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第二部
27/53

吹き荒れる風 ~地に二王なし~

   ◇◇◇   ◇◇◇


 俺はクリスが川に流れていってその姿が見えなくなるのを確認してから、すごすごと建物の中に戻って行った。いくつもある大きな入り口は、先程クラッサがやっていたように特定のリズムを叩く事によって起動する魔術が施された特殊な扉。その分厚さは幼児一人の身長くらいで、普通の扉として機能させるには難しいからだ。

 何故そんな分厚いかと言うと、ここには竜が閉じ込められているからに他ならない。

 フィクサー達の知識を駆使して造られたらしいこの施設は、常識じゃはかれない物だった。こんな場所に攻め込もうとしていただなんて身の程知らずもいいところだと今は思う。

 分厚いだけではその壁すら壊してしまうかも知れない数匹の大型竜は、特殊な催眠によって普段は猫のようにほとんど眠っている。そこへ十数人の世話係が毎日せっせこ働いているらしい。逆に言えば、ここに居る者で本当に恐ろしい存在なのはあの三人だけって事だ。

 このだだっ広い建物の狭い通路で名前も知らない下っ端と何度かすれ違いながら、俺は自分に割り当てられた一室へ向かう。


「くっそ……」


 何て顔してくれやがるんだ、アイツは。いつもみたいに皮肉を言えばいいものを、あんな反応されたら聞いた甲斐があり過ぎて逆に困るっつーの。

 もしクリスがローズの妹でも何でもない普通の娘だったならキスの一つくらいしてやるシチュエーションだった。それを思い留まらせてくれたのは、否が応にも目に入ってくるあの白い翼。そんな物引っ提げた状態でいきなりアイツにそんな事をしたら、それこそローズの代わりだと誤解されてしまう。いや、実際代わりとして見ているのかも知れないが……俺にももうよく分からん。

 あの顔を思い出して、クリスはどんな気持ちでいたのだろう、と若干妄想しながら歩いていたら、気付けば自分の部屋の前まで来ていた。

 躊躇いなくドアノブを回して開けると、


「お帰りなさいませ」


 何故か出迎えてくれたクラッサと、


「大変面白かったですよ」


 『玄人隠し撮り映像⑱』と書かれたラベルが貼られている水晶を手に持っているセオリー。

 そのラベルの意味を考えて、つぅ、と頬を伝う汗。


「お前等何でここに……って言うかソレ……」


 俺はぷるぷる震えながらも人差し指をゆっくりとその水晶へ指し向けた。

 多分その水晶は、アゾートで監視している映像を受信するものだろう。わざわざそれを俺の部屋で見ている理由は……

 クラッサは戦慄く俺に、少しにやけた表情を向けて一言。


「ちなみに私には通じましたよ、王子の最後の言葉」


「やっぱり覗き見してやがったな!?」


「まぁ逃げないだなんて信じられるわけがありませんから、監視しておくのは当たり前でしょう」


 俺の叫びに平然と自らの行いの正当性を言い放つセオリー。しかしその顔は監視と言うよりはやはり覗きだ。とても楽しそうにその大きな口の口角をを上げている。

 本当に悪趣味過ぎないかこの二人は。この場に居ないフィクサーが幾分かマトモに見えてしまうくらいに。


「散々暴力を振るった後にわざと伝わらないように愛を囁くだなんて、王子は生粋のドSですね」


 そう言ってフフフ、と口元を押さえてクラッサが笑った。

 こっちは別に暴力を振るいたくて振るったわけでは無いと言うのに、何つー事を言うんだ彼女は。俺は至ってノーマルなはず……ごめん、ちょっと自信無い。


「勘弁してくれ……」


 どんなに伝えたくても今はまだ伝えてはならないこの気持ちを、俺はあの時クリスに古い言語で呟いた。決して伝わる事の無いように、でも聞かせたくて。

 火照る顔を落ち着かせるべく俺は額の汗を拭う仕草でそのまま目元を隠す。人をいじって楽しむこいつらも充分サディストだと思うんだぜ。


「あぁ可哀想なレイア准将……裏切る事が前提だったとはいえ、あのお方の事はこれでも結構気に入っていたのです」


 だったらその笑いが堪えきれてない顔を何とかするんだクラッサ。彼女は、やっぱり口元を押さえたまま笑っていた。

 ここで突っ込んだらフィクサーと同じように更にいじられるのが目に見えている為、俺は黙って言いたい事を飲み込んで占領されている椅子をすり抜けてベッドに向かい、腰掛ける。

 独りにならせて貰えない事に溜め息を吐いて、遠まわしに出て行けと催促したつもりだったのだが、そこへセオリーがその赤い瞳を薄く薄く開きながら水晶を見つめて言った。


「しかし……流石にそういう目で見ているだなんて思っていなかったので驚かせて頂きました。想像よりもずっと使える人質だったわけですね、あの子供は」


 驚いているとは思えないくらい淡々と紡がれたその言葉を聞いて、俺は一瞬にして青褪める。

 監視されているかも知れない事などよく考えれば分かったはずなのに、その場の感情に任せてあんな事を言うだなんて軽率だったのではないか?

 俺の焦りに気付いたセオリーは機嫌良さそうにその短く淡い緑の髪を指先で捻じりながら、改めてその言葉の真の意味を口にした。


「これからもよろしくお願いしますよ」


 そう、つまりそういう事。

 クリスの価値を知ったコイツらは、今後一層俺をいい様に扱うだろう。こちら側に引き込む事が出来ればそこまで心配せずに済んだのだが、クリスの性格とあの反応を見る限りじゃあ多分何をどう言ったところで無理だ。

 セオリーがローズの本当の仇だと知らないとはいえ、やはり……敵は敵と言う事である。


「お手柔らかに頼むぜ」


 この件が片付いたら真っ先にこの男を殺してやる。そう思いながら軽く返事をしてやった。

 ところであの大騒ぎの中、一切出てくる気配の無いフィクサーは一体どこに行っているのだろうか。

 何をしているのか分からないとどうも不安で仕方が無い。俺はセオリーではなくクラッサに顔を向けてその疑問を口にする。


「なぁ、フィクサーはどこだ?」


「……何か御用でしょうか」


 場所を答えるのではなく用件を逆に聞いてくるとは、ますます怪しい。


「例の件についてちょっと聞きたくて」


 例の件と言うのはあれだ。俺がこれからコイツらにやらされる『不本意な要求』についてである。まぁ今聞かなくてもいいのだが、これが一番自然な話題だと思って出してみたのだ。


「そうですか……施設内には居らっしゃるのですが、多分今行くとブチ切れると思いますよ」


「どういう事!?」


 虫の居所でも悪いのか、いやそれにしたってブチ切れる事は無いだろう。

 全く想像がつかないものだから、俺はベッドに座ったまま少し前屈みになって彼女に視線を送った。そう、回答を求めて。

 クラッサは随分悩んでいたようだったが、


「ブチ切れて頂くのも大変面白そうですから、お教えしましょう」


 と、何だかとても不真面目な発言をしてくれる。しかしセオリーが渋い顔でそれを止めるべく口を開いた。


「待ちなさい。何の為に敢えて避けさせていると思っているのですか」


「避けさせて、いる?」


 何と? 不機嫌なフィクサーとか?

 もうここまで聞いてしまった以上は疑心を拭えるわけもなく、俺は二人を交互に睨む。ちょっとお遊びが過ぎてしまったように見受けられるクラッサは、黒いスーツを正しているその手が若干震えていた。

 それは、何だかんだでセオリーが彼女よりも絶対的に上の立場だからなのかも知れない。フィクサーに怒鳴られても動じない彼女がここまで焦るのだから、セオリーは別格なのだろうか……

 未だにこいつらの利害関係と上下関係が把握しきれていない俺は、怯えの色を見せているクラッサを問いただすのも可哀想だと思ってセオリーに切り出す。


「おい、そこまで言っておいて今更隠せないだろう。フィクサーの居場所を教えろ」


「とりあえず彼と手を結んでいるとはいえ、貴方は私に指図出来る立場ではありませんよ」


「あぁ? 今すぐ自害してお前等の目的を達成出来ないようにしてやる事も出来るんだぞ?」


「一応言っておきますが、フィクサーの目的は私の目的ではありません。貴方が自害したら笑いながらあの子供の前に放り投げてあげましょうか。きっとあの時死んだ娘の墓の隣にでも、また墓を立ててくれる事でしょう」


「ッ!!!!」


 自害する気なんぞさらさら無かったが、コイツから出てきたその言葉は俺を激情させるに足るものだった。

 これがキレずにいられるか? 気付くと俺はセオリーに掴みかかっていた。座っていた椅子ごと床に押し倒して思いっきり右拳でその頬を殴ると、丸い眼鏡は割れて転がりセオリーの頬にはすぐ様大きな痣が浮かび上がる。口の中が切れたのか、唇の端には少しだけ血が滲んでいた。

 俺はてっきり今のコイツも人形だと思っていたのだが……


「お前、本物か……」


 今ならセオリーを楽に殺せるのではないか、と言う考えが過ぎる。馬乗りになったまま一瞬動きが止まった俺に、それまで抵抗の素振りを見せなかったセオリーが急に動いた。

 動いたのは左腕。その先で握られている拳は俺の腹にのめり込む。


「ぐっ」


 隙を突かれて一撃貰ったが、俺はまだコイツに乗ったままだ。顔を顰めながらも左手でセオリーの胸を抑えて、俺は右腕を振り被る。

 が、その腕をパシッと掴まれて俺の動きはそこで止まった。言うまでも無い、クラッサが割って入ってきたのである。

 彼女は左手で俺の腕をただ掴んだだけで、そこまでその手に力は入っていない。振りほどこうと思えばすぐ振りほどけるその拘束。だがしかし彼女の右手には既に剣が鞘から抜かれて携えられていた。


「……分かったよ」


 精霊武器を相手にするのはなるべく遠慮したい。素直にセオリーの上からどいてやると、ほっと安堵の溜め息を吐くクラッサ。

 セオリーもそれ以上俺に掛かってくる事もなく上半身を起こして、傍に転がっていた眼鏡に手を伸ばす。俺はそれをセオリーが取る前に先に拾ってやった。


「…………」


 どれくらい視力が悪くてどこまで見えているのかは知らないが、セオリーは眼鏡の外れたその顔を顰めながらこちらを黙って見据える。


「直してやるだけだよ」


 一言、自分の意図だけを述べて俺は魔力で眼鏡を元通りに直した。俺が以前水晶になった人々を元に戻した時と大体同じ操作で。

 直った眼鏡をセオリーに向かって放り投げてやると、それはうまく右手でキャッチされて元の位置に収まる。


「もうほとんど使いこなせているようですね」


 掛け直した眼鏡のずれを中指で整えながら、そう呟くセオリー。


「そうだな」


 魔力が硬質だ、とルフィーナから表現された事があった。あれは本当に正しかった。

 一般的な魔力と同じ肯定で火や水を俺の魔力で作り出そうとしても失敗する意味はそう……そもそも元が違うから作りようが無いのである。


 逆にこの魔力は硬質であるが故に『全てを操作出来る』のだ。例えるならば、水銀で泥をこねる事は出来ないが、固形である銀でこねる事は可能という事。

 そして、こねた後に何の形にするかは自分の器用さ次第。

 昔はこの力を大雑把な物だと解釈していて、細かい操作は無理だろうと思っていたし、それに固形や非生命体にしか使えない、という先入観もあった……しかしそうでは無かった。それはまだ俺がこの力に対する解釈が追いついていなくて、技術が足りなかっただけの話。


 そしてそれに気付くキッカケとなった、歴史を紡ぐだけの夢だと思っていたアレは多分……世界の理。だんだん見ていくうちに全てが一本に繋がっていき、それらの『意味』を把握していくもの。

 まだ俺はその夢は途中なわけだが、先にコレを見ているフィクサーが空間転移の魔術なんて馬鹿げた技を使えるのも納得がいくというものだ。そして本人から聞いてはいないが、同じように空間転移を使えるセオリーも多分見たのだろうと思う。

 俺を含めたこの三人は……確かにもう人間じゃない。


 記憶が戻っていた時のレクチェは、どんな想いでそんな自分自身を受け止めていたのだろう。きっと遠い昔に俺と同じように力を植え付けられた彼女は、ずっと一人でその神とやらの命令に従ってきていたはずだ。

 逆らおうと考えなかったのか、それとも逆らった先には……何かがある?


「まぁ、お前らが教えてくれないなら俺が自分の足で探すだけだ」


 塞ぎこみたくなる考えを一旦置いて、俺は部屋を出ようとした。


「好きにしなさい」


 背中に投げかけられたセオリーの言葉。

 返事をせずに立ち去った後の俺は建物内を隈なく探したが、結局フィクサーを見つける事は出来なかった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 エリオットが見つけられなかったフィクサーはと言うと、彼がその存在を知らない隠し階段を降りた地下に居たのである。

 そう滅多に使われない牢獄や、いくつかの部屋がある階。その一室で彼は、


「評判らしいんだ、このブラウニー生ロールケーキ」


「あぁ、そう……」


 王都にわざわざ空間転移して直で店舗から購入してきたケーキを、昔から好意を寄せている幼馴染のハイエルフに勧めていた。

 ルフィーナは、品の良い食器に乗せられたロールケーキをとりあえずフォークで綺麗に切ってすくって口に運ぶ。濃厚なクリームとふわふわの生地で、確かに流行っているだけの事はある一品。しかし、


「美味しい事は美味しいんだけど、貴方の顔を見ながら食べる物でも無いわねぇ。可愛い男の子をここに連れてきなさいよ」


「俺は君の顔を見ながら食べられて幸せだ」


「もー、この男は本ッ当に話が通じないッ!!」


 確かにこのひと時を邪魔されたならば、彼はブチ切れたであろう。だが代わりにルフィーナがこの後、肝心な情報を喋らないで雑談を続けるフィクサーにブチ切れたのであった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


「う……」


「気がついたッスか?」


 目が覚めてすぐに聞こえるのは少し甲高い男性の声。特徴のある語尾からすぐに彼だと分かる。


「ガイアさん……」


 私はふらつきながらも体を起こして今の状況把握をしようとした。そこまで寒いわけでは無いとはいえ下着一枚で彼は傍に立っていて、衣服はというと焚き火の近くに置かれた簡易的な物干しに掛かっている。

 私の体は衣服が濡れているのと翼以外は特に問題無いようだった。剣もある。私は怪我をしている翼を仕舞って、翼の傷が中に入る事によって起こる、胃を掴まれているような疼きに耐えながら問いかけた。


「どれくらい時間が経ってますか?」


「半日ってとこッス。俺がどうにか川から這い出てしばらくしたところへ、クリスが流れてきたッスよ。正直死んでるかと思ったッス」


 あぁ、思い出した。私の初めての泳ぎは完敗に終わったのだ……

 彼はエリオットさんに殴られた腕を両手で抱えるようにさする仕草をして、顔を上げてまた言葉を紡ぐ。


「……本人に戻ってくる意思が無い以上、連れて帰るのは難しいッスね」


 私も衣服が濡れたままなのでとりあえず脱いで、彼の衣服同様に干そうとした。のだが、それを慌ててガイアさんが止める。


「どこまで脱ぐ気ッスか!!」


「いやもう全部びしょびしょですから」


「えぇっと……俺の服そろそろ乾いてるッスから、脱いだら使うとイイッス」


 それだけ言って彼は少し距離を取って私に背中を向けた。


「ありがとうございます」


 脱いだ服で肌の水気を出来る限り拭き取って、私は物干しでパリパリし始めているガイアさんの服を手に取る。彼はエリオットさんよりも身長が高いので、その薄茶色のティアードシャツだけで私の体は膝上まで隠れてしまった。他は借りる必要は無さそうである。


「終わりましたよ、気遣いどうもです」


 一応女性として扱ってくれた事に感謝しつつ、その反面でどうでもいいのにと思っている自分が居たりもした。

 脱いだ衣服を物干しに掛けながら、ついでに他の乾いた上着をガイアさんに手渡していく。彼はとりあえずズボンと上着だけ着て微妙な格好になってしまったが、私のせいなのでそこは突っ込まない。

 焚き火を囲んで赤土の地べたに座り、私と彼の間には一旦沈黙が続いた。パチパチ、と枝が燃えて音を鳴らす。この山脈は基本的に木が少ないのでこれらを集めるのにも結構時間が掛かった事だろう。


 火。

 その動きと色は、私を魅了するように揺らめき、きらめいていた。それを見つめていると焦点が合わなくなってきて視界がぼんやりする。怖いくらいに脳裏に炎が焼き付けられた時間。まるで何かを暗示するように。

 私は焼失を司る炎の剣を何となく思い出して剣を手に取る。すると、


「わ!?」


 剣が光り、あれほど呼んでも出てこなかった精霊レヴァが姿を現した。


「な、何スかコレ!?」


 精霊を初めて見るガイアさんは、突然目の前に現れた悪魔のような出で立ちの、赤い髪の中性的な少年を指差してただとにかく驚く。


「こ、この剣の精霊です。どうして今……」


「近くに奴が居ます」


 やはり声だけ聞くと優しげな女性の声で、自分の言いたい事だけを呟く精霊。

 だがその言葉の意味は……


「奴、ですか?」


 精霊の敵といえばビフレスト。もしかしてエリオットさんをもこの精霊は敵視しているのだろうかと恐る恐る尋ねると、彼女? は私に向き直りもせずに言い放った。


「私を貴方に隠さねばならなくなった原因を作った奴です」


「!!」


 少なくともそれはエリオットさんでは無い。安堵と同時に押し寄せるのは疑問と不安。


「クリスに、隠した、原因……?」


 きっと何の事だかさっぱりであろうガイアさん。ただ言葉の端々を拾って首を傾げている。


「たっ、多分敵が近くにいるって事ですよ!」


「それなら分かりやすいッス!!」


 即座に立ち上がって私達は戦闘態勢を取った。しかしそこで精霊がぽつりと呟く。


「去りました」


「ええっ」


 肩透かしをくらって、思わず足を滑らせそうになる私。精霊は再度周囲を見渡した後に、険しかった表情を少し和らげて剣の中に戻ろうと……


「まっままま待ってください! 少し説明してくださいよ!!」


 全然出て来てくれなかったのだからここで聞いておかないといつ話を聞けるか分からない。私は何とか引き止めようと、戻れなくする事が出来ているかは定かではないがとりあえず剣を上に上げて叫んだ。

 精霊は少しだけ驚いた素振りを見せたがその顔は無表情。そして何を言うかと思えば……


「何をですか?」


「全部ですよもう全部!! 貴方の事全部分かりません!!」


 私が疑問を持っていた事に驚いていたのかこの精霊は!!

 ガーッと怒鳴りつけるとニールやダインよりも顔に刻まれた紋様の量が多いレヴァは、呆気に取られつつも少し考えてから口を開く。


「精霊です」


「それは知ってますー!!」


 ニールの時もあっさりした返事を貰った気がする、彼との初対面時の記憶。あれ以上にあっさりされたら簡潔どころじゃない、もう説明にすらなっていないではないか。

 この様子だと一つずつ説明を促さないと答えて貰えない予感が……そう思った私はまず今一番最初に聞かなくてはいけない事を問いただした。


「さっきまで近くに居た奴って誰ですか?」


 そう、それが敵ならば真っ先にそこをレヴァに確認しなくてはいけない。

 私の問いを耳に入れるなり、少しだけ険しい表情で彼女は言う。


「そう、貴方はまだ小さかったから覚えていないのも無理はありませんね。奴は確かあの時はミスラと呼ばれていました」


「ミスラ……」


 聞き覚えの無い名前が出てきた。少なくとも今はまだ私は出会っていないのだろうか。

 復唱する私に彼女はこくんと頷き、続きを説明してくれる。


「私の存在が邪魔だったのでしょうね、貴方の両親がミスラの足を止めてくれているうちに娘が一旦貴方に私を隠したのです……存在そのものを悟らせないように」


「姉さんが……」


「恨んではいけませんよ、術者が自身の体にそれを施そうとするならばそれなりの腕が必要です。あの時幼かった娘はそれが出来なかったのも無理はありませんから」


「恨むものですか!」


 姉さんはずっと私を元に戻そうと頑張ってくれていたのだ、経緯は何であれ恨むわけが無い。

 レヴァが話してくれた過去は、記憶に無い両親と姉とをこの胸に思い起こさせてくれた。それは……息が詰まりそうなくらい、苦しい。私はぐっと体を抱き締めるように腕をクロスさせて、自分の二の腕を強く掴み、耐える。

 ガイアさんは周囲を警戒しつつ、口を挟む事無く話に耳を傾けているようだった。気遣いを有り難く受け止めて、更に赤髪の精霊に質問を続けよう。


「ミスラと言う人は、どうして貴方の存在が邪魔なんですか?」


「それは勿論、奴が神の使いだからです」


 息を飲む。それは、どのビフレストの事を言っているのだろうか。私が記憶が無いくらい小さい頃と言う事は、時期的にレクチェさんはセオリー達に捕らわれていそうだから……


「金髪の、子供……」


「そうですね、見た目は子供だったと思います」


 あの時エリオットさんに近づいていた子供はどうも敵だったらしい。彼はどうしてこうも敵と仲良くしてしまうんだ! 普段他人を信用しないくせに、信用しちゃいけないところを信用し過ぎでは無いか?

 少しイラッとしつつも、ふと出た疑問を優先する事にした私は、少し首を傾げて目の前の精霊に問いかける。


「あれ、でも貴方が居たわけですよね? 貴方だけじゃそのミスラって子供に太刀打ち出来ないんですか?」


「いや、周囲に子供が居る状態で貴方のご両親が私を振るうわけが無いのです」


 うーん。分からないですよ、その答え。

 ガイアさんにさり気なく視線を送って『どういう意味ですか?』と目で問いかけてみたけれど、彼は首を横に振った。

 仕方ないので再度精霊に向き直り、


「ごめんなさい、どうしてですか?」


 と掘り下げてみる。


「加減が出来ない相手と戦えば本気になるでしょう。貴方の両親が本気で私を振るえば一振りで一面が燃え尽きますよ」


 さらっと。

 とんでもない事を。

 言いませんでしたかこの精霊。

 そんな物騒な剣を使っていたのか自分は、と冷や汗が流れるのを感じた。けれど彼女は『私の両親』と限定している。つまりそれは過去のニールのように相性だったり、通じ合えたりしていなければ剣の真の力を引き出せないと言う事だろう。

 この剣を使いこなせていなくて良かった、と喜ぶべきか。スプリガンと呼ばれるまでの大事件になってしまった私と精霊による不祥事が、ふと脳裏に過ぎった。

 ダインが言っていたように、使いこなせても逆に仇となる。軽々しく使うべきでは無いのだろう、精霊武器は。この世界を壊す為の……ものなのだから。


「そういえばチェンジリングを解かれた時も姿を見ませんでしたが、貴方の両親ともう一人の娘は今どこに?」


 レヴァはきょろ、と辺りを見回した後にガイアさんに目を向けてそう言った。その視線を受けて少しだけ怯えた様子を見せるガイアさん。


「姉は死にました。両親は記憶にありません」


 感情を込めて答えると辛いので、なるべく淡々と説明する。


「そうですか」


 特に表立って感情を表さないその返事。彼女が姉達の死についてどう感じたのかは全く伝わってくる事は無かった。代わりに、


「では不本意ですが、貴方がこれからの私の主人なのですね」


「こんなのですいません……」


 軽く喧嘩を売っているような発言をしてくるレヴァ。ちょっと勘には触ったが、確かに姉や、記憶に無い両親の方がずっと私より持ち主として素晴らしかったのかも知れない。それは反論出来る部分では無いので、素直にその非難を受け止めるしかなかった。

 しかしそこまで私が頑張っているにも関わらず、追い討ちをかける精霊。


「主人だと思っていなかったのでほとんど無視していました。こちらこそ申し訳ありません」


「ううっ」


 いちいち謝らなくていいです、そんなところ。逆に傷つきますから。

 気が抜けるようなそんなやり取りに、ガイアさんがポリポリと頭を掻きつつ口を挟んだ。


「で、そのモスラって敵はもう居ないんスか? 今狙ってこないのは何故ッスかね」


「ミスラです」


「失礼したッス」


「……コホン。今はもう周囲に気配を感じません。今狙ってこない理由は分かりませんが、主人の体から出た私を確認されてしまった以上、狙ってくるのは時間の問題でしょう」


 ガイアさんが全力で怪獣の名前と間違えていたところを真顔でばっさり訂正したレヴァ。

 折角隠していたレヴァの存在に気付かれてしまった、と言う事か……エリオットさんとセオリー達の事だけでなく、本格的にビフレストとの対峙が始まるかも知れない。

 ん、そういえば、


「あの、他の精霊武器は狙われないんですか?」


 そう、もしあの金髪の子供がレヴァを狙っているならば、同様にクラッサの持っている物も狙われるのでは無いか。

 まさかの三つ巴、と尋ねてみたがレヴァは首を振って否定した。


「奴が一番使われたくないのは私でしょうから、他にいちいち時間など割かないと思います」


「ミスラにとって、貴方が一番困る存在、と」


「えぇ」


「何故?」


「私が私だからです」


 あぁもう分からない! 精霊ってのはどうして誰も彼も分かり難い説明ばかりをするのだろう! ダインが言っていたようにこの世界の価値観では計れない次元から物事を見ているからだろうか?

 私もガイアさんも眉を顰めて彼女の話を聞いていた。しかしこちらの表情に気付く様子も無く、彼女は『では』と姿を消してしまった。


「後でニールにでも聞きましょうかね……」


 精霊が戻ってまた力を帯びた赤い刀身を、私は夕焼けにかざして見つめてぼやく。


「教えてくれる人が居るッスか?」


「はい、ライトさんのところに居ます」


「お、俺は同席出来なさそうッスね」


 溜め息まじりにそう言う鳥人。やはりレイアさん同様に彼から見てもライトさんは苦手なのだろう。いや、この言い方だとガイアさんが嫌いと言うよりは、嫌われているのを自覚していると言う感じかも知れない。

 上着の間の肌蹴た胸を左手で押さえながら、彼は空を見上げてぼんやりと言葉を紡いだ。


「王子の件を一旦報告しなきゃいけないッスから、早く帰りましょ」


「そういえば、ここどこです?」


 流されてしまってもはや地理など全く分からない。この山はどこも似たような土ばかりで、一人ならば間違いなく道に迷う自信がある。


「渓谷の最西端ッスね。フォウさんが待っててくれている場所は、ここから南東ッス。馬はクリスが寝てる間にひとっ走りして回収してきたッスから大丈夫ッスよ」


「早ッ!」


「足の速さだけは自慢出来るッス」


 まぁ彼の場合は、走るというよりはもはや跳んでいるのだが。

 服はまだ乾ききっていなかったけれど、とりあえず取るだけ取って馬の背に荷として掛ける。

 下着すら履いていないシャツ一枚の状態で馬に跨ると、何だか凄く気持ちが悪かった。

 夕方に渓谷の最西端を出て、フォウさんに待って貰っている集落に辿り着いたのは夜だった。比較的まだ晩御飯を食べても問題無いくらいの、夜。

 着いてから彼が待機しているはずの安い宿に足を運ぶと、彼はエリオットさんの事なんて全く触れずにまず叫ぶ。


「二人とも何その格好!!!!」


 まぁ、言わんとする事は分かります。


「私達二人とも、エリオットさんに川に突き飛ばされたんですよ……」


「マジで!? 予想より酷い状況だったんだね!!」


 両目を手で覆って隠しているフォウさんだったが、額の目が全く隠れていない。額の目でどこまで見えているのか知らないが、とりあえず逆に凄く見られている感がして流石にちょっとだけ恥ずかしい気がする。


「とりあえずクリスの服を乾かすッス。いくらなんでも俺のシャツだけじゃ可哀想ッスからね」


 そう言ってガイアさんが狭い室内に私の服を干していった。


「ちょっと! 下着も自然に干さないでくれる!?」


 やはり見えていたのか、干している物に気付いてフォウさんが目元を覆っていた手を外して、ガイアさんに声を荒げる。


「じゃあどうするんスか? 大丈夫ッスよ、俺は全然平気ッス」


「俺が無理ィィィィ!!」


 頭を抱えて叫ぶ、四つ目の青年。

 姉妹に囲まれたガイアさんには確かに大した問題では無いのだろう。逆にフォウさんは相変わらず恥ずかしがりやさんだなぁ、と少し笑えてしまった。

 私が笑っている事に気がついた彼は、


「笑ってないで、もう少し恥じらいをもって!!」


「そんな気にする間柄でも無いでしょう」


「お願いだからせめて気にする間柄くらいに俺を昇格させてぇぇぇぇ!!!!」


 と、わんわん叫んでから、備えられている毛布を被って床で団子虫になってしまう。

 私の服を干し終えたガイアさんはそんなフォウさんをちらりと見下ろしつつもそれを特に気に留める様子も無く、普通に会話を戻した。


「行き同様の流れで帰るッスよ。とりあえず俺は何か食べる物買ってくるッスから、フォウさんに大まかな説明しておいてやって欲しいッス」


「分かりました」


「うわあああん!!」


 団子な彼が毛布の中で叫んで抗議をしている。仕方が無いので私はまず彼を窘める事にした。まんまるな彼の傍にしゃがんで優しく声を掛けてみる。


「フォウさん、気にしない間柄って素晴らしいと思うんです。正直な話、異性として見られているかと思うと意識してしまって、ライトさんの前ではもう脱げなくて困っているんですよね」


「先生の前で脱ぐ必要がどこに!?」


「脱衣所で鉢合わせた時とか?」


「やっぱりあの場所は危険地帯だッ!!」


 そういえばフォウさんもあそこで私に裸を見られて恥ずかしがっていたのだった。そんな事もあったなぁと思い返して、ふと気付く。


「……あれ?」


 私は、ライトさんを意識してしまって彼に裸を見られるのは恥ずかしくなった。

 フォウさんも、私に裸を見られて恥ずかしがっていた。

 てっきりフォウさんが女性並に恥ずかしがりやなだけなのかと思っていたが、それよりも私と同じように単に意識してしまっているから恥ずかしいと言う方が何だかしっくりくるような気がする。男の人だし。それに普段のやや意味不明な言動も、それだと何だか辻褄が合って……


「お、おおおぉぉ……」


 自分の考えている事に思わず私は赤面して呻いてしまった。そういう方面の恥ずかしさを先日初めて体験したおかげか、名探偵のように私の頭には結論が浮かんでくるッ。


「フォウさん、私が女性に見えるんですね!?」


「まさかのそこから!?!? 俺ちゃんと初めて会った時から分かってるし、可愛いって言っちゃったりもしたよね!?」


 私の推理に、少しだけ毛布から顔を出して叫ぶフォウさん。


「えっ? ごめんなさい、覚えてません」


「ひどいっ!!」


 何年前の事だと思っているのだ。私の頭でそんな出来事すっかりさっぱり抜け落ちていると言うもの。

 フォウさんに会った頃といえば、むしろその後エリオットさんとルフィーナさんに男だと思われていた事実が発覚した事の方が印象が大きすぎる。あれがキッカケで私は精神的な意味で、子供から女として成長する機会を失ったように思う。

 その後もエリオットさんに限らず、散々男扱いされてきたせいもあるはずだ。


「とにかく! 俺見た物全部覚えちゃうからあんまり見せないで!」


「は、はい……」


 となると、下着は見え難いところに干した方がいいだろう。しゃがんでいたところを立ち上がって洗濯物を移動させようとした時、


「って、わーー!! 見えたーーー!!!!」


 足元で彼の絶叫が響いた。

 その後はもう会話出来る状態では無くなっていたフォウさんに、私はただおろおろする。勿論頼まれた結果報告など出来るわけもなく、この状況をどうにかしてくれそうなガイアさんを待っていた。


「で、どこまで話したんスか?」


 食べ物を買って戻ってきたのはいいが、私達を見て怪訝な表情で問いかけてくる三白眼の鳥人。ちなみにフォウさんはと言うと部屋の隅っこで団子虫になっている。もう顔は一切毛布から出ていない。


「全然話せてないです……」


「はぁ」


 溜め息ではなく、相槌のような声で気の無い返事をするガイアさん。


「聞こえてるだろうから一方的に喋っちゃえばいいッス」


 何とその手があったか!

 私は拍手で彼の意見を褒め称えた。それに対してフォウさんの返事は無い。床に腰を下ろしたガイアさんは、私に何か中身が詰まっていそうな丸パンを手渡して話し始める。


「まず例の建物付近に行ったらセオリーって男とクラッサさんと戦闘になったッス。途中で王子が止めに入ってくれたんスけど、王子は城に戻るのを拒否して俺を川に突き飛ばしたッス」


 そして彼はパンをかじりながら視線を向けた。次は私がその後に起こった事を伝える番だ。あんパンだったそれを一気に口に頬張って、私は説明しようと試みる。


「ふぉ……」


 無理だ。流石にこの量が口に入りっぱなしでは喋る事が出来ない。察してくれたガイアさんは黙って私が口の中の物を飲み込むまで待ってくれた。


「ん、んんと、その後エリオットさんが私に仲間にならないかって誘ってきたんです。勿論理由を聞いたんですけど、そしたら何か玩具扱いされてるからその人達に復讐っていうか、そんな感じの事するって言ってました」


「何となくしか分からないッスけど、実に王子らしい視点のキレっぷりッスね……で、その人達って誰だか聞いたッスか?」


 妙に納得して頷いたガイアさんは、話の本題ともいえる部分を問い、続きを促してくる。私は一瞬そのまま伝えていいものか悩んだけれど、他に言い様も無いので諦めてそのまま伝える事にした。


「ご両親と神様だって言ってました」


「……え?」


 やっぱりそのまま伝えても伝わらなかったか。ガイアさんは眉を寄せてどう反応したらいいのか分からず困っているようである。私だってこんな体でなければそんな反応をしたであろう。

 気付くとフォウさんも団子虫をやめて、ちゃんとこちらに向いていた。


「神様のあたりは後でライトさんの病院で皆さんにまとめて説明しようと思ってます。ただ私もよく分からなかったのが、何故そこにご両親が入ってくるのか、ってところなんですよね……」


「それで断ったらクリスも川に突き落とされちゃったんだ?」


「んーと……」


 私は順を追って話すべく、必死に記憶を辿る。私の口が開くのを、二人はパンを食べる手も止めてじっと待っていた。


「エリオットさん個人としてはお城に戻ってもいいけれど、一応手を組んでいても意見が合わないような部分があるらしくて……その不本意な要求とやらを私の事で脅されていて帰れない、とも言ってました」


「なるほど。言う事を聞かなければ近しい人に危害を加える、って感じかな?」


「はい」


 二人とも少し黙って渋い顔をしている。そうなるのも無理の無い話だとは思うし、話している私もきっと同じような顔をしているに違いない。

 この後の事はどう話そうか、私は正直なところ悩んでいた。思い出すだけで胸が苦しくなるあの時の彼の問いかけ。説得しようと思っていても彼がどんな気持ちでその選択をしたのか分かり過ぎて、私は言葉が出なかった。

 ふるふる、と首を振って私は話を再開させる。


「私が仲間にならないだろうって思ったんでしょうね。その後はガイアさんと同じように川へ落とされました。その後に彼、呪文呟いてましたね」


「呪文?」


 オウム返しで質問してくるフォウさんにゆっくり頷いて答えた。


「はい、意味が分からなくてどんなものだったかあまり覚えてないですけど……確かギュルギュル言ってました」


「それが本当なら凄く怖いね!!」


「絶対違うと思うッス……」


 むむぅ、記憶違いだろうか。ガイアさんが完全に否定するので腕を組んで思い出そうとするが、やっぱりその辺はあやふやである。印象に残っているのといえばその声がとても悲しそうだった事くらい。

 今日の話はここまでにして、私達はパンを食べ終えた後ぐっすりと休んだ。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 あれからクリス達が二日掛けて王都に戻ってきたその頃、丁度同じように王都の、しかも城に戻ってきた者が居た。

 見た目だけで判断するならば十才くらいだろうか。背丈は百五十も無いくらいの金髪の少年は、頭にカラフルでもこもこしたフードを被っており、そのフードからぴょこぴょこはみ出る髪と垂れた長い布がちょっと可愛い。

 けれど少年のその表情は、少年では無かった。あまり感情が見て取れない薄く細い目に、小さな口も一文字に結んだまま。子供らしい表情とは真逆のその顔で、見つめる先はドレスの君。


 露出部分が少ないルビーレッドのアフタヌーンドレスは、立ち襟から肘と腹にかけてフリルと刺繍が幾重にも施されており、床に長く垂れたスカートも裾部分に同様の装飾があった。

 着ているのは初老の女性。アッシュブロンドの長い髪を後頭部で結わえ纏め、口元を羽扇子で覆いながら彼女は少年に嘆くように叫び、問いかける。


「どうすれば良い!?」


「どうもこうも、気にする必要は無いよ」


 壁と床から天井まで高価な細かい細工で飾られた、赤を基調とした部屋で、焦る女性を宥める少年。


「何よりも国を優先すべきだ。帰って来る場所が無かったら王にさせられないだろう?」


「し、しかし、モルガナとの交渉は……」


「一切応じなければいい。ただまぁ、国民の反感を買わないようにうまく発表しないといけないね」


 つまりは『相手に屈する必要など無い、ソレよりも国を優先しろ』と女性に伝えるだけ伝えると、少年は一枚の写真をポケットから取り出した。

 そこに写っているのは水色の髪の少年。本当は少女なのだが、写り方がいいのか悪いのかどう見ても少年である。


「これは……見覚えがある子供じゃ」


 女性は白のドレスグローブをつけた手でその写真を受け取り、まじまじと見つめて呟いた。


「貴女から一度アレを奪った女の妹だよ。アレが戻ってきた後もその周囲をちょろちょろ動いていたと思うんだけど」


「あぁ、思い出した。随分印象が違うがエリザの婚約発表の際に話題を集めていた子供じゃな。気に入らぬ、姉妹揃って……」


 少年の説明に過去の何を思い出したのか、初老の女性は怒りを露にしてそれを写真にぶつけるように握り潰す。

 やや呆れ顔で少年は彼女のその行動を眺めていたが、落ち着いたのを確認してからまた続きを話した。


「モルガナの連中が口先だけで何と言おうと、今のアレに危害を加えられるわけが無い。それよりもその子供の方が厄介なんだ」


「ほう?」


「もし貴女の目的の妨げになるのだとしたら……それはその子供以外に有り得ない」


「理由は?」


「女神の末裔であり、しかも今はあの時回収出来なかった例の剣を持っている」


 少年の言葉に息を飲む女性。その顔色は一気に青褪め、先程まで力強く握っていた手が震えている。


「出来る事ならば貴女にどうにかして欲しい。ただし、殺すのはダメだ」


「何と! あの子の唯一の障害になると言うのに、生かしたままでどうにかしろと!?」


 どこか矛盾した少年の命令に、女性は声を荒げて反論した。だが彼女の納得のいく答えを少年が言う事は無い。ただ、


「最後の一人だから、さ」


 と不透明な言葉だけを紡いで少年の金の瞳は、彼女の碧眼をしっかりと捉える。

 彼女の返事は待たずに少年はそのまま窓辺に向かって行くと、窓枠に足を掛けてひょい、と飛び降りた。これで女性への指示は終了。

 少年はまるで鳥人のような身のこなしで城壁を伝うと、次に向かったのは同じ城内の別の塔の一室。

 予め開放されていた窓にひょいと入り込んだその先で椅子に座っていたのは、目を閉じたまま開こうとしない緑の髪の男。少し無精髭が伸びているが、その顔立ちは彼の弟達と大体似通っていた。


「放っておいたら城を開け渡してでも弟さんを取り返しそうだったから、釘さしといたよ」


 少年は、この国の第一王子であるその人物にとぼけたような口調で報告する。


「相変わらずアイツの事となるとぶっ飛ぶなぁ」


「やっと成功するかしないかのところだからね」


「まぁいい。おかげで俺が抜け出している事にすら気付かないんだからな」


 そう言って彼はにやりと口元を歪めるが、閉ざされた目のおかげでその表情は違和感のある笑みとなっていた。


「あの抜け穴、いつまで気付かれないのか逆に楽しみだね」


「違いないな。あの抜け穴だけはアイツに感謝してるよ」


 そしてまた静かに笑う。


「……他は憎んでも憎みきれないけどな」


 どのくらいの憎しみが彼の胸に渦巻いているのだろう。その言葉を発した時の声色は暗く低く、目を閉じているにも関わらず顔には悪意が剥き出しにされていた。

 そんな男をじっと見つめる少年。この親子、そして兄弟にどういう感情が重なり合っているかなど、少年には関係の無い事である。

 ただ少年は自身の目的の為に、その場その場で自分を偽り暗躍していた。

 自分に不審を抱くのは、長年自分を見てきたフィクサーとセオリーくらいのもの。たかが半世紀未満しか生きていない連中には見破られるわけもなく、色々な駒を動かし続けてきている。

 しかしそれももうすぐ終わるだろう。そう思うと少年は笑わずには居られなかった。


「ハハハハハ!!」


「急に笑うなよ気持ち悪い」


 大方目的と利害が一致している第一王子の元に居る事が多い少年は、人間で言うならば彼に多少の好意は抱いている。あくまで、人間で言うならば。

 少年は先程の女性の前では無愛想だった顔を綻ばせて、男の膝の上に座ってやった。

 今、少年の目的を知っているのはこの男だけ。少年の正体を知っているのも……この男だけ。その上で自分について来る人間、と考えると悪い気はしない。


「やっぱり偵察してきたあの様子を考えれば、事が終わる前に東は鎮圧しておいて欲しいなぁ。正直面倒だ」


「モルガナの空気は最悪だったからな。あんな小さい器で王に取って代わろうとは甚だしい」


「……要らない、ね」


 男の膝元でぼそりと呟く少年。その姿は見た事が無いが、男にとっては自分を怖がらずに寄って来る存在は珍しい為、どんな姿であれ、そして人間でなくとも……他の連中よりは気に入っている。

 そんな相手である少年の呟きに、男は彼が求めている事を先に言って承諾した。


「あぁ、王になろうとする者は一人でいい。うまくやっとくから心配するな。俺も一応……お前に見せられているんだからな。お前はうまく力を使えないんだから今まで通り高みの見物でもしておけ」


 そして膝の上の子供をひょいと自分の頭上まで持ち上げて、高い高~い。大人が小さい子供にするソレをされて、途端に不機嫌になる少年。


「……エマ、私は子供じゃない」


「俺も女じゃないから変な略し方して呼ぶのやめような!」


 女性名で呼ばれた男は元々瞑っていた目を更に少し強く瞑って、手の中の金髪の少年に突っ込む。そりゃあ突っ込みたくもなるだろう。


「だって長いし言い難いんだよ、エマヌエルなんてさ」


「そう言うなよ。俺はお前に会ってからこの名前が好きになったんだぜ?」


 人の名前にケチをつける少年に、それでも大人の対応で交わすエマヌエル。

 実はちょっと重かったのかも知れない。少年を下ろしたものの今度は膝の上には置かずに、足を床につけさせて彼は言った。


「『神は我らと共にいる』……ぴったりじゃないか。あの親が最初だけは俺に期待していたのがよく分かる。




 なぁ、神様?」


   ◇◇◇   ◇◇◇


【第二部第十二章 吹き荒れる風 ~地に二王なし~ 完】

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