レチタティーヴォ ~台風の目~
あれから三日はあっという間だった。
動けるし、多少の戦闘なら可能だろう。だが竜相手が……やっぱり不安で仕方が無い。
重い気持ちを溜め息で誤魔化して、私は準備をして城へ向かった。
それと、もう一つ気になる事がある。フォウさんが二日前から姿を見せなくなったのだ。
確かに彼は色々な街を旅している人なのだから去る事自体は不思議では無い。けれど一言も言わずに去ってしまうのは少々おかしい。
何かがあったと考えるのが妥当だけれど、一体彼の身に何があったと言うのか。私やエリオットさんじゃあるまいし、彼が問題事を抱えていたという話は全く聞いていない。
城ではいつもの馬車より少し大きめのものが待機していた。荷を持って乗り込むと、今日はポニーテールではなくヘアバンドに近い煌びやかな布で髪を巻いたエリオットさん。
「お待たせしちゃいました?」
「いや、まだ来てない馬鹿がいるから問題無い」
いつも通りヨシュアさんとガウェインは馬車の先頭で手綱を握っていたから……新しい人がまだ来ていないと言う事か。
「追加された人員は私の知っている人ですか?」
「覚えているかどうかは知らないけど、見た事はあるはずだぜ」
とエリオットさんがそこまで言ったところで、私の後ろの馬車の戸が勢い良く開いた。
「お待たせしたッス!!」
ぜぇぜぇと息を切らして現れたのは、茶色の長髪を首ぎりぎりのところで一つに束ねている青年。
黒い名残羽に三白眼、見覚えがあるんだけれど、どこで見たのかまでは思い出せず首を捻る私にエリオットさんが紹介してくれた。
「お前のアシスト役として部隊を急遽転属して来た、ガイア・ヴィドフニルだ。覚えてないか?」
「ヴィドフニル……レイアさんの、弟さん?」
「そうッス! あまり表で仕事してないんで会う事無かったッスけど、一応軍に居るんスよ!」
スが気になるザグザグ、とそんなググらないと分からないようなローカルネタは置いて、敬語が敬語になり切っていない口調の黒装束の青年が元気良く馬車に乗り込んでくる。
「こいつの居場所は本来暗部で、扱う術もそういうものがメインなんだ。多分二人で組めばそう苦戦はしないだろう」
「特技は影縫い! 苦手な物は妹! よろしくッス!!」
軽快な自己紹介を聞いていると、とても暗部の人間とは思えない朗らかさ。彼が差し出してきた手を、ぎゅっと握って握手を交わした。
彼が椅子に座ったのを小窓からヨシュアさんが確認してきて、間もなく馬車は走り出す。ガタガタと音を立てて揺れる車輪に相変わらずお尻が痛いと思いつつ、私はエリオットさんとガイアさんの会話を聞いていた。
「この前また妹が荒ぶってたッスよ、今度は何したんスか王子はー」
「聞かないでくれよ、そこは……」
楽しそうな二人を見ていてようやくガイアさんの事が記憶に蘇ってくる。
そういえば昔に北の滅びた村で出会ったのは彼だ。その時も同じように、位の差を感じつつもどこか仲が良さそうに見えてお友達かな? って考えていたはずである。今もそれを私は感じていて、多分この人選はエリオットさんなんだろうなぁ、と思った。
彼等の会話を流し聞き、私は腰からベルトで下げている長剣を抜いてその刀身を確かめる。先日以来私の手元ではなく城に預けられていたコレだが、また任務に就くという事で私に返却された剣。
竜の口の中で、今まで使っていた剣の代わりに突如現れた不思議な赤い刀身は、血の色のように鈍い赤だった。お城側からは、調べたけれど特に異常の無い、けれどやたらと斬れる剣だ、と報告を受けている。
「何か不気味な色の剣ッスね、それ」
私の手元に気付いたガイアさんがエリオットさんとの会話を切って、こちらに声を掛けてきた。
「そうですね……実際不気味ですよ。何でここにこうして存在しているのかも分からない剣ですから」
「ま、なるようになるさ」
「適当にやってどうにかなるのは王子だけッスからね! 周囲もそれでどうにかなると思わないで欲しいッス!」
全くだ。彼は立場上、大抵の事はどうにかなってきたのだろうけど、こっちはそうもいかない事ばかりだった。ガイアさんの指摘に大きく頷いて、私はフォウさんの事に思考を戻す。
「どこに行っちゃったんでしょう……」
全く見当の付かない、彼の消息。私は嫌な予感を振り払うように目を閉じた。
前回のモルガナとの中間地点くらいにあたるリャーマに着くのは割と早く、せっせと降りて準備をし始める一同。リャーマの長との挨拶は滞りなく進み、ほっとしたところでしばらくの滞在場所となる洋館に荷を運んだ。
リャーマはエリオットさんを泊められるような建物が無い、と言う事で彼の訪問が始まってから建てられた物らしく、とても綺麗で、そしてこの街にはあまり似合わない外観である。
東の中では比較的王都に近い事もあってか、リャーマの待遇は良さそうだった。荷物を各部屋に運び終えたところで洋館にチャイムが鳴り響く。
「……行く」
ヨシュアさんが玄関まで行ってくれたので、私達は中央部分の広い部屋で一旦腰を落ち着けて彼の対応を待つ。
何やらロビーで女性と話す声が聞こえた後、足音が二人分となってこちらに近づいてきて、室内に戻ってきたヨシュアさんの後ろからちょこっと金髪の女性が顔を覗かせた。
「メイド……だって」
彼が短い紹介をして左手で示した先には、メイド服を着た金髪金瞳の女性。髪は後ろでおだんごにまとめているが、そんな事はどうでもいい。
「レクチェ……?」
エリオットさんが先に彼女の名前を発した。そう、メイドとして長から派遣されてきた女性は、レクチェさんに瓜二つだったのだ。
「リズです。よろしくお願い致しますっ!」
そう言ってぺこりと頭を下げるメイドさん。その澄んだ鈴の音のような声もとても聞き覚えがある、懐かしい……レクチェさんの声そのもの。
エリオットさんと私は顔を見合わせて呆然とする。ガイアさんも見覚えがあるのだろう、どこかで見たような、と首を傾げていた。
「リズ……でいいのか?」
「はい! 酒場に住み込みで働いている者ですがこの度は王子のお世話を遣わさりぇま……」
噛んだ。エリオットさんの名前の確認に、そこから頑張って自己紹介を始めようとして……全力で噛んだ。
あまりに可愛く噛むものだから、エリオットさん以外の男性陣は揃いも揃って彼女にだらしない顔を向けている。このおっちょこちょいさがまたイイ、と言わんばかりに。
真っ赤になって俯いてしまったリズさんに、ちょっとだけ顔を緩ませているヨシュアさんがぽんと肩を叩いて慰めた。
「大丈夫……」
「は、はい、すみませんっ」
熱くなった頬を手で冷ますように両手で包んで、その仕草がまた可愛らしい。そしてそれがまた凄く……レクチェさんに似ている。
ヨシュアさんが彼女にやって欲しい事を軽く指示し、リズさんは気合を入れ直して仕事を始めた。
私はエリオットさんに近づいてそっと耳打ちする。
「似過ぎてませんか?」
「……まぁな。けど確証は無いだろう。世の中はそっくりさんが三人居るって言うし」
「何か……彼女だと分かる物があればいいんですけどね……」
けれど、彼女だと分かったからと言ってどうする? もし彼女だったとしても、そうならばまた記憶が無い事になる。
以前のようにここの教会に連れていけばどうにかなるだろうか。いや、この街に住んでいるのだから教会に足を踏み入れていないとは考えにくい。やはりレクチェさんでは無い、他人の空似なのか……
「王子ー、俺めっちゃ好みですあの子ー」
ガウェインがぴこぴこと獣耳を動かして、空気を全く読まずに色めき立っている。金色の瞳は少し離れて作業をしているリズさんのお尻に釘付けだった。
「……死ね」
そこへヨシュアさんらしからぬ暴言が彼に飛ぶ。
「え、ヨシュアさん今俺に死ねって言った!? 何で!?」
どうやら二人の好みは完全に一致しているらしい。ガウェインは彼の怒っている理由を分かっていないようだが、もし分かったら面白い事になりそうだ。
「お前等、あの子にちょっかい出したらクビだからな」
予め釘を刺してくれるエリオットさん。たまには頼もしい事をしてくれる……と思ったけれど、
「お、王子もああいう子が好みなんですか?」
恐る恐る尋ねるガウェインに、
「あぁ。今夜部屋に呼ぶからお前等夜間の護衛はいいぞ」
とんでもない事をのたまう彼。
ぶん殴ってやろうと腕を振り上げたが、そこでエリオットさんは小さく私にだけ聞こえるような声で言う。
「……胸のほくろの位置くらい覚えてるから、脱がせてレクチェかどうか確認するだけだ」
振り上げた腕を、私は容赦なく彼の頭にめり込ませた。
そして殴られた頭をさすりながらも公務に戻るエリオットさん。
いつも通りヨシュアさんが筆記をしていき、私かガウェインが大体交代で護衛に着く。そこへ今回はガイアさんが身を隠した上で周囲への警戒に当たっていた。
エリオットさんが私に……多分わざとだろう、先に休みをくれたので私は自然な流れでリズさんと二人、洋館に残る形となる。
部屋の掃除をし、料理を作る彼女。私が見ているからというのもあるかも知れないが、手を休ませずにテキパキとこなしていた。このあたりはレクチェさんと同一人物とは思えない手際の良さ。
「少しは休んでもいいんですよ? こちらへどうぞ」
リズさんに声を掛けると、彼女はややほっとした表情でその言葉を受け入れる。
「ありがとうございますっ」
ずっと気張っていたのだろう。私と自分の分の紅茶を入れてようやく一息つける、と言った様子でソファに腰掛けるリズさん。
やっと自然に近づく事が出来て、私は彼女がレクチェさんだと確信をした。
「……っ」
この限りなく嫌悪に近い感情が渦巻いてくる感覚。エリオットさんに確かめさせるまでも無い、レクチェさん以外に有り得ない。
生きていたんだ……今までつかえていた蟠りの一つが解けたような気持ちになる。それと同時にいくつも浮かび上がる疑問。
「リズさんは、酒場に住み込みで働いている、と言っていましたね」
突然私に声を掛けられ、ビクッと肩を震わせるリズさん。
「は、はい! 記憶も無く近くの森で倒れていたところを保護してくれたのが、酒場の息子さんだったんです。それから良くして貰っています」
以前に私達がレクチェさんを見つけた時と大体似たような状況のようだった。
違うのは、見つけた場所と、見つけた人間。それが違うだけでこうも普通の生活を送れるようになるんだ、と少し悲しくなる。
セオリーはレクチェさんの今の居場所を把握していないから彼女をこうやって放置しているのか、それともまた記憶が無くなった彼女など不必要なのか。
同じように東で姿を見かけたルフィーナさん……よく分からないけれど、もしかしてルフィーナさんはレクチェさんを近くで見守っているから出てこないのかな、と全く根拠の無い事を思った。
「それはどれくらい前の話ですか?」
「え、えぇと……もう四年以上です、ね。最初は記憶も無くて戸惑ったけれど、彼のおかげで随分この生活に慣れました」
そう話したリズさんの表情は、ほんのりはにかんでいる。
「彼、って言うのは酒場の息子さんの事ですか?」
「あ、そうです! ごめんなさいこんな事話して……どうでもいいですよねっ!」
うううううん、何かリズさんがレクチェさんだとしても、記憶を戻さない方が彼女にとって幸せな予感がしてきた。エリオットさんにはどう言うべきか……
「いや、私はリズさんの事いっぱい聞きたいです。こういう立場なもので女性の友達が少ないんですよ」
「分かりました! 私お喋りは大好きなんで、いっぱい喋っちゃいます!」
パァッと表情を明るくさせ、リズさんは色々な話を私にしてくれる。
酒場のお客さんがいい人達ばかりな事。お世話になっているご主人と奥さんは喧嘩ばかりするのに、仕事が終わった後は必ず笑顔で二人で夜食を食べている事。一番に自分の事を考えてくれている、とっても優しくて格好良い酒場の息子さんの事。
私達と旅していた時よりずっと幸せそうな彼女の語る今を、私は複雑な心境で聞いていた。
そして彼女はまさかのマシンガントークで、エリオットさん達が戻ってくるまで本当にずーーーっと喋っていたのである。途中で止まっていた料理の下ごしらえは、夜になり彼等が帰宅したところで慌てて再開させたのだった。
「うおー、やっぱり可愛いー!」
「ガウェイン……うざい……」
ヨシュアさんとガウェインは中に入ってきているが、基本隠密行動なガイアさんはまだ周囲の見張りをしているらしく、洋館の中には入ってこない。
私はエリオットさんに、待っていた間に仕入れた情報を端的に伝えた。
「……彼女はレクチェさんで間違いないと思います」
「何でだ?」
「レクチェさんの時と同じ不快感を彼女に感じるからです」
「なるほどな」
それだけで把握してくれた彼は、私の話を聞くなりソファをスッと立ち上がる。
嫌な予感がして、立ち上がった彼を引き止めるようにその腕を引くが、エリオットさんは怖い顔をして私の手を振り払った。
「ちょ、ちょっとエリオットさん!!」
私が止めるにも関わらず、ずんずんと歩いていく先は、キッチンで作業をしているリズさんの方向。
やはり言うべきではなかったか、と今更後悔しても遅い。彼は火を使っている彼女の右手首をがしっと掴んで上に上げた。
「いっ……」
突然の事で目を丸くするリズさん。そんな彼女にエリオットさんは怒声を浴びせる。
「また記憶を失くしました、で済む問題じゃ無いんだよ! 俺があれからどれだけ気が狂うような思いをして来たと……ッ!!」
そう言って彼女をキッチンから引きずってきて部屋の中央のソファにどさりと投げ倒し、怯えているものの抵抗する事も敵わないリズさんの鼻先直前にまで顔を近づけて睨み付けた。
「王子!?」
「エリオットさん!!」
驚く私達をよそに彼は更に続ける。
「記憶が戻るまでお前は俺の監視下だ、この街の長にも話をつける。逃げようだなんて思うなよ」
低い声色でエリオットさんはそこまで言って彼女から離れ、二階の寝室へと上がって行ってしまった。
記憶が無い今、リズさんにとっては恐怖でしか無かっただろう。慌てて私が駆け寄ると彼女は涙目で私に問いかける。
「王子様は……私の過去を、知っているの?」
もう隠し通せない。そう思った私は彼女の平穏を守る事を諦めて口を開いた。
「はい。かつてリズさんと私達は、共に旅をしていたんです」
私以外の三名が、目を見開いて私を見つめる。
「四年前の王都で起きた大規模な原因不明の殺傷事件は知ってますね?」
「通称スプリガン、だろう……知ってる……俺もその場に居た……」
「聞いた事はあるけど、俺その頃まだ田舎に居たしなぁ」
私の問いにヨシュアさんとガウェインがそれぞれ回答をするが、リズさんだけは不安そうな目で私に訴えかけていた。
「四年前、ですか……?」
四年前というキーワードに反応する彼女。それもそのはず、彼女はそれ以前の記憶が無いのだから、嫌でも連想してしまうだろう。
「えぇ、スプリガンの際にリズさんは私達の目の前から姿を消しました。当時の呼び名はレクチェと言います」
「王子そういや最初にそんな名前を呟いてたなぁ、何で急に果物? って思ったんだけど」
北方の出である狼の獣人ガウェインには比較的馴染みのある果実の名前だ。今思えば本当に安直なネーミングである。
私は重い気持ちを溜め息で吐き出すように紛らわし、またリズさんに話しかけた。
「あそこまでエリオットさんが怒る理由は私には分かりませんが……多分リズさんに聞きたい事があったのだと思います」
私の心当たりは、レクチェさんが直すはずだったニールの力による水晶の件くらいしか思い浮かばない。
もうどうにかなった事だし、それだけであんな責め立てるように怒るとは思えないけれど、そこは本人に聞けばいいか……
それに、いくらなんでもあんな言い方は無い。監視下に置く? 彼がやろうとしている事はまるで……セオリーみたいだ。
リズさんは涙目にはなっているが、それをじっと目元に溜めて泣くのを堪えている。けれど膝に置かれた両手はスカートを強く握り締めていて、内心とても辛いという事がよく伝わってきた。
ふと、その手を見て私はある事を思い出したので彼女にさり気なく聞いてみる。
「あの……リズさん。森で気が付いた時、左手の薬指に指輪が填まっていませんでしたか?」
以前、彼女の記憶を戻すきっかけとなったと思われるあの指輪。あれからレクチェさんは外している様子も無かった。が、それが今彼女の指には填まっていないのだ。
彼女はハッとした表情を私に向け、震える声で言う。
「その指輪の事を知っている、と言う事は本当に私はそのレクチェという人なんですね……」
「……それはつまり填まっていた、と」
そこへガウェインがソファの後ろからぴょこんと体を出して、口を挟んできた。
「何! それまさか王子がリズさんにプレゼントした指輪とか!?」
「いやいや、違いますよ!」
でも確かにこの流れだとそう思えなくも無いけれど!
ガウェインは自分の予想が外れて少し残念そうにしたが、それでもまだ言い足りないらしくまた話し出す。
「俺達に手出すなって言ったり、夜部屋に呼ぶって言ったり、どう考えてもそういう仲っぽいのに……」
「確かに……変……」
「そこは、少なくとも知り合いに似ていたから、純粋にちょっかい出されたくないと思ったのでしょう。あと夜部屋に呼ぶ件は、リズさんがレクチェさんであるかどうか確かめる為に、服を脱がして胸のほくろの位置を確認するとか言ってました。まぁそれは私が怒りましたけど」
彼等の疑問を打ち消すべく丁寧に説明をしたが、そこで更に彼等はヒートアップ。
「胸のほくろ!? やっぱりそういう仲だろそれって!!」
……何故彼がレクチェさんの胸のほくろの位置まで知っているのかなんて、そんなしょーもない事を説明するのがもうだるくなってきた。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ彼等を一旦置いて、リズさんをまずは安心させてやらなくてはいけない。
「とにかく、私としてはリズさんが無理に記憶を取り戻す必要は無いと思っています」
私の言葉に顔を上げたリズさんの目から、振り落とされるように涙がこぼれる。また泣き出したわけではなく、先程まで溜めていた涙が一筋落ちたのだ。
「どうして、ですか?」
彼女の問いに、私は少し悔しく思いながらも本音を告げる。
「……以前の貴女より、今の貴女のほうが幸せそうに見えるからです」
それを聞いてリズさんは俯き、今度は本格的に泣いてしまった。
騒いでいたヨシュアさんとガウェインも彼女の涙に気付くなりおろおろし始め、私も普段自分が泣いて慰められる側なのでどうしていいか分からず困り果てる。
先日のレイアさんの時も気の利いた言葉を一切言ってあげる事が出来なかったし、こういう時にこそ自分が本当に経験の浅い、薄っぺらい人間だと自覚させられてしまうものだ。
ライトさんやレフトさんなら何だかんだでイイ事言ってくれそうなのに……
「帰りたい……よぅ」
私とヨシュアさん、ガウェインの三人は顔を見合わせた後、目で意思疎通をする。取り乱している彼女を一旦帰そう、と。
「今夜はとりあえず戻っていいですよ。食事も粗方出来ているようですし後はこちらで何とかしますので、また明日の朝よろしくお願い致します」
ヨシュアさんが泣いているリズさんを宥めながら送っていくその後姿をガウェインと共にロビーから見届け、見えなくなったのを確認すると私達は二人で同時に大きく溜め息を吐いた。
「王子と居るとホント面倒な事ばっかりだ」
「全く以って同意しますね」
こんな調子だからどの従者も長く続かないのである。
部屋に戻って私達は慣れない手つきで食卓を整え、どうにか食事の準備が出来たところでヨシュアさんも戻ってきた。
あとは二階で不貞腐れているであろうエリオットさんか……エプロンを外してソファの背に掛けると、私は二人に名乗り出る。
「……エリオットさんは私が呼んできます」
「さっすがクリスさん! 行ってくれると信じてました!」
「かっこ、いー……」
パチ、パチ、と気の抜けるくらいゆっくりな拍手でヨシュアさんが私を褒め、ガウェインはその鋭い八重歯が見えるくらい大きな口を開けた笑顔で喜んだ。
普通に考えれば従者にとって、不機嫌な主に声を掛ける事ほど気が重いものは無いだろう。正確には従者という立場ではない私でさえも気が重いのだ。これらの行動に生活が掛かっている彼等にはもっと苦痛だと思う。
笑顔で私を送り出す二人を背に、私は行く前から既に精神的にどっと疲れつつもロビーの階段を上がってエリオットさんの部屋を訪ねた。
「エリオットさーん、開けますよー」
彼の返事など私が待つわけが無い。速攻でドアを押し開けるとそこにはエリオットさんと、
「!?」
彼の座っている椅子から丸いテーブルを挟んだ対面の椅子に誰かが座っていたような気がする。一瞬だけ見えた、小さな金髪の男の子。
けれどそれは夢だったのか、意識をしてその人物を見ようとした時には既にその姿は無かった。
「い、今誰か居ませんでしたか?」
「……あぁ、居たな」
夢じゃなかったらしい。あっさりとその謎の存在をエリオットさんによって肯定される。
「誰だったんですか? 玄関から入って来てない、ですよね?」
ギィ、と風に揺れる開いた窓とカーテン。暗闇の中、明かりもつけずにこの部屋は月明かりだけで光を取っていた。
彼はそんな窓に視線を向けながら、一言だけ小さく呟く。
「ビフレスト……だ」
久しぶりに聞いたその単語に、私は背筋が凍るような思いを感じた。
「レクチェさんだけじゃなかったん、です、ね……」
喉から絞り出すように私は彼に返事をする。
エリオットさんは頷くわけでもなくただじっと頬杖をついて窓を見たままで、険しくもなければ穏やかでもない、何を考えているのか分からない表情をしていた。
「何か、話していたんですか?」
「……そうだな」
力無く、気の抜けた口調でぼんやりと短く返答。
「何でも無いって雰囲気じゃないですよ、一体何を言われたんです!?」
あまりに手応えの無い彼の態度に、私は少し声を荒げて問い、近寄る。
寄れば寄るほどその無気力さが顔に表れているエリオットさんは、ようやく私の目を見てくれたと思ったら意味の分からない事を言い出した。
「俺はキング。お前はビショップ、と言いたいところだが価値と強さを考えたらクイーン以外に無いだろうな」
「え? チェスの話ですか?」
何故ここでいきなりチェスが出てくるのか。さっぱり分からないけれど、エリオットさんがキングで私がクイーン、と言うところだけ微妙に意識してしまった私は、絶対そういう意味では無いと思いつつも一人で内心どぎまぎする。
しかしエリオットさんがそこで、頬杖をついていたテーブルを下から思いっきり蹴り上げて倒した。
ガシャァン!! と大きな音を立てて転がるテーブルと、途端に怒りに満ち満ちた彼の顔。驚いて少し飛び退いた私は唖然とそれを見るばかりで状況に思考が追いつかない。
「盤面ごとぶち壊してやる……!」
盤面? チェスの? 一体何の事?
聞きたいけれど周囲を寄せ付けさせないその剣幕に、声を掛けられるわけもなく立ち尽くす私。酷く憤慨していたエリオットさんはしばらくして落ち着いてきたのか、ようやく私とまともに会話をしてくれた。
「で、何か用でもあったのか?」
半分くらい『どうでもいいけど』みたいな投げやりな調子で聞いてくる。
「え、あぁ、そうです。ご飯が出来たので呼びに来ました」
「よし、食うか」
すっくと立って、まるで何事も無かったかのように一階に向かって歩き始めるエリオットさん。何があったのか、と聞いてもこの調子じゃきっと今は答えてくれないのだろう。
未だに慣れない、この置き去りにされる歯がゆさに……またか、と私は彼の背中を見ながら胸に手をあてて唇を噛んだ。
「で、これは何だ? まさか俺に食べさせるってんじゃないだろうな?」
食卓に並んだ食事を見て、食べる前から文句を言うのは勿論我等が我侭王子、エリオットさんである。
リズさんが途中まで作ってくれてあったものを私とガウェインで頑張って完成させたのだが、何やら不満があるらしい。
「文句を言うなら食べなくていいですよー」
私は水気を飛ばしすぎたレモンバターソースをどうにかチキンに絡ませながら口に運ぶ。大丈夫、全然食べられるじゃないか。食べもせずに見るだけで何を言うんだか。
ガウェインとヨシュアさんはエリオットさんが食べる前から手を付けるのを躊躇っているらしく、フォークとナイフを持ったままそわそわしていた。
私が気にせず食べているのを見てエリオットさんも渋々トマトクリームで若干煮焦がした海老を上手にフォークで取るが、口にしてからその顔は歪む。
「だー! どれもこれも火ぃ通しすぎだろ!! 食材への冒涜だこれは!!」
そんな事を言われても、どれくらい温めればいいのかなんて料理をしない私達にはよく分からないんだから仕方ない。贅沢を言いつつもエリオットさんがようやく食べてくれたので他の二人も食べ始めた。
「別に、美味しいと……思う……」
そしてヨシュアさんの素晴らしいコメントが入る。
「そんなに言うんならサラダだけ食べればいいじゃないですか。そっちは私達の手が入ってませんからきっとまともですよ」
かぼちゃのポタージュを飲みながら解決案を提示すると、彼は本当にサラダだけ食べ始めた。提案しておいて何だが、失礼な人だなぁ。
「ん、スープも多分大丈夫ですよ。これも温めましたけど劣化してはいないんじゃないかと」
「あぁ、そうかい」
メインを一切口にしようとしないエリオットさんの皿をガウェインがじーっと眺め、その視線に気付いたエリオットさんは呆れ顔で皿を彼の方へ動かす。
パァッと表情を明るくさせて、ガウェインは勢いよく自分の皿の物を平らげてから二皿目へと手を付け、
「んまい!!」
と喜びの一言。
世の中美食家だ何だと言って『あれはまずいこれはだめだ』と文句をつける人が居るけれど、平凡な食事で美味しいと思える舌のほうがずっと幸せである、とエリオットさんとガウェインを見ていて思う私であった。
さて、忘れてはならぬ。ガイアさんにもちゃんと食事を持って行ってあげなくてはならない。
運びやすいようにランチプレートに盛って外に出ると、すぐに食事だと気が付いたらしいガイアさんがいきなり背後に飛び降りてきた。どこから飛び降りてきたか全く分からないくらい瞬時の出来事で、思わず手からプレートを落としそうになる。
「おっと」
私の手をすぐに支えて、自分の食事を守ったガイアさん。
「ありがとうございます、食事ですよ」
「ちゃんと覚えていてくれて嬉しいッス!」
にこっと笑ってプレートを受け取る彼。
黒装束ではあるがリャーマの夜は比較的街灯が明るいので、街の中心部から漏れる明かりと月の明かりで、こうやって路地に出てくると彼の姿も結構目立つものだ。
外で食事するのは慣れているのだろう、プレートを右手に持ちながら左手でフォークだけを使い器用に口に食べ物を運ぶガイアさんを、私はぽけーっと見ていた。だって、座ってすらいないんですよこの人。思わず呆気に取られてしまう。
私の視線など気にも留めず、さっさと食べ終えたガイアさんは何にも無くなったプレートとフォークを私に返してまた隠れようと……
「ま、待ってください!」
するところを私が止めた。
「な、何ッスか?」
念の為確認しておこうと思ったのだ。
「リズさんの他に、誰かここに来ました?」
そう、あの謎の金髪の少年……エリオットさんはビフレストだと言っていたけれど、彼の目があると言うのにどうやって入ってきたのか。一階であわあわしていた私達に気付かれなくとも、エリオットさんに会う為の関門がここに居たはずなのだから。
私の問いにガイアさんは飄々と一言。
「来たッスよ」
「そうですよね……って、はいぃ!?」
え、じゃあ実は堂々と玄関から!? それは気付かない私達がちょっとヤバイ!!
「肩くらいまでの長さの金髪の子供ッスよね。ちょっと不思議な子だったッス」
「ふ、不思議と言いますと?」
「隠れて見張りをしていた俺のところに来て、王子に取り次いでくれって言うから窓から王子に確認してそのまま取り次いだッスよ。いやーあんな子供に見つかるとは思わなかったッス!」
……なるほど、ちゃんと見張りの彼に確認した上で入ってきた、と。しかも窓から。けれど普通に考えて、そんな怪し過ぎる人物を取り次ぐ方も取り次がれる方もちょっとおかしい気がしないでもない。
「そうだったんですね……でも、よく取り次ぐ気になりましたね?」
誰でもこんな調子で取り次いでいたらまずくないだろうか、と一応取り次ぐに至った理由が無いか確認してみる。
ガイアさんは頬を掻いて、少し困った顔をして言った。
「その子供が、ビフレストと言えば分かる、って俺には分からないキーワードを出したんスよ。だから一応王子に確認せざるを得なかったッス」
「なるほど」
それなら確かに彼も取り次がざるを得ないし、エリオットさんも部屋に入れるのを承諾するはずだ。
レクチェさんがリズさんとして目の前に現れ、そして彼女以外のビフレストの出現。それに加えてエリオットさんのレクチェさんへの態度と、別のビフレストとの接触後の様子。
「ううーん……」
考えたところで私に分かるワケが無い。
プレートを持っていない方の手で頭を軽く押さえる私に、ガイアさんが茶色の瞳を心配そうに細める。
「大丈夫ッスか?」
「大丈夫です、エリオットさんが事情を説明してくれないから悩んでいるだけですので……」
「あぁー、どんまいッス」
ガイアさんは、すんごく察してますなオーラを出して、ぽんぽんと私の肩を叩いて慰めてくれた。
夜風にあたっていたら少し体も冷えたらしい。ふるっと少しだけ体を震わせた私に気付いた彼は洋館に戻るよう促してきて、私はそれに従う。
食器を片付けお風呂に入り、昼間にガウェインにほぼ仕事を押し付けてしまった私は、リズさんのお喋りのおかげで全くその間に仮眠を出来ていないと言うのに、夜通しエリオットさんの護衛に就く事になったのだった。リズさんから情報を引き出す代償はあまりにも高かったようである。
けれど今夜はいつもと違う、夜の番……エリオットさんは魘されていなかった。
見つめているだけで奇妙な気分になる赤い剣を、仮初の鞘から抜いて暇潰しに眺めている私だったが、いつまで経っても悪夢に魘される様子の無いエリオットさんにふと違和感を感じる。
「……?」
寝付けないのだろうか、全く寝言を発する気配が無い。
私は一刻前にエリオットさんが蹴り上げたテーブルに剣を置き、静かに彼の傍に寄って確認をしに行った。
「眠れないのですか?」
布団を被っていてドア側からは見えない彼の顔を覗くと、その目はまだ薄らと開いている。返事をしてくれればいいのに、口は堅く閉ざしたまま。
ふぅ、と息を吐いて私はまたベッドから少しだけ離れた椅子に腰を掛け直す。
静か過ぎる今宵の番は、どうも落ち着かない。会話をするのではなく独り言のつもりで、私はトーンを下げて呟いた。
「リズさんを無理にどうこうしないで欲しいです……彼女はもう、レクチェさんでは無いんですから」
それは悲しくなる事実。
私達が彼女と過ごした短い期間は、彼女に何も齎さなかった。にも関わらず、今はどうだろう。記憶が戻っていないにも関わらず、彼女の心には拠り所がきちんと出来ている。
記憶が無い、と言う大きな不安を抱えているのにそれを塗り替える幸せが今の彼女にはあるのだ。
私の独り言に返事は勿論返って来ず、窓を閉め切った室内はやや空気が淀んでいて、気分を更に重たくさせる。しばらく息が詰まるような雰囲気に耐えていると、静かに響く彼の声。
「……好きにしろ」
「え?」
「必要なくなっただけだ、情けでも何でも無い」
別にそんな風に付け加えなくてもいいものを、いちいち癇に障る言い方をするエリオットさん。
眉を寄せて彼の背中を見つめる私に、最後にもう一つだけ気になる言葉が闇夜に融けて降り掛かる。
「俺にとっても、奴等にとっても……な」
「奴等、ですか?」
ふっと脳裏に浮かぶ、白緑の髪の青年。また彼と直面する時が来るのだろうか。
私は自分の本来の役目を思い出す。小悪党や政事の争いの為に私はここに居るのでは無い。人為らざる者と戦う為に、この力を振るうのだ。
出来る事ならばその時が来て欲しくはなかったけれど、今になって再度浮上してくる彼等の存在。精霊武器無くしてどこまでやり合う事が出来るか……
その晩は、きっとエリオットさんは一睡もしていなかったし、私も黙って見守っていた。
次の日の朝。リズさんは少しだけ腫らした瞼できちんと仕事に来た。彼女の作る朝食を大欠伸しながら頂き、またエリオットさん達は職務に出かけ、昨日同様に私は洋館で休息を貰う。
今日こそは昼のうちに少し寝ておかないと、と思ったがリズさんに少しだけ話をしなくてはいけない。
「王子が、昨晩の事はやっぱり無しにしてくださるそうですよ」
「えっ? 私の記憶が必要では無かったのですか?」
「何か、もういいみたいです」
それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろす彼女。
「そうですか……」
「それと、少し気になっていたのですが、指輪はどうしました?」
リズさんはごそごそと白いエプロンのポケットからそれを取り出し、私の手の平を取って乗せた。
手を触られると少し気が滅入るのを感じるが、ぐっとその感情を飲み込んで渡された物を見る。小さな金色の指輪が、そこにはあった。
「彼が……住み込み先の息子さんが、外して欲しいって言うから填めずにいたんです」
なるほど、それで普通ならば記憶の手がかりとなるような意味深な装飾品を外してしまっていたのか。
けれどそれまで填めていたのならば、この指輪自体が彼女の記憶に作用するような物では無い、と言う事になる。指輪自体で無ければ、一体どうしてあの時彼女の記憶は戻ったのだろう。
「指輪自体ではなく、これがただの媒体なら……ううん」
「?」
不思議そうに私の顔を覗きこむリズさん。
「これ、貰ってもいいですか?」
私の要望に大きく彼女が頷く。
「はい、私にはもう必要の無い物ですから……」
それは、彼女がもう過去の記憶を必要としていない、と暗に告げていた。私達と居た頃は記憶を探していた彼女が……
私は複雑な心境を隠しながら、精一杯の笑顔を彼女に向ける。
「どうか、幸せになってください」
貴女が私を思い出さなくとも、私は初めての友達である貴女の幸せを願い続けるだろう。
失くさないように、と私は左手の薬指にそれを填めてみる。少し緩いので右手の薬指に填め替えると今度は丁度良かった。
◇◇◇ ◇◇◇
それはどこかの地の、どこかの建物。
両手首を後ろに回され、石の錠で拘束された短い青褐の髪の若き青年は、彼よりも少し身長の高い、藍色の軽鎧を纏う男によってその建物の一室に連れて行かれる。
牢とは思えない部屋のドアを鎧の男が開けて入るよう促したので、青年は三つの目を薄く睨むように開きながらもそれに従った。
「ここでしばらく大人しくしていてください。お嬢、見張りを頼みますよ」
「なぁに、また命令?」
その室内は随分と小奇麗なもので、品の良い家具と沢山の本棚、それに埋まる本が目を引く。だがこの部屋に窓は無い。中央にある白金の装飾で飾られた猫脚のテーブルと椅子で本を読んでいる女性が、ぼやいた。
それを見て青年は思わず息が止まる。
「……なっ!」
読書の邪魔なのだろう、東雲色の長い髪をリボンで括って紅茶を飲みながら部屋で寛いでいる彼女は、青年の見覚えのある女性であった。
「あら。フォウ君……だったかしら?」
「ルフィーナさん!? こいつらの仲間だったの!?」
しかし青年には見える。彼女は白緑の髪の鎧男の仲間では無い。そう言った関係では無い空気が彼には具体的な色となって見えていた。
けれど口調はまるで仲間。この矛盾の答えは彼には見えず、ただ狼狽する。
「心外ねぇ、こんなのの仲間じゃないわ。私もきっと貴方と同じよ」
フォウの疑問にあっさり答えてくれるルフィーナ。だが同じ、と言う割には彼女の手首に錠は無い。
「この青年は色々面倒ですから、あまり情報を漏らさないでください」
「あーはいはい、分かったからもう顔見せないで。出てって」
しっしっ、と鎧の男を煙たがるように手を振るエルフ。それを見てやや悲しそうにその赤い目を細める長身の男は、表情の割には全然悲しくも何とも思っていない事がフォウには見えていて、またそれが彼に不快な気分を与えていた。
「時が来ればきちんと解放して差し上げますよ」
それだけ言い残して去る、白緑の髪の男。
部屋のドアは固く閉じられ監禁状態となったフォウは、ルフィーナに再度話しかける。
「……どういう事?」
「さっきの聞いてたでしょ? あたしの場合は自由に動けるけれど、喋っちゃうと何されるか分からないのよ。察して頂戴」
彼女に嘘の色は見えない。彼女が喋る事が出来ないのならば自分が話すしか無い、とフォウは自分の状況をルフィーナに説明し始めた。
「俺は……先日までエルヴァンの城に居たんだ。准将の部下である女性が、貴女が持っているはずのネックレスを持っていて、それで問いただそうとしたんだよ」
「……私のネックレスを、女が? そう。私はその人物は知らないわね」
「顔も若干変えているようだった。武器も持っていないし場所は城内だから平気だと思ったんだけど、そこへ突然あの男が現れて……」
「捕まっちゃった、と」
フォウの話を面白そうに聞いて相槌を打つルフィーナ。
「うん……昔あの男の偽者に会った事があるけど、今のは本体だね」
「あら、そんな事まで分かるの? 本体なら殴っておけばよかったわ」
ふん、と鼻で笑う彼女の表情は飄々としていたが、その心中は穏やかでは無いものがあるようだった。何かを思い出すような遠い目をして、先程の男によく似た目元と鼻に手を当てる。
フォウは彼女と彼に血の繋がりがある事が分かっていたが、そこには触れずに話を続けた。
「あいつら、城にまで潜り込んで何をしようとしているの?」
「予想は付いてるけど、確信は無いわ。それにそこを言ったら怒られちゃいそうだから自分で考えてくれないかしら」
どんな内容で脅されているのか分からないが、彼女から情報を引き出すのはやはり無理そうである。
錠が擦れて痛い手首に顔を顰めながら、フォウはうまく腰で椅子を動かしルフィーナの対面に座った。そんなフォウを見ながら、赤目のエルフが残念そうにぼやく。
「あーあ、折角可愛かったのにほんの数年でそんなに大きくなって……勿体無い」
そう言いながら近づいてフォウの錠に指を押し付け、何かなぞるような仕草を彼女がすると、簡単に崩れ去る錠。
「痛そうだし外したけど、貴方が逃げたら私が困るから逃げないでね」
これでフォウは軟禁状態となる。枷は錠ではなく彼女の体、と。
「あいつら……何なんだ……」
フォウは先程の、ヒトでは無い不可思議な男が纏う歪つな色を思い出して、身震いしながら呟いた。
◇◇◇ ◇◇◇
【第二部第六章 レチタティーヴォ ~台風の目~ 完】