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第二部
18/53

嫉妬 ~堅くして陰府にひとし~

 これだけ大きな惨事があったのだ。エリオットさんの訪問も一旦延期となってすぐに王都に戻った私達は、それぞれの対応に追われる事となる。と言っても私は怪我の療養。普段王都に帰ってきた時と変わりなく、ライトさんのところにお世話になっていた。


「お口に合いますでしょうか~?」


 ベッドで食事を頂くというのはなかなか新鮮だと思う。私は無言でこくこく頷いて、目の前の雑炊を口の中に必死に運んでいた。ジンジャーの効いたそれは、お腹まで届くとほこほこ体を温めてくれる。

 私の食べる様子を金の瞳で満足げに見てから、レフトさんはお代わりの入った土鍋をベッドの横に置いて部屋から出て行った。あんまり好きじゃない韮も美味しいです。


 療養中とは思えないほどの食欲で、私はお代わり分も全て平らげてから体を横に倒した。

 ふぅ、と一息吐いてまたぼーっと体を休める時間を再開させる。かなり暇だった。

 そこへ私の暇な時間を一転させる人物が尋ねてくる。

 先程出て行ったばかりのレフトさんがバタンと戸を開けて戻ってきて、相変わらずののんびりフェイスでこう言った。


「クリスさん、お知り合いの方が訪ねて来てますわ~。どうします~?」


 訪ねてくるような知り合いなど、あまり居ないのだが……


「ん、誰でしょうね。通してください」


「わかりました~」


 とてとて、と慌ただしいようで慌ただしくなく去って行くレフトさん。少ししてから今度はちゃんとノックの後に部屋のドアが開く。

 見覚えの無い容姿の青年に、私は一瞬固まった。けれど、一つの大きな特徴だけが、私に彼の名前を思い出させてくれる。


「えっと、フォウさん……ですよね?」


「良かった、名前覚えててくれたんだ」


 にこっと笑ったその顔は、かつての面影は……あると言えばあるのだけれど、体格のせいかすぐには分からなかった。

 彼の額にもう一つの目が無ければ、間違いなく『どなたですか』と聞いてしまっていただろう。


「随分身長、伸びましたね」


 当時は私と変わらないくらいだったのに、今室内で立っている彼はエリオットさんと同じくらいの背丈があるように見える。顔立ちも完全に大人のそれ。幼さは全く残っていない、男の子ではなく、男の人になっていた。


「そうだね、でもクリスは全然変わってないや」


 ははは、と私が気にしている事をあっさり言ってくれるフォウさん。突然の訪問者に私は少しだけ体を起こして対応する。


「お久しぶりですね、どうしたんです?」


「特別な用は無いよ。よく噂を聞いてるし王都に来たついでに城を訪ねてみたら、ここに居るって言われてお見舞いに」


 そう言って、またにこっと笑う。屈託の無いその笑顔は、悪戯っ子だったあの頃と全く一致しない好青年のものだった。


「噂、そんなに聞くんですか……」


 自分は思っていたよりも有名らしい。


「そりゃもう」


 にこにこしたまま、肯定する彼。


「各地で話を聞くよ。大抵はあの性悪王子様が可愛い男の子を連れている、ってね。特徴を聞くとクリスっぽかったから、おかしかったなぁ」


 思い出したようにくすくす笑う。失礼な内容のはずなんだけれど、何故か厭味な印象を受けないのは、彼の笑い方がエリオットさんとは違ってとても綺麗だからかも知れない。

 こんな風に人は成長するものなのか、とびっくりしてしまう。


「それはさておき」


 笑っていた顔をぴたりと真剣なものに変えて、フォウさんがじっとこちらを見つめた。


「な、何でしょう?」


「一体何があったらそんな事になるのかな」


 ど、どの事を指しているんだろう。怪我かな?


「この怪我ですか? ちょっと大きい竜と格闘しまして……」


 言いかけた私を遮って、またフォウさんが少し強く言う。


「違うよ、外じゃなくて中身。大丈夫? 何か凄いんだけど」


「中身が凄いって……特に怪我以外に何も無いですよ私」


 大人になっても相変わらず不思議な事を言う人だった。彼の目には一体何が見えているのか、中身と言われたのでぺたぺたとお腹の傷のあたりを触って確認するが、やはり怪我以外には何も分からない。

 フォウさんはベッドの横にある椅子を少し引いて腰掛けると、その端整な顔を渋い表情にして、何か考えながら私の体を見つめていた。


「うーん、食べられるかなぁ」


 な、何か怖い事言ってる、この人。


「な、何を食べる気で……?」


 恐る恐る尋ねると、フォウさんは首を傾げて昔よりもほんの少しだけ伸ばされた青褐の髪をさらりと動かす。その動きは疑問からくるものではなく、視線を穏やかにこちらへ流すような自然なもの。


「クリスは天然の魔術紋様、きっと無いよね」


「え、えぇ、それが?」


「無いのに無理やり力を溜め込んじゃってるんだ。中身がどろどろしてる。だからコレを食べられないかなーって見てた」


 そう言って、私の体を指差す。

 と言う事は私の体の中身を食べる気、と?

 ふっとあのネックレスを取り込もうとした場景が脳裏に過ぎる。あれはそのまままさに食べる仕草だった。つまり私も美味しくもぐもぐと……


「私のお腹、そんな食べるほどの贅肉なんてありませんよ!?」


 ついでに言うと、胸にも無い。


「いやいやいや」


 私の訴えに、ぶんぶんと手を振って否定する彼。想像したら怖くてちょっぴり涙目になっている私を、くすくす笑いながらその後も続けた。


「今のところ体に異常が無いなら無理して食べないよ。それにこの場合は本当に直接食べたりもしないって」


「そ、それならいいんですけど……」


 体に入っていた力をゆっくり抜いて、私はほっと胸を撫で下ろす。

 私の返答を聞いてから、フォウさんはスッと椅子から立ち上がって大きく背伸びをした。

 こうして見ると本当に背が伸びたものである。私も今頃はエリオットさんの身長を越している予定だったと言うのに……少し悔しい。

 背伸びの後に彼はまた私と視線を合わせて言う。


「本当はクリスが元気なら城下街を案内して欲しかったんだけど……怪我してるしあんまりお邪魔しちゃ悪いからもう行くね」


 とても名残惜しそうに言うその姿に、何となく昔の彼の背中が重なった。


「あぁ、案内しましょうか?」


「ええぇ!?」


 三つの目を丸くして、驚く彼。


「歩くくらいなら全然平気ですよ、スポーツとかはちょっと無理ですけど。毎日こうして寝てると体も鈍りますし、丁度動きたかったんで」


 よっこらしょ、とベッドから足を下ろすと私は自然に立ち上がってとことこ歩いてやる。その様子をフォウさんは真剣な目で見て、


「嘘の色は無い……ほんとに大丈夫みたいだね。じゃあお願いしようかな!」


 にこっと嬉しそうにこちらに向けられた笑顔は、少しだけ以前のように幼く見えた。

 こちらとしてもフォウさんとはもう少し話したかった、と言うのも実はある。彼との約束を守れなかった事を、どう伝えようかな、と私は考えていた。


「一応外出許可貰ってきますね」


「一緒に行くよ」


 そして廊下へ出て二つ離れた部屋に向かってノックを二回。

 返事はライトさんはいつもしないので、それを待たずにドアを開けると床でトトトトーッと何か白い物が走っていったのが視界に入る。


「ああああああああ」


 間違いなくライトさんの声なのだが、彼がこんな風に叫ぶのは珍しい。


「ご、ごめんなさい、お邪魔でしたか?」


「いや……いい。捕まえてくれれば」


「えっ?」


 その言葉の意味をうまく理解出来なかった私は疑問符を投げかけた。が、フォウさんがそれにさらっと返答してくれる。


「コレだね? とりあえず掴んだけど」


 彼のその手には、白くふわふわした小さなねずみ。こ、これはまさか動物実験中とかそういうアレだろうか。

 フォウさんは私より先にライトさんの部屋に入ってそのねずみを彼に手渡した。


「助かった」


 一言簡潔な礼を述べて、ライトさんはそのねずみを、先住のねずみが既に一匹いる籠に仕舞う。


「随分いじってあるねずみだけど、何に使うの?」


「! 分かるのか」


 フォウさんの問いかけに驚くライトさん。やはり動物実験なのか……この人は診療もせずにこんな事ばかりしている気がする。

 ライトさんは少し黙っていたが、意を決したように話し出した。


「丁度いいからクリスも聞け。俺はこのねずみに精霊を宿らせようと思っている」


 衝撃の一言。

 聞き間違えでは無いのか。彼は何と言った?

 呆気に取られている私に、何故か二人の視線が集まる。


「このねずみの細胞の一部はクリス、お前から拝借している。そのままじゃ全然うまくいかなかったから最終的にあの時の呪いを繋ぎとして使っているがな」


「な、何それ……」


 じゃあそのねずみさんは、私の弟分みたいな、そんな感じ?

 すんごい嫌なんですけど。

 何て言ったらいいのか分からず、おろおろする私にフォウさんが頭を優しく撫でてくれた。私を優しい目で見下ろした後、その視線はライトさんに向けられる。


「精霊……ってのは、この中身の事?」


「当たりだ」


 その言葉に、先程以上の衝撃が私に走った。私の中に、精霊が居る。彼等はそう言っているのだ。

 四年前のあの時の事を当時伝えた時、ライトさんはそんな事何も言ってくれなかったのに。


「お前も『天然持ち』か。取り込むのは無理だぞ、意志のある精霊だ。俺達の体には来たがらない」


「……試したような口ぶりなんだけど」


「試した」


 ライトさんの短い返答に、ぐっと押し黙るフォウさん。そして私に困ったような、そして縋るようにも見える目を向けて聞いてきた。


「クリス、この人とどういう関係?」


「え? お、お友達でしょうか? よくお世話になってるからお兄さんの方が的確かも知れません」


 それを聞くなりジト目でライトさんを見据える彼。しかしライトさんはその視線を完全にスルーして、ねずみを見たままこちらと目を合わせようとしない。


「試したのは俺の妹だ、俺じゃない」


 ぼそっと、どこか弁解のように聞こえるそれを聞いて、フォウさんは伏目がちに彼から視線を逸らした。見たくない、とそんな態度で。


「……そういう事にしておけばいいさ」


「その方が都合がいいだろう」


 そして二人で何やら話が完結してしまった。ただ、二人の雰囲気はあんまり良くない。


「あ、あの、分かるように説明を……」


 切り出した私に、ライトさんはねずみから視線を外して無表情を向け淡々と言う。


「精霊武器が折れた時、多分お前の体には行き場を失った精霊が流れ込んでいる。しかしそれは安定していない。だからお前の代わりをこうやって作って、精霊を移そうと考えたんだ。俺に精霊武器は造れないからな」


「ほ、ほえええええ」


 マッドサイエンティストの考える事は、本当に数歩先を行っていると思った。ぽかんと口を開けて、気の抜けた声を出してしまう。


「そうだな、丁度手伝いが出来そうな奴が増えた事だし、今やるか。レフトを呼んでこよう」


 すたすたと部屋を出て行ってしまうライトさん。部屋には私とフォウさん、そしてねずみが二匹。


「有無を言わさず手伝わされる事になっちゃいましたね……」


 フォウさん、手伝うだなんて言ってないのに。

 力なく笑いかけると、彼は少し不機嫌そうな顔で顔を背けてしまう。


「もう少し、人を警戒したほうがいいよ」


 そう私に忠告した彼の表情は、こちらからはもう見えなかった。

 その後しばらくしてレフトさんが部屋に入ってきて、もふーんと圧し掛かるように私を後ろから抱きしめてくる。何だか安心するなぁ、と抵抗せずにそれを受け入れていると、


「ちょっとおやすみして頂きますわ~」


 耳元で呟かれる一言。首にちくっとした感覚を感じたのを最後に、私の意識は途絶えた。




 目が覚めるとベッドの上。

 いきなり麻酔を打つだなんて、やる事が急過ぎる……確かに慣れ親しんだ相手でも多少警戒しておかないと、こうやってあっさりやられてしまうのかも知れない。フォウさんの忠告を即、実感した。


「起きたかご主人」


 耳元で小さく、本当に小さく声が聞こえる。

 何だろう、と聞こえた方に顔を向けるとそこには小さな少年の獣人が居た。手の平サイズのその獣人は、肌も短い髪も白く、熊かねずみのような丸い耳が頭から出ていて可愛らしい。


「あ……」


 これはきっとさっきのねずみだ、そう思った。それが人型になって私を主人と呼んでいる。それは、つまり、


「ニール?」


「そうだ」


 見た目も声も、全然違う。かつての自分の半身が、姿を変えてここに居た。


「おかえりなさい」


 にっこりと笑いかけて、彼の頬を指先でぐりぐりしてやる。小さな彼の体はたったそれだけでも大変なようで、その指の動きに翻弄されていた。


「やっ、やめてもらえないかっ」


「可愛いですね」


 このサイズは、反則だ。

 潰してしまわないように大事に彼を握って、頬擦りをして愛情表現をしていると、廊下でどたばたと走る音と叫び声が聞こえてくる。


『さっさと捕まえろ!』


『人遣いが荒い!?』


 様子は見えないが、ライトさんがフォウさんに命令している模様。既に上下関係が出来ているようだ。流石はライトさん。いや、フォウさんがちょっとそういうキャラなのかも知れない。


「廊下で何をやっているんでしょうねぇ」


 ニールを握ったまま呟くと、彼はげんなりとしながらも答えてくれる。


「多分、ダインが遊んでいるのだろう」


「!!」


 そうだ、あの時折れた精霊武器は二本。ダインも私の中に入っていた事になる。そしてねずみもちゃんと二匹用意されていた。

 騒がしく走る音がドアの前でぴたりと止まったかと思うと、急にドアのど真ん中に小さな穴があいて白い生き物が飛び出してくる。

 白くて小さい生き物はそのままベッドの下にすばしっこく走って隠れた。


『あのちっこいのまたドア蹴破ったんだけど!!』


『別に後で塞げばいい話だ、いいから捕まえんか』


『塞ぐの俺だよねぇ!?』


 そしてバタンと開くドア。

 入ってきたフォウさんと合う目。


「あ、クリス起きてる!」


「お、おはようございます……」


 しかしその瞬間、すぐに白い物体がベッドの下からちょろっと這い出て、またダインと思われる小さなねずみの獣人は走って部屋を出て行ってしまった。


「っと、待て!!」


 それを追って慌ただしく部屋を出て行くフォウさんと、すれ違いにライトさんが部屋に入ってくる。

 フォウさんにダインを追わせながら自分は手伝わないとか、酷すぎる人だ。

 彼は私を見てにやりと笑う。


「この通り、実験は成功だ」


「じ、実験って言っちゃいますか……」


 ライトさんの場合は私の為と言うよりは、やってみたかった、って言うのが正解かも知れない。


「ただまぁ、以前のように外側へ力を発する事は出来ないらしい。憑依しているのが武具ではなく生き物だからかも知れないな」


 ライトさんが少し補足してくれて、対して少し不満そうにニールが小さな体で小さく話す。


「そういう事だ。力は出せないが、特に周囲に害を与える事も無くなった。私達はただそこに居るだけの存在になっている」


 サイズのおかげか、その小さな声を聞き取るのは結構大変で、近くに居てやっとだった。

 元大男の首根っこをライトさんはひょいと親指と人差し指で摘み、そんな小さい小さいねずみの獣人になってしまったニールに話しかける。


「きちんと生きてみるのも悪くないだろう。お前達が無駄に斬り捨ててきた命というものを実感するがいいさ」


 それは、動物実験なんてしていも彼はやはり本質的には医者なのだ、と思わせる言葉だった。

 エリオットさんなどの患者に対してもそうだ。ライトさんは命というものを、彼なりの視点から重んじている。死ぬなとも殺すなとも言わないが、意味の無い死を嫌っているようで。

 ライトさんの言葉を聞きながらニールはじっと摘まれている。


「……そうだな、それもいい」


 彼の小さな呟きに、ライトさんは満足げに口端を上げた。

 そこへぜえぜえと息を荒げながら入ってくるフォウさん。手にはニールの今の姿とよく似た白いねずみの獣人。


「つ、捕まえたよ……」


「ご苦労」


 それを受け取ると二人まとめて右手に掴んで、去って行った。籠にでも容れられるのだろうか。あれじゃ本当にペットだ。


「クリス、具合はどう?」


「特に変わりありません。ありがとうございました」


 深々と礼。


「いいよ、その代わりにちゃんと街を案内してよね!」


 おおお、そういえばそんな話だった。すっかり忘れていた事は言わずに私は元気よく返事をする。


「えぇ、勿論!」


「……忘れてたでしょ」


 彼に隠し事は通用しない。あははと誤魔化すように笑うと、フォウさんも一緒にあははと笑ってくれた。




 それから一日置いて、ライトさんに外出許可を取った後、昼前くらいに私とフォウさんは街に出る。

 包帯でぐるぐる巻きの体の上に、久々に寝巻き以外の服を着た気がした。そもそも、外に出る事自体が二週間ぶりくらいだ。


「もうちょっと女の子っぽい服着てもいいと思うんだけどなぁ」


 フォウさんが私を上から下までじっくり見て言う。

 今日の私は白い襟から繋がるケープの下に、レイアードされた薄紺の上着と、膝丈の白いハーフパンツを履いている。脛くらいまでの長さのブーツは黒に近い紫。

 ピンクとかそういう色はエリオットさんに以前言われた事がショックで着なくなった。


「可愛い服は着る機会が無いと思うんで、持ってもいないんですよ」


「んー、残念」


 私はとりあえず昼食にしようと、お城の人達のオススメランキング私調べ一位のお店へ案内する。ちなみに入るのは初めてなので味の保障は無い。

 位置把握はしていても、街でこうやってお店に立ち寄るなんて滅多にしないからだ。


「エリオットさんの城内御付きのお姉さんとか、エリザさんの侍女のお姉さんにオススメされてたんで、一度来てみたかったんですよねー」


 明るい日差しの下のテラスで、のんびりとチョコバニラロールをちぎっては頬張る私。カフェシェケラートを合間に飲んでそのアマレットの香りをほんのり楽しんでいると、フォウさんが手元のバゲットサンドを半分にして私の皿に乗せてくれた。


「多分足りないでしょ、あげる」


 うぐぐ、まるで私が食いしん坊のようではないか。何でそんなににこにこしながら食べ物をくれるのだろう、何となく餌付けされている気分になる。


「だ、大丈夫ですよ! じゃあこっちもあげますから!」


 半分も残っていないけど、私は残りのロールパンをフォウさんのお皿に置いた。


「ありがとう」


 やっぱりにこにこして受け取る彼は、凄く大人っぽくて。むきになってしまった自分は、見た目だけでなく中身もそんなに成長出来ていないんだなぁ、と思ってしまう。


「どうしたらそんなに……大人になれるんですか? 何か随分変わった気がします」


「そう? 嫌な事も色々見えるから達観しちゃっただけかもよ」


 黒い上着の内側に着込んでいるムーングレーのベストと同じ色の長袖を巻くって、のんびり答える彼。


「……そうですか」


 それだけ聞いてバゲットサンドを無言で食べた。フォウさんはアイスカフェオレを飲み干してしまい、空になったグラスの氷をストローで突いて遊びながら話す。


「クリスは良い意味で変わってないね」


「変わってなくて悪かったですね! ……って、良い意味ですか?」


 変わってないという自覚している部分を指摘されて思わず声を張り上げたが、あ、これ褒められてる、とすぐに気付いて問い返した。


「そ、良い意味。クリスは相変わらず素直な色してる。下手に大人になって嫌な色になるより、ずっといいと思うよ俺は」


「ありがとうございます……」


 素直な色ってどんな色なのか分からないものの、真正面から褒められたものだから照れて赤面してしまった私を、微笑んで見つめる彼。その視線と目を合わせると更に恥ずかしいので、私は俯いてその顔を見る事を避ける。


「クリスはあれからずっとあの性悪王子様と一緒に居たの?」


「え、あぁ。そうですよ。色々ありましたけど」


「前に居た他の女の人達も?」


「!!」


 そのうち切り出そうと思っていた事を、先にフォウさんから聞かれてしまい、心構えをしていなかった私は歪めた顔を上げられずにそのまま俯き続けた。


「何か、あったんだね」


 向かいで、フォウさんがぼそりと言った。その表情は見えないが、きっと良い顔ではないだろう。


「私は、結局ルフィーナさんから目を離してしまったんです……」


 これは先日に続き、二度目の懺悔。あった事を少し掻い摘んで話し、最後に先日ルフィーナさんらしき人を見かけた事を伝える。


「まぁ元気そうだったならイイんじゃない。俺正直あの人死ぬと思ってたから」


「ええぇ!?」


 四年を経ての心中吐露に、私は彼の顔を見た。


「でも生きてるのに連絡も無しって事はまだ何かあるんだろうね。探してあげたほうがいいかも」


「私もそう思います……けれどエリオットさんはそれをする様子が無いんですよね」


「薄情な人だね」


 ぐっと手に力が入るのが分かった。

 そうだ、エリオットさんは姉さんの目的とやらに固執して、他の事があまり目に入っていないように思える。

 私だって姉さんのやりたかった事をやる、と言うのは嫌じゃない、むしろ望むところだ。けれど彼はその制限された期間のせいか、本当にそれしか見ていない。


「各街を訪問しても、エリオットさんは遺物集めに没頭するばかりであまり余裕が無さそうです。ルフィーナさんの事に限らず、行った街を楽しむ事すらしていないですから」


「じゃあ、いっぱい色んな街行ってるのにクリスはひたすら護衛!?」


「自由時間はありますけど、自分が自由の時は他が仕事をしていますので一人ではする事も無く結局寝てばかりでしたね」


「勿体無いなぁ」


 黒い襟の内側に金色のピンで留められた白いスカーフを少し緩ませながら、フォウさんはここからよく見えるお城の方を流し見た。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 モルガナの一件で城内は騒然としていた。

 残った証拠が何も無くてこちらから仕掛けられない分、状況は不利と言えるかも知れない。

 数だけならばこちらが勝っているが、あの大型竜を何匹も出されてはかなりのダメージを受ける事は避けられないのだ。いくらこちらに竜殺しを成し遂げた者が居ようとも、痛手を負って療養中。全ての竜を相手して貰うわけにもいかないし、他にきちんと打開策を考えねばならない。


 俺はクリスが療養している間、そんなのに追われて自分のやりたい事に手がつけられない状況だった。けれどそれもようやく落ち着いてきて、今はクラッサと共に機密書の保管されている書室へ入ったところである。

 室内の警報センサーを解除してから入らねばならない物々しい警備を敷かれているこの部屋は、小さい二つの部屋が壁とドアで区切られつつも繋がっていて、手前が主な城の機密書類。奥の部屋には、公にされていない遺物関連の書物が置かれていた。

 俺もこんな事になるまでは入った事も無いし、入ろうとも思わなかった部屋だ。


「素晴らしいですね、目移りしてしまいます」


「どうせ知ってる側の人間なんだ、どれを読んでもいいぞ」


 何故か女神の遺産関連の書物はこの機密書室に置かれていて、一般の人間にはその存在を明かされていない。実際俺もよく知らなかったしな。

 一体昔何があったのか分からないが、まぁローズみたいな美しい変化をする人間の存在を人々が知ったら、信仰してしまってもおかしくない。国としては存在自体が目障りなのだろうと自分の中で想像上の結論を出して、それ以上は深く考えなかった。

 基本的に集めた遺物は書物同様にここで保管する事と指定されていて、俺は勝手に部屋からちまちま持ち出していたが……それも面倒になって直接クラッサを部屋に入れる事を決断したのが今日の話。


「ここに遺物がある。鍵はこれだ」


 俺は予め部屋に来る前に持ってきた遺物を保管してある棚の鍵をクラッサに渡した。今日はクラッサに、どれがどこまで揃っているのか確認して貰う為に来て貰ったのである。あっさりと重要な鍵を渡されて、少し驚いた様子を見せる彼女。


「随分と信用してくださるのですね」


「機密ではあるけれど別に悪用出来るものでもないだろ? 単に俺にはコレの重要性が理解出来ないだけさ」


「そうでも無い物も沢山ありますよ、気をつけてください」


「お、おう……」


 短い黒髪を、それでも邪魔なのだろうか、耳にかけてから遺物の確認に入るクラッサ。テーブルの上に置いたそれらを一つずつ手に取って、無表情を少しだけ柔らかくする。

 手伝ってくれと言ったものの、もはや丸投げしている状態で俺は窓際に立って彼女を見ていた。部屋に一人で居させるわけにはいかないのでとりあえず俺が付き添っている、それだけの役目。


「この部屋は……多分誰も来ませんよね」


 遺物に目を向けたまま、ぼそっと呟く彼女。


「そうだな、きちんと手順を踏まないと普通は入れないし、入ったらただじゃ済まないと思う」


 それを聞くと同時に、彼女がふっと笑ったような気がした。


「?」


 遺物に目を通すのを止めて、彼女はゆっくりと席を立つ。こちらに近づいてきた彼女の意図が分からず、俺はただ彼女の動きを見ているだけ。


「ここならレイア准将に見つかる心配も無い、そうですね」


「ん、そうだろうけ……ど」


 俺の返事を聞く前に、そのまま静かに寄り添うような仕草でクラッサは俺の胸に左耳を押し付けた。


「すぐに心音が早くなりましたよ、王子」


「お、お医者さんごっこか?」


 ドキドキしてしまうのはどう頑張っても我慢しようが無い。それでも平静を保とうと冗談を飛ばす俺に、彼女は表情を変えずに答える。


「それも悪くないですね」


 そして手早く俺の上着の革紐を解いて、彼女は裾からその中に手を入れて肌を撫でた。くすぐったさが気持ちよくて少しだけぴくりと反応してしまうが、俺も流石にそのまま流されるほど馬鹿では無い。


「……何を企んでいる」


 真面目なクラッサが目的も無くこんな事をするわけがあるか。


「小一時間ほど私に夢中になって頂けたら、と思っております」


「な、何だそりゃ……」


 全く意味が分からない。どうとでも取れるその言葉にぐるぐると頭が回った。

 絶対何かある、あるんだ。だからこの誘惑に負けちゃいけない、そうだろ俺!!

 なのにこの手は抵抗する素振りを微塵も見せずに、彼女の両肩に添えられた。おかしい。俺の意志とは別に手が勝手に動いているんだ、そうなんだ。


「まだ信じられない、と言ったお顔ですね」


 自分の肩に置かれている俺の手に、そっと彼女は自分の手を重ねて言う。その頬と耳は、ずっと俺の胸に押し付けられたまま。


「そりゃそうだろうが。こんなの君のキャラじゃない」


「それは困りました。どう言えば信じてくださるのでしょうか……」


 俺に余裕が無い事を分かっているのだろう、あまり困っているとは思えない飄々とした口調で呟くクラッサ。重ねた手をそっと撫でる事を繰り返しながら、何やら考えているようだった。


「ではこれならどうでしょう。城内の女に安易に手を出すな、と言われている王子をこうやってからかってみたくなった……と」


「それは君ならありそうだけど……」


 だとしたら酷いぞ。

 俺は華奢な肩に置いていた手を下に下げ、彼女の黒いシャツを捲り上げてその隙間についつい手を突っ込んでしまう。そこにあるくびれをなぞるように撫でてから、そのまま手の甲で胸の弾力を確認した。大きくなく小さくなくのそれは、サイズが合わないのかそれとも敢えて締め付けているのか定かではないが、下着の中で窮屈そうにしている。

 これは不可抗力だ。俺は悪くない。というか俺だってされているんだからおあいこなんだ。


「着たままがお好みですか?」


 抵抗もせず、俺の心音を心地良さそうに聞き入っている彼女。

 一体何が目的なんだ。彼女がこれをして得られるメリットを考えるんだ俺。少なくとも金や地位に執着するようなタイプでは無いので、それ以外。なるべく早く考え……ようにも全く思考が定まらなかった。

 この、何か罠がありそうな雰囲気が堪らない。引っ掛かりたくなってしまう。


「……着たままでしよう」


 理性は容易く砕けてくれた。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 私とフォウさんは食事を終えた後、フォウさんが好きらしい骨董品や術具を扱っているお店をハシゴして回ってから、劇場でお芝居を観て楽しんだところである。


「はー! 面白いものですね!!」


 私は初めて観るお芝居に、本当に心を奪われた。何なのだあれは。人が演技しているだけだと言うのに、魅入ってしまう。ドキドキが未だに収まらない。


「目、きらきらさせながら観てたねクリス」


「きらきらもしますよ! 口も開きますよ!!」


 冷めぬ興奮にまた昂ぶって声を上げる私を見つめるフォウさん。ううう、そんな目で見られると逆に恥ずかしい、一人ではしゃいで子供みたいだ。

 恥ずかしさで少し落ち着いてきたところに彼は


「ね、王子様に少し話があるんだけど、会えるのかな」


 と尋ねてくる。


「えぇ、大丈夫だと思いますよ」


 久々に会ったのだから、エリオットさんにも挨拶したいのだろう。全く知らない人を連れていっても受け付けて貰えないかも知れないが、彼は元々エリオットさんと面識があるのだ、多分平気なはずである。

 太陽が下がり始めたばかりの頃、私はフォウさんを連れてお城へ向かった。




「王子なら多分いつもの機密書室に篭もっているだろうよ」


 門番さんに声を掛けてしばらくしてから出てきてくれたのはレイアさんだった。忙しいだろうに、私の事となると出来る限り直接来てくれる彼女の優しさにはいつも頭が下がる。


「機密書室、ですか?」


 何か入っちゃいけない感じの部屋だなぁ。

 場所が分からないのでそのまま城内を案内されながら、私とフォウさんは彼女に着いていく。


「あぁ、王子の取り扱っている遺物はそこに保管されているからね。大抵一人でそこに篭もっているんだよ」


「ははー、大変ですねぇ」


「ただまぁ、そこに篭もられると私も安易に出入り出来ないから、仕事をしているのかさぼっているのか判断がつかないんだが」


 そう言って溜め息。

 私とフォウさんはお互いの顔を見合わせながら、こっそり笑った。

 どうせさぼってるよね、とそんな事をお互いに思っているのが分かる、そんな顔だったから。

 広い城内を結構長いこと歩いていたと思う。北東の端の塔の最上階が機密書室だった。長い階段を上って行って、着いた先には何かをはめ込んで認証するタイプの装置が付いた分厚そうなドア。


「ロックが解除されているから、中にいるのは間違いないと思う」


 そう言ってノックをするレイアさん。


「王子、居るのでしょう! 客人ですよ!!」


 彼女がドア越しに呼びかけているのをぼーっと見ながら、エリオットさんが出てくるのを待った。


「…………」


「…………」


 出てこない。


「居眠りでもしてるとか。前みたいに」


 フォウさんがぼそっと呟く。


「記憶が確かなら、前は居眠りではなく気絶、だった気がしますけど」


 彼の言葉を訂正しつつ、もうしばらく待っているとドア越しに人の気配がした。


『レイアか?』


「えぇ、王子。クリスとそのお友達が来てますよ。公務はほとんど終わっているはずです、さぼっていないで出てきたらどうですか」


 あ、さり気なくさぼってるって断定して会話している。

 またフォウさんと顔を見合わせて、笑いを堪える私。世間での評判は一時期上昇したものの、レイアさんから見れば手の焼く人に違いない。


『あー……分かった。後で行くから俺の部屋に案内しておいてくれ』


 エリオットさんの部屋の位置なら多分分かる。それを聞いて私は先に上ってきた階段を数段降りたが、レイアさんはと言うとドアの前で突っ立ったまま渋い顔をしていた。


「……王子、中には入りません。開けてください」


 眉間に皺を寄せ、ドアの向こうに居るであろうエリオットさんをその琥珀の瞳で透かし睨むような鋭い目つき。どうしてあんな顔をしているんだろう、と首を傾げるとフォウさんが私にこっそり耳打ちしてくれた。


「あのお姉さん、王子様に疑心を抱いているっぽい」


「なるほど」


 レイアさんの第六感みたいな何かが働いたのだろうか。それともエリオットさんの声から僅かな違和感を感じたとか。私には比較的普通に聞こえたし、内容も疑うものではなかったと思うけれど……

 フォウさんと二人でしばらく、レイアさんとエリオットさんのやり取りを見る事にする。


『ど、どうしたんだ? 俺の顔がそんなに見たいのか照れるじゃないか』


「えぇ、今とっても見たい気分なんですよ、開けてください」


 何なんだ、この滑稽な会話は。必死に口を押さえて笑いを堪える私達。さっきと違って、もう吹き出しそう。フォウさんなんてもう涙目になって俯いていた。


『後でいくらでも見せてやるからちょっと待っててくれよ、実は寝癖が酷いんだ』


「ほう、やはりさぼっていた、と。その髪の長さで寝癖がつくだなんて、どんな寝方をしていたんでしょう、ね!!」


 そしてドアノブをがちゃりと回して、思いっきり蹴って押すレイアさん。

 バンッ!! と何かにぶつかった音と、ゆらゆら不安定な位置に止まるドア。そこにはエリオットさんが仰向けに倒れている。

 こっそり横から覗いたけれど、特に異常は無い。少し狭い部屋には本棚がいっぱいで、更にその奥に扉が見えた。


「気のせい、か……」


 特にエリオットさんに変な様子は無い。確かに普段後頭部で結っている髪は解けているので、本当に居眠りをしていたのだろう。機密書室で。

 レイアさんは少しまだ何か引っかかっているような顔をしていたが、それ以上突っ込まずにエリオットさんを無視して階段を下りようとした。いいのだろうか、それで。

 と、私の隣に居たフォウさんが、エリオットさんを見ながらすんごい変な顔をしていた。


「ど、どうしたんです?」


 フォウさんの表情に思わず突っ込まずには居られない。折角の綺麗な顔が、随分と歪んでいる。私の問いかけにレイアさんも立ち止まった。

 フォウさんはドアの境界の前で長い足を開脚しつつ中腰になり、エリオットさんに冷たい視線を浴びせながら言う。


「王子様、服に白い汚れがついてますよー」


「え!?」


「嘘だよー」


 慌てて起き上がったエリオットさんと、しゃがんで見ていたフォウさんの目が合う。


「て、てめぇ……」


「物証が無くても、事後は色がそういうものに変わるからバレバレ。昼間っから何してるの王子様」


 あの優しい顔はどこへ行ったのか、フォウさんがまるでタチの悪い不良みたいに人を馬鹿にした表情で静かに彼を見下ろしていた。

 そして私は肩をぽんっと叩かれたので何事か、と後ろを振り向くと……鬼のような形相のレイアさん。


「ふ、二人ともどうしたんです、か……」


 責められている張本人ならば冷や汗ものであるレイアさんの様子に、張本人でも無い私ですら思わず後ろへ下がる。フォウさんは呆れ顔をしつつ、レイアさんに書室の入り口をスッと譲った。

 レイアさんは書室には入らずその入り口手前から、中で尻餅をついているエリオットさんを見下ろして言う。


「今度はどの娘を?」


 氷のような視線を一身に浴びつつ、エリオットさんはその問いの返答を渋っていた。


「まぁ、名前も知らん子だよ……」


「では特徴を。言ってくだされば大体分かります」


「あー……」


 一生懸命相手の容姿を思い出しているのだろうか、片手で頭をがしがし掻いて言葉に詰まる彼。

 とりあえずエリオットさんが何かやらかして怒られている、というのは把握出来ているのだが、一体何をしたらここまでの剣幕で問いただされると言うのだろう。


「……エリオットさん、何をしたんです?」


 不思議に思ってフォウさんにこっそり聞くと、彼は溜め息まじりに答えてくれた。


「ここで女性と逢引、かな」


「逢引!」


 なるほど、それであんなに怒られているのか。本当に好色な人だな、と至極客観的な視点で一人思う。フォウさんと同じ呆れ顔になった私は、怒るレイアさんを止める事などするわけもなく傍観者となった。


「仰ってくださらないと後の対応が出来ません。身篭らないように毎度投薬を促す身にもなって頂けませんか」


「あぁ……ははは……」


 小さく乾いた笑いだけが響く。どうしてだろう、エリオットさんはその相手の特徴を言いたくないかのように誤魔化し続けていた。何でだろうなと考えつつ、私の頭にようやくきちんと彼等の会話がしっかりと把握出来るくらいに届く。

 あれ、今『身篭る』とかいう言葉が入っていなかっただろうか?


「…………」


 ま、まさかまさかまさか。

 そういう事にはとても疎い私だけど、身篭る事がどうやったら出来るのかくらいは知識として知っていた。


「エエエエリオットさん、まさか婚姻もしていない相手とせせ、性交渉を!?」


 有り得ない!! それはレイアさんだって怒る!!

 思わず彼らの会話に口を挟んでしまい、三人の視線が私に集中した。その視線が痛くて自分で言った後に肩を竦めてしまうが、それでも私はエリオットさんから視線は外さなかった。

 彼はぽかんとした表情で私を見つめ、言う。


「今更そこを突っ込まれるとは思ってなかったんだけど……」


「いや、だって、あ、あの!」


 動揺し過ぎて何を言ったらいいのか分からない。

 っていうか!


「じゃ、じゃあまさか姉さんにもそこまでしたと!?」


 私の悲痛にも似た叫びに、何故か呆気に取られる一同。

 うろたえた私は、とりあえず隣に居たフォウさんの二の腕をグッと掴んで気持ちを落ち着かせようとした。小さく『痛い』と悲鳴が聞こえたような気がしたけれどそれどころでは無かったので、その言葉は華麗に流される事となる。


「ここは、してないと言ってやったほうがいいのか?」


「わあああああ!! したんですか!? したんですね!! 最ッ低です!!」


「お前な、普段散々俺をエロ男扱いしておいて、むしろソレをしてないと思ってる方がおかしくない!?」


 エリオットさんが私の疑問に何やら異論をぶつけてくるが、


「私にとってそこは絶対的に有り得ない事なんですよ!! 貴方がどれだけ女性の胸が好きでも、そっ、そこまでしているだなんて想定外なんです!! って言うか婚前交渉だなんて、ね、姉さんが穢れて……」


 がくっ、と床に両手を突いて項垂れる私。

 そうなるくらい、衝撃的な事だったのだから。

 結婚もしていない姉さんが既に処女を喪失していただなんて、親族として、この男に出会わせた事を悔やんでも悔やみきれない。


「いや、あいつ俺が初めてじゃねーし……」


「わー!! 聞きたくないー!!」


 両耳を手で押さえて首をぶんぶん振り、彼の言葉の続きを聞くのを体全体で拒否した。

 レイアさんも私の様子に少し驚いていたようだったが、エリオットさんに向き直って再度彼への責めを開始する。


「……クリスの価値観は素晴らしいと思います。王子も少しは見習ったらどうです? きちんとお相手を見つけて跡継ぎを作ると言えば文句を言われないのですから」


「この流れからそう来るか……」


 彼女の指摘に、最低男が頭を抱えた。彼のその長い髪は、彼の気持ちを表すかのように床に力なく舞っていて、鬱陶しくて踏ん付けてやりたくなる。


「さ、だんまりもこのくらいにしておいて、早く教えてください」


 レイアさんがにっこりとエリオットさんに笑いかけた。いや、補足しておく。その笑顔はとても怖い。

 それでも口を閉ざしたままのエリオットさん。しばし無言の対峙が続くが、その空気に一人の女性が割って入ってくる。

 エリオットさんよりも奥に見えるもう一つのドアが、ギィ、と静かな音を立てて開いた。その音にビクリと体を震わせて、彼は慌てて後ろに振り向く。


「ちょ、何で出て……」


 エリオットさんの言葉を遮るように、本棚で埋め尽くされた部屋の更に向こうから現れたのは、短い黒髪の女性だった。

 身長はレイアさんより少し高いくらいで、黒いワイシャツに白いパンツルックのスレンダーな体型。少なくとも私の知らない人である。

 涼しげな目元が何となくルフィーナさんを思い出させるが、ルフィーナさんよりはもう少しつり目で黒い瞳。

 彼女はエリオットさんを見て静かに首を横に振った。諦めろ、と言うように。


「クラッサ……何で?」


 当然と言えば当然だが、レイアさんはこの女性を知っているらしい。ただ、その台詞からすると予想外の人物だったようで、その表情と声は驚愕の色を隠せていなかった。


「戯れに過ぎません、ご安心ください」


 淡々と話す、クラッサと呼ばれた女性。

 エリオットさんは罰が悪そうにその光景から目を背けている。

 と、


「――――もう我慢の限界だッッ!!!!!」


 天に向かって叫ぶ、黒い名残羽の鳥人。そして書室に勢いよく右足を踏み入れた。

 入ってはいけないはずのその部屋へそのまま体も入れて、彼女はあれから尻餅を着いたまま立ち上がっていないエリオットさんの襟首を左手でぐいっと掴んで無理やり立ち上がらせる。


「れ、レイア?」


 両手の平を向けて上げて、降参のポーズ。そんな怯える彼に一喝。


「歯ぁ食い縛れッッ!!!!!」


 エリオットさんの左頬に、彼女の右ストレートがゴキッと鈍い音を立ててめり込んだ。軍人であり、准将という地位の彼女が、その国の王子を殴った大変爽快な瞬間。

 私もフォウさんも、そしてクラッサと言うらしい女性も、見たものを信じられずに開いた口が塞がらなかった。


「そりゃ言えないわけだ、私の部下に手を出したなんて言ったら普段以上に怒られる、そう思ったんだろう馬鹿男!!」


「うう……す、すまな……」


「悪いと思うなら最初からやるな!!」


 謝ろうとする彼に間髪入れず、腹に膝蹴りをお見舞いする。アクション映画さながらに、彼女の茶色いポニーテールの揺れがスローモーションで見えた。腹部を押さえて呻く王子に、そのまま右肘で後頭部にエルボー。

 スリーコンボ。彼はずるりと床に倒れこんだ。


「じゅ、准将……」


 流石の事態に、無表情だった黒髪の女性もたじろいでいる。しかしその声掛けにレイアさんは答える事無く、また天井に向かって叫ぶ。


「手順を踏まずに機密書室へ侵入及び王族への暴行!! 罪にでも何でも問え!! 私は逃げん!!」


 ……半ば自棄になっているように私には見えた。叫ぶだけ叫ぶと彼女は俯きながらツカツカと書室を出てきて、そのまま階段を下りて行ってしまう。

 呆然とそれを見送る私達だったが、エリオットさんがゆっくりと顔だけ上げて私に言った。


「早く、止めろ……っ」


「え?」


「あぁもう!! レイアを止めろって言ってんだよ! このまま辞めかねないだろ!!」


「そ、そうですね!」


 力を振り絞って叫び命令するエリオットさん。そんな命令のされ方は癪だけど、そこを気にしている場合では無い。

 慌てて長い回り階段を走り下りていく。レイアさんは早歩きではあったが走ってはいなかった為、すぐに彼女の背中が見えた。


「レイアさん! 待ってください!」


 斜め下の彼女に階段上から飛び掴む。


「放してくれないか! けじめくらい付けさせてくれ!!」


 私の腕の中でもがくレイアさんだったが、私の方がずっと力が強いのでこの拘束が振りほどける事は無い。


「大丈夫ですよ、エリオットさんは怒っていませんって!!」


「そういう問題じゃ無いんだ!!」


 そう言って叫ぶ彼女は……


「れ、レイアさん?」


 泣いていた。

 もう抵抗もせず、レイアさんは私に後ろから掴まれたまま涙を流す。初めて見る彼女の涙に、私はただ無言でそれを見つめるしか出来なかった。

 腕の中の彼女はとても静かで、顔さえ見なければ泣いているかどうかなんて気付けそうにない。

 どうしてレイアさんが泣いているのか、何となく分かるようで……何となく分からなかった。だから、何も言えなくて。

 捕まえていた腕の力を緩め、しばらく彼女をそっと抱きしめる形を取り、私達は階段にどちらからともなく座り込む。


「……嘘を吐き続けるのは辛いな」


「嘘?」


 レイアさんの小さな小さな呟きは、独りごちるように響いた。何が嘘なのか分からなくて私が復唱して問うと、短い一言が返ってくる。


「あぁ、気持ちに、ね」


 レイアさんがエリオットさんを好きな事は、以前の一言多い事件によって私は知っている。


「それは、気持ちを彼に隠しているのが辛いって意味ですか?」


 私の言葉に彼女は小さく首を横に振った。


「ちょっと違う、かな。あの人は気付いているだろうから」


「えっ」


 気付いている、って言うのはレイアさんの想いの事を言っていると思う……多分。いまいち確証が持てないのは私がそういう面に疎いからで。

 塔を下から上へ吹き上げる微弱な風に涙の痕を乾かさせながら、彼女の唇は次の言葉を紡ぐ。


「王子が城内の娘達に勝手に手を出すのは確かに色々不都合があるんだけれど、別に私にとってはそんな事はどうでもいいのさ」


「…………」


 あぁ、そうか。


「嫉妬による怒りをそれと言わず、他の理由に託けて叱咤する自分が嫌なのだよ」


 彼女は、自分の行動理由に嘘を吐いているのが辛かったんだ。多分日常茶飯事と思われる先程の出来事に、建前を上塗りする事が。


「それに今回は私に近しい者に手を出されて、正直メイド達に手を出されるよりも堪えたんだ」


「先程の女性は部下だと仰ってましたね」


「あぁ。彼の好みのタイプだとは思っていたが、彼女の性格上間違いが起こると思えなくて警戒していなかった」


「ああいうタイプがエリオットさんの好みなんです?」


 姉さんとは随分見た目が違うと思うけれど……


「あくまで過去の例でしかないが、彼は芯が強そうで色気もきちんとあって出る所が出ている女性によくちょっかいを出すね」


「ぐはぁ」


 そんな人物像が出来上がるほどちょっかいを出しているのか。一体どれほどの数により統計されているのか、気になるけど聞きたくない。

 うーん、レイアさんも芯は強そうだし胸も結構大きいけれど、その項目の中でなら色気が無い。格好よくて美人さんだけど、女性っぽい表情や仕草は彼女には感じられなかった。


「もう疲れたんだ。近くに居るくらいなら牢にでもぶち込まれたほうが幾分もマシと言うものだよ……」


 彼女の泣き言に私は、思った事をそのまま言ってやる。


「逃げないって言ったのに、逃げるんですか?」


 レイアさんはただ押し黙る。

 これ以上辛い思いをする必要は無いかも知れない。けれど、初めて会ったあの時……あんなに素敵な人に見えた彼女がそんな風に弱音を吐くのを私は受け止められなかったのだ。彼女に強くあってほしいと勝手な事を思ってしまったから。

 するとそこに上から足音が聞こえた。随分硬い足音で、それが多分高めのヒールによるものだと分かる。上を振り向くと先程の黒髪の女性がゆっくり階段を下りて来ていた。

 レイアさんは彼女に泣き顔を見られまいとするように壁側を向く。部下の女性はそれを一瞥すらする事無くそのまま通り過ぎながら言った。


「今回は私から誘いました。しかし特別な感情はありません。薬も飲んでおきます」


 最初に奥の部屋から出てきた時と同じように淡々と話して、ピタリと少しこちらよりも低い位置で止まると、


「……出来るなら、貴女だけには知られずに済ませたかった。申し訳ございません」


 最後にそれだけ言って彼女は去っていく。意図は不明だが、何やら理由があったように思える今回の出来事。

 不思議な雰囲気の人だなぁ、とその背中を見送って……もしかしてこんな事態になったのは私達がこんなタイミングで訪ねて来ちゃったせい? と申し訳ない気持ちになる私。


 そして……


 レイアさんを見ながら私は自分の気持ちがまだ恋と呼ぶには早すぎるものだと自覚した。

 だって私は、そういう行為をするエリオットさんを恥知らずだと軽蔑はすれど、レイアさんのように嫉妬などしていないのだから。

 恋だの愛だのを面倒臭いと言えるほど、まだそれらを何も分かっちゃいなかった。


【第二部第三章 嫉妬 ~堅くして陰府にひとし~ 完】

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