憎悪 ~悪意は伝染していく~
◇◇◇ ◇◇◇
元々はライトの差し金であるが、フォウがクリスによって被せられたパンツを手に取って悶えていた時から二時間くらい後の事である。
城ではモルガナからの要求に対してどう対応するか結論が出され、それを臣下、軍上層部、そして一部の記者に伝えるべく玉座の間に一同が集められて整列していた。
玉座に座るはこの国の王。少しくせのついた萌葱色の髪に、形がいいんだか悪いんだか何とも言えない中途半端な翡翠の瞳。年には勝てず、頬の弛みや皺が目立ってきてはいるが彼は毅然とした佇まいでそこに居た。だがそれはあくまでこの場だからの話であって、普段の彼はとても温厚で優しく、むしろちょっと気は弱い方である。
皆が揃った事を確認し、彼はその口を開き、言い放った。
「モルガナの要求には一切応じぬ」
簡潔なその一言が意味する事は、人質となっている息子を見捨てる、と言う事。
それを聞くなり王の前だと言うのに皆がざわめいてしまう。無理も無い、王の決断の内容自体は勿論の事、この優しき王がその決断をしたと言う事が彼らにとって驚きなのだ。
それを受けて、彼らの疑問を解消すべく隣に座っていた王妃が続ける。
「軍を放棄などという要求に応じれば、その後に侵攻されるのは簡単に想像がつく事。結局息子だけでなく国民の安全すらも保障は出来なくなる。当然の、選択なの……じゃ」
王妃は最初は淡々と説明していたが、話が進むに従ってその声は小さくなり、羽扇子を持つ手が震えていた。
その彼女の様子を見ればこの決断が無情なものではなく、苦渋の決断である事が容易に受け取る事が出来、ざわめいていた一同もその思いを汲んで押し黙る。
「あの子は強い。そう簡単には死なぬ……心配など……」
が、そこで王妃の羽扇子がボキッと真っ二つに折れた。
「ほほほほほ!! もう無理じゃ! これが我慢出来るものか! 私自ら赴いてあの肉達磨を八つ裂きにッッ!!」
どうやら我慢していた王妃がブチ切れたようである。すっくとその場を立ったかと思うとスカートの裾を持ってどこかへ行こうとする王妃を慌てて止めたのは、傍に居た家臣の一人。
「おおおおお王妃様、どうか落ち着いて!!」
そんな様子を見ていた、レイアを含めた軍人や家臣達は皆同様に『母親、恐るべし』などと思っていたが、口になど出せるわけもなくただその様子を固唾をのんで見守るだけだった。
王はそんな妃の様子を見ながら『後でフォローするの大変じゃなぁ』などと思いつつも、その場をうまくまとめて終了させる。
結局大型竜の件に関しては国民の不安を煽る為、隠蔽。つまりこの場で触れられる事は無かった。
そして、エリオットの手紙はモルガナからの文書のおかげで、真実ではなく工作として受け止められ、おかげでダーナの君との婚約話はそこまで荒れずに済んだのだった。いや、それでも当人が不在には違いないので、かなり荒れてはいるのだが。
「ふぅ……」
一応謹慎が解けたレイアだったが、この後何かしらの処罰が待っているのは変わらない。結局自分の部下が、駆け落ちではなく誘拐をしたと言う事になっているからである。
だが彼女を悩ませるのはそれよりも、真実を城の誰にも伝えられない事だった。不幸中の幸いと言えるのが、国の決断。これがエリオットの身を優先してしまっていたら目もあてられなかった。何故なら多分ではあるが、エリオットの身が危険に及ぶとは考え難いからである。
軍服の襟元を少し緩ませ、玉座の間を出てすぐのところでレイアは後ろからちょん、と肩を突かれて振り返った。そこにはオレンジのツンツンした髪の獣人の青年と、長い白金の髪を三つ編みにまとめた色白の青年が立っていた。
「王子の護衛の……ヨシュアとガウェインだったかな。何か用かい?」
「クリスさんの居場所を知りたい」
ガウェインがぼそりと一言。彼は王子不在の今、ただの一般兵でしかない。それにも関わらず准将である彼女にこのぶっきら棒な物言い。レイアは眉を顰めるが、彼が獣人である事は明白なので、どうせ鳥人である自分の事が気に食わないだけなのだろう、と敢えてそこは大人な対応でスルーをする。
「クリスの? どうしてまた」
理由を尋ねる彼女に、獣人の青年はチッと舌打ちをして顔を背けてしまった。仕方無しにその隣に居た三つ編みの青年が、口を開く。
「城に……連れて来るように、と……命令、が」
「ふむ、誰から?」
「自分達に、命令したのは……言えません、が……きっとその方が発端では無い……と思い、ます」
となると更に上からの伝令なのだろう。彼らがクリスと行動していた事を知っていてこの二人に指示したのだろうが、結局彼らは普段のクリスがどこに居るか知らなかった。それで自分に尋ねてきた、と言うところか。
「何の用があって、と言うのは聞いているのだろうか?」
「…………」
それもやはり彼は口を閉ざしてしまう。
「私の命令でも答えられない、と」
「申し訳、ございません……」
「では私が城に連れて来よう。丁度彼女に用事があるのでね。行くところだったんだ」
そう言うととても困ったように顔を見合わせる二人。勿論その二人の行動に不信感を抱くに決まっている。だがレイアは彼らを責め立てたところで無駄だろうと判断してそれ以上は深く追求しなかった。
「君達のところまで連れて来ればいいかい?」
「お願い……します。自分達は、城門近くで……待機して、おきます」
そしてレイアは二人を後にして、また痛む頭を酷使しながら思考を張り巡らせる。
普通に考えて、今クリスが城にとって必要と言うならば竜絡みだろう。エリオットが居ない今、クリスは云わば完全にフリーであり、城に仕えているわけではない。竜殺しの異名を持つ彼女を呼んで、正式に味方につけたいという流れが普通だ。
だがしかし、それならばあのような呼び出し方は不自然である。正直なところ、呼び出す理由が良い内容であるとはレイアには思えなかった。
「どうすべきか……」
とりあえず彼女は、昨日クリスを見た時に気になっていて用意させておいた新しい法衣をメイドから受け取ると、それを持ってまた城門の方角へ歩いていく。
その途中の事だった。
「キャアアアアア!!」
レイアの右側の通路の先から甲高い悲鳴が聞こえ、何事か、と慌てて彼女はそちらに走る。少し進んだところの角を曲がると、そこは床と壁、そして少し天井に、赤い飛沫が飛び散っていた。
「なっ」
その赤い血の持ち主であろう兵は既に喉を掻っ切られて絶命して床に横たわっており、悲鳴をあげたと思われるメイドは今レイアの目の前で、剣身の細い、太い針に近い刃物……ミセリコルデのような形状の短剣によってその胸を突き刺される。
城のど真ん中でこの狼藉。死体に先に目がいった為、それらを行った張本人の顔を今ようやくしっかりとレイアは見た。
そこに居たのは、緑髪の男。服装も王族のそれで、上等なものをきちんと着付けている。だがそれも返り血で台無しだったが。
「お、王子!」
一瞬彼女は目の前の人物を自分の想い人であるエリオットと見間違え、その言葉を発する。だがすぐに王子は王子でも別人だと把握し、首をふるふると振って気を確かに持った。
エリオットは目隠しなどをして城を歩いたりしない。それにエリオットは今は髪が長い。だが目の前の彼は短い。
そしてレイアはこの人物を知っている。エリオットに良く似た顔と特徴を持ちながら、目の見えない男。しかし彼は滅多に城内を動き回る事などしないはずだ。何故、と思いながらも久々に見た目の前の人物が、やはりあまりにも想い人に似ている為動揺してしまう。
そんな彼女に、血塗れた剣と腕を下ろして口元だけふっと笑みを浮かべる、殺人者。
「レイアか。相変わらず他の連中とは違う反応をするからすぐ分かる」
「お久しぶりです、エマヌエル様……他と違う反応、ですか?」
勿論盲目である彼はレイアの顔は見えない。けれど彼は他とレイアが違うから分かる、と言った。何の事だろうか、と彼女は目の前の惨劇から目を逸らしながら平静を装いつつ問いかける。
するとエマヌエルは足元のメイドの死体を平然と踏みつけて答えた。
「君が俺に向ける音は……いつも好意的に感じるんだ。大半は俺を見ると癇に障る怯えた音ばかり鳴らすからなぁ。その中でレイアはとても珍しいんだよ」
そして八つ当たりをするように踏みつけていたそれを蹴り上げる。
「おやめください!」
死者を更に踏み躙る王子に、彼女は躊躇いもせず止めに入った。きっと他の兵ならば彼に怯えて絶対にしない事。
エマヌエルは逆にそれが気に入ったと言うように、驚くほど大人しく彼女に従って足を引く。
「はいよ」
「っ、お聞き入れくださった事に感謝致します!」
レイアはそれを確認してからまず遠巻きに見ている兵に指示を出して遺体を運ばせ、ただちに清掃させた。少しでも早くこの場を元に戻さねばまた話が広まって、その結果、被害者が増えてしまうのだから。
何故かどんどん舞い込んでくる問題に、彼女の頭痛が止む事は無かった。
やがて、その場しのぎではあるがとりあえず辺り一体を染めていた血は拭き取られ、慌ただしく去っていく兵と少しだけ残った兵。何故彼らがまだ残っているのかと言うと、最後の仕上げがまだ手付かずでだからである。
「……ふん」
壁に背を預けて兵士達が片付ける様子を、見るのではなく聞いていたエマヌエルが、自分に向けられた視線をまるで見えているように鼻で笑った。
そう、気を害させれば殺されかねない、と彼の立っている周囲と衣服がまだ血に濡れたままなのだ。
大方事態を収束させた事を確認したレイアは、最後の仕上げに取り掛かる。
「お前達は下がっているといい。後は私がやろう」
そう言って部下を下がらせて、周囲が避ける仕事をも率先して行う彼女。だからこそ人望も厚い。それを煙たがる者も居るが、彼女にとって大した問題では無かった。
レイアはまず最初に強めの口調で血塗れた王子に言う。
「王子、剣を捨てて頂けますか」
「何故?」
「何故も何も、今ここで王子が剣を振るう必要が無いからです」
「はっ、誰に何をされるかなんて分からないだろう。必要が無いかどうかは俺が決める事だ」
あくまで手放す気は無い、と短剣の刃を人差し指でなぞりながら彼は笑い放った。
後天的に視力を失った分、視えない不安は先天的なものよりも深いであろう。視えていたからこそ……視えないその恐怖から、彼はエリオットとはまた違った意味で歪んでしまっている。
そして代わりに常人よりも冴えてしまった聴覚が追い討ちをかけるように彼の価値観を変えていた。微弱な風の音から人の息遣いや心音まで、音と言う音が目に見える以上に相手の気持ちの変化を彼に読み取らせてしまったのだ。
やがて積もる周囲への不信感が許容量を超えた頃、彼は自分の気分を害する音を出す者を殺す事に躊躇わなくなる。顔すら見えていない相手などどうでもいい、音が鳴らないように一生黙らせてしまえばいいのだ。
勿論レイアはそんな彼の心境など知る由も無い。ただ彼の臣下として彼女は自分の責務を果たすのみ、とそれだけを行動理由にして今も動いていた。だから、
「何かあれば私が剣を振るいます。だから王子が剣を振るう必要はありません」
真剣な眼差しで目の前の王子を見つめる。彼のその目が見えずとも、やる事、するべき態度は同じなのだ。盲目の王子だからと変える部分など何一つ無い。
そんな一本筋の通っている鳥人の准将に、先に折れたのはエマヌエル。
彼女の自分に対して向ける乱れの無い音に、気を悪くしようが無かった。他と同じように扱われる事こそが、他と違いすぎる彼の一番望むものなのだからむしろ心地よかった事だろう。
「……分かったよ」
とはいえそんな事を億尾にも出すわけが無く、仕方なしと言った態度で短剣を放り投げる。慈悲の名を冠するその短剣は、無慈悲な王子の手元からカランと音を立てて離れていった。
それをレイアは拾い、ポケットの中から取り出したハンカチで丁寧に血を拭ってから、とりあえず後ろに下がって待機していた兵士の一人に預ける。
「それと、顔も服もほとんど汚れています。王子の側近をお呼び致しますのでしばらくお待ち頂けますか」
「……いや、このまま行くからいい」
壁にもたれていた背をスッと伸ばし、どこかへ行こうとするエマヌエルに、レイアは思わず驚いて声をあげた。
「おっ、お待ちください! そんなお姿で城内を歩いては目立ちすぎます!」
「部屋を滅多に出ない俺がここに居る時点で、何か急ぎの用事があるとは思わないのか?」
彼の言い分は尤も。けれどレイアの言い分も間違ってはいない。
「駄目なものは駄目です」
既に武器を持たぬ王子にきっぱりと彼女は言い放ち、それに対して彼は驚いた様子を見せる。
長い間会わないうちに随分と強気な態度がとれるようになったものだ、と……実は彼女がそうなったのは彼の弟が原因なのだが、彼が知る由も無い。
「通路に居ては目立ちますから、中へお入りください」
そう言ってレイアはエマヌエルの手を取って、半ば強引にすぐ近くの一室に押し込んだ。こんな事をやってのけるのは城内広しと言えどもこの准将だけだろう。
周囲の兵達は、これはこれでまた彼女を『凄い人物だ』と尊敬なようで尊敬じゃない、何か複雑な眼差しで一部始終を見ていた。
外の兵にタオルを持ってこさせ、エマヌエルの側近を呼ぶよう伝えると、レイアはひとまず特に今は使われていない小さめの会議室で、椅子に座らせた彼の顔や手だけを丁寧に拭っていく。
「こんなメイドがやるような事までするだなんて、君もなかなかの苦労人だな」
「誰のせいだと思っているのですか」
そう、側近以外に彼をまともに扱える者はなかなか居ない。大抵が『怯えた態度が癇に障る』と言われて殺されてしまうのだから。
レイアも決して怖くないわけでは無かった。けれど彼女の微かな不安はエマヌエルには伝わらない。何故なら、レイアはそれ以外にも別の感情を彼に抱いていて、そちらの方が彼の気を引くからである。
「随分と可愛らしい緊張の仕方をするなぁ、レイアは」
「かっ!?」
顔を拭いていた手を止めて、自分に言われた言葉の意味を把握するなり驚き詰まるような声をあげるレイア。
「怯えて緊張というよりは、恥ずかしいか何かだろうか。触れる手も熱い」
そして彼女の手を握って、体温の変化を再確認する。
「そっ、そそそ、それは!」
「今は……准将だったか? 忙しいのは分かるがもう少し男に慣れておいた方がいいと思うぞ」
レイアはどちらかと言えば『異性』ではなく『エリオットに似ている』彼に対して、顔を拭うだなんて近くでまじまじと見つめる機会に照れていただけなのだが、そういった事情を知らないエマヌエルは彼女がウブなだけと勘違いをしたようだった。
「生憎……そういう事に感ける余裕も相手もおりません」
少しホッとしながらも彼のズレた忠告に返答する。
「そりゃあ大変だ」
と笑ったその口元は、そりゃあもうエリオットにそっくりの、人を馬鹿にしたような動かし方。
レイアは別にエリオットの顔が好きと言うわけではないので、あぁ腹が立つ、けれど憎めない、と思いながら口を開いた。
「えぇとても大変です。こんな風に問題を起こす王子ばかりですので」
「俺は問題など起こしていないが?」
「お咎めが無くとも自覚してください、アレは大問題です。貴方が殺した兵は先月昇級して恋人との結婚を控えていました。メイドはまだ城勤めが浅いものの母親への仕送りをしつつ頑張って働いていた良い娘だったのですよ」
下の者の事をきちんと把握する、がレイアの主義。すらすらと出てくる先程自分が殺した者達の詳細に、エマヌエルは笑って呟く。
「……どうでもいいなぁ、見えないんだから」
「そう思うのは結構ですが、次に同じ事をしたら私が貴方を斬りますよ。主君の過ちを正すのも務めですから」
大体拭き終えたところでタオルを近くのテーブルに置き、そこへようやく彼の側近が到着した。
「エマヌエル様! どうして何も言わずに出られたのです!?」
薄い飴色の髪の六十代くらいの執事が慌てて駆け寄ると、途端に嫌そうに口角を歪めてげんなりする王子。
「この私がそんなに頼りないと!? この間のラジオを録音し忘れた事をそんなに怒っておいでですか!?」
捲くし立てるように喋り続ける執事に、思わずレイアも呆気に取られる。
王子に対してきちんと正面から接しているし、癇には障らないのだろうが……二人の様子はどちらかといえばこの執事を気に入っていると言うよりも、苦手なような印象をレイアに抱かせた。
「あぁもうこの服! 私の月のお給料以上の金額の物なのですよ!? これを台無しにすると言う事は私をゴミ箱に捨てるのと同意なのです!! エマヌエル様は私をゴミ箱に$#ゞ=@」
「悪かった、悪かったから黙ってくれ。お願いだから……」
なるほど、悪意を向けられる事無くああやって叫ばれるのに弱いのか。レイアは執事を見ながらエマヌエルの扱い方をうんうんと頷いて勉強していた。
「ところで王子、用事とやらが私に手伝える事であれば手伝いますが」
「……あぁ。その場で脅して取り上げるつもりだったんだが、君ならそれをせずともすぐに用意出来るか」
その発言に超反応する執事。
「私ではダメなのですか!?」
「お前は軍関係の書類など持って来られないだろう……」
「軍、の?」
エマヌエルが何故そんな書類を欲しがるのだろう、とレイアはその部分だけを聞き返す。すると彼はにやりと笑って、
「ダーナが提供した情報書類を全て欲しい」
「? 何に使うのでしょうか」
そもそも読めないではないか、と言う疑問は怒らせるかも知れないので言わないでおくレイア。誰かに渡すか、誰かに読ませるか? どちらにしても王子という立場の彼がそれをする意図が掴めない。
「君が持って来ないなら実力行使に出るだけだ」
「っ」
鳥人の准将は、目の前の人命と情報漏洩の可能性とどちらの被害を取るか悩んだ挙句に……後者を選んだ。
◇◇◇ ◇◇◇
冷めた朝ご飯を食べた後、私は日課の洗濯をしてから借りている部屋のベッドの上で横たわり、その枕元ですやすやと眠っている白いねずみに声を掛けてみた。
「ニール、また聞いてもいいですか?」
すると白いねずみはパチリと赤い瞳を開き、こちらをその小さな目で見つめる。そして、ツンと少し尖った鼻を上へ向けたかと思うと魔法少女さながらの『へ~んしん☆』な感じでくるっと一回転して、みるみるうちにその体を人型へと変化させた。
しかし変化した後の姿は白髪に丸い獣耳のほにゃっとした顔立ちの少年で、全然魔法少女では無い。
「何だろうか、クリス様」
小さくて可愛いのに、愛想の無い表情と口調で答えるニール。腕を組んで胡坐を掻くのがデフォルトポーズな彼は、今日もその体勢で私の話を聞く。
「そこのレヴァっていう精霊は、一体何なんです?」
仮の鞘に収められ、部屋の壁に立てかけてある赤い剣に少しだけ目をやると、それにつられるようにニールもそちらに視線を向けた。
「何、と言うと?」
「……あの精霊から私にチェンジリングが掛かっていた理由を聞いたんですが、どうも他の精霊には無い何かがあって、レヴァはビフレストに狙われていたそうなのです」
そして私は聞いた話を掻い摘んで彼に説明する。するとどこか釈然としない表情で、
「狙う意図は分かるが、わざわざ武器だけを狙ってくるビフレストと言うのも珍しい……」
独りごちるように呟くニール。
「?」
「持ち主を殺せば使いようが無い。精霊武器をどうにかするよりも、その時点ならば数少ないサラの末裔を滅ぼした方が早いと言う事だ」
「! ぶ、物騒な話ですけど、確かにそうですよね……」
神様が創ったこの世界を、女神が創った精霊武器とその使い手が壊す。神の代行者で世界の守り人的な存在であるビフレストが女神の末裔と対峙した時、勿論武器を壊せるならばそれでいいが、武器だけを狙う理由は確かに薄い。
剣の存在は隠せたとはいえ、姉さんと私は何故その場から逃げ切れたのだろうか。両親を……殺せるほどの相手から。
つまりそれは、そのビフレストが私達姉妹を殺す気が無かったようにも受け取れる。
「と、それも疑問は残りますが、とりあえずレヴァの事を教えてください。イマイチ要領を得ない説明なんですよこの子! 長話も好きじゃない感じだったし!」
私は脱線しかけた会話を元へ戻し、とにかく一番知りたい事であるレヴァの件を再度問い質した。
ニールはそんな私に少し困った素振りを見せたかと思うと、すぐにそれを無表情に直して言う。
「レヴァはこの世界や自身の存在理由に興味が薄いから仕方無いのだ」
「あぁ……そんな感じはします……」
興味がありすぎるダインもどうかと思うが、無さ過ぎてもどうなのだろう。この精霊達は本当にアクが強いと言うか何と言うか。
そう思ったら少し緊張を欠いた私は少しだけ寝返りをうって、ニールに向けていた顔を天井側に回した。
「アレはこの争いに終止符を打つために、最後に創られた剣」
耳元で小さな声が、そっと響く。
「司るは『焼失』……クリス様が扱えるかどうかは分からないが、使いこなせるならばこの世の理など関係無しに、あらゆるものを思いのままに焼失させる事が出来るだろう」
「この世の、理……」
ダインも似たような事を言っていた。創り手が違うのだから、その理が完全に違うのだろう。見た目はほとんど変わらなくとも、どこかが違って医療魔術を施せない私の体。炎にしか見えないのに、レヴァのそれは炎では無い何か。
しかしそれらは、ずっとこの世界にちょっと変わった一般人として埋もれ暮らしていた私には到底理解出来そうに無かった。
「悩む事は無い。クリス様は普通に暮らしたいのだろう? その邪魔をしに来たものだけその剣で薙ぎ払えばいい。それだけではないか」
「ふふ。言いますね、ニール」
彼の単純明快な答えに、私の悩みに少しだけ晴れ間が差したような気がする。
「短い期間だったがご主人の心の内は見てきた。これが一番分かりやすいだろう」
「えぇ……やっぱり難しく考えるのは苦手みたいです」
今、この手に全てを終わらせる剣がある。それを狙う神の使いが居る。まるでわざと生かされているような私が居る。
けれどそれらの理解出来ない問題達に翻弄されていては元も子も無い。
「私の旅なんて最初から行き当たりばったりでしたからねっ」
「蛙を食べるほどに、な」
幼い獣人の顔をにんやりと動かして、ニールは私の過去をからかうように言った。
そして昼も過ぎた頃、怪しくなってきた雲行きに慌てて洗濯物を取り込んでいた私に、声を掛けてきたのはライトさん。
「今頃城ではどんな決断を下しているのだろうな」
今日は何故か病院は休診ではないのできちんと白衣を着ている彼は、ポケットに手を突っ込みながらそう呟く。
多分裏口ではなく正面から入ってくるレイアさんの為に開けているのだろうな、とわざわざ理由付けを心の中で行うくらい珍しい事だった。まぁ、ほぼ休診なおかげで、たまに開けたところで誰も来ないのだが。彼の病院に来るのは本当に急患のみらしい。
私は全部かごに入れ終えたところで、歩いて病院内に入りながら返事をする。
「軍は……放棄出来ないでしょう」
「そうだな、だからその後が重要だ。それを蹴ったらほとんど戦争になるようなものだからな。確か連中は大型竜を囲っているんだったか?」
そこまで言ってライトさんが私の手の中のかごを自然に持ってくれた。普段通りのさり気ない優しさも、今ではそれをされるだけでちょっとドキドキしてしまう。お礼も言わずにただ彼の顔を見つめてしまうが、当のライトさんはと言うと隣を歩いている私の顔など見向きもせずに無表情のまま正面を向いていた。
この人が私を好きだなどと言った事は、本当は夢か何かだったんじゃないかと思うくらい変わりない彼の態度。逆に自分ばかりどこか変わっていくのが何となくムズムズする。
私はなるべくそれらを意識しないように心の隅に置いて答えた。
「そう言ってましたね。ニザフョッルで見た建物の異常なまでの大きさもそれなら納得出来ます」
「連中も断られるのは予想済みだろうな。仕掛ける準備はもう始めていると考えた方がいい。もし手を打つならば……それより先にすべきだ」
「手を打つ、って言うのは……」
「エリオットを連れ戻すのならば、だ」
相も変わらず理解力の乏しい私にきちんと話してくれるライトさん。
しかし、エリオットさんを連れ戻す、か。昨晩フォウさんから言われた事がまだ頭にこびり付いていて、ただ自分の思うままに連れ戻していいものか迷う。それに、フォウさんから問いかけられた答えも全く出ていない。
院内で洗濯物を干したり畳んだりする用の部屋……と言っても私の部屋同様にただの病室の空き部屋なのだが。とにかくその部屋についたものの、ライトさんは私の態度に何か引っかかりを覚えたようでその部屋のドアを開けようとした手を止めて言った。
「どうした? うかない顔をして」
眼鏡のレンズの下の、金色の瞳と目が合う。
「その……」
何と言えばいいのか。口篭もる私から少し視線を外した彼は、部屋のドアを開けて中に入り、かごをテーブルに置く。そして私に一つ椅子を引いて寄越すと、ライトさんももう一つの椅子に腰掛けて洗濯物を畳み始めた。
彼は特に私にそれ以上問いかけてくる事は無く、ただ黙々と作業をこなしているだけ。私から切り出すのを待っているのだろうが、だからと言って急かす気は無いらしい。
他の病室とは違って天井から物干し竿が吊るされているこの部屋で、私もちまちまと畳みながら自分の中で言いたい事を少しずつまとめあげる。洗濯物が全て畳み終わる頃にようやくまとまった思考を、私はそっと口を開いて話し出した。
「フォウさんが、エリオットさんを無理やり連れ戻すのか、って私に言ったんです。例え連れ戻せても、その後一人で復讐しようとするかも知れないって。それを聞いたら、自分が何をすべきなのか分からなくなってしまって……」
「ふむ」
「それに、エリオットさんを何故そうまでして連れ戻したいのか、戻ってきて欲しいのか、正しい答えを探せとも言われたんです。でも、『心配している』とか『大変だから』と答えたのですがそれじゃないみたいで良く分からなくて……」
「なるほどな」
短い反応だけ示し、ほんの少しだけ顔を上げて宙を見上げると、私より少し長い白髪が肩に垂れて撓る。そして彼が答えたのは、彼自身の意見。
「俺はそもそも無理やり連れ戻すべきではないと思っている」
やっぱり。私はただ黙ってそれを聞く。
「戻って来るに越した事は無いが、アイツが自分で選んでいる事にそこまで首を突っ込む気など、無い」
言い方や視点は違えど、フォウさんと似通った意見。
でも彼はそれだけでは無かった。
「けれどそうだな。俺がエリオットに出来る事なら戻って来て欲しいその理由を言うならば、アイツの身を案じる意味ではなくただ単純に……アイツが俺にとって掛け替えの無い友であり、必要な存在だからだ」
「ライトさんにとって、必要な存在……」
「フォウが言いたいのはその部分だろう。お前にとってエリオットは……どんな存在だ?」
少し前にも似たような事を言われた気がする。そして私はその時、答えを出せなかった。
以前ライトさんはそれを言った後、私の答えを待たずに去って行ってしまったが、今度はしっかりと私を見て答えを出すのを待っているよう……
でも、
「どんなって……やっぱり分かりません。出会いも酷かったし、今も彼と繋がっているのだって姉さんの存在があったからこそで、仲が悪いわけでは無いのですが皆さんのように友達と呼べるとは思えないんです」
エリオットさんとの関係を考えた時、真っ先に出てくるのは姉さんの存在だった。彼と私を繋ぐのは、今も昔も姉さんその人。
姉さんが居なければ私は彼と旅をする事自体無かっただろうし、姉さんの遺言が無ければ彼は私の面倒をここまで看たりしなかったと思う。
そんな風に繋がっている私達の関係を、どう言い表せばいいのか。私にはよく分からなかった。
「死んで数年経った今もまだ縛り続ける、か。気に食わん女だ」
フッと私から視線を逸らして、言い放つのは姉さんの文句。
「そんな風に言わなくても……」
「言われたくなければ、いつまでも引き摺るのをやめる事だな。逆に死んだ人間に対して失礼だとは思わないか? もう居ない自分を言い訳に出されて、まるで呪縛のように扱われる……俺なら気分が悪い」
「呪縛……」
そんなつもりなど無いのに、周囲からはそう見えるのだろうか。私は気付くと両手で顔を覆って俯いていた。泣きたいわけではなく、視覚を遮断して考え込んでいるだけ。
もう全部、分からない。
言葉に詰まって考えもまとまらず、しばらく黙っているとライトさんが少しだけ口調を優しくして言う。
「難しく考えなくていい。ローズを抜いてアイツの事を考えてみたらどうだ?」
「姉さん抜きで、エリオットさんを……」
その言葉に私は再度顔を上げてライトさんと、それと答えに、正面から向き合った。
姉さんの相方だったと言う事を抜いたエリオットさんは……単なる我侭な王子様で、女の人の胸が大好きで、ご飯の味にうるさくて、勝手に動いて皆に心配や迷惑をかけて、乱暴でとっても酷い人。
「何を考えていたらそんな顔になるんだ?」
「えっ、エリオットさんの事ですけど」
考えている最中、急にライトさんが質問をしてくるのでちょっと思考が吹っ飛んでしまった。真剣に考えていたから自分がどんな顔をしていたか分からず、ライトさんの疑問の理由がよく理解出来ない。
とりあえず出た答えを口に出してみる。
「姉さんの事が無かったら、エリオットさんイイトコ無しで連れ戻す必要無いんじゃないかって思いました」
「そうか……うーむ」
苦々しい表情でそれだけ言うと、ライトさんは額に手をあてて悩むように唸り始めた。
「フォウさんは、エリオットさんを連れ戻す必要が無い事を私に心から分からせたかったんですかね!」
「……鈍感もここまで来るとどう扱っていいものか」
ど、鈍感って、私の事だろうか。口角を下げながら困った顔で項垂れる白衣の獣人の尻尾は、ぱたぱたと数秒おきに左右に揺れている。
ライトさんの反応はちょっと引っかかるけれど、答えが綺麗にまとまったので私の気分は爽快だった。
「凄くスッキリしました、ありがとうございます!」
「あ、あぁ……」
「もうきっと出来上がっているでしょうから、お昼ご飯食べましょう!」
私は椅子から勢い良く立ち上がって、上機嫌で部屋を出ようとドアノブに手を掛ける。しかしそこでスッキリしていたはずの胸にふっと何か靄が掛かるのを感じて、ドアノブを回せなかった。
「……?」
私にとってエリオットさんを連れ戻す必要は無い。ライトさん達にとっては友達でも、私にとっては姉さんを除いたら毒にしかならないような人。事実を頭で考えてその明快な答えに行き着いた。なのに、どうして胸はそれに逆らうように重いのだろう。
ドアの前で動きを止めた私に、ライトさんが後ろから声を掛けてくる。
「食べに行くんじゃないのか?」
「は、はい」
胸の痞えが取れないまま、私は彼に促されるように無理やり体を動かした。
ダイニングルームに行った時には既にフォウさんが食べ終えていた後だった。地味に第二の居候状態になっている彼は、きちんと洗い物を手伝っている良い子さん。いや、レフトさん相手なのだから何かムッツリスケベなりの思惑があるのかも知れない……っ!
「わざわざ洗い物ですか、どんな下心があるんです?」
「来るなり言う事はソレ!?」
背後からのそーっと言ってやると、洗い物の手を止めて突っ込むフォウさん。私はその突っ込みに惑わされる事無く、彼の思惑を言い当ててやる。
「ポイント稼ぎですか、そうですか」
「もー、何のポイントさ!」
あくまでシラを切り通そうとする彼にズバリと、
「レフトさんの好感度です」
「俺がそれを上げてどうするの……」
「ポイントと交換で胸を揉ませて貰う気でしょう」
「どういう事!?」
ちょっと天然入っているレフトさんならば『仕方ありませんわね~』と言って交換してもおかしくない。そんな彼女の純粋さに付け込む極悪非道なムッツリっぷりを、私は先にその芽を潰さねばならないのだ。
「何だか最近、ただでさえズレていたクリスさんの恋愛方面の思考が更にズレてしまった気がするのは、気のせいでしょうか~」
「ぬぬっ」
フォウさんを責めていた私の背後から、レフトさんのほわほわボイスが響く。振り返って、彼女に言われた内容を私は問い返した。
「ず、ズレていますか?」
「えぇ、かなり~。わたくしにポイント交換制度はございませんわよ~」
な、何と……レフトさん本人が言うくらいなのだから間違いないだろう。
驚いている私に呆れ顔でフォウさんが聞いてくる。
「っていうかクリスはあるの?」
「あります」
「あるんだ!!」
そう叫ぶと何だか嬉しそうに三つの瞳をきらきら輝かせる彼。
「どうやって貯めるの? どれくらいで何と交換出来るの?」
「主にご飯を頂くとポイントが上がります。50ポイントくらいでようやく私が出来の悪い手料理をご馳走します」
「ううううううん、どうなんだろうそれ……」
そこへ、ライトさんがフォウさんの頭にビシッとチョップを入れて収拾させる。
「鬱陶しい」
彼はフォウさんの反応を待たずにさっさと席に着き、無言で昼食の催促をした。まるで予めこの時間に来るのを分かっていたかのようにサッと食事を彼の目の前に出すレフトさんは、本当に凄い。
「私も食べますっ」
ササッと椅子に座って同様に催促すると、やっぱりサッと皿が目の前に並べられる。
いただきますも言わずに既に食べ始めているライトさんを横目で見ながら、私も食べるべく合掌をしたところに、
『私だ! 入るぞ!』
凛と力強くも綺麗な声が玄関の方から聞こえた。
ご、ご飯を食べてもいいのかなこの状況で……
ライトさんもレフトさんも返事をしない、が足音だけがだんだんこちらに近づいてきてダイニングルームに現れた、先程の声の主。
今日は黒い軍服姿の鳥人は、手に紙包みを持って私達をぐるりと見渡す。
「丁度全員居るようだな。話をしてもいいかい?」
「どうせ軍を放棄する事は無いんだろう。食べ終わるまで待て」
「……分かった」
食事を邪魔されては不快なのだろう、レイアさんが喋られるように私も大急ぎで平らげて最後に冷たいお茶を一気飲み。私が食べ終わる頃には勿論、先に食べていたライトさんは食事を終えていた。
カチャカチャと食器を片付けるレフトさんを置いて、レイアさんはまず私に紙包みを渡してくる。
「何ですか、これ?」
「また法衣を破っていただろう? 替えの法衣だ」
「わ、ありがとうございます!」
受け取った際にその黒い軍服の袖に、更にドス黒い染みがふっと目に入った。私も黒い法衣をいつも着ているので、その染みが血によるものだと言う事は一瞬で分かる。
それを見て眉を顰めた私に気付いたレイアさんは、
「気にしなくていい。全く関係の無いものだよ」
と、それについて触れさせてはくれない言葉を発した。
「はい……」
「で、さっき言われた通り確かに国の決定は『軍を放棄しない』と言うものだ。モルガナが次に要求を少し下げてくるか、それとも戦争になるかは分からない。が、城内は既に戦うつもりで準備を進めている」
時間が無い、と言うような雰囲気で彼女は口早にそれらを説明していく。
戦争。私が気付いた頃にはずっと落ち着いた情勢だったが、今初めてそれが崩れようとしていた。しかもその中心にはエリオットさんや、セオリー達が居る。
関係無いとは言えない事態に、私は圧迫されるような息苦しさを感じていた。
「とりあえず王子が居なくなった原因は駆け落ちでは無くなったので、それによって婚約に影響が出る事は無いと思う。まぁ王子が居ないから話がこれ以上進む事は無いが、立場を必要以上に危うくする事も無さそうだったよ」
「そうか、駆け落ちとして情報が城下に流れたら、大手を振って戻っては来られなくなるだろうからな……」
「そういう事。その点は安心してくれていい」
椅子に座る事無く彼女は真剣な面持ちで、今日の報告を終える。そして、
「で、クリスは今すぐ着替えて私と一緒に城に来て欲しいんだ」
「!」
急に話題を振られ、しかも城に来いなどとはどういう事だろうか。少しびっくりして、レイアさんの顔をまじまじと見つめる。彼女の表情は少し複雑だった。眉を寄せて、少し不安を陰らせているようなそんな顔。
「武器も一応持って行ってくれないか。何があるか分からない」
「え、ええっ?」
武器を持つまでは別にいいのだが、何があるか分からないだなんて一体お城に何があると言うのだ。
私以外の三人も、レイアさんの言葉に怪訝な表情を作る。
「君を呼ぶようにと言われている。だがそれが誰の命令なのか分からない。少なくとも私より位の高い誰かが指示しているのだと思うが呼び方が少し不審で、その意図が掴めないんだ」
レイアさんより下の人ならば、レイアさんが探れないはずが無い。しかし彼女は准将であり、彼女より上の立場と言うとかなり限られてくるのでは無いか?
「王子様の復讐の相手……」
そこにぼそっと呟いたのはフォウさん。
「神様と、親、だったよね」
「まさかそれは、クリスを呼んでいるのが王と王妃だと言いたいのかい?」
「ずっと不思議だったんだ。神様と親とを同列に並べて復讐しようとするだなんてちょっと変だし、何か関係があってクリスを呼んだのかもよ。単純に育ちの事で元々恨んでいたのならこの四年間ずっと大人しくしているとは思えないからね、彼の性格からして」
壁に背を預けて腕を組んだまま、更なる不審点を述べる四つ目の青年。飛躍し過ぎる彼の話に、私はそれを否定するように自分の考えを伝えた。
「王様と王妃様、直接喋った事は無いですけど、そんな悪い人には見えないです……」
「クリスには表面を取り繕っていれば、皆良い人に見えるんじゃない?」
「そんな事無いです、フォウさんは最低な人です」
「ひどいっ!!」
叫ぶムッツリスケベを無視して、とにかく私は紙包みを持って席を立つ。
何があるのかは分からないけれど、行ってみない事には始まらない。私にはあの剣があるのだから、大抵の事には太刀打ち出来るはずだ。……相手が同じ精霊武器を持ってでも来ない限り。
「とりあえず着替えてきます」
「あぁ、ずっと城門に二人を待たせているのでね、急いで欲しい」
「二人?」
「王子の護衛だった二人が今回の指示を受けて私に話してきたのだよ」
ガウェインとヨシュアさんが私を待っているのか。それならそこまで心配する必要も無いかも知れない。私は足早に部屋へ戻り、紙包みを開けて法衣を着ようとした。
が、今回渡された法衣はいつもと違うデザインで着るのに手間取って、急いだ甲斐も虚しくそれから三十分ほど時間を掛けてしまう。
着た後自分の姿がどうなっているのか鏡で確認してはいないが、背中が最高にスースーしていた。
ダイニングルームまで来たものの、顔だけひょこっと出してレイアさんに思った事を伝える。
「あの……この法衣、どうしたんですか?」
「いつも翼で背中を破くだろうクリスは。だから背中が開いているようなデザインの物を持って来させたのさ。スカート状になっているから尻尾も大丈夫だよ」
「なるほど……」
そういう解決方法があったのか。何度も破いて手縫いをしたり替えを貰ったりしていた自分としては、全く考えた事も無かった方法である。でももう尻尾は生えないのでスカートよりズボンがいいなぁ。
貰った法衣は全体的に白と金をベースに涼しげな青が入ったもので、前から見ると十字架がデザインされたハイネックのワンピースのようなのだが、背中がぱっくり開いている上に丈がミニスカートなのだ。長い腰巻があるので出ている太腿が気になるところと言えば正面からくらい。
滅多にスカートを履かないので本当にこんな服を私が着ていいものかと心配で仕方なかった。ダイニングルームにはあくまで入らず廊下でもじもじしていると、レイアさんがこちらに来て切り出す。
「では、行こう」
「えっ、見たいんだけど……!」
何か言っているフォウさんから見えないように、レイアさんに隠れながら私はさっさと病院を出た。
お城について城門をくぐったところで久しぶりな二人の顔が見える。ガウェインとヨシュアさんは、多分待ちくたびれていたのだろう。傍のベンチに腰掛けたその体は全体的に項垂れるように前のめっていた。
「お元気でしたか!!」
声を掛けてから走り近寄ると、一瞬二人の目が丸く大きくなる。そして何を言うかと思えば、
「イメチェンでもしたの?」
「めずらし……い」
「着たくて着ているわけじゃないんですけどね……」
大体予想通りの反応を示してくれた二人に、後ろから歩いてきたレイアさんが割って入ってきた。
「この通り連れてきたが、私も一緒に行っても構わないだろうか」
するとガウェインは険しい顔をして、その金の瞳を鋭くしレイアさんを睨む。返事をしようとしないガウェインに、何を考えているのか分からないぼーっとした視線を流すヨシュアさんは、私の手を取ってごそごそと己の服の中を弄りながら言った。
「これは……形式、上。でも……外さないで」
カシャン、と私の手首にはめられたのは、服の中から出てきたぶ厚い金属の錠。
「ふぇ?」
自分が何をされたのかは分かるが、何故こんな事をされなければいけないのかが分からない。しかもこの二人の手によって。
私にはめられた手錠を見て、レイアさんは一瞬で沸騰するように怒り叫ぶ。
「どういう事だ貴様達!! 返答次第ではこの場で斬るぞ!!」
そしてすぐ様抜かれる彼女の長剣。
「俺達だってしたくてしてるワケじゃねーし!」
食って掛かるガウェインのその様子と言葉から、あくまで彼らは末端でしか無いのだと感じられた。
「エリオット王子の……誘拐、に……関して、です」
「……っ、クリスさんが容疑者の一人として疑われてるんだ。一応身柄を拘束しておけって」
何を言っているんだろう、二人は。
私がエリオットさんを誘拐したと? あれはクラッサのせいだと言う事になったんじゃないのだろうか。
以前の体ならまだしも、今の体では私はこの錠を千切る事など出来やしない。錠をつけたまま逃げる? でも今は隣にレイアさんも居るのだ。無理に逃げるよりも状況をこのまま把握した方がいいのかも知れない。
ぐるぐる目の前が回ってくる。
「どういう事だ。あれは私の部下のクラッサが犯人と言う事になっただろう」
私の疑問をそのままレイアさんが彼らに追求した。けれどガウェインは首を振って、そのオレンジの髪を揺らす。
「誘拐の少し前に、クラッサとクリスさんの接触があったらしい。それに過去にクリスさんは王子が城を抜け出る際に関わっていたり、誘拐と言う名目で王子を連れて行ったりしたそうで、疑いが晴れそうに無いんだ」
「だから……今回も、一応……拘束します」
開いた口が塞がらなかった。
まさかそんな昔の事を掘り下げて私が拘束されなくてはいけないだなんて。しかもクラッサと接触? 記憶にあるのは機密書室と、チェンジリングの解除の時くらいしか思い当たらない。誘拐の直前と言うならば多分後者であろうが……
私は再度自分の手首を見やる。ぶ厚い錠は角型でごつごつしていて振り回せば武器に出来なくも無い。だがただ命令されているだけの二人にそんな危害を加えるわけにもいかないので、まだじっと耐えた。
「そ、そんな、事実を知っている者ならば言いがかりにしか聞こえないでは無いか……」
レイアさんが声を震わせて、呟く。
その言い方だと、レイアさんだけでなく城内の人にもそれなりに事実は伝わっているように聞こえた。
ヨシュアさんも流石にその表情を曇らせて、不服そうに言う。
「でも……そういう、命令」
「見張るのは俺達。もしクリスさんを逃がしたら首が飛ぶって言われちゃってさ……正直、すいません」
私に深々と頭を下げるガウェイン。
城と城門の中間地点の花壇の傍で、錠をかけられた私と立ち尽くす軍人達。お昼から怪しかった空は、今になってぽつぽつと雨を降らし始めた。
「何を考えているのだ……東に対抗するならば、クリスは拘束などではなく、仲間として迎え入れなくてはいけないと言うのに」
「癪だけど……全くの同意見だな、准将さん」
逃げるに逃げられないこの状況は、まるで今のエリオットさんのよう。直接的に脅されているわけではないが、私の良心の呵責に付け込むような人選である。
私はエリオットさんを連れ戻す戻さない以前に、自分の身すら不自由になってしまったのだ。辛いとか悲しいとか怒りだとか、そんな気持ちは不思議と湧いて来ない。
ただ手首に圧し掛かる錠の重さだけが、これが夢では無いと私に示していた。
◇◇◇ ◇◇◇
「予想通りだな」
多分内容が決定されたのは二日前。その返事が先程城からようやく届いたところで、俺は赤地に金の装飾が成された大きめの椅子に座って読んでいる。
ここはモルガナの長の屋敷の一室。以前ここの長と挨拶を交わした部屋と同じ場所だろう。本来あのデブが座るべき椅子に、俺は今堂々と座っているってワケだ。
え? その本来座っているはずのデブはどうしたかって?
「ふひぃ……」
気持ち悪い声を洩らして、苦渋の色が浮かんだ顔をしながら俺の傍で正座をしているところだ。いや、させている、か。
こんなはずじゃなかった、と言いたいのだろうが、そんな無駄口を喋る気力などコイツにはもう無い。散々ぶん殴ってその顔は既に原型を留めておらず、家来も体型でしかコイツを把握出来ないんじゃないだろうか。
俺はあれからフィクサーによって確かにモルガナの長に一旦『売られた』が、折角大人しくしてやっていたと言うのにこのブタがあまりに調子に乗るもので、気付いたら手錠を壊して立場を逆転させてしまっていた。
フィクサーからの指示はこう。
このデブに反乱を起こさせたいからそれがうまく進むように人質の役をしてくれ、と言うものである。
反乱をわざわざ起こさせる理由は、敵が巣食っているのが城である事が、俺や兄上達の体の分析書類が城に保管されていた件を鑑みればほぼ確定だからだ。
今までの事からしても、神は万能では無い。城という拠点を潰すか、潰せなくとも動きにくくしてやれば色々とやりやすいと言うのが奴の考え。
ただまぁここまで来ておいてアレだが、俺は未だにアイツらがどうやって神殺しをやってのけようと言うのか聞いていなかった。いや、聞いたのだがうまくはぐらかされて聞けていないと言った方が正しいだろう。
連中はまだ俺に隠している事がある……それだけは間違いない。
そして、フィクサーの指示通りうまく反乱を起こさせればいいのなら、俺別に捕まってなくてもよくね? って事でモルガナの長に取って代わってこの椅子に座ってやったのだ。
「もう少し楽な要求を突きつけてやればもっとマシな交渉が出来たものを……ほんとバカだなお前」
「お、仰る通りで……」
「喋るな! 耳が腐る!!」
げしげしと靴底で踏みつけていると、部屋に響くノックの音。返事をする前に開いたドアからはクラッサが入ってきた。その手にあるプレートにはホットコーヒーが入っていそうな器が乗っている。
「どうぞ」
仰々しいテーブルに、コト、と置かれる器。中身はやはりコーヒーらしい黒い液体。
「ありがと」
一応俺のモルガナでの身の安全を確保する為にフィクサーからクラッサがここに寄越されていたのだが、俺が反逆してしまったので役目を失った彼女は秘書状態になっていた。
しかし、
「……うーん」
「お口に合いませんか」
「やっぱり何か違うんだよなぁ」
以前ニザの山脈にあった施設に居た時の食事もどうやら彼女が作っていたらしいのだが、彼女の作る料理はどうも味が一つおかしい。何を作らせても、何かが違うのである。
不味いわけじゃない、美味しくないわけでもない。けれど何か一つ……違うのだ。
「何だろう、美味しいんだけどどこか違うんだよ」
「愛情と言う名のスパイスが足りませんか」
こんな感じで結構クラッサはボケてくる。そういうやり取りは嫌いじゃないのでいつも割とノっているが、
「そうだな、それかも知れない」
「申し訳ございません、王子用は常に切らしております……」
「ハハハハハ」
ノるとこの通りグサグサに刺されて笑うしかなくなるのであった。
何か違うクラッサ印のコーヒーを飲んで、俺は彼女に持っていた文書を渡す。
「一応フィクサーに渡しておいてくれ」
「かしこまりました」
そう言った彼女の顔はいつも変わらぬ無表情。けれど城に居た時と決定的に変わっている部分があった。
それは、顔の傷。どうも城に居た頃は魔術でその目立ちすぎる傷を隠していたそうなのだが、最近それがようやく解けて彼女は本当の顔を俺の前に晒している。
その顔の傷は、左頬に大きく広がる火傷のような痕。一体どういう経緯でそうなったのかは知らないが、こんな事をしているのだ……どんな過去があっても不思議では無い。そう思う。
そんな彼女は、文書を受け取ってさっさと部屋を出ようとするが、ふとその途中で立ち止まった。
「?」
その動きに気を引かれて、俺はクラッサの背中をじっと見つめる。黒のスーツで一見男性のように見えるが、よく見ると腰から下にかけての曲線が女性らしさを……っと、胸に尻に、俺の見るところはそんなのばっかりだ。まずはこのクセを直さないといつまで経ってもクリスに変な目でしか見て貰えないよなぁ。
「一つ、言伝を忘れておりました」
彼女はゆっくり振り返って、涼しい目元でこちらを見据える。
「王子のお気に入りの子供が、二日前から城の地下牢に拘束されております」
「へぇ」
お気に入りの子供ねぇ。誰の事だろうな。
俺はうまく働かない思考回路を放置して、コーヒーを飲み干した。そして、空になったカップの底を流し見ながら再度クラッサに視線をやる。
「……本当か?」
あるわけない。どうしてそんな事になるんだ。もしそれがクリスの事を指しているのであれば、全く意味が分からない。
何か全然違う子供の事であって欲しいが、残念ながら他の子供の心当たりはゼロだった。
俺の、間違いであって欲しいという願いが篭もった視線を一蹴するように続けるクラッサ。
「一応城内の情報網は確保した上で出てきましたので、間違いないかと。どうも私の仲間として嫌疑を掛けられているようです」
「はは……」
手が震えてくる。声も擦れてくる。
そうだったな、敵はコイツらだけじゃないんだ。城にも居たんだった。
どういう意図があってクリスをそんな言いがかりで拘束しているのか分からないが、ビフレストやらの力や存在を知っているのならクリスの正体を知っていてもおかしくない。
もし俺が本当にビフレストの上位種として改変が済んだ時、きっと敵対出来るのはクリスだけだろう。それを恐れて拘束か? もしそんな理由で拘束されているとすれば、この後更に言いがかりをつけて極刑も有り得る。
怒りにまかせて手元のカップを部屋の壁に投げつけると、高い音を立てて割り散らばるその破片。
「よろしい、ならば戦争だ」
「王子、その名台詞は作品も状況も違います」
城に攻め入るのはそこまで気乗りしていなかったっつーのに、よくもまぁうまく俺の気を逆撫でしてくれるものだと思う。多分こうなる事を分かった上でこの情報を俺に持ってきたのだろうが……手の平で踊らされている感が否めなくとも、他の選択肢は俺には無かった。
「だから田舎に引っ込んでろって言ったのによ……」
いや、引っ込んだところで結局捕まっていたかも知れないがな。
「どう動きますか? 城と国の機能にダメージを与えて頂けるならやり方は問わないそうなのですが」
やはり予めこうなる事を予測していたのか、クラッサがフィクサーからの指示を俺に伝えてくる。
「面倒だからちょいと一匹、竜を転送してやればいいんじゃねえの」
「あのサイズを転送ですか……無理があるかも知れません」
まぁ確かに。俺はまだ空間転移の理まで把握していないのでフィクサーかセオリー任せになってしまうわけだが、あの大きさを転移させるとなるとどれだけの集中力が必要になるのやら。
顎に手をあてて少し考え、俺は足元で正座したままのデブに声をかける。
「おい、大型竜の騎乗が出来る兵は何人居るんだ?」
「は、はひっ、竜の数だけは、揃えております!」
「六人か……そのうちの二人だけ先行で城を攻めさせろ。勿論大型竜でな。分かったら立っていいぞ」
「ハイッ!!」
ようやく正座を解かれたモルガナの長はそのコロコロした達磨のような体を起こし、足の痺れに悶えながら部屋を出て行った。
動きも救いようがないほど醜いなぁ、とその姿を見ながら思っているとクラッサが言う。
「二人だけでは心許なくありませんか?」
「そうだな、死なないようにキリがいいところで引き上げるよう指示しておいてくれ」
「陽動ですか」
「あぁ」
煮えくり返るような思いを必死に堪えながら俺は短く返事をした。
また大事なものを失うかも知れない恐怖と、それをまた護りきれていない自分への苛立ちと……状況は違っても結果はまるで過去をなぞる様。
以前はローズを精霊に、今はクリスを国に捕らわれている。
「俺も、行く」
その言葉にクラッサは、頬の火傷の痕にそっと手を触れながら笑いを堪えるように唇を噤んでいた。
◇◇◇ ◇◇◇
【第二部第十四章 憎悪 ~悪意は伝染していく~ 完】