駆け落ち ~忽然と消えたその先は闇~
◇◇◇ ◇◇◇
クリスが帰って、告白してもいないのに軽く振られたような喪失感を味わっていた俺は、着ていた黒の軍服の上着と靴を脱いでベッドに倒れこむ。
とりあえずローズの死因は隠し通せた。
教えてもいいかも知れないが、あの時あれで気持ちを収めていたところに復讐心を煽らせる必要は皆無だし、手を出したら危ない相手を怨ませるだなんて危険すぎる。
しかし、後のほうにクリスの言っていた事は尤もだった。
まだガキのくせして変にしっかりしてやがる。
「あー……」
俺はアイツの寄り掛かる場所になってやれないのだ。
それは俺自身がクリスのお眼鏡に適っていないと言うよりは、俺を取り巻く環境がそれを躊躇わせている。
王子であったりだとか、婚約直前だとか、それにきっとローズの事もあるだろう。
想いを伝えて土下座でもして愛人、体よく言えば側室という位置にでも迎えられないものかと我ながら酷い事を考えたが、クリスは絶対にそんなの拒否するに決まっている。
と言うかただ傍に居て欲しい。
別に俺の物になる必要は無いんだ。毎日だなんて贅沢は言わん、度々会って今日みたいに隣で楽しく笑っていてくれれば……
「かゆい!!」
自分の想像していた事に全身がむず痒くなって、俺はがばっと上半身を起こし正気を取り戻そうとする。
あのクソガキにどうしてこんな事を想わないといかんのだ、この俺が。
大体においてあんなまっ平らな胸の小娘を愛人にだなんてリアファルの事も重なれば今度の俺の世間評価は間違いなく『男色の気がある』から『ロリコン』にクラスチェンジだ。
どっちも違うのに酷い言われ様だろコレ!!
自分の体を抱えてうずくまる事で、もやもやする感情を抑えようとする。
けれど気付いてしまったこの気持ちはそんなのお構い無しに俺の思考を埋め尽くしていく。
今日のクリスの服装だって色気も素っ気も無い、だぼっとしたラフな私服。なのにそれも可愛く見えてくるから恐ろしい。
服の上からは膨らんでいる事すら分からない胸も、まぁこれはこれでアリなんじゃないかとか思ってしまっていた。
ましてや元々ローズに似ているあのぽてっとした唇は、意識し出してからはもう触りたくて仕方ない。
クッキーを与えながらそのまま指を突っ込んでやろうと何度思った事か。
「気持ち悪ぃぃぃぃぃぃ!!」
顔を押さえて、ベッドの上で転がりながら自分で自分を非難する。
リアファルじゃないが本当に俺、気持ち悪い。
気に入ったら当たって砕けろが俺の恋愛におけるポリシーの一つだと言うのに、相手がクリスとなるとそういうわけにも行かずこんなに気持ち悪いムッツリな事になっているのだ。
俺のせいじゃない、俺のせいじゃ。
疲れてきて若干だが落ち着いてきた思考回路。
「はぁ」
深く溜め息を吐いて、俺は今後どうやったらクリスを傍に置いておけるか考えていた。
今の公務が終わるまでに何か考えないと、本当にクリスが俺の元から離れてしまう。
そこでフォウと一緒に旅に出たりなんてしたら、今はあんな調子だけれど時間を掛ければ二人がくっついてしまう事だって無いとは言えないのだ。
そこまで強い感情は無さそうだが、少なくともフォウはクリスが明らかにストライクゾーン内だとその態度が告げている。
あのお喋り小僧にかっ攫われるのはムカつくなあぁぁぁぁぁ。
これだけは阻止せねばならない。
「っと、そうだった」
アイツ今行方知れずだったな、忘れないうちに来客リストを確認してくるか。
上着はベッドに置いたまま、靴だけ履き直して俺は部屋を出る。
いつもはひらひらした服が多いだけに、軍服で歩いているとメイドがちらちらと見ては違和感のする俺を気にしているようだった。
一つ目の回廊を抜けた先で、俺はレイアとばったり遭う。
もう陽は落ちていると言うのに毎日ご苦労な奴。
「クリスは帰ったのですか?」
すれ違おうとしたのだが声を掛けられて立ち止まる俺に、レイアはその綺麗と言うよりは勇ましい目元を鋭く細めて向けた。
「あぁ帰ったけど、何か用でもあったか?」
「……婚約解消しようなどと思っていませんよね?」
言われた言葉がかなりクリーンヒットしてくるものだから、俺は思わずむせてそのまま咳き込む。
「なっ、何でだよっ」
「答えて欲しいのであれば……」
そう言って彼女は俺の手を掴んで、近くの空いている客室に連れ込んだ。
バタンとドアを閉め、鍵をかけたのをしっかり確認してからこちらに向き直るレイアのその行動は、俺の不安を強く煽ってきた。
「人に聞かせる内容ではありませんので。しかもダーナのご一行が本日はいらっしゃいますから」
「はぁ……」
今度は何を言われるのだろう、とびくびくしながら俺は彼女の言葉を待つ。
ダーナの連中に聞かれたくない、か。
まぁそうだよな、婚約解消するのでは、と思った理由を言われるのだから。
リアファルに気持ち悪いと言われた事が何か間違って伝わっているのかな、と思っていたのだが、
「ダーナの姫が来られた当日にクリスがわざわざ尋ねてきた、となればそう思うのは普通でしょう」
「え?」
「だから、クリスが婚約なんてしないでください! って言いに来たのかと思ったのですが。違いましたか?」
途中に入ったクリスの声真似は、声は似ていないが言い方が随分似ていて笑いそうになった。
いや、笑ってる場合じゃない。
俺は笑いをごほんと咳き払いする事で誤魔化して反論する。
「クリスがそんな事を言うわけ無いだろうが」
「そうですか? でも婚約解消を指摘した時は図星を指されたと言わんばかりの反応でしたが」
「そ、それは……」
確かに婚約解消できたらな~と思ったりしたのは事実だったからなんだ。
でもクリスに言われたからじゃなくて俺が勝手にちょっと考えていただけだし、そもそもそれは有り得ないと思っているから本当にちょっとなんだ、選択肢には無い。
と、言えるわけが無いので押し黙るしか無い俺。
レイアは黙ってしまった俺の顔をじーっと見つめ、顎に手をあてて推理する探偵のような仕草で、
「では王子自身がクリスを見ていたら婚約解消したくなりましたかね」
「名探偵!?」
彼女の華麗なる推理に驚愕せざるを得ない。
だがレイアは呆れた、と言わんばかりに少し頭を下げて溜め息を吐いた。
「名探偵も何も、見ていれば誰でも分かりますよ」
「なっ、何がだ」
「貴方のクリスへの気持ちです」
ついさっきむせたばかりなのに、またむせてゴホゴホと咳き込む。
言われた意味を考えてだんだん顔が熱くなってくるのが分かった。
まずい、目に見えて赤くなっていたらどうしよう。
咳が止まったところで俺は涙目になりながら彼女に問いかける。
「いつから気付いてた?」
「いつだか分からないくらい前からでしょうか」
そんなに前から俺はアイツの事が好きだったのか!!
当の俺は気付いた直後だと言うのに、どれだけ駄々漏れていたんだこの気持ちは。
あぁもうだめだ、これ絶対顔赤いわ。
額に浮き出てくる汗を袖で拭いながら落ち着きが無くなって来る。
レイアはそんな俺を少しだけ見てから、顔を背けて呟いた。
「それでも……王子は他の女性に気が向いているようでしたから、本気で心配になったのは晩餐会からです」
「晩餐会?」
確かにあの時は、クリスが珍しく女の子らしい格好をしていたと思う。
しかし俺が自覚していないところでそんな事を考えていられたのかと思うと、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
「ムカつくくらい本気のようですね!」
笑っているけど眉間の皺は消せていないレイアから、俺はさり気なく目を逸らす。
手の平にも汗が滲んできていたのでそれを黒いズボンに吸わせると、俺はもう開き直る事にして喋った。
「どうやったら全てを丸く収めつつクリスを手元に置いておけると思う?」
「私にそれを相談するとはいい度胸をしていますね……」
彼女はぴくぴくとこめかみを引きつらせて静かに怒っている。
「まぁまぁ、元々はお前が振ってきた話題なんだからいいじゃないか」
「……そもそもあの子は物じゃありませんよ。とは言え、そんな事を仰っていると言う事は全然進展していないようで安心しました」
また俺は人を物扱いしていたらしい。
故意では無いのだが、やはりすぐにはそう言った意識を変えられないか。
安心されてしまった事に若干悔しさがこみ上げてくるのを感じつつ、それでも縋るようにレイアに問いかけた。
「で、何かいい案無いか?」
手の平を向けてにこりと笑う俺に、彼女も同じようににこりと笑って言い放つ。
「クリスがずっと傍に居たくなるような魅力的な男性になってみてはどうでしょう?」
「ぐっ」
「とりあえずダーナの姫を見ていて羨ましくなるくらい大切にしていれば、妬いて擦り寄って来るかも知れませんよ」
その案は諸刃の剣では無いだろうかとも思ったが、成功したら凄く可愛い様子が見られるかも、と妄想してにやけた俺の足をレイアが思いっきり踏んづけた。
話を終えた俺は、またもう二つ回廊を抜けて城門の裏まで辿り着く。
来客管理をしている小さめの部屋に顔を出して、リャーマに行く前のサーオィンの記録を見せて貰った。
「えーと」
ぱらぱらと捲っていくと、程なくしてフォウ・トリシューラの名前が見つかった。
会っていたはずの相手は、クラッサ。
「何であいつがクラッサに……?」
フォウとクラッサの接点だなんて、この間の機密書室での出来事しか思い浮かばない。
一体何を話したんだ、俺の性癖でも詳しく聞きに来たか? んなわけねーよ。
とりあえずパタンと記録ファイルを閉じて返し、今度の俺が向かう先はクラッサのところだった。
彼女はレイア同様に城に住み込んで務めている軍人の一人である。
今の時間なら食事でもしているかも知れない、と従者用の大食堂へ足を運んだ。
普通は王子である俺が立ち寄るはずの無いその部屋は、俺が入るなり一気にざわめく。
広い食堂内を見渡してあの黒い髪を探すと、いつもの黒シャツとベストに白のトラウザーズ姿の彼女が見つかった。
「クラッサ、話があるんだ」
周囲の視線は気になるがまぁ仕方ない。
「はい」
一言返事で席を立ち、食べていた食事を半ばで片付けて俺の後ろに着いてくるクラッサ。
フォウとクラッサの接点がアレ過ぎるので、もし人に聞かれて困る内容だったら……と思い、敢えて彼女を自分の部屋に招きいれた。
彼女はこの時間に呼ばれた事に疑問を持つ様子も無く、いや、持っているのかも知れないがそれを億尾にも出さず無表情のまま俺に聞く。
「何の御用でしょうか?」
「時間をとって済まない。俺がリャーマに行く三日前、二週間前のサーオィンに君を訪ねて来た青年が居たと思うんだが」
「はい」
「何処かに行くとか……いや、その時一体その青年と何を話していたか聞いても構わないか?」
何を話していたのか聞いた方が足取りを予想しやすいかも知れない。
そう思って確認したのだが、彼女は俺の問いには答えずに全然違う話題を振ってきた。
「王子、手紙を書けそうな紙とペンはありますか?」
「え? あぁ、あるけど」
口には出したくないのだろうか、俺は壁際のデスクの引き出しから紙とペンを取り出して彼女に渡す。
すると彼女はそれを俺に逆に押し付けてきたではないか。
「?」
「今から言う事を王子の手でこの紙に書いて頂いてもよろしいでしょうか」
意味が分からん。
けれどとりあえず書けば分かるか、と俺は中央のテーブルに座って彼女の言葉を待った。
そこへ、耳元にふっと掛かる生暖かい息。
近い、近いよクラッサ。
彼女の唇が耳に触れるんじゃないかと思うくらいの距離で話していくそれを、俺はサラサラとペンで綴っていく。
「……ちょっと待ってくれ」
「どうしました?」
小さな声で喋っていた彼女のトーンが普通に戻った。
「いや、今言っていたのも書けと?」
「えぇ、お願い致します」
「……何に使うのかな?」
「書かれている通りの事に使います」
どういう事だ、俺はこれを書いてはいけない。
と言うかこんな事する気も無い。
彼女は一体何を考えている?
流石に書くのも憚られる為そこで手が止まった俺の頬をするりと撫でて話すクラッサ。
「協力してくださると言っていたはずですが」
「いや、そりゃするけど、これは違うんじゃないか?」
「違いません、後に分かります」
「だっ、だとしてもこれはまずいって!」
こんな事したらどうなるか分からない。
いつまで経っても書かない俺に痺れを切らした彼女は、至って平静に脅しのような台詞を投げかけてきた。
「チェンジリングは解除は大変ですが、掛けるのは容易なのですよ」
「!」
それは、俺がこれを書かねばクリスに再度チェンジリングを施す、と言っているようなもの。
耳元で話し続ける彼女の髪が視界の端に見え、そしてその距離を途端に恐怖として感じ始める俺の体。
強張って、動かない。
「今ここで私を縛ってそれをさせないようにする事も出来ますが、私に何かあれば仲間がそれをするだけの話です……分かりますね」
あぁよく分かる。
俺がこれを書くしか無い、と言う事が。
ここまで大それた事をしようとしているのだ、仲間が居ると言うのも嘘では無いだろう。
「ちなみに先程言っていた青年ですが、私の事に勘付いて問い質してきたので監禁してあります」
「くっ」
俺は自身の不甲斐無さに苛立ちながら、彼女が囁く言葉を手紙として綴っていった。
レイアならきっとここに書かれた事が真実では無いと判断してくれるはずだ。出来る事ならばこの手紙を最初に見るのが彼女であるように、と願いながら……
◇◇◇ ◇◇◇
お城から病院に帰ってきた頃には、当初予想していた通り夜になっていた。
帰ってみると既に夕飯の準備はほぼ出来ており、私が着いてすぐに食事となる。
三人と二匹でダイニングテーブルを囲みつつ、私は鶏肉の紅茶煮を素手で掴んでもきゅもきゅ食べながら報告をした。
「ん、エリオットさん、姉さんの事でやっぱり不自然な点は無かったって言ってました」
それだけ言ってまた私はさっきの鶏肉を掴んで二本目にかぶりついた。
クリームチーズのキッシュを二匹で食べているうちの片方のねずみが、一瞬その口を止めてこちらに赤い瞳を向けるが、特に人型に変化して話題に入ってくるわけでもなくまた食事を再開させる。
多分こちらを見たのはダインだろう。
彼女? としてはやはり腑に落ちないと思われた。
「そうか……」
この件はエリオットさんの言う通り、余計な詮索をする必要が無い事でもある。
ライトさんも同じ様に思っているのかも知れない、それだけ呟いてパンを千切って口に運ぶ彼。
「フォウさんの事は今日中に調べてくれるって言ってました。あと婚約の事はどうでも良い理由でしたよ」
「どうでもいい、ですか~?」
「はい、レイアさんと勝負して負けたら結婚しろって言われていたそうです。で、負けたと」
と、ここまで言ったところでライトさんとレフトさんの動きがピタリと止まった。
そこで私はようやくエリオットさんが二人に言いたくなかった理由を実感する。
「あの雌鳥、やはり捌いて食べてしまった方が良いのではありませんか~?」
「!?」
今の発言はレフトさん!? レフトさんだ、レフトさんの言葉のはずだ。
けれど聞き間違いとしか思えない発言だったので私は思わず目を丸くして彼女を見る。
レフトさんは変わらぬ笑顔であるにも関わらず、左手に持っているフォークがぐにゃりと曲がっていた。
と、レフトさんでコレなのだ、ライトさんは……と恐る恐るライトさんも確認す、
「ひっ」
彼は今まで見た事の無い形相をしていた。
鬼か悪魔か、と言うレベルで歪んだ顔。
更に手にしていたパンに八つ当たりするように乱暴に直接食い千切っている。
「他人の人生を何だと思っているんだ、あの女らしい汚いやり口だ」
「いっ、言いたい事は分からないでも無いですけど、多分エリオットさんが勝った際にはそれに見合う条件が提示されていたのでは……」
私は多分正論を言ったはずだ、一方的な条件だけでそんな勝負をするわけが無い。
私はレイアさんをフォローしようとするが、それは無駄に終わった。
「鳥ごときにあいつの結婚を左右するような条件を提示出来るものか。そもそもあの存在にそんな価値が無い」
種族間対立ってこんなに根強いのか……ッ!!
「全くですわ~、エリオット様はお優しすぎますわね~」
私の両サイドの虎の獣人は揃って、レイアさんと言うか鳥人全てにあてて言うように非難する。
やはり長い歴史の中ずっと争い続けている種族と言うのは、簡単には仲良くなれないのかも知れない。
ライトさんもレフトさんも個人としては凄く良い人なはずなのに、それでもこんな一面があるのだ。
人間というものは……恐ろしい。
単に仲が悪いとかそういうレベルではなく、これ以上自分に出来る事は無い、そんな気がして私は口を噤んだのだった。
人種による差別と言うのは消す事が出来ないのだろうか。
私自身が今二人に嫌われているわけではないが、見た目が違うと言う理由で傷つけられていた時期もあるので、第三者の立場からしてもこれは見ていて悲しくなってしまう。
二人にこんな事を言って欲しくない、と。
黙って食事を口に運んでいると、私の気分が落ちている事に気がついたのだろう、ライトさんが声を掛けてきた。
「すまない、気を悪くさせてしまったか」
「いえ、誰だって、嫌いな人くらい居ますよ」
きっと元々気が合わなくて、それに種族の事も重なってそういう間柄になっているのだと思いたい。
「……私にもし名残羽があっても、こうして一緒に居てくれますか?」
不毛な確認だ。でもつい口から出てしまったその言葉。
彼らは少しの沈黙の後、先程までの怒りを鎮めて優しい声色で言った。
「正直言うと最初は偏見を持って見るかも知れませんわ~。けれどクリスさんがもし鳥人ならば、その偏見もきっと薄れていくと思います~」
「そうだな、そもそも偏見と言うならばお前が鳥人でなくとも最初の頃はあったからな」
頭をくしゃりと撫でられて、私は二人の言葉を信じようと静かに目を閉じた。
色々あってライトさんとゲームをしていなかったので、明日の洗濯当番を決めるべくお風呂を上がってから彼の部屋でゲームを開始する。
ちなみに今日はボードゲームではなくカードゲームで、ジンをプレイ。
トランプでやる二人麻雀みたいなものだと思って欲しい。
あまりに手札が揃わなくて笑いがこみ上げてくる。
私は何か不運の星の元にでも生まれているのでは無いだろうか。
セットもランもぐだぐだで揃わず、カードを引いてはがっかりして捨てていた。
「さっきはすまなかったな」
カードを山札から引きながら謝るライトさん。
「えっ、いえ、いいんですよ」
「別に鳥人全部を嫌いなわけでは無いんだ。レイアの場合は昔からエリオットを間に挟んで喧嘩していたもので、どうしてもな」
やはり小さい頃から知っていたのか。
そのあたり聞いてみたいかも知れない、とその続きを期待するような上目遣いで彼を見上げてみる。
するとライトさんは少し困りながらも口元だけをほんのり緩ませて言った。
「あの女はあの通り融通が利かないからな、エリオットの事を考えているようで考えていない、俺はそう感じるから好きでは無いんだ。レフトもそうだと思う」
「ふむ」
「エリオットの立場からすればやりたい事を全部やらせてやるわけにはいかないが、だからと言って全部縛り付けていてはどこかで綻びが生じてしまうだろう?」
なるほど、レイアさんは王子としてのエリオットさんの事を考えて最善に進めようとしているけれど、ライトさんはそれとは違って彼個人を尊重しているのが見ていて分かる。
それがあるからエリオットさんはいつもライトさんのところに寄りに来るのかも知れない……気が休まる場所に。
「いいなぁ、そんな事を想ってくれる友達が居て」
ふっと出た言葉。私もそんな友達が欲しいと思った。
手札があまりに酷いのでもう笑いながらバァッと天井に向かって放り投げてやると、宙に舞い散るトランプ。
ひらひらと生き物のように動いて落ちてくるそれをライトさんは驚いて見つめていた。
「な、何をしているんだ」
「だって! 負けちゃいそうだったんで!」
あははと大きな口を開けて笑って誤魔化してやると、呆れ顔で彼も手札を私と同じように高く放り投げる。
「お前が拾うんだぞ」
「はーい」
「それと洗濯はお前がするんだぞ」
「はーい」
毎度の事でやる前から結果も分かっていて、洗濯をしろと言われても何の不満も湧いてこない。
ゲームなどで勝敗を決めずとももう私の仕事でいい気がする、アレは。
トランプを拾い集めてライトさんに手渡し、曲げていた腰を伸ばそうと大きく背伸びをした。
椅子に座ったまま私が拾うのを傍観していた彼は、拾い終えた私を確認して呟く。
「お前にも居るだろう」
「え?」
何が? と一瞬分からずに問い返してしまったが、少し間を置いて何の事だか把握した。
「あー、友達、ですか?」
「友達と呼べずとも、お前の事を想っている者は居るんじゃないのか?」
「……そうですね。気付いていなかっただけで、皆私の事を想ってくれていましたよね」
そう考えるとさっきは失礼な発言をしてしまった。
私に掛かった呪いのようなものを解こうとしてくれていたり、何かあれば心配してくれる人達がこんなにいる。
けれど何故だろう、どれも何か違うのだ。
そういう保護みたいなものじゃなくて、対等の想いが……欲しい。
「姉さん……」
「ん?」
そう、皆、姉さんみたいなのだ。
私にはいつも何も言わずに、気付くと私を護ってくれている。
そしてそんな関係は、失った時……とても恐ろしい。
「私はいつ、皆さんと対等に接する事が出来るのでしょう?」
「どうしたいきなり。成人したとはいえまだ子供同然だからな。ずっと先じゃないか?」
私が苦い思いで絞り出した言葉を、軽く流すライトさん。
自身が悩んでいることを軽く見られたこともあり、私は少しムッとして彼に食って掛かるような勢いで責め立てる。
「勝手ですよね! 成人したから縁談話が来たり、かと思えばまだ子供だと言われたり!」
「納得がいかないか」
「当たり前ですよ」
彼にあたる事では無い、そう分かっているのに言わずには居られなかった。
先程までゲームをするのに使っていたテーブルの端に拳をつけ、私は顔を歪める。
「お前が言う『対等』になりたいと思うのならば、気遣われるのではなく、気遣い合えるようにならなくてはいけないだろう。クリス、お前にはまだそれが出来るとは思えない」
つまり私は他人に気遣いが出来ていないと、涼しい顔でそう言われた。
「そっ、そんなの、エリオットさんだって……!」
「本当にそう思っているか?」
「だって……」
「気遣う相手とタイミングが限られているだけだろうアイツの場合は」
確かに、と私は反論する言葉を失い押し黙る。
じゃあ私はそんなに何も考えていなかったのか……言われてみるとそうかも知れない。
私は皆に想って貰っているほど、意識して皆を想っていたとは言い難かった。
意識していなかったからこそ皆にそこまで気遣われている事すらすぐに気付けず、後でその事実を知らされるたびに驚いている。
ライトさんは無表情のまま、煙草を取り出しては火をつけるかつけないか悩んでいるようだった。
その手で弄ぶようにマッチの箱を開け閉めする。
「私……」
「もう少し相手が何を考え、何を思っているのか気にしてみろ。それをしない事には気遣えるわけが無いし、お前が望んでいる意味での対等な友人など作れない」
ここまで言われないと気付けないだなんて恥ずかしくて……悔しい。
本当に子供だと自覚させられ、目から零れてくる滴。
声をあげて泣くわけではなく、悲しいわけでもなく、ただ悔しさという感情の溢れてくるままに涙が流れていた。
目をごしごし擦っていると、小さな溜め息の後にライトさんの声が聞こえる。
「泣くな、鬱陶しい」
「うぅ」
でも勝手に出てくるのだ、この水は。
「お前がそうやって悩んでいるのならば、自然と成長する問題だ。別に無理する必要も無いと思うが」
「うううぅぅ」
フォローになってない、全然なってないですソレ。
「少し精霊の片割れから聞いたが、小さい頃の対人関係を鑑みればそう育ってしまうのも分からないでも無い。周囲が近寄りもしないのであれば、気遣うはずの相手自体が居ないのだからな」
以前私とリンクしていたニールが言ったのか。
確かに私は周囲から避けられ、そしてそれを怖がり媚びるのではなく突っぱねる事で自分を保ってきていた。
もしあの頃、それでも人と接しようと努力していればこんな風に言われてしまうほどの鈍感には育たなかったのかも知れない。
一生懸命ライトさんが慰めてくれているのは分かるが、悲しいのではなく悔しいからなので、何を言われても無駄だった。
いつもそうだがライトさんは私が泣くと不機嫌になるので必死に止めようとしているが、止まらない。
彼の顔はさっきから見えないので一体どれだけ不機嫌にさせてしまっているのかと不安になってくる。
「ご、ごめんなさい、もう部屋を出ますね」
これ以上不愉快なものを見せるわけにはいかない、と手探りで場所把握をしつつ去ろうとする私だったが、後ろから肩を掴まれ少し引き寄せられた。
目に擦り当てていた手を離し、少し腫れているであろう瞼を開いてライトさんを見ると、
「あれ、眼鏡……」
どうして外したんですか、と思わず突っ込みたくなるくらい、眼鏡を外した彼を見るのは滅多に無い事で。
しかしそれを突っ込み終える前に私の口は彼の唇によって塞がれて、あんなに止めようとしても止まらなかった涙がピタリと止まる。
全く別の思考を上塗りされ、悔しさなんて一気にどこかへ行ってしまった。
とりあえず抵抗しようとするがうまく抱き抱えられてそれも適わない。
どうにか顔だけ捩って背けて息を吸い、何故こんな事を、とライトさんに向き直すと彼の表情は想像していたもののどれとも違うもの。
怒っているわけでも無表情なわけでも無くて、私はちょっと驚いて目を奪われてしまう。
「泣き止んだな」
「あ……」
あまりに泣き続ける私をショック療法で泣き止ませてくれたのか、と思ったがその次の瞬間、また重ねられる口と口。
今度のキスはさっきのと違ってもにょもにょして何をされているのかよく分からない。
頭がふらふらして力が抜けてくる私の体を、彼は優しく支えてくれていた。
「とりあえずそこへ直りなさい」
「はい」
ようやく唇を解放されてしばらく彼の腕の中で茫然としながらも、何とか状況把握が完了し正気に戻った私は、まずライトさんを椅子から引き摺り下ろすように床へ叩きつけ、そのまま見下ろせるように床に正座させる。
強張った顔で従う彼の顔はなかなか見られるものでは無い、と言うか過去一度たりとも私は見た事が無いし、彼が『はい』と返事をするのも聞いた事が無い。
「自分が何をしたか分かっていますね?」
「はい」
私は彼をじっと見下ろしているが、ライトさん自身は俯いて斜め下の私の足元を見るばかり。
まぁ怒られているのでそうなってしまうのも無理は無いのだが。
腰に片手をあて、もう片手は下ろした状態で私はふてぶてしく立っていた。
いつもお世話になっておいて申し訳ないが、多分表情もとても冷たいと思う。
「ああいう事は、愛し合う男女が結婚式の時に神様の前で誓ってする事なんですよ」
「はい」
ひたすら素直に返事を続けるライトさん。
その姿勢は崩れる事は無い、両手を握って膝に置く、顔さえ上げていれば完璧な正座であった。
エリオットさんと違って反省の色は見えるのだが、それでもまだ言い足りない私は続ける。
「確かに驚くほどすぐに泣きやませて貰いましたが、それなら二度目は必要無いですよね」
「はい」
若干ぷるぷると震え始める彼の肩。
可哀想だなんて思わない。
私はあんなの初めてだったのだ。
これくらいで収まるわけが無いのは明らかだろう。
大きく息を吸って仕切り直し、私は更に問い質した。
「で、何であんなとんでもない事をしたのか理由を聞かせて貰っていいですか?」
「…………」
今度の返事は無かった。
さっきまであんなにリズムよくはいはい言っていたと言うのに、黙するライトさん。
苛々するので私は靴底でタンタンと床を叩きつけ、返事を催促する。
それにビクリと体を反応させて、彼は怖々としながらも口を開いた。
「つ、つい……」
「それじゃあエリオットさんと同類でしょうがあぁぁぁぁ!!!」
夜だと言うのに大音量で私の怒声が部屋中に響き渡る。
「すすすすすすまない!」
完全に怯えている珍しいライトさんを見られた事に『おおお』と思う心の余裕など私には無いので、関係無く叱責を飛ばした。
「謝り方が違いますよ!!」
「大変申し訳ございませんッ!!」
背筋をビシッと伸ばして顔を上げ、今度こそ完璧な正座と姿勢で悲鳴を上げるように謝罪する白髪の獣人。
その表情はもう戦々恐々としている。
それを見て少しだけすっきりした私は、ようやく氷のようになっていたと思われる顔を少し緩ませた。
「……まぁ、許してあげましょう」
両腕を前で組んで仁王立ちして見下げながら、とてつもなく偉そうに私はそう述べる。
ほぅ、と安堵の息を吐くライトさんを見て、僅かながら楽しいと思ってしまった事は彼には言わないでおこう。
と、彼がそこで怯えていた表情を真剣な目つきに変えて私を見上げてきた。
「クリス」
「何ですか?」
名前を呼ばれて返事をすると、彼はそのまま自然な流れで言う。
「好きだ」
私は腕を組んで仁王立ち、と言うポーズのまま固まった。
多分漫画で表現するならば全身真っ白になっているのでは無いだろうか。
それくらいショックな言葉が耳に入ってきたのだから。
私が固まっているにも関わらず、彼はそのまま言葉を続ける。
「だから誰彼構わず好みだと言うだけで手を出すアレと一緒にしないで欲しい」
「そ、それは失礼しました……」
ままま、まぁ確かにライトさんはそういう人では無かったはずだ。
本当に好きだからこそ体が動いてしまったとかそういう事もあるのかも知れない、よく分からないけれど。
いや、って言うか、それって、
「う、あぁ」
私は彼から一歩距離を取って後ろに下がり、組んでいた腕を解き片手だけ胸に当てた。
心臓が破裂しそう、とはこういう事を言うのか。
あまりに自然に且つストレートに告白されたので少し遅れて動悸が激しくなってくる。
しかし彼は私のそんな反応に動じる様子も無く、先程まで私に触れていたその口を静かに開いた。
「大丈夫だ、お前が答えられない事も分かっている。だからさっきのは俺の身勝手な行動に過ぎない。それについてはどんなに謝っても足りないだろう」
淡々と言葉が紡がれる。
もうライトさんの顔は無表情に戻っていて、彼がどんな想いでそう言ったのか何を考えているのか、鈍い私には分からなくなっていた。
「エリオット次第では絶対に言わないでおこうと決めていたんだが、アイツはあの通り……別の道を選んでしまったからな。気が緩んでしまったのかも知れない」
「エリオットさん次第、ですか?」
そこで何故彼の名前が出てくるのかいまいち私には理解し難い。
一応保護者だからだろうか、その保護者が私から離れそうだから?
多分疑問は顔に表れていたと思う。
ライトさんは私のそんな顔を見て重々しく息を吐いた。
「岡目八目、だな」
「おか?」
「いや、分からないならいい」
首を軽く横に振って、彼はそこを掘り下げるのをさり気なく拒否する。
正座していた膝をゆっくりと立ち上げ伸ばし、少し顔を顰めながら立った彼は、エリオットさんより少し低い身長だけど私が首を上げるくらいはあって、立たれると先程までの優位感が無くなってしまった。
「まぁ正直な話、俺はそこまで恋愛に興味が無い」
「うぶっ」
何を言い出すのだ、さっきあんな事を言って、しておいて。
「お前の事を好きなのは確かだが、執拗に構いたいだとかそういう感情は無いんだ。だから……付き合ったら逆に嫌われる自信がある」
「なっ、何ですかそれっ」
「一般的な恋愛の価値観とズレていると言う事だ」
浮いた話を聞いた事が無いライトさんだが、過去に失敗でもしたのだろうか。
随分と自己評価が低い気がしないでも無い。
でも私自身、一般的な恋愛と言うものが分からないのでそんな事を言われてもライトさんがズレているのかどうか判断出来なかった。
まるで他人事のように話し続ける彼を見ていると、さっきのは実は夢だったんじゃないかと思ってしまう。
どう答えたらいいか分からずに困っていると、更に彼は続けた。
「もっと簡単に言うと、単純にお前が居る間の生活が好きなんだ。こんな事をしておいて今まで通りに接してくれとは言わないが、嫌じゃなければこれからも公務の合間はここに居るといい。居心地が悪いなら黙って出て行っても文句など無い」
「ぬあぁ……」
どれだけ直球なんだこの人は。
エリオットさんも女性に対してフルオープンでぶつかっていく節があるけれど、全然方向性が違う。
自分に向けられている言葉なのかと思うと恥ずかしくて変な声が出てしまった。
しかしこんな風な変な態度を取っている場合では無い。
私はこれだけ言ってくれている彼にきちんと答えていない。
ちょっと呼吸を整えて、私は根性で彼の金の瞳をしっかりと見た。
「わ、私、異性として好きって感情がまだよく分からないんです」
「見ていれば分かる」
いきなり出鼻を挫かれて、ここから何を話せばいいのか一気に分からなくなって、たじたじする私。
それでも何か言わなくては、と、もう出るがままの言葉を発する。
「で、ですね! ライトさんの事は好きなんですけど、レフトさんもエリオットさんも好きなんですよ! だから今はこ、答えられないと言いますか」
「だからさっきそれも分かっていると言っただろう」
「うわぁん!」
私の思う事をほぼ全部分かっている、ってどれだけ私は分かりやすい人間なのだ。
もう私は喋る必要など無いのではないか?
涙は流していないが泣き言のように情けなく叫ぶと、無表情だった顔にふっと笑みを灯すライトさん。
「お前は大人になりたいのかも知れないが、俺はお前のそういう幼いところが結構好きだ」
「えっ」
今の私はどこか子供みたいなところがあったのだろうか、恥ずかしい。
じゃなくて、ライトさん、それは、あれですか。
私は先日も少し思った事を恐る恐る口にする。
「あの……ライトさんって、若干ロリコンの気がありませんか?」
エリオットさんには絶対無い、その属性。
そう指摘すると彼は私の目を真っ直ぐ見て堂々と言った。
「大方肯定する」
「おわぁ……」
そんな顔で言う事じゃないと思うんですけど。
だからエリオットさんと違って私が恋愛対象としての許容範囲なのか。
凄く納得してしまったと同時に、何だか無駄にこの人の言動に照れていた自分が情けなくなってくる。
「私だっていつまでもこんな見た目じゃないんですよ。そのうち立派な大人の女性になるんですから、そんな趣味の人はお断りです」
「これは手厳しい」
全然痛くも痒くも無さそうな顔で、ライトさんはそう呟いた。
◇◇◇ ◇◇◇
「解放してあげますよ」
某所に軟禁されていたルフィーナとフォウの元に急にやってきたセオリーは、彼女達が予想していなかった言葉を発する。
驚いた後に、まず最初に浮かんだ疑問をフォウが紡いだ。
「それは……必要が無くなったから、だよねぇ?」
そう、二人は知ってはいけない事を知っていて、それを隠す為に軟禁と言う普通なら殺して口封じも有り得ると言うのにとてもお優しい配慮によってここに閉じ込められている。
それを解放すると言う事はつまり、二人が知っていた事実が洩れたか、でなければ隠す必要が無いくらい事が進んでしまったか、だ。
怪訝な表情を浮かべて問う四つ目の青年に、白緑の短髪の男は丸眼鏡の下の赤く細い瞳を更にスッと細めて笑って言う。
「えぇ。貴方だけですが、ね」
その視線の先は、フォウ。
「俺だけ……」
「ルフィーナ嬢から情報が洩れてない限り、貴方の持っていた不都合な情報はこうして留めておく必要が無くなりました。ちなみにもしここでルフィーナ嬢から何かを聞いていたとして、それを誰かに話したら……」
「あたし何も言ってないから大丈夫よ」
念の為脅しをかけるセオリーだったが、ルフィーナが途中でそれを切った。
言葉を途中で切られた事に彼は不快になる様子も見せず、
「賢明ですね」
とむしろその内容に好感をもったようである。
感情の起伏は無い、ただ作られているだけの冷たい笑顔で彼は一言言って、フォウに向かった宙に手で円形の陣を描いた。
最後に彼がその描いた円の中央を握り潰すような仕草をすると部屋一面が光に包まれ、青褐の髪の青年の姿は消え去った。
部屋に残ったのは腹違いの兄と妹。
「一応まだ巷にはあのサラの末裔が居ますからね、お嬢の情報は洩らしたくないのですよ。喋らないと言うのであればついでに出て行っても構いませんが?」
「ここ居心地いいのよね、養って頂戴」
確かにこの部屋は軟禁するような待遇の部屋では無い。
それはこの部屋を与えた某人が、彼女に気があるからとかそういうわけ……だろう、間違いなく。
だがその居心地の良さでルフィーナはここに居るわけでは無かった。
少なくとも外に居るよりはセオリー達の情報が入ってくるこの場所で、彼女は彼らが何をしているのか確認せずには居られなかったのだ。
近くで見ていないと不安で仕方が無い、と言う方が正しいかも知れない。
その不安はなるべく表に出さないようにし、頬杖をつきながら彼女はあくまで飄々とそう呟いた。
するとセオリーは何を思ったか、先程までフォウが座っていた椅子を引いて腰掛ける。
「まぁいいでしょう」
ルフィーナはまさか彼がこのまま滞在するとは思っておらず、その行動に眉を顰めた。
「何で座るのよ」
「しばらく私も外に出られないのですよ」
「何よそれ」
「姿を見られては困る、と言ったところでしょうか」
誰に? ルフィーナは言わずに顔でその疑問を示しセオリーに向ける。
異母兄はその視線を心地良さそうに受けながら、口端を歪めて答えた。
「増えた仲間に、ですかね。私が居ては必要以上に警戒されて手を貸してくださらない恐れがありますので」
「……まさか」
フォウの持っていた情報を聞いていたルフィーナは、彼らがやろうとしている事を多少だが把握して顔を強張らせる。
「あの子が『橋』になれると思っているの?」
フィクサーの当初の目的はとにかく体を治す事、とルフィーナは聞いていた。
しかし神との唯一の繋がりであるビフレストで出来なかった事を他で代用しようとしても、それではあの子が彼女の二の舞になってしまうだけでは無いか。
そう思うと流石に胸が苦しく感じ、目の前の男を睨まずには居られない。
けれど彼はルフィーナの言葉にかぶりを振る。
「思っていませんよ」
「じゃあ……」
「お嬢の居ない間に、若干ですが方法をシフトしているのです」
ルフィーナがこの研究に携わらなかった期間は、エルフからすれば短くとも、ヒトからすればとても長い。
その間にやり方を変えたと彼は言う。
「要は実際にそれを行った者を引き摺り下ろせばいいのですよ」
目を見開くルフィーナを、セオリーはとても愉快そうに眺めていた。
さて、いきなり飛ばされたルドラの青年は、星屑の砂にまみれて強い日差しに目眩を感じていた。
暑さで頭がくらくらし、周囲は見渡す限りが砂。
「……ここ、どこだよおおおおお!!」
あまりの理不尽さに絶叫するフォウ。
砂漠なのは分かる、方角も分かる、だが途方も無く先が見えない。
この後彼は通りすがりの商人に助けて貰うまでこの砂漠を彷徨い続ける事になる。
◇◇◇ ◇◇◇
ライトさんとあんな事があって以来、私達の関係は全く以前と同じ、と言うわけにはいかなかった。
ライトさんは少なくとも表面上は今まで通り変わらずに私に接してくれているのだが、流石に私は……無理というもの。
なるべく平静を装うようにしているものの、彼の一挙一動に反応してしまっては若干ぎくしゃくしていた。
勿論あからさまに避けると言った事はしていないし、それはしたくない。
ただ二人きりになると緊張するのでニールを掴まえて肩に乗せる事で二人と一匹な空間を無理に作ったり、たまにそれがニールではなく間違えてダインを肩に乗せてしまっていて喧嘩に発展したり、とそんな日々が続いた。
特に一番大好きだったゲームの時間が、やや緊張する時間に変わってしまっていて、今がまさにそれ。
何か話題を、と私はライトさんに話を振った。
「そういえば次の公務の連絡が来ませんね」
リャーマから王都に戻ってきてもう半月が経過している。
私は石の白い側を上に向けて盤に置き、その周囲の石を白くひっくり返していった。
大丈夫、今日はまだ勝敗の行方は分からない、むしろ勝っている!
「確かに今回は遅いな。まぁ婚約の事もあって遅れているのかも知れん」
今度はライトさんが石の黒い側を上に向けて置き、一気に盤面の石が大量に黒くひっくり返った。
「あああああ」
リバーシは形勢の逆転っぷりが恐ろしい。
私が叫ぶと肩に居たニールが驚いて飛び跳ねた。
彼のサイズだと私が近くで叫ぶととても耳が痛いらしくよく後で愚痴を聞かされるのだが、叫んでしまうのだから仕方ない。
叫ばせるライトさんが悪い、そうなのだ。
「取らせたい場所に面白いくらい置いていってくれるな」
「誘導だなんて卑怯です……」
駆け引きや読み合いは苦手だ。
ゲームも……そして心も。
「そんな事じゃ手強い相手との戦闘で足元をすくわれるぞ」
「むぅ」
指摘された事にぷくっと頬を膨らませつつ口を尖らせる私。
確かにそうかも知れない。
けれど私は滅多に負けた事が無いので実感が湧かず、言われている意味は分かっていても聞き流してしまう。
結局ライトさんに負けてそろそろお昼かな、とダイニングルームに向かおうとした時、診療所側の正面玄関を大きく叩く音が聞こえた。
「患者さんですかね」
「城の使いと言う線もある」
二人で駆け足気味に正面玄関まで歩いていき、ドアの鍵を開けて開くとそこには、
「フォウさん!?」
自称四つ目、パッと見は三つ目の彼が居た。
「久しぶり……」
随分と疲れた様子の彼はぼそぼそと挨拶する。
「心配していたんですよ! どこに行ってたんで……」
とそこまで言ったところで私はどこに行っていたか何となく予想がついてしまったので、彼を半眼で見上げながら言ってやった。
「どれだけバカンスを堪能したらそんなに焼けるんですか」
そう、どう見ても南のオアシスにでも行って毎日楽しく遊んで暮らしたのではないかと思われるくらい、彼の肌はこんがり小麦色に焼けている。
そりゃあここまで焼けるくらい遊べば、疲れも取れないだろう。
しかし彼はそこで大きく反論してきた。
「バカンス!? 何も言わずに一人で!? 俺そんな寂しい奴だと思われてるの!?」
「違うんですか?」
「違うよおおおお!!」
両の拳を握って、力いっぱい否定するフォウさん。
そこへライトさんが呆れ顔で私に教えてくれた。
「よく見ろクリス、焼けているのは顔だけだ。リゾート地で満喫していたなら全身が焼けているのではないか?」
言われてよーく見てみると、確かに焼けているのは顔と手くらいで、今彼が捲くっている袖の下の腕は白い。
が、どちらにしても南にでも行かない限りこの日焼けは有り得ない。
バカンスに行っていたので無いならば、じゃあこの日焼けは何で出来たのだろうか。
首を傾げてフォウさんを見上げると、彼はがっくりと肩を落としつつ言った。
「とりあえず……何か食べさせて貰えませんか……」
「分かった」
お腹を押さえながら酷く困憊した様子の彼。見ていたら私もお腹が空いてきたので一緒になってお腹を押さえてダイニングルームへ向かっていると、先に歩いていたライトさんが振り返ったと思ったらぎょっとした顔でこちらを見る。
「……二人して三日間飲まず食わずみたいな顔をするな」
私はきちんと朝ごはんを食べたけれど、確かにフォウさんはそんな顔だった。
丁度レフトさんがお昼を作り終えていたので、私達と一緒にそれをご馳走になるフォウさん。
本当に随分食べていなかったかのような食べっぷりに、私達は目が丸くなる。
何故かそれを見ていて対抗心を燃やした私は、彼に負けるものかともぐもぐピザを頬張っていった。
そう、ピザは争奪戦なのだ。
「ソースがついてるぞ」
無理やり口に押し込んでいると、ライトさんがそう言って私の顎から口元にかけてなぞるように指で拭き取る。
「うぶっ」
普通に話す程度は問題無いけれど触られるとどうも反応してしまい、ピザを口に突っ込んでいるというのに吹き出しそうになる私。
これをぶちまけるわけにはいかない、と必死に堪えて涙目で飲み込むが、それをしながら視界に入ったのは彼がそのままその指を舐めているところだった。
「っ」
昔なら全く気にしていない。
私は間接キスという概念を気にする人間ではない。
ご飯粒を取って貰ってそれがライトさんやレフトさんの口に入る事など、比較的よくあった。
それくらい食べ方がガサツなのかも知れないが……
しかし今の心境でライトさんにそれをされてしまうとダメだ、顔が熱くなる。
レフトさんにはどうやらあの次の日の時点ですぐにこの微妙な心境がバレているようだったが、これじゃあフォウさんにまで気付かれてしまいそうだ。
熱くなった顔を下げつつちらりとフォウさんの方に視線をやると、
「…………」
ピザを食べる手が止まっている彼が居た。口を開いたままですんっごいコッチを凝視している。
「ううっ」
彼の視線に耐え切れずに目を逸らすと、フォウさんが若干失礼な事を言って来た。
「クリスがそんな事くらいで恥ずかしがるだなんて一体どんな心境の変化があったの!?」
問いかけられる事で思わず私はその原因であるライトさんを見てしまう。
当のライトさんは特に気にした素振りを見せずにピザをゆっくりと食べていた。
フォウさんは私の視線の先と私と交互に見やり、その顔色をどんどん青褪めさせていく。
「な、何この二人の間の空気……レフトさんどういう事!?」
「うふふふふ~」
レフトさんは笑うばかりで答えない。
すると手に持っていた一枚を切り良く食べ終えたところでライトさんが無表情のまま一言。
「俺がフラれただけだ。気にするな」
「告白しちゃったの!? 玉砕目に見えてるのに!? 先生ちょっと勇者過ぎない!?!?」
何でそんなに大した事じゃないようにさらりと言ってしまうんだライトさんは、と私は頭を抱えた。
玉砕が目に見えているとフォウさんが言うのが若干気になるけれど、ライトさんも私が答えられない事を予め分かっていたようなので、やはり私は分かりやすいのだろうか。
それとフォウさんはライトさんが告白したと言う事実には驚いているようだったが、彼が私を好いているという点に驚いているようには見えない。
フォウさんの事だから好意や悪意は見えているだろうから、そこは驚く場所では無いのかも知れないが……
空腹はどこへやら、さっきから驚愕しているフォウさんはもう食事どころでは無いようだった。
「エリオットがほぼ婚約確定したからな、魔が差した」
「マジで婚約に踏み切ったのあの人!? 俺何かもう全く世の中についていけてないんだけど!!」
「……どこに居たんですか、本当に」
私達の事はともかく、エリオットさんの事も把握出来ない環境に居たと言うのはちょっと想像がつかず、食事前の話題をここで蒸し返す私。
フォウさんは叫び疲れたのか精神的に疲れたのか定かでないが、とにかく完全に食事を放棄してだらりと天井を見上げている。
「王子様、今日もお城に居るのかな」
「え? そりゃまぁ居るでしょうね」
「そっか。もう俺の情報は彼に必要無いんだろうけど、一応後で伝えに行かないと……」
私達は全員口と手を動かすのを止めて、フォウさん一点を見つめていた。
もとい、二匹だけはピザを食べ続けているが。
私達の視線を受けて彼は姿勢を整えて、重々しくも口を開く。
「俺が何も言わずに居なくなった日があると思うけど……その日俺は城にあの黒髪の女性を訪ねに行ったんだよ」
「黒髪の……」
「クラッサ、だったかな?」
フォウさんの言う特徴と名前で、私はチェンジリングを解除してくれた……そしてレイアさんを泣かせるきっかけとなったあの女性を思い出した。
そういえば後でフォウさんが誰に会いに城へ行っていたのか調べて教えてくれるとか言っていたくせに、あれから何日も経ったのに全く音沙汰が無い。
忙しいのは分かるがどうにかならないのか、あの人のだらしなさは……
「それで?」
ライトさんが続きを促すと、フォウさんは頷きながらその青褐の瞳に強い光を宿し、真剣な面持ちでまた言葉を紡ぐ。
「あの女の人ね、前にクリスが持っていた琥珀のネックレスを持っていたんだよ。だから会いに行って確かめようとしたんだ」
「琥珀……って、まさか」
あのネックレスは私がルフィーナさんに渡した物だ。
それをどうして彼女が持っているのだろうか。
いや、だからこそそれを確認するべくフォウさんが彼女に会いに行ったのか。
私はそれを把握して、食い入るように彼に視線を送った。
「そう。でも、逆に捕まっちゃったんだな、コレが」
頭をぽりぽりと掻いて恥ずかしそうに視線を逸らす彼。
ライトさんとレフトさんは少しまだ話が飲み込めていないようで、腑に落ちない顔をしている。
そしてライトさんが訝しげに、それでも話のピースを繋いでいくように質問した。
「琥珀のネックレスは昔俺が渡した物か?」
「えぇそうです。それを私はちょっと事情があってルフィーナさんにプレゼントしたのですが……それをクラッサさんが持っているって……」
「クラッサと言うのは?」
「レイアさんの部下です」
私の返答に一瞬苦い顔をする獣人二人。
だがそれは表情だけで押し留まり、そこから文句や愚痴を言う事は無かった。
フォウさんは瞳と同じ色の髪を少し掻き揚げて溜め息交じりに続ける。
「結論から言うと、捕まった先には同じようにルフィーナさんが捕まってたよ。彼女はまだ解放されてない。俺はもう黙らせておく必要が無いからいいって解放されたんだ」
「そんな……」
あの黒髪の女性がそんな人だっただなんて。
私はよく分からないけど、仮にも准将であるレイアさんの側近なのだから軍に入りたて、と言うわけでは無いはずだ。
エルヴァンは何にしても実力主義ではあるが流石に数年は居ないと実績自体を上げられないだろう。
て言うか随分とエリオットさん、あの女性に気を許していなかっただろうか? そう思ったらどんどんと私の中に不安が渦巻いていく。
私はライトさんとレフトさんを交互に見て説明した。
「く、クラッサさん、エリオットさんと随分仲が良さそうだったんですよ……」
「だね、やる事やってる仲みたいだったし」
フォウさんが顔を隠しながらぼそっと呟く。
手の隙間から見える目は、あの日の事を思い出してか少し呆れたように瞼を薄く閉じていた。
それを受けて二人の獣人も大きく溜め息。
レフトさんは額に手をあてながら首を横に振り、ライトさんも顎に手をあてて肘をテーブルにつき萎えている。
「と言う事はエリオットのすぐ傍に、エリオットの師匠とフォウを監禁していた女が居るって事か。それはかなりまずくないか?」
「そう思って伝えないとって来たんだけど、俺一人じゃ王子様に面会は難しいし……それにあの男が、もう俺の持っている情報は隠す必要が無いって言ってたんだ。だから今行っても王子様はもう彼女の事に気付いているか、でなければ彼女自体がもう城に居ない可能性が高い」
「あの男?」
クラッサさんでは無いであろう人物が会話に出てきて、引っかかった私はそれを問い返す。
するとフォウさんは思い出したようにテーブルを叩いて椅子から立ち上がり叫んだ。
「そうだよ! クラッサって女の人の仲間! あの背の高い赤目の男だったんだ!」
「背が高くて赤目……」
「ほら! 昔ツィバルドで突然現れた、人間じゃない奴!!」
一気に全身を駆け巡る悪寒。
あまりの事に息が詰まってしまう。
どうして今更ここでその存在が浮上してくるのか。
呼吸が戻ると同時に、動悸が激しくなり体が酸素を必要として息を荒げていく。
「な、何で……」
と、そこで本日二度目の来客。
またドンドンと強く正面玄関の戸を叩く音に、私達はハッと顔を上げた。
「こんな時に誰でしょうね~」
少し焦りの色を浮かべているレフトさんがぱたぱたと玄関へ向かい、その接客の会話に皆で聞き耳を立てる。
『クリスに会わせてくれ!』
それはレイアさんの声だった。
切羽詰まった様子で叫ぶ声と、戸惑いながら入居を抵抗するレフトさんに怒鳴りながら進んでくる足音。
そして私の元まで来たレイアさんは、息を切らしながらこう言った。
「クリス! 王子が、王子が……駆け落ちしたんだ……っ!」
それを聞くなり全員が息を飲む。
そして。
『はぁ!?』
叫んだ。
【第二部第九章 駆け落ち ~忽然と消えたその先は闇~ 完】