マシに感じられる。最近エリオットさんがあまり突っかかってこないお陰で、自分の情けなさが際立って自覚させられてしまうのだ。


「ローズはさておき、俺ももういい年だしな。いわゆる年貢の納め時ってヤツか? それと……そんな事、レイアの前で言うもんじゃないぜ」


 黙ってしまった私の態度とその場の空気を和ませるように軽口を叩いて彼は笑う。その気遣いが逆に辛い。

 折角エリオットさんが和ませようとしてくれているのに、落ち込んだままの私の心。自然と俯いてしまった私は自分の膝をじっと眺めていた。

 そこへ、視界に入ってくる手と、その手の中にある小さな紙包み。


「?」


 顔を上げると、フォウさんが真顔で言う。


「あげる」


 そして膝の上に紙包みが残された。その包装をゆっくりと解くと、中から出てきたのは黄色いしっとりとした生地に飴色の焼き目のお菓子。


「これ……」


「カステラだよ。ポイント貯めようと思ってお菓子持ってきてたんだ」


「な、何だ、ポイント?」


 ポイント制度を知らないエリオットさんが、口元を引きつらせてフォウさんを見る。


「まぁついでだから皆にもあげるね」


 そして荷物から取り出して配るフォウさん。


「い、いただきます」


 レイアさんは配られた紙包みを広げて、苦笑しながらも私より先に食べ始めた。私もそれにつられて、目の前の山吹色のお菓子を頬張る。むぅ、美味しい。

 しかし甘くて喉が渇いてきて、


「ありがとうございます、出来たら飲み物も欲しいです」


「え、それは俺に買って来いって事!?」


 笑ってるんだか怒ってるんだかよく分からない顔をしてフォウさんが叫んだ。

 勿論別にフォウさんをパシりにしたいわけではなく、純粋に飲み物が欲しくて出ただけの言葉なので私は訂正の意を込めて答える。


「いえ、お金を頂ければ自分で買ってきます」


「ううん……俺が買って来るよ」


 すっくと席を立ち、フォウさんは部屋を出て行った。

 美味しい物を食べてほんわかした気分に、私は彼の出て行った車内のドアを眺めながら誰に向けるわけでもなく微笑む。


「おいレイア、俺は今凄くアイツに負けた気分だ」


「実際負けたんじゃないでしょうか、彼と言うよりは……食べ物に」


 しかし折角美味しいカステラだと言うのに、エリオットさんは先程までの私に見せていた優しい笑みをしかめっ面に変えながら、食いちぎるように齧り付いていた。

 全員がカステラを食べ終えたところで車内の部屋のドアが開き、フォウさんが紙カップを四つ乗せたプレートを手にようやく戻ってくる。


「お待たせ」


 一人ずつ手渡された飲み物は、グリーンティーっぽかった。既にちょっと甘ったるさが消えかかっていた口の中に水分を流し込み、ふぅ、と一息吐いたところで私は言おうと思っていた事をここで切り出す。


「そういえばフォウさん、今まで酷い事ばかり言ってすみませんでした」


「え?」


 私の突然の謝罪に、フォウさんだけでなく他の二人も顔をこちらに向けた。


「私……ちょっと価値観がズレている部分があったりしまして」


「うん、ちょっとじゃなくて盛大にズレてるのはよく知ってるけど」


「それでライトさんが、フォウさんはムッツリじゃなくて可愛いんだって教えてくださったんです」


「ぶふっ」


 お茶を飲んでいたフォウさんが吹き出して、自分の膝の上をしっとりと濡らす。そりゃあもう勢い良く。


「おい、汚ぇぞ」


「だだだだって」


 そうツッコミながらエリオットさんはフォウさんから少し距離を離すようにお尻をずらし、そこへレイアさんが荷物からタオルを取り出してフォウさんに手渡していた。

 清潔そうで何やらやたらと可愛らしいデザインのタオルを受け取り急いで膝の上を拭くと、改めて私の話を聞く体勢になる彼。


「……先生が、俺を可愛いって言ってたの?」


「はい。だからムッツリだなんて呼んでいて申し訳無かったな、と」


 ようやく謝る事が出来て良かった、と私は自分の気持ちが楽になるのを感じた。謝罪と言うものは相手の為ではなく自分の為、と誰が言ったか。それをひしひしと実感する。

 そこで皆の顔を見渡した私は、何故か私以外の三人が怪訝な表情になっている事に気がついて驚いた。

 そんな顔をされるような会話を今していたつもりは無いのだが……


「うぅ、誤解が解けて嬉しいのに、何だろうこの腑に落ちない感は」


「クリスの中では繋がっているんだろうが、聞いているこっちはうまく繋がらないからな、この説明じゃ。レイア、同じ女なら翻訳してくれよ」


「むっ、無茶言わないでください王子! 私にだって分かりません!」


 ひどくないだろうか、この扱い。

 三人のその会話に私が混ざるスペースなど微塵も無く、ぷくっと頬を膨らませて見た目で皆に抗議してみた。

 すると最初にそんな私に気がついたレイアさんが、凛々しい瞳を和らげながら私に優しく告げる。


「すまないねクリス、可愛いとムッツリではなくなる理由がちょっと分からなかったんだ。決して馬鹿にしているわけじゃないんだよ」


「ごめんなさい、それも何となく馬鹿にされている気分です」


 そこでワハハとエリオットさんが品の無い笑い声を上げ、


「っつーかライトがフォウを可愛いって言う状況がもう想像出来ねーんだよ! 絶対どこか捻じ曲がってるよなコレ!」


 腹を抱えてバシバシとフォウさんの肩を叩いて絡んでいた。ちなみに彼の肩にいるダインが、普段のニールと同じように耳を塞いでいる。

 これから真面目な事をしに行くはずで、本来ピリッとしなければいけないはずの空気がそれとはとても似つかわしくないものへと変わっていた。これは私のせいなのか、それとも皆自身も気を紛らわせたいのか、どちらなのかは分からない。

 ただ、とにかく私が馬鹿にされているのは間違いないと思う。


「前もこんな事あったんだよね、状況が理解出来ないの」


 空になっている紙コップを窓際に出ているテーブルに置いて、フォウさんが苦笑いをしながら言った。


「何か言いましたっけ、私……」


 そんなに私の言葉は分かり難いのか。

 だんだん不安になってきて問いかけると、青褐の瞳を私ではなくエリオットさんへ向けて彼は話し出す。


「クリス、前に王子様が『ギュルギュル言ってた』って力説してた事があってね。でもどう考えても聞き間違いだよね」


「……どういう状況で俺がギュルギュル言わなきゃならないんだ。何の鳴き声だよ」


「っく……」


 吹き出しそうになるのを必死に堪えるように自分の膝を抓り始めるレイアさん。


「もー、皆して!! 確かにエリオットさんはギュルギュル言ってました!」


「いつどこで俺がそんな事言った!」


「ニザで川に突き飛ばされた時!!」


 そこまで言った瞬間だった。私と顔をつき合わせて叫んでいたエリオットさんの顔が固まったかと思うと、みるみるうちに耳まで赤くなっていく。


「…………」


「え、エリオットさん?」


 急に黙ってしまった彼に視線が降り注ぎ、それらと目を合わせたくないかのようにサングラスの下の目が泳いでいた。

 その反応はまるで……


「やっぱりギュルギュル言ってたんですね!!」


「言ってない! お前の聞き間違いだ!!」


 うがーっと叫んでそれを否定するものの、一体どんな言葉を聞き間違えたらギュルギュルになるのか、流石に私もそこまで酷い耳をしていないと思う。じゃあ何て言っていたのか、と尋ねても彼は全く答えず顔を背けるばかり。

 わいわいぎゃあぎゃあやりながらの半日列車の旅は、あっという間に過ぎて行ったのだった。

 もう空は暗い頃、モルガナに到着する直前でレイアさんからまたしても猫耳のヘアバンドを貰って、それを装着した私は皆の先頭をきって列車から降りる。


「ふー、乗り物って疲れますねぇ」


 王都の駅の構内よりも乾いた空気が頬を撫で、風によって流れてきた砂埃が足元に薄ら積もっていた。

 比較的空いている構内で私の声が響くと、続いて降りてきたレイアさんが言う。


「目的地はこの街の東の外れだよ。馬を使うほどでも無いから少し歩く事になる」


「本当なら一晩明けるのを待って現地を確認したいところだけどな、それだと痕跡が消えかねないから今から行くぞ」


 足早に駅を出て、往く人とすれ違いながら外れに向かって行く私達。私は方向を把握していないので、折角最初に列車から降りたにも関わらず、気付くと最後尾を歩いていた。

 歩きながら見渡す街並みに、懐かしさとちょっとの心苦しさを感じる。この街で先日争ったのかと思うと、あの時の彼らの思いを、分かりもしないのに想像してしまうのだ。

 彼らの言っていた通りこの国は反乱を起こされても仕方がなくなっていて、それなのに私は国の良い面しか見えていなかったのかも知れない。悪い面を垣間見た今なら、そう思える。

 エリオットさんはそれらを知っていたからこそ、各地訪問なんて大変な事を始めたのだろう。勿論他にも遺物収集と言う別の目的はあったけれど、それをする為だけに思いついた方法にしては随分大掛かりで違和感がするからだ。

 普段は自分勝手で不真面目なのに、最後の一線でしっかりしているんだよなぁ、とクロークを靡かせて前を歩く彼の背を見つめる。


「腐っても王子様、か……」


「誰が腐ってるって?」


 つい思っていた事が口に出てしまった。私の呟きにエリオットさんは振り返って、半眼でこちらを睨みつけている。


「エリオットさんがです」


「いや、そこは誤魔化そうぜ」


 でもやっぱり彼は怒らない。以前なら絶対怒っている私の言葉に突っ込みつつも優しく笑いかけてきて、私を待つように立ち止まったかと思うと


「失礼なやつだな」


 そう言いながら並んで歩き始めた。それだけの事なのに、どうしてこんなに嬉しいんだろう。不思議だ。

 今彼が隣に居る、この時間が、ずっと続けばいいのに。勿論そんな願いなど叶うはずも無い。そう思うと嬉しさが途端に苦しさに変わっていった。

 だんだん街の明かりが少なくなってきて暗い闇の中、苦しさを紛らわすようにそっと彼の服の裾を掴んだところで目的地に到着してしまう。


「本当に何もありませんね」


 先に歩いていた二人はこちらに振り返る事無く、だだっ広い荒野を見渡していた。確かに何も無い、と言うかここにニザで見たような施設があったとも思えない。

 エリオットさんは、裾を掴んでいた私の手を外させるとフォウさんの方にすたすたと歩いて行ってしまう。


「おい、何か見えるか?」


「見えるも何も……」


 口元を手で押さえながら震えた声で彼は答え、口篭もった。

 その顔色は青褪めていて、何かがきっと見えているのだろうと思う。だがその後に続いた彼の言葉は、そんな私の考えを打ち消した。


「……この地が纏っているはずの色が、この場所だけ切り取られたみたいに何も無い」


「どういう事だ?」


 エリオットさんの問いにフォウさんが静かに付け加えて話す。


「普通はね、その土地そのものが纏う色ってのが漂っているんだ。けれど、それが無い。こんなの今まで見た事無いよ」


「本当の意味で、消滅、なのか……?」


 しかし消滅と言うよりは足元には若干の焼き焦げた痕が見え、私は何となく消滅ではなく焼失を思い出した。そう、レヴァの司るものを。ややこしくなりそうだったので口には出さなかったが、不安に駆られて剣の柄を握る。


「でも多分魔術だ、発動時の紋様に近い痕跡は少し焼きついて見える」


 するとフォウさんはちょっと重そうにしながらも腰の剣を抜いて地面に線を描いていく。


「地面に焼きついてる分だけでも見えるように削っていくよ。随分大きい」


「だけ、って事は他にもあるのか?」


「うん、空中にも見える。でもそっちは示しようが無いから……」


「つまりは三次元的に紋様が刻まれている、と」


 そこで、必死にがりがりと硬い土を剣で削っていた彼が音を上げ始めた。


「大きすぎて正直描くのしんどいんだけど!!」


「甘えた事言ってないで早くやれ!」


 普段長剣を扱っていないフォウさん的には、持つのも一苦労なんだろうなぁ、と眺めていて思う。エリオットさんに叱責されながら一人頑張るフォウさん。手伝ってあげられないのが申し訳ない。

 手が空いているので私はこの暗闇の中で何か紙を開いて唸っているレイアさんに近寄って少し話しかけた。


「何を見ているんですか?」


「あぁ、ここにあった施設の詳細なんだけどね。暗いものだから実は見ているようで見ていなかったりするんだ」


 と、彼女は苦笑い。

 鳥人だから夜目はあまり利かないのだろう、かわりに私が見てあげようかと思ってその書類に一緒になって目を通したが、見えるものの読み方が分からなくて即諦める。


「……エリオットさんに渡した方が早そうですね」


「私もそう思っていたところだよ」


 周囲に何も無さすぎて、たまに吹く突風が書類を飛ばしそうになり、そんな風に逆らいながらレイアさんが書類を手渡した。

 それを受け取ってエリオットさんは少し目を通した後に、手から光を放ち始める。その光は彼を包んだかと思うとその背に羽のように模って浮かび上がり、そのままエリオットさんの体をふわりと宙に浮かせた。

 レイアさんがその光景を、唖然としながら見上げる。


「あれが……今の王子の力だと言うのかい」


 魔術でも魔法でも無いその能力に、彼女はしばらく固まっていたが、ふと気がついたようにその瞳を曇らせて嘆き呻くように呟いた。


「必死に、なるわけだ……っ!」


 エリオットさんの心情を愁いてか、こみ上げてきた感情に耐えるように歯を食い縛る、焦香の髪の鳥人。

 私の体を普通に戻してくれた彼が、今度は自分の体を玩具のようにしたと思われる相手を恨み、やり返そうとしている。便利な力かも知れないが、それによって巻き込まれている事態があまりに大きすぎていた。

 ゆっくりと自分の身長の五倍くらいまで浮いたところでエリオットさんは地図と地面を交互に見ながら何やら悩んでいる。ちなみに体勢はまるで何かに座っているかのように足を組んで浮いていた。


「フォウ! もう手を止めていいぞ!!」


 上空から叫ぶ彼の声に、フォウさんはほっとした表情を見せて動きを止める。


「何か分かったのー!?」


「半分しか分からん!!」


 そしてまた降りてくるエリオットさんの周囲に集まる私達。


「フォウが描いていたのは上から見ると、そのままこの施設の形だったんだ」


「……そんなものが魔術紋様に成り得るんですか?」


「なる」


 そんなの習った事も無い、と私とレイアさんはお互いの顔を見合わせた。闇の中で、エリオットさんの魔力の光がいい具合に明かりの機能を果たし、見やすくなった書類。

 だがそれも必要無いと言うように彼はそれをレイアさんに返して、魔力を放出するのを止めたかと思うと今度は俯きながら地面をじっくり観察して歩き回り始める。


「紋様として焼きついて見えたのが建物の形ならば、それが魔術紋様なのは間違いない。だが、この形で何が出来る、もう一つが……足りない」


 ぶつぶつと独り言を言いながら夜に融けていくエリオットさん。何かよく分からないが、とりあえず考え事の邪魔をしてもアレなので私は彼と別の方向に歩いて周囲を観察した。

 と、この荒野で比較的街に近い位置に大きな亀裂が走っているのが見えて近寄ってみる。


「これ、何です?」


「あー……そういえばダーナからの報告で、亀裂があったって言ってたなぁ」


 フォウさんも近寄ってきて、私と一緒になって覗き込んだ。その亀裂は底が見えないくらい深く、手が入るか入らないかの細さ。


「この亀裂には随分と憎悪の色が残ってるよ。一体ここで何が起きたんだろうね」


 私よりちょっと上の位置から地面を見下ろしていた彼の顔を見上げると、その表情が辛そうに歪んでいた。普段が優しげなだけに、フォウさんが表情を崩すと心配で落ち着かなくなる。


「だ、大丈夫ですか?」


「うん……あまりいい色じゃないからちょっと気分悪かっただけ」


 そう言った彼の表情は、そういえばたまに見るものだ、と思った。時々フォウさんはこんな感じで嫌なものを見たように渋い顔をする。

 不快な色ってどんなものだろう? そんな疑問を纏わせた視線を彼にやると、その眼光には暗い色が走っていた。


「だめだ、わからん」


 そこへお手上げ状態でレイアさんと一緒にこちらに寄って来るエリオットさん。折角来たのに収穫無しと言った状況に、流石の彼も表情を曇らせている。


「結局どこまで分かった感じなんです?」


 問いかけに対してエリオットさんはサングラスをちょっとずらして目をこすりながら答えた。


「ほぼ間違いなく魔術での干渉なんだが、既存の紋様を使ってない事からしてビフレストの仕業だとは思う。だが……ビフレスト自身は魔術は使えないはずなんだ」


「そ、そうなんですか?」


 エリオットさんは普通に使っている気がするけれど、私が近寄るのも苦手なタイプのビフレスト達は使えないのか。確かに使っているところを見た事は無いが、何故それをエリオットさんが知っているのだろうか。

 以前にビフレストと会った時に聞いたか何かか、実際のところは分からないまま取り敢えず置いて、話の続きに耳を傾ける。


「アレらは体に、何も無いからな」


「何も、無い……?」


 よく分からないけれど、体に何も無いと魔術が使えない、と彼は言っていた。魔術の勉強は少ししたものの、聞いた事の無い理屈にこんがらかる。

 そんな私に気付いたのか、フォウさんが分かりやすく説明を入れてくれた。


「前に言った事無かったかな。あのレクチェって人もビフレストだったよね? 彼女には何も見えないんだよ。多分王子様が言ってるのはその部分だと思う」


「何も見えない……」


 フォウさんとレクチェさんが対面した時なんて随分前の事なのでうろ覚えでしか無いが、そういえばそんな事を言っていた気がする。

 私同様にそこまで魔術や魔法に詳しくなさそうなレイアさんと一緒に一生懸命考えてみるが、


「よ、よく分かりませんがとにかく敵の一人は魔術を使えない、と言う事でしょうか」


 ついに彼女は考えるのを諦めて、とにかく結論だけを確認しだした。


「あぁ、それでいい。このあたりの事は学会ですら正しい説がどれだか分かっていないくらいの内容だからな。知らないのも無理は無いし理解しろとも言わん……」


 多分そろそろおねむの時間なのだろう、エリオットさんの目の焦点が合わなくなってきている。それでもしっかりとレイアさんの問いに答えている彼を手助けするように、またフォウさんが付け加えてくれた。


「王子様が言った説が一番有力ではあるんだけどね。それが正しいと仮定すると、きっとあのビフレストは魔術を使えない事になるんだと思う」


「ははぁー」


 賢い二人の話に、溜め息しか出て来ない。このテの事には疎いのであろうレイアさんの表情が固まっていた。私も事前にビフレストについての知識をある程度聞いていなければ彼女のように固まっていたと思う。


「普通の人間だったのをいきなり作り変えられたレクチェは、多分その部分をうまく作って貰えなかったんだろうな。だからそれらを踏まえて後から作られた俺は……魔術も普通に使えるし、同時にビフレスト特有の力も使えるんじゃないかと思う」


「な、なるほど」


「そうだね、俺の目から見ても王子様は普通に見えるからね」


 確かに、私にもエリオットさんはビフレストには感じられない。力さえ使わなければ……普通のヒトにしか見えないのに。


「こんなところで寝るわけにいかないから……そろそろ宿に行くぞ」


「はい」


 夜、一度寝てしまうと当分起きないエリオットさん。勿論それはこの場でも同じ事が言える。一瞬意識が飛んだ、と表現するような睡眠でも、エリオットさんはそこから目を覚まさなくなってしまうのである。つまり、眠くなってくると歩いていても時々急にぶっ倒れてくださるのだ、この王子様は。

 護衛の間で何度かソレに遭遇している私と違い、レイアさんやフォウさんは彼の言葉を本来の意味で受け取っていないようで、苦笑いを浮かべながらエリオットさんを見ていた。

 と、エリオットさんはもう寝る直前みたいなとろんとした顔で、ちょいちょい、とフォウさんに手招きする。


「何?」


 誘われるがままに近寄ったフォウさんの後ろに回ったエリオットさんは、彼の肩に手を回して後ろから抱き締めて被さるような体勢になった。


「えっ!?」


 男に抱きつかれて驚くしか無いフォウさんの耳元で、彼が囁く。


「……やっぱり倒れそうだから、もう先に寝るわ」


 その瞬間、フォウさんを抱き締めていた彼の腕が緩み、ずるりと体が下がってきた。咄嗟にフォウさんがそれを両手で受け止めて、完成するおんぶ状態。


「ちょ、な、何なのコレ……」


 そう言った彼の声がか細く震えている。説明無しにおんぶを強要されたフォウさんは、貧しい筋肉で必死に自分と同じ身長の男性を支えていた。


「ごめんなさい、以前は私が担いでいたんですけど……もうそんな腕力無くなっちゃって」


「この状況って日常茶飯事なの!?」


 がに股に足を開いてしっかり腰を落としつつ、丁寧に私にツッコミを入れてくれる。しかし表情に余裕は無い。

 レイアさんも駆け寄ってきてはエリオットさんの熟睡っぷりにぽかんと口を開けて眺めていた。勿論、頬を突かれたところで起きるはずの無い彼。


「クリスは王子がこんなにすぐ寝てしまう人だと知っていたのかい?」


「はい。城内と違って、外だと不安だったんでしょうね。夜はすぐ傍で見張っているように言われてました」


「王子に?」


 その問いに静かに頷くとレイアさんはぐっと唇を噛み締めて、またエリオットさんの寝顔を見つめる。この様子だとレイアさんは彼の悪夢の事も、揺すったところで朝まで一切起きない事も聞いていないのだろうな、と私は感じ取った。

 そろそろエリオットさんが呻き始めてもおかしくない。フォウさんの体力的な意味でも早く宿に行かなくてはいけないので、驚きを隠せずにいる二人に促す。


「とりあえず宿に行きま、しょ……」


 そこへ、荒野に突然二つの影が現れた。

 片方は見間違えるはずの無い、その長身。フォウさんとレイアさんの後ろに見えたソレに、私は思わず二人の間を掻い潜って駆け抜け、剣を抜く。


「クリス!?」


「っおぉぉ?」


 レイアさんの声と私の荒い足音に気付いて、影の片方がこちらに振り返り状況を把握したように声を洩らす。男性にしては少し長い黒髪。そして深い漆黒の瞳。どこかで見た覚えがあるような、整っていながらも特徴を言い表し難い顔立ちに一瞬引っかかるが、今はそれよりも……


「セオリィィィィ!!!!」


 その男の隣に居る、赤い瞳の宿敵にレヴァを振るった。

 私の怒りに反応するように赤い光を帯びた剣を、セオリーはナイフで受け止める。ニールの時同様、精霊武器ですらも受け止めてしまうその上等そうな短剣に、私は舌打ちをしてもう一度斬りつけた。

 しかしそれも流されるように受け止められ、剣刃の向かいでにやりと笑うセオリー。


「槍の頃の方が、お上手でしたよ」


 多分腕の差なのだろう。最初に出会った時も槍相手にナイフで応戦していた彼だ、生半可な腕では無いように思う。

 しかし無我夢中で振るわれる精霊武器を受けているそのナイフが、少しずつではあるものの削れていた。このまま続ければ勝てる……そう思ったが、その事に気付かぬセオリーでは無い。


「仕方ありませんね」


 彼はそう言って、攻防の合間にも関わらず左手でもう一本のナイフを取り出し、二本をクロスさせて一気に私の剣を押し払った。

 直後、氷の魔法の矢を数本放ってきて私との距離を取り、


「あちらを見なさい」


 私に告げる。

 セオリーから視線を外したくはないが、何を見ろと言われているのか想像がつくため、悔しさを堪えながらも彼の示す方に目を向けた。

 そこには先程私がいきり立って置いてきてしまったフォウさんとエリオットさん。そしてほぼ動けない二人を護りながらでは太刀打ち出来ないと悟ったのであろう、二人を庇うような位置に立ちながらも、大人しく投降するように手を上げているレイアさんが悔しそうに立っている。その向かいには、先程の黒髪の男がすぐにでも魔法が使えるような体勢で相まみえていた。


「何も考えずに向かってきて……ああなるとは思いませんでしたか?」


「くっ」


 セオリーの言う通りである。この男の顔を見た瞬間に思わず手と足が出てしまったが、普通に考えたらエリオットさんとフォウさんがあの状態でこちらから仕掛けるなど無茶な話だったのだ。

 自分の思慮の無さに苛立ってきて、不安定になる心情。


「いやー……この時間でこの場所に人が居るだなんてな。しかもコイツらが」


 黒髪の男が緩い雰囲気で喋ると、それに対してセオリーが声を上げた。


「だから言ったでしょう、事前に確認してから空間転移すべきだ、と」


 仲間と言うよりは友達と表現した方が合っているような会話。彼らは人質を取る事ですぐにこちらの動きを封じ、安心したようにちらりと私へ視線を送る。

 黒髪の男は、この暗い場所では更に見難い黒いスーツを着ていて、見た目だけならば戦う側の者には見受けられなかった。元から怪しさ全開のセオリーとは違い、街ですれ違ったとしても絶対気にも留めないような自然過ぎる佇まい。

 だが、


「剣を仕舞え、サラの末裔」


 そんな男が急に私に命令してきたその言葉は、ついさっきまでの印象を百八十度変えさせてくれる、思わず後ずさりしてしまいそうになるほど深く重い声色で紡がれた。


【第三部第四章 葛藤 ~闘争に彷徨える君~ 完】

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