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第二部
26/53

離別 ~相容れぬ二人~

 モルガナ行きの列車に乗った私達は、昼過ぎにモルガナに着いてからは馬を借りてニザの山脈に向かっていた。何頭も馬を使うわけにもいかないので私はフォウさんの方に乗せて貰っている。フォウさんの方が仲がいいからとかそういうわけではなく、単純にガイアさんよりフォウさんの方が身長も体重も少なそうだったから馬の事を考えた結果での乗り合わせだ。

 あとフォウさんはどうも戦闘は全然ダメらしい。相手の動きを多少読めるので出来なくはないそうなのだが、技術や体力的なもので相手に実力負けすればそれで終わりだと言っていた。確かに右ストレートでぶっとばされると分かっていてもスピードが速すぎて避けられなかったボクサーがどこかに居たような気がするので、そういう事だろう。ところで有名どころの作品とは言え、このネタ誰が分かるのだろうか。


「ねぇフォウさん、今どのあたりなんですか?」


 監禁されていた場所の色が分かるのは彼だけなので、私達の馬を後ろからガイアさんが追って来ている状態である。

 私は上を向いて問うと、彼は三つの目を私に向けて微笑んだ。


「ティルナノーグを過ぎないとニザフョッルには着かないから、まだまだだよー。今丁度モルガナとティルナノーグの中間くらいじゃないかなぁ」


 ずっと一人旅をして来ているフォウさんはとても的確に場所を説明してくれる。地理や方向に詳しい男性は、素敵だと思います。

 だんだん景色は低い草ばかりだった浅めの平原から、緑が深くなっていた。木々の間隔も狭まって来ており、これから森に入るのだろうなと何となく感じられ、少ししっとりとした空気がこの先雨が降るであろう事を告げている。


「王子様、どうしてあんな手紙を書いたんだろうね」


 フォウさんの呟きに私はまた顔を上げた。


「あー、間違いなく直筆でしたものね」


「あれが複製でなければ……何となく分かったんだけどなぁ」


 フォウさんの目には一体どんな風に世界が映っているのだろう、以前も思ったような気がするがやはりちょっとだけ見てみたい気がする。

 木々が入り組んで来たので手綱をしっかり握り直し、彼は話を続けた。


「ダーナの姫様との婚約だなんてどう考えてもあんな理由で破棄したら不味過ぎる。脅されたとしても相当な理由が無ければ書けないよあんな事」


「そう、ですね……」


 それほどあの婚約は大事なものだった、と言う事だ。分かっちゃいるけれどもやもやする。

 弱くなってきた陽の光と怪しくなる雲行き。まるで私の心を映すような空はだんだん増えていく木々によって見えなくなってきた。

 両手とも塞がっているフォウさんが私の頭に顎と喉元をふわりと置いて、撫でるように優しく動かす。


「ありがとう、ございます」


「んーん」


 頭上から直接振動としても届いてきたフォウさんの声は、とても優しく響くヘルデンテノールだった。




 幾度か馬を休ませ夜更けに着いたティルナノーグは聞いていた通りとても綺麗な湖に周囲をコの字型に囲まれるような形の村で、その湖は、あのダーナの時期巫女長の女の子の肌のように美しく透き通っている。

 私達は馬を降りて手綱を引き、泊まれる場所を探そうとした。


「確か一件だけあったと思うんだけどな、宿屋」


「詳しいッスねー。俺流石にここは初めてッス」


 フォウさんの言葉にその三白眼を見開いて感嘆の声をあげるガイアさん。見た事の無い植物がいっぱい生えているティルナノーグの村の道無き道を歩いていると宿屋の看板が見えて、その明かりに誘われるように私達は入って行く。……猫耳を気にしつつ。

 手馴れた様子でフォウさんが部屋を取ってくれたが私は一人部屋だった。


「寂しいです……」


「三人ってのは無かったんだよ、我慢して」


 ちなみに四人部屋はあったらしい。出先で一人部屋を与えられるだなんて無かったので何だか心細かったが、長い間馬に乗っていた事もあってそんな心配など無用なほどすぐに眠る事が出来た。

 旅に出てまず一晩明けた朝。見かける人々の外見の年齢層の低さに驚きながら、朝食を済ませ数日分の軽い食料を買い蓄えた後にまた出発する。

 時間に余裕など無い、お尻が痛いなぁと思いつつ頑張って耐えながら先を急いだ。万が一痔にでもなったらエリオットさんに責任を追及せねばなるまい。その為にも絶対助け出さなくては、と私は心に誓う。

 ようやくニザの山脈の麓の集落まで辿り着いた私達は、とりあえず情報収集を始める事にした。集落、と言ってもあまり生活をしているような居住区は無く、山で働く人々の仮住まいのような宿屋が沢山ある場所である。お店も工具などの専門店が多く、かなりむさくるしい雰囲気。

 とりあえずフォウさんがこのあたりの色で間違いないと言うので、ここから先は足を使って探すのみだ。しかし……


「このあたりで怪しい人や建物とか見ませんでしたか?」


 そう聞いても、


「しっ、知らないね!」


 皆、口を揃えてこの調子だった。私達は困り果てて、鉱山夫などで賑わっている通りの路地脇に寄って相談し始める。


「絶対おかしいですよね、これ……」


 私の言葉に大きく頷くガイアさん。


「面白いくらい同じ返答しか返って来ないッスからね、間違いなく怪しい物があるとしか思えないッス」


 その存在は見えてきたが結局場所が分からなくてはどうしようも無い。途方に暮れていると、私の視界に見慣れた人影が映った。

 それは……見間違えるはずの無い緑色、ホーリーグリーンの髪。

 即座に振り向くと黒い布で目隠しをしているにも関わらず平然と歩いているエリオットさんが居るでは無いか。


「ええええエリオットさん!?」


 しかもその脇にはリャーマで一瞬見た金髪の男の子が並んでいる。


「えっ、王子が居たんスか!?」


 私の視線の先を一緒になってガイアさんとフォウさんも見るが、気付くと人波に埋もれて行ったその姿は見えなくなってしまう。私達は必死にその後を追ったが、三人で手分けしてこのそこまで広くない集落を探してもエリオットさんが見つかる事は無かった。

 折角見つけた手がかりを棒に振って、私達はあまり質が良いとは言えない宿の一室で溜め息を吐いている。ちなみにこの宿は一室単位で借りられる雑魚寝式の宿で、三人で一緒に泊まる事が出来た。


「本当に王子様だったの?」


 床に胡坐を掻いて座っているフォウさんが安い食パンをかじりながら言う。


「だと思うんですけど。あの緑色、早々見間違えませんし……それに隣に歩いていた子供も知ってる子だったんです」


「子供?」


「ほら、ガイアさんなら分かるでしょう。リャーマでエリオットさんを訪ねてきた金髪の少年ですよ」


 もきゅもきゅと口に入っていた物を飲み込んでからガイアさんが答えてくれた。


「あぁー覚えてるッスよ。その子も居たんスか?」


「えぇ」


 いくらなんでも二人とも全くの他人の空似、と言うのはおかしい。そこまで私の目は曇っていないはずだ。けれどフォウさんは訝しげな表情で俯き呟く。


「あの場に王子様っぽい色は見当たらなかったんだけどなぁ……俺が見逃すとは思えないんだけど」


「うーん……」


 確かに目が多いフォウさんが見逃すと言うのもおかしな話だった。私は林檎を頬張ってあの一瞬見た光景を思い返す。


「あえへいふはら……」


「飲み込んでー、ちゃんと口の中の物を飲み込んでー」


 おっといけない。フォウさんの棒読みのようなツッコミを聞いて慌てて咀嚼し飲み込んでから、私は言いたかった事を改めて喋り出した。


「敢えて言うなら、エリオットさんは黒い目隠しをしてましたけど誰に引っ張られるわけでも無く普通に歩いててビックリしました」


「目隠しだけなら場所が分からないように連れ歩いている、と考えられるけど……それを平然と歩いていたとなるとビックリするね」


 ちなみに俺は歩けるけど、と小さく付け加えるフォウさん。貴方が出来てもあまり不思議要素は無いです、むしろ最初から出来そうなイメージですとも。

 私はフォウさんとあの時の事をよく思い返しながらどうにか答えを見つけ出そうとしていたけれど、ガイアさんはそんな私達をそっちのけで一人別の事を考えているように上の空だった。


「?」


 寝る前と言う事もあってその長い茶髪は結われておらず自然に下ろされている、エリオットさんと違って完璧なストレート。特徴的な三白眼を少しだけ細めて天井から吊るされている明かりをじっと見つめながら、何を考えているのか。

 彼の様子がおかしいのでフォウさんに視線をやるとそれを受けてフォウさんが


「何か思い当たる節があるんだね?」


 と話を切り出し、


「あるにはあるんスが……有り得なくて悩んでいるところッス」


 名残羽をたたむ様に伏せて答える鳥人。

 あるけれど有り得ない、そんな矛盾した言葉に私はとりあえず考えるのをやめて、残りの林檎を食べ始めた。


「一番上の王子は後天的なモノッスが……目が見えないんス」


 ガイアさんが重くも口を開いたそれは、存在は知っていたけれど私が見た事の無い王子様の事。ちなみにエリオットさんと出会うまで、エリオットさんの事自体もよく知らなかった私である。知るワケが無い。


「あの方ならばエリオット様と同じ髪色で両眼帯、つまり目隠しをしていてもおかしくないッス」


「……ほとんど表に出て来てないよね、悪い噂ばかりで」


「そりゃそうッスよ。お国は上二人には手を焼いているッスからね!」


 林檎を綺麗に芯だけ残して食べ終えたところで、私は疎い政治事情を思い返していた。何となく聞いていたのは『エリオットさんのお兄さん達は王様にしたくないくらいの人達だ』と言う事。あと、兄弟仲は悪いような感じで何となく受け取っていて、基本的にエリオットさんに話題として出しにくい事柄である。そして、ちょこちょこお城に出入りいていてもエリザさんしか接触した事が無かったりするのだ。

 ガイアさんはエリオットさんを小さい頃から知っていると思われるので、そんな上二人のお兄さんの事も詳しいのかも知れない。


「私そういえばエリオットさんのお兄さんって、トゥエルさんの事は結婚絡みでようやく名前を知りました。一番上のお兄さんって、名前何て言うんです?」


「ま、まさかそこからッスか……」


 おっと、知識不足に呆れられてしまった。温厚なガイアさんにそんな目をさせてしまうだなんて、質問のとんでもなさが伺える。


「エマヌエル様、だよ」


 そんなガイアさんの代わりにフォウさんが教えてくれた。エリオットさん同様にありきたり過ぎて印象の薄い名前に、私は顔も見ていないその人の名前を記憶に留めておけるのだろうかと若干心配になる。

 私のせいでズレてしまった話題は私が戻すのが筋だろう、とあまり明るいとは言えない照明の下で陰る二人の顔を交互に見て私は言葉を紡いだ。


「その……エマヌエルさんがどうしてこんなところに?」


「だから、有り得ないって言ったんスよ」


 なるほど、そこでそう戻るわけか。


「目が見えない事もあってトゥエル様よりも扱いは悪いッスね。トゥエル様はまぁ……驚くほど性格が悪いだけッスから」


「前々から気になってはいたんですけど、どれくらい性格が悪かったら三番目のエリオットさんに王位が回ってくる話が出るくらいの事になるんですかね」


 更にエリオットさんが家出していた時は女性であるエリザさんにその話が持ち上がっていたほどなのだ。相当だとは思うけれど……

 私の質問にガイアさんが渋い表情でこちらを見る。


「大きな声では言えないッスが、二人とも気に食わない家来を笑いながら殺せるくらい、とだけ言っておくッス」


「……嘘ですよね?」


 そこまでとは思っていなかったので思わず否定し聞き返してしまった。確かにそんな性格ならば受け入れ側の富豪とやらがごねるのも分かる気がする。

 私は流石にそれ以上言葉が出ずに固まってしまうが、隣のフォウさんは噂で聞いていたのかも知れないけれどそこまで驚いていないようだった。その青褐の瞳が向く先は、ただぼんやりと目の前の空間。


「見間違い、だといいね」


 フォウさんが願うように呟く。


「まぁあの人が城から出られるとは思えないッスから、やっぱり有り得ないッスよ」


 最終的にそう決断を下したセピアの鳥人。

 でも私はどうしても隣に居たあの少年の存在が引っかかっていた。やはり一人だけなら見間違いで済んでも、二人揃うと見間違いとは考えられない。見たのが自分だからと言う事もあって二人のようにあの光景を否定出来ないのかも知れないが、エリオットさんと接触していたビフレストが今度はエリオットさんのお兄さんと、って言うのはそこまでおかしい事では無い。何の思惑があるかは全く想像がつかないけれど、二人に繋がりがある以上完全にその疑惑を拭い去る事など出来ないのだ。


「目が見えない、か……」


 そういえばエリオットさん、随分目が良くなかっただろうか。いや違うな。記憶が確かならば、目が良いと言うよりは見えないはずの部分を何故か把握出来ているような感じだった……考えてみればエリオットさんも目隠しをしながら普通に歩けるかも知れない。


「うん、そうだ、やっぱりエリオットさんですよアレ!」


 突然元気よく言い放つ私に、二人の怪訝な視線が寄せられた。


 結局手がかりが手がかりにならないまま私達は硬い床に薄い毛布を敷いて眠り、朝となる。

 しとしと降る小雨に先行きの不安を感じつつ、結局最終的にはこの足でエリオットさんの居る場所を探さなくてはいけなくなった。


「何かあるのは確かッスからね、ま、行きましょ」


 ニザフョッルを山脈沿いにぐるりと回るのはどう頑張っても数日掛かってしまうので、まず馬で出来る限り高い位置まで登って見下ろして探す事にする。

 上から見えるような建物であればいいのだが、そうでない可能性も充分有り得た。微かな希望に賭けながら私達はお馬さんに頑張って貰う。


「そろそろ視界が開けると思う」


 雨を凌ぐ為に麓で急遽買ったローブを纏った私を前に乗せながら、フォウさんが呟いた。

 木々があまり生えていないゴツゴツした山肌の合間から見えたのは、


「ふわー」


 まだ山頂で無いにも関わらず広がっていた景色は普段変化して空を飛んでいる時とは比べ物にならない程の高さからの光景で、麓の集落がもう豆粒みたいである。見えるのは曇り空の灰色と、山の茶色ばかり。緑がほとんど見えない事からこの山は全体的に木が少ないんだろうと思った。


「何か……あるね」


「そうッスね」


 私達が注目しているのは、渓谷にある随分大きな四角い灰色の建物。こんな高いところから見下ろしているにも関わらずそれは分かりやすく目に入ってくる。


「ニザにあんなのがあるだなんて聞いた事無いんだけど」


 フォウさんがそう言うと、ガイアさんはこちらに視線は向けず、その建物を見つめたまま口を開いた。


「そもそも好んで住むような地域じゃ無いッスからねぇ」


 そこまで質が良いわけでも無い土や粘土、石といったものをここで掘り、加工して工芸品にしている東の地。あまり良いとはいえない環境だが、しかし……


「だからこそ、根城にしているのかも知れませんね。セオリーが」


「確かにね。うーん……あそこまで降りるのはちょっとしんどいなぁ」


 見える位置にあるとはいえ、その渓谷まで降りるには結構距離があった。


「フォウさんここで帰ります?」


「ええっ!?」


「面倒をかけてしまうと言うのもありますけど……もし戦闘になった時、守れる自信が無いですから」


 キッパリと私は言う。そもそも彼はここまでの道案内の役だったのだ。もしあの建物が違ったとしても、このあたりなのは間違い無いのだから、彼はもう帰してあげた方がいいはずである。

 私はガイアさんをちらりと見て、彼の反応を見た。彼は特に表情を変える事無く淡々と喋る。


「そッスね。出来たら三日くらいあの集落で待機していて貰って、俺達が戻って来なかったら一人で帰って姉に報告して貰いたいッス」


「し、心配で眠れなさそうだね、それ……」


 やや声が震えているフォウさんの元から私は馬を降り離れ、ガイアさんの方の馬にひょいと乗り移った。そんな私を少し悲しそうな目で見て、フォウさんがまた不思議な事を話す。


「まぁ今のところ死んだりはしなさそうだから、待ってるよ」


「?」


「選択肢を間違えなければ命を失う未来は無い、って事さ」


 あぁ、大まかな未来は彼には見えているのだった。


「どういう事ッスか?」


 フォウさんの力を知らないガイアさんが、胸元に居る私を覗き込むように見ながら問いかけてくる。


「フォウさん、占いが得意なんです」


 すごく端折った説明に苦笑いしたのは四つ目の青年。霧に近いくらいの雨をずっと受けていたローブのフードを外しその頭髪を露にすると、しっかりと私達を見つめて言った。


「二人の願いが叶うか叶わないは……随分不安定だ。きっと些細な事で変化すると思うから考えて行動してね」


「へー、何もしていないのに占えるんスね! 曖昧過ぎて参考にしにくいッスけど頑張るッス!」


「占いも未来も、そんなものさ」


 確かに半端な占い師ならば今のように曖昧な言葉で結果をぼかして話すのだろう。けれどフォウさんが昔ぼかさずに断言していた事だってあり、それは事実となった。つまり彼が今ぼかしているのならば、本当に些細な行動で未来が変わるという事である。


「分かりました、慎重に行きます」


「いつも……ありがとう」


 何故ここでお礼を言われたのか全く分からない。だが首を傾げて彼を見ても、それに気付いているにも関わらず彼はこちらから視線を外してしまう。

 そして、


「嫌な天気」


 そう言って見上げた彼の髪は、しっとりと濡れていた。

 フォウさんと一旦別れてから、私とガイアさんは一頭の馬で渓谷側へ山を降って行く。麓を出たのは朝だと言うのに気付けばもう真っ暗だった。

 建物まで辿り着いた私達は、とりあえず馬を近くの木に繋いでからその周囲の様子を伺う。


「何の建物でしょうね」


 山の上からすぐに気付けるような物なだけあって、近くで見ると本当に大きい。広さだけならばお城の比では無かった。中が全く見る事の出来ないその建物はグレー一色の壁で、いくつか出入り口のような場所があったもののその大きさは私が縦に五人くらい並ぶ勢いの高さの扉で堅く閉ざされている。正直、こじ開ける事が出来るのか不安になるくらいに。


「あの扉が開くのを待ちますか?」


「待つしか無いッスねぇ」


 開いたところを強行突破か、でなくとも話が通じそうな雰囲気の人物が出てきたならばここがどういう建物なのか聞けばいいだろう。

 あまり綺麗とは言えない、土で濁った川を挟んで岩陰から建物の入り口の一つを張る私達。

 ……そして、気付けば朝になっていた。まぁよく考えてみれば夜だったのだから誰か出てくる確率は低かったのだ。


「ね、ねむ……」


 交代で見張っていたとはいえ、かなりしんどい。私は良い子なのでよく眠るのである。

 こういった番は得意なのだろう、全く疲れた素振りを見せないガイアさんは緊張の糸を緩ませる事無く建物を見つめていた。流石だ。


「っ!」


 と、急にガイアさんが私を低く屈ませるように頭を抑えてくる。びっくりしたけれど声は出さずに彼の腕の力に体を任せて屈んだ。

 彼の視線の先は、一本の短剣。

 短剣と言ってもそれは何故か独りでにふわふわと宙を浮いていて、建物周辺をぐるぐる回っている。


「な、何ですかアレ……」


「アゾートッスね。かなり高位の魔術ッスよ」


 小声で問いかけた私の疑問に静かに答えるガイアさん。


「アゾート、ですか」


「簡単に言うと使い魔みたいなものッス。あの短剣を使役して見張りをさせているんだと……」


 そこまで言ったところで川を挟んだ位置に浮いていたその短剣の切っ先が真っ直ぐこちらへ向いた。


「!!」


 それは物凄い勢いで川を越えて飛んできたかと思うと、私達の間をすり抜ける。私達がその刃を辛うじて避けた事を把握するや否や、またその短剣はUターンして飛んで向かってくるではないか。


「わわわわ」


 もう岩に身を隠してなどいられず、全力でその刃を交わし続けた。短剣を持っている本体があればそこを攻撃すればいいのだが、短剣自身が独り手に動いているのでは止めるのが難しい。

 どうしたものか、と必死に避けるのみになっている私の横でガイアさんが懐から何かを取り出す仕草をした。しかしその手には何も無い。


「よっ」


 ガイアさんが何も持っていない手を振るうと、ピタリと止まって彼の体に引き寄せられていく短剣。


「な、何をしたんですか?」


「特殊な糸で縛ったッス」


 近づいて見てみると短剣は透明な糸のような物でくるくると巻かれていて、その糸の中でぴちぴちと魚のような動きをして暴れている。


「ずっと縛っておくと手が取られるッスから、この剣を壊して貰っていいッスか?」


「分かりました」


 私は腰の精霊武器を抜いて、その短剣の刃を思いっきり刺した。対象が金属だと言うのにまるでレフトさんの作るケーキのように簡単に斬れて、剣の破片は動かなくなる。

 ほっと一息吐いた私に、まだ怖い顔をしたままのガイアさんが忠告した。


「こちらの存在がバレてしまったッスから、気を抜かない方がいいッス」


 そう言う彼の表情はもう普段の温厚そうなものとは全く違っており、その人柄からちょっと疑っていたが元暗部に居たと言う話も真実だろうと感じられる。

 ちょっと動かされると全然目に見えなくなってしまうのでよく分からないが彼は糸をくるくる巻く仕草をして多分……糸を片付けたのだと思う。

 そして私達は、小雨はまだ降っているが動くのにやや邪魔なローブは今のうちに脱いで、それを岩陰にそっと置いた。


「アゾートを使ってまでの警備だなんて、早々お目に掛かれないッス。かなり怪しい建物と見て間違い無いッスよ」


「襲われる前に恐慌突破でもします?」


「仕掛ける準備だけして、扉が開いたら即突っ込みましょ」


 私はコクンと頷いて、戦闘態勢に入るべく変化をする。

 しかし角も尻尾も出て来ず、一瞬の突風と光が過ぎた後に背中に現れたのは……真っ白な翼だった。


「うひゃぁ……」


 そういえば私はチェンジリングが解かれて本来の体に戻っていたのだった。いつも通りつい変化して力を上げようと思ったものの、この変化で身体能力が上がっているのかどうかも分からない。まぁ飛べるならば動きの幅も広がるのでこのままいくとしよう。


「初めて見たッスけど、噂と随分違うんスね」


「いや、噂の翼とは違うモノですコレ……」


 とりあえず気を取り直し、今更岩陰に隠れていても仕方が無いので川を飛び渡って建物の扉に静かに近づいていく。

 少し押してみるが開かない、と言うか取っ手のような部分が見当たらないのでどうやって開けるのかもよく分からなかった。


「いっそ斬り開けちゃいましょうか」


「ありッスね」


 もし全然関係無い建物だった場合の責任は……取れないけれど。

 しかしその必要は一瞬にして無くなる。


「流石にそれはやめて頂けますか」


 急に背後に現れるあの感覚と、久々に聞くその少し掠れたハスキーボイス。バッと振り向くと目の前に居たのは、


「せ、」


 セオリー、と言おうとした私の頭目掛けて即座に振り抜かれるナイフ。先端が厚く、それでいて曲がった刃の形状はグルカナイフだろうか、こんな物直撃したらひとたまりも無い。間一髪で避けたところでガイアさんが小さい刃物をいくつか地面に投げ刺した。


「おや……」


 いつもの藍色の軽鎧を纏ったセオリーの体がピタリと止まり、その赤い切れ長の瞳が地面の刃物を映す。

 躊躇っている暇は無い、と私はすぐに精霊武器である赤い剣を彼の胴体目掛けて振るったのだが、キィン! と言う金属音と共にその刃は彼の体に届く前に止まった。

 先程のアゾートと言っていた短剣ですら易々と切り裂いたと言うのに、この剣で切れぬ物など何があるのか。私とセオリーとの間に割って入ったのは頭上から投げ下ろされた一本のショートソードだった。

 そしてそのショートソードが刺さった場所に上から飛び降りてきた、一人の女性。彼女は地に刺さった剣をすらりと抜いて私にその切っ先を構える。


「本当にクラッサさん……ッスね」


 僅かばかりの動揺を見せるガイアさん。


「お久しぶりです」


 淡々と言いながら彼女はセオリーの周囲に円陣を描くように刺さっている小さな刃物を軽々とそのショートソードで壊していった。

 ショートソードは両刃で赤い柄、金の鍔、刃は銀。至って普通の形状に見えるのだが特殊な点を挙げると、刃に掘られた紋様と埋め込まれた青い宝石が気になる。

 やはりこの場所にエリオットさんが居る……そう思うと剣を握る手に力が入った。


「エリオットさんを返してください!」


 何だか得体の知れないショートソードを前に、間合いを取りつつ叫ぶ。


「軍より先にここへ辿り着いたその洞察力は賞賛に値するものです」


 全く私の言葉への返答にならない台詞を発するクラッサさん……いや、もうさん付けなど不必要か。洞察も何もフォウさんのお陰でここへ来ただけなのだけれど、そこは突っ込まずに彼女から目を離さないようにした。

 セオリーは自由になった腕を横一線に振って彼女の背後から氷の矢の魔法を飛ばしてきて私達を牽制する。


「正面からぶつかるのは苦手なんスよねぇ」


 避けながらそう言いつつガイアさんが少ししゃがんで地面の土を掴み、彼らに向かって振り投げる。するとその土はセオリーの魔法同様に矢となって彼らに放たれた。無論、それを迎撃する為にセオリーの矢は一瞬そちらに向かう。

 ガイアさんが一瞬作ってくれた隙を狙って私はすかさずクラッサの懐へ潜り込み剣を振るうが、やはりまたしても彼女のショートソードは私の剣戟を受け止めた。

 これは……おかしい。

 お互いそこまで剣技が上手く無いのだろう、ただ刃を当て合うだけで攻防に差がつかない私達。時々私に飛んでくる氷の矢を撃ち落としてくれるガイアさんは、セオリーの動きを封じようにも警戒されていてなかなか事が進まないようだった。


「その剣、精霊武器ですか?」


 剣の長さからしてここまで接近していると逆にこちらの方がやりにくくて余裕が無い。それでも気になって、刃をまた重ね合わせた状態で涼しい顔をしている彼女に問いかける。


「当たりです」


 と言う事は彼女は私と同じサラの末裔だと言うのか。動揺と共に一瞬攻撃の手が鈍ったところへ彼女のショートソードの刃が私の右腕をかすり、剣をもう少しで落としそうになった時、


「その辺にしておけよ」


 マジメに喋れば悪くないのにいつもどこか胡散臭く締まりが無いトーンで紡がれる、この数年ずっと傍で聞いてきた声が頭上から響いた。

 その声を受けてその場に居た全員の手が止まる。


「おや見つかってしまいましたか」


 セオリーの感情の篭もっていない言葉に、首が痛くなるくらい高い建物の上から私達を見下ろしている彼は不機嫌そうに返答した。


「あれだけ魔法ぶっ放してたら分かるわい」


「エリオットさん……何故……」


 何故、錠も何も無い状態でそこに居るのですか。それではまるで、貴方は自分の意思でそこに居るようでは無いですか。

 けれど思った言葉は喉で詰まるようにして、出てこない。

 連れ去られたわけでは無かったのか。茫然とただ見上げる事しか出来ない私とガイアさんを、ようやく見てくれるエリオットさん。


「わざわざ助けに来てくれたところ悪ぃけど、もう必要無いから帰れ」


 そう言ってどっこいしょ、とその場に座って足だけ屋根から投げ出す体勢を取る彼は、決して脅されているような表情では無かった。いつも通りの……エリオットさん。


「そんなワケにはいかないっす王子。貴方が居ないとこのままじゃ大変な事になるッスよ」


 震えて立ち尽くす私に代わって、ガイアさんが彼を睨みながら強い口調で言う。

 エリオットさんは前髪を掻き揚げて少し困ったように視線を落とし、屋根の上からこちらに飛び降りてきた。着地の瞬間、その背中に光の羽のようなものが浮かび上がったのが見え、音など全く響かせずにやんわりと彼は地に足を下ろす。すぐにその光は消えたが、まるで……以前のレクチェさんのような光景だった。

 やはり彼はビフレストでセオリー達に捕らえられたと考えるのが自然だと思う。けれどどうして彼は捕らえられたと言うよりは仲間になったと言う方が合っていそうな態度なのだろうか。

 エリオットさんはガイアさんにそっと近づいていき、


「死ぬなよ」


 と言って彼に大きく振り被ってパンチを胴体に当てようとした。ガイアさんは寸でのところでそれを両腕でガードしたがエリオットさんのその拳はあの光を纏っており、ガイアさんの体は大きく後ろへ吹っ飛んでしまう。その先は、川。

 水しぶきを上げて着水すると、彼の体はそのまま浮かんでこなかった。


「ガイアさん!!」


 彼をすぐに助けなくては、でもエリオットさんも連れて帰らなくては。すぐに判断が出来ずおろおろしているうちに、岸からは彼の姿が確認出来なくなる。多分流されてしまったのだろう。

 私は泣きそうになるのを堪えながらエリオットさんに振り向いた。


「何でこんな事を!」


「素直に帰らないと思ったからに決まってんだろ」


 と言う事は次は私の番か。でもそんなわけにはいかない。エリオットさんを気絶させてでも帰らないと大変なのだから。

 私は剣を構え直して彼に向ける……きっと今一番向けたくない相手に。


「逃げないからちょっとお前等、席はずせよ」


 しかしエリオットさんは私には向かって来ようとせず、傍の二人に退くよう促した。


「かしこまりました」


「いや私としては見ていたいのですが……」


 つまり立ち去りたくない、と述べるセオリーの首根っこを掴んだクラッサが大きなドアに何か特定のリズムでノックをし、それが終わった途端彼女達の体は吸い込まれるようにドアに融けていく。

 この大きな建物の前に私とエリオットさんと……二人きりになった。


「何を考えているんですか?」


 泣きたいし、怒りたい。そんな感情を必死に抑えながら問いかける。するとエリオットさんが口元だけ少し笑うように緩ませて言った。


「クリス、お前こっち来いよ」


「そっちへ? 傍に行ったら殴られて吹っ飛ばされませんか?」


「いや、そうじゃなくて! どうしてお前はそんなに話が通じない奴なんだ」


 げんなりした表情で私を馬鹿にする彼。敵の居る地だと言うのに彼は驚くほど自然体だった。そんな彼に影響されるように私もいつものテンションになって頬を膨らませる。


「こっちってエリオットさんのところ以外に何があるんです? じゃあどこへ行けと言うんですかっ」


「まぁ、俺のところと言うのは合ってなくもないんだが、それとはまた別で……」


「だからどこっ!」


 微妙に言葉を濁している感じがするエリオットさんに剣を持っていない左腕を上げて抗議の意を示すと、彼は咳払いの後に呟いた。


「俺達の仲間になれ、って事だ」


 それはつまり、セオリー達の仲間になれ、と。しかもそこに『俺』が入っていたので間違いなくエリオットさんも既に彼らの仲間だ、と。

 私は気が遠くなるのを感じた。

 レクチェさんにあんな事をしていた連中の仲間に、彼は成り下がっていると言う事になる。とてもじゃないがそんな誘いに応じる事など出来るはずも無い。

 そもそも仲間になっている、と言うならばエリオットさんはレクチェさんと違って実験体として居るわけでは無いのか?

 彼のその発言は私の頭に疑問をぽこぽこ置いてくれた。


「な、仲間って……何をする気なんですか?」


 そう、人に素直に従うとは思えないエリオットさんが彼らに寝返った理由を聞かねばならない。


「簡単に言えば、俺達をオモチャにしてくれた奴らへの復讐、だな」


「復讐? オモチャってのがよく分かりませんけれど、そんなものは何も生みませんよ」


 私だって復讐したい相手がいないわけじゃないが、それをしたところで何も……姉さんは戻ってこないのだ。復讐ほど無意味な行動は無い、と私は思う。

 だがエリオットさんは続けた。


「復讐じゃちょっと違うか。そうだな……それが現在進行形で行われているとしたら?」


「今も……ですか?」


 いまいち飲み込めないが、つまりオモチャにされ続けていると言う事か。

 ガイアさんも心配だが彼の訴えが真実ならばスルーする事は出来ない。私は剣を下ろし鞘へ収め、エリオットさんの話をしっかりと聞く事にする。真剣な態度で向き直る私に、彼は少しほっとしたように和らいだ目を向けた。


「あぁ、今もだ。……ところでずっと突っ込みたかったんだが先にそっちを言っていいか?」


「え?」


 この状況で何か話を逸らすような事柄があっただろうか。首を傾げて上目遣いに彼を見ると、スタスタと近寄ってきた彼の手は私の頭に伸びてヘアバンドを外す。


「お前何で猫耳つけてるんだ?」


「うぐはっ」


 そう言えばそんな物もついていましたね。急に恥ずかしくなってきて顔を彼から背け、私はその事情を説明した。


「東では私若干有名だから、と変装させられたんです」


「聖職者風の猫耳少年が実はつるぺた天使の少女です、とか萌え要素が詰まりすぎてて逆に萌えねーよ」


「ええっ? そりゃ燃えませんよ」


「……伝わらない気がするからこれ以上は言わん」


 ううむ、何を言っているのか分からなかったが、とりあえず少年と言う単語は把握出来たのでまた馬鹿にされたのは確かである。じと目で睨んでやると何故か顔を赤らめた彼は、手に持った猫耳のヘアバンドをもてあそびながら話を元に戻した。


「勿論セオリーは殺したいほど憎い。何であんな連中の仲間にって思うかも知れないけれど、その前に今もまだ俺を駒扱いして高みの見物をしている存在が居るんだ。まずはそっちを叩こうと思ってな」


「高みの見物……」


 誰の事だろう。エリオットさんをそんな扱いするだなんて心当たりが無い。少し俯いて悩みつつ、その先を言ってもらえるのかと待っていると、彼の右手がぽんと頭に置かれた。


「俺に……レクチェみたいな嫌悪感は感じるか?」


「ほぇ? いや、大丈夫ですけど……」


「良かった」


 そう言って彼は手を下ろす。


「あっ」


 そうだ。さっきの魔力の光の使い方といい、エリオットさんのこの言動といい、やはり彼はビフレストになっているに違いない。でもレクチェさんと違って嫌な感じがしないと言う事は、同じようでどこかが違うものなのかも知れない。

 そして私はルフィーナさんから聞いた言葉を思い出す。セオリーとそのお友達がどうやって魔族になってしまったか、を。

 想像出来たエリオットさんの当面の敵を、私は恐る恐る口にした。


「まさか神様に、楯突こう……と?」


「神と呼ぶ気は無いが、まぁ正解だ。あとうちの親にもだな」


「お、親ぁ?」


 だ、だからあんな手紙を残してセオリー達に手を貸す事にしたのか? ん、あれ? セオリー達は神様を倒そうとしているのか? 何かルフィーナさんに聞いた時はちょっと違った気がするんだけど、どうだっただろう。

 しかも頑なにその存在を信じようとしていなかった彼が、それを信じて牙を剥こうだなんて一体何があったのか。


「エリオットさん、ちょっとついていけなくなってきました……」


「む、すまん。お前の頭じゃ分かりにくかったか」


「どう考えても貴方の言っている事が突拍子も無さ過ぎるだけでしょう! 失礼ですね!」


 ガーッと捲くし立てるように叫んでやると、エリオットさんは話の内容など関係無しにとても嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見ているとこの人は事態を本当に分かっているのか心配になってくる。彼のその表情は決して不愉快なものでは無いはずなのに、どんぶらこっこと流れて行ってしまったっぽいガイアさんの事もあって私は若干の苛立ちを覚え始めていた。


「と、とりあえず神様を倒そうとしているのは分かりましたけど、お城も駆け落ち疑惑のおかげで大変な事になってるんですから一旦戻りましょうよ!」


 私は彼の手を取って帰還を促す。が、彼はそこから動こうとしないし引っ張っても動かせない。


「無理だ、それは出来ない」


 さっきまでの笑顔を少し悲しそうなものにして、静かに告げる彼。


「どうしてですか? 別にセオリー達と組むにしても一緒にずっと居る必要は無いでしょう。王様達にも不満があるみたいですけど、別にそれだってお城に戻って直接言えばいいじゃないですか」


「……これでも俺は脅されてここに来ているんだ。一応組んではいるが不本意な要求もされていて、それに従う為には帰れない」


「!!」


 やっぱりエリオットさんは好きでここに居るわけでは無いのだ! 私はさっきまでの落ち込みを吹き飛ばすその言葉に、握っていた手の力を強めて言う。


「何て脅されたんです!? それさえ無ければ帰る事が出来るなら、私が何とかしますから!!」


「そっ、それは……」


 何故そこで言葉を濁すのか分からない。じれったい彼の態度にもう面倒臭くなってきて再度ぐぐぐぐっと彼の手を引っ張る。しかしエリオットさんもそれに負けじと引っ張って、埒が明かなかった。


「早く言ってくださいいいいい!!」


「言えるかああああ!!」


 何でそんな頑なに口を閉ざすのだろうこの人は。言うに言えないほど恥ずかしい何かがあるとでもいうのか?


「……あっ分かりました!」


「え?」


「裸の写真を撮られてしまったんですね!?」


 そう、あの時クラッサがエリオットさんをとんでもない事に誘ったのは、この為だったのだ!!


「俺がそんなの恥ずかしがるかよ!!」


 しかし彼は握っていた手をべしぃっ! と振り払って全力で反論してきた。

 ……それもそうだ。一般的な女性やフォウさんならまだしも、下品を地でいく彼がそんな脅しに屈するわけが無い。自分で言っておいて何だが、これは浅はかな考えだったと思う。

 うーん、じゃあ何が? いやもうそんな事どうでもいい。

 私は振り払われた手をさすりながら、しっかりと彼に向き直って出来る限り優しい顔で言った。


「大丈夫です、どんな恥ずかしいエリオットさんでも今更ですから気にしませんよ?」


 個人的には、婚前に性交渉を行っていたなどと言うとんでもなく恥知らずな事をしている彼に、それ以上の恥などあるとは思えない。それならば、全てを受け止め切れる自信が私にはある。

 そう思って言ったのだが、


「お前なぁ、別に俺は自分が恥ずかしくて言わないわけじゃ無いんだぜ……」


 彼の返答は私の想像とは違うものだった。


「ち、違うんですか?」


「あぁ、聞いたら気に病むと思ったから言わなかっただけだ」


 何て事だ、また見立て違いとは。

 どこまで鈍感なんだろう、と自分に少し落ち込みつつも私はエリオットさんに目をやる。すると彼はその表情を疲れたようにだらしなく歪めて口を開いた。


「そこまで言うならもう言うっつの……お前にまたチェンジリングをかける、と言われたんだ。チェンジリングを解除するアイテムはあの時ほとんど壊れているから、次かけられたらもう解けないだろう」


「な、なるほど……でもそれなら私が捕まらなければいいだけじゃありませんか?」


 気に病むまでも無い、すぐ解決出来そうな問題なのだから。

 私はさらっとそう答えたが、それでも彼は渋い顔をして首を横に振る。


「まぁ今ならお前もクラッサを警戒しているから簡単に捕まらないとは思うけどよ。セオリーくらいの手強い奴がもう一人いる、って言ったらどうする?」


 アレがもう一人。

 言葉の意味が頭に入ってくると同時に目眩を感じ、ただ呆然とした。


「さっきの戦闘を見ていると二対一ならいけそうだったが、二対二じゃ無理に見えたぜ。そこに更に増えられたらどうするんだお前」


「って、事、は……」


 今エリオットさんの足枷になっているのは私で、だから彼は逃げられないと。それでは今お城が大変な事になっていて、レイアさんなんか責任追及されたりしちゃって、そんな非常事態の原因も元をただせば私と言う事になり……


「だから言いたくなかったんだよっ」


 きっと青褪めているであろう私の顔色を見て、彼は呆れているような怒っているような、どちらとも言い難い剣幕で叫んだ。

 私は困惑しつつも急いで思考を切り替えようとする。彼の言う通りならば私が彼の重荷になり、それが私の心の重石になっている状態だ。だったら、ある意味話は早いのではないか?


「私の事は気にしないでください……またあの体に戻るだけなんですから……」


 あの体は人には嫌われるけれど、独りで居る分には都合が良い体だったと思う。力も強いし、まるで鋼のように頑丈だった。悪い事ばかりじゃなかった、慣れているあの体に戻るだけならば別にいいではないか。

 それよりもエリオットさんが今この時期に城から居なくなる事の方がずっと大変な事だ。私の体は私一人のものだが、彼の体は彼一人のものではない。

 重荷も、重石も、この選択肢を取るだけですぐ下ろせる。

 なのに彼はそれを否定した。


「簡単に言うけどな、あの先どうなるか分からなかっただろう? だんだん力が制御出来なくなる、とかまるでそのうちお前の体が精霊に乗っ取られちまいそうな流れじゃねーか」


「その時はその時ですよ、別にいいです……とにかくエリオットさんはすぐにお城に戻らなきゃダメですっ」


 彼の黒い上着を掴み揺すって、私は訴えかける。その上着はさっきからずっと霧のような雨を受けてしっとりと湿っていた。

 エリオットさんは私の肩に手を置こうとしたものの何故かその手を挙動不審気味に引っ込めて少しの間黙る。が、ふっと目を閉じて顔を上げながら小さく呟いた。


「お前なら、それを出来るのか?」


「私、なら?」


「あぁ」


 それは逆の立場で、と言う事だろうか。

 私はお城の皆に迷惑を掛けつつ自分を犠牲にするのと、エリオットさんの身の安全とを天秤にかけた時……どちらを選ぶ?

 私は俯いてゆっくり考えてみようとした、がそんなの考えるまでもなく決まっている。自分はともかくお城の事、国に降り掛かっている多大な迷惑を考えたらエリオットさんには泣いて貰うしか無い。


「そんなの……」


 決まってるじゃないですか、と言いたかった。なのに何で言葉が詰まるのだろう。

 見上げた先の彼の顔は、気付けばこちらを向いていた。その瞳にはしっかりと私が映っている。


 あぁ、思い出せクリス。


 お前は昔……大好きだった姉とこの男を天秤にかけた時、どうしたのだ。


 たかが出会って数週間の男が死に掛けたくらいで、その時を逃せば無事に救い出せる確証すらなかった、たった一人の大切な肉親を……追わなかったではないか。

 今回問いかけられた例よりもあの時のほうがよっぽど自分にとって大事なものだったにも関わらず、私は彼を選んでいる。

 言葉が出ない? 出るはずがない。そんな思ってもいない事、言えるわけがない。

 彼の瞳の中の私は、もう泣き出しそうな顔をしていた。だんだんそれも見えなくなるくらい、目の前は歪み始めている。


「もう答えなくていい」


 エリオットさんがそう言って私の目元に人差し指を置いて、溜まっていた涙を零させた。私はそれに甘えるように目を閉じる。

 が、そこで彼は急に私を突き放し、


「その反応だけ見られれば充分だ」


 即座に銃を抜いたかと思うと私の翼を両方一発ずつ撃ち抜いたのだった。


「ッ!?」


 痛みに顔を顰めたが彼の不意打ち過ぎる攻撃はそれだけでは終わらず、更に私の腹に大きく蹴りを入れて吹っ飛ばす。そう、川へ。


「当分田舎に引っ込んでろ!」


 赤い濁流に体が一瞬飲まれたが、翼のおかげですぐに体は水に浮いた。けれど撃たれた翼は今まで受けたものとは比べ物にならないくらい私の神経をそこへ集中させ、痛みに悶えさせる。蹴られた腹部も凄く痛い。これが生身で受ける傷、と言うものなのか。

 薄れそうになる意識の中で、彼の呪文のような言葉が耳に届いた。


「ハーギュール、アカム……オシュト」


 何の言葉だろうか、祈りとも呪いとも取れる聞き慣れない発音。だが私はそう言った彼の顔を見る事が出来ないまま流されていく。


「うぶっ」


 浮いてはいるものの口に水が入り戸惑った。と言うのも私は実は……泳いだ事が無い。出身地に大きな水源地が無いので泳ぐ機会が無かったのである。濡れた上に撃たれた翼では飛ぶ事も出来ず、どうしたらいいのか分からなくてただ岸に着こうとがむしゃらに水を掻いた。

 翼も腹も勿論だが、流されながら石に何度も接触して体中が痛い。でもそれ以上に……酷く胸の奥が痛かった。

 そして私は流されながらフォウさんの言葉を思い出す。私はエリオットさんの説得に失敗したのだ。説得出来ない流れでは無かったはずなのに、慎重に進める部分を勘違いしていた自分にただ腹が立つ。

 どう言えば彼は戻ってきてくれたのだろう?

 考えても私には分からなかった。 


【第二部第十一章 離別 ~相容れぬ二人~ 完】

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