表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
(非公開)  作者: 非公開
第二部
28/53

マドリガーレ ~交錯する思い~

「とりあえず昨日の話をしよう」


 そろそろライトさん達と顔を合わせるのも慣れてきたようなレイアさんが、彼の病院内のダイニングテーブルに手をついて切り出した。

 私達はあれから二日かけて王都に帰還したのだが、戻ってきた事をガイアさんに聞くなり彼女はすっ飛んできて、何を言うかと思えばこの通り。


「昨日、ですか?」


 こちらとしても早くニザで何があったのか報告をしたいのだが、そうはさせないほどの大事が昨日に起こったのだろうか。

 一同勢ぞろいして足りなくなった椅子は別の部屋から引っ張って持ってくるくらい、人口密度が高くなっているダイニングルーム。

 フォウさんとレフトさんはあまり会話に口を挟むつもりは無いのだろう。彼らは少しテーブルから離れたところまで椅子を引いていて、テーブルにきちんと向かっているのは私とライトさんとガイアさん。それに椅子を使わず立っているレイアさんだった。


「どこからどう説明したものか……うーむ」


「早く言え」


「分かっている! えぇと、モルガナの長から文書が届いたんだ」


 ライトさんに急かされ、焦りつつも順を追って説明しようとしてくれている彼女。だがその表情はとても硬い。一体その文書に何が書かれていたと言うのか、皆黙って続きを待つ。


「簡単に言うと内容はこうだ。『王子の身の安全を保障してほしくば軍を放棄せよ』と」


「……え?」


 それだと、エリオットさんはモルガナに居る事になってしまうではないか。いきなりこちらの情報と辻褄が合わな過ぎるので、私は思わず聞き返してしまった。


「と言う事はエリオットはモルガナに居たのか?」


 勿論コレだけ聞くとそういう事になるわけで、ライトさんが私に事実確認をしてくる。


「いいいいいや、居ませんでしたよ。ニザの渓谷の大きな建物のあたりで会いました」


「そうッス。しかも結構自由きままに動けるみたいだったッス」


 私の言葉に、補足してくれたガイアさん。そのやり取りを聞きながらレイアさんの顔色はますます強張っていっていた。


「いきなり状況が噛み合わないとは……では行方不明の情報を聞き付けた上でそれを利用してのハッタリなのだろうか?」


「そう決め付けるにはまだ早計だ。次に三人が持ち帰った情報を聞いてきちんと照らし合わせればいい」


 焦る鳥人の片割れを止めながら、また私に向き直る白髪の獣人。

 とりあえず私とガイアさんは、先日フォウさんに説明した内容とほぼ同じ事を彼らに伝えた。途中、レイアさんがまるで力尽きたように椅子に腰を掛けて項垂れた以外は特筆すべき事もなく話が進む。


「じゃあエリオットは半分くらいは向こうに寝返っているようなものか」


 眼鏡の下の瞳を半眼にして呆れたように再確認をするライトさんに、私はこくこくと何度も頷いた。帰ってきて間も無いので黒い法衣のままの為、少し暑くて手で顔をぱたぱた仰ぎながら次の言葉を紡ぐ。


「はい、だからやっぱりすぐに何か彼に危険が~みたいな感じは無かったと思います」


「恐ろしく辻褄が合わないな」


 全くです。何を相談しようにも情報が錯綜し過ぎていて話にならない。しかしここは頼りになりそうな眼鏡がキラリと光る、ライトさんがそれでも何とか糸口を見つけるべく話を続けた。


「両親と神に復讐するのがエリオットの目的で寝返る理由だとして、ではそんなアイツにクリスの名前を出してまで要求する事とは何だろうか?」


「少なくとも王子と利害が一致しない、復讐とは関係の無い事になるのだと思うが……私には想像がつかないよ」


 そこでまた全員が考え込む。

 あの時エリオットさんは、自分の目的だけならまだ帰ってもいいような素振りだった。けれど相手の要求のせいで帰れない、とも言っていた。では、その要求は何かしら身柄を拘束されるようなものだと言う事に……


「っ、おおおおおお!!」


 最近の私の名推理が光る!

 閃いて思わず声を上げてしまった私に、周囲の視線が一斉注目した。私はこの閃きがどこかへ飛んでいってしまう前に急いで口に出す。


「あ、あれです! 相手の要求はモルガナの人質になれ、ってヤツですよきっと!」


「どうしてそう思う?」


「エリオットさん、何となくその要求ってのが体が自由にならないものっぽい言い方だったんです!」


 ライトさんの問いに元気良く答える私。けれど彼は私の意見の矛盾点を即突いてきた。


「なるほど。で、ニザに居る連中とモルガナとの繋がりはどこから?」


「うっ」


 そこで名推理も打ち止め。

 そうか……セオリー達がそんな要求をエリオットさんにするのならば、彼らとモルガナとの繋がりがあるはずなのだ。でもその裏づけが足りない。

 さっきの勢いはどこへやら、私はまた口を噤む。


「話が進まないッスからそれは一旦置いて、神様の説明が欲しいッス。何をどうして王子がいきなりそんな突拍子も無い単語を出したのか想像出来ないッスよ」


 あぁそうだ。彼らの思惑はさておき、そちらは私が答えられる事だ。うまく説明出来るかは分からないけれど、エリオットさんがその単語を出して去ってしまった以上、私の中だけで留めておいていい問題では無い。

 ガイアさんの要望に応じ、私は少しずつ説明をする。


「ほとんどはルフィーナさんから聞いた話なんですけど……セオリーとあともう一人裏に居るはずの人物が、まず神様に体を人間ではないものに作り変えられたのが最初、だと思います」


「いきなりその存在を認めた上で話が進むんだな」


「まぁそこはとりあえず置いてください。で、その時神様はレクチェさんの体を媒体として降りていたそうです。レクチェさんはその……ビフレストって呼ばれる神様の使い、らしくて」


 どこまで彼らがこの話を信じてくれるのだろう、とチラリと横目で皆の顔を伺った私は、大方予想通りの表情をしている皆に溜め息を吐いた。

 以前のエリオットさん同様に、信じて貰えないのであればどうしようも無い。何だか少し説明するのも馬鹿らしくなってきて、私はそこで口を開くのを止める。


「す、すまない。気にせずに話を続けてくれないか」


 私の様子に気がついたレイアさんが謝って続きを促してきた。それでもまだ彼女の目には疑いの色が残っている。気になるけれど仕方の無い事、と割り切れないけど無理やり割り切って、もう一度だけ奮起した。


「ビフレストは基本的に、私や精霊武器によって世界に干渉されたものに関してだけ修正をして回っているそうです。最近で言えばスプリガンがいい例ですね。本当はアレはレクチェさんが直すべきものっぽかったんですけど、あまりに人目が多いからってレクチェさんはエリオットさんに直させようとしていました」


「……そこで何故王子に任せようとするのだろうか、彼女は?」


「今思えば、エリオットさんにはビフレストと似ている力があったからです」


「アイツの魔力か。あの時エリオットは時間はかけたが最終的に直していたな、水晶になってしまった人々を」


 そう、彼が直せる時点で疑問を持つべきだったのだ。いや、きっとエリオットさんは一人で悩んでいたのだろう。だからこそ、今の状況がある。彼が私達ではなく、セオリー達を同志として選んでしまった状況が……

 そう思うと悔しくて少しだけ手に力が入った。


「で、セオリー達は神様やビフレストの存在を知った後、ずっと研究を続けていたそうです。私の種族と共に。けれど途中で私の種族と争いになったと聞きました」


「クリスの種族、と?」


 レイアさんが詳細を掘り下げるように一言問いかけてくる。


「えぇ、私の種族はビフレストの敵対種族みたいなものらしくて」


 皆の反応をうかがいながらも少しずつ、私は確信と成り得る存在を話に出す事にする。


「この話だけだと信じ難いと思いますが、私は確かにビフレストであるレクチェさんに敵意を感じていました。何の根拠も無いのに、ただ本能的な感じで……それを裏付けるように精霊達も彼女を敵だと言うので、私は信じる事が出来たんだと思います」


 そう、精霊。

 事実としてこの場に居る、不可思議な存在。彼らの存在だけは目に見えている以上否定しようが無く、そして彼らが間接的に神と女神の存在を証明しているのだ。


「ニールを連れてきて貰えますか?」


「居ますわ~」


 私がライトさんかレフトさんのどちらかに、と掛けた言葉に、レフトさんが返事をする。そして彼女の胸元からもぞもぞと出てくる白いねずみ二匹。


「って、そんなところに居たんですか貴方達は!?」


 隣でその様子を見ていたフォウさんは、無言でありながらも完全に顔が赤い。その視線はがっつりと彼女の胸の谷間に向けられていた。

 二匹のねずみはテーブルを軽々と駆け上がり、待ってましたと言わんばかりに元気良く人型に変化するダインと、渋々変化するニール。二匹から二人に変わった白く小さなねずみの獣人を目の前にして、レイアさんが恐る恐る指を差しながら言う。


「こ、これは……?」


「その体の中に、精霊武器の精霊が入っているんです」


 私の説明に目を丸くする鳥人姉弟。


「それは本当なのかい?」


「こんな嘘吐きませんよ」


 私の答えを聞いて、机の上で小躍りしているダインを見ながら、ほぅ、と溜め息を吐く彼女。そして何を言うかと思えば、


「小さくて可愛い……」


「ははっ、君なかなか見る目あるじゃない!」


 何故かレイアさんのツボにハマったらしい二人の姿。でも、褒められて喜ぶダインはどうかと思う。ニールのテンションは相変わらず低く、元気そうなダインを呆れ顔で見つめていた。


「まぁあれだよね、やっと真実から目を逸らすのを諦めたんだろう? サラの末裔」


 すると、急に小躍りをやめたかと思えば私に向き直り、さっきまでの可愛い顔はどこへやら……いつもの歪んだ笑顔に変えて言い放つのはダイン。


「別に目を逸らしていたわけでは……」


「同じ事さ。君の役目は本来ボクらを使ってビフレストを含むこの世界の破壊。ま、もうボクらは君のおかげで使い物にならないから、使うならレヴァになるのかな?」


 あ、苛々する。ニールを呼んだのにどうしてコイツがしゃしゃり出てくるのだろうか。

 顔が引きつってくるのが自分でも分かり、ダインを机の上から放り投げたい衝動を抑えていると、そんな私の代わりにライトさんがダインを掴んで白衣のポケットに突っ込んだ。


「うぶっ」


「お前はちょっと黙っていろ」


 そして机の上に残されるは、さっきから黙ったままのニール。

 彼はあまり喋る気が無いのかも知れない、どこか気分の乗らない表情で胡坐を掻いている。


「この子はニールと言って、私が以前持っていた槍の精霊なんです」


「槍って……王子をあんな目に合わせた!?」


 キッと鋭く睨むレイアさんだったが、ニールはその視線など気にも留めずにさらっと返答した。


「私のせいでは無い。あの男が勝手に私を持つから悪いのだ」


 まぁ確かに。でもレイアさんからすれば原因はあの時の槍以外に他ならないわけで、その精霊が目の前に居るとなればそんな顔になってしまうのも仕方ないのだろう。

 悪びれる様子も無いニールの態度にやや不満げなレイアさんは、それでもわざわざ追求する事無く我慢をしてくれた。大人だ。


「ニール、そういえば貴方達……セオリー達の事知っているはずじゃないんですか?」


 そう、よく考えてみれば以前彼らの元にこの精霊武器はあったのだから、知らないはずが無い。

 私の問いに、ニールは赤い瞳をスッと細めて呟く。


「武器であった頃の私達は、基本的に持ち主がいなければ酷く力が弱いのだ。持ち主が死んでしまってからはあまり分からないが、持ち主が居た頃のあの連中ならば知っている」


「おおおお教えてくださいっ!!」


「どれを聞きたいのだろうか?」


「も、目的とか、力とか、あともう一人居る人物についても!」


 前のめりになって問いかける私に、後ずさりながらもニールが答え始める。


「直接、奴等の口から目的を聞いた覚えは無い。だが、神に何か用事があったように見受けられた。それさえ終われば私達の好きにしていいと言われていた気がする」


「へ、へぇ……」


 じゃあエリオットさんもそんな感じで、事が終わったら神様をぶん殴るのであろうか。そもそも神様って殴れるのかな、形があるのかどうかも怪しい。

 ふっとニールに集中していた視線を他にやると、皆も既に真剣な眼差しでニールを見ていた。私の話を聞く時よりも……真剣だ。ひどい。


「力、と言われても何と言っていいか分からないが、知識が人間のソレでは無かったと思う。特に二人が揃うと本当に手が出なかった。私の元の持ち主達も結局彼らに敗れたのだからな」


「二人、ってのはセオリーとクラッサですか?」


「セオリーは確かいつもクリス様の前に現れていた男だろう? けれどもう片方の男の名前は覚えていない。滅多に顔を出さない奴だった」


 男。

 クラッサは女であるからして、つまりニールが言っているのはセオリーともう一人陰に居る人物の事だろう。


「そういえばエリオットさん、セオリーとクラッサの他にもう一人強い奴が居るって言ってました……」


 つまり精霊武器で挑んでも、その二人が揃えば勝てない、と。


「キツイな……」


 ぼんやりとライトさんが呟いた言葉は、今この場に居る皆が考えていた事だったと思う。

 正直だんだん気が重くなってきているのが分かった。事実を確認すればするほど重く圧し掛かる先への不安。気付けば皆が口を噤んで思い思いの方向に視線を流している。


「エリオットさん……」


 私は机に肘をついて頭を抱えながら、一人でその身を転じた彼を想う。

 いつもいつも迷惑な人だ。貴方がこの場に居るならばこんなに皆が悩まずに済むと言うのに。


「あーーー!! ムカつきます!!!!」


 悩んでいるのが馬鹿らしい!

 抱えていた頭を一気にぐぁぁっと上げて私は指をワキワキしながら叫んだ。目の前に居たニールが驚いて飛び上がり、他の皆も一斉に私の方を向く。


「相手が強かろうがモルガナのあの憎たらしい長が何を言って来ようが関係ありません。どこに居ようが彼を連れ戻して、迷惑かけてごめんなさいって謝らせないと気が済みませんよ!」


 机にダンッ、と拳を叩きつけて思いの丈を誰にぶつけるわけでも無いのにそれでもどこかにぶつけるように叫んだ。本当にぶつけたい相手はこの場に居ない。

 私の剣幕に呆気に取られた一同は、少し間を置いてから返事をしてくれた。


「まぁ、そうッスね……いつもいつも手が掛かるお人ッス」


「クリスの言う通りだな。らしくもない、弱気になり過ぎていたよ」


 そう言って苦笑するのは琥珀の瞳の鳥人達。けれど金の瞳を鋭くさせて、それに反論するのは白衣の医者。


「気概はそれで結構。だが何度も言うが無謀な事はしないでくれ」


「でも……っ」


「これは俺の気持ちでもあるがそれだけじゃない。お前に何かあった時一番辛い思いをするのはエリオットなんだ。だからこそお前が人質として通用しているんだぞ」


 折角振り切った重い空気を、また戻そうとするライトさん。ポケットの中で暴れている物体を必死に押し留めながら彼は続ける。


「一つ聞くが、クラッサと言う女はそんなに強いのか? 精霊の話には出てこなかったわけだが」


 その視線の先は私ではなく、レイアさん。


「……剣の腕は普通だ。だが銃の腕と洞察力が抜きん出ていた。彼女は軍に入って四年くらいだが銃器なら大型なものでも大抵使いこなしていて、それもあって剣が主要武器である私の傍に居たのだよ」


 そうか、彼女の本分は銃器だったのか。それならあの時そこまで剣が達者では無かったのも納得出来る。私相手では精霊武器を使うしか無いから、あの場では剣だったのだろう。


「クラッサは銃を使っていませんでしたよ。と言うのも彼女は精霊武器らしきショートソードを使っていたんです。おかげで苦戦しました」


 私は彼らの話に割り込んで情報を付け加えた。


「そうッスね。合間に銃を使う様子も見受けられなかったッス」


「では、銃を使えば強いが、この間は対クリス用に精霊武器の剣を使っている、と。その女は女神の末裔なのか?」


「私には見分けがつかないんですよね、その女神の末裔ってのが……」


 セオリーやルフィーナさんは見分けがついているようだったけれど、何か特徴でもあるのだろうか。髪や瞳? 珍しいものでは無いはずなんだけどなぁ。

 私が語尾を濁すと、そこへニールが小さな声で教えてくれる。


「根本から造りが違うのだから、知っている者が見たなら一目瞭然だろう」


「根本から……」


 それは治療魔術を受け付けなかったりするこの体が、だろうか。外見的特長ではなく、何か別に視えるものがあるのかも知れない。


「そうだね、クラッサって女性はただのヒトだったよ」


「そうか。だったら普通のヒトでも精霊武器を持てる何か技術のような物があると言う事か……」


 フォウさんの言葉をするりと飲み込んでまた思考を張り巡らせるライトさん。彼はフォウさんの言葉に関しては全く疑わないようだった。同じ『天然持ち』としてその能力を認めているのだろう。

 しかしそんな技術があるのならばずっと以前からそれを使って精霊武器を回収出来たのでは無いか? そんな疑問が頭を過ぎったが今はそれはそこまで大した問題では無い。とにかく彼女が精霊武器を使ってくる、という事実だけだ。


「精霊武器を使うヒトと、人間では無い存在に変えられた二人……」


 三人いっぺんに来られても無理だが、バラバラに戦うとしても人手が足りない。そんな強さの相手と互角に戦えるほどの戦力が私達には無いのである。


「次は、私も行こう……」


 ぼそりとレイアさんが呟いたそれは、彼女のこの件に対する並々ならぬ思いを示していた。だって彼女は本来勝手に王都を離れられない立場の人なのだから。


「お前が行ってどうにかなるのか?」


「私が不服だと言うならば、君が行けばいい」


「……っ」


 そこは反論出来ないらしいライトさん。渋い顔をしながら黙ってしまった彼の戦闘能力は未知数だ……低い意味で。


「まぁ、この前の感じだとクラッサさん相手なら勝てるんじゃないッスかね。剣でも銃でも」


「精霊武器相手でも、ですか?」


 姉をそう評価する弟に、私は装備の差を指摘する。だって並の武器では打ち合う事すら出来ないのだ、精霊武器とは。


「必ずしも刃を当て合う必要は無いんだよ」


 そう言って彼女は私の指をスッと引っ張って、自分の指を当ててはクロスさせた。


「普通ならこう。でも相手の剣の方が上等であってこちらの物が折れると予測出来るならば、こう」


 そして彼女の指先が私の人差し指の根元を突つく。


「簡単に言いますけど、凄く難しいですよねそれ……」


「無論、これだけじゃない。もし彼女が次もショートソードを使ってくるのならば、こう」


 次は私の人差し指を第二間接あたりを横に薙ぐように横へ倒す。


「ショートソードと言うならば多分両刃で薄いだろうから、斬り合おうとするのではなく薙ぐんだ。軽いからすぐ払えるだろう。刃を平行に重ねないと精霊武器相手ではこちらの剣が折れるからそこは絶対気をつけて、ね。ショートソードは本来突くのもメインの動作の一つだから、突いてきたらかわし様にうまく鍔を引っ掛けてやるのもいい」


 そして私の指と自分の指をぴったりくっつけて、その先だけをちょんちょんと動かした。


「一番楽なのは持ち手の指を斬ってやれば早い。あと刃を当てたくないならば読めないように動きをなるべく曲線にすべきだろうね」


「そ、そんなの出来ますかね……」


「少なくともクラッサはそこまで剣の腕は無い。上級者を相手にするわけでは無いのだから、クリスも少し頑張れば次は負けないはずだよ」


 レイアさんと指をうにうに絡ませながら、私は複雑な心境でいた。


「クリス相手に武器を出し惜しみするとは思えない。きっとそのショートソードが彼女が君に対して一番使える武器なんだろう。となれば、次回もそれで来る可能性が高いから勉強しておくべきだ」


「は、はい……」


 今まで槍ばかりだった自分が、ここに来て本格的に剣の腕を磨く事になろうとは……こんな事ならばレイアさんに以前剣を貰った時からきちんと練習しておけばよかった、と後悔する。

 だって、まさか自分の体がこんなヤワなものになってしまうだなんて、思ってもいなかったのだ。


「まぁ私が相手出来ればそれでいいが、どういう状況になるか分からないからね」


 彼女の言葉にこくんと頷く。プチ勉強会をして貰ったのも落ち着いたところで、


「とりあえずモルガナからの要求へどう対処するかは明日分かるはずだ。今日のところは帰るから……一応王子が居たって言う建物の位置を教えて貰えないか?」


 最後にレイアさんがポケットから小さい地方の地図を取り出してテーブルに広げた。

 私は分からないのでノータッチ。フォウさんが椅子から立って寄ってきて、ガイアさんと少し相談してからその位置を指す。それを見るなり何故か表情を強張らせる彼女を、私は横で首を右に傾げて眺めた。


「……クリス」


「はい?」


「君は正しい」


 何が?

 今度は首を左に傾げて、私はそのまま彼女を見つめる。他の皆もレイアさんが急に発した言葉に面食らっていた。けれどその後の言葉で私達は別の意味でも面食らう事になる。


「ここは、モルガナの連中が竜を飼育している第三施設と同じ位置なんだ」


「!!」


 息を飲み、一瞬場が凍りついた。


「じゃ、じゃあ、セオリーやクラッサはモルガナの連中と繋がっているって事ですか!?」


「そうなるね」


「ハッタリでは無かった、と言うわけだな。面白いくらいに面倒な連中同士がくっついてくれているじゃないか」


 笑うように言い放ったライトさんの顔は、笑っていない。


「そこに王子が半分寝返っているワケッスからね……面白すぎて涙が出そうッス……」


 そしてもうほとんど泣き顔のガイアさん。

 確かにエリオットさんは完全に攫われたわけでは無い、半分は自ら協力しているのだ。となれば、モルガナの文書の内容は少し引っかかる。


「それだと完全に人質と言うよりは、人質のフリをさせられているって感じっぽいですね」


「だろうな、裏事情を考えたら実際に危害が及ぶとは考え難い」


 そんな私達の話を聞きながら、一人頭を抱えるのは鳥人の姉。


「これを城に報告して、誰が信じてくれるだろう……」


 彼女の悩みは、別の部分にもあったようだった。

 とりあえず今日のところは鳥人姉弟は帰って行った。正直長旅……ってほど長旅では無かったけれど酷く疲れて、早く寝たいのが本音である。

 気付けば時間はもう夜で、軽く食事を済ませた後にお風呂、歯磨き、とやる事をきちんとやって電気を消してはベッドにもぐった良い子な私。就寝時間もとっても良い子だ。

 ちなみにお風呂でバッタリ! みたいなフォウさんが泣いちゃう展開は無かったので安心して欲しい。そういえば彼は何でそういう時に半泣きなのだろうか。今思えばすごく不思議である。

 そのくせして今日なんてちゃっかりレフトさんの胸を見てるし……やはり大きな胸は恥ずかしくても見たいものなのかも知れない。


「……ハッ!!」


 分かった、彼はムッツリスケベって言うヤツだ!! 知っているぞ! 恥ずかしいから興味が無いフリをしているくせに、さり気なく見ているんだ、今日のレフトさんの胸みたいに!!

 エリオットさんみたいに分かりやすければ世の女性をその視線から守る事が出来るのに、ムッツリとはある意味何と危険なのだろう。気付き難いから守り難い。

 またしても私の名推理が冴え渡ってしまった。当面の私の任務はレフトさんを守る事である。明日はちゃんと彼女を彼の視線から守らねば……

 と、そんなどうでもいい事を考えていたらだんだん眠くなってきた。気持ちよく微睡みかけていたところに突然ノックの音が響く。


「んな……、誰ですか……」


『あ、ごめん。もう寝てた? 早いね』


「ムッツリスケベの声がする!!」


『何をいきなり!?』


 廊下で絶叫が聞こえたので私は仕方なくベッドから這いずり出てこちらからドアを開けた。そこに立っているのは予想通りストライプのパジャマを着ているムッツリスケベであったが、手にはプレート。その上には湯気が立っている鶏団子のスープが二杯。


「あ、夕食少なかったから小腹が空いただろうってレフトさんが作ってくれたんだけど……」


「けど?」


「俺を見る目と色が凄く濁ってるのは、どうして?」


 そりゃあもう、ムッツリスケベなんだと気付いたらエリオットさんと同等くらいに見下げずには居られないからです。

 でも何となくそれを口にする気になれず、私は黙ってジト目で彼を見る。


「凄く視線が痛い……」


 全身でその心苦しさを表現する彼だったが、そんな事でもう騙されたりはしない。


「そう思ったらスープだけ置いてさっさと去ったらどうです?」


「何か凄い理不尽ッ!!」


 と、叫びつつも彼は何故か部屋に足を踏み入れてきたではないか。彼が入ると部屋の中は一気に美味しそうな匂いで充満した。くっ、食べ物で釣ろうと言うのか。

 私の視線は思わずスープに向いてしまうが、その誘惑に何とか耐えながら彼を部屋から押し出そうと頑張る。


「ど、どうして入って来るんですか!」


「どう見たって食べたいって顔してるくせに! ついでにマジメな話もあるんだよ。部屋に人を入れたくないなら俺の部屋にする?」


 私に押されてこぼれそうなスープを死守しつつ、彼はあくまで紳士の面を被って話を続けた。でも、


「もっと嫌です!!」


「何でー!?」


 敵地に赴くわけが無い! 同じスケベでもエリオットさんは私を女性として見ていなかったが、フォウさんはどうやらレフトさんから私まで、と守備範囲が広いようなのだからそれが分かった以上きちんとガードするのが当然と言うものである。

 彼は私の感情は見えていてもその理由までは見えていないのだろう。私の気迫に負けて肩を落とし、しょんぼりと項垂れながら言った。


「……急にどうしたのさ」


 そんな彼の表情はとても悲しげで、これだけ見ていたらまさか本性がムッツリスケベだなんて思えない。むしろ私がフォウさんに悪い事をしている気分になってくるくらいだ。

 理由も言わずに拒否するのはちょっと酷かったかも知れないと少しだけ反省した私は、彼の手からプレートを受け取りテーブルに置いてからぼそりと呟く。


「フォウさん……昼間いやらしい目でレフトさんの胸をじーっと見てたでしょう」


「!!」


 私の指摘を受けてビクリと肩を震わせるフォウさん。やはりあの視線はそういうモノだったのだ。


「ライトさんは女性をああいう目で見ません。エリオットさんは見ます。これがどういう事か分かりますか?」


「……えーと」


「フォウさんは爽やか青年ぶっておきながら実はエリオットさんと同類だって事なんですよ!!」


 ズガシャーン!! とフォウさんの背景で稲光が光ったような錯覚が見えたような見えないような。

 少なくとも私には見えた。多分。

「そ、そんな……あんなのと同類だなんて……」


 相当ショックらしく、よろめきながらドア近くの壁に手をつくフォウさん。ライトさんも以前私がエリオットさんと同類と言った時に即否定していたくらいだから、男性としてアレと同一視されるのは屈辱なのだろうか。まぁ、私なら屈辱である。


「何がキツイって、クリスがそれを心の底から言っているって分かるのが一番キツイ……」


「当然です。良かったじゃないですか、今ライトさん以上に貴方を意識していますよ私」


 女の敵として。


「違うッ! 俺が求めていたのはそんなのじゃナイッ!!」


 首をぶんぶん横に振って我侭を言う四つ目の青年。青褐の髪をやや乱しながら、その髪と同じ色の瞳を潤ませて彼は言う。


「クリス、その汚名だけは晴らさないと気が済まないよ俺。そっ、そりゃあ目がいっちゃったけどさ、それだけでアレと同類だなんてあんまりじゃない?」


「でも、ライトさんはあんないやらしい目をしないです。キスされた時だって、その、真剣でしたし」


「か、顔に出ないって何て得なんだ……ってキス!? 聞き間違いだよね!?」


 まずい。比較しようとしてつい口が滑ってしまった。ハッとして口元を押さえつつ私は誤魔化す。


「い、言い間違えました。スキと言われた時、です……」


「……クリスはそんな嘘吐く子じゃ無かったよ」


「はぐぅ」


 あれ? 責めていたはずが何で責められ始めているのだろう?

 大体において別にフォウさんに知られたところでいちいち嘘を吐く必要など無いのに、どうして私は今この場でそんな嘘を吐いたのか。しかもすぐにバレると言うのに。恥ずかしいから?


「…………」


 私はしばし沈黙した後、とりあえず気持ちを落ち着かせようと深呼吸し、現実逃避するかのように椅子に座ってスープの器に口をつけた。少し冷めてしまっていたそれは五香粉の風味がほんわり香る。


「美味しいです、フォウさんも早く飲んだ方がいいですよ」


「いやいやいや、不自然過ぎるからねソレ!?」


 ツッコミ疲れた様子のフォウさんは、はぁ、と溜め息を吐きながらももう一つの椅子に腰掛けて仕切り直すように口を開いた。


「まぁ話が進まないからいいや……とにかく、王子様みたいに取って食ったりしないからそういう警戒はしなくていいよ」


「何を取って食べるんですか?」


「あ、ごめん。スルーして、うん」


 多分彼も少し機嫌が良くないのだろうが、この態度はちょっと頂けない。私にだって今のフォウさんの言葉が『あぁコイツに説明すんのめんどくせーなぁ』と暗に言っているものだと言う事くらい分かる。

 お世辞にも穏やかとは言えない心境になるが時間も時間だし、話もあるようなのでそこは黙って彼の希望通りスルーする事にした。

 私のそんな反応を確認した後、彼はそれを切り出す。


「王子様と戦う気なの?」


「えっ?」


 フォウさんがしかめっ面で発した言葉は、全く考えてもいない内容。勿論一言聞き返すだけしか私には出来ない。


「だってそうでしょ? どう説得しようとしたかは知らないけれど、言ってもダメだったんだから今度は実力行使って事になるよね」


「あ……」


「皆はセオリー達の事で頭がいっぱいだったみたいだけどさ、俺としてはそっちがどうにもならなければ無理だと思うんだ」


 話にほとんど参加せずに居た分、冷静に聞く事が出来たからだろうか。途中から抜け落ちていた部分を埋めるように彼が言う。


「気絶させてでも連れてくる? そしたら彼はきっと今度は一人でその復讐を成そうとするかも知れないね。何をするか分からないからずーっと誰かが見張るのかな」


 フォウさんは淡々とそれらの言葉を私の頭に置いていく。私達と違って彼はエリオットさんにそこまでの親しい感情は無いからかも知れないが、あくまで客観的に物事の先を捉えていた。

 半分は自分の意思で寝返っているエリオットさんを無理やり連れ戻すと言う事は、そういう事なのである。

 反論する言葉など出てくるわけもなく、私はただ口を噤むしかない。フォウさんの顔を見る事も……出来なかった。


「皆は一体、誰の為に、何をしたいんだろうね?」


 それは私の心に深く突き刺さる。


「一人で突っ走っちゃった王子様もだけどさ……皆も随分と自分勝手だよ」


 正論とはこんなにも胸をズタズタに切り刻むものなのか。彼の指摘に、目の前の視界が歪んでいくのが分かった。

 フォウさんが言っている意味、言いたい事を考えながら、私はじっと白い床を見つめる。病院の一室であるここは家具を除けば全てが白い。今の私の心境のせいもあるのだろうが、急に自分がこの中でただ一人汚れているように思えてしまう。

 いつも何だかんだで優しい彼の視線が、そうでは無い、厳しいものとなって私に降り注ぐ。


「勝手、でした……」


 ようやく絞り出した言葉は、彼の言葉を肯定するもの。


「別に勝手でもいいんだけどさ」


「って、ええぇ?」


 私が彼の意見を一旦受け入れたにも関わらず、フォウさんは自分自身でそれを即ひっくり返すような事を言い放った。

 思わず気が抜けて腑抜けた声をあげてしまった私に、彼はその意図を説明する。


「履き違えてちゃダメって事。今回の王子様を例に出してあげようか。王子様はクリスの事で脅されて、半分は自由がきかない。けれどクリスはそんな風に守られて、嬉しい?」


「そりゃあ、嬉しくないです」


「じゃあクリスは、守られるんじゃなければどうして欲しい?」


「どう、ですか? 難しいですね……」


 私はあの時、エリオットさんにどうして欲しかったのだろう。どうして貰えば嬉しかったのか。

 彼がしようとしていた決断は、私にとって凄く気持ちが分かるものだったし、私もきっと彼と同じ決断をするだろう。とてもじゃないがどうやって言って止めたらいいのか分からず、ただ、悲しかった。

 でも、悲しかったって事は私はそれを求めてなどいなかったはずである。


「難しく考える必要、無いんじゃない?」


「う、そうですね……えっと、守らなくていいから戻ってきて欲しかったです」


 戻ってきて欲しかったから探しに行ったのだ。そう、これしか無い。

 私の出した答えにフォウさんは大きく頷いて、少しだけその顔をいつもの優しい表情に戻してくれた。


「そうだね。皆きっと戻ってきて欲しいから相談してたんだよね。じゃあ……それは何故?」


「何故ってそんなの、凄く大変な事になってますし、心配だってしてるんですから……」


「ぶー!」


 急に口を尖らせてダメ出しをするフォウさんに、思わずビクつく私。彼は私の鼻先にビシィッと右手の人差し指を突きつけて、しっかりとこちらを見据えながら言う。


「今度王子様に会う時までに正しい答えを見つけておくんだ。でないとどうせまた同じ事の繰り返し。クリスの願いは、叶わない」


「そっ、それは視えているんですか?」


 少しだけ後ろに体を下げながら彼に聞いた。すると彼はさらりと、


「いや、視えている先の色は相変わらず不安定でどっちだか分からない。けれどこんなの目が無くたって分かるよ」


「推理、って事です?」


「そうだね。あれだけ捻くれてる人を相手にするんだから、クリスが理由を履き違えてちゃ向き合えるわけが無いのさ」


 あれだけ捻くれてる人。こんなところでそんな風に言われている彼の事を考えたら少し笑えてきてしまう。ふっと緩ませた私の顔を、フォウさんはただじっと見つめてくる。ちょっとくすぐったい気分になるので私はそれを誤魔化すように咳払いをして、顔の緩みを元に戻した。

 彼はとっくに冷めてしまったテーブルの上のスープを一気に飲み干して、最後に鶏団子をもきゅもきゅ食べる。きっと彼の言いたい事はこれで終わったのだろうと感じた。


「正しい答え……」


「そ。俺がまだ応援する気持ちのあるうちに自分で気付いて欲しいかな」


「うーん、教えて貰っちゃだめですか?」


 そう、事態が事態なんだから、まるでお勉強のように私に答えを見つけ出させる時間なんてあまり無いと思う。

 しかしフォウさんは私のそんな甘えた発言が気に食わなかったのか、顔を引きつらせてしまった。


「だ、だめですか……」


「だ、だめだね……」


 私が我侭なのか、フォウさんがケチなのか。心配だから戻ってきて欲しい、のどこが間違っているのだろう。これ以上考えても正直なところ正しい答えだなんて自分一人で導き出せそうに無い。

 そんな私の悩みに上から被せるように、彼は全然関係の無い事を呟く。


「俺は素直なクリスが好きだなぁ」


「ちょっと黙ってください。私は今、貴方が答えを教えてくれないせいで一生懸命悩んでいるところなんですから」


「クリスって毒舌もかなりの確率で本音だよね……」


 素直な私が好きと言っておいて、私の素直な気持ちを受け止めながら半泣きになるフォウさんだった。

 ハッ、もしかして、


「嬉し泣きですか?」


「どうしてそうなるのかな!!」


 その後彼は自分の食器だけ持って私の部屋から去って行き、彼が来る前と変わった事と言えば、完全に冷えてしまったスープくらい。それでもきちんと食べ終えてから歯磨きをし直して私は今度こそ就寝した。

 朝、目が覚めてもいつも通り。エリオットさんがあんな事になっていても、フォウさんに何を言われても、ここでこうしている今の私の生活は何も変わりはしないのである。

 そんな変わらない日常に違和感を覚えながらも朝食を食べにダイニングルームへ向かったが、今朝のその場所はいつもと違っていた。


「あれ、まだライトさんとフォウさん、寝てるんですか?」


「多分起きてきませんわ~」


 テーブルの上に用意されているのも二人分の朝食だけ。代わりに水と冷やされている梅雑炊が二つずつ、テーブルではなくプレートの上に別に用意されてレフトさんが持っている。


「これをお兄様の部屋に届けて貰っても良いでしょうか~」


「分かりました」


 ダイニングルームに来られないからわざわざ届ける? 具合でも悪いのだろうか、不思議に思いながらも私はそれを届けにライトさんの部屋へ向かい、ドアをノックする。


「起きてますかー? 開けますよー」


 返事はいつも通り無いので、気にせずにドアを開けるとそこには、


「うぶわっ」


 こ、これはお酒の臭いだ。パッと見ただけで一升瓶が転がっているのが三本は見えた。ど、どういう事ですかコレは……

 ライトさんの部屋とは思えないほどの物が散乱している床を掻き分けながら彼の部屋のテーブルにプレートを置いて、私は部屋に入った時から気になっていた床に落ちている大きめのタオルの下の固まりを恐る恐る確認する。

 タオルを捲って見るとまるで死体のようにライトさんが倒れていた。


「大丈夫ですか!?」


 ゆさゆさ揺すってみるとその動きで彼は呻くような反応を示すが、どうやら気分が悪いらしく、揺らしていた私の手をガッと掴んで、


「ゆ、ら、す……な」


「あ、ごめんなさい」


 何で床に倒れているんだろうこの人は。て言うか床にライトさんが居るのならば、ベッドの毛布の中身は何なのだろう。そちらもまるで人が入っているように少し膨らんでいるのだが……

 ライトさんをそっとまた床に寝かせて、私は疑問を解消すべくベッドの毛布も捲って見た。

 半分くらいは予想通りだったのだが、こちらから顔を出したのはフォウさん。フォウさんは一升瓶を三本隣に転がしながら、気持ち良さそうにライトさんのベッドを占領していたのである。ちなみに肩あたりまでしか見ていないが、どうも上半身は裸であるように見えた。昨晩着ていたはずのストライプのパジャマが、無い。


「け、計六本……?」


 まさか彼らはこれを一晩で飲んだのだろうか。な、何をしているんだ。

 とりあえずフォウさんに再度毛布を被せてライトさんに向き直ると、彼はどうにか体を半分だけ起こして眼鏡を掛け直し、テーブルの水を取ろうと手を伸ばしているところだった。


「その体勢で無理して取ったらこぼれますよ!」


 慌てて私は彼に近寄って、代わりに水を取って渡してあげる。受け取られたコップの水はすぐに空となって、少しだけ目の焦点が合ってくるライトさん。


「随分はっちゃけたんですね……」


 この状況を総合した結果を述べてみると、ライトさんはまだ辛そうな表情で頭を押さえながらそれでも答えてくれた。


「俺は少し付き合うだけのつもりだったんだ……もう二度とソイツとは飲まん……」


 なるほど、彼の言い分が正しいならばフォウさんがこの惨状の原因なのか。私は納得して、ライトさんがよろめきながら椅子に座ろうとするのを支えて手伝う。

 彼はまだ雑炊には手をつけず、代わりに煙草を探そうとしているのだろう、シャツやズボンのポケットをもぞもぞしている。


「…………」


「無いんですね、煙草?」


 きっとこの部屋のどこかにあるのだろうが、何をどうしたのか分からないが部屋の荷物は投げ散らかしたかのように散乱していて探すのも一苦労と思われた。

 仕方が無いので床をもそもそと探してあげていると、煙草ではなく別の物が見つかって私は眉を寄せる。チェック柄の薄い布で出来たソレは多分、


「そこで寝てる馬鹿の頭にでも被せておけ」


「パンツを頭に、ですか?」


 どうやらフォウさんは全裸でベッドに潜っていたらしい。一体どれだけ酒癖が悪いのだ、とげんなりしながら私はライトさんの言う通りに頭に被せてあげる。

 それでも起きないフォウさんは、とてもそんな事をしていたとは思えない無邪気な寝顔だった。


「……明け方までずっと愚痴を聞かされていたんだ」


「愚痴?」


「あと俺自身も随分責められた。クリス、お前があの事を喋ってしまったんだろう。レフトが要らん事を喋るわけが無いからな」


「あの事?」


 何か言っただろうか、思い起こすように視線だけ斜め上に上げてみるがさっぱり分からない。そんな私の様子にライトさんは重く長い溜め息の後に話題を変える。


「まぁいい。とにかくソイツも最近はストレスが溜まっていたって事だ。発散する先に俺を選ぶとはいい度胸をしている」


 ようやく見つけた煙草とマッチを手渡すと、すぐに火をつけて吹かし始めたライトさん。冷えているとはいえ雑炊をそのままにしておいていいのだろうか。

 明らかに二日酔いに見受けられる彼は、普段から目つきが悪いと言うのにそれが更に悪くなっていた。


「ストレス……」


 私がいっぱい迷惑を掛けてしまったからなのか、それとも他に何かあるのか。よく分からないけれどつい先日まで私達の件に巻き込まれて監禁されていたくらいなのだ、心労があったのかも知れない。

 そんな彼に追い討ちをかけるように昨晩は暴言を吐いてしまっていたな、と何となく後ろめたさを感じて私は彼の頭に触れて撫で……ようとしたがパンツを被っていたので、私の手は自然と彼の肩のあたりまで下がる。

 すやすやと寝ている彼の肩をぼーっと撫でていると、ふとその近くにあるものに気がついた。


「あ、これって」


「フォウの天然の紋様だな」


 少し肌蹴た毛布の隙間から見えたのは、その背にある見た事の無い形の魔術紋様。確かにデザインは目を表しているような感じに見えなくもない。


「……これで彼は色んなものを見ているんですね」


 少し不気味で吸い込まれてしまいそうな楕円と、その周囲に広がる不規則な線。彫られた紋様ではなく、まるで痣のように体に浮き出ている……これが天然のものなのか、と思わず息を飲んだ。


「その力が欲しいか? だがその紋様を俺やお前に彫ったところで何の効力も生み出さない。いくつかの説はあるが……天然の魔術紋様は、持ち主の体自体が紋様の一部となっているから、その見えている紋様だけを写したところで意味を成さないと言う説が一番有力だ」


「体も紋様の一部……」


 何故か凄く心に残る言葉だった。紋様の形にも意味があり、そしてそれを持つ体にも意味がある。私にこの世界と神やその使いを滅ぼすと言う存在理由があるように、彼にも意味が、存在理由があるように私には聞こえたのだ。


「ちなみに俺の場合は右腕にある。勿論、形も全然違う」


「そうなんですか……」


 この気持ちは何なのだろう、嬉しいに近いけれどちょっと違う。自分が特異な存在であると同様に、彼のその特異な部分を見て仲間意識のようなものを感じたのかも知れない。

 不思議と胸に残る何かが、私の手をそのまま彼の魔術紋様へと伸ばさせた。


「ッ!?」


 魔術紋様に触れた途端にフォウさんは突然ガバッと起き上がる。そして勢い良く振り返っては私とパッチリ目が合うが、その顔は随分驚いているようでしかも彼の体には一気に鳥肌が立っていた。

 多分触られたのが気持ち悪くて起きたのだろう。雑炊もあるし起こす手間が省けた、とプラスに考える事にする。


「おはようございます、雑炊があるんで早く食べちゃってください」


 思考が追いついていないと思われるフォウさんは、三つの目を丸くしたまま違和感がしているはずの頭に手をやり、その違和感の元である布を掴んで取った。

 そして違和感の正体をその目で把握するなり、


「おぁぁぁ……」


 口から声を洩らし始め、みるみるうちに顔を赤くさせていく。一瞬にして茹蛸が出来上がったところで、彼は毛布を被って以前のように団子虫になってしまった。


「ちょ、ちょっと……」


「要するに恥ずかしがってるだけだから、部屋を出てってやれ」


「なるほど、了解です」


 先日把握した事もあってすぐに状況が飲み込めた私は、ライトさんの言う事に素直に従って部屋を出る。

 そしてダイニングルームに戻って自身の朝食を食べたのだが、こちらも流石にもう冷めていたのだった。


【第二部第十三章 マドリガーレ ~交錯する思い~ 完】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ