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第二部
16/53

introduzione ~相変わらずな彼の視点~

「……っは、ぁ」


 がばっと体を起こして、目を覚ました。起き抜けと同時に全身から噴き出す汗。通常よりずっと早く鳴る鼓動に思わず胸を押さえて、それが整うのをしばらく待つ。


「ふぅ」


 額に張り付いた前髪を右手で掻き揚げると、隣で女の声がした。


「随分とうなされておりましたが、悪い夢でも見たのでしょうか?」


 俺がシーツを引っ張ってしまって肌蹴てしまった胸元を隠す事無く、枕に頭を乗せたままその金色の瞳をこちらに向ける彼女。

 俺は、この子誰だっけ、と思いつつもとりあえずその問いに返答した。


「よく覚えてないけど、いいもんじゃなかったかな」


 嘘。全部きっちり覚えている。

 今日の夢はジャイアントとクドゥクの戦争の一部始終だった。あの大きくて豪腕な種族がどうしてクドゥクなんて小柄な種族に負けたのか、無駄に夢で勉強した気分になる。まぁ、見た夢が真実なのであれば、だが。

 ただその夢は、結末以外は俺の知識には無いもので、且つ細部までリアルな映像として俺の頭に焼き付いて消えやしない。ジャイアントの千切られた肉片のえぐい色まで鮮明に覚えているのだ。


「そうですか」


 そう言って彼女は赤い髪を片側だけ耳に掛けて上半身を起こすと、俺の汗ばんだ頬を優しく撫でるように手で拭う。


「…………」


 彼女に顔を、首を、触らせながら俺は昨晩の事を思い起こそうとしているが、やっぱり全く記憶に無い。今居るのは城の自室の、自分のベッド。隣の女性をよく観察する事で俺は記憶を必死に辿った。

 少し釣り目の金の瞳に、胸より少し上まで伸ばした赤い髪、大人の女性らしさが伝わってくる落ち着きのある雰囲気と、芯が強そうで男勝りな表情。

 どストライクとまではいかないが、うん、俺の好みのタイプ。多分城内のメイドさんか何かをとっ捕まえて連れ込んだに違いない。

 彼女は俺の視線に気が付くと少し顔を赤らめてから切り出した。


「もうご支度なさいますか? 着る物を用意致します」


 ベッドから足を下ろし、まずは自分の身支度を整えてから用意をし始める彼女。その手際の良さから、やはりメイドだな、と俺は確信した。

 予めそういう役割と決まっている女性ならまだしも、そうではない女性に俺が勝手にこういう事をしてしまうと若干ではあるが問題がある。どうしようバレたらレイアあたりに怒られる。

 そう思ったらだんだん落ち着かなくなってきた。


「俺多分一晩中うるさかっただろ? 君はなかなか寝付けなかったんじゃないのか?」


 黙っている事に耐えられなくなって声を掛けると、彼女はその手を休めてこちらに笑顔を向ける。


「お気遣いどうもありがとうございます、呻く王子を一晩見るのもなかなか良いものでした」


 ははは、そのサディスティックなところもなかなか俺の好みでいらっしゃる。昨晩の記憶が全く無いのが本当に残念でならないよ。


「他の誰かにうるさいとでも咎められましたか?」


「まぁね」


 悪戯っぽく他の女の影を探る彼女に、一言だけ肯定の返事をした。ただまぁ彼女の勘繰っているようなお相手ではなく、小煩い弟のような奴に、だが。

 せっせと俺を着付けてから、次に彼女は俺の髪を部屋にあった白い櫛で梳かし始める。今の俺の髪は、少なくともこのメイドよりは長かった。腰より少し上まで伸びている後ろ髪は、元々若干曲のある毛質だが長いおかげであまりうねっていない。え? 前髪は相変わらずハネているよ、ほっとけ。

 そして彼女は優しく俺の髪を結わえると、最後に首元や顔を綺麗に拭いてくれた。


「では勤めに戻らせて頂きます」


 多分昨晩何もしていないわけが無いだろうに、毅然とした態度で彼女は部屋を出て行った。いや、もしかして俺は酔って連れ込んでおきながら、何もせずに寝てしまったのかも知れない。

 聞くに聞けなかった以上、事実は分からなかった。


「はぁ……」


 二度寝したいところだが、やる事があるのでそういうわけにもいかない。

 俺は今、月に一回の定例報告をしに城へ戻ってきている。半月かけて訪問した地の調査内容及び見解等、分厚い書類にまとめて提出せねばならないのだ。

 そしてその後、こっちが俺にとっての本題。同じくその地で集めた女神の遺産と呼ばれる多数の遺物を、過去のデータと照らし合わせてどれがどれだか調べる……いっちばん時間の掛かる面倒な作業なのに、他人に任せるわけにもいかず俺が一人でやっている事。

 自分でやる身支度と食事を済ませてから、俺は欠伸をしつつ報告書類のダメ出しを貰いに行く。

 聞く前からダメ出しされると分かっているのは、今まで一度たりとも一発OKになった事が無いからだ。レイアの書類添削は本当に鬼である。どこかで紛争でも起きてアイツを戦闘要員として駆り出してくれないものか……

 まだ少し朝は早く、もう居るのかなぁと思いながら執務室に行くと、そこにはレイアでは無い別の人物が居た。


「おはようございます、王子」


 鋭い目元と漆黒の髪に瞳。短くも自然な流れで切られたショートカットは彼女にとても良く似合っていて、普通サイズのその胸はシングルのウエストコートと黒いレギュラーカラーのシャツにさり気ない曲線を作っていた。体のラインを出しつつも品良く着こなしたその下には、太ももにぴったりと合った白いトラウザーズ。これがまた格好いい。

 彼女はレイア直属の部下なのだが、今や二人はツートップとしてメイド達の憧れの的である。


「流石に早いなクラッサは」


「レイア准将がいらっしゃる前に準備をしなくてはいけませんから」


 俺に失礼が無いようにだろう、手をきちんと止めてこちらに体を向けながらも淡々と話す彼女。


「そっか。まだ報告書は返ってきて無いのか?」


「はい、申し訳ございません」


 うーん、微妙に時間が空いてしまうな。

 少し頬を掻いて考える。仕方ない、先に今回の訪問先で得た遺物の照合をしてしまおう。


「分かった、ありがとさん」


 準備をしている最中の彼女の時間を割いてもいけない。さっさとこの場を立ち去ろうと俺は手をあげて立ち去ろうとした。


「あ」


 そこへクラッサが短く声をあげる。


「ん、どうした?」


「書類が戻り次第お持ち致しますので、行き先をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「あぁ、じゃあ自分の部屋に居る。よろしく頼む」


 本当は機密書の保管された書室に篭もる予定だったが、書類を持ってきてくれるのなら彼女が来られるように少しだけ本を持ってきて自室で作業する事にしよう。本当は持ち出し禁止なんだけど、誰もそんな事を気にしたりなんかしない。

 軽く挨拶だけしてその場を後にし、俺は書室から何冊か本を持ってきて自室で遺物と睨めっこ。

 遺物照合の何が一番しんどいって、古代文字の翻訳がキツイのなんの。どうにかコレはコレかな? とあたりをつける事が出来ても、その後にコレ結局何なんだ? とまたその続きを翻訳しなくてはいけない。こんな手書きの古い本に翻訳書があるわけもなく、城での教育の範疇に無かったその慣れない字に俺は毎回手間取っていた。


「あー、休憩しよ」


 椅子の背もたれに寄りかかって顔を天井へ向け、口を開けてだらだらする。

 そんな気を抜きまくった瞬間に、部屋にノックの音が響いた。少しビクッとしつつ、俺は返事をする。


「はいはーい」


「失礼致します」


 それは予想通り、添削書類を持ってきたクラッサだった。


「書類をお持ち致しました。今のうちに目を通した方が賢明かと思われますよ。後ほどレイア准将が直接指摘されるそうです」


「そ、そうか」


 まーたくどくど言われるのかと思うと、今から気が重い。折角胸も大きいし美人なのに、あの性格だけはどうにかならないものか。

 俺の表情を見てクラッサは少しだけその無表情を涼しげな笑みに変えて言う。


「お察し致します」


「ありがと……」


「それと、レイア准将が来られる前にスカーフか何かを首に巻く事をお勧め致します」


 俺は彼女の言葉の意図が一瞬理解できず、その先の説明を求めるように首を傾げ、それを受けてクラッサが付け加えた。


「昨晩の情事の痕跡と思われる痣がございますよ」


 ちょんちょん、と彼女は自分の首の左側を人差し指でつついて俺に指し示す。

 やっぱり一瞬理解出来ず、でも一秒後には頭が働いてきて、理解したと同時にさぁっと血の気が引くのが自分でも分かった。

 あのメイド、やってくれる。気を遣って痣を隠す服を着付けさせるのではなく、敢えてそれが見える服を選びやがったな……!

 もしクラッサが指摘してくれなかったら、と思うとそれだけで色んな物が縮み上がりそうである。彼女の勇気ある突っ込みに感謝しなくてはいけない。


「本当に助かった、適当に巻くよ」


「お役に立てて何よりです」


 フッ、と目を細める彼女を見ながら、うーんそういう表情されると堪らんなぁ、なんて全く懲りていない浮ついた事を思った。

 そこから添削された書類に目を通す事しばらくして、またノックの音がする。

 今度こそレイアだろうな、と腹を括って返事をするとこれまた予想通りレイアだった。

 最近の国内は争いも無く穏やかで、彼女はその武術の腕を揮う事なく城内にて書類整理を務めている。それでも、その天性のカリスマ性とそれに伴う実力が、彼女に出世の道を軽快に歩ませていた。

 レイアは相変わらず綺麗にまとめられたポニーテールを靡かせながら、俺の座っている机の目の前までやってくると、背表紙の厚さ二センチ程度のハードカバーの本を沢山机の上に並べる。


「これは……?」


 いつもの提出書類絡みの物では無い。


「お見合い写真です。王子に強く言える人が少ないので、こんな物まで私が持ってくる事になっているのですよ」


「そりゃどうも」


 それだけ言って、俺は並べられたお見合い写真を丁寧に一冊ずつ右手に重ねて束ね、席を立つ。そしてそれをゴミ箱へぽいっと……しようとした手をレイアががっちりと止めた。


「せめて中を見るなりして頂きたいのですがね、お、う、じ!!」


 力任せにお見合い写真を取り上げると、彼女はまたそれを机の上に並べる。


「仕方ねーなぁ」


 体裁だけは繕ってやるか、と俺は一冊ずつ流し見ていった。

 大体、令嬢なんてのは本っ当に俺の好みの女が少ないんだ。大抵が若いうちに嫁ぐから、どれもガキみたいな女ばかり。世間は若い女を持て囃すかも知れないが、俺は心身共に成熟したお姉様が好きなの。あ、別に年上じゃなくてもいいんだぜ、そういう雰囲気があるなら年下でも問題無い。

 と、何冊か開いたところで写真がむさくるしく……


「おい、これ男じゃねーのか」


 何で俺が男とお見合いしなきゃならんのだ。どうせ間違えて混ざったのだろう。呆れ顔でレイアに突き返すと彼女は何故かそれを押し戻す。


「そちらもご覧になってください」


「意味わかんねえ!」


「王子ではなくクリス宛の縁談ですよ。あの子は身寄りが無いので少々王子の名前を借りて取り付けましたがね」


 な、何て言ったコイツ?

 突然の事に開いた口が塞がらない俺に、彼女は続けた。


「クリスは先日成人したはずでしょう。一応それを見計らって以前から話を進めていました。良い噂を聞かない者は既に除外してありますので安心してください」


 ……そういや先の訪問先で『今日で十六になりましたー!』とか騒いでた気がしなくもない。どうでもいいから適当におめでとうとだけ言って、それ以後はスルーした記憶が蘇ってくる。

 ほっとんど成長の兆しが見られないアイツだけど、一応成人したんだな。縁談なんて言う話が浮上してきたおかげで改めて俺は事実を再確認した。


「しかし、何でそんな事までしてくれてるんだ?」


「いつまでも王子に保護者で居られては困る、という事です」


 淡々と話されるその言葉に、俺はグッと押し黙る。

 ローズの遺言を遂行するのにこの四年間、俺の王子としての立場は便利なものだった。だが、しがらみもこの通り多いってワケだ。

 今に始まった事じゃないが不愉快な気分になり、自然と出てしまった舌打ちを誤魔化すように、俺は顔をレイアから背ける。

 彼女は深く溜め息を吐いて、聞きたくも無い話を再開した。


「八日後に晩餐会があります。今回はクリスもお連れください。その時にその写真に載っている方々もいらっしゃいますので、その後また返答をよろしくお願い致します」


「八日後? って事は次の訪問はその分延ばされるって事か」


「そうですよ、縛ってでも参加させますから逃げようなどと思わないでください……ねっ!」


 ガシッと俺の肩を掴んで、正面から見据えるレイア。凛々しい琥珀の瞳が、俺を映す。


「ところで王子、そのスカーフお似合いですよ」


 それは眉間に皺を寄せながら言う台詞じゃないんだぜ。何でそんな顔をして俺を見るんだ。


「だ、だろ?」


 声が上擦りそうになるのを必死に抑えながら答える俺。

 彼女はにっこりと口元だけ笑ってまた口を開く。目は笑っていない。


「えぇ、特に表に出るような公務があるわけでも無いのにキチンとスカーフを締めるだなんて、珍しくて目を引きます」


「あれだ、朝ちょっと寒かったから……」


 と、そんな言い訳をした直後にレイアが俺のスカーフを即座に解いた。空気に晒される首元に、彼女の視線が集中する。


「失敬、解けてしまいました。巻き直して差し上げましょう」


「じ、自分でや……ぐぇっ!」


 思いっきり締められたスカーフに圧迫されて、俺はその先の言葉を発する事は適わなかったのだった。


 レイアに散々叱られた後、俺は城下に足を運ぶ。

 目的はライトのところだ。いつも城への定期報告の際は、そこにクリスを預けている。

 相変わらずやる気の無い『休診』の看板をちらりと見つつ、俺は表の玄関を素通りして裏口から病院へ入った。

 城と同じくらい歩き慣れている院内を迷う事無く歩いて、向かう先はライトの部屋。クリスはあれから随分とライトに懐いていて、大抵いつもライトとのボードゲームに夢中になっている。

 俺はノックもせずにライトの部屋を開けて、そこに居たいつも通りの二人に話しかけた。


「どうだ、今日は何敗してるんだ?」


 その声を聞くなり、悔しそうな顔をこちらに向けるクリス。


「……まだ、四敗ですよ」


 午前の段階で四敗、という事はやっぱり朝からやっていたのだろうな。

 今日やっているのはキャロムらしく、四角い盤にパックが散乱していた。これなら馬鹿なクリスにも勝機はあると思うのだが、それでも四敗しているのかと思うと笑えてくる。ライトが強いというよりは、クリスがとてつもなく弱い。そのくせして何度もやりたがるんだから困る。


「ちなみに四戦、だ」


「ちょっと、言わないでくださいよ!!」


 ライトの補足に、ぷくっと頬を膨らませて抗議する少年……じゃなかった少女。

 ……クリスの種族が大体どのようなペースで育っていき、どれくらいをピークとしてどのように老いていくのか定かでは無い。が、とりあえずこの四年間、特にクリスに主だった成長は見られなかった。

 当時は年の割には若干高かった身長も今は百六十で打ち止め。少し顔立ちは大人びてきたものの、少なくとも胸は服の上からじゃ発育しているようには見えない。

 髪の毛も別に目標を持って伸ばそうとする事無く、邪魔になったら切る、を繰り返す程度なので今は前よりは少し長いくらい。多分そろそろ邪魔になったと言い出して切る頃合だ。

 正直な話、その成長に期待をしていなかったと言ったら嘘になる。もしかして成長したクリスがローズみたいにセクシーで色っぽい感じになるのかな、とか淡い期待を抱いていたのだが、それは儚くも消え去った。泣きたい。


「全敗中のところ悪いんだが、話があるんだ」


「どうかしました?」


 手を止めてきょとんとするクリスに、特に話を聞いている素振りを見せずに煙草に火をつけ始めるライト。

 俺は二人を見てから続きを話す。


「次の出発は延期になって、とりあえず八日後の晩餐会に出なきゃならん事になった。クリス、お前も来いってさ」


「はー……いいぃっ!?」


 返事をしようとしたものの、その内容に驚くクリス。


「お前だけならともかく、クリスも呼ばれるだなんて何かあったのか」


 ライトの問いに、俺は一瞬その呼ばれた理由が頭に巡って固まる。が、すぐに気を取り直して答えた。


「俺もよく分からん。まぁ、そこは当日レイアにでも直接聞いてくれよ」


「はぁ……」


 クリスは気の無い返事をして、口を小さく開いたままぼんやりしている。

 全くそういう場所に縁の無いコイツがいきなり社交パーティーに参加させられるだなんて無理があるのだ。どうせ恥を晒して縁談もパァだろう。

 ライトも何を考えているのかよく分からない顔をしたまま、ぼーっと煙草をふかしている。が、まだ半分以上残っている煙草の火を灰皿で揉み消して、


「エリオット。たまには飲みに行きたい」


 と突拍子も無く、俺を飲みに誘ってきた。


「何だ、お姉ちゃんがいる店に一人で行くのは抵抗があるのか? いくらでも着いて行ってやんよ」


「そ、そんなお店に行くだなんて許しませんよ!」


「何でお前の承諾を得ないといけねーんだよ、毎回毎回……」


 こんな調子で、いつもどこの街に行ってもクリスはいかがわしいお店に行かせてくれない。まぁ身内のような人間が風俗通いするのは嫌だ、という気持ちは分からないでも無いが、正直鬱陶しい。

 どうするんだライト、と喋らずに目で訴えると、クリスを宥めるのが得意な白髪の獣人が静かに言った。


「俺はそんなところに行くだなんて言ってないだろう、第一興味も無い。普通に飲んでくるだけだから心配するな」


「……分かりました」


 何でライトの話は素直に聞くんだよこのガキ。別にうまい事言ってるわけでも無いのに。ムカつくったらありゃしない。

 夜に再度待ち合わせる約束だけして、俺はまた城に戻ってから雑務をこなした。

 結局俺は未だにローズが何をしたかったのか分からずにいる。

 甘かった、五年という歳月は大陸全土を回りつつやる事をやるには短かったらしい。とりあえずの手がかりとなる遺物を集めては照合するだけに追われ、まだそれらが何を意味しているのか全く把握出来ていないのだ。

 ルフィーナが居れば違ったかも知れない、と思うがあれから随分経ったにも関わらず彼女の行方は掴めないまま。突然居なくなった彼女を勿論心配もしているが、それ以上に刻一刻と迫る行動期限に追い詰められていてそちらに割く余裕が無い。


 そして今回の縁談話。あと一年、という期限を更に意識させられてしまう。

 ローズが死ぬ間際まで執着した事なのだ。今は変わり無いクリスだけれど、それを成さねば今後何が起こるのか……

 そろそろ一人でやってる場合じゃないかも知れない、と弱気になり始めた時、俺に光明の兆しが見えた。


「失礼致します」


 自室に篭もって古文書を手に困っていたところへ、またクラッサがやってくる。


「ん、まだ何か用があったのか?」


「いえ、用件は無いのですが午前見た時に少し気になったもので」


「?」


 何を気になったのだろう。俺は訝しげに彼女に視線を送った。

 彼女は白いトラウザーズを擦らせながらこちらに少しずつ歩み寄り、机の上の古文書に手を伸ばす。


「王子は考古学に興味がおありなのですか?」


「あぁ、まぁな」


「ですが、先程見た時……メモされていた内容が少しズレていましたよ」


「ぶはっ」


 恥ずかしいいいいい!! 興味がある事を肯定しちゃったにも関わらず、それがにわかである事が即バレしてしまった。

 俺は恥ずかしくてアハハと笑って誤魔化す。


「く、クラッサは好きなのか、こういうの」


 今朝来た時にはちらっと見る程度の機会しかなかったはずだ。それなのに間違いに気付けるという事は半端な知識では無い。

 彼女は特に顔色を変えずに淡々と俺の問いに答えてくれる。


「そうですね、王子の女好きに負けないくらい大好きです」


 これは恐れ入った。


「この欠片は掘られている文字の内容からしてトリスタンの竜の舌でしょう。伝承ではこれで猛毒を作れると聞きますが……見た目はただの石ですね」


「へぇ」


「これを調べていた際に開いていたページはどこでしょう?」


「あ、あぁ、多分ここ」


 俺が開いたページをパッと見て、すぐに目を輝かせるクラッサ。

 普段無表情な彼女がこんな顔をするとは思わず、俺はそれに驚いてしまう。この子でも子供みたいに喜ぶ顔をする事があるんだな、と。


「あとこちらはリディル、の破片でしょうかね。心の蔵を取り出す為だけに特化した呪いの紋様が……面白いです」


 古文書片手に遺物を次々と照合し、その喜びのあまりか肩を震わせて嬉々とした表情を見せる彼女。

 呆気に取られている俺にやっと気がついたクラッサは、ハッとして古文書と遺物を机に置き戻す。


「失礼致しました……なので先程のメモのこの部分は、こうです」


 さらさらと近くにあった白い紙にペンで訂正内容を書き記して、俺に手渡した。その内容は俺の拙い翻訳などとは比べ物にもならないほど丁寧なもので、思わず紙を手渡してきた彼女の手をグッと握って引き寄せてしまう。


「?」


 掴まれた手に若干の抵抗を見せる彼女に、俺は縋るように言った。


「手伝ってくれ……ッ」




「なるほど、お話は分かりました」


 俺は、誰にも言わなかったローズの言い残した事を全て彼女に話していた。

 今まで他の誰をも信用出来なかった……というわけではなく、困った時に現れたのがたまたま彼女だっただけのこと。とはいえレイアの直属の部下で、信頼もおける人物であるに違いは無い。


「それで王子はいつも忙しそうだったのですね。公務以外にも随分仕事があるように見えておりましたので」


「俺に出来る事なら何でもするから、君に頼みたい」


 彼女は少し考えて、俺にまず『ローズが当時集めていた物』を揃えるように指示をした。

 俺のように『分からないからとりあえず全部集めてみる』なんて事はせずに、まずは予めあった物の繋がりを見てくれるらしい。

 いや勿論俺だって最初はそうしようとしたんだぜ? 見ても分からなかったからこうなってるだけで。


「プライウェンの盾、エポナの鬣、シャムロックの腕輪、そして極め付けがコルパンシーデの羽……ッ!」


 クラッサは品々を見て歓喜に震えていた。


「何か分かるか?」


「マナナーンの書を貸してください。多分この城になら保管されていてもおかしくないと思うのですが」


「……わ、わからん……」


 機密書室にあるか? いや流石の俺でも関わりのありそうな本のタイトルくらいは覚えている、分からんって事は多分無い。

 少し考えてやっぱり無いだろう、と首を大きく横に振ると彼女は少し困った顔をした。


「まだ少し物が足りないかも知れません。あまり覚えていませんがこれらは確かチェンジリングを解除する物だと思います」


「チェンジリング?」


 何かを交換? 何となくしか分からない言葉の意味に、俺はリピートして問う。


「その子供は……伝承では妖精によるものとありますが、この場合は精霊によって精神や肉体の一部を交換されているのでしょう」


「…………」


 思い当たる節が無いわけでは無い。

 精霊の姿に似通っているクリスの変化した体。けれど何故それをローズが知っていて、彼女は必死に元に戻そうとしたのか。分からないが何か込み入った事情が幼い頃にあったのだろう。

 クラッサはわなわなと体を震わせ、少し潤んだ瞳で書物や遺物を見つめていた。


「私にもその存在すら把握出来ていなかったこれらを、独自に掻き集めた一斉風靡の怪盗……素晴らしいです……っ」


 その様子はどこか常軌を逸しているようにも見える。余程考古学が好きなのだろう、で終わらせるには少し理由が足りないくらいに。

 そもそもクラッサは何故そんなにも詳しいのか。ここに置いていない書の内容まで、一度は読み解いているような言い草である。

 はぁ、と艶っぽく熱の篭もった溜め息を吐いて、彼女はその身を落ち着かせるように机に手をついて俯いた。


「だ、大丈夫か?」


 少し心配になって声を掛ける。


「いえ、柄にもなく興奮してしまいました」


「そっか……で、ここからどうすればいい?」


 目的はチェンジリングの解除。それに少しローズの集めていた物は足りなかった、と。

 となると俺が今まで集めた物の中にその目的の物はあるだろうか。しかし何とかの書とやらが無いから、結局あと足りないのがどれなのかも分からない。

 クラッサの記憶に頼るしかない状況で、俺は少し急かしてしまうようだが問いかけた。

 彼女は、俺の目は見ず、遺物に視線を置いたままで言う。


「マナナーンの書があれば、すぐ分かるでしょう。王子は何でもすぐに用意出来るように、今まで通り片っ端から収集するのがてっとり早いと思われます」


「なるほど」


「書は……私が用意してみせます」


「!!」


 城にも無いその書を、用意すると。そんな事出来るのかと疑いたくなるが、もし彼女が過去に一度見聞しているのであれば、大体の在り処は予想出来ているのかも知れない。

 しかし彼女はここで俺に交換条件を出してきた。


「ただし、書を用意してその子供のチェンジリングを解く事が出来たなら……頂きたいものがございます」


「な、何だ?」


 どれだけ吹っかけられるのだろう、と俺はごくりと唾を飲む。


「王子のその身を、頂戴したいのです」


「はい?」


 素っ頓狂な声をあげてしまった。いや、そりゃそんな声も出るだろうて、なぁ。

 か、体? 何だ、王妃にでもなりたいのかクラッサは。オイオイ、どんだけの野心を秘めてたんだよ。

 と、俺の想像に気がついたのか、それを否定するように続ける。


「普段は好きにされていて構いません、ですが私がお願いをした時、いつでも協力して頂きたい。そういう意味です」


「何に……協力を?」


「まだ分かりませんが、きっと色々と。大丈夫です、考古学的な意味でですので、王子以外にお手は取らせません」


「あぁ、そういう事ね」


 ちょっと恥ずかしい想像をしてしまった自分が情けない。ここまでの考古学オタクなのだ、きっと国の規制などで研究も不便な思いをしてきたのだろう。


「それくらい構わない、俺でよければ何でも協力するさ」


「ありがとうございます」


 身近にこんなに頼りになる人物がいただなんて、俺の目はほんとに節穴だった。もっと早く彼女の存在に気付いていれば、こんなに手間取らずに済んだかも知れないのに。


「ほんっと、ありがとうな!!」


 嬉しくて彼女に思いっきり抱きついた。俺にしては珍しく、何の下心も無しに純粋に。

 けれど彼女はそんな俺に冷たく言い放つ。


「王子、これはセクハラです」




 一段落ついて、時は夜。

 ライトの知人が勤めているという待ち合わせの店にこっそり行くと、ライトは先に着いて入り口付近で煙草を吸って待っていた。

 斜め掛けになっている厚い布地のマントは淡い紫。その下には三つのボタンで留められた白いシャツ、赤いベルトがいくつか巻かれている黒いズボンを履いている。

 普段白衣ばかり見ているので、見慣れない私服に正直違和感バリバリだ。


「よ……」


 声を掛けようとした途端、ライトは女の子達に先に声を掛けられる。え、知り合い? そんな可愛い子達とそんな風に喋っちゃう? うっわ、何か女の子がキャアキャア言ってるよ、どういう事なの俺も混ざりたい。

 しばらく遠巻きに見ていて、ようやく女の子達が去ったところでこそこそとライトに近づいた。


「遅かったじゃないか」


「いや、何かお前が女の子達と喋ってて、声掛け辛かったんだけど」


「あぁ」


 特にそこから話を広げる事無く、ライトは店の中に入って行く。


「ちょ、ちょっと待てよっ」


 予約していたらしくて、俺達はカウンターより少し奥の個室へ案内された。

 煌びやかなデザインのシャンデリアが綺麗な、どちらかといえばカップルで入るようなバー。しかもそこで個室ってオイ、周囲に勘違いされてしまいそうだ。


「今度来いと言われていたんだが、なかなか一人では入り辛くてな」


「そりゃそうだろうよ、ぶっちゃけ男二人でも入り辛いわ」


 多分その知人は、恋人と来い、という意味で言ったと思うんだぜ。何でコイツっていつまでもこんななんだよ……

 一応顔を隠すために羽織ってきた長布を脱ぎながら、先程の疑問を目の前の獣人に問う。


「で、さっきの女の子達は何の知り合いだ? お前に女友達がいるだなんて聞いた事も無いんだけど」


「言った事も無いし、そもそも居ない。さっきのは知らん奴に飲みに誘われただけだ」


「逆ナンパかよ!!」


 くっそ、マジでいっぺん死ね! お前は俺の敵だ!

 メニューに何だかお洒落な名前の酒が並んでいる中、俺は店の雰囲気に全く似合わないエールを注文する。ライトはと言うと、こちらもエールを。申し訳程度にメニューに並んでいるそれは、きっと普段あまり頼まれないんだろうな、と思った。

 届いたアルコールを、乾杯もせずにさっさと口をつけて酒のつまみに手を伸ばし始める。そこでライトがぼそりと喋った。


「晩餐会にクリスが呼ばれた理由は何だ」


「え?」


「とぼけるなよ、知っているんだろう?」


 あぁ、それを聞きたくて俺を連れ出したって言うのかコイツは。元々不機嫌そうな表情なのに、それを更にしかめっ面にして俺を見る。酒の席とは思えない空気。


「クリスに縁談が持ち上がってるんだとよ。その前のご挨拶ってところらしいぜ」


「……そういう事か」


 手元のグラスを見つめながら、その眼鏡の下の金の瞳はどこか沈んでいるようにも見えた。


「お前は、それでいいのか?」


 そして俺に確認してくる。


「何がだよ」


「そのままだ」


 クイッとアルコールを勢いよく飲み干して、煽り酒。何だコイツ、何でこんな早くも酔った顔してるんだ。ふっと過ぎる想像に、いやまさかそんなはずは、と一人で首を振る。


「……違う、そういうのじゃない」


 俺の品の良くない想像に勘付いたライトが、先に否定した。


「妹が増えたようなもので、出来る事なら幸せになって欲しいんだ」


「あぁ」


 あまり他人に執着しないライトが珍しい。いや、元々妹がいるからこそ、感情移入しやすかったのかも知れない。

 ライトは追加オーダーを通して、据わった目でこちらを見ていた。


「そうだな、いい縁談が決まるように俺も気に掛けておいてやるよ」


「クリスがそれを喜ぶとでも?」


 少し強めの口調を俺にぶつけてくる。そして更に咎めるように。


「自分の期待通りに成長しなかったら他に丸投げか。よくそんな事が出来るな」


「あのなぁ……」


 ライトの言いたい事はつまりこうだ。ローズのような女に育たなかったクリスは要らないからお見合い話を快諾した、と。勝手に想像して勝手に怒ってやがるんだ。


「そんな事考えているわけが……」


 否定しようとした俺の声を遮り、ライトは言う。


「お前が考えていなくても、クリスはそう感じるだろうな。それは、どんなに否定しようともお前のせいだ。ずっとお前が積み重ねてきた態度のせいなんだ」


 相変わらず手厳しかった。何のオブラートにも包んでくれない、棘のような言葉。

 俺はどうせ喋ってもまた遮られると思ったのでライトの次の発言を待つ。

 ライトは額に手をあててテーブルに肘をつくと、視線だけ俺から外して話し出した。


「……気付いていないとでも思ったか。お前は度々クリスに落胆の表情を見せている。子どもだって馬鹿じゃない、特に大人の顔色ってのには敏感なんだぞ」


 俺はちび、とジョッキに口をつけて乾いた喉を僅かに潤す。

 流石にこの状況では勢いよく飲むなんて出来なくて、酒が最高に進まない。逆にライトは酒を煽る事で切り出しにくい話を話そうとしているようだった。

 ライトの言う通り、確かに指摘されたそれは否定する事など出来ない、事実。

 幼さを残したまま大人にならないアイツに、勝手に期待をして、勝手にがっかりと肩を落としている。ローズの妹、というアイツの肩書きが、俺にどうしてもそんな期待を寄せさせてしまうのだ。


「お前の好みには成長しなかったかも知れないし、がっかりしてしまう気持ちも分からないでも無い。だがそこへそんな話が舞い込んできたらどうだ? 長い間面倒を見てくれていた保護者が、成人すると同時に自分を捨てた。やはり自分は邪魔だったのか。そう思ってしまうとは考えないのか」


「言われてみれば……確かにそうかもな」


「先を考えれば縁談自体は悪い事では無い。だが捨てられたと感じないように、もう少しうまく接してやってくれないか」


 ほんっと、柄にも無い事を言っている。ライトの口からそんな台詞を聞かされたらむず痒くて仕方ない。

 けれど、そんなコイツにここまで言わせたのだから、俺ももう少しクリスに気を遣ってやらないと申し訳が無いとも思う。


「分かったよ、善処する」


 俺はその夜、言い合いをしながらも一生付き合っていくであろう親友と、久々に朝まで飲み明かした。




 そして晩餐会当日。悲しいかな、俺も縁談があるわけで。そのお嬢様方のお相手をせにゃならんので渋々だが身なりをいつもよりは整えて望んだ。

 襟の内側にレースの施されたテイルコートに、あまり好きじゃないホワイトタイを着用し白蝶貝のカフリンクスとスタッドを留め、窮屈だけど我慢をする。


「お似合いですよ」


 会場の護衛に臨む一人のレイアも、流石にこの場では鎧は着ずに腰に剣だけ携えてディナージャケットを着ていた。それはお前の正装じゃないはずなんだが、どうしてそれを着る。

 会場である広間に入ると大勢の人。少し遅れて来たにも関わらず周囲はこちらを見るなり席を立って挨拶をして出迎えてくれた。と言っても今日の主賓は実は姉上。長年我侭を言っていたが、ようやく貰い手が決まったらしく、その挨拶があったらしい。

 らしい、というのは面倒だったからそのあたりは体調が悪い、とサボっていたのだ。レイアが引っ張り出さなければもう少し遅れて入場していたと思う。


「クリスはどこだろうな……」


「左奥手のテーブルで多分黙々と食事を頬張っているかと。王子が来られないので落ち着かないようでしたよ」


「そりゃそーだわな」


 人が多くてよく見えない。が、とりあえず俺には俺の割り当てられた席があるはずなのでそちらに着席し、会が進むのをぼーっと待った。

 やがてある程度自由に動ける時間になると、俺は先に一応お見合い相手のお嬢さん達に挨拶だけして回る。この後このうちの誰か一人とは踊っておかないといけないから品定めをしつつ、な。

 そろそろクリスのところに行ってやらないと、アイツ一人で固まってるんじゃないだろうか。そう思って周囲と挨拶をかわしつつもクリスの席の方へゆっくりと近づく。


 しかしそこは俺の思っていた状況とは随分違っていた。妙に人の視線が集まっているその中心部には、数人の男に話しかけられて戸惑っている水色の髪の少女が一人。目の前のご馳走を食べたいのに、話しかけられて食べる手を止めざるをえない、そんな感じでキョロキョロしている。

 ここまではいつものクリスと変わらないが、その存在感で周囲の目を集めていた。俺はただ驚いて、開いた口が塞がらない。


「あ、エリオットさん!!」


 俺に気がついたらしいクリスが席を立って大声で呼ぶ。それで更にざわめく周囲。それもそのはず、この場で俺を様付けせずに呼ぶだなんて、普通なら有り得ない。

 当人も言った後に気がついたようで、すぐに肩をすくめて席に座り直し縮こまる。俺に道をあけるようにクリスに群がっていた連中も一歩下がった。

 道を作られちゃったら行くしか無いよなぁ。周囲の視線を痛いほど感じながらも、俺はクリスに近づく。


「孫にも衣装だな」


「馬鹿にしてるでしょう、それ……」


 短い髪なのに上手に上げて貰ったらしく、クリスの後頭部にはそれをまとめて飾るコサージュとウィッグ。白く上品なレースのブラウスと天色のブーケスカートの上にはそのスカートより少し薄い白藍のボレロ。ストッキングも細やかなレースがあしらわれていて、淡いホリゾンブルーのパンプスにはタンが柄を作るように丁寧に打ち込まれていた。

 決して大人っぽいとは言えない、どちらかと言えば幼さを強調してしまう服装だったが、俺はそれよりもクリスの顔に目がいく。


「化粧でこうも変わるんだな」


 ローズそっくりだぞ、と言いそうになるのを堪えた。雰囲気はクリスのソレそのもの。表情が違いすぎるし別人には違いない。

 けれど、ローズがもし幼い表情を見せたならこうなる、そんな出来になっていたのだ。化粧恐るべし。


「顔に粉つけられるし、色々塗られるしで、何だか落ち着かないんです」


 そう言って自分のほっぺたをつつくクリス。

 ローズは女の敵が多そうなタイプだったが、クリスは多分違うのだろう。男は勿論、女ですらもこちらを見て優しい微笑みを向けている。胸が無いのが逆に周囲には控えめで好印象を与えるのかも知れない。


「何なら今すぐタオルで顔拭いてやろうか?」


「私に恥かかせたいんですかね」


 クリスが唇を尖らせてふくれっ面になると、周囲がくすくすと笑う。馬鹿にする厭味な笑いではなく、微笑ましい、と。


「レイアから何で晩餐会に呼ばれたか、聞いたのか?」


「いえ、まだですけど……」


「そうか」


 じゃあレイアに見合い相手を集めさせて、俺からクリスを紹介すればいいんだな。それで後は連中が競ってくれるだろう。


「ちょっとそこで待ってろ」


 俺は周囲を見渡して、レイアを探す。

 程なくして見つかったので俺はレイアにクリスの縁談の相手をどこかに集めるよう促した。

 彼女は最初俺が近づいた時は何故か険しい顔をしていたが、俺の言葉を聞くなりその表情を緩めて、指示に応じる。

 会場内で数人の男を集めて俺が話すのも目立つ、と、すぐ隣の空室に集められた縁談相手。俺は、何が何やらと言った表情のクリスを連れてその部屋に行った。


 確かに写真で見た顔がそこには揃っていた。見目の悪い者はレイアが予め省いたのかも知れない、どれもなかなかの好青年。年は多分、全員十代だろう。

 連れて来られたクリスを見て、目の色を変えていた。王族に取り入るチャンスとなる駒が、それに加えて容姿も良いのだ、食いつかないわけがない。


「一体何なんです? エリオットさん」


 部屋の出口ではレイアが黙って見守っていた。


「……こいつらは、お前の縁談の相手なんだ」


「えっ」


 急な事に戸惑うクリス。


「こちらの部屋にも食事を用意させましょう。今日はまずお互いの交流を深めて頂けたらと思います。後日お一人と正式なお付き合いをと思っておりますが、本日のうちに結論が出ても構いません」


 レイアが淡々と説明をして、部屋を去った。

 クリスはと言うと、とーっても挙動不審になっておろおろしている。そこへ早速自分を売り込もうと金髪碧眼の青年が一歩前へ出て優しく声を掛けてきた。


「そんなに恐がらなくても大丈夫ですよ、クリス様。私はブリック伯爵公家の……」


 そこまでソイツが言ったところで俺は思わず口を挟む。


「爵位や家柄はどーでもいいんだよ、いいからクリスを楽しませてみろ」


 俺に怒鳴られて肩を竦ませるその青年は、もうこの場で身動きなど出来る心情では無くなっているようである。つまり、一人脱落。

 和やかな雰囲気などもはやどこにも無い。俺のせいで張り詰めた空気に変わる室内。

 違うんだ、俺はクリスの相手をきちんと見定めたかっただけなんだ。


「……会話を続けていいぞ、お前等」


「いや、無理でしょう!!」


 我に返って促す俺に、クリスが華麗に突っ込んだ。


【第二部 introduzione ~相変わらずな彼の視点~ 完】

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