奪還せよ ~囚われの王子様~
突然入ってくるなり、何かとんでもない事を聞いた気がする。
「も、もう一回言って頂けますか?」
「……駆け落ちしたんだ、王子が」
再度しっかり耳に入れる事で、ようやく思考が追いついてきた。こっちはセオリーの出現に頭を悩ませていたところだと言うのに、あの馬鹿王子は駆け落ちをしたと言うのか。
「な、何で今……ていうか駆け落ちするくらいなら最初から婚約に踏み切らなければいいのに……」
頭が痛い。色々考えすぎて知恵熱が出そうなほど熱い額を、私は手の甲で拭う。そこで、周囲の視線が全て私に向いている事に気がつき、私は驚いて肩をびくつかせた。
「な、何ですか?」
「……有り得なくない?」
最初に言葉を発したのはフォウさん。彼はそう言いながら視線を私からレイアさんへと移行させる。
「そう、有り得ないんだよ……」
泣きそうな顔で彼女はそれを肯定した。
今日は私服らしく、その赤いキルトウェアの間から彼女は一枚の紙切れを取り出して中央のテーブルの上に広げて言う。
「これは王子の手紙の複製だ。ダーナの姫が来訪した翌朝に発見されて、間違いなく彼の筆跡で書かれている」
「えーと」
私達は各々でそれを読んでいく。
内容を簡単に言うと、やっぱり結婚嫌だから駆け落ちしますハッハー☆って内容だった。やや乱暴に殴り書きされているが、紛れも無くエリオットさんの字。
フォウさんもレイアさんも有り得ないと言っているが、あの人の事だから有り得ると言えば有り得る気もするのだが……
「で、相手は誰なんです?」
そう、この手紙にはその相手は書かれていない。
私が聞くとやっぱり皆の視線は私一点に集中してくるので、落ち着かない私はきょろきょろと皆を見渡した。
「え、聞いちゃまずかったですか?」
レイアさんは半ば投げやりな様子で、口端をげんなりと下げながら答える。
「いや、いいよ。目撃情報からは私の部下……クラッサがその相手だろう、と上は勝手に決め付けているんだ」
「!!」
私達はお互いの顔を見合わせて、ここでその名前が出てきた事に焦りを隠せなかった。
確かに仲が良さそうだったけれど、まさか彼女と駆け落ちまでしてしまうだなんて。そこまで彼はあの女性にのめりこんでいたのか……いや、そうなるように彼女が何かしらの考えがあって誘惑しまくっていたのかも知れない。
「全く女性の色香に惑わされすぎですよあの人は……」
本当は凄く心配だけれど、それを誤魔化すように悪態を吐く。しかしまたしても皆は私をじーっと見つめて呆れた顔をしている。
「何なんですかさっきから!?」
凄く視線が痛い! 私はその視線から身を守るように自分の体を両手で抱き締めてぷるぷる震えた。
もはや彼らは私に何も言わず、何かもう私をスルーして会話を再開し始める。
「クラッサって人と駆け落ちだなんてやっぱり有り得ないよ。何でそう上が決め付けちゃってるの?」
フォウさんの問いに、苦虫を噛み潰したような表情でレイアさんが首を振ってその理由を話した。
「前日の晩、王子が食堂でクラッサを呼びつけていたんだ。そして彼女は王子同様にその時から行方をくらましている」
「なるほど。普通に考えたらそのお前の部下が駆け落ち相手にしか聞こえないな。普通に考えたら、だが」
ライトさんがそう言って、皆大きく頷く。頷かないのは私一人だけ。
「そうなんだ。王子の事をそれなりに知っている私達ならば、例えそれなりに仲が良かろうが前の晩に会っていようが、彼女と駆け落ちするだなんて有り得ないと分かるんだ」
な、何でだ。あの人すっごくそういう事しそうじゃないか。なのに彼らはそうは思っていないようだった。
何で私は彼らと同じように有り得ないと思えないのだろう。やはりライトさんが先日言っていたように、私は全然エリオットさんの事を察する事が出来ていないのか……
ライトさんは彼女の言葉を受けて、
「つい今しがた、ずっと行方知れずだったそこの三つ目が『クラッサに監禁されていた』と言って戻ってきたところなんだ。まぁ間違いなく駆け落ちでは無いだろう」
と、彼女にこちらの情報を的確に伝えるべきところだけサッと伝える。
レイアさんはそれを聞いて、信じたくない、と頭を抱え苦痛に歪んだ表情で小さく小さく呟いた。
彼女はしばらく頭を抱えたまま、泣き声とも呻き声ともつかない小さな嗚咽を鳴らす。
ライトさんはしばらく彼女が落ち着くのを待っていたようだったが、しびれを切らして話を再開させた。
「で、手紙が見つかったのがダーナの巫女の来訪の翌日なのに、何故今頃来たんだ?」
「……それは、こちらもまずは内密に王子を探そうとしたんだ。けれどアレじゃあダメだ。絶対駆け落ちなわけが無いのに、駆け落ちとして探しているから見つかるわけが無いんだよ」
「なるほどな」
それだけ聞いてライトさんはスッとテーブルの上の手紙の複製を手に取ってそれを見つめる。
「この手紙が……ネックだな。こんな偽情報があっては捜索の手が正確に機能しない」
「そうなんだ。間違いなく王子の字だし、目撃情報もある。それに私がどんなに違うと言っても部下を庇っていると思われて取り合って貰えない」
ライトさんが少し眉を顰めてその手紙をくしゃりと握り潰し、レイアさんに向かって放り投げた。そして発する怒声。
「お前の監督責任じゃないのかコレは!」
そう叫ばれて、名残羽をぴくりと動かし顔を上げる彼女。悔しさが伝わってくるくらい歯を食いしばっており、その琥珀の瞳は潤んでいる。
「あぁそうさ! 私は今部下の管理責任を問われて謹慎中の身だ! もはやこの件に関しては一切の発言力も無い!」
お門違いなところを責める彼と、それに対し泣きそうな顔で開き直る彼女。これではうまくいくわけが無かった。
ぷつん、と何かが頭の中で切れる感覚がする。
「ちょっと二人とも落ち着いてくれませんか?」
私は多分、自分が出せる限りの低い声色で言ったと思う。
目を細めて二人を見やると、少し驚いた顔をこちらに見せて口を噤む彼と彼女。
「それで? レイアさんは今になって私に伝えに来たと言う事は、何か私にして欲しいんじゃないんですか?」
そう、多分それは、
「あ、あぁ、私はまともに動けない。君しか頼れなかったんだ。王子を……探して欲しい」
「最初からそう言ってくださいよ。時間が勿体無いです」
こんな時に喧嘩をしている二人を見ていてキレてしまった私は、エリオットさんにならまだしもレイアさんにそんな言葉を投げかけてしまう。
私は席を立って、出発の準備をしようと自分の借り部屋へ足を向けた。が、こちらは急ぎたいと言うのにそこでライトさんが声を掛けてくる。
「待て、俺は反対だ」
「何故です? ライトさんには少ししか話しませんでしたっけ。ツィバルドでの男と言うのは昔カンドラ鉱山の奥で会った空間転移の魔術まで使える男の事ですよ。そんな男、私以外の誰に相手が務まると言うんです」
「男……?」
私とライトさんの会話に、クラッサさんの仲間の存在を知らないレイアさんが疑問符を投げかけた。それにはフォウさんが小さく答えてくれる。
「クラッサって人の仲間だよ。俺はその男にやられて捕まったんだ」
ライトさんは眉を寄せ、その金の瞳を閉じた。そしてパッと見開いたかと思うと席を立って私の元にツカツカと歩み寄ってきて、
「これでもお前に務まると言えるのか!」
私の左腕を捻じるように上へ掴み上げる。
「痛ッ!」
乱暴に片腕を掴み上げられて苦悶の表情を浮かべた私に、更に彼は言った。
「これを振りほどいてみろ」
言われるまでも無い、私は必死に彼の手から逃れようとする。が、どんなに力を入れてもその手は振りほどけず、ライトさんはビクともしない。
おかしい。私は確かに本気で彼の手を払おうとしているのに……獣人だからインドア派でもそれなりに力が強いのかも知れないとは言え、この私が人間程度に力負けするわけが無いのだ。なのに、
「ど、どうしてっ」
「分かっただろう、レイア。今のクリスに以前までのずば抜けた身体能力は無いんだ」
ライトさんは私の腕を掴み上げたまま、レイアさんに振り向いてそう静かに告げる。
彼女はそれを受けて一驚を喫していた。
「な、何故……?」
ポニーテールの鳥人の問いに、白髪の獣人は低く静かに呟く。
「先日クリスに掛かった呪いみたいなものをエリオットが解いたんだ。それまでの異常過ぎる力は全てその呪いの副産物だった、と言う事だな」
私は彼の手を振り解くのを止めて、その言葉の意味を回らなくなった頭で必死に理解しようとしていた。
「それが本当なら……打つ手立てが……」
口元を手で覆い、わなわなと震えるレイアさん。
その動揺は簡単に見て取れた。救いを求めてわざわざ虎穴に入ってきたと言うのにそれが無駄同然だったのだから無理も無い。
最近自分自身に感じていた違和感はこれだったのか、と私は今頃実感する。
チェンジリングを解除する前から薄々分かっていた事だと言うのにすっかり抜け落ちていた自分の馬鹿さ加減が腹立たしかった。
「私のせいで、王子が……あああぁぁ!」
彼女の動揺はその想いから来るものなのか、もはや焦点の合っていない目で彼女は髪を振り乱してへたり込む。
だがライトさんはそこへ容赦なく罵声を浴びせた。
「人の家で喚くな雌鳥が!」
誰もが怒りと苛立ちともどかしさで刺々しい態度になっている。
レフトさんですら今はもう笑っておらず、ただ黙って私達のやり取りを見つめていた。普段の彼女ならばここで間を取り持ってくれるのに、それが無いのは事態が事態だからか、それともレイアさん相手だからか。
私はこの中で一番落ち着きがあるのでは、とフォウさんに視線を投げかける。
彼は私の視線に気付き、少し目を伏せながら何か悩んでいたようだったがふっと口を開いた。
「大まかな場所なら俺、分かるよ」
その言葉にその場の全員が彼に目を向ける。
はぁ、と息を吐きフォウさんはその期待を一身に受けて次を話す。
「空間転移で直に建物へ連れ込まれたけど、俺はずっと旅をしていたから部屋の中でもその地域独特の色合いで大体の位置は把握出来た」
「本当なのか!? どこなんだい!?」
レイアさんが一番最初に食いついた。
縋るように彼にしがみ付きその体を掴み揺さぶるその様は滑稽過ぎるくらい必死で、それなのに笑う事など出来ないくらい伝わってくる真剣さ。
フォウさんは彼女をなだめながら、その腕をゆっくり下ろさせ答える。
「東。しかも結構先だと思う。モルガナよりずっと向こうで……多分ニザの山脈沿いじゃないかな」
「そ、そんなところに……」
「まぁ俺が捕まっていた場所に同じように居るなら、って話だけどね」
フォウさんに縋りつき膝を突いたまま、彼女は視線を横へずらし何やら考え込んでいた。小さく動く唇が、彼女がぶつぶつと独り言を言っているであろう事を示している。
「でも並大抵の人じゃ助けるのは無理だと思うよ。クラッサって人は普通のヒトだったけど、あのツィバルドでも遭遇した赤い目の男は違う。ヒトどころか人間と呼べない」
「その赤い目の男と言うのは……一体何者なんだい? クリスは詳しく知っているようだったが」
私に話が振られ、ライトさんがようやく左腕を解放してくれた。ずっと捻り上げられていて違和感のする肩を回しながら、私は彼女の問いに静かに口を紡ぐ。
「話すと凄く長いのですが……呼び名はセオリー。レイアさんに分かる部分を言うならば、多分城から女神の遺産の一種である精霊武器を遠い昔に盗んだ張本人では無いかと思います」
レイアさんだけではなく、ライトさんもレフトさんも驚いた顔を見せた。フォウさんはこの件自体を知らないので驚くも何も無いようだったが、それでも真剣な眼差しでこちらを見ている。
「そして、エリオットさんの師であるルフィーナさんの異母兄です」
「そうか、二人に繋がりみたいなものは見えたんだけど、異母兄妹だったんだね……」
伏目がちだったフォウさんが、それで合点がいくと言うように呟いた。
「そうか、それでか……」
「?」
私の話を聞いて何かと繋がったのか、レイアさんが思い出したように喋り始める。
「クラッサが居なくなってから何か手がかりが残っていないかと、彼女の城内の足取りを追っていたんだよ」
「それで?」
ライトさんが短く相槌を打った。
「彼女の触れた書類の履歴の中に、業務外と思える物がいくつかあって……それがどれもディオメデス氏絡みの物だったんだ。私にはよく内容が理解出来ない物だったけれど……」
「エリオットの師が城でやっていた事なんて、エリオットの魔力に関しての事しか無いんじゃないのか?」
ライトさんとレイアさんの会話を聞きながら、私はもう一人の存在を思い出していた。
……やはり、エリオットさんのあの力はレクチェさんと同じ物で、次は彼を狙っていたからこそレクチェさんはリャーマで何事も無く暮らせていたのでは無いか?
だとしたら、
「え、エリオットさんが、本当に危ない……」
何を今更、と皆が私を見る。けれど今私だけがセオリー達の目的を知っていて、そしてそれは皆の想像を超える事態だと、それだけは言えた。
とりあえずレイアさんは何かどうも思い立った事があり、それをしてくるような素振りで『また来る』と言い残し一旦帰って行く。
残された私達は、ダイニングルームに差し込む昼の強い日差しがだんだん弱くなりかけてくる様をやや呆けながら感じていた。
「私の体が普通になっていたとしても……まだ精霊武器があります。止めても私は行きますよ」
すっかり冷めてしまったピザを平らげた後、私は自分の決意を皆に伝える。
が、不機嫌そうなライトさんは私を刺すような目で見つめながら言い放った。
「自分の力を過信して判断力も技術も養ってこなかったくせに何を言う。精霊武器だと? それこそまた力に頼るだけではないのか」
彼の言い分は勿論分かる。怒る気持ちも分かる。けれど、
「でも他に何かいい方法がありますか? やるしかないでしょう」
「まぁ、ね……」
危ない橋を渡る事になっても、安全な保障が無くとも、私が動くのがきっと一番希望がある選択肢だと思う……相手があのセオリーである以上は。
セオリーを実際に見ているフォウさんは、私の言葉に力無くも同意をしてくれた。
それにもしエリオットさんがレクチェさんのように記憶が不安定になってしまうほどの扱いを受けて、私の事を忘れてしまいでもしたら……レクチェさんの時ですらあれだけ辛かったのだ、今度は立ち直れそうになど無い。想像しただけで涙が出てしまいそうである。
「それはそうだが、確実性が無いのに向かって行くのは無謀でしか無い。エリオットを救えずに散ればただの無駄死にだと言う事を忘れるな」
「勿論、分かっています……」
私はそれだけ言って席を立ち、自分の借り部屋に戻った。
いつレイアさんが戻ってくるかは分からないけれど、とりあえずいつ戻ってきて、私が出る事になってもいいようにいつもの黒い法衣に着替えて剣も腰に携えようとする。
「鞘、結局貰いそびれたなぁ」
既に作ってある可能性もある、出発前に城を訪ねて確認だけしていこうと思った。それまでは革紐で腰に掛けておこう。
赤い剣は相変わらず無反応。確かに精霊の感覚はしているのに、こうも反応が無いと本当に居るのか怪しくなってくるくらいだ。もしかして寝ているとか。
ニールがこの精霊の性格がダインのようならば、と話していたが、と言う事はダインの真逆と考えて、とても周囲に無関心な性格なのかも知れない。
と、そこへ白いねずみが一匹私の肩に駆けて来た。
だがねずみは人型に変化する事も無く、じっと私の肩に乗ったまま。何となく、気落ちしているところを励ましてくれているように感じた私はそのままねずみの頭を優しく撫でてやる。
その後、レイアさんが病院に再度訪ねて来たのは夜分遅くの事だった。
「弟に長期休暇を出させて来た」
レイアさんはそう言って、後ろでびくびくと怯えている私服姿のガイアさんをぐいっと引っ張って私の前に押し出す。
「それをいちいち言いに来ると言う事はやはりクリスをエリオットの救出に使う、と?」
鳥人が二人に増えて大層ご機嫌斜めなライトさんが、レイアさんとガイアさんを交互に見ながら問いかけた。
レイアさんは彼の言葉に静かに返答する。
「今軍の人間で私が個人的な頼みごとを出来る者はほぼ居ない。力が弱くなっていたとしても正直な話、単純に数として借りたい。嫌ならば弟だけで行かせるから君達の情報を弟に教えてやって欲しい」
そう言われて半分泣き顔のガイアさんを見ると、どうもこの状況は彼にとってほぼ無理やり感が否めない。
「いえ大丈夫です、行きますよ私。力は無くとも精霊武器はありますから、ガイアさんの能力的に居てくださると心強いです」
以前聞いた話ならば彼は影縫いが得意だと言っていた。相手の動きを封じてくれるならば、私の防御力が紙になっていても問題なく向かって行く事が出来る。それは今の私にとってとても助かる事だった。
ライトさんはレフトさんと顔を見合わせて、俯きながら溜め息を吐く。
「好きにしろ」
踵を返して自室の方に歩いて行ってしまった彼の背中に、
「すまないな」
とライトさんに聞こえるか分からないくらいの小さな声で、レイアさんが呟いた。
残ったレフトさんも本当はこの場に居たくないのだろう、困った顔をしながら、それでも兄のようにこの場を去る事も出来ず戸惑いの色を見せている。
「まぁ……道案内に俺も必要、だよねぇ」
そして、情けない王子奪還の旅に最後の一人が三つの目を伏目がちにしながらも名乗りを上げた。
その日はそれで話はまとまり、明日の朝に東へ出発する事が決定したのでその晩はとにかくゆっくり休む事に専念しようとする。
が、こんな事があっては頭が冴えてしまって正直眠れるわけが無い。
目を閉じると昔に見た、エリオットさんが血まみれで倒れていたあの光景が蘇ってくる。私の中できっとアレが一番の彼の悲惨な状況なのだろう。
当面の目的地はモルガナよりもずっと東、ニザの山脈沿い。ぶっちゃけどこなのかさっぱり分からなかった。
フォウさんが大まかな場所まで案内してくれると言ってくれたので大助かりだが、そういえば彼は戦闘は出来るのだろうか。途中で危ない事が無ければいいが……
私は落ち着かない気持ちを必死に宥めながら、当分お別れとなるこのベッドの感触を確かめていた。
「ふぁぁ」
そして朝。ほぼ眠れなかったのはここへ来て大打撃。
すごくだるくて仕方が無いけれど、何かよく見てみると私以外の皆もあまりよく眠れている顔はしておらず、それでお互い察しあう。
フォウさんは相変わらず、そのムーングレーの長袖を捲くって既に玄関に待機中。いつもの黒の上着や袖と同じ色のベストも、暑いならばいっそ脱いでしまえばいいのに、と実はいつも思っているが口には出さない。
若干私も暑苦しい黒い法衣なわけだが、袖は捲くらない。これは私のこだわりだ。
「お待たせしたッスー!」
またしても遅刻してきたのはガイアさん。昨日は随分怯えていたようだったが今日は幾分その持ち前の明るさを取り戻している。
彼は職務の時の装束では無く、オリーブ色の上着の下に軽くベルトが斜め掛けされている長めのティアードシャツを着て、上着より濃い目の黒茶のズボンを履いていた。
「ガイアさんも私服なんですね……」
「そりゃそうッスよ! 東に行くのに軍の黒装束なんて着ていたら喧嘩売られるッス!」
な、なるほど……
とそこへ彼は私の頭にスポンと何かを乗せる。
「?」
よく見ていなかったのでとりあえず頭に何が乗ったのか触って確認すると、ヘアバンドのような物にふわふわした何かが付いていた。
鏡も無いので触るだけでは把握できず首を傾げると、フォウさんが目を丸くして私を見つめている。
「な、何乗ってるんですかコレ?」
「えっと、猫耳」
彼の口から絞り出された言葉は、一瞬理解するのに戸惑った。
「これは……やばい……」
ライトさんが私から顔を背けて鼻と口を押さえる。何がやばいのだろう、と言うか何故猫耳のヘアバンドを頭に乗せられたのだ。
答えを知りたくて、ソレをした張本人に視線をやると、彼は屈託の無い笑顔で言い放つ。
「クリスは東でも有名ッスから、変装しておかないと厄介事を引き起こしかねないッス!」
「そ、そういう事ですか」
「ちゃんと髪で自前の耳は隠して欲しいッス」
ガイアさんは私のサイドの髪を少しいじって、うまく耳を隠してくれたのだと思われる。しかしそこまでしたところでライトさんがガタンと音を立てて壁にもたれかかるように倒れた。
「お兄様~!?」
息も絶え絶えの兄を、慌てて支える妹。ライトさんはまるで遺言でも残すように彼女に話す。
「俺の事はいいから……今すぐカメラを……」
「何て事でしょう! 我が家にそんな高価な物はありませんわ~!!」
「問題はそこじゃないよレフトさん!?」
これから出発だと言うのに締まりの無い雰囲気に変わってしまったのは、間違いなくこのヘアバンドのせいだろう。
膝を崩して何故か悶えているライトさんを必死に介抱するレフトさん。そしてその二人の様子をげんなりしながら見下ろしているのはフォウさん。
ガイアさんはそんな周囲を気にする様子も無くにこにこと、
「んじゃ、行くッスよ! 姉は城に呼ばれていて見送りに来れなかったッスが『よろしく頼む』と言っていたッス!」
「分かりました。頑張りましょうね!」
何を考えているのかよく分からない人達は完全にスルーして、私とガイアさんは決意新たに握手を交わす。
この後どうにか正気に戻ったらしいライトさんとレフトさんに見送られて、城に寄って鞘を受け取った後に、まず私達はモルガナ行きの汽車に乗ったのだった。
◇◇◇ ◇◇◇
あの日……クラッサに脅されて手紙を書いた後、俺は急に自室に現れた黒髪の男に空間転移させられて、見覚えの無い部屋に閉じ込められていた。
普通に考えたら、出来てもルフィーナのように転移先を指定も出来ずに送るのが関の山のはずだ。なのに生物を転移させられるようなとんでもない連中とこう何度も出会うだなんて、何かそういう星の元に生まれてきたのでは無いかと思ってしまう。
「ちっ……」
一週間以上、この部屋でただ生活し続けている。流石に飽きてきた。
部屋の中は殺風景なものだが、それでも監禁に使用している割には親切な造りの部屋だと思う。風呂とトイレは綺麗だし、窓は無いものの目立った汚れは無い、牢と言うよりは簡易的なホテルの一室のようだった。少し硬いがベッドも普通のもの。
無論、俺の力があればここから出るのは容易い。別に何か魔術が施されているような形跡の無い壁など、すぐに壊せる。
だが俺がそれをしない事を見越した上で、ここに閉じ込めているのであろう。俺は力づくでここに連れて来られたわけでは無い。弱みを握られた上で渋々ながら従って来ているのだから、逃げ出すだなんて有り得ないのだ。
クラッサは俺を一体どうしようと言うのだろうか。正直な話、もし誰かが俺を捕らえに来ると言うのならばセオリーだと予想していた。
あのリャーマでビフレストと名乗った金髪の少年が言っていた事を、俺は一人静かに思い出す。
……それはどこまで真実なのか定かでは無い、信じがたい話。
あの時少年はまず、ビフレストと女神の末裔の争いなど、以前クリスが話していた内容をなぞるように俺に語った。
少年自身はと言うと、神託を受ける存在であるレクチェが使い物にならなくなった後の代替品として、神によって普通の人間から作り変えられてしまった人物らしい。
しかし所詮代替、レクチェのように適性がそこまで無かった少年は半端な力でひっそりと行動していたそうだ。
そして、その適性とやらを故意に持たされ生まれたのが……俺、と少年は言っていた。最初から定められて作られた、いわばビフレストの上位種だ、と。
何故王子である俺が、と勿論聞いた。
そこは逆に王子だからこそ、らしい。レクチェや少年のように表で目立って動けない者を使いにすると色々不便だったらしく、白羽の矢が立った『大陸全土の王』。
能力だけでなく権力まで備えた下僕、と考えればそりゃ便利には違いない。
兄貴達でうまくいけば兄貴達が俺のようになっていたそうだが、三代もかけて今の代の四番目の俺でやっと成功したそうだ。
つまり、俺が人とは違う能力を持って生まれたのは、意図的なものだったと言うこと。
この世界の神様とやらは、俺達を人形のように扱いたいのか。迷惑すぎる話である。
これらの話から、神と言ってもそこまで万能なわけでは無いと推測出来るが故に、その裏に居る存在は果たして本当に神なのか……未だに俺は疑心が拭えなかった。
まぁそこまで色々出来る奴ならば、神と呼んでもいいのかも知れないがな。
とにかく、俺がビフレストと似たような存在なら、セオリーに狙われてもおかしくないと思っていたわけだ。
次にそのセオリー。
少年は、奴も俺のように神によって作り変えられた存在だと言う。しかしビフレストとは違い、与えられたのは知識とその知識を使えるくらいの魔術適性。
アイツの動きにビフレスト側としても手違いは多少あるらしいが、少年の話ではセオリーが作り変えられた理由までは触れられなかった。
ビフレストを捕まえたりしている時点で、完全に神に楯突いている気がするのだが、それでも何か別に存在理由があるから生かされている……そう勘ぐられなくもないが、まだ情報が足りなすぎる。
そこまで考えたところで俺は、怒りがまた蘇ってきた。
「くそっ!」
立ち上がって、壁を思いっきり殴りつける。拳は皮が剥け、血が滲み、そんな玩具のような存在である俺にも普通の血が流れている事を再確認させてくれた。
神? 冗談じゃない。以前レクチェが俺に問いかけていた理由が、今なら分かる。
――――何に対し、何をもって神と呼ぶのか。
そうだ、そんなの神ではない。
「悪魔だ……」
苦々しく口にしたその単語。
クリスの姿を悪魔みたいだと思った事がある。ローズの姿を天使のようだと思った事もある。けれどそんな外見など関係無い。悪魔とはそういう命を弄び嘲笑うような奴の事を言うのだ。
遊ばれて堪るか。いい気になっているその存在をいつか引き摺り下ろし、目の前で叩きのめしてやる。
俺はその悪魔から与えられた力で、先程傷つけた拳を静かに癒した。
それはきっと傍から見れば皮肉な事に、神に祈るような仕草だっただろう。
外の時間も分からないまま、俺はまたぼーっと考え事をして時間を潰し続ける。
そんな時、腹の空き具合からしてまだ飯の時間では無い気がするのに部屋のドアがギィ、と開いた。
「……何の用だ」
入ってきたのは何かごてごてした鞭を持ったクラッサと、先日俺をここまで運んだ黒髪の男だった。
「用事がようやく済んだからお前と話そうと思って」
黒髪の男は着ている黒いスーツを少し正して、俺を見下すように笑いながら入ってくる。その手には何か書類のような物。
クラッサは男の前に出て俺にいきなりその鞭を振るってきたが、その鞭は打たれるのでは無く素早く俺に巻きついて両腕と体を拘束される状態になった。
「一応、この方に手を出されても困りますので」
つまり、コイツがこの件に関しての黒幕ってワケか。
俺を運んだりするから下っ端なのかも知れないと思ったが、その能力を考えれば確かに下っ端とは思えない。下の者に任せられない内容だったからコイツが動いた、ってところだろう。そりゃそうだ、空間転移なんて簡単に出来て堪るか。
俺は鞭で後ろ手に縛られたまま、その場に腰掛けてソイツを見上げる体勢になる。
黒幕が目の前に居るならばやはり今が一番この状況を打開するチャンスだ、と後ろ手のままその鞭を魔力で壊そうと試みた。
……だが、うまくいかない。魔力が入り込みにくい、と言うか入らない。この鞭は何だ? そんな考えが顔に出ていたのかも知れない、クラッサがそこで口を開いた。
「これは精霊武器です。足掻こうとしても無駄ですよ王子」
相変わらず近い。耳元で囁かれた言葉は、俺をかなり動揺させてくれる。
「何だって……?」
じゃあクラッサは女神の、サラの末裔だと言うのか。彼女はクリスとは全然似てないが……これが精霊武器だとするならばそれを自然に持っていると言う事はそうなのだろう。
だが彼女は更に俺の疑問に先に答えを述べる。
「ちなみに女神の末裔でもありません。私自身はただのヒトです」
納得が出来ない。何かこの疑問を解く鍵がどこかにあるのだろうが、俺には見つけられずそこで押し黙った。
そんな様子をずっと見ていた黒髪の男の目は酷く俺に敵意を剥き出していて、今にも何かされそうな雰囲気に俺はごくりと喉を鳴らす。
「あー……やっぱりムカつくわ。殴っていい?」
「男の嫉妬は見苦しいですよフィクサー様」
「へ?」
よく分からんけど殴られるのかと思いきや、それを嫉妬と言って窘めるクラッサ。コイツに何をどう嫉妬されないといけないのだろうか、分からずに訝しげに眉を顰めた俺の疑問に微笑んで彼女は答えた。
「王子がちょっかいを出された女性の中に、この方の想い人が居たのです」
「何でわざわざ言うんだよ!?」
クラッサの言葉に即ツッコミを入れるフィクサーと呼ばれた男は、半分泣きそうになっている。この状況でコレは無いだろう。一見クールなのに実は天然入ってるのかも知れない、と俺は彼女を半眼で見つめた。
「しかもただキスしただけの事をずっと根に持っていると言う、とてもお心の狭いお方なのです」
「ぶっ」
「だから詳しく言う必要無いだろ!?」
敬っているようで敬っていないクラッサの態度に、思わず吹き出してしまう俺。泣くように喚いている男に若干哀れみを感じてしまうくらいだ。
しかし……キスしただけ? この男が何故俺のそんな瞬間を知っているのかと疑問が浮かぶし、それにキスまでしておいてその先をしていない相手と言うのが結構限られてくるのでそれも頑張って思い返してみる。
うーん、やっぱりどっちも分からん。
「誰の事だ?」
素直に聞いてみるとクラッサが口を開いて答えようとし、それをフィクサーが即座に手で押さえ込んだ。
「言 う な よ !」
見た目は俺より若干上に見えるが、恋愛は奥手なのだろうか。って言うか明らかに敵な奴の恋愛観念なんて知ってどうするんだ俺は。
俺は頭を振って思考を切り替えようとした。それはフィクサーとやらも同じなようで、クラッサによって変な空気になった場を無理やり元に戻す。
「……随分放って置かれて寂しかっただろう?」
小馬鹿にしたような表情で俺を見下げる黒い瞳。男はそう言いながら傍の椅子に座って、また俺に再度目を向けた。
けれど折角のマトモな台詞も先程の流れのおかげで全く馬鹿にされている気分にならない。むしろ強がりのように見えて男が可哀想に見えるくらいである。
「何か締まらないなぁ」
「黙らんかい!!」
俺の正直な感想に、男は怒りを露にして叫んだ。
しかしそれだけ叫んでから男はコホンと咳払いだけして、また流れを本筋に戻してくれる。
「お前のお陰で表の仕事が大変だったんだ。その分も含めて是非とも体でお返し願いたいよ」
そう言って俺の前髪を乱暴に掴んで無理やり顔を上げさせるフィクサーは、自分が上だ、と俺に示し付けるように俺に真正面を向けずに視線だけを下ろしていた。
比較的整った顔立ちだがそれと同時に特徴を言い辛い、こざっぱりしたパーツが揃っている男の目は漆黒。髪も目の色もクラッサと同じなのでもしかして兄妹なのだろうか。
「表の仕事? 俺のせいで大変になるような職にでも就いているのか」
「まぁこれからお前に色々手伝って貰うから話してもいいだろう」
まるで聞かれる事を望んでいたかのように彼は軽やかに言葉を紡ぐ。
「お前の婚約話と国から送りつけられた文書で、うちのスポンサーが大慌てしているんだ。分かるだろう? エリオット・エルヴァン」
「略して呼ぶのが侮辱だと分かっていて言ってるんだろう、な……」
「勿論」
エルヴァンとは確かに国名だが、元々その由来は王族の名前を略したものだと言われている。だからと言って人々に国名として使わせているその略称を俺の名前としての意味で呼ぶと言う事は、今では王族を蔑む意味と同意。
エリオット、と呼び捨てされた方が遥かにマシな呼ばれ方をして苛立ちつつも、俺はフィクサーの言葉の本題に触れた。
「俺の婚約と国からの文書で困る奴なんて……モルガナの長か」
そのまま俺は自分の横で鞭の取っ手を握っているクラッサに視線をやる。
軍の中にこれほど堂々と東のスパイみたいなものが入り込んでいたとは……つまり俺は今東の連中の手に囚われていると言う事だ。
モルガナで折角クリス達に護って貰ったと言うのに、安全なはずの城の中で結局攫われてしまうだなんて目も当てられない。
でも、
「そこがスポンサーになる仕事……」
思いつかない。
ほんの少し考えていただけなのだが、フィクサーはそれを待つ気も無いらしくずっと掴んでいた俺の髪を投げるように放し、その衝撃で俺は後ろに倒れこんだ。
男はそのまま革靴の底で俺の腹を踏み躙って言う。
「連中がどうやって大型の竜を手に入れたと思う?」
俺を踏みつけた側の足の膝に体重を乗せ、のめり込むように体を曲げて見下ろしてくる黒髪の男。その顔は今までの鬱憤を晴らしているかのような冷笑を作っていた。
「まさか……」
腹に体重をかけられて、呻くように声を洩らす。
「そう、竜の飼育が俺の仕事。まぁ俺はその知識を与えて命令しているだけなんだけどな」
圧迫感に耐えながら、俺は自分の上に乗っている男の顔をしっかりと見た。空間転移の魔術が出来るくらいの知識があるのなら、確かに前代未聞である自然サイズの大型竜の飼育も不可能では無いと思える。
コイツがどこでどうやってそんな知識を手に入れたのかは分からないが、俺はそれよりもこの男の口調から、モルガナとは営利関係であっても同志では無いように感じ取れる事に少し安心した。
それならば俺がここで捕らえられていても、すぐには俺をモルガナを含む東の反乱集団に身柄を渡されたりせずに済みそうだからだ。金額やらで交渉が滞っている間に何か打開策を見つけなければ……
フィクサーは俺のそんな考えになど気付いていないようで、ぐりぐりと踏み躙りながら馬鹿にしてくる。
「よく考えりゃ分かるだろ? 暴れた竜を鎮める事も出来ない連中がどうやって竜を手に入れたか! どう考えても自力じゃあ無いだろう!」
相当俺を怨んでいるんだな、とひしひし感じるその行為。もしクラッサの言う通り本当に恋愛絡みとやらだけでここまで怨まんでいるんだとしたら、相当心が狭い奴だ。
与えられた痛みに反応してやるのも癪なので、なるべく意識を遠くへ飛ばすように俺は床に後ろ頭をつけたまま天井をぼーっと見る。
分岐点はどこだったのだろう、クラッサに頼ったのが間違いだったか? いや、クラッサが軍に居る時点でこいつらの計画は進んでいたはずだ。彼女は金に執着するような性格では無いから、元々居た軍の人間を買収した、とは思えない。
と言うか、まだ確かな目的すら俺は聞いていなかった。
感情を抑える為にぼんやりさせていた頭を少し振り、俺は自分を見下ろしている二人に問いかける。
「で、俺に何をする気なんだお前達は」
その問いに、二人はまるで嘲笑うような笑みを俺に向けた。
「なに、まだ何もしないさ。お前の準備が終わってないだろうからな」
「俺の準備……?」
そこでフィクサーは入ってきた時に持っていた書類のような物を俺にバサッと投げ捨てる。その書類は俺の顔に当たり、とりあえず……前が見えない。すんごい屈辱。
「おっと悪い、手が不自由だったな」
「分かっていてやってるくせに、フィクサー様は本当に性根が腐っておいでですね」
「そういう事言うのやめようか!?」
クラッサのボケに近い指摘に、叫ぶフィクサー。どっちが上の立場なんだ、とちょっと分からなくなってくる。
はぁ、と溜め息を吐き、彼はそのボケを掘り下げるのをやめて彼女に指示をした。
「仕方ない、椅子にでも座らせてからテーブルに書類を置いて読ませてやってくれ」
「かしこまりました」
言われるがままにクラッサは俺の体を鞭で引くようにして起こさせると、顔から落ちた書類を拾い上げ、傍のシンプルなテーブルと椅子に着席を促す。
何の書類だろう、とクラッサがゆっくりページをめくっていくスピードに頑張って追いつくよう俺は必死に黙読した。
そこに書かれていたのは、俺の魔力の通常とは異なる質の差の説明と、具体的な単語は書かれていない何かの適性値。また、俺の事だけではなく兄姉のそれらのデータも同様に並べられていた。先日の金髪の少年のビフレストに言われた事と大体繋がる内容。
だが、何故それが書類としてここにある?
読み進めていくうちにだんだんと表情が強張ってくる俺に、フィクサーは静かに告げた。
「それは城の機密書室に保管されていて、先日ちょっと拝借させて貰った」
「!」
何故あそこから盗み出せた、などと俺は聞かない。すぐに思い当たる節があったからだ。
俺は思わずクラッサに振り返って彼女の眼を見た。彼女は俺の視線に気付いてさらっとそれを答えてくれる。
「王子のお時間を頂いている間に、こっそりと隣の部屋で仲間に探して貰っていたのです」
その口元に鞭を持っていない方の手の人差し指をそっと当てるクラッサ。基本表情が硬いその顔を、ほんのりと笑顔に変えて。
「あの部屋ばかりは誰かが鍵を開けて入っている時でないと侵入出来ないからな。馬鹿が簡単に誘いに乗ってくれて助かったよ」
「うんわぁぁぁ……」
死にたい。去勢する勇気は無いからせめて殺してくれ。
恥ずかしさで頭を抱えたいが両手は後ろ手に縛られているので、ただその場で俯く事しか出来ない俺。
「どちらかと言えば王子はMかと思っていたのですが、意外とSっ気があってあの時は内心驚きました」
「何で今ここでそれを言うんだ!?」
彼女の言動による精神的被害が、今度はこちらにまで伸びてきた。頼むからそれは君の上司だけに留めておいてくれ、と心から願う。
何かもうさっきまで髪を掴まれたり腹を踏まれたりしていた事なんてどうでもいいくらいショックで頭が痛い。
そんな風に俺が身悶えているのをとても嬉しそうに眺めていたフィクサーが、それも飽きたのか話を進めてくれる。今の俺にとってはとても有り難い。
「……それが城にある、って事はそういう事。お前の魔力は生まれつきかも知れないが、それは自然なものではなく予め仕組まれていたのさ」
あの少年に言われていた事が真実味を帯びてきた。だが俺の受け取っていた考えと明らかに合わない点が浮上してきてもいる……
「国によって、仕組まれていたのか……」
てっきりあの少年が神様とやらの命令で王族の体をこーっそりいじってたとか、話を聞いた時そういう風に俺は受け取っていた。
だがそうでは無く、少年以外にも城にいる誰かが繋がって動いていて、しかもそのデータをこうして機密書室に保管させられるような人物が居ると言う事になる。
「首謀者は誰だ?」
「多分王妃だろうな」
出されたくなかった単語に、俺は唇を噛んだ。
「まぁそう恨んでやるなよ。自分の子供に神に匹敵する力を与えたいって気持ちも分からないでも無いだろ。特にそれが王家の事ならば、名実共に大陸を支配出来るしな」
俺の表情から察して言葉を紡ぐフィクサーだったが、それに引っかかりを覚えた俺は不安を押し隠しながら追求する。
「……この書類にこの力がどういう意味を持つ物なのかまでは書いていなかった。そういう言い方をすると言う事は……」
こいつは、少なくともビフレストと接触した事があるはずだ。
しかも最初の時点で一つ気になっていた事も加えればもはや間違い無い。俺の考えている事に気付いたのだろう、フィクサーは少し渋い顔で俺を見る。
「セオリーは、どこだ……」
そう、精霊武器がここにある時点で、これらを回収したはずのセオリーがコイツらの仲間の一人である可能性がかなり大きいのだ。
俺の敢えてその存在を断言するような呟きに、彼らは答えない。
「クラッサ」
代わりにフィクサーが、何かを促すように俺の隣に居る彼女の名前を呼んだ。彼女はその言葉に静かに首を振って言う。
「私がこの鞭を離したらコレに縛られている王子が死にますよ。フィクサー様が行って来てください」
「わ、わかった……」
命令を逆に返されて、どもる上司。様付けしているくらいだからクラッサの方が下っ端のはずなのに、どうしてか上位に立ち切れていない彼をまたしても哀れんでしまう。
フィクサーは肩を落として部屋を出て行き、俺は彼女と二人っきりになる。彼女は特に何を話すわけでもなくただ無言で俺を拘束し続けていた。
「君は何故こんな事を……?」
ただ聞きたいだけの意味の無い問いかけ。答えて貰えるとも思っていなかったが彼女はどうも比較的お喋りなようで、さらりと答えてくれる。
「時代がどう動くのか、傍で見届けたいのです」
「そうか」
考古学がとても好きだと言っていた。きっとあの言葉は嘘じゃない。セオリーがこの一味に居るのだとしたら、この場所はきっと彼女にとって居心地が良いだろう。
だって歴史の裏にあったであろう神とやらの存在に近く、そして自分達でまた歴史を紡いでいこうとしている連中なのだから。神とこの連中と、どちらが勝つか分からないがどちらに転んでもきっと彼女からすれば興味深いに違いない。
しかし、俺はこの通りあっさり捕まっている現状。盤面をひっくり返してやる前に、連中の勝利で物語は終わってしまうのかも知れないな。そんなものを見届けられては……悔しい事この上無かった。
「それと何故君は精霊武器を持てるんだ?」
質問ついでにもう一つの疑問をぶつける俺に、彼女はそっとシャツを肌蹴させて胸元を見せる。
不覚にも少しドキリとしてしまうが、俺の目に入ったのはその肌の上に飾られている琥珀のネックレスだった。
「それは……」
どこかで見覚えがある、が思い出せない。
「ブリーシンガの首飾りです。これは女性が身につける事によってその力を発する、精霊を従えさせる為の女神の遺産なのですよ」
ブリーシンガの首飾り。その単語は先日城で聞いたものだった。
クリスのチェンジリングを解除する為の道具の一つで、彼女が『無くても平気だ』と押し通していたアイテムだ。
無くても平気、ではなく……あるから平気、だったのか。
「精霊はムラのある性格ばかりですので、きっと女神も困り果ててこんな物を創ったのでしょうね」
「……そうだな」
俺は、何にも知らない。本当に……何にも知らなかった。
力が抜けた体を椅子の背もたれに預けて、俺は放心する。
しばらくして部屋のドアが開き、入ってきたのは俺のよく見知った顔の男とフィクサーだった。
「見たくない顔でしょうと思って見せずに居たのに、呼ばれるとは思いませんでしたよ」
にんまりと笑いながら喋る、長身の男。ローズを殺した……張本人。
憎くて仕方ないはずなのに、それ以上に自分が憎い。血が出るくらい歯を食いしばり、俺はその鉄の味を感じていた。
フィクサーは困った顔をしながら頭を掻いて、セオリーにぼやく。
「これから話す事で素直に仲間に迎えられると思ってたんだけど、何故か自分の力の意味を知ってたみたいで先にお前の事がバレちまった」
「まぁ仕方ありませんね」
そんな普通の会話。クラッサと違って二人の上下関係はまだいまいち判断出来ない。それよりも、これからの話で俺が素直に仲間になるだと? まだ何かあるって言うのか。
二人を黙って見据えていると、まず口を開いたのはフィクサー。
「俺達の目的は至って明快、神殺しだ」
それは俺がリャーマで少年から話を聞いて以来、一人で決意していた目標とほぼ重なっていた。
息を飲み、その言葉の続きを待つ。
「いや、達と言わないで頂けますか? 私はそんな事どうでもいいので」
「す、すまん、悪かった」
即否定するセオリーにフィクサーが戸惑いながらも謝った。ずっこけそうになるのを俺は耐えたぞ、誰か褒めてくれ。
となるとコレの中心人物はセオリーでは無くフィクサーになる。
金髪の少年が言っていた駒の一人にも関わらず、セオリーはそれに興味が無いようだった。確かに何かに執着しそうな性格にはあまり見えない、だがだったら何故この大きすぎる計画に参加しているのだろうか。
「俺はな、お前とは違った流れで人間じゃなくなった。ちなみにビフレストでも無い」
「そうか……」
俺はあの少年から話を聞いた時、セオリーの存在しか知らなかったからセオリーだけをイメージして聞いていた。だがそれが一人では無かったと言う事だ。
「大体の流れは、小さな子供のビフレストから聞いている」
「!」
説明を省いてやろうと俺は、確かに仲間に成り得るかも知れない……自分と似た境遇の男に自身の情報を少し話す。だが彼はそれに随分驚いたようで、その黒い瞳を見開いた。
「アイツ、今度は何を考えている……!」
「?」
焦りの色を隠せていないフィクサーは、机に手を付きそこに少し体重を掛けて俯く。
そこへセオリーが、
「未熟な力しか無いとはいえ、放っておかない方がいいかも知れませんね」
と言って軽鎧の下から靡くマントを翻し、部屋のドアへ向かった。そして部屋から静かに去っていくセオリー。
どういう事だろうか。確かにビフレストは神の使いかも知れないが、こんな反応をされるとは思っていなかった。
そんな彼と視線を合わせると、俺への敵意が少し減ったと感じられる目で見ながら彼は話し始める。
「アレはお前がレクチェと呼んでいたビフレストよりもずっと……狡い。どこまでをどう話されたかは知らないがそれだけは知っておけ」
「分かった」
額の汗を拭ってフィクサーは一息吐いた。
「それと……どこまでこの世の歴史は見終わった?」
「なっ」
何故それを知っている? 一瞬そうも思ったがこの毎晩の夢が何か理由があって誰かに見せられているものだとすれば、この男が知っていてもおかしくない。
問い質す事はせずに俺は素直に答えた。
「昨晩見たのは、ソールとマーニ……太陽と月がいつまでも狼から逃げ惑う様子、だな。正直なところ最近は意味が分からないものが多い」
「まだそのあたりか……」
それはまるで夢の内容を全て先に知っているかのような言いぶり。
「っ、この夢は何なんだ!?」
俺が散々悩まされてきた悪夢の正体を、フィクサーは知っている。そんな気がして思わず勢いよく席を立つ俺。
彼はこの気迫に負ける事無く、堂々と正面から俺を見据え……言った。
「いつから見始めたか考えてみろよ」
「……いつから?」
そんなのよーく覚えている、スプリガンの直後だ。俺はレクチェが死んだせいで彼女の代わりになるべくこんな夢を見続けさせられているのだと思っていたが……
さっきまでの会話の内容を思い出すと、もう一つ心当たりが浮かんでくる。
「その夢は俺の場合、体を創り変えられた時に一瞬で脳に詰め込まれている。気が狂いそうだったし、実際死ぬような事は無くとも体は一部異常を来した。お前の兄で一人それによって失敗作となった奴も居たはずだ。大きな異常が無くとも精神が歪んだ奴も居るんじゃなかったか? 今お前が受けているそれを幼い頃にされればきっとそうもなるだろうな」
「兄上達が……」
王族切っての馬鹿二人、と言うとアレだがそんな評判の悪さで俺に期待が降り掛かっていた幼い頃。しかしそれも実はこれらの弊害によるものだったのなら、言葉も出ない。
「お前の場合はそんな前例を受けて、なるべく育ってからその精神的な改変を受けさせられているはずだ」
「家出をして……城に戻ってきた後、だ」
「実際それをやったのは子供のビフレストだろう。指示したのは王妃と考えるのが自然だ……さぁお前の敵は、誰だ? 俺か?」
敵だと思っていた奴は敵では無かった。ローズの仇である連中が、皮肉な事に同じ志を持つ者だった。本当ならば憎いはずなのにその憎しみの対象が別に向いてしまってコイツらを憎めない。
「俺もお前は嫌いだけど、しばらく我慢してやるよ」
言葉を失っていた俺の体から、クラッサの鞭による拘束は気付けば解けていた。
◇◇◇ ◇◇◇
【第二部第十章 奪還せよ ~囚われの王子様~ 完】