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第二部
23/53

恋と愛 ~それは常に不意打ちの形で~

 次の日の朝。

 洗濯物を干していると朝だと言うのにいつも以上に通りが賑わっているのが分かった。王都の最南西に位置するこの病院にまで中央の通りの騒がしい様子が伝わってくる。


「何なんでしょう?」


 大きなシーツまで干し終わったところで、私は気になって院内に入ってライトさんとレフトさんに聞いてみた。


「何か外、騒がしくないですか?」


「あぁ、これだろう」


 そう言ってライトさんが新聞を手渡してくる。一面のトップ記事は……エリオットさんの婚約の事だった。

 ぷるぷると手が震えてくるのが分かる。お見合いするとは聞いていたけど、決定したなんてまだ聞いていない。ぐいっとのめりこむように新聞に目を通していくと、どうもこう言う事らしい。


「政略結婚……?」


 お見合いはこれからするけれどほぼそのまま婚約は確実だろう、と書いてある。相手はモルガナに次ぐ東の勢力であるダーナの民の次期巫女長で、東との関係緩和が狙いか、と記者の予想がつらつらと綴られていた。


「どうせ好きでもない相手と結婚するなら、と考えたのかも知れん」


「ふぇあおぉあぁぁ……」


 何かもう、何を言ったらいいのかよく分からない。


「これからその相手がこちらに着くらしい。それで一目見ようと皆が通りで待っているのだろうな」


「み、みみみ」


「見たいんだな」


 コクコクと頷いてライトさんに意志表示。

 み、巫女長ですと。そんな人が結婚していいのだろうか? と思ったが、一応私の属する宗教のルールでも司祭になる前に結婚するならば可能だったので、ダーナの巫女もその様な感じなのかも知れない。巫女長に就く前に婚約と結婚を済ませておく、と言う事か。

 ライトさんは一服終えてからさっと椅子を立ち、


「さっさと着替えて行くか」


 と、言って自室に歩いて行った。レフトさんもそれに続き、私も急いで部屋に走った。




 城に続く大通りは朝だと言うのに既に凄い人混み。強い日差しを遮るようにブリムの広い、黒のソフト帽を被っているライトさんの顔を下から見上げつつ待機する。


「馬車の中から顔を出してくれたりするんですかねぇ」


 顔が見えないと、来ている意味が無い。

 私の疑問にライトさんがこちらを少しだけ見て答えた。


「トゥエルとエリザも政略結婚だったが、その時も相手は敢えて顔を出してここを通っていたからな。多分今回もそうだろう」


「敢えて、ですか……」


「国民アピールだな」


 ちなみにトゥエルさんと言うのはエリオットさんの下のお兄さんの名前である。何でもツィバルドの富豪のところにさっさと婿に行ったらしいが、富豪側がごねて色々大変らしい……とエリオットさんに愚痴を聞かされた事がある。

 エリザさんは西側の人とだった気がするが街名を覚えていないので忘れた。トゥエルさんの行き先を覚えていたのは、行った事がある街だったからに過ぎない。


「上の二人より注目されるのは、アイツが一番注目を浴びている王子だからと言うのもあるだろうが……相手が東の民だから、と言うのも大きいだろうな」


「そうですよね……」


 自分が先日彼に言った事を思い出す。東が反乱しないように、とは言ったがまさかここまで彼が考えていたとは思っていなかったし、そもそもそんな素振り一切私に見せなかったのに。


「ダーナの民だなんて素敵なところを選びますわね~」


「確かに」


 こちらも日よけに白いショールを被っているレフトさんがほわほわと言った。


「ダーナの民って、どういう種族なんですか?」


「エルフに近いですわ~。寿命はエルフのように長くありませんが、不老の民と呼ばれるほど美しいまま生きて死すと言いますの。ダーナの民の住むティルナノーグの水は綺麗で美味しいんですのよ~。不老の秘訣は水とも言われてますわ~」


「ほえええええ」


 ずっと若いままとか、やっぱり政略結婚じゃなくて趣味なんじゃないだろうか。

 私も帽子を持ってこれば良かったかも知れない。暑い時期では無いがこれだけ晴天だと日差しを浴びて頭がじりじりする。

 朝から待っていたと言うのにお見合い相手さんの到着は結局昼前だった。

 沢山の護衛と馬。そしてその後方からようやくお目当ての馬車がゆっくりと進んできていた。

 白い馬車にしっかりした造りの屋根は無く、アコーディオン状の屋根が今は後ろに仕舞われていて、乗っている巫女さんの姿がよく見える。


「わぁ……」


 銀のような、光に溶けてしまいそうな薄紫の長い髪が風に揺れ、透き通った肌はまるで今まで日差しに当たった事が無かったのでは無いかと思うくらいの透明感。アメシストのような瞳は、大きくて本当に宝石みたいだと思った。エルフほど長い耳では無いが少しだけツンと上に尖った耳は……言うなれば妖精。妖精が羽を失くして身長が大きくなればこういう種族になるのでは無いだろうか。

 レイアさんの言う『エリオットさんの好み』と程遠い少女は花のようなドレスを着ていて、儚げな表情で俯きがちに座ったまま通り過ぎて行った。


「……羨ましいな」


「!?」


 ぼそりと呟いたライトさんの言葉に、私は思わず彼の方にバッと振り向く。

 今何て言ったこの人は? ライトさんの好みはああいうタイプなのかと疑問符を顔に浮かべて彼と目を合わせると、何故かそのブリムの下に不敵な笑みを作って私に視線を送る彼。全く意図が分からない。

 馬車が全て城壁の中に収まると、やがて人ごみはばらけていった。

 病院に戻ってきた私はライトさんと一緒に、見た物を思い出して物思いに耽る。レフトさんは院内の掃除でこのダイニングルームには今居ない。


「美人でしたね~……」


 あんなの絶対エリオットさんを尻に敷きそうに無い。生粋のお嬢様な香りがした。しかも私と同い年くらいではなかろうか。

 不老に近いと言うから年は上かも知れないが、見た目はそれくらい若かった。


「まぁ、美人でもエリオットは乗り気じゃ無いだろうな」


「でしょうねぇ……」


 あんなの反則だ。好みじゃなくても我慢出来る、少なくとも私なら我慢出来る。


「あー!!!!」


 腹が立ってきて、ダイニングルームの椅子に座ったまま叫ぶ私。


「どうした」


「あんなお淑やかな美人をお嫁さんに貰うだなんてムカつきます! あの人にはもっと強そうで尻に敷くタイプが似合ってますよ!!」


「大方同意はする」


 あんな人にするくらいならレイアさんと結婚しちゃえばいいのに、と私は何故かそんな事を思っていた。

 レイアさんなら素直に祝えるのに何故だろう、あの女性と婚約かと思うとちっともおめでとうと言える気分になれない。


「……私」


「ん?」


「自分が認めた人じゃないと、嫌なのかも知れません……」


 ふと思った自分のこのもやもやの結論を、ライトさんに静かに伝えた。彼は困った顔で首を傾げ、少し間を置いてから答える。


「近しい者の事ならばその反応は普通だろう」


 そしてポケットの中から煙草を取り出して火をつけ始めた。彼は煙草を銜えながら息を吸い、その先にともる小さな火。


「だがあいつが珍しく国にとってまともな決断をしたんだ。その事に関してはあいつを応援してやるのが筋では無いか」


 ライトさんはそこまで言ってもう一つ付け加える。


「友なら、な」


 ふぅ、と私の方に煙がいかないよう、反対を向いて息を吐いた。その表情はいつも通りの無表情。


「友なら、ですか……」


 私はエリオットさんと友達なのだろうか、何かあまり友達っていう感覚では無いので引っかかってしまう。

 姉の元相方……と言うか恋人だった人だ。義理兄と言うほうが近いが、でもそれもあまりしっくりこない。主従、と言うほど言う事全部聞いているわけでもないし、でも今は傍から見ればこれが一番近いのかも知れない。


「よく考える事だ」


 彼はまだ吸い終えていない煙草を銜えたまま席を立ち、この場を離れようとする。まるで言い逃げるように。


「ま、待ってください!」


 思わずライトさんのシャツの裾を引っ張って彼の動きを止めてしまう。

 な、何故待って欲しいんだろう、私は。

 引っ張られて歩みを止めたライトさんは、こちらを振り向き黙ったまま見下ろしていた。私の次の言葉を待っているのだろうが、次の言葉など私の頭の中には無い。


「え、えっと……」


 ライトさんは銜えていた煙草をすぅっと吸ってから手に持って、しどろもどろしている私の顔に思いっきり煙を吹きかけてくる。


「わぶっ」


「放せ」


 煙で咳き込んで、言われずとも自動的に放してしまう私の手。

 煙を吹きかけられる寸前、凄く近くに見えていた彼の顔は……どことなく悲しそうに見えた。


   ◇◇◇   ◇◇◇


「ディーナ・シー・リアファルと申します」


 後ろに側近を連れ、深々とおじぎをする妖精のような少女。形式張った事は嫌いなんだが……こんなお嬢さんを無下に扱うわけにもいかないか。


「エリオット・アルフォズル・ヴァグネールです。遠路遥々感謝致します」


 俺は彼女の細くて白い手を取って、内心げんなりしつつも挨拶を交わした。思っていたよりもずっと若すぎるからだ。

 お見合いだの何だのと世間で言われている今回のダーナの時期巫女長との対面は、実際は見合いなんて生易しいものでは無い。

 勿論その話も進むのだがそっちはコレをする為のカモフラージュだ。そう、ここは見合いの席などではなく、れっきとした会議室。俺は黒い軍服を着ているし、彼女もドレスを脱いでダーナの民族衣装を着ていた。


「こちらがモルガナで行われている竜の飼育に関わる書類です」


 彼女と俺が席に着くと、ダーナ側の側近が、広い会議室の長机に座っているお偉いさん方へ順々に分厚い紙束を配っていく。その長机の上座に着いている俺の手元にもそれが届き、さっと目を通した。


「……流石に大掛かりだな」


 竜の飼育場所は東に三箇所。サイズに応じて区別しているらしく、小さいものはモルガナに比較的近いようだが大きくなると更に北東の地に移しているとある。目をくれていない間によくここまでやってくれたものだ。

 俺のぼやきを聞いてから、ダーナの側近が書類をつらつらと読んで説明していく。

 ……政略結婚に間違いは無いが、最初からここまでどろどろと政治を持ち込むのも珍しかろう。それほどコッチが急いでいる、と言う事なんだがな。

 何しろ公務で訪問している俺が襲われるような事態だ。これ以上後手に回るわけにはいかない、と満場一致で話は一気に進んでいて今の状況がある。


「飼育場所の情報提供、よくぞ決断してくださいましたな。謝念の意を表します」


 既に聞く前から読み終えてしまっている長い説明を聞き流していたところで、こちらの老害が礼を言う。そのまま何やらぐだぐだと対策を練っているのやらいないのやら。こいつらと会議をすると本当に纏まらなくて苛々する。

 そろそろ口を挟もうかと思っていたところに、ふと随分離れた対面に座っているダーナの次期巫女長と目が合った。

 彼女はスッと無言で手を上げて発言の意を示し、他が沈黙する事でそれを了承する。


「これでは纏まりません」


 キッパリと言い放ったリアファルの言葉に、こちらの老害達が顔を顰めた。彼女を助ける為……では無いが全く以って同感なので俺もそれに続く。


「全くだ。大義名分はこちらにあるんだから場所が分かった以上、やる事は一つじゃないのか」


「ダーナとしては、竜をなるべく自然に帰してさえ頂ければ問題ありません。武力はお貸し出来ませんがそれ以外なら助力致します」


 俺の言う大義名分を澄ました顔で肯定する彼女。大人しそうな見た目の割に結構言うタイプだが、まぁそうでも無ければ次期長なんて務まらないか。


「ダーナが王国側についた事は知られているはずだ。まずは書状でも送って放棄を促して、断られたらコッチからけしかければいいだろ。はい、会議おしまい」


「し、しかし竜が戦闘態勢に入ってしまった場合の対処はどうするのです!?」


 老害の一人が慌てふためく。

 竜を使われる前に奴等の飼育施設を使い物にならなくするしか無いだろうし、それが出来なかった場合の事など考えても仕方ない。ぶっちゃけそんなの俺だって知らん、だがやるしか無いのだ。


「どうせ老い先短い命だ、特攻でもしたらどうだ?」


 軽く笑いながら言い放ってやると、今や前線には一切出ないお飾りのような中将が顔を真っ赤にしてこちらを睨む。

 そこへスコーン! と俺の頭に羽ペンが飛んできて当たった。ペン先にキャップが付いていたからいいようなものの、使い方によっては武器にも成り得るそれを俺に投げてくるとはどういう事だ。

 飛んできた先をキッと見据えるが、俺の視線に悪びれる様子も無く鳥人の准将が言う。


「口が過ぎますよ王子」


「お前は手が出てんだろーが!!」


 もはや何も怖いものなど無い、と言わんばかりにこんな公の場ですら俺に手を上げるようになったレイア。

 しかしそんな彼女を窘める者は誰も居なかった。それは、彼女の俺に対する態度がこの場の全員の総意である、と暗に告げている。

 チッと舌打ちして頭をさすっていると、対面の少女は随分と呆気に取られた顔をしていた。

 

 

 

「随分と……気さく、なのですね」


 多分言葉を選びに選んで話しかけてくるのはリアファル。

 俺達の結論だけをさっさと押し付けてお開きとなった会議が終わった後、彼女は用意された宿泊用の客室ではなく、俺の部屋に来ている。

 いや別に何かしようと部屋に誘ったわけでは無い。そもそも挨拶だとか交流を深めるだとかそんな以前に、もう俺達の婚約は決定事項なので今更話す事も何も無いのだ。

 後はただ形式上、婚約を済ませるだけ……

 なのだが、彼女自身はそうでも無いらしい。きちんと相手の人となりを見極めたいのだろう。

 俺のところにくっついてきてこの通り、今度は俺の部屋の白いテーブルで対面の椅子に座っている。さっきと違うのは場所だけで、結局また二人で向かい合っていた。美人は好きだがこうも幼いとあまり見ていても楽しくは無い。


「そんなオブラートに包まなくとも、品が無いって言っていいんだぜ」


 少なくともどこぞのクソガキはそう言う。


「いえ、私の周囲にそのような言葉遣いの者はおりませんのでとても新鮮です」


 これを新鮮、と言うか。さっきの会議の発言を見る限りそんなにお嬢様してないのかな、と少し期待したのだが見当ハズレだったようだ。単に言うべきところはきちんと言える、というだけで箱入り娘には違いないのかも知れない。

 自然と出ている言葉なのだろうが、こういう子供がいちいち敬語を使ってくるのを見るともっと子供らしくしろよって思ってしまう。まぁ俺も昔はきちんと敬語を使っていたんだが。


「そうかい……」


 特にこれ以上話す事も無いので俺はそのまま口を閉ざした。

 彼女は俺にもう少し会話を続けて欲しいようで、会話が尽きてしまった事に困った素振りを見せるが、気付かぬ振りして彼女から視線を逸らす。

 沈黙が続き、自然と出てしまう欠伸。テーブルで頬杖をついてぼーっと明後日の方向を見ていると、すすり泣く音が聞こえてきて俺は我に返った。

 リアファルを一瞥すると、彼女は涙が溢れている瞳を必死にこすっているではないか。


「……何で泣くんだよ」


 聞いておいてなんだが、多分放っておいたのが悪かったんだろうな、と予想はつく。でもそれで泣くだなんて精神面が弱すぎる……

 早くも前途多難な予感に俺は頭を抱えたくなった。


「こういった場でどうしたらいいのか、分からないのです……」


 それだけ言ってまた泣く小娘。本当に心から面倒臭い。

 けれど放っておくわけにもいかないので仕方なく慰めモードに入ってやる俺。最近こんなのばっかりじゃねーか?


「あのなぁ、どうもしなくていいだろうが。話す事が無いなら黙っていればいいし、話したいなら話せばいい。何か間違ってるか?」


 まだ泣きつつもその言葉に黙って首を横に振るリアファルを見て、何故か脳裏に浮かぶのはもう一人の泣き虫の事だった。

 見た目の年齢が近いせいだろうか、さっきからあの水色の髪のクソガキばかりを思い出して不愉快だ。似ているところを見ては思い出すし、違うところを見ても比べるように思い出す。

 これが未来の嫁候補かと考えると目眩がしてきた。

 ローズの影を振り切ろうとしているのに、今度はその妹が頭から離れないような相手と生涯を共にするとか本当にもう……


「…………」


 と、そこまで考えたところで俺は思考を停止させる。顔が引きつって来るのが自分でも意識して感じ取れた。

 あまりの事実に停止させてしまった思考をまた働かせようとする俺の額に、どんどん滲んでくる汗。

 いやまさか、そんなわけが。

 でもこれは……そういう事なんじゃ……


「は、ははは……」


 突然笑い出す俺にリアファルはその大きな紫の瞳を丸くする。


「ど、どうしました?」


「い、いや……ちょっと笑わせてくれ」


 これが笑わずに居られるものか、現実から逃避したくて仕方が無い。

 顔を見られたくなくて、俺はテーブルに肘をついて額を覆うように頭に手をあてながら俯き笑った。


 いつからだ。

 いつから俺はこんな事になっていた?

 何故気付かなかった。

 外見的な意味での魅力をそこまで強く感じられないからか?


 胸も色気も無いにも関わらず俺の中でここまで大きくなってくれるとか、最ッ低な話だ。アイツとの出会いを最初から無かった事にしてやりたいくらいに。

 減らず口ばかり叩いては俺に食って掛かってくる……そんな憎たらしい奴の事で頭がいっぱいだなんて、自分で自分にムカついてくる。

 それほど腑に落ちないけれど、これはどう考えてもアレだろう。




 俺は、クリスの事が好きなのだ。


   ◇◇◇   ◇◇◇


「はぁ……」


 ぐでーっと何をするわけでもなくダイニングルームのテーブルに頭を乗せて伸びている私。

 ライトさんも部屋に篭もっちゃった上に、何だか遊んでくれそうにも無い雰囲気だったし、何もやる事が無くてだらだらするしかない。

 しばらくそうやって暇暇オーラを一人寂しく出していると、掃除が終わったらしいレフトさんがやってきた。


「あら、遅くなりましたが昼食を用意致しますわね~」


 救世主が来たっ!


「ありがとうございます!」


 今日のお昼ご飯は何だろな、っとテーブルで伸びたまま彼女の後姿をぼんやり眺める。相変わらずの手際の良さで、ある物でさっと作られたお昼ご飯はベーコンと葉野菜のトマトリゾットだった。

 その美味しそうな匂いに食欲をそそられた私は、彼女が器に盛っているのを見て急いでスプーンを準備する。お手伝いをしなくては、とかそういう気持ちからではなく、もう単純に早く食べたい。


「うー、美味しいです」


 レフトさんが座るのを待たずについつい先に食べてしまった私は、とにかくこの喜びを伝えた。


「良かったですわ~」


 彼女はそう言ってとてとて歩いて行ってしまう。多分ライトさんを呼びに行ったのだろう。

 あつあつをはふはふしながらもぐもぐ、と表現がおかしな事になりつつもとにかく食べていると、あまり機嫌の良く無さそうなライトさんが、ゆっくり歩いているレフトさんを追い越して来て食卓についた。

 でも食事を目の前にすると少しだけその顔も綻ぶ。レフトさんはやっぱり凄い。私が男ならばお嫁さんに欲しいくらいだ。

 熱い物を食べているとどうしても無言になってしまうもの。三人でただひたすらリゾットを口に掻き込んでいると、珍しくレフトさんが話題を振ってくる。


「本当に新聞の通りの理由で婚約を決めたのでしょうか~……」


 既に彼女のお皿は空っぽだった。その疑問にライトさんも少し考えてから答える。


「この前聞いた時は言いたくない感じだったな。それが新聞に書かれたものだったのならば、別に隠す事も無いとは思うんだが」


 何にも疑問に思っていなかった私だったけど、彼女らの話を聞いて改めて考えると確かに変だ、と気になってきた。


「大体エリオットさんが国の事を考えて行動ってのがもう怪しくないですか? 絶対他に理由がありますよ」


「……エリオットも大変だな」


 苦笑いするライトさんを見て、私もつられて笑う。

 ようやく平らげた皿は私が片付けて、いつも通りの食後の珈琲をレフトさんが入れた。

 のんびり素敵な休日、と言うか毎日が休日では無いだろうか。今日も病院は休診である。


「姉さんの事とかも聞きたいし、ついでに聞いてきますよ」


「先日の様子から考えると素直に答えるとは思えないぞ」


「ま、その時はその時です」


 答えてくれなかった時にどう責めるか今から考えておかないとなぁ。暇だった私は、支度を済ませてさっさと城に向かった。




 エリオットさんを含むお城の人達に会うのは実は面倒で、城門を通されてもその後書類手続きが待っていたりする。しかし私は毎度同じ文書を書いているのでそれも慣れたし、係の人も私の顔を見るなりサッといつもの記入書類を出してくれるのだ。


「今日ってもうエリオットさん、手あいてますかねぇ?」


 書類を書きながら受付係のおじさんに聞いてみる。三十代後半くらいの外見のエルフのおじさんは、その金の瞳を薄く閉じて悩んでいた。


「うーん……ダーナの姫様がいるからもしかするとダメかも知れんね。まぁクリスちゃんだから時間は取って貰える可能性も高いし、一応伝えるだけ伝えよう」


「いつもどうもありがとうございます」


 もっと忙しくなさそうな時に訪ねて来ればいいのに、自分が暇だと言う理由で来ている私にも優しい受付のおじさん。記入した書類を持って彼が城内の奥に進んでいくのを、私は近くの椅子に座って眺めていた。

 流石にダーナの次期巫女長だなんて人が来ているこんな日では、私以外にお城を訪問してくる人間は居ないようで何だか落ち着かない。

 受付とその待機スペースは、城門を入ってすぐの場所と言う事もあって通りすがりの人は兵士や軍人が多く、そして彼らからすれば私はかなりの有名人なので正直その視線が痛いのである。


「うー……」


 早くおじさん、戻ってこないかな。

 周囲の視線に耐えられなくて、私は誰かと合わないように目を泳がせた。

 椅子に座ったまま落ち着き無く足をぷらぷらと揺らしていると、ようやく受付のおじさんが戻ってきてその目と合った。

 おじさんが随分としょんぼりした様子なのでダメかと思ったのだが、彼は私の近くまで来たところでその表情をにこっと明るい笑顔に変えて言う。


「大丈夫だったよ、良かったねぇ」


「だ、ダメだったかと思いましたぁぁぁ」


 安心したものの、何でそんな顔をして近づいてきたんだろう。何だか騙された気分だ。私は少し頬を膨らませてその気持ちを訴えると、彼は笑いながら私の頭を撫でてくる。

 無事アポ取りも完了したところで、待ってる間は客室に通された。長いソファでごろんごろんと転がりながら一人で暇を潰していた私は、突然のノックの音にびっくりしてそのままソファから転がり落ちる。


「な、何をしているんだい……」


「あ、どうも」


 来たのはレイアさん。今日は随分ビシッと決めた黒の軍服で格好良い。その姿に思わず見惚れているとレイアさんがその視線に気が付いて照れ笑った。


「一応要人が来ているからね。会議もあったしこんな服装をせざるを得ないんだ」


「あー、それでですか。格好良いですよ!」


「そういうクリスは折角の可愛い服が皺になっているよ」


 言われて自分の服を見下ろすと、青のギンガムチェックのシャツが見事な皺になっている。ずれてしまっている薄いグレーのパンツを上げ直してから、私は彼女に改めて話しかけた。


「エリオットさん、忙しくなかったですか?」


「うん、どう考えても忙しいだろう」


 あ、ちょっとレイアさん怒ってる気がする。そう言った彼女の表情は笑っていても眉だけがちょっと寄っていた。

 肩をすくめて両手の人差し指を合わせながらもじもじしていると、溜め息まじりながらもフォローをしてくれる。


「丁度手があいた頃だから平気だと思うさ」


「そうなんですか?」


「あぁ。どうも王子は早速お相手の姫君にドン引かれているらしくてね。逃げるように彼女が王子の部屋から出て行ったのをメイドが見たらしい」


 な、何をしたんだろうあの人は。まぁ筋金入りのお嬢様っぽい人だったし、素のエリオットさんなんて見たら目が腐ってしまうかも知れない。

 脱力した様子のレイアさんは、少しだけ頭を押さえて渋い顔で言った。


「結婚する姿勢を見せているのは分かるが、それを確かなものにする気が無いように見えるよ……」


「え?」


 何となくわかったけれど詳しいところが気になって問い返してしまった私に、彼女は少し慌てて付け加える。


「いやほら、折角結婚話が持ち上がってても、彼がふざけた態度を取っていては破談になりかねないだろう? 折角の縁談をまとめる気が無いんじゃないかって思ったんだ」


「あー……」


 確かに本気で結婚するつもりなら猫被ってやればいいだけの話だ。彼は猫を被れない人間では無いはずなので、それをしないと言う事はやはり乗り気では無いのか。

 でもだったら最初から断り続けていればいいはずなのに、思い立ったように写真を持って来て眺めていたあの夜を思い出す。


「何を考えているんでしょうね、あの人」


「そ、そうだね、ははは」


 若干片言な喋り方をするレイアさん。


「大丈夫ですか? 何か無理してるような笑い方なんですけど」


 頭でも痛いのだろうか、目も泳いでいる。気を遣ったつもりなのだが彼女はそれには触れずに


「じゃ、じゃあ王子はいつも通り自室にいるだろうからもう行きたまえ。きっと彼も待っている」


 と、さり気なく会話の終了を促してきた。


「は、はい……」


 何だか挙動不審なレイアさんに首を傾げつつも、私は軽く会釈をして客室を出る。

 少し太陽は陰って来ていて、薄暗くなってきた空。少し生暖かい風が吹き抜ける回廊にはもう灯りが灯されていて、このままいくと帰りは夜になっちゃいそうだなぁ、と思いつつ歩く足取りは何故か軽い。

 スキップでもしてしまいそうな自分の足に気付いて、思わず私は歩みを止めた。


「……うーん」


 何か当初の目的を忘れ去っている気がするので先に再確認しておこう。私は別に楽しい気分で彼に会いに来たわけでは無いはずだ。

 えーとまず、姉さんの死因は結局何だったのか。それとフォウさんの件もまだ聞いていない。あといきなり政略婚に踏み切ろうとした事について、何か他に意図がありそうな事。

 そうそう、こんなにいっぱい聞く事があるではないか。


「よーし!」


 歩きを再開させた私の足取りは、やっぱり軽かった。

 エリオットさんの部屋は他の部屋とは離れた位置にある。

 それ一つがもう家のような大きさの建物で、そこに続く回廊を通ってから着くその部屋は、大きい割には天井が高いだけでそうでも無い、と言うのが私の印象である。豪華には違いないけれど家ではなくてあくまで部屋なのだ。


「お邪魔しまーす」


 と言いながらノックもせずにドアを開けて中に入る私に、黒い軍服姿の彼はテーブルに頬をべたーっとくっつけてだらけた状態で座ったまま視線だけを移す。


「あぁ……」


 気の無い返事だ。とりあえず思った感想を述べよう。


「何か嫌な事でもあったんですか?」


 全身から溢れ出る負のオーラを抑え切れていないエリオットさんに問いかけると、彼は口だけもごもご動かして喋った。


「先刻リアファルに、気持ち悪いです、と言われたばかりだな……」


「えーと、リアファルって言うのは……」


「俺のお嫁さん予定の娘っ子だ」


「あははははは!!」


 人をけなすような事を言いそうにないお嬢様に、そんな台詞を言わせるだなんてどこまで気持ち悪いんだこの人は。

 とりあえず指を差して腹を抱えて大笑いしてやったが、彼は全く怒りもせずにまだ脱力したままだった。相当それがショックだったのだろうか。普段の彼ならここで怒ってくるはずなのに……


「だ、大丈夫ですか?」


 実は結構傷心中なのかも知れない。ちょっと心配になって尋ねると、ぐしゃぐしゃと長い髪を毟るようにして反対側を向いてしまうエリオットさん。


「折角心配してあげているのにまただんまりですか?」


 この件については悲しくて触れられたくないのかも知れない。誰だってそういう時はある、と私は寛容な気持ちでそれを受け入れた。


「まぁいいですよ、今日はちゃんと他に話があるんです。そっちは答えてくださいね」


 話題を切り替えようとすると、彼はこちらに向き直ってきょとんとした顔を見せる。


「何だ、用事があるのか」


「普通に考えて、用事が無かったら来ませんよ」


 少なくともこんな日には来ないはずだ……多分。


「実はダイン……えーと、あの大剣の精霊がおかしな事を言っていたのでエリオットさんに確認したくて」


 生きる気力が無いのではないかと言うくらい生気の無い目をしていたエリオットさんの目が、しっかりと意識を取り戻したようになる。

 傷心ながらも真面目な話題にはちゃんと気持ちを切り替えてくれるくらいの余裕はあったようだ。


「おかしな事?」


「えぇ。あの精霊、姉さんがあの時死ぬはずが無い、って。ボクはちゃんと解放してやったーって言ったんですよ」


「…………」


 エリオットさんは黙って聞いている。


「今更いちいち嘘を吐くとも思えないし、何か姉さんの死に方に不審な点は無かったのかと気になって……」


 そこまで私が言ったところでエリオットさんは不機嫌そうな顔で口を紡いだ。


「死因が何だろうが、ローズはもう死んだ。それこそ今更じゃないのか。掘り返して何になる」


「そ、そりゃそうですけど……でも気になるじゃないですか」


「不審な点なんて無かった。苦しそうだったけどいつもの……笑顔のまま逝ったさ」


 思い出しているような遠い目をして言う彼。そんな顔をされてはこれ以上聞くに聞けなくなる。

 笑顔のまま、か。姉さんらしいと言えば姉さんらしい。

 ダインが言うように解放したんだとしても、あの時はもうそれも遅すぎたのかも知れない。その事を掘り返すのはエリオットさんの言う通り今更、か……


「分かりました。じゃあ次の話なんですけど」


「まだあんのかよ」


「ありますよ! フォウさんの件どうなりました?」


 エリオットさんは、確認しておいてくれると言っておきながらあれから音沙汰無いのだ。死んだ姉さんの事は今更かも知れないが、こちらは現在進行形で心配中なのである。

 私の問いに彼は、ずっとテーブルに張り付いていた頬をばっと上げて剥がして私の目を見つめた。その頬はテーブルとくっついていた面が見事に赤くなっている。


「忘れてた」


 その目をぱちくりさせながらとんでもない一言。


「ちょっと酷くないですか!?」


「い、忙しかったんだよ! この通り色々立て込んでたんだから!!」


 慌てて弁解するエリオットさんを思いっきりじと目で睨んでやると、彼は申し訳無さそうに目を伏せて言った。


「悪い。今日中に確認しておくから」


「頼みますよ!」


 再度の催促をそんな風に叫んで終えて、最後の用事は……あれか。私はこほんと咳払いをする事で彼の視線をこちらに呼び戻す。

 エリオットさんが私を見たのを確認してから、少しだけ問い質し難いあの件を口にした。


「で、最後なんですけど。どうして急に身を固めようとしているんです?」


 レイアさんに怒られたから? 彼はそんな性格じゃない。

 国の為? そんな性格でもない。

 大体においてこの前あんな風に渋っていたのだから、絶対他に理由があるはずなのだ。レフトさん達に言われて気付いた私だったが、気付きさえすればその疑問は然るべきものである。


「どうしてまたそれを聞くんだ?」


 明らかに落ち着きが無くなるエリオットさん。心の内をさとられないようにか、翡翠色の瞳を私から外して顔を引きつらせていた。

 私は嘘を言わずに正直に答える。


「ぶっちゃけて言いますと私は全く気にしていなかったんですけどね! レフトさんが気にしていたんですよ。ライトさんも引っかかっているようでした……のでついでに聞きに来たわけです」


「くっだらねぇ……どうでもいいじゃねーか」


 こちらの言い分をしれっと切り捨てようとする彼に、更なる追撃をする私。


「そんな事無いです! 私はともかくあの二人にはきちんと説明してあげるべきですよ! 貴方の数少ない友人なんですから!」


「何その、友達居ない子みたいな言われ様!?」


「居るんですか?」


「いや、そんなに居ないけど……」


 王子である彼にはどうしても主従関係が付き纏う。故に本当にエリオットさんにとって友達と呼べる存在は、少なくとも私にはあの二人しか思いあたらない。

 婚約だの結婚だのと人生で大きな事なのだから、たまには本心を打ち明けてあげるのも気遣いの一つではないだろうか。そう、決して私が気になるからでは無い。

 エリオットさんは不貞腐れた表情をしながらも、その品の無い口を渋々と開く。


「レイアとの勝負に負けた」


 とりあえず私は首を左に傾げた。


「えっと……」


「負けたら結婚するって約束だったから婚約を決めた」


 そう言われて今度は右に首を傾げる。

 言いたくないからだろう、ぽんぽんと投げやりにまるで箇条書きのように言葉を置いていく彼。


「最初はいい相手を探そうとした。けど居なかったし、もう誰でもいいやと思って一番今の状況に都合の良さそうな相手を選んだ」


 都合の良さそうな、と言うのは国の状勢にとってだろうか。

 私は彼の発言にかなり苛立ちを覚えていた。


「じゃ、じゃあ……自分の立場を考えて今までの行いを反省して思い立ったとか、そういうわけじゃないんですね?」


「それも少しはあるさ」


 と、エリオットさんが言うので私は少し面食らってしまう。


「そりゃあ最初は嫌だと思ったけど、それでもそろそろ落ち着いてやるか、って素直に思えたから踏み切れたんだ」


 しかしそう言う彼の顔は、酷く疲れたような表情だった。


「まぁ、ローズみたいに欲しいと思える女に出会えるとも思えなかったから、八割くらいは諦めに違いないけどな」


 きっとその八割のせいでそんな顔をしているのだろう。本当に反省の気持ちは『少し』らしい。それが凄く伝わってくるのでげんなりしてしまった私は、ついつい彼を蔑みの目で見ていた。


「というか姉さんを物みたいに言わないでください。そういうところが悪い意味で王子様ですよね! 良い意味で王子様なところなんて天辺からつま先まで探してもどこにも無いのに!」

 

「そうだな」


 今度はあっさりと肯定するエリオットさんに、私は拍子抜けしてしまう。さっきから漂っている負のオーラといい、ちょっと本気で元気が無いのかも知れない。

 ブラックジョークを正面から受け止められてしまって逆にこちらが悪い事をしている気分になり、私まで落ち込んでしまいそうだ。

 座ったまま項垂れている彼はそのまま言葉を続ける。


「物みたいな幼少期だったからかも知れんが、そういう感覚がズレてるみたいだ。気をつけるよ」


「ひ、ひぃぃ……」


 素直に謝ってる、どうしたのこの人。

 私はもう耐え切れなくなり、エリオットさんの肩を掴んでぐらんぐらんと揺らした。


「そんなに身を固めるのが辛かったんですか!? 正気に戻ってください!!」


「ははは、俺も正気に戻りてぇよ」


 明後日の方向を見つめながら、彼は抵抗する事なく私に揺らされていて、その頭はまるで首の座っていない赤子のようにがくがくと上下に動き、体に力が入っていないのが目に見て取れる。


「う、うぁぁぁ」


 こんなのエリオットさんじゃ無い。何だか怖くなってきて私の口からは泣いているような呻き声が漏れた。

 しばらくそんな事を続けていた私達だったが、ようやくエリオットさんが腐った死体になっていた顔を元の阿呆面に戻してくれて落ち着いてくる。

 彼は私にされるがままだった体を、再度椅子にきちんと腰掛け直して少し乱れた軍服を整え話し出した。


「まぁそういう事だ。ライト達にあまり言いたくなかったのは元の理由がレイア絡みだったからって事もあるんだ」


 今度は緑の長い髪を一旦ほどいて縛り直し始める彼。


「レイアさんが絡んでいると言いたくないんですか?」


「犬猿の仲だからな、あいつら」


「なるほど」


 そういえば以前あまり仲が良くないような事をレイアさんから聞いた記憶があった。あの時はそこまで気にしなかったけれど、間に挟まれているエリオットさんからすれば大変なのだろう。

 私は目を閉じながらこくこく頷いて一人で納得する。と、そこへエリオットさんが、


「まぁ座れよ」


 と隣の椅子を指して着席を促してきた。


「え? もう話終わったから帰りますよ」


「俺からも話があるんだよ! 自分が聞く事全部終わったからってさっさと去ろうとすんな!!」


 縛り終えたポニーテールを早速揺らして、今にも喰って掛かってきそうなほど怒る彼。

 全く短気な人だと思うが、さっきみたいに怒らなかったら怒らなかったで違和感がするのでエリオットさんはこれでいいのだ、きっと。


「すみませんね、自分勝手で」


 短く答えて私は椅子を引いて座る。

 エリオットさんから話だなんて何なのだろうか。膝に両手を置いてちょこんと座って待っていたが、彼は何だか口を開くのを躊躇っているようでなかなか話を切り出してこない。

 暇なので一人じゃんけんをして遊んでいると、エリオットさんの大きな深呼吸が聞こえた後に言葉が紡がれた。


「俺の各地訪問の公務は、あと一年も無い」


「はぁ、そうですね。何だかんだで早いものですね」


 やっと話し出したかと思えば雑談? とりあえず普通に思ったままに相槌を打つ私。エリオットさんはと言うと、また少し言葉を詰まらせているようでその表情はやや翳っている。


「で……あれだ。とりあえず、今はいいよな?」


 何の事だかさっぱりわからない。


「もうちょっと要領を得た話をして欲しいのですが」


 当たり前だがこれでは会話にならない。この人は私に何を伝えたいのだろう。私の指摘にエリオットさんは更に困ったように渋い顔をして、ポニーテールの先をぐりぐりと手悪戯し始めた。

 小腹が空いてきた私としては、彼のこの行動はかなりもどかしい。今日はお昼がいつもより遅かった分ずれ込むと考えて、そろそろレフトさんがおやつを作ってくれるであろう時間だからだ。いや、むしろもう帰ったら食べた後になっているかも知れない、それはちょっとショックである。


「私、そろそろ帰っておやつが食べたいんですけど」


「本当に酷い奴だなお前!? 菓子くらい用意させるから話聞けよ!!」


 そう言って彼は席を立ち、部屋を少し出て大声でメイドさんを呼んではお菓子を持ってくるよう命令していた。焼きたてでは無いようだったがすぐにクッキーやチョコレート、それに紅茶が私の目の前にメイドさんの手によって届けられる。


「これで満足か」


「レフトさんのおやつには負けそうですけど、我慢しましょう」


 これも美味しそうではあるが、出来の良い作りたてには勝てないだろう。軽い歯ざわりのクッキーを舌の上で滲ませるように味わいながら、飽きたところで紅茶を流し込む。

 一心不乱に食べては飲んでいる私を呆れ顔で見ているエリオットさんが気になったので、一旦口の中を空にしてから言ってやった。


「そんな顔して見ないでください。話って結局何なんです?」


 お菓子でやや流れた話を元に戻してあげたのに、彼はどうも歯切れが悪い。


「何て言ったらいいのか……ほら、今はまだ公務続いてるよな」


「えぇ」


「その、それが終わった後、お前はどうしたいのかな、と……」


「あー、そろそろ将来考えろって事ですか」


 私の今後の身の振り方について。それを何故か今このタイミングで彼は聞いてきたのだ。

 いや、何故、でも無いか……


「あれですよね、エリオットさんが結婚しちゃったら私の面倒が見られないから、今回の件で改めて気になったんでしょう?」


「あ、あぁ。まぁ色んな奴から突っ込まれててな」


 そうだったのか。周囲からそんなに気にかけられていたとは驚きだが、私の年齢を考えれば普通の人なら気にするのかも知れない。

 十六歳、女、身寄り無し。知人にそんな子が居れば確かに私も少し心配してしまいそうだ。


「心配されなくても一人でやっていけますよ。野宿は得意なんですから」


 少し自慢げに胸を張ってそれを伝えると、エリオットさんは顔を引きつらせて呟く。


「の、野宿……?」


「だってエリオットさんの公務が終わったら、ライトさんのところで毎度待機する理由も無くなっちゃいますから」


 そう、ライトさんのところには云わば『定例報告をしている間、エリオットさんが私を預けている』状態なのだ。過ごしていて楽しい時間の一つだけど、決してあの病院が私の新しい家では無い。

 エリオットさんは目を細めて宙の一点を見つめながら何やら考え込んでいるようだった。私の将来について何だかんだ言いつつも心配してくれている様子に少し嬉しくなる。


「本当は軍に入ろうかと思ったんですけどね、人の命令で武器を振るえるのか自信が無くて……だからフォウさんみたいに今度は目的無く旅をするのもいいかなと思ってますよ」


 心配させまいと明るく言ったのだが、そこで見当違いなところを驚くエリオットさん。


「フォウと旅するのか!?」


「そんな事言ってませんから」


 でも一人よりは二人のほうが寂しくなくていいなぁ。いざ一人で王都を離れる時、結局寂しくて足が止まってしまいそうだから。

 どこに行ってしまったか分からない、もしかするともうさっさと一人で旅の続きを始めてしまったかも知れないフォウさんだが、もし彼が良いと言ってくれればそれもアリだろうか。

 そう考えてふっと笑った私は、エリオットさんに睨まれている事に気がついて動揺する。


「な、何ですか?」


「何だよそのにこやか過ぎる顔は……」


 そんな苛立った目つきをするほど、私が笑うのも気に喰わないのかこの人は。


「いえ、フォウさんと旅するのも楽しそうだなと。彼ね、女の子みたいで可愛いんですよ」


「はい? あ、あぁ。女の子、か……? あれが?」


 私の言葉に面食らった様子のエリオットさんは、私の言う事の根拠が気になるようで問いかけてきた。


「笑顔も女の人みたいに優しいし、あと相変わらず凄く恥ずかしがりやさんなんですよ。もう笑っちゃうくらいに」


 思い出すと笑えてくる、彼の乙女っぷり。がさつな男性が周囲に多い私にとっては彼のような存在はかなり珍しいのだ。私は少し口を押さえてその衝動を留める。


「同世代の女の子の友達って居ないんですけど、居たらフォウさんみたいな感じなのかなって思います」


「き、気の毒になってきた……」


「え?」


「いや何でもない」


 少し冷めてきた頃であろう、優しいデザインのティーカップにちびりと一口つけて一旦間を置くエリオットさん。それを見ながら私は再度続けた。


「だから心配せずとも平気ですよ。元々一人だったんですから、元に戻るだけ……」


 と、これからの自分の道を改めて口にしたところで何だか凄く重たくなってくる気持ちに気付き、自分の心に素直になってそのまま喋ってみる。


「でも、やっぱりそれは寂しいかも知れません。出来たら誰かと楽しく話しながら過ごしたいものですね」


 気持ちを正直に言うと、すっきりした。自分の気持ちをきちんと再確認する事が出来るとでも言えばいいのだろうか。言葉に出す、と言うのは時によってとても大事な事だと思う。

 言うだけ言って今度は口寂しくなった私は、お皿に置かれているチョコレートを一つ摘んで食べる。


「誰でもいいのか?」


 そこへそれまで黙って聞いていたエリオットさんが急に話しかけて来るものだから、少し驚いて彼の目を見つめ直した。その目は、こちらをじっと睨んでいる。


「そんな事ありませんよ! 私だって相手くらい選びます!」


 大体において楽しく過ごせるような相手なんて私には数人しかいないのだから、その人達以外というのがもう考えられない。それを差し引いても誰でもいいだなんてあるわけがないのに、何を言い出すのだ彼は。

 凄く失礼な事を言われたような気がしたので少しいきり立って答えると、エリオットさんは恐る恐るその先を問いかけてきた。


「じゃあ……ちょっと誰と居たいのか順位つけて挙げてみろって」


「へ? どうしてですか?」


「いいから! 言ってみろよ! ほら、クッキー食ってよく考えろ!」


 そして口に無理やりクッキーを突っ込まれる。もごもごと食べながら私は仕方無しに彼の問いに答えるべく考えた。




「んんん、やっぱりライトさんかレフトさんで悩みますねぇ。ライトさんはいつも遊んでくれるし、レフトさんはあったかいです」


「お、おぉ……」


 呻くように相槌を打つエリオットさんをスルーして、私は更にその先に思考を巡らせる。

 クッキーを全て飲み込んだところで、またエリオットさんがペットに餌を与えるように口元にクッキーを寄せてくるので、それをぱくりと銜えて咀嚼した。


「ん、ん、あとは地味にガウェインが一緒に居て楽しそうです。フォウさんはどちらかと言えば見てて楽しい感じですから順位付けするとなると難しいかも知れません」


「そうか……」


 あと他にも何人か居るけれど、この話題で挙げるほどでも無い気がしたのでこれでおしまいだろうか。


「こんなところですね」


 やはり一番身近なライトさんとレフトさんは外せない。私をあの家の子にして貰えないだろうか、と一瞬思ってしまうくらいだ。

 が、折角わざわざ答えてあげたと言うのに随分と不貞腐れた表情をしている目の前の彼。その理由は予想がついているので、彼が言わんとしているであろう事を最後に付け加えてやる。


「エリオットさんは最下位ですよ」


「頭から紅茶ぶっかけるぞコラ!」


 ポットから注がねば紅茶をぶっかける事が不可能な、既に空になっている私側のティーカップを振り上げるエリオットさん。

 私は笑いながら身を守る仕草をして肩を竦めた。


「ふふ、嘘ですよ、分かってるでしょう?」


 お約束の反応を示してくれたので大変満足している私は、自然とこぼれるがままに笑みを浮かべる。


「エリオットさんと公務とか関係無しにのんびり旅をしたら、きっと毎日苛々して堪らないでしょうね!」


 そしてきっと、飽きないのだろう。お互いにとんでもない事を言い合いながら怒ったり笑ったり、そんな旅。楽しそうだな、と思ったけれどそれは今一番実現が困難であろう事も分かっているので私はこうやって笑って済ませた。

 こみ上げてくる虚しさの理由は知っている。恋愛がどうのと言うかは分からないけれど、少なくとも私の中で一番一緒に居て楽しいのは彼なのだから、その人がどんどん離れて行ってしまうとなればそういう気分になってしまうものだ。ましてやよく知らない人と結婚してしまうだなんて尚更。

 例えるなら父親から知らない女の人と急に再婚すると聞かされた子供の気分のような感じだろうか。そんな事になった事が無いので実際この例えで合っているのか知らないけれど、多分そんなものだと思う。


 折角私が笑って話しているのにエリオットさんは黙って俯いていてその表情は確認出来ない。しばらく彼の頭の天辺をこの視線で禿げさせられないものか、とじーっと見つめているとバッとその頭が上がって目が合った。


「お前、王都にずっと住む気は無いのか?」


 急に何を言うかと思えば、それは旅以外の案。


「ええ? と言うかどこで住むにしても無理ですよ。金銭的な意味で」


 家を建てるのにどれだけお金がかかると思っているのだ。ましてや王都に建てようと思ったら地方の倍では済まない。以前諸事情で大金を手にした事もあるが、額が額で結局返金してしまった事が今更ながら悔やまれる。

 私は少し目を細めて反論したが、その視線に気付く様子もなく彼はまた喋り出た。


「ライトのところがいいなら打診してやってもいいし、もしそれが無理でも別に城に住まわせる事だって……」


「嫌です」


 きっぱりと断ると、ようやく私の怒り気味の視線に気がついてくれたらしく、少し焦りの色を浮かべていた顔を固まらせたエリオットさん。


「そんな甘えみたいな生活を続けていたら私、本当に一人で立てなくなっちゃいますよ」


「別に一人で立てなくてもいいじゃないか……」


「そりゃあそうですけど、そういう風に寄りかかる相手を間違えるわけにはいきません」


 絞り出すような声で言う彼に、もう一度打ち消す言葉を投げかける私。


「もう子供じゃありませんからね! 婚約を控えている王子様におんぶに抱っこ、ってわけにもいかないんですよ、世間的にもっ」


 多分エリオットさんも、私と居るのは何だかんだで楽しいのだろう。近くに居て欲しいと言う気持ちがひしひしと伝わってくる。けれどそれは少し難しい相談だ。少なくともまだこの王都に私の本当の居場所は……無いのだから。


「もしお金が貯まったらせめて部屋くらい借りて住んでみたいですねぇ」


 憧れの一人暮らし。


「ぜってー無理だろお前じゃ」


 私もそう思います。


【第二部第八章 恋と愛 ~それは常に不意打ちの形で~ 完】

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