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第三部
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第三部 introduzione ~振り回される彼の視点~

 始まりは火と氷。氷に火が触れるとやがていくつかの生命が生まれ落ちた。神はその生命を使い、大地を、川を、雲を、空を、星を創り出す。そして一つの大樹にそれらを植え付け、構築される世界。

 その創世の様は、まるで俺が魔力で何かを作り変えたりする時の様子によく似ていた。

 太陽と月が狼に追われながらその周りを駆けて恵みを零すと更に世界は豊かになる。小さな命がいくつも芽生え、今のこの大陸とほぼ変わらない光景。


 更にミーミルの森の大樹の三つの根は、この大陸を支えるほどまで深く伸びていた。最初はいくつもの世界がその大樹で繋がれていたが、いつしかそれは女神の手によって、必要ない、と次々に減らされていく。

 この大陸はその上から三番目。最後に残ったこの地は周囲を巨大な蛇で囲まれていてそこから出る事は適わない、死と隣り合わせの地。

 大樹はミーミルの泉水の力を借りてこの大陸に雨を降らせ、全ての川は巨大な蛇に流れ着いてその渇きを癒していた。この循環が途絶えた時、きっとこの世界は蛇によって滅ぶのだろう。


 二羽のワタリガラスは神に世界の様子を伝え、それを元に神はカラスに指示をする。神と女神の考えの不一致による仲違いは続いていたが、それでもどうにかうまくいっていた長い長い歴史。

 けれどそれを破ったのは女神の死だった。彼女の死によってこの世界に降り注ぐ女神の遺産。彼女の体の様々な部分が、当人の想いを受けて朽ちていくように順々と変化していき、ソレが創られていく。

 元となったパーツや創られた順は違えど、いわゆる女神の遺産と呼ばれる全てが元は彼女自身なのだ。そして……その末裔と呼ばれる種族すらも。


 有り得ない! 有り得ない!! 有り得ない!!!


 理解が出来ない、したくない、見たくない。


 こんな次元の歴史なんて、受け止めきれない。


 何よりも女神の末裔が、クリスがそんな存在であるだなんて……


 やめてくれ、


「――――っ、もう無理だ!!!!」


 自分の声で俺は目を覚ます。天井は真っ白、間違いなく病室だろう。そんな夢を見て汗だくになっていた俺の隣に居たのは……水色の髪の、少女。

 俺の叫び声にも起きる様子は無く、気が抜けるくらい安らかな寝顔のクリスは俺の枕元ですぅすぅと寝息を立てていた。


「っつーか、近ぇ」


 今俺は枕に頭を乗せたまま右側に顔を向けていたわけだが、そのほぼ真ん前にクリスの顔が見えている。その距離、げんこつ一個分あるか無いか。

 叫んだ本人が自分で起きてしまうほど叫んだにも関わらず起きないのなら、ちょっといじったくらいじゃ起きないんじゃねーのコイツ、と邪な考えが過ぎった。

 が、残念な事にそこへ病室のドアが開く音がする。

 バッと慌てて入ってきたような物音と、その後に続く声。


「目が覚めたのですか!?」


 レイアだった。多分俺の叫び声が廊下まで響いたのだろうな、黒い軍服姿の彼女はドアとこのベッドを遮っているカーテンの敷居をどかしながらこちらにやってきた。

 で、来るなりビックリした顔をし、


「ねっ、寝てる!」


 椅子に腰掛けつつ俺の枕元に頭を置いて、一向に起きる気配の無いクリスに叫ぶ。


「寝てるなぁ、どう見ても」


「室内の護衛を頼んだのですがまさか寝ているとは、緊張感の無い……」


 レイアは琥珀の瞳を伏せて右手で頭を抱え、溜め息を吐いた。無理も無い。

 俺はレイアに向けていた顔を再度クリスに移し、その顔をじっと見る。閉じているその瞼が少し赤く腫れぼったいように見え、多分泣き疲れたんだろうな、と思わせた。

 気を失う前の事は何となく覚えている。痛みだけで気を失うかと思うくらいすんげー痛かったけど、クリスがすぐに俺の腕を解放してくれたおかげでどうにか修復が間に合った首の傷。必死に修復していてクリスにまで視線は向けられなかったが、その叫び声だけは否が応にも聞こえてきた。

 気が狂ったのかと思うような、声。

 それほど俺が斬られたのがショックだったのだろうか、まぁすんごい血だったし俺自身も衝撃ではあったが。


「俺が倒れてからどれくらい経ってるんだ?」


 まだちょっとふらふらする頭で、それでも頑張ってレイアに聞いてみる。すると予想外の返答が返って来た。


「一日も経っていませんよ」


「マジで!」


 何だ、じゃあ大した事無いな。

 そう思って俺は体を起こそうとする。しかしその瞬間ぐらりと目の前が歪んでうまく体が動かず、起きる事は適わなかった。


「無理をなさらないでください」


「……分かった」


 正直なところこの城には居たくないが、動けないものは仕方ない。動けるようになったら行動を起こせばいい。そう、不本意とはいえ折角ここに戻ってきたんだから直接、な。


「王子が目覚めたとなると王や王妃も会いに来られるでしょうから、一旦クリスは連れて行きます」


 そう言ってレイアはポカッとクリスの頭を叩いて起こす。護衛を頼んだのに寝ていたクリスへのお仕置きと言ったところだろうか……まさかそんな起こし方をするとは思わず俺は呆気に取られてその様子を見つめた。

 攻撃的な睡眠妨害をされたクリスは、目をごしごしと擦りながらその頭を上げる。そして俺と目が合うなり、


「っ! お、起きたんですね!!」


「おう、おはよう」


 俺の目覚めを喜ぶと言うよりは随分と驚いた様子で、寝惚けていた目を一気に見開いたクリス。


「あ、あの……」


「ん?」


 俺は寝たままで、何やらもごもごしているガキんちょに出来る限りの優しい顔を向けてやる。

 俺の目を見たり見なかったり、挙動不審なクリスはしばらく両手の人差し指でぐりぐりと手悪戯しながら時間を引っ張って、


「すみませんでしたエリオットさん!」


 何故か謝った。


「え?」


 俺もよく分からんし、レイアもよく分からん、そんな表情。ただ当人は凄く申し訳無さそうに言葉を続ける。


「ま、まさか本当に言う時が来るとは思いませんでした。エリオットさんはフォウさん並の預言者です……」


 本っ当に意味が分からんぞー。


「な、何の事だよ」


 俺はレイアと顔を見合わせて、その後二人で再度クリスの顔を見た。クリスは顔を真っ赤にして俯き、俺の問いには答えようとしない。それどころか、


「じゃ、じゃあ失礼します!!」


「え、あっ、おい!!」


 言うだけ言ってさっさと病室を出て行ってしまったでは無いか。

 俺としてはもうちょい、何つーの、嬉しくなるような反応を見せて欲しかったのだが……


「クリスの反応にガッカリした、と顔に出ていますよ、王子」


「ぶっ」


 位置関係的にそうなっているだけだと思うのだが、半眼でレイアが俺を見下げながら言う。コイツは俺の事をよく見すぎだ。どれだけ俺の事が好きなんだ、と突っ込んでやりたくなるが洒落にならないので言えないもどかしさ。

 顔を見られると心まで見透かされそうで、俺は右手で顔を少しだけ覆う。


「気を遣った意味が無さ過ぎて笑えてきます」


 と、言う割には全然笑顔じゃないレイア。疲れたような顔でクリスの去って行った方に目を向けながら、彼女はマジメな話題を切り出した。


「……また、城を離れる気ですか?」


「いや、この体調じゃ無理だからな」


「なら一先ずは安心していいのですね……しかし、一体何があってあんな酷い惨状を作ったのですか? 貴方が倒れていた室内は見られたものじゃありませんでしたよ」


 まぁ半端なく血が飛んでたしなぁ。しかも俺が傷を自分で治してしまったから、一体何がどうしたのかさっぱり分からなかった事だろう。


「って、クリスから聞いてないのか?」


「クリスは貴方に聞いてくれの一点張りでした」


 なるほど、たまには賢いじゃないか。アイツから説明が入ったらややこしくなる事間違い無い。

 俺はどこから説明すべきか悩んだが、相手がレイアなので全部教えてやる事にした。


「一応聞くが、ガイアが持っている情報までは説明受けたんだよな?」


「えぇ」


「そうか。ならアレだ。俺がここに戻って来たのはクリスが拘束されているって聞いたからだ」


「だと思いました」


 ぐっ。何なんだよもう、俺の事なら何でも知ってますくらいの態度しやがって。嫌な相槌に続きを喋る気が少し無くなるが、そういうわけにもいかないので仕方なく仏頂面で俺は続ける。


「でもそしたらクリスは既に出てたからな、まぁ城も怪しいから半ば無理やりにでもアイツを連れて行こうと思ったんだ」


「そうですね……今回のクリスへの対処は、何か裏に意図を感じました」


 レイアはその元々凛々しい顔を更に真剣なものに変え、俺ではなく少し視線をずらして宙を睨んだ。その黒い軍服と言う服装も相まって、俺が女ならこの佇まいだけで惚れてしまいそうである。


「でもクリスがさ、何かマトモな事言って俺を説得してきたんだよ。で、正直な話が説得されかけてた」


「そう、なのですか」


 そこで少しだけ微笑む彼女。ちょっと意図が読み辛いぞ、その笑顔。なので俺は一応聞いておく。


「何でそこで笑うんだよ」


 するとレイアは困ったように眉を寄せつつも、目元と口元だけは優しい曲線のまま言った。


「あの子が王子を真っ当な道に戻せるのなら、王子の想い人として悪くない、と思ったまでです。以前の王子のお相手は、それをしてくれませんでしたからね」


 酷く切なげなのに、彼女の言葉は……室内に優しく響く。


「お前……どんだけイイ女なんだよ……」


 途切れ途切れにどうにか出た言葉がソレ。


「褒めてくださっているのでしょうが、王子に言われると馬鹿にされている気分ですよ?」


 いやぶっちゃけかなり褒めているのだが。不覚にもときめいてしまったではないか、乙女的な意味で。でもまぁレイアからすれば全然嬉しくないのだろうな。

 ……確かにクリスの性格はどちらかと言えば善だろう。そんなアイツを好きになる事で、俺もそちら側に引っ張られるのは道理。好きな相手からの言葉ってのは、結構すんなり受け入れちまうもんだからな。そして俺が良くなる事で、クリスの評価も上がる。世の中綺麗に出来てるもんだぜ。好きな奴の評価は、上げたいじゃないか。

 寝たままの状態で俺は話をさっきの続きに戻す。


「で、俺が説得されそうになったもんだから、東の連中の刺客みたいな奴が来て、俺を半殺しにしてくれたってワケだ」


「刺客、ですか」


「名前をクリスから聞いてるかどうか知らんが、セオリーって呼ばれている淡い緑の髪の男だ」


「!! 話は伺っています」


 おぉ、説明する手間が省けてイイ。

 セオリーの名前に顔を強張らせたレイアへ、もう一つ教えておかねばいけない事を思い出し、少し躊躇うがそれを伝えた。


「あと、クラッサだが……ありゃ金や物やらで買収されてない。完全に思想があっち側だった。最初から目的があって軍に入ったっぽいぜ」


 俺の言葉にレイアは静かに目を伏せる。彼女との付き合いは半年や一年じゃない。クラッサがレイアをそれなりに気に入っていたように、レイアだってクラッサに心を許し、信頼していたはずなのだ。


「クラッサの目的は俺の体と、機密書室に保管されていたとある書類だった」


「…………」


 真剣な面持ちで黙って聞いている彼女。


「俺の魔力やら何やらと、あと不明瞭な適性値のデータとかが書かれていた。俺だけじゃなくて、兄上達のもデータもあったぜ」


「それが何故クラッサ達に必要だったのでしょう?」


「よく分からんが……言えるのは、城内でも暗躍している奴がいて、多分その一人が母上だろうって事だ」


 俺の言葉の最後の単語に彼女は息を飲んで、声を少し詰まらせながらも反応した。


「王妃が……!」


「だからお前にだけは言っておく」


 正直気が重い。はぁ、と肺の中の空気を全部吐き出した後、俺は耐え難い事実であるそれを述べる。


「城内の人間は、信じるな」




 そして話を終えたところでレイアは俺の意識が戻った事を伝えに部屋を出て行った。

 戻ってきた時には両親揃ってわぁわぁ喚きたて、母上に至っては一応怪我人だと言う俺をぐわしっ! と抱き締めて泣きついてくる。これだけ見ていると……この人だけは疑いたくない。王子である立場を鬱陶しいと思う事は多々あるが、別に親が嫌いなわけでは無いのだ俺は。

 しかしそうも言ってられない。体調が戻り次第、きちんと話をせねばならない。それまでは何とか誤魔化しておく。

 俺は、竜を使って攻め込むべく慌ただしくなっていたモルガナから、その事態をうまく突いて自力で戻ってきた事にした。そして、戻ってきたのはいいが連中の仲間が追ってきていて怪我を負った、という流れ。

 勿論クリスの誤解は解いてある。その件に関してはローズの事もあって母上が随分食って掛かってきたが、言い争いの末に俺が勝った。そりゃまぁ、クリスへの嫌疑は事実言いがかりだったのだから、言い負けるわけが無い。


 俺は体調が本調子に戻るまでほぼ食っちゃ寝生活。何故か俺の護衛に就かされている准将チャンと暇な時に雑談をし、そして毎日一時間くらいは見舞いに来るクリスとは……


「…………」


 静寂を破る事なく無言の対面をしていた。俺はまだ死んでねえ。

 コイツ、来るのはいいんだけど何を話してもイマイチな反応しか返してこなくて、つまり全くと言っていいほど会話が弾まないのである。

 この前何に謝っていたのか聞いてもはぐらかして答えようとしないし、俺が喋ってもどこか上の空。


「俺の居ない間に何かあったのか?」


 何となく不安になって聞いてみる。するとやっぱり挙動不審なクリスは、ぷるぷると首を横に振りながら目を泳がせつつ答えた。


「なっ、何も! 無い! です!」


「それ信じろって方が無理だろ……」


 俺に話せないような事があったのは間違いない。気になるから何としても聞き出さなくては。

 その表情からもどうにか読み取るべく俺はしっかりとクリスを見据える。それに対して大きな水縹の瞳は何故か半泣きで潤んでいた。どうせじっくり見るなら穴が開くまでトコトン見てやろう、と、ほっぺやら口唇やらだんだん俺の視線は別の方向へ向いていく。


「そっ、そんなに見ないでください……」


「お前が言わないから表情で読み取ろうとしてるんだよ。見られたくなかったら言え」


 実は既に表情など見ていない気もするが、そこは言わない。

 基本的に細身の割にコイツってぷにぷにしてるんだよな。あぁ、コレがローズみたいに色気が出てくるとぷにぷにからムチムチに見えるようになるのか? いいなぁ、そうなったら。でもここまで来たらもうならないんだろうなぁ。

 って俺、クリスの隠し事を何っにも読み取れてねぇ!!

 驚愕の事実にハッと気がついて改めてクリスの表情を見ると、そこには顔を茹蛸状態にした男の子……じゃなかった女の子。


 悲しいかな、俺はコイツを好きなハズなのだが、やっぱり普通に第三者視点で見ると男にしか見えないんだ。

 時折表情次第で女に見える時もあるものの、今日の服装もブルーグレーの素っ気無いポンチョにラフな長袖長ズボンだしで、どう見ても男の子なのである。

 寝顔なんかは辛うじて女の子に見えるから、やはり普段のコイツの表情が悪いのだろう。


 外見的な意味での恥を知らないと思われていたクリスも、流石に俺のねちっこい視線には耐え切れなかったようだ。俺と目が合うと俯いてしまう。


「しゃーねーな……」


 クリスから聞き出すのは難しいと判断し、俺は一旦諦めて別の視点から聞き出す事にした。

 俺が諦めた事にほっとした表情を見せるクリスは、俺の次の発言に顔を歪ませる。


「お前もう帰っていいぞ」


「えっ!?」


 驚いたかと思うとその顔はだんだんくしゃりと沈み、アホ毛までもがしおしおとしなった。そんなバカな、お前のソレは一体何なんだ?

 思いっきり悄気てしまったクリスに慌てた俺は、急いでその理由を話し出す。


「いや、アレだ! ライトを呼んで来て欲しい。全然来る気配も無いしそのうち呼ぼうと思っていたんだ」


「ライトさんを、ですか」


「あぁ。どうせお前質問に答える気無いんだろ? だったらそっちと有意義な話をさせてくれよ」


 最後に少しだけ皮肉を込めて、へらっと笑って言ってやった。どうせむくれるだろうと思った上での発言だったのだが、その反応は予想とは違い、


「分かりました……」


 超素直!!

 しかもそんなに肩を落とされては、まるで俺がいじめたみたいじゃないか。

 クリスは席をスッと立ち、影を背負いながら背中を向けて去っていく。そんなクリスに俺は何も言葉が出なくなり、ただ見送るだけだった。


「くそっ」


 何故か今まで通りにいかない。何だかんだ言いつつも心地よかったあの関係が崩れてしまっている、そう感じた。

 俺が居ない間に一体何があったのか、クリスが言わない以上ライトにでも聞いてみるしか無い。

 起こしていた半身をベッドに横たえて、俺はぼーっと天井を見つめた。誰とも会話をしない時間は山積みの問題を思い出させる。

 フィクサーやセオリーの件、母上やビフレストの件、そして……婚約の件。

 婚約は、色々あったし一旦解消されてたらいいなぁ~なんて思っていたんだがそんな甘い事は無かった。後日またリアファルは俺の見舞いがてら城に来てくれるらしいし、当のリアファルに好かれていなくとも話は全くこじれていない模様。

 前の二つの問題はこれから動けばいいとしても、最後の一つばかりは正直今更解決しようがなくて落ち込んでくる。


 何で、何であんなのを好きになっちまったんだ。全然好みと違うし、それどころか男みたいだし……何よりも、手を出すに出せない相手。

 結婚してからじゃなきゃHな事はイケマセン! なんていう価値観のクリスに、今の俺がどうやってアイツに言い寄る事が出来ると言うのだ。無理だろ絶対。

 黙っているのも面倒臭いこの気持ちを、俺は耐え忍ばねばならないのである。このままだと多分、一生。


「……だめだこりゃ」


 考えれば考えるほどもどかしい。とりあえず右腕で光を遮って、ライトが来るまで俺は無理やり目を閉じるだけ閉じた。



 それからライトが来たのはもう夕方になってからで、いい感じにキリ良く体を休めた俺は爽やかにライトを迎える。が、白衣姿でやってきた白髪の獣人はいつも以上に仏頂面。


「何の用だ」


 手短に話せと言わんばかりのその態度。乱暴に椅子を引いて俺の隣に座ったライトは、その場の空気を持て余してか早速煙草を出して火をつけた。


「俺が居ない間に何があったのか知りたいんだ。クリスはどうも会話にならなくて」


「何も無い。クリス達がお前をどう連れ戻すか策していた程度だろう」


 言うだけ言って煙草を吸い、ふぅ、と右に吐き出される煙。廊下側にある窓は今開いていないのでその煙は風に流される事なく辺りに漂う。

 ライトの言い方だと、その策していた事にライト本人は関わっていないような感じだった。

 コイツからも情報は引き出せないか……と落胆しつつ、すぐに帰すのも何なので一応俺は粘ってみる。


「何も無いって割に、クリスの態度が明らかにおかしいんだ。お前なら気付いているだろ?」


 俺とは目も合わせずに、ライトの金の瞳は宙に漂う煙を追う。どうしてだろうか、どこか憂いを帯びたその表情にグッと息を飲んでしまう。

 ライトが不機嫌な顔を露にするなんていつもの事なのに、どこかがいつもと違う。

 ……コイツもか。クリスだけじゃない、ライトもおかしい。

 となると、単に俺の取った行動が悪すぎてクリスもライトも余所余所しくなっているのか?

 うーん、ライトはそれっぽいが、クリスは何かそれじゃあしっくりこないな。

 そこで、困り果てている俺の耳に入ってくる低い声。


「クリスの様子が変なのは、拘束されて戻ってきてからだ」


「そうか……」


「城で何があったのか言おうともしないし、戻ってきてからは部屋に篭もりっぱなしで俺も手を焼いている」


「じゃあ城内で何かがあった、って事だな。分かった、レイアにちょっと聞いてみるわ」


 俺の返事を聞くなり、もう短くなっていた煙草の先の火を摘むように千切って床に落とすと、ライトはそれを踏み消した。室内に灰皿が無いので残った部分だけをポケットに仕舞うと、返事もせずに彼は立つ。


「おい、まだ話は終わってないぞ」


「何だ?」


 まるで逃げるように帰ってしまいそうなライトを俺は静かに引きとめた。


「お前には、何があった?」


 俺に怒っているのならもうちょいここでお説教が入るハズである。それが無いのであればきっとライトがおかしい理由はそれでは無いのだ。

 けれど彼はそれまで怒っていた顔を嘲笑うように悲しく歪ませて言い放つ。


「お前にとって良い事とは限らない。それでも聞くと言うのか?」


「えっ……」


「お前が聞きたいのなら別にいいだろう。俺自身には隠す必要など無い」


 ライトはポケットに手を突っ込んで立ち止まったまま俺を見下ろしていた。多分、俺の返事を待っているのだろう……聞くのか、聞かないのか。

 ライトが俺を気遣って言わない事柄。コイツの気遣いは決して下手ではないから、聞いたら間違いなく俺にとってマイナスな内容なのだと思う。

 それでも俺は聞きたいのか? 興味本位で聞いて後悔しないのか?

 でも……どんなに俺に都合が悪くても、ライトにそんな顔をさせる理由が知りたい。


「言ってくれ」


 ここで受け止めなけりゃ、男じゃねぇ。そう決断してその気持ちを短い一言に込める。

 ライトは俺のその決意を聞いてからそこまで溜める事無く、さらっと答えた。


「実はクリスに告白した」


「ちょっ!!!!」


 よだれが出てしまうでは無いか。これをどう受け止めればいいんだ俺は。

 吹き出して濡れた口元を慌てて拭い、俺は衝撃発言をした目の前の親友の顔を再度見る。その顔は言ってスッキリしたのか、割と普段通りの無愛想なだけの顔に戻っていた。


「えっと……じゃあやっぱり、前のは嘘だったのか」


 そう、クリスへの想いをコイツは一度俺に対して否定している。


「あの時点でお前に言えるわけが無い」


「何で……」


「一応お前がフリーだったからな」


 俺がフリーだと言えなくて、今は婚約してしまってるから言える?

 あー……そうか。レイア同様にライトも俺の気持ちに気付いていたんだ。だからクリスを選ぶ可能性のあった頃は、気ぃ遣って言わなかった、と。

 って言うかソレって……

 焦る気持ちが顔に出ているであろう俺へ、ライトは眉間に皺を寄せながら言ってくる。


「選択肢を間違えた気分はどうだ?」


 つまりライトは『もう俺には遠慮しない』と言っているのである。それは既に婚約してしまっている俺にとってかなりの障害でしか無い。勝ち目以前の問題で、俺は参戦すら出来ないのだから。

 ライトの言う通り、俺は自分の気持ちに気付くのが遅れたおかげで完全に道を誤っていた。

 俺はその視線を憚るように頭を抱えてしまう。そこへ、


「まぁ『ロリコンはお断りだ』とフラれたがな」


 と、落ち込む俺を慰めるように、普通なら言い難い結果を報告してくれるライト。


「ひっどい断り方だなアイツ……」


「でも俺はこれからどうとでも出来る」


 そして彼は続ける。俺を見る目が不機嫌だった本当の理由を。


「今のお前はクリスに対して何も出来ないし、もし軽々しく手を出すようなら許さない」


 まるで俺の考えを見透かしているかのように、先にそれを制してきた。


「しないさ……そもそもいつ俺がアイツを好きだなんて言ったんだ。頑張れよロリコン。お前がずっと彼女作らなかった理由もそれで納得だぜ」


 軽い口を叩いているけれど、その声は震えてしまっている。

 正直キツイ、聞くんじゃなかった。聞かなければ、クリスの反応次第では言い寄っていたと思う。気持ちを口に出すに出せない理由、その障害は、アイツの恋愛に対する価値観だけだと思っていたから。

 でもここへきてライトのこの言葉……ライトが好きだと言っている相手を公妾に迎えられるわけが無い。

 俺の強がりにもきっと気付いているであろうライトは、それなのに何も言わずに俺を見下ろしていた。

 沈黙が逆に辛い。

 俺は今後、ライトとクリスが仲良くしている様を見て、嫉妬せずに居られるだろうか? クリスはそんな目で見ていないだろうけれど、俺と同じ想いの男がそういう目で見ながらその隣に居たら……


「無理無理」


「……?」


 急に口に出した言葉に、訝しげな顔をして反応するライト。俺は腹を決めて思った事を喋った。


「すまん、考えてみたら無理だ。お前がクリスとイチャついてるところなんて見たくもねーしその先を想像したら羨ましくて悶え死にそうだ」


「え、エリオット……」


 ライトの顔がひくり、と引きつる。


「選ぶのはアイツだろ。そりゃまぁ俺はお前と違ってハンデがあるようなもんだが、それでもいいってクリスが言った時はそれでいいんだよ。お前に許される筋合いは無ぇ」


「最低な奴だな」


 だがそう言う割に、その表情は少し綻んでいた。ライトはポケットに突っ込んでいた右手を出して頭を掻きながら、緩やかに笑う。


「そこまで押し通そうと思えるくらいの気持ちだったら文句は言わん。心配されずとも俺は別に積極的にいく気は無い。あまり幸せに出来る自信が無いのでな」


「何じゃそりゃ」


 どういう経緯で告白したのかは知らないが、告白しておきながら積極的にいかないとはどういう事だろう。その場の雰囲気で言ってしまったのか?

 しかも幸せに出来る自信が無いってそりゃまた付き合う前から凄いマイナス思考である。


「想像してみろ。俺はやりたい事があったら恋人なんぞそっちのけにするぞ」


「あぁ……」


 なるほど、優先順位の違いか。もし仮に二人が付き合ったとして、ライトが面白い実験を始めてハマってしまった時、その後ろで寂しそうにクリスが放置されるわけである。


「お前も最低な奴じゃねーか!」


「それもそうだな」


 かみ殺すように俯き笑う、親友。複雑過ぎる関係に少し困りながらも、恋敵がコイツなら悪くも無いと感じる俺が居た。

 しかしそこへライトが俺を不安にさせる一言を放つ。


「しかし、どちらかと言えば俺よりはフォウの方が脈がありそうだからな。多分放っておくと奪われるぞ」


「……はい?」


 クリスの中のフォウって『女の子みたいです』って可哀想な印象だった気がするんだが、それが脈アリだとライトは言った。どういう事だ、と聞き返すとその理由を彼は述べる。


「気を許している表れだと思うが、最近よく二人でぎゃーぎゃー騒いでいる。当人達は半分喧嘩のつもりらしいが、見ていると仲が良いようにしか見えん……まるでお前とクリスの関係のようにな」


「なっ」


 そ、それは嫌だ。ライトならまだしもあの小僧だけは勘弁してくれ。


「そ、阻止しろ! 阻止!!」


「あれはあれでクリスが楽しそうだからな、横槍など入れられんよ」


「バカ! そんな気遣いしなくていい!!」


 あくまでクリスが幸せならそれでいいと言う行動理念に感服しつつも、俺が居ない間に俺のポジションがあの糞ガキに奪われかけているという事実に情けなく叫んだ俺であった。

 ライトが帰った後は外で部屋の警護をしていたレイアを呼び入れて話を聞く。一体クリスに何があったのか調べる為に。

 クリスが牢に居た時の事をヨシュアから報告を受けていたレイアは俺にそれをそのまま伝えてくれた。


「その金髪の少年ってのは、多分ビフレストだ」


 勝手に城内を徘徊してくれるとは、とんでもない奴だ。以前俺に情報を洩らしておいて、それでいてこの行動。一体何をしようとしているのか。いや、その情報ですらもフィクサーの言葉を信じるならばどこまで本当か分からない。

 レイアは俺の言葉を真剣な面持ちで聞いている。


「しかしクリスが死のうとまでしていただなんて……」


 止めに入ってくれたらしいビフレストには、ある意味頭の下がる思いだ。と言ってもそもそもソイツが拘束を指示しなければそんな事にはならなかったのだが。


「そうですね……憔悴した上での気の迷いだったのだとは思いますが、何故そこまでしようとしたかは分かりません」


 俺は何となく分かる気がした。クリスが死のうとするのならばきっと、自分の為ではなく人の為。ただでさえ俺の迷惑になっていると気に病んだ表情を見せていたのだ、しかもそこに今度はガウェインやヨシュアまで巻き込まれて。牢の中という状況が思い立たせた事にしても、きっと本質的な部分はそんなところだろう。

 そして、


「あと、クリスを捕らえておきながら、死なせてしまったらヨシュア達を罰する、と言っていたんだな?」


「えぇ、そう言われたと聞いています」


 じゃあ母上とその傍に居るであろうビフレストからは、クリスをどうこうされる心配はそこまで無い。フィクサー……いや、セオリー達よりはその点だけなら心配しないでよさそうだ。


「整理するぞ。母上は多分、国の為に俺に力を与えたい。これはフィクサーが予想していた情報に過ぎないが、母上の性格からして頷けるものだと思う」


「はい」


「そこへ少年のビフレストが手助けしている。そしてソイツは母上とは別の目的を持っていそうだ、と。クリスの件に関してそうとしか取れない印象だしな。母上と同じ目的ならばクリスを生かしておく必要が無いはずだ」


「報告を聞いた限りではそう思いますね」


 目を閉じて彼女は俺の言葉に同意した。さり気なく動く名残羽が彼女の栗色の髪を小さく揺らす。手入れしているとは思えないが綺麗なストレートで、動くと輝くその絹糸にちょっとだけ目を奪われてしまいそうだ。


「次にフィクサー達。あっちの目的は本人は『神を殺す』と言っていた。だが方法を教えてくれないから今となっては真実かどうかもやはり怪しい」


「神殺し……」


「そしてそれには俺が必要だ、と言っていた。以前はそれをレクチェって言うビフレストによって行おうとしていたみたいなんだが、レクチェは今記憶を失って一般人としてリャーマで暮らしていて役に立たない。で俺が呼ばれているような印象だった」


「ビフレストの力で、神を殺す事が出来る、と?」


 信じ難い話にも関わらずレイアは素直に俺の話を飲み込んでいく。彼女の話しやすい相槌のおかげで、俺はややこしい今の状況を比較的うまくまとめる事が出来ていた。


「普通に考えたらそうだよな。神なんてものをどうやって殺すのか……連中はレクチェに対して実験を行っていたが、その神をも殺せる力をどうにか自分達の手に入れたかったのかも知れない」


「では、王子の体にも何かしてきたのですか?」


 確かに、その部分はこの流れだと俺にも何かしてこない限り腑に落ちないだろう。けれど俺とレクチェは根本的な部分が違っているのだ。

 そう、


「レクチェは神殺しなどする性格じゃない。けれど俺は違う、その点に関しては目的が同じだから実験して力を手に入れる必要が無かったとも取れる」


「そういう事ですか……」


 スッと目を細めてレイアが考え込む。俺も同じような仕草で整理した内容を思い返していた。

 ここまでならば大体は納得がいく。だが全く以って理解出来ないのが一人だけ残っているのだった。


「問題は……セオリーだ」


 淡い緑の髪に、赤く鋭い血のような瞳。その笑顔はどこか歪んでいて初めて会ったあの時から、正直なところ俺はアイツを畏怖している。


「フィクサーの仲間の一人で、王子を殺そうとした張本人、ですね?」


「あぁ。神殺しにも興味は無いと言っていたが、それなら何故フィクサーの仲間なのか」


「しかも仲間でありながら、フィクサーと言う人物の目的に反するような行動を取った……と」


 謎に謎を呼ぶようなその存在。最初からずっとあの男は……俺達を翻弄していたのだ。


「ディオメデス氏の異母兄と聞きましたが、かなり内面が見えない人物ですね。まぁそういう部分も似ていると言えば似ている気がしますが」


「……へ?」


 ちょっと俺の情報に無い事実が出てきて、面食らう。ルフィーナの異母兄? ルフィーナが一時アイツらの仲間になっていた事は知っているが、その血縁関係は初耳であった。


「その……ルフィーナの異母兄ってのは、クリスから聞いたのか?」


 言葉を詰まらせながら問いかけると、不思議そうな表情でレイアが答える。


「はい、そうですが?」


 あのガキいぃぃぃぃ!! どこまで俺に説明漏れがあるんだ!! 重要じゃないかも知れないが、びっくりするじゃないかいきなり聞かされたら!!


「ちょっとその辺りも詳しく教えてくれないか」


 俺の問いにレイアは、今度は俺を連れ戻す為に試行錯誤していた時の話を説明しだす。なるほど、あの場所がすぐに分かったのはフォウのおかげだったのか、と改めてアイツの能力の凄さを実感した。

 そして、フォウだけが自由になってルフィーナはまだ監禁されたままだと言う事実をレイアの説明の中で俺は初めて知る。

 そういえばクリスも何かそんな事を言っていたな……

 が、俺はあの建物で一切そんな部屋もルフィーナも見ていない。じゃあ何だ? ルフィーナは別の場所に居る?

 そして彼女は何かを知っているから、フォウとは違って解放されなかったわけだ。


「……いや、あの建物だ」


 セオリーが一つだけ腑に落ちない発言をしていたのを俺は思いだす。フィクサーの居場所を言おうとしなかったセオリー。そして言おうとしたクラッサ。

 彼女は言おうとして、更に会うのも面白い的な事を言っていたのだからあの建物に居たのは間違いない。けれど探しても見当たらなかった。つまりどこかに隠し部屋のような場所があるに違いない。

 そして、セオリーが隠そうとしていたのはきっとフィクサーではなく……フィクサーが居る場所にその時居たであろう、ルフィーナだ。


「どうしました?」


「謎を解くには、ルフィーナに会わなきゃいけない。そんな気がする。で、多分俺が以前居た建物に居る気がするんだ」


 確証は無いが、ほぼ確実に。

 けれどどうする? あそこには正直簡単に入れる気がしない。一旦仲間に戻ってルフィーナをこっそり探すか……いや、セオリーが何をどう動いてくるか分からない以上、仮とはいえ仲間に戻るのは危険過ぎる。

 面倒臭い連中だな、一本筋を通す気は無いのか全く。


「今回の襲撃騒動もありますから、近いうちに攻め入るのは間違いないのでは?」


「そう簡単にいけばいいがな、モルガナはどうでもいいがフィクサーの目的が全部潰れてしまっても俺的には困るんだ。それに普通に攻めても多分返り討ちだぜ。あそこはそういう場所だ」


 俺がさり気なく『無理だ』と言うと怪訝な顔で聞き返してくるレイア。


「と、言いますと?」


「そうだな、クリスが居なきゃ建物に傷一つ付けられないんじゃないか。大型竜を飼育しているんだぜ? 普通の攻撃で壊れるような建物なわけが無い」


 そして俺はレイアにそれでも、と光明を見せるようにもう一つ付け加えてやる。


「軍が普通に攻めるなら一つ目の施設までにしておくといい。俺からもちょっと言っておいてやるが、あそこならまだ竜のサイズが小型だから建物の造りもそこまでじゃないし……フィクサー達はその場に居ないからこちらが全滅するような事態にはならないだろう」


 フィクサー達がその攻撃に気がついて助けに転移魔術を使ってきたなら話は別だが、少なくとも気がつくまでにタイムラグはあるはずだ。


「分かりました」


 話も落ち着いたところで俺はまた寝る事にし、レイアは俺からの言伝として上に掛け合いに行く。

 そこへふっと何か違和感を感じて俺は室内を見渡した。特に変わったところは見当たらない……結局違和感の正体は見つからないままだったが、それが杞憂であるようにその後の睡眠は何事も無く貪れたのだった。


 どうでもいいが俺は気付いてしまったぞ。

 今日まですっかり忘れていたがルフィーナがアイツらの元仲間だったのなら、きっとフィクサーの好きな奴ってのは……ルフィーナに違いない。確かに俺はキスだけならした。

 その事実を何故連中が知っているのかと考えると恐ろしくなるが、そんな事で怒っているフィクサーに笑えてくる気持ちの方が強かった。

 アイツが部下であるクラッサに本気で怒れないのはきっと好みのタイプだからだろう。ルフィーナを好きならば充分有り得る。

 大変不本意な事実だが、奴と俺の好みは被っているのだ。

 ……うぜぇ。

 良く似た境遇に良く似た趣味。同属嫌悪のようなものをフィクサーに感じて俺は溜め息を吐いた。

 そして俺が城に戻ってきてから丁度一週間。随分体も楽になり食欲も復活、動いてもふらふらしない。レイアの護衛は常にあるものの、ある程度自由に動く事を許可された俺は……母上のところに向かっていた。


「本当に直接伺うのですか?」


「まどろっこしい事嫌いなんだよ、知ってるだろ?」


 俺に、そして兄上達にも……何かをした、または差し向けた?

 その張本人であろう人の部屋を訪ねた。父上という可能性も無くは無いが、クリスの件で父上は俺に食って掛かってこなかった。となるとビフレストに指示を受けていたのはやはり母上だろうなと思う。性格的にもあの父上がそんな事をするとは思えない。

 今の時間、一人で部屋に居る事は既に調査済み。俺はノックをして母上の返事を待ってから名乗り、ドアを開けた。


「夜分遅く失礼致します、母上」


「エリオット、具合はもう良いのかえ?」


「はい」


 俺の返答に嬉しそうに顔を緩ませる母上。夜遅いと言う事もあり、アッシュブロンドのその髪は柔らかく下ろされている。白のネグリジェ姿の彼女はにこにこと俺の顔を見ながらテーブルの上のカップの中身をティースプーンでくるくる回していた。


「お前の分も用意させるからそこに座りなさい」


 それだけ言って母上はドアを開いて手元の鈴で侍女を呼ぶ。俺は促された通り、ゆっくりと椅子に座って一先ずは飲み物が届くのを待った。


「ご苦労、もう下がって良い」


 王妃と言えば王妃らしい……俺以外には高圧的な彼女だが、侍女が下がるのを見届けると、堂々とした佇まいと表情だったそれを素顔と思われる優しい笑みに戻して俺に向ける。


「何か私に話でも?」


 そんなに嬉しそうな顔をされると切り出し難いのだが……そんな場合じゃない。俺は真剣な顔で母上を正面から見据えて言った。


「えぇ、私の体の異常について、と言えばお分かりでしょうか?」


 俺がそれを言った途端、優しかった母上の顔がみるみるうちに強張っていく。


「それを私に尋ねると言う事は……深い部分まで把握しているのじゃな。誰から聞いた?」


 子供の頃から頭が上がらない目の前の人物に、一筋の汗が頬を伝うのが分かった。コワイ、と本能が告げている。

 でも、言うしか無い。


「粗方の事は金髪の子供のビフレストに聞きました」


「何故ミスラがお前にそれを!?」


 驚愕したかと思うと次はぎりぎりと歯を食い縛らせ、彼女が机に置いている手の震えでテーブルがカタカタと揺れた。

 そして母上は椅子を立って俺の傍に近寄り、俺をぎゅっと抱き締めてくる。


「知らなくて良い、いずれ分かるだろう。お前はこの国の王となり、世界を統べる力と命を手に入れるのじゃ……」


 歪んでいるとは思うがそれでも情は伝わってくる抱擁。けれど、


「精霊武器で無ければ覆せない不死と不老、そして全てを創造する力、ってところでしょうか母上」


 情を押してくる母上に俺は冷静に言い放った。

 レクチェを見れば分かる、彼女は多分精霊武器で無ければ殺せない。それはあの大剣の精霊がわざわざ自身の一部を短剣にして使った事からも明白である。そしてヒトであった彼女がビフレストになってから少なくとも百年以上は老いる事なくあの姿のまま。

 最後のは考えるまでも無い。俺が今手にしている力がそのまま、いつかは世界をも創り出せるところまで行き着くのだ。


「……そう、他の子は駄目じゃった。でもお前だけは違う、神にも匹敵する存在になれるのじゃ」


「私は、そんな事を望んでなどおりません。出来る事なら王子という立場ですら捨てたいのです」


 俺を抱き締めているその腕をぎゅっと右手で掴んで、本心を伝えてみる。

 けれど息子の意見ですら聞こえない、そういうものだ母親の歪んだ愛情とは。自分が良かれと思った事を正しいと勘違いしてどこまでも押し付けてくる。


「そんな事を言ってはならぬ! お前だけに与えられた素晴らしい力なのじゃから!」


「そして兄上達は不良品、と。そんな犠牲の上に成り立った力を素直に受け入れられるとお思いですか?」


 彼女の体がぴくりと震えた。後ろめたさはゼロでは無いようで少しホッとする俺。


「私を……普通の人間に戻せませんか?」


「それは、出来ぬであろうな……」


 普通に戻ればフィクサー達との問題も神への復讐も全て収まりがつく。けれどそれは無理だと言われてしまい、俺は彼女の腕を掴んでいた手の力を強くした。

 母上は結局ビフレストの名前がミスラと言う事を口を滑らせた以外は話してくれず、俺の為だからと強く押すだけでとてもじゃないが話にならないまま終わる。

 女、ましてや母親ってのはどうしてこうも冷静に話を進められないのだろうか。感情ばかりが先立っていて俺がどんなにマトモな事を言ったところで自分の意見を押し通してくる。

 自分の子は自分の物、だから自分が思う通りの理想に育てたい。そういう感覚がひしひしと伝わってきた。

 ……まぁ俺も他人を物扱いしたりするし、似たようなものか。


 しかし収穫は無くも無い。母上は俺に真実を知られたくなかったにも関わらず、そこと提携しているはずのミスラが俺に情報を洩らした事。これはやはり何か意図があって俺に洩らしたと言っているようなものだ。

 俺がソレを知る事で、何かアクションを起こすのを期待していたのでは無いだろうか? そう思う。奴が俺にどう動いて欲しかったのかは分からないが慎重に動かねば……


 次の日の朝、部屋に差し込む木漏れ日はまだ凛と透き通っている時間。その日差しが良く似合う黒い名残羽の鳥人レイアが、思い出したように一つ報告してきた。


「そういえばエマヌエル様がモルガナの竜飼育施設の資料を持って行きました」


「兄上が……?」


 実はまだ寝巻きのままの俺は自分の部屋でレモンティーを飲みながら、今日は軍服ではなく赤い軽鎧の姿である彼女の話を聞く。


「読めるのかあの人」


 で、最初に思った事がソレ。

 生真面目にも椅子には座らず、キチンと俺と部屋の入り口ドアの間くらいに立っているレイアは、少し眉を寄せて続けた。


「読めないと思います。ですが弟にそれを話したら少し不審な事実が発覚しまして」


「不審?」


「弟がクリス達と共にニザへ向かっていた道中、クリスがエマヌエル様らしき人物の姿を目撃していたそうなのです」


 有り得ない。いやまぁあの人は別に目が見えずとも音だけで歩けてしまう人だけれど問題はそこじゃなくて、彼が外に出るのが有り得ない。

 その音からくるストレスで滅多に部屋から出てこないと言うのに、勝手に抜け出そうなどと思う事がおかしいのだ。

 けれど何か目的があるのであれば話は別。竜の飼育施設に何か用でもあるのだろうか?

 考え込む俺にまたレイアは情報を寄せる。


「そこでクリスに詳しい話を伺ったら、どうもエマヌエル様は金髪の少年のビフレストと一緒だったように見えたと言うのです」


「!!」


 もしそれが見間違いでないのなら、母上だけでなく兄上までアレと繋がっているという事になる。

 けれど変だ。もし兄上がビフレストから真実を聞いていたとするなら、彼からすれば視力を失った原因はほぼそのビフレストのせいと言っていい。そんな相手と一緒に歩く? さっきの件以上に理由が想像つかないぞ。


「兄上にも話を聞いてみるか……」


 俺の信条は当たって砕けろ。とりあえずソレで何とかなってきたから今の俺が居るのだ。

 金も持たずに城を抜け出しても何とかなったし、何度も死に掛けてもどうにか生きている。敢えて言うならば異性関係に置いては砕けっぱなしでま~~~~ったく何とかなっていないのだが、それは別問題として置いておこう。

 俺の呟きにレイアは心配そうな顔をしてその瞳を少し細めて言った。


「心配ですので私も着いて行ってよろしいでしょうか?」


 多分彼女の心配は、俺の身の安全だと思う。

 持て囃され甘やかされてきた末っ子の俺を、兄上二人は昔から快く思っていないのだ。殺されはしないと思うが、昔はよく殴られていたのを思い出す俺。


「いいけど……兄上が承諾したら、だぞ。そもそも会ってくれるかも分からんからな」


「はい、それは勿論です」


 レイアはそれだけ答えてから何かを思い出すようにふっと部屋の窓の外を見やった。何となく不安が滲み出ているその表情に、声をかけずにはいられなくなる。


「どうした?」


 彼女は俺の声掛けに反応して視線をこちらに移し、弱々しい笑みを浮かべて伏目がちに言った。


「いいえ、何も。お気遣いありがとうございます」


 明らかに愛想笑い。何か悩みがあるのにそれを言うまでも無いとレイアはそう判断して返事をしたのだろう。

 その表情と仕草、言葉に……胃がグッと掴まれるような感覚がした。


【第三部 introduzione ~振り回される彼の視点~ 完】

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