第二部終章 ~仄かに灯る精神の火~
驚くほど私は冷静だった。
人間、本当にショックを受けた時、逆に慌ててなどいられないのだろうと思う。初めて入る地下牢は、床は硬いしじめじめしているし空気も淀んでいる。これ以上無いくらい居心地の悪い場所。
「…………」
多分、この三日間。手首に錠をかけられたあの時から私は一言も喋っていなかった。以前のように声が出ないのではなく、喋る気力が出てこないのだ。
暴れるわけにはいかない、ガウェインやヨシュアさんに迷惑が掛かってしまう。だから何も考えない、ただぼーっとこの嫌疑が晴れるのを待つしか私に出来る事は無いのだ。
「クリスさん、ちゃんと食べた方がいいと思うぜ……」
鉄格子の内側、傍に置かれた金属製のプレートの上にはコッペパンが二つにミルクが一杯。要求もしていないコッペパンを出されても食べる気など皆無。絶賛絶食中の私は不思議とそれを未だに口にしたいと思えなかった。まるで空腹すらもどこかにいってしまったように。
ガウェインが外で心配そうにこちらを向いているが、その視線と合わせる事無く私の瞳の先は虚ろに宙を漂う。
精霊武器はきちんと私の腰に携えられていた。これだけは取られるわけにも触らせるわけにもいかず、レイアさんが周囲をどうにか説得してくれて、牢の中でありながらもここにある。
『持ったら死ぬ、それを実践したいのならすればいい』……彼女のその言葉に皆、簡単には信じられずとも実践する勇気は起きなかったようだ。
いざとなれば錠をかけられたままでも精霊武器を持てばどうにかなるだろう。だからそこまで自分の身を心配しているわけでは無い。
ただこの国に……酷く裏切られた気分から、何をする気力も湧いてこなかった。
いや、違う。私は別にこの国に裏切られるほど、この国と関係を築いているわけでは無い。元々裏切り裏切られる間柄なわけではないのだから、勝手に落胆する方がおかしいと言うもの。
お城や国の事など興味が無かった、大陸統治国の王子の顔も名前も覚えてなかった、自分の育った南の地域以外はサッパリ知らなかった。
そんな私が今、国に裏切られたと勘違いしてしまうほど馴染んでいたのは……エリオットさん、彼が居たからに他ならない。この場に彼が居ない以上、国はそんな私を護ったりなどしないのである。
私の世界は今も昔も誰かに依存していた。最初は姉さん……そして気付けば、その姉の相方であったエリオットさんに。
その考えを振り払うように私は膝を抱えて俯いた。
ちっとも私は成長していない。辛くて辛くて、いけないと分かっているのに今また誰かに寄り掛かりたいと思っている。この四年は一体何だったのだろう、この城に初めて来たあの時と何も変わっていないでは無いか。
いざ近くに誰もいないと不安に押し潰されてしまいそうになる。あの時は近くにエリオットさんが居て、どうにか耐えられた姉さんの事。
でも今は……誰も居ない。
時間が経つのは凄く遅かった。交代で私の見張りをしているガウェインとヨシュアさんもよく懐中時計を見ては溜め息を吐いている。
地下牢は勿論窓が無いので外の様子もさっぱり把握できず、肝心の時計すら無い私には気が遠くなりそうな時間。ここに滞在している日数は、出された食事の回数でしか分からなかった。
一切動く気配を見せない私に、気付けば交代していたヨシュアさんが声を掛けてくる。
「何か……欲しいもの」
欲しいものは無いか、と聞いているのだと思う。返事をする気力も無いので完全に無視して私は膝を抱えたまま寝たフリをした。
これは多分、彼らへの些細なあてつけだ。彼らを傷つける事を選べないくせに自分の身を捧げきれてもいない、小さくて弱い半端な私の。
目の前が色褪せていく。自分が誇れなくなる。
閉鎖された空間で三日という日数は、私の心をだんだん擦り減らしていった。これが全部擦り切れてしまった時、私は全てどうでもよくなってこの剣を振るうのだろうか?
私は思い立ったように腰の剣を、拘束されたままの腕でどうにか抜く。そして、手にする剣の精霊の名を呼んだ。
「レヴァ」
久々に出した声は少しだけかすれていたけれど、それでも目の前に現れる赤い精霊。
「この錠を壊せますか?」
「!! クリス……っ!」
牢の外のヨシュアさんがその薄い青の瞳を見開いて訴えかけるように鉄格子を掴む。
「分かりました」
レヴァは無表情のまま私の手首の錠に触れ、それをいとも簡単にその手で割り砕いた。それは以前……私が持っていた力のようである。
自由になった腕で私は赤い剣をしっかりと持ち構える。その切っ先を自分の喉に向けて。
私の信念上、一番……一番してはいけない事。けれどそろそろ弱い私の心はその矛先を外に向けてしまいそうなのだ。
私がもし形振り構わずこの剣を振れば何をどこまで壊してしまうか分からない。それだけは、したくなかった。
私は世界を破壊する女神の末裔としてではなく、この世界の人間として生き、死にたい。
「何を……!」
向こう側でヨシュアさんが折れもしないその鉄格子を揺するように握っている。私と仲が良い彼らは万が一にも私を逃がしたりしてしまわない為に、ここの鍵は持っていない。
揺する事を諦めて鉄格子の隙間から腕を私に向かって必死に伸ばす彼。レヴァは私のやろうとしている行為を止めようとする事なく、ただじっと見つめていた。
遺言など無い。身寄りの無い私がただここでひっそりと消えるだけ。そしてこれでエリオットさんの枷も……消えるのだ。
赤い刃が私の喉に沈もうとするその時、
「ッ!?」
右手が急に熱くなって私は剣を落としてしまい、それと同時にレヴァも姿を消す。
「なっ、あ」
右手が焼けるように熱い。何が起きたのか分からず私はその熱さに身悶えた。この熱さでひとおもいに死ねればいいのに、それはそういうものではなくただ私を痛めつけるようなもの。
「どう、したっ!!」
外からヨシュアさんが私の様子に焦り叫ぶ。そして彼の背後から軽めの足音が聞こえてきた。ヨシュアさんも足音に気付いたようで、一旦私から目を離して振り返る。
そこに居たのは小さな金髪の男の子。もこもこしたフードを被ってパッと見は可愛らしいお人形さんのような、けれどその表情の冷たさが容姿から浮いて際立っている。まるでねずみの獣人になったニールやダインのように違和感がする子供だった。
「君がそれを填めていてくれて良かった、今の私じゃあ媒体が無いと力を使い難いんだよ」
少年がそれだけ言うと、すぅっと消えていく手の熱さ。
「誰……」
ヨシュアさんが一歩後ずさりながら、手首に巻いてあるバンドの針に手を掛ける。
私も少年の姿を見て、死のうとしているどころではない、と慌てて床に転がった剣を掴みその刃を少年に向けた。
「ビフレスト……ッ!!」
「そうだね、この体はそう呼ばれている」
まるでその体を自分の物じゃないと言うように少年は言葉を発する。
この少年は、レヴァの話が間違っていなければ私の両親を殺したビフレストなはずだ。そして、レヴァを狙っているはず。
けれど少年はそれ以上こちらに近づいてくる事無く、普通に格子越しに会話を始めた。
「また君は負けそうになるとそれを選ぶんだね、サラ」
「サラ……?」
少年は私を何故か女神の名前で呼ぶ。それを理解出来ないヨシュアさんが問い返すが、少年は彼に見向きもせずにただ私だけを見つめていた。
「あくまで私の楽しみを奪おうと言うのなら、私もそれなりの事をさせて貰う」
そしてその直後にまた右手が焼けるように熱くなる。
「ぐっ……」
左手でその熱い部分をひたすら押さえるが、そんな事をしてもこの焼ける痛みは変わらなかった。レヴァのチェンジリングを解除した時とは違う、内側からではなく外側からの熱さ。
ふっとレクチェさんに触れた時の事が脳裏を過ぎり、意識をどうにか保ちながら私は自分の右手に目を向ける。
「まさか、っ」
私の右手にあるものと言えば、それしか無い。
「あぁ気付いてしまったかな」
私は即座に剣から手を離し、自分の右手薬指からその金色の指輪を外して放り投げた。格子の外まで転がった指輪を拾い上げて冷たく笑うのはビフレスト。
指輪を手から離した途端に私は火傷するような手の熱さから開放される。
「まぁいいさ。君がまた自害するのだけは防げたんだから。本当はその剣も奪いたいけれど、今この城にあの首飾りは無いからなぁ……」
彼は指輪を上着のポケットに入れると、ヨシュアさんに向き直り言い放った。
「その子供を死なせても首が飛ぶと思った方がいいよ」
「!!」
それは、まるでこのビフレストが城内において私の拘束を命じたとも取れる発言。
私は死を選ぶ事すらも許されなくなり、少年が去っていくその後姿をただ茫然と見送る。あの少年のビフレストを城内で見た記憶は無いが、少なくともガウェインとヨシュアさんに命令を出来るくらいの繋がりがあるという事になる。
拘束されて鬱になっていた気持ちなど一気に吹っ飛んで城への疑惑が確信へと変わり、
「おなか……空きました……」
ぐぅ、と腹の虫が鳴いた。
「……食べれば」
「そうします」
錠の外れた手首を撫でながら私は床に置かれたプレートに近寄ってその上のコッペパンを頬張る。
「あの……子供」
先程の詳細を聞きたいのだろう、ヨシュアさんはその薄く青い瞳で私の目をしっかりと見据えてきた。
口に含んだコッペパンをミルクで流し込むと私は説明をする。
「多分ですけど、私の両親の仇で……人間では無い、敵だと思います。すみませんが詳しい事までは分からないんです」
「そう……」
ヨシュアさんはそれだけ言うと難しい顔をして、ビフレストが去って行った通路に視線を流し佇む。
私を見張らねばならないはずの彼は深い溜め息の後に、その足を視線の先へ向けた。
「どこか行くんですか?」
「交代して……報告、する」
なるほど、あんな事があったのだから誰かに報告するのも頷ける。誰に報告するのかは知らないが、悪いようにはされない……と思う。
ヨシュアさんが去って行った後にすぐ来たガウェインは、私のプレートの上の食べ物が無くなっている事に気がついてその色黒の顔を綻ばせた。
「クリスさんは食べてなんぼだ!」
「ど、どうも」
しかしぶっちゃけて言うとコレだけでは足りないのだが、そんな事言えないので我慢をする。
「ガウェイン……誰に私を拘束するよう言われたか、言えませんか?」
「えっ? あー……分からないんだ、俺たちに直接言って来たのは軍曹だけど、軍曹も良く分からなかったっぽい」
「そうですか」
彼の答えを聞いて私は一人悩む。
やはり城には何かがあるのだ。あのビフレストは一体何をしたくてここに居たのだろうか。私を拘束させたのもきっと大元はあの少年のはずである。しかし少年はこの城でそんな立場に居るとは考え難い。
となると誰かの背後にあのビフレストが居る事になるのだが、それが誰だか分からなかった。
「エリオットさんの両親……」
もしエリオットさんの「親への復讐」がビフレスト絡みだったら、彼の体の事などを含めて全て辻褄が合ってしまう。しかしそれは……あまりにも惨い真実だ。いや、だからこそ彼はこの城を離れてセオリー達についたのかも知れない。
この状況を悲観している場合などではなかった。今すぐにでも動きたいが、私が今動いてはガウェインとヨシュアさんがどうなるか分からなくて私の動きを鈍らせる。
指輪の無くなった右手で顔半分を覆い、私は何のひらめきも湧かないこの頭を嘆いた。
そこへ響く、ガウェインの声。
「出ていいよ」
その一言に込められた意味。私は顔を上げて彼の金瞳と目を合わせる。
「でもっ」
「やっぱり何か変だこの状況。それに……目の前で死なれたら一生後悔するし、だったら自分が正しいと思う選択肢を選びたい」
「ガウェイン……」
「もし解雇だけで済まなかったら、その時はクリスさんが助けてくれるよなっ」
そう言って彼はニカッと屈託無い笑顔を私に向けた。半分は無理をしていると思う。彼の好意に甘えていいものか少し悩んだが私は意を決してレヴァを手に取った。
「ありがとう、ございます!」
そう伝えて鉄格子に向かって剣を振るうと、容易く斬れる格子。ゴトゴトと落ちた鉄格子の棒っ切れに少しだけ視線を動かし、それらが抜け落ちた部分から私は牢の外に出る。
解放された事によって一気に高まる気分。とりあえずさっきのビフレストを追って倒してしまえば解決するのではないか? と我ながら安直過ぎる考えに行き着き、それを実行しようと走り出した。
が、
「わっ!?」
急に地響きがしたかと思うと、上が一気に騒がしくなる。
「何だ!?」
地下の天井がぽろぽろと崩れるように砂を落としてきた。天井全てが崩れるほどでは無かったが、かなりの衝撃が上であったのだと思う。
「ガウェイン!」
「了解!」
私は彼と共に城内の一階まで階段を駆け上がり、事態を飲み込もうと周囲を見渡した。
私の事など関係無しに従者達が、大きな音のする方向から逃げてくる。走り惑う皆の顔は蒼白、どれだけ恐ろしい物を見たのかと心配になるくらいに。
そこへ一際大きな音がこれでもかと言うくらい響く。
『オオオオオオオォォォ!!』
聞き覚えのある咆哮。これは……
「りゅ、竜?」
「みたいですね……」
要求に応じなかったから城が戦争への準備を完了させる前に早速攻めて来たとでも言うのか。不意打ちのようなその攻め方に、私は何となくエリオットさんを思い出していた。
とりあえず城がこの状況ではビフレストよりも人命救助が優先されてしまう。咆哮が聞こえた方向に進むと自動的に人の波に逆らって進む事になる。何かこれ前もどこかであったなぁと思いつつ、必死に掻き分けて行き着いた先は城内で一番広い中庭だった。
そこの噴水も花壇も周辺の回廊も全てが無残なまでに破壊され、横たわる数人の従者の体と、それをやった竜に立ち向かおうとする兵達。
竜は目の前に大きなものが一匹。丁度レイアさんがその竜の乗り手を斬り伏せていたところに私達は着いたらしい。
ここまでは私も以前やった事がある、だが大型竜の場合はここからが問題なのだ。
「オオオオオオォォ!!」
騎乗者を失った竜は途端に暴れ始めて、更に回廊を壊して中庭を広くしていった。
「くっ」
騎乗者を斬る為に竜の上に居たレイアさんが、慌てて竜の角にしがみ付く。
「レイアさん!!」
見ている場合では無い、と私は竜の真下まで駆け寄ってその左後ろ足に精霊武器を振った。面白いくらい簡単に焼き切れる竜の足は綺麗に私の刃が当たった部分から分断されて、それによってバランスを崩した大型竜。
それでも尚その目に光を宿したまま、私に向かって竜が大きく口を開く。炎を吐かれると思ったがそれをさせる前に竜の頭上でレイアさんが動いた。
本来竜の肌は剣など刺さりもしないが、彼女はその不安定な足場にも関わらずうまく竜の角を掴みながら自分の体を竜の顔側に下ろし、剣を逆手に持って思いっきり突き刺す。そう、目へ。
刺した剣を彼女はすぐ様、とどめと言わんばかりに深く足で踏み押し込んだ。脳まで達したのだろうか、竜は悲鳴に近い咆哮を微かにあげた後、ズシンとその顎を庭に叩きつけるように落とす。
絶命したのを確認すると、
「っ、動きを止めてくれて助かったよ」
私が牢から出ている事には触れずにレイアさんが駆け寄ってきた。彼女は顔にかかった返り血を拭いながら、私とガウェインを交互に見やる。
「いい仲間じゃないか」
「……ふん」
私が出てきた経緯を、ガウェインが隣に居ると言うだけで把握したのだろう。その言葉に彼は顔を背けてしまうが、私はそれでも何となく嬉しかった。
しかし落ち着いたのも束の間。すぐにまた別の場所から城壁が崩れるような音が鳴り響いたのである。
「っ!!」
音がした方向に勢い良く走っていくレイアさんの速さは尋常では無い。跳ぶように走る彼女の後をガウェインが慌てて追い、私もそれに続いた。
どうも現場は少し遠いらしい。まだ崩されていない回廊や通路をいくつか抜けたが、そこで私は急に後ろから手を引かれる。
「!?」
通路沿いの室内へ誰かに引っ張り込まれて、バランスを崩して背中から倒れたのだが……私の背中が付いたのは床ではなく、とすっ、と言う音の表現が相応しい、何か。
背中に当たったものを確認しようと斜めに傾いた体制のまま上を見上げると、視界に入ったのはローブのフードを深く被った男性だった。彼はスッとそのフードを捲って私と目を合わせる。
「え、エリオットさん!!」
「しっ」
私が声を張り上げるものだから彼はすぐに私の口を手で塞いで、辺りを見回した。室内には誰もおらず、廊下の外は騒がしいもののこの部屋に入ってくる様子は無さそうである。
エリオットさんは私の口を塞いだ手を外すと半眼で問いかけてきた。
「捕まってたんじゃなかったのかよ……」
「そうなんですけど、色々あってさっき牢を出ちゃいました」
「そうか」
それだけ言って彼は私を後ろからぎゅっと抱き締めてくる。何と例えようも無い心地よさに頭がほわほわしてきて私はそのまま数秒抱き締められていた……が、
「いやいやこんな事をしている場合じゃないです!」
慌てて立つと、私の肩と首の間に顔をうずめていたエリオットさんの顎に私の肩が当たり、
「うがッ!」
とても痛そうな声を上げる彼。
「あっ、ゴメンナサイ」
「いいけどよ……」
赤くなった顎をさすりながら私を下から全然良くなさそうな顔で睨み上げる彼は、ちょっと涙目になっていた。そんなに痛かったのだろうか、申し訳ない。
しかしそもそも、それどころじゃないこんな状況で何故エリオットさんに抱っこされないとイケナイのだ。むしろコレは彼が悪い。
「それどころじゃないんですよ! もう一匹竜が居るっぽいんですから! 精霊武器無しでは皆さん対処しきれないんですから!」
私の放った言葉に、エリオットさんは全く動揺する素振りを見せず呟く。
「放っておけ、そのうち連中は帰る」
「えっ、えぇ?」
何でそんな事を彼が断言するのだ。って言うかエリオットさんは何故ここに?
そんな私の疑問を解消する答えを彼はさらりと述べる。
「他にも多少の意図はあるが、あれはお前を迎えに来る為の陽動がメインだからな」
「はい?」
頭が真っ白になりかけたところを首を横にぶんぶん振る事でどうにか寸止めした私。ショート寸前な思考回路にとどめをさすべく彼は更に続けた。
「まさかお前が先に牢を出てると思わなかったから竜を一匹無駄にしちまったっつの。お前は剣ありきの強さだったが、レイアは動きに迷いが無いから本当の意味で手強いな……」
「なっ、何を……」
くらくらする。
この人はもう、本当にあちら側のようだった。この城内で何人があの大型竜によって倒れたか私は把握していないが、中庭だけでも両手で数えるくらいは居たのである。
それをまるで何とも思っていないように言い放つだなんて、有り得ない。それどころかその怪我人よりも竜のほうが大事みたいな言い草では無いか。
「私を迎えに来る、ですって? それであの惨状を起こしたんですか?」
震える声でどうにか言えたのは、それだけ。泣きたいのに笑うように歪んでくる頬はうまく動かず引きつり、私はエリオットさんから一歩後ずさった。
彼は私のそんな反応に少しムッとしたようで、少しだけ目を細めて言う。
「今回の件で分からなかったか? この国のトップはもうダメだ。フィクサーの指示が無くたって潰してやる」
「フィクサー?」
「あー、セオリーの仲間だ」
なるほど、そういえばあちら側にはもう一人敵が居たんだった。トップがダメだと言う事はやはりあのビフレストはエリオットさんのご両親と繋がっているのだろう……
彼の言い分は全く分からないと言うわけでは無い。けれど、エリオットさんはやっぱりどこかズレてしまっている気がする。
「他人を恨んでもいい事無いですよ! しっかりしてください!」
「何だよ急に」
いつからだろう、ずっと感じていた彼のズレ。姉さんを救おうとしていた時も、死んだ姉さんの為に遺物を収集していた時も、そして今回も。
いつも目的以外が見えていないのだ、エリオットさんは。それ以外に執着するような物が出来ないほど裕福だったせいもあるかも知れないが、そんな言い訳で済むわけが無いのである。
「この国のトップがおかしいと思うのなら、貴方が上に立てばいいでしょう!? 神様に対してはその後何か対策を練るとか!」
「む……」
私がそう叫ぶと険しい顔をしながらもその目は宙の一点を見つめて何か考えている素振りを見せる彼。おお、今なら私の説得を受け止めてくれるかも知れない。荒げていた声を少しだけ落ち着かせ、私は一歩引いていた彼との距離を縮めて伝えた。
「それにトップがおかしいからって、関係の無い兵士さん達をあんな目に合わせる方がよっぽどおかしいです。やり方が間違っているんですよ、そんな人に迎えに来られて私が着いて行きますか?」
「ううむ……その通りだな……」
おおおお、エリオットさんが私の話をこんなに聞き入れてくれるだなんて過去にあっただろうか。変なところに感動しつつ、私はその勢いで彼の服をしっかり掴んで訴えてみる。
「帰ってきてください! フォウさんやルフィーナさんを監禁した連中なんですよ!? 何で信じられるんです!!」
「お、おぉ……って、ルフィーナ?」
私の必死の訴えに、状況をわかっていないとしか思えない緩んだ顔をしていたエリオットさんは、ルフィーナさんの名前を反復した。
「え?」
聞き返されると思っていなかったので私も疑問符を返してしまう。ほんの一瞬だが沈黙が生まれ、間抜けな顔で見詰め合う私達。
『えーっと……』
声がハモる。どちらからどう切り出すべきか、とまた固まった私達にそれは急に襲ってきた。
「殺したくなる程うざったいですね」
部屋に突然現れたのは淡い緑の髪の男。セオリーだった。
彼はこちらに氷の矢をいくつも放ってきて、思考の切り替えがうまくいっていなかった私は逃げもせずにその場に止まったまま。
そんな私をエリオットさんが庇うように右腕で抱き寄せ、空いている左手で目の前に光を流れるように生み出す。
氷の矢はその光を通った途端に水しぶきに変わり、辺りをしっとりと濡らした。
「……おい」
低い声でエリオットさんがセオリーに向けて呟く。
「予め伝えていたと思いますが? こちらを抜けるのであれば、そういう事です」
そう言って軽く俯き、中指で丸い眼鏡のズレを直しながら彼は続けた。
「フィクサーもそうですが、色恋や情に目的を見失い過ぎですよ。障害になると分かっていながら生かしておくのですから……」
「奴の事は知らんが、俺は見失ってるわけじゃない。どちらも大事なだけだ」
「同じ事ですよ。二兎を追うような無駄な事をすれば、その結果は目に見えています」
二人の会話を聞いているものの、いまいち何の事を言っているのか分からない。エリオットさんはどう見ても目的しか見えていない気がするのだが、セオリーからすると目的を見失っているように見えるのだろうか。
抱き寄せられたままだったのでエリオットさんの表情を見ようと顔を上げる。真剣な顔で、且つその視線はセオリーから外す素振りは無かった。セオリーが会話中に攻撃してくる事は過去の例を見ると全く無かったが、それを信じて気を緩めるわけにもいかないのだろう。
でも目の前に集中している割に、手は落ち着きが無いと言うか……彼の右手は私の背中で微妙に上下に行ったり来たりしている。
「あの、もぞもぞして気持ち悪いです」
空気を読んで耐えようかと思ったのだが無理だった。
「あぁスマン、背中がそこにあったからつい」
どういう事ですかね。
エリオットさんのその発言を受けながら、セオリーが呆れた様子でこちらを見ていた。
「そんなものを見せられているこちらの身にもなって頂けますか?」
「悪い悪い」
するとエリオットさんは私を急に放り出して、セオリーとの距離を一気に詰める。彼の手から伸びた光の剣は即座にセオリーの首をはね、血も何も出ない生首が床に転がった。
けれどセオリーの胴体は倒れる事無くその場に残り、エリオットさんの腕と服を掴んで背負い投げたではないか。
「うおわぁっ!?」
「んなっ!!」
あまりの衝撃映像にびっくりしてしまう。そうだ、以前聞いたような気がする。普通に首をはねた程度じゃ動く、と。
私も参戦しようと腰の剣に手を掛けるが、一足遅かった。胴体だけになったセオリーは片手でエリオットさんの両腕を押さえつけた状態でナイフを抜いていて彼の首筋にあてている。
「どちらの動きの方が早いのでしょうね」
転がった生首から淡々と紡がれる言葉。押し当てられたナイフは寸止めではなく既にエリオットさんの皮膚一枚を切っていて、つぅ、とその首に赤い筋が垂れ始めた。
「クリス、やれ。どうせコイツらは俺を殺せない」
落ち着き払った顔でエリオットさんが言う。けれど、
「以前も言いましたが、私自身に目的はありません。貴方を殺して全てが終わってしまっても構わないのです」
「……っ」
よく分からないけれど、セオリーの言っている事は真実な気がする。転がっているその首がエリオットさんに向けている赤い瞳は、まるで早く血を見たいのだと言うようにぎらついていたからだ。
それを後押しするように彼の生首が私の横で叫ぶ。
「愛だの情だの、ましてや通じ合っている様を見ていると気が狂いそうになるほど苛々するのですよ!!」
そしてそのナイフが……エリオットさんの首に、刃を埋めた。
溢れるどころか勢い良く噴き出る血で、目の前が赤いはずなのに真っ暗になる。
「あああああああああ!!!!」
意味も無く声が出て、私は何も考えずにレヴァを抜き振るった。まずセオリーの胴体と腕を斬り離し、それによってエリオットさんの腕が解放される。
真に相手を憎むという感情は、この感情を言うのだろうか。もしこの感情がエリオットさんに渦巻いていて復讐を誓ったと言うのならば、私はもう止められない。何故なら当の私が今……止まれないし、止まりたくもないのだから。
狂ったようにセオリーの胴体を蹴り上げては、斬る。何分割したか分からないくらい斬った頃、血も出ないその人形は精霊武器によって浄化されるかのように気付けば灰になって消えていた。
床一面の血の臭いにむせ返って息を乱し、視界に映る赤によってまたおかしくさせられそうになりながらも、先程首筋を切られた彼の姿を再確認するように振り返る。
すると、首を手で押さえた状態でエリオットさんが膝を突きつつ体を少しだけ起こしているところだった。
「えっ、あっ?」
私は予想外だった目の前の光景についていけなくて、喉から変な声が出る。
「げほっ」
血を吐き捨ててはいるが、首からの血は止まっている彼。
「間に、合った……?」
多分自分で傷を癒したのだろう。けれどあんな致命傷に見える傷では正直間に合わないと思っていた。
エリオットさんは擦れた声で私に答える。
「俺がそう、死ぬか、よ……」
それだけ言って彼は起こしていた体を崩し、倒れてしまった。
「エリオットさん!?」
外からは気付けば竜の暴れる音が消えていて、私の目の前には意識を失った彼。確かにエリオットさんは一旦戻ってきたけれど、それはあまりにも……酷い有様での帰還だった。
私はすぐに部屋の外に出て助けを求め、毎度お騒がせなエリオットさんは城内の病室に担ぎ込まれて行く。
一悶着があったけれど私は今、城を追い出される事も再度捕らわれる事も無くその場に居た。
と言うのも、エリオットさんが戻ってきた今、彼の意識さえ戻れば私の拘束理由がほぼ無くなるに等しいのである。何故ならあの拘束理由は、きっと命令をしたであろう人達も『言いがかりである』と分かっていてやったのだろうから。
真実を語る事の出来るエリオットさんがここに居る以上、そんな言いがかりで拘束をしてしまっては後々問題になるのが目に見えているのだ。
牢の外に勝手に出ていた事は少々指摘を受けてしまったが、丁度出た時が竜が襲ってきた時間で、しかもその竜を一匹レイアさんと共に退治した事もあってそれほど咎められなかった。
竜を退治する現場を大勢の人が見ていたわけで、皆を救った一人である私には周囲の目もあって不当な扱いをする事が出来ないのだろう。
それと何故エリオットさんがあの場に居たのかも問い質されたが、私が下手に答えてしまっては後々彼の言い分と合わなくなってしまっては困ると思い、私は知らないの一点張りでどうにか通した。
起きたエリオットさんが適当にうまく説明をしてくれる……と思いたい。
最後に肝心の彼の容態だが、自身でほとんど治していたのでとにかくあとは意識が戻るまで寝かせておくだけの処置だった。今回はライトさんも呼ばれていない。
出来る事ならば傍についていたかったけれど、私はまたしても『言いがかり』によって面会謝絶を食らう。
「一旦拘束を解いたとはいえまだ真実は明らかにされていないのだから、容疑者の一人である貴女を部屋には入れないように、と命令されているのです。申し訳ありません」
そろそろ落ち着いただろうか、と、エリオットさんの病室を訪ねてみたらこの通り。病室の外で警護にあたっている兵が心苦しそうに私へ頭を下げた。
元々城内ではちょっとした有名人の私だが、今回の事もあって従者の人達の私への接し方が以前よりも柔らかくなっているように感じる。
「じゃあ……せめてここに居てもいいですか?」
「……自分は部屋に入れないように、としか命令されておりません」
彼は俯いて、ぼそりと呟いた。私は彼より少し離れた位置で、黙って廊下の床に腰を掛ける。
どれくらい座っていたかは分からないが、途中二回くらい護衛の兵は交代していた。そして夕日が沈む頃、三回目の交代の兵がやってくる。
でもその兵士は私の予想とは違う人物だった。
「交代だ」
「れ、レイア准将!?」
私同様に兵も驚いたようで少し大きな声をあげる。レイアさんはハァ、と溜め息を吐いてから簡潔に説明をした。
「君達では役不足、と言う事だよ。王子を心配する王妃から直々に、願うように私の元へ命が下った。当分私は王子専属の護衛に就く事になる」
「ハッ!!」
その説明で納得した兵は、レイアさんに敬礼をしてからこの場を去っていく。護衛がレイアさんに代わったので私はお尻をずりずりとずらしながら、彼女ともう少し距離を詰めた。
レイアさんは先程の補足をするように私に顔を向けて言う。
「大型竜を退けた功績を評価されたらしい。他の者の護衛じゃ、心配性の王妃は安心出来ないのだろうね」
「なるほど……」
裏切り者のクラッサの上司と言う事を差し引いても、レイアさんならば信用に足る人物だ。少なくとも私は、彼女以上にこの城でエリオットさんの事を気に掛けている従者を知らない。
幼馴染と言うくらいなのだから、王妃様もきっとそれを知った上で彼女にお願いしたのだろう。強くて信頼もおけて、やっぱりレイアさんは素敵な人だった。
少しだけ生ぬるい風が廊下を吹き抜け、私とレイアさんはその風に少しだけ目を瞬かせる。
「私が見ている間は、王子の傍に居てやってくれないかい?」
「え?」
彼女は私の目を見ずに、しっかりと病室の戸の前で廊下を見渡しながら続けた。
「クリスが更に中に居るならば、もっと確実だろうからね」
「で、でもいいんですか?」
「王妃を含めて城の者は王子が攫われたと思っている。けれど実際は違う。起きた時に王子自身がまた逃げてしまうかも知れないのだから、部屋の中にも居た方がいい」
あくまでレイアさんはそれをする合理性だけを述べ、私が入ってはいけないと言う上からの指示には触れない。
少しだけその表情に影を落としながら一瞬だけ目を瞑り、パッと見開いたかと思うと私を招き入れるように病室のドアを開ける彼女。
「さぁ、今のうちに」
「はいっ」
入れて貰った病室の中は、寝かせるだけの処置しかしていないだけあってほぼ殺風景。窓は廊下側に二つ付いているのみで、明かりを点けなければこの時間の室内はかなり暗かった。
まぁ怪我人が寝ているのだから暗くても問題無い、と私は白いカーテンの仕切りを避けてエリオットさんが寝ているベッドの隣に丸椅子を動かして座る。
「うぅ……く」
具合が悪くて呻いているのか、それとも夢を見て魘されているのか。蒼白な顔を顰め歪ませながらも、彼はそこに居た。
あぁ、ちゃんと生きている。
そう思うと気が緩んできて、安堵すると共に蘇るのはあの光景と状況。
……セオリーは本当に分からない。エリオットさんが簡単にはくたばらないとでも思って首筋を切った? それにしては随分とやり過ぎていたようにも感じる。
目的など無いと言っていた彼の行動は言葉通りその先にあるものが全く見えず、思い出すだけでおぞましさを駆り立てられた。
「あれが、ルフィーナさんの……憎む相手」
震えを抑えるようにぎゅっと両手を膝の上で握る。『理解出来ないもの』とはこんなに怖いものだったのか。ルフィーナさんがあれだけの表情を見せながら憎んでいたのも、今なら本当の意味で理解出来る。
セオリーは本当に、悪だ。
エリオットさんも今回の事であんな連中と仮にも手を組もうだなんて馬鹿げた考えは振り払ってくれるだろうか……
祈るように私はエリオットさんの右手を取って両手で包んだ。この気持ちが彼に伝わって欲しい、そう願いながら少し冷たく感じる彼の指先を温めるつもりで軽く抱き寄せる。
すると、触れている部分から滲むように熱さが漏れてくるのが分かった。散々だったこの数日の出来事などどうでもよくなってくるくらいその温もりは柔らかく染み渡り、なのに何故か詰まりそうな胸の苦しさに襲われて、私は溜め息を吐き潤んできた瞳を少しだけ伏せる。
今なら私にも何となく分かった。一体どこまで強いものなのかは判断出来ないが、こうしていて生まれてくるこの苦しい感情は……悪いものじゃないって。
でも、どうしよう。
私は今自分の中で形となった初めての欲求に戸惑っていた。そしてそれを考えているだけで更に火照る体。いつも散々エリオットさんを見下げてきたのに、これでは彼の事など言えなくなってしまう。
誘惑に負けるわけにはいかない、と私は握っていた彼の手を離そうとした。でも離せない。いや、離したくないのだろう。
やっと戻ってきた彼を……もう二度と。
気付いてしまった気持ちが溢れて目頭が熱くなる。他の誰の何の為でも無く、私自身の為に彼にここに居て欲しいのだ。
「最っ低です……」
姉さん、私はどうやら大馬鹿者のようです。
貴女が居たからこその彼との関係を、思っていたよりもずっと心の奥深くで受けとめてしまっていました。
王子様で、既に婚約話が持ち上がっていて、年も離れていたりして、そして何よりも……貴女の残した願いを何年もかけて成し遂げようとするくらいずっと姉さんを愛し続けている彼を、
私は、他の何にも代え難いほど好きなんです。
「ううぅ……」
これはエリオットさんではなく私の声。気づいたと同時に叶わないと分かるソレに、切なくて泣き声を洩らしてしまう。
どうしようも無くて、我慢出来なくて……胸元で握っていた彼の手の甲へ、今の想いを押し付けるように頬擦りをした。
私は卑怯だ。
彼の意識が無いのをいい事に、こんな変態みたいな事をしてしまうだなんて。エリオットさんが起きていたら間違いなく『何するんだよ気持ち悪ィ』とか言って嫌がられるだろう。
いけないって理性が止めようとするのに、それは酷く弱いもので全く役に立たなかった。気付いてしまった今、ただ彼の手に触れているだけなのに心地良くて頭がくらくらする。体の奥と吐く息が熱を帯びて絡むように熱い。こんなの、我慢出来るわけが無いじゃないか。
もしかしてエリオットさんはこんな気持ちを色んな女性に抱いていたから、いつも我慢出来ていなかったのかも知れない。
「後で謝りますんで……」
後ろめたさを少しでも消したくて、聞こえているはずの無い言い訳を彼に向けて呟く。そして両手で握っていた彼の右手を戻して、枕元に自分の手の平をつき上半身を近づけた。
エリオットさんをその体勢から見下ろしながらやっぱりちょっとだけ躊躇った私は、魘される彼を宥めるように優しく撫でて抱き締めた後、唇ではなく右頬へちょん、とキスをする。
これが私の精一杯。貴方への気持ちです。
◇◇◇ ◇◇◇
「何でそんな事をしたんだ?」
ニザフョッルの巨大施設の一室で洗面台に向かって嘔吐を繰り返すセオリー。
そんな彼に静かに問いかけるのは、男性にしては少し長い黒髪の青年フィクサー。
術を破られた反動でセオリーの身に返ってきた痛覚は通常とは異なる苦痛。ましてや今回はあの剣で斬り刻まれたのだ。まるで本体の内部に残り続けるような多数の刃の感覚を同時に受け、その身に傷一つ無いにも関わらず留まり続ける痛みと違和感、そして不快感。ただそれらが収まるまでしばらく耐え続けるしか今の彼に出来る事は無い。
問いかけに対してセオリーは答えなかった。少しだけフィクサーを横目で見やり、流れる水で口元を拭うだけ。
そんな彼の態度に、最初は不測の事態にも関わらず気持ちを落ち着かせていたフィクサーも流石に不機嫌になってくる。
「折角誤魔化せていたってのに……もうビフレスト並に育っている今のアイツをどうやって捕まえる気なんだ。精霊武器とブリーシンガの首飾りがあるとは言え、クラッサは精霊の特殊能力はほぼ引き出せないんだぞ!?」
声を荒げる首謀者に、その彼と交換条件で手を貸し続けている白緑の髪の男が屈めていた上半身をスッと正してようやく答えた。
「すみません……」
素直に謝る赤い瞳の友に、フィクサーはそれ以上責め立てる事が出来なかった。そもそもこんなに長引いている自分の目的に、ここまで文句を言わず着いてきてくれているのだから責められるわけが無い。
しかもセオリーの表情は術を破られた苦痛からとは違う、どこか精神的に憔悴しているようなものをフィクサーに感じ取らせる。
「何が……あった?」
これでも付き合いは長い。どちらかと言えば身内には甘いフィクサーは台無しにされた怒りよりも心配が先立ち、そっと問う。
けれどセオリーは先程同様に理由に関しては口を噤み、また洗面台に向かって少し嘔吐いて体を震わせていた。
だがフィクサーも今回ばかりは引かない。流石に今回の件は理由を聞かなければ素直に『はいそうですか』と受け入れられるような小さな失態では無いからだ。
「言うまで動かないぞ」
その言葉を受け、セオリーは口を濯いだ後、洗面台についていた両手にグッと力を入れながら言葉を紡ぐ。
「どうも私は……虫酸が走る程あの子供が嫌いなようです」
「ふむ。で?」
「なので目の前で奪ってやりたくなりました……大事なものを」
「お、お前な……」
そんな理由で納得出来るはずが無い。多分セオリーの言っている事は嘘では無いのだろうが、フィクサーにはそれだけだとも思えなかった。
どうしたらいいものかとその黒髪をかきあげて彼は悩み、いまいちしっくしりこない答えしか言わない友から視線を外す。
今のフィクサーの目的にはエリオットが必要不可欠であり、準備が整い次第無理矢理仕掛けるにしてもその準備がまだ途中のところで離れられてしまったのだ。
再度仲間として引き込みたくとも、セオリーがあんな奇行に走ってしまってはもはや素直にこちら側に来るとは思えない。
ルフィーナに泣きついて協力して貰うか? いや、彼女は間違いなく自分よりもあの男を優先する。ビフレストの娘ほどの執着は無いにしろ、子供の頃からあの男を見てきたルフィーナにとって、アイツもきっと『子供』のような存在なのだから。
セオリーが過去にルフィーナに打ち込んだ呪いのような楔。そのお陰で彼女は子供には極端に甘い。悲しい現実だが、幼馴染み風情の自分など蹴られて終わりそうだ。
そう思うとフィクサーは色々な意味で頭が痛かった。
「クラッサ、どれくらいまで終わっている?」
とりあえず進行状況だけ確認しようと、傍でずっと黙って待機していた男装の麗人に声をかける。
「八割方は終了しております」
「分かった。あの男が一番気を許していて、仕上げが出来そうなのはどいつだ?」
「そうですね、サラの末裔を除けば多分こちらかと……」
クラッサは手元の書類をぱらりと捲ってフィクサーに指し示して見せる。しかしそれに対してフィクサーは渋い顔。
「これだとルドラのガキが厄介だな……」
「また捕らえて監禁しますか? むしろ消しましょうか」
頬に火傷の痕がある黒いスーツの女が、無表情のままさらりと言った。
「いや、怪しまれたら逆にやりにくい。俺がどうにかやってみよう」
「かしこまりました」
「引き続き二箇所の監視を頼む。セオリー、お前は少し休んでいろ」
そう言ってフィクサーは宙に陣を描いたかと思うと光と共にその場から消え去り、後には鬼の様な形相を俯いて隠すセオリーと、それに気付いて動悸を激しくするクラッサが残った。
◇◇◇ ◇◇◇
【第二部終章 ~仄かに灯る精神の火~ 完】
第一部は冒険の部でしたが、第二部は恋愛の部でした。
実は二部構成のつもりだったのですが友人に途中から三部構成に急遽変更。キリの良い「クリスが気持ちに気付く場面」で第二部完結とさせて頂きました。章数も第一部と同数となっており、いい感じにまとめられたかなと思ってます。が、変だったらスミマセン><
セオリんの嫌な奴っぷりが第一部にも増して酷い事になっていますが第三部もこの調子です(笑)
フィクサーはようやく第三部から姿を出さずに活躍し始めますので
(今まで通りじゃねーか!)よろしく!
【各章の裏話】
一章 introduzione:第一部同様語り部は全てエリ雄。コミカルにしつつ、四年間の様々な変化を伝える章。クラッサの正体は隠す気無く怪しさ丸出しで書いていってます
二章 女神の末裔:クリスの体の異変をさり気なく描写しつつ、ぽぽぽぽーんっと伏線を配置
三章 嫉妬:章題詐欺。どうせクリスが嫉妬するんだろと思わせつつ実はレイアかよ、ってオチ。レイアの気持ちを見せる事でクリスを揺らしました
四章 決闘:三章と四章のサブタイは前後逆ですが名言で繋がってます。レイアとライトによって今度はエリ雄の本心を揺らしました(笑)フォウが不憫
五章 古傷:56Pで触れていたクリスの過去を改めて描写。在りのままのクリスを平然と受け止められるエリ雄の懐の深さを書きたかったのに、野郎がツンデレという酷く萌えない章。クリスがローズに未だに縋る様子と、それがエリ雄に移行していく様を大事に書きました。最後のフォウが格好良く書けてお気に入り
六章 レチタティーヴォ:章題は旋律的な曲の前等に置かれる曲。サブタイの通り、今は静かですが実はそれ(ビフレスト)が中心部であり、この後嵐だよっていうアレ。このビフレスト実は102Pでさり気に描写されてます。クリスのレクチェへの切ない想いが伝わったなら嬉しいな。指輪が地味に大きな伏線で、ある意味クリスを守ったブツであるそれをレクチェから譲り受けていたという流れに気付いて感動…できませんね^p^
七章 炎の剣:ついに出たクリスの中の精霊。ツンデレ野郎が自分で言ったデレにすら気付かないほど遺言を成し遂げた事に喜んでいます。この時点で既に彼が政略結婚を覚悟している描写があり、ライトの気持ちも気付かれない程度に描写してあります。レヴァの司るものが本作最大の伏線
八章 恋と愛:これも名言サブタイ。再度ライトの複雑な心境を今度は七章より強く描写しつつ、エリ雄が遂に自分の気持ちに気付く盛り上がり章。会う事だけで浮かれているくせにその気持ちに気付いていないクリスのもどかしさに悶えてねっ
九章 駆け落ち:章題詐欺2。駆け落ちってクリスとじゃねーのかよ!って突っ込みが欲しかった(何)エリ雄が気付いた直後と言うタイミングでライトに手を出させる作者の鬼畜ぶり。そしてフォウが不憫
十章 奪還せよ:ちまちまとクリスの力の無さを描写していたのですが、作中でそれに気付いていたのはライトのみ。エリ雄語り部のターンでは特に112Pのレクチェとの会話部分の伏線回収が格好良く書けたかな、と。他にも大量伏線回収の章です
十一章 離別:珍しく詐欺じゃない章題。冒頭&去り際のフォウとクリスの絡みが優しく書けて満足。245Pのクリスとエリ雄の心情描写は頑張りました。ちなみにあの呪文はゲール語で「愛してる」です。ギップリャ!
十二章 吹き荒れる風:これまた名言サブタイ。ローズの過去がかなり明らかに。やーっとミスラとエマ子が直接的に登場しました。彼らの活躍を乞うご期待!やはりフォウが不憫。
十三章 マドリガーレ:章題は多声楽曲の一種で、様々な声が飛び交う会議的な意味でつけました。フォウの「誰の為に、何をしたいんだろうね」は私がよく考えている事だったりします。どこまでもフォウが不憫。
十四章 憎悪:エマ子暴走ターン。レイアを格好良く書きつつ、エリ両親をコミカルに、更にクリスとニールの絆を改めて描写。数人のキャラの憎悪を書き綴っている黒い章。完全にフォウが不憫。
十五章 第二部終章:微妙に名言を使ったサブタイ。指輪の伏線を少し回収し、終盤へ向けてセオリんの闇を描写。クリスの恋愛価値観のズレを残しつつ恋心を描写するのが難しかったです。頑張ったのですがうまく書けているでしょうか…
第二部完成日 2011-07-25
毎度閲覧してくださる方々に感謝致します!